バイオハザード インクリボンがゴミと化した世界で   作:エネボル
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08 壷毒の巣窟へ 後編

 薬品保管室を出て直ぐの位置には無数のバリケードが存在した。しかしゲーム中では迂回する必要がある部分も、現実だからこそ無理やり突破する事が出来た。
 障害を踏み越えたジョーは程なくして地下へ向かうエレベーターを発見した。
 パネルを確認すると電源はまだ生きている様子で、ジョーは早速ボタンを押し、拳銃を構えて扉が開く瞬間を待った。
 演出的に考えるとエレベーターの中から飛び出すゾンビというのは余りにもベタ(・・)。しかし警戒するに越した事は無いとジョーは待ち構えた。すると数分後。案の定と言わんばかりに、予想通りの展開が訪れた。
 扉が開くと同時にナース服を着たゾンビが胃酸を吐き散らしながら飛び出した。
 ジョーは軽く一歩下がりつつ、両手で構えたベレッタで的確に眉間を撃ちぬき沈黙させた。
 無数のヒルの大群や、縦横を跳ね回る屈強なハンターに比べると、ゾンビは拍子抜けするほどに脆く倒しやすい。少なくとも一対一で相対する場合はもはや、取り乱す事なく落ち着いて対処する事が出来るようになった。
 人間は状況に応じて慣れてゆく生き物である。そんな風に昔、店の顧客の一人である元軍人がジョーに言った。
 もはや人型を撃つ事に何の感慨も抱かないジョーは、その通りだと素直に思った。

「はぁ……」

 ジョーはナースの遺骸をフロアの床に蹴り転がしてエレベーターに乗り込んだ。
 
「ぁん?」

 しかしパネルを見て困惑した。
 地下施設は三層構造になっている筈だがパネルの表記を見ると、移動できる部分が地下一階と地下二階のみに限定されていた。
 面倒くさい――
 ジョーは思わず舌打ちした。
 目的の地下三階へ行く為には、此処とは別のエレベーターを使う必要がある。
 ふと、ジョーの脳裏には無数のヒルとハンターの姿が過ぎった。目的の“ワクチン”に最も近いであろう地下三階への移動は、院長室の近くにある鍵付きのエレベーターを使う必要があると考えてしまった。
 
「――っ、仕方ねぇ」

 ジョーは思わず憂鬱さを溜息に混ぜて吐いた。そして地下二階のボタンを押した。
 地下二階から階段を探すか、他のエレベータを探そう。そう考えた。
 扉が閉じて密室となった個室の中は、先程までそこに居座っていたゾンビの腐敗臭に満ちていた。
 ジョーは思わず顔をしかめて、ポケットからハーブの葉を取り出し噛み潰した。

 ハーブを口に含んでという用法は殆どジョーの我流であった。それは食べるというより噛みタバコを嗜むに近い感覚だ。噛みタバコと同様に葉を細かく噛み潰した後、頬の内側の粘膜にペーストを舌で押し当てる。唯一、噛みタバコと違う点は、滲み出た汁を唾と一緒に外に吐き捨てる必要が無い事。
 始めたきっかけは、ふとした思い付きだった。
 Tウィルスの感染に対して各色のハーブの成分が有効であるなら、成分を粘膜から浸透させる事は間違いでない筈。そして傷を受けた患部の他、脳に近い口の中での粘膜からハーブの成分を摂取し続けていれば、多少は脳みそがTウィルスに侵される時間を遅らせられるだろう――そんな思いつきである。
 実際。ゲームとしてこの状況を遊んでいた際。プレイヤーキャラクターは回復アイテムのハーブを「食べて使っている」と冗談めかして言った記憶がある。
 だがこの状況に陥り、冷静に考えてみると、「ハーブを口に含んで使うのは意外に有効かもしれない――」と、ジョーは改めて思い始めていた。
 閑話休題。
 程なくしてエレベーターが地下二階へと辿り着いた。
 扉が開いた直後に周囲を確認するが、エレベーターの付近にゾンビやそれ以外の怪物の影は見えなかった。
 一階部分と同じく周囲には不気味な静寂が満ちていた。しかし光源が多い一階の地表部分とは打って変わって、地下は打ちっぱなしのコンクリート壁が目立つ息苦しく陰鬱な空間だった。
 通路自体も狭く、視界確保の点でも地上の一階部分の方が格段に優れている。

「うわぁ……」

 ふと視線を上げると、天井を走る無数のパイプとダクトがあった。
 ダクトを見ると反射的に先程遭遇した無数のヒルの事を思い出してしまい、ジョーは思わず顔をしかめた。
 狭く長い廊下には点々と非常灯の赤い光が差しており、それがまた空間の不気味さに拍車を掛けていた。余り長居したいとは思えぬ雰囲気に、ジョーは改めて警戒心を強めてベレッタを握り、歩みを開始した。
 曲がり角に差し掛かる度。ジョーは拙いながらも、ケンドの銃砲店に顧客として訪れた知り合いの警察官達から聞きかじった警戒行動を意識した。
 そうして数分――。
 周囲への警戒を強めて長い道のりを歩いて行くと、遂に耳に不審な物音を捉えた。

「っ!?」

 ガサリとナニカが動く音だった。
 そしてその音の方角には無骨で頑丈な扉があった。
 扉の表記は『実験室』となっており、その近くにはジョーが乗ったものとは別のエレベーターが存在した。
 ゾンビなら、まだマシだな――
 ジョーは自分でも感覚が狂っていると思える判断をした。
 扉を開けた先に大群がいるならばコレで――と、ベレッタでは対処しきれぬ数を相手にする為に、腰のモスカート(グレネードランチャー)の位置も確認した。
 ジョーは箒を持った左手で、実験室のノブに手を掛けた。

「――っ!?」
「止めろっ!?」

 実験室の扉は開いていた。扉をけたたましく押し開けて素早く内部に向けてベレッタを向けると、そこには人影があった。
 人間だった。

「――人間?」
「あぁ、そうだ。人間だ! ゾンビじゃない!」
「…………よかった」

 薄汚れたスーツを纏った若い男だった。
 男はジョーが人間であると知ると、安堵するように大きく息を吐き、構えていた鉄パイプを下ろした。

「なにやってんだ、こんな所で?」
「それはこっちの台詞だよ。キミこそなぜ此処に? と、こんな状況でそれを聞くのは野暮か……」
「――この病院に残ってるのは死体だけかと思ってたぜ」
「もちろん。好きで残ってる訳じゃない。こっちも色々と事情があってね」

 汚れたスーツの男は、町医者の“ジョージ・ハミルトン”と名乗った。





 ハミルトンが立て篭もっていた地下二階の実験室には、異様な光景が広がっていた。
 既に絶命したハンターの死骸や、活動を停止したゾンビ。もはや生前の面影が微塵も無い“焼死体”などが、雑多な寝台等に寝かされていた。
 そしてジョーはハミルトンから、実験室の奥にある“常温実験室”という奇怪な部屋で、一階で遭遇したヒルの一部が、焼け焦げた状態で床にこびり付いている様を見せつけられた。
 そこにある人型の影を見て、ジョーは実験室に安置されていた焼死体は此処にあったものだと解釈した。

「コイツは――」
「便宜上ではリーチマン(ヒル人間)と名付けた怪物だ。私を含めた生き残りと力を合わせて、この部屋に誘い込んで倒したんだ。ヒルならば熱に弱いと思ってね。現にそれを示す手掛かりも見つけた」
「っ?」

 ハミルトンは病院の職員が生前に書き残した手記の一部をジョーに投げ渡した。そこに書かれていたのは、下水道で発見し、捕獲した新種の“ヒル”についての記述であった。また記述の中身には、ヒルについての他に“マーカス”という人物を示唆する単語や、手記の持ち主が裏でアンブレラと繋がっている事を記した文の羅列も存在した。

「Tウィルス……」

 ジョーは手記の中に堂々と書かれた元凶の名を見て思わず、怒りの篭った吐息を漏らした。
 ハミルトンは汚れたジャケットを脱ぎ、カッターシャツの腕をまくり、実験室に残った器具を駆使してジョーが来る以前から続けている作業を再開した。

「この騒ぎについて私の友人が手掛かりを残してくれてね。メールを受け取った時は意味が判らなかったが、今なら理解できる」
「手掛かり?」
「“Tウィルス”とやらのワクチンさ――」
「――っ!?」

 ジョーはハミルトンの零した言葉に思わず眼を見開いた。

「作れるのか!?」
「まだ、なんとも言えない。友人やこの病院のスタッフが命がけで情報を集めてくれたが、それでも机上の空論。臨床実験も何も出来ないんだから――」
「それなら俺がやってやるよ」
「……なに?」

 ハミルトンは訝しげな様子でジョーを振り返った。

「俺はそのワクチンを探す為に此処に来たんだ」

 ジョーは傷を受けた腕を見せた。

「――キミは一体何者なんだ?」
「少し長くなるが、良いか?」
「あぁ」

 ジョーはハミルトンにコレまでの経緯を話した。
 ケンドの銃砲店に勤務している事。顧客であるS.T.A.R.S.の隊員から、数ヶ月前の猟奇殺人事件の真実を聞いた事。その時点でゾンビが存在した事。それがアンブレラの作ったTウィルスによって作られた事。それから街でゾンビパニックが発生し、脱出の途中で傷を受けた事。そして感染を治療する目的で病院に訪れた事――

「――なるほど」

 ハミルトンは作業の傍ら、ジョーの話を吟味して小さく頷いた。
 ジョーは手慰みに装備の再確認と実験室に残された手記の探索を始めた。

「――人と話せるのがこれ程、気分が良いとは思わなかった」
「私もだよ。殺伐とした話題なのはこの際仕方が無いとは言え、こうして何気ない会話を続ける事はやはり人間には必要だ。時に煩わしいが、こういう状況ではそのありがたみがひどく実感できる」
「医者っぽい意見だ」
「現に、私は医者だよ」

 実験室に残された他の多くの手記の解読を始めると、ジョーは記述の中に一つに奇妙な情報を発見した。

「――地下下水道?」
「あぁ。その記述か」

 ジョーの漏らした言葉にハミルトンは溜息を吐いた。

「残念ながらそのルートは使えないよ」
「……なぜ?」

 ジョーは思わず首をかしげた。
 アンブレラに連なる病院の関係者が残した手記には、地下下水道を経由しての秘密研究施設の存在が仄めかされていた。現に、手記を書いた本人はそのルートでの脱出を目論んでいたらしく、部下に地下を行く為のボートを用意させていたという。
 するとハミルトンは作業の手を止め、感情を押し殺すような声で言った。

「――地下には巨大なヒルの化け物が潜んでいる。此処から脱出しようとした仲間は、全員そいつにやられた」
「っ!?」
「命からがら病院に逃げ込んで、そこで希望を信じて地下に逃げた。結果は全滅。私が生き残ったのは偶然だった」
「――――――」

 ジョーはふと、ハミルトンの衣装に視線を向けた。
 それなりに値が張りそうなスーツは、薄灯りの中でもひどく汚れていた。
  
「地下下水道からの脱出は確かに出来るのだろう。実際にボートもあった。だが結局は脱出は出来なかった。そしてこの場所に逃げ戻り、現実逃避をするように治療薬の研究をしている存在。それが私だ」

 ハミルトンは世を儚み、全てを諦観するような調子でそうぼやいた。
 その言葉にジョーは一瞬、掛けるべき言葉に迷った。
 だが葛藤は一瞬だ。

「――諦めないでくれ」
「ん?」
「ワクチンを作るって言うアンタの存在は、俺にとって最後の希望なんだ。露払いなら俺がまとめて全部引き受けてやる。だから、頼むから心を折らないでくれ」
「――――――」

 ジョーは心の底から願うように言った。
 するとハミルトンは呆気にとられた後、ふっと小さく苦笑いを浮かべた。

「そうだな。キミが此処に来たという事が、恐らく私にとっては最後のチャンスなんだろう。希望というなら御互いがそうなんだろうな――」
「あぁ」

 ジョーは短く頷いた。





 ジョー・ナガトの手記 その3


 ジョージ・ハミルトンという男は恐らく、俺が知る限り一番の天才だ。
 親父と同じ“ジョージ”と言う名前だが、頭の良さは雲泥の差だ。
 そう書くと流石に親父に悪いか……。

 Tウィルスという未知の存在に対して、病院のスタッフが残したカルテと、メールで友人が寄越したというワクチンの簡略な概要。それを読み解いただけでハミルトンは、ほぼ独力でのワクチンの完成へと漕ぎ付けた。
 その間の俺の仕事は彼の身辺警護と、血を提供した事くらいだろう。
 唯一、ワクチンの製作に必要だったTウィルスに感染した新鮮な血液。
 それを俺は提供する事が出来た。
 だが提供しておいてこう言うのもなんだが、実際に俺の血がワクチンの材料に適しているかは不明だ。しかし死後何時間経過したかも判らぬ不衛生なゾンビや、元の形状が不明な異形の生物――例えばハンターや例のヒルから採取した血液を使うよりは遥かにマシだと思いたい。
 これ以上は祈るしかない。
 それと血を提供した際にふと思った事だが、俺は本当にTウィルスに感染しているのだろうか?
 腕の傷は確かに痒い。痒いがしかし、これが傷が治癒しているからこその痒さなのか“かゆうま”的な痒さなのかは不明だし、例のヒルに遭遇した後で盛大に吐いた所為か腹も微妙に減っているが別に人間を食いたいとは思わない。
 加えて感染者に多く見られると言う意識の混濁が俺には無い。ハーブを喰いまくった所為なのか、妙にスッキリしているくらいだ。しかし身体の方は他の感染者の初期症状と同じく、熱っぽく微妙にだるいという矛盾がある。
 コレをハミルトンに相談すると「異常な状態で精神的に高ぶっているからだ」と返された。
 身体は疲れているのに脳が興奮している所為で眠れないという不眠に良くある症状。もしくは耐性があるのかもしれないと、ハミルトンは言った。

 確かに精神的に少しおかしくなっているという自覚はあった。
 ゾンビとはいえ人間の形をしたモノを殺戮する事に対しての忌避感がもはや無い上に、身体の疲れに反して眠りたいという衝動をまるで感じない。
 寧ろ、暴れたい。
 ――と、言うかベレッタを握っている時が一番落ち着くと言う具合だ。
 
 この先、俺はどうなるんだろう……。
 
 もしも運よく生き延びても、その後に平穏の中に暮らしていると言うイメージがまるで浮かばない。
 それ以前に、俺は生きていられるのだろうか?
 俺にTウィルスに対する抗体が有るのかは不明だ。そしてハミルトンの手腕を信じたいが、そのワクチンがちゃんと機能するかについても、ゲームのように簡単に判別できるわけでも無い。
 もしも、かも知れない、たぶん――書いてて嫌になるほど、ひどく曖昧な事ばかりだ。
 
 アンブレラ滅べ。
 消えてなくなれクソ企業。
 政治やら証拠やらと細かい都合なんざ、どうでもいい。
 反対する奴らは全部撃ち殺してやる。
 出来るなら俺がこの手で本社を空爆してやりたい。


 《ページが破れている》




「――どうだ?」
「反応は良好。ほぼ“完成”と言ってもいいだろう。だが問題は混合液を作るための設備だな。この実験室の設備ではこれ以上無理だ」
「と、なると地下三階、か――」

 時間にして一時間ほど。
 ハミルトンは遂にワクチンの完成一歩手前へとこぎつけた。
 コレより先の作業ではそれなりの機材が必要であり、それがあると予想されるのは地下三階の大型実験室であった。

「準備は良いか?」
「あぁ」

 ジョーのナップザックの中にワクチンの研究資料と混合前の薬品を詰め込み、ハミルトンは薄汚れたスーツを捨てて、比較的まだ清潔だった死者の白衣を剥ぎ取り、それを身につけた。そしてその手には、ジョーの作った柄の短い箒と、鉄パイプがそれぞれ握られた。

「いくぞ」
「了解」

 ジョーが前衛に立ち、ハミルトンが背後を警戒する様に進む。
 近辺を歩いた際に地下へ向かう非常階段を見つけていたジョーは、迷う事無くそこへ進んだ。
 しかし途中。ダクトの中でナニカが動く音がした。

「っ!?」
「……急ぐぞ」

 人一人が這い回るには聊か狭く、ハミルトンが遭遇したという“リーチマン(ヒル男)”と呼ぶ怪物が現れる前触れの騒音に比べると、聊か音の質が軽い気がした。
 二人は足早に目的の非常階段へと移動した。
 ――が、その時の物音が引き金となった。
 バコンッ! と、ダクトの金網が吹き飛んだ。
 ぬらりと髪を振り乱す赤い異形が姿を現した。

「うわぁあ!」

 ハミルトンはそのおぞましさに溜まらず声を荒げた。
 その声に反応して、天井のダクトからぶら下がったそれは醜悪な顔をジョー達の方へと晒した。
 ジョーは反射的にベレッタの引き金を引いた。
 それはリッカーに似た舌の長い女性型の怪物で、僅かに身に纏う布切れから生前がナースである事が判った。
 長い舌を鞭のように振る攻撃に対し、ジョーは咄嗟に身をかがめる。

「――下がれ!」
「っ!」

 姿勢を低くした態勢でジョーはベレッタを乱射した。
 脳部に5発もの銃弾を受けた女性型リッカーは、ボトリと床に落下した。
 その隙を突いてハミルトンが前に躍り出た。

「うあぁああ!」

 ハミルトンは声を荒げながら、その頭蓋を叩き割るように両手で握った鉄パイプを幾度も振り下ろした。

「――はぁ、はぁ、はぁ」
「おつかれ」
「いや、そっちこそ」

 カエルのように床に伏した女性型リッカーに視線を落し、ハミルトンは肩で息を吐く。

「こんな怪物もいるのか……」
コレ(・・)だけじゃないさ」

 ハミルトンの言葉に、ジョーもまた盛大に溜息を吐いた。
 それから程なくして地下三階へとたどり着いた二人は、際奥の実験室の扉を開いた。
 そこには数体の“ハンター”の亡骸が、標本のように安置されていた。

「どこでこんなに捕まえたんだよ――」
「決死の覚悟で挑んだそうだ。手記にはそう(・・)ある」
「…………………」

 病院スタッフの結晶。
 その執念とも言い換えられる決死の覚悟の結果を見せ付けられて、ジョーは思わず唸る。
 その間にハミルトンは目的の機材を見つけていた。機材には忌々しくも、アンブレラ製を示す赤と白の傘のロゴが付いていた。
 
「――これだ」
「使い方はわかるのか?」
「ラクーン大学にも同じモノがあるからね」
「――だったら早くやろう」

 ジョーはナップザックからハミルトンの作った数種類の薬品を取り出し、託した。

 最下層の実験室には数種のハーブがあった。恐らくワクチンの研究に有効だとして持ち込まれたもので、ジョーはそこから葉の数枚を拝借した。
 その傍ら、安置されたハンターの死骸を注視した。

「――動くんじゃねぇだろうな」

 脳裏に嫌な予感が過ぎった。
 実際、バイオ3の中ではこの場所で数体のハンターが動き出すという覚えがあったからだ。
 
「…………………」

 ジョーはベレッタの変わりにモスカートを抜き、そして視界の端にちらりと見えた破砕用の斧を手にした。そして実験室の最寄りのエレベーターを呼び、いつでも逃げ駆け込めるようにと扉の隙間に斧を挟んで固定した。

「コレでいける筈だ――」

 ハミルトンが数種の薬品を混合させる為に機材を動かした。
 大規模な電力が必要になる所為か、それ以外の設備――無数のハンターの浮かぶ水槽の電源が落ちた。ライトアップされていたハンターの影が暗闇に消え、その中でゴボゴボと水槽の水が抜かれていく音が不気味に響いた。
 決死の思いでジョーはハミルトンを待った。
 その間の視線は鋭くハンターの浮かんでいた水槽に向っていた。
 ハミルトンが起動させた大型機材の奏でる駆動音が収まるまでに数分――

「出来た!」

 ハミルトンは遂にワクチンを完成させた。

「早くこっちへ!」
「あぁ!」

 完成したアンプルを数本持ち寄り、ハミルトンは即座にエレベーターに向って走った。
 ジョーはモスカートを構え、いつでもハンターが動き出しても対応できるように身を固くした。

 ――――が、その懸念は無意味に終った。

 無事にハミルトンがエレベーターの中に入った事を確認し、ジョーは斧を外して扉を閉め、内部のボタンで開閉を手動に切り替えた。
 
「ふぅ……」

 狭いエレベーターという安全地帯となった密室中で、ジョーとハミルトンはどちらとも無く盛大に溜息を吐いた。この瞬間に至るまでに感じた緊張はそれ程のものだった。





 調合を終えて完成した試作のワクチンは計三本。その内の一本を、ジョーは地下二階の研究室から持ち出したアンプルシューターで早速投与する事にした。

「繰り返し言うがどんな副作用があるかは判らないぞ?」
「いいさ、別に。やってくれ」
「……エタノールも持ち出しておくんだったな」

 針の先端をライターの火で炙っただけという余りに御粗末な雑菌対策を施し、ハミルトンは慣れた手付きでジョーの静脈にワクチンを注射した。

「――気分は?」
「気分的にはだいぶ良くなった気がする」
「そうか……」

 エレベーターの壁に背を預け、ジョーは息を吐いた。
 ハミルトンは医者としてやはり不安なのか、眉間に皺を寄せていた。

「噛むか?」
「ん?」
「ハーブ」

 ジョーはポケットから先程採取したハーブをハミルトンに渡した。
 ひどい味なのは折り紙つきだが、気付けと薬効成分については保証できる。
 ハミルトンは一つ溜息を吐き、ジョーを真似て噛みタバコの様にハーブを噛み締めた。

「ひどい味だな……」
「ジェリービーンズよりはマシだろ?」
「違いない――」

 死線を潜り抜けて大仕事を達成した事が不思議と奇妙な友情を感じさせた。
 エレベーターの中で幾ばくかの休息をとった後、二人は病院の脱出に向けて行動を開始する。

「この後はどうするつもりだい?」
「このエレベーターが何処に繋がってるかは判らないけど、もしも院長室の最寄の奴だったら避けた方がいいかもしれない」
「理由は?」
「大量のヒルと、さっきの部屋の水槽に浮いてた化け物と遭遇した」
「………………」

 パネルを見ると地上一階と地上四階へと繋がっていた。
 一度屋上に出てから安全確認をしつつゆっくりと外に出るか、危険を冒して最短距離を走るか――
 どちらも一長一短であるのは間違いない。
 それを察したハミルトンも顎に手を当てて悩んだ。

「――病院を脱出した後の当ては?」
「俺が働いてるケンドの銃砲店へ、かな? インスリンを届けなきゃならないし、気休めかもだが警察署も近い」
「………………」

 今もまだ警察署が機能しているか否か――
 それはあまり考えたくは無かったが、少なくともこの化け物がうろつく病院で立て篭もるよりは遥かにマシに思えた。
 それはハミルトンにしても同じだったらしく、ふぅと盛大に溜息を吐くと、ハミルトンはポケットから硬貨を取り出した。


「銃弾は希少だ。此処から路地を抜けて銃砲店に向うまでにも、それなりに必要になるだろう。だが君の言う通り、一階に直接下りるのも危険が伴うだろうから、どちらか選べない――」
「で、ソレで決めると?」

 ジョーはハミルトンの取り出したコインを顎で指した。
 するとハミルトンは小さく苦笑した。

「決められないなら委ねてみるのも悪くない。表が出れば一階。裏が出れば四階。どうだろう?」
「――――判った」

 ハミルトンはコインを弾いた。





 エレベーターはゆっくりと階層を登り始めた。
 そして地上に差し掛かると微かに銃声が聞えた。

「――――誰か、戦ってるのか?」
「みたいだな……」

 ジョーは警戒心を強めた。
 一階部分での戦闘行動という点に、心当たりがありすぎたからだ。
 ジョーはハンドサインで、ハミルトンに扉の影に身を隠すように指示を出した。そしてベレッタとは逆の手でモスカートを抜いた。
 弾倉を見て、ジョーは装填されている弾薬が激しい燃焼を伴う“火炎弾”である事を再度確認する。
 持ち込んだ特殊弾はこの火炎弾の他、液体窒素を封入した冷凍弾がある。とはいえ数はそれぞれ一発ずつしかない。その虎の子の一つをジョーは使う事を決めた。
 ヒルは熱に弱い。それはTウィルスで変異したとて変わらない性質だ。現にアークレイ山地にもヒルは自生しており、山歩きで噛まれた際は叩き落とさずに、ライターの火を近づける等して処理をするべきだとバリーから教わった。その知識を披露する瞬間を、ジョーは息を殺して待った。

「………………」 

 エレベーターが停止する一瞬の浮遊感が身体を襲った。と、同時に銃撃が止んだ。
 恐らく戦闘が終わったのだろう。願わくば人間側の勝利であって欲しいとジョーは思った。
 ポンッと目的の階層に付いた事を示す音の合図と共に、扉はゆっくりと開かれた。
 ジョーはゆっくりと扉の外を見た。
 そこには予想通り、ジョーが戦闘した院長室とナースステーションの近くであった。
 グレネードの爆発の余波が残り、ふと床を見ると吹き飛ばされたヒルの遺骸が転がっていた。

「――大丈夫そうだな」
「あぁ」

 ジョーは大小二つの銃口を構えて周囲への警戒を顕にしながら、ゆっくりとエレベーターを降りた。
 その時、黒い影が視界の端をよぎった。

「撃つな――――」

 叫ぶ声がした。銃声が響いた。
 物陰から姿を現した“集団”が人間のそれだと気づき、それに対して人間だと叫ぶよりも早くに、ハミルトンの“白衣”が鮮血に染まった。
 同時にジョーも胸に複数の強い衝撃を受けた。

「な……ぜ…………」

 ハミルトンは肺を撃ち抜かれていた。言葉を発しようにも血が喉から吹き出し、空気の抜けるような呼吸音が響いた。
 間もなく複数の銃撃が一階に響いた。
 ジョーは朦朧とする意識の中で“黒の衣装で身を固めたガスマスクをつけた集団”と“ニコライと同じような衣装を着た複数の兵士ら”との撃ち合いを見た。



死因 ジムじゃなかった事。研究者っぽく白衣を着てしまった事。『巣窟』だった事。