《記憶転移》という言葉がある。
臓器移植などを行った時、『
「……………」
〝彼女〟はムクリと上体を起こしパチパチ瞬きすると、洗面所に向かい顔を確認する。
「…………ふぅん。面白いことなってんじゃん♪」
そして可愛らしい顔で笑みを浮かべ、寝間着のまま部屋から飛び出した。
戦刃むくろは現在、大量の荷物を両手に走り回っていた。
「あ、戦刃ちゃん、それこっち!」
朝日奈も戦刃ほどではないにしろ、かなりの量の荷物を運んでいた。周囲の男達よりも多く、男達は自分の腕と二人の腕を見比べた。
「ふう……そろそろ休憩しよっか」
「………ん」
戦刃はドズンと荷物を下ろし、朝日奈から渡されたペットボトルの中身を飲む。さて、何故こうなっているかというと……三日前、絶望の残党によるパンデミックの後、壊れた箇所の修繕、薬品を大量に使った為薬品倉庫の整理、動物保護区の管理、恐化病ウイルス潜伏の確認etc.etc.……第4支部の職員達は大忙し。忌村は、反省を形で示したいとテレビで戦刃が言っていたことを思い出し、手伝いをさせていた。
最初は良い顔をしなかった者も、しっかり働く戦刃に気を許し始めていた。
「ありゃ?」
「……どうしたの?」
朝日奈はドーナツを食べながら首を傾げていた。
「うん、なんか……在庫が足りないの……未来機関の〝女性用の制服〟なんだけど……誰かが記入し忘れたのかな?」
その可能性は十分ある。故に、二人は大して気にとめず作業を再開した……。
「えっと……これは………」
朝日奈と別れ、戦刃は薬品倉庫の整理をしていた。ラベルの色や薬の名前など沢山あり、紛らわしい。と、その時……
「おねーちゃん♡」
ドドドド………ゴシャア!と、助走をつけ跳んだ勢いそのままに、何者かに蹴られた。長年の経験からとっさに体に力を入れなければ、背骨が折れていたかもしれない。
戦刃は床を何度かバウンドし、ズザザと滑りながら漸く止まる。
彼女が最も愛している男の声で、彼女が最も愛している女のような喋り方。混乱しながら振り返ると、見覚えのない『少女』がいた。
ブカブカの未来機関の制服を着崩し、軽く施された化粧は彼女の可愛らしさを際立たせる完璧なメイク。髪の色と合わせたウィッグは肩甲骨あたりまで延びている。〝青と緑の瞳〟は見下すように、呆れるように戦刃を見つめ、顔はニヤニヤと笑みを浮かべている。
「………苗木…君?」
何時もの五倍増しで可愛らしくなっているが、現状第4支部でこのような特徴的な瞳を持っているのは〝彼〟だけのはずだ。しかし何故『女装』を?かなり似合ってるし…
「はぁ?お姉ちゃんマジで気づかないわけ?」
「…え、あれ……盾子……ちゃん……なの?」
戦刃の言葉に、苗木?はニヒッと歯を見せ笑う。それは戦刃がよく知る『彼女』の笑い方そのものだった。何が起きているのだろう?一粒で二度美味しいというあれだろうか……。
「なんかくっだらねーこと考えてんだろオマエ」
「あう!」
苗木?が不機嫌そうな顔になり戦刃の腹あたりを蹴ろうとし、戦刃にとって運悪く、靴の先端が肋の下から〝肺〟にめり込む。
「げえ!……げほ!」
「おっほ~、あたしってばツイてる~………ま、いいや。久し振りにちょ~っと二人で話そうよ。むくろお姉ちゃん♡」
「…………………」
苗木?は戦刃の髪を掴み、強引に目を合わせさせる。戦刃は黙ってコクリとうなずいた。
場所は代わり屋上。
江ノ島?はベンチ座りながら、目の前で正座する戦刃を見下ろす。
「あ、あの……これって……何がどうなってるの?」
「そうだね~……じゃ、まずはそっから───説明します」
江ノ島?は何時の間にか眼鏡をかけ、何処からか出てきたホワイトボードに絵を描く。
「今回の現象は謂わば《記憶転移》、完全にオカルト部門の現象です。臓器移植をした際に、『元の持ち主の記憶が患者に宿る』ことがあるそうです」
ホワイトボードに白い人間を描き、その周りを黒いオーラで覆う。まるで悪霊にとり憑かれたような絵だ。
「えっと……じゃあ今の盾子ちゃんは、『盾子ちゃんの左目』に宿ってた盾子ちゃんなの?……あ、てことは今盾子ちゃんは──」
「はいどーん!テメェこの野郎!何さらっとネタバレしそうになってんだ!?死ぬか、あぁ!?」
「ご、ごめんなさい………」
思い切り顎を蹴られ倒れる戦刃。江ノ島?ははぁ、と呆れたように頭を抱えてため息を吐くと、今度は何処からか王冠を取り出す。
「まあ私様が真の私様なのかは、残念ながら私様にも解らないがね……」
「……?」
「えっとね……?記憶転移って、色んな説があるんだ~。例えば~移植手術って精神的にストレスがかかるじゃない~?それで心理に影響が出るとか~」
苗木に限ってそれは有り得なそうだ……。
「罪悪感から、〝ドナーの命は自分の中で残ってる〟って……考えたりするそうです……私なんかの為に、苗木君が傷ついているんです……」
「えっと……?」
「はぁ、本当にキミはバカデブスだなぁ。ようするにこのボクは、苗木誠が生み出した『江ノ島盾子に似た人格』の可能性もあるんだよ。実際、ボクの記憶は苗木クンと会ったところからだし……」
「でも盾子ちゃん飽きっぽいから……昔のこと覚えないかも……」
「だからややこしくて困ってんでしょー……はぁ、全く……」
江ノ島?がガリガリと頭を掻くと、戦刃はしょぼんと落ち込む。
「そうだね~…苗木の体でもう一度世界を絶望で満たすのも良いかも………な~んて、どうせこのあたしは苗木が記憶の中にあるあたしを思い出して〝観察〟しようとした結果、一時的に作られた人格なんだろうけどね」
「な、なんで分かるの?」
「だって『松田くんとの記憶』がないもん。これは流石におかしいっしょ、幼馴染で元恋人だよ?」
「でも……何で苗木君は盾子ちゃんを……」
「ほら、苗木って仲良くなった相手に喜んでもらおうと、何をすれば喜ぶのか考えるために観察すんじゃん?で、結果的にアイドルの美声だの野球球児の剛腕だの探偵の観察眼だの、色んな才能手に入れてる訳じゃん?だから、あたしの持ってた《才能》も手に入れようとしてるんしょ、たぶんだけど……」
江ノ島?はそう言うとクァとあくびした。
「あ、あの……何で私に会いに来たの?」
「ああ、忘れるところだった……この台詞は苗木が考えた台詞なのかもだけど言っとくね?………【精々今を頑張りなよ?どうせお姉ちゃんが殺してきた人が生き返るわけでもないし、自分達だって誰かを殺した事のある連中に人殺しと罵られることもあるだろうけど、人生最大の『絶望』味わえるまで、生きてもがいて足掻いて醜態さらしてね……】と、こんな所かな。じゃ、あたしもう寝るわ……」
江ノ島?はそう言うと屋上から出て行ってしまった。
妹からの『頑張れ』という声援。きっと妹なら言うだろう。形だけの応援を、どうせ後で無茶苦茶にする行為を頑張れと……
朝、〝苗木〟が起きると翌日ではなく翌々日だった。昨日はまさか丸一日寝てたのだろうか?服装は寝間着だ、何故かボタンがずれている。寝ながらボタンの位置を入れ替えた?いやいやバカな。一昨日寝ぼけていたんだろうと洗面所に向かい固まる……
「………何これ」
何故か自分の顔は『化粧』されていた。昨日一体何があった?思い出そうとしても夢の中で二年間、江ノ島と過ごしていた瞬間の記憶を夢見ていたことしか思い出せなかった。