バイオハザード インクリボンがゴミと化した世界で   作:エネボル
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07 壷毒の巣窟へ 中篇

 病院に満ちた異様な静けさの理由を、ジョーは無理やりな形で理解させられた。
 ゾンビの殆どが首をねじ切られるように破壊されていた理由は、目の前の実戦投入されたB.O.W.のハンター。そしてハンターの作った残骸から徹底して“血”だけを抜き取っていた犯人こそがまさに、目の前のアレ(・・)だ。
 排気ダクトの入り口から大量に躍り出てきた無数のヒル(リーチ)である。
 ヒルの大群は血を流して佇むハンターを餌と見定め、そしてその血肉を貪る様に四方八方からハンターに向って飛び掛った。ハンターにしてもヒルの大群との遭遇は想定外だったらしく、ハンターはヒルに組み付かれるなり、大きく咆哮して床を転げまわった。
 もはやハンターの眼中にジョーの存在は無かった。
 苦痛と生理的な嫌悪を同時に払いのけようと、ハンターは滅茶苦茶に狭い院長室の中で暴れまわった。
 そしてジョー自身は、そのおぞましい光景を目の当たりにして声にならない悲鳴をあげた。

「―――――っ!」

 ジョーは恥も外聞もかなぐり捨てて床を這うように後退した。
 ハンターが腕を振って暴れる度、壁や床に拳ほどの大きさのヒルが四方に飛び散るからだ。同時に、ヒルが纏う糸を引く粘液の一部がジョーの身体に降りかかった。
 ウゾウゾ――ウゾウゾウゾ―――
 降り注ぐ無数のヒルが身体を上ってくる感覚を鋭敏に察知して、ジョーは慌てて身体からヒルを払い落とす。ヒルが手に触れた一瞬。ジョーは豆腐のような冷たさと、不快なぬめりを感じ取った。
 反射的に背筋を駆け上がる強烈な忌避感に意識が途切れそうになったジョーは、無心で腰に装備したモスカート(グレネードランチャー)を抜いた。

「死ねよやあぁッ!」

 ジョーはヒルの大群とハンターを同時に焼き払う等にグレネード弾を院長室に撃ち込んだ。
 パシュン――という独特の発砲音の直後。耳を劈く爆音と衝撃がジョーの全身を襲った。
 グレネードの爆風を喰らいジョーは滑るように床を転がる。
 直後。
 ジリリリリ――と、院内の火災警報器が鳴り響いた。

 半狂乱状態でも淀みなく行われる排莢と再装填。無意識でもそれを可能にするだけの訓練を友人らから受けていた事。それがジョーにとっての幸運だった。
 しかしその幸運を、ジョー本人が冷静に自覚する瞬間は皮肉にも訪れなかった。
 続けざまに白煙の中にもう一発。ジョーは院長室に向けて再度、グレネードを撃ち込んだ。
 それは戦時中に新兵が絶命した敵兵に向けて銃を乱射する様に良く似ていた。
 もうもうと立ち込める塵埃を一瞥して、ジョーは一目散に院長室とナースステーションから距離をとるように走った。
 ジョーが走り去った後、ゾワリ――っと白煙の中で巨躯(・・)の影が蠢いた。





「はぁ……はぁ……」

 逃げ延びたジョーは何処とも知れぬ診察室の一室に篭り、肩で息をしながら無理やり休息を取った。しかし多少の休息で即に平静に――とは流石に言い難い状態にある事を強く自覚していた。
 一歩間違えればハンターに殺されていた。
 そうでなくとも無数のヒルに食い殺されていた。
 もしも一歩間違えれば――
 と、冷静になった脳みそがそうしたもしも(・・・)の可能性を刻むように示唆し続ける。
 心を塗りつぶすように広がる大きな恐怖に、ジョーは手が震えているのを感じた。

「――――っおぇ!」

 震えの止まらない拳を無理やり握りこみ、込み上げる強烈な吐き気のままに床に吐瀉物を撒き散らす。
 数時間前にケンドの銃砲店でロバートと一緒に食べたパスタと豆の缶詰。気付けにと道中で口に入れた各色のハーブの欠片が恐怖と共に盛大に吐き出されて床を汚した。

「はぁ――」

 盛大に吐くと幾ばくか気分が楽になった。
 ジョーはスキットルの中に入れたミネラルウォーターで口を洗い、口元を拭う為にポケットの中の布切れを無意識に使った。しかしふと、気づいた。
 それはハンカチではなく女性モノのショーツであった。
 数時間前に教会で同行したマックスが探索の際に冗談で投げて寄越した物だ。

「ったく――」

 紫のショーツを床に叩きつけてジョーは盛大に溜息を吐いた。
 図らずもパンツで口を拭ったという馬鹿らしさが、恐怖で硬直しかけた心と身体の緊張を解すきっかけとなった。
 ジョーは窓際にあるベッドの一つに腰を下した。

「一体、なんなんだよ。あのヒルの大群は――」

 窓から降り注ぐ月明かりを眺めながら、先程遭遇した無数のヒルについて、暴風のような恐怖を感じた後の凪にも似た疲れきった脳みそで考えた。
 ジョーの知る限りだがヒルに相当するクリーチャーはバイオハザード2、バイオハザード3のタイトルの中に登場した覚えがなかった。
 変わりにヒルを連想させるナンバリングタイトルにはバイオハザードの“0”がある。

「――たしかバイオ0のラスボスだったか」

 0の時系列的に考えると現実時間の今からして、約数ヶ月前も前に相当するシナリオであった。
 しかし逆に考えるとゲームとして0のシナリオが存在するのならば、この世界は実写映画に連なるモノでは無いとも思えた。
 即ち、世界が滅ぶ類のエンディングでは無さそうだという解釈にも繋がった。
 思わず、喜んでいいんだろうか? と、ジョーは苦笑いを浮かべた。
 確信を持つにはやや薄い根拠であった。だがジョーからすれば、それはもしかしたら――と思えた。
 脱出のルートについてもそうだ。ゲームに登場するキャラクターと遭遇して、その行動を共にする様な形にすれば、何とかなるかもしれない。
 そんな希望を感じた。
 ――故にこの先で祈るべきは、入れ違い(・・・・)にならない事であるとも感じた。

「頼むから今夜(・・)じゃないでくれよ?」

 バイオハザード2の序盤では、その主人公のどちらかが『ケンドの銃砲店』に立ち寄る描写がある。それをジョーは克明に覚えていた。
 問題はその展開が事件発生の何日目の夜であるのか、という点だ。
 ゲームとしてバイオをプレイした記憶があるとて、細かい数字のようなものまでは流石に覚えてはいない。何よりゲームが基準の世界だとして、その全てがゲームの通りであるわけが無い。実際にこの世界に生きている人間にとっては此処が現実であり、それはジョーにとっても同じ――
 故にジョーは、「結局出来る事は、何も変わらねぇ、か……」と溜息を吐いた。
 僅かな希望を胸に秘め、祈りながら恐怖と戦い生き延びる事。
 それだけが唯一確実な悪夢への対処方法である、
 ジョーはそう、改めて理解した。

「ダメだな――」

 休息を挟むと憂鬱な考えと不安に心が押しつぶされそうになる事を自覚し、ジョーは頭を振った。
 皮肉にも悪夢から心を護る方法は、無心でがむしゃらに生きる為に戦い、行動する事である。
 ジョーは腰を下したベッドから徐に立ち上がった。

「――とりあえずワクチンとロバートのインスリンだな。探せばあるだろう。インスリンぐらいは流石に……」

 ジョーは道中で毟り採った赤と緑のハーブの葉を一枚ずつ口に含むと、失ったショットガンの代わりにベレッタを抜いて構えた。
 ヒルと遭遇した際にこそ、ショットガンの性能が役に立つ。だがハンターに壊されたモノを今更嘆いても仕方が無い。だがせめて、ショットガンの代わりにヒルを防ぐ武器でもあれば――と、ジョーは視線を周囲に向けた。
 散乱した備品の中に掃除用の箒を見つけた。
 振り回すには柄が少々長いものの、加工して長さを調整すればテニスラケットのように飛び掛ったヒルを払いのける事ができる筈。
 ジョーは思い立ったが吉日だと、ナイフを抜いて箒の柄の加工を始めた。





 ゾンビパニックの発生初期からこの異常な事態に対応していた医師らは、早々にこの事件をウィルスのような“病”であると判断した。
 そう解釈に至った理由は、症状が狂犬病に似ているからだ。
 そしてウィルス感染が原因であるならば、そのワクチンも作れる筈――
 と、医師らはそうした院長の音頭によって、病院地下の実験施設でワクチンの研究に取り組み始めた。
 しかし増え続ける感染者と、突如現れた奇妙な怪物の強襲によって遂に断念。
 病院側の者の多くはウィルスの研究資料を脱出可能であった健常な生存者達に託し、この悪夢が晴れる日を願いながら死の床に伏した。
 
 ジョーは緊急待避所として使った診察室の探索し、Tウィルスワクチンの手掛かりとロバートが使っているモノと同じインスリンの注射薬を探した。その途中、医師や看護師のメモや走り書きのような手記を発見し、ジョーはその内容を統合して、院内で起きた惨劇の一端とそれに立ち向かう医師らの戦いの一部を垣間見た。
 
「地下、か――」

 予想通り、重要な研究施設などは入り口から離れた秘した場所にあった。
 自分以外の生存者が病院の中で錯綜した痕跡を発見したジョーは、改めて地下に行く事を決めた。
 しかし地下に行く為のエレベーターの一基は、つい先ほどハンターと無数のヒルに埋もれた院長室の先である。
 他のルートを探して廊下に出たジョーは右手にベレッタを、左手に柄を短く加工した掃除用の箒を手に、足音を立てぬように地下に向うルートの探索を始めた。
 それからしばらく――
 同じ階の近くの部屋で窓ガラスの割れる音が響いた。

「――っ!?」

 ジョーは咄嗟にベレッタを構え、音の方角にある廊下の角に向けて警戒した。
 ハンターか?
 脳裏にハンターの姿を思い出し、ジョーはいつでも動けるように両足に力を込めながら、腰のモスカートをいつでも引き抜けるようにと、その位置をベルト越しの感触で確認した。
 しかし次の瞬間訪れたのはジョーの意図しない音であった。
 連続したフルオートの銃声だった。
 銃撃が止み、耳に残る不快な泣き声が響いた。
 そして間もなく――
 コツコツとした足音がジョーの立つ方へと近づき、遂に曲がり角から姿を見せた。

「――っ!」
「撃つな!」
「…………人間か?」

 同じ階でナニカに向けて銃撃を放った()に、ジョーは人間である事を示した。
 相手の男は冷徹な視線でジョーを見据えた。
 銀髪が特徴的なロシア人だった。

ロシア人(イワン)……?」
「そっちはチャイニーズか?」
「――日系と言ってくれ」

 ジョーは相手が生きた人間であった事に思わず強い吐息を漏らした。
 しかし不思議と、目の前の男からは温かみの様なモノは一切感じなかった。
 銀髪の男は冷たい視線でジョーを見据え、アサルトライフルの銃口を向けたままの姿勢で問うた。

「貴様は誰だ? ここで何をしている?」
「――とりあえず、そいつを下してくれないか?」
「それはキミしだいだ。先に下ろせ……」
「――っ!」

 対するジョーの方もベレッタを向けたままの姿勢であった。
 それを男は指摘し、先に拳銃を下ろすようにと強い口調で言った。
 ジョーは場合によっては直ぐに脇の部屋に逃げ込める事を視線で確認して、ゆっくりとベレッタを下ろした。

「――俺はジョー・ナガト。薬を探していた」
「薬?」
「――それよりこっちは下ろしたぜ? おたくも下げろよ」
「………………何の、薬だ?」

 男はジョーの提案を無視して、質問を続行した。
 
「インスリンを探している。何処にあるか知ってるか?」

 先に銃を下ろした事を内心で強く歯噛みしながら、ジョーは仕方なく答えた。
 インスリンを探している事は一応事実。だがこの怪しげな銀髪のロシア人に“ワクチン”を探していたとは一切言う気になれなかった。
 銀髪の男は促すように銃を構え直した。
 
「――質問しているのはこちら(・・・)だ、ボーイ。なぜ、わざわざ“この”病院に薬を取りに来たのかね? それに探しているのは本当に“インスリン”か?」
「そうだっつってんだろうが。ダチが糖尿病なんだよ。脱出するにしても薬の量が絶対的に足りない。それとも何か? アンタは俺にダチを見殺せとでも言う気か?」
「………………」
「………………」

 銀髪の男は思案するように沈黙した。
 対するジョーも銀髪の男の衣装から、その正体を看破しようと注視した。

 ジョーが見る限りでの男の装備は、鉛色の都市迷彩を描いた戦闘服。肩から下げるマガジンポーチの形状と、それを使うアサルトライフルの形状から、得物がAK系列だとは直ぐに判った。
 サイドアームの存在は不明。しかし間違いなく一級品の戦闘装備で全身の身を固めているであろう事は明白。
 正規兵の様な品格の良さがあるようには思えず。言葉の訛りと面構えからロシア人である事は間違いない。故に、そこから導き出される答えは一つしかなかった。

「貴様は民間人か?」
「そうだ。――そっちは傭兵だな?」
「――そんなところだ」

 断言する様な問い方によってだが、初めて銀髪の男はジョーの質問に肯定の返事を返した。
 銀髪の男はジョーの右手にあるベレッタと、左足のマグナムを見てせせら笑う。

「民間人にしては、過ぎた武装だな?」
「銃砲店勤務だ。ケンドの銃砲店。知らないって事はアンタ。やっぱり見た目どおりのよそ者(・・・)だな。いい加減、名前くらいは聞かせてくれてもいいんじゃないか?」
「――ニコライ。階級は軍曹。所属はU.B.C.S.」
「U.B.C.S.?」
「普通の民間人なら知る事も無いゴロツキの傭兵団さ――」

 ニコライと名乗った銀髪の男はついに所属を明かした。
 U.B.C.S.という単語にジョーは、聞いた事のある様な無い様なという奇妙な感覚を覚えた。
 ニコライはようやくアサルトライフルを下ろした。

「最後の質問だが、この近辺でこの女を見かけた事は?」

 ジョーに歩み寄り、ニコライはポケットから一枚の写真を取り出した。

「――っ!」
「その反応を見る限り、知っているようだな?」

 ニコライの取り出した写真を見て、ジョーは思わず眼を見開いた。
 件の写真はジル・バレンタインの履歴書の証明写真のコピーだった。

「――銃砲店勤務だからな。お得意さんだ」
「………………」

 ジョーの危機管理能力が最大の警鐘を鳴らしていた。
 
「――最後に見かけた場所はどこだ?」
「さて、な。この数日のゾンビ騒ぎもあるし、ジル以外のS.T.A.R.S.のメンバーも数ヶ月前からさっぱりだ。何処にいるのか、寧ろこっちが知りたいくらいだぜ」
「………………」

 バイオの主人公的な意味で――という内心は口にせず。
 ジョーはニコライを剣呑な視線で睨んだ。
 “ニコライ”という名の傭兵について、ようやくに一つの核心に至ったからだ。
 
「で、質問ばかりのアンタは一体なんなんだ? ジルのファンには見えないが?」
「仕事の都合で、少々――と、いったところだ」
「ふ~ん」

 ジョーはそれ以上の追求をやめた。そしてニコライはジロリとジョーの出で立ちを一瞥し、笑った。

「戦闘服足りえぬ市販の洋服に雑多な火器。まるで民族解放中のゲリラだな?」
「このクソみたいな状況で生きる為に必要だと思った事を突き詰めた結果だ。笑われる筋合いはない」
「ほぅ。それはすまなかった」

 ニコライはジョーが左手に持つ柄の短い箒を一瞥してからふっと笑い、脇を通り過ぎて去って行った。

「――インスリンならばこのフロアの薬品保管室で見かけた覚えがある。精々、気をつける事だ」





 その後。ニコライの零した情報が、癪ではあったが実際に正しいものであるとジョーは知る事になった。
 一階を探索して見つけた薬品保管室の冷凍棚から、ジョーはロバートが使っている注射薬と同じインスリンを見つけ出したのだ。
 その事に対してジョーはニコライに内心で感謝を述べたが、それもつかの間――
 ジョーはそれの場所を教えて去って行った“ニコライ・ジノビエフ”という名の傭兵の今後の動向に対して、強い警戒心を抱いた。

「――確か、病院を爆破するのがアイツだったな」

 細かなキャラクターの背景についての記憶は無い。だが“敵”として、プレイヤーの前に立ちはだかった存在である事は覚えていた。
 U.B.C.S. ニコライ・ジノビエフ軍曹。
 アンブレラ社によって集められた傭兵部隊の人間が、このラクーンシティの中で何を目的としているのか――
 ジョーはニコライの登場によって、自身が探して求めているTウィルスのワクチンが、高確率でこの病院内で作られる可能性に辿り着いた。