その後、意識を取り戻したシュヴルーズは授業の終了を告げ、ルイズに対し罰として魔法を使わずに掃除するように命じた。
命令の半分はルイズにとって意味のない内容であったのだが。
「ケイツ、手伝って」
「なぜ私が手伝わねばならんのだ……」
「主人のミスは使い魔がフォローするものよ」
机に腰掛け両手に腰を当て、つんとすましてルイズは命令した。
ケイツはそ苦い顔をして不平を言う。
「あのような規模の効果が想定されるなら然るべき場所で行うべきなのではないのか? そもそも後片付けを生徒一人に押し付けるなぞ、この学院はどうにかしているな」
――最も普通の教育というのがどういうものなのかは知らんがな、と言外に付け足す。
そんなケイツの呟きを耳に、ルイズは箒を胸に抱え、顔を伏せた。
「それは……私が悪いのよ。石ころを金属に変える授業だったのに……」
「……ふん」
学院を悪く言われて憤慨するかと思いきやルイズの表情は悲しげであった。
さしものケイツも悲しみに暮れている少女に鞭を打つようなまねは憚られた。
ケイツがルイズに背を向け教室を見渡すと、ひしめき合うかのように室内に銀弦が飛び交った。
何も教室が全壊したわけではないのだ。ケイツは画一的に作られた机や椅子、そして床のタイルに相似弦を結ぶ。
多数の生徒達が対等に教育を受ける学院の教室は、驚くほどの相似物に満ち溢れていた。
ケイツの魔法がそれらを健在なものと『似せる』ことで見る間に教室を元のままの状態へと変貌させた。
「終わったぞ」
何度目になろうか、ケイツの魔法を目の当たりにしてルイズが呆然とする。
最初は一枚のタイルが、机が、椅子がそれぞれ銀弦で結ばれまるで何事もなかったかのように修復された。
その後は一瞬だった。まるで古いカーペットの上から新しいかーぺットを張り替えるように復元されていく教室を見つめて言葉が紡げない。
ルイズは手に持っていた箒に目を落とした。あっという間にお役御免となったそれを用具入れへと戻す。
「ねぇ、あんた、何も言わないの……?」
ポツリと、ルイズは俯きながら呟いた。
「何がだ?」
脈絡もなく紡がれた言葉に対してケイツはが浮かべたのは純粋な疑問だった。
「私の魔法のことについてよ」
系統魔法でも先住魔法でもない自分が全く知らない未知の魔法。
ケイツが難なく魔法を行使するたびにルイズは自分の至らなさを突きつけられているようにさえ感じるのだ。
ケイツは唐突な彼女の問いかけに対し、なんとも微妙な表情をしていた。
長い人生を経てさえ、少女を慰める経験などなかったからだ。
「……歳の割りに見事な爆発だと思うが?」
なので思った通りのことを口にした。
「――っ!? 何よ、あんた。馬鹿にしてるっていうの!?」
半ば反射的に、すさまじい剣幕でルイズが振り向いた。思いもよらぬルイズの感情の表出を目の当たりにしてケイツはビクリと身を強張らせた。
「な、なぜ怒る?」
眦(まなじり)に力を込めてルイズはケイツに追い討ちをかける。
「な、なぜですって? そんなの決まってるじゃな……い」
だが、ケイツを睨みつけながら、ルイズは違和感に気付いた。
彼の言葉には嘲笑や揶揄の類のものはなかったことに。
勢いに身を任せてみたものの、ルイズは言葉に詰まってしまった。なんとも歯切れの悪い微妙な沈黙が辺りを包んだ。
「ふん、それで、何が決まってるのだ?」
少女の剣幕に怯んでしまったケイツが今更ながらに黒いコートの襟元をわざとらしく正し、威厳を回復するかのようにルイズを問い詰める。
「えっと……それは……」
気恥ずかしそうにルイズが身をよじった。
「変な娘だ」
ルイズとケイツの認識の齟齬は、ケイツがルイズを無能な魔法使いだと認識していないことにあった。
ケイツにとって、ルイズがどういう目的でどんな魔法を使おうとしたかなど知らないが、自然秩序を術者が捻じ曲げ神秘を発現させた時点で魔法だ。
そのようなケイツの解釈など露知らず、言葉を捜して途方に暮れていたルイズが顔を上げ、ふんっとそっぽを向きながら開き直った。
「いいわよね! ケイツは凄い魔法が使えて。私なんて……使い魔召喚が出来たから何か変わるかと思ったのに、未だに魔法の使えないゼロのルイズなのよ!」
自嘲混じりに胸の内をぶちまけた。言った後でもしかしたら馬鹿にされるかもとルイズは考えたが、そうなったらお仕置きをすると心に決めた。
「魔法が使えないだと? 使えているではないか」
しかしケイツの反応はルイズの見当とは違ったものであった。
「え?」
「お前はお前の力で自然秩序を捻じ曲げ爆発を引き起こしたではないか。それが魔法で無くて一体なんなのだ」
協会圏内の既知魔法世界の魔法使い達は、自らの魔法秩序と異なる魔法秩序によって構成される別大系の魔法を本当の意味で理解することはできない。
魔法使いの観測によって自然秩序をねじ伏せるところから魔法は始まる。ケイツであれば彼が引き連れている相似世界の秩序を自らの観測により自然秩序に上書きすることによって変化を引き起こすのだ。
である以上、相似大系を超えたほかの枠組みを相似大系の理で理解することは余りに困難である。
故にケイツはルイズの系統魔法がどうかと評価するのではなく、ルイズの起こした爆発がどうかという形でしか評価できない。
「そんなこと言ったって、私は好きで爆発を起こしたいわけじゃないのよ!」
「ならば爆発以外の魔法も使えばよかろう」
「~~~っ! もう! それが出来たら苦労しないってば! あんたには分からないのよ。上手に魔法が使えなくて苦しむ気持ちなんて、魔法を使いこなせるあんたには分からないわよ!」
引き絞るように放たれた嘆きは劣等感の具現であった。
ルイズは名家のメイジの家系で育ち様々な高等魔法を眼にしてきて尚、ケイツが扱う魔法は素晴らしいものと言えた。
積もり積もった鬱憤が、嘆きが、思わず口を付いて出てしまう。
「私が上手に魔法を使えるだと……?」
いっそ軽蔑されるかもと思われたルイズの癇癪がケイツの核心に触れる。
学ぶ環境も師も与えられない中でがむしゃらに磨き上げたケイツの魔法はいかに努力を重ねようとせいぜい二流止まりのものだった。
だが、ある日突然与えられた才能はそんなケイツであろうとも頂点に立ちうるほどのものだ。
しかし、与えられた魔法に全てを委ねるということは、それまでの自分の人生が無価値だという事を認めるようなものだとケイツは考える。
「……いいか、これだけは言っておくぞ。私はお前より遥かに魔法に苦悩した経験がある。力を得てなお苦悩し続けているのだ」
ケイツは普段のくたびれた印象しか与えない表情を引き締めて言った。
「それじゃ、この苦しみがずっと続くって言うの? あんたも私みたいに苦しんでたの?」
ルイズは、突如鋭さを宿したケイツの真剣さに思わず耳を傾けてしまう。人として全く尊敬できない男だが、彼が見せる魔法の力はまさしく本物だったので、ケイツの言葉に説得力を感じてしまい、先行く未来が不安になる。
「知らん。お前の嘆きはお前だけのものだ。お前の苦しみもお前だけのものだ」
だが大きすぎる不運に振り回されて世を恨む以外に他のすべは見出せず、落ちぶれるたびに心が磨耗していった男は苦しみの二文字で一括りにされることを拒む。
「……お前なぞ、まだマシな方だ。下を見ろ。お前よりひどい境遇のやつなぞいくらでもいる」
「な、何よ。下を見て満足するなんて出来ないわ。だって私は貴族なんだから」
「今いる場所に留まり続けたければ、もがくしかあるまい。誰もが、皆そうなのだ」
「そんなこといってもどうすればいいのか分からないわ」
「ならば、魔法を磨けばよかろう。結局、魔法使いで居続ける限り、魔法使いの価値は魔法だけだ」
「……あんたの所もそうなのね」
ケイツの言葉はルイズの心に深く浸透した。如何な大貴族の令嬢と言えど"魔法が使えない"だけで彼女は冷笑と侮蔑から逃れる事はできなかったのだから。
不意に、ルイズとケイツの間に架け橋が出来た。
二人の生まれながらにして培ってきた劣等感が『似ている』と相似弦が認識したのだ。
「な、何をする気?」
ケイツとルイズの間に繋がった相似弦を見て、何らかの魔法の前兆かとルイズは怯えた。
「うろたえるな。相似弦自体は、相似大系魔導士の観測に過ぎない。意識の有無に関わらず、似ているもの同士を結ぶのだ。相似弦はそれ単体では、相似大系魔導士が行う魔法秩序の認識の影だ。それを魔力として行使することで彼らは魔法を発現させる」
「っ!? なんですって……そんなの、在り得ないわ」
ケイツの説明は真剣な雰囲気をぶち壊した。ケイツに似ているのだと、魔法秩序直々のお墨付きを得て、ルイズは途方も無く嫌そうな顔をした。せっかくの美少女が台無しになりそうなレベルだった。
「娘よ。なんだその顔は」
「だって、ケイツに似てるって何かダメ人間の烙印を押されたよう、……あっ! 悪気はないのよ? あんたってレディを慰める事も満足に出来ないし、なんか周囲に怯えるようにきょどってるし、人としての器は小さそうだけど、すごい魔法使えるから、差し引きでギリギリゼロに届かない程度に収まると思うの」
ルイズのケイツに対する評価は赤字であった。
少女の慰めという名の偽りなき本音にはケイツの擦り切れたはずの心でさえ悲鳴を上げそうになった。
「なぜこうも私と相似弦が繋がるやつは失礼なやつばかりなのだ」
「そりゃ、あんたに"似てるから"でしょ。あ、私は別よ」
いくら口で別と言ってみてもその態度はまさしく"同じ"であった。
ケイツは憤然とし、相似弦を断ち切る。
相似弦は相似大系魔導士にとってリソースだ。術者の能力如何で結んだり解いたりすることが出来る。
ケイツとルイズの間に結ばれた強固な"相似"でさえ、今のケイツが干渉することは難しくなかった。
「ふん、本当に不愉快な娘だ。だが、元気になったではないか」
「あ」
そう言われてルイズは口元に手を当てる。いつの間にか笑みが浮かんでいた。
「ねぇ、ケイツ」
「なんだ」
「ありがとう」
「……」
ルイズが微笑を乗せて告げた感謝の言葉はどこか聖句のような神聖さを備え、ケイツの胸へ飛び込んだ。
だが、聖なる物は時としてダメージを与えることがある。ケイツは硬直した。
「何よ。何とか言いなさいよ」
「か、勘違いしないでもらおう。べ、別にお前のためを思ってした訳ではない……失礼する」
「あ、ちょっとどこ行くのよ。待ちなさい」
そう言い捨て、ケイツは足早に逃げ去っていった。
おっさんのツンデレとか誰得だと思いました。