ゼロと底辺を結ぶ銀弦   作:ゆにお

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第二章 ≪沈黙する悪鬼≫
一話 忍び寄る影 その1


 決闘から数日が経過した朝。朝食も既に終わり教室へと移動する生徒たちで廊下は溢れかえっていた。今日もトリステイン魔法学院は平和だ。

 雑踏賑わう廊下に一人の男が、不機嫌そうに柱に背を預けている少女の方へと歩み寄る。

 

「……またせたな」

 

 その灰色の髪の男、浅利ケイツが申し訳なさそうにしているのは遅れたからという理由でないことは桃色の髪が映える少女の顔を見れば明らかであった。

 

「もう、あんたって本当にデリカシーがないし、サイテーッ! 変態ッ!」

 

 その少女、ルイズは憤慨を隠そうともしなかった。

 そのあどけない瞳にあらん限りの軽蔑の色を乗せてケイツを冷ややかに睨みつける。

 

「何を怒っている。ただトイレについて来てくれと頼んだだけではないか」

 

「そ、れ、が、大問題なのよ! どこの世界にそんなことを、うら若いレディに頼むやつがいるってのよ!」

 

 ルイズの怒りは留まるところを知らなかった。

 

「……しかしだな娘よ。事情は理解してくれたのだろう? 納得はしてくれていると思ったのだが?」

 

 事情を理解してくれたのだからこれぐらいの手間は許容範囲ではないのかと、ケイツは抗議する。

 ルイズはふんと鼻を鳴らして応える。

 

「でも、その事情を考慮したってあんたビクビクしすぎだわ。大体ね、身長百八十サント以上ある大人のあんたが、か弱いレディの背中に隠れるのってかなり無理があると思うの。物理的にも、絵的にも!」

 

 全くの正論に対してケイツは打ちひしがれた。

 事の重大さ、危機感に認識の差がありすぎるのだと、ケイツは孤独感を感じずにはいられない。

 

「ぐむ……だが、元はといえばお前が私の人形を取り上げるのが悪いのだぞ」

 

 責任転嫁を繰り返すケイツに対して遂にルイズがぷるぷると全身を振るわせた。握り締めた力の行き所を求めて暴れているようである。

 

「そもそもそれが問題よッ! あんたね! 女の子の半裸の人形握り締めて一体何をするつもりだったのよ! 取り上げるにきまってんでしょ~~が!」

 

 ルイズの声が盛大に爆発した。廊下を通り過ぎていく貴族の紳士淑女が騒然とするも騒動の渦中を見るやすぐに納得の表情で歩き去って行った。

 ケイツは既に変態として全校生徒に知れ渡っている。今更この程度の奇行では動じないのだ。

 

 そう、事の発端は決闘の日の夜のことだった。

 

 

 

 

「私と手を組まないか。ヴァリエール家の娘よ」

 

 騒動も落ち着き、自室で錬金学の学術書を読んでいたルイズは、唐突に背後から尊大に響くケイツの声を耳にして本を閉じ、身体ごと彼の方へと向き直りながら言った。

 

「はいはい、今度は一体どうしたと言うの」

 

 ルイズの目は穏やかで慈愛に満ちていた。ともすればヴァリエール家の次女に匹敵しそうな穏やかな瞳でケイツを見つめる。

 しかしそれは可哀想なものを見る目であった。

 

「うむ、≪沈黙する悪鬼≫(サイレンス)についてはもう説明したと思うが」

 

 決闘の後、ルイズはケイツから詳しい話を聞いた。

 突然起こったケイツに対する妨害、そしてその原因、悪鬼の特徴やケイツが暮らしていた地獄についての簡単な説明などである。

 

「――異世界だっけ。それもよりによって≪地獄≫ね……そんな三文小説みたいなこと言われても正直分からないわ」

 

 気のない返事をするルイズにケイツは動揺する。

 

「馬鹿なッ!! あれほど説明したではないか……。なぜ分かってくれないのだ」

 

 聞き流すようなルイズに失望を隠せないケイツは机を叩くが如き剣幕で食って掛かった。

 あまりにもケイツがやかましいのでルイズは仕方ないといった風体で答える。

 

「ん。そうね、百歩譲って≪地獄≫というところがあったとして、じゃあなんであんたそんなところにいたの?」

 

「――っ! そ、それはだな」

 

 ケイツは言葉に詰まった。実は率いていたスリ集団の下っ端がとち狂って王族を刺し、そのとばっちりで裁かれ、地獄送りになったなど自分を尊敬している目の前の少女に言えるはずも無かった。

 

「……私は魔法使いの敵から魔法世界の秩序と発展のため、戦っていたのだ」

 

 嘘ではなかった。神判によって地獄送りになった魔導士は刻印魔導士となり≪教会≫の敵となる魔導士を討伐する責務が科される。百人討伐すれば無罪放免という仕組みになっているが、過去にそれをなしえたものはほとんどいなかった。事実上の島流し、そして死刑だ。

 だが、ケイツはそんな重責に当然耐えられるわけもなく四年目で逃げ出た。

 その後はずっと十一年の間人目を忍びながらの逃亡生活を続けていたのだ。

 幸か不幸か、≪悪鬼≫でひしめく地獄においては、例え≪協会≫といえど、逃亡者を探知する魔術すら破壊されしまい、ケイツにすらも十一年間逃げ続けることを許してしまったのだ。

 

「ふーん。でもね」

 

 だが、ケイツが戦っていたと説明されてもルイズは納得がいかなかった。

 なんせギーシュが相手であったときでさえ、あの逃げ腰なのだ。

 勇ましいケイツというのがイマイチ彼女の脳裏に浮かんでこない。

 

「その気の抜けた返事はなんだ。娘よ、まさか信じていないのではあるまいな?」

 

 訝るようにケイツがルイズに尋ねる。

 そんなケイツの視線を受けながらルイズは柔らかな笑みを浮かべて言った。

 

「当たり前じゃない。あんたがそんな勇敢なことするわけないもの」

 

「……」

 

 一刀両断であった。

 そして遂にケイツが崩れ落ちた。

 

「分かった。分かったわ。だって私もあの橙色の炎を見たんだしね。信じるわ。信じるからその必死な顔を止めなさい」

 

 そこには中年が少女に慰められている貴重な光景があった。

 ここまで恥も外聞もないと流石のルイズにもどうしていいか分からなくなったからだ。

 

「ぐっ、まぁ、分かってもらえればいいのだ」

 

「で、手を組まないかってのはどういうことよ」

 

「……実はだな」

 

 ケイツは周囲を伺うように忙しなく視線をさ迷わせる。

 ここはルイズの私室だ。二人以外の何者もそこにはいない。

 安堵したのかケイツはゴクリと喉を鳴らし、そして言った。

 

「――私を守ってくれまいか」

 

「へ?」

 

 ルイズは我が耳を疑った。想像の域を超えていた。恥も外聞も無いどころの話ではなかったのだ。

 石膏のように固まっているルイズの表情などおかまいなしにケイツはまくしたてる。

 

「お前たちは何故か悪鬼の魔法消去を受けないらしい。ギーシュとかいう小僧が平然と魔法を使っていたのが何よりの証拠だ」

 

「ああ、うん。なるほど、そういうことね」

 

 ここに来てようやく得心がいったとルイズは軽く頷いた。

 

「でも、守るって言われてもね。ここは魔法学院よ? 狼藉を働く輩なんてそう簡単に入れないし、そもそもその≪悪鬼≫っていうのだって、ケイツたちの魔法を打ち消すけど、私達からみればただの平民なんでしょ? それにその悪鬼があんたに害を加えるって証拠あるの?」

 

「む、それは……だが、広場では」

 

「確かにそうだけど、それでも貴方に敵意があって、≪沈黙≫だっけ? ソイツが敵意を持って魔法消去したのならあの場所で襲い掛かってくるんじゃないの?」

 

「ぬ……」

 

 ルイズの弁にケイツは詰まる。

 ケイツにとって確かに正体不明の≪沈黙する悪鬼≫は脅威だった。

 その目的が分からないことこそが不安を一層駆り立てるのだが、敵意があるかどうかは今のところ定かではない。単なる自意識過剰かもしれなかった。

 そしてルイズの言うとおり魔法消去が通用しないメイジたちにとって非メイジはただの平民であり、ルイズ達メイジには何ら脅威にはならない。

 二人の間の危機意識に決定的な齟齬があった。

 

「はぁ。なんか、言葉にするとひどく情けない話ね。メイジが平民に怯えて守ってくれなんて……なんかここまで来るとあんたのソレが愛嬌にすら思えてきたわ」

 

 少女の無垢な呟きがケイツの全身に突き刺さった。

 すっかり項垂れ膝を付くケイツ。

 ルイズはそれを見ながら息を付き、指を立てて言った。

 

「分かったわ。しょうがないものね」

 

 ルイズの承諾にケイツは勢いよく顔を上げる。見上げるルイズには後光が差しているかのように見えた。

 

「本当だな? 絶対だぞ」

 

「本当ならあんたが私を守るんだけどね……でも、その代わり逆の状況になったらあんたは私をちゃんと助けるのよ?」

 

「……ああ、私に着いて来ればきっとうまく逃げられるだろう」

 

「逃げることが前提なのね……」

 

 ルイズはもうすっかり疲れきってしまった。

 窓の外はもうすっかり暗くなっている。

 

「それじゃ、とりあえず細かい話は明日にしましょう? 今日はもう夜遅いし寝ないと、ほら着替えとって」

 

「任せてもらおう」

 

 頷いて、ルイズの着替えを手渡す。数日ですっかり板についた仕事をケイツは淡々とこなした。

 着替えを受け取りルイズは自分でそれを着る。

 貴族だから下僕に服を着せるのが当然だと、ルイズは最初考えていたが、ケイツがあまりにもアレだったので自分で着ることを決意したのだ。

 

「――そうだ、娘よ。一応『保険』はこちらで用意させてもらうぞ」

 

「へ?」

 

 ケイツが背後から投げかけた言葉に着替え中のルイズは振り向いた。

 ルイズが見たものは自分の身体とケイツの手元を結ぶ銀色の弦線であった。

 ケイツの手元には人型にこねられた焼き菓子のようなものがある。

 次の瞬間、ケイツが手元の人型にこねられた焼き菓子とルイズを『相似』にした。

 ケイツの手元にはルイズの姿をそのまま縮小した人形が出来上がる。ただしルイズは着替え中だった。

 

 そして、ケイツの行動はそこで終わらない。その直後ケイツの手のひらの上に黒い板状のものが浮かび上がったのだ。

 それはこの三次元空間においてさえ、奥行きがあるかどうかすら定かでなかった。

 それが丁度ケイツに操られるように浮遊していた。

 

 そこにケイツはルイズ人形(半裸)を投入すると、あろうことかルイズ人形(半裸)が二体に増えた。

 その作業を二度三度……と繰り返す。いまや両手で抱えるほどのルイズ人形がケイツの腕の中にあった。

 これこそ『複製障壁』という相似大系の最先端超高等魔法である。

 ≪三十六宮≫の中で序列『黒宮六位』を与えられた相似大系魔法世界においても、未だ二人しか使えない大奇蹟が今どんなことに使われているか、他の相似大系魔導士が知ったら卒倒しそうな光景がそこにあった。

 

「よし、これで当分は安全だろう」

 

 ケイツはルイズ人形(半裸)の群れに囲まれて、安堵の吐息を漏らした。

 そして御神体を扱うように繊細な手つきで握り締めている。

 痩せ枯れた指先が下着の部分に引っかかっているを見て、ルイズは相似弦が魔法効果を及ぼしていないにも関わらず怖気が走るような心地だった。

 そしてそれは怒りという炎で容易く燃え上がる。

 

「あ~ん~た~ねぇ!! 自分が何してるのかわかってんの!!?」

 

「なに?」

 

 ルイズの怒声に振り向いたケイツが見たものは、白いパンティとしなるように迫り来る脚であった。

 

「ぐはぁッ!!」

 

 回避する暇もなくケイツが地面に倒れこんだ。

 

「はぁはぁはぁ……。~~~~っ! 没収よ! 没収!! 一体なんのつもりなのよ~!」

 

 そういう経緯でケイツが目を覚ました頃には『保険』として用意した数多の人形はルイズによって処分されていた。

 ケイツは泣きそうな顔でルイズに抗議したが聞き入れてもらえなかった。

 

 

「――全くもうッ! あんたって本当に非常識というか突然分けのわからないことするから困るわ!」

 

 先日の光景を振り返りながら廊下を歩く。

 

「何度も説明しただろう、娘よ。相似大系魔導士は似たものの間に関連を結び奇蹟の技とする。人形と魔法使いの位置を交換する転移魔法だって扱えるのだ。だからアレは魔道具。それ以上の意味はないのだと何度説明すれば分かるのだ!」

 

 しかしルイズはケイツの必死な抗議に全く耳をかさない。

 

「その話は何度も聞いたわよ。本当にあんたってデタラメよね。でもあれはダメ、服を着てるときに作りなさい。いや……服を着てるときでも嫌な気がするわ。でもその魔法すごい便利そうだし、どうしようかしら」

 

 ケイツが説明する魔法は、彼に自分の人形を大切に持たれてしまうという事実を差し引いても魅力的なものだった。

 ハルケギニアの魔法では人を飛ばすものはあれど、一瞬で移動するものはない。

 見知らぬ奇蹟の行使と性的嫌悪とがルイズの心の天秤で揺れ動いていた。

 

「それにしても……あんたにお仕置きしても無駄なのね」

 

「相似大系の粋を集めた≪原型の化身≫に掛かれば造作も無いことだ」

 

 不敵に笑うケイツが苛立たしかった。

 だが、ルイズは思い知った。切れのある蹴りで昏倒したケイツが目を覚ますや否や自分の健康状態をルイズと『相似』にすることで瞬時に回復させたのだ。

 そこでルイズは足を止め、はたと思い至った。

 

「ねぇ、ケイツ。治癒魔法って何にでも効果があるの?」

 

「確証はし兼ねるが、人間が相手ならば健康な人間と『相似』にすることで、腕が取れていようが直すことが可能だ」

 

「そう……ならそのうち頼むかも知れないわね」

 

「なんだ、知り合いにけが人でもいるのか?」

 

「そんなとこよ」

 

 教室へと足を進める二人が行きかう生徒たちの雑踏に紛れる。

 そんな二人の後姿を見つめ続ける眼差しがあったことを二人は知らない。


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