水面に映る月   作:金づち水兵

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もう・・・5年か。


87話 真実 後編

「彼は全てを知ってた。深海棲艦が日本の主導の下で西側諸国によって創造されたことも、第二次日中戦争や丙午戦争がお上の策略であったことも。日本が廃墟と屍の山から目指してる未来も・・・・・・すべてを」

 

その言葉を聞いた瞬間、記憶が激痛と灼熱で途切れる前に聞こえてきたはるづきのいやらしい声が聞こえてくる。

 

彼女は言った。

知山が救国委員会と呼ばれる深海棲艦を生み出し、世界を自分たちの意のままに操ろうと血で両手を染色してきた組織の古参メンバーだと。

 

彼女は言った。

知山が人間の命なんてこれぽっちも思い入れのない、人間の業と世界の理不尽が生み出した怪物だと。

 

彼女は言った。

知山にとって自分は出世と保身のための、ただのモルモットだと。

 

しかし、夢の中で出会った彼は最後の言葉を明確に否定した。あれはただの夢。いくら身勝手な妄想で現出させようと知山豊は2033年5月26日に日向灘沖で戦死した以上、彼の真意を確かめる術はもうない。

 

それでも、みずづきにはあれが完全に自分自身の願望の体現、妄想の塊だとは思えなかった。もう、なにを信じたらいいのか分からない。

 

表情からみずづきがはるづきの声を思い出していることをくみ取ったのだろうか。ショウはわずかに口元を緩めるとみずづきが抱いている疑問に回答を与えた。

 

「・・・・・安心していいんだ。君が知ってる知山豊は本物なのだから」

「え・・・・・」

 

幻聴でも、複雑な精神構造が生み出した幻影でもない。目の前のショウは明確に、明瞭にそう言った。

 

「さっきと一緒でな。はるづきが言ったことは事実も、そして嘘も含まれてる」

 

言葉を紡ぎながら、拳を握りしめ、眉間にしわを寄せるショウ。人間視点で見れば、完全に怒っていた。

 

「あいつは余程、他人の不幸を見るのが好きらしい。・・・・・・そういうやつを見ると反吐が出る」

 

画面越しでもひしひしと感じる怒気に思わず圧倒される。彼と対面してまだ小一時間。初めて彼の激情の発露を目撃した。

 

どうして、そんなに怒っているのか。この疑問が浮かんだが、心の中に留めておくことにする。早く知山の話を聞きたい一心もあったが、理由はもう1つ。何故だか分からないが、その理由は彼自身がいつか語ってくれるような気がしたからだ。

 

「救国委員会。内閣府に設置された日本版CIA内閣情報局の傘下組織でありながら、実質的に内閣情報局より上位に位置する内閣の直轄諜報機関。委員長は現内閣総理大臣長井満成が務め、職務内容は日本国の最重要推進政策である大日本皇国樹立のための各政策の立案、実施、及びそれにかかわる機密の保守・管理。大日本皇国建国準備会ともいえる救国委員会に知山が属してたことは・・・・・・本当だ」

「・・・・・・・・・・っ」

「彼は表向き呉地方総監部所属になっていたが実際のところ、救国委員会供給第二課に出向という形で第二課内に6つ存在した班の内、1つの班長を任されてた。一般企業で言えば係長クラスだな。供給第二課の仕事ははるづきの言った通り」

 

そこまで言うとおもむろにショウは表情を曇らせ、しなびた声色で問うてきた。

 

「君は・・・・・見たんだろ? 日本が行ってるおぞましい闇を?」

「っ・・・」

 

主語はない。しかし、表情と声色、加えて雰囲気から彼が何のことを尋ねてきているのか、一時のタイムラグもなく瞬時に理解した。その瞬間、本来とは逆向きに物を運ぼうとする食道の胎動を感じた。わずかに口の中に生臭い酸味が広がる。

 

「日本国内にはオワフ島の研究施設が開設される前から、いくつもの研究施設が開設されてた。かの施設が壊滅した後、神昇計画は第二次神昇計画と名を変え、日本政府が主導し国内で引き続き研究開発が行われ、それは現在も続いてる。第二次神昇計画の特徴は製造する深海棲艦が次世代型に変わったこと。主に神昇計画時に日本やオワフ島で開発されてた人型の深海棲艦は遺伝子操作を行ったヒトの精子と卵子を使用し、生命が成長していく過程と同様に受精卵から人工子宮で幼体へ。幼体からは培養器に移送して成体に成長させてた。これもこれで良かったんだが、この方法はどれだけ遺伝子操作を行ってもどれだけ人工子宮や培養器の性能を向上させても、成体へ至る時間に少なくとも数か月を要した。時間がかかるということはそれだけ生育中の環境維持にコストがかかるということ。この問題を克服しようと提案されたのが、次世代型深海棲艦。・・・・・・・あらかじめ成長し終えた人間を深海棲艦へ改造することで生育時間の劇的な短縮とコスト削減を両立させる第二世代の深海棲艦だ」

『っ!?』

 

嫌悪感の混入を考慮すると、ここで暴露が始まってから最大の驚愕だろう。みずづきも百石や長門たちの例にもれず、目を大きく見開き、全身を痙攣させていた。そして、衝撃の波が意識の中から引いた後、おそるおそる口を開いた。

 

「に・・・・人間を・・・・・深海棲艦、に?」

「そうだ」

 

はっきりと明言した。自分のいた世界は、自分のいた国はどれほど闇に落ちていたのか。並行世界に来てからそれを知るとはあまりにも皮肉すぎる。

 

「次世代型は特殊な薬剤を投与してから数分で普通の人間を、制御機構によって縛られた理性のない深海棲艦へと改造することができる。あとは被験者の遺伝子型に適合した艤装を生成し、戦術・戦略・指揮命令系統を教え込めば、たった数日間で前線に投入可能。また、そこいらを歩いてる人間を使うわけだから素材に困ることもない。学者の先生たち曰く、()()()()()()()だとさ」

 

唾を飛ばすように、自らの言葉を吐き捨てる。淡々と語る口調がみずづきの良心を逐一刺激してきたが、どうやら彼も“良心”を傷つけながら話していたようだ。

 

「次世代型は実験をしようにも、開発を行おうにも、製造を行おうにもその特殊な製造方法故に常に人手ではなく試料としての人間が必要だった。その試料を捜索・選別して、薬剤に拒絶反応を示さない遺伝子型を持った人間、正確には10代後半から20代前半の女性を拘束し、研究施設への移送を行ってたのが救国委員会の供給課。第一課は市井の国民から選別して、昔の北朝鮮ばりに拉致を専門とし、知山がいた第二課は主に戦闘での負傷や遺伝子劣化を発端とする艤装不適合で特殊護衛艦の任を全うできなくなった艦娘たちを選別し、深海棲艦の適性を見出された者の移送を担当してた。その関係上、研究施設の見学もたびたび参加してた」

 

その言葉とはるづきが語った言葉。そこからある推論が導き出される。

 

「まさか・・・・・・・・」

「そう。君たち第53防衛隊全員は移送対象者だった」

「なんで・・・・・」

 

世界はここまで理不尽なのだろうか。これではあの須崎も、思い出が溢れている第53防衛隊もモルモットを成長させるため飼育小屋ではないか。

 

そして、その飼育小屋の管理は救国委員会の供給第二課が担当していた。

(やっぱり、知山司令は・・・・・・・・・・)

 

瞳が急速に潤んでいく。しかし、みずづきの涙は決壊する一歩手前で止められた。

 

「だが、君たちは“移送対象者”というだけであって、“移送者”ではなかった。移送対象者はあくまで候補に残った者。移送者は移送が確定した者。救国委員会の上層部は問題児の集まりである第53防衛隊の早期解隊と所属隊員の抹殺を望み、君たちを移送者リストに載せようと何度も画策した。しかし、それは悉く失敗することとなる。何故だか、分かるか?」

 

そして、ショウは背筋を伸ばし、顔を引き締めてはっきりと告げた。

 

 

 

 

 

「知山のおかげだよ」

 

 

 

 

 

 

「司令のおかげ?」

 

それを受け、この短い言葉しか出なかった。口数を制限しなければ、画面に詰め寄りCIWSの如く、彼を質問攻めにしてしまいそうだったから。

 

「彼は何度も上層部に呼びつけられ、挙句の果てには暗殺も示唆されて意向に従うよう要求されてた。しかし、彼はそれをことごとく跳ねつけた。まぁ、その無茶が彼の運命、そして不幸にも第53防衛隊の運命を決してしまったわけだが」

「じゃ・・・じゃあ、あの日、日向灘で私たちを襲った深海潜水艦が防衛省管轄の個体だって話は・・・・・」

「ああ・・・・・。本当だ。君たちは戦死じゃない。君たちは・・・・・・・救国委員会の上層部によって殺害されたんだ」

「・・・・・・っ・・・・・・・。はぁ~~~~~~」

 

全身で煮えたぎる怒りを必死に理性で抑え込み、爆発しないよう冷静にため息に乗せて発散させる。

 

大切な仲間。たかなわの乗組員。そして・・・・・大切な人。その犠牲が天災と同列の戦闘ではなく、明確な意図に基づいた殺人・暗殺であると聞かされて激怒しない人間はいないだろう。あの日、日向灘で散っていったおきなみ、はやなみ、かげろう。そして、知山は容易に怒りへ火を付けるほどかけがえのない存在だった。

 

それを聞いて、あの日、知山の様子がおかしかった点にも合点が行った。彼はいつも以上に、隊長の自分が首をかしげるほど敵潜水艦を警戒していた。あの時はこういう日もあるかと呑気に捉えていた。しかし、知山は分かっていたのだろう。自分の身に危険が迫っていることを。

 

「でも、どうして知山司令はそこまでして・・・私たちを」

 

知山は昔から、出会った時からそういう人間だった。自分よりも他人を、自分たち部下を優先し、守り、常に気遣ってくれた。暗殺を示唆されても引かなかったという話を聞いても、違和感はない。知山ならそうするだろうと純粋に思ってしまった。

 

しかし、普通の人間ならそうはいかない。誰もまず自分の命と自己の利益を最優先して行動する。それは例え他者と集団を重んじ、個を抑圧しがちな日本人でも変わらない。

 

そうであるにもかかわらず、知山はいつも自分は二の次。後回しだった。優しい。他人想い。情に厚い。それで片づけられるのかもしれない。今まではそれで片づけていた。知山豊とはそういう人間なのだと。

 

だから、みずづきは彼のことを・・・・・・・・。

 

だが、ショウの話を聞いてそれだけでは収拾がつけられなくなってしまった。いくら優しかろうと、いくら他人想いだろうと、いくら情に厚かろうとそれだけで自分の命を他者のために投げ打つだろうか。

 

「・・・・・・・知りたいか?」

 

こちらの心を見透かしたように絶妙なタイミングでショウが問いかけてくる。それへの回答はここへ来た冒頭でなし崩し的に示している。言葉の代わりに、ショウにも負けない視線を向けた。

 

「分かった」

 

それだけ言って、ショウはこちらからどこか遠くを見つめたまま儚さを含んだ言葉を紡ぎ始めた。

 

「知山にとって、君たちが・・・・いや、君たちを守ることだけがこの世に存在し続ける理由だったんだよ」

「その言い方じゃ・・・・まるで・・・・・」

 

自分たちがいなければ、死んでしまいそうな、そんな言いぐさだった。

 

「彼が救国委員会に参加した原点は・・・・君が親友を喪った阪神同時多発テロ事件。あの時、知山は壊滅した摂津基地にいた」

「えぇっ!?」

 

それは今、初めて聞く事実だった。兵庫県神戸市に所在し、阪神地域における掃海艦艇の拠点だった海上自衛隊摂津基地。かの基地は阪神同時多発テロ発生時、自動小銃に飽き足らずロケット弾で武装した新倭建国団の一味に奇襲され、勤務していた海上自衛官、警備のため派遣されていた陸上自衛隊普通科連隊1個小隊の約半数が犠牲となった。自衛隊が創設以降初めて遭遇したといっても過言ではない近接戦闘発生現場に、知山が居合わせていたのだ。

 

「戦闘慣れした人民解放軍精鋭部隊流れのテロリストを前にデスクワークに適応した地方基地の職員が立ち向かったところで結果は見えていた。この戦闘で知山は親友と公言するほど親しく、婚約者がいた同僚を目の前で失い、自身も左肩に銃創を負った。これが知山の心に火を付けた。今の日本では誰も守れないという確信を抱かせた」

「それは新保守派と・・・・・・・」

「違う」

 

同じ、と言いかけた夕張の機先を制する。夕張はあまりの気迫に一歩後ろへ引き下がった。

 

「彼は世界のパワーバランスを徹底的に研究し、新たな秩序構築を模索してた新保守派とは違い、方向性は同じでも想いはもっと純粋なものだった。今の日本では誰も守れない。だから、守りたい誰かを守れるように、死ななくてよかった人々が死ななくて済むように、もう2度とこんなことが起こらないようにする。そのためならば、少数の犠牲もいとわない。少数の犠牲を払うことでその他の大勢が幸福になれるのなら、国家・国民の防人である自衛官として取るべき選択はそれしかない。そして、彼は救国委員会に出向し、全てを知った。第二次日中戦争と丙午戦争が仕組まれたものだったことも、シーレーンを混乱させてる元凶が史上初の生体兵器であることも、日本や華南が目指す野望も全部。それでも彼は救国委員会の方針に賛同した」

「ち・・・知山司令が・・・・」

 

それには戸惑いを感じざるを得なかった。知山は人間を駒として容赦なく切り捨てられるような人間ではない。

 

「確かに意外だ。でも、これで日本は再び戦争の惨禍に翻弄されることがなくなる。軍隊を整備し、仮想敵国だった近隣諸国を同盟国に変え、アメリカの不当な支配から解放され日本は自国民を自国で守れる“普通の国”になれる。そのためならば人身御供もやむを得ない。この世界は等価交換の原則で動いている。何かを成すのなら、それに見合うもの差し出さなければならない。例え、一生人殺しの汚名を着て、地獄に落ちることになるのだとしてもそうすべき。彼はそう・・・・・思ってた。その点は救国委員会の上層部と全く同じだった。しかし両者には決定的な相違点があった」

「それは一体・・・・・・・」

「知山は・・・・・・・優しすぎたんだよ。彼は人の命を、自分の不甲斐なさ故に失われた数多の命を重んじるがあまり、“幸福のため”の犠牲を許容した。しかし、2350万人という膨大な死者数、繁栄を誇った愛する祖国の荒廃ぶりを前に彼は思い知った」

 

 

 

 

 

「・・・・・・血塗られた手では誰もが幸福になれる、誰もが犠牲にならなくて済む未来など創造できない」

 

 

 

 

 

 

「・・・・という、誰でも分かるこの世の摂理を。そして、2350万人もの犠牲を払うことになった計画に参加したこと、その犠牲を経なれば少数の犠牲で幸福が得られると勘違いしていた罪悪感がどこまでも彼を苛んだ。その彼に追い打ちをかけたのが、供給第一課での拉致業務だった」

「嘘・・・・・・。知山司令が・・・・・そんなことを・・・・・」

 

自分たちを必死に守ろうとしてくれた知山。その彼が人の命を摘む職務に就いていたとは、彼の表情や雰囲気からは想像もしたこともなかった。

 

「彼は上の指示に従い、第二課へ異動するまで絶望の中から必死に1人で、きょうだいで、家族と、恋人と希望を掴もうとしてた少女たちの日常を唐突に遮断し、絶望へ叩き落し続けた。その中で彼の誰かを守りたいという信念はただの過去となり果て、いつもこう思っていたそうだ。・・・・・・俺は誰も守れないし、救えない」

 

その言葉をみずづきは直に知山の口から聞いたことがあった。

 

“こんな女の子さえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺は、救えない”

 

後悔と悲しみが染みついた口調であの日、知山はそう言った。なぜ、あの言葉が上官に対する疑念と憎悪にまみれた己の心に光を照らしたのか。その理由がなんとなく分かった気がした。

 

「知山は第二課に異動した後もひたすら死神であり続けた。その時のことを話していたあいつの様子を見るに、あの当時の知山は鬱一歩手前の状態じゃなかったのかと思う。そりゃ、そうなるだろう。彼は数多の死を見て誰かを守りたいと願ったにもかかわらず、ずっと誰かを殺す仕事を・・・・テロリストや救国委員会上層部と同列のことをしてきたのだから」

「知山・・・司令・・・・」

 

その時、彼はどんな気持ちで日々を生きていたのだろうか。彼はどんな気持ちで人間を選別していたのだろうか。彼の心情に想いを馳せると彼の名前を呼びたくなってしまった。

 

「しかし、そこに一筋でも強烈な光が差し込んだ」

 

そういうと彼はみずづきにしっかりと視線を合わせた。突然の状況変化に困惑するみずづきを放置し、ショウは明瞭に信じられないことを告げた。

 

「みずづき。君だよ」

「・・・・・・・・・・・・・は? わ、私?」

「そう。紛れもない君自身が闇に飲み込まれつつあった知山を照らした」

「なにが一体、どういうこと? 私が知山司令の光になったって・・・・」

「君と知山の出会い。君は須崎基地と思ってるかもしれないが、そうではないんだよ」

 

そして、訳の分からないことを言い出した。記憶に基づいて毅然と反論する。

 

「はい? なに言ってるのよ。私と知山司令が初めて会ったのは私が須崎基地に着任して、司令官室へあいさつに行った時」

 

だが。

 

「それ以前に会ったことなんて・・・・・・・・・」

 

言葉を重ねるごとにあれだけ硬かった自信がふやけていく。何かを忘れているような、モヤモヤ感。それは一気に全身を駆け巡り始めた。それを解放させるカギはショウからもたらされた。

 

「知山は所属部署の関係上、よく江田島の艦娘学校へ足を運んでた。あの日も知山は江田島の艦娘学校にいたんだよ」

 

あの日がいつを差すのか。彼の微笑みから分からないはずがない。あの日とはみずづきが敵前逃亡の嫌疑をかけられ、艦娘教育隊特別審査委員会から「銃殺刑」を言い渡された日。そして、その日、みずづきは特別審査委員会に出席していた艦娘教育隊の幹部、警務隊員以外の尉官と言葉を交わしていた。

 

あの時、悲しみと悔しさで覆い尽くされた心では泣きついた尉官の個人的な特徴を覚える余裕は皆無だった。しかし、いつかの夢のおかげで声とこの身を案じてくれた言葉は鮮明に覚えている。

 

そして、その声は・・・・・・・・・・・日向灘で永遠の別れを迎えるまで常に聞いていた彼の声と同じだった。

 

「・・・・・・・・・・・そう、だったんですね。あの時の尉官はあなただったんですね、知山司令」

 

今さら気付くとはなんとも間抜けな話だ。せめて、彼の生前に気付き、お礼を言いたかった。そして、みずづきは気が付いていなかったが彼女はここで来て初めて笑顔を見せた。

 

それを見たからだろう。ショウは儚さをたたえた笑みでこういった。

 

「知山もきっと、そんな風に笑ってただろうな」

「え?」

「君は教官であったあけぼのの命令に従ったにもかかわらず、敵前逃亡の嫌疑をかけられあまつさえ、一部隊の審査委員会で銃殺刑を言い渡された。これは明らかに服務規程違反だ。いくら艦娘であろうが自衛隊法違反の場合、警務隊に拘束後、通常の裁判所で裁かれるか、機密が絡むときは防衛艦隊に設置される諮問会議で処罰が下される。そして、銃殺刑はあり得ない。ここまで艦娘教育隊が異例づくめの対応を取った理由は、君が見てはいけないものを見てしまったからだ」

 

みずづきには明確な心当たりがあった。あの時、みずづきとあけぼのは前例のない敵と遭遇し、結果あけぼのは戻らなかった。

 

「あの深海棲艦は徳島県某所にある研究施設から脱走した第一世代の試験体。それを視認し、あまつさえ交戦してしまった君を艦娘教育隊は機密が漏洩する前に一刻も早く消したかったんだ」

「一体、日本はどこまでみずづきさんを・・・・・・・・・・」

 

苦し気に呻く赤城へ視線を向ける。「大丈夫です」と首を振っても、赤城のしかめっ面はなおらない。なおるまで説得したかったが、こちらもそれなりに堪えていた。

 

「しかし、いくらなんでもそれはやりすぎ。かえって、不信感を高め、みずづきの証言に信憑性を見出す者が現れるかもしれないと海自上層部は艦娘教育隊に方針を撤回させた。そこで問題となったのが、みずづきの処遇。これには2つの案が検討されてた。1つは即刻、素体として研究所送り。まぁ、事実上の死刑。艦娘は艤装と適合してるが故に、実験試料として有望株だった」

「ん?」

 

ショウの発言に引っ掛かりを覚える。しかし、今は好機ではないとして質問を控えた。

 

「2つ目は創設準備が進んでた第53防衛隊への配属。あの僻地なら万が一の場合も情報が拡散するまで時間的猶予が稼げるから、基地ごと吹き飛ばすなり、特殊部隊で暗殺するなりの封じ込めが比較的容易だった。しかし、この案には1つの課題があった。艦娘部隊には例え1人だろうが指揮監督する司令官がいる。今回の場合、事情が事情だけに“全て”を知っている人材が要求された。しかし、いくら国家的戦略に絡んでいるとはいえ、深海棲艦の真実を知ってる者は海防軍内でも一握り。その上、艦娘部隊の司令官を全うできるほどの人材は誰もが重要な地位についてた。そのため、上は1つ目の案で調整を開始したが、みずづきの上官を志願する者が現れた。・・・・・・・・・知山だよ」

 

肩をすくめるショウ。しかし、それが負の感情由来のものではないことは一見しただけで分かる。彼は笑っていた。

 

「彼は上司の留任要請を固辞。彼は上がみずづきの指揮官を探してる話を聞いた時、すぐに上司のもとへ駆けこんだそうだ。まったくあいつらしい・・・・・。あいつはそういう人間だ。決して、あいつが言ったような化け物じゃないっ」

 

あいつが一体誰のことを指すのか。いちいち聞かずとも怒りで顔を歪ませている様子を見れば、把握は簡単だった。

 

「こうして、君と知山は正式に須崎で出会った。だが・・・・・・・」

 

笑顔から一転。険しい表情が浮かぶ。それで分かった。ここからは知山の終わりに転がっていく話なのだと。

 

「必死に部下たちを守ろうとする知山は徐々に救国委員会内で孤立。しまいには命を狙われる事態となった。みずづきたちを引き渡せば、暗殺対象から除外され、二等海佐への昇進も打診されていた。それでも知山は蹴ったんだ。・・・・・・・・その頃の映像がある。いつか君たちに見せようと思って保存したものだ」

「その頃の映像って・・・・・・。ということは・・・・」

「ああ。その中には、知山がいる」

 

あの5月26日から人智では理解を超えた様々な出来事を経て、今は12月。ここで彼が収まっている映像を見れば、約半年ぶりに彼の顔を拝み、肉声を聞くことになる。唐突な別れから半年の間に一言では決して語り尽くせない出来事があった。一瞬では到底反芻(はんすう)できない多くの記憶が新たに蓄積した。多くの時間を過ごしたからこそ、多くの経験を積んだからこそ、あの日より成長したからこそ、みずづきはその映像を見たいと思った。

 

自分の知らない知山が残酷で理不尽な現実を前に何を語っているのか、当然知りたい。しかし、それ以上に彼の顔を見たかった。彼の声を聞きたかったのだ。

 

「・・・・・・・・見るか?」

「うん」

 

だから、ショウの問いへ二つ返事で答えた。彼は真剣な表情のまま頷くと目を閉じる。その瞬間、彼を映していた画面はモニター全体の8分の1ほどの大きさに縮小し、残りの画面は天井の明かりが灯っているものの、人気がなく、様々な機器が雑踏に置かれた殺風景な空間を映し出す。

 

その場所にみずづきは見覚えがあった。いや、見覚えがあったでは生ぬるい。よく知っている場所だった。

 

「ここは・・・・・艤装保管棟」

 

須崎基地敷地の外れ。野見湾に面した雑木林の中にあった、名称通り艤装を保管する施設の一室。よく、整備員と知山が腕を組んで唸っていた保守点検室の1つだった。

 

「・・・・・・・やっぱりだ。我々とは使用している機械のレベルが違う」

 

初めて映し出される21世紀の日本の身近な風景に漆原が唸る。いまだにみずづきは現在映っている保守点検室に置いてある機械の用途や使用方法が全く分からないのだが、さすがは工廠長。同じ界隈の人間として、瞬時に保守点検室の概要を把握したようだ。

 

「おっ。来たな」

 

漆原の観察眼と奥深い知識に感心していると誰かの呟きが聞こえてきた。その声はいちいち正体を探るまでもない。8分の1まで小さくなってしまったものの、相変わらずこちらを見ているショウの声だ。しかし、彼の口には容易に動きそうもないチャックが施されている。

 

だとしたら、応えは1つしかない。画面にはいない過去のショウの声だ。

 

ドンッ!!

 

過去のショウが「はぁ~~~~」と深いため息をついた直後、画面の中央にある開き戸が物騒な音を立てながら、寿命を著しく低下させる乱暴な開け方で保守点検室と隣接している廊下を繋ぐ。その接点に会いたいと心の底から願っていた、大切な人物が立っていた。

 

しかし。

 

「ん?」

 

半年間の空白があろうとも、相手が彼である以上記憶は鮮明だ。だから、すぐに異常を発見した。

 

「まったく、またかよ・・・・・・」

 

呆れ果てたようなショウの声が響く。それに対して彼は「いやぁ~~~、あははははっ!」とえらく上機嫌で歩み寄ってくる。だが、足元がふらついていて進路が定まらず、中々近寄って来ない。

 

「おかしいなぁ~~~」

 

何が可笑しいのかゲラゲラと豪快に笑いながら、足を進める。それでも、足は彼自身が思い描いた方向に進まない。この状態をみずづきは、そしてこの場にいる全員が知っていた。

 

「千鳥足・・・・」

 

そう。知山は今、アルコールの過剰摂取による奇行の1つである、千鳥足状態に陥っていた。

 

顔と制服の合間から覗くが肌が真っ赤なこと。妙に締まりのない表情になっている点から見ても完全に黒。いや、赤か。明らかに酔っている。

 

「知山・・・・し・・司令・・・」

 

脱力感が半端ではない。半年ぶりの再会と胸を躍らせてみれば、一番見たくないと言っても過言ではないみっともない姿を見せられては仕方ないだろう。百石たちや長門たちもどう反応していいのか分からず、互いの顔を見合わせている。

(本当にこれが私たちに見せたかった映像なの?)

ショウの真意が分からなくなってくる。しかし、それ以上に不可解な点に思い至った。

 

「珍しい・・・・・・。知山司令がこんなに酔ってるなんて」

 

深海棲艦の攻撃によってシーレーンの断絶、大都市の壊滅、飢餓・疫病の蔓延が引き起こされ壊滅的な打撃を被った日本では、ほぼ全ての食糧は配給制で各国民に規定量のみが配分されている。再生可能資源や華南・北朝鮮・東露から意地で調達しているエネルギーも言わずもがな。そんな状況では嗜好品の製造などめったに行われず、行われても皇族や政治家・軍人、資産家・企業家など血統と金で日本に君臨している特権階級にほとんどか供給されるため、一般庶民はほぼ入手不可能だ。知山やみずづきたちはれっきとした海防軍人であったため、酒などの嗜好品もごくたまに支給されることはあったが、とても酔える量ではなく、量があったとしてもその希少性から誰も少しずつしか(たしな)まなかった。

 

それはいくら艦娘部隊指揮官でも同様であり、最も近くにいたみずづきでさえ、ここまで泥酔した彼を見るのは初めてだった。

 

「よぉぉぉ、ショウ~~~。言われた通り来てやったぜぇ~~~。ったく、時代は進むもんだよなぁ~~~~。まさか、生きてる間にAIに呼びつけられる日が来るなんてぇ~~~。こりゃ、ドラ・・・」

「ゴホンっ!! ゲホゲホッ!!!」

「・・もんも22世紀の夢じゃないかもなぁ~~」

 

妙に間延びする声。この世界に来て以来、姿と同様にずっと聞きたいと願っていた半年ぶりの肉声だというのに、感動は全くない。その声色は寂れた商店街の一角で密造酒片手に宴を楽しんでいる1人のオヤジと遜色ない。

 

「こ・・・これが、ち・・知山司令・・・ですか・・・・」

 

笑ってもいいのか。戸惑ったままの方がいいのか。吹雪が状況の混沌さを前に、顔を複雑に引きつらせながら尋ねてくる。今まで散々、普通の知山を語って来ただけに肩身が狭い。「そう・・・です。はい・・・」と司令官の醜態を詫びながら答えるのが精一杯だった。みずづきの答えを受け取った吹雪、小耳に挟んだ百石以下一同はまじまじと知山を見る。

 

彼は相変わらず、ショウに対する愚痴を垂れ流している。

 

「ふふっ・・・・」

 

その緩み切った顔を見ると思わず、失笑が漏れる。感動はなくとも、目元を湿らせる懐かしさが心を満たした。

 

「おい。聞いてんのか、ショウ!」

「はいはい。というか、それなんだよ」

「これか?」

 

ショウに言われ、知山は右手に持っていたラベルのない茶色の酒瓶らしきものを掲げる。それなりの大きさで容量は1ℓ以上ありそうだ。「ああ」と答えたショウは声色を刺々しいものに変える。

 

「それだろ、お前が今そうなってる原因は。また、例の元酒蔵のところの密造酒か?」

 

その瞬間、目を輝かせた知山はその密造酒について非常に熱く語りだした。なんでもその密造酒を作っている酒蔵は生戦勃発以前、須崎はおろか高知県を代表するような有名処。生戦が始まった後は他の酒蔵と運命を同じくしたが、その酒蔵の酒をどうしても飲みたい高知県内の有力者や役人が裏で造酒に必要な各物資を横流しし、密造酒として在りし日の酒が出回っているのだという。知山も須崎では知らいない人がいないほどの知名度を誇り、その知名度が当たり前と言うほどの役職に付いているため、当然人脈や付き合いの関係上、粗品として回ってくるらしい。

 

味は知山を見れば一目瞭然。

 

「ヒクッ!」

 

最後はしゃっくりがでる始末だ。だが、みずづきはそれに違和感を覚える。そして、懐かしさを源とする優しい温かみに覆われていた心が急速に冷えていく。いくら、酒が美味しいからと言って、知山がここまで飲むのは異常だった。

 

それはショウも察知していたのだろう。知山が上機嫌な一方、ショウは彼が言葉を重ねるごとに口数を少なくしていく。

 

「ショウ! なんだよ、つれねぇな!」

 

それに苛立った知山が言葉を荒げる。だが、次の言葉が放たれた瞬間、絶句すら通り越し滑稽に思えるほど知山の酔いは消し飛んだ。

 

「なにがあったんだよ、知山・・・・」

 

染み入るような声色に知山は一瞬呼吸を止めると俯いて、床を見つめる。先ほどまでの上機嫌はもはや過去と化していた。

 

「お前がそこまで酒に入り浸るなんてどう考えても変だ。・・・・・・昼間から変だったが、今はもっと変だ」

「・・・・・・・ここに呼びつけた理由はそれか?」

 

数々の苦難と葛藤を痛感させる荘厳な響き。気さくな口調から一転、日本海上国防軍三等海佐に相応しい冷淡な口調に移行した。ショウは沈黙で肯定を示す。

 

「はぁぁぁ~~~~~~」

 

長く、重いため息。一升瓶に直接口をつけ、「ゴクッ」という嚥下音と共に喉仏を三回ほど上下させる。一拍の静寂を挟んだあと、知山は葛藤と怨嗟を混在させた顔で苦し気に口を開いた。

 

「あいつが・・・・きやがった」

「あいつ?」

「大阪の死神だよ」

 

(大阪の・・・死神?)

全く誰のことか分からない。ショウの解説が行われないまま会話が進行していた場合、おそらく付いていけなかっただろう。

 

「ああ・・・・。供給第二課課長の一等海佐、黒川夏美か。救国委員会創設以来、最多の捕獲数を誇り、対象に全く感情移入せず、情けをかけようとした部下の額に風穴を開けたと有名な女性軍人。・・・・・・・やつがわざわざここへ来たということは」

「そうだ」

 

知山は硬く丸まった拳から血が滴り落ちようとも、腕を振るわせながら握り続ける。

 

「みずづきたちを引き渡せ・・・・、だとさ。・・・・・・・・はぁぁぁぁ~~~」

 

感情の激流を押さえるための深呼吸。拳から流れる血は徐々に減少していった。

 

「それで・・・お前はどうしたんだ?」

「どうしたもなにも、丁重にお断りしたよ。・・・・・・・当然だろ?」

「そんなことしたらお前は・・」

「構わない」

 

聞かなくても推測可能な言葉を、知山は意思の強靭さを示唆するように遮った。そして、再び傷付いた拳を握りしめた。

 

「俺の・・・この穢れきった命に執着はない。彼女たちが笑顔で門をくぐる姿を見たいが、それは二の次だ。・・・・・・絶対に守ってみせる。守るんだ・・」

「し・・・司令」

 

その姿はみずづきが知っている、知山だった。

 

「ここであいつらを守れなかったら・・・俺は・・・一体・・」

 

時を超えても、スピーカーを通しても分かった。彼の声は潤んでいた。

 

「なんのために・・・・・・自衛官になったんだ。この世に生を受けたんだっ」

 

知山はそれっきり口を開くこともなく、酒をおあることもなく、鼻をすすることもなく、額を抑えたまま俯いた。どれほど時間が経っただろうか。そんな彼にショウが声をかけた。「みずづきたちを救う方法はあるのか?」と。「救国委員会を宥める方策を具体的に準備しているのか」と。

 

「・・・・・・・・・・」

 

知山は答えない。ただ首を動かし、腕を上げ、赤黒い血に覆われた手の平を凝視する。

 

「お前、まさか・・・・」

 

それから何を悟ったのだろうか。ショウの口調には焦燥と叱責が混ざった。

 

「本当に、それでいいのか?」

 

腹の底から湧き上がってきたような確認。具体的な返答はない。ただ、知山は「は・・はは」と微笑した。失笑でも、嘲笑でもない。それは幾度となく向けてくれた慈悲深い温かみのある笑顔だった。

 

「そうか・・・」

 

観念したかのような嘆息。しかし、ショウはその後も同じような言葉を問いかけた。「これで、いいのか?」と。それに対する知山の反応は「閉口して語る」先ほどと明らかに異なった。

 

達観したような表情に未練が浮かび上がった。

 

「いいんだよ、これで。どのみち、俺には許されないことだ。・・・・・守ると誓いながら何1つ守れず、破壊することしかできなかった人殺しには・・・・・・・幸せになれる権利なんてないんだよ・・・」

 

 

 

 

 

そこで映像は終了した。

 

 

 

 

 

 

今まで、自分はなんて罰当たりなことを思ってきたのだろうか。

 

混乱を極める状況で、その元凶から足元を崩壊させるような事実を告げられた。

己の住んでいた世界の真実が想像を絶しすぎていた。

 

そんなもの、言い訳の欠片にもならない。彼の一番近くにいて、彼をずっと見てきた身であるにもかかわらずの醜態には自分でも頭に来た。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「みずづき?」

 

ショウの問いかけで内側を向いていた意識が外界へ目を向ける。

 

「君は覆い隠されてた世界の真実を知った。そこで1つ、君に問いたいことがある。・・・・・・・・・君はこれからどうする?」

「どうするって・・・・・」

「結局、あいつは最後まで抱き続けた信念を全うすることはできなかった。知山の見通しをも上回る強固な意志を前に、あの日第53防衛隊は壊滅。・・・・・・君だけが奇跡的に生き残った」

「くっ・・・・・・・」

「そして、世界がどれだけ理不尽で残酷で、闇に満ちてるかを思い知った。常人ならば・・・・・・はるづきのようになってしまう現実を」

 

面白いわけでもおかしいわけでもないのに、乾いた笑みを浮かべていた先ほどの自分が甦る。あれは何かもが絶望に覆われ、歩むべき道を見失った、到達すべき未来を失った亡者のスタートラインだ。

 

全て、仕組まれたものだった。

 

日本を変えてしまった第二次日中戦争も。

親友を殺し、温和だった人々を復讐の阿修羅に変えてしまった丙午戦争も。

 

全て、作為的な代物だった。

 

地獄絵図を現世に具現させた深海棲艦も。

敵前逃亡として銃殺刑一歩手前まで言った、あの事件も。

この世界へくるきっかけとなり、全てを失うことになった日向灘での戦闘も。

 

全部。

 

そこから生まれた自分の信念も、明確な意思によって植え付けられたまがい物。

 

「君は常に世界に翻弄され続けてきた。多くの傷を負わされてきた。それを知っても君は・・・・・・・・・・・・」

 

ショウは大きな深呼吸の後、不安と覚悟と信頼を同居させた表情でこう問いかけてきた。

 

「前へ進むか?」

「私は・・・・・・・・」

 

特定の結論を宿した即答など、できない。ここから飛び出したい衝動が芽吹くも車椅子に乗り、両腕が使用不能になっている現状では一人で移動できない。だが、部屋に引きこもった前科がある以上、この場での回答を求められているのならここで示さなければならないだろう。そう分かっていても自分の歩んできた道は崩落し、足元にはひびが入り、床に付けていない足は面白いように痙攣している。

 

 

 

“私と一緒にこの世界を滅ぼさない?”

 

 

 

あの時は理解不能だったはるづきの言葉。今なら、そこに秘められた想いが少しだけ分かる気がする。彼女に何があったかは知らない。しかし、唯一の拠り所であった世界に裏切られ、人間そのものに憎悪を吹き出し続けるほど絶望しているのだろう。そして、日本世界では当たり前に満ちていた闇が薄いこの世界を目にして、嫉妬したのだろう。

 

みずづきも1人の人間だ。徹底的にコケにされ、物扱いされ、大切な存在を奪われた挙句、殺されたとあってはそれを成した人間たちに、そしてその存在を許容し続けている世界に恨みを抱かないはずがない。何も知らない多くの人々が自分と同様に踊らされ、意図的に不幸へ叩き落されているのなら、その憎悪は天文学的規模まで膨張する。

 

己が日本で、そして瑞穂で完全に孤独なら、その憎悪に飲み込まれていたに違ない。しかし。

 

「みずづき」

 

みずづきは1人ではなかった。

 

「・・・・・・・・長門さん」

 

ショウの語る真実の前に、みずづきより早く膝を屈してしまいそうな雰囲気で覆い尽くされていた長門はもういない。振り返ったそこには凛々しく背筋を伸ばし、こちらを見据えてくるいつもの長門がいた。そして・・・・・・・・・。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

百石と漆原、漆原の肩に乗る黒髪の妖精、吹雪、赤城、夕張がいた。

 

「私は・・・いや、私たちは日本にいた頃のお前を伝聞でしか知らない。だから、あくまでも今から語る言葉はお前がこの世界に来て、私たちがこの目で見てきたものだ。しかし、きっと日本にいた頃のお前を見てもこれは変わらないだろう。お前はここまで想像を絶するような苦難を乗り越え、困難を克服し、自身の抱く信念を体現するために足を進めてきた。それは紛れもない・・・・・・・・・本物だ」

 

本物。真実という名の刃物で切り刻まれ赤黒く染まりかけていた心にその言葉は優しくも強い光を浴びせた。こちらの揺らめく視線に大きく頷くと長門は自らを指さす。

 

「その証拠は私たちと・・・・・この瑞穂そのものだ」

「へ?」

 

感嘆など出せるような気分でも状況でもなかったが、あまりにも壮大な提示に思わず目を剥いてしまった。一笑すると、長門はどんな精神状態でも言葉を咀嚼できるようゆっくりと語る。

 

「お前が自身の信念に基づいた行動をとってくれなければ、私たちは今、こうしてMI/YB作戦を発動し、大隅に乗ってなどいなかっただろう。深海棲艦との戦闘でもっと多くの被害・犠牲が生じていたかもしれない。今、私たちが仲間たちと談笑できているのも、瑞穂が平穏に浸れているのもみずづき? お前のおかげなんだ。お前が歩んできた地獄の中で育んだ信念のおかげなんだ」

「私の・・・・おかげ?」

「「そうだ!」」

 

長門だけにとどまらず、百石までもが間髪いれずに断言する。始まりから終わりまであまり完璧な重奏を成し遂げた2人。状況が信じられず「ん?」と真顔でお互いを凝視する。奇跡の発生に赤城たちをはじめとする周囲に笑いの嵐が巻き起こる。照れくさそうに頬をかく百石と長門。

 

その光景に目が、意識が急速に吸い寄せられる。

 

自身の目の前で発生しているその光景は飢えに苦しみ、死体から目を逸らしていたあの地獄の中で失われていったもの。そして、みずづきが命を懸けてでも守りたいと、取り戻したいと切望していたごく普通の日常に酷似していた。

 

「みずづきさん?」

 

そこでの微笑みを維持しながら赤城が笑いかけてくる。長門と同様、日本世界の真実を知ってとても笑顔を永続させる気分ではないだろうに、彼女の強さには一生到達できる気がしない。

 

「私たちはあなたにたくさんお世話になり、何度も助けてもらいました。具体的な事例はあげません。ただ・・・・、それが否定しようのない明確な事実です」

「赤城さん・・・・・・」

 

笑顔をたたえつつ有無を言わさぬ威厳を宿しながら投げかけられた言葉には、全ての事柄に疑心や不信を向ける卑屈な心を引きこもらせる灼熱の輝きが込められていた。

 

全て、仕組まれたものだった。その中から生まれた信念をこれまで誘導されたとも気付かず後生大事に抱えてきた。それに基づいて、己の道を定め、言動を決めてきた。これで何も守れず、何も成し遂げられていなかったならば、この信念は無意味と断罪するに足る空虚な妄想だ。

 

しかし。

 

「私は・・・・・私は果たせていたんですね。遅かったのかもしれないけれど、この世界で・・・・ここで・・」

 

一同が頷いてくれる。それでようやく自分に厳しかった自分自身が、自分の働きを認めた。形成要因は確かに作為的な事象だったのかもしれない。それでもみずづきは水上澄(むながい きよみ)のころから必死に勉強して、必死に努力して、抱いた信念を果たせる力を得るために全力疾走してきた。いくら巨大な壁が立ちはだかろうと封印せざるを得なくとも、その想いを完全に忘却することはなかった。

 

それは自分自身の歩みと周囲の励ましによって成し得たもの。決して、まがい物ではない。だからこそ、大切な存在を失い、帰る場所から切り離されてもその信念は行動原理の土台足り得ていたのだ。

 

「う・・・・・・・・・」

 

目元から一筋の涙が下る。

 

この信念は抱き続けてきた価値があったのだ。例え原点は薄汚れていても、導き出せる結果は輝きに満ちている。いくら全てを知ったからといって、否定して良い代物ではない。

 

 

“たいしたもんだよ。やっぱり、みずづきはすごいな”

 

 

かつて、知山は己の信念を聞いてそう言ってくれた。地獄と闇の双方を同時に駆け抜けてきた彼がどう思っていたのかは分からない。しかし、これだけは断定できる。

 

彼はこの信念を認めてくれていた。

 

その信念を彼に比べれば生半可な人生を歩んできた自分が否定して、どうするのか。知山は須崎で当たり前に見せていた優しく、思いやりのある性格で手を真っ赤に染めてきた。手から様々なものを滑り落していった。

 

みずづきなら確実に闇へ落ちていただろう。しかし、知山はそれでも踏ん張った。腐らず、堕落せず、やけくそにならず、抱いた信念を抱え続けた。

 

ここで膝を屈してしまっては彼の称賛も、真実を知るべきと判断してくれた信頼も裏切ることになる。

 

「それだけは・・・・絶対にっ」

 

してはならない。彼に命も心も救われた者として、彼が命を懸けて守ろうとしてくれた部下として、彼を想う一人の女性として彼の思いを否定する行為は。どんな理由があろうとも。

 

ならば、みずづきの歩むべき道は決まっていた。

 

「私は」

 

眼球自体に力を込めて生み出した鋭い視線でショウを射貫く。複雑そうな表情は一体どうやって書き換えたのか。満足げに口角を上げている。

 

「これまで信じてきた道を進む。日本でも瑞穂でも変わらない。例え作られた地獄であっても、その中で飛び交う絶望と閉塞感は本物。そして、儚い幸福と希望も本物。私の、この手でそれを明るい方向へもっていけるのなら・・・・・・・」

 

包帯で真っ白になっている右腕を胸に添える。痛みは全くなかった。

 

「この信念を抱き続ける。私は日本海上国防軍第53防衛隊隊長特殊護衛艦みずづき。防人としての誇りを忘れて引きこもって、なにが“みずづき”ですかっ」

 

湧き上がってきた激情を必死に制御して、自身の想いを余すところなく告げる。時計の秒針が半周するほどの沈黙の後、画面の向こう側から嗚咽が聞こえてきた。

 

「え・・・。あの・・・・・。ええ??」

 

自身の瞳が捉えた情景が信じられず、頭上に大量の疑問符が生成される。

 

「泣く」。これは生命が地球上に誕生して以来、生物のみの特権だったはずだ。しかし、人間はその特権を創造物にも供与できる神域に達したらしい。

 

「わ・・・悪い。つい感極まっちまって・・・・」

 

ショウは涙を流して、泣いていた。目元から透明の液体が頬を伝って流れ下り、鼻はトナカイのように赤く染まり、鼻水の流出を啜ることで防いでいる。普通の人間と全く変わらない。彼が本当に人工知能なのか、疑いたくなってきた。

 

「そっか・・・、そっか。やっぱり、お前は正しかったよ、知山。さすがだ」

 

目元を拭いながらここではない、どこか遠くを見つけて優し気に微笑みかけるショウ。彼の目には一体何が見えているのだろうか。

 

そのすがすがしい表情を見ると、自身の動揺が些細なことに感じられる。彼を泣かした自覚があるため文句は言えない。それでも少々照れ臭かった。

 

「・・・・・・・・赤城さん?」

 

鼻を人差し指で掻いていると、両肩に力を解きほぐす穏やかさを持った手が優しく乗せられる。後方には赤城がいた。彼女は何も言わず、ただ微笑みかけるだけ。

 

それが合図だったのだろうか。吹雪と夕張も駆け寄ってくる。二人は赤城とは対照的に口に備わった機関砲を乱射してくる。特に後者には思いやりという感情が明らかに欠如していた。

 

「さすが、みずづきさんです!!! 良かった~~、本当に良かったぁぁぁ~~~」

「一件落着したんだし、あれ! あれ! ショウさんの話を聞かせてよ! なんなら艤装を分解する許可を出してくれてもいいんだからね!!」

 

夕張が興奮のあまり、包帯で春巻き状態の右手を掴む。それが事態を静観していた長門の琴線に触れた。

 

「こらっ! 夕張ぃぃ!」

 

41cm連装砲にも引けを取らない咆哮。隣にいた百石は咄嗟に耳を塞いだおかけで無事だが、一歩対応が遅れた漆原と黒髪の妖精は頭上に星を回転させている。空間の違いからかショウにダメージはないようで興味深そうにこちらを覗いていた。

 

そして問題の夕張は耳鳴りを気にする余裕もなく、額に汗を急増させ右手をそっと両手で包み込む。

 

「ご、ごめん、みずづき!!! 大丈夫?」

 

いくら今まで追いまわれてきた身としても、その様子には同情を禁じ得ない。

 

「大丈夫、大丈夫。気にしないで。全然痛くもかゆくもないから」

「本当に?」

 

大きく頷く。これは本当だ。夕張に握られても、自分で力を込めてみても痛みはない。けがをしているのが信じられなくなるぐらいだ。

 

そう言ったものの、言ったは言ったで夕張の表情が曇る。吹雪たちも同様で艦娘たちは一斉に百石を見た。何かしらのアイコンタクトが交わされているが全く、内容も意図も分からない。一同の顔を見続けてしばらく。

 

「みずづき? その包帯、取ってみてくれないか?」

 

意を決したように百石が言ってきた。

 

「取る、ですか?」

「ああ・・・。痛みがないってのはおかしいからな。状況次第では道満部長に見てもらわないといけない」

「・・・・・・・・・分かりました」

 

はるづきとの戦闘で自身が重傷を負ったことは知っている。そして、普通の人間でありながら、常識はずれの治癒能力を示したことも道満から告げられている。

 

両腕・両手を覆っているガーゼと包帯の重厚な鎧。これだけでも両腕がかなりの重傷を負ったことが分かる。それ故に無痛が不気味に感じられた。

 

包帯を固定しているテープを外し、ゆっくりと包帯をほどいていく。包帯の下にある血と膿を限界まで吸引したガーゼを取るとその不気味さが心を覆い尽くした。

 

「え・・・・・。どういうこと・・・・・」

 

ガーゼの下から出てきた腕は多少血や膿で汚れているものの、かすり傷一つなく()()()だった。とても重傷を負っていたとは信じられない。

 

「・・・・・・・・・やっぱりか」

 

みずづき以上に百石たちの動揺が大きい。百石は顔の右半分を手で覆い、瞳孔を開ききっている。

 

その動揺を衝撃のあまり消化する言葉がショウから告げられた。その瞬間、真実を聞いても維持し続けた呼吸が止まった。

 

「それは当然の回復だよ。なぜなら、みずづきは生命の輪廻(りんね)から足をはみ出してしまったのだから」

 




今週はなんとか木曜日に投稿することができました(汗)。作者の脳内カレンダーを凝視する限りしばらくは木曜日投稿でいけると思いますが、一寸先は闇。仮に厳しくなった場合は事前に「延期します!」などの告知を行いますので、ご配慮のほどよろしくお願いします。

さてさて、艦これもそろそろ5周年。来てほしいなぁ~と子供並みの無責任さでつぶやいていたら、きました。

ロー○ンとのコラボイベント!

そして本日、その詳細が明らかとなりました。なんでもこれまで登場したロー○ン制服modeのデザインを施した“タヌキみたいなキャラのカード”(なんのカードなのか、お察し願います!)が準備されているとか・・・。

ほしい反面、そのカードを持ったところで、毎回店員に出せる勇気がない・・・。デザインを拝見して、ひしひしと頭痛に襲われるチキン作者だったりします。

追伸
読者の方々から多くの誤字報告をいただきました。作者の至らなさをお詫びするとともに、ご多忙の中、誤字報告をしてくださった読者の皆様にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。今後も、誤字・脱字が発生するかもしれませんが、見限ることなく、本作をよろしくお願いします。

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