水面に映る月   作:金づち水兵

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艦これ、5周年、おめでとう!!


88話 衝撃

「は・・・・・・・・・?」

 

淡々と世界に吐き出された衝撃発言。その内容と一切の動揺がないショウの態度に、脳や肺に留まらず声帯までがパニックを起こし、機能停止を引き起こす。

 

彼は今、なんといったのだろうか。

 

この場にいる全員がみずづきと同じなのか、驚愕している雰囲気は伝わってくる。誰1人声を発するものはいない。水銀のような重苦しさとハチミツのような粘着力を同居させた不快な沈黙が訪れる。

 

その沈黙を破ったのは、この沈黙の創造主たるショウだった。

 

「俺がみなさんに伝えようとしてた世界の真実には、彼女が置かれてる純然たる事実も内包してます。先ほども言ったように、彼女は・・・・」

「こっちが物言えないことをいいことに・・・・・」

 

全身が震えてくる。突然の衝撃的な宣告にも原因がある。しかし、主たる原因は驚愕でも恐怖でもない。怒りだ。唐突に存在自体を否定するような、信じられないことを低姿勢でもなく、逆に抗言が許されないほどの高飛車な姿勢でもなく淡々と語られて、不快にならない人間がいるだろうか。

 

ただこの感情は、ショウの言葉を吟味した末に導き出される得体のしれない結果からの逃避によって加熱されていた。

 

「私が生命の輪廻から外れてる? どういう意味よ? 人類は神になれなかったって言ってたくせに、私は神とでも? それとも実はもう死んでて、幽霊とでもいいたいの?」

 

やけくそ気味の発言だった。自分自身が幽霊などと思ったことも、疑ったこともない。もちろん、神などという世迷言も。だが、ショウの応対は「ある意味、惜しいな」。その瞬間、煮えたぎっていた激情は恐ろしほど一瞬で消火された。

 

「え・・・・・・」

「百石司令に確認します。みずづきははるづきとの戦闘で全治数か月を要する重傷を負い、本来なら今頃病床の上で絶対安静を言い渡されてますね?」

 

ショウの発言を聞いても艦娘たちのように暴走せず、直立不動でことの成り行きを見守っていた百石。横目でみずづきを一瞥すると唇を噛みながら、肯定した。

 

「ああ。普通ならば、意識が戻っただけでも奇跡と身を寄せ合って歓喜に沸くほどの状態だった。にもかかわらずみずづきは・・・・・・・」

 

百石の瞳がわずかに揺れる。

 

「これは一体どういうことなんだ?」

 

その問いに対する回答は果たして、誰に向けられたものだったのか。ショウは特定の人物に視線を肯定することなく、衝撃発言時と同様の淡々とした口調で再び宣告を行った。

 

「みずづきはもう厳密な意味での人間では、ないんです」

「っ!?」

 

黙っていては気がおかしくなりそうだったため、胸の内に蓄積した心情を吐露しようとする。しかし、ショウが機先を制した。

 

「君は確かに百石たちと変わらない人間だった。・・・・・・・・・・・日向灘の戦闘で沈むまでは」

「沈むまではって・・・・・」

「君はあの時、生物としての明確な死を迎えたんだ。それは君自身が一番よく分かってることだろう?」

 

その言葉に反論は浮かばなかった。ショウの言う通りだった。日向灘でかげろうを葬り去った深海潜水艦と差し違え、かげろうのロクマルを収容した後、漆黒に染まっていた大海原に倒れ込んだ。

 

徐々に大気ではなく、海水に覆われていく清涼感。

全身の至るところから消失していく感覚と熱。

淀んで霞み、遠のいていく意識。

 

それらを得て生命としての本能は、総合的な判断を下した。「死」・・・・・と。

 

「その感覚は間違いじゃない。確かにあの時、君は・・・・・・・死んだんだ」

「でも、私はここで、五体満足でこうして生きてる。この矛盾はなんなの?」

 

今までは死を迎える本当に直前でこの世界に転移してきたと思っていた。自身を死の瀬戸際まで追いやった傷も転移の際に何らかの作用が働いて回復したのだと、そこまで深く考えていなかった。しかし、よくよく反芻してみれば不可解な点だらけだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

ショウは突然黙り込む。先ほども似たようなことがあった。彼なりの配慮だろうが、逆に気になって仕方がない。「いいから、話して」と先を急かす。意を決したように語られた言葉を聞いて、ショウの態度の理由を痛感した。

 

「君の身体はこの世界にやってきていない。やってきたのは・・・・・・艤装だけなんだ」

「・・・・・・はぁ?」

 

突飛な発言に思わず、顔をしかめてしまう。

 

「肉体という膨大な情報量を維持した存在は、現在の物理学の知見では世界の壁は超えられない。その体、そして制服は艤装に記憶されていたみずづきの体組織構成、厳密言えば原子組成にのっとって艤装が生成した器。意識は君が死を迎える間際に艤装が自己の記憶容量に緊急退避させたものを再インストールしたにすぎない」

 

突然告げられた、みずづきの常識を逸脱する事実の列挙を前にもはや言葉がない。ただ、唯一出た言葉がある。

 

「何よ・・・・・・・それ・・・・・・」

 

艤装が体を作った。

意識は艤装が再インストール。

まるで高校生が授業で何らかの情報機械を製作するように言う。全く持って信じられない。

 

「だから、目覚めたとき、体と制服は元通りになっていたんだ」

「そ、そんなことが・・・・・・可能なの? その艤装に・・・ねぇ?」

 

眼前の艤装へ指を差そうとする。だが、差せない。

 

あまりの寒気に体が震え、指がいうことを聞かなかった。

 

「体の再生には驚いた。まさか、炉心にこんな機能があったとは・・・」

「ろ、炉心?」

「炉心とは艤装の核、人間でいえば心臓に相当する部分だ。燃料から得たエネルギーを艤装各所へ臨機応変に供給する機能も持ってるが、最も大きな役割は限定的な特異点を発生させ艤装と艤装装着者を既存の物理法則から解放すること。人間には成し得ないと言われた神の御業。その根本が炉心なんだ。そして、その炉心はレアメタルなどの貴金属ではなく、試験体・・・・深海棲艦の細胞によって構成された生体機械・・・・」

『っ!?』

 

“今、なんて言った?”

誰も口を開いていないにもかかわらず、その疑問が聞こえた気がする。それはごく自然の反応だ。それほどのことをショウは語ったのだ。

 

みずづきは自身が今まで装着し、命を預けてきた艤装をまじまじと見る。どこからどう見ても、ただの艤装であり、現代人なら違和感など覚えない機械。この中に抹殺対象とする敵の一部が入っているなど、誰が想像できようか。

 

「し・・深海棲艦の・・・?」

「というか、特殊護衛艦システムは深海棲艦開発過程で生まれた副産物なんだよ。深海棲艦がいなければ、艤装は永遠にこの世に登場することはなかった」

 

深海棲艦の開発が始まったのは川中レポートが提出され、神昇計画が承認された2019年。一方、特殊護衛艦システムが登場したのは2028年10月。日本が世界で最速。時系列でみれば、ショウの言葉に矛盾はなかった。

 

「炉心がみずづきを再生させた。そして、その炉心は深海棲艦の細胞でできている・・・・っ!?」

 

百石が顔面蒼白となり、息を飲む。その反応がただ百石の独白を聞いていた一同の理解を促進させ、全員に同一の結論へと導いた。

 

それはみずづきも同じ。

 

「ということは・・・・・・・」

 

おそるおそる自身の体を見る。

 

「ただの機械であったはずの炉心がなぜ、君を救う決断をしたのかはわからない。事実を述べれば、炉心は君を救った。ただし、炉心は炉心。炉心は装着者を救うことなど想定して設計されていない。それでも炉心は自らの力で君を延命させようとした。なら、とるべき手段は1つしかない。深海棲艦の遺伝子を拝借して即席の()を作るしか・・・・ね?」

 

絶句。その2文字がこの室内を覆い尽くす。

 

視界が一瞬歪み、平衡感覚がストライキを起こす。このまま意識を閉ざしたい衝動に駆られたが、この体は心と脳のいうことを聞かない。すぐに今の状態が目眩であると認識できるほどに意識が正常運転を開始する。なんとも残酷な仕打ちだった。

 

まじまじとなんの傷もない左手を見つめる。己の肉体が「人間」から逸脱していることを証明する動かぬ証拠だった。この体には深海棲艦の細胞が入っている。

 

あの、無慈悲かつ殺人兵器の一部が。

 

「ショウ、教えて。私が・・・・わ、私がある日突然、深海棲艦になる可能性は、あるの?」

「みずづきさん・・・・・」

 

自身は人間ではなく深海棲艦と知らされて、一番に思考を支配したもの。それは自身が深海棲艦と化して、艦娘たちや瑞穂軍を攻撃する幻影だった。

 

自分の体に深海棲艦の遺伝子が入り込んでいた。その事実だけでも全身は恐怖に席巻されている。しかし、これはもう事実であり、どうしようもないこと。それ以上に真実を知っても貫くと決めた信念と、信念に基づいて守ろうとしたものを自分の手で破壊することが何よりも恐ろしかった。

 

あのような化け物になること自体嫌だったが、何より自身が跳ねよけようとした邪悪な意思に染まって破壊者になることが嫌だった。

 

その意思を赤城は察知したのだろうか。

 

「あると言えばあるし、ないと言えばない」

「はい?? ・・・・・・ちゃんと答えてよ・・・・・・」

 

あやふやな返答に、こちらの気持ちをないがしろにされたようで頭に来た。つい、尖った物言いとなる。ショウとしても不本意な回答だったようで「すまない」と睫毛を伏せた後、的確な返答を寄せた。

 

「君が深海棲艦になることはほぼない。君には深海棲艦の遺伝子が混ざっていが、あくまで君の元の身体を参考にし、極限まで忠実に再現されてる。だからあくまでも君は、治癒能力以外は人間の枠を外れていない。それは元の身体を参考にしてる以上今後も変わらない。これは、断言できる。さっきはああいったが、深海棲艦の遺伝子を組み込まざるを得なかったのはおそらく戦闘で炉心そのものが損傷、または疲労して100%の性能が発揮できなかった結果だろうさ。詳しいことは俺でも分からなんが」

「そう・・・・・ふぅ~~~」

 

ひとまず、安堵。

 

「じゃあ、なんであるって言ったの?」

「深海棲艦の遺伝子がなくとも、普通の人間が深海棲艦化する場合があるんだ」

『えっ!?』

「もっとも分かりやすい事例は・・・・はるづきだろうな」

「はるづきが?」

「君も覚えているだろう? はるづきの容姿を。あれは人間に近い云々の議論の余地すらない完全な深海棲艦だ」

 

その結論に異論はない。全ての感情をそぎ落としたような白髪に、死体のような青白い肌。禍々しい装いに変貌した艤装。彼女はどこからどう見ても、誰が見ても同じ結論に至る深海棲艦になり果てていた。

 

「特殊護衛艦システム装着者には艤装と精神が高度の接続状態に置かれる以上、炉心の暴走に巻き込まれるリスクが一定程度存在する。装着者はもともと炉心と親和性の高い遺伝子を持ってるから炉心が暴走すると、第二世代深海棲艦開発用の薬剤と同様の効果が発生し、装着者を不適合者より簡単に深海棲艦へと変異させてしまう。艦娘が素材の有望株とされるのもこれが理由だ」

「艦娘の深海棲艦化・・・・・・」

 

それを聞いても、みずづきは百石たちほどの衝撃を覚えない。なぜなら、その話は聞いたことがあったのだ。一部の海防軍関係者の間で囁かれていたとある噂。

 

“艦娘は耐えられない恨みを抱くと深海棲艦になって、恨みの発散・・・・復讐に走る”

 

ここから、深海棲艦は艦娘のなれの果てという別の噂につながっていくのだが、それはここでは関係ない。

 

問題は噂が事実だったという点だ。そして、そこには律儀にも深海棲艦化の原因が明示されていた。

 

「その原因って・・・・・」

「感情の負荷蓄積。簡単に言えば、装着者が許容できないほどの精神的な苦しみ、怒り、恨み、嫉妬などを抱えた時に炉心の暴走が起こりやすく、比例して深海棲艦化が起きやすい。神話や昔話と一緒だ。・・・・・・・・闇に墜ちると化け物になる」

「・・・・・・それにしては、私たちの扱いが雑だったような気がするけど」

 

艦娘部隊の指揮官には艦娘をただの駒、出世の踏み台としか捉えていない指揮官が通常部隊とは比較にならないほどの確率で存在していた。知山はあくまで少数派。その紛れもない証拠が第53防衛隊である。おきなみも、はやなみも、かげろうもそんな指揮官との間で深刻な問題を起こし、須崎と言う僻地に左遷された艦娘だ。そして、もしショウのいうことが正しければ、この身も深海棲艦の一歩手前まで肉薄していたことになる。全ての希望を失い、全てに疑心を抱いていたあの頃、体の隅々まで闇に浸食されていたのだから。

 

「これはあくまで仮説。まだ決定的な判断が下されてない代物だった。しかし、はるづきを見てしまえば、それは実証されたも同然だ。仮説は正しかった・・・・・・」

「それじゃあ・・・・・・」

 

夕張が周囲の反応を気遣いながら、弱々しく声を上げる。彼女にしては非常に珍しい態度だが、発せられた推測を聞いてその理由が分かった。

 

「もしみずづきがその・・・・負荷を蓄積させた場合、深海棲艦になってしまう可能性は・・・・・・・・あると?」

「そりゃ、当然ありますよ。みずづきだって、特殊護衛艦ですから」

 

その言葉に「さっきの話は嘘か」と殺気すら帯びる怒りが沸き上がってくるものの、ショウの言葉を反芻し、とあることに気付いた瞬間、一気に沈静化する。

 

彼は言っていた。深海棲艦になることは“ほぼ”ないと。可能性を全否定していなかった。確実性を得るなら、あそこで安堵に浸らず問い詰めるべきだったのだ。自分の弱さにため息が出そうになる。自身が人間ではない。その事実を受け止めきれない。

 

「しかし・・・」

 

心の中に意識を閉じ込めていたが故に、その言葉は唐突に聞こえた。

 

「みずづきが深海棲艦になる可能性は“ない”でしょう」

 

そして、ショウの苦笑は大海原に身をうずめつつあったみずづきを思い切り釣り上げた。

 

「へ?」

「みずづきは周囲全てから蔑まれ、絶望の住人となっても、目の前で部下と上官の死を目撃しても、房総半島沖海戦を経験しても炉心に全く影響を及ぼしませんでした。精神が貧弱な者なら3回深海棲艦化のリスクを負う事象を経ても、彼女は全く持って平常運転。ここまでくればもうないと断言できますよ」

 

苦笑から失笑に変わったその表情が何より言葉の信憑性を確立させる。周囲に広がる無条件の安堵。みずづきもそれに片足を突っ込んだが、もう一方の足を浸しかけたところで止める。不意にあることに気付いた。

(なんか・・・・鈍感ってバカにされているような気がする・・・・・・)

失笑にしては嘲笑気味なところが確信を抱かせた。

 

「あとみずづきのみなさんのために補足しておきますが、彼女が身近にいるからと言ってみなさんのような普通の人間、艦娘に影響はありません。遺伝子は細菌やウイルスとは違いますので、手をつないだり、同じ食器を使用したりしても大丈夫ですし、キスや濃密な性的接触とかも何ら問題ありません」

「そうか。分かった」

 

さも当然のように日常生活において憚られる単語を挿入していたが、この場では誰からも卑猥な表現と咎められることはなかった。百石は司令長官らしい引きしまった表情で間髪入れずに頷く。この身に秘められた衝撃の事実を受けた今後の対応が不安であっただけに、みずづきの安全性と危険性双方を把握しようとする姿勢は嬉しかった。

 

彼の性格はこの半年間上官として仰ぎ、様々な出来事を通して十分に把握している。彼はただただ報告書を作り、東京の指示を仰ぐために情報を収集しているわけではない。もちろんそれもあるだろうが、みずづきを今後も部下として仲間として横須賀に置いておくための行動であることは容易に分かった。

 

涙腺のほてりを感じていると、ショウがこちらへ視線を向ける。放たれた言葉は諭すような優しいものだった。

 

「みずづき? もう一度いうが君は厳密な定義に基づいた人間でなくとも、常識に照らせば十分人間だ。深海棲艦の遺伝子が混ざっていようがご飯を食わなければ倒れるし、治癒能力でも対処不能な傷を負えば死ぬ。年も取る。感情の起伏も依然と変わりなし、喜怒哀楽もあるし、恋もできる。子供だって産むことができる。今までとなんら変わらない。ちょっと、体が頑丈になっただけだ。戦場に立つ者としては十分活用できるスキルだ。だから、そこまで悲観的になるな、みずづき。もし・・・・・・・・・・もし、あそこで炉心が君の存命を選択していなかったら、君はこの世界に来ることもなく、あそこで死んでいた。この幸運がどれほど尊い物なのか、君なら俺がいちいち指摘しなくてもいいだろう」

 

日向灘で空を見上げながら海に倒れ込んだ時、みずづきは「死」を受け入れていた。死を望んでいたわけでは決してない。

 

上官や仲間を失っても、家族がいた。帰るべき故郷があった。

守り続けなければならない、信念があった。

果たさなければならない、命令があった。

 

しかし、どう足掻いたところで「死」は確定した未来。もう覆すことは不可能だった。だから、受け入れたのだ。潔く、穏やかに人生を終えられるように。その前座は敵討ちの達成で整っていた。

 

しかし、そこで人生は終わらなかった。そのことに後悔しているか問われれば、答えは逡巡の余地すらない。

 

答えはNOだ。

 

死なずに済んだ。自分は生きている。これからも生を謳歌できる。その事実に嬉しくないわけがない。その幸運を噛みしめないわけがない。ましてや、自分は並行世界への転移という前代未聞の事象に遭遇し、大日本帝国海軍艦艇の転生体と出会い、ついには抱き続けていた信念が果たされていることに気付いた。

 

例えこの体が人の領域から足を踏み外しているのだとしても、それを経なければ貴重な経験も大切な想い出も育めず、(いただき)に辿りつけなかったとあらば、これも悪くない。

 

この先も限界まで生きていたいし、可能な限り知山の“命令”を果たし続けたい。

 

“生きろ”

 

そう言ってくれた、彼の想いを叶え続けたい。

 

みずづきは自身の身体を見る。そこにはもう嫌悪感は存在していなかった。

 

「それにその力はすぐに必要となるものだ。君が受け入れようが受け入れまいが、関係なく。・・・時間は残り少ない」

「え?」

 

真意をつかみかねる言葉。意味を正そうと口を開きかけたその時、ぐぐもった爆発音が空気と四方八方の鋼鉄製の壁と梁を揺らす。衝撃はない。ただ、木霊しただけだ。

 

「これは・・・まさか・・」

 

百石が血相を変えて、艦橋との直通電話がある整備工場へかけようと身をひるがえす。しかし、この一室どころか大隅全体に響き渡った警報音が彼の足を一時的に床へ縫い付けた。

 

「総員、対潜戦闘よーい!!」

 

自身がよく発する号令と同一の発令。軍人としての危機感が臨界点へ向け急上昇を開始した。

 

「っ!? 潜水艦の攻撃!?」

「はるづきは弱った獲物を逃さない。彼女は日本海上国防軍の艦娘であり、人類に創造されながら人類に牙を剥いた深海棲艦なのだから」

 

みずづきはその言葉を経て、真実を前にして意識から欠落していたMI攻撃部隊の現状を百石たちから把握した。

 

みずづきの大破とはるづきの出現、そして中間棲姫の撃破を受け、当部隊は在布哇泊地機動部隊の撃滅を断念し、一路本土へ向かっていること。

みずづきが大破してからそれほど時間は経過しておらず、いまだに当部隊はミッドウェー諸島の哨戒圏500海里を脱していないこと。

 

はるづき及び空母棲姫、空母棲鬼を要した機動部隊の所在を見失っていること、を。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

20年近く前の大震災で更地となった街。住民の憩いの場である公園整備と複数の漁港を集約し、効率化で過疎化に対抗しようとした拠点漁港計画は後者のみが生戦勃発以降の食糧増産要求を受け、実施。前者は街が更地になった6年後に再びこの国を襲った大震災の煽りを受け、動物と植物たちの楽園を前に事実上の破綻を迎えていた。

 

人間が支配する場所とそうでない場所。活気にあふれている場所と海水によって瓦礫と化してしまった建物の基礎が寂しく存在を閉じつつある場所。

 

海の上からはそれが良く分かる。その光景を見たが故、だろうか。

 

不必要な死を量産している、自分たちの居場所は果たしてどういう位置づけになるのだろうか。おそらく思考に表情が引っ張られたからだろう。

 

後ろから無線ではなく、直に声をかけられたのは。

 

「どうしたんですか? 先輩」

 

自分と同じく、この国で生まれ、生きてきた。この狭い島々で具現した地獄を知っているにもかかわらず、染みついた絶望を一切感じさせない無垢で、純粋な声。

 

それを聞くと心に巣食う闇が奥底に沈んでいく。

 

無言を無視と受け取って怒ることもなく、声をかけてきた部下は年相応の可愛らしい笑みを浮かべて、いつも通り手を差し伸べてくれた。

 

「なにかあったら言って下さいね。先輩にはお世話になってますから、いくらでも相談にのります」

 

その優しい心遣いに思わず、凝り固まった表情筋が緩む。

 

「もう・・・・・・。分かったわ。ありがとう。・・・・・・・・・・・」

 

彼女の名前を呟こうとして。

 

 

 

世界は残酷にも夢を切断した。

 

 

 

全身に広がる倦怠感と不快感に苛立ちながら、目を開ける。一面、自分たちに相応しい漆黒の闇。雲に大半を覆われた月がわずかにここが夢や意識の内側ではなく、現実であるということを示してくれる。

 

「深海棲艦も・・・・・夢を見るんだ・・・・・・・」

 

現在位置は穏やかな波に支配された海上。自分は器用にも立ったまま、寝ていたようだ。湧きだしてくる不思議な感慨に浸った後、周囲を見回す。そこには相も変わらない、現在の仲間たちがいた。

 

しかし、目を閉じる前と少し様子がおかしい。雰囲気がざわついている。どうやら彼女たちが仕掛けた網に獲物がかかったようだ。

 

「やるじゃん・・・・」

 

数か月の年月と膨大な血税を投じて造り上げたガラクタがスクラップとなり、中で小生意気に息巻いていた人間が、血を吹き出し、臓物をまき散らし、激痛に悶え、命乞いをしている情景を想像すると全身に快感が走る。

 

なんと気持ちいいことだろうか。

 

そして、これからその快感はさらに純度をあげる。舌なめずりをしながら、前方の空を見上げる。この艤装を前にしては虫けら以下のゴミに与えられるのは“死”のみ。

 

「ふ・・・ふふっ」

 

一刻も早く力を解放したい衝動に駆られるが、艤装の準備完了をしばし待つ。そして。

 

「さようなら」

 

感覚を楽しむようにゆっくりとボタンが押された瞬間、1つの煌々とした輝きが、海上を、深海棲艦機動部隊を、そして人の死を見たくてうずうずしているはるづきを照らす。

 

輝きははるづきの精神状態に関係なく自らの使命を果たすと一際大きな閃光をあげ、この世から消滅した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

瑞穂国 東京 海軍軍令部

 

 

緊迫と怒号が飛び交っている戦場から、渺渺(びょうびょう)たる大海原を隔て日常を紡ぎ続けている内地の中心、東京。だが、中心であるからこそ渺渺という距離的概念は無に帰さなければならないほどの障害物となる。無線技術の進歩と数多の屍の上に築かれた戦訓を得て構築された組織・体制はここ東京を、東京に所在する海軍軍令部を戦場に隣接した存在へ導いていた。

 

YB作戦の狼煙をあげたヤップ島攻撃から4日。約3万5000もの陸戦兵力と艦娘66を投じたYB作戦すら陽動としたMI作戦の大一番、ミッドウェー諸島攻撃が開始されてから丸半日。

 

国防省庁舎や陸軍参謀本部などと並び、この街を軍の御膝元「市ヶ谷」たらしめている西欧風赤レンガ造りの軍令部中央庁舎。その地下2階に設置されている海軍中央指揮所は深海棲艦機動部隊が奇襲攻撃を仕掛けてきた房総半島沖海戦序盤以来となる熱気と多忙に包まれていた。

 

あの時のようにこの世の終わりと言わんばかりの強張った表情を浮かべた者はさすがにいないが、軍令部各部署、連合艦隊司令部、航空戦隊司令部、陸戦隊司令部、艦隊司令部、後方支援集団司令部、各鎮守府司令部、統合艦隊司令部、そして陸軍、国防省から派遣されている将兵・官僚たちが自らの職務を全うするために静かな奔走をひっきりなしに継続している。その1つとして、中央指揮所のあらゆる壁、机上に張られた地図・用紙にはMI/YB作戦に参加している陸海軍部隊から収集した情報が休む暇もなく追加、更新され続けている。書き手には疲労の色が顕著だが、決して手は休めない。

 

その情報を、そして自身の部下たちから手渡された書類を睨みながら軍令部の局長・副局長・課長クラスの主要幹部が情報収集及び指揮を行っている。時刻は午後7時を少し回ったところ。ベラウ諸島は瑞穂と同じ標準時を採用しているため、時差はない。ミッドウェー諸島は瑞穂時間から一日を引いて3時間を加えなければならないので、12月23日の午後10時すぎということになる。この時間ならば作戦初日や山場を迎えていたり、不測の事態に直面していたりしていなければ、主要幹部たちはちょうど退庁する時間帯だ。本日最終の打ち合わせや荷造りをする光景が散見され、昨日と一昨日は比較的日常の法則に従っていた。しかし、今日に限っては誰も机から離れようとはしない。1人の例外もなかった。

 

ということは、なんらかの帰れない事情が生じたということ。その理由は彼らへほんの一瞬耳を傾ければ把握は容易だった。

 

机を深刻な表情で囲んでいる幹部の1人、軍令部次長松本勉はため息交じりに呟いた。

 

「みずづきが大破、か・・・・・・・」

 

その一報が知らされて既に数時間。しかし、波紋と困惑は際限なく広がり続けていた。

 

ここに軍令部、そして海軍のトップである的場康弘大将の姿はない。同時にこの場に最もいなければならない作戦局局長小原貴幸少将、副局長の御手洗実中将の席も寂しく天井の照明を浴びている。

 

彼ら三人は自らの肩書きと責務を放棄して退庁した訳ではない。彼らはしっかり軍令部にいた。ただ、いる場所が異なるだけで・・・・・・・。

 

「どうした? こんなところに仰々しく呼び出して。下からの憎悪や嫌味をどれだけこの私に集中させたいのだ?」

 

軍令部総長室。海軍のトップが執務と応接をこなすというだけあり、室内に存在するあらゆる事務用品・調度品はこの肥えた目でも感嘆を禁じ得ないほどの逸品。そして、逸品を逸品たらしめる清掃と手入れが行き届き、著名な絵画の中にいるような錯覚を抱かせる。

 

しかし、わずかに聞こえる繁栄の残響と目の前でこちらの問いを堂々と無視する2人の姿が情緒深い感覚を錯覚と切り捨てる。房総半島沖海戦以来、かつての威光を失いつつある海軍のトップは執務机の椅子に腰かけながら無言でこちらを見つめ、応接用のソファーに座っている年下かつ階級も下でありながらこの身の上司となっている男はただただ眼前にあるガラス製のテーブルに視線を縫い付けていた。その様子に苛立ち、視線を窓の外に向ける。

 

まだ昼の残滓を残している時季もある空は、12月という季節を前にすっかり夜に屈している。そのため、室内は天井に据え付けられたシャンデリア風の照明で照らされていたが、心なしか電球の寿命が間近に迫っているように感じた。

 

「お前には1つ、読んでほしいものがある。小原」

「はい」

 

唐突に声を上げたかと思うと、苛立ちを発露する前に小原が一枚の紙を押し付けてくる。部下とはいえ、階級が上の者に対してあまりに礼儀を欠いた態度。日常的にそうなら堪忍袋は平静を保っていただろうが、彼はいつも敬語で差しさわりのない他人行儀を貫いていた。

 

「き・・・貴様・・・・」

「・・・・・・・・・・」

 

しかし、口から怒気が染み出そうとも彼の態度は変わらない。その恐ろしささえ感じる気迫が融解したマグマを一瞬で凝固させた。彼をそうさせている存在がこの、書類とは到底呼べない紙切れと悟り、しぶしぶ受け取る。こちらに背を向ける小原を視野の片隅で捉えながら、紙切れに目を通していく。

 

「な・・・・・・なんだと」

 

喉は潤っていたにもかかわらず、対立勢力と掴みあいの乱闘を繰り広げた後のようなかすれた呻きが漏れる。

 

手は衝撃のあまり痙攣し、無意識のうちに紙切れを皺だらけにしてしまう。だがそんなことどうでも良かった。文字さえ読めればどうでも良かった。

 

最後に「百石健作」の名が記されている書面には文字以外から意識を回収する強烈で悪質な誘引作用が込められていた。

 

全てを把握し終えた後、対面に構えている的場を射貫く。彼は決して表情をほころばせることなく、頷いた。再びソファーに腰かけていた小原が背中を丸める。その反応でこれが決して虚偽でも、誤報でもないことを知った。

 

「確認は取った。事実だ」

 

心中に浮かんだ疑問へ答えるようにこの部屋に入って、初めて口を開いた的場。先ほどまで笑顔を交えながら中央指揮所で指揮を取っていた者と同一人物であることを疑いたくなるほど、簡素な言葉には感情が乗っていなかった。

 

思わず、ため息が出てしまう。これを見て、わざわざここへ連れてきた意図に合点がいった。これほどの情報ならば、中央指揮所での開示など不可能だ。

 

誰が想像できようか。

 

みずづきと同型艦である日本海上国防軍特殊護衛艦が深海棲艦として、よりにもよってMI攻撃部隊に立ちはだかろうとは。

 

誰が導き出せようか。

 

深海棲艦となり果てたあきづき型特殊護衛艦「はるづき」の攻撃によって、あのみずづきが大破に陥ったなどと。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

誰が、あの推測を真実にまで昇華させたかったのだろうか。

 

深海棲艦は人の手によって創造された。

深海棲艦は日本世界に存在する何らかの勢力が関わって生み出された人工物、と。

 

瑞穂は、みずづきが出現して以降、深海棲艦が日本世界で創造されたのではないかという疑念をくすぶらせていた。日本世界が関わったという直接的証拠はなかったが、少なくとも深海棲艦に人の手が加わっている証拠は握っていた。

 

その特定管理機密を御手洗は知っていた。芽生えていた虚無感が急速に成長し、心の中に根と枝を気遣いなく広げていく。

 

“この戦争はなんだったのか?”

 

結局自分たちは人間の影を背負った存在と戦っていたに過ぎない。何の関係もないにもかかわらず並行世界の過ちを償っているだけに過ぎない。

 

しかし、御手洗は大木に成長しつつあった虚無感を根元から伐採し、枯れ葉剤を惜しみなく投入する。瑞穂海軍中将の1人として、作戦局副長として今、考えるべきこと。それはこの戦争のむなしさではない。MI攻撃部隊を、そしてゆくゆくは瑞穂全体を絶望に叩き墜としかねない新手についてだ。

 

それでこそ、祖国を護る軍人でありながら家族を守れなかった罪人はあの世で待っている存在に顔を合わせることができる。今まで散々犯してきた過ちを清算することができる。

 

「対処方針は? お前のことだ。・・・・・もう、伝えたのだろ?」

「ああ。・・・・刺し違えてでも即時撃滅を命じた」

 

“刺し違えてでも”の部分に万人では理解できないほどの感情を込める的場。その発言には食って掛からない。

 

艦娘31人、艦娘母艦2隻、給油艦2隻、膨大な予算と時間をかけて建造した第3統合艦隊8隻、そしてみずづきを加えた大戦力を犠牲にしてでも、はるづき及び在布哇泊地の敵機動部隊は葬るに値するほどの脅威だった。

 

「みずづきと同様の戦力を有する存在がもう1隻現れた。しかも、我々人類の殲滅を意図している深海棲艦側に・・・・」

 

うなだれる小原。作戦局局長及び少将の威厳は消え去り、クビになった会社員のような風体と化している。

 

みずづきは瑞穂世界より遥かに進んだ科学技術力によって、艦娘を含めた瑞穂海軍では太刀打ちできない強大な戦闘能力を有している。それはこれまでの演習、実戦で把握済みである。横須賀鎮守府の主力を相手に完勝を収めた第一回横須賀鎮守府演習。戦艦棲姫や空母ヲ級改flagshipを第三水雷戦隊ともども無傷で殲滅した石廊崎沖海戦。精密さを武器にした対地攻撃能力を見せた硫黄島での演習などなど。

 

そのみずづきと敵対し、あまつさえ戦闘に陥った場合の損害など考えるだけで末恐ろしい。その力の影響力は軍事的観点から見た戦術・戦略の領域に収まらない。みずづきがその気になれば、瑞穂の経済を大混乱に陥れることも、総理大臣の首を挿げ替えることもできる。

 

それほどの存在が“敵”に現れたのだ。戦闘能力はみずづきを大破に追いやったことで証明されたも同然。そして、はるづきは完全に深海棲艦。

 

殺人を愉しんでいる者ほど、戦う相手として怖い者はない。相手の目的は“殺す”ことなのだから。そこに倫理観や道徳観はない。

 

みずづきが瑞穂を絶望的な状況に追い込みかねない力を持ちながら、味方として名実ともに受け入れられている理由は、彼女がまっとうな人格の持ち主だからだ。対してこの紙切れを読むに「はるづき」にはみずづきとは逆の感情しか思い浮かばない。

 

これほどの脅威は一刻も早く摘まなければならない。失敗すれば、待っているのはあの頃の絶望だ。しかし・・・・・・。

 

「みずづきは戦闘不能なのだろう?」

「「・・・・・・・・・・・・・・・」」

 

脅威の排除には必要不可欠な存在を確認する問い。2人とも沈黙を続ける。

 

「みずづきがいなければ、特攻に等しい。お前らはMI攻撃部隊を敵の戦力評価に使う気か?」

 

それでも2人は答えない。さすがにここまでコケにされて感情が高ぶらないわけなく、意地でも口を割らせようと腹に力を籠める。そこで。

 

「おい、お前ら・・・・・・・」

 

この2人から決して出てこないと思っていた愚かな判断が脳裏をよぎった。

 

「一縷の望みにかけるなどと博打中毒も甚だしい真似を・・」

「それは違う」

 

これで沈黙を続けられていたら2人のうちどちらかの胸倉をつかんでいたが、そうなる前に的場が有無を言わさぬ迫力を持って断言した。

 

「この方針を向こうは了承している」

 

その言葉に目を剥く。

 

「あの学生が・・・・・・?」

「そうだ。詳しくは報告されていないが、現場の判断だ。なら、信じるしかないだろう?」

 

現場の裁定に全てを託す的場。その方針に異を唱えようとして、やめた。なぜなら、その方針によってこの身は今まで散々好き勝手な道を歩んでこられたのだから。この口にそれをいう資格は微塵もない。海軍軍人としてスタートラインを同じくし、いつまでも噛みついた背中を見せ続けた同期の気遣いが理解できないほど、御手洗は馬鹿ではなかった。

 

しかし。

 

「だが・・・・」

 

異議を腹の奥底に押し込もうとも決して納得はできなかった。今事態は現場に一任するにはあまりにも大きすぎる。MI攻撃部隊の運命は何も一部隊の範疇だけに留まらない。かの部隊の行く末は瑞穂の前途を占う試金石なのだ。

 

勝てば、加速度的に膨らむ輝かしい未来。

負ければ、徐々に森羅万象を暗黒に染め上げる絶望。

 

あまりにも、振れ幅が大きすぎる。

 

「私は百石たちを心の底から信じている。例え、相手がイレギュラーの塊でも、例え敵がこちらより強大でも、横須賀は、彼女たちは今日ここに至るまで数え切れないほどの奇跡を生み出してきた。だからやってくれると思っている。それでも軍令部総長として最悪の事態は考えなければならない・・・」

 

これだけ心中を身体の表層に現したのだ。こちらが何を思っているのか、当然的場や小原も悟ったのだろう。的場は海軍トップの風格をたたえた厳かな視線でこちらを一瞥した後、壁に掛けられている瑞穂地図を見ながら静かに告げた。

 

「既に呉、佐世保、舞鶴、大湊、幌筵の各鎮守府・警備府、及び海軍全航空隊へ迎撃作戦に基づく即時待機を発令。また、参謀本部、国防省、総理官邸への通報も行った。もうまもなくの国家安全保障会議では大本営作戦第1208号の再発動も視野に対応策が話し合われる予定だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

的場が適切な手を施していることへの安堵も一瞬。かつて瑞穂全土を佐影総理大臣の一言で戦時に引きずり下ろした大本営作戦第1208号、通称背水作戦と呼ばれる本土防衛作戦の名称を聞いた瞬間、体の内側に寒風が吹き抜けた。的場の言葉からは想像もしたくない推測しか導けなかった。

 

「上は敵による再度の瑞穂侵攻があると?」

「あり得ない話ではないだろう? 結局、本土上陸を目指した敵輸送船団は小笠原諸島近海で反転したため手つかず。オオトリ島攻撃時にも同島泊地にはPTしかいなかった。そして、房総半島沖海戦で壊滅した横須賀航空隊の再建はようやく始まったばかり。西太平洋の制海・制空権が完全に深海棲艦の元へ渡れば、いつでも私たちの喉元に小刀を突きつけることができる。やつらにとって房総半島沖海戦で瑞穂が疲弊している今が絶好の機会なんだ」

 

何も反論の言葉は浮かばない。もし、瑞穂太平洋沿岸で唯一の実働艦隊である横須賀の艦娘部隊、そして虎の子の艦隊である統合艦隊の一角が壊滅した場合、海軍が思い描いた構想、今まさに実働中の全戦術・戦略行動の破綻は免れず、関東は丸裸同然となる。他の鎮守府の戦力をやすやすと横須賀へ異動させることは戦力配置上非常に困難。横須賀航空隊の再建も30式戦闘機の生産ラインの多くが予定調達数到達を機にまだまだ生産が続いていた33式艦上攻撃機へ変更されていたこと、長大な時間と莫大な費用がかかり簡単に供給人数を増減できない操縦士育成の硬直性により、房総半島沖海戦から半年弱を経たにもかかわらずいまだ完了時期すら見通せない有様。現在は大湊をはじめとする他の航空隊からローテーションで派遣されてくる飛行隊によってなんとか関東上空の迎撃網を保っているが、多額の予算と時間を費やして整備完了した飛行隊を壊滅させた敵に到底太刀打ちできないことは火を見るよりも明らかだった。

 

横須賀がいなくなった状態で今侵攻を受ければ、瑞穂は確実に2700年の歴史の中に、凄惨な傷跡を残すことになる。

 

「事が事だけに松本たちにも伝えていないが、事態の推移によっては現状を開示する。そうなった場合、軍令部は再びハチの巣を叩いような大騒ぎになるだろうから2人とも心しておいてくれ」

「はっ!」

 

仏頂面を決め込んだ御手洗とは対照的に背筋を伸ばす小原。何がおかしかったのか両人を見てひそかに吹いた的場は視線を後方にある窓。そこから見える外界へ視線を送る。久しぶりに訪れた沈黙。それを終わらせたのは、こちらの気も知らないでクラクションを鳴らすタクシーでもなく、小枝で就寝の体勢に入っているスズメでもない。

 

意気揚々と輝く星を遮る雲。そこから連想できた、空気の読めない雲に美しい容姿を穢された月だった。

 

「しかし、勝っても負けても、俺はこの椅子に長く座れないな・・・・・」

 

こちらの思考へ割り込むように、名残惜しそうに豪華絢爛(けんらん)な椅子をなでる的場。その姿に言い知れぬ違和感を覚えた。

 

「何、弱気なことを言っている。軍令部総長ともあろう者が」

 

他者にどう思われようと自分なりの励ましのつもりだった。的場とはいつ知り合ったかも忘れてしまったほどの腐れ縁。いつもなら彼はこちらの真意を察し、苦笑するなり微笑する。

 

しかし。

 

「・・・・・・・・・・」

 

苦笑も微笑も浮かべない。的場は微動だにせず、ただ窓の外を眺めていた。

 

「おい。聞いて・・・」

「小原、退出してくれ。少し、御手洗と話がある」

「・・・・・・・分かりました。失礼します」

 

わずかな逡巡ののち、小原は総長室から出ていく。扉の閉まる音が、これまで歩んできた人生を区切ったような気がした。

 




ネタバラシともいえる暴露編は今回で一応、終結です。次回から3章のクライマックスに向けて走り出します。しかし、もうわかっておられる方もおられるかもしれませんが、3章はまだまだ続きます。

話は変わりまして・・・。
今週、艦これが5周年を迎えました。提督の端くれとしてお祝い申し上げます!

ロー○ンとのコラボイベントに
第二次瑞雲祭りに
サーバー異動届に
新艦娘の実装
改二の実装(←ここ重要)にと、艦これ6年目のスタートも濃密なものとなっています。今後とも艦これの航海が続きますように。

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