水面に映る月   作:金づち水兵

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今日からゴールデンウィーク4連休。休日の方、出勤の方、十人十色だと思いますが、本作は今週も平常運転で徐行です!


89話 始動

頭上で瞬く無数の星々のみが唯一の光源となった新月の夜。星々の光量は地球の衛星である月とは比較にならないほど弱々しい。それでも闇夜をわずかばかり昼行性の生物が活動できる環境を整えてくれる。また、弱々しいとはいえ光は光。数に物を言わせ地球に降り注いだ赤・青、白、黄色、金色の色彩たちは最終的に海面というこの星を生命に溢れる母なる星に昇華させた存在へ激突。反射を持って、海上を行く存在に別の光源を提供する。

 

ここがミッドウェー諸島西方の外洋ということもあり、絶えず上下する海面を前に足元の光源たちは疲れ果てていたが、それでも良かった。頭上から遥か彼方にいる光源たちが助太刀をしてくれていたから。

 

だが、万物が善と悪に区分されるように光源にも善し悪しがある。

 

頭上・海面の淡い光を無理やり押しのけ、昼間と見間違えるほど周囲を赤く照らす光源。そして、あちこちから海面に向かって照射される探照灯。新手を警戒しているのか、落水者を捜索しているのか。自艦隊の位置が敵に察知される危険を冒しても、探照灯は真っ黒な海面を照らし続ける。

 

もしくはもう秘匿は無理と判断したのだろうか。

 

「火災、収まらないわね・・・・・」

 

耳元の無線から、一般人が聞けばあまりの場違いさに茫然としてしまう幼い声が聞こえてくる。しかし、過酷な訓練と激烈な勉学、悲惨な実戦を経験した軍人ならば、一般人とは異なった感傷を抱くことだろう。

 

いくら幼い雰囲気を残そうとも彼女の声色には強固で荘厳な軍人の気配が漂っていた。

 

「そう、クマね・・・・」

 

無線越しでもひしひしと感じる艦隊の重苦しい空気。その空気を茶化すような口調が己の口から放出される。これは自分自身が鋼鉄の艦から人間と変わらない血の通った肉体に変貌していた頃には既に固定してしまっていた「地」だ。直そうとしても決して治らない地のため、普段は割り切って全く気にせず他人から聞けば奇異としか認識されない口調で話している。しかし、いくら地という免罪符を掲げても発言が憚られる場面は多々存在する。

 

今のような状況はまさしくそれだった。本当は無視を決め込みたかったものの、そうするわけにはいかなかった。自身は今、旗艦が不在のため当艦隊の旗艦代理を務めている軽巡洋艦。また、彼女とは日本で、そして横須賀鎮守府に異動して以来は苦楽と寝起きを共にしてきた戦友だ。

 

例え空気を険悪化させることになろうとも彼女の心中を察した上での無視など、心が許さなかった。

 

「・・・・・こちらMI攻撃部隊司令部百石。球磨、応答せよ。繰り返す、応答せよ」

 

身体の内側からいまだに夜空へ溶けていく黒煙を吐き出している船体に意識を向けた時、彼女の声に変わって、最も身近な男の声が聞こえてきた。

 

彼ならいかなる状況でもこの特徴的な口調に反応することはない。今まで散々艦隊や部隊を指揮する軍人から奇異の視線を送られてきただけに思わず胸を撫で下ろしたくなるが、眼前の光景が阻止した。

 

安堵を胸の奥底に押し込み、第六水雷戦隊旗艦代理に恥じない口調で応答する。そして、百石も。ここは安穏の日常を謳歌できる横須賀ではない。

 

どこに敵潜水艦が潜んでいるのかも分からず、どこから敵の夜間攻撃隊が襲い掛かってくるかも分からない、戦場だ。

 

「こちら、第六水雷戦隊旗艦代理球磨。提督、どうぞクマ」

「こちら百石。・・・・・第3統合艦隊(三統)司令部から報告は受けた」

「ん?」

 

沈みきったというよりは疲れ果てているようなしおれた声色。違和感を覚える。それは即座に、膨張。理性を吹き飛ばし、口を動かすほどの激流となる。

 

なぜだか、分からない。だが、百石がそうなった理由が無性に気になった。

 

「提督、どうしたクマ? なんだか様子がおかしいクマよ?」

「・・・・・・・・・・。いろいろ・・・・・あってな。本当にいろいろ・・・・・」

 

 

波間に消えていきそうな弱々しい言葉を最後に、百石は口を閉ざす。それだけでは到底欲求を満たすことは叶わない。理由を問いただそうと口を開きかける。しかし、百石が機先を制した。この状況で報告を求められれば、艦娘として上官への報告を優先するしかなかった。

「第7機動隊米雪へ雷撃を行った敵潜水艦は大隈よりの方位062、距離11000付近で球磨、響の爆雷攻撃で撃沈したクマ。浮遊物からソ級と思われるクマ。暁、響、雷、電の水中探信儀、魚雷の航跡から敵潜水艦は1隻と推定されるクマ」

「そうか・・・・・」

 

無線がゴロゴロとまるで雷を内包した積乱雲のような音を運んでくる。おそらく百石が吐き出した安堵が通信機のマイクにかかったのだろう。

 

「よくやってくれた。暁たちにも伝えておいてくれ。・・・・お前たちの被害は?」

「実被害は皆無だクマ。しいて言うなら爆雷が減ったことぐらいだクマ」

「実被害は?」

 

さすがは百石健作。さりげなく強調した部分を把握し、尋ねてきた。こちらから積極的に報告することが憚られる事柄であるだけに、百石の対応には感謝を抑えきれない。

 

「・・・・・魚雷は暁の至近から発射されたクマ。・・・・・・・・・ごめんなさい、提督」

 

目の前に百石はいない。しかし、球磨は自分たちが防げなかった魚雷攻撃で決して軽くない損傷を負った米雪に向かって、深々と頭を下げる。時折、聞こえる怒号と爆発音。それが旗艦代理、そしてMI攻撃部隊外輪に展開し、対潜哨戒任務を担っていた自分達への叱責に聞こえた。暁にも同様に聞こえていることだろう。

 

海に潜る潜水艦を魚雷発射前に見つけ出すことは難しい。相手が視認不可能な海中にいる以上、どうしても受け身にならざるを得ない。

 

それは言い訳でもなんでもない、対潜戦闘に従事したことのなる艦娘なら誰でも知っている事実。しかし、自分たちは無茶を承知でそれに抗わなければならない立場にいる。決して諦めてはならないのだ。にもかかわらず、結局自分たちはこれまで幾度となく繰り返してきた過去と同様にその事実に抗うことができなかった。

 

自分たちが発した絶叫を受け、暗闇の中、必死に回避行動をとる米雪の艦影が脳裏に瞬く。甲板を走り回っていた乗組員たちは魚雷命中による艦橋よりも高い水柱が上がってから姿を消していた。

 

だが、百石は声を荒げるようなことはしなかった。

 

「・・・・・・・既に起こってしまったことをとやかく言っても仕方ない。各艦は今、どうしている?」

「対潜攻撃で一時的に陣形が乱れたけど、今は元通りクマ。これ以上の被害を出させないため引き続き哨戒中クマ」

「了解。・・・・・・それでいい」

 

それどころかこちらの報告を聞いて、無線越しでも笑っていることが分かる柔らかい言葉を届けてくれた。疲れ果てているのもかかわらず、いつも通り。

 

「え?」

 

予想外の応対に思わず戸惑ってしまう。「どうして?」という疑問を漂わせるが彼はただ微笑。明確に答えてくれることはなかった。回答らしい回答は「暁たちにも伝えておいてくれ」だけ。

 

だが、百石がこちらに怒りや不信感を抱いていないことだけは分かった。鉛のように重たかった身体が少し軽くなったような気がする。

 

「もうまもなく、増援として三水戦を向かわせる」

「ほんとクマ!?」

 

思わず、歓喜に大声を出してしまった。米雪への雷撃からも露呈したように、いくら艦娘といえども通常艦艇12隻を有する艦隊を5隻で守ることは非常に困難。ここに川内たち第三水雷戦隊が加われば、艦隊の全周へ常時艦娘を張り付けることが可能となる。

 

「新手の反応は? 他に敵潜はいないか?」

 

声色から笑みを消し、先ほどのように尋ねてくる。球磨も口調に真剣さを取り戻して、否を告げる。現在のところ、目視範囲に潜望鏡が見えることもなければ、魚雷が走っていくこともない。目視に頼っている自身より水中探信儀を装備し、広範囲を迅速に走査可能な暁たちからも音沙汰はない。

(ここにみずづきがいれば・・・・・・・)

彼女の隔絶した対潜戦能力からそう思わずにはいらないが、所詮は無理な話。現在大隈にいる夕張を除いた球磨たち第六水雷戦隊は今朝大隅から出撃する背中を見て以来、彼女の姿を見ていない。みずづきが金剛たちに曳航されて大隅へ帰投したときも、第三水雷戦隊と協同して対潜哨戒、対空・対水上警戒を行っていた。しかし、度重なる大隅との交信で大方の容態は把握していた。

 

そんなみずづきに助力を願うなど、もはや感情を有する者のすることではない。この場は自分達のみで受け持つしかない。

 

「了解した・・・・・」

 

鈍重な口調。こちらが首をかしげる前にそうなった理由は百石自らの口から語られた。

 

「君には言っておかなければいけないな。・・・つい先ほど、出穂航空隊の偵察機が高速飛翔体とおぼしき攻撃で撃墜された」

「そ、それは!? ほんとクマか?」

 

肯定を意味する沈黙。暁から雷跡発見の報告を受け取った際と同様の悪寒が全身を無遠慮に疾走する。高速飛翔体。聞き慣れない単語だが、横須賀にいて、みずづきの能力を散々見せつけられた身に分からないはずがなかった。

 

高速飛翔体とはつまり、ミサイルだ。

 

「しかも、撃墜場所は当部隊からそう離れていない」

 

衝撃の大きさに、もはや言葉も出なかった。そして、唐突に現れた糸が潜水艦の襲撃と偵察機の撃墜を結ぶ。此度の雷撃によって米雪は外見上中破とおぼしき損傷を負った。右舷艦尾側には大きな破孔が穿たれ、船体の各所から炎と黒煙が上がっている。仮に米雪が自力航行不能に陥っていた場合、他艦が米雪を曳航しなければならないので必然的に艦隊の速度を落ちる。それはミッドウェー諸島から“退避中”という現状では“敵機動部隊に追いつかれる”という凶悪な危機感を煽るには十分すぎる威力があった。第六水雷戦隊も敵の陣容は知らされていた。

 

「海中も気になるだろうが、対水上・対空警戒も厳にしろ。MI攻撃部隊としての方針が決まり次第、報告する」

「了解したクマ・・・・」

「球磨?」

「・・・・・・・なんだクマ?」

「おそらく、明日は長い一日になる。・・・・・・・・・・・心しておいてくれ」

 

「何か質問はないか」という問いの後、それを最後の締めにするかのように大隈からの通信は切れる。海風に揺られる波音と海上を駆ける風音が再び鼓膜を揺らし始めた。

 

「・・・・・・暁たちに伝えないとクマ。・・・・こちら、球磨。みんな聞こえるかクマ?」

 

目の前に広がる漆黒の海面から目を逸らすように無線機を操作し、百石からの命令を伝達するため暁たちに呼びかける。

 

風で飛ばされないよう半ば無意識のうちに耳元の無線機を押さえている右手。それが不安で震えていることは球磨本人でさえ分からなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・・・はぁ~~~~」

 

今朝のような張りつめた静寂でもなく、第一次攻撃隊からの電報に逐一反応するでもなく、はるづきの出現とみずづきの大破を受けた絶望による沈黙でもない。各員それぞれが己の職務に邁進するささやかな喧騒に包まれた大隅の司令室に、この場で最高位の人物のため息が木霊する。各所から訝し気な視線が背中に突き刺さるが、愛想笑いで誤魔化す気力もなかった。

 

「すまなかったな。引き続き任務を遂行してくれ」

 

耳当て型のスピーカとマイクを所定の位置に戻し、傍らで控えていたここの主である一等兵曹に席を譲る。「はっ! ありがとうございます!」と威勢はいいが、雲の上の存在である鎮守府司令長官のため息を今のような状況下で聞きたくなかったのだろう。口調とは裏腹に表情は気まずそうに歪んでいた。

 

こちらもできればため息など吐きたくはなかった。しかし、大切な部下の不安1つ和らげることができず、かえって煽る結果を招いてしまった己の不甲斐なさがどうしても許容できなかった。和らげる方法もないことはなかったが、これはまだ流動的。しかもこの場ではまだ言えない事柄だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

いつもは特徴的な口調と小動物のような仕草で不安や危機感が希薄とも思える球磨の怯える声を反芻しながら、流れるような動作で職務を再開した一等兵曹を眺めていると背後で気配が立ち止まった。

 

「百石長官? 全員、揃いました」

 

いつにもまして硬い緒方の声。もともと険しい表情をしていることが多い軍人だが、今日は相対する者の動揺を否応なく惹起するような影で覆い尽くされている。

 

彼の背後に揃った面々の陣容がこの認識の正誤を証明していた。司令室の中央に鎮座するミッドウェー諸島・ハワイ諸島とその周辺海域のみに限定した巨大な地図。端々に殴り書きを宿すその周りに五十殿(おむか)をはじめとする横須賀鎮守府幹部、大隅副長伊豆見広海(いずみ ひろみ)中佐、能登副長樋口友三(ひぐち ともぞう)中佐、第3統合艦隊首席参謀田所昭之助(たどころ あきのすけ)大佐以下MI攻撃部隊司令部を構成する各艦隊・各部隊の幹部たちが雁首を揃えて座っていた。

 

一人の例外もなく全員が、百石に視線を合わせている。

 

「では、はじめるとしようか」

 

場数と経験、階級、立場、そして司令室に漂う険悪な空気と合わさった視線は心の脆弱な部分をこれでもかと攻撃するが、全く臆せず堂々と口を開く。

 

「作戦会議を」

 

そう端的に発言して、用意されていた椅子に腰かける。緒方が席に着くと視界の正面、右翼、左翼は全て幹部で埋まる。その後ろを意識的に真正面のみを見つめながら、将兵たちが駆けていく。

 

彼らとは対照的に幹部たちは“作戦会議”と聞いた瞬間、一往に視線を眼下の地図に張り付ける。だが、現実は一瞬の逃避も許さない。地図のある海域。そこには下部に“出穂航空隊33式艦上偵察機撃墜地点”と記された×印がしっかり存在感を発揮していた。

 

それでも幹部たちは口を開かない。肌が血の気を失うほど拳を握りしめたり、表情筋を無意識のうちに痙攣させたり、瞑目したりただただ沈黙を貫くばかり。作戦の検討自体に反感を抱いているものすらいる始末だ。これがMI作戦の策定会議ならこの場においても胸を張って堂々と発言できる年齢ではない百石は声を荒げて、叱責していた。しかし、彼らの様子を見ても一切感情が煮込まれない。彼らの気持ちが分かるだけに百石は緒方に命じて、状況整理から開始した。

 

生唾を飲み込んだ緒方が粛々とMI攻撃部隊が置かれている現実を改めて、幹部たちに突きつける

 

「当部隊は現在、想定外事象の発生によるMI作戦中止に基づきミッドウェー諸島サンド島より西北西560km付近を瑞穂本土、横須賀基地に向けて航行中です。14時ごろに発生したはるづき艦隊との戦闘以降、敵との接触はありませんでしたが、つい1時間前の19時59分ごろ内側輪形陣右翼を航行していた米雪がソ級と思われる敵潜水艦の雷撃を受け、中破。現在のところ、死者21名、負傷者43名、行方不明者9名が確認され、機関室への浸水により全力航行が困難な状態となっています。また、40分ほど前に出穂航空隊所属の33式艦上偵察機が対水上レーダーで敵機動部隊を捕捉。しかし“高速飛翔体接近”の緊急電を最後に消息を絶ちました。ポイントは本部隊の後方324km、サンド島の北西135km付近・・・・・」

 

緒方が足元から取り出した木製の指示棒で地図上の×印を突く。その後、地図上を這ってMI攻撃部隊を表す凸型の駒との距離を示す。広大な大海原においては例え東京-仙台間に匹敵する距離も微々たるものだ。

 

「捕捉された敵艦隊は陣容から考察するに昼間に邂逅したはるづきを有する布哇泊地機動艦隊と思われます」

「・・・・・・ちくしょうめ」

 

敵機動部隊は2群から構成されており、規模は2個連合艦隊。

第1群主力艦隊は空母棲姫、空母ヲ級改flagship2隻、戦艦タ級flagship2隻、軽巡ツ級elite。護衛艦隊は重巡ネ級elite2隻、軽巡ツ級elite、駆逐ロ級後期型elite3隻。

第2群主力艦隊は空母棲鬼、空母ヲ級flagship2隻、重巡リ級flagship2隻、軽巡ツ級elite。警戒部隊は戦艦ル級flagship、軽巡ツ級3隻、駆逐二級後期型2隻。

 

合計24隻。はるづきを含めれば25隻の、大規模な機動部隊群。

 

金剛からの報告で敵の陣容を把握していた大隅副長伊豆見広海中佐はがくりと首を垂れる。これだけなら、田所もここまで絶望することはなかっただろう。もともと瑞穂は場合によってはこれと同規模の敵機動艦隊との戦闘も想定していたのだから。しかし、イレギュラーは想定できないからこそ、イレギュラーという。

 

はるづきの存在が、この場の大多数から勝算を奪い去っていた。布哇泊地機動部隊の撃滅を断念し本土への帰投を決断したのだが、現実は容赦がない。

 

「こちらの偵察機の存在が露呈してしまった以上、我々の位置は特定されたも同然ですな。この位置ならあきづき型の対空電探にはぎりぎり捉えられるはず。・・・・・・・・そうでありますよね? 百石長官」

 

左翼に座っている第3統合艦隊首席参謀田所昭之助大佐が視線を泳がせながら、尋ねてくる。

 

「ああ・・・・その通りだ」

 

低い声色の肯定を受け、あからさまに狼狽する田所。敵にこちらの位置を大声で懇切丁寧に教えることとなった偵察機。みずづきとの交流により、FCS-3A多機能レーダーの性能を把握していた横須賀鎮守府組の猛反発を押し切り、はるづきのFCS-3A多機能レーダーに捕捉される危険性を冒してまで33式艦上偵察機による夜間哨戒の実施を主張したのは、紛れもない第3統合艦隊側。田所だった。

 

彼らはみずづきの戦闘能力を書面でしか知らない、艦娘すら深海棲艦への有効打という漠然としたイメージしか持っていない“通常艦艇の海軍軍人”。第3統合艦隊司令官安倍夏一(あべ なついち)中将や参謀長の左雨信夫(さっさ のぶお)少将は俯瞰的で、思慮深い目を持っていたが、その下が食えないのだ。田所や田所経由で聞かされた主張にはいまいちみずづきの戦闘能力を理解していない、または誤解している点が散見された。そして、何より第3統合艦隊全艦艇を無事に本土まで辿りつかせたいという保守的で、消極的な姿勢が目立っていた。夜間哨戒の実施を声高に叫んだのも、要するに奇襲を受けて第3統合艦隊に損害が生じることを何よりも恐れたからだ。

 

部隊の損害可能性を局限化するという観点では一理ある。だが、最終的に漆原や緒方たちに詰め寄られようとも百石が夜間哨戒の実施を決断したのは一部隊の行く末などに頓着しない、大局的な観点からだった。

 

はるづきが今後、どう動くのか。これは百石はおろか東京も知りたがっている可及的な関心事項だった。ミッドウェー諸島に居座るなり、布哇泊地に向かうならそれでいい。しかし、もしこの後YB作戦発動中のベラウ諸島や瑞穂本土に接近されれば、房総半島沖海戦に匹敵する混乱を巻き起こしかねないことは明白だ。

 

敵の脅威度を重々承知しているにもかかわらず、哨戒や偵察もせずわが身可愛さで逃げ帰ったとあらば、売国奴のそしりを受けるが、それはそれ。だが、これは返って良かったのかもしれない。

 

「悲しいことに、敵潜の哨戒網にも引っかかってしまったようですからな。例え、はるづきが偵察機の発進挙動を監視していなくとも、当部隊の大まかな位置は敵に知られたはずです。しかも・・・・・・」

 

五十殿が広がり切った額を撫でながら、視線を落とす。

 

「我々は“足”を奪われました。もう・・・・・逃げ切ることは不可能です」

「偵察機の報告によると敵は32ノットの高速で本艦隊へ直進しています。雷撃により米雪が約15ノット程度しか発揮できないとなると、現在の彼我の位置から計算するに約10時間後には追いつかれます」

 

司令室に重苦しい空気が充満する。大破炎上など米雪が修復、航行不能の損害を被ったのならいざしらず、中破で15ノットとはいえ自力航行可能な艦を置いていく、つまり見捨てるという選択肢は誰の胸の内にもなかった。艦隊の中にそのような艦がいれば、いくら他の艦が全速航行可能といっても一番足の遅い艦に船速を合わせなければならない。そうすると艦隊の速力は15ノットということになる。これでは32ノットで猛追してくる敵からは絶対に逃れられない。

 

「敵はこうする為にわざわざこの海域に潜水艦を配置していたというのか?」

「まぁ、普通に考えればそうでしょう。ここだけに配置しているとは限りませんし。数打てばあたる、ですよ」

 

伊豆見の恐怖に樋口が肩をすくめる。彼はもう深海棲艦の狡猾さを割り切っているようだ。

 

「これで敵が俺たちのケツを追ってきたのか合点がいった。こうなることを初めから想定していたんだな」

「そして、我々はまんまと網にかかったと。笑えませんね・・・・」

「だから、偵察機にも手を出さなかったんだな・・・。って、待てよ」

 

とある幹部が顎に肘を当てる。ほとんどの者は深海棲艦にはめられたという脱力感にとりつかれていたが、彼の疑問は無視していいほど無価値ではなかった。

 

「はるづきはどうして、このタイミングで撃墜したんだ? あれほどレーダーがあるなら昼間のように回避して接近も可能。わざわざ存在を露呈する撃墜などしないほうが合理的では?」

 

その疑問はもっともである。こちらは敵に気付かず、敵はこちらを捕捉可能。奇襲攻撃による一方的な殲滅戦の土壌が整っていたにもかかわらず、敵はそれを自ら放棄した。普通の感覚で考察すれば不可解の一言に尽きる。だが、百石は彼女の口調と金剛たちの報告からその理由をなんとなく察していた。そして。

 

「あいつは俺たちに散々恐怖を味合わせて、なぶり殺しにしたいのだろうさ」

 

漆原も。

 

「もしくは、わざとこちらに存在を知らせて決戦を望んでいるのかもしれない。事実、みずづきは大破し、私たちには東京から布哇泊地機動部隊の撃滅が命令されている。日の入りまで存在した“撤退”という選択肢はもう・・・・・・・ない」

『・・・・・・・・・・・・・・・』

 

ある意味盛り上がっていた室内が一気に凍り付く。百石の報告を受けた瑞穂海軍軍令部、大本営、国防省、佐影内閣は布哇泊地機動部隊を瑞穂そのものの存続を脅かしかねない脅威と判断し、軍令部発の命令でありながら“内閣ノ意向ニ基ヅイテ”との一文が付与された命令文が無電で送られてきていた。米雪が被弾したあとに受け取ったが、既にこの場にいる全員はこれを知っている。

 

“刺シ違エヨウトモ、敵艦隊ヲ殲滅スベシ”

 

東京の強固な意志も同時に。

 

軍人にとって、命令は人命より重い絶対的な行動原理。無視は、あり得ない。そのため、MI攻撃部隊はその総力を挙げて、祖国への脅威を摘むため布哇泊地機動部隊を撃滅しなければならない。通常ならば、ここまで将兵たちを統率しなければならない一部隊の上層部が命令にやりきれなさを示すことは珍しい。

 

だが、戦闘の有無だけでなく、結果である勝敗までも既定路線であろうがなかろうがが、やることは変わらない。

 

「どうするんですか? みずづきが投入できない状態で勝利を掴むことが・・・、勝利の女神を微笑ませることができるんですか・・・」

 

今にも胃の内容物をばら撒きそうなほど憔悴しきった声。誰もその問いに答えない。理由はそれを否定できるほどの強固な確信と可能性を持っていないから。

 

あいにく、この身はそれを持ち合わせていた。急速に氷点を突破しつつあった空気。これを吹き飛ばしかねない可能性はこの手に握られていた。しかし、まだ言えない。起死回生の一打である以上、可能性というあやふやな状態では決して口にできない。膨れ上がった期待からの落胆は容易に人間の精神を回復不能のレベルまで揺さぶる。

 

だから、これは“可能性”から直接判断を聞かなければならない。作戦会議が予定通りの時刻に始まって30分少々。時刻は伝えてあるため、いつ来てもおかしくない。果たして、この場に来てくれるのか。そして、来てくれたとしてもどう答えてくれるのか。他人であり重傷を負った以上、彼女の決断は完全に予測できない。

 

祈るようにテーブルの下で手を合わせる。

(頼む・・・・)

 

心の中での懇願と室内に響き渡った扉のノック。タイミングは全くの同時だった。

 

「失礼します!!」

 

その覚悟に満ち満ちた叫びを聞いた瞬間、懇願と祈念は消滅。強張っていた身体からは力が抜け、椅子の背もたれに上半身の全重量を預ける。

 

だが、それも一瞬。扉の向こうから己の足で甲板に立っている力強い姿を見ると、闘志がひしひしと湧き上がってきた。

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

“みずづき、この通りだ”

 

第3統合艦隊所属、駆逐艦米雪への雷撃事案によって、喧騒に包まれた艦内をかき分け、随分と久しぶりに思える医務室へ帰投。待機していた看護師たちや赤城たちに手伝ってもらいながら、再びベッドに身をうずめた直後、緒方と共に司令室から戻ってきた百石はそう言って、人目を憚らず頭を下げた。

 

“ちょ・・・ちょっと、どうしたんですか!? 百石司令!”

 

下腹部の痛みを覚悟しながら発した驚愕。目を丸くした看護師たちは静かに医務室から退出。室内には百石と険しい表情を浮かべている赤城、長門、吹雪だけが残った。

 

分からなかった。

 

なぜ、横須賀鎮守府司令長官ともあろう百石がこちらへ頭を下げているのか。

なぜ、赤城たちが正反対の感情を交差させた複雑な顔色になっているか。

 

全く、分からなかった。

 

“いくら治癒能力があろうと君はまだ安静にしておかなければならないことは重々承知している。だが、それでも我々は君に頼らなければならない”

 

だが、出穂航空隊33式艦上偵察機撃墜などその後語られた「現状」でその疑問はきれいさっぱり解消した。

 

“私は撃墜と雷撃で我々が敵機動部隊に捕捉されたとみている。そして、撤退という選択肢はない。君にはできれば・・・・・・・・戦場に立ってもらいたい”

 

君がいなければ、勝てない。隠すこともなく深刻な危機感が彼の表情にはありありと浮かんでいた。そして、赤城たちにも。

 

敵の編成と深海棲艦と化したはるづきの存在。そこから導き出されるMI攻撃部隊の運命は例え故郷や歩んできた道そのものが異なっているとしても、百石たちと全く同じだった。そして、この身が戦線に復帰することで手繰り寄せられるかもしれない可能性も。

 

それが分かっていたからこそ、即答したかった。しかし、下腹部の痛みがブレーキをかけた。

 

善処と無謀は違う。決して両者を混同してはならない。

 

冷静沈着なもう一人の自分がそう諭してきた。今の状態ではあきづき型特殊護衛艦みずづきとしての力が、「お前のおかげなんだ」と長門が言ってくれた信念を発揮することができるのか。

 

“それは・・・・・・・・・”

 

自信はなかった。

 

“・・・・。無理強いするつもりはない。だが、答えは聞かせてくれ”

 

軍帽のつばを掴み、顔を隠した百石はそういうと緒方を引き連れて、医務室を退出していった。その背中はやけに小さく見えた。

 

 

 

「みずづきさん? みずづきさん?」

「あっ。・・・・・すみません、赤城さん」

 

傍らで果物ナイフ片手にリンゴを食べやすい大きさに切っている赤城。彼女の声で深層に潜り込んでいた意識が現実に帰還した。

 

「もうすぐ・・・・・できますから、待ってくださいね。潮さん? そこのお皿取ってくれるかしら」

「はい、分かりました」

 

にこやかに微笑んだ潮が仏頂面のまま対面のベッドに腰かけた曙の視界を一瞬だけ遮り、診察台などが置かれている診察エリアとベッドが4つほど置かれている病床エリアの間にあるテーブルに駆け寄る。その上には「調理室から拝借してきた」とリンゴと共に曙・潮が持ってきた皿が置かれていた。その一言以来、曙は口を開いていない。

 

静まり返った室内にリンゴの果肉を切断する爽快な音と陶器同士が接触する軽快な抗議が木霊する。先ほどまで吠えていた艦内放送はすっかり大人しさを取り戻していた。

 

それを破ったのは赤城の隣に座っている榛名の感心だった。赤城の手元と潮が運んできた皿の上に鎮座するリンゴに目を釘付けにしていた。

 

「うわぁ、赤城さん、お上手ですね」

「本当だ。食べる方に特化していた赤城さんがいつの間に新領域への進出を果たしていたんだ?」

 

榛名に呼応して、口調そのものでは分からずともよくよく言葉を吟味すると大変失礼なことを言っている摩耶。

 

「ちょっと摩耶さん!」

 

摩耶の隣で立っていた翔鶴が眉を顰めて、彼女の左腕をつつく。「なんだよ、翔鶴。事実じゃねえかよ」と余裕しゃくしゃくの様子で語る。だが案の定「あげませんよ」と満面の笑みで強烈な対抗手段に打って出た赤城の前には無力。「すみませんでした」と顔を引きつらせる。赤城はなぜか果汁で湿り、怪しく天井の照明を反射させる手元の果物ナイフをゆらゆらと揺らしていた。

 

「加賀さんに教えてもらったのよ。榛名さんたちが休んでいた時、私はただ座っていることしかできなかったから・・・・」

 

房総半島沖海戦とひとくくりに語られる本土防衛戦の中で生起した横須賀湾沖海戦。横須賀鎮守府及び艦娘部隊の壊滅を狙った深海棲艦空母航空隊とその阻止を目指した第一機動艦隊、第六水雷戦隊との航空戦で、赤城たちは横須賀航空隊第102飛行隊の支援もあり戦闘目的を達成するも、榛名・翔鶴・潮が被弾。入院を強いられた。

 

その折、赤城はよく加賀や瑞鶴、金剛を連れだって彼女たちを見舞っていた。加賀がウサギリンゴを作って瑞鶴と戯れていた話は金剛から聞いていたので、赤城の発言に違和感はない。

 

「よしっ。これで完成。加賀さんと比べればまだまだだけど、多めに見てちょうだいね。みずづきさん、どうぞ」

 

満面の笑みを見せる赤城。4切れのリンゴが乗った皿を渡してくる。

 

「あ、ありがとうございます! すいません、わざわざ・・・・」

「お礼なら、曙さんたちに。あの子たちがこれを持ってきてくれたのだから」

 

そう言うと赤城はベッドに腰かけている曙と「いえいえ」と謙遜している潮を見る。曙は相変わらずの仏頂面でこちらに一切、視線を合わせない。妹の潮とは対照的だ。

 

「さぁ、みなさんもどうぞ。さっき、夕食を食べたばかりだから大丈夫かしら?」

「さっきって、もう3時間近く前だぜ? 私はありがたくいただきます!」

 

赤城を貶していた摩耶が真っ先にリンゴを受け取り、みずづきよりも早く口の中に放り込む。そして、「うめぇ~~~」と安らかな笑顔。それにつられたのかどちらが先に取るか視線で譲りあっていた翔鶴・榛名・潮の三人も距離順で赤城から受け取っていく。

 

それを見届け、爪楊枝を指してリンゴを持ち上げる。医務部長道満からは「少量かつ胃に優しいものなら食べてもいい」と許可をもらっている。加えて、鈍痛に紛れて腹の虫も抗議活動の準備をしていた。

 

日が昇る前に口にした朝食以来の食べ物。自然にあふれ出てくる唾液を飲み込み、一切れの半分をほどを頬張る。シャリシャリと独特な咀嚼音を奏でた後、みずみずしかった果肉から奥ゆかしい甘みを宿した果汁が溢れてくる。適度に果汁を絞り出して、一飲み。リンゴが胃に落ちた後には喉の渇きと空腹をも同時に緩和する爽快感のみが残っていた。

 

みずづきの感想を代弁するようにあちこちから「美味しい」という単語が聞こえてくる。

(マジでおいしい・・・・・。これが食堂にあったってことはいつか知らないけど、出てくるってことだよね。これは期待できる。って・・・・)

 

そこで一時的に忘却を許されていた現実が“もう逃避は十分だろう?”と一気に押し寄せてくる。がたがたの断面から果汁を一つ滴らせた食べかけのリンゴが行き先を口から皿の上に変更する。

(そうか。もう・・・・・・・)

 

「みずづきさん?」

 

先ほどまでの和やかな口調は何処へ行ってしまったのだろうか。思考さえ妨害しそうな圧力を宿して、赤城が問いかけてくる。手元のリンゴから一機艦メンバーへ視線を移す。

 

そこにはいたたまれない空気に覆い尽くされ、理不尽で残酷な現実の前に必死に抗っている彼女たちがいた。

 

「いえ・・・その・・・」

「リンゴにとって酸素は天敵です。早く食べないと味が落ちしてまうわよ?」

 

そう言っていいつつ、赤城もリンゴを頬張ろうとしない。そして、みずづきに話しかけているにもかかわらず、こちらに視線を合わせない。顔は俯き、垂れた前髪からわずかに覗く表情は沈んでいた。

 

それではっきりと分かってしまった。赤城たちもリンゴを食べられる機会がこれで最後になるかもしれないという危機感を抱いていることに。それならば、百石のように戦線復帰を求めればいいものの、誰1人としてそのようなこと言う以前に思っている気配すらない。赤城も、翔鶴も、榛名も、摩耶も、潮も、曙も“自分自身”と向き合っていた。そこにみずづきはいない。みずづきに頼み込めば生き残れるという貪欲さもなかった。

 

ただ、これは“こちらの戦い”とみずづきを遠ざけていた。その姿勢は潔く眩しいが一方で悲しくなってくる。先ほどまで爪楊枝を持っていた手でお腹を撫でる。

(っ・・・・・)

鈍痛でありながら所々に突発的な鋭さを宿した悲鳴が脳に駆けあがる。これが赤城たちに気を遣わせている元凶だ。自分があまりにも不甲斐ない。はるづきの挑発に乗らず、あそこで摩耶に付き添われたまま素直に撤退していれば、不安と絶望の応酬ではなく、勝利に向けた建設的な議論を一同全員でなすことができたのだ。

 

自分がいなければ、MI攻撃部隊は壊滅し、やっと得られた居場所も帰る場所もなくなる。あきづき型特殊護衛艦として日本で瑞穂で数々の実戦を経験し、大海原を駆けてきたからこそ赤城たちの運命は火を見るよりも明らかだった。

 

はるづき一隻のみなら、みずづきがおらずとも圧倒的物量を有するMI攻撃部隊の勝利は間違いないだろう。しかし、今、はるづきには赤城たち艦娘部隊と同規模、もしくは上回るかもしれないほどの機動部隊がついている。絶対的なミサイルの傘と大威力の弾。対して赤城たちや百石はそれを吹き飛ばす暴風も、打ち返すバッドも持っていない。これではワンサイドゲームだ。抵抗の希望はない。

 

彼女たちの顔を見る。今は誰も固まっているが、横須賀鎮守府で、この大隅で、日常的に見せてくれていた眩しい笑顔の幻影が唐突に彼女たちの顔に重なる。

 

そして、その次に瞬いた光景は「沈みゆくたかなわ」と「最期に微笑むかげろう」、「岸壁に寝かされた無数の遺体」だった。

(こんなの・・・・・・・、もう2度と・・・・・・・・・見たくない!)

その対照的な2つの記憶がみずづきの自信を奮い立たせ、躊躇する心を消滅させる。

 

何を迷うことがあるのだろうか。少しでも迷ってしまった自分がひどく腹立たしい。ついさっき、改めて決意したばかりだったではないか。

 

“これまで信じてきた道を進む”と。例えその信念を抱くことになった原因が作為的なものであったとしても、抱くことになった苦しみの悲しみも全て本物。抱き続ける価値があると確信したではないか。

 

今がまさに再び訪れた防人としての真価を発揮する時。負傷していたとしてもそんなもの、逃避と躊躇の理由にはならない。

 

意識がある。腕が動かせる。頭が動かせる。足は無傷のためその気になれば歩くこともできる。やれることは無数にある。この手にはきちんと選択肢が握られているのだ。

 

確実ではないにしろ、彼女たちとこれから先も笑い合い、歩んでいける道。

確実に後悔と絶望を味わい、知山の命令をも守れず、ここで果てる道。

 

よって、どの未来を望むかはこの身次第。神でも天でも運でもない。この手が、この身が判断しなければならない。なら、答えは明白だ。腹から湧き上がってくる抗議を黙殺し、みずづきは選択を下す。可能性があるのなら、その可能性を高め100%に昇華させるために考えて、努力して、邁進する。決して諦めては、逃げてはならない。

 

最後の最後までこの信念を貫くため、防人としての矜持を果たすため。あの地獄を見て、奇跡で生かされ、この世界で様々な人々に助けられた1人の“人間”としてここでの停滞は絶対に許されないし、何より自分自身が自分自身を許せない。

 

「みなさん」

 

ゆっくりと、しかし大きくはっきりと言葉に覚悟を乗せて赤城たちに話しかける。それで察知したのだろう。ある一人を除いて、全員がこちらを案じるような視線を向けてくる。それを否定するように頭を横に振り、自らの選択を告げようとする。

 

「私は・・」

 

だが。

 

「やめさない」

「曙ちゃん・・・・・」

「恰好・・・つけてるんじゃないわよ」

 

唇を噛みながら声を震わす曙によって中断を余儀なくされる。曙は潮の問いかけを無視して、「やめさない」と言った意思を視線で突き刺してくる。

 

久しぶりに見た曙の表情。それは怒気すら含んだ口調と対照的に今にも泣きだしそうなほど悲し気なものだった。

 

「あんた、自分の身体でしょ? なら自分の状態が戦闘可能かどうかぐらいわかるでしょ。・・・・・・・無理よ、あんたには。まだ、完全に傷が癒えていないんだから」

 

彼女の言葉は何も間違っていない。道満からは全治3、4日。最低、明日一日は絶対安静が必要と言われているし、いまだに痛みは引かない。包帯が湿っていることから見ると曙の言う通りだ。そんな状態では身体に多大な負担を強いることになる戦闘など遂行できないと考えるのが普通だ。特に今回のような激戦が予想される戦闘には。

 

しかし現状はそのような甘えが許されるような情勢ではない。何より・・・・・・。

 

「だから、あんたはここで大人しく・・・・」

「しないよ」

 

仲間の死を座して眺めていることなど到底できなかった。だから、曙の言葉ははっきりかつ速やかに否定する。

 

「私は戦う。みんなを守るために、みんなと一緒に横須賀に帰るためにっ」

「みずづき・・・・」

「なん・・・・でよ」

 

目を潤ませる摩耶と曙。だが、同じ行為でも宿している意味は全く違う。唇を噛むだけでは飽き足らず睨んできた。

 

「負傷した艦なんて足手まといもいいとこ。独りよがりな決意で抱えなくても済んだ負担を抱えるこっちの気持ちにもなってみなさいよ。迷惑にもほどがあるわ」

「ちょっと、曙さん?」

 

琴線に触れたようで、珍しく赤城が鋭い視線で曙を睨みつける。一瞬ひるむものの、収まらない。

 

「状況に応じた適切な対応。これが軍人の基本でしょ? あんたは今けが人。そして、あんたが向かおうとしているのは戦場。一瞬の気の緩みや集中力の欠如で取り返しのつかない事態を招く。そして、それは本人だけには・・・・・・」

 

曙は長々と留まるところを知らず、話し続ける。普通に聞けば“足手まといは引っ込んでいろ”という配慮の欠片もない、拒絶。だが、彼女と知り合って約半年。もう、みずづきも曙の性格は熟知していた。だから、彼女がどのような感情に基づいて声を荒げているのか分かった。

 

「もういいよ。曙」

「は? あんたが良くても私が良くないのよ。現実を見ない愚か者にはこうして指摘してやらないと・・・・・」

「心配してくれてありがとう」

 

心の中で渦巻く彼女への感謝と愛おしさができる限り伝わるよう、最大限の笑顔を示す。果たして、彼女にはどう届いたのだろうか。曙はあんぐりと口を開けると俯いて沈黙。これで終わりではないと覚悟していたが、案の定「だから、なんで」とか細い声を発した後、勢いよく顔を上げ、食い掛かってきた。その拍子に照明の光を反射し不規則な光を放つ水滴が宙を舞う。

 

彼女の涙はいつ以来だろうか。

 

「あんたは・・・・・なんで他人ばかりを庇おうとするのよ!!!!」

 

涙腺の決壊による鼻と喉の異常を意地で抑え込み、声を張り上げる。

 

「馬鹿なの!? ねぇ!? 馬鹿なのあんたは!? そんな体で出撃なんかしたら、いくら治癒能力が人間の次元じゃないって言ったってただじゃ済まないに決まってるじゃない!!」

 

曙にはショウの元から医務室に戻ってきた際に、みずづきの身体に限定してショウから語られた事実が赤城の口から伝えられていた。その場には翔鶴以下、赤城と曙を除く一機艦メンバーもいたため、みずづきが厳密な人間ではないことは既に全員知っていた。その時、誰も衝撃のあまり、事の真偽を赤城に迫った。その中で最も取り乱していたのは曙だった。

 

“そんなの・・・・・。そんなのってないじゃない!!!”

 

この身を想うが故の怒り。それは胸に深く染み渡った。

 

「もう少し自分を大切にしなさいよ! あいつは・・・はるづきはあんた、あんただけを殺そうとしたっていうじゃない。はるづきはあんたを目の敵にしてる。行けば、確実に狙われる。あいつは・・・・・・・」

 

裏返ろうとする声。声帯を必死に誘導し、言葉を紡ぎ続ける。

 

「あんたを・・・・・・・・殺そうとする。私たちじゃ、それを止められない。あんたを守れない・・・・・・・」

 

曙は右腕で乱暴に涙を拭う。潮が優しく左肩に手を乗せるものの、まだ曙らしさは止まらない。

 

「だから、あんたはここで大人しくしろって言ってんのよ・・・・」

 

やはり、確信は間違っていなかった。そんな曙だからこそ、そんな仲間たちだからこそ、みずづきはこの選択をしたのだ。

 

「ありがとう、曙。でも、その忠告に従えない。私は行くよ」

 

そう告げると胸のちょうど腹部の辺りまでかかっていた布団をどかし、背中を預けていた背もたれから体を起こすと足をベットの脇に垂らす。それで何をしようとしているのか分かったのだろう。

 

「みずづきさん!?」

「何してるんですか!? そんなことしたら傷が!」

 

赤城と翔鶴が血相を変えて止めようとするも、手と力を入れた視線で制止。ゆっくりと足を地面につける。足裏から久々に感じる圧力。興奮と緊張を抑え込むため、何度も深呼吸。

 

「ったく、どいつもこいつも・・・・。ほら、手・・・・貸してやるよ」

 

頭を掻きむしった摩耶が目の前に立ち、両手を差し出してくれる。視線で謝意を伝え、彼女の手に自身の手を重ねる。摩耶はしっかりと驚異的な速度で治った手を握ってくれた。後は足と腹筋に力を入れるだけ。そうすれば、身体の回復を示すことができる。身体のあちこちで骨や筋肉、神経が悲鳴を上げるが意図的に無視。

 

そして、激痛に抗い、足に思い切り力を入れて立ち上がる。

 

「いたっ」

「みずづき? 大丈夫か?」

 

さすがに全ての感覚を裏で処理することはできなかった。腹部を震源とする痛みで顔が歪む。包帯が生暖かい液体を含んでいく感覚が正常に機能している感覚細胞から伝わってくる。摩耶が深刻な表情で問いかけてくるが、痛みに耐えながら無理に作った笑顔で「大丈夫」と答えた。

 

だが、予想以上に痛みが引くのは早かった。これも深海棲艦譲りの治癒能力のおかげか。「ふぅ~~~」と安堵する曙。みずづきが何故ここで立ち上がったのか、分かっているようでバツの悪そうな顔をする。対するみずづきはどや顔。

 

だからその問いは行為自体ではなく、行為を発生させた意思に向けられていた。

 

「・・・・・・・・なんでよ」

「その理由は曙も分かってると思うけど? あんただって、私と同じでしょ?」

「くっ・・・・・・・・・」

 

悔しそうに顔を歪める。

 

「あんたはもう少し自分を大切にしろと言った。でも曙だって、仲間が危険にさらされれば身を顧みずに助けに行くよね?」

「そ、それは・・・・・別に、そんなこと・・・・」

 

否定するような発言をしながら、顔を明後日の方向に向ける。分かりやすい反応に潮が苦笑。それをきっかけに赤城たちにも伝播する。

 

「なによ? あんたたち・・・・・。言っておくけど、私にとって・・・」

「私だって、死にたくない。でもそれと同等に人の死を、死を前に絶望する姿を見たくない。・・・・・・散々、見てきたもん」

 

自身の言葉を遮られ声をあげかけた曙だったが、みずづきを見て黙り込む。その想いの源流に何があるのか。日本世界の歴史をみずづきから直に聞いてきた赤城たちは知っていた。そして、だからこそ否定などできない。曙にすら不可能だ。その想いは単純に彼女の優しから生み出されたものなのだから。

 

「だから、私は行くよ。大事な乙女の身体にこんな大傷刻み込んだんだもの。仕返ししてやらないと気が済まないしね」

「あんたって・・・・・・、はぁ~~~~」

 

もう好きにしろと突き飛ばすように重いため息をつく。だが、表情はなぜか晴れ渡っていた。赤城たちにおいても同様である。お互いに顔を見合わせ、肩をすくめて「こいつらは・・」というように笑っていた。

 

「でもみずづきさん? その気持ちは大変嬉しいけれど、道満部長の判断次第よ? 道満部長が無理と判断すれば、私から直接提督に意見具申します」

「その心配はいらない」

『っ!?』

 

幽霊もびっくり仰天の唐突さで室内響く声。全員が一斉に声の聞こえた方向、医務室の出入り口付近に視線を向ける。そこには・・・・・。

 

「み・・・・道満部長!?」

 

苦笑を浮かべて後頭部を撫でている道満が立っていた。

 

「ど・・・どうして」

 

摩耶が顔を強張らせながら、人差し指で人を指す。御手洗あたりなら激高確実な行為だが、状況が状況だけに道満は反応しない。

 

「どうしても、なにも。ここは医務室だ。私がいて何がおかしい?」

「そうじゃない! いや、ありません! 先ほどの言葉はいかにも話を把握しているような口ぶりでしたが?」

「そりゃ、把握していた。扉越しに聞いていたからな」

 

盗み聞きしていたと素直に認める道満。怒りを覚えるものの、相手は軍医で大佐。こちらに対抗手段を講じる手立てはなく、摩耶が無念そうにため息をつく。

 

「君たちの同意も得ずに聞いてしまったことは素直に謝る。しかし、扉の前に立っていても普通に聞こえてくるほどの声量で話しているのもどうなのだね? ここは医務室だよ、医務室」

 

わずか一言で形勢逆転。こちらが叱責される立場となってしまった。道満の言葉にはどこにも誤っている点はないので、一同で素直に「すみませんでした」と頭を下げる。

 

「まぁ、おかげで君たちの意思を確認することができたからね」

 

道満は扉を開けたままみずづきの元に歩み寄ると、険しい表情に変えて視診する。訪れる緊迫の沈黙。そして、彼ははにかんだ。

 

「結論はさっきと変わらない。私がドクターストップを駆ける心配はいらない。・・・・・・許可しよう」

「ほ、ほんとですか!?」

「本当ならあと1日は安静が必要なんだがね。まぁ、特例だ。それに君に頑張ってもらわないと私たちもここで果てることになりかねないからね」

「良かったぁ~」

 

安堵のあまり全身の力が抜けてベッドに倒れ込みそうになる。しかし、背中から回された腕が直立を不動に固定する。体を支えてくれたのは立ち上がりを手伝ってくれた摩耶だった。

 

「良かったな、みずづき。これで俺たちにも希望が見えてきたぜ」

「ありがとうございます! 摩耶さん!」

「おう! それじゃあ・・・・」

 

摩耶は笑顔を浮かべたまま、開け放たれた扉を見つめる。そして、赤城たちと視線を交差させると威勢よく言った。

 

「行くか。提督の元に!」

 

それに対する答えはもちろん・・・・。

 

「はい!!」

 

威勢のよい応答だった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

ベラウ諸島海域 

 

闇夜に浮かび上がる、赤い島。各所から立ち上った黒煙は海風の影響で1つにまとまり天高く上昇し、活躍の場の到来に歓喜している星々に容赦なくレッドカードを突きつける。瑞穂人にとってそれは本土の至るところに存在する火山の噴火を連想させる様相だ。島内に自生していたあらゆる植生を燃料とし吐き出し続けている灼熱の炎と暗黒の火煙は衰えを知らず、攻撃開始から3日半が経った現在でも常時炸裂し続けている砲弾と爆弾が新たな加勢となり島を焼け野原に変貌させている。

 

その穢れた光を船体の側面に反射させ、島同様暗闇の中でも明確な存在感を放っている一隻の軍艦。周囲には本来黒のはずの船体を赤に変色させている艦艇が5隻ほど確認できるが、その中でもその軍艦は「軍艦」と呼称するには目を引く大砲も機銃もなく、民間の船会社が保有している貨物船の趣を強くしていた。しかし、その艦は艦娘と呼ばれる艤装を身にまとった少女たちが深海棲艦対抗の切り札とされる現在の情勢では、一般的な軍艦よりも遥かに戦略的重要性を帯びていた。

 

大隅型艦娘母艦3番艦「島根」。山陰地方の島根半島より名前を授けられたこの艦の所属は西瑞穂太平洋沿岸を管轄海域とし広島県呉市に拠点を置く、瑞穂海軍5大鎮守府のうちの1つ、呉鎮守府。YB攻略部隊の司令部は佐世保鎮守府大隅型艦娘母艦2番艦「西彼」に置かれている。そのため、ベラウ本島西方沖に停泊しているかの艦よりは活気も取り巻きの艦艇も少ないが、呉鎮守府司令長官三雲幾登(みくも いくと)提督が座乗した立派な前線作戦司令部。

 

時間帯が時間帯のため艦内は灯火管制が敷かれ、外の方が明るいという奇妙な事態に陥りながらも各々の職務を全うしている。おかげで艦娘母艦として、一隻の瑞穂海軍艦艇として稼働している島根。呉鎮守府の前線司令部として活動を支えている司令室は窓がないため通常の蛍光灯が灯され、闇世の中、進行する作戦情報がひっきりなしに届いていた。

 

それを当直将兵たちが、室内に詰めている三雲以下、参謀部長山下智侑(やました ともゆき)中佐をはじめとする呉鎮守府幹部の顔色をうかがいながら適切な処理を施していく。

 

「第二海上機動旅団司令部よりYB攻略部隊司令部経由で砲撃支援要請。ペリリュー島南部、旧ペリリュー海軍飛行場滑走路北端に構築された敵トーチカ群。当トーチカが第1大隊第3中隊の前進を阻んでいる模様」

「滑走路北端?」

「この位置です。敵撃破は瑞雲による爆撃の場合が容易と考察されますが、第1大隊もそれは承知のはず。にもかかわらず砲撃支援を要請してきたということは伊勢や日向の35.6cm、足柄や羽黒の20.3cmほどの威力がなければ撃破できないトーチカではないかと」

「そうだな・・・・。第三遊撃部隊(三游部)の現在位置は?」

「ペリリュー島、西浜沖13km! 現在、第3大隊作業中隊の要請を実行中。8分後に達成の見込み」

「よしっ。伊勢に打電。砲撃支援要請に基づき、第3中隊の前進を妨害している敵トーチカ群を粉砕せよ」

「了解」

 

聞いている限り、順調に進んでいるペリリュー島攻略。しかし、同じ室内でも、当直将兵たちと呉鎮守府上層部との間に漂う空気には天と地ほどの差があった。

 

砲撃を至近で食らったのかと心配してしまうほど髪の毛を乱し、目の下に黒々とした隈を刻み込んだ三雲。彼ほどではないものの、一往に深刻な表情の幹部たち。彼らはペリリュー島ではなく、ここから約5600km離れたミッドウェー諸島及び布哇諸島の地図をテーブルの上に乗せていた。ミッドウェー・布哇間の所々にひかれた直線。複数あるそのうちの2つに×印がつけられていた。

 

「伊168と伊19からの定時報告が途絶えて丸5日。敵に見つかったとしても遅すぎる」

 

もともと落ちていた肩を益々落とす三雲。他の鎮守府や司令部の指揮官や部下たちが見れば“指揮官失格”の烙印を押されかねない光景だが、彼を取り巻いている部下たちの中でそう思っている者は誰もいなかった。誰でも懇意にしている存在が、生存の絶望的な状況に置かれれば憔悴する。伊19もそうだが、伊168と三雲は呉鎮守府所属艦娘の中でも特に親密な間柄で、これは呉鎮守府将兵の間にも広く知られた事実だ。彼がどれほど彼女を信頼しているかは伊168が秘書艦を務めていることからも分かる。かといって、後生大事にそばに置くわけでもなく、必要性があらば三雲は伊168を他の艦娘たちと同様に出撃させている。

 

房総半島沖海戦での雪辱を晴らし、深海棲艦によって奪われた国土を奪還する一大作戦。しかもあの作戦の再来であるMI作戦で責任重大な敵機動部隊捜索網の構築を任されたとあっては士気が上がらないわけなく、潜水艦娘たちは勇んで呉湾から出撃していった。彼女たちが見えなくなるまで岸壁から見送っていた三雲の姿は多くの将兵によって目撃されている。

 

それから約2週間。三雲を、そして呉を取り巻く事態は深刻さを増していた。

 

1つは敵機動部隊のMI攻撃部隊への肉迫。これを呉鎮守府が受け持っていた哨戒網は一切捕捉することができなかった。呉としては「はるづき」の存在が哨戒網を事実上無効にしたと推測していたが、早くも海軍の各所から呉鎮守府への非難が上がり始めている。

 

2つ目は伊168と伊19の消息不明だった。潜水艦娘たちには情勢把握のため1日に2回、呉鎮守府に定時報告を行う旨が通達されていた。事実、ミッドウェー諸島東方海域で哨戒にあたっている伊58、伊8、伊401からは滞りなく報告が入っている。敵が至近に存在する状態で浮上を伴う報告を行えば捕捉されるため、報告の中止もが容認されている関係上、報告が滞ることはそれほど珍しいことではない。今までもそのような事案はあった。しかし。

 

「そうですね・・・・・」

 

三雲の呻きに山下が応じる。丸5日間も報告がない事態は初めてだった。さすがに5日間も敵の対潜部隊に追い回されているとは考えにくい。戦闘で通信機器が破壊され、報告を行えない状態の可能性もあったが、伊168と伊19の哨戒ラインははるづきを擁する敵機動部隊が航行したと思われる航路と重なっている。大隈の報告でははるづきはみずづきとは同列視できない完全な深海棲艦と化しているとされていた。そして、はるづきはみずづきと同等の捜索・戦闘能力を持つと言う。

 

呉鎮守府の上層部にも見た者を例外なく椅子から転げ落すほどの衝撃を宿したみずづきの能力は知らされていた。

 

もし、はるづきに伊168たちが捕捉されていた場合、生存は・・・・・厳しいだろう。

 

それは三雲を含めた全員の共通見解だった。口には誰も出さないが。

 

「川田? 伊58が報告してきた新手について、MI攻撃部隊には報告しただろうな?」

「はっ。緊急情報でしたので中佐の裁可を経た後、即座に通報いたしました」

 

山下の対面に控えている通信課長川田友臣(かわだ ともおみ)中尉が鬱屈な空気を払うように、深夜にもかかわらず覇気のある回答を寄せる。通常ならば、これほどはっきり答えられると「そうか」で別の関心事項に移行する。しかし、世の中には何かの意思が働いているとしか思えない不自然な事象が多々存在する。

 

並行世界証言録、そして艦娘たちの話の中にもそれはあった。

 

「大隅は艦橋が低い。無電が届いていることは確認したか?」

「はい。小生も中佐と同様の懸念を抱いておりましたので、部下に大隈からの受諾電報受信の確認を取りました」

 

安堵を抱きたくなるが、まだだ。

 

「一度しか打ってないだろう? もう一度打つ必要性は?」

「現在、MIは軍令部の命令を受け、敵機動部隊殲滅作戦を企画・検討中です。既に先ほど申し上げたとおり、大隈は無電を受信していますから、同じものを2度、3度と送るのはあちらに負担と混乱を生み出しかねません。よって、必要性はないと判断いたします」

 

川田ははっきりと断言する。相手はおそらく瑞穂海軍の歴史の中で最強の敵機動部隊。それを葬る作戦だけに今頃、大隅や各艦は大わらわだろう。通信班も多忙を極めているはずで、そこに不必要な無電を送るのは迷惑以外の何物でもない。既に大隈が受信したことは確認されている。

 

山下は川田に「お前の言う通りだな」と応じ、安堵のため息を漏らす。

 

「これでミッドウェー諸島海域に存在する敵艦隊は空母棲姫を旗艦とする1群と空母棲鬼を旗艦とする2群と合わせて3群。無事に乗り切ってくれよ・・・・・」

 

もうこれ以上、犠牲が生じないように、犠牲によって途方に暮れる者が出ないように山下は誰にでもなく祈る。

 

 

 

 

 

 

だが、何かの意思が働いているとしか思えない不自然な事象がよりによって現在生じていたとは誰もまだ気付かない。




誤字・脱字が絶えない作者ですが、とあるつじつまが合わない部分は“わざと”です。

ただ、なんの意思も絡んでいない普通の間違いもあると思いますので、気づかれた方はご一報くださるとうれしいです。

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