ゼロと底辺を結ぶ銀弦   作:ゆにお

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三話 アルビオンの魔導士

 学院長室を沈黙が支配している。

 その場に人がいないのではない。目の前にいる”非日常”を前に、誰もがどのように対応していいのか分からなかったからだ。

 永遠に続くかと思えるほどの厳粛な沈黙に耐えかねたのか、その場にいた”非日常”がマントをはためかせながら、口を開いた。

 

「とりあえず、おとな同士の話なら、まあまずは全員脱げ」

 

 その場に立ち会っていた”大人”な面々は誰もが理解を放棄しそうになった。

 その裸マントの”非日常”――名をセラ・バラードという――は何を隠そうケイツと同様に≪協会≫圏内の魔導士だ。彼らは魔法を行使するために、独自の文化を形成しており、そのせいで異文化との軋轢が日常茶飯事である。

 セラの属する≪錬金大系≫魔法世界では観測した対象とほかの部分を分ける≪境界≫に魔力を見出す。もっとも身近な魔法操作は体表であるため、体を覆うものは魔法行使の妨げ以外の何物でもない。つまり、分別のある大人ならば、男であっても女であっても服を着るという行為は恥なのだ。

 未だかつて、目にかかった事のない非常事態を前に学院の首脳は言葉に詰まっていた。しかし、ここはトリステイン魔法学院。闖入者ばかりに主導権を取られてばかりであるこの状況がまずいのは言うまでも無かった。

 

「それで、セラ殿。本日学院に足を運んだのはどのような要件じゃったかの?」

 

 オスマン学院長はため息を付き、スケベ心を表面に出さぬように心がけて厳かに尋ねた。

 

「うむ、実はマチ――、……ロングビルに用があったのだ」

 

 すぐさまギロリとロングビルに睨まれて、セラは取り繕う。

 今更なのだが冷や汗を流しながらロングビルがそれを補足した。

 

「ええっと、以前酒場で働いていたことがありまして、学院長はご存知かと思いますが、マチルダというのはその時の偽名ですわ。彼女はその時の知り合いですの」

 

 オホホホと乾いた笑みを浮かべながらも瞳で刺す。「オスマン学院長そうですわよね?」と視線で同意を求めているように感じた。

 何しろオスマンは実際にロングビルが酒場の給仕をしているところをスカウトした経緯がある。

 確かに筋は通っているとオスマンはロングビルの話に一定の理解を示した。

 

「ふむ、そういう事情じゃったか。おほん、それで? セラ殿はミス・ロングビルを訪ねてこられたようだが、その変わった服装と何か関連性があるのかね? 大変素晴らしいのう」

 

「老魔導士殿に我が文化を理解して頂けて僥倖。そして関連性は大いにある。友人に会いに往くのだ。正装で向かわねば恥というもの」

 

 迷い無き瞳でセラは断言した。

 

「あー……つまりその、正装とはいわゆる、その?」

 

 ほぼ半裸マントのセラに視線を注ぎつつ、口ごもるオスマンの心境に対して、何を勘違いしたのかセラが不機嫌そうに言い放った。

 

「勘違いしないで頂きたい、正装とはつまり全裸だ。つまりこの場合このマントのせいで半正装と言わざるを得ない。ああ、これは失敬いますぐ脱」

 

「話を戻してください。学院長」

 

 ロングビルが脱線した会話を頭を抑えながら正した。

 服は人間は寒さから身を護る為の発明だ。服を着るという文化はすぐに装飾という概念を見出した。どのように着飾っているかということが、その人物の地位や評価を決定付けるまでに発展したのが今日の人間社会だ。そこに全裸という異物が混じりこむだけでどれほどの混乱を生むか、マチルダは改めて痛感した。

 

 ああ本当に、どうしてこんなことになったのかと、ロングビルことマチルダはセラとの出会いを回想する。

 

 

 それは一年ほど前のこと。トリステイン王国の隣にアルビオン王国という名の国が存在している。そのアルビオン王国サウスゴータ地方のとある森林の中、村とさえ呼ぶには不足するほどの集落があった。

 その日その場所で、マチルダは一人の少女と共にいた。

 艶やかな金髪は自ら輝いていると錯覚するほどに眩く、触れれば折れてしまいそうに錯覚させる華奢なその身体を、若草色の民族衣装に身を包んでおり、その様は庇護欲をかきたててしまうほど繊細だ。

 にも拘らずその華奢な体に不釣合いに大きな女性の象徴が、はちきれんばかりに服を押し上げていて、驚異的なバランスの調和はまさに革命的であった。

 その上、その少女は耳は長く、つんと尖っていた。

 

 この耳の長い種族をハルケギニアの人々はエルフと呼ぶ。

 その種は総じて、神が造り出したかのような美貌を持ち、人と決定的に異なる耳を有していた。

 

 エルフは扱う魔法の強大性ゆえに、ハルケギニアの人々の恐怖の対象となり、共存することは難しい。宗教上の理由で何度も対立し、排斥の対象ですらあった。

 だからこそ、人目を忍んで過ごすそのエルフの少女が人里離れた森の中で、マチルダに話しかけた。

 

「マ、マチルダ姉さん。いくよ……?」

 

「大丈夫だよ。テファ、こんなのはメイジなら誰でも出来る。簡単な通過儀礼みたいなもんさ」

 

 頼りなさげに杖をその手に抱える少女はひどくおどおどしている。

 マチルダは不安を打ち払うように微笑んだ。その気遣いには姉妹のような暖かさがあり、テファと呼ばれたエルフの少女の緊張が和らいでいく。

 

「うん、じゃあ、いくね?」

 

「ああ、ちゃんと見ててやるから。テファならきっと凄い使い魔を召喚できるさ」

 

 深呼吸するテファを微笑ましく見守りながら、マチルダは内心深刻だった。

 このウエストウッド村は孤児の集まりだ。

 働きにでることの出来る人間はほとんどいない。そしてテファも訳アリであるため働きに出る事は出来ない。

 だからこそマチルダは決心していた。自分が外に働きに出る以外孤児たちを養う方法がないと。

 しかし、この近辺は治安は悪化の一途を辿るばかりなのだ。

 サウスゴータを収めていた領主が最近とある事情で処刑され、新たにやってきた代官はいかに税収を毟り取るかばかりに執心している。

 人心はすっかり荒れ果てていた。

 いかんともしがたい現状に板ばさみになりながら、マチルダはせめて自分の代わりにこの村を護ってくれるものを望んだ。

 メイジは使い魔を召喚することが出来る。だからこそ、テファを護ってくれる使い魔が居てくれれば自分も心置きなく出稼ぎにいけると期待を込めてテファの儀式を見守っていた。

 

「――五つの力を司るペンタゴン、我が前に使い魔を召喚せよ」

 

 耳に優しい声で紡がれる囁きが終わり、テファが杖を振り下ろした。

 そして直後に周囲を光が支配する。

 光の奔流が消え去った後、その場に居たテファとマチルダは驚きのあまりに目を見開くことになった。

 現れたのは満身創痍の女性。そしてその肌を覆うものは一切なかった。全裸だ。

 体のいたるところに刻まれた傷を晒しながらぐったりと動かなかった。

 

「た、大変! ひどい怪我、直に手当てをしないと。姉さん!」

 

「あ、ああ、小屋の中に運び込むから、テファは治療の準備をしな!」

 

「うん!」

 

 マチルダは痛ましいその光景にひるまずにてきぱきとテファに指示を出す。

 見るに痛ましい、陵辱の憂き目にでもあったかのような惨状を前に、同じく女として憤りを覚えずにはいられなかった。

 よく見ればとても美しい女性であった。白金色のセミロングの髪を重力に引かれるままに垂らし、全身血に塗れているものの肌はきめ細かく白雪のようだ。そして修練の日々を思わせるほどに総身が引き締まっており、名のある女騎士かもしれないと考えた。

 大胸筋によって持ち上げられた双丘が定期的に上下しているのをマチルダは目にする。

 息はあるようだ。そっとマチルダは杖を振り呪文を唱えると、全裸の女性の体がゆっくりと持ち上がり、マチルダが小屋の中へと運び込んでいく。

 

「テファ! 準備できてるかい?」

 

「うん、大丈夫。お願い、助かって……」

 

 真剣な面持ちでベットに横たわる女性に対峙するテファの手には指輪があった。

 親から受け継いだ水の魔法力が篭った指輪、重体からでも回復させられるだけの水魔法の力をテファは祈りを込めて、そっと解放した。

 これが『無双剣』セラ・バラードとの出会いだった。

 

 

 

 

 その日地獄にて、神が降臨したことによって魔法消去は弱まり、これまで日陰に甘んじていた魔導士たちがここぞとばかりに跋扈し始めた。

 セラ・バラードは地獄を守る為に命をかけるほど、世界に対して義理があるわけではなかった。

 けれど、彼女は地獄で生活していた。白日の下にその全裸を晒して空を舞うと、彼女の眼下に広がる住宅街、そして小学校のグランドに緊急避難していた子供たちがセラに手を振っていた。

 生活の中で住民たちと生身で触れ合ってきたからこそ、魔導士たちの所業に怒った。混乱に乗じた火事場泥棒紛いの彼らの所業は恥だ。

 だから彼女は単騎で幾多の魔導士を迎え撃った。数千発もの魔弾がセラへと迫る。

 大空を魔法で自由に翔けるセラは急加速して振り切り、時には旋回して迎え撃つ。だが魔弾だけでは埒が明かぬと環境操作魔術が放たれ、セラの呼吸が止められた。

 このような魔術単体では高位の魔導士にとって致命的ではない。

 だがセラが立ち止まった隙を付いて再び数千もの魔弾が投げかけられたのが決定的だった。

 セラはこれまでかと諦めかけた。しかし彼女は守られた。死んだはずの、最早二度と会うこともないであろうはずの弟に。

 再演魔導士が見せた≪運命の化身≫という奇蹟の名前をもちろんセラは知らなかった。

 懐かしい品のよさと逞しさを備えた顔立ちに豊かなカイゼルヒゲをたくわえた好漢がそこにいた。バベル事件で早々に殉職したセラの義弟≪大気泳者≫スピッツ・モードだ。

 彼女の胸に再び闘志が宿る。万軍を得た勢いで、若かりし頃のように共に空を翔けた。それが夢だということをセラは弁えながらも、滾る心に身を任せ獅子奮迅の働きをしてみせた。

 敵を撤退させ、そして夢は終わる。

 地獄の命運を決するこの戦争はセラの与り知らぬところで趨勢が決したからだ。

 かくして地獄は再び神無き世界となり、魔法消去が戻った。

 真っ先に魔法消去に晒されるのは見晴らしの良い空の他にない。つまり魔法で空を飛行しているセラが真っ先にその餌食となった。

 橙色の炎に飛行魔術を破壊され、そして戦い抜いたその傷だらけの身体を地面に向かって引かれていく。静穏な心境でその時を迎えるはずだった。

 

 だがそんな彼女の運命をウエストウッド村の少女が変えた――

 

 

「――治療して頂き感謝の極み。私の名はセラ・バラード。≪無双剣≫の名で知られる≪錬金大系≫魔導士だ」

 

 テファの治療が功を奏しセラは意識を回復した。怪我の後遺症を感じさせない屹然とした態度で彼女が名乗る。

 

「もう、おきても大丈夫なの?」

 

「ああ、おかげ様でな」

 

「本当によかったよ。あんた傷だらけの全裸で出てきた時はダメかと思ったんだ。元気そうで安心したね」

 

 依然と心配するテファを見ながらマチルダが笑う。

 

「ああ、これでも柔な鍛え方はしていないつもりだからな……む? これは」

 

 今のところセラの表情に悲痛なものはない。彼女が自分の様子を確かめるように自分の身体を見回し、そしてテファが掛けてくれた服を脱いだ。

 ――脱いだ?

 

「ちょ、あんた。何してるんだい?」

 

 思わずマチルダが尋ねてしまう。セラはキリッといかめしく眉を吊り上げ、整然と答えた。

 

「命の恩人に対面して、あのような恰好でいては無作法というもの。礼法に則り脱いだまで」

 

「……」

 

 マチルダもテファも目の前で今繰り広げられた常識外れの光景に絶句する。

 これがウエストウッド村に突如現れた全裸美人との邂逅であった。

 

 

 

「――まったく、あんたってば出会った頃から何も変わってないね。非常識にもほどがあるよ」

 

 そして二人は今、ロングビルの個室にいる。騒ぎを起こしたことに対する注意を受け開放されて今に至った。

 むしろ段々とセラを眺めるオスマンの顔がいやらしくなっていったのでロングビルが無理やり中断させたと言ったほうが正しいのだが。

 

「人は異文化を理解しようとしないとき度々非常識という言葉で逃げるのだ。それよりマチルダ、これにサインをしてくれ」

 

 セラが自らの胸の谷間に手を突っ込んで一枚の紙を取り出した。

 もちろん全裸であるセラにそれを隠して置けるスペースはない。

 

「……あんた今それどこから取り出したんだい?」

 

「≪錬金大系≫はものの間の境界に≪魔力≫を見出す魔法大系だ。肌に貼り付けた紙の形を変えて持ち運ぶことなど造作もない」

 

「はぁ、つくづくあんたはびっくり魔法人間だねぇ。まぁそれよりも、あんたちゃんとテファの傍についていておくれよ? 私が仕事をする上であの子の安否が本当に心配なんだから」

 

「マチルダはよい姉だな。私もティファニアを見ていると弟の事を思い出す。陰謀で政治犯として裁かれ、地獄送りにされたにも関わらず、潔白を晴らそうと≪刻印魔導士≫として責務に立ち向かったが、殉職した。私はなんとかしてやれなかったのを今だ悔いている。本当にいい奴だった」

 

 テファが弟に似ていると言われてマチルダは憤慨しそうになった。セラの弟と言う事はつまり、そういう事だからだ。

 だが、彼女の話す内容を聞き納得した。テファもくだらない政治の理由で肩身の狭い思いをしている。セラには詳しい事を話していなかったが、それでも共に生活するうちに何か察するところがあったのだろう、そんなテファにセラは確かに弟の面影を見たのかもしれなかった。

 そんなセラだからこそマチルダは表情を引き締めてセラに告げる。

 

「……虫のいい話かもしれないけどさ、あんたがテファを大切な弟と重ねて見てくれるならしっかりと守ってやって欲しいんだ。あの子を取り巻く状況は、あまりよくないもんさ。根の深い問題が絡んでいて、どうすることも出来ないんだよ。それに孤児の皆だって守らなくちゃいけない。働き手は足りないし、子供達は働きに出るには若すぎる。テファだってあんただって複雑な事情で奉公に出る事は出来ない、だから私がしっかり稼ぐからさ、私の目の届かないところでちゃんとあの子が無事でいられるようにして欲しいんだよ」

 

 急に場がしんみりとした。ロングビル、いやマチルダとして過ごした苦悩の日々がそうさせていたのだ。

 対してセラは固い乳房をつんと張り、堂々とマチルダを見つめて力強く答える。

 

「もちろんだ。私はティファニアに恩義がある。恩を仇で返すのは戦士として恥だ。それにあの平和な光景を壊したくないという思いは私も同じ」

 

 その力強さにマチルダは希望をみた。実際にこれまでセラの魔法をマチルダは何度か目にしたことがあったからだ。彼女の頼もしさには確かな裏づけがあった。

 

「そうかい、ありがとう。それとこれ、サインしたよ……。というかあんた抜け出して来たんなら身元引受人の署名なんて役所に届けなくてもいいんじゃないかい? というか意味があるのかい? すっぽかしちゃえばいいのさ」

 

 これ以上しんみりした話になるのを嫌って、マチルダは大げさに肩をすくめる。

 セラはどこまでも融通が利かないような顔で答えるのだ。

 

「意味はある。私は悪い事をしたわけではない。ならば法と行政に乗っ取り、堂々と手続きに従えばいいのだ」

 

 マチルダから書類を引き取り、取り繕うことなく整然と言い放つ。自分の行動に全く疑問を抱く事の無いまっすぐとした調子で。 マチルダにはセラが眩しく思えた。決して、彼女の肌に浮いた珠のような汗が光に反射していたからではなかった。

 

「――それに、マチルダ。さっきは私にティファニアを守れと言ったが、離れていてもお前もまた、彼女を守っている。ティファニアはそれを十分理解しているぞ。仕事が落ち着いたら顔を見せに言ってやるといい」

 

「ああ、そうするさ」

 

 用を済ませ、背を向けて立ち去ろうとするセラに対してマチルダは笑った。

 まさしくそれは姉としての表情だった。

 マチルダに見送られていたセラの足がぴたりと止まる。

 

「――それにだ、ティファニアも成長している。この間私が台所に入るときにはエプロンを付けるという作法を教えたのだ。彼女もまた変化している」

 

 セラが暖かく微笑んだ。

 頼もしい彼女のおかげで心置きなくマチルダからロングビルに戻れそうだと感じた矢先、何気なく聞き流しそうになった言葉にマチルダの背に戦慄が走った。

 

「……おい、ちょっと待ちな。テファは台所に入るときにはエプロンをつける、そんな当たり前のことなんて昔から、知っているはずだよ。一体どういう作法を教えて、ん? ちょっと……何が成長している? 何の話なのか詳しく言ってごらん」

 

 突然額に青筋を浮かべてマチルダは静かに微笑む。

 

「それは、自分の目で確かめることだ。ではな!」

 

「あっ、ちょっとコラ、セラ待ちな! 私のテファに何をした! ああっ、もう、なんて速さなんだい」

 

 鮮やかにセラは空を飛翔して行った。

 ロングビルの不安だけがその場に取り残されて。

 

「まったくもう、安心はしたが別の心配が出来ちまったよ。こりゃ早いところ片付けるしかないね」

 

 セラを見送ってようやくマチルダからロングビルに戻る。

 ロングビルの顔にはかすかな罪悪感が浮かんでいた。

 

「本当に、早く終わらせて、安心させてやりたいもんさ」

 

 だがその呟きは誰にも聞こえず、静かに溶けていった。


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