「ねえ」
甘えた声と吐息が、ラディッツの鼻梁をくすぐる。長いまつ毛の下に納まる熱をはらんだ潤む瞳は、ただただ真っすぐにラディッツだけを見つめていた。
白い腕がするりと鍛えられた男の胴に絡まり、体温が近づく。目の前の女も鍛えているはずなのに、鍛え上げられた筋肉より先に感じるのはほの甘い色香。女特有の柔らかい肌はきめ細かく、それでいて吸い付くようだ。
「今日はずっとラディッツと一緒に居たいな……って。このまま、すぐそばでくっついてたいの」
照れたように赤くなる頬。恥じらいを前面に出した、はにかんだ表情。
その全てが艶めかしい色気となってラディッツを絡めとろうとする。
が、彼はそれを一刀両断のもとに切り伏せた。
「駄目だ。今日から破壊神の所でカカロット達と修行するんだろう」
「いぃぃぃぃやーーーーーだーーーーーーー!!!! 馬鹿! ラディッツの馬鹿ぁぁぁ!! 可愛い妻からのお誘いを断るつもり!?」
寸前までの色香は何処へやら。一瞬にして大人の女から子供のような駄々をこねる態度に移行した妻、空梨を前にラディッツは首を横に振る。
「それは、また今度な。とりあえずお前は一回鍛え直してもらって来い。主に精神面を」
「精神面!? もう四人も子供産んで育ててんのよ! 私は立派な大人! 大人だから!!」
自分を親指でくいくいっと指しながら、空梨は胸を張って堂々と主張する。しかしラディッツのこめかみに寄せられた皺は消えない。
「立派な大人はもっと自己管理をちゃんとするものだろうが!! しかも最近お前は質が悪い事にエシャロットを味方に付けおって!! 俺が知らないとでも思ったか? こっそり二人でスイーツバイキング巡りをしているのを、知らないと思ったのか!!」
「ぎ、ぎくっ! 何故それを……! あ、まさか龍成!?」
ここ最近一緒に愛娘と大好きなスイーツ巡りをしていることは、ラディッツには秘密だった。スイーツ巡りの資金も、有名占い師としての名前を伏せてこっそり副業として行っている最近話題の有料電話占い相談室で稼いだもの。家計にはいっさい響いていないので、隠し通せるものだと思っていた。
しかしその幸せは一緒にスイーツ巡りにつきあわせつつ、口止めしていた双子の片割れの裏切りによりあっさり幕を閉じることとなる。
「龍成はいい子だ。二人の健康を心配して、俺に教えてくれたんだからな。双子の学校の行事だPTAだなんだと適当に理由をでっちあげてまで菓子を食い散らかして、恥ずかしいとは思わんのか! 子供を産んでから少し落ち着いていたかと思えば、今度はその子供を巻き込んでどうする!!」
「だ、だってエシャロットだってお菓子大好きだし、つれてってあげないのは逆に可哀そうだし!」
「限度というものがあるだろう! いいか? ちょっとは隔離された環境で反省して来い! それと破壊神への手土産に、お前の隠している菓子を全部持って行けよ。夜中に隠れて食っているやつだ」
「やだちょっとなんでそのことまで!? か、完璧に気配も消して音もたてずにいたはず……! 第一それはラディッツが居酒屋の仕事で居ない時だったじゃん!? 何で知ってんの!」
「空龍だ。夜中に母さんとエシャロットが隠れて菓子を貪っていると嘆いていたぞ。……最近エシャロットが妙に気の消し方が上達していると思っていれば……」
「空龍ーーーー! い、いやあれは! だってエシャロットがお腹すいて眠れないって言うから……」
「……この間、エシャロットが虫歯になったのは覚えているな」
ピタリと、空梨の動きが止まる。そしてその体勢は自然と正座になった。それを見ていた者が居たならば、この女が怒られ慣れている事に気づくだろう。
「………………はい」
「夜中に食べた後、歯磨きはしたか?」
「し、しました」
敬語である。
「その後も夜中にエシャロットが隠れて菓子を食べていたのは知ってるか?」
「え、嘘!? ど、どうりでお菓子の減りが早いと…………あっ」
「そうだ。その時エシャロットは歯磨きをしないで寝ている。わかったか? 今のお前のだらけきった精神が思いっきり娘に影響出ているんだ! 叶恵はまだそうでもないが、ちょっと片鱗が見えてきている。だからお前は反省して来い! 空梨が居ない間に俺がしっかりしつけておく!」
「や、ヤダ!! 反省はするから、ビルス様んとこは嫌だ!! だって行ったら他にやる事も無いし修業漬けの修業づくしじゃない! 今度の日曜日にはブルマとショッピングの約束だってしてるし、チチさんと新しい野菜の種は何植えようかって相談もしなきゃだし、近いうちにビーデルさんと18号さんとも女子会しようねって……!! と、とにかく色々予定あるんだよ私だって!! それよりラディッツはいいの!? 自分より妻が強くなってさ! サイヤ人の誇りとか男のプライド的にいいの!?」
「いいわけはないし心底悔しいが俺は俺で修行している今に見てろよゴッドだブルーだ言ってるうちに俺だって! ……いや、今それはいい。それより今は子供たちの教育の方が優先だ!」
「悔しさ駄々洩れじゃねーか! そのくせおっまえすっかり教育パパになりよってからに!! いい事だけど!! 最近チチさんとよく会話が弾んでるわけだよ!!」
「地球で暮らしていくには、ただ強いだけでは駄目だからな。当然の処世術だ」
「頼もしっ! 頼もしいけど、だけどビルス様んとこは嫌だってば! ね、ねえ……。本当に反省するから。だから今回は許し……」
「もう遅い。迎えが来たようだぞ」
「え」
ぎぎっと、油が切れたブリキ人形のように鈍い動きで空梨の首が後ろを振り返る。
そこには腕を組んで不機嫌そうにしている実弟と、片手をあげてにこやかにしている義弟の姿。
「よっす姉ちゃん! なんかもめてるみてーだけど、そろそろ行くぞ。ウイスさんが迎えにきてくれっからな!」
「いやそもそも約束してねぇから!!」
「……俺たち三人は、それぞれ別の弱点があるらしい。だからそれを補い客観的に見れるように、修行するなら三人そろっていた方が効率がいいんだそうだ。だからつべこべ言わずに行くぞ! ラディッツは了承済みだ!」
「何で本人の了承を得ないんだよ!!」
「貴様に言ったところで嫌がるのは目に見えてるだろうが!」
「その通りだよチクショウ!」
悟空とベジータの二人にそれぞれ言葉を返すと、空梨は脱兎のごとく逃げ出そうとした。しかし両肩をそれぞれ弟に掴まれて、逃亡はあっさり阻止される。
「まあまあ、そうかてーこと言わねぇでくれよ。せっかくもっと強くなれるチャンスなんだぜ? ビルス様んとこはオラの瞬間移動でも行けない場所だしさ! 滅多にねぇ機会だ! チチも「悟空さはず~っと真面目に働いてくれてただからな。たまには思いっきり修行に打ち込むといいだ」って言ってくれたし!」
「喜べ。貴様のサイヤ人王族に相応しくないたるみきった精神は、このキングベジータ様が直々に鍛え直してやる」
「い、嫌だーーーーーーー!!」
こうして、空梨は破壊神ビルスの住居での修業に強制参加となったのであった。
そして悟空、ベジータ、空梨がウイスに連れられてビルスの星へ向かった、その少し後。
ピッコロに愛娘であるパンの子守を任せて、妻であるビーデルと共に買い物に行っていた悟飯が街中にある自宅に帰宅した。ここ最近学者としての仕事と、頻繁に自分に挑みに来るセル対策の修業のためになかなか時間をとれなかったゆえに久々の外出である。
しかし帰宅そうそう、どこか遠くで邪悪な気を感じ取る。それはピッコロも同じようで、厳しい表情で彼方へと視線を向けていた。
その直後。空が暗くなり、何者かがドラゴンボールを使った事が知れる。
「何か……。いやな予感がしますね」
ドラゴンボール使用後に邪悪な気は何処かへと消えたが、悟飯にはそれが気にかかった。
「ほう、もうそんな時期か。クククッ、これは楽しみだ」
しかし何処か陽気ささえ含んだ、不本意ながらここ最近聞きなれた声がしたことでそんな懸念も一瞬で吹き飛んでしまう。
「セル!?」
「!! チッ、いつも突然現れやがって。……今の邪悪な気は、もしかしてお前か?」
背後に突然瞬間移動で現れたセルに悟飯が驚き、ピッコロが疑念の表情で問う。しかしセルはそれに対してたいへん不本意である、と言わんばかりに首を横に振った。
「あれが? 馬鹿を言うな。私があんな弱い気だとでも? それと、今さらドラゴンボールを使って叶えたい願いなど無い」
「……それもそうか。すまんな」
不満を表すように純白の翼(いつ見ても慣れない)をばっさばっさと羽ばたかせるセルに、ピッコロも一応頷いておく。セルはかつての敵であるが、故郷であるナメック星をメタルクウラなるフリーザの兄から救った存在でもある分、セルに対するピッコロの心境は少々複雑ではある。少なくとも誤解したことに対して謝罪を口にする程度には慣れつつあるが、それが奇妙で仕方がない。
「ともあれ、孫悟飯。今のうちに鍛えておいて損はないぞ」
「お前、さっきのが何か知っているのか?」
「ふっふっふ。さあ、どうだかね。とりあえず数か月後を楽しみに、とだけ言っておこうか」
「もったいぶりやがって……」
ピッコロが睨むが、セルはそんなものはどこ吹く風。軽く肩をすくめて「やれやれ」と首をふる仕草が妙に腹立たしい。
「ビルスの時は除け者にされたからな……。今度の祭りは、私も楽しみにしているんだ」
「祭りだって?」
「ま、楽しみにしておきたまえ。……ところで孫悟飯、さっそく戦おうじゃないか。場所は何処がいい?」
「あ、あのなぁ! 僕だって忙しいんだぞ!? 今日だって久しぶりの休みで、これからパンちゃんと思いっきり遊んであげるつもりだったんだ。お前にばっかり付き合っていられないよ」
そう言って、大人になってからは滅多に見せなくなった子供っぽい仕草で悟飯はそっぽを向く。しかしその横をす~っと通りすぎていった小さな影に気づき、ぎょっとなって正面に向き直る。
「ぱ、パンちゃん!?」
「ほほう、どうやら孫悟飯。お前の娘は、私と遊びたいらしい。この羽が気に入ったのかな?」
見ればふよふよと宙に浮いたパンが、セルの翼にきゃっきゃと懐いて戯れていた。
……悟飯の娘であるパンだが、叔父である悟天やはとこである空龍たちと同じく、生まれた時からピッコロを始めサイバイマンたち人外に面倒を見られたり遊んでもらっているため、昆虫のような姿のセルに対しても特に怖がることがない。しかし悟飯としては気が気じゃなかった。
「こら、パンちゃん! 戻って来なさい! その昆虫に近づいちゃいけません!」
「ぶ~」
しかし悟飯の呼びかけに、パンは不満げに口をとがらせる。
「どうやらご不満のようだ。フッ、我ながら自分の才能には困ってしまうな。実は私は空龍のベビーシッターもどきをつとめたこともあるのだ。……正確には私と一体化した未来セルの方だがね。まあなんにせよ、私のあふれる才気はこうして赤ん坊までを引き付けてしまうというわけだ」
「セル貴様、それを自分で言っていて恥ずかしくないのか」
「ん? 弟子に加えてその娘まで私にとられて嫉妬かね? "ピッコロおじちゃん"」
「貴様がその名前で呼ぶな寒気がするわ!!」
「僕はお前にとられてないしパンちゃんもとられてない! お前が勝手に押しかけて来てるだけだろう!? 気持ちの悪い言い方するなよ!」
「ああ、パンちゃん! 何処へ行ったかと思えばこんなところに! もうっ、空を飛べるようになってから行動範囲が広がって困るわ……。今度空梨さんに相談してみようかしら。空龍くんの時も大変だったって聞いたし」
次第に騒がしくなっていくうちに、悟飯はすっかり邪悪な気について忘れてしまっていた。それより何処とも知れない場所に消えた邪悪より、まず目の前のお邪魔虫である。
悟飯がこの時の邪悪な気について思い出すのは、数か月後の事だった。
宇宙、某所にて。
「ホッホッホ。待っていなさいサイヤ人の猿ども。……努力などという、生まれて初めてのくだらないことまでするのです。その分このフリーザの復讐を、たっぷり味わってもらいますからねぇ」
続いちゃった……(´・ω・`)
トランクス編前のお話その2。お待たせしました。
そしてターブルも、ターブルも忘れてないから……!(唐突な弁解