distant day/dream 作:ナチュルの苗木
深く深い、蒼い瞳が何を想うのかわからなかった。
どこまでもどこまでも。澄み切っていて、見ているだけで沈み込んでいくようなその瞳が何を宿していたのかは結局わからず仕舞いだったけれど、それでも同じ想いであることは間違いなかった。
幼い頃。何も知らずにただ笑い合ったあの日々。幸せだった時間。
そう、あのときまでは、きっと。
彼女はその夜まで隣にいた。
黒い少年は森へ、緑の少女は湿原へ。そして──青い少女は。それらとはまた異なった事情の場所へ。彼らは道を違える。
「もう会えなくなっちゃうんだよね。……嫌だよ、せっかく仲良くなれたのに、離ればなれなんて」
蒼い瞳は涙で歪んでいた。今にも泣き出しそうな顔だったが、そんなときでも少女の眼を綺麗だと思ってしまったのはよく覚えている。
「もう会えないわけじゃないんだから、そんなこと言わないでよ」
「そうだよ。私も、ツカサも。きっと会いに行くから!」
約束だよ、と3人は童心にも誓いあった。
月日は過ぎて、実際彼らは少女を訪ねた。
そしてまた、笑い合った。
──これから起こることなんて、何も知らずに。
最後まで。最期まで。蒼い瞳の向こうに何があるのかは、わからなかった。
*
「そうか、私のいない間にそんなことが……くそっ」
事の顛末を語り終えたツカサに対し、シンは口惜しそうに言った。
それは心配や危惧といったものではなく、自分がその場に居合わせなかったことについて──現象に立ち会えなかったことに対しての無念であるのは察せられた。
いささか不謹慎であるとツカサは僅かに眉を顰めた。
それを全面に出さなかったのは、その軽い反応がシンに限ったものではなかったからだ。
事が起こったのはつい昨日のことだ。ツカサたちは自警組織A・O・Jとともに、街に潜み人々を襲うワームの人型、その捜索及び撃退に努める例の活動を行っていた。成果こそかつてないほど良いものだったが、その終了時に問題は起こった。
ツカサたちは大量の
ここ数ヶ月起こっている襲撃事件の被害者は全て決闘者。それは街に出没するワームの人型が、 決闘を通して人を傷つけていたからだ。決闘者としてのワームはサイコデュエリストのごとくモンスターを実体化させ、決闘相手に質量を伴った攻撃を加える。
だが昨日ツカサたちが襲われたワームたちはそれとは別──決闘者としてのワームでなく実体化したモンスター、精霊としてのワームだったのだ。ワームはこちらの言語を用いる様子もなく、生身の人間を物理的に襲ってきた。決闘というゲームのルールに縛られることなく、物理的に襲ってきたのだ。
それも、現在ワームと敵対する全戦力が一カ所に集まり、油断していたタイミングで、だ。加えツカサたちはワームが取り囲む位置へと追い込まれるように動いていた。いや、動かされていたのかもしれない。それは正に、誘い出されたようだった。
昨日のそれは異例であったし、また今までにない知能を見せたときでもあった。
そして。周囲を囲まれた窮地を救ったのは、同じく実体化したモンスター『氷結界の龍 トリシューラ』だった。
それは『氷結界』が封印していた、強大な力を持つ龍。かつてあの世界において猛威を振るった伝説の龍。
この世界においての『氷結界』使いであるヒメが家系に伝わるカードと言い、そして行方を眩ましていると語ったカード。
三首の氷龍は冷気の力でワームを破壊すると、その身を消したのだった──。
「現場の損傷は?」
「ワームの攻撃で壁が砕けたくらい、ですかね」
「そうか、まあそれはよかったんだろう。事が公になるのは免れたか」
彼は事件を秘匿する。自身の目的、デュエルターミナルの研究を円滑に進めるためという、なんとも利己的な理由のみで。
それを暗示するように、彼は人の安否は確認しようとしなかった。
「……まあ、意外とみんなケロっとしてますよ。強いやつばっかで、驚きます」
ツカサは半ば独り言で仲間の様子を語った。
実体化したワームによる、物理的な強襲。
それを体験した彼らの反応もまた、意外なものだった。恐怖に染まるでもなく、絶望に打ちひしがれるでもなく。
彼らの中には更なる闘志を燃やす者はいれど、心を病ませる者はいなかった。
シンほどでないにしろ、皆この事を簡単に受け入れてしまっている。
唯一。重く捉えているのはツカサだけだ。だから、軽薄な彼を責める姿勢は見せなかった。
やはり『考え過ぎ』なのだろうか。
ツカサはあの世界でかつて起こった大戦を知っている。ワームが何をしたかも。どれだけの命を奪ったかを。
周囲とは条件が違う。彼だけが前世とも言えるだろう別世界の記憶を持っている。持たない彼らの中、異端なのはどうしてもツカサだ。
悲観的なだけ、なのだろうか。
「他に何かあったらまた報告してくれ。デュエルターミナルのモンスターが実体化してるのは確か。あの世界の導きがあるのも確か。進展を、待ってるぞ」
あの世界とシンは言う。
機械の中に生まれた仮想世界。生まれ、栄え、争い。滅んだ世界。
端末世界と。デュエルターミナルと呼ぶその世界と。
ツカサの言う世界は。ツカサが生まれ、出会い、育み、失った、記憶は。
──果たして、同一なのだろうか。
*
研究所から出れば雨が降っていた。時期も梅雨。この国において雨の多い季節だ。
ツカサは傘を刺し、街を歩む。
雨は嫌いだ。いや、雨自体は嫌いではないのだが、行動が制限されるのは辛い。雨が降っていると人は十全の動きが出来ない。足場も視界も優れない。よって、それだけでツカサの行き先は限られる。大立ち回りはできないだろうからワームの捜索は控え、自然と屋内へ足は向かうのだった。
暇を潰せる店舗へと。
ツカサが入店したのは書店。全国的にチェーン店を構えている大手書店だ。駅に隣接する大型集合店舗、その一角。
──雨の日に行く店は他にもあるだろ。そんな言葉とともに思い浮かんだのはカードショップの店長の顔だが、まあ、そんなもの、知らない。人に変な渾名を付けて広める中年に会いにいく暇ではないのだ。ツカサは男の顔を頭から追い出す。
多種の店が構えるその商業施設において、書店は雨でも客は少なくない。
雨が降っているゆえに時間を持て余し、近場の書店でも……とここを訪れるのはツカサだけではないということだ。
一般文学コーナーにて、適当な本を見繕う。
ふと、興味を引くタイトルに手を伸ばしたときだった。その手が──他人のものと重なった。
背表紙を追うのに集中していたせいか、すぐ近くに人がいるのに気付かなかった。
「あ、すいません」
「いえ、こちらこそ」
無難な言葉とともに頭を下げつつそちらを見ると──
──そこにいたのは青髪の少女だった。
ツカサは動きを止め、少女の様子を窺う。
服装こそラフな、いやかなり崩した、装飾の目立つ若者じみた格好であったが、確かに少女は先日見た学生服の青髪の少女であった。
彼の知る少女を想わせる、どこか無気力で──蒼い瞳の少女だった。
彼女もまた、ツカサと同じように動きを止めた。
「……なんでいるんだよ」
やや無言の時間が流れた後、ツカサの口から出たのはそんな言葉だった。
驚きの声ではなく、相手の素性や目的を問うのでもなく、どちらかと言えば、呆れだろうか。
最初の接触は大会の会場だった。そして、つい昨日の襲撃。どちらも大きな事象の最中であった。ツカサとしては、彼女はこちらに対し身を隠しているとばかり勝手に思っていたのだが。
それがこんな偶然、日常の中でふと顔を合わせることになるとは思っていなかったのだ。
抱くのは拍子抜け、だろうか。
彼女もまた気まずそうに目を逸らし、
「いや、だって、ほら。雨降ってるし……。私もこの街に住んでるから、ここくらいしか来るところないし……」
なんだか言い訳がましい彼女の表情は、しまった、うっかりしてた、そんなものを含んでいた。
というか、ツカサと同じ理由だった。
互いに言葉を失う中、ツカサは渋々口にする。
「まあいい。あんたとは一度話がしたかったんだ」
──ずっと、話がしたかったんだ。
それはおそらく彼女でなく、彼女によく似た容姿の少女への想いだった。
かつて、あの遠い世界で。ある時を境に別れてしまった、とある少女への想いだ。それを引き起こしてしまうまでに、彼女は瓜二つの外見であった。
緑髪の少女、ノドカと同じく。青髪の少女、彼女もまた、ツカサの知る少女と酷似していたのだ。
*
話がしたい。そう言ったツカサに対し、彼女はあっさりと了承した。
『──なら、行きたい場所があるの』
少女はツカサをやや見定めるように見たあとそう告げたのだった。
そして連れてこられたのは──
「──このケーキセットを下さい」
彼女は言った。無表情で、注文表を手に。
「はい! カップル限定 ケーキセットですね!」
そして顔を会わせるのも3度目になる店員さんが元気よくが応えた。
──連れていかれたのは、例のファミレスだった。
ノドカと何度か訪れている、例のファミレスだ。
そして注文されたそれは、例のケーキセットだった。
ノドカと何回か食べている、男女の番に限定されるケーキと紅茶2組の例のセットだ。
ツカサは一瞬だけ固まる。
この少女は何をしれっとした顔で、初めて会うような相手、それもまだろくな会話すらしていない相手とカップルを名乗っているのだ。
問題なく注文は認められる。あたりまえだ、男女2名の客がいればそれは注文できるのだから受理されない理由などない。だがそこに──問題はあった。
店員さんの顔を見ると、そこには『二股ですか』との非難の色が見え隠れしていたのだ。以前ノドカと訪れているのはしっかりと覚えているようだった。
(どっちも付き合ってないんだよなぁ……)
ツカサは内心で呟きながら顔を逸らした。
雨と言えど休日、そして昼時となれば人は多い。彼女との対談はそんな、緊張感の欠片もない喧噪の中で行われるのだった。
注文を終えた彼女はこちらの様子に気付いたように口を開く。
「これ1回食べてみたかったの。……迷惑だった?」
「いや、別に……」
正直、止めて欲しかった。これでもツカサはある程度名も知れた存在。二股なんて情報が出回るのには抵抗があった。ただでさえ痛々しい渾名が出回っているのだ、これ以上変な風評は勘弁して貰いたい。
女性を弄ぶ『
少女の顔を見る。無表情ながらも魅力を感じる整った顔だ。そして、目を見つめる。
やや座った、何を考えているのかわからない深く蒼い瞳だ。
ツカサのよく知る、瞳だ。
──深く、深く。透き通った。底の知れない瞳だ。
彼女は僅かに首を傾げると、何を勘違いしたのか注文について説明し始めた。カップル限定のケーキセットは通常のメニューのそれとは異なり、やや特殊なものなのだと言う。スポンジの素材から異なるとのだとか。
外注であるスイーツメニューの中でも、実はこのケーキだけ特別な仕入れ方をしており、知る人からは裏メニュー的位置にあるのだと。それも注文するのに条件があるというのも相まって価値の高いメニューとして見られている。
その筋の者からすればここはファミレスというよりもカフェとした側面が強いらしく、それなりの評価も集まっているのだとか。
どうでもいい。
そんなことを話されても、彼女が甘いもの好きという事しかわからない。
ケーキは外注──つまりはつくる時間はかからない。ゆえにすぐ届けられた。
彼女は2つのケーキを並べ、フォークを手にする。
──どうやら、2つとも彼女が食べるようだった。
「何? もしかして、食べたかった?」
「いや、別にいいよ」
無表情ながらもどこか目を輝かせたような彼女を見て想うのは、安堵や微笑ましさであるが、どうにも気の抜ける状況であった。
この少女とはもっと劇的な和解があると勝手に思っていたのだけれど、どうやらそんなことはないらしい。そこに運命性や物語性はなく、なんだかなし崩し的に関わり始めるようだ。それこそ年相応の男女のように、宿命だったりとそういうものはなんにもなく。
「とりあえず自己紹介でもしようか。僕は
「知ってる。有名人だもの」
興味なさそうに、言う。
「私はナギ。
名乗りにツカサが浮かべるのは、落胆。表情にもやや滲み出る。
彼が想うのは彼女とよく似た少女の名──
「──エリアルだなんて、呼ばないで」
想い浮かべた名が出たのはナギの口からだ。ツカサは目を見開いた。
「あんた、まさか──」
「私の外見が似てるからって、人をモンスターの名前で呼ばないで」
それはツカサの期待を否定する無慈悲な言葉だった。
彼女は先日の呼びかけに対し言っているらしい。去り際に叫んだ、その名前を。──モンスターの名と。
ツカサは視線を落とし、口を紡ぐ。少しでも期待してしまった自分が馬鹿らしい。ウィンダが──ノドカがそうだったのだ、いくら外見が似ようとも彼女──ナギもまたエリアルとは違うのだ。
「変な反応するね。面白い」
くすり、と彼女は笑った。その笑みはツカサの知るそれとよく似ているというのに。
話ながらもケーキを食べる手を止めないナギ。ツカサは様子を見ながら、問いかける。
「あんたは『リチュア』か?」
唐突なそれに彼女は僅かに手を止めたが、すぐに平然とケーキを口に運んだ。
「ええ。私が使うのは『リチュア』。……『リチュア・エリアル』も知ってたみたいだし、詳しいのね」
何でもないように、言う。
案の定彼女は『リチュア』の使い手。『ガスタ』の少女ウィンダによくにた容姿のノドカが『ガスタ』の使い手だったように。『リチュア』の少女エリアルに似た彼女が『リチュア』の使い手であった。
これに一体何の因果があるというのか。
やがて1つ目のケーキを食べ終えたところで彼女は手を止めた。
「それで? まだあるんでしょ」
その瞳はまるで全てを見透かしたようでもあった。
「……目的はなんだ? 僕にはあんたが暗躍しているように見えた。大会のときも、昨日も。あんたは僕たちから身を隠し、遠ざかるように見えた。でも今日はあっさりと、こうして目の前にいる。僕にはあんたの考えてることがわからない。
──その眼が何を見てるのか、わからない」
その問いを聞いている間も。彼女の瞳が何を想うのか、わからなかった。
「私が暗躍してるように見えるのはあなたの主観。世間から見ればあなたたちも一緒。暗躍、してる。目的も多分あなたたちと一緒。ワームを倒したい。それは一緒」
ナギ、彼女は彼女なりの行動理念があるようだった。
「……どこまで知ってる?」
「あなたこそ」
視線が交わる。
睨み合うように、探り合うように。
先に口を開いたのはツカサだった。
「街に出没する襲撃者、その正体がワームだってことは知ってるな? そして決闘において一部のモンスターが実体化することも──」
「──知ってる。決闘外でもモンスターが実体化するのも知ってる。ついでに言えばあなたたちの集まりの全員が、モンスターを実体化させる決闘者の集まりだっていうのも知ってる」
どうやら彼女は最低限──いや、十分な知識を備えているようだった。
おそらくそれは一般の者が辿り着く上限であろう。
A・O・Jの設立者、エースもツカサからの情報提供がなくともそこまでは辿り着いたはずだ。
だがそれ以上となれば、件の当事者でなければ知り得ない。
「じゃあこの一連の現象が、機械の中の仮想世界が起因しているということは?」
「……?」
そこで初めて彼女が驚きを見せた。
ツカサは語ってみせる。機械の中の世界のこと。幾つもの種族が栄えた大陸に、そこに攻め込んだワームのこと。
海馬コーポレーションの叡智の結晶が、街に異常を来しているということ。
デュエルターミナル。ターミナル化現象。ワームの襲撃もモンスターの実体化も、怪現象の一連全てがこれに起因していると。
さすがにこればっかりは無知だったであろう、ナギは無表情を崩して話を聞いていた。
「機械……そう。……そんな話、私にしてよかったの?」
情報の価値に気付いてかナギは問った。
正直ツカサも話し過ぎたとは思っていた。だがこの話をすることで、どこか興味のなさそうな無表情で掴み所のない彼女を僅かでも捕らえられたような気がしていたのだ。
それはおそらく、あの世界で彼女を最後まで理解できなかったことが原因だ。
似た容姿のナギの興味を引けたことで少しだけ、エリアルについて理解ったような気でいたのだ。
「ああ。いいんだ。だってあんたは──ナギは敵じゃないんだろう? 同じ敵を前にしてるんだ、この話はしてもよかったはずだ」
建前ではあったが、あながち間違いでもない。
同じデュエルターミナルカテゴリーの使い手同士、ある程度の情報は共有しておくべきだ。
「で、だ。利害も一致してるんだ、これからは一緒に行動しないか? こっちの素性は明かしたつもりだ。あんたが僕を──僕らを避ける理由はないだろう? 1人で活動するよりは安全なはずだ。どう?」
彼女は──
「わかった。あなたたちと行動をともにする。いい?」
──あっさりと言う。
拍子抜け。拍子抜けもいいところ、あっさりとし過ぎていて、むしろ、わからない。
彼女は2つ目のケーキへと取りかかる。甘味を頬張りどこか幸せそうにまで見える彼女は、年相応の少女そのものだ。マイペースで甘いものが好きなちょっと変わった程度の少女。だが、どうにも納得がいかない。
ツカサがナギに抱いていた印象はそんな軽いものではなかった。
それは彼女によく似た少女を知るゆえか。
遠い世界の記憶がそうさせるのか。
ツカサはその疑念を一旦振り払う。
彼女の立ち位置は重要なことだが、それよりも重大なことがある。むしろここからが本番と言えるだろう。
「まだまだあんたに聞きたいことがあってね。
──昨日の龍。氷結界の龍 トリシューラはあんたの仕業か?」
実体化したワームを瞬く間に一掃して見せた氷の龍。それは実体化した姿で顕れ、強大な力を放っていた。
これまで、ツカサたちは決闘以外でモンスターを実体化させたことはない。回収した精霊だってカードから出せた試しはないし、そもそもその存在すら感じ取れない。
これはあくまでツカサの感覚であるが、昨日の氷龍は人に操られていた。あるいは、人に力を貸していた。
他でもない目の前の彼女が使役していたように、ツカサには思えた。
そして返答は。
「そう。私が実体化したワームを破壊するよう仕向けた」
肯定だ。
「どうやって? 今まで実体化したモンスターは見てきても、僕らが呼び起こすことは出来なかった」
「それは、言えない」
秘密。そう言う彼女はケーキを食べる手を止めない。
構わずにツカサは問いを重ねる。
「……じゃあ、別の質問だ。トリシューラ、あのカードをどこで手に入れた。本来あのカードは『氷結界』が持つカードのはずだ。『氷結界』は家内にはないと言っていた。あんたはあれをどこで手にしたんだ」
「それも、秘密」
短く答え、咀嚼。
「答えてくれないのか?」
「くれない、の」
彼女はやや鬱陶しそうにこちらを見る。
その吸い込まれそうな瞳に、何が秘められているのか──わからなかった。
「僕らは敵じゃないはずだ。そしてこれからは仲間だ。情報の共有くらいしてもいいだろう。さっきだって僕は僕の知ってる情報を出した。……話して、くれないか?」
「わかった。話す」
あれだけ渋っていて、この返答だった。
まるで掴み所がなく、彼女の本質が見えない。
ただ適当な子であるとも言えるし、あえてそう振る舞っているようにも思える。
ツカサは溜め息を吐くと、彼女を見る。
それから自分を落ち着かせる。
疑心暗鬼すぎやしないか。目の前の少女はついこの前まで1人でワームと闘っていたはずだ。そこへ得体の知れない集団が勧誘に来ている。……そう思えば、無理もない。むしろ不躾なのは自分だ。
自分は彼女と似た容姿の者を知っているだけで彼女については大して知らない。
彼女は、何も知らない。大会等の上辺だけの情報は入っていても不思議ではないが、こちらの内情は何も知らないのだ。
「話す。けど、その前に私も確かめたいことがある」
話すと言っておきながらもなお渋る彼女だが、見方を変えれば用心深いだけだ。こちらを信用していいのか、おそらくそうだ。
なんだって答えよう、そんな気でいたツカサ。信用を得るのは簡単なことではない。いっそノドカも交えて打ち解けるところから始めようかと、今更ながらも普通の女の子として相手取りはじめたのだが。
「あなたは『ナチュル』なの?」
「……?」
確認と。彼女問いの意図が見えなかった。
「ごめん、どういう意味?」
「……デュエルターミナル? のカテゴリーをさっきあなたは言った。『氷結界』『Xセイバー』『霞の谷』『フレムベル』、『A・O・J』。『ガスタ』に『ジェムナイト』。私の『リチュア』に、そしてあなたが、『ナチュル』」
「ああ。そうだけど」
「──あなた、『ナチュル』を使ってないじゃない」
痛いところを突かれた。なかなか、鋭い少女だ。
現状ツカサのデッキは【ナチュル蟲惑魔】。それも名ばかりで、実態はナチュルのシンクロを用いるのみ。【メタ蟲惑魔】だったり【ロック蟲惑魔】【蟲惑魔罠ビート】の方がイメージにあう。
簡単に説明しただけでカテゴリーを暗唱してみせたあたりからなかなか見所のあるものだが、更にそこに気付いてしまうとは注意深い少女だ。
「……決闘、しよ?」
そして彼女が持ちかけるのは決闘。実際にカードを用いて確かめようというらしい。
「わかった」
ツカサは頷くと同時、デッキケースを開ける。そしてカードを抜き取る。
1枚、2枚3枚と。次々と取り出すこと20と数枚。およそデッキの半数。テーブルの横へと避ける。
「これは蟲惑魔と落とし穴、それから『ナチュル』以外のモンスター全部だ」
彼女は首を傾げた。
そこへツカサは別にカードの束を取り出す。
「それでこっちが『ナチュル』モンスターたちだ。……僕はその決闘、『ナチュル』以外のモンスターは使わない。どうだ?」
これで身の上の提示──この事件、現象における関係の提示になるだろう。
「いいの?」
やや開かれた瞳が問う。
「『ナチュル』で勝てるの?」
それは偏見の籠もった問いでもあった。
ただまあ、仕方のない疑問とも言える。ツカサは【メタロック蟲惑魔】へ、『ナチュル』を手放してまで移行している。大会のツカサを知っていれば、ツカサがシンクロ以外のナチュルをメインに据えないのを知っているのだろう。その様を見てしまえば、『ナチュル』が戦力不足だったのかと解釈されても仕方がないのだ。
「言っておくけど、僕は元々純正の『ナチュル』使いだ。蟲惑魔が使いたくて、こうなっただけだよ」
言いながらサイドデッキを交えデッキを組む。その時間僅か数分。とある試合を経て、カードに対する接し方が変わってからツカサは密かに『ナチュル』メインのデッキも考案していた。昔──その純正ナチュルだった頃とは大きく構成は違え、その上実際に動かすのは初になるがそれでも自信はあった。
──一番大事なのはカードを信じることだと、知っているのだから。
手早に組み終えたツカサはカードをデッキケースへしまう。
「場所は移動するから。モンスターが実体化するのはわかるだろ?」
「ターミナル化現象、だっけ」
デュエルターミナルカテゴリー同士の共鳴による、モンスターの実体化。
『ナチュル』と『リチュア』もその例に漏れない。むしろ、かつて関係があった分その共鳴は大きくなると言える。
ナギがケーキを食べ終えるのを待つ間、ツカサは思考を巡らせる。
本題であるが、氷結界の龍 トリシューラについて。それから、彼女がそれを実体化させたことについて。
ツカサにはできない芸当だ。もしや彼女はこの件とは別で、元からサイコデュエリストだったりするのだろうか。
そしてカードの出所。まさかとは思うが、彼女は盗みを働いたとでも言うのだろうか。『氷結界』使いのヒメの口振りでは、トリシューラ含む三龍は家に伝わる家宝とも言えるカードだ。それをナギが所持している時点でこの線もなくはない。
なくはないのだが──カードは人を選ぶ。カードが人を選ぶ。眉唾ものだがこれは事実だ。どんな成り行きであろうと最終的にカードは持つべき者に渡る。
伝承の類ではあるが、だが実際、別の世界の記憶──それも『ナチュル』の記憶を持つツカサは自然と『ナチュル』を手にしていた。意識したものではない。その記憶が蘇ったのはワームと接触してからのことで、ツカサが数多のカードから『ナチュル』を選んだのはデュエルモンスターズを始めた幼少期だ。
だから、彼女がトリシューラを持つのはカードの意志──トリシューラの意志が、そして運命とやらがあるのなら、それがそうさせているのではないのかと。そう思うのだ。
「ねぇ」
不意に、掛かる声。
顔を上げるとそこには突き出されたフォーク。そこに載るはスポンジと生クリーム。ケーキの一部分だ。
「あーん」
青い髪の少女は無表情で、口を開けろと催促する。
意味がわからなかった。
動作の意味はわかるけれど、その理由がわからなかった。
「ほら、はやく」
「えっと、あ、あー……」
端から見れば間抜けなものだっただろう。ぎこちなく開けた口にフォークが差し込まれる。
「おいしい?」
「……甘い」
「そう」
ふふ。と彼女は微かに笑った。
彼女と瓜二つの少女──エリアルはもっと感情が顔に出やすい素直な子だった。単に彼女は別人であるとも言えた。
なんだろう、自由奔放。マイペース。
雲というか、水というか、
店から出ると雨は止んでいた。遠くの空に虹が見える。
「場所だけど、旧市街の方でいい?」
遠くなっちゃうけど。そう言う彼女はもうすでに歩き出していて、異論を上げさせてはくれないようだった。あるいは、強く拒否すればいいのだろうが、そんな意志はなかった。
今回の決闘は彼女の信頼を得るためのもの。もはや些細なことに口は出さない。
彼女の後ろ姿。それは、大会で、路地裏で、追えなかった後ろ姿。
遠い世界では、見ることさえ叶わなかった姿。
ふと、その後ろ姿から、大会での言葉を連想する。それは路地裏でも告げられた言葉かもしれない。
──『あなたじゃ、足りない』
どういう、意味だったのだろう。
決闘で示せば、教えてくれるのだろうか。
──その蒼い瞳が、何を想うのかも。
*
バスで十分弱。そしていくらか歩き、着いたのは旧市街の外れ。
「本気で、やってよね」
そう言い残し、彼女は距離を取った。
互いにデュエルディスクを構える。
「「決闘」」
ツカサ LP4000 手札×5
場 無し
無し
ナギ LP4000 手札×5
場 無し
無し
「私のターン。私はモンスターを1枚セット。カードを2枚セット。ターンエンド」
消極的。ただ、ツカサ自身儀式デッキと相対するのは比較的少なく、普通の速度というのは正直理解していない。
そもそも『リチュア』とカードカテゴリーはわかっているものの、どんなカードがあるかを把握していない。未知数の相手だ、油断はできない。
だが、儀式。その召喚法を主とするならば、どんなカテゴリーでも弱点は共通している。
「僕のターン、ドロー。僕は手札からナチュル・パンプキンを召喚」
召喚されたのはナチュル特有のデフォルメされた植物モンスター。パンプキン、その名のとおり
「ナチュル・パンプキンの効果発動、相手の場にモンスターがいるときの召喚時、手札から『ナチュル』を特殊召喚できる。僕はナチュル・チェリーを召喚」
《ナチュル・パンプキン》
効果モンスター
星4/地属性/植物族/攻1400/守 800
相手フィールド上にモンスターが存在する場合にこのカードが召喚に成功した時、
手札から「ナチュル」と名のついたモンスター1体を特殊召喚する事ができる。
南瓜に連れられやってきたのはチェリー、それまたそのままさくらんぼ。2つの果実がへたで連なるイメージ通りのさくらんぼだ。それまた小さな手足に顔のついたモンスター。
ナチュルの植物族はみな基本的にそういった外見をしており、全体的にファンシーで女々しいカテゴリーである。
昆虫族もまた、虫を可愛らしくデフォルメしたものとなる。
さて、ナチュル・パンプキンであるが、これはツカサが普段使用するゴブリンドバーグのナチュル版。そしてナチュル・チェリーはレベル1のチューナーモンスター。流れるようにシンクロ召喚を行うツカサの常套コンボ、ナチュル版である。その合計は──
「星4 ナチュル・パンプキンに、星1 ナチュル・チェリーをチューニング」
☆4 + ☆1 = ☆5
「異界の森の魔の番人、聖域に害なす者へ裁きの爪を。シンクロ召喚、ナチュル・ビースト!」
《ナチュル・ビースト》
シンクロ 効果モンスター
星5/地属性/獣族/攻2200/守1700
地属性チューナー+チューナー以外の地属性モンスター1体以上
このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、
デッキの上からカードを2枚墓地へ送る事で、
魔法カードの発動を無効にし破壊する。
レベル5。ツカサが普段から使用する緑色の虎。その能力は魔法を無効及びに破壊するという強力極まりないものだ。攻撃力はやや低めであるがそれを差し引いても優れたモンスターである。
──そう、魔法封じ。それは大半のデッキに対しても有効であり、ましてや儀式魔法を使わざるを得ない儀式デッキに対しては天敵とも言える効果だ。……まあいつぞやの融合デッキと同じく、完全に封殺出来るわけでなく
「バトルフェイズ。ナチュル・ビーストで伏せモンスターに攻撃!」
伏せられていたモンスターは──
──リチュア・エリアル。
青髪の少女。若くして儀式召喚師となったあの少女だ。
ツカサは顔を歪めた。
これは決闘だ。これはゲームだ、遊戯だ。だが、見知った顔を自らの手で破壊、などと言っては気持ちの良いものではないだろう。
モンスターは、実体化する。一瞬、僅かであるが
あくまでモンスター。ツカサのことなど知りもしないゲームのモンスターであったとしても、ツカサにとっては大事な、かけがえのない存在であった少女。
ゲームだと割り切っても受け入れ難いものであった。
青い少女は結界のようなもので自身を護る。結界自体は崩壊するものの、大きな外傷が見られる類ではない。ツカサは内心で安堵するのだが、決闘の展開としては相手に益が回る。
少女は短い詠唱の後、粒子となり墓地へ送られる。
「リチュア・エリアルのリバース効果発動。デッキからシャドウ・リチュアを手札へ加える」
《リチュア・エリアル》
効果モンスター
星4/水属性/魔法使い族/攻1000/守1800
リバース:デッキから「リチュア」と名のついたモンスター1体を手札に加える事ができる。
「さっきから落ち着きない。大丈夫?」
ツカサを見かねて青髪の少女──ナギが言った。
「……大丈夫、問題ないよ。僕はカードを2枚伏せてターンエンド」
問題ないと言いつつも、ツカサの内では複雑な感情が暴れていた。
見知った顔がカードにあるというのは存外、苦しいものがある。例えば彼女が毎ターンのようにリチュア・エリアルを使い回し、自滅攻撃でもしようものならツカサは降参するだろう。そんな精神攻撃が通用する、それくらいに、辛い。
だが頭を切り替えていく。相手はそんなこと知らないし、する気もないだろう。元よりリチュア・エリアルはアタッカーのモンスターではない。それは幸いと言えるか。
ツカサの内心なんてまるで知らず、ナギはターンを進める。ドロー、スタンバイ、メイン。手慣れた動きだ。
それは幾何かの熟練を感じさせたが、ツカサの場には魔封じの虎がいる。儀式デッキと相対して、その安心感は大きい。
「私は手札のシャドウ・リチュアの効果を発動。このカードを墓地へ送り、デッキから『リチュア』儀式魔法を手札へ。リチュアの儀水鏡を。続けてヴィジョン・リチュアの効果発動。同じく墓地へ送って『リチュア』儀式モンスターを手札へ。イビリチュア・リヴァイアニマを手札に加える」
《シャドウ・リチュア》
効果モンスター
星4/水属性/海竜族/攻1200/守1000
水属性の儀式モンスターを特殊召喚する場合、
このカード1枚で儀式召喚のためのリリースとして使用できる。
また、手札からこのカードを捨てて発動できる。
デッキから「リチュア」と名のついた儀式魔法カード1枚を手札に加える。
《ヴィジョン・リチュア》
効果モンスター
星2/水属性/海竜族/攻 700/守 500
水属性の儀式モンスターを特殊召喚する場合、
このカード1枚で儀式召喚のためのリリースとして使用できる。
また、手札からこのカードを捨てて発動できる。
デッキから「リチュア」と名のついた儀式モンスター1体を手札に加える。
捨てて、サーチ。そんな単純な動きで儀式モンスターと儀式魔法が揃ってしまう。海龍の亜人とでも言える2種類のモンスターはそれぞれ儀式を行うパーツを揃える効果を持っている。おそらく祭祀や調達係の役割でも担っていたのではないか。
『リチュア』は秘匿性の高い一族であったため、ツカサはその内情についての知識を持ち合わせていない。だが、この遊戯の効果はモンスターの本質を反映していたりする。ゆえにそう解釈できた。
「罠カード発動、儀水鏡の瞑想術。手札のリチュアの儀水鏡をを見せて墓地のモンスターを2体手札に戻す。さっきの2体を選択。そして2体を墓地へ送り、リチュアの儀水鏡、イビリチュア・ガストクラーケを手札に加える」
2組目の儀式モンスターと魔法が揃う。
(なんだこのサーチ性能……儀式ってそんなに早いデッキだったか……?)
儀式、と言ってツカサが思い浮かべるサポートカードは定番のマンジュ・ゴッドやセンジュ・ゴッド、ひいてはソニックバード。サポート魔法で言えば儀式の準備に高等儀式術程度であった。先に上げたモンスターは召喚時に儀式素材をサーチするカードだ。だがしれらは召喚権を必要とするためいささか速度に欠ける。
だが『リチュア』は、専用カードだけでも素材を揃えてしまうらしい。それも手札から発動という召喚権を使わないモンスター効果という優れたものだ。
「……早いな。それに随分手慣れた動きだ。けれどもどうする、せっかくの儀式魔法は使えないぜ」
ツカサは嗤ってみせる。あえて余裕を見せる。だが彼女に臆する様子は無い。
「罠カード発動。強制脱出装置。ナチュルビーストを手札に」
手札、などと言ってナチュル・ビーストが送られるのはエクストラデッキだ。しばらくはその姿を見ることはできなくなる。
やられた。嗤いつつもツカサ自身のは伏せカードに意識をやる。伏せられているのはリビングデッドの呼び声。
単純な破壊ならすぐによび戻せたが、その予防線ではエクストラデッキには届かない。
そして彼女の手にあるのは2枚の儀式魔法と儀式モンスター。
「魔法カード、サルベージ。墓地のシャドウ・リチュアとヴィジョン・リチュアを手札に戻す。……この2体は1体で儀式の素材を賄える」
丁寧にも説明してくれたそれに、ツカサはあえて口角を上げた。楽しめと。闘争心を燃やせと。全力でいかなければ──負けるぞと、自身に言い聞かせ。
流石に理解する。『リチュア』、それはおそらく儀式デッキの中でも最前線に位置するデッキだ。
サクリファイスやカオス・ソルジャー、宣告者とは訳が違う。展開力から桁違いだ。
「私はリチュアの儀水鏡を2枚発動。手札のシャドウ・リチュアとヴィジョン・リチュアをリリース」
ナギの目つきが変わる。無気力なものから、鋭いものに。
その眼はどこかで、見たような眼だ。
「儀式召喚──イビリチュア・ガストクラーケ、イビリチュア・リヴァイアニマ」
並ぶは2体の上級、最上級モンスター。
片や赤髪の少女を代とした魔物。片や白髪の
──どちらも、リチュアの領地内で見かけたことのある少年少女のものだった。
ツカサはリチュアの内情を深く知らない。だがそこに、不穏なものがあったのは間違いなかった。
そして、そのモンスターを操る彼女。
──その蒼い瞳が何を秘めるのか、わからなかった。