distant day/dream 作:ナチュルの苗木
少女は空を飛んでいた。巨鳥の背に乗って、この広い世界の上空を悠々と滑空する。
慣れた手付きで手綱を引き、鳥の動きを促すと、鳥はまるで少女と思いを共有するかのように、少女の思いどおりに軌跡を描いていた。
地面に落とす影、それを追うようにするのは地上を駆ける獣。その背に乗るのは1人の少年だった。
獣は森やそこから伸びる道を抜け、岩場さえも器用に駆け上る。
少女はこちらに気付くと高度を下げ、そして地面に降り立った。
「いやあ、手馴れたもんだね。そうまで鳥を乗りこなす使い手、他にはいないんじゃないか?」
少年は獣の背から降りるとそう言った。
「ううん、私なんてまだまだだ。湿原にはもっと凄い人なんてたくさんいるよ」
少女は褒められた事を内心喜んだ様子だが、首を振った。
「長老は勿論、ウィンダールさんやカーム姉さん、みんな私よりずっと上手く飛ぶよ」
少女の一族は従来より、鳥獣たちと心を通わせその力を借りて生きてきた。
それは一方的な上下関係や服従関係でなく、人と鳥獣、それらの絆がなす信頼関係からくるものであった。
彼女もまた相棒である鳥獣と心を通わせ、その背に乗っての飛行訓練を行っている最中だった。
少女に優しく笑いかける少年も同じようなものであった。
ここに至るまで、少女を追走する際に少年が乗っていた獣──虎は、森に住む魔獣。
少年は森の魔獣たちの力を借りる事により、日々を生きる者だ。
少女は鳥獣を。
少年は魔獣を。
他の生き物の力を借りて生きる者たち。他の魔獣を使役し戦う、精霊使いと類される者たちである。
「いやでも、谷で修行を始めた頃からそばで見てるけど、すごい上達だと思うよ。それに僕は君みたく谷の鳥には乗れないから。僕にはとてもすごい事に思えるんだけど」
「それを言うならそっちだってすごいよ。私がこの子に乗れるほど仲良くなるまで結構かかったのに、そっちは出会ってすぐに仲良くなってたじゃん」
少年は彼女を乗せていた巨鳥に手を伸ばす。
その手が触れる前に巨鳥は声を上げ、拒む意志を示した。
鳥獣とは全く距離を縮められない少年だが、森の魔獣たちとは簡単に打ち解け、早くに心を許し合ったものだ。
「エリアルは……どうしてるだろうね」
少年は唐突にここにいない少女の名前を出した。
彼女はこの2人の友人。
2人とは異なった形で魔物に関わる存在だ。
「もうしばらく会ってないもんね……」
3人は固い友情で結ばれていた。
だが彼女は所属する一族の問題で会うことが少なくなっていた。
魔物の力を借りるという同じ立場。ゆえに少年は彼女の事も連想してしまう。
「そう言えば、今日はどうして追いかけて来たの?」
ふと、少女は問う。普段、騎鳥訓練で谷を出る際に少年が着いて来ることはない。
空を飛ぶ彼女と地を駆ける少年では勝手が違う。とてもじゃないが、少年に後を着けることは厳しかった。
「ああ、そうだったね。今日はもう終わりだから、帰ってくるように伝えてって頼まれたんだった」
少年は思い出したように言った。
「今日はお世話になることになってるから。一緒に帰ろう」
少年は虎の背に乗り、振り返りそう言った。
少年は少女の属する湿原に住む一族ではない。少し離れた森に暮らす者だ。
だが時々、昔の縁で集落に泊まりに来ることがあった。
その際、大体少女の近くで寝食を過ごす事になる。
「ええっ、き、聞いてないよ!」
少女は慌てて声を上げるが、少年は行ってしまう。
年頃の乙女にとって、同年代の少年が泊まりにくるのは重大な事。だが少年はその気も知らずに笑ってみせる。
「早くおいでよ、ウィンダ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!
緑髪の少女は、その1つに結った尻尾のような髪を揺らし、巨鳥と共に少年を追った。
蒼髪の少女もまた、精霊を従え戦う者だった。
彼女の場合は特殊な儀式を用いて魔獣を従える、術式集団の一派。
それは儀式を用いる集団の中でも特に異質で、とある一族から独立して設立されたという、特殊も特殊、かなり異質なものだった。
儀式形態の秘匿性も高いため外交も少なく、ゆえに少女は外とは関わりをとれずにいる。
だがそれでも、幼い頃からの繋がりが唯一あった。
「星がきれい」
少女は無表情ながらも、その眼を輝かせて言った。
大きな瞳には星々が映り込んでいた。
いつだったか、3人で見上げた夜空。今はもう──それは敵わない。
「話って……?」
少年は呼び出されていた。
そこは彼女の住むところ、そして少年の住むところとも離れた高原だった。
それは少女の一族の目を避けるためだった。
ある時から基本的に外部との接触は控えろと指示されていた。今ではそれも厳しくなり、最近ではこうして抜け出すのも容易ではなかった。
互いの領地に赴くなど彼女には到底できなかったのだ。
おおよそは寝静まっているであろう夜更け。
開けた地形は一面の星空を見るにはうってつけだが、少女が少年を誘うにしてもいささか急な呼び出しだった。
少年としては深い理由が秘められたのを察しての問いだったのだが、聞くべきではなかったのかと後悔する。
理由を問いた瞬間に少女の目は伏せられ、そして曇りを見せたのだった。
「私、怖いんだ」
少女は少年を見上げて言う。
「生きてくために必要だから、儀式の勉強、頑張ってきた。周りはみんな褒めてくれるけど、でも、私にはこの力は大き過ぎる。私の中で何かが大きくなってって、怖いの」
不安や、それに伴う恐怖。いつだって、大きな力が呼ぶのはそういったものだ。
少女は特に優秀な才能を持っていた。だから教育も重点的に行われ、彼女はその才覚を飛躍的に伸ばしていた。
「最近ノエリアは怖い顔するのが多くなってきた。エミリアもアバンスも、何かがおかしいって言う。私たちの一族が何をしようとしてるのか、わからないの。儀式だって、あんなの精霊を無理矢理従わせてるだけ!」
自分の大きすぎる力が何の為に使われるのか。少女にはそれがわからなかった。
訴えられるのは少女の身の回りの事。彼女の属するのは元々謎の多い一族。いくら少女を支えてあげたくとも少年に答えられるものはなかった。
「嫌だよ……。私はウィンダや、みんな……ツカサの事も、大好き。戦いたくないよ。傷つけたくないよ」
少年の胸に顔を埋めた少女が発したのは嗚咽だった。
「大丈夫だよ、エリアル」
少年は少女の手を取り言う。
「僕とエリアル、ウィンダ、それに他のみんなは、大事な仲間だ。ずっと、友達だよ」
「……本当?」
「うん。約束する」
黒い少年と緑の少女と蒼の少女。3人は終戦に巡り合わせ、一時的ではあるものの時を共にしてきた。3人にとってこの関係は何よりも大切なものだった。
少なくとも。少年にとっては2人の少女は何を引き換えにしようとも守り抜くと誓った存在。
「ずっと、友達だよ?」
「うん」
──何があっても。2人だけは僕が守るから。
*
──夢を見ていた。
いや、夢ではない。
それは遠い日の記憶、遠い夢。
遠い世界において、かつて確実にあった、確かな記憶。
ツカサのものであってツカサのものではない、どこか遠い記憶。
あの日からだった。
カードショップからの帰り道、男のローブの中に、
そのローブの下で蠢いていたのは
極めて異形を成す存在、ワーム。その外見から設定までが異様で異常なカテゴリー、ワーム。
それが収集し、無理矢理人の形を成していたのだ。
ただでさえその個体でも異形なワーム、それを圧縮し、型に押し込んだ、とでも形容しようか。ツカサが見てしまったのは顔部分だけだが、そこだけでも不気味なものだった。
無数のワームが固まったできた物体。固められてなお、残った個々の神経や習性は理性無く蠢いていた。
カードの精霊に親しみがある者でもそれは気分を損なうに十分なモノだったあろう。常人ならば到底理解も出来ないものだ。
ツカサも理解出来なかった。
デュエルモンスターズというゲームのモンスターが現実にいる事に。そしてそれがグロテスクかつスプラッタを極めたソレであることに。
身動き1つ取れずにいたツカサの中で、脳の奥底から何か──危険信号のようなものが鳴り止まなかった。
自分の無意識下にソレを危険と訴え、排除すべき存在であると主張を続けていた。
やがてそれは確かな意志へと形を変え、少しずつ、確かな記憶としてツカサの中に蘇った。
──ワームはかつて、種族の抗争の絶えなかった大陸に突如従来し、大陸中を我が物にせんと侵略を開始した。
ツカサはそれを、森の中で耐え忍んでいた。
いや、正確にはツカサではない。それはその森に住まう精霊たちの目線だ。
森は一時までは安全だった。
なんせ森には敵の手を封じ排除する守護者たちがいたのだ。
そこはナチュルの森。『ナチュル』モンスターたちが住まう森。
ツカサにあるのはそのナチュルの森の記憶。
そして、ナチュルの森にいた1人の少年のものだった。
ワームに出逢ったあの日を境に。それは徐々に形を成し、断片的ではあるがツカサの脳内に蘇っていった。
ツカサは記憶の奥底で、ワームの驚異を知っていた。だから本能でワームを敵と見なし、異常なまでの警戒を示していたのだった。
時には突発的に、フラッシュバックのように脳内に浮き上がる事もあった。
記憶が明確化したのは件の大会の事だった。もしかすると1回戦から兆候はあったのかもしれない。丁度記憶が戻り始める時間があの日だったのかもしれない。
そして決定的だったのは決勝戦。交えたのは、ジェムナイト。それは戦友。かつて肩を並べ、共に戦った仲間だった。
特に、ナチュル・エクストリオとジェムナイト・パールのバトルに至っては、ツカサ自身どこか夢見心地に、かつての記憶を実際に体験するかのごとく回想していたのだ。
ツカサはそれを自分のものであると本能的に察した。
1つの世界が産まれ、争い、その果てに。
──創造神の手を持ってして、終わりを迎えた世界。
破滅の物語がツカサの中にはあった。
どこか懐かしささえ憶える、言うなれば──
──前世の記憶。
(……)
ツカサは起き上がる。
頬を伝っていたのは涙だった。
(僕はあの時──)
──守れなかった。
何と引き換えにも守ると誓った存在。
2人の少女の事。
崩れゆく世界の中、近くにいたにも関わらず、守る事はできなかった。
ツカサは噛み締める。
自分への怒り、後悔、無力感、それらをぶつけるように。
あのまま世界が滅んだとして。ツカサ自身も、全てが無くなったとして。
それは守れなかった事の理由にはならなかった。
*
駆動音を響かせるその機械にエースはカードを翳した。
──『ジェネクス・コントローラー』。
機械族、星3、闇属性。『ジェネクス』カテゴリーの効果のないチューナーモンスターだ。
機械はそのカードイラストそのままの風貌をしており、『A・O・J』及び『ジェネクス』を扱うエースに忠誠を誓うが如く停止した。
するとどうだろう、機械はたちまち光の粒子へと姿を変え、カードに吸い込まれるようにして消えていった。
ツカサ風に言うならば、カードに
「驚いたな、まさか本当にカードに入っていくとはな。精霊というのも言い得て妙だ。──これでいいのか、ツカサ」
「はい。これで……」
機械がカードに収まったのを見届けるとツカサは頷いた。
自警組織A・O・Jと、ツカサたちが行っていたワームを撃退するこの活動に、実体化したモンスターの回収も加わって2週間が経った。
ツカサたちとA・O・Jが合同で活動することも多くなり、ワームの撃退数も以前より増加、いくらかのモンスターをカードに戻すのにも成功していた。目に見える成果の向上だ。同じ目的で行動を共にしているのだ、友好も深まったと言えるだろう。
「実体化、か。こいつを見つけるだけでも2週間もかかったわけだが、モンスターはまだ街に潜んでいるんだろう? この調子で全て回収なんかできるのか?」
「分かりません。そもそも
「そうか……。関係してなのか、最近はワームの人型も増えている節がある。元々お前の討伐数は多かったが、今じゃ俺たちでさえ同じ数に届く」
なんとなく。ただ感覚でワームを感じ取っていたツカサ。その要領は周囲にも現れていた。
デュエルターミナルカテゴリー同士は共鳴する。自覚がなくともそれは全員に顕れる。
元々遠い世界において、ワームと敵対するために設立されたA・O・J。この世界においても成り立ちは同じく、彼らは自覚なしにワームを敵視し、そしてその存在を察知するのだ。
彼らは次第にワームに対して機敏になっていったわけだが、他にも原因はある。エースの言うとおり、ワーム自体の数が増えている傾向にあった。
A・O・Jかツカサたち、どちらかが、あるいは双方合同で1日に一定数以上倒すと決めているのだが、それども先日、被害者が出てしまった。一般公開されていない情報だが、ツカサたちはシンを経由して聞いていた。
シン。デュエルターミナルの開発に携わっていたという研究員。デュエルターミナルが自壊してなお、その世界に執着する男。
今日は彼とA・O・J、そしてツカサ、イオ、ノドカ、総勢8名のデュエルターミナルカテ使いで初顔会わせ、となるはずだったのだが、シンの方の都合で中止となったのだった。
いつでもいい、などと言っていた割にドタキャンとは良い身分である。
「すいませんね、やっと全員集まったのに」
ツカサは本日の予定瓦解について頭を下げた。
「いや別にいい、気にするな──と言いたいところだが、正直に言えばがっかりしている。ようやく全員集まったというのに」
それぞれにも私生活というのがある。基本的に彼らは学生であり、本分等々の都合により全員集まるという機会は稀だった。
ツカサはもう当たり前のように公欠を続けており、エースもまた大学院を単位がギリギリ足りる程度に休んでいるのだが、2人は例外だ。常に集合出来る彼らと違い他の者は誰かしらが欠席するのだ。
「俺だけでも話はできないのか?」
エースは不服そうに言う。
彼はシンと直に話すことを望んでおり、今日の機会も待ちわびた、という様子だった。
事件に関わる者として、あるいは探求する者として。エースはシンから情報を引き出したいのだろう。
「どうなんですかね。全員集めてくれって言うんですよ。あの人の考えてることはよくわかりません。まぁ少なくとも今日は無理だと言っていました」
本日シンは遠方まで出ているのだとか。上の要請で別の研究所に赴き機械を弄りに行くのだと言っていた。
彼の立場がわからない。
とまあこうして全員集まったにも関わらず予定をふいにされたツカサたち及びA・O・Jは総勢にて活動を行っていたのだった。
「──む、悪い、連絡だ。……そうか、今行く。ヒメの方でワームが2体いたらしい。俺はそっちへ行く」
エースは携帯端末を片手に、口早に説明して駆けていった。
いくらか活動にともにしていてわかったが、ヒメという女性は決闘が弱いらしい。だから基本的にワームと進んで決闘はしないようだった。
(本当に持ってないのか……三龍)
『氷結界』には強力は龍のカードが3枚あるはずなのだが、彼女はそれを使わない。三龍は彼女の家に伝わるカードとのことだが、現在家内にはないらしい。というか最近、一度手合わせをしたのだがそもそもヒメはエクストラデッキを持ち合わせていなかった。
曰く、シンクロ召喚が苦手、とのことだった。
本当なら、仮に持っていたとしても宝の持ち腐れだろう。
「ツーカーサーさんっ!」
不意に名を呼んだのは例のファンの少女だった。
「やっとリーダーと離れてくれました。やっとっすよやっと。もう、普段から2人きりで活動してるらしいじゃないですか。もーっ。わたしも呼んでくださいよぉ」
「学校があるだろう」
「休みますよそんなの。ツカサさんが呼んでくれればいつでも行きますよ」
普段からA・O・Jの活動に参加しないという少女はそんなことを行ってのける。
そこでふと着信音が流れた。
端末を取り出し、画面に表示された文字列、『Winda』。
それは着信の人物の名前ではない。
相手は『ガスタ』使いの少女ノドカ。彼女はツカサにとって馴染み深く、掛け替えのない人物と瓜二つの容姿の少女だった。
「ああノドカ。今どんな感じ?」
『今ね、ケンさんとエースさんがワームと交戦中みたい。あと横でイオくんも……』
「グループはどうなってる?」
『ヒメさんとエースさんが一緒みたい。その近くにケンさんとソウくん、それから私とイオくん、……ツカサくんは?』
「僕はあの子と……」
『あの子?』
戦況確認をする中、ツカサは同行者の説明に困る。
「あのサイドテールの子」
『ああ、ツカサくんに懐いてる子だね』
そういえば。そういえば程度の話だ。ツカサは自分に懐いてくれる少女の名前を知らない。これまで多くの言葉を交わしたはずだが、名前を確認したことはなかった。
『ん、あれ……。ねぇツカサくん、今こっちに来れる? ちょっと確認したい事があるんだけど……』
通話中、突然なにかに気をとられたような声とともに呼び出される。ツカサは2つ返事で了承すると、通話を終えた。
「ツカサさんツカサさん、周りはどうですか?」
「みんな順調。で、だけどこれからノドカ達のところに行くんだけど、どうする?」
「あ、じゃあわたしは別のところに行きますね……」
若干名残惜しそうにしつつも彼女は離れていった。
少し活動を一緒にしてわかったが、あの少女はなかなかの人見知りなようだった。基本明るいようだがノドカやイオに対してはまだぎこちなく、避けている節さえあった。
このままじゃ馴染めない一方であるが、まあ、いいだろう。どうせまだまだ活動は続く。これから仲良くなればいい。
「……あ」
結局彼女の名前を聞かなかったが、それもまた、そのうちでいいだろう。
*
呼び出された区画には、ノドカとそしてイオがいた。
「よぉツカサ。こっちは今片付いたところだぜ」
イオは片手を挙げる。ツカサもそれに応じ、手を翳した。
「なんだか久し振りな気がするな。なんて言うか、会ってたけどそれが描写されてないみたいな」
「そうだな、不思議だ。イオとは結構な頻度で会って決闘してるのにな。この前のジェムタートルを探した大冒険が嘘みたいだ」
亀1匹と侮った末、街中を奔走させられたのは2週間前の事だった。
「2人とも変な会話しないでよ……」
半眼でこちらを見るノドカに苦笑いを返しつつ。
「それで、確認って?」
「あ、そうだった。こっちこっち」
手を引かれ、路地を抜ける。そこは公園。ノドカ出逢った日に訪れた場所だ。
「えっと……どこだったかな。あれ、おかしいな、確かに見えたんだけど……」
何かを探すようにノドカは花壇に寄った。紫陽花の中に手を延ばす。
それから数秒して、嬉しそうに何かを抱え上げた。
「これってツカサくんのだよね?」
笑顔で差し出されたのは球根。頭に花を咲かせた黒い球体。
一瞬花を引き抜いたようにも見えたが、よく見ればその根──球根のような部位には目が付いていた。
それは花形のモンスター。
「ナチュル・コスモスビート……! 『ナチュル』のモンスターだ。確かに僕のだけど……ノドカ!?」
その実体化したモンスターは間違いなくツカサのもつカードだ。だがツカサはそれを簡単に持ち上げたことに声を上げた。
実体化したモンスターは基本的にその使い手にしか心を許さない。ガスタ・スクイレルやジェムタートルのときに実感したことだった。
だが球根は──特に暴れる様子もなかった。
「大げさだって。おとなしい子だよ。可愛いし」
そんな風にノドカは微笑む。
「大丈夫……なのか? 持ち主にしか懐かないんじゃ……」
「もう、ツカサくんは追い回すからだよ。ツカサくんはちょっと怖い顔してるから、追い回したら逃げたくもなるよ」
同じ笑みでも苦笑。困ったような顔でノドカは言う。
「ほら、持って」
カードを取りだそうとしたツカサの手をノドカは掴み、そして自分の手と重ねた。そして球根を2人で持つ。
「ちょっとアレだけど、可愛いよ?」
どこか照れたようにも見える球根。そこから顔を上げればノドカの顔。
ツカサもまた照れたように──。
「それじゃあ回収だ。カードに還れッ!」
ツカサはカードを翳しながらぶっきらぼうに言い放つ。
「ええっ、もう、ツカサくんてば。私はもうちょっとモンスターとふれ合ってもいいと思うんだよ。精霊──というか魂だっけ? カードに戻したらもう出てこないんだから、その前にちょっとだけ遊ぼうよ」
悠長なことを言う。
ツカサは忘れてはいない。あの惨劇を、屈辱を。
「あのなぁ、亀に噛まれた痛みってわかるか? あいつら中々離さないんだぞ。手が取れるかと思った」
「ああ、その節はごめんな」
空気になっていたイオが謝る。
「でもさ、俺のことなかったことにするのもひどいと思うんだよな」
「それはその、重ねてすまない」
「2人とも。変な会話しないでよ」
*
数刻後、予想外にも今までになく大規模になってしまった活動を終えることとなった。
一同集合し、そこでは戦果をまとめていた。
「総討伐数は13。なんだこれは。奴らは何体出てくるんだ。増殖するGか。……そして回収したモンスターは2体か」
エースはその結果に驚く。1日あたり5か6がいいところだった討伐数が今回は13。大人数で探したとはいえ探せばこんなにも出てくるというのか。
良いようにも悪いようにも捉えられる結果だが、ここは戦果を讃えるようだった。
ツカサもまた後ろ向きには思考せず、前向きになることにした。
これで一歩、ワームとの闘いは終わりに近づいたのだと、そう思うことにした。
「ツカサさん、わたしも1体倒したんですよ! 怖かったけど頑張りました!」
「ん、おつかれ」
「はい! もっと褒めてください!」
尻尾を振り、すり寄るような犬を連想させる少女がいた。
「1体で何言ってるんだか……☆」
おちょくるように言うソウへ、むむぅと口を尖らせる。
「あはは。私もまだワームは怖いから、わかるかな……」
なんて持ち前の柔らかさで少女に近づいていくノドカだが、フレ子はどこか気まずそうに目を逸らした。
フレ子(仮名)。おそらく『フレムベル』使いである彼女の仮称。
「私嫌われてるのかな?」
「いや、そんなことはないと思うわ」
困ったように笑うノドカをヒメが慰めるようにする。
薄暗い路地の中、彼らは集い、戦果について語りあう。また和気藹々と言葉を交わし。
まるでそれは、物語の中の秘密の集まり。まさにそのとおりの事をしているのだが──秘密結社だとかそんな夢見がちな、心躍るような光景だった。
恐怖と隣合わせでもある活動だが、その中でも、仲間と共にいれば辛いことじゃない。
だなんて、我ながら痛いことを考えていたツカサだったが──
──。
ツカサは顔を上げた。
路地の外を、ただ見つめて。
自分でも、顔が強ばっていくのがわかった。
「ツカサくん?」
ノドカが名を呼ぶ。
それでもツカサは目線をずらさなかった。
「──ワームだ……!」
一同が一斉にそちらに目を向けた。そして誰もが驚愕を露わにする。
そこにいたのは、文字通り『ワーム』だった。
この街に出没する人型でなく、正真正銘『ワーム』モンスター。
青い歪な体躯をした、人のような形のモンスター。身体中に幾重もの突起をつけた──
──『ワーム』の上級モンスター、ワーム・イリダン。
「実体化したワームだと……! ツカサ、どうするッ!?」
エースがこちらを見る。
「……退きましょう! 僕にはこいつらが何をするのか、わからない!」
「こっちだ!」
イオが叫び、皆路地の奥へと進む。
そして抜けた先は円形の広間になっていて。
その先にもまた。ワームがいた。
1体だけでなかった。そして2体だけでもない。
──無数のワームが、周囲を取り囲んでいた。
『ワーム・イリダン』『ワーム・カルタロス』『ワーム・ルクイエ』『ワーム・ウォーロード』『ワーム・ノーブル』『ワーム・バルサス』『ワーム・イーロキン』『ワーム・プリンス』。
軽く見ただけでもそれだけの下級、上級の『ワーム』が辺りを取り囲んでいた。
後ろに、先に。どの通路の先にもワームたちは待ち構えていてそれは正に──
「──誘き出されたのか、俺たちは……!?」
エースは絶句する。その光景に。
蠢く蟲たち。押し寄せる蟲たち。そんな惨状を──ツカサは知っていた。彼に宿った記憶の中でそんな惨状を──戦場を、知っていた。
突如ワームの1体がこちらへ踏み出した。ワームは振りかぶると、その拳を落とした。
そこにいたイオは辛うじて拳を躱す。
するとその拳の行き先、壁は簡単に砕けた。
「なんだこいつら! 決闘しないのか!?」
「こいつらは実体化した精霊と同じ存在だ!」
ワームは隣のノドカに手を伸ばす。ツカサはその肩を抱き、距離を取った。
「ツカサさん!」
駆け寄ってきた少女。ノドカもろとも背中に回し、ツカサは俯く。
大事な者を、危険に晒す事態。ツカサが一番恐れたことだ。
「──させるかよ!」
ツカサはワームに回し蹴りを決め、その場に崩し落とす。
また周囲でも、エースがワームを蹴倒していたり、ケンが廃材を振り回していた。
「どうするツカサッ! 俺だけならこのまま戦ってもいいが、女子供は守れないぞ!」
考える余地はなかった。
数多ものワームが今にもこちらへ詰めているのだ、このままでは。
幾らか吹っ切れたツカサではあったが、こんなときでさえ前向きでいられるほど強くはなかった。
ツカサは知っている。遠い世界において、大陸を襲ったワームの驚異を、その悍ましさを、そして犠牲を。
ワームたちが動き出す──そのときだ。
空間を、凍気が取り巻いた。
──一瞬にして、ワームの群が凍り付く。
比喩でもなんでもない。文字通り、言葉通り、その場で氷に覆われたのだ。
──強い、魔力。
急激に下がる気温、色を変えた周囲の中、ツカサが感じたのは桁外れの強い魔力。
とある路地、凍り付くワーム越しに、彼女はいた。
それはいつかの大会で見かけた、学生服を着た蒼髪の少女。
いや、その容姿はもっと以前に──。
「あ、あれって!」
誰かが声を上げた。空を見上げて。そこで滞空するのは、三首の龍。圧倒的凍気を司る、封印されし龍。
──『氷結界の龍 トリシューラ』。
氷が砕けると共にワームの身も砕け、それらは闇の瘴気となり霧散した。伴い、氷龍も粒子となって消えてしまう。
舞い散る氷の霞の向こう、少女は建物の影へと向き、足を動かした。
寸前──僅かに目が合った。同時に彼女は口を動かした。
『──あなたじゃ、足りない』
動きから、以前すれ違ったときに言われた言葉が頭を過ぎる。
「……!」
ツカサは駆けだした。会場で会ったときのように、彼女を追いかけた。
だが今回も、彼女には追いつかないことは、なんとなくわかっていた。
一度取りこぼしたものに、手が届かないように。
だが彼は必死になって叫んだ。呼び止める言葉の代わりに、彼の知る少女の名を。
「──エリアル!」
微かに、物陰へと消えゆく背中が動きを止めた気がした。
ツカサがそこへ辿り着いたときには、彼女の姿はなかった。