水面に映る月   作:金づち水兵

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もう「冬イベ」という単語が垣間見える季節、ですか・・・・。


77話 横須賀騒動 後編

横須賀鎮守府 体育館

 

近接格闘訓練や剣道・柔道をはじめとする武術の鍛錬、そして運動を通じた将兵たちのストレス発散に数々の力を貸してきた体育館。建設されて以来、激しい取っ組み合い、相手の心臓を凍り付かせんとする殺気が飛び交う試合などは日常茶飯事のことだっただろう。しかし、果たして現状のような空気に巨大な容積をもつ体育館内が床から踊り場、天井まで満たされたことがあったのだろうか。

 

「これはどういうことですかな? 百石提督」

 

静まり返る広々とした空間に、蔑視を含んだ生暖かい言葉が響く。演台の左端に整列した横須賀鎮守府上層部。そしてカーキ色の戦闘服に鉄帽、腰には帯刀し、24式小銃で武装した部下を引き連れた軍人が2人。その内の1人が最も近くにいる百石に問いを発する。

 

素手の警備隊。そして、その外側から演台上の軍人たちと同じく完全武装の陸戦隊員に囲まれた赤城たち艦娘、総勢19名は混乱する頭を押さえつけ、必死に見つめていた。

 

事の発端は潮の指摘によって判明した事実を元に陽炎たち5人を送り出してから、すぐ後に始まった。これを思えば捜索隊に志願した長門を、「指揮官クラスが抜けることは大問題、ここは駆逐艦たちに任せるべき」と無理やり抑え込んだことは正解だったかもしれない。警備隊の川合隊長を連れだってやって来た百石は警備隊による包囲の説明を全く行わず「体育館での朝礼実施」だけを下令した。その表情は鉄仮面の一言で、彼ほどの地位の軍人ならば喜怒哀楽が激しい部類に入るいつもの彼はすっかり消えていた。しかし、彼は艦娘が5人足りず、19人しかいないことを知ると激しく狼狽。

 

「どうしたんですか? 提督。そのように焦られて」

 

あわよくば口を滑らせそうな雰囲気に乗じたのだが、そう簡単にいなかった。彼は同じく顔面蒼白になっていた川合たちと話し合った後、「ついてこい」と一言だけ発し、体育館へ移動が命じられた。

 

ますます膨らむ疑念と不信。

 

それは体育館に入った瞬間に決定的なものとなった。横須賀特別陸戦隊司令官の和深千太郎(わぶか せんたろう)大佐、横須賀特別陸戦隊第1特別陸戦隊隊長の武原勝(たけはら まさる)中佐が数人の部下を、第2特別陸戦隊隊長の梨谷克治(なしたに よしはる)中佐が100人ほどの隊員を引き連れて待っていたのだ。1人たりとも例外なく、完全武装で。

 

そこで心の隅でくすぶっていた可能性が可能性ではなくなったが、後から続々と首を垂れた横須賀鎮守府上層部が非武装で体育館へ入ってくる様子を眺めて、ある確信に至った。

 

赤城はこの光景を間近で見たことはない。ただ、話だけなら記憶の彼方にあった。

 

クーデター、もしくは反乱と。

 

「あなたは苦労して届けた我々の要望書に目を通されていないのですか? だとしたら、死活問題ですな? そのお命にかかわるほどの」

 

武原は階級では雲泥の差がある百石をあからさまに卑下する言動を行う。それはこの場に百石と和深たちが揃って以降、常に具現する光景だった。艦娘たちの中には百石を侮辱する武原を睨みつける者もいたが、彼女たちには容赦なく24式小銃の小さく凶悪な銃口が遠くから突きつけられた。

 

「いえ・・・それは・・・・」

 

いつもの百石とは言えないほど、弱々しい返答。彼は胸をのけ反っている武原とは対照的に心なしか背中が丸まっている。

 

「まったく、無能にもほどがある。おい!」

 

武原の咆哮に反応して取り巻きが一枚の紙を懐から取り出す。それを受け取った武原は紙を破れる一歩手前まで広げ、百石たちに見せつけた。

 

「ひとつ! 艦娘の艦娘寮からの外出を一切禁止する事。なお、朝礼実施時は例外とする。・・・・・・・・・今の状況はどうですか」

 

武原はこちらへ視線を向ける。百石は苦しそうに唇を噛んだ。

(まさか、百石提督は・・・・・・)

脅されている。その結論に至る要素は目の前の光景以外にいくつもあった。最も大きなものはみずづきが失踪して以降の鎮守府の動きだろう。警備隊の不自然な撤収。宿舎に籠ったと思ったら、艦娘寮の包囲。すべて武原、その上官である和深の指示ならば、百石では考えられないちぐはぐな動きも納得がいく。

 

「どうなんですか! ん? ・・・・・・何?」

「ん?」

 

百石が答えに窮していると、体育館の外から駆け込んできた特戦隊員が武原に耳打ちをする。言葉が重なるごとに彼は気色悪い笑みを浮かべ、深くしていった。そのような彼と対照的に百石たちは急速に顔色を悪くしている。

 

どのような内容かは分からないが、これだけは言えた。

 

横須賀にとって、ますます状況が悪化したと。

 

「今すぐ、連れて来い!! ついている! 俺たちには風が吹いているぞ!」

 

武原は場の空気もわきまえず、その場で小学生以下のへたくそなステップを刻む。

 

だが。自身の浅はかさを呪った。特戦隊員と見知った人物に銃口を突きつけられ、強制連行を強いられている集団を認めた百石たちの顔面蒼白ぶりを見るに、状況は「悪化」の一言では表現できないほど深刻なものだった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

今まで経験により、あまり良い思い出を持っていない体育館。これまで唯一足を踏み入れたのは房総半島沖海戦が勃発した日の夜、第一次野島岬沖海戦で壊滅した第5艦隊の生存将兵の治療支援を命じられた時だ。

 

あの時以来の体育館。史上2回目になる今回も前回に負けず劣らず、館内は悲惨極まりない状態だった。

 

「な・・・なに・・・これ・・・・」

 

玄関から椿と特戦隊員に24式小銃を突きつけられながら、体育館へ入る。内情を目で把握した瞬間、曙が呆然と呟いた。曙だけではない。摩耶たちはおろか、西岡に肩を借りて歩いている坂北、彼に肩を貸している西岡も眼前の光景に絶句していた。

 

演台の上で身を寄せ合うように立っている百石や筆端などの横須賀鎮守府上層部。様々なスポーツ競技用の白線が引かれた床に整列し、非武装の警備隊と完全武装の特戦隊に囲まれている艦娘たち。無表情を保ちつつ、苦悩に満ちている警備隊員。特戦隊は艦娘と同時に彼らにも怪しく光る銃口を向けている。上を見上げると踊り場にも特戦隊員が展開し、下方へ24式小銃を構えている。

 

指示があれば、警備隊もろとも横須賀鎮守府上層部及び艦娘をハチの巣にできるように。

 

みずづきの誘拐。そして、現在目の前で起こっている異常事態。これら2つの間に強固な関連性を見出した瞬間、みずづきは唇を噛んだ。

 

「み、みずづき!!」

 

こちらの姿を認めた瞬間、目元に隈を刻み込んで顔面蒼白の百石が口元を緩めながら叫ぶ。そこには明らかに安堵と喜びの感情があった。彼のように声を上げなくとも、筆端たちは消え入りそうなほほ笑みを浮かべて顔を見合う。よほど、こちらの安否を気遣ってくれていたようだ。

 

整列し、混乱の渦中にいながら艦娘もほっと胸を撫で下ろしてくれている。だが、そのわずかな和みは漆原の驚愕で四散した。

 

「お・・・おい! ・・・・・・椿? お前、椿だろ!」

 

彼はみずづきの側頭部に拳銃を突きつけている白衣の女性を見た瞬間、半狂乱で指を突きつける。その様子はあまりにも痛々しい。百石たちもつらそうに顔を歪める。中には怨嗟を込めた視線もあった。

 

「何してんだよ!! お前!! どういうことだ!! ええ!! どういうことだよこれは!! 椿!! なぁ!? どういう・・・・・・」

 

一瞬、真顔になると唐突に漆原は口を閉ざす。右隣の椿が何かしらの行動に及んだのだろうが、拳銃を突きつけられているため迂闊に首を動かせない。彼女に特段の変化はなかった。漆原が肩を落とすと同時に体育館の空気をますます穢す(けが)笑い声が轟いた。

 

「あ、ははははははははははは!!!!!!」

 

演台上。百石たちの対面で完全武装した部下とおぼしき特戦隊員を従えているチョコボール、またはおでんの定番メニューである煮卵のような頭を持つ男が腹を抱えて、笑い転げる。その声はもはや悪霊かと思えるほど狂っていた。彼はこちらを一瞥すると、トカゲのように唇をゆっくりと舌で湿らせる。

 

「愚かにも我々の手助けをしてくれた恩人だ。我が軍は礼を尊ぶ。そのご恩に敬意を払い、特等席を用意することと致しましょう。司令、よろしいですか?」

 

煮卵男は後方で事の成り行きを静かに見守っているちょび髭の軍人に伺いを立てる。彼が頷いた瞬間、「おい!」と一喝。特戦隊員は24式小銃を横に振り、演題へ上がるよう指示する。一番先頭だったため戸惑ったものの「あがれ」という低い声にせかされ、階段を上る。

 

煮卵頭の歓喜が聞こえてきた。

 

「これで・・・・これでようやく!!!」

 

みずづきたちは演題の中央、百石たちと武原たちの間に立たされた。無論、椿と特戦隊員の銃口付きである。そこから見える景色は高い分、異様な状況がより詳細に把握できた。

 

「ご苦労だった、椿中尉。君のおかげでこれ以上ないほどに事が上手く運んだ」

 

一転、軍人らしく引き締まった声色で椿をねぎらう煮卵頭。彼すらも椿には一目置いているようだ。椿は「ふっ」と笑うとこちらの側頭部へ拳銃を突きつけたまま答える。

 

「いえいえ、とんでもない。私はたまたま彼女たちを捕捉しただけです。これは私たちの手柄ではなく、和深司令官、武原隊長の類い稀なご手腕あってのこと。そのご手腕によって発生した蜜にあやかれた身としては、お礼などもったいない。私がお礼を言いたいぐらいです」

「と、いうことは?」

 

武原が下衆な笑いから想像できない真剣な表情で問いかける。椿は大きく頷いた。この2人、相当深い間柄のようだ。それはつまり、椿が武原側であることを明確に示していた。

 

瑞穂の国難を幾度となく救い、瑞穂のために身を賭して戦ってきた艦娘たちに平気で銃を向ける排斥派であることを。

 

武原は再び気色悪い笑みを浮かべると、視線の先を百石たちに変更する。

 

「さてさて、状況は全て整いました。先ほどまでの続き・・・・いえ。裏切者どもの断罪を始めるとしますか!!!! もう、お分りですよね? 百石提督?」

 

不穏な単語に抗議の声すら上げず、百石は黙り込む。武原は最後の追い打ちとばかりに、手に持っていた紙を広げ、そこに書いてあるだろう文章を読み上げた。

 

「ひとつ! 現在展開中の横須賀鎮守府司令隷下地上部隊を10月22日午前3時までに撤収させること。かつ撤収後すみやかに()()()()()()()()。ひとつ! 艦娘の艦娘寮からの()()()()()()()()()()

 

その文言を聞いた瞬間、血の気が素早く引いた。特戦隊員の1人が持っている24式小銃を見る。それは特戦隊員のものではない。そして、自分たちの姿を脳内で想像する。助けに来てくれた陽炎たちは弁明の余地もなく、警備隊監獄署前で椿と彼女の後からやってきた特戦隊員に拘束された。

 

次に武原の口から出るであろう文言を想像する。彼の卑しい表情から数秒後に訪れる未来を想像することは非常に容易だった。

 

「以上の要求が遵守されない場合、現在不法入国の容疑で拘束中の国籍不明者、また横須賀鎮守府将兵、所属艦娘の身の安全は保障されない!!!!」

 

驚愕、そして沈黙。想像していた通りの言葉が武原の口から放たれた。

 

「何か弁解はありますか? 百石提督? 筆端副長?」

「くっ・・・・・・・・・・」

 

2人は拳を震わせつつ、無言を続けた。この状況においてそれがどういう意味を有するのか、分からない人間はいなかった。傍らで懇願するように百石を見ている陽炎の目はあまりにも心を(えぐ)った。当然、そのような視線を一身に受けている百石たちの心はボロボロだろう。

 

しかし、みずづきは見逃さなかった。彼らがどうしようもない現実に打ちひしがれている雰囲気を醸し出しつつ、時々左腕の腕時計に意識を向けていることを。

 

「残念です。まったくもって残念です。瑞穂海防の中枢である横須賀鎮守府がこのような単純な要望すら守れないほど、外道に落ちているとは! しかも、それに至った理由がこれを助けるためだとは!? 私には理解できない! 理解できない!」

 

武原は道端を張っている毛虫でも見るような目で、こちらを指さした。とても人間に対する視線ではない。彼はゆっくりと軍刀に手を伸ばす。もともと高かった緊迫感がうなぎ上りで上昇していく。しかし、御手洗が乱入したときには上官に対して拳を振るうこともいとわないほど噛みついていた百石は明らかに艦娘が命の危険にさらされているにもかかわらず、動かない。噛みつかない。

 

「深海棲艦の斥候だけでは飽き足らず、不和の種をまき我々人間同士で争わせ、自滅させようと画策する虫けらを庇いだてるとは、もはや同じ海軍軍人であるか疑わしい。お前らのような輩がいるから、瑞穂はいつまで経っても神国の御業を発揮することができないのだ! ここにこそ天誅(てんちゅう)が必要だ!!」

 

そして、軍刀の柄を握る。引き抜こうと彼が手に力を入れた、その時。

 

「待て!! 武原!」

 

耳に染みついて離れない声が玄関から聞こえてきた。脅す側、脅されている側に関係なく体育館内にいた全員が同じ方向に視線を向ける。

 

「あ・・・あいつは!?」

 

黒潮の驚愕。それには完全同意だ。

(なんで、あの人が・・・・・・)

声を発した人物は視線に構わず、1人の部下を従えゆっくりと歩みを進める。

 

「我が国民の血税で賜った誉高い軍刀をたかがものに振るい、刃を欠けさせ、汚らわしい体液に染めるなど、この私が認めん。偉大なる海軍の恥さらしだ」

「おおお!! ・・・・・・おお!!!」

 

諫められているにもかかわらず、武原は目を輝かせ感動のあまり拳を打ちふるわせている。彼だけではない。今まで寡黙どころか一言も言葉を発していない和深すら、「閣下!! おお! 閣下!!!」と目を大きく見開いて突然の乱入者に視線を釘付けにしている。

 

先ほどの緊張感が嘘のようにざわつく体育館。彼の正体を知らない者は例え艦娘であろうといなかった。横須賀の艦娘たちはみずづきが来て以降、必ず一度は堪忍袋を刺激する憎たらしい顔を見ていたのだから。

 

「み、御手洗中将・・・・・・」

 

古来より瑞穂の政治中枢に多大な影響力を保持してきた名家、御手洗家の三男、御手洗実。現海軍上層部が何かと接点を有する海軍大将を父に持ち、息子という覆しようのない身分を乱用して問題ばかりを引き起こした海軍の問題児。そして、艦娘の脅威を声高に叫び、排除を信念とする艦娘排斥派の重鎮であり、リーダー格。

 

近頃は哀愁を漂わせることも多かった彼が、初めて会った時と寸分違わぬ雰囲気を宿し、横須賀鎮守府体育館に姿を現した。

 

「そういうことか・・・・・・・」

 

御手洗を見て和深と武原が歓喜に沸く一部始終を見ていたであろう百石は、怨念が籠っていそうな低い声で呟く。彼の目は怒りで真っ赤に充血し、今にも眼球から血が噴き出しそうだった。

 

「御手洗閣下! 御手洗閣下!! やはり、来てくださったのですね! 御手洗閣下はやはり、小生たちが知っている御手洗閣下だったのですね!!」

「御手洗閣下! 私は・・・私は信じておりました! ずっと! ずっと!!」

 

演台へ階段を登ろうとする御手洗にかけより、手を貸そうとする涙声の武原と破顔している和深。御手洗はそんな彼らを「いや」と煙たりながらも、叱責しないあたり満更でもないようだ。

 

「2人ともよくやってくれた。私はお前たちのような部下を持てて、誇りに思う。同志のみならず、この功績は瑞穂全国民の光となろう」

 

御手洗の笑顔を初めて見たかもしれない。笑う彼に対して和深と武原は敬礼。そこには隠そうとも隠しきれていない巨大な歓喜があった。だが、気のせいだろうか。

 

御手洗と武原・和深。両者で共有されているはずの達成感が、水と油の如く隔絶しているように感じるのは。

 

「後は私に任せろ」

 

そう言うと御手洗はこちらに向き、見下すような、そしてこれから消える者を憐れむ視線を送ってくる。

 

「みんな!!」

 

取り返しのつかない結果を招く不穏を察知した瑞鶴が叫び、こちらへ駆けだそうと整然としている列から飛び出す。

 

「「瑞鶴!!!」」

「瑞鶴さん!」

 

翔鶴と加賀、潮の制止。特戦隊員の24式小銃にお構いなく、ツインテールを揺さぶる瑞鶴。だが、彼女の突発的行動は百石の尋常ではない叱責で特戦隊員の包囲網を突破する前に収束させられた。

 

「止まれぇぇぇ!!! 瑞鶴ぅぅ!!!!!」

「ひぃぃ!!」

 

瑞鶴はみすぼらしい悲鳴を上げると急停止。「戻れ」と端的に伝える彼の冷たい視線に顔面蒼白となりすぐさま元の位置に戻る。百石は瑞鶴を半泣き状態にした血走った目線を御手洗に向けた。

 

「ここはお前の関知する場所ない。私たちの・・・・海軍軍人の独壇場だ」

「ほう。言うようになったな学生」

 

御手洗はいやらしい笑みを浮かべながら、右手を上げる。「下がれ」と武原が一言。それに従い、椿と特戦隊員が周囲から退く。

 

銃口を突きつけられてから1時間も経っていないが、極寒の殺意を感じない世界がえらく久しぶりのように感じる。しかし、その解放感も束の間。

 

御手洗はゆっくりとこちらに向けて歩み出した。

 

「やはり・・・やはり、この件はあなたが手を引いてたんですね。御手洗中将!!」

 

百石は今まで発散を控えていたストレスを爆発させるように、御手洗を責め立てる。しかし、御手洗は何食わぬ顔。そして、みずづきの隣にやって来た。こちらには視線を向けようともしない。

 

彼の雰囲気はやはり初めて遭遇したものと同一だった。

 

「この件とはどの件だ? 抽象的な物言いが通じるのは貴様がいまだに浸り続けている一般社会のみだ。明快な報告。これは海軍軍人の基礎中の基礎だ。そんな基礎もできないやつにこの私がわざわざ教示してやる道理はない」

「人事教育局への圧力を通じてそこの2人を横須賀へ異動させ、椿中尉を送り込んでみずづきを誘拐し、排斥派の反乱を画策・決行した今、この状況です!!」

「反乱? 今、貴様は反乱と言ったか?」

 

この2人と言われ激高しかけた武原が可愛く思えるほど、怒気を充填する御手洗。冷静だったつい先ほどまでが幻想と錯覚しそうになるほど、顔は真っ赤となり、鼻息が荒くなる。しかし、百石は一切ひるまない。

 

「これは反乱ではない! 今まで散々国民をだまし、正当な議論を呼びかける我々をコケにしてきたお前ら擁護派に対する天誅である!! そしてMI/YB作戦の勝利を持って貴様らの失策で無残に命を散らした将兵たちの無念を晴らし、ウジ虫と深海棲艦斥候の排除を通じて瑞穂の道を正す世直しである!! 反乱などと我々が国民の願いと陛下のご意向に反する逆賊のようない言い方をするな!!!!」

「いいえ、これは反乱以外の何物でもない!! ここにいる艦娘たちは、本来は無関係であるはずの私たちのために、命の危険を顧みずあなた方のような恩を仇で返すような無礼極まりない連中に石を投げられようが歯を食いしばって戦ってくれた! だから瑞穂は今も存続しているのです!! その功績がどのようなものか。一番分かっているのは市井の国民です。瑞穂国民は艦娘たちを信頼し、艦娘たちに未来を託している! 国民は艦娘と共にあることを望んでいる! それを武力や脅迫で覆すことはいかなる理由があろうと許されない!!!」

 

百石は深呼吸を行うと、はっきり言い切った。

 

「あなた方は逆賊だ!!!」

「き・・・・貴様、我々に向かって・・・・・」

 

歯を砕けんばかりに噛みしめた和深が軍刀の柄を掴む。だが、それを御手洗が止めた。

 

「自分たちに都合のいい情報だけを流し、国民を誘導して形成した偽世論を拠り所として我らを逆賊呼ばわりするとは・・・・貴様の方がよほど逆賊だ。いや、もはや万死に値する。確かに洗脳された国民に我らの行為はお世辞にもすぐには許容されないだろう。だが、真実を伝えれば国民は気付く。貴様らがこの国にとっての害悪で、我らが正義であることを」

「狂っている・・・」

 

百石は怒りの視線に蔑視を含ませる。

 

「狂っているのは貴様らだ。私個人としては貴様らが国民に後ろ指を刺され、己の信念と葛藤し憔悴していく様子を見たい限りだが、その前に」

 

御手洗は腰から拳銃を引き抜き、みずづきの額に照準を合わせた。

 

「っ!?」

 

逃れようのない、命の危険。怯えていると悟られては癪と思い、必死に平静を装う。しかし、外見は誤魔化せても体の内部は誤魔化せない。過酷労働に従事する心臓。あまりにも頻繁にかつ大量に過剰な血液が体中に供給されるため、鈍い頭痛が脳内を侵食していく。

 

「みずづき!!!!」

「動くな!!!」

 

走り出そうとした、飛びかかろうとした百石・陽炎・黒潮に代表される者たちを一喝。動いたら容赦しないと言うように、このタイミングで安全装置を解除した。

 

その音で以前このような位置関係になったことを思い出した。御手洗もあの出来事は忘却のしようがないようで呟きかけた言葉は彼が代弁した。

 

「あの時とは逆だな」

「そう・・・・ですね」

「て・・・てめぇ!」

 

もはや怨嗟の権化と化した百石が特戦隊員ですら汗を浮かべるほどの怒りを持って御手洗を睨みつける。握りしめられた拳からは血が流れ出ていた。

 

「今すぐその汚い銃をどけろ! さもなくば・・」

「さもなくば、どうするんだ?」

 

御手洗の問いかけに百石は黙り込む。今の百石にできることは口で御手洗の精神状態を乱すことしかない。実力行使は自分、そしてみずづきの死を意味する。だが、唯一の抵抗手段も効力を失いつつあった。百石を見放すように、御手洗は拳銃の照星と照門越しにこちらへ視線を向ける。

 

「同じ人間同士で果てしない殺し合いを続ける知性の欠片もない猛獣。その際たる蛮族である日本人の貴様はこの世界に存在してはいけなかった。来てはいけなかった。貴様は存在しているだけで死をばら撒き、善人をたぶらかし、この瑞穂世界を血生臭さで満ちている日本世界に近づける。貴様こそがこの国をここまで堕落させた、最後の汚物だ」

 

見える。目と鼻の先にある銃口。言葉を重ねるごとに引き金に掛けられた右手の人差し指に力が籠っていくのが見える。引き金が引かれ、発射された音速越えの鉛弾が額を突き破り、脳細胞をかき乱した場合、ほぼ100%絶命は免れない。一瞬で23年間この世に存在し続けた意識は消滅し、残された体は脳髄をまき散らしながら光っている床を赤く染め、無様に転倒するのみ。

 

艤装を付けた状態なら、この世界にある拳銃など所詮豆鉄砲。しかし、いくら艦娘とはいえ生身の状態では拳銃など防げない。

 

「それはこいつが必死に脱走を試み、結果これらの力を借りて脱走したことからも伺える。こいつは汚物でありながら、強硬な行動原理を持つ獣。早く処理しなければ、侵食は取り返しのつかないところまで到達する」

 

常人ならば泣き叫んだり、体を震わせたり、命乞いをする場面。死を覚悟していた軍人でもあきらめたように笑い、これまで生きてきた人生を追憶する場面。

 

決して、死ぬのが怖くないわけではない。決して、生に執着がないわけではない。

ここで死ぬ気は全くない。生まれてからまだ23年。自分より若くして死んだ人間は大勢いるものの、まだまだ生きたい。例え苦難が待ち受けていようと、険しい壁がそびえ立っているのだとしても、これから許される限り生きていたい。陽炎たちや百石たちと馬鹿をやっていたい。誰かの役に立ち続けたい。自分が生まれ育った世界とは異なるこの世界を並行世界から来た人間としてできる限り見続けたい。

 

少しでも長くかげろうが、おきなみが、はやなみが生きていた証を胸に抱き続けたい。

 

・・・・・・知山が最後まで示してくれた想い。それをこの先もずっと果たし続けたい。

 

「貴様の消却が、新生瑞穂への第一歩だ」

 

御手洗の眼光が変わる。握りしめられる拳銃。力が臨界点を突破する人差し指。自身の命などお構いなしに駆けだす百石。そして、陽炎・黒潮・曙・吹雪・摩耶。

 

明確な死を宣告する情景。だが、死を許容する感情など一切持ち合わせていないのにかかわらず、死への恐怖はこれまた一切なかった。

 

自分が狂っているのではない。あまりの恐怖に感情が麻痺してしまったわけでもない。

 

人を撃つより、自分が撃たれそうになっているような貧弱な表情。ここからしか見ることができない御手洗の表情がある確信を与えてくれた。

 

彼は自分を撃たない、と。

 

「っ!!!!」

 

その確信は。

 

唐突に銃口が睨む目標を変更する御手洗。体を約90度旋回させ、腕を固定。人差し指を思い切り引いた。

 

パ―――ンッ!!!!

 

間違っていなかった。

 

「ぐあはっ!?」

 

御手洗の銃撃を腹部に受け、盛大に後ろへ吹き飛ばされる武原。錯乱状態で「あぁぁ! あぁぁぁぁぁぁ!!!」と唾をまき散らしながら絶叫する。

 

「な!?」

「は? はぁ!?」

 

今まで交わることのなかった擁護派と排斥派が初めて感情を共有する。何が起こったのか分からず、言葉にならないうめき声を上げながら視線を泳がせる百石たちや和深たちを尻目に、御手洗はすぐ近くいる人間の鼓膜が破れそうなほどの大声を上げた。

 

「梨谷ぃぃぃ!!!!! 川合ぃぃぃぃぃ!!! 制圧開始ぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」

「了解!!!!!!」

 

呆然とするその他大勢に対して、御手洗の絶叫を受けた横須賀警備隊隊長川合清士郎大佐と横須賀特別陸戦隊第2特別陸戦隊隊長梨谷克治中佐の動きは隔絶していた。そして、両名を指揮官として仰ぐ将兵たちの動きも並大抵のものではなかった。

 

「うぉぉぉぉぉ!!」

 

一斉に演台へと駆けあがり和深や悶えている武原、とっさに拳銃を構えようとする彼らの部下に飛びかかる第2特別陸戦隊の将兵たち。

 

「みなさん! 危ないですから! 危ないですから! 下がって! 下がって!!」

 

艦娘たちの前に立ちはだかり、安全地帯と目される体育館の後方へ下がらせる、特戦隊に銃口を突きつけられていた警備隊員。

 

「全員武器を捨てろ!!」

 

玄関からは低姿勢で24式小銃を構え、殺気に満ちた第2特別陸戦隊員が突入してくる。体育館の外を固めていた部隊だ。彼らの銃口の先は和深と武原たちだ。

 

「どういうことなんだ!! これはどういうことなんだよ!!」

「おい!! お前ら! どうしたんだよ!! 拘束するべきは俺たちじゃない!! あいつらだ!!」

「おかしいだろ!! 艦娘は人を操る能力まであるのかよ!?」

 

第2特別陸戦隊員に引き倒され、抵抗できないよう組み伏せられた和深と武原の部下たちは口々に叫ぶが、誰も聞く耳を持たず、先ほどまで味方と信じて疑わなかった仲間たちに手錠をはめられていく。

 

「え・・・・? えっと・・・・・・」

 

御手洗が撃たないことには確信を思っていたが、この光景はさすがに予想外だった。というか、誰がこの急展開を予想できようか。目の前で先ほどまで絶好調だった和深たちが乱暴に拘束技をかけられ、複数の屈強な特戦隊員たちに押しつぶされている。

 

武原本人に至っては手錠をはめられているのもかかわらず、撃たれても出血していない腹をまさぐりながら「あれ? お、おかしいなぁ???」とずっと凝視している。あれは周囲の状況が上手く呑み込めていないようだ。

 

「川合大佐!! これはどういうことですか!? ええ!!!」

「説明して下さい! なんであのクソ中将の口からあなたの名前が出てきたんですか!? なんで、警備隊員たちはあらかじめこれを知っていたかのようにテキパキと行動しているんですか!?」

「えっと・・・・その・・・・あの」

「答えて下さい!!!」

 

演台の淵まで追い詰められ、鬼の形相で百石や筆端たちに詰め寄られる川合。詰問をかわそうとこちらに顔を向ける。だが。

 

「なんじゃ・・・こりゃ・・」

「あはははははは・・・・・・。川合隊長、俺たちだけのけ者だったんですか・・・・」

 

捨てられた子犬のように肩をがっくりと落し、ひざまずいて床に「の」の字を書いている坂北と西岡に遭遇する。視線が交差する両者。川合は気まずそうに苦笑いを浮かべると天を仰ぐ。

 

「あの隊長があそこまで現状に窮するなんて、レアにもほどがある」

「誰がクソ中将だぁぁ???」

 

引きつった笑みを浮かべていると騒動の火付け役である御手洗がたまたま聞こえてきた筆端の詰問に額の血管を浮かび上がらせる。だが、直後に聞こえてきたあまりにも情けない声が、中将の罵声から筆端と百石を救った。

 

「閣下!! 閣下ぁぁっぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

声の主は鉄帽が神隠しにあい、口元から一筋の血を流している和深だった。乱れ切った容姿は横須賀特別陸戦隊司令官の威厳にすっかり愛想をつかされていた。

 

「どういうことですか、閣下!!! これは閣下の差し金なのですか!? そうではないでしょう!? 早く、こいつらに天誅を!!! おい! 梨谷!! この裏切り者が!! お前など八つ裂きにしてくれる!! 嫁や娘が慰め者になる前で苦しみながら神罰を下してやる!! 覚悟しておけ!!!」

「・・・・・やれ」

「は!」

「な・・・。うぐ!!!」

 

御手洗の命令を受け、和深の隣にいた特戦隊員が彼の顔面にパンチを食らわす。「ああああ゛」と激痛の前に喚き散らす和深。今までの経験から虫でも見るような目で彼を見ているのかと思いきや、御手洗はひどく罪悪感に駆られた顔をしていた。

 

「椿。武原を抑えつけ・・・・・・って」

「この様子だと私がみなさんに恐怖される必要性はないかと。正直、これ以上ここのみなさんに嫌われるのは勘弁なんですよね・・・・・・・」

 

ネジまきが切れたように首を垂れたまま微動だにしない武原。その隣で苦笑する椿。不意に彼女と目が合った。

 

「椿さん・・・・」

 

彼女は可愛らしいウインクをしてきた。そこには肝を震え上がらせた粘着力もなければ、冷たさもない。今まで散々会ってきたいつもの彼女だった。

 

「全員、静まれぇぇぇぇ!!!」

 

百石たちに詰め寄られる川合。艦娘たちに事情聴取される警備隊員。泣き叫ぶ和深たちの部下。彼らを静かにさせようと空恐ろしい雰囲気を醸し出す第2特別陸戦隊員。大混乱の体育館内に御手洗の大声が木霊した。

 

だてに中将ではなく、その声には無意識のうちに人を従わせる威厳があった。

 

「か・・・・閣下・・・・」

 

静まり返った中で唯一、殴られた和深だけが細々と呟く。救いを求めるような目を御手洗は一刀両断した。

 

「貴様らを海軍刑法反乱罪の容疑で拘束する。まもなく東京の海軍憲兵隊本部から応援が到着する」

「っ!?」

「・・・・・お前らの野望もここまでだ」

「なぜ・・・・・・」

 

涙を流し始めた和深は最後の力を振り絞って、御手洗に視線を向けた。

 

「なぜですか! 閣下!! これは閣下も望んでいたことではないですか!!」

 

御手洗は中年軍人が鼻水を垂らしながら、泣きわめく様子をただ見つめていた。

 

「我らの良心を利用し、少女の皮を被った深海棲艦どもが! 化け物どもが本性を現す前にこの国から駆逐する! 我々人間の手に国防の主導権を取り戻す!!! 自分の身は自分で守る! 自らの手で祖国を護ることこそが義では、道理ではありませんか!!」

「和深」

「閣下は何者かに騙されているんです! 目を覚まして下さい!」

「和深!!!!」

「っ・・・・・」

 

御手洗の一喝を受け、和深は黙り込む。

 

「和深。俺は正気だ。これは俺の決断だ。俺自身が最終的に下した」

「なぜ・・・・・・」

「和深。そう気負うな。・・・・・・・・・・・任せてもいいんだ」

「っ!?」

 

涙を流したからだろうか。激高していた時の百石のように真っ赤に充血してしまった目を大きく見開いた和深は御手洗を凝視する。

 

対する御手洗は、優し気に笑っていた。

 

「俺たちは人間。限界は悔しいがある。でもな、人間の限界は誰にものしかかっている平等なものだ。お前だけじゃない。お前がどうやったって手が届かない場所があるように、俺にも手の届かない場所がある。その限界を無理に埋めようとしなくていい。限界は限界に届く奴に任せればいいだけだ。誰も限界を持っているから、少し楽をしたところで誰も責めないし、罰も当たらん。お前はよく頑張った」

「・・・・・・・・・・・」

「どうだ? 少しの間、休養がてら国防は彼女たちに任せて、田舎に帰ってみるというのは。・・・・・・・・・なあに、安心しろ」

 

微笑みながら御手洗は体育館の中を見渡した。その顔は悪名名高い御手洗実とはかけ離れたすがすがしいものだった。

 

「彼女たちはお前の家族を背負える。故郷を背負える。お前が背負わなければと、無理に背負っていた大切なものを一緒に背負ってくれる。それを山形から見ておけ。そしてもう一度、海軍軍人として再起を図るなら・・・・・・俺のところに来い」

「う・・・・・・う・・・・・み、御手洗、中将ぉぉ・・・・うぅ・・・」

 

関を切ったように、数年間に及ぶ葛藤を流し出すように、その場に這いつくばって涙を流す和深。その涙は透き通っており、泣声を聞いても不快感は一切ない。

 

憲兵隊が体育館に現れるまで、御手洗に見守られながら和深は泣き続けていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「で? 階段を塞いでいる学生よ。私はお前と違って多忙な身でな。早く東京へ戻らんといけないのだ」

「で? ではありません。こちらの寿命を数年分縮めておいてそれはないでしょ?」

「貴様・・・誰に向かって口を聞いて・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

演台から床へ降りる階段を塞いでいる川合を除く百石たち横須賀上層部。えらくご立腹の御手洗は彼らの目線を追う。階段の下。そこには特戦隊員ですら怖気づく怒気をたぎらせた艦娘たちが「おいでおいで」と笑顔で呼んでいた。

 

御手洗の顔が引きつる。

 

「今すぐどけましょうか? 私も中将のご多忙ぶりは存じ上げております。我々も海軍全体の損失につながりかねない蛮行に及ぶ気は毛頭あ・・・」

「分かった!! 分かった!!! だから、そこをどくのをやめろ! できることなら、下の猛獣・・ゴホン! 妖気をそこで食い止めてもらえると助かる・・・・・」

「さすが御手洗中将。聡明なご判断、痛み入ります」

「くそ! 思ってもないことをタラタラと・・・・・」

 

和深たちが憲兵隊に連行され、少し静かになった体育館に御手洗の恨み節が聞こえる。聞こえているはずにもかかわらず無視を決めこみ、ただただニヤニヤと笑っている百石たちや艦娘たちはある意味銃を向けられるより恐怖心を煽ってくる。御手洗は冷や汗を流しながら、この恐ろしい空間から逃れようとしていた足を停止させた。

 

不承不承で従っているところから、彼もこの展開は予想していたようだ。

 

「それで? なにが望みだ?」

「なにもこれも・・・・・・。我々に多大な心労を敷いたこの状況についての説明です! どうせ、すべて中将の掌の上で転がっていたのでしょうが、我々にはさっぱりです!」

「・・・・・はぁ。状況からそのようなことも導き出せんのか貴様は。横須賀鎮守府司令長官の肩書がこれ以上地に墜ちる事態を見過ごすわけには・・・・・・」

 

長々と続く百石攻撃の予感にうんざりし、さりげなく自分の視線を演台の下で笑っている艦娘たちに向ける。思惑通り額に冷や汗をかいている御手洗はこちらの視線につられ艦娘たちを見下ろし、凍り付くように言葉を止めた。

 

「ああ!! くっそ!!」

 

苛立たし気に頭を掻きむしるなと投げやりに「分かった! 分かった!」と大声を上げる。どうやらこちらの無言説明要求は彼の心の鉄壁を突破したようだ。

 

「何から話したものか・・・・・・・・」

 

御手洗は時折独り言を呟き、時折眉をひそめながら、彼とは思えないほど丁寧に一語一語を紡ぎ出す。しかし、自らのあずかり知らぬところで動いていたあまりに巨大で深淵な事実に、誰も彼の様子を不思議がる境地に達する者はいなかった。

 

 

 

彼によれば、ことは約2ヶ月前。世間的には房総半島沖海戦が発生し、世論が着実に煮えたぎっていた時期。横須賀鎮守府では暴露してしまった“真実”を艦娘たちが受け入れた時期までさかのぼる。

 

当時、軍内では既存の強固な擁護派・排斥派という二大派閥が房総半島沖海戦の衝撃と後始末を巡り、動揺。艦娘の処遇より国民受けが良かった「敵討ち」・「本土攻撃の再発防止」を掲げ派閥の自然消滅を乗り切った元排斥派が主導する「積極攻勢派」とミッドウェー諸島攻撃など積極的な攻勢に反対する的場たち元擁護派の「攻勢反対派」に海軍内派閥が再編され始めていた。

 

だが、いくら房総半島沖海戦を受け「小事」に費やす暇が惜しくなったとはいえ、海軍軍人にとり深海棲艦と戦う上で最重要存在である艦娘の捉え方は目を瞑れるほど「小事」ではなかった。第5艦隊とアジアでも栄中に次ぐと言われるほど粋を極めた瑞穂航空機技術の申し子である30式戦闘機。両者は奮戦虚しく深海棲艦という人智を超えた化け物の前に「壊滅」。ここに至って、いくら頑固者、分からずや、石頭、お花畑、人類至上主義者、妄想屋、万年日陰者等々、海軍内にとどまらず政府やマスコミから散々叩かれてきた排斥派の大多数は当然の結論に帰結した。

 

「艦娘は瑞穂に必要」、と。

 

非常に不愉快だが、などと憎まれ口もつきものだったが排斥派とて個々人がそれぞれの信念を抱き、一般社会とは隔絶した別世界に自ら進んでやって来た軍人たち。かなり血の気が多く、世間一般や・擁護派の批判も一部正しい連中だが、追求するべき目標を自身の身勝手な理想と瑞穂国民8200万人の国益で履き違えるような真髄の馬鹿ではない。

 

しかし、やはりというべきか全員が全員そうではなかった。

 

「我々は覆しがたい現実を受け入れ、排斥派として長年にわたり膝を突き合わせてきたこの繋がりを今後も保つため、派閥のリーダー格として結論を下した。だが、我々上層部の意向に公然と抵抗した輩もそれなりに存在した」

「それがさっきの軍人たちだと?」

「ああ」

 

みずづきの問いかけに御手洗は生返事。どうやら、少し外れた確認だったようだ。今度は当ててやろうと意気込んで口を開きかけるが、彼はしってか知らずか話を先に進めた。

 

今は同じ海軍軍人同士で争っている場合ではない。深海棲艦は内輪もめをしながら勝てるような雑魚ではない。

 

大戦勃発以後、少なくとも艦娘出現以降擁護派が口を酸っぱくして耳にタコができるほど言ってきたことを言いつけ、説得を試みたものの効果はほとんどなかったらしい。それが逆効果につながったのか、はたまた偶然なのか。説得に疲労困憊し、上官としての慈悲も「放置」の方向で決しようとしていた「強硬派」の処遇は彼らの大胆不敵な行動によって水泡に帰した。

 

人事教育局を操った、不穏な人事異動である。強硬派の賛同者を東京、もしくは関東近郊の基地や部隊に転属。怪しまれないために抜けた穴にわざわざ御手洗たちに賛同する同じ元排斥派を放り込む周到ぶり。

 

排斥派上層部はこの時点で強硬派の思惑を長年の付き合いから直感的に悟った。

 

「なぜそこで摘発しなかったんですか? 御手洗家の三男であるあなたなら、例え証拠がなくても、証拠らしきものがあればそれ相応の対応を行使できたはずです。ご自身が今まで散々行われてきたように」

 

平常心なら絶対に言わない皮肉を織り交ぜた言葉を百石は堂々と投げかける。

 

「き、貴様・・・・・・。クッソ・・・・」

 

今にも怒号を放ちたそうな顔の御手洗はすんでのところで口を閉ざす。もう、自分の立場をしっかりと把握しているようだ。思わず御手洗の未練たらたらの表情に苦笑してしまうが、百石の言は誰もが抱く疑問だ。そもそも2ヶ月前に分かっていたのであれば、何らかの対策を講じていた場合、実際に軍の規律が乱れ、演出であろうとも命の危険を感じる状況にまで至らなかったはずだ。

 

「それでは根本的な解決にはならない。罪状をでっちあげて刑務所に押し込んだとしてもせいぜい10年が限度。服役を終えれば、やつらは再び表舞台へ帰ってくることになる。下手に激高させた状態で捕まえれば、思想やら行動が反抗期のガキの如く過激化することは火を見るよりも明らか。こちらの方が海軍にとってよほど危険な事態だ。それにやつらの背後には強力な存在がついている。私ですらどうにもできないほどの存在が・・・・・」

 

最後の言葉に、背筋が寒くなった。

 

「それは一体・・・・」

 

当然、その言葉を百石が聞き逃すはずがない。だが、御手洗は「お前には関係のないことだ」と冷たくあしらった。それでも食いつく百石に御手洗が冷たくこう言い放った。

 

「お前・・・・・・・・・・・・死にたいのか?」

 

だが、それは突き放しではない。どちらかといえば、慈悲の類いだった。

 

「・・・・・・は?」

「やつらには、この国で最も力を有している・・・・・政治家の1人や2人、簡単に世間から葬ることができる連中が背後にいる。これはここだけの話だ。いいな? お前らも下手に首を突っ込むな! 深入りすれば・・・・・・殺されるぞ」

 

御手洗は百石だけでなく、周囲にも警告を発する。初めて見た彼の真剣な表情。それが彼の語った言葉の信憑性を否応なく高める。

 

 

将来的な強硬派の過激化、後援組織の存在から御手洗たちは彼らの動きを察知しつつ手が出せなかった。そこで、彼らに気付かれることなく内情を把握するため、最も動きが不穏だった横須賀に密偵を送り込んだ。

 

それが。

 

「はい! 私です!」

 

数人、それ以上の人間にとって忘れられない数々のトラウマを植え付けた張本人が、それを意識しないように元気よく手を上げる。

 

椿澄子中尉。国防省兵器開発本部で安谷本部長をトップとする特定害意生命体研究グループに所属している技術士官。御年、27。兵器開発本部入部後、初めて配属されたチームのリーダーが工廠長の漆原であった縁から彼のことをリーダーと呼ぶ、ごく普通の女性。

 

しかし、彼女は普通などではなかった。彼女のもう1つの所属先は軍令部情報局情報保全室。海軍内の機密情報の管理、将兵の思想統制、情報漏洩の際の調査、警察や公安・憲兵隊などでは対処できない事件の捜査などを主に職掌とし、時には潜入・破壊工作・暗殺・脅迫などを行う、海軍特殊部隊“特別陸警隊”とは趣を異にする組織である。職掌の性格上、詳しい構成員自体が機密事項で、その実態は百石クラスの軍人でも噂程度しか伝わっていないが、構成員は並大抵ではない訓練を修了した文武両道の強者ぞろいであるという話はかねてより知られていた。

 

「あの話・・・・・・本当だったんだな」

 

乾いた笑みを浮かべる、“黒椿”を垣間見た1人の筆端。漆原に至っては「お、お前が・・・・・・・?」とあんぐり口を開けたまま非常に失礼なことを言っている。

 

「リーダー! それはあんまりです! 露見しないように演じるの、すごく大変なんですからね! 私は技術士官という立場を生かした、技術畑の内偵を行うことが仕事なんです!」

 

一応情報保全室員と身分を明かしたにもかかわらず隠そうともせず、感情を発露する椿。あまりの平常運転に漆原の言葉で頷きそうになる。案外、今まで接してきた椿は素だったのかもしれない。騙されたかもしれないと意気消沈していた身にとっては嬉しい希望だ。

 

彼女は強硬派の巣窟となった横須賀特別陸戦隊を効率的に内偵するため、あくまでも東京の強硬派が「百石長官をはじめとする横須賀の擁護派を監視するため」に送り込んだ密偵という風に身分を偽った。俗にいう二重スパイである。

 

なぜ、和深たちが彼女を信用したのか。なぜ、彼女が密偵に選ばれたのか。ここは御手洗の口からは語られなかった。ちなみに「将来的な大宮警備府工廠へ配属を睨み、事前研修のため横須賀鎮守府工廠へ配属された」話や「どうせどこかの鎮守府に配属されるなら、横須賀がいい」と上司に頼み込んだ話は本当らしい。これが彼女の選出理由かもしれないが、それだけではないような気がした。

 

そして、御手洗たちは椿が寄こした情報を元に和深たちが反乱を起こす腹積もりでいることを明確に察知した。

 

「やつらとて、完全に知らない顔ではない。どうにか説得して抜いた刀を鞘に納めさせようとしたのだが・・・・・・」

 

海上護衛艦隊司令官、前第5艦隊第10戦隊司令官の花表秀長(とりい ひでなが)少将による説得及び脅迫は失敗。ここで御手洗は着々と進めていた計画の実行を決断した。

 

それはあまりにも賭けに興じ、あまりにも残酷な計画だった。横須賀特別陸戦隊の一部の蜂起を意図的に見逃し、明確な罪状を背負わせてから拘束する。彼らは誰にも気付かれず計画を遂行しているようで、御手洗たちの掌の上で踊らされていた。

 

椿も御手洗の差し金。

第2特別陸戦隊は和深に忠誠を誓うふりをしてその実、御手洗側。和深たちが暴走したときの鎮圧、御手洗からの命令を受けた拘束を担当していた。ちなみに第3特別陸戦隊も御手洗の息がかかっているし、司令部・第1特別陸戦隊の一部将兵も同様だ。武原指揮の第1特別陸戦隊ではなく、梨谷中佐指揮の第2特別陸戦隊が主力として和深たちと同行していたのは、彼らの働きかけによるものである。

警備隊は百石の鎮守府にふさわしく隊長の川合清士郎大佐をはじめ大多数の隊員たちは擁護派で構成されており、御手洗とはアリの巣穴ほどの接点もなかったが、10月の辞令で紀伊防備隊から異動してきた十部副隊長以下、数名の将兵は異なっていた。彼らには逐一御手洗たちの動きが報告され、第2・3特別陸戦隊や海上護衛艦隊と緊密な連携のもとにあった。

 

「私はご存じのとおり中立派なものですから、考え方は擁護派に近いとはいえ排斥派とのパイプもありました。まさか、このような重大な使命を任されることになるとは思いもしませんでしたが・・・・・」

「と、いうことは・・・・・」

 

百石が十部の隣で縮まっている川合を見る。川合は百石の推測が正しいというように頷いた

 

「みずづきの拉致が決行される2日ほど前に十部から話を聞きました」

 

この時にみずづきの監禁場所を警備隊監獄署にすることが決められたそうだ。さすがに特別陸戦隊の営倉に監禁することは危険性が高い。監獄署は完全な警備隊の管理下であり、和深たちが不測の行動に出てもみずづきの安全を守れると判断したらしい。

 

ちなみに坂北と西岡に知らされなかった理由は艦娘たちと親交が深く、彼女たちへの漏洩を防止するためだったらしい。決して2人が上司から見放されたわけではない。その話を川合と十部から聞いた2人は当初目を輝かせたが、時間が経過するにつれて「うーん」と首をかしげている。

 

“絶対に漏らさないから、言って欲しかった”

 

同じ隊の人間として情報を共有したかったという想いがあるのだろう。

 

「本当に・・・・何から何までお膳立てが済んでいたんですね・・・・」

 

つい、聞き方によっては皮肉に捉えられてしまいかねない言葉が口から出てしまう。御手洗が和深たちや百石たち、そしてこちらの無知で無様な姿を見て嘲笑し、弄んでいたわけではないことは彼らの語り草から分かってはいた。この言葉に皮肉や非難を込めたつもりはない。ただ、あまりの用意周到さと計画性に感服してしまった。

 

「何を言っている?」

 

だが、意味深な笑みを浮かべている御手洗を見るにまだ「お膳立て」の達成要素があったようだ。

 

「軍部隊の反乱という非常事態を前にして、場合によっては我々より迅速に行動することが求められる“公僕”どもが無関係なわけないだろう?」

 

そういうと御手洗は「もういいぞ」と言いながら、体育館全体に振動が響き渡らせようとするかの如く乱暴に演台の床を足の裏で叩いた。

 

「え・・・・・・。ま、まさか!?」

「その、まさかです。申し訳ありません。百石長官」

 

百石が驚嘆と共に幕を稼働させるワイヤーや演台を照らす水銀灯、それら備品点検用の簡素な通路がある天井を見上げる。その先から声が聞こえたと思った瞬間。

 

「うぎゃぁぁぁ!!!!」

 

上から、ヘルメットから銃・半長靴に至るまで漆黒で統一された12人の集団が飛び降りてきた。予期せぬ役者の登場に、目の前に筋肉質のごつい男性が落着した黒潮が腹の底から悲鳴を上げる。彼らだけではない。どこに隠れていたのか、同じ出で立ちの集団がぞろぞろと湧いて来る。ざっと見渡しただけで中隊規模、50人近くはいそうだ。その全員が第2特別陸戦隊員の24式小銃とは異なる銃を持っている。

 

「う・・・・うそ、でしょ・・・・・・」

「ほんと、俺たちの思考は中将の思い通りってか、あははは・・・。笑えねぇ・・・・」

 

口から出かかっている魂を「黒潮ぉぉ!!!!」と叫ぶ陽炎によってなんとか現世に留めている彼女を気にすることなく、横須賀鎮守府司令長官と副司令長官は手持ちの株券が一瞬で紙くずとなった投資家のように頭を抱える。

(こりゃ・・・だめだ)

彼ら2人と放心状態になっている他の横須賀鎮守府上層部の様子から、この場を前進させられる役者は自分しかいないと思い知った。御手洗は「ざまあみろ」と言わんばかりのどや顔をして、胸を逸らしている。実にいい顔だ。

 

「あ・・・あの、あ・・・あなた方は?」

 

鍛えたれた背筋に裏打ちされた、見事に伸びきっている背筋。直立していても銅像のように微動だにしない身体。漆黒の身なりからか、染み出る近寄りがたい雰囲気。声をかけづらい「危ない人」を絵にかいたような存在だが、勇気を出し雰囲気からこの集団の指揮官とおぼしき男性へ戸惑いがちに声をかける。

 

「ああ・・・すみません。あなた方はご存じなかったですね」

 

外見が幻であるかのように優し気な声色の男性は柔らかい手つきで被っていたヘルメットと強盗愛用の目だし帽を取る。そこには漆原や御手洗よりはよほどまともな、高校で教師をしていそうな何の変哲もない男性の顔があった。

 

「どうも、お初にお目にかかります! 私は神奈川県警警備部第一機動隊特定危険思想対処班第1班、通称横須賀監視隊を指揮する杉生仁男(すぎばえ ひとお)警部です!」

「き・・・機動隊・・・・?」

 

どこからどう見てもテロリストや極左・極右の過激派と日常的に相対している「特殊部隊」にしか見えない風貌にもかかわらず、自らを「機動隊」と称した杉生に震えた指を差してしまう。

 

いくら深海棲艦の脅威を前に国家権力、ひいては警察の力が膨れ上がっている日本でも89式小銃の標準装備化など重武装化が進んでいるとはいえ、杉生たちのような強者が機動隊と称することはなかった。彼らは明らかに警視庁警備部警備第一課や各都道府県警に所属している特殊急襲部隊(SAT)、海上保安庁の特殊警備隊(SST)で犯罪者や国民世論の意向に反旗を翻す「過激派非国民」を睨みつけている類いの人間だ。同じ制服を着ていれば交番や警察署勤務の警察官と見分けがつかない機動隊員とは一線を画している。日本人の視点から見てもおかしい組織構成もあるが、なぜ杉浦たちは真上から御手洗の合図とともに降下してきたのか。なぜ、杉生と御手洗の間に関係があると知った瞬間、百石たちは達観したように首を垂れているのか。

 

動揺しているこちらの心境が分かったのだろう。杉生は爽やかな笑顔を浮かべるとはっきり断言した。

 

「はい! 私たちは機動隊です!」

 

(この人・・・・いまいちわかってないよ)

誠意を感じる、少しずれた回答に文句を言うわけにもいかず心の中でため息をつく。だが、さすがは“神奈川県警警備部第一機動隊特定危険思想対処班、通称横須賀監視隊”などという厳つい組織に所属している人間。「あ・・、そちらですね」と気まずそうに頬を掻くと、百石たちを見てふんぞり返っている御手洗のかわりに説明を始めた。

 

「私たちも第2特戦隊や警備隊と同じです。百石長官から秘密裡に支援要請を受ける前から御手洗中将の計画の一員でした」

「はぁ~~~~~~~~」

 

大きな、司令長官としては吐いてはいけない類いのため息が聞こえてくる。しかし、それも仕方のないことだった。なんでも、彼ら神奈川県警警備部第一機動隊特定危険思想対処班は神奈川県内の海軍基地、特に全国的に見ても屈指の規模を誇る横須賀鎮守府を捜査対象とし、反乱やクーデターを引き起こしそうな危険思想を持った軍人の内偵・情報収集・監視、時には警察力の行使も任務としているそうだ。そうである以上、以前から和深大佐をはじめとする一派は重要監視対象。そして、現在の海軍上層部が神奈川県警本部、ひいては一部上層部を除いた保安省や警察庁と良好な関係にあるため、的場の信頼が厚い百石は神奈川県警警備部とそれなりの関係を築いていた。

 

椿を介して和深たちの要求を受け取った百石は和深たちに気付かれないよう横須賀監視隊と接触を持ち、万が一の事態にせめて艦娘たちだけでも救い出す体勢を整えていた。しかし、だ。

 

「あれだけ、気を使って、ああでもないこうでもないと死に物狂いで考えたのに・・・」

 

百石の貴重な寿命を使った作戦は初めから何の意味のなかった。

 

「道理で、相手が陸戦に長けた特戦隊で戦力も隔絶しているのに、お前たちがあんな素直にこちらの要請を受け入れたわけだ。部下を死地に行かせるような命令、あなたならそうそう簡単に決断しませんよね?」

「申し訳ありません。これは御手洗中将ら元排斥派重鎮発案の計画ですが、既に県警本部長の正式な命令書であなた方への情報提供が禁止されていました」

「え・・・・?」

 

筆端と同じ疑問をみずづきも浮かべた。御手洗は海軍軍人。彼らが発案した計画が「神奈川県警察本部長」の判子を通じて、末端の実動部隊に届いている。警察という治安組織の特性上、上から下へというピラミッド構造の指揮命令系統は軍と同様に強固。県警には上位組織がある。

 

「つまり・・・?」

「軍令部も保安省も警察庁も裁可した?」

「そうだ」

 

御手洗の真剣な顔を見る。

 

「これは国家的案件だ。貴様らが思っている以上に事は大きく動いている。・・・・・私の完璧な計画で見事完全勝利を収めたがな」

「的場総長もかかわっていらっしゃいますよね?」

「・・・・・・・・。いいから、お前は黙っておけ! 小池!」

「は!」

 

どや顔を決め込む御手洗の隣に立っていた彼の部下がご真っ当なツッコミを入れる。よくよく見ると彼は乱入事件でみぞうちに拳をお見舞いした御手洗の取り巻きだ。以前よりかなり経験を積んだのか、その表情は引き締まり立派な軍人の威厳をわずかに宿し始めていた。名前を呼ばれなければ分からなかっただろう。

 

しかし、小池には可哀想だが今はどうでもいいことだった。固まっている百石たちが示すように今回の一件は「横須賀」に留まらない、国家規模で事態対処が図られていた。

 

わざわざ和深たちの行動を見過ごしていながら、である。

 

だから、この疑問を抱いた者はみずづきだけではなかったのかもしれない。

 

「ここまでなされなくても良かったのではないですか?」

 

これを聞かずにはいられなかった。軍令部情報局情報保全室の椿、警備隊、第2特別陸戦隊のみならず保安省や警察庁まで巻き込んだ事案。いくら御手洗でも太刀打ちできない存在が後ろについていようと国家権力、しかも血で汚れた最悪の魑魅魍魎の彼らが本気になれば、ここまで事態が悪化する前に、百石たちが寿命を削る前に解決が図られたはずだ。にもかかわらず、御手洗たちは彼らを放置した。温めた鍋で具材が食べごろになるまで。

 

「その・・後援組織もぐうの音が出ないほどの罪状が必要ならば、私が拉致された時でも良かったはずです。中将たちは既に反乱罪、少なくも未遂で摘発できるほどの証拠を揃えていた。なのに、中将は動かなかった。あいつらの目の前に艦娘たちや百石司令たちが晒されるまで。下手をしたら・・・・」

「取り返しのつかないことになっていただろうな」

 

やはり、御手洗実中将。最悪の可能性もしっかり考えていたようだ。しかし、それでも彼はこの計画を実行した。

 

“どうして”と、その理由が聞きたかった。

 

直感でこちらから理由を尋ねるのではなく、じっと待つ忍耐を選択した。時計の針が半周するほどの沈黙を経た後、彼は視線を体育館の窓に向けながら言った。

 

「そこの中長期的視点が全く持って欠如している若造は一生かかっても導き出せん思考だろうがあいつらが過激化しないため、自暴自棄にならないため、なによりあいつら自身のために“現実”を知らしめる必要があった。一般の将兵たちが」

 

御手洗は第2特別陸戦隊員を見る。

 

「かつて排斥派としてまとまっていた将兵たちすら」

 

御手洗は梨谷を見る。そして、最後に。

 

「お前らを認めている、お前らに未来を託しているという、現実を」

 

御手洗は憎悪の欠片もない、いつもの仏頂面でもない、呆れたような表情で艦娘たちを見た。

 

「ここまで同志に否定されれば、やつらも“強硬派”としての再起は考えまい。あいつらも立派な指揮官。部下がいなければ、自分1人では無力であることは承知している。・・・・海軍軍人として誤った道に進んだあいつらを性根から叩き直す。なあに・・・責任は全て俺が背負っている。言いたいことがあれば、この俺に言うがいい」

「あ、あの中将が・・・・・・部下のため・・・に?」

 

驚愕に染まり切った震える声がどこからともなく聞こえた。発言者の特定はできなかったが、それは今まで御手洗を「艦娘はおろか気に食わない上官・同期・部下でさえ人間扱いしない、親の七光りを利用した傲慢将官」としか見ていなかった横須賀鎮守府上層部の総意に思えた。

 

「勘違いするな」

 

御手洗は威厳をたたえた鋭い目つきで百石たちを睨みつける。

 

「俺はただ・・・・・・海軍軍人として、国家・国民のために行動しただけだ。あいつらの救済はそのついでだ」

 

そう言いながら示された彼の表情には見覚えがあった。その表情をいつどこで見たのか思い出した瞬間、あの問いが鮮明によみがえる。

 

“・・・・・・・・軍人とは、なんだ?”

 

軍令部の屋上で行われた奇妙な問答。あれは彼にとって、今後の方針を決める重要な問い。今さらながら、それに気付かされた。

 

瑞穂に来て、約5ヵ月。日数に直すと約150日の間に巻き起こった経験から、抱い続けてきた問い。

 

“本当の御手洗実は存外、噂とはかけ離れた軍人なのかもしれない”

 

今日、これは確信に変わった。


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