この世界、おばさんにはちょっとキツイです。   作:angle

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FILE.1 原作開始 ~社長令嬢誘拐事件~

4月8日(金)

 

朝は1歩外に出ただけで、すぐに玄関に舞い戻ったけど。

今回はそういう訳にはいかないから、とにかく自分の家を覚えるところから始めないといけない。

振り返れば元の世界と同じ、5階建ての公団住宅の1階に私の家がある。

前の道が元の世界よりも狭くて、ふと「日照権とか大丈夫なのかな?」と思ったけど、見れば目の前は高級住宅街のようで、団地の影は広い庭の3分の1くらいしか届いてはいなかった。

 

階段のちょうど正面は2軒ある家の境あたりだ。

人通りはぜんぜんなかったのだけど、その並んだ家の右側の家から小太りのおじさんが出てきて、ちょうど目が合ったから、私は笑みを浮かべて挨拶をした。

 

「おはようございます」

 

さすがに45年も生きてるからね、内気でもそれなりの社交性は身につけてるよ。

もっとも、じっさいに挨拶してたのは職場の周りでだけで、家の近くではほとんどしてなかったけど。

 

 

「おお、おはよう。久しぶりじゃな愛夏君」

 

 

名前を、しかも夢小説ネームを呼ばれてちょっと驚く。

さすがに目の前に住んでれば知り合いだよね。

それと、やっぱり私の名前は高久喜愛夏で間違いないらしい。

 

 

「最近はあまり見かけなかったようじゃが、元気じゃったか?」

「あ……おかげさまで。ちょっと引きこもってました」

「そうか、引きこもっておったか。……さすがにあんなことが立て続けにあればのォ」

 

 

この世界の私が昔の私と変わらない性格だったなら、外に出なかった理由はこれで問題ないだろう。

あんなこと、は、たぶん両親が立て続けに死んだことだ。

仏壇の位牌によれば、父が死んだのは中学3年生のときで、母が死んだのはそれから2カ月も経たない頃だったから。

たぶん私が高校へ進学しなかったのも、その辺りに理由があったんだろう。

 

 

おじさんは朝刊を取りに来たようで、何気なく動きを追っていたらふと表札が目に入った。

変わった名前 ―― 阿笠 ―― あがさ、って。

一瞬ぎょっとしたけどたぶん表情には出てなかったと思う。

こちらが阿笠ってことは、もしかして隣の豪邸って……

 

 

「おお、新一君なら学校じゃぞ。ほれ、今日は金曜日じゃ」

 

 

ちらっと横目で見た視線に気づいたらしい。

新聞の日付欄を指しながら、おじさん ―― 阿笠さんは朗らかに笑った。

 

 

「あ、別に用事じゃないんで。じゃあ私、これで」

「愛夏君はこれから買い物かの?」

「それもなんですが、ちょっと仕事を探しに」

「仕事!? 高校へは復学せんのか?」

 

 

復学?

もしかして世間的には私は休学扱いになってたとか?

……いや、もし仮に休学扱いだったとしても、制服がないところからして復学してもたぶん1年生だ。

ここで1年も棒に振るなら予定通り大検を受けた方がいい。

 

 

「まあ、それも考えてはいるんですが。とりあえず外に出ようと思いまして。もしもいい仕事先があったらぜひ紹介してくださいね。では」

 

 

最後は社交辞令というヤツだ。

別にほんとに期待して言った訳じゃないし、会話の引きとしてはそれほどおかしくもないと思う。

 

念のため工藤家の表札も確認しておくか、と思って左に向かって歩き始めると、背後で門が開く音がして。

足早に追いかけてくる気配と呼びとめる声を聞いたから振り返った。

 

 

「愛夏君! ちょっと待ちなさい!」

「はい?」

「ちょうど頼まれておったんじゃ! ここから車で15分ほどのところにある家でな。わしの知り合いが家政婦を探しておって。きちんとしたお屋敷で、わしの紹介だと言えば悪いようにはならんじゃろ。どうじゃ愛夏君、家政婦はできそうか?」

 

まさかの展開に唖然とする。

家政婦……って、この「片付けられない女」代表の私にできるのか……?

いや、こっちは仕事を選り好みできる立場じゃないし。

それに家では片付けられないけど、職場ではそれなりに片付けも掃除もできた、はず。

 

「あ、はい! もしお願いできるならぜひ紹介していただきたいです」

「では善は急げじゃ。うちに来なさい。すぐに連絡してみよう」

「あ、ありがとうございます」

 

 

私はぺこりと頭を下げて、阿笠さんについて向かいの家の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

「ここじゃ。ひとりで本当に大丈夫か?」

「はい。もうここまで送っていただけただけで十分です」

「ほんとうにしっかりした娘さんになったのォ。昔はあんなに内気で人見知りじゃったというのに」

 

 

阿笠博士はこれから人と会う約束があるとかで、でも知らない家に行くのに放り出すのは気の毒だと思ってくれたんだろう。

谷さんというお屋敷の家政婦さん(阿笠さんの知り合いの人)に連絡を取ったあと、時間がない中門の前まで車で送り届けてくれたところだった。

 

 

「いつまでも引きこもってる訳にはいかないですから。紹介してくださった阿笠さんの顔に泥を塗らないためにも、お仕事がんばってきます」

「なにかあったらすぐにわしに言うんじゃぞ。我慢はなしじゃ」

「はい、ありがとうございます」

 

 

車を降りて、走り去る阿笠さんを見送ったあと、大きな門の呼び鈴を押す。

インターフォンの声に用向きを告げると、すぐに判ったようで年配の女性が門まで迎えに来てくれた。

 

 

「こんにちわ。あなたが高久喜さんかしら?」

「あ、初めまして。私、阿笠さんから紹介していただきました、高久喜愛夏と申します。よろしくお願いします」

「家政婦の佐伯です。ずいぶんお若い方のようね。二十歳くらいかしら?」

「はい」

 

佐伯さんがお屋敷に振り向きながら言った最後の方が一瞬聞きとれなくて、反射的にはいって答えちゃったんだけど、すぐに意味が判ってちょっとまずかったかなと思う。

そういえば私、若い頃は背が高いせいか実年齢より上に見られることが多かったんだよね。

20代後半頃からは逆に若く見られるようになって。

最近は実年齢を言うと「逆にサバ読んでません?ぜったい俺より年下でしょ」なんて30代の人に言われてたから、ある意味得といえば得な外見だったのかもしれない。

(って、ただ単に精神年齢が子供だったせいだと思うけど)

 

 

時間的にはそろそろお昼になるかな、ってところだったんだけど、今は谷さんご一家は誰もいないようで(あとで聞いたらご主人と小学生の娘さんの2人だけらしい)、近所に住んでる通いの家政婦さん達は昼休みで自分の家に帰ってるということだった。

私は座敷に案内されて、佐伯さんにお茶を淹れていただいたあと、斜向かいに座って面接をしてもらった。

 

 

「高久喜さん、履歴書はお持ちかしら?」

「いえ、すみません。急だったので何も用意してなくて」

「気にしないでいいわ。あとで持ってきてもらえれば。実はね、長年勤めてくれた家政婦の1人がこんど退職することになって。その補充ということで、できるだけ長く働いてくれる人を探しているの。こういうところだから、今いる一番新しい人で5年目で、私は30年近くなるわね。どう? 高久喜さんは長く働けそうかしら?」

 

大学へ行こうと思ったのは、このご時世で就職がかなり厳しいと思ったからだ。

でもここで定年まで働けるならぶっちゃけ大学なんか行かなくてもいい。

 

「はい。私もできるだけ長く働きたいと思ってます」

「そう。それは助かるわ。勤務時間ははっきり決まってないのだけど、朝はだいたい7時~11時くらいからで、帰りは5時~9時くらいまで。フレックス、っていうのかしらね。旦那様の都合で早く出てきたり、遅くまでいたりすることがあるけれど、ぜんいん週40時間勤務で、仲間同士で調整して勤めてるの。それが日勤で時給は850円から。もちろんベースアップもあるから安心して。ただ、今度やめてしまう人が、夜勤の方の人だったのね。夜勤は夜8時に入って朝8時までで時給1000円からね。慣れてきたら高久喜さんにはぜひこちらをやってもらいたいの」

 

 

ええっと、日勤なら週3万4千円で、夜勤は1日1万2千円か。

なんかすごく好条件じゃないですか!?

いや、もちろん私が今までもらってた給料の方がはるかにいいんだけど。

でも16歳の女子の仕事にしてはこれはかなりいい方の部類に入ると思う。

 

 

って、そこで気付いちゃったんだけど。

夜勤、って、たぶん16歳じゃできないよね?

私、まだ履歴書出してないし、佐伯さんも私が二十歳だと思ってるから、夜勤ができる家政婦だと思ってこの話をしてるんだ。

もしも私が正直に年齢を言ったら、きっとこの仕事の話そのものがなくなっちゃう。

 

 

「どうかしら?」

 

黙って考えている私に、促すように佐伯さんが聞いてくる。

条件は申し分ない。

今私にある選択肢は、正直に年齢を話すか、それとも履歴書を偽造するか、その2つだ。

 

 

「あの、日勤の方はだいたい想像できるんですけど、夜勤は何をするんですか?」

「そうね、旦那様が帰ってこられる日は夜遅いことが多いから、食事をお出ししたり、お風呂の用意をしたり。ときどき秘書の方やお客様がお泊りになられる時にはお部屋の用意をしたり、お酒をお出ししたり。あと、最近はあまりないけれど、お嬢様が夜中に目覚めてしまったときにお世話をしたり。朝は旦那様とお嬢様をお起こしして、朝ご飯を用意して。まあ、眠らずにいるのが一番の仕事かしらね」

 

 

お酒を出す、か。

やっぱり16歳にはさせられない仕事だ。

でも、私は実質45歳だからお酒の席での男性のあしらい方くらい知ってる。

(セクハラ上司はどこの世界にもいるのだ)

朝食と子供の世話、ってのはちょっと自信ないけど、でも日勤の間に教えてもらえばきっとなんとかなる。

 

 

「わかりました。その条件でぜひお願いします」

「ほんとう? ではさっそく明日からいいかしら?」

「はい。ぜひよろしくお願いします!」

 

 

こうして、悪魔の声を聞いた私は、谷さんのお屋敷で家政婦をすることになった。

この決定がのちにとんでもない事態に発展するなんてことはまるで知る由もなく。

 

 

 

 

 

谷さんのお屋敷がある弥生町から米花町へはちょうどバスがあるらしく、バス停の場所を教えてもらった私は、でもバスには乗らずにバス通りを歩いていった。

阿笠さんの車で15分かからなかったくらいの距離だから、歩いてもたぶん1時間前後くらいで帰れると思ったんだよね。

別にバス賃くらい惜しくないけど、そもそも最初に家を出た目的って、自宅周辺の散策だった訳だし。

それに文房具屋を探して履歴書も買わなきゃだったから、ケータイに表示した地図を見ながら、商店街のようなできるだけにぎやかな通りを目指して歩いていったんだ。

 

 

そういえば、そろそろお昼を食べたいよね。

 

通り道にお店があったら入っちゃおうかな、なんて思いながら歩いてると、少し先にレストランらしいお店が見えた。

近づいていくと看板に「コロンボ」の文字。

…………なんか字面にすごく見覚えがあるんですけど。

しかも少し先の道路は工事中らしくて警備員が警棒を振ってるし。

 

 

これ、確か原作2話(だっけ?)で阿笠博士が夕食を食べたレストランじゃない?

 

しかもその先で道路工事をやってるってことは……

もしかして、すでに原作が始まってるか、もう少しで原作が始まる、ってこと……?

 

 

とりあえず考えるのはあとにして、私は個人経営らしいレストランコロンボに足を踏み入れた。

 

 

お昼のピークは過ぎていたようで、入ったときはあらかた埋まっていた席も、メニューを見ているうちにどんどん空いていった。

メニューの中で一番目立つようになってるのは特製ミートソーススパゲティ。

パスタはね、おいしい店のはとことんおいしいけど、そうじゃないお店の方がけっこう多かったりするんだよね。

このお店がどっちかは判らないけど、ここのミートソースは阿笠博士の好物みたいだし、試しに食べてみようと思ってエプロンのお姉さんに注文した。

 

 

注文を済ませて見まわすと、カウンターのおじさんが金具で綴じた新聞を広げているのが目に入った。

そのカウンターのはずれ辺りには数紙の新聞がかけてあるラックが見える。

このお店、何社かの新聞を選んで読めるようにしてあるみたいね。

ということは注文から来るまでけっこう時間がかかるんだろうから、私も読んでみようかと腰を上げかけた時、エプロンのお姉さんがラックに新聞を戻して、別の新聞を持って奥に行くのが見えた。

 

その、新しく置いていった新聞(たぶん夕刊に入れ替えたんだろう)の紙面をちらっと見て、驚いて、もっとよく見たくて立ち上がって新聞を手に取る。

その場で立ちつくしちゃったのは勘弁してほしいと思う。

だってそのスポーツ紙の一面に印刷されてたのは、コナンの映画の最初に必ず出てくる、あの顔の工藤新一だったんだから。

 

 

「ああ、工藤新一くんね。知ってた? 彼、この近くに住んでて、うちのお店もよく利用してくれるのよ」

「あ、はい」

 

 

うしろからの声に生返事。

でも、この新聞が今日ここにあるってことは、たぶん明日の土曜日が蘭とトロピカルランドへ行く日で、ジンに薬を飲まされちゃう日だってことなんだ。

 

 

「でもすごいわよね。彼、もう3年くらい前からの常連さんなんだけど、今や全国で有名な高校生探偵だものね。さっきもマスターと、今度来たらサインもらっとかないと、って話してたところなの」

「……そうなんですか」

 

 

いや、もしも今日が原作第1話の日だったとしたら、今度来たら、じゃ間に合わないけどね。

明日の夜にはもう工藤新一はいない。

江戸川コナンになっちゃうんだ。

 

 

「えりちゃん、特製ミート上がったよ」

「はーい! あ、お客さん、お待たせしました。今お持ちしますね」

 

 

ラックに新聞を戻して席に着くと、すぐにお姉さんはパスタを持ってきてくれた。

私がひとりで食べるにはちょっと量が多いかな。

でも食べてみるとお味は良好で、パスタもミートソースもかなり上手にできていた。

(うん、でも、私が今まで45年食べてきて一番おいしいと思った専門店のにはかなわないみたい。ゴメン)

 

 

……明日か。

日付が判っても、明日は仕事の初日だから、トロピカルランドまで助けに行ってあげることはできないよね。

ううん、たとえ私がフリーだったとしても、果たして助けに行く勇気が出るかは判らない。

私はたぶん、ジンに目をつけられる危険を冒してまで、工藤新一を助けようとはしないだろう。

 

 

それに、あの時ジンは拳銃で新一を殺すこともできたけど、ジェットコースター殺人事件の直後で警察がうろついてたから薬に切り替えたんだ。

薬を飲まされたからこそ新一は生きていた。

例えば今回、私が出しゃばって新一がジンやウォッカに出会わないように誘導することができたとしても、これから先の物語ではコナンは何度もあの2人とすれ違ってた。

コナンにならなかった新一が、何の予備知識もなくあの2人と出会ってしまった場合、もしも拳銃が使える状況ならその場で殺されてしまう危険性の方がはるかに大きいんだ。

 

 

新一はあの2人と出会って、でもとうぜん迎えるはずだった最悪の結末 ―― 殺される、という事態にはならなかった。

それはたぶん、新一にとってはとてつもない幸運だったんだ。

だったら私は見守るしかない。

黒の組織と出会った工藤新一が、無事に江戸川コナンになるのを。

 

 

 

エプロンのお姉さんに文房具屋さんの場所を訊いて。

買い物を終えて無事に帰宅した私は、部屋の窓からずっと工藤家を見つめていた。

とはいっても、私の部屋の窓際にはマンガが大量に積み重なってたから、窓から1メートルくらい離れた場所からレースのカーテン越しに、だったけど。

(ちなみに今朝起きてマンガが減ってる気がしたのは、案の定「名探偵コナン」の全巻が消失してたからだ)

夕闇せまる頃、通りから駆けてきた少年は、工藤家の門の前で足をとめた。

 

 

ふと、こちらを振り返って。

数秒間視線を固定した少年と、私は目が合ったような気がした。

そのまま、またふと振り向いて彼は門を開けて入っていってしまったけど。

 

(今の……なに?)

 

 

私の視線を感じたのか、ただ単にちょっと見ただけなのか、よく判らないけど。

 

それが、私が生で工藤新一を見た、最初で最後の姿になった。

 

 

 

 

4月9日(土)

 

7時43分着のバスは、3分ほど遅れて弥生町へと到着していた。

その先は徒歩2分もない。

昨日も思ったけど、通勤はバスより自転車の方がいいかもね。

運動にもなるし、バスは交通状況によってすぐ遅れるから。

 

 

とにかく今日が私の初出勤だ。

昨日阿笠さんにもそれとなく口止めしといたし(もちろんちゃんとお礼を言ったあとね)、年齢詐称がバレるか私が何かヘマをやるまでは、ここが私の職場になるんだ。

 

昨日教えてもらった裏口から台所に入ると、娘さんが学校に出かけてひと段落ついたのか、3人の家政婦さんが和やかに賄い食を食べていた。

 

 

「おはようございます。今日からお世話になります、高久喜愛夏です。よろしくお願いします」

「おはようございます」

「おはよう、こちらこそよろしく」

 

 

互いに自己紹介をして、昨日の佐伯さんに年齢を4つサバ読んだ履歴書を手渡すと、さっそく食器洗いを指示される。

得意とは言わないけど、今までの45年の人生で壊した食器はまだ一ケタだ。

まあ、洗ったのべ個数を数えれば、ふつうの主婦の千分の一にも満たないだろうけど。

 

 

食器洗いが終わると、今度は犬の散歩。

家族だという3匹のワンちゃんに引き合わされたから、私は一声挨拶したあと、膝を折って掌を差し出した。

 

「おはよう、ワンちゃん達」

「あら珍しい。この子たちが一言も吠えないなんて」

「そうなんですか?」

「ええ。だいたいみんな覚えてもらうまで少しかかるんだけど。でもよかったわ。安心して任せられそうね」

「はい。任せてください」

 

 

犬の散歩は、昔近くの親戚が犬を飼ってたから、ときどきさせてもらったことがある。

とはいっても中学生の頃だから、30年以上前になるけどね。

コースは彼らに任せていいと言われたから(帰ろうと声をかければちゃんと家に帰ってくれるらしい)、道が不安な私も安心して、彼らに散歩に連れていってもらった。

 

 

その間、他のみなさんはこの広いお屋敷のお掃除。

さすがにいっぺんには無理だから1匹ずつ交代で散歩して1時間、台所にワンちゃん達の水をもらいに行くと、なぜか他のみんなが台所で顔を突き合わせていたんだ。

 

「ワンちゃん達のお散歩終わりました。水をいただきますね」

「おかえりなさい。ちょうどよかったわ。高久喜さん、ちょっと頼まれてくれないかしら」

「はい、なんでしょう?」

「実は、さっき旦那様から、今夜は4人ほどお客様を連れて帰るとお電話が入ったんだけど。明日のお味噌汁の分のお味噌が足りなくなりそうなのよ」

 

「あ、じゃあ買ってきます。お店と銘柄を教えてください」

「ええ、でもお昼が終わってからでいいわ。高久喜さん、先にお昼休みに入って。今日は夕方から降りだすっていうから、私たちはお洗濯とお布団干しをぜんぶ終わらせちゃうから」

 

 

そんな訳で、私は少し早くお昼休みを取らせてもらって、そのあと教えてもらったお店まで歩いてお味噌を買いに行ったんだ。

 

 

ところが、運の悪いことに教えてもらったお店が臨時休業。

いったん帰ってもよかったんだけど、せっかくケータイを持って出たから、その場でお屋敷に電話をしてみると。

 

『そう。だったら米花デパートの地下に同じ系列のお店があるから、そちらに行ってみてくれる? 米花デパートわかるかしら』

「はい。たぶん大丈夫です。行ってきます」

 

という訳で、今度はちょうどいいバスがあったから、米花駅までバスで行って無事に米花デパートへと辿りついた。

それなのに、なぜかその店では、この銘柄のお味噌だけが品切れしてたりして。

ほかの銘柄はそろってるみたいだから、もし違うお味噌でよければ代わりに買って帰ろうと思って、再び谷家に電話したんだ。

でも ――

 

 

「もしもし、高久喜です。谷さんのお宅様でしょうか」

『なんだ貴様は! どこの高久喜だ!!』

「そちらの家政婦の高久喜ですけど」

『そんなヤツは知らん! こっちはそれどころじゃないんだ!! 二度とかけてくるな!!』

 

男の人の声に怒鳴られて、その後訳も判らないまま電話を切られました。

 

 

 

……ええっと、ケータイで履歴から掛けてる訳だから、間違い電話とかじゃないよね、たぶん。

だってさっきはちゃんとつながったし。

でも、二度と掛けるなと言われたら、さすがにもう掛けるのは嫌かも。

(怒鳴られたくないし)

 

 

そんなことを考えてたら、数分経って公衆電話からの通知で電話がかかってきたんだ。

 

 

「はい、高久喜です」

『あ、高久喜さん。佐伯だけど今電話大丈夫?』

「はい。あの、さっきお屋敷の方に電話したんですけど」

『ええ。私達もそばで聞いてたから。それでどうかしたの?』

 

「実は、いま米花デパートにいるんですけど、同じ銘柄のお味噌が売り切れてたんです。なのでもし違う銘柄でよければと思って」

『そうね。……でも旦那様はいつもその銘柄なのよね。悪いんだけど、他のお店を少し探してもらえないかしら』

「判りました。ちょっと当たってみます」

『悪いわね。また1時間くらいしたらこちらから電話するわ。今ちょっと取り込んでるから』

 

「なにかあったんですか? さっきの人って」

『何があったかはここでは言えないけど……さっき電話に出たのは旦那様よ。高久喜さんのことはちゃんと伝えておいたから、どうか気にしないで頂戴ね』

「判りました。それじゃまた」

 

 

実はこの時点でかなり嫌な予感はしてたんだ。

だって、お仕事初日でいきなり雇い主に訳も判らず怒鳴られるとか。

まあ、昨日の今日で、旦那様にも私のことが伝わってなかったのかもとは思うけどさ。

 

 

時刻を見ると午後4時少し前だった。

確か昼の1時くらいにお屋敷を出たはずだから、いつの間にかもう3時間近くも経ってることになる。

お味噌屋さん、って、私はスーパーに並んでるお味噌しか知らないけど、たぶんこれってそういうお味噌じゃないんだよね。

だったら近所のスーパーを回ってもムダだろうし、かといって専門店なんか知らないし、あんまり時間をかけたらお店だってしまっちゃうだろうし。

 

 

少し考えた私はもう一度デパ地下に戻って、さっきのお味噌屋さんに訊いてみることにした。

その結果やっぱり、このお味噌は大量生産の安物なんかじゃないから、特定のお店にしか卸されてないだろうって話だった。

 

 

そんな訳で、けっきょく私は、パッケージにあった製造元に直接電話をかけることにして。

折り返しいただいた電話で都内の卸先を何箇所か教えてもらったから、その店にも電話をして、営業時間と在庫数を確認して。

東都環状線に乗ってる最中に、公衆電話から2回目の電話がケータイにかかってきたから。

私はすぐに電車を降りて電話を取って、今は見つけたお店に向かっていることと、帰りは遅くなるかもしれないことを佐伯さんに伝えたんだ。

 

 

そんなこんなで、どうにか無事に高級味噌をゲットした私は、再び環状線に乗って米花駅まで戻ったあと、雨が降る中バスを待って乗り込んで。

谷家に戻ってきたときには、すでに夜の8時近くなっていた。

 

 

 

 

 

 

やっぱり16歳の若い身体は違うよね。

さすがにあちこち歩き回って疲れたけど、でも40代の疲れを知ってる私には、こんな疲れはまだまだ序の口だ。

これが45歳の身体だったら、帰りは間違いなくタクシーを使ってただろうな。

ここからまた帰りもバスだけど、たぶん座らずに帰ることくらいできると思う。

 

 

「ただいま帰りました。遅くなりました」

 

 

裏口を入ったところで声をかけたんだけど、なぜか台所には誰もいなくて、屋敷の中も静まり返っていた。

確か今日は旦那様がお客様を連れて帰ってくるはずだから、いつもなら帰る家政婦さん達もまだいるはずで、台所がこんなに静かなはずはないよね。

不思議に思いつつ買ってきたお味噌を調理テーブルの上に置くと、庭の方から慌てたように佐伯さんがかけてきた。

 

「ただいま帰りました。遅くなってすみません」

「お疲れさま。たいへんだったわね」

「それほどでもないです」

「疲れてるところ悪いんだけど、ちょっとこちらに来てもらえないかしら。今、とりこんでて」

 

そういえば電話でそんなこと言ってたっけ。

訳も判らず佐伯さんについていくと、なぜかワンちゃん達がいる庭に家政婦さんと、知らない人が何人か集まって話しているのが見えた。

 

「旦那様。高久喜さんが戻りました」

「ああ。確か今日から雇った家政婦だったな。私が屋敷の主人だ。こちらが探偵の毛利小五郎さん」

 

 

そう、旦那様に言われて、佐伯さんに背中を押されて、一歩踏み出した先に見えた人たちは ――

 

 

……え? 毛利小五郎、って ――

 

 

旦那様の視線の先にいるのが、口ひげを蓄えた長身の男性。

向かって左にいるのが、髪の長い高校生くらいの女の子。

そして、茂みの近く、ワンちゃん達のすぐそばで尻もちをついているのが、メガネをかけた子供。

その子供の近くに落ちてるボール。

 

 

この光景、見たことがある。

でも現実の風景としてじゃない。

マンガの中、もしくは、テレビアニメの中の物語として。

 

 

「ご主人、そちらは?」

「はい。今日初めて雇い入れた家政婦で、さっきまで買い物に出ていまして。 ―― 君、ご挨拶を」

「あ、初めまして。高久喜愛夏です。よろしくお願いします」

 

 

大勢に注目されてさすがに居心地が悪かったのもあったんだけど。

なんか、漂う空気が普通じゃないっていうのか。

知ってる、私、この空気がどうしてなのか。

だってこの話、工藤新一がコナンになって、最初の事件だったから。

 

 

でもまさか、家政婦として働き始めたお屋敷が、あの狂言誘拐事件の舞台だったとか、そんな偶然が起こるなんてふつう思わないじゃない!

 

 

視線を感じる。

どういう意味の視線なのかは判らない。

あの、大きな眼鏡の向こうから。

 

 

「高久喜さん?」

「はい?」

 

反射的に返事をして、振り返って驚く。

声をかけてきた毛利蘭は、目が合って嬉しそうな笑顔に変わったから。

 

 

「やっぱり高久喜さんだ。覚えてる? 私、中学で隣のクラスだった毛利蘭よ。久しぶりね。元気だった?」

 

「……え?」

 

 

声を上げたのは私じゃなくて、隣にいた佐伯さんだった。

ヤバい、と思った時にはもう遅くて。

 

 

「中学のとき、ですか? あの、失礼ですけど、お嬢さん今おいくつですか?」

「私ですか? 今16歳、高2ですけど」

「高久喜さんが、隣のクラスだったんですか?」

「ええ。体育が2クラス合同だったんですけど、彼女背が高くて運動神経がよかったのでよく覚えてます」

 

「高久喜さん、あなた、今二十歳だって ―― 」

「すみません! 歳サバ読みました! ごめんなさい!! どうしてもこの仕事がしたかったんです!!」

 

 

悪いことをしたらすぐに謝る、誤魔化さない。

誰もが子供の頃に教わることだけど、社会人の常識でもある。

でも……ああ、これでこの職場に定年まで勤める夢は露と消えたな。

まだ始めたばっかりだったけど、みんないい人たちだし、家政婦もけっこう自分にあってるかもしれないと思ったのに。

 

 

「まあ、その話はあとだ。それより晶子だ! 毛利さん、なにか手掛かりは!!」

「ご主人落ち着いて。ところで高久喜さん、あなたはいつ買い物に?」

 

 

毛利探偵に尋ねられて、私は訳も判らないまま答える。

 

 

「はい、確か昼の1時頃だったかと」

「買い物に7時間もかかったんですか?」

「はい。いつものお店がお休みで、次に行ったところが売り切れてて、そのあとメーカーに問い合わせたりいろいろ」

「はっはーん。判りましたぞご主人」

 

「ほんとうですか毛利さん!?」

 

 

「今日初めて雇い入れた家政婦。お嬢さんが帰宅する前に家を出て、その間のアリバイは一切ない。確か犬は高久喜さんに吠えなかったんでしたな」

「はい、ええ、確かにそうですが」

「彼女の長身なら黒づくめの服装をすれば男に見える。それに彼女は運動神経がいい。10歳の女の子を抱えてその木を登って塀を乗り越えることくらいわけないでしょう。声は高かったような低かったような。女性が男を装った声を出していたのならその矛盾も解けます」

 

 

一息ついて、毛利探偵は私に、勢いよく人差し指を突き付けた。

 

 

「晶子ちゃんを誘拐した犯人は ―― 高久喜さん、あなただ!」

 

 

 

 

―― 毛利のおっちゃんの、とんちんかんな推理で犯人呼ばわりされること。

それがこんなに怖いことだなんて、私は思ってもみなかった。

 

 

 

 

一瞬、辺りがしんとなって。

真っ先に声を上げたのは毛利蘭、だった。

 

「まさか! お父さん、高久喜さんはそんなことしないわよ!」

「だが彼女はここの家政婦になるために年齢を詐称したんだ。晶子ちゃん誘拐の下調べとして、この屋敷の構造を探るためだろう」

「そんな…!」

 

「貴様ー! 晶子はどこだ! 早く晶子を返せ!!」

「旦那様落ち着いて!」

 

「おじさん! もしもこのお姉さんが犯人だったら買い物から帰ってきたりしてないよ!」

「ガキは黙ってろ! この名探偵の完璧な推理が間違ってる訳が ―― 」

「じゃあなんで買い物から帰ってきたのか教えてよ!」

 

 

目の前でいろんな人が言い争って。

旦那様に胸倉を掴まれて。

それでも、私は一言も、何も言うことができなかった。

 

 

突然の展開に呆然としてたのもあるんだけど。

私は最初に晶子ちゃんがさらわれたのが狂言誘拐で、執事さん(だっけ?)が共犯者であることを知ってる。

でも今それを口にしたところで、とうてい信じてもらえるとは思えなくて。

だって私は、この仕事を得るために年齢を詐称して、周りの人の信用を失ってしまったのだから。

 

 

……ちょっと、待って。

この状況、ものすごくまずくない?

 

 

確かこのあと、待機先のホテルから今度は本当に晶子ちゃんがさらわれて、さらった犯人から電話がかかってきて。

その時晶子ちゃんが監禁場所のヒントを叫んで、コナンが探し回る。

でもって、最後の電話で犯人が身代金の受け渡し場所を指示したあと、晶子ちゃんは殺されるんだ。

もちろんその寸前でコナンが飛び込んでいくから、危機一髪のところで晶子ちゃんは助かるんだけど。

 

もしもこの狂言誘拐の共犯者 ―― 麻生さんだ。今思い出した ―― がこのまま真実を告白しなかったとすると、旦那様はきっと私に監禁場所がどこなのかを尋ねる。

私はその場所が二ツ橋中学だと知ってるから、教えてあげれば毛利探偵はきっとその場所へ行く。

でも、最初に飛び込んでいったのが毛利探偵だったら、あの犯人なら逆上して晶子ちゃんを殺しかねないよ。

だからといって、私が黙ったままこの状況が長く続いたら、コナンが晶子ちゃんを見つけ出す時間が足りなくなっちゃうかもしれないんだ。

 

私が監禁場所を教えて、たとえ一時的に犯人と疑われたとしても、警察がちゃんと調べればたぶん私への疑いは晴れる。

だから間違いなく晶子ちゃんが助かるなら教えるくらいするけど。

 

 

ダメじゃん、私。

物語を知ってたって、私は何の役にも立たない。

むしろ疑われて物語を混乱させてるだけ ――

 

 

その時だった。

 

 

「旦那様! 高久喜さんは何も悪くありません! 私です! 私がお嬢様を誘拐しました!!」

 

 

推理で追い詰められた訳でもないのに、とつぜん麻生さんがそう告白した。

きっと、麻生さんの中にある良心が、彼に行動させたのだと思う。

 

 

あらゆる意味でほっとした私は、知らず知らずのうちにその場に崩れ落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

そのあとはほぼ原作どおりに話が進んで。

屋敷の中で待っていた私達の元に、毛利探偵から犯人確保と晶子ちゃん救出の連絡が入った。

そのまま日勤のお手伝いさん達はそれぞれの家に帰っていったけれど。

私だけは屋敷に残されて、真夜中過ぎにようやく晶子ちゃんを寝かしつけた旦那様から部屋へと呼ばれた。

 

 

「高久喜さん。勘違いだったとはいえ、今日は本当にすみませんでした」

「いえ」

 

 

本来、この人は心が優しい人なんだろう。

私に詰め寄ったのも、晶子ちゃんを愛するあまりとった行動なのだと、私はちゃんと納得していた。

 

 

「しかし、それとこれとは話が別だ。 ―― たとえどんな事情があっても、年齢を詐称してはいかん」

「はい。申し訳ありませんでした」

「悪気があった訳ではないんだな?」

 

 

私はうなずく。

 

 

「では、これを持って行きなさい。1枚は今日のお給料分と交通費で、もう1枚は私の詫びの気持だ。少ないが取っておいてくれ」

 

テーブルに置かれた封筒をのぞいてみると、1万円札が2枚入っていた。

まあ、もしかしなくてもこれってクビ、ってことだよね。

でも怒鳴られたお詫びが1枚っていうのはどうなんだろ?

判らないけど、いろいろ言っても角が立つだけだし、気持ちは判るから、これで許してあげることにした。

 

 

「じゃあ、ありがたく頂きます」

 

 

その時、ふすまの向こうに人の気配がして。

 

 

「旦那様、毛利探偵がお着きになりました」

「お通しして」

「はい、かしこまりました」

 

 

「あ、じゃあ私はこれで。お世話になりました」

「高久喜さん」

「はい?」

 

 

「もし、あなたが二十歳になって、その時我が家の家政婦が足りないようなら ―― 」

 

 

 

 

 

 

 

お屋敷を正面玄関から出ると、門のすぐ目の前にタクシーが止まっていた。

ちらっとのぞけばうしろのドアが開いて、頭に包帯を巻いた子供と、その向こうに高校生の女の子がいるのが判る。

 

 

「高久喜さん! よかったら一緒に乗っていって。お父さん、依頼料受け取ったらすぐに戻ってくると思うから」

 

 

え……?

これって、今扉が開いた、ここに乗れってことだよね?

 

いや、正直言ってありがたいよ。

こんな時間じゃもうバスもないし、歩いたら1時間くらいかかるし、さすがに今から歩いて帰るほどの元気もないし。

でもさ、座席のいちばん向こうにいるのが毛利蘭で、その手前に江戸川コナンがいるってことは、私はつまり工藤新一の隣に座らなきゃってことじゃん!

一瞬、固まっちゃったんだけど、どうにか頭を巡らせて、私は車外から毛利蘭を手招きした。

 

 

「ちょっと、いい?」

「ん? なに?」

 

 

私は一度屋敷を振り返って、毛利探偵がまだ出てこないことを確認したあと、車を降りてきた毛利蘭をちょっと離れたところまで引っ張ってきた。

 

 

「どうしたの? なにかコナン君に内緒な話?」

「うん。えっと、言いにくいことなんだけど」

「なあに?」

「私、子供が苦手で」

 

 

これは本当のことだ。

妹の子供とか、知り合いの子供とかならまだどうにかできるんだけど、他人の子供はほんとに扱いが判らない。

まあ、じっさい江戸川コナンは子供じゃなくて工藤新一という高校生なんだけど。

だからこそ隣に座られたら余計に困るんだよ!

 

 

「そうなんだ。でもそういう人もいるっていうよね」

「できれば助手席か、毛利さんに真ん中に座ってもらえると助かるんだけど」

「じゃあコナン君に奥へ行ってもらうね。あたしも高久喜さんとおしゃべりしたいし」

 

 

そう言って毛利蘭は車内へ戻っていって。

 

 

「コナン君、そっちへ詰めてくれる?」

「……えー、やだー。ぼく真ん中がいい」

 

 

な……なにを言ってるんだ工藤新一!

 

 

「駄々こねないでよ。お姉ちゃんたち帰り道でお話ししたいんだから」

「真ん中がいいんだもん。僕もこのお姉さんのお隣がいい!」

「コナン君……」

 

 

「こら何やってる! 早く乗れ! タクシー代がもったいねえだろ!」

 

 

そう、やってきた毛利探偵に背中を押されて。

慌てて乗り込んだ私たちは、けっきょく工藤新一を間に挟んで川の字に!

 

 

「お待たせしました。運転手さんすぐに出してください。高久喜さん、住所は?」

「……」

「おい住所!」

「あ、はい! 米花町2丁目です!」

 

「え? そうなの? 高久喜さんの家って新一の家に近いんだ。ねえ2丁目のどのへん?」

 

 

あ、あの、蘭さん、私今、頭の中がパニックで。

だって、隣に工藤新一とか、工藤新一が隣にとか、そんなんでいっぱいいっぱいなところへもってきて工藤新一の家が向かいとか、向かいが工藤新一の家とか。

だってさ、生きてる工藤新一だよ? アニメの中じゃなくて、今隣に工藤新一が座ってるんだよ!?

さすがにこの年だから恋愛経験ゼロとか大ウソは言わないけど、そのへんにいるふつうの男と工藤新一とじゃ、存在そのものがぜんぜん違うんだよ!

 

 

「お姉さん?」

「高久喜さん?」

「……蘭姉ちゃん。お姉さん固まってるよ」

「うん。そうみたいね」

 

 

聞こえてます。

聞こえてますから。

お願いだから、袖をつんつん引っ張るのはやめてください。

この拷問はあとどのくらいで終わるんでしょうか。

 

 

夜中だったから、首都高を通らなくてもたぶん5分ちょっとくらいだったと思う。

でも私にとってはほとんど永遠に近い時間で。

ようやく2丁目の、工藤新一の家の前で車が止まって、やっと私はその拷問から解放されることができた。

すばやくタクシーを降りて助手席の窓を開けた毛利小五郎に挨拶する。

 

 

「あ、毛利探偵。送ってくださってありがとうございました」

「こっちこそ、悪かったな。犯人にしちまって」

 

 

へえ、毛利探偵ってちゃんと謝るんだ。

てっきり「あれは真犯人をおびき出すための演技ですよワッハッハ」とか言ってごまかすと思ったのに。

 

 

「高久喜さん。そこが新一の家なの。高久喜さんの家はどこ?」

 

 

工藤新一がじっと私を見上げてる。

 

 

「そこ。向かいの団地の一階」

「へ? こんなに近かったの!? じゃあとうぜん小さい頃一緒に遊んだりしたよね?」

 

 

いや知らないし。

 

 

「ごめんなさい。あんまり記憶になくて。……じゃあみなさんお気をつけて」

「うん。またね」

「お姉さんバイバイ」

 

 

コナン君が可愛らしい手を振ってくれる。

でも、やっぱり視線はおかしくて。

工藤新一のあの視線はいったい何なんだろう。

 

 

にしてもヤバかった、マジで。

だってタクシーのうしろで3人乗りってことはほとんど密着状態だよあの工藤新一と!!

心臓バクバクで意識半分飛んでたし、もっと続いてたらぜったい錯乱して訳わからないこと喋り出してたよ自分!

あああ考えちゃ駄目だ考えちゃ駄目だ考えちゃ駄目だぎゃああああぁぁぁぁーーー!!!

 

 

 

とにかく今日は疲れました。

お休み前の一服ができないのは悲しいけれど、とりあえず今は何も考えずに眠りにつこうと思います。

 

 

 

 


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