バイオハザード インクリボンがゴミと化した世界で   作:エネボル
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03 現実の恐ろしさを前に 前篇

 ロバート・ケンドの手記

 9月25日

 『ケンドの銃砲店』はじまって以来の大繁盛。飛ぶように武器が売れやがる。
 しかし武器を求める顧客の多くに共通するのが、コレまでの人生でまともに銃を扱った事の無い手をしている事だ。
 この景気には絶対に何か裏があると思う。
 素人が安易に武器を求めてくる時は、大体が良くない事が起こっている。
 そんな風に身構えていたら案の定だクソッたれ!
 かなりやばい事が起きていやがった。

 奇跡的に早い段階で気づけたのは、我が友バリー・バートンの鳴らした警鐘のお蔭だろう。
 きっかけはバリーと近所の狩猟仲間達と共に、近所のJ's BARで飲んでいた時。バリーの奴は『アークレイ山地で起きた猟奇殺人の犯人はゾンビだ』と言った。その時は余りにも馬鹿馬鹿しくて思わず仲間と一緒に酒を噴出したんだが、さっきのフットボールの試合中に起こった暴動を見て笑っていられるほど俺も馬鹿じゃあない。
 
 警備員が暴徒に対して何発も9ミリ弾を撃ち込んでいた。俺も銃を扱う稼業だからこそ判るが、普通なら致命傷となる位置にアレほどの数の鉛玉を喰らってまともに動けるわけが無い。しかし奴等はそれでも動きやがった。
 あれはバリーの言った通り、“ゾンビ”って奴だ。

 ――そして今、まさにそんなゾンビが街全体に溢れかえっているらしい。
 どうにも先月頃から街の様子がおかしいとは思っていたが、こうなるとは予想外だ。
 しかしそう驚いてばかりもいられない。
 少しでも対策を練らないと不味いと思い、俺も警察と協力してツテの限りを尽くして爆薬や武器をかき集める事にした。
 まったく長い夜になりそうだ。
 そしてふと思い出した事だが、ジョーの奴は無事に家に戻れたんだろうか?
 昼頃に一度店を訪れて接客の手伝いをしてくれたが、まだ病みあがりなのか少し調子が悪そうだった。
 カスタムしてやったベレッタを携行していたから大丈夫だとは思うが、正直心配だ。
 一応、明日連絡してみるか……。


 9月26日

 一夜明けて多少マシになったかと思えば、事態は昨日よりも深刻だ。
 昨晩のスタジアムでの暴動を皮切りに、街のあちこちにゾンビが現れるようになった。
 ゾンビ映画宛ら――仲間を増やす為にゾンビは生きた人間を狙って食いやがる。
 もう商売なんて言ってる場合じゃない。
 近所に住んでる知り合いの内、銃でドンパチやるのが得意な連中を根こそぎかき集める事にした。
 退役軍人、元警察官、警備職員、消防官――中にはベトナム帰りで今は失業保険で暮しているという輩も居る。
 こういう場合にモノを言うのはやはり金よりも人脈だとつくづく思った。どいつも若いとは言い難いものの、行動力に溢れる正義感を持った奴ばかりで、俺の提案に快く応じてくれたからだ。
 集めた連中を含む武器を求める客達に在庫の火器を無料で配った。そして現在、俺も警察と協力して市民の避難誘導を行っている。
 まったくこの騒ぎで店は大赤字だ。需要はあっても金を受け取る意味が無いなんてとんだ地獄だぜ、クソッたれ!
 それに加えて、俺も早くラクーンシティを引き払う準備を進めたほうがいいだろうな。
 一応だが避難の優先順位に女子供病人とある。その意味で言うなら俺にも一応だがその資格があるが、まぁ資格があるとはいえ、それを使う気はない。
 俺よりも先に逃がしておきたい奴がいるからな。
 まったくアイツは何処にいるのか……。
 まさかもう喰われて死んでいるなんて事はないよな?
 それを確かめる意味でもまだ逃げるわけには行かない。
 さっきもマービンからジョーの安否を確かめる連絡があった。
 話によれば今朝の段階で脱出を始めたらしく現在は警察署に向っているらしい。
 と、なると必然的に俺の店にも顔を見せる事になる。

 一応こっちからもジョーの家に電話を掛けてみたが連絡はつかなかった。
 死ぬなよ、ジョー。


《ページが破れている》





「――――手を貸してくれ! こっちだ!」
 
 R.P.D.のバッジを身につけた制服警官は付近にいる民間協力者の男達に呼びかけた。
 ゾンビの数は増加の一途を辿っており、この地域周辺の路上封鎖も間もなく終了する頃。
 
「奴らを近づけるな!」

 バリケード構築に動く警察官らを援護するようにして、ロバートも周囲と連携してゾンビにショットガンを構えた。
 各自武器を持ちより民兵として立ち上がった者達。その面子は白人、黒人、ヒスパニック、チャイニーズと様々。一見すると人種も年齢も共通する事の無い烏合の衆だが、彼らの心には共通してラクーンシティに対する強い愛郷心があった。故に彼らは非常事態においても積極的な姿勢を保ち、警察と協力して非難活動の援助に尽力した。

「押すぞ!」
「良し!」

 路地の奥に迫るゾンビの牽制を市民兵達に任せ、大柄な体躯を持つ警官が二人掛りで警察車両を押した。
 ゆっくりと車両が動き、路地のひとつが封鎖されると、彼らは一先ずの安堵を漏らす。
 
「これで一先ずは良し、だな」
「あぁ」

 ゾンビにはバリケードを乗り越えてくるほどの知能が無く、封鎖された路地の奥で生存者達に向けて吐瀉物を吐きかけて呻くばかり。
 だが「まだ安心はできない――」と、安堵もつかの間。警察官らの表情は直ぐに緊張に包まれた。

「――ジリ貧だな」

 ショットガンのバレルに弾を込めながら、ロバートは小さくぼやいた。するとその呟きを聞き留めた一人の男が「まったくだ」と吐息交じりに返した。
 返事を返したのはロバートの顧客の一人である警察官のケビン・ライマン。顔立ちの整った31歳の男で、普段はだらしなく軽薄な雰囲気を持つ不良警官として有名な男だ。
 しかし今日に限ってケビンの顔には普段の軽薄さはなく、寧ろ勤労による明確な疲れの色が見てとれた。
 ロバートは内心で無理も無いと思った。街の状況は“あの”不良警官をして真面目にならざるを得ない程なのだから。
 
「少し休んだらどうだ?」
「――ん?」
「いつもと違って真面目に過ぎる。慣れない事はするもんじゃ無いだろう?」

 と、ロバートは冗談めかして言った。
 するとケビンは「偶には悪くないさ」と不適に笑みを返し、

「俺は空気を読んでサボる男なんでね。サボるタイミングは、()じゃあない」

 と吐息交じりに返した。

 ケビンの笑みは『勤務態度に難有り』という理由でS.T.A.R.S.の選抜試験に二度も落ちた男とは思えぬ勤勉さを含んでいた。
 それは問い投げたロバートが思わず苦笑を漏らす程だ。

「――普段からその勤務態度だったら、今頃S.T.A.R.S.の看板を背負ってただろうな」
「それとまったく同じ台詞を今朝リタにも言われたぜ……」

 ロバートの皮肉にケビンは鬱陶しげな様子で言葉を返すと、鋭い視線でカスタムされた拳銃を両手で構えた。
 次の瞬間、ケビンが独特な構えから放った拳銃狙撃が50ヤードも離れた先に居たゾンビの頭を撃ち抜いた。

「どんなもんよ?」

 ケビンは毎年開かれる署内の射撃大会で、一位、二位を争う程の腕前だ。唯一勝てなかったのはS.T.A.R.S.のクリス・レッドフィールドで、拳銃狙撃だけなら同部隊の隊長のアルバート・ウェスカーも凌ぐ程。
 その神掛った狙撃を傍で見ていた者は思わず「ピュゥ♪」と口笛を吹き、ロバートも思わず流石だと苦笑を浮かべた。 
 ケビンは周囲からの賛辞を受けて、己の腕前を誇示するように軽く腕を振り上げた。

 しかしそうした高いテンションで誤魔化しても、ケビンを初めとする多くの警察官が現時点で強い疲労を抱えている様子は隠せなかった。
 またそれに気づく者は確かに居ても、それを指摘する事は出来なかった。
 警察官の多くは昨夜起こったラクーンスタジアムの暴動から引き続いて現在の状況に対応している。彼らが頑なに疲れを周囲に見せようとしないのは、民間人に不安を感じさせまいとする一種のプロ意識。それを察した以上、余計な気遣いはむしろ無粋だという風に考えたのだ。
 現在警察はゾンビの動きを牽制しつつ街に取り残された住民の避難活動を支援すると同時に、地下下水道にC4を設置して直上に位置する区画を一掃する計画を立てていた。
 ラクーンシティーという巨大な街で発生したゾンビパニックに対し、その一撃がどれほどの効果を齎すかは未知数だ。
 もしかすれば雀の涙ほどの成果しか上げられないかもしれない。
 しかし今は、その作戦の成功だけが多くにとっての希望となっていた。
 作戦の決行は午後6時。
 逆算すると4時間後となる。 

「――まだ、見つからないか」
 
 ロバートは率先して住人の避難活動に尽力する傍ら、己の店で従業員として働く青年ジョー・ナガトの姿を探し続けた。
 時に無線を手にする警察職員の好意を借りて警察署の方面にも情報の問い合わせを行ったが、未だに避難所に逃げ延びた者の中にジョー・ナガトの姿は無いと知らされた。

「警察による爆破作戦が一つの目安だな……」

 作戦の成否に問わず大人数を投入しての救助作戦はそこで一つ区切りがつくだろう。逆に言えばそれ以降の個人の安否確認はより困難になると。ロバートは思った。

「――――うあぁあああ!」
「っ!?」

 思考の海に沈みかけたロバートの耳に甲高い悲鳴が飛びこんだ。
 悲鳴の方に視線を向けると無数のゾンビの姿が見えた。
 別の区画から進入してきた群れだった。
 しかもその群れから逃れるように大群の先頭には数人の生存者の姿もある。

「まったく忙しいな、おい!」

 悲鳴に呼応してか、先程作ったバリケードの奥に群がる無数のゾンビも慌しくなった。
 糖分補給にと口にしたフルーツドロップのフレーバーによって、ロバートは一時的に街に漂う死臭を忘却した。
 そして走り出す警察官達を援護するようにショットガンを持って立ち上がった。

「いくぞ!」

 荒々しく音頭を取る現場警察官の動きに続いて、ロバート以外の血気盛んな市民の多くも自ら危険の中に身を投じていった。強い興奮が一時的に胸中にある不安をかき消すと、彼らは無意識にも知っていたからだ。





 時を同じくして、ジョー・ナガトも意図せず大きな危険と対峙する事になった。
 彼らの前に立ちはだかったのは赤い怪物である。
 赤い怪物を前にジョーは反射的にそれをリッカーと口走った。
 その理由はゲームで戦った記憶があっての事。
 だが、その姿はまさしく“舐める者(リッカー)”に呼ぶに相応しくおぞましく、誰もそれを疑問には思わなかった。
 肥大化した脳みそによって鼻や目と言ったパーツの殆どを押しつぶされた面貌には、唯一むき出しの牙が並ぶ巨大な顎が存在し、その顎の中には老シスターの身体を易々と貫いた凶器の舌がだらりと伸びる。――しかもその舌の全長が本体を軽く越すほどに長い。

「――――――」

 ジョーの構えたマグナムの銃口からは、むせ返るように強い硝煙の臭いが漂っていた。
 先程(・・)までの騒乱具合とは打って変わり、周囲には不気味な静寂が広がっている。

「――――死んだの、それ?」

 恐々と尋ねるテリの問いに、ジョーは不安を滲ませた声色で短く「多分……」と答えた。
 まだ四肢の末端がピクリと動いている所為か、今にも動き出しそうな雰囲気を持っていたからだ。
 しかし、流石に絶命したと信じたいと、ジョーは不安げな表情のままで深く溜息を吐いた。
 マックスの撃ったショットガンが運良くリッカーの身体を跳ね上げて吹き飛ばした。その際に偶然床の上に仰向けに倒れたリッカーのむき出しの心臓を、ジョーがマグナムを使って二度、撃ち抜いた。
 口頭で説明するだけならたった二行で済む短い時間の出来事だが、その勝利が偶然によって支えられた薄氷の上にあった事は明白。ジョーは欠片もリッカーと戦いそれから勝ちを拾ったという結果を誇る気にはなれなかった。

「――行くぞ」
「え?」
「もうこんな場所に長居したくないだろう?」
 
 ジョーは不安な表情を浮かべる一同を背に庇いながら、顎と視線のみで退路を示した。
 冷静になれば恐怖がぶり返す上、現状は可能な限り安全な場所に移るべきだという仕草を受け、一同は機敏な動きでリッカーの死体の脇を通り過ぎ、階段を下りた。
 隊列はショットガンを持つマックスが先頭に、その間をオルガ、シェリー、テリの順で続く――
 その殿に立ったジョーは安全確認の意味を込めて、去り際、マグナムの代わりにベレッタを抜いて、銃弾をもう一発リッカーの頭部へと撃ちこんだ。
 放たれた銃撃でリッカーの頭部は跳ね上がったが、それ以外(・・・・)の反応はなかった。

「――――――」

 死亡確認の為だけに銃弾を一発使う事を、高いと見るか安いと見るか――
 少なくとも、ジョーはそれを安いと見た。
 銃弾一発でリッカーが再び起き上がる可能性を低いと見て、ジョーも階段を下りる事にした。
 しかしジョーの表情は未だ険しかった。

 ――――左腕に受けた傷がズキリと痛んだ所為だ。





「――ねぇ。皆、怪我は無い?」

 ゾンビとも違う異形の怪物と初めて遭遇した一同の心は、短時間とはいえひどく疲弊した。礼拝堂に戻ってもしばらくは御互いに口を開かず。しかし場の沈黙が五分も続くと、その重圧な空気に耐えかねたテリが全員に尋ねた。
 テリの表情には未だにリッカーに対する強い恐怖の色があり、またその声も震えていた。だが気丈に振舞おうとする強い意思も僅かにだが垣間見えた。

「えぇ。大丈夫。シェリーは?」
「私も無事」

 テリの問いにオルガは正気を持ち直すように頭を振りながら答えた。それにシェリーも続いた。

「俺も大丈夫だ。びびったけど――」

 マックスも己の健全を伝えた。

「そう。で、ジョーは怪我してない? かなり危ない場面もあったみたいだけど?」
「俺は――――」

 その中で唯一、ジョーは答えあぐねた。
 最前線でリッカーと相対していたのは他ならぬジョーである。それを知る一同はジョーの答えあぐねる様子にふと、怪訝な表情を浮かべた。

「――残念ながらちょっと掠ったな」

 と、ジョーは観念した様子で一つ溜息を吐いてから言った。
 詳細な返事の代わりにと袖をめくって見せた左腕には、小さな出血がある。

「なによ。だったら早く言いなさいよ、まったく。ほら、オルガ。出番よ」
「えぇ」

 言いよどむジョーが見せたのは小さな擦り傷で、何事かと身構えたテリは肩透かしを食らったように呆れの溜息を吐く。
 しかしそのやり取りが一種の緊張状態にあった一同の精神を程よく解し、一時的に場に笑みが生まれた。

「ちょっと痛むかもしれないけど、我慢してね?」
「――あぁ」

 オルガは先程作ったハーブペーストの瓶を持ち寄り、ジョーの受けた傷の手当を始めた。
 その際にオルガはやけに静かで言葉少ないジョーの様子に小さな不信感を抱き、

「――ねぇ、どうかしたの?」
「ん?」
「なにか、あったの?」
 
 と、心配そうな表情を浮かべてジョーの顔を覗き込んだ。
 ジョーはオルガの視線から眼を逸らして首を振って「大丈夫だ」と平静だと返した。
 
「――不安があるなら直ぐに言ってね? 力に成れるかは判らないけど。言い方はアレだけど貴方が倒れたら私達も危険だし」

 オルガは強い追求はせずに年上として優しく言った。

「不安、か」
「やっぱり、何かあるの?」
「いや――」

 ジョーの心に湧いたある種の不安をオルガは明確では無いにせよ的確には見抜いていた。
 小さく心情を吐露するように息を吐くと、オルガは直ぐにその様子に反応した。
 ジョーはそれ(・・)を言うべきかどうかを迷った。





 察しの良さとは往々にして人生の分岐を左右する。
 そして時に、思いもよらぬ地点へと人を導いてしまう。
 人が『思いもよらぬ』と口にする時、大抵が希望とは呼べない散々な結果を迎えており、そしてそのジンクスはジョー・ナガトの身にも十分に当て嵌ることであった。

 一同はジョーが持ち寄った携帯食で栄養補給を行い、短い休憩の後でようやく教会を出発した。
 目指す先はケンドの銃砲店とその先にある警察署である。
 しかし普段ならまだしも、現状は道中に散乱する無数の事故車やバリケードの影響で、目的地には辿り着くにはいくつか道を迂回する必要があった。

 とはいえ、一同にとって幸いだったのはゾンビの数は予想よりも少なかった事だ。
 ジョーはそれを「恐らくは先程遭遇したリッカーがその大半を捕食したのだろう――」と、ゲームをプレイした時の知識から推測した。
 リッカーとは潤沢な食料を食べ続けたゾンビの成れの果て――つまり元々はゾンビなのだ。
 そして元がゾンビならば当然、その攻撃には新たな感染者を産み出す“T-ウィルス”が含まれている――と、周囲の様子とゾンビの少なさに思考を割いた時にふと気づいてしまった。

「――危ない!」
「――――っ!」

 いち早く気づいたテリが叫んだ。路地の暗がりに蹲って潜んでいたゾンビが、ジョーに組み付こうと襲い掛かった直後の事だ。
 飛び掛ったゾンビは少女の姿をしており元の姿はジョーと同じぐらいの年頃だった。生前はそれなりにモテたであろう肉感的な肢体を持っていた筈だが、今の姿にはその面影が影すらもない。

「――くっ!」
 
 ジョーは咄嗟の判断で身を捩り、掴みかかろうとしたゾンビの足を素早く払って路上に転ばせ、そして間髪入れずにその頭をブーツの靴底で叩きつけるように踏みつけた。
 ゴキャリ――と、骨が砕ける音が響き、ゾンビの頭部はアスファルトの上で石榴のようにはじけた。

「だ、大丈夫か?」
「あぁ。すまん。悪い――」

 不安げなマックスに返事を返すと同時。
 ジョーは注意力散漫な自分自身に強く舌打ちをした。
 己が下手をこけば、後ろに続く他4人の生存者も危険に晒す事になり、だからこそ――と、ジョーはオルガが手当てした“左手の傷”の事を忘れようと努めた。
 しかし脳裏には焼きついた不安は広がり続けた。

 リッカーとの戦闘の最中に受けた傷は一見すると小さな物である。振り回された長大な舌が僅かに掠めた程度のもので、気にしなければ忘れてしまう程小さく、普段であればまともな治療すらもしないレベルの代物。
 しかし現状に限っては別で、特に真相の一端を知っている形のジョーにとっては生死を左右する凶悪な呪いにも思えた。傷を受けた事で“感染”し、己も他の多くの市民と同じゾンビに成り果てるという未来が訪れる可能性に気づいてしまったからだ。
 バイオハザードと言うゲームに登場した人物は、皆、“ゲーム”だからこそ生存し、最後は生き残って未来を生きるというエンディングを迎えている。しかしこの世はゲームではなく“現実”だ。感染=ゾンビ化という方程式が存在している中、ただの一般市民でしかないジョーも他の多くと住民と同じような結末を辿る可能性は十分に考えられた。
 
 ベレッタを構えて再び歩みを開始するジョーの脳裏には、思わず吐きたくなるような様々な悪い考えが渦巻いた。
 心のどこかで自分だけはゾンビにならないと言う楽観がなかったか?
 楽観どころか考えもしなかったか?
 リッカーから傷を受けて初めて現実的に自分が死ぬ事に気づいたか?
 生きる為にはどうすればいいのか?
 どうすればいいのか?
 どうしたら助かるのか?
 どうしたら? どうしたら? どうしたら――――

「おい、ジョー? お前本当に大丈夫か? なんかさっきから顔色悪いぞ?」
「――っ?」

 渦を巻くように様々な思考が脳裏を走った。
 マックスの声に思考の海からガバリと顔を上げたジョーは「大丈夫だ」と、返した。
 
「だけど――」
「大丈夫だっつってんだろ」
「――っ?!」 

 引き止め気遣うマックスの放った言葉に対しての返答は、ジョーが想定していた以上に剣呑な雰囲気を秘めていた。その並々ならぬ怒気を秘めた声にシェリーはビクリと身を竦ませる程。

「――っ、悪い……」
「謝るよりも先に事情説明をしてくれない? はっきり言うけど、アンタの不調は私達全員のピンチに直結するんだから」

 謝罪の言葉を紡いだジョーにテリは尋問する様な視線を向けて言った。
 オルガもそんなテリに同調する様に、「さっきの怪物との戦闘で一体何があったの?」と明確に不調の理由を尋ねた。
 
「――――――」

 ジョーは一瞬、沈黙した。
 だがその様子が逆に“何かがあった――”という答えとなって全員に伝わり、遂に、「――判った」と、シェリーを含む一同の探るような目に耐え切れず口を開いた。

「アークレイ山地で起きた猟奇事件の事は知ってるか?」
「ん? えぇ、知っているけど――」
「なら話は早い。実はあの事件で既にゾンビが発生していたらしい。――と、言うよりあの事件が今起こっている騒ぎの全ての発端だ」
「――発端?」
「あぁ。調査に赴いたのは俺の働いてる銃砲店の顧客。個人の名前は伏せるが、警察の特殊部隊S.T.A.R.T.のメンバーだ。まぁ、俺もそのメンバーの一人から話半分で聞いただけで、実際の所を詳しく知ってるわけじゃあない。で、そいつからアンブレラ社がこの災害――ゾンビを産み出すウィルスを作ったって言う話を聞かされた」
「――はぁっ!?」

 ジョーの齎した情報に一同は絶句した。

「ちょっとちょっと冗談はやめてよ。その話だと、よりにもよってアンブレラが街をこんな風にしたって言うの? 陰謀論も甚だしいわ。普通に考えてみなさいよ。この街はアンブレラで潤ってる箱庭みたいな土地よ? それを自分から滅茶苦茶にするなんて――――」
「――そう思うなら、それでもいいさ」
「――え?」

 真っ先に反応したテリの常識的な解釈を、ジョーは否定も肯定もしなかった。
 代わりに、「重要なのはゾンビが“ウィルス”で作られたって言う部分さ」と、この一連の騒動の重要な論点を指し示した。

「人間がゾンビになるなんてありえないだろ? だが、現実にはそれが起こってる。そして俺は、ウィルス感染によって人間がゾンビになるっていう話を聞かされた――」
「感染って……まさか、お前!?」
「――――――」

 するとマックスが青ざめた。
 肯定するようにジョーは沈黙した。
 その瞬間、テリが、シェリーが、そしてジョーの傷を手当したオルガも気づいた。

「そんな――――」

 オルガは息を呑んだ。
 一同の視線がジョーの包帯の巻かれた左腕に向けられた。
 その視線に対して溜息で返すようにジョーは言う。

「実際に俺がゾンビになるウィルスに感染したかどうかは判らない。だけど可能性を考えたら――不安になった。とりあえず、なるべく怪我はするなよ?」

 ジョーの明かした胸中の不安は、一同を絶句させた。