ゼロと底辺を結ぶ銀弦   作:ゆにお

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四話 忍び寄る影 その3

 今日も魔法学院は平和である。教師は授業の準備に勤しみ、生徒達は勉学に励んでいた。

 そしていつもは暇を持て余している学院長には来客があった。

 

「……それでは、これで。学院のご理解とご協力感謝します」

 

 告げたのはジュール・ド・モット伯爵、王宮に勤めている勅使であった。

 貴族然とした礼服に身を包み、勅書をオスマン学院長へと手渡す。

 

「王宮の勅命に理解も協力もないでな」

 

 オスマンの呟きにモット伯爵は軽く口元を緩めるとオスマンから背を向けた。

 

「では」

 

 モット伯が学院長室を出ようとしたとき、丁度学院長秘書であるミス・ロングビルと鉢合わせした。自然とモット伯の表情に笑顔が浮かぶ。

 

「今度食事でもどうです? ミス・ロングビル」

 

 挨拶のように語り掛けるモット伯の視線は彼女の顔を見ていなかった。胸元へと嘗め回すように注がれている好色な視線をロングビルは察知し、自然とマントの襟元を正す。

 

「それは光栄ですわ。モット伯」

 

 辛うじて笑みを浮かべることができたのは彼女の職業意識のおかげであった。

 

「うむ、楽しみにしていよう」

 

 満足げに彼が立ち去ったのを確認し、ロングビルは舌打ちする。

 

「王宮は今度はどのような難題を吹っかけてきたんですの?」

 

 勅書を手に、げんなりしているオスマンにロングビルは同情を込めて言った。

 

「いやなに、くれぐれも泥棒に気をつけろと勧告に来ただけじゃ」

 

 魔法学院には国宝級の魔道具を管理する宝物庫がある。勅書には”国宝、決シテ奪ワレル事ナラズ、注意サレタシ”と訳せば実にシンプルな内容だ。それを耳にしたロングビルは興味深そうに瞳を躍らせる。

 

「泥棒?」

 

「ああ、近頃フーケとかいう魔法で貴族の宝を盗み出す賊が世間を騒がせておるらしいのでな」

 

「フーケ……『土くれ』のフーケですか?」

 

「うむ、この学院には破壊の杖があるからの、盗み出されたらワシの首が飛んでしまうわい」

 

 怖い怖い、と呟くオスマン学院長の表情は言葉の割りに悲壮感はない。

 

「まぁ、フーケがどのようなメイジか知らんがここの宝物庫はスクウェアメイジが幾重にも魔法をかけたのじゃ。取り越し苦労じゃよ」

 

 ハルケギニアにおいて『スクウェア』は実質メイジの最高位を表す称号である。その権威にオスマンは絶対の信頼を寄せていた。

 だが、ロングビルはそんなオスマンを見て困ったような表情を浮かべる。

 

「『破壊の杖』ですか。ずいぶんと物騒な名前ですわね。ですが、何事にも絶対などということはありませんわよ。学院長もどうか気をつけてくださいな」

 

「なんじゃ、ミス・ロングビル心配してくれるのかね? ホッホッホ、大丈夫じゃよ、フーケが現れたらわしが守ってあげるからの」

 

 すっかりと有頂天になった学院長に構わずにロングビルは懐から取り出したスケジュールを記載した手帳に視線を落とす。

 

「それは頼もしいですわ。オスマン学院長。予定ですがこの後は『例の方』とのご面会があります、大丈夫でしょうか?」

 

「うむうむ、大丈夫じゃ。今日は他に予定もないしの――」

 

 聞き流すように相槌を打つオスマンの手元に蠢くものがあった。小さなねずみがオスマンの肩口までよじ登り何かを囁くように耳打ちする。

 

「――ホッホ、白とな? 純白とな? わしは黒が似合うと思うんじゃがのぉ」

 

 突如、にやけて笑い出すオスマン学院長の呟きに対して、途端にロングビルの表情が朱に染まり、慌ててローブの裾を押さえた。そして怒りで引き攣る口元を押さえながら言った。

 

「オスマン学院長? 今度やったら王室に報告しますからね」

 

 性的嫌がらせを受けた女性からの最後通告に対して、オスマンは目を見開き吠えた。

 

「カァ――――ッ!! 細かいことは言いなさんな。減るものでもあるまいし、そんなんだから婚期を逃すんじゃッ!!」

 

 男として最低の開き直りを見せたオスマンの運命は既に決まっていた。ロングビルが怒りで自らの立場と職責を忘れるには十分な一言を言ってしまったからだ。

 

「アァ――――ッ!!」

 

 

 

 学院長室がそんな騒ぎに包まれる少し前。そこへ向かうに二人の人影があった。

 

「ケイツ、相手は偉大な魔法使いでこの学院の学院長を務めているオールド・オスマンよ? くれぐれも失礼のないようにね」

 

「う、うむ」

 

 「襟が曲がっている」とか「コートに皺がよってるじゃない」などと世話を焼くルイズにケイツは気後れしながら答える。

 丁度そのときだった、言葉にならない怒声と悲鳴に似たものが、半開きである学院長室から響き渡る。

 

「何事!?」

 

 緊急事態でも起こったのかと、ルイズが駆け、ケイツがそれに続いた。半開きであった扉を押しのけて学院長に入るやその光景が二人の目に飛び込んでくる。

 

 老人が若い女性に踏みにじられていた。女性の怒りは怒髪天といわんばかりであり、老人はただただ許しを懇願している。だが、どうみても老人が浮かべている表情は苦痛ではなく喜悦であった。

 

「あの、学院長、これは……? 一体……?」

 

 その光景を目にするルイズの表情からは偉大な学院長に対する尊敬は消えうせていた。ただ、ケイツだけが真剣に学院長を見ている。彼には思い当たる節があった。

 そしてようやくルイズ達が部屋に入ってきたことに気付いたロングビルが我に返った。

 

「あら、いやだ。おほほ、私としたことが。ようこそミス・ヴァリエールお待ちしておりました。学院長があなたにお話があるそうです」

 

 何も無かったかのように笑顔で取り繕う彼女は洗練された秘書の鏡である。

 ただ、オスマン学院長だけが未だに狼狽していた。横で何事も無かったかのように済ましている秘書のように取り繕うには生徒の視線が冷たすぎるのだ。

 

「あー、ごほん。君がケイツ殿かね? 私はオールド・オスマン、この学院の学院長を勤めている。それで、えっと今の光景は、その、つまりだね」

 

 我が身を恥じるように偉大なる魔法使いの声はしぼんでいった。空気は既に白けている。

 しかしケイツはそんな中で老人を真顔で見つめて言った。

 

「心配には及ばぬ、ご老人。誰もが楽して魔法を使っているわけではないのだということを、私は知っている。辛苦や苦痛に身を委ねねば至れぬ境地もあろう。研鑽の道とは険しきもの。どうか私に気にせず続けていただきたい」

 

 女性に踏みにじられている偉大な魔法使いを目にして、ケイツの脳裏に≪聖痕大系≫が浮かぶ。

 触覚と痛覚を索引とする魔法であり、主に痛みの感触を媒介に発動する。発動方法が過酷な魔法だが、その出力は索引型最大級という魔法大系を知っているケイツはオスマンに理解を示す。ならばあの女性は老魔法使いが魔法を使う補助を務めていたに違いないのだとケイツは推察した。茨の道を進む修験者の姿を見る思いで、彼は応援の眼差しをオスマンに送った。そんなケイツからの思わぬ援護に唖然としていたオスマンだが、弾かれたようにしゃべりだした。

 

「え? ああ、うむ。そうじゃ、その通りじゃッ! なるほど、ケイツ殿も並みならぬ道を歩んだメイジということか。その思慮の深さ、この趣味を理解できるとはさすがじゃ」

 

「私はただ前例を知っているに過ぎない。私たちに構わず続けてくれ」

 

 ケイツはロングビルに続きを促すよう視線を飛ばす。開いた口がふさがらないロングビルであったがこのままでは話が進まないと判断した少女が変な流れを両断した。

 

「構うわよ! いえ、構います。あんたいきなり何を言ってるの。……学院長、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールお呼びにより参上しました。本日はどのようなご用向きでしょう?」

 

 冷ややかに学院長を見つめながらルイズは言った。ついでにケイツのわき腹を抓っていた。オスマンとケイツとの間に銀線が繋がる。

 

「ああ、こほん。そうじゃの、本日はミス・ヴァリエールが召喚した貴殿のことで少し話をと思っての」

 

「話ですか? ケイツが何か……」

 

「そう身構えんでもええよ、ミス・ヴァリエール。ケイツ殿、じゃったかの?」

 

「浅利ケイツだ」

 

「では、ケイツ殿、貴殿をこのような状況を招いてしまって申し訳ない、魔法学院学院長として謝罪しよう。だが使い魔召喚の儀式は主人に相応しい使い魔を召喚するという性質のもの。君を狙って召喚したわけではないということを、まずはご理解いただきたい」

 

 厳粛に頭を下げるオスマンは真剣だ。先ほど戯れていた人物と本当に同じなのか疑いたくなるぐらいであった。そんな彼に気圧されてケイツも粛然とした態度でそれに答えた。

 

「老魔導士よ、その謝罪は受け取れん。経緯はどうであれ、この娘は瀕死の私を治療してくれた。この召喚の意図がどうであろうと、召喚されていなければ私は死んでいた可能性が高い」

 

 ケイツはあの戦場を思い出す。あそこまでの重傷を負った自分を回復させることが可能な魔導士がいるとは思えなかった。そして相似大系の治癒魔法は、健康な人間とけが人が『相似』であるという観測の元に治癒を行う魔法だ。つまり感覚器官に重度の障害を負ったケイツでは『相似』であることを認識することが困難になるため、近くに健康な人間がいようとケイツが自力で回復することは不可能だったのだ。

 

「……お主も大変な目にあったようじゃのぉ。しかし重傷を負っていたと聞くが、もしやお主は騎士のような身分だったのではないかの?」

 

 オスマンは考える。彼が善人であると仮定して重傷を負うような状況、真っ先に思い至るのが人を守ることを職責としている『騎士』であった。オスマンの言葉を聞いてルイズが顔を顰めた。「騎士? ケイツが?」と呟いている。トリステインの魔法衛士隊の服を来て雄雄しくグリフォンに跨るケイツを想像して気持ち悪くなったようだ。

 

「いや、私は騎士などではない。ワイズマン警備調査会社の警備調査会社統合情報室シニアマネージャーを務めていた」

 

 職位を淀みなく紡ぐことが出来たのはケイツの度重なる練習の証だ。

 

「それは具体的にどのような仕事なのか聞いても差し支えないかね?」

 

 オスマンが尋ねた耳慣れぬ職業名の内容はルイズにも興味があった。ケイツを召喚してからケイツの過去を余り聞いていなかったなと、つい自分を恥じ入る。当然ケイツにも過去があるのだ。それを奪ってしまったことに少なからず罪悪感を抱く。

 だが、ケイツの口は中々動かない。どう話していいものか考えるように口をもごもごと動かし何か言いかけては言葉に詰まっている。

 

「そう、だな。重要な、重要な機密情報を取引先の相手に伝えることが主な仕事だった。私の運んだ情報が世の中の明暗を分けたことさえある、責任ある重大な仕事だ」

 

 ケイツは背中に冷や汗をかきながら答えた。嘘は言っていないのだが、突如抜擢されたそのお飾りの職位は空っぽであり具体的に何をする職であるかという説明に答えられるほどの知識はない。

 シニアマネージャーは日本で言えば部長クラスだ。部長直々に使いパシリをするその意味を以前問われたことがあった。それを言葉にすると悲しくなってしまうので、できるだけ迂遠にケイツは語る。

 

「なるほどの。伝令……いや勅使のようなものかの」

 

 だがそれを聞いてオスマンは頭を悩ませた。勅使といえば先ほど訪れたモット伯がそれに当たる。重要な情報を扱う以上、彼の身分は決して低いとは言えない。国際問題にならなければ良いがのぉ、とあごひげをさすりながら思案した。

 

「して、ケイツ殿はどちらの出身なのじゃ? 我々の知らぬ魔法を使ったと聞いておる。『先住魔法』とも異なるようじゃし……もしや砂漠の遥か向こう、ロバ・アル・カリイエから来たんじゃろうか?」

 

 ケイツはオスマンの言葉になんと答えていいのか迷った。なので簡潔に告げる。

 

「ご老人よ。≪協会≫という組織をご存知か?」

 

「≪協会≫かね? う~む……寡聞にして聞いたことがないのぉ」

 

 ≪協会≫に加盟している魔法世界は千にも及ぶという。その中でも『三十六宮』に加盟する魔法世界は先進魔法世界であり首脳世界でる。≪相似大系≫は『三十六宮』の一角、悪鬼の世界で例えるのならば地球上の国家で国連加盟国の名前を知らぬようなものだ。

 ならばこそやはりここは未知の魔法世界であるだろうとケイツは結論付けた。

 

「私のいた場所がこちらで何と呼ばれているかは分からない。それほどまでに遠く隔てたところから来たと思っていただいて結構だ」

 

「う~む、それは困ったのう。使い魔召喚の儀式は使い魔を呼び出す呪文じゃ、使い魔を送り返してやることは出来んのじゃよ」

 

 もし、所在が分かる範囲にあるところならば、ある程度の金銭負担も辞さぬオスマンだっただけに彼の言葉は少々堪えた。同時に国交がないほど遠いところから来たのであれば彼を召喚した責任を問われる事はないと考えて一瞬安堵しかけた自分が嫌だった。

 

「……歳は取るものではないのぉ」

 

「……?」

 

 疑問を浮かべるケイツにオスマンは「気にせんでくれ、こっちの話じゃよ」とだけ答える。

 ふと、ケイツはコートの袖が引っ張られているのを感じた。目を向けるとルイズの悲壮な視線とぶつかった。

 

「ねぇ、ケイツ。私、知らなくて……あんたになんて言ったらいいか」

 

「娘よ、先にも言ったが気にするな。お前の召喚が私を窮地から離脱させ、お前の献身が私の命を救った事は事実だ。私は使い魔とやらを続けようと思う」

 

 その言葉にルイズは俯かせていた顔を上げた。直視するケイツの顔はいつもと違って頼もしそうに見えた。

 

「ケイツ……いいの? だってあんた、昔いた場所でもあんたの暮らしがあったんでしょ? それなのに……」

 

 だが、悲しげな少女を慰めるなどケイツには出来なかった。だからその分余計にぶっきらぼうに、半ば顔をそらして答えた。

 

「お、男の価値は仕事で決まる。み、自らの力に応じた場所で働く事を仕事というのだ」

 

 一度は自らの虚勢のために口にしたその言葉は、前よりも胸を張って口にすることが出来た。

 ケイツはハルケギニアに来てからの生活を振り返る。使い魔としての労働、自発的に行った平民たちの手伝い、その労働の対価は笑顔であった。彼らの笑顔は力を振るうに値する何かを感じさせるだけのものがあった。ただその胸に灯った感情の意味をケイツはまだ知らない。

 

「話はまとまったかの。さて、ケイツ殿、こんなことしか言えんで申し訳ないのじゃが何かあったら言ってくれ。出来る限り力になろう」

 

 改めて契約を交わす二人を見て、オスマンは快く笑う。

 

「覚えておこう」

 

「ほっほほ、では話は以上じゃ退室してくれてかまわんよ」

 

「では、これにて。オールドオスマン」

 

 ルイズが学院長に対して一礼する。ルイズを見て、ケイツも軽く頭を下げた。




……? あれ、なんかケイツがちょっとだけカッコいい。
原作ではケイツと対等に話そうとする相手がいなかった気がしますが、こんな感じで大丈夫ですよね。尊大さがいい部分だけ機能して、へたれないと綺麗なケイツ。

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