ゼロと底辺を結ぶ銀弦   作:ゆにお

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二話 魔法使いの正装

「娘よ。そろそろ休憩してはどうだ?」

 

 ヴェストリの広場には既に何度目になるかも分からない爆音が響き渡る。

 時刻は昼。本来ならば享受できるであろうはずの麗らかな午後の昼下がりを妨げるものが居た。

 

「今、丁度いいところだからダメよ」

 

「もうかなりの時間練習していると思うが?」

 

「今のでちょうど二小節の基本の二十四個のルーンの掛け合わせが終わったところね」

 

 つまり通算五百七十六回目の失敗だった。

 

「だけどさらに基本ルーンに加えて、古代ルーンもあるし、ああ、そうね。正位置と逆位置の両方を吟味しないといけないわね。それに特殊魔法文字、古代東方魔法文字なんかも地味にあるからものすごい数になるんだけどね。あはははは」

 

 ルイズが笑顔でばんざーいした。口にしている内容は絶望的なのにずいぶんとテンションが高くなっている。

 練習のしすぎで狂ったのかもしれないと、ケイツは心配しそうになった。

 

「よく続くな。そこまで頑張ったのだから諦めてもいいのではないのか?」

  

「駄目よ。ほんの僅かだけど試行錯誤の中で、指先に掛かる糸程度の手ごたえがあったんだもの。始めて掴んだこの感触を忘れないように身体に刷り込まないとね。それと何よりも……」

 

 ルイズが言葉を区切ってケイツを見た。

 

「私が諦めようとする度に、あんたと相似弦が繋がるのよ。絶対諦めてたまるもんですか!」

 

 ギリッとケイツを睨んでルイズは奮起した。ダメ人間の烙印を魔法秩序直々に押されることは耐えがたい屈辱だ。

 そういう意味でケイツはすばらしい反面教師なのだ。

 

「本当に礼儀を弁えない娘だな。それで、手ごたえとやらはどんな感じだったのだ?」

 

「そうね――」

 

 自らが手にした感覚をなんとか言語化しようとルイズが可愛らしく小首をかしげる。

 

「んー、何か『アルジズ』のルーンに鍵がありそうなのよね。いや、『アルジズ』の古代読みである『エオルー』の方がしっくり来るかしら……。感覚的には似たり寄ったりなんだけど、このルーンが鍵だと思うのよ」

 

 何百という試行を繰り返したルイズが掴んだヒントはそれだけだ。にも関わらずルイズは光を見据えていた。

 つぎ込んだ時間に対して得られた成果はあまりにも僅少だというのに、活力に満ち溢れているルイズの気持ちはケイツにも痛いほど分かる。生まれてからすぐに相似世界から追放された彼自身も最初の魔法を使うときは暗闇の中を手探りで歩むような道のりだったのだ。最初の手ごたえを掴んだときは柄にも無くうれしかったのだ。

 だからこそ何か力になってやりたかった。ケイツが魔法の教本に目を通してルイズに告げる。

 

「そのルーンの意味は『友情』だそうだ。お前にはそれが足りてないのではないか?」

 

 しかしケイツの最大の心遣いのせいでルイズは「かはっ」と息を漏らして膝からくだけて、地に伏してしまった。

 油の切れた機械のように軋む体を起こして、死者のような生気のない表情でケイツを睨みつける。

 

「あんた、いきなり何てこと言うのよ……。あんたに言われるとなぜかすごい効くわ……」

 

「すまん」

 

「謝らないでよ。余計にイラつくから。しばらく黙ってなさい。続きをやるから」

 

 すっかり気を悪くしたルイズがぷいっとそっぽを向き、そうしてまた広場に爆音が響き渡る。

 爆発、爆発、爆発、爆発、爆発、爆発。

 最早数えるのも億劫になるほど同じ事を繰り返したあと、ケイツは言った。

 

「私で参考にならぬのなら昔、上司……いや、知り合いがやっていた方法があるのだが」

 

「なによ、言って見なさい」

 

 依然と新たな糸口もつかめぬルイズがその言葉に飛びつく。ケイツ以外の人の体験談というのも少しだけ魅力的であった。

 

「ああ、確か――」

 

 近づいてくるルイズにケイツはぼそぼそと小声でその内容を伝える。

 途端にルイズが拒絶反応を起こしたかのように真っ赤になった。

 

「なっ、なによ。貴族の私にそんな恥ずかしい事をさせる気? あんた私を何にするつもりなのよ」

 

「無理にとは言わん。私自身半信半疑だし、効果は期待できないだろう」

 

「うう~」

 

 それでもルイズは藁にでも縋る思いだったので、ケイツの言うことに従うことにした。

 歩くたびに羞恥心で顔から火が出そうだった。広場の中央に立ち、息を吸い込んで叫んだ。

 

「ゆ、ゆ、ゆ……友情ぱわ~! み、みんな私に友情パワーを分けてえぇぇぇぇ……ってこんなこと出来ないわよっ! 今の無し! ノーカンだから!」

 

 ルイズの叫びは尻切れになっていって、最後には羞恥の余りに自分でツッコミをした。

 当然広場は無人ではない。ルイズが繰り広げる爆音を先ほどまでうっとおしそうにしながらもたくさんの生徒達が居た。

 現在ルイズに注がれているのは可哀想なものを見るような視線だった。

 数え切れないほどの憐憫に射抜かれて、ルイズは自らに吹き荒れる羞恥の嵐をケイツに叩きつけることにした。

 

「ケ、ケイツ! ご、ご、ご主人様を誑かすなんてどうしようもない犬ね。今日こそはお仕置きしたげるわ! そこに直りなさい!」

 

「やったのはお前だろう。私は悪くない。悪くないぞ」

 

「問答無用よ! 痛いことしてあげるわ。この駄犬。本当に駄目な犬ね。待ちなさい!」

 

 羞恥と憤怒を塗りたくったような表情でルイズはケイツに詰め寄った。

 だがケイツはそのルイズを悠然と待ち受ける。最早過去の逃げ足の速いだけのケイツではない。

 今のケイツは敵意を前に足を踏ん張れるのだ。ニヤリと口角をゆがめて挑戦的に足を止めていた。

 

「ふふふ、ヴァリエールの娘よ。私は変わったのだ。不当な暴力には屈さぬ。さあ、掛かってくるがいい!」

 

 覇気すら纏い、ケイツが泰然自若と構えた。その場に相似弦が展開される。

 

「言われなくてもそのつもりよッ!」

 

 全体重を綺麗に乗せたルイズの右ストレートがケイツに迫る。

 

「――ッ! なんですって!」

 

 瞠目の声はルイズの口から。そして、ルイズの小さな拳はケイツの数センチ手前で静止していた。

 

「見るがいい、これぞ≪相似大系≫が誇る鉄壁の防御魔術『減衰防壁』だ」

 

「な、何よこれ!? この! このッ!!」

 

 ムキになってケイツを叩こうとするルイズの攻撃は全てケイツの目の前で止まる。

 見えない壁によって、完全に勢いを殺されていた。

 

「無駄だ。減衰防壁は『自身の周囲の空間』を『何の力も働いていない空間』と相似的に固定する概念防御。≪相似大系≫が誇る究極の護りだ。生半可な手段ではこの魔法を突破することは出来ん。諦めておとなしく魔法の練習に戻るのだ」

 

「ふーん」

 

 ケイツが熱弁をふるっている間に、ルイズは諦めたのか少し冷めた表情でケイツの周りをつんつんと人差し指でつついていた。

 ルイズの変貌にケイツは戸惑った。完全に自分が優位なのに、野犬に追われて木に登ってしまった時の事を思い出す。

 そして、ルイズは笑う。

 

「あんたやっぱり所詮ケイツだわ」

 

 そう告げたルイズは身を翻した。歩く先は相似弦が伸びている『何の力も働いていない空間』だ。

 ケイツがルイズの意図を察しその背を冷や汗が伝う。

 

「待っ――」

 

「ちぇすとッ!」

 

 可愛らしい声に気合を乗せたルイズの正拳突きが『何の力も働いていない空間』に突き刺さった。

 

「ぐはぁッ!」

 

 ケイツは体を折って地面に崩れる。

 『何の力も働いていない空間』と『自分の周囲の空間』を相似にするこの防御魔術は、裏を返せば『何の力も働いていない空間』の方を攻められれば『自分の周囲の空間』に逆流して自爆してしまう危険性のある防御魔術だ。加えて相似弦は他人にも見えてしまうため手の内が分かってしまえば破ることは難しくない。

 高位の相似魔導士はこの『減衰防壁』を多数重ねそれぞれの基準とする空間を変えることで『多層障壁』と化し、より堅固な防御を形成する。

 もちろん今のケイツなら出来ないことはないが、自らの慢心とルイズの判断力に敗れた。

 

「み、見事だ……」

 

 なんとか声を絞り出し、ケイツは倒れ伏した。

 

「――あんたら何やってんのよ。目立ってるわよ」

 

「キミ達はもっと周りに配慮したほうがいいんじゃないかね?」

 

 見かねると言わんばかりに、呆れた声が横から投げかけられた。

 ルイズをからかう事を生き甲斐にしている褐色の美女キュルケと、いつぞやケイツに決闘を挑んだギーシュだった。

 

「何よ、あんたたち妙な組み合わせね。タバサはどうしたのよ」

 

「タバサは今居ないわ。あの子たまに一人でいなくなるから。あとこいつはモンモランシーとの復縁のアドバイスをしつこく聞きに来ただけよ。そんなことよりミスタ・アサリ、ひどい主人を持つと大変ですわね。私が癒して差し上げましょうか?」

 

 しなを作ってケイツに語りかけるキュルケをみてルイズが目を吊り上げた。

 

「あんた、『治癒』なんて使えないでしょ。年中ぼーぼーと発情している『火』系統なんだから!」

 

 斜に構えていつものように突っかかってくるルイズに対してキュルケもいつも通りに愉悦に潤んだ瞳を向ける。

 

「なによぉ、せっかく『友情ぱわー』を分けて上げようと思ってきたのにその言い方はないんじゃないの?」

 

 キュルケはにやりと口角を吊り上げ「ねぇ?」とギーシュに同意を求めるようにキュルケは両手を天に掲げて「友情パワー」とおどけた。

 ギーシュもそんなキュルケと同じように悪乗りして、「友情パワー」と言いながら両手を掲げた。

 

「なっ、ななな、な……あ、あんたたち、まさか聞いてたの!?」

 

 ルイズは急に全身をわなわなと震えさせ狼狽し始めた。

 キュルケは心底呆れたように肩をすくめて言った。

 

「あったり前じゃない。あんだけ爆発させて注目集めた後にあんなこと言い出して、広場にいればそりゃ聞こえるわよ。ねぇ友情パワー」

 

「ああ、全くその通りだとも、友情パワー。これカッコいいね」

 

「……ギーシュ、あなたそんな残念なセンスしてるからモンモランシーにフられるのよ? まあ、それは置いて、せっかくだからそんな健気なルイズに私も友情パワーを分けに来てあげたんじゃないの。魔法の練習がんばってるみたいだし、私トライアングルだし」

 

「いや、君はルイズが面白そうなことしだしたのを見てからかいに行こうって言ってんじゃないか。あと僕のセンスを悪く言うのは止めたまえ」

 

「余計なことは言わないの。黙ってなさい」

 

 食後のデザートを楽しむようにキュルケはルイズをからかう。

 ルイズの限界もそろそろ近そうだった。

 

「き、き、記憶を失いなさい今すぐにッ! ほら、早く!」

 

 ルイズがキュルケに飛び掛った。

 

「きゃっ、ちょっとルイズ何するの、ちょ、待って、友情パワーは上げてもいいけどさすがに愛情パワーは困るわぁ、女の子だし」

 

 あくまでも余裕の風体を崩さないルイズが遂にぷちんと切れた。

 

「あんた前から私にちょっかいかけて。私がからかわれるたびに私の胸にはいっぱいの『恥ずかしい』が詰まっていくのよ。それが堪えきれずに爆発したらどうするつもりだったの?」

 

「胸に詰まるって、ルイズの胸はぺっちゃんこだからそんなに詰まってないでしょ。ああ、爆発しちゃった後なのね。分かるわぁ」

 

 キュルケはとことん強気で、ルイズの変化に気付かなかった。

 自らのコンプレックスの象徴である胸のことを揶揄されて、ルイズは今度こそブチッと切れた。

 

「あ、ああ……もう駄目だわ。私が羞恥と怒りに身を任せてあんたにひどい事しちゃうかもしれないって、考えもしなかったのね? 今日という今日は思い知らせてやるわ」

 

 ぷるぷると怒りに震えすぎてちょっと目がヤバい事になっているルイズに、キュルケは挑戦的な笑みで応える。

 

「ヴァリエールにしてはずいぶん言うわね。やれるものならやってみなさい」

 

 だがキュルケの自信に満ちた表情は一瞬のうちに驚愕で塗りつぶされた。

 一足でキュルケの懐に飛び込み、ルイズの手がキュルケの胸を鷲づかみにしていたからだ。

 

「あんたにもその大きな胸と同じぐらいの『恥ずかしい』をいっぱい詰め込んであげるわ。いやらしく胸の第二ボタンまで外しておいて、あんた本当はみんなに見せびらかしたくてしょうがないんでしょ? あんたが毎晩毎晩、男の前で晒してる姿を今ここで晒してあげるわ。盛り相手がもっと増えるように協力したげるわ!」

 

「な、何言ってるの、私はまだ処――、あ、ちょ、こらルイズ、そこ、やめっ」

 

「あら、キュルケ。ずいぶん可愛らしい声で鳴くじゃない。ほらここがいいの? ん? ん? ほら、なんとか言ってみ?」

 

「ちょっ、だめよ、ルイズ、女同士でこんな、ああっ」

 

「あんたの『恥ずかしい』が『気持ち良い』に変わるまで責めてあげるわ。ほら、ほらッ! まだ始まったばかりなのよ!」

 

 キュルケに馬乗りになっているルイズの瞳は嗜虐に蕩けていた。

 体格ではキュルケのほうが勝っているのに暴れるキュルケに振り落とされないルイズの運動神経は素晴らしかった。

 

「……すごい光景だ」

 

 ギーシュは目の前に繰り広げられている光景から目が離せなかった。心なしか少し前屈みになっている。

 二人の美女が恥辱と興奮でドロドロになって息も絶え絶えにくんずほぐれずしているのだから思春期の少年には刺激が強すぎるのだ。

 

「おい、お前たちそろそろ止めろ」

 

 呆れ果てたケイツが留まることを知らない目の前の惨状を何とかしようとしたその時だ。

 空に小さく太陽を遮るように、影がかかった。その影が次第に大きくなる、何かが落ちてくるのだ。

 鳥、ではなく人だ。人が空を飛んでいた。いや、落ちてくる。

 

 重力に引かれ広場の真っ只中に落下してきた人物は女性――そして全裸だった。

 その女性は周囲を一瞥し、周囲が静まっていることを確認しておもむろに告げる。

 

「――急な訪問をまずは詫びよう。この学院に勤めるマチルダという女性に会いに来た。お前たち知らないか?」

 

 白金の髪を肩口でセミロングに切りそろえたその女性の眼光はエメラルドのような深い緑に輝き、まさしく戦士と形容するに相応しかった。

 そして白昼堂々と惜しげもなく晒しているその肢体は女性的な美しさを損なわず、むしろそれを最大限に引き出すかのように鍛えられてしなやかであり、まるで人体美の見本だ。

 突然の出来事にルイズもキュルケも、そしてもちろんギーシュ、そしてその他広場に集っていた生徒たちもが言葉を紡ぐことが出来なかった。

 そんな中全裸の女性は、先ほどまで喧嘩でもつれ合って服が乱れ、ほぼ半裸に近いルイズとキュルケを見て、頷いた。

 

「うむ、どうやらこの国にも礼儀正しい魔導士がいるようだな。素晴らしいことだ」

 

 腕を組み変えて、空から降ってきたこの女性は感心したように二度三度と頷き続けた。もちろん全裸で。

 最早ルイズ達のみならず広場にいた生徒は男女問わず突如現れたこの女性に釘付けだった。

 彼たち、彼女たちの常識では全裸で人が空から降ってくることはない。我が目が信じられず、夢かと疑うものすらあらわれる始末だった。

 

「≪錬金大系≫か」

 

 この場で唯一免疫のあるケイツの呟きだけが凍った時を動かす。

 ケイツの声につられて女性がケイツを一瞥した。

 

「お前は……確か≪英雄の弟≫か、このようなところで会うとは奇遇だな」

 

「貴様は私を知っているのか。まぁ、そんなことはいい。ここは公共の施設だ、そのような訪問の仕方は無礼ではないか」

 

 ケイツがその場に居たみんなの意見を代弁したかに思えた。

 

「何を言う。私は作法通り全裸で来た。どこに不備があるというのだ」

 

 しかし異なる価値観を持つもの同士は致命的なまでに話がかみ合わない。

 

「そうではない。ちゃんと入り口があるのだ。正装をした上で、用向きを伝えてから尋ねるのが筋というものだろう」

 

 女性はケイツの言葉にハッと気付いたかのように目を見開く。

 

「私としたことが……そうであったな。では用向きを伝えてからまた来るとしよう」

 

「ま、待ってください。ミス、そのままではなにかとよろしくない。良ければこれを……」

 

 踵を返そうとする全裸の女性に対して、横から投げかけた声の主は女性に優しいギーシュ・ド・グラモンだ。

 彼は空気は読めないが気配りの出来る男。全裸の女性に彼の羽織っていたマントをそっとかける。

 マントは貴族の象徴。それを他人に渡すというのはハルケギニアの常識で考えればとんでもないことだ。

 それを見ず知らずの女性にそっとかけてやる。ギーシュは美談のつもりだった。

 だがギーシュの親切の対価として支払われたのは一撃の拳だ。

 

「ぐはぁッ!」

 

 吹き飛んだギーシュを睨みつけ全裸の女性が一喝する。

 

「馬鹿者ッ! 私を侮辱するつもりか! 服など女子供の着るものだ!」

 

 ギーシュの鼻血が曲線を描きながら、彼は地面に倒れ伏した。

 彼が最後に見たものは仁王立ちする美女の下腹あたりにある黄金の草原だ。興奮が頂点に達して追加の鼻血を吹いた。

 すっかりと混沌の坩堝と化した場にルイズが立ち上がる。

 

「ちょっと、あなたいきなり来てなによ! あとギーシュどこ見てるのよ。見てる角度がいやらしすぎよ。モンモランシーに言うわよ」

 

 真剣な剣幕でルイズは全裸の女性に対峙する。キュルケともつれ合って半裸になったルイズに対して彼女もまた真剣な眼差しで見据えた。

 他人には分からぬ何かがそこにあった。

 

「私はセラ・バラードという。今日はマチルダに会いに来た。この世界と私の世界では風習が違うため、私が町を歩いていると衛士に捕まるのだ。身元引き受け人であるマチルダを探すため、足を運ばせてもらった。

 それと、角度など構わず存分に見よ。このセラ・バラード、どこを人目に晒しても恥じぬよう、心身を鍛え上げている」

 

 思わず納得してしまいそうな空気だった。真昼の広場で燦然と照らしつける太陽の照り返しで、珠のような汗が浮かぶその体は瑞々しく引き締まっている。絶世の美女が裸で突っ立っているのにその堂々とした佇まいのせいか、淫靡さは感じられず、本来人とはそうあるべきなのではと思わせるほど説得力に満ちていた。

 

「あんた言ってることがおかしいわ。身元引き受け人を探す以前に普通に出歩いているじゃないの」

 

「うむ、考えてみればここは魔法世界。神の奇蹟に愛された世界では私を拘束できるものなどありはしない。さりとて、郷に入りては郷に従えという言葉がある。ちゃんと手続きどおりに身元引受人を連れて行かねばいかん。役所の仕事というのはどこでも融通が利かぬものなのだ。子供には分かるまい」

 

「なら、まず服をちゃんと着なさいよ! この世界では魔法使いはマントを羽織るものよ!」

 

 どう考えてもルイズの方が正論である。

 突きつけられた言葉にセラと名乗った女性は躊躇しつつもそこに合理性を見出した。

 

「……くっ、確かに一理ある、そしてここは公共の場。背に腹は変えられぬか」

 

 苦悶さえ感じさせるほどに羞恥に満ちた表情でセラと名乗った女性がマントを羽織った。先ほどギーシュがそっと手渡したマントだ。

 全裸の変態は裸マントの変態へと変化した。美女だったのがせめてもの救いだ。

 

「大体ね、あんたみたいなのがいると男子が変なこと考えちゃうのよ。学院の風紀が乱れるの。その辺もちゃんと考えて」

 

 ルイズの追求にセラがエメラルドのような瞳を大きく見開いて言った。

 

「たわけっ! 服など着るから皆は邪念を抱くのだ。人は服を着ては生まれぬ。それがありのままの真実だというのに、覆い隠そうとするからそこに影が出来る、いやしい思いが湧き上がるのだッ! 服で隠さなければ生きていけない己の姿を恥じよ」

 

 遂に、平和な学院の広場は全裸の演説会場に変わってしまった。

 セラとルイズがいまだに対峙している。その真横で自分の肢体に絶大な自信を持ったキュルケが彼女の全裸哲学に屈して、始めて膝を折った。

 

「ま、負けたわ……」

 

 

 

 

 

 

 ところ変わって学院長室。

 ほぼお飾りに近い学院長オールド・オスマンが今日も暇を持て余していた。

 いつものように秘書にセクハラをして、その折檻を受ける。まったく懲りてない、いつも通りの一日だった。

 しかし、そんな平穏を破るかのように学院長室のドアがノックも無しに開いた。

 

「何事じゃ!」

 

 驚いたオスマンが大声を張り上げる。突如学院長室に入り込んできたのは教師コルベールであった。

 

「はぁはぁ、学院長、一大事でございます」

 

 息を整える間も惜しいと言わんばかりにコルベールは堰を切ったように言葉を紡ぐ。

 

「何が一大事なもんじゃ。世の中、一大事なことなどない。蓋を開ければ全て瑣末なことじゃ」

 

 興味なさげなオスマンは空返事をする。

 もちろん秘書のロングビルも自分とは関係のないだろう話に黙々と事務に励んでいた。

 

「いえ、一大事でございます。学院に侵入者ですぞ!」

 

「何じゃ? このメイジの巣窟である魔法学院に侵入者じゃと? 一体どこの誰じゃ」

 

「それが、若い女性です。全裸の女性が、マチルダはどこだと叫びながら学院内を闊歩しています!」

 

「何!? 全裸の女性じゃと? 美女か……?」

 

「はい! プラチナブロンドのセミロングです」

 

 鼻息を荒くするオスマンにコルベールは力強く答えた。

 

「それはいかんのぉ! そしてマチルダというその女性も……。よし! 今すぐその女性を連れてく――」

 

 興奮が頂点に達したオスマンの言葉をパリンと乾いた音が遮った。

 オスマンが音の下方向へと首を回す。

 

「ちょっ! ちょちょ……ミス・ロングビルそれ、大事なマジックアイテムなんじゃが……」

 

 遠見の鏡が倒れて割れていた。

 ……秘書であるロングビルの顔がぴくぴくと引き攣っている。

 

「オールド・オスマン? 私ちょっとその女性を連れてきますわ。少々お待ちください。では失礼」

 

 有無を言わせぬ凶相を浮かべたロングビルに気圧されて、オスマンは二の句が告げなかった。

 オスマンとコルベールは鬼気迫るロングビルに何も言えず、学院長室の廊下に反響する足音をただただ聞いていた。




今回は読者の皆様にお詫びさせてください。
第一話の前書きで円環少女のキャラは主人公しかださない、と書いてあったのですが
当時の時点でプロットが二つ存在していて、結局複数の円環少女のキャラクターを出すプロットに決めたあとも冒頭の変更を怠っていたことについて謝罪します。

今回の話を見ていただくと分かるように後何人か円環少女側からキャラを出すつもりなのですが、一人しか出さない事を期待して読んでくださっていた方には大変申し訳ない思いです。

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