この世界、おばさんにはちょっとキツイです。   作:angle

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お待たせしました。
過去最高に長いです。


前回までのあらすじ

45歳独身会社員の女性主人公、ある朝とつぜん家ごと工藤邸の向かいに若返りトリップ。
同じく向かいに住む阿笠博士に仕事を紹介されながら、月10万円の稼ぎを目標にバイトに精を出す日々。
周囲では工藤新一がコナンになったり、原作の事件が起きたり、ときどき巻き込まれたりもしたり。
ある日新一に依頼された仕事でガーデンパーティーへ行くと、どうやらそれは映画版の前振りエピソードだったらしい。

ま、映画版はあんまり覚えてないし、とりあえず自分はお金を稼ぐのが最優先。
という訳で、ネットで見つけた自転車便のお仕事をすべく、年齢詐称した履歴書を持っていざ面接へ!


このお話は、作者の都合8割でできています。w

 


CASE.1 少年少女の恋愛事情 ~時計じかけの摩天楼~

5月2日(月)

 

 

いよいよ自転車便の面接の日。

時間は午前10時なので、少し前に着くように時間調整しながら自転車で事務所へ向かう。

実は昨日、すでに下見は済ませておいたから、道に迷うようなこともなく。

5分前に到着して事務所に顔を見せると、まずは事務のお姉さんが自転車置き場に案内してくれました。

 

 

「え? ママチャリ?」

「はい。仕事が軌道に乗るまでは、これでお願いします」

「けっこうきついと思うわよ。この仕事、女性だってだけでもハンデなのに」

「なんとかします。体力には自信があるので」

 

 

確かに平均的な女性は、平均的な男性にはかなわないけどね。

でも、本格的な女性アスリートに敵う一般男性はそうはいないはず。

私はそこまで本格的じゃないけど、でも平均以下の男性にだったら勝てる要素はあると思うんだ。

 

 

再び事務所に戻って、社長さんと面接。

まだ若そうな30代くらいの男性で、履歴書をしばらく見たあとさっそく質問してきた。

 

 

「中学高校とバレー部で、今は職歴は家政婦だけですか。なぜこの仕事を?」

「体力に自信があったので、肉体労働をやってみたかったんです。こういう仕事は若いうちしかできないと思ったので」

「正直言って、この仕事はきついです。身体を壊したり、事故でけがをしてやめていくバイトも何人もいます。もちろん補償制度はありますが、女性にはあまりお勧めできませんね。まだ若いんだし、ほかの仕事の方がいいんじゃないですか?」

 

 

最初から落としにかかってくるのか。

会社としても、使えるかどうか判らない女性よりも、少しでも使える確率が高い男性の方がありがたいんだろう。

(私が若い頃にできた男女雇用機会均等法なんてものがなかったら面接すらしてもらえなかったんだろうなぁ)

 

 

「こちらには女性のスタッフもいると聞きましたけど」

「いますよ。でもほとんどが自転車競技など専門的な訓練をしてきた人たちです。それでもきついんですよ。とても仕事になるとは思えませんね」

「それでも雇ってほしいんです。仕事を続ける覚悟ならあります。ぜひ雇ってください。お願いします」

 

 

たぶん、ここでこの社長に怖気づくようなら、それまでってことなんだろう。

じっさい雇ってみなければ使えるかどうかなんか判らないんだから。

この面接で見るのはその覚悟で、ひとまず私はこの第二関門を突破したみたいだった。

 

 

 

面接後、私は再びお姉さんに案内されて、事務所の購買部でヘルメットを選んで購入した。

値段とかデザインとか様々あったけど、あまりごてごてしくなくて安い6千円のものにした。

 

 

そしてそのあとは座学研修。

交通法規とかマナーとかの基本と、自転車が壊れた時やケガの応急処置、あと接客マニュアルの実践だ。

昼休憩をはさんで午後3時ごろまで研修を受けたあと、最後に軽く実地研修をした。

 

 

「彼が高久喜さんの実地研修を担当します。彼がOKを出さない限り、研修は終わらず給料も出ませんからそのつもりでいてください。その結果合わないと判ったら、残念ですがこの仕事はあきらめてもらいます」

「はい。判りました。よろしくお願いします!」

「はい、よろしく」

 

 

担当になったのは20代後半くらいに見えるお兄さんだった。

たぶんこの世界では経歴が長くて、社長の信頼も厚い人なのだろう。

 

 

支給品は地図とPHS、バックパックと研修中の身分証明書だ。

まずは待機場所を決めて送信して、仕事が入ればPHSに連絡が来る。

場所を地図で探して受け取り現場に行って、マニュアル通り荷物と伝票をもらう。

荷物をバックパックに入れて、今度は受け渡し場所に行って、マニュアル通り伝票にサインをもらう。

そしてまた待機場所を決めて送信の繰り返しだ。

 

 

「今回は研修だけど、仕事は本物だからな。荷物の扱いは丁寧に、顧客の対応も丁寧に、間違っても事故なんか起こして会社の信頼を失墜させるようなことがないようにしろよ」

「はい!」

「待機場所はだいたい決まってくる。交通の邪魔にならない。長時間いても周囲に不審者扱いされない。担当範囲のどこでもあまり時間をかけずに移動できる。このあたりなら堤向津川の河川敷が多いかな。できれば橋の近くで、川のどちら側にもすぐに移動できる方がいい」

「判りました。それじゃ、移動します」

 

 

私は地図を見て移動経路を確認したあと、先頭に立って走り始めた。

うしろからついてくるのはプロだから、振り返ったりする必要はないだろう。

 

けっこうな速度で移動したと思ったけれども、さすがはプロ、ぴったりとうしろについてきていた。

 

 

「それじゃ、待機場所を送信して。終わったら息を整えて」

「はい」

 

 

初めての機種に戸惑いつつ送信すると、お兄さんは話しかけてきた。

 

 

「コース取りは? 誰かに教わった?」

「いいえ、とくには」

「通りをすぐに外れたのはなぜ?」

「あの先、駅が近くなるので、歩行者が多いかと思いまして。あと、踏切が怖いのでちょっと遠回りしました。すみません」

 

「いや、基本が判ってるみたいで驚いただけだから。平日の日中は踏切はできるだけ避けた方がいい。地図の見方も大丈夫みたいだな」

「昨日と一昨日、少し都内を走ったので。東都環状線沿線くらいならなんとか判るようになりました」

 

 

そうこうしているうちに、PHSに仕事の内容が入ってきて。

 

 

「地図で二か所とも場所を確認して。付箋かなにかで印をつけたらコースを組んで。今回の仕事はいつもの常連さんだから、慌てなくても大丈夫だから」

「はい」

 

 

そんな感じで、お兄さんにきめ細かい指導をされながら、初めての仕事はどうにかこなすことができた。

まあ、給料はまだもらえないんだけどね。

夕方6時くらいまで方々を走り回って、事務所に辿りついた時には、正味2時間くらいしか仕事してないのにけっこう疲れ切ってしまった。

 

 

「お疲れさま。どうだった? 自信は粉砕されたか?」

 

 

社長さんもなぜかフランクになっている。

本来はこういう感じの職場なのかもしれない。

 

 

「緊張しました。時間とか場所があらかじめ判らないから、その場ですぐにコースを組んだりしないといけないのがちょっと大変でした」

「まあ、そのへんは慣れだな。担当の地域が長くなれば、使う道もそれぞれ決まってくるし。力の抜き方もだんだん判ってくる。で? 続けられそうか?」

「できます。任せてください」

 

「判った。じゃあ、明日は朝8時からだ。疲れは残さないようにな」

「はい」

 

 

その後、自転車に乗って帰宅した私は、数十年ぶりに夜のお風呂に入った。

温めのお湯にゆったり浸かって、身体をほぐして。

眠れなくなりそうでちょっと怖かったんだけど、そういえば10代の頃はまだ夜のお風呂に入ってたんだよね。

(部活で汗まみれだったからね、夜に風呂に入らないなんてことは許されなかったんだ)

身体が疲れていれば眠れないなんてこともなく、目安の11時にはぐっすり寝入ってしまっていた。

 

 

 

5月3日(火)

 

 

さて、世間ではゴールデンウィークのこの日。

私は再び研修のため会社に赴いていた。

きっと本採用になれば、朝会社へ行くなんてことも省略できちゃったりするんだろうな。

(だって朝なのに、会社にいたのはオペレーターの人ばっかりだったし)

まあ、祝日の今日は配達の方の人数もいつもより少ないのかもしれない。

 

 

「今日は1日ぶっ通しでやるから。体力がきついと思ったら遠慮せずに言うこと。最初はみんな夕方まで持たないのがあたりまえだから、無理して倒れる前に自分の体力を見極めるのが今日の課題と思えばいい」

「判りました」

 

 

昨日の研修担当のお兄さんと一緒にまずは堤向津川の河川敷まで。

そこからPHSで呼ばれてはコースを組んで地域を回っていく。

日によっては長距離の依頼が入ることもあるらしいけれど、今日は割と近場ばかりで、あまり堤向津川から離れることもなくて。

お昼になったから、ひとまず食事休憩の連絡を入れて、近くのコンビニでおにぎりを買って食べながらお兄さんと話をしていた。

 

 

「慣れれば速度はもう少し出せるだろうけど、今のところはまだそのくらいで大丈夫かな。あんまり速度にこだわると最後まで続かなくなるから」

「今の速度でもけっこうきついんですけどね」

「ママチャリだからね。スポーツ用の自転車にすれば、それだけで速度は出るよ。あとは慣れ」

 

「そればっかりですね」

「じっさいそういうもんだから」

 

 

話しながら何気なくあたりを見回した。

 

 

 

―― そのときだった。

 

 

片手にスケボーを抱えたメガネの少年と、目が合ったのは。

 

 

今日は5月3日で、工藤新一の誕生日の前日。

夜10時に蘭と待ち合わせて、米花シネマワンで映画を見る約束をしている日。

たぶん米花シティビルが爆発するのは今夜だ。

ということは、彼は今爆弾犯と戦ってる最中ってことで ――

 

 

ここまでわずか0.5秒ほどで思考が巡る。

 

 

「愛夏姉ちゃん自転車貸して!?」

 

 

その彼が血相を変えて私のところに走ってくる。

迷ってる暇はない。

私は素早くバックパックを外してお兄さんに押し付けた。

 

 

「体力の限界なのであとはお願いします!」

「へ?」

 

 

キミのその身体で、私の身長に合わせた高さの自転車をまともに扱える訳ないじゃないか!

 

 

「コナン君! うしろ乗って!」

「愛夏姉ちゃん! あのタクシー! 爆弾が乗ってるんだ!」

 

 

ヘルメットを外してうしろに飛び乗ったコナン君の頭にかぶせる。

あのタクシーの進路は ――

私はすぐにわき道にそれて、道の先へと出られるルートを構築、疾走。

どうにか間に合って、道に飛び出した自転車はタクシーにブレーキを踏ませて止めることに成功した。

 

 

コナン君がタクシーに乗り込んでる間に、今度は爆弾処理ができる場所へのルート構築。

―― このバイト、始めてよかったよ。

おかげで私でも、江戸川コナンの役に立つことができた。

 

 

再びコナン君をうしろに乗せて走り出す。

 

 

「あと20秒なんだ! っ!? 止まった!?」

「大丈夫、間に合うよ」

「動き出した! あと15秒!」

 

 

高速道路の向こうにある川沿いの空き地まで全力疾走。

ハンドルを握りしめる腕がプルプル震えてくるのが判った。

―― 大丈夫、間に合う、間に合わせてみせる。

 

 

「愛夏姉ちゃん!」

「爆弾貸して!」

 

「あと3秒だよ!!」

 

 

土手を乗り越えて、自転車に乗ったままの勢いで、思いっきり背をそらせてバレーのスパイクの要領で爆弾を投げる。

そのあとうしろのコナン君を抱えてできるだけ遠くへ。

 

 

―――――――――― !!

 

 

爆発の瞬間、耳がおかしくなって。

平衡感覚が判らなくなって、おそらく私はその場を転がったんじゃないかと思う。

でも、たぶんコナン君は大丈夫。

ちゃんとヘルメットしてたし、私の大きな身体は、小さなコナン君を覆い隠すには、きっと十分なはずだから。

 

 

 

 

 

……意識は、ある。

でも身体の感覚が普通じゃないみたいで、ゆらゆら揺れてる気がするのは、たぶん誰かにゆすられてるからだ。

この手は、コナン君かな。

なんか、助けようとして、逆に迷惑をかけちゃったかもしれない。

 

 

「 ―― 無駄にすくすく伸びやがって! オレがオメーの身長超えるの、どれだけ苦労したと思ってんだ! ふざけんじゃねえぞ愛夏! こんなところで勝手に死にやがったら ―― 」

 

 

……なんだ? しゃべってるのは誰だ?

って、ここには私とコナン君ぐらいしかいないじゃんか。

でも口調はどう聞いても工藤新一だよね。

コナン君が新一口調でしゃべってるのか?

 

 

「起きろ愛夏! オメーがオレをかばうなんて10年早えんだよ! そんな英雄みてえな死に方オレがさせるわけねえだろ! オメーはこれから大人んなって、おばさんになって、ババアになって、干からびたミイラみたいに年喰ってから死ぬんだからな! こんな若いまんまで死ぬなんてぜってー許さねえからな!」

 

 

なんかだんだん耳が治ってきたと思ったら、すぐそばでとんでもないこと言ってる人がいるんだが。

……とりあえず、私が干からびたミイラになるにはあと80年くらい必要な気がする。

目が開かないなぁ。

少しでも身体が動かせれば、このとんでもない発言してる子供を黙らせられると思うんだけど。

 

 

「爆発に巻き込まれたのはこの人ですか!?」

 

 

と、こんどはまた違う声が耳に飛び込んでくる。

 

 

「この人の名前は判りますか?」

「高久喜愛夏16歳誕生日は10月10日血液型はO型住所は米花町2丁目の ―― 」

「ありがとう坊や。あとでゆっくり教えてね」

 

 

名探偵、人の個人情報勝手に漏らしてくれちゃって……!

すぐに肩をたたかれて、男の人の声で名前を呼ばれる。

 

 

「愛夏さん、高久喜愛夏さん、意識はありますか? しゃべれますか? 目は開きますか? どこか動かせますか?」

 

 

声、出せるかな。

ちょっと頑張ってみたら、なんとかかすれた声を出すことができた。

 

 

「自分の名前は言えますか?」

「……高久喜……愛夏……で……」

「意識確認。これから救急車に運びますから、驚かないでください。大丈夫ですよ」

 

 

救急車ですか、何気に人生2度目だよ。

最初に乗ったのは2歳の時にひきつけ起こした時だから、実質初めてだよ。

ああ、でも、酔っぱらった後輩の付き添いで乗ったことがあるから、それも入れれば人生3度目か。

早く職場復帰できるといいんだけど……なんだか今回もクビの予感がプンプンするなぁ。

 

 

 

身体の感覚の方は、救急車の中にいるときにもだんだんふつうに戻ってきて。

同時に打ち身っぽい痛みがじわじわと襲ってきたけれど、あれだけ動かなかったのが嘘のようにみるみるうちに回復していった。

病院に着いた頃には、多少平衡感覚が怪しい感じはあったけれど、立って歩いて動けるくらいにはなっていて。

それでも頭を打った可能性があるからと、一応精密検査のために1日だけ入院となった。

 

 

コナン君はずっとそばにいて、私が検査を受けている間も、検査室のドアの近くから離れなかった。

……そんなことをさせるために私が盾になったんじゃないんだけどな。

コナン君としては、たまたま近くにいた私の自転車を選んで乗ってしまったことで、私に責任を感じてたりするんだろう。

 

 

検査が終わって病室に運び込まれると、それを待っていたかのように目暮警部とあと一人、たぶん白鳥刑事が病室に駆け込んできた。

そのうしろに毛利探偵や阿笠さん、少年探偵団の姿も見える。

どうやら随分といろんな人を心配させちゃったみたいだな。

 

 

「愛夏さん、このたびは爆弾犯の犯行に巻き込んでしまったこと、心からお詫びします。それと、爆弾から街を守ってくれてありがとう」

「いえ、私はたいしたことは。怪我も心配ないみたいですし」

「いや、あなたの勇気がなければ、被害はもっと大きくなっていたでしょう。我々はこれから全力で犯人を逮捕することをお約束します。どうか養生なさってください」

「はい、ありがとうございます」

 

 

一つ頭を下げて、目暮警部は今度はコナン君に向き直った。

 

 

「さて、コナン君。話してくれるね」

「うん。爆弾犯からの電話は、新一兄ちゃんの携帯電話にかかってくるんだ。この部屋、ケータイ使って大丈夫?」

「ああ、ここは隣の病棟とは隔離されてるからね。阿笠さんにも聞いていたからこちらにしたんだ」

 

 

つまりコナン君も警部さんたちも、この部屋から出ていくつもりはない、と。

 

 

「最初は、なんか変な声で、堤向津川の緑地公園でおもしろいものを見せる、って。早くしないと子供たちが死ぬぞって言われたから、ぼくが新一兄ちゃんの代わりに行ったんだ。そうしたら元太たちが変なおじさんからラジコン飛行機をもらったって」

 

「ほら、このおじさんだよ。歩美たちみんなで描いたんだ」

「これは爆撃機だーって言ったんだぞ」

「それを聞いたコナン君が、爆弾が仕掛けられてるって言ったんです。ぼくびっくりして、リモコン壊しちゃって」

「コナンがリモコン蹴っ飛ばして、飛行機に当てたら爆発したんだぜ」

 

 

なるほど……ぜんぜん覚えてません。

なにしろ映画をちゃんと見たのって、たぶん20年近く前だからな。

私が読んでた夢小説で題材になってたこともあったけど、ああいう小説だからほとんどの場合夢主の行動を追ってて、事件のあらましを詳しく説明してくれることなんてなかったし。

 

 

「それで?」

「爆発してからすぐに2回目の電話がかかってきたから、たぶんどこかでぼくたちの様子を見てたんだと思う。その電話で、1時ちょうどに次の爆弾が米花駅前広場の木の下で爆発する、早くしないと誰かに持っていかれるって言われたんだ。だからぼく、すぐに行ったんだけど……。猫が入ったキャリーバッグに仕掛けられてて、拾ったおばあさんがタクシーに乗っちゃったんだ」

 

「そのタクシーを追いかけている途中で、愛夏さんに会ったんだね?」

「うん。愛夏姉ちゃん、すぐにぼくをうしろに乗せてくれて、裏道を使って追い抜いてタクシーを止めてくれたんだ。その時見たタイマーの時間があと30秒で、でも走り始めてすぐに一度タイマーが止まったんだ」

 

 

「止まった? 確かかね?」

「うん。18秒だったよ。でもすぐにまた動き出したから、愛夏姉ちゃんが自転車で河川敷まで走って、あと3秒のところで爆弾を川に向かって投げたあと、ぼくを爆発からかばってくれたんだ」

 

 

実はあの時、もうちょっとうまいやり方があったと思うんだよね。

例えば、爆弾を自転車に乗せたまま走らせるなりして、土手のこっち側に身を隠すとか。

でもあの時とっさに私、自転車を壊したくないって思っちゃったんだ。

その成果についてはまだ確認できてないんだけど。

 

 

あの自転車は“高久喜愛夏”の持ち物だ。

洋服やカ○リーメ○トのような、45歳の私がこの世界に持ち込んだものじゃない。

だからできるだけ、彼女の物は壊さないでいたいと思ってしまったんだ。

 

 

 

犯人からの電話が工藤新一の携帯電話にかかってきたことから、目暮警部たちも、犯人の目的は工藤新一に対する挑戦、あるいは恨みを晴らすためだと推測していて。

工藤新一を恨んでいるだろう人物として挙がったのが前西多摩市長の息子で、フットワークの軽い白鳥刑事はすぐに市長の息子を調べに行ってしまった。

 

……いつものことではあるんだけど、私が犯人を知ってても、私自身が疑われずにそれを伝えるのってほとんど不可能なんだよね。

(もっと頭がいい人なら可能なのかもだけど)

推理で犯人を割り出していく江戸川コナンだって、推理の材料がそろうまでは犯人を特定できないのだから、彼より先に材料をそろえることができない限り私が理論的に犯人を指摘なんてできないことになる。

 

 

大人たちが難しい話を始めてしまったので、子供たちが私に話しかけてきた。

 

 

「愛夏お姉さん、大丈夫?」

「倒れてぜんぜん動かなかったってコナンのヤツが言ってたぞ?」

「はい、今はもう大丈夫ですよ。目立ったケガもなくて、頭も打ってないですし、ほんとはすぐに退院しても大丈夫なくらいです」

「でも、コナン君がゆすってもぜんぜん起きなかったって」

 

「それなんですけど。……恥ずかしい話なんですが、たぶん、おなかが空いて動けなかったんだと思います」

 

 

子供たちはみんな、ポカンとした顔で私を見つめた。

……うん、なごんでる場合じゃない、か。

 

 

「朝ご飯を食べた量が運動するには少し少なかったんですね。そんな状態で自転車に乗ってたくさん走ったから、身体が勝手に「腹ペコでもうこれ以上動けないよー」ってすねちゃったんです。今は点滴で栄養が行き渡ってますから、もう大丈夫なんですよ」

 

「……ハンガーノック……?」

 

「はい、コナン君はよく知ってますね。それがたまたま、爆発が起きたのと同時に起こったみたいです」

 

 

「なあ、ハンバーガーノックってなんだ?」

「ハンガーノック。身体がエネルギーを使い果たして勝手に止まっちまうんだ。携帯ゲームでも電池が切れそうになると急に電源が落ちちまうだろ? あれは、データをバックアップする最低限の電池まで使い果たさないためなんだ。人間の身体も、生きるための最低限のエネルギーを残しておくために、身体そのものの動きを止めるんだ」

「……なんだかよくわかんねえけど、愛夏姉ちゃんががんばったってことだな」

「そうだな」

 

 

まあ、私の不注意以外のなにものでもないんだけどね。

45歳の私はふだん運動なんてほとんどしてなかったから、若い頃よりも食べる量がかなり減っていて。

いきなり16歳の身体になったところで、45歳の時より燃費が悪くなってるなんて気づかなかったんだ。

だから食べる量を増やさないまま昔と同じ調子で運動をしちゃって、その結果エネルギー不足でハンガーノックを起こしたんだ。

 

 

でもこれ、起きるタイミングがあとほんの少し早かったら、爆弾処理が完了する直前にいきなり身体が動かなくなってた可能性もあった訳で。

自分の身体に感謝するとともに、これからはもっと16歳の身体のことを意識しなければいけないんだってことを痛感した。

 

 

 

子供たちは私の身体がもう心配いらないと理解できたようで、別れの挨拶をして帰っていった。

コナン君は残ったままだ。

まだまだ捜査に協力するつもりなのだろう。

 

 

そして、子供たちが帰った直後、工藤新一の携帯電話が着信を告げた。

相手は犯人で、毛利探偵が電話を替わってスピーカーモードにすると、東都環状線に5つの爆弾を仕掛けたと言い出して。

4時を過ぎてから時速60キロ以下で走行した時と、あと日没になったときに爆発するらしい。

電話を切ったあと、目暮警部は本庁に連絡して、列車を止めないように通達したようだった。

 

 

そして、その環状線の一つに、子供たちが乗っていることが判って。

4時過ぎでの連絡では爆発した車両はなかったようだったけど、子供たちを含めた多くの乗客の命が危険にさらされたままなのは事実だった。

 

 

―― 思い出せたらいいのに。

爆弾が仕掛けられている場所、犯人がヒントで言ってた××の×って、私は映画で見ているはずだ。

なんで思い出せないんだろう。

 

 

「愛夏姉ちゃん」

 

 

いつの間にか目暮警部と毛利探偵は病室からいなくなっていて、残ったのはコナン君と阿笠さんだけになっていた。

 

 

「はい」

「身体が痛むの?」

「いいえ、それほどでもないですよ。心配無用です」

「でも……」

 

「少し、病室の外でも歩き回りましょうか。痛いときは運動した方が脳内麻薬が出て痛みが緩和される ―― 」

「ねえ」

「 ―― はい?」

「愛夏姉ちゃん、どうして僕をかばったりしたの?」

 

 

コナン君はベッドのわきに椅子を持ってきて座ってたのだけど。

今は目を伏せていて、私の位置からでは表情をうかがうことはできなかった。

でも、どんな表情をしているのか、想像することはそう難しくはなくて。

 

 

「私は、年上ですから。コナン君の3倍近く生きてるんです。年長者が年少者をかばうのは、あたりまえなんですよ」

 

 

コナン君はこの言葉を、6歳の江戸川コナンと16歳の高久喜愛夏に当てはめたのだろうけれど。

私自身は16歳の工藤新一と、45歳の自分というつもりで言っていた。

 

若い頃は判らなくても、この年になって見えてくるものはたくさんある。

私が、今までどれほど年長者にかばってもらってきたのか、彼ら彼女らと同じ年齢、同じ役職になってよく判ったんだ。

 

 

若い頃、上司におもねるように調子を合わせて、おべっかばかり言っているお局様がいて。

私たち若い社員は、時折若者だけの飲み会で、彼女の悪口を言ってたことがある。

でも、私が彼女と同じ立場になったとき、判ったんだ。

彼女は上司の機嫌を取ることで、上司が若い未熟な私たちに向ける悪感情をそらしてくれてたんだってこと。

 

 

私は彼女ほどうまく上司の機嫌を取ることはできなかったけれど、でも可能な限り矢面に立って、若い社員たちを守っているつもりだった。

組織にゆがみができれば、そのしわ寄せは一番弱い部分に、つまり若い社員に行くことが判ってたから。

私は彼女のような多くの年長者たちに守られ育てられてここにいる。

だから、その年長者になった今、私は自分より若くて弱い人たちを守り育てる義務があるんだ。

 

 

工藤新一はまだたった16歳なのに、探偵という仕事を通じて人々の人生を守る立場にいる。

だから守られる自分に悔しさとか、憤りを感じてしまうのだろうけれど。

 

でも、たった16歳の少年は、今はまだたくさんの人たちに守られるべき存在なんだ。

守られて、育てられて、やがて探偵という仕事がなくても弱い立場の人たちを守れる人間になるために。

 

 

「愛夏姉ちゃんだって、死ぬかもしれなかったんだよ。愛夏姉ちゃんが死んだら悲しむ人はたくさんいるんだよ? 愛夏姉ちゃん、ほんとにわかってるの!?」

 

 

まあね、コナン君が言うことも間違ってない。

もしもあの時私が死んでいたら、いちばん悲しんでいちばん自分を許せないのは、きっとコナン君だろうから。

 

 

「判ってますよ」

「わかってないよ!」

「少なくともコナン君よりは判ってますよ。君はあの時、私になんて言ったか覚えてますか?」

「……あの時?」

 

 

「“愛夏姉ちゃん自転車貸して!”そう、君は言ったんです。もしも私が自転車を貸すだけで、一緒に行かなかったとしたら、君はどうしてたんですか? 独りでタクシーを止めて、独りで爆弾を抱えて、独りで爆弾処理をしに走って。……独りで爆風を受けて、ケガをしてベッドに寝ていたのは、きっと君だったはずです。そうなったとき、私たちがいったいどんな思いをするのか、君自身は本当に判っていたんですか?」

 

「……」

 

「君自身が今感じている、悔しさとか、怒りとか、憤りとか、そういう気持ちはすべて、君の周りにいるたくさんの人たちの気持ちなんです。今回君は無茶をしましたけど、必要な無茶だったことは判ってます。君の無茶がなければ、もっとたくさんの人たちが悲しい思いをしたはずですから。でも、その無茶の影で、そういう思いをしている人がいることを、君は覚えておくべきです。この先同じような出来事があれば、君はきっと同じことをするでしょうから、覚えておくことしかできませんけど」

 

 

コナン君はしばらくうつむいたままで、なにも言わなかった。

まあ、私が話したことは単なる立場のすり替えで、そう反論されたら返す言葉がないようなたぐいの説教だった訳だけど。

コナン君が私の気持ちを自分に置き換えて考えられたなら、彼にも判ったはずだ。

私が、なんの勝算もなくあんなことをした訳じゃないことも、実はあのときはなにも考えてなかったんだ、ってことも。

 

 

「とりあえず、お説教はこのくらいにして。……コナン君、阿笠さん、心配かけてすみませんでした」

 

「……まあ、愛夏君は判っておるようじゃから、ワシには何も言えんが」

 

 

阿笠さんは一つため息をついて。

 

 

「愛夏君は、会うたびにどんどんたくましい大人になっていくのォ」

 

 

いやそれ、私がすさまじい勢いで成長している訳じゃなくて、ただ単に大人だった自分を小出しにしているだけですから。

 

 

「そろそろ事件の方が気になってきました。ここ、ケータイは使えるみたいなので、ワンセグが入るかどうか試してみましょうか」

「それじゃ、ワシは看護婦さんに、テレビが借りられないか聞いてみよう」

「あ、はい、お願いします」

 

 

そう言って阿笠博士が出て行って、私も自分のケータイを手元に引き寄せたところで、再びコナン君が話しかけてきたんだ。

 

 

「愛夏姉ちゃん」

「はい?」

 

「愛夏姉ちゃん、爆発のあと、ぼくの声聞こえてた?」

 

 

これはあれか、80年後にミイラ化する高久喜愛夏の話か。

 

 

「しばらくは、爆発で耳がおかしくなってたので、救急車が来るときのサイレンの音も聞こえなかったくらいです。救急隊員の人に耳元で声をかけられたときに、かろうじて意味がつかめたくらいで。だからコナン君の声はあまり聞こえませんでした。すみません、あの時、なにか大切な話をしたんですか?」

 

「……ううん、ただ、起きて、って叫んでただけだから」

「そうでしたか。コナン君には本当に心配をかけました」

 

 

二人きりでの会話はそれだけで、ワンセグの電波が入る前に阿笠さんがテレビを抱えて戻ってきてくれたので、私たちは事件を報道するテレビを見ながらずっとヒントの意味をそれぞれ考えていた。

 

 

私が唯一知っているのは、犯人が森谷帝二その人だということだ。

森谷帝二は自分の昔の作品を壊すために爆破事件を起こしている。

 

ということは、例えば電車本体に爆弾を仕掛けたとすると、その電車が狙い通りの場所で爆発してくれるかどうか、かなりの綱渡りになってしまう。

そんなことをするなら、素直に建物に爆弾を仕掛けるか、建物の近くに仕掛けるかのどちらかだろう。

(でも建物に爆弾を仕掛けてもそれじゃ東都環状線は関係なくなるし)

 

 

狙いが電車じゃないのだから、例えば吹っ飛んできた電車が当たって建物が壊れるとか?

いや、それもけっこう博打だよな。

でも、どうやったら直接爆弾をしかけずに、建物を壊したりできるんだ?

ぼんやりテレビを見ながら考えていると、テレビの画面に見たことがある風景が映り込んだんだ。

 

 

「あれ? あの橋って」

「ん? どうしたんじゃ愛夏君」

「あの橋、写真で見たことがあるんですけど、東都環状線が走ってるんですか?」

「……確かに珍しいのォ。英国建築風の鉄橋というのは」

 

 

その時、コナン君の頭の中で、なにかが起こった……らしい。

携帯電話を取り上げながら叫ぶように言った。

 

 

「博士! ちょっと電話してくる!」

「お、おう」

 

 

あ、もしかして判ったのか?

私がいるから変声機で電話できないだけで、映画だったら病室で電話してたのかもしれない。

(いや、そもそもこのシーンが映画では違う場所なのかもだけど)

 

 

 

コナン君が出て行ってしばらくしたあと、病室のドアがノックされて。

てっきりコナン君が戻ってきたのかと思っていたら、ドアを開けて顔を出したのはなんと、あの時荷物を押し付けたまま連絡すらせず忘れていた、自転車便のお兄さんだった。

 

 

「高久喜愛夏さんの病室はこちらですか?」

「あ、はい。すみません連絡もせず」

「いや、救急車で運ばれたところは見てたから。……高久喜愛夏さんにお届け物です。伝票にサインをお願いします」

 

 

なんか、接客モードと同僚モードが入り混じってて気持ちが悪いな。

差し出された伝票を確認すると、なんとバイト先の社長からで、荷物は1通の封筒だった。

 

 

「はい、確かに。それと伝言なんだけど、社長が話があるから、動けるなら電話ができる場所まで移動してほしいって」

「それならこの病室、電話可能なので」

「了解」

 

 

お兄さんが会社のPHSで通信を送ると、1分も経たないうちに私の私用のケータイが着信を告げた。

 

 

「はい、高久喜です」

『お前、クビな』

 

 

覚悟はしていたがいきなりでグサリと胸に突き刺さりましたよ!

 

 

「はい、仕事を放り出した時点で覚悟はしてました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 

『そっちは問題ない。初心者が半日で挫折は普通だ。それと、爆弾処理したのもまあ、説教ものだが許せる範囲だ。だけどな、ニュースで言ってた“爆弾を住宅街から遠ざけようとして負傷した16歳の女性”ってのはなんだ! うちの職場は18からしかバイトできねえんだよバカヤロウ!!』

 

 

バレてたよ年齢詐称!

これあれだろ、ぜったい、名探偵がまくしたてた私の個人情報が原因だろ!!

 

 

「すみませんでした!」

『とりあえず、バイト代は出ねえが、個人的に見舞いくらいは出しといたから。お返しは必要ねえから取っとけ! あと、18になって保護者の許可が取れたらまた来い。そのときは限界までこき使ってやる』

 

「……はい、ありがとうございました」

『じゃあな。早くケガ治せよ』

「はい」

 

 

怒涛の展開に、電話が切れてからも数秒間放心していて。

我に返ったのは、先輩が声をかけてきたからだった。

 

 

「高久喜おまえ、ほんとに16歳なの?」

「はい、そうですけど」

「うちの社長、そういうの見抜くの得意なんだけど、さすがにこれは見抜けないよな」

「もともと老け顔なんですよね。年相応に見られたことがないですから」

 

「いや、そういうんじゃなくて。社長も言ってたけど、学生らしい甘さとか、そういうのがぜんぜんないんだよな。社会人のにおいがする、っていうの? 少なくとも数年は、社会でもまれた経験がありそうな感じ」

 

 

うん、言わんとすることは判る気がする。

私も会社で新卒の新社会人を見てきたからなんとなく判る。

入りたての新人が、だんだん学生っぽさが抜けていって、いつの間にか社会人になっていく、っていうのが。

 

 

「まあ、とりあえず、待ってるから」

 

 

そう言って、お兄さんが私の頭にポンと手を乗せたところで、病室のドアが開いて。

 

 

「あー! セクハラ!!」

 

 

コナン君がいきなり叫んだから、お兄さんはすぐに手を引っ込めた。

 

 

用事はすでに終わっていたので、お兄さんはそそくさと帰っていって。

憮然とした表情で病室に入ってきたコナン君に、阿笠さんが遠慮がちに声をかけていた。

 

 

「し……コナン君、電話はなんだったんじゃ?」

「そうだ。新一兄ちゃんが教えてくれたんだ。爆弾の場所は、線路の間だって」

「線路の間?」

「うん。一定時間以上太陽の光がさえぎられると爆発する仕組みになってるんだって。だから、線路の上から電車をなくせば爆発しないんだって教えてくれたんだ」

 

「なるほど。それで日没までが期限なんじゃな」

「うん。新一兄ちゃんもさっき気づいて警部さんに連絡したから、今頃は電車を移動させてるはずで、たぶん爆弾を探すのも間に合うだろうって」

「なにはともあれ一安心じゃな」

 

 

なるほど、そういう仕組みなのか。

でも、例えば今日の天気が曇りや雨だったら、計画そのものが破綻してたよな。

どっちにしても綱渡りだったってことじゃん。

 

 

お兄さんが配達してきてくれた封筒には一万円札が1枚入っていた。

けっきょく今回のバイトはヘルメット代が持ち出しでマイナスになってたからな。

そのあたりを考慮して社長が計算してくれたってことなんだろう。

 

 

「あの、お二人がご存知かどうか判らないんですけど、私の自転車、どうなったか知りませんか?」

「ああ、それならこの病院の自転車置き場においてあるぞ。ワシが鍵を預かっておる。ほれ」

「ありがとうございます。ということは、ひとまず無事ではあるんですね?」

「目に見えて壊れたところはなかったようじゃ。明日帰るときにでも確認してみるんじゃな」

 

「判りました。そうさせてもらいます。あと、コナン君、あの時渡したヘルメットって」

「ぼくが預かってる。今返した方がいい?」

「いいえ、それ、コナン君にあげます。バイトクビになっちゃって、もう使わないので」

「え? でも」

 

「できれば今日1日かぶっててください。サイズがちょっと大きいかもしれませんけど」

「……うん、いいけど」

 

 

これからコナン君、壊れたビルの中を駆けずり回るはずだからね。

彼が少しでも安全に過ごせるなら、ヘルメット代の6千円くらい安いものだ。

(まあ、社長のお見舞金がなかったらそんな気にならなかったかもだけど)

 

いつもの紺色ジャケットにスポーツ用のヘルメットは似合わないかもしれないけど、そこは子供ってことで許してやってください皆さん。

律儀なコナン君はさっそくヘルメットをかぶって、顎のひもを調節していた。

 

 

「愛夏姉ちゃん、似合う?」

「はい、かっこいいですよ、コナン君」

「……さっきのお兄さんより?」

 

「比べものになりません。断然コナン君の方がかっこいいです」

 

 

あの人はいわゆるモブで、まあ仕事柄引き締まった身体つきはかっこいい部類に入るかもしれないけれど、所詮は一般人だからね。

私が20年以上も ―― 一方的にだけど ―― 恋してた少年探偵とは格が違いますよ格が!

 

 

私はこの時ずっと上半身を起こした状態でいたのだけれど、初めて身体を動かして、ベッドから降りた。

まだちょっと痛みがあるかな。

でも動いていればたぶん気にならなくなってくるくらいだろう。

 

 

「愛夏姉ちゃん、どこ行くの?」

「ちょっと用を足してきます。ついでに点滴の管も外してもらってきます」

「うん、わかった」

 

 

用を足す、はトイレへ行くときにも使う言葉だ。

ふつうの男性なら女性のトイレについてくるとは言わないだろう。

 

 

ケータイはさっき使ったあとポケットに入れた。

財布はもともと使ってたのが大きすぎるからと、千円札1枚だけポケットに入れて家を出たから、今はコンビニでのおつりが残ってるだけだ。

自転車の鍵は阿笠さんに返してもらった。

社長からの見舞いの封筒も折りたたんでポケットに入れた。

 

 

つり下がってた点滴の空袋を手に引っ掛けて病室を出る。

そのままナースステーションへ行って、看護師さんに声をかけると、すぐに点滴を外してもらうことができた。

 

 

「どこかへ行かれるんですか?」

「ちょっと動き回ってた方が気がまぎれそうなので、散歩でもしてこようかと思いまして」

「あまり遠くへ行かないようにしてくださいね」

「はい」

 

 

嘘ですごめんなさい。

ちょっと自転車で都内を徘徊してきたいと思います。

 

 

病室の窓は病院の裏側に面していたから、正面側を歩き回っても気づかれることはないだろう。

私の自転車は外来用の自転車置き場に停めてあって、ほどなくして見つけることができた。

鍵を差し込んで動かしてみる。

うん、多少前かごが曲がってるけど、走るだけならふつうに動かせそうだ。

 

 

爆弾犯に関して、私ができることはたぶんない。

私は理論的に犯人を指摘することはできないのだし、それをやるのはコナン君一人だけで十分だ。

だとしたら、今の私ができることは、蘭さんを爆発から守ること。

自転車をいったん病院から少し離れたところに停めて蘭さんのケータイに電話をしてみたけれど、着信には気づかなかったようでつながることはなかった。

 

 

トリップしてから今まで、私が明確に原作を変えようと行動したのは、アイドル密室殺人事件と豪華客船連続殺人事件の2回だ。

そしてそのどちらも原作を根本から変えることはできなかった。

 

特にヨーさんの部屋へ行った時が判りやすいかもしれない。

私はたった一つ、部屋のチェーンロックをかけるという行動だけで原作を変えられたはずなのに、本来ならありえないような行動不能状態に陥ってしまったんだ。

 

 

今考えてもあれは異常だったと思う。

予想よりも早く来た生理と、16歳では考えられないくらいの痛み。

私はあの時いちばん強い薬を飲んで寝込んでしまったけれど、たぶんどの薬を飲んだとしても、チェーンをかけることはできなかったような気がする。

それが、この世界のルールだった、そんな気がするんだ。

 

 

だからもう一度確かめたい。

私が本当に原作を変えることはできないのか。

私が蘭さんを爆発から救うことはできないのか。

どこまでが許された行為で、どこからが許されない行為なのか、その線引きがどこにあるのか、今回は確かめられるような気がするから。

 

 

蘭さんは米花シティビルの米花シネマワンで映画を観ると言ってたから、その前の買い物はたぶん米花駅の近くでしているのだろう。

警察病院から米花駅まではそれほど遠くないから、私はひとまず米花駅方面へと自転車を走らせていて。

駅近くまで来たとき、ふとポケットのケータイが振動を伝えてきたんだ。

見るとそれは蘭さんからで、私の電話の着信に気付いて折り返してくれたんだと判った。

 

 

「はい」

『愛夏ちゃん? ごめんね、電話気づかなくて』

「大丈夫。今どこにいるの?」

『ちょうど米花駅近くのレストランに入ったところ。なにか用事だったの?』

 

「うん、ちょっと話したいことがあって。これから行ってもいいかな?」

『ちょっと待って。……大丈夫。今、園子が一緒にいるんだ。鈴木園子、判る? 中学の時私と同じクラスだったんだけど』

「……顔くらいしか判らないかも」

『ちょうど愛夏ちゃんを紹介したいと思ってたの。愛夏ちゃんさえよかったらぜひ来てほしいな』

 

 

鈴木園子が一緒なのか。

こりゃ、怪しまれないように話をするのはちょっと難しいかもな。

蘭さん一人だったら、米花シティビルに入る直前に仮病でも使って足止めするって手もあったけど。

 

 

場所は蘭さんに指示してもらって、そのあと10分くらいでレストランに到着することができた。

ケータイの電源を切って入口をくぐるとすぐに手を振って声をかけてくれたから、私は店員さんに断って彼女たちのテーブルに合流した。

 

 

「ごめんね急に電話しちゃって」

「ううん、いいのいいの。あ、こちらが親友の鈴木園子。園子、彼女が高久喜愛夏ちゃんよ」

「お噂はかねがね。私も一度会って話がしたいと思ってたから歓迎するわよ。高久喜さんも夕食食べていくでしょう?」

「あ、うん。じゃあ軽く」

 

 

メニューをもらって、いちばん安いパスタのセットを頼む。

病院代もまだ判らないし、社長からのお見舞いはあったけど、今回は完全に赤字だな。

まあ、今までの仕事は食事が必要経費だったり、待遇がよすぎたってのはあるんだけど。

 

 

「それで、話したいことがあるって、なあに?」

 

 

……ぜんぜん考えてなかった。

どちらかというと、蘭さんを米花シティビルから遠ざければいいと思ってただけだから。

でも私から蘭さんへの話といえば、この間のあの話しかないよな。

 

 

「……ええっと、鈴木さんはどのくらい知ってるの?」

「……あの話だよね。まあ、だいたいは話したかな。ごめん」

「ううん、知ってる方が通じやすいと思うから、それはいいんだけど」

 

「それって新一君の話よね。高久喜さん、単刀直入に聞くけど。高久喜さんは新一君のことはどう思ってるの?」

 

 

さすがは鈴木園子、ずばりと切り込んでくるなあ。

それに蘭さんの親友だからだろう、彼女は蘭さんの味方だと態度でしっかり主張してくる。

 

 

「どうもなにも、ほとんど知らなくて。有名人で、雲の上の存在というか。……アイドルみたいな?」

「ということは、好きなのよね? 新一君のこと」

「……なぜそうなるんですか」

 

 

そういえば彼女はけっこう本気で怪盗キッドにさらってほしいとか言っちゃうタイプだったっけ。

この間テレビ局で見たレックスの打ち上げにコネ参加できちゃうくらい、芸能人との距離も近いし。

 

 

「園子、まずは愛夏ちゃんの話を聞こうよ」

「ええ、そうね。それで、蘭に話ってなに?」

 

「……あの、この間言ってた、私が誤解してるって話なんだけど。蘭さんがそう言った理由までは判ったと思う。……私は、工藤さんの経済観念がおかしいんだって思ったけど、たぶん蘭さんはそうは思ってなくて。だから、私に高額なプレゼントをしようとしたのが、工藤さんが私に気がある、とか、そう思ったんじゃないかな、って」

 

 

あの話のあと、蘭さんが私が思うのとは違う反応をした理由、私にはそのくらいしか思いつかなかった。

蘭さんが今まで接してきた工藤新一は、けっして経済観念が壊れた少年じゃなかったんだろう。

それが私に言ってた“誤解”の意味で、ライバルだからと教えてくれなかったのは“工藤新一が私を好きかもしれない”と私自身に気付かせたくなかったからなんだろう。

 

 

「それで、それを私に言いに来たってことは」

「うん。私、工藤さんのことは、テレビや新聞の中の有名人としか思ってないから、憧れ以上の感情はないって、それを言いたくて」

 

「じゃあ、新一君が面と向かって告白してきたとしても、高久喜さんは断るのね?」

「園子!」

 

「はい、断ります」

 

 

私が断言したことで、蘭さんは驚いたようで、でもちょっと複雑そうな表情をしていた。

まあ、自分が好きな男の子だからね。

その価値をほかの人にも認めてほしいって気持ちもあるだろうし、なんとなくプライドを傷つけられたような気がしたんだろうな。

女心は複雑だ。

 

 

「愛夏ちゃんが言ったように、新一はそんなに経済観念がおかしい訳じゃないよ。ただちょっと周りが見えなくて突っ走るようなところはあるけど、最低限人への気遣いはできると思うし。……憧れる気持ちがあるなら、愛夏ちゃんが付き合うのに不足はないと思うんだけど?」

 

「それは工藤さんが問題なんじゃなくて、私の方の問題で。私は安定志向なので、付き合うなら平凡な人の方がいいです。普通の会社に就職してそれなりの収入があって、間違っても殺人事件なんかに巻き込まれない人。……私、この間の事件で心底思いました。私に殺人事件は無理です。あんなことが周りで頻繁に起こるような生活、私は送れる人種じゃないです」

 

「まあ、私も殺人事件は嫌だけど」

 

 

でもそれに勝るほどの感情を、工藤新一に対して持ってるんだよね。

やっぱり名探偵コナンの物語でのヒロインは毛利蘭以外にはいないよ!

 

 

「だから私、全力で蘭さんを応援するから! 蘭さんが工藤さんとまとまれば、私が変なことに巻き込まれる可能性も少なくなると思うし。蘭さんはメンタルも強いから、工藤さんとはお似合いだと思うんだ。蘭さん、お願い、私に蘭さんを応援させてほしい。そしてできるだけ早く工藤さんとくっついてほしい!」

 

「え? 私は別に、新一とはそんな……」

 

「まだ言ってるの? もういいかげん認めちゃいなさいよ。新一君のことが好きだ、って」

「やだ園子。ほんとにそんなんじゃないんだから。誰があんな推理オタク」

「なによ。この間新一君が高久喜さんを好きかもしれない、ってあんだけ落ち込んでおいて。いまさら何言ってるのよ」

「それは、新一は幼馴染だから、いろいろ心配で」

 

 

そっか、毛利蘭は鈴木園子に対して、まだ工藤新一が好きだって認めてないのか。

だったら私がライバル宣言されたことは黙ってた方がいいんだろうな。

まあ、ただ単にからかわれたり冷やかされたりするのが嫌なだけなんだろうけど。

(でも認めなくてもからかわれたりはしてるけどね)

 

 

 

どうやら私の気持ちというか、考えは二人に通じたようで、夕食の時間は和やかに過ぎた。

主に二人の会話を私が聞くような展開だったんだけど、話は私のことにも及んで。

私は今のところ高校に復学するつもりはなくて、今はバイトをクビになった直後で、また仕事を探さなきゃ、なんてことを話したところ。

 

 

「じゃあさ、愛夏は明日も暇なのよね」

 

 

園子さんはいつの間にか私のことを呼び捨てしてましたとさ、まる。

 

 

「ええ、まあ」

「だったら明日、うちの別荘へ来ない? 一泊の予定なんだけど、姉キが大学のサークルの同窓会をするんで、蘭も招待してるの。もしかしたら愛夏のお眼鏡にかなう安定志向の男性もいるかもしれないわよ」

 

 

いや別に、私は安定志向の彼氏が欲しいとか言った記憶はないんだけど。

……いや、園子さんの頭の中では、私がそう言ったことになってるのか?

 

っていうか、原作の次の話って確か、山荘包帯男殺人事件なんじゃ……!

ムリムリ! クローズドサークルのバラバラ殺人なんて、私に耐えられるはずがないよ!!

 

 

「さすがに今日の明日というのは」

「つまり愛夏は、まだ新一君に未練がある訳だ。男あさりの誘いに応じないってことはそういうことよね?」

「そんなことは」

 

「それに、食事は姉キが作る予定なんだけど、人数が多いから蘭にも手伝いを頼んでるの。でも蘭は今夜新一君とオールナイトでしょ? もしも盛り上がって二人きりでしっぽり、なんてことになったら、正直私だけじゃ手が足りないし。バイト代2日で2万でどう? 交通費も食事も持つからさ」

 

 

……ああ、喰いつきたい。

守銭奴の本能が“やります”という言葉を言おうとしている。

でもバラバラ殺人が……!!

 

 

「やっぱり新一君のこと ―― 」

「やります」

 

 

怖かった、いや、バラバラ殺人よりも、蘭さんの視線の方が。

 

 

―― 名探偵コナンの鉄則、『毛利蘭は怒らせてはいけない』が発動。

理解した、世界は彼女を中心に回っているのだと。

 

 

さて、やるとなったら食事の支度を手伝うだけで2万円もの給料をもらう訳にはいかない。

(そもそも蘭さんがボランティアでやろうとしていた仕事なのだし)

詳しく聞けば午前中に鈴木家の別荘管理の人が掃除をする予定らしいので、私はその掃除にも混ぜてもらうことにして。

掃除がいつから始まるのかは園子さんも知らなかったのだけど、移動の時間を考えて、午前10時くらいに別荘へ着くように電車で出発することにした。

帰りももちろん、終電ギリギリまで掃除して帰る予定だ。

 

 

「なんか、愛夏って真面目ね。お金だけもらってのんびり休日を満喫しちゃえばいいのに」

 

 

それじゃあ次の仕事につながらないでしょ。

谷家の佐伯さんだって、私がまじめに仕事してたから、籏本家の仕事を紹介してくれたんだし。

(まあ、その結果が貸切船での殺人事件だった訳だが)

 

 

「それだけが取り柄みたいなものだから。私、専門的な技術も何もないし」

「誰も女子高生のバイトにそんなの期待してないわよ。でも、なんとなく判るわね。蘭が愛夏のこと信用してるのがどうしてなのか」

「……そうなの?」

「愛夏ちゃん、中学の頃からずっと真面目だったじゃない。バレー部一直線で、愛夏ちゃんのこと悪く言う人なんて一人もいなかったよ」

 

 

いやそんなの、私以外にもいっぱいいたでしょ、あの中学。

私自身は公立の中学を出てるんだけど、“高久喜愛夏”が行ってたのは私立の帝丹中学で、その時点で変な生徒はいないだろうって推測はできる。

 

 

しっかし、山荘包帯男殺人事件か。

事件を未然に防ぐ方法がないか、これから考えないとな。

確かあの犯人、すごく計画的でしかも恨み全開だったから、付け入るスキがあるかどうか判らないけど。

むしろ意図せず目撃者となった蘭さんを容赦なく狙ってきたくらいだから、下手に介入したら私が殺される危険性は半端じゃないが。

 

 

「さて、いい時間だし、そろそろ解散しようか。予定よりちょっと遅くなっちゃったしね」

「そうね、今日は付き合ってくれてありがとう園子」

「ううん、私も面白い話が聞けたし。明日の話も楽しみにしてるぞ」

 

 

気が付けば蘭さんは伝票を手にすでに立ち上がっていて。

私もあわてて立ち上がって、レジで別々に会計を済ませたあと、外に出た。

 

 

「じゃ、私たちはここでいいよ。映画楽しんできな」

「うん」

 

「あ、私は蘭さんとちょっと」

「駄目よ、愛夏。蘭はこれから新一君とランデブーなんだから、邪魔しちゃ」

 

 

って、まだ蘭さんを引き留めるミッションが……!

ここで別れたらなんのためにここまで来たか判らないじゃないか!!

 

 

腕をがっしりと園子さんに抑えつけられて。

笑顔で手を振って去っていく蘭さんが見えなくなるまで、園子さんはつかんだ手を離さなかった。

しょうがない、園子さんと別れたあとに追いかけるか、間に合わなかったら電話で蘭さんに助けでも求めよう。

そう思って振り返ると、園子さんはちょっと怖い視線で私を見上げていた。

 

 

「愛夏、蘭はあんたのこと信用してるみたいだけど、私は蘭ほど信用してないからね」

「……はい」

「人の気持ちなんてどう変わるか判らないし、もしも愛夏が新一君に告白されたとして、その時ほんとに断るかどうかなんて判らないでしょ? 私だって、蘭の親友だけど、万が一新一君に真剣に告白されたら、心が揺れないなんて断言できないもの」

 

 

……園子さんの心の話はともかくとして、確かにそういう懸念があるだろうことは理解できる。

工藤新一は私の人生設計に対してマイナス要素ばかりの男性だけれど、私に憧れというプラスの感情がある限り、いつその比重がひっくり返るかは判らないんだ。

 

 

「工藤さんには、蘭さんしかいないと思うけど」

「うん、私もそう思ってるわ。でも、新一君の気持ちまで私の思い通りにできるなんて思ってないのも事実なのよ」

 

 

まあ、それはその通りだ。

私も45年の人生で、なんでこの人がこんな人に!? と思ったことは何度もある。

それがこの世界の工藤新一に起こらないとは限らないけど……私は原作を知ってるからなぁ。

原作の二人は両片想いで、途中からは両想いで、このままいけばちゃんと結ばれる運命だったのは間違いないんだ。

 

 

 

―― 私が、私自身が、向き合わなければいけない事実がある。

 

それは、この世界の工藤新一が、“高久喜愛夏”を好きな可能性だ。

 

すでにこの世界にはいないかもしれない、自殺したのか失踪したのか、それとも私のように別の世界へ飛ばされてしまったのかすら判らない“高久喜愛夏”を。

 

 

 

「だからさ、私に高久喜愛夏を見極めさせてくれる?」

 

「……へ?」

 

 

ちょっと自分の考えに沈み込かけていたから、私は間抜けな反応を示すことしかできなかった。

 

 

「私ね、親友として、蘭の失恋を受け止める覚悟はできてるの。でも、あなたが本当に新一君にふさわしい人なのか……ううん、もっと言えば、蘭よりも新一君に愛されるほどの人なのか、私に確かめさせてほしい。別に蘭と比べて優劣をつけたい訳じゃないのよ。ただ、愛夏にその要素があるって、それを知りたいだけ」

 

「……」

 

「だって、知らないままでいたら、通り一遍の表面的な慰めしかできないじゃない。蘭は一途な子だから、万が一新一君に失恋なんかしたら、ものすごく落ち込むと思うのよ。だからそれを慰める役目の私も、ものすごい覚悟が必要なの! 判る!?」

 

 

途中から、園子さんは少し自分のセリフが恥ずかしくなってしまったみたいだった。

ちょっと強い口調でごまかすように言葉を切って。

 

 

「あ、はい、なんとなく」

「とりあえずその一歩が明日の旅行ね。それとこれからもけっこう絡むと思うから、覚悟しておいて」

「はい、判りました」

「よろしい。それじゃ、また明日ね」

 

「あ、うん。よろしくお願いします」

 

 

最後は雇い主に対する礼儀とばかり頭を下げると、園子さんは振り返らずに手を振って地下鉄の駅へと消えていった。

 

 

 

すごいなあ、と思う。

45歳の私には友達すらいなくて、でもこの45年の間に友達がぜんぜんいなかった訳じゃなくて、部活の子や卒業後もちらほらと付き合いがあった人くらいはいたんだけど。

あんなに真剣に友達のことを考えたことはなかったよ。

というか、私はそれができなかったから、親友と呼べるような存在が作れなかったんだと思う。

 

 

親友とか、夫婦とか、家族もそうだけど。

ちゃんとした関係を築こうと思ったら、物事を二人分、考えられなければできないと私は思ってる。

自分の分ともう一つ、その人の分。

私にはそれができなくて、だから私の周りの人は自然と私から離れていったし、私自身、結婚して家庭を作る踏ん切りがつかなかったんだと思う。

 

 

たぶん映画のどれかだと思うんだけど、毛利蘭と鈴木園子の友情が描かれているシーンがあって。

私はそれを見て、素直にそのすごさに感動したんだ。

私ではできない、私には築けない関係を積み重ねている二人に。

その端っこを垣間見た私は、映画と変わらない友情に、ちょっとだけ気を取られてしまっていた。

 

 

 

でも、そうそう呆けている訳にはいかなかった。

とにかく園子さんとも別れたし、たぶん時間はあまりない。

私は食事の間切っていたケータイの電源を入れて。

でも、蘭さんの番号を画面に呼び出している間に別の、阿笠さんの着信が割り込んできたんだ。

 

 

って、これぜったい電源切ってる間もずっとかけてた口だよ!

ということは向こうから切れるなんてことはないだろうから、どうあってもぜったい出ないといけない訳で……!

 

 

「……はい」

『愛夏君! 今どこにいるんじゃ! ワシやコナン君がどれだけ心配したと思っとるんじゃ!』

「はい、すみませんでした。すぐに帰りますから」

『いや、迎えに行くからその場で待ちなさい。今いる場所はどこかね?』

 

 

え? 今いる場所?

ちょっと通りから奥まってるし、判りやすい目印もないし……。

そうだ!

 

 

「あの、では、米花シティビルが近いので、そっちで待っててもいいですか?」

『本当に近いんじゃろうな? どこかからそこへ向かうんじゃないんじゃな?』

「ええ、ほんとにすぐ近くです。通りに出ればすぐに見えると思います」

『判った。それじゃ、米花シティビルに着いたらまた電話するからの。必ず待っとるんじゃぞ?』

 

「はい」

『身体が痛いとか、気分が悪くなったりはしとらんかね?』

「はい、問題ないです」

『なぜとつぜん病院を抜け出したりしたんじゃ』

 

 

え? 阿笠さん、まさか電話しながら車運転してたりしますか?

なんかバックに車のエンジン音が聞こえてる気がするんですが。

 

 

「あの、阿笠さん、ケータイ片手運転は危ないんじゃ」

『いや、今警察の若い刑事さんが来てくれての。ワシの代わりに運転してくれとるんじゃよ。愛夏君もこのまま米花シティビルに向かいなさい』

 

 

いやあの、それじゃ蘭さんに電話が……!

 

 

「私はムリです。歩き通話は危ないので電話を切らせてもらいます」

『いや、それならその場で待ちなさい。米花駅の周りならだいたい判るからの。目印にレストランか喫茶店を教えてくれればすぐじゃよ』

 

 

ああ、阿笠さん、米花駅周辺の外食系はすでに開発済みってことですか。

クッ……こ、これが世界の修正力ってヤツなのか……!?

 

ま、まけてなるものか!!

 

 

もうこうなったらちょくせつ蘭さんを連れ出してやる!

怪しまれたって知らない!!

たぶん目の前のビルで爆発が起これば、蘭さんはちょっとした私の不自然な行動なんかすぐに忘れてくれるはずだ!

 

 

ケータイを通話状態のまま自転車の前かごに放り込んで。

そのまま裏通りを選んで米花シティビルに向かう。

ケータイから何か叫んでるらしい声が漏れ聞こえるけど無視だ無視!

やがて米花シティビルまで辿り着いたから、1階の駐輪スペースに自転車を停めて、ケータイを掴んで、すぐそばの壁に貼ってあった案内図を見て5階の米花シネマのロビーへと階段を駆け上がる。

 

 

ロビーを見回して蘭さんを見つけた時、彼女はかばんの中から自分のケータイを取り出すところだった。

 

 

「蘭さん!」

 

 

振り返りつつ電話を取る蘭さんを、まるでスローモーションのように間延びした時間軸の中で見ていた。

そして ―― 。

 

 

 

―――――――――――――― !!

 

 

 

爆発の瞬間、私は蘭さんを抱きしめるようにして、爆風からかばう。

って、けっきょく間に合わなかったし!

ていうか、なんで私まで巻き込まれてるんだよ!!

1日の間に2回も爆弾騒ぎに巻き込まれるなんて、もちろん人生初めてだしこれからもぜったい経験なんかしたくないよコノヤロウ!!

 

 

「……愛夏、ちゃん……?」

 

 

耳、は大丈夫だ。

たぶん前回の爆弾よりも威力が小さかったか、壁とかを破壊してるからそれで爆風の威力が落ちたのか。

もしかしたら爆発音が前とうしろ両方から聞こえた気がするから、それである程度相殺されたのかもしれない。

 

 

「大丈夫? ケガはない?」

「うん、私は大丈夫。……愛夏ちゃん、どうしてここに?」

「ちょっと話し忘れたことがあって。それより、この状況をどうにかしないと。出口とか、あと誰かケガしてるかもしれないし」

 

 

爆発前に一瞬だけ見た画像によれば、ロビーの中には10人近い人がいたと思う。

このロビーから映画館に直接つながるような通路はないらしくて、爆発した2か所が唯一の脱出経路だ。

ケータイの明かりを頼りにドアの方へ行ってみると、瓦礫に阻まれて外へ出ることはできそうにない。

たぶん閉じ込められてるのは最初にここにいた人たちだけだ。

 

 

「誰か、ケガをした人はいませんか?」

 

 

ケータイを確認すれば圏外の表示が出ている。

ほかの人たちも電話が通じないことにパニックになりかけていたけれど、声をかけたら自分のケータイの明かりで周囲を見回してくれた。

たぶんここにいた人はほとんど、蘭さんと同じように、映画を観るために待ち合わせをしていた人たちなんだろう。

お互いに知らない同士だからそれぞれが不安で、でも不用意に騒ぎ出すような人がいなかったことにほっとした。

 

 

瓦礫で軽いケガをした人が何人かいたから、ケータイで照らしながら応急処置をしていく。

(昨日研修で習ったばっかりだからね。さほど器用じゃないからしないよりマシなくらいで申し訳ない)

そうしてある程度場が落ち着いた頃には、爆発からたぶん40分くらいが経過していた。

 

 

さて、このあたりのエピソードは映画のクライマックスだからけっこう記憶にある。

ロビーの中には時限爆弾が置いてあって、設定された起爆時刻は夜中の0時3分。

工藤新一からの電話で、毛利蘭が爆弾を見つけて、ソーイングセットの小さなハサミで解体していくんだ。

そして最後、残った2本のコードのうち、どちらを切るかで運命が決まる。

 

 

一つだけ、判ったことがある。

私はどれだけ世界に介入しても、決められた道筋を根本から覆すことはできない。

起きるべき事件は必ず起きるし、亡くなる人を助けることもこれまで一度もできなかった。

 

 

でも、それはけっして、事件が必ず解決すると保証するものではないんだ。

もしかしたら、この爆弾で私と蘭さんが死ぬ可能性だって、ゼロじゃないんだ。

 

 

ううん、もしかしたら、ものすごく細くて困難だけれど、死ぬべき人を助けられる道筋は存在するのかもしれない。

 

 

―― ああ、私、株とか賭け事とか、やったことがなかったけど。

もしかしたら取り返せるかも、って思って深みにはまっていく人の気持ちが今判ったかもしれない。

 

私は蘭さんを爆発から遠ざけることができるかもしれないと思って、行動して、けっきょく次の事件に関わることにいつの間にかなってたりするし。

ほんと、45年も生きてたからって、世の中知らないことは盛り沢山だ。

 

 

「愛夏ちゃん、何か考えてるの?」

「んー、賭け事で身を持ち崩す人の悲哀?」

「なによそれー」

 

 

クスリと蘭さんが笑いを漏らす。

こんな状況で少しでも笑いが出るのはいいことだ。

 

 

「さっきは、ありがと。爆発からかばってくれて」

「二人いたからね、お互いに前面を合わせれば、衝撃が少しでも分散すると思っただけなんだけど」

「ううん、それでもありがとう。だって愛夏ちゃん、私の頭を抱え込んでくれたでしょう?」

「それは身長差の関係で、ね。私、平均的な男性と同じくらいの身長があるから」

 

 

これも学生の頃のコンプレックスの一つだったな。

バレーボールを始めてからは多少薄らいだけど、それでも最初の彼氏ができるまではずっとコンプレックスだった。

だって、男性の平均値とほぼ同じってことは、世の中の半分以上の男の人はヒールを履いた私より背が低いってことだし。

でも、たとえ半分以上が対象外だったとしても、残りの半分未満の人は、きっと私をそういう対象として見てくれるんだってことに気付いたから。

 

 

「私はね、さっき、新一のことを考えてたんだ」

「……たぶん工藤さんも、蘭さんのことを考えてるよ。事件のことはもう知ってるだろうし」

「そうかな」

 

 

少しの沈黙。

 

 

「考えちゃったんだ。もしも私と愛夏ちゃん、どっちかしか助からなかったとしたら、新一はどっちを助けるだろう、って」

「工藤さんなら両方助けると思うけど」

「うん、私もそう思うけど。……でも、新一が優先して助けるのは、私じゃないような気がする」

 

「それは信頼度の問題じゃないかな。どう見ても蘭さんより私の方が危なっかしいし」

「そういう要素は無視しての話よ。……愛夏ちゃん、判ってて言ってる?」

「まあ、よく言われることだし。崖に落ちそうな二人のうち、どっちを先に助けるか、って」

 

 

そもそもそういう究極の選択って、ほかの要素を無視した時点であり得ないんだけどね。

 

 

「新一は、愛夏ちゃんがここにいることは知らないだろうけど。もし知ってたらいったいどっちを助けたいと思うんだろう」

「いやそれ、たぶん知ってるんじゃないかな?」

「え? どうして?」

「私、ここに駆け込んできたとき、阿笠さんと通話状態だったから。蘭さんと同じタイミングで通話が切れて、しかもその後一切つながらないんだから、知っててもおかしくないし」

 

「え? 私があの時コナン君と電話してたってどうして」

「あ、あの時の電話の相手ってコナン君だったんだ。ならなおさら判ってるんじゃないかな。阿笠さんとコナン君、仲がいいみたいだし」

「でもどうして阿笠博士と?」

「実は私、脱走者でね。ハンガーノック起こして病院に入院してたんだけど、阿笠さんとコナン君の目を盗んで脱走してたの。阿笠さんはここへ車で向かってる途中だったから、コナン君や工藤さんとすれ違ってても不思議はないんだ」

 

「……あきれた。なんで入院中に私に会いに来たりなんかしたのよ」

「うん、たぶん、私も確かめたかったんだと思う。……工藤さんが、私と蘭さん、どちらを選ぶのか」

 

 

理由は、蘭さんとはぜんぜん違うけど。

もしも工藤新一が“高久喜愛夏”を選ぶなら。

私はこれ以上、工藤新一と関わるべきじゃないと思う。

 

 

なぜなら、工藤新一が選ぶ“高久喜愛夏”は私じゃないのだ。

彼がいつからそういう気持ちを持ってたのかは知らないけれど。

少なくとも、“高久喜愛夏”の身長を追い抜きたいと頑張ってたくらいには意識していた彼が、その目で追っていたのは、私が来る前にこの世界にいた“高久喜愛夏”でしかないのだから。

 

 

まあ、それもあり得ない仮定だ。

ここまで来て、たとえ彼がどちらを選ぼうとも、感情以外の要素が絡まない選択など不可能なのだから。

 

 

「じゃあ、私が新一と会ってるところに乱入して?」

「そう。反応を見るつもりだった」

「でも、愛夏ちゃんは新一に興味がないって」

「だって気になるし。蘭さんは工藤さんが私を好きみたいだって思い込んでて、ライバル宣言までしちゃうくらいだから、はっきりさせた方がいいのかな、って。……まあ、ないとは思うけど、たとえ万が一私を選んだとしても、付き合うつもりはないから安心して」

 

「それ、けっきょく私が失恋するってことなんだけど」

「私は工藤さんは蘭さんを選ぶ確率の方がはるかに高いと思ってるから。それがはっきりすれば、蘭さんもいろいろ思い悩まなくて済むし、私も煩わしいことから解放されて万々歳だから」

 

 

たとえ工藤新一の初恋の相手が“高久喜愛夏”だったとしても。

今、彼のそばにいるのは蘭さんで、本当の“高久喜愛夏”が彼の前に現れることはおそらく二度とない。

だから、今の彼の感情が“高久喜愛夏”を選んだとしても、いずれ彼の気持ちは蘭さんに戻るはずだ。

そうすれば、私が好きだった物語の続きがこの世界でも再現される。

 

 

―― 子供たちはその時その瞬間、真剣な気持ちで恋愛をする。

大人たちはそれを一時的な感情だと言って、いずれ目が覚めるだろうとその感情を切り捨てる。

子供たちはそんな大人たちに反発して、自分の恋を貫こうとするけれど……。

 

でも、これは大人が言ってることの方が正しいんだ。

恋愛感情なんて、何年も何十年も持ち続けられるものじゃない。

環境が変わって、そばにいる人が変われば、やがてその恋心も冷めていく。

時間とともに冷めていくその恋心に匹敵するのは、その人と同じ時間を過ごしたという経験でしかないんだ。

 

 

一緒にいなければ経験は生まれない。

だから、“高久喜愛夏”がいない時間が増えて、毛利蘭がいる時間が増えれば、工藤新一の気持ちはぜったい毛利蘭に傾くだろう。

今、工藤新一がどちらを選ぼうとも、最後には毛利蘭を選ぶことになる。

 

 

「愛夏ちゃんは、ほんとにそれでいいの?」

 

 

ドキッとした。

私は今、蘭さんとの会話と内面の思考を並列して考えていて。

蘭さんが言ったのは、私の「付き合うつもりはない」という言葉に対する疑問だったのに、私は思考の方に言われたような気がしたんだ。

私が、“高久喜愛夏”ではない私自身は、本当にそれでいいのか、と。

 

 

私は、この世界に本来ならいてはいけない存在だ。

“高久喜愛夏”は原作に登場しないいわゆるモブ以下だったけれど、私自身はそれ以上に許されない存在だ。

そんな私が、工藤新一と恋愛関係になど、なっていいはずがない。

たとえなったとしてもそれは単に“高久喜愛夏”の身代わりというだけのことだ。

 

 

「いいもなにも、私、工藤さんのことはほんとに何も知らないし。好きも嫌いも生まれる要素がないよ」

「……なら、いいんだけど」

「だから、蘭さんもあんまり私を工藤さんと近づけない方がいいよ。今回は私も出しゃばってきちゃったけど、本当なら蘭さんが私と仲良くするのもあまりよくないと思う」

 

「それは嫌。私、愛夏ちゃんともっと仲良くなりたいもん」

 

「え? ……どうして?」

「そんな、どうしてって言われても、そう思うんだから。私、もっと前から愛夏ちゃんと仲良くしておけばよかったな、って最近思うの。どうして私、中学の時愛夏ちゃんに話しかけなかったんだろう」

 

「いや、隣のクラスだったんだし、接点なんてないし」

「そうだよね。でも、愛夏ちゃんと知り合ってから、いろいろ変わったっていうか。なんか、世界が広がった気がして。ああ、私、こういう人と付き合いたかったんだな、って」

 

 

いやそれ、たぶん原作が始まったからです。

主にコナン君のせいだと思います。

さらに極論を言えば工藤新一が余計なことに首を突っ込んだせいです。

 

 

―― そんな時だった。

しんと静まり返った真っ暗なロビーに、電話の音が鳴り響いたのは。

 

 

そういえば非常灯がついてる。

だから完全な暗闇じゃなくて、非常灯の近くだけは明かりがともってるんだ。

つまり、このロビーは別に電気が来てない訳じゃなくて、ただ天井の蛍光灯が壊れて明かりが消えてただけで。

 

ロビーのカウンターにある電話は、まだ生きていたんだ。

 

 

「蘭さん、出てみて。たぶん工藤さんだと思う」

「え? どうして?」

「早く」

「う、うん」

 

 

蘭さんがケータイの明かりを頼りにカウンターへと歩いていく。

私もすぐうしろをついていって。

周囲の人たちも息をのむように静まり返っていたから、蘭さんの小さな声はロビーの隅々まで響き渡るようだった。

 

 

「もしもし……新一!?」

 

 

あー、なんとなくだけど、工藤新一の声も聞こえるな。

まあ、言葉が聞き取れるほどじゃないけど。

 

 

「なにしてたのよ! いつもいつも肝心な時にいないんだから! ……ほんといつも、いつも、……! わかってるの? 今私がどんな目に遭ってるのか!?」

 

 

蘭さんの目に涙が浮かぶ。

私と話しながらも、蘭さんはずっと不安な気持ちを押しこらえてきたんだろう。

 

 

「……え?」

 

 

蘭さんが非常扉の方を振り返る。

もしかして、そのドアの前にコナン君が来てるのか?

 

 

「……変なもの?」

 

 

蘭さんが周りを見回して。

椅子の近くにあった紙袋を拾い上げようとしたから、私も手伝った。

これが爆弾か。

けっこう重いし、さすがにちょっと持ち上げるのが怖い。

 

 

ちらっと見えた時間表示は42分あまり。

下手をすればこれが私と蘭さんの余命になる訳だ。

 

 

「なんなのこれ。すごく重くて大きいよ。デジタルの、時計みたいなのついてる。……え? 爆弾!?」

 

 

蘭さんの声が響いた瞬間、部屋にいたみんなが一斉に驚きの悲鳴を上げる。

中には蘭さんからできるだけ遠ざかろうとする人も。

まあ、普通の反応だよな。

むしろ何も反応しなかった私の方が異常に見えたことだろう。

 

 

「ちょっと待って……42分、7秒よ」

 

 

そのあと、すぐに蘭さんが解体する訳ではないようで。

爆弾をカウンターに置いたまま、蘭さんは工藤新一と電話をつづけた。

 

 

 

「ねえ、新一。……今、私、一人じゃないの」

 

 

なんかここだけ聞くと、彼氏に黙って浮気してた女の子の告白みたいだな。

返事として漏れ聞こえる工藤新一の声は、別に焦ってる様子も怒ってる様子もない。

おそらく思った通り、阿笠博士から私の状況は聞いているんだろう。

 

 

「うん、ケガとかはないから安心して。……よかったら電話、代わるよ?」

 

 

私は蘭さんの目の前で思いっきり手と首を振る。

すると蘭さんは工藤新一の声に何度かうなずいたあと、私に視線を合わせて言った。

 

 

「愛夏ちゃん、新一から伝言。『オメーに聞きたいことがある。事が済んだら電話すっから、首洗って待ってろ』だって。 ―― ちょっと新一、それどういう意味!?」

 

 

うわー、こりゃ今回の私の行動、完全に疑ってるよ!

そりゃあね、入院してた病院をいきなり抜け出して、やっと見つかったと思ったら阿笠さんと電話中に通話状態のまま放置でその後通話断絶。

同じ時刻に蘭さんとコナン君の通話も途切れて、二人同時に爆発に巻き込まれたと推測できたけど、私がとった行動は不自然以外のなにものでもない。

これを疑うなという方が無理があるだろう。

 

 

 

その後は私が構われることもなく。

工藤新一と蘭さんは静かに会話を続けていて。

蘭さんは内部の状況を説明したり、おそらく気持ちを落ち着けるためだろう、たわいない会話を工藤新一と交わしていく。

やがて、あと15分ほどで日付が変わろうというところで、蘭さんの雰囲気が変わった。

 

 

「……ソーイングセットのハサミなら持ってるけど、どうするのよそんなもの。……えぇ!? ……待って! 電話しながらじゃうまくできないよ!  ―― 愛夏ちゃん、爆弾の解体、愛夏ちゃんがやって!?」

 

「はぁ!?」

 

 

いや、なんでそこで私!?

映画ではぜんぶ一人でやってたじゃん!!

 

 

「私が新一の指示を伝えるから、愛夏ちゃんは私の言うとおりにするだけでいいから。お願い」

「……」

 

 

私が明確な返事を返すより先に、蘭さんはかばんの中からソーイングセットを取り出して、ハサミを私に突き付けてきた。

 

 

「大丈夫、死ぬときは一緒だから。私も新一も、愛夏ちゃんを恨んだりしないしできないよ」

 

「……うん、判った」

 

「大丈夫、一緒に頑張ろう!」

 

「うん、頑張ろう」

 

 

16歳の子がこれだけ気丈に頑張ってるんだ。

45歳のおばさんが、ここで怖気づくのは違うよな。

 

 

ハサミを受け取った私がうなずくと、蘭さんは電話に向かって合図を送った。

 

 

 

これは、怖い。

私は蘭さんの指示を聞いて、その通りに手を動かしているだけなんだけど。

切る前に何度も確認して、コードの色が間違いないかどうか、ケータイの光を角度を変えて何度も照らして。

ハサミで切る瞬間はいつも、寿命が1年ずつくらい縮まってるような気がした。

この作業が終わったら、私は元の45歳に戻ってるんじゃないか、そう思えるくらい精神をすり減らしていたと思う。

 

 

「愛夏ちゃん、これで最後だって。黒いコードを切れば、爆弾は止まるはずよ」

 

「……うん」

 

「あと少しだから、頑張って」

 

 

額からの冷や汗を袖で拭って。

蘭さんに励まされながら、最後の黒いコードを切る。

……やっぱりだ。

爆弾は止まらない。

 

 

「し、新一、今、黒いコード切ったけど、止まらないよ、タイマー。……それに、コードはまだ2本残ってるよ。赤いのと青いのと」

 

 

残り時間は5分弱。

……ムリだ、これ以上は。

 

気が付けば私はその場に座り込んでいた。

 

 

「愛夏ちゃん! ……新一、愛夏ちゃんが……!」

 

 

蘭さんが受話器を置いて私の傍らに来る。

……だめだよ、蘭さん、工藤新一の話を聞かなきゃ。

 

 

「……大丈夫。ちょっと、精神が限界。……ほんとごめん、私、根性なくて」

 

 

カウンターにもたれかかるようにすると、蘭さんは私の肩を抱いて、そっと引き寄せてくれた。

 

 

「……正直、ちょっとだけ安心した。……愛夏ちゃん、ずっと気丈にしてたから。落ち着いてて、大人で、私なんかじゃぜんぜんかなわないって、思ってたから」

 

 

いや、それは単に、私の反射神経が鈍いだけで。

45歳の感覚でいるから、若い頃みたいに驚いたり焦ったり、そういうのが表に出にくくなってるだけなんだ。

 

蘭さんは私の手からハサミを取り上げて、一度ぎゅっと抱きしめたあと、立ち上がっていた。

 

 

「あとは任せて。もうあと2本だけだもん。一人でもできるよ」

「うん、おねがい。……ほんとにごめん」

 

 

運命を握らせちゃってごめん。

いちばん大変な究極の選択を任せちゃってごめん。

映画のラストシーン、赤い糸を切りたくなかったと言った、毛利蘭のセリフを覚えてる。

でも、本当にそれが正しい選択なのか、最後の最後で私には自信がなかったから。

 

 

本当に、それが正解なの?

私がいることで、物語が変わってないって、本当にそう言えるの?

私はこの爆弾を作った森谷帝二に会っている。

その、ほんの小さなきっかけで、森谷帝二が爆弾の構造を変えなかったって、そう断言できるだけの自信があるの……?

 

 

あの日私が着ていた服、青いラインが入っていた。

直前まで蘭さんと話していた森谷帝二は、蘭さんが反応したコナン君の『その服、新一兄ちゃんからのプレゼントなんだよね』という言葉を聞き取れた可能性がある。

そんな小さなことだって、森谷帝二の気を変えるきっかけになってたかもしれない。

そう思ったら、私はもう、これ以上立っていることさえできなくなっていたんだ。

 

 

「ごめんね新一、愛夏ちゃん、ちょっと精神の糸が切れちゃったみたいで。……うん、ケガとかじゃないから。あとは私がやるから、指示をお願い」

 

 

その数秒後。

ゴーンという、おそらく時計かなにかの音が、このロビーにも遠く聞こえてきていた。

 

 

 

 

5月4日(水)

 

 

……ああ、日付が変わったのか。

それにしても、こんな夜中に時計が鳴るとか……近所迷惑はなはだしいなこのビル。

 

 

「新一、……ハッピーバースデー、新一。……だって、だって、もう言えないかもしれないから」

 

 

そのあと、工藤新一が何か言ったのだろう。

蘭さんは一瞬、穏やかなほほえみを浮かべて。

 

でも、その後にきた揺れと瓦礫が崩れる音に動きを止めたあと、蘭さんは電話に向かって新一の名前を呼び続けて。

たぶん今ので電話線が切れたか、工藤新一のケータイが壊れたか、あるいはここと同じように電波が届かなくなったかしたんだろうけど。

 

 

何度か名前を呼んだあと、蘭さんは再び爆弾に向かう。

たぶん時間はあと1分くらいしか残ってない。

 

 

「愛夏ちゃん、切るね」

「うん」

 

 

私も立ち上がって、ふらつきながらもどうにか蘭さんの傍らに立つことができた。

残り秒数はあと25秒。

 

 

「愛夏ちゃん……」

「大丈夫、死ぬときは一緒だから。ここにいる誰も、蘭さんを恨んだりしないしできないよ」

「……うん、そうだね。死ぬときは一緒だもんね」

「うん、そう。だから、蘭さんが切りたいと思う方を切っていいよ」

 

 

たぶんそれが正解だから。

工藤新一が、江戸川コナンが、今まで私の存在に惑わされずに事件を解決できたように。

この世界に存在する彼女が決めるのが、一番正しいことなんだ。

 

 

 

 

残り2秒、彼女が青いコードを切った瞬間。

私たちの余命を表示していたデジタル時計が永久に止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

非常口側のドアの前に掘削機が到着してから、15分ほどの間。

私と蘭さんは、ドアから離れた場所で、少しだけ話をした。

 

 

「あの、新一からプレゼントされた服」

「プレゼントじゃないけどね」

「青いラインが入ってたじゃない?」

「私の言葉はスルーなんだ」

 

「今日、私が着てるのが赤で、だから青は勝手に愛夏ちゃんにしてたの」

「で、それを切ったと」

「だって、私と新一のラッキーカラーが赤だったから」

「私が好きな色は実は緑なんだけどね」

 

「え? そうなの?」

「昔見てもらった占い師には、オーラの色は黄色だって言われたし」

「そんな占いあるんだ」

「知り合いに紫のイメージだって言われたこともある」

 

「どっちも違うかな」

「だから、母親が買う服は緑が多かったと思う」

「私はやっぱり赤い服かな」

「コード、私が切らなくてよかったね」

 

「愛夏ちゃんだったら、やっぱり赤を切ってた?」

「……たぶん切れなかった」

「切らなかったら死んじゃってたよ?」

「うん、それでも……どうかな。目をつぶって手探りで切ってたかな」

 

「愛夏ちゃんに任せなくてよかったってことだけは判ったよ」

「なにしろ内気で小心者だから」

「よく頑張ったよね」

「お互いにね」

 

 

「新一、愛夏ちゃんと話したいって、言わなかったな」

「今まで話したことなんか数えるほどしかないし」

「でも、最後かもしれなかったんだよ」

「あの時点では最後だと思ってなかった可能性もある」

 

「じゃあ、けっきょく新一の気持ちは判らないままか」

「もう蘭さんが好きってことでいいよ」

「愛夏ちゃん疲れてる?」

「明日早いから正直もう寝たいだけ」

 

「やっぱり私たちと一緒の時間に行かない?」

「2万円のためなら頑張る」

「園子だって事情を知ったら許してくれると思うけど」

「私、基本なまけ者だから、一度なまけたら終わる気がする」

 

「愛夏ちゃん、やっぱり真面目だね」

「……」

「あれ? 寝ちゃった?」

「…………」

 

 

その後、起きた時にはすでに朝になっていて。

なぜか警察病院のベッドに逆戻りしてました。

 

 

 

ま、目覚めてすぐに退院できて、治療費もなぜか取られなかったので、よかったと言えばよかったのだろう。

 

 

 


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