水面に映る月   作:金づち水兵

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と、トリプルゲージ・・・・・。


80話 発動前 後編

「それで私たちに白羽の矢が立った、と・・・・・?」

「はい・・・・・・」

 

提督室で依頼を打診されたからみずづきは食事中も入浴中も、陽炎たちには悪いが彼女たちと談笑している間も、自分自身の価値を相談する最適な相手を考えていた。

 

百石は言った。

 

“赤城にとって未来の日本人の客観的な視点に基づいた言葉はどんなものであれ、有意義なものだと思う。だからそれを成せるのは君しかない”と。

 

しかし、百石が思っている大層なことが本当にできるのだろうか。艦娘たちにとって自分の言葉が肩を並べて戦い、過去を共有する仲間として届くのだろうか。

 

相手はあの赤城。なら、相談する相手は絞られた。同じ正規空母として日本海軍の威信を背負い、激戦に身を晒し、赤城たちの背中を追い続けた艦娘たち。僚艦ではなく、あくまで先輩という距離感を置いているからこそ、彼女たちは極端な情に左右されることなく、相談に応じてくれるだろう。

 

「なんで私たちなのよ・・・・・」

 

そう思ったのだが・・・。相談自体には応じてくれたものの、紆余曲折を経るような予感がしてならない。

 

「ごめんなさいね、みずづきさん。ここでお答えする形になってしまって・・・」

「いえいえ、そんな! なんの根回しもなく、くつろいでいたお2人にいきなり声をかけてしまったのはこっちですから、お気になさらないで下さい。私は・・・・その、お答えいただけるならどこでも」

 

こちらに非があるにもかかわらず、隣で膨れている瑞鶴とは対照的に頭を下げる翔鶴。風呂上がり故に(つや)やかさを増した純白の髪に目を奪われつつ、慌てて彼女の罪悪感を(やわ)らげる。

 

翔鶴と瑞鶴。現在はそれぞれ赤城と加賀を僚艦とし、転生前は姉妹で第五航空戦隊を編成していた、アジア・太平洋戦争開戦時の最新鋭正規空母。

 

みずづきは加賀に次いで、もしくは加賀と同等に赤城と親交の深い2人を相談相手に決めた。

 

「もう! 瑞鶴。いつまでそうしているの! みずづきさんに失礼でしょ?」

 

声をかけてからふてぶてしい態度を取っていた妹に翔鶴が言い放つ。「だって、翔鶴姉・・・・」と加賀にさえ突っかかる瑞鶴らしくない弱々しい声で反応するも、翔鶴は表情を険しくしさらに言葉を放とうとする。

 

「大丈夫です! 私は気にしてませんから。本当に気にしてませんから、ね。翔鶴さん」

 

無実の瑞鶴が姉に叱られる様子を傍観できず、これ以上険悪にならないよう笑顔に努めて翔鶴を必死に制する。

 

いつもは妹の暴挙や失敗に対して、叱るよりも優しく諭すことが多い翔鶴。先ほどまでいつもと変わらない様子だったが、この部屋-艦娘寮の空き部屋-に入ってから微妙に雰囲気が変わっていた。

 

「私が諸悪の根源ですから。こんな時期にお2人の内心に踏み込むようなことを聞いて、瑞鶴さんの反応も当然です。無神経な真似をして・・・・・・すみません」

「みずづき・・・・・」

 

畳の上に正座したまま、頭を下げる。それから2人も口を閉ざし、気まずい静寂が訪れた。壁越しに聞こえてくる駆逐艦たちの爆笑がより心を凍えさせる。

(失敗、しちゃったな・・・・・・)

自分の言動で2人の間に沈痛な空気を流してしまった罪悪感から、2人の顔が見られない。

 

「提督の言う通り、かもね」

 

静寂の中で前触れもなく発生した波紋。思わず、俯いていた顔を上げた。ここで身を引くことも考えていたみずづきを引き留めたのは瑞鶴だった。

 

「瑞鶴さん?」

 

翔鶴は何も言わない。瑞鶴は翔鶴を一瞥して、言葉を続けた。

 

「私たちだって赤城さんの様子には気付いていたわよ。同じ正規空母で尊敬する先輩だもの。でも、私たちは何もできなかった。気付いてから今日まで・・・・」

 

瑞鶴は意識を記憶や心に飛ばしているようでしっかりみずづきも見ていた。

 

「近すぎるから、触れられない。複雑なのよ、こういうのは・・・・」

 

瑞鶴のため息に肩が震える。

 

「でもこのままじゃ、いいわけないよね・・・・・」

 

誰に向けられたものではない、空気に溶けていくような角のない独白。そこには無意識のうちに聞き入ってしまう魅惑があった。

 

彼女の中で何があったのか。それを境に凝り固まっていた表情が少し柔らかくなり、どこかへ飛んでいた意識が現実に帰還していた。

 

「赤城さんの様子がおかしくなった原因は間違いなく、今度の反攻作戦にあると思う。本土空襲を受けてからにわかに盛り上がった辺りも、日本とそっくり。私たちの攻撃目標がミッドウェーそのものなんだから、重ねない方がおかしいわよ」

 

瑞鶴も百石と同じ見解を示した。

 

「私たちだってなんとかしようとしたわよ? けど、ミッドウェー海戦は私たちの手に負えない」

「瑞鶴さんたちでも?」

「違う。私たちだからよ」

「それは・・・・・・・・」

 

彼女の言っている意味が分からなかった。

 

「私たちは同じ正規空母。しかも、翔鶴型の方が赤城さんや・・・・加賀さんに比べて性能は良かった。戦術も知っている、運用方法も頭に叩き込まれている。そんな“同じ”存在がいくら親身になって励ましたって・・・・・」

 

そこで言葉を詰まらせた。

 

「嫌味にしか聞こえないじゃない」

 

瑞鶴は悔しそうに奥歯を噛みしめながら呻くように言った。

 

「あの海戦で私たちが大敗北を喫したのはどう言い繕っても明らかに・・海軍の失態。あの頃は南雲機動部隊が壊滅したと聞いて、全然信じられなかったけど、この世界で他の艦娘から話を聞いていくうちにそう思った。決してアメリカ単独で勝利を拾えたわけじゃない。それは赤城さんたちが一番分かっている。そして、あの海戦での惨劇が、私が沈むまで続いた、私が沈んだあとも続いた悲劇の呼び水になってしまった・・・・・。これも赤城さんは良く分かっている。私たちが赤城さんたちの犠牲を最大限教訓として生かして、傾いた戦局を戻せたのならまだ嫌味に聞こえないかもしれないけど、結局私たちは先輩たちの後を継げなかった。そのままずるずると祖国滅亡への流れを押しとどめられなかった若輩者に言葉をかけられたって、苛立つのが普通でしょ?」

 

瑞鶴はそういって、悲しそうに微笑んだ。

 

「でも赤城さんたちはそんなこと・・・・」

「ええ、しないと思う。赤城さんたちは優しいから。気を遣ったところでその理由は簡単に看破されて、逆に気を遣わせちゃう。そこがまたね・・・・・・」

 

時々ツインテールに触れる延長線上で、首元にかかっている髪の毛を触る瑞鶴。現在の彼女は若干緑がかった黒髪をストレートに下ろしている。そこから醸し出される外見の雰囲気は隣に座っている姉の翔鶴とそっくりだ。

(ん? ・・・・・・・赤城さん“たち”?)

そこが引っかかった。

 

「あいつも何考えているのか分からないくせに勘がいいし・・・・」

 

その疑問は瑞鶴自らが解消してくれた。一応瑞鶴は気付いていないようなので、生暖かい感情は秘匿する。

 

ミッドウェー海戦に起因した赤城の変調。それを察知したとき、みずづきはとある艦娘を瞬時に思い浮かべた。この鎮守府にはミッドウェー海戦で赤城と同じく沈没した空母がいる。

 

「でも、みずづきなら・・・・・・」

緩みかかった表情を引き締め、瑞鶴が一直線に見つめてくる。その視線に気遣いや嘘は一切ない。そして、こう言ってくれた。

 

「大丈夫かもしれない」

「本当、ですか・・・・・?」

「提督の言った通りよ。あんたは同じ艦娘でも私たちとは違う。未来から来た日本人。あんたたちにとって私たちは神様かもしれないけど、私たちにとってはあんたたち人間が神様よ。つらいこともたくさんあった。でも私たちを生み出して、崇高な使命を与えてくれたのは紛れもないあの人たち・・・あんたのご先祖様。主観に基づいた身勝手な言葉なら私は爆撃するけど、数十年っていう時の中であの戦争を教訓に醸成された未来の意見なら私は受け入れるし、赤城さんも同じ。一番つらい思いをしたはずの人たちが出した結論だもの。それは絶対に私たちの道しるべになってくれる。そうだよね? 翔鶴姉」

 

鬱屈した雰囲気を瞬く間に吹き飛ばす瑞鶴の眩しい笑顔。翔鶴は妹の笑顔に同調して微笑むと正座をしたたま体の向きを変え、みずづきと正対した。

 

「みずづきさん」

「はい」

「どうかよろしくお願いします」

 

そう言って、深々と頭を下げた。お願いという柔らかい表現より「懇願」が翔鶴を的確に表現している。何を必死にみずづきに乞うているのか。

 

「・・・・・・・分かりました」

 

分からないほど、目を背けるほど性根は腐っていない。赤城と時には談笑し、時には真剣に話し合い、時には共に訓練に励む。妹が一航戦の片割れといざこざを引き起こす中、そのような翔鶴の姿は目に焼き付いている。

 

「お2人の想い、しかと受け取りました」

 

みずづきは握った拳を胸に充てる。やはり、この2人に相談して良かった。

 

翔鶴と瑞鶴の想いを経て、みずづきはようやく決心を付けた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

「撃て! うてぇぇ!!!」

「敵艦爆急降下!!!」

 

激しい銃撃音に紛れて、沈痛な叫び声が聞こえてくる。自身の真上から迫ってくる黒点。異様な殺気と歓喜をまとったそれは腹からさらに小さな点を切り離した。その正体を看破した男たちは、信じられなかったのか間抜けな顔でそれを見つめ・・・・・・。

 

閃光に飲み込まれた。

 

自身の中で次々と爆発が起こり、その度に苦楽を共にしてきた乗員たちが(たお)れていく。爆風で生きたまま肌を焼かれ、破片に体を切り刻まれ、酸欠で喉を掻きむしりながら。

 

「艦長戦死!!」

「副長戦死! 航海長、主計長せ・・・・・・」

「おい! 報告続けろ! どうした! おい!!」

 

自身はそれをただ見ていることしかできなかった。手を差し伸べることも、目を背けることもできない。

 

遥か遠方には火柱と黒煙を吹き上げている、かげかえのない仲間が見える。しかし、これもまた見ていることしかできなかった。

 

ただ、自身が洋上の豪華な棺桶になっている状況を受け入れるしかなかった。

 

「艦長、大丈夫ですか!? ・・・・・っ!? 艦長・・・・返事を下さい! 艦長!!」

「飛行長!」

「なんだ!?」

「・・・・・砲術長が戦死されました!!」

 

そして。

 

「総員退去せよ・・・・」

 

傷付き、汚れた乗員たちが去っていく。生者の気配は完全に消え去った。

 

 

 

「天皇陛下、バンザーーーイィィィィィィ!!!」

 

 

ただの鉄くずと化したこの体は無数の無残な屍たちとともに、暗黒かつ極寒の海底に引きずれこまれていった。

 

もっと、みんなと一緒にいたい。もっと、もっと。

 

その願いは流れ込んでくる海水を前に、無力だった。

 

 

 

―――――

 

 

 

「う・・・・・んん・・・・・・。・・・・・・はぁ~」

 

まだ薄暗いにもかかわらず、起床ラッパが聞こえていないにもかかわらず、木製の天井が目の前に見える。先ほどまで焚き木で炙られていたかのような熱を持った体。体は汗まみれで、水分を目一杯吸収した寝間着が肌に密着している。不快なことこの上ない。

 

だが心はそのような上辺の感覚より過去に起因した倦怠感の前に屈していた。

 

まただ。また、あの夢を見た。あの時を夢に見るのはこれで何回目だろうか。

 

どれだけ納得しても、どれだけ理解しても見続ける夢。いくら時間が経とうと、人の身に転生しようと追いかけてくる過去。

 

挫けそうになったことはある。立ち止まってしまったこともある。それは否定しない。この身は周囲が認識しているほど、強くない。それでも過去は切り離せなかった。そこで気付いた。これはこの身が滅ぶまで背負うべき業のようなものだと。生きている、明確な自意識が確立されている間は背負っていくと誓った。

 

しかし、そうできない者もいる。その気持ちは痛いほど分かった。

 

ある種の予感に突き動かされ、扉と廊下を経た居間に向かう。夢を見て目覚めたとき。決まって彼女はあそこにいた。

 

「あら、また加賀さんじゃない。奇遇ね」

 

今回も最近確立されつつある慣習に漏れることはなかった。

 

静まり返っている居間。畳の上に正座した赤城は体を窓に向けたまま振り返り、微笑んだ。

 

「赤城さん・・・・・・」

 

その笑顔は本当の笑顔ではない。あまりに痛々しく、胸が切り裂かれたように痛い。話しかけられているにもかかわらず言葉を返すことができなかった。

 

赤城はこちらの様子に構うことなく、自身の隣を優しく叩く。そして、挙動を確認することなく、すぐそこまで防風林が迫りわずかに空が見えるだけの殺風景な窓へ視線を戻す。彼女が何に想いを()せているのか。それこそ愚問だ。

 

加賀は無言で赤城の隣に座る。

 

一瞥した赤城の表情はとても凝視できるものではなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

翔鶴・瑞鶴への相談を経て、決心を付けたのだが・・・・・・・。

 

「ヤバい。赤城さん、いつも誰かと一緒にいる・・・・・・」

 

事の性質上、誰かに聞かれることはマズイ。そう考え、さりげなく赤城と2人きりになれる機会を日常生活から覗っていたのだが、その好機は何者かの意思が働いているのではないかと疑いたくなるほど到来しなかった。

 

訓練中や艦娘寮はいわずもがな。食事や入浴なども大抵、一機艦のメンバーや加賀たちと行動を共にしている。事情を知っている翔鶴や瑞鶴が気を利かせてくれても、次に立ちはだかったのは駆逐艦たちの壁。そして、将兵たちの壁だった。暁たちにまとわりつかれていたり、筆端や緒方と廊下で簡易な打ち合わせをしていたり。

 

いくら注意力が散漫しているとはいえ赤城は鋭い。そして、彼女の相棒は散漫の「さ」の字もないため、強敵だ。正直、誰かのように尾行でもして好機を覗わなければ進まない膠着状態に陥っていた。

 

「はぁ~~~~~~」

 

待ち望んだ夕食にありつけたにもかかわらず、ツッコミどころ満載のため息を吐いてしまった。周囲に艦娘たちがいる以上、無視されることはないわけで。

 

「なに、開口一番ため息って辛気臭い。・・・・・・・・どうしたのよ? 快食艦みずづきでも口に合わないものでもあった?」

 

曙が珍しく心配そうに様子を伺ってくる。答えてあげたかったが、今の精神状態では言葉が思い浮かばなかった。熟考故の沈黙をどう受け取ったのか。みずづきの対面に座っている潮が右手に箸、左手に茶碗を持ったまま、みずづきの右隣に座っている曙を睨む。

 

「快食艦って・・・・」

「な、なによ、潮・・・。違う! 違うわよ! その名前付けたの、私じゃないわよ!」

「ええ~~~。そうでしたかね?」

「おっかしいな~~。私、曙発祥って聞いたんだけど?」

 

みずづきの左隣に座っていた深雪がみずづき越しに不敵な視線を送る。面白いと思ったようで深雪の隣でみそ汁を啜っていた陽炎も便乗する。

 

「だから、あれは私じゃなくて・・・・・」

「みずづき、可哀想」

 

深雪の対面で冷奴と悪戦苦闘していた初雪が、箸により冷奴を粉砕してしまった悲しみそのままに最適な音節で曙の言葉を遮る。白雪はちょうど、自分の四角い冷奴と初雪の半分豆乳と化した冷奴を器ごと取り換えていた。

 

「On no!!!!! 私としたことがぁぁぁ!!!!」

「あるあるだねぇ~~~~」

「ちょっと静かにしてください! 金剛さん! 北上さんが集中して食べられないじゃないですか!?」

「・・・ん。これ」

「あなたがかけたら? 冷奴にソース。新しい境地に辿りつけるかもしれないわよ?」

 

吹雪は冷奴に間違えてソースをかけてしまった金剛を必死に慰めていた。彼女の対面ではさりげなく嫌がらせを仕掛けた瑞鶴と加賀の間で火花が散っている。

 

曙に味方してくれそうな艦娘はいなかった。ちなみに黒潮は提督室にて百石の書類に落書きをしでかしたため、現在説教中である。

 

「ああああ!! もう!!! あれは摩耶だってば!! 大体、面白おかしく快食艦を使い出したのはあんたたちでしょうが!!!」

 

ニヤニヤとコロッケを頬張っていた陽炎と深雪に箸を突きつける。当然、そのような粗相を潮が見逃すはずなく、一睨み。

 

「・・・・はい」

 

あっけなく、曙は食事を再開した。一応このままでは曙が戦犯になってしまうので、一言添えておく。

 

「私は別に気にしてないから。平気、平気。鬼神って呼ばれる方がよほど心に来ます、はい」

「え? そうなの?」

 

口に箸を加えたままキョトンと目を見開く、曙。

 

「うん。ってこの間陽炎や吹雪たちと橙野にいた時、話に上がって似たようなこと言ったんだけど・・・・」

 

曙から視線を逸らし、明後日の方向を向く、陽炎、深雪、初雪。

 

「あんたたち、謀ったわねぇぇ!!!!」

「また、始まった」

 

どこからともなく聞こえてきた苦笑。近くに座っていた将兵たちが「いけいけぇ!」と歓声を上げる。完全に面白がっているがこれも既に横須賀鎮守府の風物詩となりつつあった。

 

「そういえば、最近、赤城さんの様子がおかしくない?」

「うぐっ!!」

「み、みずづきさん!?」

 

前兆もなしに叩き込まれたミサイルを前に嚥下(えんげ)能力が敗北した。飲み込みかけていた白米が逆流し、咳き込む。「大丈夫ですか!? これを!」と血相を変えた潮が自分の水を差しだしてくれるが、なんとか自力で吐き出すという最悪の事態は回避した。

 

「どうしたのよ、みずづき?」

「なんでもない。なんでもないから、続けて」

「変って、どう変なんだよ? 単に腹が減ってただけじゃねぇの?」

「あんたね・・・・」

 

深雪の名誉棄損発言に曙の関心が持っていかれた。怪しまれていただけに思わぬ助太刀だ。

 

「変っていうか、最近寝不足気味みたいでね。よくあくびをしているのよ」

「ああ~~~」

 

みずづきはその言葉に心当たりがあった。就寝直前ならともかく、訓練中では皆無といっていいほどあくびをしなかった赤城が今日は連発していた。よくよく考えればここ1週間ほど、横須賀騒動があってからあくびが目立っている。

(でもなんで赤城さんが・・・・・)

 

潮が突然、何かを思い出したかのように呟いたのはその疑問を浮かべた直後だった。

 

「あ・・・・」

「ん? 潮? なんか心あたりでもあるの?」

「・・・・それがあくびの原因が分からないんだけど。一昨日の朝、外がほんのり明るかったから5時すぎかな? お手洗いに行こうと起きた時、居間に赤城さんがいるのを見かけたの」

「え? 居間に?」

 

赤城の行動パターンに翻弄されていたみずづきにとっては貴重な情報。更に深い情報が欲しかった。

 

「うん。寝ぼけててよく覚えてないんだけど、外を見ていたような・・・・」

「誰か・・・・いた?」

「ううん」

 

潮は首を振った。

 

「あ、そういえば、俺も・・・・」

 

食事を中断し、何やら険しい顔で考え込んでいた深雪が声を発する。潮とよく似た声の調子だった。

 

「え?」

「いや、直接見たわけじゃないんだけどな。どこだったか・・・。そう! 風呂! 風呂に入っている時に・・・・・・」

 

深雪は第五遊撃部隊を一瞥するとテーブルに身を乗り出し、口元に手を添えて、小さい声量でもみずづきたちに聞こえるような仕草をした。一同は彼女の意図を察し、聞き耳を立てる。

 

「加賀さんがよ。赤城さん、目が覚めてもベッドにいてはどうですかって。言ってる意味が分かんなかったが、今ようやく理解したぜ」

 

その瞬間、みずづきは心の中でガッツポーズを決めた。

(見つけた!!!!)

赤城と2人きりになれる方法。成功する確率はそこそこ低いが加賀が心配するほどなら、かなりの高頻度で居間に出てきているのであろう。

 

艦娘たちが寝静まっている時間帯ならよほどのことがない限り、盗み聞きされる心配はない。音の発生源が少なければ少ないほど、1つの音の存在感は大きくなり、隠密行動は行いづらい。

 

見つけたなら、早速行動。みずづきは水で喉の渇きを潤しながら、ご飯をかきこみ、席を立つ。

 

「ふ~ん。心配だけど、加賀さんが付いてくれているなら安心ね」

 

そう言いながらこちらを一瞥した艦娘に気付くことなく。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

この段取りにおける一番の問題。「赤城が起床して居間にいるか?」もあるが、それは夜が明け始めた頃というピンポイントの時間帯に起きられるか、であろう。艦娘寮にもそれぞれ部屋ごとに目覚まし時計が1つ支給されている。しかし、これは盛大にベルを鳴らしまくるタイプの古い目覚まし時計。みずづきは3人部屋を1人で使用しているが、艦娘寮の壁は結構薄い。使用したら最後、よからぬ観衆を召喚してしまう可能性は大だ。スマホや携帯電話に標準装備されているバイブレーション機能を有する電子製品は少なくとも、身近にはない。

 

ということで。

 

「・・・・・・・・・・眠い」

 

最も確実な寝過ごし防止法。起きられる自信がないなら、寝なければいい。学生の頃によくやった徹夜を選択した。

 

案の定、頭は機能停止寸前で体は極度の倦怠感に蝕まれている。もはや体が極限状態すぎて、あくびも出ない。快眠したことを感じさせるスズメのさえずりには思わず苛立ちを覚えてしまった。

(ここまでして空振りだったら、きついな・・・・・・)

布団にくるまりながらそう思っていた矢先、遠くからかすかに物音が聞こえた。

(ん?)

聴覚に全意識を集中させる。露見を恐れるような開閉音を捉えた。音源の距離から少なくともここの対面にある第五遊撃部隊の部屋ではない。赤城たち第一機動艦隊が使用している部屋の音だ。

(来た、かな・・・・・・・・)

待ちに待った瞬間。その可能性が極めて高くなった。重い上半身や動きが鈍い手足に鞭を打ち、起床。一路、居間へ向かう。

 

みずづきたちが使用している部屋の1.5倍ほどの面積を有する和室。本来は誰もいないはずの空間に、防風林の隙間や上方から差し込む弱光で身を照らしている赤城が正座していた。

 

「・・・・あら、今日は珍しいお客さんね」

 

こんな時間帯に居間へやって来た変わり者の正体を認めると赤城は優しく微笑んだ。その笑顔に儚さが含まれているのは、なにも寝起きが理由ではないだろう。

 

「おはようございます、みずづきさん。どうしたの? こんな時間に。まだ起床ラッパには1時間ほどの時間があるわよ?」

「おはようございます・・・って、赤城さんこそどうしたんですか? こんなところで」

 

努めて偶然を装う。

 

「私は・・・・その、目が覚めてしまって」

「まあ! 私と同じね」

「赤城さんもですか?」

「ええ。少し、夢を見てしまって・・・・・・・」

 

まだまだ夜目から脱するには早い時間帯。暗くてよく見えなかったが、気配から俯いたことは分かった。

 

 

 

よくない、夢だったのだろう。

 

 

 

「もし良かったら、どうぞ。今日はたぶん来ないだろうから」

 

自身の隣を手でぽんぽんと優しく叩く。随分と手慣れた動き。そして言動に疑問を感じるも、赤城からのお誘いだ。こちらが骨を砕かずとも赤城と話しやすい位置に行けることは予想外の幸運。

 

「では、失礼して・・・・」

 

赤城の隣に腰を降ろし、正座する。徹夜に起因する顔色の悪さを怪しまれないか心配だったが、赤城は特段気にすることなく視線を窓に移した。彼女につられてみずづきも窓の外を見つめる。ごく自然に沈黙が訪れた。

 

スズメの穏やかなあいさつとカラスの騒々しい叫びのみに支配された居間。

 

だが、みずづきの心中は穏やかではない。座ったところまでは良かったが、あいにく言葉が出てこない。正確に言えば、赤城のどのような言葉をかけたらいいか分からない。自分の不甲斐なさが頭にくる。

 

赤城が唐突に言葉を発したのは、みずづきが腰を降ろして5分ほどたった頃だった。

 

「みずづきさんは夢を見ますか?」

 

視線を窓に固定したまま語られた。彼女の真意は分からない。だが、その神妙な声色はこれが赤城にとって重要な問いであることを示しているように思えた。だから、みずづきは親身に応えることにした。

 

「はい。まぁ、それほど頻繁には見ませんが・・・・。赤城さんもその・・・」

「私も頻繁に見ることはなかったのだけれど、ここ最近は同じ夢ばかり見るの」

「それは・・・・・・」

 

口を開いてから、思い出した。赤城が見ている夢は良くない夢だということを。しまったと自身の浅はかさを呪うが、彼女は気にするなというように途切れることなく言葉を重ねた。

 

「最初はね、楽しい夢なの。訓練に励む乗員たちを影で応援して、並走するカモメに目を輝かせて、停泊した港で手を振ってくれる大勢の人に手を振り返して・・・・」

 

本当に楽しい夢なのだろう。先ほどまでの鬱屈は消え、表情には生気が戻っている。だが、それも束の間。すぐに元の消沈した空気が舞い戻って来た。

 

「でも、それは絶対に最後まで続かない。最後は決まって・・・・・っ。ねぇ? みずづきさん? 私は本当に大日本帝国海軍の象徴として機動部隊の威信を背負った正規空母だったのかしら?」

「それはどういう・・・・・」

 

意味ですか? 言い切る前に赤城は右手をわずかに持ち上げた。

 

「あの時は手なんてなくて掴みようがなかったけど、今、私はこの手で大切なものを繋ぎとめられる自信がないの」

 

己の右手を見ながら、寂し気に微笑んでそう言った。

 

「みんな慕ってくれる一航戦旗艦赤城ならここは正規空母として、戦艦と並ぶ戦力の核として作戦成功に向けてみんなを激励しないといけない。でも私は・・・・私はいまだにそれをしていないし、できない。こんなお粗末で、こんなひ弱な私がそうな名乗る資格なんて、言われる価値なんて・・・」

 

言葉を詰まらせると、防風林の上方に広がる茜色の空を見上げた。

 

「なに、言ってるんですか?」

 

彼女の吐露には絶対に応えなくてはならない。これまで発言が億劫だと感じていたことが嘘のようにその言葉は抵抗なく解き放たれた。これは本心そのもの。そして心に浮かんだ言葉も確固たる根拠を持った、あの戦争を歴史として学んだ日本人の揺るぎようがない結論。なら、彼女には絶対に伝えなくてはならない。

 

「赤城さんは正真正銘、大日本帝国海軍の象徴として機動部隊の威信を背負った正規空母ですよ?」

「っ!?」

 

ここで出会ってから微笑むか哀愁を漂わせるしかなかった赤城の顔が、面白いほど驚愕に染まった。だらしなく解放された口が美貌を著しく損なわせていた。

 

彼女がどのような想いで、どのような過程で、どのような因果でそういう結論に至ったのかは分からない。だが、過去に囚われるあまり、未来に希望が持てなくなってしまう、過去が未来においても襲い掛かってくるのではないかという恐怖は理解できた。

 

なぜなら、自分も同じだったから。

 

「みずづきさん・・・・・・・・」

「赤城さん? 赤城さんもご存じのことと思うんですけど、私もたいぶ前に頻繁に夢を見ている時期がありました。日本の夢、どれもこれも追憶ともいえる血生臭いものばかりでした。なぜ、あの夢を見たのか。私ははじめ皆さんに日本の真実を隠す罪悪感が原因だと思っていました。でも、それもありましたが、別の理由もあったことをここ横須賀鎮守府でみなさんにお世話になって、知りました」

「別の理由?」

「私、みなさんとの生活を楽しんでいたんですよね、心の底から。ここが尊くて、大切であるが故に、なくしてしまう、日本のように地獄と化してしまうことが怖かった」

「・・・・・・・・・・」

「居場所を、大切な人を再び失う恐怖。その潜在的無意識が悪夢の原因になっていたんじゃないかって。私も赤城さんとは比較になり・・・・・比較してはいけませんよね」

 

人の命。数が存在する以上、他の単なる物と同様に数字で表されるが、数で比較することは許されない。人命は少ないから軽い、多いから重いと数によって価値が変化することはない。

 

みずづきは膝の上で丸まっていた右手を持ち上げた。

 

「私も大切な存在をこの手で掴むことはできませんでした。今でも仲間をあの人を奪った、この私を葬った潜水艦を対峙する時は、もしかしたらまたという怯えた声が聞こえます」

「でもみずづきさんは・・・・・」

 

そこで一旦言葉を区切る。赤城は数秒ほど考え込んだのち、真剣な眼差しで問うてきた。

 

「みずづきさんはどうやって、その恐怖を克服されたんですか?」

「何も大層なことはしてません。ただ・・・・・・」

 

かげろう。おきなみ。はやなみ。そして、知山。4人が須崎での色彩豊かな生活の中から顔をのぞかせる。

 

「自分が犯した罪から目を背けず、教訓を拾い、訓練を重ねて、もう2度と過ちは繰り返さないと、死んだ仲間と上官に誓っただけです」

「・・・・・・・偉いわね、あなたは」

 

赤城も当然、みずづきと同じことは行っていた。ミッドウェー海戦での惨敗で何が起きたのか、何を導くことになったのか。何が惨敗の原因でどれだけの海軍将兵が犠牲になったのか。

 

赤城の一番の問題。

 

彼女はみずづきと同じことを行っているにもかかわらず、それでも足りないと考えていることだ。あの時はただの軍艦だったから関係ない。人間視点で言えばそうだが、自身の中で寄り添ってきた乗員が無残に死んでいった彼女たちには到底受け入れられない事実なのだ。

 

ここでみずづきができること。それは赤城が自分の償いと戒めに納得できるようハードルを下げることのみ。

 

「いいえ、赤城さんも十分悩まれています。私はこれ以上、自分を責められるべきではないと思います。正直に言いますがMI作戦における南雲機動部隊の失態はとても看過できるものではありません。赤城さんの結論はおおむね戦後日本と同様です」

「・・・・・・・・・・・」

「しかし、日本は断罪よりも教訓を重視しました。私たちにとって歴史となってしまったこともあるでしょうが、赤城型航空母艦一番艦赤城は現代の日本人にとっても、栄光を極めた昭和日本の象徴として深く胸に刻み込まれています。誰も赤城が悪いなんて言う人はいませんよ」

「・・・・・・・・・・・」

「連合国には申し訳ないですが、ミッドウェー海戦が霞むほど赤城さんたちは真珠湾攻撃以来の快進撃で、私たちが日本を誇りに思う歴史の1ページを作ってくれました。だから私たちは今でも赤城さんに憧れているんです!」

「・・・・・・・・憧れている?」

「そうです!」

 

虚ろな瞳で伺ってくる赤城に有無を言わさぬ勢いで断言した。その瞬間、赤城の瞳に光が戻ったような気がした。慌てて彼女が視線を逸らしたため、確認できない。

 

「そう・・・・・・私は、そう・・・・・・・っ」

 

言葉に詰まると赤城は立ち上がり、居間を後にする。

(マジで・・・。変なこと言っちゃったかな・・・・)

全身を強烈な不安感で覆い尽くされる。百石と翔鶴姉妹の激励が走馬灯のように駆けてゆく。

 

だが。

 

「みずづきさん」

 

振り返ると、そこには朝日で神々しい化粧を施し、何の変哲もないほほ笑みを浮かべる赤城が立っていた。手にはどこから仕入れてきたのか、栗饅頭の箱がある。

 

「一緒に食べませんか? 少しお腹がすいてしまって・・・・・」

 

恥ずかしそうに身をよじらせる。その眩しすぎる愛嬌に、目頭が熱くなった。前触れもなく時折彼女を蝕んでいた影。彼女のどこからも消滅していた。

 

「・・・はい! いただきます!」

 

嬉しさのあまり大きな声を出してしまい、慌てた赤城に注意される。それがなんだか面白く、赤城と共に腹を抱える。

 

「憧れ・・・・・・・ね。・・・・・・私はどうなのかしら?」

 

居間に向けられていた意識が急速に迫力を失っていく。引き際に残された温かみ。果たしてこれに2人は気付くのだろうか。

 

輝かしい朝日の元、新たなる一日の始まりを告げる起床ラッパが鳴り響いたのは2人して最後の栗饅頭を頬張っている時だった。

 




とあるアニメ“たち”の無差別な飯テロの影響で、情緒が不安定気味の今日この頃。書いたはいいが、投稿するか迷っていた「発動前 前後編」。流れ的にはカットした方がいいことは十分承知していましたが、やはりミッドウェーということもあり、投稿させていただきました。

最後の饅頭。ラーメンとかにするべきだったのかだろうか(設定的に無理あるけど・・・・橙野もさすがに閉まってるだろうし)。


突然ですが、個人的なトリプル“ダメージ”。
艦これのイベントE-5がトリプルゲージ。
ラーメンだの、キャンプ飯だの、画面越しのテロ行為が頻発。
街とのコラボイベントが佐世保開催。←遠いんですよ・・・(泣)

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