ゼロと底辺を結ぶ銀弦   作:ゆにお

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四話 御伽噺の怪物

 ――――御伽噺には怪物がひそんでいる。

 地獄と呼ばれる地球において、御伽噺はしばしば子供たちに常識や教訓、社会通念を教え込む為に存在してきた。

 御伽噺には多くの場合、忌避すべき行動を取ったものに対して、その報いを与える怪物が出てくる。小さい子供達はそれを恐怖し、教訓として記憶に刻む事になるだろう。怪物は時に人に利益をもたらしたり、無慈悲な悪であったりもする。その得体の知れない恐ろしさに長い間とらわれ続けてきた。

 だが、人は成長する。怖いお化けも怪物も現実にはいないのだという事を、やがて理解するであろう。すべては空想上の産物。科学の発達した現代において、非論理的な空想を信じる事など馬鹿らしいとすら考えるようになってきた。

 そしてこれからも、人々は教訓などすっかり忘れて、当たり前で代わり映えのしない退屈な日常へと埋没していくのだろう。

 だが、人はそこで思考を停止するべきではなかった。

 

 ――本当に、怪物はいないと証明することは果たして出来るだろうか?

 死体は黙して語らず。

 怪物に遭遇した人間は皆、口を閉ざしてしまうだけなのかもしれないのだから。

 あるいは、怪物とは異形の姿ではなく、我々と同じ姿をしているのかもしれない。

 目に見えぬ深淵の底からいつもこちらの方を窺っていることに誰も気付かない。

 

 

 

 ケイツがハルケギニアに召喚される一年と少し前。その日ガリア王国の首都リュティスは大いに賑わっていた。

 新ガリア王の戴冠式。

 リュティスの街道には国民が立ち並び、歓声を上げて新しい王を迎える。

 大衆はそのお祭り騒ぎに興奮し、熱狂の渦中へと喜んで身を投じていた。

 だが、すべてを熱狂が飲み込む中で、彼らにはリュティスの街道を包む歓声と同じぐらいの悲鳴が人知れず響き渡ったことなど知る由も無い。

 

 ガリアの王宮ヴェルサルテイル宮殿のグラントロワで一人の男が椅子に深く腰掛けて、椅子が滓かな軋み音を上げる。目を凝らすまでもなく精緻な宝石細工が施され、高価な革張りで拵えられたその椅子はまさに王座であった。

 新ガリア国王ジョゼフ一世、それが彼の名だ。齢四十はとうに迎えているはずなのに、二十代といっても通用しそうなほど若々しい。刈り揃えられた髪は青く、筋骨逞しい均整の取れた体つき、メイジというよりは剣闘士を髣髴させるような男がその椅子のすわり心地を堪能していた。

 祝福すべき儀式も一段落し、官吏達を締め出して一人になった王はひどく冷めた表情を浮かべていた。それは決して儀式を円満に終わらせた事によって気疲れしているわけではなかった。

 その表情に浮かぶのは失意であり、落胆であり、そして虚無だ。

 つい先ほどまで王宮のバルコニーにて新たなガリアの繁栄について熱弁を振るい、屈強で丹精な美丈夫に相応しい笑顔で大衆に手を振っていた男と同一人物かと問われると首を傾げたくなるほどだった。

 

「……ふふ、くくく、ふはははは、ハハッハッハッハッハッ!」

 

 何の前兆も無しに、ジョゼフの笑い声が響き渡った。

 最初はくつくつと、次第に爆ぜるような哄笑へと変貌する。

 

「今日はなんという日だ! ガリア始まって以来の天才と謳われた弟、シャルルを蹴落とし王座についてみれば、よりにもよって余が虚無だと? 運命とはなんとも皮肉なものではないか。全く魔法が使えず、無能と蔑まれながらも、弟に負けぬように努力しているうちは何の糸口もつかめなかったと言うのに、全てが終わってみれば伝説の系統と来たものだ。滑稽だ。まさしく虚無だ。ふふふ、これが笑わずにはいられようか!」

 

 聞く人がいれば恐怖を抱かずには居られないほどジョゼフ王の笑みは狂的で、危うさを秘めていた。

 数刻前の戴冠の義での出来事をジョゼフは回想する。

 王の即位にあたって、始祖ブリミルより伝わりし秘法が使われるのがその慣わし。

 つまらない儀式手順に乗っ取り、ガリア王家に伝わる土のルビーの指輪を装着し、香炉とは名ばかりの、何の香りもしないそれを無感情で台座に置いたときだった。

 何とも言えぬ香りがあたりを包んだようにジョゼフだけが感じた。

 ジョゼフがそれを訝る間もなく、事は起こる。頭の中に滂沱の如く流れ込んでくる情報。

 どうやらそれはジョゼフ王が虚無の系統の継承者であるという事実を告げるものだった。

 不可解というより他になかった。香炉から漂う嗅覚情報であるはずなのに、頭に浮かんだのは聞いたこともない声が響くように感じるのだから。

 その声は『虚無』をジョゼフの脳裏に叩きつけた。

 そんな異変をジョゼフはおくびにも出さず、滞りなく戴冠式を済ませたのだから大したものだ。

 

「ふん、伝説の系統に、伝説の使い魔か……面白い」

 

 ニヤリと口元を吊り上げてジョゼフが手元に視線を落とす。その手には始祖の香炉と土のルビーを手持ち無沙汰に弄びながら、おもむろに懐から杖を取り出した。

 

「そういえば、使い魔の召喚なぞ試した事もなかったな。はははッ、そうだった、そうだった! 余は無能だから許可してもらえなかったのであったな。なにせ使い魔は主に相応しいものが召喚されるというのだからな」

 

 メイジの格は使い魔を見れば分かるという。無能と蔑まれていたジョゼフは王族としての風評被害を周囲が嫌い、召喚を行わせなかった。

 ふと心に湧きあがったその試みにジョゼフは少し心を弾ませる。

 ジョゼフは知識として叩き込んであった使い魔召喚の呪文をジョゼフは記憶から呼び起こし、それを唱えることにした。

 

 皮肉なもので、魔法はすんなりと成功。今まで失敗続きであり、尊い王族の血を引いているにも関わらず魔法が成功しない『無能』の名を欲しいままにしてきた彼の始めての魔法の成果。

 怪しい光を帯びながら人が通れる程度のサイズの銀色の長方形が空中に展開される。奥行きがあるかどうかすら定かでないそれが次の瞬間に濃密な魔力を帯びた。

 

「さあ、何が出る? 余の使い魔だ。ドラゴンやグリフォンなぞはもちろん期待していないぞ」

 

 もちろんそんなものが呼べるとは露ほども思っていない何せ自分は無能王なのだから。

 自嘲に歪んだ笑みを浮かべながら、まだ見ぬ使い魔を待つ。

 召喚の門が口を開いたまま、刻一刻と時間ばかりが過ぎていった。どれほど待ったであろうか、長くも感じるし短くも感じた。

 だが、その瞬間は訪れる。

 何かがゲートを通過してくるのをジョゼフは認識した。まずは二本足が、そして服、白い麻のスーツ、胴が見えた、この頃にはそれが人だと理解した、顔が見える、おそらく初老の男、白くなった金髪で堀の深い顔、痩せ型、無表情な紫色の瞳が一つ、片方には眼帯が、そして遂には服と同様に白い紳士帽を被った男の全貌を捉えた。

 

 ゆっくりとゲートが閉じ、部屋にはジョゼフとその男だけが取り残される。

 召喚された男に動揺は見られない。どこか困ったような表情を作ってみせ、ゆっくりと落ち着き払って周囲を見渡し、そしてジョゼフに尋ねてきた。

 

「――おやおや、どこの誰だか知りませんが、いきなりやってくれますネ。せっかく公共事業の渡りをつけたと思った矢先にこれデスカ。思うんですが、ぼくはつくづく他人に商売の邪魔をされる星の巡りのようデスネ」

 

 紫色の瞳をした男は咄嗟に状況を判断しながら、軽薄に笑っていた。

 ここが何処かの宮殿で、目の前に立っているのがその国の王で、その国がおそらく大国だと言う事を理解した上で、その男がその瞳に灯したのは殺意。虫けらをひねり潰すような無感情な殺気であった。

 二の句を次ぐ間もなく、殺意が飛ぶ。

 ストロボ写真のコマ送りのように、認識が次に切り替わるその刹那。

 トランプ――スペードのキングがジョゼフ王の額に突き刺さり、そして召喚された白スーツの男の首が刎ねられた。

 

「おや?」

 

 だが、それはあくまで在り得たかもしれない可能性。

 召喚された男が投擲したカードは石造りの壁に突き刺さっており、そしてその男の白い麻のスーツの襟元――頚動脈の位置――には刃物が通ったようにほつれていただけであった。

 

「貴様、面白いな」

 

 王が喜悦を灯す。この時点で両者の攻防は終わっていた。お互いがお互いに、命を刈り取る一撃を放ち終え、双方とも生存。両者ともにほぼ無傷で生きながらえたのは、互いが持ちえる手段を使って死を回避したからに他ならない。

 

「貴方、なかなか面白い魔法を使いますネ」

 

「道化師よ、お前こそ愉快だぞ、一体どんな手品なのだ?」

 

 ジョゼフ王の問いに芝居じみた挙動で大げさに肩をすくめ、そしてゆっくりと語り部のように男がその口を動かす。

 

「マジシャンに種明かしを要求するなんていけませんネ。ですが貴方の使った魔法の分析ならできますヨ? それは聖痕大系の≪まどろみの化身≫に酷似してイル。自らの体感時間を引き延ばしソレを世界に押し付けていますヨネ。周囲まで巻き込んで加速する≪まどろみの化身≫とは少し毛色が違いマスガ、ええ、面白イ。それにここ、魔法世界ですネ? 聖痕大系世界ではないですし、さっきまでぼくは地獄に居たんですケド、一体――」

 

 彼は道化師のようでいて、教鞭をとる教師のようでもあった。

 白い道化師は状況を分析しながら、すぐさま違和感の正体を悟り、次の瞬間に腹を抱えて笑い出した。

 

「く、くくく、ははははは、これはこれは、馬鹿げていますヨ? どうしてこんな世界が、ありえナイ! なんと馬鹿げてイル! ぼくはエルナン・コルテスですカ? ははははは、本当に傑作ダ」

 

 笑い狂っている白スーツの男を警戒しながらジョゼフもまた狂った笑みを貼り付けていた。

 使い魔召喚の儀式は成功にしろ失敗にしろ退屈とは無縁の出会いを用意してくれたようだ。

 

「貴様は私が呼び出した。さあ、どうする、続けるか? 余もまだ覚えたての魔法を使ってみたくもある」

 

 油断無く武器を構えるジョゼフに対し、白いスーツの男はジョゼフの言葉を吟味し、そして軽薄な笑みを貼り付けたまま帽子を脱いで胸に当て、慇懃に一礼した。

 

「申し遅れましタ、ぼくはハウゼン・O・ジモリー。王様にいい商談がありマス。ビジネスの話に興味はありまセンカ?」

 

「ほう?」

 

 それがガリア王ジョゼフと白いスーツの魔人との出会いだった。

 

 

 

 結論から言って、二人は意気投合したらしい。

 白いスーツを着た怪物はジョゼフの想像を遥かに超えており、そして彼が語った商談はジョゼフを魅了した。

 召喚の日から一週間。

 ガリアの繁栄の象徴とも言うべきヴェルサルテイル宮殿にて、王は自らの執務室とは名ばかりの遊戯室に入ってきた人物を目に留め、厳粛に繕っていた表情をほころばせた。

 

「お呼びデスカ?」

 

「おお、待ちかねたぞ! ジモリー卿」

 

「その呼び方、痒くなりマスヨ。国王陛下」

 

「ふっ、そっちこそ慇懃無礼な態度はよせ。余の方こそ痒くて堪らんぞ、ジモリー卿」

 

「ひどいデスネ。ぼくは感動しているのですヨ? 陛下のおかげで私は素晴らしいビジネスチャンスにありつけたのですカラ」

 

 出会ってそれほどの間もないのに、まるで旧知の友人に接するように二人は言葉を交わす。

 

「よいよい、気にするな気にするな。ジモリー卿ならば余などいなくとも、どうにでも出来るだろう」

 

 ジョゼフは目の前にいる男がどれほどの怪物なのかを既に理解していた。

 にも拘らず平然と話しかけるのは王の器なのか、気が狂っているかのどちらかだ。

 

「いえいえ、陛下がいないと困りマス。私の目的は支配や破壊ではなく共存ですからネ」

 

「それは困る。余の方が困るぞ。余の目的は破壊なのだからな」

 

 歩み寄る態度をジモリーが見せると途端にジョゼフ王が大事なものを取り上げられた子供のような情けなさそうな顔になった。

 果たしてどれほど真剣にそう思っているのか腹の内は不明だ。

 ジモリーは聞き分けのない子供を前にしたように肩をすくめて大げさに嘆いてみせる。

 

「ハァ、困ったお方ダ。本当に困ってしまいますヨ。陛下の破滅願望だけは、どんなマジックを使っても手の施しようがないデスネ」

 

「いやいや、そんなことはないぞ。余はジモリー卿の話を聞いて心が躍ったのだ。まるで御伽噺のようではないか! 世界は無数に存在していて、その全てに特有の魔法秩序があり、そして神をも恐れぬほど強大な魔法使いたちがいるなど、わが国にもたくさんの物語作家がいるが、そんな壮大な物語は未だかつて聞いたことがない。事実は小説より奇なりというが、まさしくその通りだな!」

 

「おや、陛下はぼくの話を信じるのですカ?」

 

「信じるとも、何よりジモリー卿という生きた証拠がいるのだからな。ああ、早く見てみたいものだ」

 

 夢という熱にうかされた子供のようにジョゼフは弁を振るう。

 そんなジョゼフを見ながらやはりジモリーはどこか困ったような表情を作って見せるが、それは相変わらず薄っぺらい作り物ようで内心を探りようもなかった。

 

「ですが、それは私にとって困りマス」

 

「何故だ! ジモリー卿も元いた世界に帰りたいのではないのか」

 

「陛下、貴方分かってて言っているでショウ?」

 

 ジモリーの紫色の独眼が相手を推し量るような冷たさを帯びていく。

 だがその瞳に晒されてなお、ジョゼフ王はまるで謎掛けのゲームをするような好奇心に胸を弾ませた。

 

「ふむ、無能な余には分からんな。分からんとも、だが、待て! まだ失望するなよ。少し考えさせろ」

 

 ネタ晴らしを拒むかのような態度で頭をひねりながら必死に考える素振りをするジョゼフもまた作り物じみているものだから、まるで何かの演劇を演じているのではないかと錯覚させるほど現実離れしていた。

 

「余が察するに、最初の出会いに答えがありそうだな。ジモリー卿はあの僅かな時間で何かの価値を見出したのだ。あれは多分、余の魔法とか、余の王位だとかそういうものに向けられた関心ではないな。そもそもだぞ? ジモリー卿は初め怒っていたな。ああ、そうだとも、なにせいきなり余を殺そうとしたぐらいだからな! つまりその怒りを打ち消すほどの何かを見出したのだ。残念だがそれは何かまでは分からんな、ジモリー卿の経歴が不明瞭すぎるのだ。元いた場所でどのような活動をしていたのか分かれば答えが出るかも知れぬ」

 

 ジモリーは両手を肩の高さまで挙げて「降参デス」とおどける。

 

「ぶっちゃげてしまいマスガ、ぼくが説明したたくさんの魔法世界を束ねる≪協会≫という組織があるのデス。もし前準備なしに交流を開いてしまえば、ぼくの取り分はなくなってしまいますヨ。ビジネスマンとしてそれは避けたい事態デス。強欲な王様に収穫を巻き上げられる哀れな農民になりたくはありまセン。だからぼくとしては強欲な王様に対抗できるぐらい力をつけてからじゃないと既知魔法世界とは交流を持ちたくないのデス」

 

 ジモリーの言葉には嘘はなかった。しかし本当のことも言っていないとジョゼフは感じた。

 その上でジョゼフは楽しげに唇を吊り上げて死の舞台劇へと上がる。

 

「ならばジモリー卿にとって、直にでも新しい世界を見てみたい余は邪魔な存在だということだ。殺してしまえばよいのではないか?」

 

 ジモリーの肩の力が抜かして初めて生の感情を見せた。

 

「いいわけねーデスヨ。陛下を殺したらガリアと戦争になるじゃないデスカ。そしたらその後はぼくはハルケギニア中を敵に回す事になりマスヨ? 手間がかかりすぎますし、ぼくの方針に反しマス」

 

 一人対一国の戦いを戦争と評し、ひとつの文明そのものを敵に回す事すら想定にいれるジモリーはまさに怪物だった。

 その上、彼はもちろん負けることなど考えていないのだろう。

 そんな得体の知れない相手を前にジョゼフもまた楽しげに笑っていた。

 

「そうかそうか! ならば余はジモリー卿といい関係になれそうだな! だが、ちょっと待て。余を殺すことが難しいならガリアを懐柔するのはどうだ? 国王とて絶対のものではないぞ? 王位継承者は他にもいる。そいつらを上手く抱きこんで余を排除すればジモリー卿は好き放題することが出来るではないか!」

 

「操りやすい傀儡を拵えるのは悪い手段じゃないデスガ、それでは楽しみがありマセン。陛下は死にたがりなのを除けば優秀ですカラ、きっと楽しいビジネスパートナーになれると思うのデスヨ」

 

「ははは、余もずいぶんと評価されたものだな。無能王も存外捨てたものではないらしい。よし! そうと決まればジモリー卿には適当な官職を見繕っておこう。何か必要なものはあるか? 足りないものがあれば言うといい」

 

「そうですネ、幾ばくかの元手と、あとは人材が欲しいデス」

 

「うむ、ならばちょうどいいのがいる。手配しておくとしよう。ではジモリー卿、互いの理想を追求するため共に頑張ろうではないか!」

 

「ええ是非とも陛下、よろしくお願いしマス」

 

 そうして二人が握手が交わす。二人とも胸の内と表出する感情が支離滅裂だった。まさに狂気の沙汰といえるものだ。

 死の茶番劇を演じながらジョゼフは笑う。プレゼントされたおもちゃ箱がパンドラの箱であったことが嬉しくてたまらなかった。すっかりと空虚になってしまった感情を埋める特大の災厄を彼は望む。

 そしてジモリーもまた笑う。既存秩序を根底から覆しかねない新発見に。

 この魔法世界は魔法世界にも拘らず”安定した秩序”を持っていることに。

 

 

 

 王との謁見を終え、ジモリーは今、とある邸宅を歩いていた。

 華美というほどではないが整然としていて、その全てが一級品だと分かるそこは持ち主の貴族の気高さと気品が窺えるようだ。

 白亜の邸宅の廊下にコツコツとジモリーの足音が響き、それに混じるようなすすり泣きが邸宅の一室から聞こえてきた。

 ジモリーがその部屋へと足を踏み入れる。

 ”かあさま、かあさま”と寝台に身を横たえている女性の手を傍でひしっと握り締めて嗚咽を漏らす小さい少女がそこにいた。

 腰まであろうほどの艶やかな長い青髪が地面につき、うっすらと汚れていた。一心不乱で意識のない母親に寄り添う少女の光景は心ある者ならばもらい泣きしてしまいそうなほど悲痛だ。

 そんな彼女たちの前に御伽噺の怪物が立ち、軽薄な口元が深い闇を湛えた三日月を象った。

 

「初めましテ。ぼくはどう名乗るべきでしょうか。名前はハウゼン・O・ジモリー。王室御用達商人そして北花壇騎士団長補佐を務めておりマス。以後お見知りおきくだサイ。シャルロット・エレーヌ・オルレアン姫」

 

 開幕を告げるピエロのように手馴れた一礼に、シャルロットと呼ばれた少女がすっかり泣きはらし真っ赤になった目元を擦り、殺意すら込めてジモリーを睨み付けた。

 彼の名乗りには人の辛苦を愉しむような響きが込められていたからだ。事実シャルロットと呼ばれた少女を激昂させる以外の言葉は一切言っていなかった。

 

「いい表情デス。私の仕事は君を一級の狩人にすることデスヨ。私は着の身着のままで呼び出されて何の伝手もないカラ、人材は自分の手で育成しなきゃいけないのが辛いネ」

 

 小娘の眼光などどこ吹く風と言わんばかりにジモリーは淡々と話を進める。

 

「……一体何のようですか?」

 

 押し殺したように声を上げるシャルロットは気丈に振舞い、ジモリーを睨み付けたまま、母をかばうようにして立ち上がった。

 そんな少女の在り様に名演を見たかのような喝采を浴びせながら、あくまでジモリーは軽薄に言い放った。

  

「話が早いのは助かりますネ。子供は感情的で喚き散らしてばかりダカラ、手がかかるのが普通ですが君はその点素晴らしいデス。グッドガール、君には北花壇騎士として王家の仕事をこなしてもらいマス。出来なきゃお母さん死んじゃうから、しっかり仕事してくだサイ」

 

 シャルロットの握りこんだ拳がわなわなと震えた。この男は毒だ。彼の言葉は全て真実だと分かってしまうからそれが一層不快で、これ以上聞いていたくなかった。必死で感情を押さえ込みながら、手渡された命令書をひったくって部屋を出ようとする。

 

 シャルロットは絶望していた。父の名前はシャルル、知的で全国民から愛され、魔法の才能にも恵まれ、そしてとても優しかったその男は少し前に王位継承争いで暗殺された。

 そして母も続くように毒を盛られ、生きながらえてはいるものの正気を失っている。

 シャルロットは聡明であった。幼心で次は自分の番が来たことを悟ってしまう。

 北花壇騎士への任命は体のいい処分の口実なのだと、絶望に胸を支配され、その現実を受け止めるには小さすぎるその身が耐え切れなくて潰れてしまいそうだ。諦めて死んでしまいたいとさえ思ってしまった。

 

「――ああ、言い忘れていまシタ、ガール」

 

 だが、ジモリーにはそんな少女の心境なぞ、手に取るように分かってしまう。

 部屋の敷居を跨ごうとした少女の足がジモリーの呼び止めによってぴたりと止まった。

 ジモリーは軽薄な笑みを悪戯っぽくゆがめて悪魔のように囁く。

 

「王様には内緒ですが、ぼくなら君のお母さんを助けてあげる事ができるヨ?」

 

「ほんとう!?」

 

 弾かれたように、少女の首が振り向いた。

 そんな少女の反応を楽しむように、ジモリーは白い紳士帽を脱ぎ、帽子の中に手を入れる。

 帽子の中から引き抜いたその手に握られていたのは、どう考えても帽子の中には納まりきらないほど大きい人形だった。

 

「見ての通り、手品師ですからネ」

 

 少女は瞠目する。明らかに手品の領域を超えていた。ジモリーは次から次へといろんなものを取り出す。

 状況が状況、相手が相手でなければ楽しめたかもしれなかった。

 いかにも自分は万能で、何でも出す事ができるのだということをジモリーはありあり見せ付ける。

 

「お願い! お母様を治して!!」

 

 シャルロットは滓かな希望に縋りつくようにジモリーに駆け寄った。

 どう考えても敵である男に対して慈悲を期待してしまうほど今のシャルロットは正常な判断が出来ない。

 だが、ジモリーはそんな少女の悲痛な願いを前にしても依然と薄っぺらい笑みを浮かべたまま、その手を少女の頭に乗せて囁いた。

 

「覚えておきなサイ。取引とはモノに相応する対価が支払われないと成立しないのデス。自分の利用価値を示すことデスネ。貴族は富める者デショウ? 物乞いするまで落ちぶれたらだめダヨ」

 

 降ってわいた希望から急直下で絶望へと突き落とされ、唇がわななくシャルロットを突き放すように押した。

 衝撃を堪えきれずに倒れ伏す少女に対して、ジモリーは注げる。

 

「シャルロット・エレーヌ・オルレアン。その少女は今ここで死にマス。王族じゃなくなった君の北花壇騎士としての新しい名前考えてネ」

 

 悔しかった。怒りに震えていた。ただ幸せに暮らしていただけなのに父を奪われ母を壊され、そして自分の命運までまるで物のように扱われている。

 シャルロットであった少女が母へと視線を落とした。今はすやすやと眠っているが、毒を盛られて以来、錯乱してしまった母。

 娘であるはずの自分のことを母は認識していない。

 すやすやと眠りについている母は愛おしげに人形を抱いていた。母は心を狂わせる毒でその人形のことをシャルロットだと思い込んでいる。

 ならば――

 

「タバサ」

 

 大事にしていた人形の名前。私はタバサになろうと、少女が決意する。母を救うために、そして復讐を誓って。

 

「よろしい。君はこれで北花壇騎士七号タバサになりマシタ。ぼくだって結構リスクを犯して投資してるんだカラ、簡単に死なないでくださいネ。初仕事だから簡単そうなのを選んでおきましたヨ? キメラドラゴンの退治デス」

 

 そういってジモリーが命令書を放った。

 いとも簡単に言ってのけた内容とその難易度の齟齬にタバサとなった少女は絶望し倒れこみそうになる。

 けれどタバサとなった今その足を止めるわけには行かなかった。

 最早話す事はないと、今度こそ部屋の外へと足を向けて出て行く。

 すやすやと眠る、婦人などまるで存在していないかのように、取り残されたジモリーはそこに佇んでいる。まっさらな額に手を当てオールバックに整えてある髪を撫でつけ、手品に使った白の紳士帽を被りなおした。

 

「そうデス。ぼくは自分の存在理由を疑いたくなるほど、この世界は魅力的デス。安定した魔法秩序は≪地獄≫しか無いカラ、切り分けられたパイを得る為にみんな必死になっていたというのに、こんなおいしい世界の存在が知られたら大変なことになりマスヨ? 魔法使いが魔法使いのまま研究に打ち込める世界ナンテ、≪悪鬼≫には魔法消去なんてものがあったカラ、核爆弾とか面倒な手順が必要だったのに、ああ、そうデス。協会と対等の交渉に持ち込めるほどの下地が必要なのデス。ああ、なんという途方もない話デショウ。本当に大変ダ。これから忙しくなりますネ」

 

 ジモリーはひとしきり呟いた後、忽然と姿を消した。

 そこにいたという痕跡すら全く残さずに。


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