バイオハザード インクリボンがゴミと化した世界で   作:エネボル
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01 かゆうまとか笑い事じゃない

 ジョー・ナガトの日記 その1

 9月23日

 予兆はもっと以前からあったのかもしれない。
 子供の頃に俺はラクーンシティーに転勤するという親父の話を聞いて蟲の知らせのような妙な忌避を覚えたからだ。
 それから数年が経ち、何時からか『人が人を食う』という奇怪な噂が街に流れ始めた。
 その辺りからだ。
 街で幾つかの暴動事件が発生し、その件数が日に日に増え始めたのは――
 そうした街に漂う不穏な空気に皆が怖がっている。そして日記だからこそ俺も素直に本音を書くが、正直な所不安に思っている一人だ。
 幸い親父が警察署に勤めているので、少しでも状況を知りたいと思う。
 だが親父に此処最近の事情を尋ねようにも、親父は数日前から家に帰ってこれない状況らしい。
 恐らくだが、件の事件の影響で仕事が増えたのだろう。
 それにしても――と、思う。まぁ、仕方が無いかも知れないが……。
 父子家庭且つ親父が警察官な子供の宿命故か、独りで夜を明かす事にもすっかり慣れてしまった。
 此処最近の街の様子には少なくない不安を感じているが、不安がってばかりいても仕方が無い。
 戸締りと有事への備えをしっかりと確認してから今日は寝る事にする。
 どうにもこの数日、体調が悪くて仕方が無い。
 微妙に熱っぽいし頭が痛い。


 9月24日
 
 微熱が続いている。
 だがこの程度、少し休んでいれば大丈夫だろう。
 それよりも問題は、昨日の時点で街には非常事態宣言が出された事だ。
 昨日の夕方の時点で付近の学校には緊急閉鎖の知らせが届いたらしい。
 熱が少し引いたので単位の為に久しぶりに授業に顔を出そうかと思ったのだが、早速出鼻を挫かれた。
 まぁ、それはいい。それならそれで安静にしておく事にする。
 それと用のない外出は控え戸締りは厳重にという知らせを市と警察の両方から受けた。
 なんとも物々しい事だ。
 独りで家に居るのもなんだか気分が滅入るので、今日は久しぶりにバイト先のロバートケンドの銃砲店に向う事にした。
 街に不穏な空気が流れている所為でか、店には未だかつてない程の活気が訪れていた。俺も少し手伝った。
 しかし店主のロバートも最初こそ飛ぶように売れていく様子を見て少しはしゃいでいたが、事態が武器を求める程に緊迫していると察したらしく、彼も遂には街に対する不安を吐露した。
 ――――正直俺も何事も無ければ良いと思う。
 しかしそうした俺達の祈りを余所に、家に帰ると留守番電話に親父からのメッセージが届いていた。
 『出かける時は必ず銃を携帯しろ』、『必要とあれば親父の私物のいくつかを拝借しても良い』という言伝。そしてもう一つ。連日の暴動事件の対応に掛かりきりで、取り押さえようとした暴徒に腕の一部を噛み千切られたという報告だ。
 噛み付かれたとは流石に穏やかじゃない。
 大丈夫だろうか?
 

 9月25日

 《日本語で書かれている》

 聊か精神的なショックが強すぎて一度冷静になりたい。
 今日、俺の身に起こった事を大まかにだが書き殴ろうと思う。
 まず連日の暴動事件で人を襲うようになった怪物を、公的に食人鬼(ゾンビ)と呼称するようになった。
 理由はまさにそれだからだ。
 死体が蘇り、人を襲う。窓の外から聞えてくる街の騒ぎの原因はそれだった。
 騒乱は徐々に大きくなり、至る所で人々の悲鳴と、ソレを追う亡者のうめき声に満ちている。
 この期に及んで俺は明日には街に平穏が戻るなんていう甘い期待はしていない。
 地獄が始まったんだと強く感じた。
 思えば予兆は既にあった。
 ラクーンシティーの名前とアンブレラ製薬。
 その二つの名前を聞いてから感じた強い忌避感だ。
 それをもっと早くから自覚しておけば良かったと本気で後悔した。
 ――――俺はこの瞬間に起きている事を知っていたからだ。
 
 『前世』とかそういう荒唐無稽な表現でしか説明出来ない記憶が俺の中にある。
 その結果俺はこの先に起こる惨劇をビデオゲームをプレイするという形で知っていた。
 熱が下がった際にふと、思い出すようにそれに気づいたのだ。
 聞けば誰もが熱で頭がおかしくなったと思うだろう。
 正直、俺自身がそうだ。
 しかし数十年経っても色あせずに記憶の隅に残る程に、この状況を描いた『バイオハザード』というビデオゲームは印象的だ。こっちだと『レジデントイーヴィル』という名前だったか? まぁ、それはいい。重要な事じゃない。
 問題はゾンビ映画さながらの地獄が、これからこの街ラクーンシティで始まる事だ。

 そして次の話題もコレに関係する重要な事だが、俺は今日初めて人を撃った。
 保存食とミネラルウォーターを買いに出かけた帰りの事だ。
 件のゾンビと、ソレに襲われている人々を発見してしまったからだ。
 ロバートの店に訪れた客が言ったとおり、まさにアレは“人が人を食っている”という以外に形容出来ない奇怪な様だ。
 幸い親父に言われたとおりに愛用のベレッタを携帯していたので、その際の武器には事かかなかったが、それでもゾンビ一体を完全に沈黙化するまでに俺は、銃弾を4発も使ってしまった。
 正直驚きが隠せない。
 だがそれが逆に精神的な部分で助けられたとさえ思う。
 足に1発、心臓に2発、頭部に1発撃ちこんでもまだ動こうとする人間が普通であってたまるか!
 こんなふざけた耐久力を感じたお陰で、俺は撃った後でゾンビをゾンビとして割り切る事が出来た。

 ====== 

 前世でプレイしたバイオハザードの記憶は、この地獄の中を生き残るには確かに役に立つ情報かもしれない。
 だがそこに一切のありがたみを感じる事は無かった。
 寧ろなんでもっと早い段階で気づかなかったのだと、自分を殴りたくなる衝動に駆られる程だ。
 俺の馬鹿、馬鹿野郎。
 ゲームとしてバイオハザードを遊んだ記憶は恐らく20年以上も前のものだ。そして思うに、この状況は間違いなくバイオ2、バイオ3、アウトブレイクのそれである。
 ぶっちゃけると俺は、“アウトブレイク”という作品の内容をあまり覚えていない。
 人伝に話を聞いたくらいで、ゲーム雑誌で動物園を歩き、酒場のウェイトレスのような民間人で遊べるゲームだというくらいだ。
 そして同じく“バイオハザード3”に関しても似たような感じである。
 唯一、ジルが主役でネメシスに追いかけられる話という点と、ヘリに乗ったら死ぬ、ブラッドが死ぬというくらい記憶がある。
 「スタァズ」と吼えるネメシスの声は、未だに思い出せる。
 この先、アレに出会う事になると思うと、正直勘弁してほしい。
 そしてこの状況の中で最も役に立ちそうな“バイオハザード2”に関してだが、これは一番遊んだ記憶はあれども流石にその詳細までは覚えていなかった。
 クランク、モンキーレンチ、オイルライターが要所で必要だった事?
 後はリッカーは吹っ飛ばして裏返してから心臓を撃つ事。※抜き足差し足、静粛に。
 そしてセーブはインクリボンとタイプライターを使う事だ。
 まだその際にアイテムボックス部屋のテーマを思い出したが、そこで同時に気づいた。
 インクリボンでセーブとか、アイテムボックスで持ち物管理なんていうゲーム的な代物が現実にあるわけねェじゃん、と――――
 またどの作品かは忘れたが、ガンパウダーのABCを集めて銃弾を作ると言っても、薬莢と弾頭が無ければ銃弾など作れるはずが無い。
 他にも下水道で巨大蜘蛛、巨大ワニと戦って勝てる気がまったくしない。
 生き残るには正直、拳銃どころか全ての状況をロケットランチャーで切り抜けるぐらいの火力が必要な気がした。

 正直な所、今日の一件で俺はゾンビの固さを思い知った。
 そして気づいた。
 ゲームの時よりも確実にハンドガンの残弾がヤバイと気づいた。
 ネメシスやタイラントなどのBOWを相手にするなど、まったくもって現実的じゃない。
 正直、まったく勝てる気がしない。
 それにゾンビにしても撃つにしても、基本は全てをヘッドショット狙いになるだろう。
 そんな状況で道端に適当に落ちてるハーブや銃弾を集めながら生き残るなど無理難題が過ぎる。
 ――――だが俺は如何しても死にたくない。
 ゾンビに食われて死ぬなんて、例え死んでもゴメンな最期だ。
 だからもう、俺は腹を決めるしかない。
 俺は生きたい。生き延びたい。何か夢があるわけじゃないが死ぬよりは生きていたいと強く思っている。
 この世界がバイオハザードの世界であるなら、俺の願いはこの世でもっとも贅沢な願いなのかもしれない。だが俺はそれでも願う。
 英雄でなくて良い。ひたすらに平穏に生きて、穏やかに死にたいと願う。

 ====== 

 親父と話がしたいと強く思った。
 だから俺はゾンビを撃って芽生えた色々な混乱から落ち着いた後、親父の勤める警察署のオフィスに電話を掛けた。
 が、電話は一向に繋がらなかった。
 どうやら回線が込み合っているようだ。
 あまり思い出したくないが昨日の電話で親父は“噛まれた”と言った。
 ――――不安だ。
 きっとそれを感じているのは俺だけではないだろう。恐らく今回の騒動で街の多くの人間が俺と同じ不安を感じていると思う。
 正直、このまま家に引き篭もりたい。
 だがその選択肢が死に直結する事を判りきっているのが辛い。
 生きる為には行動するしかないのだろう。
 逃げるにしても確実にそれなり以上の準備が必要だ。
 武器は家にあるモノとロバートの所で幾らか手に入るだろう。
 後は食料と救急キットを初めとする幾つかの道具だ。
 しかしそれを集めるにしても今夜動くのは得策ではない。
 朝一番にそれを集めに出かけようと思う。
 今夜出来る準備を可能な限りやり遂げたら、後は物音を立てないように夜を明かすだけだ。
 そして今、俺は不安に苛まれながらこの手記を書いている。
 今夜ばかりは愛用のベレッタが頼もしい。 
 それにしても独りは不安だ。
 ――――怖い。

 ====== 
 9月25日 26時
 9月26日 02時
 深夜に親父から電話が掛かってきた。
 二日酔いで苦しんでいる時の方が快調に思えるような酷い声だった。
 親父は途切れ途切れの声で「街から逃げろ。自力での脱出が難しいのなら、警察署まで来い」と言った。
 体調の悪さを懸念して思わず大丈夫かと尋ねてみたが、親父は身体が『やけに痒くて熱い』とか『やけに腹が減る』と言った。
 
 どう聞いても“かゆうま”の症状だ。
 
 ――――ゾンビになりかけてやがる!
 不幸な事に親父には抗体が無かったのだ。
 だから俺は親父に訪れる運命に気づいてしまった。
 俺は―――――《字が滲んでいて読めない》

 《ページが破れている》





 ラクーンシティー警察から全市民に対する警報が出された。
 『住民は家から出ないように』という指示だ。
 しかしそうした警察の言葉に大人しく従う者の方が少なかった。
 それが原因か、しばらくしてからラジオで出された警察の指示は『街から避難しろ』と言うモノに変わった。
 程なく――――
 緊張を解すように深呼吸して気持ちを整えるジョーの下に、一本の電話が届いた。

『――ジョー・ナガト! 無事か!?』
「マービンか?」

 電話の相手はジョーの父親の同僚警察官マービンであった。
 警察署内部もかなり緊迫した状況にあるらしく、受話器の向こうからは多くの職員の怒号と慌しく動く騒音が聞こえた。

『――今、何処に居る?』
「自宅だ。これからケンドの銃砲店に寄って脱出の為に警察に行こうって所だ」
『なら話が早い。今、総力を挙げて俺達はゾンビ共に対抗中だ』
「そうか――」
『それともう一つ。ジョージからの言伝を預かっている。キミと連絡が繋がったら「直ぐに街を脱出しろ」と伝えてくれと――――』
「それは昨日の夜に聞いたよ。……それより親父の具合は? 昨日の夜に確か――――」
『――その件に関して俺はお前に謝らなければならない』
「マービン?」
『――――――』

 声のトーンを落として言いよどむマービン。
 それから程なく、口を開いたマービンは悔しさを滲ませながら言った。

『――ジョージは、死んだ』

 マービンの言葉をジョーは静かに受け取った。

「そう、ですか――」

 知っていた。
 前世というモノに目覚めた所為かそれはジョーにとっては予想できた結果だった。
 しかし改めて聞かされると、心にズシンと錘が圧し掛かるような気がした。
 ジョーは無言で、静かに拳を握り締めた。

『いいか、ジョー。よく聞いてくれ――』

 マービンは精神を切り替え、それ以上話を掘り下げようとはせずに、厳しい口調で言った。

『この街の状況は非常に深刻だ。ゾンビに襲われ、そして死んだ連中もゾンビになり、数を鼠のように増やしているのが現状だ。我々は現在、バリケードを作って奴らを食い止め、その間に住民の避難を急がせている。脱出用の緊急車両でだ。厳しい事を言うが、今は君一人の為にこちらから救援に人を回せる余裕がない』
「あぁ」
『――銃の撃ち方はジョージやバリーから習ったな? ソレを使って直ぐに行動するんだ。急いだほうがいい』

 ジョーは肩に吊るした護身用の拳銃と、昨晩の内に準備した脱出用の荷物をチラリと確認する。

『無理を承知で言うがこの状況だ。余裕があれば要救助者になるべく手を貸してやってくれ』
「了解だ。警察署で会おう」
『――――幸運を』

 己の無力をかみ殺すように言うマービン。
 それに対しジョーは短く応えてから受話器をおいた。
 電話で応対したジョーの声は、込み上げる恐怖を押し殺すように平坦だった。
 深く息を吐く。
 バイオの記憶が死んだ親父がゾンビになった事を予想させていた。逆に言えば父の死に関しては、冷たいようだが昨晩の内に予期できていたのだ。そうでなければ受け入れ難い程の衝撃を受けていただろう。
 風に漂う凧にも似た気持ちでジョーは鋭い双眸を見開く――

「……死んでたまるか」

 ジョー・ナガトという少年はある意味で、他のラクーンシティーの住人よりも多くの幸運に恵まれていた。
 街に住む誰よりもこの先の展開を知り、気づいてから精神を持ち直す時間があり、加えて緊張と不安に押しつぶされて動きを鈍らせる住人が大半の中で、専門家のように状況に対して鋭敏に動ける天性の才と訓練を受けてきたからだ。
 きっかけは母親の死にある。
 母の死に泣いたジョーに、父のジョージ・ナガトは人生の困難に立ち向かう術と戦う技術を教えていたのだ。またそんな父の傍らには、後押しするロバート、バリー、マービン、ケビンと言う同僚の警察官や多くの友人の協力があり、彼らの知恵も受け継いでジョーは今日を迎えていた。
 図らずもこの十数年と言う期間の間に受けていた多くの経験が、覚悟を決めて立ち向かえる人間へとジョーを育てていたのだ。

「――よし!」

 ジョーは父の部屋に置かれたトランクを持ちだし、厳重に封印されたそのロックを解除した。
 トランクの中には父の私物の“大型リボルバー”が一丁と、専用の銃弾があった。
 44マグナム。
 その威力から護身用としては聊か過剰で、携行するのも戸惑われる程。
 しかしこの地獄と化した街で生き残るには非常に心強い性能だと言い切れる怪物拳銃だ。
 ジョーは武器の封印を解くように予め用意されていた専用の銃弾を一発ずつシリンダーに装填し、身支度を整えた。
 ポケットの多い黒のワークパンツ、生地が厚くて長袖の上着、予備の銃弾と常備薬、そして救急スプレーの等をつめたナップザック――

「――きゃぁああああ」

 父の私物であるコンバットナイフとマグナムを腰に巻いたポーチに装備した直後、アパートの階下で管理人の女性が悲鳴を上げた。
 ジョーはその声を受け、咄嗟に部屋の戸を蹴り破って直ぐに階下に駆けつけた。
 アパート一階の玄関口は破られ、一階のホールには大量のゾンビが溢れかえっていた。

「全員、逃げろ!」

 ジョーは一階の住人達に襲い掛かろうとするゾンビの頭を次々とベレッタで狙った。
 ゆったりとした動きのゾンビをヘッドショットで三体仕留めるが、それ以上の数がアパートの一階部分を埋め尽くさんと迫る。
 そして銃声に反応したゾンビの群れが、一斉にジョーの方を向いた。
 
「助けっ! 助けて――」
「くそっ!」

 亡者の群れに飲み込まれた顔見知り達が血まみれの手をジョーに伸ばした。
 しかし直ぐにその手は力無く地面に落ちた。
 無数のゾンビが人を食らう為に群がってゆく様はまさに地獄絵図だ。

「――多勢に無勢か!」

 目の前で死んだ者達に哀悼の意を捧げる余裕は無かった。
 状況を見て、ゾンビの群れが埋め尽くす玄関からの脱出を断念したジョーは直ぐに踵を返して近くの部屋のドアを蹴り破った。
 蹴り破った先に居た部屋の住人は、銃を構えて進入したジョーを見るなり悲鳴を上げた。

「なんで扉を壊すんだ! 奴らが入ってくるじゃないか!」
「やかましい! 死にたくないならアンタも逃げろ。此処に居ても助からないぞ!」
「そんな! 嘘だろ!」

 蹴り破った部屋の男性は恐怖に慄きながらジョーを見た。
 恐怖で蒼白になった顔で逆上する声をあげるが、それをジョーは怒号のような一言で切り捨てる。
 震えながら命乞いをしても助からない。既に死に絶えた虚ろな目で無心に生きた人間を貪るゾンビ達に命乞い等通じない。
 既にジョーはそれ強くを確信していたからだ。

「――生き残りたいなら自分で動くしかない。行くぞ!」
「っ!? お、おい! アンタ――――」

 恐れおののく男性を尻目に、ジョーは部屋のベランダの戸を開けて二階部分から路地裏へと飛び降りた。
 着地後。ジョーは叫んだ。

「警察署に行けば脱出できる筈だ! だからアンタも早く来い!」
「そんな、無理だ! 俺は飛べない!」
「知るかバカヤロウ! 早く飛べ!」
「だから飛べないんだって!」

 二階から飛び降りるという恐怖を前に男性は足を竦ませる。
 だが無常にも、その後ろから多くのうめき声が響いた。

「お、おい! 奴らが来た! おい、アンタ銃を持ってるんだろ! 助けてくれよぉ!」
「ここからじゃ狙えない! いいから早く飛び降りろ! この程度の高さで死ぬか!」
「だから出来ないんだって! 俺は高所恐怖症なんだ!」
「知るか、クソッたれ! 早く飛び降りろ! 死にたいのか!?」

 ジョーが根気強く強く促し続けた事で、男性は漸く腹を決めてベランダに足をかけた。
 ――――だがその直後に背後から伸びた無数の手によって、彼は部屋の中に引きずり込まれた。

「うああぁああ助けてくれぁああああ!!」

 無数の呻き声の中で一際大きな悲鳴がこだました。
 それが男の断末魔の叫びであると察したジョーは思わず顔を顰め、眼を伏せる。
 ジョーは電話口でマービンも感じていたであろう己の無力さに強く歯噛みした。

「――すまん!」

 ジョーは日本語で小さく謝った。
 前世のジョーは日本人だった。
 この状況でなければ日本語に堪能になった事を素直に喜んでいただろう。
 そんな楽観的になれる日常の中にもう一度帰りたいと強く祈りながら、ジョーは路地に入ってきた数体のゾンビを撃ち、怯んだ隙を体当たりで蹴散らしながら大通りへと歩み出た。





 車で脱出を試みた者が多数事故を起し、その影響で破壊された給水ポンプからとめどなく水が路面に溢れ出していた。
 また路面には汚泥の他、多数の流血と臓物が溢れかえり、その死肉に多くのカラスが群がっている。
 動くモノといえば無数のゾンビだ。その中には炎上した建物の火をその身に纏った異様な個体も居た。
 車を動かしてバリケードを作り、生きてゾンビに応戦する街の住民の姿もちらほらと見えたが、ゾンビの圧倒的な数の暴力にはあまりにも微力な抵抗しか出来ていない。
 見知った街の変わり果てた様子を前に、ジョーは己に出来る最低限を実行する。

「――――生きてる奴は警察署を目指せ! そこに行けば街から脱出できるぞ!」

 愛銃のベレッタを構えて生き残りの住人達に襲い掛かるゾンビを蹴散らしながら、ジョーは生存者達に脱出を促した。
 それは正義感からの行動と言うより、現実逃避に近い行動だった。
 ジョーは目の前の現実をまともに受け入れる事を拒んだ。
 拒んだが故に、マービンからの頼みを心の支えとしたのだ。

「――――誰か助けて!」
「っ!?」

 叫ばれた声に振り返ると白いドレスを着た金髪の少女を筆頭にして数人の生存者が走ってくる様が見えた。
 一同は悲痛な顔でジョーの下にたどり着く。が、同時にその背後に無数のゾンビと赤い眼を爛々と光らせる無数のカラスを引き連れていた。

「お願い! 私達もつれて行って!」

 先頭に居た少女――否、女性の事はジョーもよく知っていた。
 度々紙面に登場するラクーンシティの市長マイケル・ウォーレンの娘だった。

「下がれ!」
「っ!?」

 ジョーは助けを求めた生存者らの言葉を遮り彼らを背後に隠して、背後を追ってきたゾンビ達をベレッタで撃った。
 しかし多勢に無勢だった。
 その際、ジョーはふと視界に入った事故車に視線を向けた。
 使える――― 
 そう気づくや否や、左手でマグナムを取り出してガソリンを零した事故車に向けて銃弾を放つ。
 直後。燃料タンクを打ちぬかれた事故車はゾンビとカラスを巻き込んで大爆発を起した。

「――――手首が外れそうだぜ、まったく」

 ジョーは一つ舌打ちをした。
 マグナムの威力は申し分無しだが、いかんせん銃弾が希少で威力の過ぎる高さが問題だ。
 一先ず危機を乗り越えたジョーは、痛む左手首を軽く振りながら匿った生存者達に振り返る。
 
「とにかくここから一端離れるぞ。走れるか?」
「え、あ……はい!」
 
 生存者達を促し、足早にその場からの離脱を急ぐ。
 最終的な行き先は警察署。だが、その為にもまず、ジョーが最初に目指したのはその道中にあるケンドの銃砲店だ。





 最初の事件発生からおよそ一週間がたった。
 その期間でラクーンシティーに溢れかれる亡者の数は爆発的に増えた。
 警察職員はバリケードを展開してゾンビの侵攻を食い止めたが、もはや防衛能力にも陰りがあった。
 そうした防衛力の低下の最たる原因はゾンビに他ならない。
 だがそれと同じくらいに警察職員の手を焼かせていたのは、この事件の混乱に乗じて暴徒と化したラクーンシティーの住人の存在だ。生存者を喰らおうとするゾンビよりも、恐怖と混乱で正気を失った住人の行動の方が予測困難で、警察官らは時に住人の混乱を増長させる無法者を見せしめに射殺した。――――そしてその行動が原因となり、今度は処刑を行った警官が自ら命を賭けて死地に立ってしまうことが度々発生した。
 その結果、対応の人手不足に更なる拍車を掛ける悪循環となった。
 加えて警察の上層部。これが最も厄介な存在だ。

「――避難民移送車両は後何台残っている?」
「4台……いえ3台です!」
「そうか――――」

 マービンをはじめとする現場のラクーン警察職員は、懸命に住人の脱出作戦に動いていた。
 美術館を改築したラクーン警察署。その敷地は並みの施設よりも広大で、防衛の観点から見ても、正しく使えば住民の避難場所としてはうってつけだ。
 故にこの時ばかりはマービンも、この奇妙なラクーン警察署の本舎と、この場所を頑なに使い続けた署長の“悪趣味”を素直に褒めた。
 だがそれはそれ。既にマービンはブライアン署長を見限っていた。
 署長には証拠こそ無いものの街を牛耳る製薬企業アンブレラ社の重役や、市長との黒い噂が古くからあった。
 それで私腹を肥やし、警察署内に趣味の悪い美術品を幾つも展示する悪癖があった。
 加えて今回の事件の発生から、その後の対応に至るまでの全ての行動が余りにもお粗末だった。
 事態を楽観して初動対応を滞らせたばかりか、漸く行動したかと思えば署内の武器の一極集中管理体に口を挟み、弾薬と銃本体の位置を滅茶苦茶に変えてくれたのだ。
 それはこの非常時における迅速な対応の“邪魔”と言う意味では、舌を巻くほどに有能で、マービンはブライアンと同じ警察バッジを身につけた事がひどく恥ずかしいとさえ思った。
 故に現在。
 全職員に指示を出して陣頭で街からの脱出の指揮を取り仕切って居るのがマービンだった。
 もしも彼が有能でなかったら、生きてラクーンシティーからの脱出に成功した者はより少なくなっていただろう。
 しかし後の歴史にそれを知る者は非常に少ない。

「――受け入れた避難民の中にジョージの息子はいるか?」
「いえ、現状ではまだ確認できていません」
「っ――」

 部下からの返答を受けたマービンは思わず眉間に皺を寄せる。
 電話で同僚のジョージ・ナガトの息子ジョー・ナガトに脱出を促してから、もうじき2時間が経つ。
 幼少の頃からその成長を見守ってきた大人の一人として、マービンはジョーが生きて街から脱出する事を強く望んでいた。
 マービンはチラリと、デスクに置かれた自身の銃に視線を落とす。
 それはゾンビに噛まれ、ゾンビと化したジョージ・ナガトを“射殺”した銃だった。

(あの時、なけなしの勇気さえ出していれば――――)

 マービンは悔やんでも悔やみきれない強い後悔にさいなまれた。
 脳裏に過ぎるのは、数ヶ月前の出来事だ。
 今年七月。
 アークレイ山地で起こった猟奇殺人事件。
 その調査に赴き、内部で起きた凄惨な事件の渦中で生き残ったS.T.A.R.Sの隊員らがある報告書を纏めた。
 それは製薬企業アンブレラが生物兵器を作り、それが今日に続く全ての事件の元凶だったという内容であった。
 生き残ったS.T.A.R.Sのメンバーは、事件の真実を広めてアンブレラを強く糾弾しようとしたが、ラクーンシティーはアンブレラ社の影響力が強く、寧ろそれを叩こうとしたクリスやジル達を叱責した。――――そして当時、マービンもその一人だった。
 頑なにアンブレラを糾弾するというクリスやジルを引きとめもした。だが今になって思えば、クリスやジル達の方が正しいと、もはや疑う余地は無い。

「……神よ」

 マービンは天を仰ぎ主に祈った。
 懸命に人を救う為に動いた男がゾンビとなった。
 ソレでは余りに救いがないではないか。
 せめてジョージが末期の瞬間までその身を案じていた彼の一人息子(ジョー・ナガト)だけでも救ってくれ、と―――

 それから程なく、マービンは自ら電話を取り、部下に幾つかの指示を出した。
 脱出用の車両を用意し、動かせる部下を街に送り、少しでも生存の可能性を上げる。
 たった1人の為に10数名の生存者を見捨てるわけにはいかないが、それでも何とかしてやりたいと思っての行動だった。
 街からの脱出に使う車両も残りは3台となった。
 ジョーが到着するまでの時間をなるべく引き伸ばしてはいるものの、それでも限界は近い。
 
「――――ダメだな」

 マービンは不安に包まれそうになる頭を振った。
 平静さを取り戻すべく、あえていつもどおりの行動をとろうと、マービンは紛失物の管理帳簿を開いた。
 デスクの脇にある棚の上には、歓迎会用のクラッカーと幾つかのアイテムがおかれていた。
 それは3日後には着任するであろう実に不幸な新任警察官を迎える為に用意した歓迎の小物だった。