アルヴィーズの食堂とよばれるそこは絢爛の極みであるといえるだろう。
貴族は魔法をもってしてその精神となす、の教訓を体現すべく設えてあるそこは、巨木から削り取られたと考えられる長机が大食堂の端から端へと何列にも並んでおり、その全てに穢れない白のテーブルクロスがかけられ、そして等間隔に飾られている金細工のキャンドルでは炎がまるで意思を持っているかのように蝋燭から蝋燭へと無邪気に飛び跳ねていた。
壁にはたくさんの人形が並んでいる。夜中にこっそりと踊りだすのではないかと思うくらい精巧だった。
既に着席している生徒達は行儀よく席に着き、食事の開始を目立ちすぎないように友人たちとささやかに談笑していた。
ルイズも他の生徒達と同じように自らの席へ着くべく歩みを進める。
自分の席の前に着くとルイズはケイツに視線を投げかけた。
「なんだ?」
ルイズは無言でケイツに行動を促すが、彼女の視線に疑問を抱くばかりで望んだ答えを返さないことにまたケイツに対する評価が下がる。
「あのね、主人が座る椅子、引いてよ」
「そのぐらい自分でやればよかろう」
三十を過ぎたといっても、まともな教育も受けず人目から逃げ続けた男に従者の作法を期待するのは難しい。
ルイズは肩を落としながらもケイツを見据えて言った。
「ご飯抜きにするわよ」
「ぐっ」
喉を鳴らし、ケイツはしぶしぶと言った様子で椅子を引いた。いつだって衣食住をにぎっているものは強者だ。
ルイズはたかがこれくらいのことでなんで手間をかけないといけないのかと不機嫌になる。
「おい、待て。私の席がないぞ。一体私はどこに座ればいいのだ」
ルイズの左右には既に他の生徒が着席していた。奥を見渡しても椅子に座った生徒の列が見えるだけだった。
当然ケイツの席らしいものは見受けられず、うろたえている。
そんな、ケイツに対してルイズは床を指差した。
「なんだ?」
「あんたの席はそこ」
ルイズの指が向いてる方向へケイツは視線を落とした。
「何を言っている。そこは床だ」
「使い魔は普通は外。あんたは特別な計らいで床。このアルヴィーズの食卓は通常は貴族以外立ち入る事は許されないんだから感謝なさい」
ケイツはホームレスだった頃の自分を思い出した。落書きだらけのレンガに悪臭漂う汚水、散乱した生ゴミの空間とは異なり、今いる所が贅を尽くした食堂だという時点で反抗心は沸いてこなかった。
「いいか。私を粗末に扱うと必ず後で後悔することになるからな」
それでも文句を言う事は忘れないのがケイツだ。どうみても打ち負かされた敗北者である彼の言動を耳にして周囲から忍び笑いが零れた。
ケイツの前に用意されているのは小鉢の中に申し訳程度に肉の切れ端のようなものが浮かぶスープと見るからに硬そうな黒パンである。普段なら文句をつけようもないのだが、食卓に並ぶ宮廷料理もかくやと言える献立を眺めながらは彼の心に堪えた。
ほどなくして、時間になったのか前列席に座る教師と思しき者が食事の開始を告げた。
「今朝もささやかな糧を与え賜うたことを神と陛下に感謝します」
全校生徒の唱和にルイズの声も混じる。
再び食卓を眺めたケイツはささやかの意味を改めて問いただしたい思いでいっぱいだった。
真の意味でささやかな食事を腹に納めたケイツが手持ち無沙汰にしていると、ルイズがこっそり皿をケイツの前に差し出してきた。
「……なんだこれは?」
「鳥よ」
「……感謝する」
どうみても鳥の皮だけであった。
ケイツは感謝の言葉を述べるべきか迷ったが、なけなしの心遣いを感じたのかなんとか礼を口にした。
腹の足しになるかどうかも分からないそれを詰め込み終えると、丁度生徒達が食堂を出て行く頃合になっていた。
「教室に向かうわよ」
ルイズも食事を終えたようで、口元をナプキンで綺麗に拭いケイツを先導するように席を立つ。排水されるような勢いで厨房から出て行く生徒達の波にケイツたちも乗った。
◆
歴史を感じさせる古い石造りの廊下を各々の教室へと向かおうとする生徒達の流れに混ざり進んでいた時、ルイズはふと口を開く。
「ねぇ、ケイツ。あんたって凄い魔法使いなのよね?」
ルイズから突如投げかけられた言葉に、どういうわけかケイツは返す言葉に迷った。
「……なぜそう思うのだ?」
「だって、あんなにすごい見たこともない魔法を使うじゃない」
足を止め、ケイツの行使した魔法を思い出すルイズの表情は平坦であり、そこから感情を読み取ることはできなかった。
「あれぐらい大したことない。いくぞ」
むしろそれは問いを投げかけられたケイツの方が顕著に顕れていた。
腫れ物に触られ時のような拒絶感を纏い、道往く生徒達の流れへ身を投じる。
「な、何よ。ちょっと待ちなさいよ。あんた教室の場所分かるの? 待ちなさいってば」
予期していなかったケイツの変化にルイズは戸惑いながらも追いすがる。
「全く、本当に変な奴よね、アンタって。私何か気に障ること言ったかしら? いいこと? 大体あんたは無愛想すぎるのよ。最低限の礼儀作法ぐらい身につけなさい」
駆け足でケイツの横に並んだルイズは頬を膨らませ、コミュニケーションの何たるかをケイツに説き始める。
「馬鹿にしないで貰おう、私ほどにも成れば礼儀の何たるかぐらいは弁えている。ただ使う機会に恵まれないだけだ」
だが、世の中の全てに不平を抱き、社会に対して斜に構えて生きてきたケイツはいまさら生き方を変えることなどできないのだ。
◆
教室へたどりつくと、ルイズとケイツを歓迎したのは好奇と嘲笑の入り混じった眼差しであった。
彼らは皆、使い魔召喚の儀式に参加している。ルイズが呼び出したのは瀕死の平民なのだとクラスメイト全員が知っていたのだ。
「こっちよ」
ルイズがケイツに一言告げ、視線の海を割って奥に進んだ。
ともすれば嫌悪を抱く悪意の入り混じった眼差しの中をものともせずに進む少女の姿は実に堂々としたものである。
そんなルイズとは裏腹に、ケイツは顔を顰める。
自らの優越感に浸透するために弱者の匂いを嗅ぎ付けて嬲り者にする者特有の匂いはどこの世界でも同じだった。
「あいつらは一体何なのだ」
「気にしなくていいわ」
質問を無下に一蹴され、ケイツは眉根を顰めた。しかしルイズの作った握りこぶしが机の下で力を込めるあまりに震えてる様を見て取り、それ以上の追求ができなかった。俯いた顔も険しく歪んでいるように思えた。
「……ふん、一体何がなんだというのだ」
誰に告げるでもなく、ケイツは独りごちる。新しい環境で人間関係を築くことに慣れていない男はそれ以外に方法を知らなかった。といっても他にやることもないので必然、好奇心に突き動かされ周囲の状態を観察するように室内を見渡すことにした。
未だ好奇の視線をこちらに向けているものが数人、眠たそうに目を擦っているもの、友人たちと他愛もない談笑に花を咲かせているものが大半である。
先ほどルイズの部屋を出たときに出くわした赤毛の女などは周囲の男子生徒から女王のように祭り上げられており教室内でもっとも目立っていた。
学生らしい振る舞いをしているのは羊皮紙を広げて、本を片手に羽ペンを動かしている者が僅かに見受けられる程度だった。
ケイツの驚きはそれだけではなかった。教室にいたのは生徒だけではなかったのだ、たくさんの魔法生物がそこにいた。
おそらく正しい意味での使い魔なのだろう、小型、中型のものが多く主の席の脇に寄り添うように佇んでいる。
確かにここは魔法学院なのだと、ここに至って初めてケイツは思い知った。
――魔法学院。その名はケイツの心に少なからず波紋を呼び起こす。
ケイツはとにかく争いに巻き込まれる男だった。そんな中で自分よりも優れた腕前の魔法使いに出会うたびに彼は呪いを振りまいた。自分も正当な教育を受けていたのならばお前などは敵ではないと、まだ見ぬ自分の才能を頼りに目の前の現実から目を背けていた。
生まれながらにして親から捨てられたケイツには得ることが叶わなかった教育を受ける権利を当たり前のように享受し、それでいて退屈そうに振舞う彼らに苦々しい嫉妬を抱かずにはいられない。
唯一の救いは自分の主となった少女が自分の横で勤勉に本を読んでいることであろうか。無為に過ごした若い時間を、いや無為に過ごさざるを得なかった若い時間を、自分のように無為に過ごしてしまえと、暗い感情が灯る半面で、やはり努力を重ねて前へ進もうとする意志に触れると、それが美しく尊いものだと感じ、台無しにしたいなどとは思えなかった。
――思考に沈んでいると程なくして、教室に恰幅のいい中年婦人が入ってくる。紫のローブに身を包みとんがり帽を被っていた。
「え~。ゴホン、みなさんお静かに、はいお静かに」
教壇に立つなり、咳払いし、手馴れた様子で喧騒に満ちた教室を静かにさせる。
「みなさん。進級おめでとうございます。私は本年度より皆様の授業を受け持つことになった『赤土』のシュヴルーズでございます。今年一年どうぞよろしくお願いしますね」
穏やかで落ち着いた笑みを浮かべながら教壇に立った女性は一礼した。そして周囲に視線を配りながら授業前の挨拶を続ける。
「このシュヴルーズ、皆さんの召喚した使い魔を見るのが毎年の楽しみなのですよ。今年の生徒達はどうやら優秀なようで嬉しいです。ん?」
召喚された『使い魔』を眺める婦人教師の視線がケイツの方へと向く。
「ミス・ヴァリエール。ずいぶんと変わった使い魔を召喚したようですね」
シュヴルーズにとっては純粋な興味から来る感想だったのだろうが、そこにクラスメイト達が火を放った。
「ルイズ! いくら使い魔を召喚できないからって家から平民を連れてくるなよ」
その言葉を皮切りに、好機を得たと言わんばかりに騒ぎ立てる少年少女の喧騒で再び教室内は埋め尽くされた。
耐えかねたルイズが机を両手で大きく叩きながら、発端となった少年を睨みつけて怒鳴った。
「ミス・シュヴルーズ。『かぜっぴき』のマリコルヌが私を侮辱しました!」
「なんだと? 『ゼロ』のルイズのくせに生意気なこと言うな」
「あんた、年中風邪を引いているみたいなガラガラ声なのよ」
「――こらこら! 二人とも止めなさい。そこまでです」
際限なく発展していくと思われた口喧嘩に見かねたシュヴルーズが仲裁が入る。
「でも先生。こいつが言った『かぜっぴき』はただの中傷ですが、こいつが『ゼロ』なのは事実です」
本人はうまい事を言ったつもりなようだった。教室内からはそれに追従するように笑い声が上がったからあながち的外れではないのかもしれない。
「それ以上言うなら、授業中は口に粘土を張りつけて受けてもらいますよ」
脅しをかねてシュヴルーズが空中に土塊を生成してみせる。それ以上言葉を紡ぐものはいなくなった。
「本日は『錬金』の授業を始めます。一年生の時に皆さんも習ったでしょうがおさらいの意味も込めてもう一度学習しましょう」
教師らしく厳かに呟き、シュヴルーズは懐から杖を取り出す。
教壇の上、彼女の手元には小さな石ころがあった。シュヴルーズが一言二言呟くと教壇の上の石ころに変化が現れる。
激しく発光したかと思うと次の瞬間に、石ころが金属質の光沢を放っていたのだ。
「それってゴールドですか?」
キュルケが驚愕し、身を乗り出して目の前の現象を食い入るように見つめた。
「いいえ、ただの真鍮です。金を錬金できるのは『スクウェアメイジ』だけですから、私はただのトライアングルですからね」
肩透かしをくらったようにキュルケは着席する。
「……公衆の面前でなんと下品なことを言う女だ」
キュルケを睨みながら、ケイツは湧き上がった嫌悪感を抑え切れずに小声で漏らしてしまう。
「なによ。ケイツどうしたの? 確かにあの女は下品であることは否定しないけどそんな変なこと言ったかしら?」
隣に座っていたルイズだけがケイツの呟きを拾った。
数ある地獄語の中で≪協会≫と敵対する≪聖騎士団≫の活動圏内で話されている英語は、既知魔法世界の魔法使い達にとって最低の卑語を意味する言葉だった。
もちろんハルケギニア語を普通に話しているつもりのルイズ達にそんなニュアンスは聞きとりようもないのだが、ケイツだけはこれに敏感に反応したのだ。
「やめろ。私の口からは言えん」
白雪のように無垢な表情を向けてくる少女に対して≪Gold≫の球体が意味するところを説明するのは流石のケイツにも躊躇われた。
「ミス・ヴァリエール! 使い魔と親睦を深めるのもいいですが今は授業中です。私語は慎んでください」
教壇からは生徒が思っているよりも彼らの行動は目立つ。彼らが隠れてうまくやっていると思うようなことも神のような目で厳しく見咎めるのだ。
「申し訳ありません。ミス・シュヴルーズ」
生真面目なルイズは咎められた罪悪感で萎縮した。思わぬところから自分の嫌いな女に対する悪口が零れたおかげでつい構ってしまったことを後悔する羽目になる。
「では、ミス・ヴァリエールには前にでて『錬金』の実習を行ってもらいましょう」
シュヴルーズの発言は教室に波紋を呼び起こした。
「やめてください。先生、危険です!」
赤毛の女生徒、キュルケがシュヴルーズを止めた。周囲の生徒達も口々に彼女に同調するのは何も彼女が教室の女王であるという理由だけでないことは明白だ。ルイズが魔法を使うことに怯えている様な雰囲気が教室内を支配する。
「危険? 何が危険だというのです。大丈夫ですよ。ミス・ヴァリエールは勉強熱心な生徒だと聞いてます。さあ怖がらないで前にでてやってみなさい」
「はい」
シュヴルーズに促されて、おずおずと教壇の方へと進み出るルイズを見送った生徒達はこの後引き起こされるであろう波乱を予期した。我先にとこぞって机の下に身を隠す彼らを見てケイツは怪訝な面持ちで見守っている。
「大丈夫ですよ。怖がる事はありません。さあ、『錬金』したい金属の事を思い浮かべなさい」
「分かりました」
ルイズは懐から杖を取り出した。そして先ほどシュヴルーズが実演してみせたのと同じようにルーンを紡ぎ、そして杖を振り下ろす。
そして、その直後に訪れたのは耳を劈くような爆音であった。教壇を中心に周囲の物が急激なエネルギーの膨張に耐えかねて吹き飛んでいった。爆発によって与えられた急激な慣性を物質が全て吐き出した後に残ったものは見るも無残な爆心地のみであった。教壇は見る影もなく破壊され周囲に破片を撒き散らしている。爆音に驚いた使い魔たちが生存本能を刺激され教室の片隅で暴れていた。
自分の使い魔が食われたと、涙を流す生徒もいた。数多くの生徒達が惨状をもたらしたルイズに対して痛烈な抗議を放つ。
しかし当のルイズは爆心にいて平然としていた。
「ちょっと失敗したわね」
しかし、非難の嵐を受けて飄々としていたルイズの表情とは裏腹に、服はボロボロになった。ブラウスは所々破れ、あるいは煤が付着しており、きめ細かい白い肌が露出している。
スカートも同様でありもはや布切れとなったそれは服としての役割を果たしておらず下着を覗かせていた。
そんなルイズの様子をケイツは心配するでもなく見守りながら言う。
「なるほど、最初は戸惑ったが未知の魔法世界においても確かに『錬金』は『錬金』なのだな」
ルイズがもたらした喧騒の中でケイツの呟きが静かに溶けていった。