5月4日(水)
この日の朝、私はものすごく忙しかった。
目が覚めたのは警察病院の病室で、4時40分のケータイアラームでは起きなかったんだけど、5時にスヌーズ設定してるちょっと派手な音楽で目が覚めて。
慌てて現状確認、枕元にあったケータイだけを手にナースステーションへ行くと、すでに退院OKとの話だったので、そのまま病院を飛び出して電車に乗って米花駅へと降り立った。
そこから事件現場である米花シティビルへと走ると、さすがにビル周辺は立ち入り禁止状態になっていたから。
偶然通りかかった高木刑事にすがるように自転車置き場の自転車のことを話すと、危ないからとかなり渋られながらも、なんとか中に入れてもらえて無事自転車を取り戻すことができた。
「頼みますから、もうこれっきりにしてくださいよ。僕だってけっこうヒヤヒヤなんですから」
「はい、ほんとにありがとうございました」
「気をつけて帰ってくださいね」
たぶんまた機会があればあなたに頼むことになると思うけどね。
いやだと言いながら高木刑事が断れない性格なんだってことは、原作を通じてよく知ってたりしますから。
帰り着いた時には6時を過ぎてたんだけど、すぐにお風呂に火をつけて、準備が整う間にカ○リーメ○ト片手に一泊分の荷物を詰めて。
熱めのお湯につかって仕事モードに切り替えたあと、支度をして7時ごろには何とか部屋を出ることができた。
さて、鈴木家の別荘へは乗り継ぎも含めて約2時間半。
うち30分ほどはあちらの最寄り駅からの徒歩移動の時間なので、電車が予定通りに到着してくれれば、10時より15分くらい前に到着することになる。
つまり、社会人の感覚で言えばかなりのギリギリだ。
とにかく電車で寝過ごしたらアウトなので、到着3分前にケータイのアラーム設定をして、万が一居眠りしても目が覚めるように準備万端で列車に乗り込んだ。
移動中もずっと考えてた。
今回の犯人は別荘へ来る前から殺害計画を立てていて、おそらく凶器になる斧も犯人が自分で持ち込んだものだろう。
凶器以外にもトリックのためのおなかの詰め物やピアノ線、包帯男を演じるためのマントとか帽子も。
例えば彼が別荘に現れた時点で、私が何もかもぶちまけて説得を試みたところで、計画をやめさせるのは難しいと思う。
というのも、彼は本命の殺害前に、自分の本当の体形を見られたという理由で蘭さんを殺そうとするのだ。
殺害後ならまだ判るけれど、殺害前なら犯行をあきらめさえすれば、彼が体形を偽っていた理由にしたって単に「みんなを驚かそうと思って」という理由で通じるのに。
犯人の説得は不可能、むしろ説得しようとした時点で、私が殺されて終わるだろう。
じゃあ、被害者の方を守る?
これも無理がある気がする。
例えば、呼び出しの手紙を受け取った被害者に、殺されるから応じるなと言ったところで、彼女はすでに盗作した脚本で脚本家デビューを果たしてしまっている。
盗作がバレて社会的に抹殺される恐怖を思えば、脅迫者に対してお金で解決するなり、可能性がある方法を選ぼうとするのはむしろ当然のような気がするのだ。
ムリゲーじゃねえかよクソッタレ!!
いっそ名探偵にぜんぶぶちまけるか!?
そっちの方がよほど可能性があるよ。
彼は私なんかよりもずっと頭がいいんだから、殺害計画を未然に防ぐ方法も、私なんかよりずっとスマートに考えられるだろう。
―― いつか、名探偵は私の秘密を暴くのだろうか?
私は別の世界からトリップしてきた45歳のおばさん。
さすがにそこまでは無理かもしれないけれど、例えば引きこもりの“高久喜愛夏”が夢の中で未来を体験してきたとか、そのあたりまではいけるかもしれない。
若返り自体は彼はすでに経験している。
だから、私が若返った、というところは、もしかしたら信じてもらえるかもしれない。
いずれバレる秘密なら、ぶちまけるのもありだと思う。
それで被害者が救えるのならできるだけ早い方がいいとも思う。
でもなぁ。
オカルトを信じる名探偵というのも、私は想像がつかないんだ。
けっきょくなんの解決策も見いだせないまま、無情にも電車は別荘最寄り駅(というほど近くもないが)へと到着して。
教えてもらった道順をたどって、私はつり橋を渡って、鈴木家の別荘へとたどり着いた。
そこで別荘管理の老夫婦に合流して掃除や力仕事をお手伝い。
犯人がアリバイ作りに利用していた屋根の修理について訊いてみると、毎年修理と点検をしているので、傷んでいるということはないようだった。
(つまり屋根の修理が必要というのは犯人の出まかせだった訳だ。でも私が止めても彼は無理やり修理を始めるんだろうなきっと)
約2時間ほどで、老夫婦は準備を終えて帰っていって。
一人残された私は、本当なら老夫婦が用意してくれた食材で、昼ご飯を作って食べるところなのだけれど。
それまで無理やり起きて仕事していた反動で、どうにも眠気が抑えられなかったので、ほかの人が来る午後4時ごろまで眠らせてもらうことにしたんだ。
……原作でコナン君と蘭さんが寝ていた、階段を上がって左側に3つ並んだ真ん中の部屋で。
(いやだって、急遽参加が決まった私の部屋が考慮されてなかったから、そこしかないって言われたんだもん。つまり恐ろしいことに毛利蘭や江戸川コナンと同室ってことですよ!)
目が覚めたのは、その二人が部屋に入ってきて、私を起こしてくれたからだった。
……しくったなぁ。
せめてあのラッキースケベ事件だけでも防げたら、蘭さんが狙われることもなかったのに。
今頃気づくとは、やっぱり私、昨日の事件でかなり疲れて思考力が低下してたらしい。
(元から抜けてるともいう)
ともあれ眠ったおかげで頭もだいぶすっきりしてくれたので、蘭さんと一緒に荷物を解きながら少しだけ話をした。
「愛夏ちゃんはもう一仕事したあとなんだよね。お疲れさま」
「蘭さんは大丈夫?」
「私はほら、健康なのが取り柄だから」
「私もそうだったんだけどな」
「そうだ、私聞いてなかったよ!? 昨日私と会う前に、愛夏ちゃんがコナン君と爆弾処理してたなんて!」
そういえばハンガーノックで入院したとしか言わなかったな。
蘭さんと会った時は痛みもぜんぜんなかったし、そもそもハンガーノックさえ起こしてなければ私が救急車で運ばれるなんてこともなかっただろうから、爆発に巻き込まれたことは入院の理由と思ってなかったんだ。
「目の前に大きな時限爆弾が鎮座してたあの時に、爆弾が爆発した話なんて、誰も聞きたくなかったでしょ」
「それはそうだけど。でも本当にケガはなかったの?」
「爆風で倒れた時の打ち身くらいかな。もうぜんぜん痛くもないし」
「そういえば、あれから新一から連絡あった?」
え? そんなものは……。
と、ケータイを開いて思わず青ざめる。
私が電車の乗り換えであたふたしてたくらいの時間に、工藤新一からの着信が……!
ぱたりとケータイを閉じて見なかったことにした。
「折り返しかけなくていいの?」
いやだって、今同じ部屋にいますから。
蘭さんの言葉にピクッと反応した江戸川コナン君が。
「まだ首洗ってないし」
それによく見たら、ここってケータイ圏外じゃん。
いまどきの日本で圏外の地域があるってだけで驚きだよ。
呆れた顔で微笑む蘭さんとコナン君と一緒に食堂まで行く。
園子さんとあいさつを交わして、姉の綾子さんを紹介してもらって、綾子さんのお茶の準備を手伝って。
高橋さんはすでに屋根の修理を始めていたようで、綾子さんが声をかけるとベランダを伝って階下に降りてきていた。
そのほかタバコを吸ってる太田さん(うらやましい)とカメラを回している角谷さん、できる女な感じの知佳子さんの総勢9人でテーブルを囲んで自己紹介をした。
同窓会組の5人は和やかに思い出話をしていたのだけれど。
綾子さんが敦子さんという人の話を出した途端、雰囲気が変わって。
高橋さんは屋根の修理の続きをしに出て行って、知佳子さんは散歩へ、角谷さんはそのあとを追って森へと行ってしまったみたいだった。
確かこのあと、蘭さんが太田さんに誘われて、森へ行くんだよね。
そしてそのうしろを園子さんとコナン君がこっそりついていって。
雨が強くなり始めた頃、雷の音に驚いた蘭さんがみんなと離れたところを見計らって、包帯男が蘭さんを襲うんだ。
でも私は綾子さんの手伝いで台所にこもらないといけないので、あえて関与することはしなかった。
「愛夏ちゃんもみんなと一緒にお散歩してきていいのよ。ここは私だけで十分だから」
「いいえ、私は雇われてきてるので、できる限りお仕事させてください」
「んもう、どうして園子ったら、愛夏ちゃんを雇ったりしたのかしら。ふつうに招待すればよかったのに」
そりゃお姉さま、園子さんには普通に招待したんじゃ私が来ないだろうってことが判ってたからですよ。
園子さんはできるだけ早く私を見極めたいと思ってますからね、今回のような泊りがけの旅行はチャンスだと思ったんでしょう。
「あら、降ってきたわね。高橋君大丈夫かしら。足を滑らせたりしないといいんだけど」
たぶん今頃は包帯男の扮装で森を歩き回ってるはずですよ。
なので心配には及びません。
まったく、いくら敦子さんのためだからといって、こんな優しい人を心配させるとか、あの人はいったい何やってるんでしょうね。
なんとなく不機嫌になってるのは、私がなにもできないことに苛立っているからなんだと思う。
それが誰のせいかといえば、間違いなくあの犯人のせいで。
いっそのこと雨のせいで屋根から落ちて足でもくじけばいいんじゃないかと思う。
「愛夏ちゃん、……もしかして、なにか怒ってる?」
「……すみません。ちょっと、自分のふがいなさに情けなくなってるというか」
「それ、もしかして園子のせい?」
「違います。園子さんも綾子さんも悪くなくて。……ただ、自分が力不足なだけで」
ああ、馬鹿なのは私だ。
関係ない綾子さんを心配させて。
「愛夏ちゃん、ちょっとここに座って」
綾子さんが指し示してきた高めの丸椅子に腰かけると、綾子さんはなぜか私の頭を抱き寄せてきたんだ。
「綾子さん……?」
「ねえ、愛夏ちゃん。もしかして、なにか悩んでることがあるんじゃない?」
「……いえ、そんな」
「別に無理に話してくれなくてもいいのよ。でも、この人になら話しても大丈夫だって、そう思える人がいるだけでも違うと思うの。……園子から聞いたわ。愛夏ちゃん、ご両親もすでに亡くされて、独りで暮らしてる、って」
両親、なんて、なにも話さなかった。
父親の記憶はほとんどないも同然だし、母親とは最近は文句の応酬だけで。
でも ――
「……おんぶひも」
「え?」
「……子供の頃、押入れの上の段に座ってると、お母さんがおんぶひもをかけて、背中に背負ってくれた」
胸に抱きかかえられるなんて、今までほとんどされたことがなくて。
誰かのぬくもりがあるなんて久しぶりだったから、ふと思い出したのがそれだった。
知らず知らずのうちに涙がこみあげてきて……。
って、私いくつだよ!
お母さん思い出して泣くような年じゃないってぜったい!!
「いい想い出ね」
「……別に、たいした想い出じゃないし」
「愛夏ちゃん、ちゃんと泣いてないんじゃない? よかったらここでしばらく泣いていって」
「……」
泣いては、いなかったな。
だってうちの母親、別に死んだとかじゃないし。
きっと私がいなくなった今でも私に文句しか言ってないと思うんだあの人。
憎まれっ子世にはばかるっていうけど、少なくともあの人は私には憎まれてたから、あの世界で長生きしたと思うし。
―― 憎んでいれば、憎んでいるうちは、生きててくれると思うし。
なかなか涙が止まらなくて、けっこうな時間、綾子さんの胸で泣いてたと思う。
そのうちに食堂の方が騒がしくなって。
顔を洗ってから綾子さんより遅れていくと、蘭さんが包帯男に襲われたという話で騒然としていた。
「ねえ、姉キはあの男見なかった? この別荘の方に逃げていったと思うんだけど」
「さあ……夕食の仕度してたから。見た? 高橋君」
「いや、屋根の修理でずっと上にいたけど、そんな人は来なかったと思うよ。でも……妙な感じの人ならこの別荘に着いたときにつり橋のそばで見かけたなあ。顔はよく見えなかったけど、黒っぽいマントにチューリップハットをかぶった不気味な人」
もしも今、この高橋さんのおなかを探ったら、黒いマントとチューリップハットと包帯が出てくるのかな。
今ならまだ誰も傷ついていないから、たとえ彼が包帯男だとバレても悪質な冗談だったで済まされる。
それが誰にとってもいちばんいい結末のような気がする。
……もしかしたら、私が彼に憎まれる可能性はあるけれど。
よし、決行しよう!
そう思って高橋さんの背後に近づこうとした時、ふいにシャツの裾を引かれたんだ。
見れば私のシャツを握ってたのはコナン君で(まあ、そんなことするのは彼以外にはいない)、なぜか私をちょっと怒ったような真剣な目で見上げてたんだ。
「愛夏……姉ちゃん、なにかあったの? 目が真っ赤だよ?」
って、おまえが止めるのかよ!?
さすが世界を動かす主人公、世界の修正力が彼を動かすのはたやすいのかもしれない。
ていうか、まさか自分が活躍したいがために犯罪を未然に防がせないんじゃないだろうな!?
「……そんなことより、今は不審者の方が重要だと思います」
「愛夏姉ちゃんのことだって重要だよ。ねえ、いったい何があったの? どうして泣いてたの?」
……完全にタイミングを外されたな。
綾子さんが警察に電話をしに行って、そのあとをほかのみんなもついていって。
ここに残ってるのは蘭さんと園子さんだけになってる。
「コナン君、愛夏ちゃんをあんまり困らせないで」
「でも私も気になるわね。愛夏、あんた、姉キとなにかあった?」
「いえ、綾子さんは、私を慰めてくれただけで」
その時、玄関の方で高橋さんの叫ぶような声と玄関のドアを乱暴に開ける音が聞こえて。
「あとで聞くからね。私たちも行ってみましょう」
「うん」
廊下へ出ると、綾子さんからは電話が通じなくなっていることと、その後戻ってきた男性陣からつり橋が落とされていることを聞かされた。
さて、今回の私の仕事は、綾子さんの調理の手伝いがメインなのだけれど。
気が付けば台所には綾子さんと私のほか、蘭さん、園子さん、コナン君の総勢5人がいて。
手際のいい蘭さんに邪魔されて、私がする仕事がほとんどなくなってるような状況だったりします。
「で? けっきょく何があったのよ、愛夏と姉キ」
「なにもないわよ。これはいわゆる乙女の秘密、ってヤツね」
綾子さんは園子さんの追及を軽く流してくれている。
私はただ、黙々と鍋の火加減を見てアク取りしているだけだ。
「愛夏姉ちゃん、ぼくにだけこっそり教えて。ねえ、いいでしょ?」
「コナン君、火の近くは危ないので、少し離れててもらえませんか?」
ここまで調理が進んでやっともらえた仕事なのだ。
失敗なんかしたら目も当てられない。
というかもうバイト代をもらえるレベルじゃなくなる。
今でさえかなり怪しいというのに。
しかし、綾子さんは長女気質というのか、世話好きであしらい上手な感じがまさしくお姉さま、なのだけれど。
同じ長女(しかも同じく妹と二人姉妹)の私は、どちらかといえば長女の悪い部分しかないのがまったく違う。
私、甘え下手だし頑固だし、弱みを見せるとかほんとにできないタイプだからな。
そんな私を甘えさせちゃう包容力とか、なんかこの世界、尊敬できる人ばかりで構成されているような気がするよ。
「うん、お鍋もいい感じね。愛夏ちゃん、丁寧な仕事ありがとう」
「いいえ。たいしたお手伝いもできずにすみません」
「ううん、一人じゃどうしてもここまできちんとできないから。愛夏ちゃんがいてくれて本当に助かったわ」
「お役に立てたのならよかったです」
知佳子さんは食べないとのことなので、8人分の食器を用意して。
……もう、きっと殺されちゃってるんだろうな。
名探偵に邪魔されなければ救えたかもしれないとも思うけれど、犯人の執念を思うと、違う形でまた殺人計画は練られたのかもしれないし。
意図せず私を止める形になったコナン君の行動を免罪符に、私は彼女を救えなかった罪の意識から必死に逃げようとしていた。
食事をテーブルに並べているとき、綾子さんの一言からコナン君が質問して。
綾子さんの口から、敦子さんが2年前に自殺したことが語られた。
そのあと太田さんと角谷さんが相次いで現われて。
綾子さんが屋根にいる高橋さんに声をかけると、ベランダから外を見た高橋さんが、窓の外に誰かがいると言い出したんだ。
私はずっと高橋さんの行動を見ていたから、窓の外を知佳子さんが通り過ぎたところは見ていなかったのだけど。
いずれにしても、高橋さんが不審な行動をしたところまでは見ることができなかった。
すぐに男性陣は窓を開けて不審者の行方を見定めようとしていたけれど、それに先立ってコナン君が非常用の懐中電灯を手に窓から飛び出していったんだ!
(ていうか、なぜ君は食堂で土足でいたんだ? スリッパのサイズが合わないからなのか?)
さすがに彼を追うほかのみんなは玄関に回って靴を履き替えていたけれど、そのとき女性陣には戸締り確認が言い渡されたので、私は園子さんと組んで部屋の窓からベランダからすべての施錠を確認して回った。
戻ってきた男性陣からの報告は、原作通り、知佳子さんのバラバラになった遺体が森に散乱していたということだった。
外で遺体を見た男性陣はとても食事をする気になれないようで、再び全員で施錠確認したあとにそれぞれの部屋へと戻ってしまって。
でも昼も食べていなかった私は夜まで抜く訳にはいかないので、失礼して食堂で食べさせてもらうことにした。
片付けのために一緒に残っている綾子さんも、さすがに友人が殺されたとあっては食事どころではないのだろう。
食卓の隣に座ってはいても、食事に手を付けることはなく、憔悴した感じでぼんやりテーブルを眺めているだけだった。
「綾子さん、片付けなら私がやっておきますから。今日はもう休んだ方が」
「……ええ、そうね」
声は耳に入ってても脳まで達していない感じだ。
こういう時、私はうまく慰めるすべを持たない。
ふだんは普通の人間の振りをしているけれど、こんな風に人間の本質が問われるとすぐにボロが出てしまうのだ。
私はさっき綾子さんが私を泣かせてくれたように、彼女を泣かせてあげることすらできない。
急いで掻き込んだ私の食事が終わるころ、蘭さんと園子さん、コナン君が食堂へとやってきた。
「愛夏ちゃんと綾子さん、まだ残ってたんだ」
「うん、私は昼抜きだったから、食べないと持たないから。蘭さんたちは食事は?」
「私はちょっと。コナン君はいただいていく?」
「うん。じゃあスープだけ」
「私も遠慮しておくわ。愛夏、片付けは任せてもいい?」
「大丈夫」
「ありがと。それと姉キを見ててくれてサンキュー。……姉キ、ここは任せて部屋で休もう」
「……ええ」
園子さんが綾子さんを連れて部屋へと戻ってしまったので、残ったのは蘭さんとコナン君だけになった。
「コナン君、スープを温めますよ」
「ううん。このままで平気だよ」
「そうですか。……朝までの間におなかが空く人もいるかもしれないから、ラップをかけて冷蔵庫に入れておけばいいかな」
「それでいいんじゃないかな。私も手伝うよ」
蘭さんが手伝ってくれたので、コナン君がスープを飲んでいる間に、私と蘭さんとで手分けして食器ごと台所の冷蔵庫に運ぶことができた。
最後に私とコナン君が使った食器を片付けて、あと雨に濡れてお風呂を使う人がいるかもしれないからそれも支度したあと、もう一度施錠確認をして3人で部屋に戻った。
部屋にはベッドが2つしかなかったのだけれど、蘭さんは最初からコナン君と一緒に寝るつもりでいたらしく、窓際の私が昼間眠っていたベッドをあっさり譲ってくれた。
「なんかとんだことになっちゃったわね。こんなことさえなかったら、愛夏ちゃんと同じ部屋でお泊りなんてすごく楽しかったと思うのに」
「うん、そうだね」
私の方は、事件の緊張感がなかったら、江戸川コナンと同じ部屋だなんてとてもじゃないが耐えられなかったと思うけど。
今どうにか平常心を保っていられるのは、これから包帯男が蘭さんを襲ってくると知ってるからだ。
って、どっちも平常心には程遠いようなシチュエーションではあるよな。
(逆に両方あるから変にバランスが取れてるのかもしれない)
とりあえず、ぜったいに眠らないようにして、蘭さん抱えて逃げるくらいのことはできるように構えておこう。
「さて、鍵も確認したし、明日も早いからもう寝ようか」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみなさい、愛夏ちゃん、コナン君」
「おやすみなさい」
そうして明かりを消してベッドに入ったあと。
蘭さんはすぐに眠ってしまったようだったけれど、コナン君の寝息はまだ聞こえてこなくて。
……そういえば原作でも、蘭さんがコナン君のベッドに入ってきて、ドキドキして眠れなかったんだよね。
今のコナン君はおそらくそういう状態なんだろう。
「ねえ、愛夏姉ちゃん、起きてるの?」
しばらくしてから、小声でコナン君が話しかけてきました。
「……はい」
「眠れないの?」
「私はお昼寝しちゃったので。コナン君はもう寝た方がいいですよ」
「うん、でもぼくも眠れないから。少しだけ話してもいい?」
これはあれですか? また私を探ろうとしてるんですか?
……まあ、名探偵がいずれ私の正体を看破するかもしれないのは仕方がないことだし、自分が出した結論ならそれ以上疑うこともしないだろうから。
逆に正体を知ってもらった方が私は楽になれるかもしれないと最近思うようになった。
だから変にプレッシャーをかけてきたりしないのなら、私としては自分のことを話すことにそれほど抵抗はなくなっていたりするんだけど。
「はい」
「愛夏姉ちゃんは、あの包帯男って、なんだと思う?」
しかしコナン君の話は今回の事件のことで、私はちょっと拍子抜けしてしまった。
「なに、というのは?」
「みんなが言ってるみたいに、たまたまこの山荘に現れた無差別殺人犯なのか、それともなにか計画的な犯行なのか」
「……コナン君は、無差別殺人が信じられないみたいですね」
私が言うと、なぜかコナン君は、今まで手に入れた材料を一通り話してくれたんだ。
知佳子さんのスリッパが裏口にあったことや、知佳子さんの遺体は靴をきちんと履いていたこと。
それと知佳子さんの部屋は荒らされてたりしなかったことから、彼女が自分で裏口から外へ出たのだろうということ。
「確かに、変ですね。そもそもなぜ知佳子さんがわざわざ靴のある玄関ではなくて、裏口に回ったのかというのも。その知佳子さんの姿を、包帯男が食堂の玄関側の窓から見せたのか、ということも」
「うん、そうなんだ。でも例えば包帯男が知佳子さんの知り合いかなにかだとしたら、どうやって呼び出したのかもわからないし」
「知佳子さんの部屋はここの隣ですから、裏口側は見えないですし、窓越しに裏口に呼び出されたとは考えにくいですね」
私は原作の流れを思い出しながら、コナン君がまだ手に入れていない情報に触れないよう、必死で考えながら話していた。
確かチョーカーの話はこの部屋で蘭さんが襲われたあとだったし、知佳子さんが手紙を受け取っていた話もそのあとだ。
それ以外の材料をなんとか組み立てて話を合わせていく。
おかげでよけいな頭を使ってすっかり眠気の方はなくなってくれたし。
「……愛夏姉ちゃんは、言わないよね」
「ん? なにをですか?」
「ぼくに、子供はよけいなことに首を突っ込むな、とか」
おうっ! 油断してたら探りがきましたよ!
二段構えとか、名探偵もだんだん進化してきたなオイ!!
「子供がどう思うのか判りませんけど、……人間って、年齢を重ねても、実はあまり進歩したりしないものなんですよ」
まあ、少なくとも私はそうだった。
年齢に応じて知識は確かに増えたけれど、本質的な部分では、自分はなにも進歩してないと思う。
「コナン君はもともと、理論的な考え方が得意な人なんだと思います。子供のうちはまだ常識が足りないので、ふつうならそれが表に現れることはないんでしょうけど、君はふつうの小学一年生よりも常識的な知識が多いみたいですし。だったら私にかなう訳がないです。私は君ほど頭がよくないというのは判り切ってますから」
「……愛夏姉ちゃんは、頭いいと思うけど」
「そんなことはないですよ」
「だって、今までぼくの追及から逃げてるじゃない。頭がよくなかったらとっくにボロを出してるところだよ」
―― 空気が凍った。
コナン君の声は犯人を追い詰めるときそのもので、姿が見えないこともあってもう子供とは思えなかった。
というか、私はもともと彼を子供だなんて思ってないんだけど。
彼は確かに天才で、今まで様々な事件の謎を解いてきたけれど、でもたぶん私のことはどう捉えていいのか判らない部分の方が多いんだと思う。
証拠が集まるようなたぐいの話でもないから、だから彼は私に自白を促そうとしてるんだ。
……まだだ。
まだ自白はできない。
私の自白を信じるだけの証拠を、彼はまだ手にしていない。
でも、私が故意に漏らした証拠では、彼はぜったいに満足なんかしないだろうから。
今はこのまま少しずつ私がボロを出し続けるしかないんだ。
そのときだった。
「ねえ、愛夏姉 ―― 」
「シッ、黙って」
窓の外は今も強い雨が降っていて、明確な気配を感じることなんかはできなかったけれど。
ずっと身構えていた私には、小さな物音と人の気配を感じることができて。
私のただならない声に、探偵の優秀な耳を持つコナン君も窓の気配に気づいたようだった。
お互いに横たわったまま、声だけを交わしていた私たちは、黙ってさえいれば犯人にはすでに寝入っているように見えただろう。
完全に部屋に侵入したとき、私は大きく息を吸って声を上げた。
「きゃあああああぁぁぁぁーーー!!」
一瞬驚いて動きを止めた犯人のスキをついて蘭さんに駆け寄って抱き上げる。
そのままドアに駆け寄ろうとする私に犯人が斧を振り上げて ――
「やめろ!」
コナン君が犯人のうしろから抱き着いて動きを止めようとする。
でも小さなコナン君の力ではとうてい犯人の動きを止めることなんかできない。
「誰かーー!! たすけてーー!! 包帯男に殺されるーー!!」
ドアの近くまで行って蘭さんを背にかばいながら部屋の明かりをつけた。
犯人がひるんで顔を隠そうとしたのが判る。
「誰か来てーー!! 高橋さんに殺されるーー!!」
これは、一つの賭けだ。
あるタイミングで私はこの言葉を叫ぶつもりだった。
一つは、蘭さんが私よりも安全な場所にいること。
そしてもう一つは、コナン君が犯人の体形を確認したあとであること。
次の瞬間に私が殺される危険もあったけれど、周囲の部屋が騒がしくなったことで、犯人は失敗を悟ったのだろう。
すぐに窓の外に逃げ去っていったから、私は賭けに勝ったことを知った。
「あ、まてっ!」
コナン君は包帯男のあとを追おうとしたけれど、どうやら原作通り、足をくじいてしまったらしい。
直後に部屋に入ってきた園子さんに蘭さんを任せて、私はコナン君に近づいていった。
「動かない方がいいですよ」
「愛夏姉ちゃん、どうして高橋さんの名前を叫んだの?」
「あとで説明します。今シップを出しますから」
私が自分のかばんの中から用意していたシップを出している間に、ほかの部屋のみんなが集まってきて。
蘭さんも最後の方は起きていたようで、包帯男に襲われたことをみんなに説明してくれた。
「でも愛夏ちゃん、どうして高橋の名前を?」
「すみません。得体のしれない包帯男より、高橋さんの方が角谷さんたちが助けに来てくれる確率が高いと思いまして。高橋さん、お名前を借りちゃってすみませんでした」
「……ひどいな。僕を犯人にするなんて」
「すみません。でも殺されかけたとっさのことなので、どうか許してください」
そう叫べばあなたがビビるかもしれないと思ったってのもあるんだよ。
原作で無事だった蘭さんは大丈夫かもしれないけど、原作にいない私はいつ殺されても不思議じゃないんだ。
いろいろ考えて最善を尽くさないと、本当に怖いんだから。
……まあ、逆に正体を見られたと思い込んだ犯人に殺されるかもしれないとも思ったけどね。
(そのときはそのときで、せめて犯人解明の礎になれたってことで諦めるけど)
私はシップは持ってきたけど包帯は持ってきてないので(だって手荷物に包帯とか、犯人と間違われそうだし)、別荘の救急箱から持ってきたものを蘭さんがコナン君に巻いてくれて。
このままバラバラに部屋にいるのは危ないからと、全員で食堂で朝を待つことになった。
その時、コナン君が綾子さんが持つ知佳子さんのチョーカーに気付いたのは原作通り。
そのあと食堂で犯人について話したり、コナン君が角谷さんのビデオを確認したり、綾子さんに知佳子さんの最後の行動について確認したりと、ほぼ原作通りに進んでいった。
あとは、蘭さんが他の人の部屋を開けた話をしていた直後、停電になった時。
包帯男の斧に襲われるのが蘭さんか、それとも私なのか。
私だったらたぶん撃退なんかできないだろうから、斧に襲われてジ・エンドとなるのだろうけれど……。
「て、停電よ!」
「今の雷でどこかの電線が切れたんだ」
「こ、怖いよー」
「わ、私……キッチンからロウソク取ってくる!」
「おい、一人で大丈夫か?」
「私も行きます」
「ぼくも」
私は声をかけずにこっそりと蘭さんたちについていった。
ときどき光る稲妻に照らされてるからかろうじて様子が判るけど、そうじゃなかったら真っ暗で手探りで進まなきゃならなかっただろう。
ようやく辿り着いた台所で、蘭さんたちがろうそくに火をつけた時。
窓のガラスが割れるような音が食堂の方から聞こえてきて。
そのあと、人が近づいてくるような音がしたから、私は道を開けてその気配が通り過ぎる瞬間、足をかけたんだ。
たぶんその人が転んだのだろう音と、重いものが床に落ちる音がして、気配に気づいた蘭さんがろうそくを近づけると、床に斧が突き刺さっているのが確認できたんだ。
「ちょっと、これ斧じゃない?」
「じゃあ、さっきここにいた人って」
その時、別荘の明かりがついた。
「あ、復旧した。……え? 愛夏ちゃん来てたの?」
「うん、一応仕事で来てるし」
「なんだ声かけてよ。怖いじゃない」
「ごめんね」
だって、犯人に私がどこにいるのか知らせたくなかったんだもん。
私が見つからなければ蘭さんを狙うはずだから、囮にしてあわよくば現行犯で、なんてことも思ったんだけどね。
さすがに転ばせたくらいじゃ、明かりがつくまでその場にとどまってはくれませんでした。
でも私の攻撃力なんてそれこそ武器でもなければほんとにささやかなものだしな。
(だいたい素手で電柱にヒビを入れる女子高生と比較されたくないし)
園子さんの悲鳴に食堂へと駆け付けると、食堂のベランダの窓が割られていて、包帯男がそこから侵入したように見えた。
……高橋さん、あの暗闇の中でベランダまで上がって窓を割ったあと、斧を持って蘭さんを襲って、再び食堂のみんなと合流したのか。
息を乱してる様子もないし、ほかの人たちと会わなかった2年間であそこまで痩せたってことは、かなり運動して頑張ってダイエットしたんだろうな。
その情熱をもっと違うところに向けることはできなかったんだろうか。
私もベランダまで上がって、鍵とあと、手すりの傷も確認することができた。
このままだと雨が吹き込んでくるし、ガラスが散乱して危ないから、できれば掃除と修理をしたいところだ。
「私、掃除用具持ってきますね」
「愛夏姉ちゃん、危ないからあとでいいよ。明るくなってからやろう」
「そうだな。掃除中に襲われても困るしな」
「それよりスリッパに破片がついてると思うから、ここで落としてから降りよう」
コナン君に促されてスリッパの破片を落としたあと、私もテーブルの椅子に座った。
もう、事件を解決するピースはそろったはずだ。
あとはコナン君の麻酔銃で、推理クィーン園子の誕生を待つばかりで。
その時、なぜか急に眠気がさしてきて。
事件解決を待たずに、椅子に座ったまま私は眠ってしまったみたいだった。
―― ふっ、本当にそんな人が森の中にいると思ってるんですか?
誰かがしゃべっている。
―― 思い出してください、蘭さんと私が部屋の中で襲われたときのことを
かなり聞き覚えのある声だ。
ていうか、これ、たぶん、私の声だ。
―― じゃあなぜ、あの部屋には泥のあとがなかったんですか? 外は土砂降りですよ
でも、なんで私の声が聞こえるの?
私、今、しゃべってないよね?
私がしゃべらずに私の声が聞こえるとか……
―― 侵入口はおそらく、隣の無人になった知佳子さんの部屋でしょう。包帯男はそこからベランダを伝って窓を割って私たちの部屋に侵入した
もしかして、身体を乗っ取られてる、とか?
……まさか私、今まで“高久喜愛夏”の身体を乗っ取ってて、ついさっきまでは支配権を持ってたけど、それを取り返されたとか?
これもできるだけ考えないようにしていたことだ。
もしかしたら私の身体は本当は若返った私じゃなく“高久喜愛夏”自身の身体で、その中に“高久喜愛夏”は生きているかもしれない、って。
今、私が自分の身体だと思っているのは、本当は“高久喜愛夏”の身体なんじゃないか、って。
―― でも私が大声を出したから、慌てて部屋に戻って着替えて、皆さんに合流したんです
とにかく一度声を出してみなきゃ。
支配権が私にないならそれでもいいけど、でも確かめないといけないとは思うから。
「……あ!」
よし、声、出せた。
とりあえず全面支配は受けてないみたいだから、たとえ“高久喜愛夏”がいたとしてもそれほど強い支配じゃないんだろう。
「どうかした?」
「なんだよ、途中で黙ったりして。続きを話せよ」
……続き?
それって、今まで話していたことの……?
確か、さっきまで聞こえてたのは蘭さんを襲った犯人が部屋に侵入した経緯だったから、確か次は ――
「それと包帯男は、窓の下にあった鍵の位置に、正確に穴をあけています。あそこに鍵があるのを知ってるのは、別荘内を詳しく知っている人だけです。つまり、知佳子さんを殺して蘭さんを襲った犯人は、この中にいるんです」
この時私はまだ夢うつつで、続きをと言われたからとりあえず記憶にあるマンガの内容を話していただけなんだけど。
続けているうちにふと、「なんで私、こんな話をしてるんだ?」ってなことに思い至って。
なんか記憶がごちゃごちゃしていて、私に続きを促したのがいったい誰だったのか、ってことも判ってなくて。
でもそれが太田さんだってことに気付いた瞬間、私は一気に目を覚ましたんだ。
「……え?」
「なんだよ、さっきからとつぜん声をあげたりして。なにかの病気か?」
いや、病気って、ただ眠ってただけなんですけど!?
……今、私、もしかして眠りの小五郎をやってた、とか?
って、なんでコナン君、素直に蘭さんか園子さんを探偵役にしなかったんだよ!
これじゃ私、もうほんとに探偵するしかないじゃないか!
「……私、どこまで話しました?」
「高橋が犯人で、死体を運んだ証拠があるってところだよ! いいかげんにしろ!」
「すみません。……皆さんが包帯男を追って出て行ったあと、綾子さんが玄関で知佳子さんのチョーカーを拾っています。ビデオを見れば判りますが、包帯男に抱えられた知佳子さんは、確かに首にチョーカーをつけていました。皆さんが出て行ったあとにそれが玄関に落ちていたということは、あの時知佳子さんを抱えて玄関を通った人がいるということです」
「だから、僕はあの時手ぶらだったって。それに死体って重いんだろ? そんなものを気づかれずに運べるはずが」
「死体なら。でも、首だけなら持ち運ぶことができるはずです。あの時知佳子さんの首から下はマントに隠れて見えませんでしたし、死体はバラバラだったんですから」
「ば、ばかばかしい! 首だけだって同じことだ! なんで僕が知佳子を殺さなきゃならないんだよ! それに蘭さんや愛夏さんまで。それに ―― 僕が人なんか殺せるはずがないだろう!」
……ああ、人を追い詰めるのって、なんでこんなに疲労感があるんだろう。
私は偽善者だから、できれば人を追い詰めたりなんかしたくないって思っちゃう人種なんだよ。
憎まれ役なんか引き受けたくないし、本当だったら後輩の指導みたいな仕事だってしたくない。
こんなこと、日常的にやってる名探偵にはほんとに尊敬の一言しかないよ。
でも、やるしかないんだよね。
ここまで来て誰かにこの役を押し付けるなんて無理なんだから。
「ふ……どうして言わないんですか? 包帯男と自分とでは、体形がぜんぜん違うだろう、って」
「そ、そうだよ高橋! お前どうして」
「高橋さんは言わなかったんじゃない。私に聞き返されるのが怖くて、言えなかったんです。『あなた本当に太ってるんですか?』って」
そのあと ――
私は高橋さんが知佳子さんの首をおなかに入れて運んだトリックを披露して。
蘭さんが誤って高橋さんの本当の体形を見てしまったことと、その口封じのために蘭さんを襲ったこと。
本命の知佳子さんを逃がさないよう、橋を落として電話線を切ったことなんかを説明して。
やがて動機の解明に至ったとき、高橋さんはようやく自分が知佳子さんを殺したと自白してくれた。
ナイフを取り出して自殺しようとした高橋さんを、私は止める気にはならなかった。
でもその時、私の声でコナン君が叫んだんだ。
「ざけんじゃねーよてめえ! 死にたきゃ勝手に死にやがれバーロー!!」
こ、これは、もしかして口パクすべきなのか!?
「確かにお前は敦子さんのために罪を犯したのかもしれねえよ。だがなー、そのあと蘭を襲ったのは、正義のためでもなんでもねー。お前は怖かったんだ。犯罪者になってしまう自分が怖くて蘭を襲ったんだ! 今のおまえは、正義の使者なんかじゃない!! ただの醜い、血に飢えた殺人者なんだよ!!」
なんとか原作を思い出しながら口を合わせて。
周りの人たちが私を見る、驚いたような視線の痛みに耐えながら、なんとか態度だけは堂々と装った。
でも、内心ではマジでガクブルなんですけど。
この展開、私にとってもかなりヤバいけど、名探偵にとっても相当ヤバい状況だろうから。
私は原作を、物語の先の展開を知っている。
名探偵は大人の頭脳を持っていて、人を眠らせてその人の声で事件を解決している。
お互いに、お互いだけが、この状況に気付いてしまった。
私は元から知ってたことだったけれど、でも私が知っているということを、名探偵は知ってしまった。
さて、私が途中から事件を解いたあの推理を、名探偵はどう受け取っただろう?
私に探偵の素質があるとか、変な誤解はしてないことを祈ろう。
そうじゃなかったら、今後私が事件に巻き込まれる確率が、また高くなりそうな予感がするから。
頼む、もうこれっきりで勘弁してください。
私、探偵をやるほどの強靭なメンタルなんて持ち合わせてないんです。
5月5日(木)
名探偵の麻酔針のおかげで眠気が収まらなかった私は、失礼して部屋で休ませてもらうことにした。
とりあえずもう包帯男の危険はないし、ほかの人は念のため夜明けまで高橋さんを見張るつもりのようだから、逆恨みで私が殺されるようなこともないだろうし。
そう申し出ると、なんとコナン君までが部屋に戻って寝ると言い出したんだ。
(いや、小学生がここで部屋に戻るのはものすごく普通なんだけど! けど!!)
歩けない名探偵を私がおんぶして(眠気でフラフラしてるからけっこう怖かった)、階段を上がって部屋に戻ると、さっそくコナン君が訊いてきた。
「愛夏姉ちゃん、さっきの……」
「君が始めたんですよね、あの推理ショー」
「……!」
「途中で目が覚めちゃったので、仕方なく引き継いだんです。なのでもう二度とやりたくないと思いました」
先に結論を言っておく。
だって、今のこの状態だと、いつまで起きていられるか判らないし。
「……愛夏姉ちゃんは、ぼくがおかしいと思わないの? ときどき大人みたいなしゃべり方をするし、愛夏姉ちゃん以外にはわからなかった、犯人を指摘したり」
「なにか事情があるんだとは思ってますけど。……別に誰も迷惑してないですし、そういう小学一年生が世界に一人くらいはいてもいいんじゃないですか?」
「……その事情、聞きたいと思わない?」
「聞いたら否応なしに巻き込まれそうな気がするので、いいです。私はこの世界で平凡に生きていきたいので」
まあ、誰も迷惑してないかどうかは知らないけどね。
私はまだ、彼が工藤新一と同一人物だとか、黒づくめの男に薬を飲まされて縮んだとか、核心に触れる部分は知らないでいたいと思うんだ。
コナン君が思う、私のコナン君に対する認識は、天才的な推理力を持った小学生探偵、それでいい。
それ以上知らなければ、これから来る灰原哀なんかとも必要以上に関わらなくて済むはずだから。
「……証拠が、見つからないんだ」
ぼそっと、名探偵が言う。
私が黙っていると、名探偵はさらに続けた。
「愛夏姉ちゃんの不自然な行動、つなげてみれば示してるものは一つなのに、状況証拠だけで決定的な証拠が見つからない。……言ってる意味、判るよね?」
いや、判るよ、判るけど……。
だから自白しろって言われても、君はまだたぶん半信半疑だ。
君が半信半疑でいる今はまだ、私は自白できない。
「証拠は、君自身が見つけるべきだと思いますよ」
「話してはくれないの?」
「話しても、君は信じないでしょ。君のやり方は、動かぬ証拠を突き付けて、言い逃れができないところまで追いつめることじゃないんですか?」
「……状況証拠はどんどん積みあがっていくのに」
少し苛立つように言ったコナン君の様子を見て、私はまた少しのボロを出したことを知った。
たぶん今までもこの調子でかなりのボロを出してるんだろうな自分。
いったい彼の中でどれだけの状況証拠が積みあがっていることやら。
さすがに限界だったのでベッドに入る。
名探偵もそれ以上は話しかけてこなかったから、私はそのままぐっすりと寝入ってしまって。
目が覚めた時はすでに日も高くなっていて、別荘にはたくさんの警察官が出入りしているところだった。
……こりゃ、バイト代は諦めた方がよさそうだな。
その場で事情聴取を受けて、帰っていいと言われたのはそろそろ日が落ちるかという頃だった。
それから徒歩で山を越えて、警察の車で駅まで送ってもらったあと、電車に乗る。
ボックス席に座ったのは、私と園子さん、向かいに蘭さんとコナン君で、同窓会組は別のボックスだ。
あちらは文字通りお通夜のようだったけれど、こっちの席は園子さんの明るさにずいぶん助けられていた。
「それにしても、愛夏の推理と最後の一喝にはほんと、驚かされたわね」
「ほんと、まるで新一みたいだった」
「……思い出すと恥ずかしいんだけど」
「照れないの。でも愛夏にあんな特技があったなんてね。私が特別に推理クィーンと呼んであげるわ」
いえ、その名前はいつか園子さんが探偵役をするときのために取っておいてください。
もう私があんなことをする機会はないですから。
……ないですよね……?
「あと、忘れないうちにこれ渡しとくわ。今回のバイト代」
「ありがとうございます」
「姉キが愛夏に感謝しててね、少しだけど上乗せしてくれたから。ほんとに少なくてあれだけど取っといて」
封筒の中身を見ると、万札が3枚と交通費相当の千円札が入っていた。
最初に決めたバイト代が2万で、でも本来の仕事ではあまり役に立ってなかったから、なんか申し訳ない気がする。
「なんか私、寝てばっかりで仕事の方はほとんどできなかったのに。こんなにもらっちゃっていいの?」
「だって愛夏がいなかったら、朝までずっと包帯男の恐怖と戦うことになってたのよ。まあ、知佳子さんのことは残念だったけど、それだけでも十分愛夏がいた価値はあるわよ」
いやそれ、私がいなくても、コナン君がちゃんと解決してくれてたから。
しかも推理クィーンの称号を園子さんから奪っちゃったら、私の存在って園子さんにとってはマイナスしかなかったことになるし。
「納得できないって顔ね。判ったわ。それを受け取る代わりに、私の言うこと一つだけ聞いてくれる?」
「無茶なことじゃなければ」
「大丈夫大丈夫。実は明日、蘭とカラオケに行くんだけどね、愛夏も一緒にどうかな?」
「それ、お願いでも何でもないと思うんだけど」
「お願いだなんて言ってないわよ。それに無茶なことでもないでしょう? 一度了承したんだから、いいから来なさい」
うん、園子さんにはかなわないな。
私も笑顔に戻って、園子さんの誘いを受けることにした。
……さて、次はカラオケボックス殺人事件ですか。
悲しい事件だったから、せめて被害者を助けて誤解を解きたいところではあるんだけど。
世界の修正力、どうにかして勝てる方法はないのかな。