バイオハザード インクリボンがゴミと化した世界で   作:エネボル
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01 かゆうまとか笑い事じゃない

 幼少の頃、俺の一家はラクーンシティーに引っ越した。
 その際に俺はなんとも言えない妙な忌避を感じたらしく、引越しの日にひどく泣いたそうだ。
 今、思えば、それは虫の知らせの様な――
 あるいは“予兆”という奴を感じての事だったのかもしれない。

 
 ☆

 
 ジョー・ナガトの手記 その1


 9月23日

 最近になって“暴動事件”という単語を紙面でよく目にする様になった。
 その度に思うのだが、やけにその数が多いんじゃないだろうか?
 また、それに関係して、最近ラクーンシティで多発する幾つかの事件についてどこぞのインテリが、偉そうなコメントを紙面に載せているのを見た。
 曰く、『荒んだ心が事件を引き起こすのだ――』と、の事。
 俺にはどうにもそれだけ(・・・・)の様にはとても思えないのだが、世間の感覚ではそれが主流のようだ。
 また、それとは別に最近よく耳にするのは、“人が人を食う”という奇怪な噂がある。
 確かこちらの噂が流れ始めたのは夏ごろだ気がする。

 暴動事件は兎も角として“食人鬼の噂”の方だが、これに関しては当初、実際に起こった事件を元に創作した一過性の作り話で、所謂、ロズウェルの円盤(UFO)的な、新聞社の作った大衆向けの流行オカルトだという風に思っていた。
 だから俺も最初こそはあまり気にも留めていなかった。
 だが、どうにも最近になってそれがただ作り話には思えない様な気がした。と言うのも、最近の街の皆の様子が少しおかしい(・・・・)という風に感じるようになったからだ。 
 外を歩く際に妙な緊張を強いられるし、それに街全体の雰囲気もやけに陰鬱というか不穏。――はっきり言えば皆、何かを怖がっている。そんな印象を受ける事がやけに多い。

 俺も日記だからこそココに素直に本音を書くが、俺も現状に対して少しだけ不安を感じている。 
 特にここ数日間は体調の悪さも手伝ってか、余計に気分が滅入ってひどくそう思うようになった。 
 有事に対する備えと戸締りを確認した上で、今日はもう寝る事にする。
 どうにも熱っぽく、頭が痛い。


 9月24日

 父子家庭且つ親父が警察官。そんなよくあるとは言い難い特殊な家庭環境の所為か、独りで夜を明かす事にもすっかりと慣れてしまった。
 ちなみに最近の街の様子だが、こっちはかなり不穏である。
 親父に状況を聞こうと思って待っているのだが、どうにも警察の方はかなり忙しいらしく、現在もまともに家に帰れない状況が続いている様子。
 しかもそれを裏付けるように今日、街に“非常事態宣言”という知らせが出された。
 また昨日の夕方の時点では、付近の学校が緊急閉鎖されたらしく、そんな連絡が今朝友人から届いた。

 何かがおかしいと、特に今日は今朝からそれを強く感じた。
 しかし俺は、あえて家の外に出てみる事にした。
 『用のない外出は控え、戸締りは厳重に――』という知らせを警察と市の両方から受けたが、どうにも独りで家に篭るのは想像している以上に気分が滅入ったからだ。
 出かけたのは近所にあるバイト先、“ロバート・ケンドの銃砲店”で、今日はそこに行く事にした。
 街に漂う空気の所為か、店は銃を求める客の活気で満ちており、あまりお目にかかった事がないほどに繁盛していた。
 正直、珍しい光景だと思った。普段は店の常連か、その手の趣味を持つ人間か、或いは仕事で銃を扱う人間くらいしか訪れ無いというのに――。まぁでも、利益が増えるなら結構な事。少しおだてれば来月の支給には多少色をつけてくれそうな気がしたので、俺は媚を売るように接客のヘルプに入った。
 それからしばらく。未だかつてない活気に店主のロバートは忙しいと嬉しそうな悲鳴を上げているのを見た。
 だがそれも最初の内だけだった。
 飛ぶように売れていく銃を見て気分良さそうに笑っていたロバートだが、次第に事態が武器を必要とする程に緊迫していると考えたのか、仕舞いには街に対する不安を吐露しだした。
 俺もそれは同じだ。
 このまま何事も無ければ――と思う。
 だがそんな風に思っていた矢先に家に戻れば、今度は留守番電話に親父からのメッセージが入っていた。
 『出かける時は必ず銃を携帯しろ』、『必要とあれば私物のいくつかを拝借しても良い』という言伝に加え、『新たに発生した暴動の対応で、取り押さえようとした暴徒に腕の一部を噛み千切られた』という報告があった。 
 噛み付かれたとは流石に穏やかじゃない。大丈夫だろうか?
 本気で心配だ。


 9月25日

 《日本語で書かれている》

 聊か精神的なショックが大き過ぎる。
 一度、冷静になりたい。
 とりあえず、今日(・・)、俺の身に起こった出来事を大まかにだが、書き殴る事にする。
 まず連日の暴動事件で人々を襲っていた存在についてだが、今日からコレは公的に食人鬼(ゾンビ)と呼称されるようになった。
 冗談のような話だが理由はそれ以外に呼称のしようがないからだろう。
 “蘇った死体が人を食う”など、まさにロメロの作った『ゾンビ』。
 そして相手がまさにそう言った怪物で、故にそれ以外に呼びようがないからだ。
 ついでに現在、窓の外から聞えてくる悲鳴と呻き声は、そいつら(・・・・)が原因だ。

 この期に及んで俺は、明日には街に平穏が戻るなんて妄想はしていない。
 ここより先にあるのは“地獄”だ。
 少なくとも()だけはそれを知っていた。
 思えば、予兆は既にあった。
 “ラクーンシティー”と“アンブレラコーポレーション”。
 それら名前を聞いた際に俺は、確実にそれらに対する強い忌避感を感じていた。
 どうしてそれ(・・)にもっと早くに気づかなかったのだろう。
 正直、過去の自分を殴りつけたくなる。
 それ程に事態は深刻だ。

 ――――俺《・》はこの瞬間に起きている“出来事”について知っていた。

 理由はわからないが、だがどうしてか俺は、今の俺がまだ今の俺ではなかった頃の記憶を思いだした。
 所謂『前世』とか、そういう(・・・・)荒唐無稽な表現でしか説明の出来ない“謎の記憶”が芽生えたのだ。
 正直、こんな話を書き出した俺を周囲は狂ったように思うだろう。
 俺自身がそう思うのだから当然だ。
 しかし、事実なのだから仕方がない。

 体感としては数十年前のモノだろうか? それ程の時間が経過しているような記憶だ。しかしそれでも尚、色あせずに記憶に残る程、この状況を描いたビデオゲーム『バイオハザード』の事は印象的だ。アメリカだと『レジデントイーヴィル』という名前で販売されたようだが、まぁそれは重要な事じゃない。重要なのはこれから――否、既にゾンビ映画さながらの地獄が始まるという事。そして生き残る為に、かなり本格的な行動をしなければならないという事だ。

 それと記憶の件に前後して俺の身に起こった出来事がもう一つある。
 俺が初めて人に銃を向けた事だ。否、向けるどころか引き金を引いて、4発もぶっ放した事だ。
 保存食とミネラルウォーターを買いに出かけた帰りの際、俺はそこで初めてゾンビと相対した。その際に俺は、親父に言われた通り護身武器を携行していたので咄嗟の対処に事欠きはしなかったが、それでも現実離れした光景に強いショックを受けた。
 正直、未だショックが抜けきらないくらいだ。
 だが、精神的な部分ではある意味、吹っ切る事が出来たかもしれない。
 足に1発、心臓に2発、頭部に1発撃ちこんでもまだ動こうとする存在が人間であってたまるか。あれは人間じゃあない。文字通りの怪物だ。
 だから次に会った時は確実に頭を撃ち抜ける。今度は余計な警告も無しだ。
 それだけは確実に出来るようになった気がする。

 ====== 

 ――――長々と書いたが、要するに俺には前世でこの状況を描いたバイオハザードというゲームで遊んだ記憶があるという事。そして生きる為には、本気でこの状況を攻略してのける以外に方法が無い事だ。
 前世の記憶はこれから(・・・・)の地獄を生き残る為に必要な、知識の宝庫とも言えるだろう。とはいえ、それを喜ぶのとは別なような気がして若干憂鬱だった。何より思い出すなら思い出すで、もっと早い段階でそれに気づきたかった。どうにも、ふとした拍子にそればかりを考えている。
 兎も角、現在の状況的に、今が“バイオ2”、“バイオ3”、“アウトブレイク”の時代だと言う風には想像ができた。確かバイオ2は警察署、バイオ3とアウトブレイクは街全体が舞台となった筈。
 正直、ゲーム本編の印象深いシナリオやギミック以外の詳細についての記憶が薄く、それだけが難点だった。
 特にアウトブレイク関連の記憶がほとんど無い事が痛い。
 確か、酒場のウェイトレスのような民間人を主人公にしたゲームだったか? 正直、そのくらいの事しか覚えていない。
 この記憶の虫食いが切っ掛けで今後致命的な事に遭遇しないと良いが、こればかりは祈るしかないだろう。とりあえず、ゾンビをなるべくヘッドショットする事。リッカーは足音を立てずに殺す事。植物や昆虫系のクリーチャーは炎を使って殺す事。インクリボンとタイプライターを使ってセーブする事。と、ゲームの知識として何となくそれらについての記憶はある。
 ――そして“セーブ”なんて言う都合のいい代物が、この紛れも無い現実にあるとは到底思えない事に気づいてしまったが、まぁそれに関してはもう腹を括るしかないだろう。
 こうしてあれこれと日記にそれっぽい言葉を書き連ねて、使えそうな情報を記憶からサルベージ出来るだけありがたいと思はねば。
 まったくもってこの世は地獄だ。
 改めてそう感じた。

 ゾンビに食われて死ぬなんて、例え死んでもゴメンな最期だ。
 生きたい。
 生き延びたい。
 将来に夢や展望があるわけじゃあないが、それでも死ぬよりは生きていたい。
 こんな事、改めて書くような事じゃないかもだが――。それにこの世界が『バイオハザード』なら、俺の願いはこの世で一番贅沢かもしれないが、俺はそれでも強く本気で願う。
 英雄でなくて良いから、ひたすら平穏に生きて穏やかに生きたい。
 死にたくない。

 ====== 

 先程から親父の勤める警察署のオフィスに電話を掛けいるが電話は繋がらなかった。
 回線が込み合っているらしい。
 あまり思い出したくないが、昨日の電話で親父は暴徒に噛まれたと言った。この場合の暴徒とは十中八九、ゾンビの事だろう。
 ――不安だ。だが同時に、“最悪”を想定しておく以外にもはや手は無いのだろう。
 正直、このまま家に引き篭もりたいとさえ思う。
 だがその選択が死に直結する事を判りきっているのが辛い。
 生きる為には行動するしかない。
 武器は家にあるモノとロバートの店で幾らか手に入る。後は食料と救急キットを初めとする幾つかの道具だ。
 しかし今、集めるにしても夜に動くのは得策ではない気がする。
 行動を起すなら朝一番だ。
 今夜出来る準備を可能な限りやり遂げたら、後は物音を立てないように夜を明かす。

 そして今、俺は不安に苛まれながらこの手記を書いている。
 今夜ばかりは愛用のベレッタが頼もしい。 
 それにしても独りは不安だ。
 怖い――。

 ====== 
 
 9月26日

 親父から電話が掛かってきた。
 二日酔いで苦しんでいる時の方が快調に思えるような酷い声だった。
 親父は「街から逃げろ。自力での脱出が難しいのなら、警察署まで来い」と言った。
 俺は体調を懸念して思わず「大丈夫か?」と尋ねたが、それに対する親父は大丈夫だという軽口だった。
 
 ――――ただし、その際の受け答えの中に、『身体が痒くて熱い』や『やけに腹が減る』という台詞があった。

 どう聞いても、あの有名な“かゆうま”の症状だと思った。
 親父は――もしも俺の勘が正しいのなら――『ゾンビ』になりかけていた。
 親父に訪れるこの先の運命に気づいた俺に出来る事はなんだろう、か?
 思い出したばかりのバイオの知識に、“かゆうま”から人を救う方法はない。
 唯一、判るのは、親父が“T”に対する抗体を持たなかった事。そして感染した人間はほぼ間違いなく殺すしかない事だけだった。

 ――――親父は、死ぬんだろうな。

 で、それで一体俺はどうしたら良い?
 生きろってか?
 簡単に言う……だったら教えてくれ。
 俺は、どうしたらいい?
 どうしたら生きれる?

 ちくしょう

 《字が滲んでいて読めない》

 《ページが破れている》


 ☆


 ラクーン警察から全市民に向けての指示が出された。安易に家から外に出ないように――という警報に近い内容だ。
 しかし警察の言葉に大人しく従う者の方が現状は少なく、人々は己の意思で街の外への脱出を開始した。
 そんな人の動きが切っ掛けとなったのか、それとも遂に警察でも収拾が付かなくなったのか――。
 程なくして発せられたラジオからの指示は、“街から脱出しろ”の一点張りに変わった。

 ジョー・ナガトの下に一本の電話が届いたのは、まさにその時である。

『――ジョー・ナガト! 無事か!?』

 緊張を解すように深い呼吸を一つとったジョーは、意を決して受話器をとった。
 電話の相手はジョーの父親――ジョージ・ナガトの同僚である警官――マービン・ブラナーであった。
 受話器の向こうでは多くの警察職員の怒号に近い悲鳴や、多くの騒音が聞こえた。

『今、何処に居る?』
「――自宅です。一度ケンドの銃砲店に寄って、それから街からの脱出の為に警察に行こうって所です。そっちはどうですか?」
『聞いての通り死ぬほど忙しい。それこそ猫の手も借りたいぐらいにな――』

 マービンは受話器の奥で溜息交じりの苦笑を浮かべた。

『――それはそうと、それなら話は早い。今、総力を挙げて俺達はゾンビ共に対抗中だ。君もその隙に早く街から脱出しろ。ちなみにこれは俺だけじゃなく、ジョージ・ナガトからの言伝でもある』
「それは昨日の夜に既に聞いますよ。――それよりマービン。親父の具合を教えてくれ。昨日の夜には確か――――」
『――その件に関してだが、俺はお前に一つ謝らなければならない』
「――――――と、言うと?」

 声のトーンを落として言いよどむマービンの只ならぬ様子を、ジョーは如実に感じ取った。
 半ば予想している答えを沈黙で待つと、程なく――

『――ジョージは、死んだ』

 と、マービンは絞り出すような声で告げた。
 それを聞いてジョーは思わず天井を仰いだ。

「――そう、ですか」

 絞り出した声は平坦な物であった。
 しかし、知っていたと平然として受け止めるには、聊かに酷な台詞であった。
 所謂、前世の記憶と言う代物に目覚め、そこから状況を推察し、現実を受け止める心の準備をしていたとはいえ、他人の口から宣告された肉親の死にジョーの心は軋みを上げた。
 だが、それを頑なに隠すよう勤め、ジョーは電話越しにマービンの台詞を――その先の用件を促した。唯一、握り締めたジョーの拳は内心の動揺を表現するようにギリリと軋んだ。
 
『いいか、ジョー。よく聞いてくれ。この街の状況は非常に深刻だ』

 ジョーの心情を察してか、マービンはそれ以上話題を堀下げる事無く、勤めて事務的に言った。

『現状、ゾンビに襲われて死んだ者もゾンビとなり、その数はもはや計測出来ない域に達している。我々もバリケードを設置して奴らを食い止め、その間に生存者の避難を急がせてはいるが、その防御もいつ破られてもおかしくない。それが現状だ。――厳しい事を言うようで悪いが、現在、君一人の為にこちらからの救援を回す余裕はない。銃の撃ち方はジョージやバリーから習ったな? 脱出の車両は警察で用意する。直ぐに行動するんだ』
「――――了解」
 
 ジョーは感情を押し殺して返答した。
 そして肩に吊るした護身用の拳銃と、昨晩の内に準備した脱出用の荷物をチラリと確認する。

『――無理を承知で言うがこの状況だ。余裕があれば要救助者になるべく手を貸してやってくれ』
「判った。ひとまず警察署を目指す。そこで会おう」
『幸運を!』

 己の無力をかみ殺すように言うマービンとは対照的に、ジョーは最後まで己の感情を殺した。
 短く平坦な声での返答を最後に受話器を降ろし、ジョーはそこで一つ、黙祷を捧げるように深く息を吐く。
 そして、

「――――死んでたまるか!」

 父の死に黙祷を捧げたジョーはその鋭い双眸を見開き、己に宣言した。

 ジョー・ナガトという少年は、ある意味では多くの幸運に恵まれていたとも言える。と、言うのも、主観的に見ると彼の人生には聊かの不幸が目立つが、それでも地獄を生き残る才能と、それを育む環境には恵まれていたからだ。
 幼き頃、母の死に泣いたジョー・ナガトに対して、その父のジョージ・ナガトは彼に人生の困難に立ち向かう術と戦う為の技術を授けた。また、その父の傍らには、ジョーに教えを施せる有能な友人も多数存在した。ロバート・ケンド、バリー・バートン、マービン・ブラナー、ケビン・ライマン――それら稀有な才能を持つ多くの者からの教導を受けて、ジョー・ナガトという少年は今日を迎えていた。
 図らずもこの十数年と言う期間に受けた多くは、ジョーを覚悟を決めて立ち向かえる人間へと開花させた。

 マービンとの電話の後、ジョーは父の部屋に置かれたトランクを持ちだして、その厳重に封印されたロックを解除した。
 トランクの中には父の私物である“大型リボルバー”が一丁と、その専用の銃弾が封印されていた。
 44マグナム――それは護身用としては聊か過ぎる火力を持ち、普段使いで携行するには少々過剰な代物。しかしこの時、地獄と化した街で生き残る上では、非常に心強い性能を誇ってくれる怪物であった。
 ジョーは武器の封印を解くように、予め用意されていた専用の銃弾を一発ずつシリンダーに装填した。
 そして手早く、身支度を整えた。
 ポケットの多い黒のワークパンツと生地の厚い長袖の上着を纏い、水と食料と予備の銃弾と常備薬類を詰め込んだナップザックを背負った。

「――きゃぁああああ」
「っ!?」

 父の私物のコンバットナイフとマグナムを腰のポーチに装備した時、アパートの階下で管理人の女性が悲鳴を上げた。
 ジョーは部屋の戸を蹴り破って豪快に外に踊り出ると、直ぐに階下で起こる騒乱の中に駆けつけた。
 アパート一階の玄関口が破られ、一階のホールは大量のゾンビで溢れかえっていた。

「全員、逃げろ!」

 ジョーは住人達に襲い掛かろうとするゾンビの頭を次々と愛用の拳銃ベレッタで狙い撃った。
 ヘッドショットで手早く三体。
 ゆったりとした動きに惑わされる事無く、ジョーは冷静な射撃で次々と脅威を沈めて行く――。
 ――が、それ以上の数がアパートの一階部分を埋め尽くさんと迫った。

「――くっ」


 銃声に反応したゾンビの群れの意識がジョーの方へと向いた。
 その数は両手両足の数を超える程。
 その余りの数を見たジョーは直ぐに応戦を辞めて、一歩、距離をとる――

「助けっ! 助けて――」

 チラリと視線を向けると、亡者の群れに飲み込まれた顔見知りが、血まみれの手をジョーに伸ばしていた。
 しかし直ぐにその手は力無く地面に落ちた。

「――多勢に無勢か!」

 無数のゾンビが人を食らう為に群がってゆく様はまさに地獄絵図。
 目の前で死んだ者達に哀悼の意を捧げる余裕すら無く――。
 ジョーはゾンビの群れが埋め尽くす玄関からの脱出を断念し、直ぐに踵を返して近くの部屋のドアを蹴り破った。
 蹴り破った部屋の先に居た住人は、銃を構えたジョーを見るなり、鋭く悲鳴を上げた。

「なんで扉を壊すんだ! 奴らが入ってくるじゃないか!」
「どのみち此処に居たら死ぬ。死にたくないならアンタも逃げろ。此処に居ても助からないぞ!」
「――そんな! 嘘だろ!」

 部屋の男性は恐怖に慄きながらジョーを見上げた。
 男は恐怖に竦みあがり蒼白になった顔で逆上するが、ジョーはそれを淡々と切り捨てた。
 震えながら命乞いをしても助からない。既に死に絶えた虚ろな目で無心に生きた人間を貪るゾンビ達に命乞いは通じない。ジョーはそれだけは強くを確信していた。

「――生き残りたいなら自分で動くしかない。行くぞ!」
「っ!? お、おい! アンタ――――」

 ジョーは部屋に居た男を先導する様に、唯一外に繋がるベランダの戸を開けた。そして二階部分から地上の路地裏へと続く高さを、軽々と飛び降りて見せた。

「警察に行けば脱出用の車両があるはずだ! アンタも早く来い!」

 と、ジョーは男を促した。
 しかしそんなジョーを見て、男は青い顔で言った。

「――そんな、無理だ! 俺は飛べない!」
「飛べよ」
「だから飛べないんだって!」
「あ? なんで!?」

 ジョーは苛立ちを込めて男を急かすが、それでも男は頑なにベランダの手すりにしがみ付き、決して飛ぼうとはしなかった。
 男は二階から飛び降りるという恐怖を前に、足を竦ませていたのだ。
 ――無常にも、そんな男の背後に多くのうめき声が迫った。

「お、おい! 奴らが来た! おい、アンタ! 銃を持ってるんだろ! 助けてくれよぉ!」
「ここからじゃ狙えない! いいから早く飛び降りろ! この程度の高さで死ぬか!」
「だから出来ないんだって! くっそ! 俺は高所恐怖症なんだ!」
「知るか、クソッたれ! 早く飛び降りろ! 死にたいのか!?」
「~~~っ!?」

 ジョーが根気強く強く促し続けた事で、男性は漸く腹を決めベランダに足をかけた。
 ――――しかしその決断は余りにも遅過ぎた。
 背後から伸びた無数の手によって男は脱出の為に背を向けた筈の己の部屋に深く引きずり込まれた。
 そして直後、

「うああぁああ助けてくれぁああああ!!」

 無数の呻き声が響く中で一際大きな悲鳴が周囲にこだました。
 死への怒り、恐怖への許しを幾つも幾つも口走りながら、男は生きながらに亡者に喰われて逝った。
 その余りにも無残に過ぎる“死”を目撃したジョーは思わず顔を顰めた。
 
「――すまん」

 ジョーは反射的に日本語での謝罪を口にした。
 昨日の段階でもしやと思ったが、どうやら前世のジョーは日本人だったようだ。
 もしも状況が状況ならば、余りにも呆気なく日本語に堪能になった事を素直に喜べた。
 しかしそんな楽観的な考えに浸れるような日常は、既にこの街の何処にも存在しなかった。




 路地をうろつく数体のゾンビを撃ち、動きが怯んだ隙を肩からの体当たりで蹴散らしながら、ジョーは遂に大通りへと辿りついた。
 そこには凄惨な光景が広がっていた。
 そこには穏やかな日常の面影は一切無い。
 車で脱出を試みた者が事故を起していた。その影響で破壊された給水ポンプから水流が溢れ、石造りの路面をひどく水浸しにしていた。路面には汚泥の他に多数の流血と死者の臓物が溢れ返っており、その死肉を無数のカラスが汚らしく食い散らかしている。
 唯一動くモノがあるとすれば、それこそ無数のゾンビである。その中にほんの僅かだが、生きてゾンビに応戦する街の住民の姿が見えた。しかしゾンビの圧倒的な数の暴力を前に、彼らはあまりにも微力な抵抗しか出来ていないのが現状。
 ――そんな見知った街の変わり果てた様子を前に、ジョーは己に出来る最低限を実行した。

「――生きてる奴は警察署を目指せ! そこに行けば街から脱出できるぞ!」

 愛銃のベレッタを構え、生き残った街の住人達に襲い掛かるゾンビを蹴散らしながらジョーは残る生存者に力強く脱出を促した。
 それは正義感に端を発した慈善活動と言うより、寧ろ憂さ晴らしに近い現実逃避と呼ぶ方が自然に見えた。
 実際にそれは正しく、ジョーは目の前の現実をまともに受け入れる事を拒み、拒んだが故にマービンからの頼みを心の支えとして動いていた。
 ――しかし結果として、その行動で救えた者は確かに存在した。

「――――誰か助けて!」
「っ!?」

 突如、背中に掛けられた声にジョーは振り返る。
 するとその先には、白いドレスを着た金髪少女と、少女を筆頭にした数人の生存者が走ってくる様子が見えた。
 生存者達は強い恐怖の貼り付け、縋るようにジョーに助けを求めた。
 しかしジョーは、それら生存者の様子を確認するより先に、その背後に迫る無数のゾンビと赤い眼を爛々と光らせる大量のカラスの姿を目撃して、それに注意を向けていた。

「お願い! 私達もつれて行って!」
「――うるせぇ、下がってろ!」

 先頭に居た少女――否、美女が言った。
 その美女の事はジョーもよく知っていた。度々紙面に登場するラクーンシティの市長マイケル・ウォーレンの娘である。
 が、そんなある種、有名な美人の懇願に対するジョーの返事は辛辣であった。
 ジョーは助けを求める言葉を端的に遮り、殆ど反射的に生存者全員を背後に隠した。そして背後を追って迫るゾンビとカラスの群れをベレッタで迎え撃った。
 銃声が響くが、直ぐに多勢に無勢であることは明らかだと気づいた。

(――どうする!?)

 状況を打開する為に必要な解。そうした思考が反射的にジョーの脳裏を駆け巡った。
 しかしそれに費やした時間は一瞬であった。
 ジョーの視界に破損して乗り捨てられた一台の事故車両が映ったのだ。
 事故車を見てから“使える”と判断してからの“行動”は、目にも留まらぬ速さであった。
 左手で44マグナムを取り出したジョーは、次の瞬間には、既にガソリンを零した事故車の給油口に向けて引き金を引いていた。
 燃料タンクが鋭く撃ち貫かれ、その際に飛び散った火花が零れたガソリンに引火。次の瞬間には事故車がゾンビとカラスを巻き込んでの盛大な爆発を起した。
 
(――マグナムの威力は申し分無しだが、いかんせん銃弾の希少さが問題だな。後、手首痛ぇ……)

 一先ず危機を乗り越えたジョーは痛む左手首を軽く振りながら匿った生存者達を振り返る。
 生存者一同の表情には、目の間で起きた大爆発に対する驚きが浮かんでいた。

「此処から一端離れるけど、走れるか?」
「え、あ……はい!」

 ジョーは手近に居た呆気に取られた表情を浮かべる少女の肩を叩き、足早にその場からの離脱を一同に提案した。
 最終的な行き先は警察署である。
 その為にもまずは――と、ジョーが最初に目指したのはその道中にあるケンドの銃砲店だった。


 ☆


 最初の事件発生からおよそ一週間が経った現在。確認できる亡者の数は凡そ数千体と言ったところ。状況はもはや警察のみでは対応できず、警察職員は街の至る所にバリケードを展開して、事態の鎮圧より街の住人を避難させる事を優先し動いていた。
 しかしバリケードを展開したとはいえ、ゾンビの圧倒的な数の前にはそれらは焼け石に水。もはや警察の防衛能力ですらも、陰りがある。
 防衛力の低下の最たる原因は他ならぬゾンビだが、それと同じくらいに警察職員の手を焼かせていたのは、この事件の混乱に乗じて暴徒と化したラクーンシティーの住人そのものであった。
 生存者を喰らおうとするゾンビよりも、恐怖と混乱で正気を失った住人の行動の方が予測困難で、警察職員は時に住人の混乱を増長させる無法者を見せしめに射殺する事を迫られた。
 その際に、自らの手で処刑を実行した警官は命を賭けて死地に立つようになった。
 死地に立つ者の心にあるのは、『殺した以上、救わねば――』という脅迫概念である。
 その思考が結果的に、状況に対応可能な人材の不足に拍車を掛けるという悪循環を作り出してしまっていた。
 しかし数を削られつつも、職員らの心はまだ折れてはいなかった。

「――避難民移送車両は後何台残っている?」
「4台と、言いたいけど、さっき出発したから3台に減ったわ。先発した車両が戻ってこれるならその限り出は無いけど――」
「わかった。リタ、悪いが引き続き通信を頼む。それと現場付近に車を持っている住人が居たらなるべく手を貸すようにもと頼む。車両はこの際、警察の専用車両でなくても良い。スクールバスでも民間車でも……使えるものなら何でも良い。署に居る避難者の脱出の為にも回してくれと」
「えぇ。わかったわ」

 マービンをはじめとする現場のラクーン警察職員は、懸命に住人の脱出作戦に動いていた。
 皆、連日の昼夜問わずの激務の所為で顔に強い疲労を浮かべていたが、それでも誰一人として休もうとはしない。
 傍らで副官のように動くリタに指示を出したマービンは、チラリと此処に逃げ込んだ市民の顔を盗み見た。
 皆、強い恐怖を顔に貼り付けており、敬虔な者の手には例外なく十字架が握られ必死に主に己の許しを乞うている。
 市民課、交通課、強行犯係、窃盗犯係、丸暴担当、鑑識問わず――。普段なら対応する案件も処理する仕事の内容すらも違う様々な警察職員が一斉に力を合わせているのは、そうした市民の存在が己の背中にあると自覚しているからだ。
 だからこそマービンも決して己から弱音を口にはしない。
 己が折れた時に死ぬのは己だけでは無いと考えるからだ。
 ――しかし現状は余り過酷であった。

「――避難者の数に対して車両の数が少なすぎる」

 マービンは歯がゆさを吐露した。
 元々は美術館であったと言うラクーン警察署の建物は並みの施設よりも広大であり、同時に堅牢にも造られている。故に防衛の観点から見て住民の避難場所として使うにはうってつけではある。――が、しかし所詮は時間稼ぎに過ぎない。最初の事件の発生から今日に至るまでのゾンビの増加傾向を見れば、立てこもりがそう何日も成立するとはとても思えなかった。

「――とはいえ、時間が稼げるだけマシ、か」

 この時ばかりはマービンもこの奇妙なラクーン警察署本舎と、この建物を頑なに使い続けた署長の“悪趣味”を素直に褒めた。
 しかし、それはそれ。
 既にマービンは署長のブライアンを見限っていた。
 こうしてマービンを初めとする警察職員が力を合わせているにも拘らず、署長の姿は何処にも無い。 
 だが、居なければ居ないでそれに越したことはないと、マービンは思った。

 事件の発生から程なくブライアン署長はその姿を何処かに隠していた。しかしふらりと戻って来るなり、彼は署内の武器の一極集中管理に対する強いダメ出しを行った。そして勝手気ままに弾薬と銃本体の位置を滅茶苦茶に変えた。
 それは非常時における迅速な対応の“邪魔”と言う意味では、舌を巻くほどに有能であった。
 しかも結果的にが職員の対応はまず、武器と弾薬をそれぞれ探す事から始まった程で、更にはマービン自身はかけがえの無い同僚を一人、失うハメになった。

「――おい、受け入れた避難民の中にジョージの息子はいるか?」
「いえ、現状ではまだ確認できていません」
「っ――そうか!」

 新たに避難者を受け入れたという部下からの報告を受けたマービンは、真っ先にジョー・ナガトの安否を尋ねた。しかしそれに対する返答はマービンの望みとは異なるものであった為に、思わずその眉間に皺を寄せた。
 同僚のジョージ・ナガトの息子――ジョー・ナガトに電話で脱出を促してから直に2時間が経つ。
 幼少の頃からその成長を見守ってきた大人の一人として、マービンはジョー・ナガトが生きて街から脱出する事を強く望んでいた。
 マービンはチラリと、デスクに置かれた拳銃に視線を移した。
 ゾンビに噛まれゾンビと化したジョージ・ナガトを射殺した銃である。

(――あの時、なけなしの勇気さえ出していれば!)

 マービンは強い後悔にさいなまれた。
 脳裏に過ぎるのは、数ヶ月前に起こったある事件。今年七月にアークレイ山地で起こった猟奇殺人事件の調査に赴いたS.T.A.R.Sの一件である。
 同部隊は山中の洋館で凄惨な現場を発見。調査の結果、洋館の地下には製薬企業アンブレラ・コーポレーションの生物兵器の製造プラントが存在し、内部で開発されたウィルスが流出した事によって周囲一帯が酷く汚染されているという報告を行った。また、それらアンブレラによるウィルス研究の証拠を多数回収し、辛くも生き残る事に成功した部隊のメンバーは、その報告の中で街で発生する奇怪な猟奇殺人の原因が、全て洋館で発生した生物災害による“余波”であるという報告を突きつけた。
 既に山中にあったという洋館は消滅しており、現在に至っては再調査の目処も立っていない。しかしたった一度の奇跡によって、数多くのおぞましい生物兵器研究の証拠をS.T.A.R.Sのメンバーは持ち帰った。
 しかし結果的に彼らの活躍によってアンブレラを糾弾されることはなかった。
 事件の証拠と報告のもみ消しの工作に走ったのは署長のブライアンだという噂もあるが、実際にはラクーンシティーそのものがそれを望まなかったと言うのが正解である。
 ラクーンシティーはアンブレラ社の利益で成り立つ街であり、皆、その巨大な組織への反抗を恐れたのだ。
 ――――そして当時のマービンも、その内の一人であった。
 
「――主よ」

 生き残ったS.T.A.R.Sのメンバーの内、最後までアンブレラの糾弾を強く望んだクリスとジルを、引き止めた事さえあった。今更になって思えば、それこそが全ての誤りであったのかもしれないと、マービンは強い後悔を掻き抱く。
 マービンは不意に天を仰ぎ主に祈った。
 懸命に人を救う為に動いた者が悉くゾンビとなった。それだけでは余りに救いがないではないか。せめて友人が、ジョージ・ナガトがその末期の瞬間までその身を案じていた彼の一人息子(ジョー・ナガト)の命だけでも救ってくれ、と――。

 その後、マービンは自ら電話を取って部下に幾つかの指示を出した。
 動かせる部下を街に送り、少しでもジョーの生存の可能性を上げた。
 たった1人の為に10数名の生存者を見捨てるわけにはいかないが、それでも何とかしてやりたいと思っての行動だった。
 街からの脱出に使える車両の数は徐々に減り、ジョーが到着するまでの時間をなるべく引き伸ばしてはいるものの、それでも限界は近い――。

「――――ダメだな」

 マービンは焦りばかりを産み出す頭を振った。
 平静さを取り戻すべく、マービンは気分転換にと紛失物の管理帳簿を開いた。
 ふと、デスクの脇を見ると歓迎会用のクラッカーと幾つかのアイテムがおかれていた。
 それはら近く着任する予定の、実に不幸な新人を迎える為に用意した小物だった。