distant day/dream 作:ナチュルの苗木
鳴り響く警報が告げたのは、敵の襲来。
摩天楼より遙か上空、空間を引き裂き現れたそれは禍々しい瘴気を纏い、空を瞬く間に浸食していった。それが存在するだけで、周囲の土地は枯渇し、空気は淀み、場は圧力に飲み込まれる。
黒い空に浮かぶ灰色のそれは想像を遙かに越える規模で。これまで大陸を脅かしてきた敵の核としては十分過ぎる脅威であった。
蟲たちの最終到達点にして原点。星そのものを喰らわんとする宇宙外の化け物は、妥当するために用意された機械群とは比べものにもならない質量を伴い戦争を佳境へと追いやった。
鳴り響く警報が告げていたのは、戦争の最終幕の訪れだった。
*
飄々と軽薄に、軽率に、人を小馬鹿にしたように振る舞うその所以といえば、周りの目を気にしてのものであった。自らが仮面を被り道化師と偽ることによって、場の空気を保ち、そして自らをそういった立ち位置に置き本物のヘイトが向くのを避けるという保身の為の行為であった。
他人に嫌われるのが怖いのだ。人間誰しも当然その例に漏れず、当然の感情と言えよう。
ただ彼は、他人よりも少しだけ臆病であっただけなのだ。
また、彼には信頼を置ける者がおり、その者の傘下として動くのは安心できるものであった。正義の旗を掲げ闘う彼らの意義は彼の自信にも繋がったし、何よりも他人の指示で動くというのは気楽なものだ。
自分で決断をしないのは責任が軽くなることを意味し、結論を他人に委ねるのはそこに至るまでの葛藤や拮抗を遠ざけることになる。
彼は臆病であった。そして──弱かった。
精神的にと言えばもちろんであるが、弱さというのは彼の周囲を取り巻く遊技にもあった。
今や日常に当然の如く存在しているデュエルモンスターズという遊技は世界規模で親しまれているものであり、その勝敗が物事を左右するほどまでに大きなものであった。
法にも等しいそれに弱いというのは彼を追いつめた。
そして彼は、目を背けた。
全ては環境のせいであると、周りに気を使わなければいけなかったような環境が遊技の腕に影響したのだと。
全ては条件のせいであると、自分に配られた手札が周りよりも悪いせいであると。
それから──そんな不利な状況に関わらず、大衆のため、『正義』のために動いていることを誇りとし己を保っていた。
『霞の谷』、ソウは強き者、頼りになる者を信仰し服従することで自らの責任を減らし。正義という大義名分で保身に努めていた。
そんな彼が。
自身の楽な居場所を脅かされ、信じる者が異変を来したことで、ここでようやく初めて自らと向き合い、疑問を抱き、自分の意志で何かを決めようとしていたのだ。自身の決定というのは極あたりまえのものであるが彼には大きな一歩であり、人生観を覆すような一大革命であった。
──だが悲しいか、人は決意だけでは変わらない。
緑の少女がそうであったように、決心した直後に劇的に変わることなどないのだ。そこからそれ相応の葛藤があってこそのものだ。
そして幸か不幸か、相手がツカサであったのは、果たして。
自分本位とソウが称したように、相手は“支配者”とまで称される、全てを自分の思い通りにねじ曲げてしまおうという欲深き独裁者であり、そこに情けなどという自身に益のないものは存在しない。
もし彼がソウのように、異常なまでに人に配慮する者であったならば、また違った結果があったはずだ。
人気のない路地。夕闇があたりを染めた路地。
いくらか攻撃の痕が残る路地に、1人の少年が壁に凭れていた。彼のライフポイントが0を刻んだのはもう数刻前のことだった。
──決闘が始まって、数分後のことだ。
無配慮に、無慈悲に、差を目の当たりにされて、彼は何を思うだろう。
そして彼、『霞の谷』使いの決闘者ソウは、自警団『A・O・J』を去った。
*
思えば就寝前からその兆候はあった。
朝目覚めるとともにツカサを襲ったのは言いようのない胸騒ぎと、強烈な違和感。そして、何かの力。魔力と形容できる、詳細のない力の感覚。ただどこから感じるという具体的なものでなく、漠然と周囲にあるような、
言ってみれば空気そのものが力を含んでおり、肌をざわつかせるのだ。
ただ違和感。しかし違和感。気のせいだったり、取り越し苦労だったりというもので片付けられる範囲のものではあったので彼は重大視することはなかった。
それよりも、昨晩の決闘が気にかかっていた。
申し込まれた決闘を、ツカサは真摯に受け止め、そして全身全霊を以て叩き潰した。
ワームを妥当する際に使っていたデッキ調整のままだったのが手伝い、彼は決闘そのものを支配するかのごとく操作し、『霞の谷』を完膚なきまでに封殺した。
元々展開力の低いカテゴリーだ、モンスターをあの手この手で除去すれば当然であるのだが、ツカサのそのプレイングに心残りを感じていた。
決闘が終わってソウとは言葉を交わすでもなく分かれた。そしておそらく、彼はあのまま『A・O・J』から身を引いたのだろう。
あの遠い夢のような世界のそのとおりに、『霞の谷』は表舞台から姿を消したのだろう。
あの世界が現代に顕れるにあたってそれを遵守しようとしていたツカサだ、この事象は当然のものであり、『霞の谷』──ソウが去るのは確定事項であったと言えるだろう。
だが。これでよかったのかと、ツカサは思う。
自分たちは決闘者だ。すべては決闘で決め、そして決闘で語る。だがそれ以前に人間であり、言葉が価値を持ってもよかったはずだ。彼を説得するという選択肢もあったはずだ。
そもそも昨晩の決闘でツカサが彼に語ろうと、伝えようとしたものは特に存在せず。ただ『決闘』のみを遂行しただけでもあった。
ノドカやナギ、イオと関わる中で、ツカサ──この現代に生を受けた
イオと夢を語り合い、ノドカの不安を取り去ろうとしたり、ナギに自分を伝えようとして。
いくらあの世界を守りたかったといえ、何もしなかったのは正しいことだったのかと。
ツカサの内心には引っかかっていた。
半分上の空、何気なくにテレビを点ける。そして、目を疑った。
そこに映し出されていたのは、灰色の空──否、黒い空に浮かぶ灰色の
「──っ!」
直後、ツカサは窓のカーテンを開けた。
窓の外に広がるのはテレビの中と何ら変わらぬ光景。ありふれた慣れ親しんだ街と、そしてどこまでも異様で禍々しい灰色の空。
この街全土に被さるようにして、重々しく圧がかかっていた。
思い至る。目覚めから、いや、昨晩から感じていた違和感の正体は──魔力の正体は、これだったのかと。
偶然か間もなくして携帯端末が着信音を鳴らした。相手の名はシン。ツカサはすぐに通話表示に触れる。
『ツカサくん、テレビは──外の様子は見ているかい?』
シンの口調は平坦なものだった。例え機械を通してこの状況を知っていたとはいえ、実際に目の当たりにしても取り乱していないというのは意外であった。
いや、取り乱していないというのは不適切、そこに恐怖の色が一切なく、変わりに微かな興奮が感じられた。
「まさか……本当に、起こってしまったんですね」
『ああ。大陸を襲ったワーム。現住部族とワームとの抗争、その最終局面──「ワーム・ゼロ」の襲来だ』
*
街で起こる怪現象『ターミナル化現象』。
海馬コーポレーションで開発されていた仮想世界構築プログラムによって創られた仮装世界の事象がこの街に顕れるというもの。
その世界に存在したモンスター同士が決闘において共鳴し、実体化するという怪現象に始まり。
星の外からやってきた『ワーム』が大陸を襲ったように、質量を持った『ワーム』が人の貌で街に顕れ、人々を襲い始め。現住部族による『ワーム』に対抗する同盟の結成がそのまま街でも行われ。次第に決闘という枠を越えてモンスターたちが実体化を始めて。
そして、機械の世界の事象を強制させるかのように人が考えを変えた。
機械の中の世界──そして、ツカサの知る確かに存在した1つの世界に
始めこそ実体化したワームは決闘を通して人を傷つけるという回りくどいやり方を行っていた。モンスターなのだ、ただ人を襲うならば実際に攻撃した方が早い。だがあくまで『ワーム』は
だが現象が続くにつれ、精霊の実体化という決闘の枠組みを越えてのものとなっていた。精霊としての『ワーム』が決闘に関係なく、人に直接攻撃を加えるようになったのはツカサが身を以て知っている。
その流れを踏まえて、この状況は想像できなかったものではないが、可能性としては半々というものであった。
現象が進行しているのならば、いずれ事象が似た形でなくそのまま起こることは可能性にはあった。だが『ワーム・ゼロ』の出現がそのまま起こるなど、この世界に生きていて誰が思おう。あの世界を知っているツカサであろうとも、この世界の常識を知っている今、モンスターが実体化して顕れるなど非現実的なものなのだ。
それも、『ワーム・ゼロ』という下手すれば小さな惑星規模のものが実体化し、実現するなど考えにくい、あるいは考えたくない。
『さて、電話口ですまないね。初めまして「A・O・J」の諸君。本当なら実際に会って話したかったのだが、私は今そちらには行けなくてね。ツカサくん、わざわざ全員を集めて貰って悪かったね──いや、1人足りないのだったかな……』
廃工場、例の集会所にはこの現象に関わる者全員──ソウを除いて──が集められていた。机の上に置かれたツカサの携帯端末を囲むようにして一同がソファに腰掛ける。
誰もが深く腰掛けることなくどこか浮き足立った様子であった。皆上空に顕れた『ワーム・ゼロ』に脅威を感じとり、神妙な面持ちでツカサの端末から出るシンの声に耳を傾けている。
「御託はいい、さっさと始めろ」
1人足りないという言葉に反応してか、あるいはただ急かしているだけなのか、エースが声を荒げた。
彼の顔に現れていたのは焦り。敵を前にして手を拱いている現状が耐えきれないのだ。上空という視認できる範囲にいる敵に早急に手を打ちたいのだ。
『君たちを集めたのは他でもない、「ワーム・ゼロ」を倒すためだ』
その言葉に一同が息を飲んだ。
『「ワーム」の襲来に対し現住部族たちは同盟を組み立ち向かった。そしてこの「ワーム・ゼロ」を倒すことで戦争は幕を閉じた。君たちには
「……策があるのか?」
『ある』
不本意ながら、といった体で問うエースに返されたのは肯定だ。
『ツカサくんの説は聞いた。実に面白い。端末世界で重要な役割にあったモンスターはこの世界に元々存在したカードの中でも特別な扱いで、自発的に実体化できるというね。ツカサくんの「ナチュル・ビースト」とナギさんの「氷結界の虎王 ドゥローレン」が実体化出来ると言うじゃないか。なんで今日まで黙っていたのか問い詰めたいね』
任意の実体化についてはここにいる全員に伝わっていることだった。ツカサとナギの意向で話さずにいたものだが、結局『A・O・J』の面子にはエースが話してしまったらしい。
シンには『ワーム・ゼロ』の襲来に伴って話したものだが、飲み込みが早く、動じることなく理解したようだった。
『まあそんなのは今はどうでもいい。つまり、だ。「ワーム・ゼロ」も
シンが挙げるのはあくまでこの世界の規則に則った解決方法だ。
「『ワーム・ゼロ』を実体化している決闘者って……そんなことわざわざするやつがいるのか!?」
横でイオが疑問を口にした。
『……あくまで可能性だ。いるかもしれない、それだけだ。だが私はいると見ている。ツカサ君たちがモンスターを実体化できるのが本当ならば、実体化できるモンスターが
「『ワーム』の最終形態……そんなやつをわざわざ実体化する決闘者がいるってことは……」
「──これまでの『ワーム』の実体化にも関係しているのかもしれない」
イオの言葉をツカサが引き継いだ。
『そうだ。もしこの説が正しいならば、この街の防衛は完遂するだろう。端末世界においても、ゼロを倒して全ては収束している。十分に有り得る話のはずだ』
私の研究にも非常に有益だ、そんな呟きが通話口から微かに漏れる。
『まあ、そうでなかったなら……エース君、君の「A・O・J ディサイシブ・アームズ」で直接撃ち滅ぼしてくれ。残骸による被害は否めないが、緊急事態だ、人は避難させるから承知してくれ』
「避難
『仮にそれをしてどうする。信じる者など誰もいないさ。いても少数、仮に全市民が信じたとして、混乱は避けられないぞ。この街の住民全員が退去、セキュリティが24時間巡回することになる。そんなことをしてみろ──
──折角の「現象」が、台無しだろう』
「なんだと!?」
冷たく言うシンの声にエースが憤慨する。立ち上がり、机を叩く。
「ふざけるな……! お前の研究で街の住民が危険に晒されていたというのか!?」
『まあ──そうだな』
肯定。電話口で彼の表情は伺えないが、口調は酷く冷たいものだった。
『勧告自体を規制したのは私だ。私の研究のためにこの街の環境を維持する方向にしている。「ワーム」の襲う大陸から原住民が退去しては端末世界とは大きく違えてしまう』
「ふざけ──」
「エースさん、落ち着いてください。僕もシンさんには思うところがあります。ですが、この現象がデュエルターミナルをなぞらせるものだというならばこれも強制されたものと言える。仮に注意を促しても現状は変わらなかったかもしれないし、現にエースさんが広めようと動いても変わらなかった。そうでしょう?」
彼を治めるようにツカサは言う。
そう、だからこそ彼がこの世界に『A・O・J』を設立するに至ったのだ。全てが強制力とも言えよう。機械の中の世界が──かつて存在した1つの世界がこちらの世界に干渉した結果だと。
「……ちっ」
数秒睨み合った後、エース苦々しい顔で投げやりにソファに座り込む。
『まずはその決闘者を見つけることだが、これが一番問題だ。モンスターの操れる範囲など全く以て未知の領域だからな。特定する方法がない。ワームの出現位置から割り出せないものか。
こちらでも少し調べてみる。一度待機していてくれ』
具体策を提案するも実行には至らないと、そうシンは通話を終えてしまう。
静寂に通話の終了を意味する電子音が鳴る中、口を開いたのはエース。鋭い眼光がこちらを射抜くように向けられていた。
「おいツカサ! お前はあいつが警察を止めていたのを知っていたのか!?」
「……はい」
ツカサが頷くと、エースはいきり立つ。そしてツカサに近づくと胸ぐらを掴んだ。
「……落ち着けエース。あんたも現象の影響で気が立ってるんだ。『A・O・J』はワームとの抗争の中で段々正気を失なってきている。その影響を受けて──」
「だからなんだ、現象がどうした! 人を守るべき立場の者が出来ることをしない理由にはならない!」
「それが本当に出来たことなのかって言ってるんだ! こっちの世界があの世界を擦っているなら結局は……!」
「やめろよ2人とも!」
「らしくないぞ団長!」
2人のやり取りと見かね、イオとケンが声を上げた。
「……少し頭を冷やしてくる」
エースは雑に手を離すと舌を打ち部屋を出て行った。ヒメがやや迷うようにした後、彼の後を付いていった。
「本当に何があったというのだ、うちの団長は。ここ最近ずっとあんな調子だ、切羽詰まったというか、俺が入団したときとはまるで別人だ」
ケンが独り言のように言った。そこへツカサが問いかける。
「本当に、最近からなのか?」
「……ああ。最近だ。一貫して冷静だった団長が今じゃああだ。ヒメの心配も無下にするし、多分ソウも……」
それきりケンは口を噤んだ。
やはり、エースの変化は現象の影響と見た方がいいだろう。正義の同盟『A・O・J』は長い戦いの末に手段を選ばないようになり、それに疑問を抱いた部族が脱退したと把握している。それが『霞の谷』で、今正にあの世界を再現していると言えた。
「ツカサさん……私たち、どうなっちゃうんすか?」
怯えたように問うのはフレ子(仮称)。
大丈夫だ、と彼女の頭に手を載せる。あの世界を擦っているのだ、おそらく、ここはどうにかなるのだろう。やるべきことさえ出来ていれば。
ただそこで不安を抱いてしまうのはツカサも同様だった。ツカサ、『ナチュル』が歴史の表舞台に立つのはワームの大戦以降、ここで自分の出来る『正解』を彼は知らない。
ツカサは周囲の仲間を見やる。正解がないのは彼らもだ。
イオ、ノドカ、ナギ。『ジェムナイト』『ガスタ』『リチュア』。ツカサが今行動を共にする彼らとあの世界で関わりを持ったのはもっと後のことだ。
そう、ツカサが一番問題視すべき悲劇はもっと後のことなのだ。
ノドカ、ナギ。ウィンダ、エリアルを。今度こそ、守らなくてはいけないのは。
「……『ワーム』の使い手だけど、割りだせるかも」
出し抜けにナギが呟いた。
「出来るのか?」
「……ん。まあ、2人で魔力を辿るだけ」
それは単純な手段。単純で明快で初歩的な、一度考慮して却下した案。
「辿るって言っても、『ワーム・ゼロ』の影響範囲が広過ぎる。魔力が閑散し過ぎてて……」
「それでも、決闘者は魔力の供給源だから流れが少し違うはず」
だから2人で探し回ればもしかすると、とナギは言う。虱潰しに探そうと言うのだ、非効率的な案だったが、現状できそうなことは結局それしかなかった。
「わかった、行こう」
「──私も行く!」
その声の主は、意を決した顔でツカサを見つめていた。
ノドカだ。モンスターを実体化できず、魔力のようなそれを感じ取れない彼女だが同行の意を伝えていた。
「……ノドカはここで待っていて欲しい。魔力が解る僕とナギで見てくるから……」
ノドカには何も出来ないのだと、暗に言っているものであった。だが彼女は引かず真剣に言う。
「それでもっ……私も一緒に行きたい!」
『ワーム・ゼロ』が上空にいる現状に彼女を連れ出すのは気が引けた。それが彼女のためであったし、そしてツカサ自身のためであった。
ノドカだけは連れていけない。それがツカサの考えであったが、そこへ──
「──なんだか俺まで置いて行かれそう流れだなあ。俺たちだって仲間だ、何も出来なくったって、一緒に行かせてくれよ」
イオが言った。
どこか笑ったように、かつての戦友『ジェムナイト』は言った。今の親友の少年として。
仲間。そう言われてツカサはたじろぐ。ノドカを守りたいというのがツカサの意志だ。
だが今の行動は、無力だから連れていけないと彼女を突き放すものだ。
はっきり言ってしまえば彼女は4人の中で1人だけ実力が離れており、同時にツカサやナギのようにモンスターを任意の実体化はできない。それを理由にツカサはノドカを遠ざけようとしている。それが、先日彼女から笑顔を奪ったのだと思い至るのだ。
彼女を守るために彼女を悲しませるのは本末転倒だ。
「じゃあ、行こう」
そうツカサが告げるとノドカは目に見えて嬉しそうに頷いた。
*
「どうだ、何か見つかった?」
「正直、全然。ツカサは?」
「こっちもだ。そこら中から魔力しか感じない」
街を徘徊し始めて少しの時間が経ったが、特に進展はなかった。普段との差と言えば、人の姿がほとんどないことだろうか。
どうやら街の中心部、発展区画では避難勧告が出ているようで、セキュリティの巡回以外の人間は住宅街か旧市街への避難令が出ているらしい。
今まで無かった避難令が出ているのは、それが出さざるを得ないものになったからなのか。あるいは『ワーム・ゼロ』が出現に伴い関係者以外は無用だとシンが判断したのか。
狂気的なまでにあの世界を研究する研究者だ、後者も十分にあり得た。
ツカサたちはセキュリティの目を避けつつ街を探索していく。
そしてだ。
蟲が動きを見せたのは。
灰色の空。あまりにも巨大なそれに、異色の物体が覗く。遙か上空の灰色の中に点々と、赤や青、黄、紫と多種の色が浮かび上がる。
そして多彩な点は、ゆっくりと──
「あれって……ワームの精霊!?」
一番にそれに気づいたのはノドカだった。魔力のみに意識を割いていたツカサやナギは言われて空を見上げた。
そして目を、見開く。
蟲の王──いや、蟲の始祖とも言えるそれから湧き出るようにして、無数のワームが地上に降りてきていた。
「ツカサ! なんだよあれ、ワームを……生み出してるのか!?」
「『ワーム・ゼロ』──言ってみれば、ワームの親玉だ。そんな、これじゃあ街中にワームが……!」
次第に辺りから声が上がる。巡回していたセキュリティのものだ。飛来してくる実体化したモンスターに悲鳴を上げていた。
「ツカサ! これはさすがに、ダメ」
ナギもまた、表情にその異常性を表していた。
混乱が場を飲み始めていたそのとき。不意に、魔力が揺らいだ。
反射的にそちらを見る。視界に映るはビル街。内、際立って高いビル。おそらくこの街で一番高いであろうビル、その最上部において一瞬だが魔力が強まるのを感じ取る。
「……ねえ、今の」
「ああ」
同じく感じ取ったであろうナギに頷く。
魔力はビルの最上階──屋上から更に上空の『ワーム・ゼロ』へと向かっているように感じられた。意識してみれば尚更、微かに黒い何か──黒い瘴気のようなものが上へ
「一旦引こう。『ワーム』の出現は想定外過ぎる、立て直したい」
そうしてツカサたちは拠点、『A・O・J』の集会所である廃工場まで引き返すのだった。
*
「ツ、ツカサさん! 空から、ワームが!」
工場でツカサを出迎えたのはサイドテールを弱々しく揺らすフレ子(暫定)だった。
そして屋内に入ると、テレビには実体化した『ワーム』が映されていた。防衛を試みたセキュリティが数名負傷し、現在は対策を考じているところだという。
実体化したワームは街の中心部のみに降り立っていた。今のところそれ以外には出現しておらず、この工場のある工場区画には『ワーム』はいないようだった。
だが、上空には変わらず『ワーム・ゼロ』が存在している。その規模は工場区画や住宅街、旧市街にも被さっている。いつまでもここが安全だとは思えなかった。
そこへ息を切らしたケンが駆け込む。
「おいツカサ、うちの団長がワームの決闘者の位置を割り出したぞ!」
「やかましいぞケン。まだ絞り込んだだけで可能性だ。それにこれじゃ──あてつけだ」
遅れてやってくるエース。その腕に抱えられたのはノートパソコン。
「今しがた顕れたワームの雑魚どもだが、街の中心部にしか顕れていない。そして、それはとある建物を中心にして展開されている」
エースが見せたのは街の地図。そしてワームの降りたった範囲を表示する。都市部全体を襲ったわけでなく、『ワーム』が降りたっているのはとある建物を中心とした部分。
その建物は、ツカサたちが異常を感じたビルだった。
「そのビルで間違いない」
「どういうことだ」
断言するツカサにエースが問う。
「魔力……のようなものを辿った。さっき一瞬だけ強くなった。多分魔力を供給してる決闘者がそこにいる」
「なんだと、そんなことが出来るなら──まあいい。ならさっさとあの研究員と話を繋げ。ひとつ確認したい。結局多くを知るのはあいつだけだからな」
現象は機械の世界に準じて動いている。
それを受け入れた上で、シンに確認があるとのことだった。
「俺のディサイシブ・アームズで直接叩くのでは駄目なのか? なぜ決闘者自体を倒すなどという回りくどい手をとる」
『……構わないが、主砲で討ち滅ぼす場合破片が街中に散ることになる。ゼロがどういう構造をしているのかは不明だが……どんな結果かになるかはわからないな。それに、ディサイシブ・アームズとゼロは多大な被害の末に勝敗を分けている。ほとんど相討ちのようなものだ。私のいる研究所に被害がないのなら推奨してもいいのだがね。大元の機械があるんだ、これに危害がでる手段は止めて欲しいものだが。まあ──
──君の守りたがっていた街がどうなるのかを、念頭に入れてくれ』
シンの答えは実に自分本位なものだった。だが同時に、それはエースが踏みとどまるに十分な理由であった。
守ろうと動いた上でその守ろうとしたものを傷つけるというのは本末転倒だ。
『まあ話題を変えるが、このタイミングで連絡を寄越したのは丁度よかった。
先ほどカードのエネルギーとして感知をかけた結果、ある一帯だけ高いことがわかった。そこを調べてみてくれ』
そしてシンが示すのは、ツカサたちが魔力の淀みを感じ、エースが絞り出した地点と同じ箇所であった。
とある企業が身を置く変哲もないビル。高いだけが特異点であるそこに──一番空に近いそこに、『ワーム』使いはいると3つの意見がまとまった。
*
「ノドカ」
空き部屋に1人でいた彼女。ツカサが後ろから声を掛けるとノドカは一瞬だけ肩を跳ねさせ、そして振り向きこちらを視認すると安心したように顔を緩ませた。
「どうしたの急に。脅かさないでよ」
「……」
その笑みを見て、これから伝えようとしていたことに罪悪感を覚える。
「これから『ワーム』のところにいく。ノドカは──待っていてくれないか?」
それを告げて、見る間に彼女の顔が曇っていくのがわかった。
「どうして──ナギちゃんは一緒に行くんでしょ? なんで私だけ……。弱いから? モンスターが実体化できないから?」
「……」
絞り出すように吐かれた言葉。それは、そのとおりで。
頷いてしまうことは彼女をまた思い詰めさせてしまうことになり、肯定ができなかった。
だが沈黙もまた、肯定であった。
「……ごめんね、私、ツカサくんのこと困らせてるよね」
「そんなこと……っ!」
沈黙の末に彼女は、微笑んで言った。いつも彼女が見せるような、困った風な笑い。
だが、その笑顔を見てきたツカサには作り笑いだと判った。判ってしまった。
「大丈夫、待ってるから。おとなしく、もう邪魔しないから」
「違う、そうじゃない、そうじゃなくて」
邪魔だと、彼女の口から出た。いや──出させてしまった。
「そうじゃない! 邪魔なんて、そんなわけあるか!」
彼女を邪魔だと思ったことはない。否定しようとするが、言葉が出てこない。
決闘のように、迷い無く
何をどう動かせばいいのかがわからない。これまで決闘だけに全てをつぎ込んできた結果だ。周囲と関わり始めた今でも結局疎いままだ。
決闘はそれなりでも、こっちはずぶの素人だった。
だから──素人のように、
「ノドカが大事だからだよ!」
「えっ……」
「ノドカのことが大事で、守りたくて、傷つけたくないから。だから、安全なところにいて欲しいんだ。確かにノドカが戦力になるかって言われたら怪しい。『ワーム』の人型自体強くなってるから。だけど、邪魔なんて思ったことはない! 今の僕にはノドカを守れないのが一番辛い、ノドカが傷つくのが何よりも嫌だ」
「えっ、ええっ」
戸惑うノドカを真っ直ぐ見て言う。
「だから、待ってて欲しいんだ」
言葉を切ると、彼女は俯いてしまった。そして、
「わかった。……待ってるから」
小さな声でそう言うと、ツカサ胸に顔を押し当てた。
一瞬だけ見えたその顔はどこか赤い気がした。
*
「そうだ」
去り際にツカサは1枚のカードを取り出す。
「これ、あげる。デッキに入れてもいいし、入れなくてもいいし」
急に気恥ずかしくなったツカサは乱雑に渡すとそっぽを向く。
ノドカは渡されたカードを見る。『煉獄の落とし穴』。ツカサのデッキ最強の落とし穴である。
「これって、結構レアなカードなんじゃ……どうして」
「何枚か予備あるから。……なんて言うか、ほら、御守り。僕がいないときでも守ってくれるように」
──守れなかった過去があって。
今度こそは、守りきると。
カードを渡すのは、せめてもの想いだった。
「……じゃあ、わかった。待ってるから」
「ああ。……でもそうだ、いざっていうときは、ノドカが他のやつを守ってくれよ」
彼女も決して弱いわけではない。ヒメやフレ子よりは実力者であるとツカサは認識していた。
だから、決して無力でないと言い含めて。
「えっと、えっと、……じゃあ、えへへ。いってらっしゃい。帰ってきてよね」
「……いってきます」
はにかんだ彼女を微笑ましく思いつつ、ツカサは工場を後にした。
*
『実体化しているワームも出てきている。気を付けてくれ。それと、今から数時間警察を撤収させる。マスコミもだ。君たちのことが世間に公開されても不都合だ。主に私の研究にね。
一帯の監視カメラの類も電気ごと止めよう。世間のサイコデュエリストへの偏見もまだ払拭されきっていないからな、その間ならばモンスターは好きに実体化させてくれ。まあ、以上だ』
そうして街へ踏み出すのはツカサ、ナギ、イオ、ケン、エースの5人。
「まあ、無茶はしないように」
「あなたが言うの」
「茶化すなよ。……エースさん、いいですか?」
「……。俺も馬鹿じゃない。流石に被害が広まるとわかってディサイシブ・アームズを嗾けたりはしない」
そして後の2人を見る。
「ケンは実体化できないんだよな?」
「ああ。『総剣司令 ガトムズ』なら出来るとのことだったが、すまん。俺には無理のようだ。だが我がライバルであるお前が行くのだ、俺が行かないでどうする。決闘の腕だけなら力になれるぞ!」
「ツカサのライバルは俺だろ!? ……俺も実体化とか出来ないけど、まあ、ケンと同じだな。俺なりに出来ること、やるからハブらないでくれよ」
「ああ。頼む」
彼ならば背中を預けてもいいだろう。かつて戦場で肩を並べた『ジェムナイト』の戦士を思い浮かべ、ツカサは頷いた。
そして、各々に想いを秘めて『ワーム』のいるビルを見据える。
『さあ、ワームとの大戦の幕引きだ。諸君、良い報告を待っているぞ』