Fate/Meltout -Epic:Last Twilight- 作:けっぺん
その拒絶で、熱くなっていた体が冷めていく。
内にある絆が消失したことは、何よりの答えだった。
これまでのアルジュナの言動がどれだけ信じられないものだとしても、それは事実なのだと。
正義の体現者。秩序の裁定者。純粋なる行為の執行者。
そんな、僕の知るアルジュナはあくまで、求められるがままの表面に過ぎなかった。
あの時のアルジュナは、ジナコの救いに応じた。
その為に正義たらんとし、最後まで善として立ち続けた。
生前から、アルジュナはそうだった。
求められるがままの正義。
それを成すためだけに生まれ、生きてきた存在。
“正義の人形”足るために、全てを用意された男。
だからこそ――その心に、誰にも理解されない、闇を孕んだのだ。
邪悪な笑いは、アルジュナが決して人前で浮かべることの出来なかったもの。
善こそ全てとされ、悪を赦されなかったアルジュナの、当たり前の側面。
誰であろうとも、それを見た者は逃さない。
アルジュナは、常に正義であり、善でなければならないために。
「……アルジュナ」
「覚悟は済みましたか。貴方は最早逃れようのない、処断の対象ですが――立ち向かうとあらば、受けて立ちましょう。これでも誇りある
戦闘は避けられない。覚悟は済んだ。
問題は戦力だ。僕たちとあのランサー。そして――
「……ふむ。私たち二人ならばともかく、君たちが来たならばどうやら万事休すとはならないようだ」
厳かな様子で、未だ健在の家屋から出てきたキャスター――ミトリダテス。
「本来、君の目的は私たち二人だった。だがここにきて更に二人標的と定めた――四人を一人で相手取ると?」
「ええ。どうぞ、全員で掛かってきなさい。我が絶矢、過たず全てを穿ちましょう」
「……そういうことだ。ハクト、メルトリリス。君たちがここに来た理由は後で問うとして……暫し、共闘はどうかな」
「やるしかない。頼む、二人とも」
敵は大英雄アルジュナ。一つの巨大な叙事詩に語られる、授かりの英雄。
これまで相手をしてきた数々の英霊の中でも指折りの実力者だ。
だが、此方も決して劣ることはない。
メルトはA級サーヴァントにも勝る女神複合体。その全力は大英雄をも凌駕し得る。
その上、此度はサーヴァント二騎との共闘だ。
勝機は、決してゼロではない。
「さて、と……最初から上げていくわよ、ハク」
「了解だ、メルト――行くよ」
紡ぐ術式。番えられる矢。同時にその二つが動き、開戦の狼煙を上げる。
まず何より、敏捷の強化。
メルトの強みを最大限に発揮させる、最初の一手。
同時に、その場をから大きく跳び、退避する。
聖骸布に巻かれた体が浮き上がった瞬間、立っていた場所が轟音と共に火に包まれる。
残る家屋は数少なくとも、こうした遮蔽物――否、足場のある場所はメルトの戦闘スタイルに合った戦場だ。
爆風の範囲から素早く逃れ、平地で聖骸布を解いての単騎突撃。
「ッ――」
あまりに見え透いた突撃だ。メルトがアルジュナの敏捷ステータスを抜いていようとも、予測された攻撃は当たらない。
そして、初撃を躱したアルジュナが反撃として狙うのは、守るものがいなくなったマスターのみ。
それを分かっていたからこそ、予め次の術式は用意してある。
自身の前方に立て続けに展開した三重の盾。
「ぐ……っ!」
一つ破られる度にフィードバックする衝撃。
刺激された痛覚が魔術回路を走り、全身を蹂躙する。
コンマ数秒の僅かな間で放たれたとは思えない、力と正確性の両立を叶えた一矢。
二枚の盾を破り、残る一つでどうにか弾く。これほどの衝撃――自力で防ぐとなると、幾度と再現できることではない。
「隙あり――!」
だが、メルトと僕の作り出した隙が、無傷のままにランサーを懐へと招く。
近接戦闘において、アーチャーは三騎士の中では一歩劣る。
弓が本領を発揮するレンジより内に潜り込んでしまえば、既にそこは槍の領域だ。
「おおおおぉぉッ!」
「見事、ですが――」
それでも、相手取るは弓を熟知した達人の中の達人。
弓による近接戦闘は心得ている。そして彼が持つは、神が有していた強大なる弓だ。
「侮ったな槍兵!」
「なっ!?」
弓を武器に槍を打ち払うなど、予想出来ない。
以前とて行っていたことだが――形状の違うあの弓でさえ、アルジュナは自在に操って見せる。
その背後に接近したメルト。だが、アルジュナは流れるような動作、最低限に身を揺らし、刺突を回避した。
「舞いの如き身のこなし。戦いにおいてそれを反映させることは敵にとって厄介でしょうが――此方も最低限心得を預かる身。容易く通用はしません」
「随分と上品な動きじゃない。それも虚飾というのなら、どこまで剥がさずいられるか見せてもらおうかしら――!」
僅か、眉を顰めたアルジュナだが、既に殺意を明確にした以上、それ以上の動揺はしない。
ランサーとメルト。二人の素早い攻撃に同時に対応出来ているのは、彼の培ってきた戦闘技術と類稀なる千里眼によるものだろう。
世界を視る――極度の集中によりアルジュナは己の世界を作り出し、自身の思考を他者の何倍にも高速化しているのだ。
二つの攻撃からあらゆる動きを脳内で思考、試行し、最適解を瞬時に体に反映させる。
眼と体、二つを完全に合一させなければ不可能な絶技。それにより、アルジュナは回避のみならず反撃さえ可能としていた。
だが、二人の行動の仕方からか、僕にもミトリダテスにも、矢は向いていない。
行動するならば――今か。
「……どうする気かね? 君もこの悪鬼には苦渋を飲まされたのだろう?」
「ああ……だけど、彼女には――」
何かがある。僕が生きていると知った時の動揺は、並大抵のものではなかった。
それが暗殺の自信から来るものだったにせよ、それ以外のものだったにせよ、このアサシンには何か心の動きがあった。
敵であっても、話が通じるならば。敵対以外の何かへの道があるならば。
僕はそこに手を伸ばしたい。例え相手が、手を取り合えぬ毒の花だったとしても。
「っ……ぁ……」
か細い吐息を漏らす静謐のハサンに近付く。
決して軽い傷ではない彼女に、抵抗の余地がないことは明らかだった。
アサシンとはいえ、サーヴァントをただの一撃でここまで消耗させるアルジュナの弓術に感嘆するべきか。
「――ハサン」
「……あ、なたは……」
傷は霊核には届いていない。
力なく倒れ伏したハサンの、砕けた仮面の下にあった素顔。
幼さを残す貌。虚ろな瞳が、此方に向けられる。
「……とどめを刺すなら、ご自由に。私は、情報を吐くつもりなどありません」
味方に裏切られてなお、ハサンの忠義はラーヴァナにある。
それほどまでに、彼女はラーヴァナに心酔しているのか。
「一つだけ、教えてほしい。君は何故、ラーヴァナに付いているんだ」
「……」
口を閉ざすハサン。しかし……やがて、僕の手の甲に震える指を這わせ、吐息を零しながらも言葉を紡いできた。
「……その前に、貴方は。貴方は……私の毒で、死なないのですか」
その、心底からの疑問。
ミトリダテスの薬の力もあるだろう。
だが、死の深淵から引っ張ってくれたのは、彼ではない――が。
「……僕は、助けられただけだ。だけど、もう君の毒は効かない」
事実、ハサンの指が這う手の甲に、以前のような痺れは感じない。
これは、ミトリダテスの宝具――『
政敵が多く、常に命を狙われる立場であったミトリダテスが作り出した、世界最古の解毒剤。
ミトリダテスの道具作成スキルによって作られるこの霊薬は、あらゆる毒を洗い流し、消し去った毒に完全な耐性を発揮する。
その他に、予め服用しておけば、一度に限り毒に対し自動発動するこの宝具は、静謐のハサンの天敵と言えるだろう。
「――」
驚愕に目を瞬かせるハサン。
指の震えは少しずつ収まっていき、指だけでなく、手の平が甲に合わせられる。
「あな、たは、触れても……死な、ない?」
「ああ」
触れていた手が、弱々しく、握られる。
時を刻む度に、大きな恐怖と小さな希望が入れ替わっていく。
「――そう、なんですね。もっと、早く……会いたかった」
その微笑みは、最初に見たそれとは違った。
安堵と希望――あの毒があった以上、生前の彼女は誰にも触れられぬ天涯孤独の身だったのだろう。
生前信じもしなかった、毒が通用する者の存在、それを初めて、知ったように――
「……私もアルジュナ様も……ラーヴァナ様に、召喚されました。……バビロンの杯を、知っていますか?」
アルジュナがラーヴァナに召喚されたということは、出会った際に聞いた。
ハサンもまた、彼女に召喚され、配下となったようだ。
バビロンの杯――恐らくは、ラーヴァナが持ち、三国が共闘せねばならないほどに魔獣を生み出していた宝物だろう。
「元は、遥か昔、この辺りを治めていた王の宝――この杯は、時代の歪みによって、この時代に零れ落ちたものです」
そうか……てっきり、あの杯もまたバビロンの蔵に収められていた宝の一つだと思っていた。
だが、違った。あれはバビロンに零れる神代の神秘、それらと一緒にこの世界に落ちてきたものだったのだ。
万能の願望器とまではいかないものの、膨大な魔力と自由度を持つ宝物。
それによりラーヴァナは魔獣を生み出し、自身はあの蔵を開き、隠れ潜んでいたのか。
「ですが――あの杯に、英霊を召喚するまでの力はない。聞いて、ください……ラーヴァナ様は、聖杯を持っています」
「なっ――――!」
あの杯だけではない。この特異点にある、回収すべき聖杯を、ラーヴァナが……!?
「サクラ!」
『――聖杯の反応、未だ感知できません。紫藤さんたちがこの特異点に下りてから、聖杯は一度も使われていません!』
「……そう。私たちを召喚しただけです。ですが……注意してください。私と、アルジュナ様、そして、カ――」
「ぬっ――!」
「ッ!」
ミトリダテスが驚愕に声を上げ、ハサンが言葉の途中で息を呑んだ。
それが何のためだったのか、理解する前に、ハサンによって突き飛ばされる。
その瞬間に思ったことは――重傷を負ったハサンにこれほどの力が残っていたのか、という実に他愛のないものだった。
「しまった――」
「ハク!」
『紫藤さん!』
遅れて聞こえた爆音で、ようやく事態を悟る。
突き飛ばされた衝撃以上に体が浮き、勢いそのままに大地に叩きつけられる。
「ッ、は――――」
意識に無理矢理活を入れる。
メルトとランサーが相手をしていたアルジュナが、此方に矢を放ったのだ。
そこまで余裕があったのか、それとも二人の僅かな隙をアルジュナが正確に狙ったのか。
ミトリダテスはいち早く退避し、大きな傷は免れた。
そして――
「ぁ、ッ、ハサ――……!」
逃げる体力を奪われていたハサンは、腕と胴の左半分が消し飛んでいた。
状態を確認するまでもない。今度こそその傷は霊核に届き、消滅が始まっていた。
「ハク、無事ね!?」
「あ、ああ……!」
退避してきたメルトの聖骸布で今一度体が浮き上がり、アルジュナから離れたところに着地する。
まだ戦える。だが……。
「愚かな。下らぬ情で背信に走るとは……それは当然の報いと知りなさい。静謐のハサン・サッバーハ」
「――――――――、」
未だ無傷のアルジュナ。処断の言葉を投げる彼は、決してハサンに怒りを抱いていない。
ただ、裏切りへの当然の報復として、ハサンを始末したのだ。
「――――――――、アルジュナ、様」
その身を粒子と散らしながら……更にか細くなった声を、小さく動かす口から零しながら、ハサンは立ち上がる。
苦痛に顔を歪ませ、涙を流しながら、無表情のアルジュナに向き合う。
アルジュナは、更なる矢に手を掛けながら、言葉を待っている。
「……背信の報いは、受けます……これは、赦されぬ、こと。それ、でも――」
「……それでも?」
「私、は…………ラーヴァナ様を、信じられません……!」
断固として、ハサンはアルジュナに告げた。
「人とは相容れない、悪鬼。私でさえ、嫌悪を感じる大魔など……」
「そうですか。その言葉は彼女に届けましょう。それが遺言で、よろしいのですね?」
「――いえ」
首を振る。残る右手に、黒塗りの短刀を握りこむ。
……無理だ。どれだけハサンが素早くとも、致命傷を受けた彼女の刃がアルジュナにまで届く訳がない。
「……暗殺者である貴方が戦士として戦うと?」
「最後の、一手。渾身極まれば、大英雄にさえ、届きましょう――」
立ち向かうならば、受けて立つ。それがアルジュナの答え。
それがハサンの思い通りであっても、ここから先が上手く行く可能性はゼロにも等しい。
ハサンとアルジュナの実力は明白。
例え千度挑戦しようとも、アルジュナには刃先すら届くまい。
「貴女、何を……」
「……私が、触れられる人がいる……貴女のマスターが、それを、教えてくれた……それが嬉しかった。だから……唯一のお詫びと、お礼です」
消滅していくハサンが、今一度、僕に向けられる。
――流れ行く涙と、その微笑み。
儚く散る毒の花弁――であれば、持ち主を毒すこととてあり得よう――
「――ありがとう。貴方は優しく、人を信じる、とても甘い、正義の人だった」
その言葉を最後に、ハサンはアルジュナに向けて駆け出した。
何を言うこともなく、アルジュナは矢を放つ。
持前の敏捷性でその一本を躱し、距離の五分の一を詰める。
――――聞こえる。聞こえる。鐘の音が。
着弾した爆風を追い風に、更に五分の一。
――――そっか。今、そこにいるのですね、初代様。偉大なりし、最後の翁。
二射、三射――ほぼ同時に放たれた矢の間を潜り抜け――しかし、一本が片足を奪い去っていく。
――――ごめんなさい。そのご尊顔、二度は見られません。
残り六割を残し、第四射――無慈悲にも、矢は直撃し、凄まじい炸裂音を響かせた。
――――暗殺者の恥なれど、この一時――私は、真っ向から――――悪に、挑んだのです。
「……なるほど。確かに、これまでの貴女であれば至らなかった結果だ」
五本目の矢を持つのではなく、その手にあるのは黒の短刀。
これ以上進めないと悟ったハサンの、本当に本当の、最後の一手。
投擲は過たずアルジュナの心臓めがけて突き進み――アルジュナに、躱せぬと確信させたのだ。
アルジュナが受け止めた短刀もまた、ハサンを追って消えていく。
やはり、その完全な姿に傷などなく。
ここに一人、甘い毒を持ったサーヴァントは消滅した。
静謐のハサンはこれにて退場となります。お疲れ様でした。
遂に二章でも始まる退場。最初は彼女と相成りました。
アルジュナ戦はまだ続きます。
千里眼が回避スキルになっている謎。