バイオハザード インクリボンがゴミと化した世界で   作:エネボル
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 ジル・バレンタインのメモ

 9月27日。
 最後の9月が終ろうとしている。
 アンブレラに対し、人々が立ち向かう勇気を持つ事が出来ていたとしたら、未来は変わっていただろうか?
 あの日、私達は洋館という名の地獄の中で真実を知った。故にその時の真実をこの街の人々も知る権利と義務がある。
 そして全てを知った上で立ち上がるべきだった。
 許しを請うには全てが遅すぎて、運命が流れ始めた時には既に、人々にそれを押しとどめることは出来ない。
 日に日に感染者は増加し、今もその数を増やし続けている。
 数少ない生存者達は建物の深くに身を潜め、更に奥の暗渠の中で息を殺して明日を待っている。
 生きるか死ぬかの状況で、未だに平静を保っていられる私はきっと変わってしまったのかもしれない。
 だけど生き延びる為にはきっと必要な事だ。
 明日を待つだけでは何も変わらない。
 それをあの日に私は思い知った。
 だからこのメモを見ている貴方(・・)に書き残せる言葉は一つだけしかない。
 
 自分を救えるのは自分だけ。





 薄明かりの点いたとある食品倉庫の管理室。
 普段は店舗の管理作業員が業務で使用するタイプライターを駆使して、ラクーンシティーの警察官ジル・バレンタインは何気なしにそんな走り書きを残した。
 メモに書き残したのはジルの胸中にある偽らざる本音であった。
 Tウィルスの拡散から数日が経ち、爆発的に数を増やした感染者。それによって多くのラクーンシティー住民が亡者と化し、現時点で悪夢から逃げ延びた生存者達は自然と一所に集まった。それがこの場所である。
 息を殺してひたすらに救済を待つ行動を否とは言えず――しかし同時に無意味だとも感じてしまうジル。曲がりなりにも警察官として生きた彼女の経験と生来の人間性は、この状況における圧倒的弱者である彼ら市民を冷徹に捨て置く事を良しとせず、結果、なし崩しな形で避難者の盾としてこの場に足止めを喰らうハメになった。それを「馬鹿らしい」と口が裂けても言うつもりこそないが、それでも疲労の混ざった吐息が思わず漏れる。

「――はぁ」

 ふと、ジルは管理室の外にある光景を見やるように、視線をドアに向けた。
 管理室の奥に広がる大型の食品管理倉庫には、人種も年齢も職業も様々な多くの生存者が息を殺していた。彼らの顔には共通して強い疲労と不安と恐怖が貼り付けられており、皆、眠る事もままならず、縋るように燃料ランタンの明かりを中心に囲んでいた。
 小さく身を寄せ合って息を潜める陰鬱な空気に耐えかね、この立てこもった食品管理倉庫周辺の安全確認に出たのがつい先程の事である。
 そこで偶然、ジルは()と遭遇した。

「――確か、ジョー・ナガト、だったかしら?」

 ジルはチラリと管理室の応接用のソファに視線を移した。
 安っぽい合成革のソファに深く身を落として眠りに就く少年の名は、ジョー・ナガトと言った。
 彼はジルが装備のメンテナンスで幾度か利用した“ケンドの銃砲店”の若い従業員だ。
 ジルとは顔見知りではあるが、良く話す仲かと問われると、意外にそうでも無い。
 間柄はよく言えば知人どまりで、ジルの同僚のバリーを挟んで友人の友人ぐらいの位置が妥当の仲。つまり一対一で話した事は愚か、互いに相手の名前と顔ぐらいを知っている程度の縁しかなかった。
 しかしこの時ばかりはそうもいかない。
 ジルはジョーから直接問いただしたい事柄が幾つも存在したからだ。
 その最たるものが、ジョーが眠りに就く直前にジルに手渡した資料である。

「一体、何処でこんなモノを――――」

 血に濡れた“ジョージ・ハミルトン”と言う男の書き残した手記。そして件の男が作り上げたというTウィルスワクチンのサンプルと、その製造法を書き記したとされる研究資料――
 ジョー・ナガトはそれらジルにとって値千金な多くを固く身に帯びていたからだ。
 ジルにとってそれらの情報は、例え己の命が失せようとも確実に街の外へと持ち出さなくてはならない重要な代物である。真実を知った上で、それでも戦うと決めたジルとその仲間にとって尚更――。故に、ジルはまるで監視する様に、深く寝入るジョーの傍らに待機していた。

「――これは、銃創?」

 ジルはふと、ジョーの纏う衣服に視線を向けた。
 ジャケットの胸の位置には不自然に丸く穿たれた穴があり、同時に全体的に焼かれたような煤の痕跡が随所に見られた。
 地獄と化したラクーンシティーの中で、彼が何を見たのかを問う機会はまだ得られていない。がしかし、ある程度は察することが出来る。
 ジョーの身体に纏わりついた汚れは、それら苦難をひたすらに退けた証拠に思えた。
 恐らく自身が洋館の中で体験した地獄に比肩するモノを体験したのだろう――
 ジルはそんなジョーの身体に毛布を掛け直し、ジョーの脇に置かれた彼のナップサックに、ワクチンの資料とそのサンプルを詰め直し、ジョーが眠る直前に食い散らかした保存食の空き缶を片付けてから管理室を後にした。

 管理室のドアを開けると、この場を一時的な避難場所に選んだ幾人かの生存者が反射的に顔を上げた。
 生存者の多くは不安そうな視線を、ジルと管理室の奥で眠るジョーに向けた。
 ――奴は大丈夫だろうな? と、ジルは暗に問われていた。

「――――まったく」

 ジルは訝しげな視線を全て無視した。
 この時点で生き残っている者は皆、感染者(ゾンビ)に噛まれた者は例外なく感染者(ゾンビ)になると、言葉以上の形で理解しており、投げかけられる視線の中にある不安をある程度は仕方が無いとは理解しつつも、同時にひどく鬱陶しいと思ったからだ。
 しかし直後に怒号が飛んだ。

「おい、奴を一人残して何処に行く気だ! アンタが居ない間にゾンビになったらどうする!」

 ジルは歩みを止めて振り返った。
 ジョーを助けてジルが食品倉庫に戻った際、先んじて倉庫に集まっていた生存者の一部がジョーの感染を疑い、その身柄を受け入れる事を拒否する一件があった。
 彼はその内の一人であった。
 赤ら顔が特徴的なその男の名はダリオ・ロッソと言い、彼はこの場所に逃げ延びた直後からくりかえし現状を強く嘆いていた。
 その際にジルをはじめとする避難者の多くが、彼の身に起きた不幸を幾度と無く聞かされた。家族でフットボールの試合を見に来た旅行者であり、出身は別の州である事。そして今回の事件で娘を失った事。
 それらには確かに同情の余地はある。がしかし、彼は嘆くばかりで、必要な作業にはまるで手を貸さない人間だった。
 そんなダリオの過ぎた被害者然とした態度にはジルも内心で辟易としており、半ばウンザリと言った吐息を吐く。
 そして極めて事務的に職務を果そうとする警察官らしい(・・・)落ち着いた様子で、ジルはダリオに向き直った。

「大丈夫よ。変異の兆候は見られないから」

 不安がる住人の暴走からジョーを“護る”為。またジョーが変異した際の“処理”を迅速に行う為に、ジルは管理室で眠るジョーの傍に控えるようにと頼まれていた。頼んだのは言うまでも無く、ダリオを初めとする生存者達である。
 そのダリオが言った。

「そんな事、判るもんか! 実際、アンタの判断がどうして正しいって言えるんだ!? 俺はゾンビに娘を食い殺されたんだ! 此処に居る連中だって同じだ。危機感が足りないんじゃないか!」
「それは――――」

 カチンとくる物言いだったが、それを飲み込みジルは沈黙した。
 ダリオの問いに対する答えを“勘”だと答える他なかったからだ。
 その勘は洋館事件での経験と、その際の探索で見つけた資料に基づく知識からのモノ。しかしそれを言った所でダリオは納得しないだろうと感じたが故に。
 しかしダリオを初めとする集団は、そうしたジルの沈黙を一種の降参宣言だと感じ取ったのか、再びジョーを避難所に受け入れたジルの判断に文句を言い始めた。

「いい加減に――」

 不安から来るストレスの捌け口にと、口撃の槍玉に挙げられたジルもまた声を荒げそうになった。
 ――しかしそれより先に横から凛とした声が上がった。

「貴方達、いい加減にしなさいよ。声を荒げると“バケモノ”を呼び寄せる事になるってわからないの?」
「――っ!?」

 ビビットのきいたマゼンタカラーのライダースを纏った女子大生であった。勝気で行動力の溢れる若い魅力がある少女で、彼女はこの悪夢の中、率先して要救助者に手を貸していた人物だ。
 その積み重ねの結果なのか、少女の周囲には彼女に同調する多くの女性と老人達の姿が見えた。

「吠えるよりもやるべき事があるでしょう? 毛布と燃料が足りないの。喚く元気があるなら運んできてくれないかしら? このフロアに長居するのが不安なら、尚更丁度いいでしょう?」
「――――っ」

 ダリオと同調してジルを糾弾していた者達は、今度は逆に口を閉ざす番になった。ジルを囲むダリオの集団よりも、声を上げた少女に同調する者の方が多かったからだ。
 それから程なく。場の空気に耐えかねてダリオ達は逃げるようにフロアの隅へと引き下がっていった。

「――ありがとう。助かったわ」

 ジルは声を上げた女子大生に礼を言った。
 
「いいわよ、別に。それに警察に協力するのは市民の義務でしょう?」
「あら、警察だって名乗ったかしら? 私がそうだってよく気づいたわね?」
「身内に一人居るから雰囲気で大体、ね。クレア・レッドフィールドよ」
「レッドフィールド?」
「えぇ」

 クレアと名乗る少女からの握手を受け取りつつ、ジルは“レッドフィールド”という名に一人の同僚の事を思い出した。

「私はジル・バレンタイン。もしかして貴女――クリスの妹さん?」
「えぇ。その様子だと貴女は兄を……?」
「えぇ。知っているわ」
「そう。――なら、丁度よかったわ」
「――――丁度良い?」

 強く安堵するようなクレアの反応を受け、ジルは思わず首をかしげた。

「実は私は兄を探しにこの街に来たの」
「――そうだったの」

 数ヶ月前に失踪した兄クリス・レッドフィールドを探す為にラクーンシティを訪れたと言うクレアの話を聞いて、ジルは話すべきかと少し悩んだ。
 
「――残念だけど、クリスは既にこの街にはいないわ」
「え?」
「何処から説明するべきかしらね……」

 ジルは少し悩んだが、結局は同僚の妹にその兄の無事と現在の所在地を簡潔に説明する事にした。
 洋館事件以降。ジル、クリスをはじめとする元S.T.A.R.S.のメンバーは、アンブレラを告発する為に独自の行動をとっていた。
 しかしアンブレラという組織は一介の警察官が立ち向かうには余りに強大で、結果として彼ら洋館事件から生き残ったメンバーは皆、警察官としての資格を剥奪されて、秘密裏に抹殺される程の身の危険に晒されていた。
 アンブレラから家族を護る為、同僚のバリーは家族と共にカナダへと亡命した。そしてクリスもそれに近い判断で、クレアに何も打ち明ける事無く身を隠す事を選んだ。
 そしてそんなクリスの行動が、結果的にクレアをラクーンシティで起きた悪夢に巻き込んでしまった。
 皮肉な現状にジルは思わず苦笑を浮かべ、同時にクレアもまた護らねばならぬ存在だと強く認識した。

「――無鉄砲で行動力に溢れる所はクリスにそっくりね」
「それは……少し心外かも」

 ジルはクレアという少女にクリスの面影を見て、小さく笑った。

「現状で伝えられる事はそれだけよ。クリスに代わって謝罪するわ。不安にさせてごめんなさい」
「いえ、安否の確認が取れただけでも幸いだったわ。ありがとう」

 眼に余る地獄さながらの状況を作り出した外道を知り、それを許さぬと憤る正義感。身内としてのクリスを知るクレアは、ジルから聞かされたクリス失踪の理由を知った後、その行動を責めなかった。
 ただ一言、「――兄さんらしいわ」とクレアは零した。

「――そういうところは昔と何も変わってない」

 クレアは遠い眼をして諦観混じりに小さく微笑んだ。





 多くの生存者が露骨に嫌な顔を見せる。
 彼らは一様に「感染していないだろうな?」と、暗に問う視線を俺に投げかけた。
 ――俺はゾンビじゃない。
 鍵付きの管理室へと案内され、その部屋の中で俺は毛布を被り、蝋燭と倉庫奥の薄明かりの中で現実を嘆く生存者達から隠れていた。
 辛気臭い雰囲気と露骨に不審な視線をぶつけられる状況から一歩離れ、眼を閉じ、疲労感に身を任せてソファに身体を預けると、直後に耳障りな音が管理室の扉の奥から響いた。

 ――カリカリ――カリカリ――――

 何かを引っかくような音だ。
 眼を開け、自然と姿勢を低く保ち、傍らの拳銃を握った。

 ――カリカリ――カリカリ――カリカリ――――
 
 扉の外から響く音がどんどんと強くなり、俺は直感的にそれを()だと思った。
 そして扉越しに敵のシルエットを思い描き、その眉間に照門を定めて引き金を引いた。
 しかし引き金が中ほどで止まった。敵を目前にした致命的な動作不良(ジャム)が起きたのだと理解した瞬間。俺の全身から、焦りと恐怖を混ぜこぜにした冷たい汗が大量に噴出した。
 ――――そして扉が開いた。
 




「――――っ!?」

 ジョーの全身がソファから跳ね上がった。
 直後にパシンという、強く肉を叩いた音が管理室に響いた。
 ジョーは全身から汗が噴出しているのを感じた。銃が握られている筈の右手には、実は何も握られていなかったのだと気づいた。反射的に握り込んで繰り出されたその拳は、丁度扉を開いて現れたジルの両手で受け止められていた。

「――夢、か?」

 ジョーはそこで初めて“夢”を見ていたのだと自覚した。

「悪い」
 
 寝ぼけていたとはいえ、咄嗟に殴り掛かった事をジョーは謝罪した。しかしジルは気にしないとばかりに、ジョーの拳に打たれた掌の痛みを払うようにひらひらと振り、「大丈夫?」と、声を掛けた。

「死ぬかと思った……」

 ジョーは全身の筋肉を弛緩させるように、だらりと四肢を投げ出してソファに深く身を沈めた。

「気持ちはわかるわ。私も洋館事件の後はしばらくそう(・・)だったもの」
「……そうか」
 
 眠りにつこうと横になるが直ぐに目が覚める。身体が深い眠りにつく事を拒んでいるような感覚。それらの症状にはジルも覚えがある。だからこそジルは「気休めかもしれないけど、その内、慣れるわ」と強く言い切った。

「……慣れろってかよ」

 余りに強かな物言いに、ジョーは思わず苦笑を浮かべた。そして同時に、ジルと言う存在(・・)に対して流石だと思った。

「――それより、起きたのなら丁度良いわ。いくつか聞きたい事があるのだけどいいかしら?」
「ぁん?」

 ジルはジョーのナップサックから“ハミルトンの資料”を取り出し、ジョーの座るソファの対面に腰を下した。

「私と合流する前に、何を見たのか詳しく話を聞かせて。特にこのサンプル(・・・・)に関する事は出来るだけ細かく」
「………………寝て起きて早々にやらせる事が取調べか」
「茶化さないで。それだけ重要な事なのよ」
「……そうかい」

 ジルの焦りはなんとなくだが理解出来た。それだけ重要な情報を持ち込んだと言う自覚があるジョーは、眼を閉じて、病院で起こった悪夢の光景を思い出した。

「――話してやっても良いけど、せめてカツ丼とか無いか? すげぇ腹減ったんだけど」

 ジョーは情報の代わりに、寝起き早々の強い空腹感を埋めるために冗談めかして食べ物を要求した。