そこは、真っ暗ななにもない空間だった。
そこにウェーブのかかった赤髪がきれいな少女、西木野真姫は、ピアノを弾いていた。
何故、何もない空間でピアノを弾いているのか。自分でも疑問に思いつつ、しかし弾き続けていた。
確かに弾いているのは真姫自身なのだが、まるで自分がピアノを弾いているのを俯瞰しているような、客観的に観測しているような錯覚をおぼえていた。
そう思ったのは、ピアノを弾いている真姫とそれを観測している真姫の感覚の齟齬、反応の違いがあったからだ。
真姫は、ピアノを引きながら視線を横へ向ける。
その視線は、何もない空間の中で、唯一、彼女のそばで聞いていた生物に当たる。
それは、堅い甲羅をもつ虫のような生き物。インベスと呼ばれるものだった。それも、いつも見ているようような手に乗るくらいのサイズではなく、人間大のインベスだった。
真姫は、すぐさま逃げたい衝動に駆られる。しかし、ピアノに向かう真姫は動かない。いつ襲われてもおかしくない状況でインベスの姿を確認するが、いるなくらいにしか感知しないのだ。
すぐにでも暴れ出すのではないかと気が気ではなかったが、真姫は、そのままピアノを弾き続ける。
まるで、演奏に聞きほれているかのように体を揺らしていた。
だから私は、そのままたった一匹の観客のためにピアノを弾いていた。
その心地よい時間はしばらく続いた。
しかし、あれだけインベスが接近しても止まらなかった演奏が、突如ぴたりと止まる。
「見つけたよ、インベス!」
聞き覚えのある声に、真姫は声のする方へ視線を向けた。
そこには、見覚えのある顔があった。彼女は一つ上の先輩。名前はたしか、ほのか。ほのか先輩だ。
「・・・・・・」
ほのか先輩は、無言で真姫とインベスへ歩を進めながら、どこからかユグドラとロックシードを取り出していた。
彼女はユグドラを自分の腰に取り付け、ロックシードを解錠して取り付けた。
「ソイヤ! オレンジドレス、花道オンステージ!!」
次の瞬間、彼女は纏っていた制服を、アイドルが着ていそうな衣装に変えていた。
「はっ」
次の瞬間、真姫にはほのか先輩は、インベスを殴りつけた。
インベスは、彼女の拳を受けて、ひっくり返ってしまった。
人より力持ちで頑丈なインベスをどうして殴ることができるのとは思ったけれど、そんなことを気にしている場合じゃ無かった。
「やめて! ひどいことしないで!!」
そのインベスは、ただ私の演奏を聴いていただけ。全然悪いことなんてしてない。
私は、ほのか先輩に必死に訴えた。
でも、ほのか先輩には届かない。いや、彼女は叫んでいるつもりが声は一切発せられてはいなかった。
真姫は、その光景をただ眺めているだけだった。
真姫が見ている中、ほのかは、殴るだけでは飽きたらず、どこからか取り出したオレンジの切り身のようなふざけた形の刀で切りつけ始めた。
刀の攻撃を受け、インベスの堅い甲羅が火花を散らす。ひびが入る。砕ける。
その光景をただ見ているしかない真姫は、ただただ叫ぶ。声にならない声で。やめてと叫ぶ。
が、ほのかはとどめの一撃を放つべく力をためる。
「ソイヤ! オレンジスカッシュ!!」
「だめ!!」
私は、ありったけの声で叫ぶ。
でも、ほのか先輩は止まらない。
「セイハァァァアアア!!」
彼女は、刀を高く掲げると、それを勢いよく振り下ろした。
「いやぁぁぁあああ!!」
真姫は、叫び声とともに飛び起きた。
頬にべたつく髪を拭い、両手で顔を覆う。。
「ゆ、ゆめ?」
いやな夢を見た。
しかもそれは、単なる夢じゃない。実際に起きた過去の記憶だ。
「まったく、夢にまで見るなんて。これもすべて、あの人のせい」
夢になんて見たくなかった。
思い出したくなどなかった。
それでも、いやおうなしに思いだしてしまう。それは、ここ最近で一番の幸せな時間だった数日とその時間が壊された瞬間までの記憶だ。
真姫は、いつも放課後は音楽室で過ごす。
夕日が射す音楽教室でひとり。ピアノの音に体を振るわせながらその時間を過ごしていた。
いつも特に予定のない日は、ここに来て下校時刻になるまでピアノを弾く。それが私の日課だった。
クラスメイトに対し、特に冷たくしている気はないけれど、特に親しく接していたやけでもない私には、これといった友達はいなかった。
だから、ピアノの音に興味を引かれて覗いてくる人はいても、中に入ってくる人はいない。
まあ、それは一人でピアノに没頭したい私としては願ってもないことで、むしろピアノを弾いているこのときに関しては、一人で居たいとすら思っていた。
一人だけでピアノの過ごす。
それが、彼女の日課であり、心から安らげる時間だった。
いつも、同じ時間に来ては同じ時間までピアノを弾き同じ時間に帰る。
その行動は、もはやルーティーンと化していた。そのため、いつもと違う何かがあればすぐに気付く。
だから、今回もすぐにその異変に気が付いた。
ピアノの音に、別の音が混じっていることに。
「い、インベス? どうしてここに」
その教室には、私の他にもう一人。いいえ、もう一匹がいた。
それはインベスと呼ばれる生物だった。
丸っこい甲羅を背負い、爪の長い手を幽霊の様に力なく垂らしているそれは、インベスの中でも初級インベスと呼ばれるものだった。
インベスを召還するためのアイテム、ロックシードを使って出したインベスは、手のひらに乗るくらいの大きさで出現する。
その大きさのインベスは、人に危害を加えるようなことはせず大人しいので、町に出ればたいてい誰かが連れて歩いている。でも、その教室内にいるインベスは、150、60はあるだろうというくらいの大きさだった。
普段みるものより大きいインベスは、ロックシードによって呼び出される以外の方法で現れたもので人を襲ったり危ないインベスが多いとされている。
いつからそこにいたのか。早く逃げなくてはとピアノから手を離した。
そのとき、
「きゃっ。なに?」
そのとき、床を踏みつけるような音が聞こえた。
犯人はすぐにインベスであることがわかった。
「何で。・・・・・・暴走!?」
真姫は後ずさった。左でピアノの鍵盤を押してしまい、不協和音が響いた。
暴走しているのであれば、少しの刺激で襲い掛かってきかねない。
真姫は、凍り付いてしまった。
「……」
いつ襲われるのか恐怖に震えていた真姫だったが、インベスが動きを止めたのを見て首を傾げた。
インベスの方も様子をうかがっているのか。それとも、何か別に気になるものがあるのか。
真姫は、インベスにこれ以上刺激を与えては今度こそ襲われかねないと思い、じっとインベスの様子を伺っていた。よく見ていると、真姫はあることに気が付いた。インベスは、真姫ではないほかの何かを凝視しているように見えた。
その視線を追って、インベスが見つめる先へと視線を移す。
すると真姫は、インベスの視線が意外なもの向いていることに気が付いた。
インベスの視線の先にあったものは、さっきまで真姫が弾いていたピアノだった。
インベスは、ピアノに興味津々な様子で、動かずじっとピアノを凝視していた。
「もしかして、ピアノに興味があるの?」
真姫は、じっとピアノを見つめるインベスを見て、首を傾げた。
インベスを町で見かけることはよくあるが、そのインベスたちは、人間に呼び出されてきたものばかりだ。
物を運んでいたり、一緒に歩いていたりしている姿を見ることはよくあるが、それはすべて人間の同伴、もしくは人間のお願いを聞いているに過ぎない。インベスが自分の意志で何かを行っている姿は、実のところ見たことがない。
インベスは普段何をしているのだろうと考える。
もしかしたらこのインベスは、ピアノを弾くのだろうか。いや、あの長い爪のついた手ではピアノを弾くことはできないだろう。
なら、いったい何がインベスの気を引いているのだろうか。
「あなたはいったい……。――きゃ」
真姫がつぶやくと、インベスは再び床を踏みつけ始めた。
真姫は、今度こそ襲われると頭を抱える。
ところが、インベスは襲ってこない。ただ、足を踏み鳴らしているだけだった。
その姿は、彼女を襲おうとしているというより、何か気に食わないことに腹を立て、駄々をこねている子供のように見えた。
一体何が気に食わないのか。ピアノが関係することでインベスが怒ることとは何か。
「そういえば……」
ひとつ思い当たる点を見つけた真姫は、試しにピアノの鍵盤を一つ押してみた。
ポロンと、ピアノの音が鳴り響く。
すると、インベスはまた音のした方に反応して視線を向けた。
「やっぱり」
その反応から、真姫は確信を持つ。
「・・・・・・もしかして、ピアノが聞きたいの」
インベスからは返事はない。
が、自分をじっと見つめる黒い眼から、真姫は何かを感じ取った。
彼女は、意を決して再びピアノに向き合った。
「――」
そして真姫は、ピアノを弾き始めた。
彼女も必死だった。
凶暴性を見せたインベスを前に恐怖を覚えないわけがない。それでもピアノを弾き始めたのは、助かるためとは別にピアノを聞きたいのかもしれない相手に、ただ単純に聞かせてあげたいという気持ちが芽生えたからだ。
ピアノを引き出すと、インベスは足を踏みならすのを止めた。
しばらくは聞きほれているように体をゆさゆさと左右に揺らし始めた。
それは人がリズムに乗るのと同じようだった。真姫は、それを横目に見てほっと胸をなでおろした。
これでおとなしくなってくれた。とりあえずこのまま弾き続けていれば、襲われることはないと思ったのだ。
しかし、そのままおとなしくなしてくれなかった。またすぐに地団駄を踏み始めた。
「な、何がだめなの? さっきと何か違った?」
何か気にくわなかったのか、インベスはまた暴れ出した。
さっきまでは大人しくしてくれていたのに、なにがインベスを暴れさせるのか。真姫は、頭をフル回転させた。
――さっきまでとインベスが居ると気付く前までとでなにが違っていたの? でも、ピアノくらいしか弾いてないし、他の楽器なんて・・・・・・。後は・・・・・・。
そこまで考えて、真姫はひらめいた。
もう一つやっていたことがあった。
「もしかして歌も?」
それは歌を歌うこと。
彼女は、ピアノを弾くと同時に歌を歌っていたのだ。
もしそれが原因だとすれば、やることは一つしかない。
真姫は、いったん弾いている曲を止め、演奏曲を変更した。そして、大きく息を吸うと共に弾き語り始めた。
「愛してる、ばんざーい。負けない勇気――」
これで思いつくことはすべてだった。これでまだ暴れるようなら、真姫に打つ手はない。
しかし、真姫は不思議と焦っていなかった。
横目で見ると、インベスが腕を振り上げていた。しかし、彼女は慌てることなく弾き続け、歌い続けた。
――そんなに、踊るほどよかったの?
それどころか、少し笑みをこぼしていた。
理由は、インベスの行動。
腕を上げては下ろし、右にひらひら左にひらひら。まるで盆踊りのような動きを取り始めたのだ。
――なにそれ、意味わかんない。
マスコットでいたら、見た子供が泣き出してしまうだろうほどの見た目のインベスが、しかも全然曲に合っていない振りで踊っていたのだ。
でもそれは不快ではなかった。
むしろ、踊りなど全然似合わないインベスが健気に踊っている姿が、可愛く見えていたのだ。
もしかしたら、彼らのすみかでは、仲間もいっしょに同じように踊っているのではないか。そう考えて想像すると、余計に可笑しくなって笑ってしまう。
気付くと、インベスが出現した当初抱いていた警戒心は、どこかへ消えてしまっていた。
しばらくして、曲が弾き終わる。
早く弾かないとまたインベスが暴れてしまうかも知れない。
そう思って真姫は、さっきまでインベスがいた方向をみた。
しかし、気が付くと、インベスの姿はなくなっていた。
真姫は、ほっとして胸をなで下ろした。
「インベスにも音楽が好きなのもいるのね・・・・・・」
真姫は、あのインベスのことを思い出して笑みをこぼしていた。
確かに、インベスが現れた直後は、恐怖しか感じていなかった。が、そのインベスが彼女の歌を聴きたかっただけなのだと理解してからは、むしろうれしいと思う気持ちすらわいていた。
今まで、ずっと一人でピアノを弾いていた。
聞いてくれる人は一人もおらず、ただ一人だけの空間に響いていただけだった。それが、インベスとはいえ、聞いてくれる者が現れたのだ。誰かが聞いてくれている。そう思うだけで彼女の心には、一人で弾いていた頃には無かった熱があった。
「また、来たりしないかな。あのインベス。・・・・・・って何を言ってるのかしら」
真姫は、自分で自分につっこみを入れる。
大きいインベスが目の前に現れるなんてことは、そうそうあることじゃない。いや、そんなにあったら困ることだ。
大きいインベスは、大抵凶暴なのだ。
今回は運良く襲われることはなかったが、次もそうなるとは限らない。次こそは襲われることになるかも知れない。
世間ではロックシードが流通し、ほとんどの人が所持している時代、真姫がいまだロックシードを持っていない。
その理由は、信用できないからだ。
ユグドラシルなどと言う企業が管理しているとは言うが、人を襲うかも知れない怪物を飼い慣らそうなんて、彼女には正気とは思えないことだった。
もし、さっきのと同じインベスに会えるならまたを歌を聞かせてあげたい。そんな思いはあったが、またなんてことはない方がいいと真姫はそう思うことにした。
これはきっと今日だけの特別な思い出なのだと。
なのに、
「なんで、また居るのよ?」
次の日の放課後。音楽室に入るとドアのすぐ横にインベスが待ちかまえていた。
突然四海には行ったインベスに驚いて飛び退いたため、出口から離れてしまう。さらに、インベスが真姫と出口の間に立ちはだかったことで、完全に退路を断たれてしまった。
そしてインベスは、地団駄を踏み出した。まるで、遊んでとねだる子供のように。早く弾いてと急かすように。
「な、なによ。弾けばいいんでしょ、わかったわよ」
真姫は、インベスに促されてピアノに向かった。
インベスに対しての返答はぶっきらぼうなものだったが、ピアノの前に座った彼女は、自分でも気付かないくらい小さな笑みをこぼしていた。
いままで誰にもいない部屋で一人でピアノを弾いていた。別に寂しかったわけではない。全然苦ではなかったし、むしろ一人の方がくつろげていいとすら思っていた。
でも、誰かがみている、人ではなくても誰かが聞いているというのも新鮮なことであり、いつしか真姫は、インベスが自分の演奏を聞いているという状況を心地よく感じ始めていた。
それからそのインベスは、彼女の演奏を聴きにくるようになった。
最初は、引き続けないと曲の切れ目には暴れるものだから、おそるおそるインベスを刺激しないために弾いている部分もあった。が、そのうち曲の切れ目になっても暴れることはなくなり、最近では、ピアノを弾かなくても触れ合えるほどになっていた。
そのインベスに会うまで、真姫はインベスを毛嫌いしているところがあった。
インベスといえば、虫のような無機質な外殻と、骸骨のような顔。
それだけでも気持ち悪いと思っていたが、最近そのインベスを使った遊びが流行っていることに嫌悪感を抱いていた。
医者である親が、インベスによって怪我をした人の治療にも携わっているため、真姫は今までインベスとは危険なものだと教えられてきた。真姫自身、それについては正しいと思っていた。何せ、あの見るからに危なそうな爪とまさに怪物というにふさわしい姿なのだ。
あんなものをちやほやしている人たちがおかしいのだと、今までの真姫は思っていた。
だからロックシードを与えられていないことにも不満を持ったことはなかったし、自分から手に入れたいと思ったこともなかった。
だから、自ら率先してインベスとにふれあうということは、ありえないはずの行動だった。
しかし、人を襲わず音楽を聴くインベスの存在を知ってしまった真姫は、その考えを改め始めていた。
もしかしたら、インベスも危ないものだけではないのではないかと。
そして、インベスといるというのも、そんなに悪いものではないかもしれないと。
そんな風に考えていた真姫だったが、彼女にとっての平和な日常は、一人の来訪者によって壊される。
「いた、西木野さん。お願い。もう一度話を――」
入ってきたのは、以前真姫がピアノを弾いているときに突如現れ、アイドルにならないかなどと言っていた一つ上の先輩。ほのかだった。
「――って、なんで大きいインベスがいるの」
「ちょっと、勝手に入ってこないで!」
ほのかは、入ってくるなり視界に現れた普段見るものより数段大きいインベスを見て目を丸くした。
無理もない。大きいインベスを見る機会は少なく、見る機会といえば、新聞の記事やニュースくらいだ。しかも、そのニュースのほとんどが「暴れた」「ものを壊した」などとてもいい内容のものではない。
それしか知らなければ、警戒しても仕方のないことだった。現に真姫もこのインベスと会うまではそうだった。
それでも、普通は腰を抜かしてしまうか逃げるかのどちらかだ。
しかし、ほのかはその二つとは違う第三の行動を取った。
「西木野さん、危ない。たあっ」
ほのかは、逃げることなくインベスへ向かって走り、そして助走でつけた勢いを乗せてインベスを突き飛ばしたのだ。
さすがのインベスも完全に真姫に注意を向けていたこともありひっくり返ってしまった。
「大丈夫? 怪我はない?」
「あ、あなた――」
「大丈夫だよ。早く逃げよう?」
インベスを倒したほのかは、真姫の手を取り、教室の出口へ向かって引こうとした。
が、真姫は動かなかった。
手を引いても動かない真姫の方へ振り向くと、真姫はほのかの手をふりほどいた。
「――ちょっと何してるのよ」
「え?」
「その子は別に危なくないわ。さっきだって、大人しく私の歌を聴いてただけなんだから!」
真姫の行動に、今度はほのかが驚きの声を上げた。
真姫は、ほのかが突き飛ばしたインベスに駆け寄ると、それをかばうようにほのかをにらんだのだ。
ほのかには分からない。
普通の人は、真姫の傍らにいるようなインベスを見たことがなかったのだろうからわからないだろう。
しかし、たとえ知らないとしても、悪さをしていないものに暴力をふるうことをよしとすることはできなかった。
「そ、そうなの?」
「そうよ。だから、あなたこそどっか行ってて」
インベスをかばい、助けようとしたほのかに帰れという真姫。彼女の様子を見て、ほのかは困惑の色を示した。
自分は、助けようと思って割って入ったのに、それを助けた相手に責められている。普段より大きなインベスは危険だということとを痛いほど知っている彼女には、インベスの近くにいる真姫は、明らかに危険な状態に見える。
しかし、確かに真姫の言う通り、インベスは彼女を襲おうとはしない。ただ、ほのかに対してだけ威嚇しているようだった。
穂乃果も、暴れたりしていないインベスを傷つけるのは不本意だ。だから、緊張を完全に解くことはしなかったが、構えた手をおろして様子を窺った。
「あなたも。警戒しないで、ね?」
穂乃果が臨戦態勢を解いたのをみて、真姫は今度はインベスをなだめに入る。
「ほら、また聴きたい曲、聞かせてあげるから」
真姫は、インベスへ手を伸ばす。頭を撫でて宥めようとした。
しかし、タイミングが悪かった。それと同時にインベスが、穂乃果へ威嚇して腕を振り上げたのだ。
「いたっ」
その腕が、運悪く真姫の手を払うように当たってしまう。ただ払われただけのようで、手に傷はなかったが、ほのかに再び警戒心を蘇らせるには十分だった。
「やっぱり、危ないんだよ。西木野さん、離れて!」
「ちょっと、何しようとしてるのよ」
「その子を、ヘルヘイムへ返す」
ほのかは、真姫には見慣れないものを取り出して腰に当てた。
それは黒い板状のもの。もちろん真姫もユグドラの存在は知っているし持ってはいる。真姫が見慣れないと思ったのは、ほのかのユグドラが形状を変えたからだ。最初は、見たとのあるユグドラとそう変わらない物だったが、腰に当てた瞬間、光の帯が伸びてベルトのように巻き付くとともに小刀のような装飾品が現れたのだ。
「学校の皆には内緒だよ? 変身!」
ほのかは、続いてロックシードを取り出して解錠した。ロックシードを解錠すればインベスが出てくると言うのが常識だ。そのため真姫は、ほのかがインベスゲームでも始めようとしてるのかと思った。ところが
『オレンジ!』
「オレンジ? 変身?」
姿を見せたのはオレンジ色をした光の球。インベスとは別のこれまた見たことのない何かだった。
見たことのない物体と聞き慣れない言葉に真姫は首を傾げる。そんな真姫の前で、ほのかはロックシードを変化したユグドラのようなものに固定し、刀の装飾品を動かした。
『オレンジドレス! 花道、オンステージ!!』
「ここから穂乃果のステージだよ!」
ほのかは、オレンジ色の球体に包まれる。それを払って姿を現すと、ほのかは姿を変えていた。
その姿は、さながらアイドル。
しかし、彼女の行動はその反対で、彼女へ向かって吠えるインベスをつかんで真姫から引き離した。
弾き倒されて転がるインベスは、ほのかへ再び吠えた。骸骨のような顔が割れ、口が四つになって広がった。口内には歯がぎっしりと生えており、まさに怪物というような姿を見せる。
真姫は、今まで自分が見ていたものとは全く違う、完全に凶暴性をむき出しにした姿を見て後ずさった。
ほのかは、牙を剥くインベスを見て、もしかしたらというさっきまで抱いていた迷いを捨てた。結局、大きいインベスはみんな凶暴なものなのか。真姫の話を信じないわけではないが、今はおとなしくさせられる状況ではないと構えた。
「西木野さん。ほのかの後ろにいて」
「あなた、いったい何を――」
「――危ない!」
真姫を庇うように後ろへ誘導する穂乃果へ、インベスが咆哮を上げながら走り出した。ほのかは、真姫を押しながらインベスの進行方向から逃がす。そして、そのまま突進するインベスを受け流した。
が、インベスの突進を逸らしたほのかは、インベスの進行方向にピアノがあるのを見て、インベスを止めようとする。インベスがぶつかれば、ピアノは確実に壊れてしまう。ほのかはインベスを掴もうと手を伸ばす。しかし、インベスの丸く堅い甲羅を掴むことができず、すり抜けてしまった。
勢いを流されたインベスは、そのままピアノへ突っ込むと思われた。
「あっ」
ほのかと真姫が思わず声を上げる中、しかし、突進したインベスは、ピアノを前につんのめった。
ピアノの目の前で倒れたため、ピアノは無傷。
ほのかは、ほっと胸をなでおろすとともに、立ち上がった。
「いまだ、チャンス!」
「オレンジスカッシュ!!」
ほのかは、大橙丸を呼び出すとともに、オレンジの髪飾りを一回はじく。
それによってエナジーが、大橙丸の刃に蓄積される。大まかな三つの技のパターンの内、最もエナジーの必要量が少ない『スカッシュ』は1秒足らずでエナジーの蓄積を完了した。
「せやぁぁぁあああ!!」
転倒したインベスが立ち上がろうとしているのを見て、ほのかはインベスの横に移動する。インベスの腹部にオレンジ色に輝く刃を当て、ピアノから引き離す。
そして、十分離れたところでほのかは大橙丸を振り抜いた。
ほのかの切ると言うよりは押すような動作で放たれた斬撃は、インベスを後方へ押しやると同時にインベスが押しとばされた先の空間にクラックを開いた。そして、インベスは、そのままクラックの向こうへ消えていった。
インベスがほのかの振るう刀によって消える姿を見ていた真姫は、インベスがさっきまでいた空間を見つめていた。
彼女は見ていた。
あのインベスは確かにほのかへむかって牙を剥いた。
戦う意思を示したように見えた。
でも、ピアノに突進しそうになって、壊しそうなことを悟って止まった。壊すまいと、ピアノを避けたのだ。
あのインベスは暴走なんてしてなかった。ただ、怖くて警戒していただけなのだ。
ここに来たのだって、本当にピアノを、歌を聴きに来ただけだったに違いない。
なのに・・・・・・。
「ふぅ。これで一件落着、つかれたー」
真姫は、一仕事終えたかのように脱力するほのかを見る。
この人が来なければ、こんなことにはならなかった。
これからも誰にも邪魔されることなく、一人と一匹、心地よい時間を過ごせるはずだったのだ。
しかし、あのインベスはもういない。
そして、そのインベスを消した犯人は、罪の意識などかけらも感じている様子はない。
平和な日常をぶちこわした彼女を真姫は、怨嗟を込めて睨みつけた。
「真姫ちゃん。もう大丈夫だよ。あ、でもこのことは本当に内緒にしておいてね。バレたら承知しないーって海未ちゃんうるさくってさぁ」
「・・・・・・れたのよ」
「え、今何か言った?」
「何してくれたのよ!!」
真姫が声を荒らげると、ほのかはビクリと肩を振るわせた。
そんな、予想外の声に驚いたという様子が、真姫をさらに苛立たせる。
怒りを加速させる。
「え? 何って。・・・・・・あの子をヘルヘイム帰してあげようと」
「はぁ、帰してあげる? あの子は、そんな必要なかった。さっきだって、あなたが驚かせたのがいけないんじゃない」
「でも、あのままここに居たら、あの子にも良くないんだよ。だから・・・・・・」
「なによ、言い訳する気?」
「違う! 違うけど、・・・・・・でも」
「あの子にあんなひどいことしておいて、信じられない。あなた、最低よ!!」
真姫は、穂乃果へそう言い放つと音楽室から飛び出した。
出てすぐ、偶然通りかかったひとにぶつかりそうになるが、
「――っ」
穂乃果の前にいた時には、怒りが先行していたためにからだろう。穂乃果から離れてしばらくして、頬を伝って流れるものの存在に気が付いた。
頬に触れると、それが液体で、目から流れ出ていることに気が付いた。
それが涙であることに気付くと、真姫はうずくまって腕に顔を埋めた。
「なんで、こんな……」
そこで初めて自覚した。
たった数日しか、会っていなかったのに。
自分の演奏を聴いてくれる存在が、あのインベスの存在がとても大きくなっていたことに。
どうも、幸村です
って、そうではないでしょう。
なんなんでしょうこれは。
回想だけで終わってしまったんですが......
べ、別にサボっていたわけではないのですよ?
真姫ちゃんのターンでは、こういう話の流れで書こうっていうのがあって、
その話には、インベスとの交流が必要で
最初結構あっさり行くつもりが、書いているうちにどんどん勝手に動いて行ってしまって、このザマです。
それどころか、真姫ちゃんのキャラまで狂い始めて......
なんでしょう。あの、インベスにしか心を開かないぼっちの極アームズみたいな
真姫ちゃんファンの方、たいへんもうしわけありませんでした。
とは言え、走り出したら止まらない。このままの流れで行きますので、よろしくお願いします
次回では、真姫ちゃんは首を縦に振ってくれるのか。
ではでは