ゼロと底辺を結ぶ銀弦   作:ゆにお

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二話 トリステイン魔法学院

 翌朝、ケイツはルイズに命じられた洗濯のため学院内を歩いていた。

 小鳥の囀りと共に目覚めた穏やかな朝。思わずして訪れた平和の到来にケイツの胸が軽くなる。

 寝起きざま、傍らに落ちていた下着を見て昨夜の言いつけを思い出し、そして現在は学園の中央広場、石造りで出来たアーチをくぐり抜けたところでふと気付く。

 

「そういえばどこで洗えばいいのだ……」

 

 握り締めた少女の下着に視線を落としても答えてくれる者は居なかった。

 麗らかな朝、突如として現れた難問にケイツは苦悩する。先ほどから何度も同じところを歩いている気がするのだからもしかすると魔法でもかけられたかと心配になってきた。

 

「――どうかなさいましたか?」

 

 そんな時、背後から投げかけられた声に、ケイツは驚き振り向いた。

 肩口で綺麗に切りそろえられた黒髪のメイドがそこにいた。

 どこからどう見てもただの不審者でしかないケイツに対して、無警戒に尋ねてくる。

 

「ルイズという娘に洗濯を申し付けられたのだ」

 

 どん底で生き延びながらにして、擦り切れていった男は乾いた声で告げた。

 メイドの少女は、思い当たることがあったのか人差し指をちょこんと顎に添えて、虚空に視線を向けながら記憶を辿る。

 

「ああ、あなたがですか。噂になっていますよ。ミス・ヴァリエールが大怪我をした平民を召喚したって」

 

「それはいいのだが、お前は誰だ?」

 

 相手が一方的に自分の事を知っていてこそばゆく感じたケイツが尋ねる。

 

「あ、申し遅れました私、シエスタといいます。よろしくお願いします」

 

「私は、ケイツ。浅利ケイツだ」

 

 礼法に則ったメイドの一礼に対して、ケイツは直立不動で答えた。

 

「ケイツさんですね。それはそうと、お洗濯でしたら私たちの職務です。どうか手伝わせてください」

 

「それは助かる――」

 

 善意に満ちたにこやかな微笑みを浮かべるメイドの少女を見ていているとケイツの胸に突如、既知感が湧き上がってきた。

 それはとても重要なことだったため、ケイツは確認せずにはいられなかった。

 

「――だが、その前に一つ聞きたいことがあるのだが」

 

「はい、なんでしょう?」

 

 可愛らしく小首をかしげるシエスタにケイツは言い放った。

 

「……お前はちゃんと女だろうな?」

 

 ケイツは懐疑的な視線をシエスタに向けながら言った。

 そしてその瞬間、時は止まった。ほどなくして、硬直の解けた少女が表情を強張らせ一歩二歩と後ずさる。

 

「ひ、ひどいです。それは一体どういう意味ですか?」

 

 うっすらと目元に涙を湛え、歯を噛み締めているようだ。

 

「ま、待て。悪気があって言った訳ではないのだ」

 

 そんな彼女の変化を目の当たりにし、ケイツは動転した。

 

「悪気がないって……余計にひどいです! ――っ!! 失礼します」

 

「待て、誤解だ。おい」

 

 一筋の涙が頬を伝ったのを皮切りにして、シエスタはケイツに背を向け、駆け足で遠ざかっていった。

 善意で無償労働の手伝いを申し出てくれた無辜の少女の心を深く傷つけたケイツは罪悪感に苛まれ広場の只中で、少女の下着を片手に硬直する。

 

「……仕方がない。別の方法を探すか」

 

 自分に何か言い聞かせるようにしてケイツは再び歩き出した。

 罪悪感を薄める為にはそうせずにはいられなかったのだ。

 

 

 

 部屋に戻ると、出て行ったときと変わらない光景がそこにあった。

 すやすやと寝息を立てて眠る少女の方へとケイツは歩み寄り、言った。

 

「おい、起きろ。聞きたいことがあるのだ」

 

 どのような境遇に落ちようと、その身にそぐわぬ尊大さだけは忘れなかった男が自らの主となった少女に言葉を叩きつけた。

 

「ん。んあ? な、何よ。アンタ誰?」

 

 安眠を妨げられる形となったルイズが眼を擦りながら、闖入者に胡乱気な視線を飛ばす。

 

「何を寝ぼけている。私だ」

 

「……ああ、ケイツ。そういえば昨日召喚したんだっけ。それよりもあんた。起こすならもっと優しく起こしなさいよ。そして主人に対してもっと敬意を払いなさい」

 

 意識が覚醒するや否や、鳶色の瞳を怒りに染めルイズは抗議する。

 

「そんなことはどうでもいい。それよりも水洗い場がどこにあるのか聞いていないぞ」

 

 だがそんな主の抗議をにべもなく一蹴し、ケイツはただ自分の要求を突きつけるのだ。白とも黒ともつかない曖昧な彼の灰色の瞳は、まさに責任転嫁の色だった。

 

「……何よ。そのぐらい周りの人に聞くなり融通を利かせなさいよ。思ったより使えないわね」

 

 全くの正論だった。ルイズの指摘を忸怩たる思いで受け止め、一度わなわなと震え、そしてケイツは目を見開き、引き攣った口元を笑みの形に歪めたのだ。

 

「そんなことが言えるのも今のうちだ。娘よ、私の力を見せてやろう。まさか下着が一着ということはあるまい。新しい下着が必要だ。さあ、出せ。早く出すのだ」

 

 不敵に笑う中年が少女に対して下着を要求するという、絵にしてはいけない類の光景がそこにあった。

 

「な、なんでよ」

 

 元々、着替えるためにケイツに下着を持ってこさせる算段であったルイズだが、そんな鬼気迫るケイツを前にたじろがずにはいられなかった。

 

「なぜだと? 洗い場が分からないのだから仕方がないだろう」

 

「なんか今のあんた怖いわ。意味が分からないし」

 

 怪訝そうな面持ちをするルイズに、得意げな笑みをケイツは浮かべる。

 

「分からないならば教えてやろう。お前のパンツを洗うために、新しいパンツが必要なのだ」

 

 この時点でルイズは理解することを諦めた。なぜなら彼女の常識では返す言葉が見つからなかったからである。

 とはいえ、着替えたかったので断る理由はなかった。

 

「そ、そこの引き出しに入ってるから。ついでに服も持ってきて」

 

 好奇心半分を胸に抱き、この変な使い魔の動向を見守ってみようとルイズは決意した。

 

「いいだろう」

 

 ケイツは頷きクローゼットの中から、ケイツの手汗の染みこんだ下着と『似ている』下着を取り出した。そこにあるのはシンプルにレースを誂えた白のシルクの下着がほとんどだ。元々おしゃれには無頓着なルイズは特に問題を感じていなかったのだが、それがケイツにとっては都合がよかった。

 

「よいか、見ていろ。そもそも洗うなど、初めからこうしていればよかったのだ」

 

 ケイツがそう言うや、手に持つ下着と引き出しの中の下着との間に相似弦が結ばれる。

 相似大系は形が似ている物は『同一の物』と誤認する世界で発達した魔術だ。

 似通った形のもの同士を『相似の銀弦』と呼ばれる魔力で結ぶことで一方ともう一方を同じ状態にするというのが魔術の基本である。この『銀弦』は物理的な道具という意味ではなく、術者の観測によって『似ている』と判断されたものの間に展開される認識の影である。例えば丸いボタン同士を銀弦で結んだ場合、片方を動かせば、もう片方も『同じ』だけ動かすことが可能である。物体操作は相似大系の基本であり、他にも上位の術者になれば状態や形状、性質を『相似』にすることすら可能であった。

 つまり、今回の場合は『クローゼットの引き出しの中に入っている下着』と『ケイツが握り締めている下着』とを相似弦で結ぶことによって、強制的に後者を前者と同じ状態にしたのだ。

 

 宣言の通り、銀弦で繋がれたルイズの二つの下着の片方に変化が起こる。

 ケイツの手にある下着はどうみても清潔なものに変わっていた。

 

「終わったぞ。それとこれが服だ」

 

 誇るでもなく淡々と下着を戻し、服を持ってくるケイツに対してルイズは呆れた。

 

「あんた昨日から思っていたけどめちゃくちゃなやつね。ん」

 

「何をしている?」

 

 ケイツが手渡そうとした服を受け取ろうとしないルイズに怪訝な眼差しを向ける。

 

「着せて」

 

「何だと?」

 

「だから着せて。貴族は下僕が居るときは自分で服を着ないの」

 

「……どうなっても知らんぞ」

 

「何よ。どうにかするっていうの?」

 

「そういう意味ではない。動くな。じっとしていろ」

 

 ケイツはたどたどしい手つきでルイズに手を伸ばす。服を着せようとするのだが、その過程で時折ケイツの無骨な手がルイズの瑞々しい肌に、女性として未だ未成熟な胸に、スラリと細く引き締まった太ももに触れる。

 

「きゃっ! ちょ、ちょっとどこ触っているの変態!」

 

 その度にいちいち悲鳴を上げて、ルイズはケイツを殴打した。

 

「む、止めろ。仕方ないではないか。慣れていないのだから仕方あるまい」

 

「きゃぁっ! また触った。あんたわざとやってんじゃないでしょうね。もういいわ。自分で着るから」

 

 憤慨したルイズはケイツを突き飛ばし自分で服を着始めた。

 ケイツの精一杯の努力の対価は、ルイズの信頼の急降下だった。

 

「おのれ、ならば初めからそうすればいいだろう。全く無駄な手間をかけさせるな」

 

 そして今日もケイツの捨てゼリフが響き渡った。

 

 

 着替え終えたルイズとケイツが女子寮の廊下に出ると、時を同じくして廊下の向かい側にある扉が開かれた。

 中から出てくる人物を眼に納めるなり、ルイズの鳶色の瞳に嫌悪の色が混じる。

 

「あら、ルイズ。おはよう」

 

「……おはよう。キュルケ」

 

「あなたの使い魔ってそれ?」

 

 キュルケと呼ばれた少女がにやりと笑みを浮かべケイツを指差した。その声色には嘲笑の色が浮かんでいる。

 彼女は鮮やかな赤髪に艶やかな褐色肌、その瞳は蕩ける様に濡れていて、既に大人の女性の魅力で満ちている。さらにその女生徒はブラウスの二番目のボタンまでを外し、そこに大きな谷間を象っていてまさに奔放さの具現のようだった。

 

「そうよ」

 

「あはははは! 本当に人間なのね! すごいじゃない」

 

 ケイツは少女たちのやり取りを不快な面持ちで見ていた。

 彼が嘲笑を受ける事はもはや数え切れないが、何度目になろうと嫌悪感は隠し切れない。

 

「『サモン・サーヴァント』で平民を呼んじゃうなんてあなたらしいわ。さすが『ゼロ』のルイズ」

 

「所詮はツェルプストーね。ケイツはただの平民じゃないんだから」

 

 一方的に投げかけられていたキュルケの侮辱に対して、憐憫すら込めてルイズは答えた。

 

「……へぇ、言うじゃない。どこが普通じゃないっていうのよ」

 

 ルイズの挑発にキュルケは挑戦的な視線を込めてケイツを見る。

 この軽口を言われただけで不機嫌さを隠すことも出来ない、容姿は冴えない、痩せくたびれた長身の男がどれほどのものなのか見定めようとする視線だった。

 

 ケイツはその視線から逃れようとつい、目をそらしてしまう。その時だった――

 

「うわっ! な、なんなのだ」

 

 ケイツは思わず転倒した。

 目をそらした先に見えたものがちょうどキュルケの部屋から出てきて、真横を通り過ぎたため驚いたのだ。

 

「ぷっ! あっはっはっは! 普通じゃなくて臆病な使い魔ちゃんね。やっぱり使い魔にするならこういうのがいいわよね~。フレイム」

 

 ケイツの醜態を見たキュルケはもはや価値無しと、自らの使い魔の自慢を始めた。

 フレイムと呼ばれたそれはどうやらサラマンダーという生き物らしい。

 大型の爬虫類で地に張っていても人の腰ぐらいの背の高さ。その威容は虎ほどもあるだろうか。サラマンダーの来歴から希少性までキュルケはしゃべりにしゃべった。

 ルイズはそんな彼女の話をそっけなく聞き流す。

 

「それじゃ、お先に失礼」

 

 最後には勝ち誇った笑みを残し、キュルケは立ち去っていった。

 そんなキュルケを見送り、ルイズは言った。

 

「……ケイツ。あんたもっとしっかりしなさいよ」

 

「私は悪くなかろう。急に飛び出してくるトカゲが悪いのだ」

 

 起き上がり、威厳を取り繕うとしている男の情けなさに対して、ルイズは冷めた眼差しを突き刺した。

 

「なぜそのような目で見る? いきなりだったのだ、仕方がなかろう」

 

 その言い分には一理あった。だがルイズはため息を付かずにはいられなかった。

 

「せっかくあの女にケイツがすごい……いや、変わった? いや、変な魔法使い? である事を自慢してやろうと思ったのに……あれ、出来るのかしら?」

 

 これまでの行動を思い出すほどルイズの言葉から自信が消えていった。そして小さな音が鳴り響いた。

 

「っ! と、とにかく朝食に行くわよ。ついてらっしゃい」

 

 音の発生源を隠すように腹を押さえルイズは歩を進めた。

 

「おい、待て。ビスケットならたくさんあるぞ」

 

 ケイツは自分に失望の眼差しを浮かべた少女からの名誉を回復しようと試みたが、その言葉は彼女の耳に届かなかった。慌てて後を追いすがり食堂へと向かう。

 そんなルイズとケイツとの間に一本の銀色の糸が橋のように掛かった。

 こうしてケイツの一日は始まりを告げる。


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