水面に映る月   作:金づち水兵

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季節は2月。まだまだ冬真っ只中で、インフルを頂点に様々なウイルス・細菌が調子に乗っています。くれぐれも体調管理にはお気を付け下さい。(昨晩、夜空を見上げておられた方は要注意です)

と、いいつつ今話は久しぶりに2万5000字を超えています。目の疲れなどを感じられた方は無理をせずに読んでいただけると幸いです。


76話 横須賀騒動 前編

「この非国民が!!! お前みたいなグズが同じ自衛官だなんて、考えただけで虫唾が走る!! なんで貴重な飯を与えなきゃならないんだよ!!」

 

一筋の光すらない真っ暗な空間。真っ暗な視界。肌を溶かすような湿った空気。人間がいてはいけない空間に、罵声が轟く。

 

「クソでも食って、苦痛と後悔にまみれてくたばりやがれ!! この日本にお前の居場所なんてないんだよ!!」

 

まただ。飽きることなく、止むことなく、自身の存在意義を否定し、着実に精神を腐敗させていく罵声が放たれる。

 

「もう・・・・いや・・・・・」

 

火に油を注ぐため、必死に閉じていた口。必死に抑圧していた本音。しかし、もう我慢の限界だった。報復を覚悟しながら、顔を上げ、看守と同じく自分を責めてくる天井に顔を向ける。

 

「もう・・・いや・・・・いや、だよ。なんで、なんで、私がこんな目に。誰か、助けて・・。誰か・・・・誰か!!!!」

 

その時、唐突に世界が真っ白に染まった。看守の報復はない。

 

「みずづき・・・」

 

敵意も殺意も憎悪もない、純粋に思いやりだけが詰まった優しげな言葉が聞こえてくる。

 

「知山司令・・・・」

 

それはこの闇から救ってくれた、大切な人の声だった。

 

 

 

―――――

 

 

 

「う・・・・・・・・・」

「起きろ」

 

視界が過剰な光で機能を喪失し、視覚細胞と視神経によって接続された脳へ強烈な刺激を伝送する。真っ白な視界と半覚醒状態の意識で、周辺認知能力が極めて低下する中、感情の欠如した比較的高音の声がかけられた。あまりの不愛想さに苛立ちつつ、眩しさのあまり反射的に降りようとする瞼を拘束し、目を開けた。

 

「ここは・・・・・・・・・・」

 

目の前で光っていた懐中電灯らしい光が消える。しばらくの間、視界が白くぼやけていたが次第に本来の機能を取り戻し、薄暗い室内でも視覚情報を捉え始めた。

 

4畳ほどの狭い空間。壁・床・天井は何の加工もされていないコンクリート。前方には鉄格子。その外側に3人の人間がいた。

 

筋肉質の体。広い肩幅。背中に棒でも入っているかのように伸びた背筋。体格と雰囲気から男性と推測される人間が2人。

(もう1人は・・・・・・・女?)

男性と思われる2人とは明らかに体格の異なる人間-一見すると女性のように見る-が1人。胸の膨らみや腰の括れが確認できないため、分からない。人相で判断しようにも3人は銀行強盗やテロリスト愛用の目だし帽で顔を覆っていた。

 

更なる情報収集を敢行するため後方を確認しようと身をよじる。そこで異変に気付いた。体が動かない。全力で動こうするが、何かがミシミシと悲鳴をあげるだけで肝心の体は一切動かない。

 

「・・・・・拘束されてる」

 

椅子に座らされた状態で、背もたれの後ろで組まれた手首と足首をひものようなもので縛られている。胴体も背もたれに固定され、一切の身動きは不可能だった。結びの緩さに期待して身をねじるものの、そうたやすく物事は運ばない。結び目は頑丈だった。

(どうりで、あんな夢見たわけね。ここ・・・・・営倉のそのものじゃない)

そう。ここは艦娘教育隊特別審査委員会による処分が下されていた後に放り込まれていた営倉と酷似していた。右の壁際には小さなベッド。左の壁際には洋式便座がしっかり設置されていた。

 

「やっと観念したようですね」

 

みずづきの行動を静かに身じろぎ一つせず、観察していた3人のうちの1人が声を発する。例の性別が読み取れない人物だ。先ほどの声と異なり、これまた男とも女とも取れる中途半端な声は感情の籠った人間らしいものだった。目だし帽のせいで表情は読み取れないが、苦笑しているようだ。

 

キッ、という効果音が伴いそうな鋭い視線を彼(?)に向ける。彼は身をのけ反らすこともなく、わざとらしく反応した。

 

「おっと、怖い、怖い。さすがは日本海上国防軍の艦娘であり、軍人でもあるみずづき。このような状況でも戦意は有り余っているようですね」

「ここは、どこ? あんたたちは何者?」

 

彼の言葉を無視して、心の中で渦巻いている疑問を解決するための問いを発する。身の危険を感じる状況に陥った場合、まず最初の行動はパニックでも絶叫でも、ましてや助けを呼ぶことでもない。情報収集による現状把握。そして、これに人の意思が介在していのなら、その相手の真意の把握、もしくは推測。これらがあって初めて、対処なり行動をとることができる。人間とは案外繊細な生き物で、砲弾やミサイルが飛び交う戦場でビクともしなかったのに、両手両足を拘束されて、殺気を放つ人間を眼前に据えられると冷静さを失い者もいる。

 

ようは事前の教育と慣れだ。くしくも丙午戦争時、自衛官の拉致が多発した過去からみずづきたちは捕虜また拉致監禁時の対応について丙午戦争以前より遥かに教育時間が割かれていた。また、みずづきはこのような空間に幽閉された経験がある。

 

もちろん動揺はしていたが、そのため比較的冷静さを失わずに済んでいた。

 

みずづきは意識が途切れる前、消灯前にもかかわらず工廠にいた。

 

忘れ物を取りに行くため。

 

しかし、陽炎に語った理由は完全な嘘だった。訓練を終え、陽炎・黒潮と夕食・入浴を共にし、艦娘寮の自室へ戻った時までは平穏そのものだった。不自然にほんの数ミリだけ開いた、机の引き出し。開けるとそこには身に覚えのない一枚の便箋が入っていた。

 

“本日、21時30分に工廠でお会いできることを楽しみにしている。不審者より”

 

そう、端的かつ無機質な字を染み込ませた便箋が。それには簡素であるが故に言い知れぬ恐怖が備わっていた。

会えなかったらどうなっても知らないぞ、と。

 

「・・・・・・・・・」

 

そして、みずづきは1人で工廠へと出向いた。この行動そのものが誤っていたことは否定しない。艦娘寮に忍び込んで土産を置いていった相手も不明。なぜ、みずづきを呼び出したのか、その相手の真意も不明。多くのことが不明。ただ、その中でも2つだけ分かることがあった。

 

相手がただ者ではないことと工廠からの帰り道に遭遇したあの影が関与していること。

なら、不明な点があろうとも1人でいくしかなかった。

 

あの影は躊躇しない。その世界の人間にとって、上からの命令か、目的達成が至上命題。

それを達成するためなら、流血もいとわない。

 

艦娘たちや百石たちに危険が及ぶことだけは避けなければならなかった。

 

出向くにあたっては当然、最大級の警戒は行っていた。だが、敵は想像通りみずづきの手に負えるような存在ではなかった。明確な気配を捉え、そちらに意識を向けた途端、どこからともなく伸びてきた腕にあっさり抵抗を封じられ、容赦なく口と鼻に布を押さえつけられた。何か薬品を染み込ませていたのだろう。慌てて、呼吸を止めても時すでに遅し。意識は急速に遠のいていった。

 

 

意識が戻ってみれば、営倉の中である。

 

 

「さてさて、どうでしょう。あなたなら、お分りになるのではないでしょうかね?」

 

見事、予想通りはぐらかされた。

 

「私を拉致した理由は? 私が見る限り、あなたたちは小事のために動いている人間じゃない。もっと大きな、この国の存亡を左右するような大事で動いている人間・・・・・」

 

反応があるかと思ったが、彼に全く変化はない。

 

「そのような人間・・・・いや公僕たちが私なんかを拉致するのはどうして?」

「あなたは自身の立場をよ~く理解しておられる。私たちからお教えしなくとも、よいのでは?」

 

まただ。また、はぐらかされた。拉致され、拘束され、なおかつ相手は3人という圧倒的な不利な状況では、一度はぐらかされた質問を再度行うことはあまりにもリスクが高すぎる行為だった。

 

自身の命も、応対の方向性も全て相手に主導権がある。

 

「あなたのご質問にお答えすることも非常に面白いのですが、本題へ入る前にあいにく私たちはあなたにどうしても伺いたいことが1つあるのです。ご質問への回答は是非ともその後にしていただきたいです」

 

あまりにも一方的かつ身勝手なお願い。この状況ではもはや強制だ。

 

「な、何ですか?」

 

笑みの皮を被った冷淡さに、生唾を飲む。

 

「あなたにとって、横須賀にいる艦娘たちは大切な存在ですか?」

 

(待って・・・・・・)

彼の、いや彼らの真意が2つの目を限界まで開眼させる。「ほう」と彼は感慨深げに呟いた。

 

「そうです。あなたの思っている通りですよ。あなたが私たちの要求に答えない、あるいは不利益につながる行為に走った場合・・・・・」

「やめて・・・・・・・・」

「あなたの大切なお仲間の安全は保障しかねます」

「くっ・・・・・・・・」

 

怒りのあまり、全身が小刻みに痙攣する。無意識のうちに唇を噛んだのか、口内に鉄の味が拡散した。反射的に罵声や怒号を発しそうになるがすんでの所で抑え込む。この場での激情はただの自殺行為だ。

(こいつら・・・・やっぱり・・・・)

周囲の大切な人々を巻き込む形で捕縛対象を脅し、精神と思考を拘束した上で、目的達成に動く。尋問の常套手段だ。しかも、これは自分より他人の命に重きを置く人間に対しては絶大な効果を持つ。厳重に守られた鎮守府内の艦娘を脅しの手段にしている点と言い、頭にくるほど性格を分析している点と言い、目の前にいる人物たちは並大抵の勢力ではない。そして、その直感的思考に現実味を持たせる凶悪な雰囲気を彼らはまとっていた。彼らなら、艦娘たちに危害を加えることも可能かもしれない。

 

首が垂れる姿を確認すると、彼は嬉しそうに口を開いた。

 

「聡明なご判断、ありがとうございます。では、早速本題に入りましょうか」

 

その言葉を最後に、彼のまとう雰囲気から感情が消えた。

 

「深海棲艦とは何ですか?」

「・・・・・・・・・・は?」

 

下手をすれば自身の命、そして艦娘たちの命が消えかねない状況で、みずづきは鳩から豆鉄砲をくらったかのような間抜けな表情を示してしまった。

 

それほどに彼らがいう「本題」は眼中にないものだった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

みずづきの行方不明。

 

それはこの世界に現出し、相応の時間を瑞穂で過ごしてきた艦娘たちにとっても未曾有の事態だった。消灯時間を過ぎても艦娘寮の明かりは消えず、みずづきの行方を心配した艦娘たちはみずづきの足取りを調査するためにやって来た警備隊員や憲兵と日付が変わる間際まで情報交換を行っていた。しかし、彼女たちには翌日もそれぞれ演習や任務が控えており、艦娘の不安を払拭するためにやってきた筆端や艦娘たちのリーダー格である長門・赤城たちがみずづきの身を案じる彼女たちを諭し、なんとか艦娘寮の明かりを落とすことに成功した。

 

そして、夜明け。起床ラッパと共に憂鬱な朝を迎えた艦娘たちは、信じられない光景を目にすることとなった。

 

「だから! これは一体どういうことだよ!! しっかり説明してくれよ!!」

 

摩耶の怒号が幾重もの壁や梁を透過して、室内に充満している動揺を飛び越えて、ここ居間にまで聞こえてくる。玄関にて艦娘寮を包囲している警備隊員へ説明を求めている長門・摩耶・曙を除いた全艦娘が居間に集合していた。

 

「なぁ、陽炎? これどう思う?」

 

昨日までの快活さはなりを潜め、深雪が不安げに尋ねてきた。

 

「どうって・・・・・。私だってサッパリよ。起床ラッパで起きた時にはもうこうなってたわけだし・・・・・」

 

陽炎もこの前代未聞の状況に口ごもるしかなかった。現在、艦娘寮は警備隊によって四方を完全に包囲され、外出ができない状態となっている。これは艦娘たちが全員目を覚ました時には、既に勃発していた。異変に気付いた直後から摩耶を筆頭とする強気な性格の艦娘たちが包囲中の警備小隊を率いている坂北純一(さかきた じゅんいち)中尉を詰問するも、応対は一向に平行線をたどっている。

 

全員、突如発生した現在の状況が理解できず、各人で考察と情報収集に(ふけ)っていたが成果は芳しくなかった。

 

「何よ!! 全く! 坂北中尉があんな石頭だったなんて初めて知ったわ!!」

「ダメダメだ! クッソ!」

「はぁ~~~~~」

 

坂北たち警備隊と相対していた3人が、各人の性格に倣った反応を示しながら居間へと帰って来た。様子を覗うに今回も無駄足に終わったようだ。坂北や取り巻きの警備隊員を責め立てて、もう何度目か分からない。

 

「どうだった?」

「どうもこうもねぇよ!!」

 

問いかけた榛名の隣に、摩耶が乱暴に腰を落とす。かなり苛立っていることはその様子だけだけでも容易に察せられた。

 

「いくら聞いても、“川合隊長の命令です”の一点張りだ。命令の理由を尋ねても、“小生の権限ではお答えできません”の連呼。こんな時だけいっちょまえの軍人になりやがって」

 

強く握りしめられた拳が、畳に叩きつけられる。

 

「っ!」

「ちょっと、摩耶さん!」

 

暁たちの怯えを察知した夕張が摩耶を睨みつけるも、彼女はどこ吹く風。貧乏ゆすりをはじめ、頻繁に舌打ちを繰り返す。

 

「この状況で平常心を維持できるかって! みずづきは行方不明になるわ、軟禁状態に置かれるわ、意味分かんねぇよ!」

 

一応夕張の言が効いたのか、摩耶は実力行使を伴わず口で怒りを爆発させる。戦闘中やブリーフィング中などでこのような態度を示せば、長門たちの叱責が容赦なく降り注いでくるが、現時点で誰も摩耶の言動自体を激しく責め立てる者はいなかった。

 

理由は簡単。全員、摩耶と同じ感情を抱いているからだ。

 

「本当に不可解の一言ね。今回の事態は・・・・」

 

背筋を伸ばし正座をしている赤城が、ここではいないどこかへ思考を飛ばしながら呟く。本来なら朝食を終えている時間帯。赤城を筆頭格とする一部の艦娘たちにとって拷問のような状況だろうに、彼女たちは平時のように不平不満を口にすることもなく、腹の虫がデモを起こすこともなく、一目置かざるを得ない風格を維持していた。

 

「唐突なみずづきの失踪に始まり、警備隊の出動。提督からの指示は昨夜の“安心して寝ろ”以降、沈黙。そして、みずづきの所在は不明。いまだに見つかっていないのか、はたまた見つかったのか。それすらも私たちには伝えられていない」

 

加賀がカーテンの隙間から外の様子を覗いつつ、赤城に続く。居間にある窓ガラスの前にも3人の警備隊員が背中を向けて立っていた。

 

「長門さん? 長門さんは何か知っているんじゃないですか?」

 

加賀に触発されたのか、今まで誰1人として挑まなかった長門への伺いを瑞鶴が立てた。「ちょっと! 瑞鶴!」と傍らにいた翔鶴が制止しようとするも時すでに遅し。正座したまま微動だにせず瞑目し、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた長門の答えを聞こうと、室内は静まり返る。だが、いつまで経っても長門は口を開かない。

 

「ちょっと、長門さん! 長門さんは秘書艦で提督や鎮守府の人たちと私たちの中で一番近い位置にいた。本当は何か知ってるんじゃないですか?」

 

沈黙を貫く姿勢へ苛立ちをあらわにした瑞鶴は語彙を荒げる。曙もしびれを切らしたようで瑞鶴に加勢した。

 

「昨日だって、消灯時間の直前まで提督の傍にいたんでしょ? なにも知らないなんておかしいじゃない! 秘書艦なんでしょ?」

「ちょっと、曙さん! これ以上は!」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「っ!?」

 

室内が再び静寂に包まれた。長門に迫っていた瑞鶴と曙。曙を制止しようとした赤城も拳を震わせながら、ゆっくりと開かれた長門の眼光を見た瞬間、凍り付く。

 

「私は・・・・・・・何も・・・・知らない」

 

悔しそうに唇を噛みながら、長門は消え入りそうな声でそう言った。彼女のやりきれなさはその言葉だけで十分に伝わって来た。瑞鶴も曙も言葉がないようで俯いてしまった。

(この空気は・・・・・・)

重苦しい雰囲気。このまま昼を越えて、夜まで沈黙が続きそうな気配さえある。しかし、今の自分にとって時間は何よりも大切なものだった。浪費は許されない。

 

目の前の座卓に目を向ける。そこには鼻をかんだチリ紙に偽装するかのように丸められた状態でゴミ箱から発見された一枚の紙が置かれていた。

 

「みずづき・・・・・・・」

 

今はどこにいるのか分からない親友の笑顔を頭に浮かべる。彼女は明らかに様子がおかしかった。おそらく今回の失踪と無関係ではないだろう。自分はみずづきの異変を捉えながら、日常に甘んじ百石に報告するなり、警備隊にみずづきの身辺警護を依頼するなり、適切な行動を起こさなかった。みずづきを消失させた全責任は「不審者」にあるとしても、異変を察知していた以上、この身にも責任の一端はある。陽炎は果たせなかった責任を果たすため、そして一刻も早く状況の打開を図るため、勇気を振り絞ってこの空気を換えようと声を上げた。

 

「みんな、警備隊の人たちや仲間のあらさがしをするのはもうやめよう」

 

陽炎がこの空気で口を開くとは思っていなかったのか、全員が驚いたように視線を集中させる。暗に自分たちのやっていることがあらさがしと非難された瑞鶴や曙は目を細めるが、自覚があるのか反論はしなかった。

 

「みずづきの失踪と警備隊の包囲は明らかに無関係じゃない。そして、みずづきの失踪には“人間”が関与してる」

 

座卓の上に視線を向ける。

 

「一刻も早く解決策を導き出さないと取り返しのつかないことになる。みずづきはあの時、工廠へお土産を持って行った日から明らかに様子がおかしかった。私たちと一緒にご飯を食べているときも艦娘寮にいるときも四方に警戒心を向けてたし、みずづきが横須賀に来たときに持ってた拳銃の在りかも気にしてた。おそらく・・・・・」

「みずづきさんは気付いていた。その紙を私たちの誰にも気付かれることなくみずづきさんの机に忍ばせた“不審者”の存在を」

 

吹雪の言葉に頷く。

 

「計画性から考えても、あのみずづきが誰にも告げないほど危ないやつなら不審者は明らかにプロだわ。この鎮守府の中でプロがここまで大胆な行動に出るのならそれだけの理由、目的がないとおかしいわよ。私には皆目見当もつかないけど、そんな輩に捕まっている時点でみずづきの身が危ない。早く、なんとかしないと・・・」

「なんとかしないとって・・・・陽炎? あんた何考えてるの?」

 

瑞鶴が戸惑いながら、真意を尋ねてきた。眉を細めることもなく、顔に皺を刻むこともない。彼女も薄々これから言うことに気付いているのだろう。その核心をより強固なものにするため、そして首をかしげている艦娘たちに己の覚悟を伝えるため、陽炎は勝ち気な笑みを浮かべて、こう宣言した。

 

「私たちの手で、みずづきを助ける!」

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「は?」

 

思考が追いつかなかった。今、みずづきは謎の集団に拘束され、いうことを聞かなければ自分はおろか艦娘たちにも危害を加えるかもしれないと脅迫されている。

 

彼らは4日前から尾行や監視を繰り返し、拉致する機会を周到に覗っていた。しかも、相手は多数の軍人がひしめく鎮守府に気付かれることもなく、拉致を達成し、捕縛対象の自分を吐かせるために鎮守府内にいる艦娘や将兵にこれまた気付かれることなく凶器を向けている。これはいくらプロでも、あまりにハイリスクな作戦。

 

ここまでして捕縛した理由が「深海棲艦は何?」なのだ。艤装の供出を要求するでもなく、横須賀鎮守府の保安情報や艦娘たちの行動範囲・弱点などを聞き出そうとするでもなく、ハイリスク・ローリターンに感じられる抽象的な問い。

 

「し、深海棲艦・・・・・・?」

 

このようなことを聞かれるとは、はっきり言って全くの予想外だった。

 

「そうです。あなたはここへ来る前から深海棲艦を知っていた」

「ちょっと、待って! いきなりなに言い出すの!! 深海棲艦について私は今までの聴取で答えてきた。にもかかわらず、え? こんな真似してまで、みんなを危険にさらしてまで、聞きたかったことがそれ?」

「それ・・・・ですか」

 

失望と怒気を融合させた嘆息。なりを潜めていた生存本能が再び活発に動き始めた。

 

「あなたが深海棲艦をどのように認識しているかは知りません。しかし、少なくとも私自身、おそらくはこの世界の全人類にとって深海棲艦は平和を叩き潰し、海を奪い、大切な家族を、唯一無二の故郷を、長い時を経て築き上げた生活と財産を容赦なく奪い去った敵です。瑞穂だけでも15万もの人命が失われたことぐらい、あなただってご存じでしょう?」

「それは・・・・・・」

 

言葉が出なかった。自分の発言がいかに不用意かつ不謹慎なものであったのか。今さら気付いた己が腹立たしい。いくら、こういう状況で聞かれる常套句や常識から問いと目的が逸脱していると言っても、ここで銃殺されても文句は言えないだろう。

 

深海棲艦の存在、やつらの成した罪を知らないのなら言い訳も通る。しかし、この身は脳に刻まれるほど痛感している。目撃している。

 

「あなたも、あなたの世界も私たちの世界と同じように深海棲艦によって多くのものを奪われたでしょう?」

 

その問いは先ほどと打って変わって、同情や思いやりが含まれていた。そこであることに気付く。

(ん? ちょっと待って。こいつらは日本の・・・・2033年までの地球の歴史を知ってる?)

房総半島沖海戦を経て日本世界の本当の歴史を艦娘たちに語って以降、みずづきは百石たち瑞穂側の要請を受け、「並行世界証言録」に2033年までの歴史を書き加えるべく実施された聴取に応じていた。語った内容はそれこそ多岐にわたり、聴取は一回で終わらず数度行われたほどだ。しかし、この内容は聴取を行った百石や筆端、軍令部の軍人、編纂を行った国防省の上級官僚をはじめとする、瑞穂において一定の役職・地位に就いている人間しか知らされていない。

 

軍民問わず世間一般において、みずづきは他の艦娘たちと同じ大日本帝国海軍所属艦として処理されている。みずづきが語った2033年までの歴史を完全公開してしまうと、2033年までの歴史を知っている艦娘の存在を間接的に明かすことと同義である。そうなれば、みずづきの存在を知っている者が限られているとはいえそれなりの数に上っている以上、正体が暴かれる可能性は極めて高くなる。そのため海軍内では最高レベルの機密情報として秘匿していたのだ。

 

それを目の前の三人は知っていた。

 

「つまり・・・あんたたちは・・・」

 

彼らの正体に至るかもしれない推測を口にしようとしたところで、彼がこちらの言葉を遮った。

 

「ご推察の通りです。私たちは一般に開示されていない並行世界証言録、2033年に至るまでの日本世界の歴史を知っている。下手に隠してもお分りになるでしょうから言いますが、私たちはそれにアクセスできる立場の人間ということになります」

「ご親切なことで」

 

隠すどころか、むしろ自慢げに語ってくる。目の前の3人が所属しているであろう組織の類は構成員の命より情報を優先する。敵側に自組織の情報が漏れそうになった場合、情報漏洩を防ぐため進んで自決を取ることは希有な事象でも奇怪な事象でもない。にもかかわらず、彼は正体に迫るヒントを自ら差し出してきた。知られてもいいと思っているか、はたまた分かるはずがないと高をくくっているのか。

 

「ありがとうございます。私たちは伺っている立場ですので、できる限り不信につながる要素は排除したいと考えています。あくまでもできる限り、ですけどね」

 

だったらそもそも拉致するなというご真っ当な意見を封じるためか“できる限り”を強調する。

 

フレンドリーとさえいえる態度に惑わされると、取り返しのつかない事態になりそうだ。愉快に話している彼の左脇に控えている男の手にはしっかり拳銃が握られているのだから。

 

「あなたが私たちの要求に対して誠実に応えて下さるのなら、名乗っても良いですよ。私たちは所属組織があなたに露見することをそこまで恐れていません」

「いえいえ、結構です。私も命が惜しいもので。・・・・・・深海棲艦について私が知っていることは聴取で話した内容が全て」

「私たちが聞きたいのはあなたが隠しているかもしれない核心部分のことです」

 

親し気な口調のまま、まるでこちらの応答が分かっていたように即座に次の言葉を放ってきた。

 

「隠しているかもしれない、核心部分? なんのことよ?」

「文字通りの意味です。あなたは聴取に嘘をついているんじゃないですか?」

 

こちらの苛立ちが伝わったのか、彼はそれを容易に抑え込めるような気迫を言葉に込める。無意識のうちに心拍数が上昇した。

 

「は? 嘘? 私は聴取に嘘をついたことはないし、隠し事をしたこともない」

「本当ですか? 並行世界証言録には深海棲艦について、相変わらず不明や未確認、解明待ちといった文言が踊っていた。あなたが話した箇所でもそれはしかり。しかし、ね。これは普通に考えたらおかしいでしょ?」

「おかしい?」

「ええ。あなた方は我々より遥かに科学が進んだ世界から来た。そして、あなた方の世界にも深海棲艦はいた。進んだ科学力を有する世界がこの瑞穂世界より遥かに好戦的で凶悪化している深海棲艦の猛攻を受け、甚大な被害が出ているのなら、当然勝つために調査・研究を行いますよね。そうすれば我々より多くのことを知れるはず。にもかかわらず、あなたは深海棲艦について“詳しいことは不明”と繰り返すばかり。あなた方は、あなた方の世界は自らを滅ぼそうとする敵を調べようともせず、ただ大砲をぶっ放していただけなのですか? 違うでしょう?」

 

確かに男たちのような解釈もできる。しかし、彼らは少しこちらを買いかぶりすぎだ。

 

「私は日本海上国防軍の一軍人として聴取を受けた。証言内容も自らの記憶に基づくものとあらかじめ断りを入れてる。あんたたちから見れば、私は特別な存在なのかもしれないけれど、日本じゃ・・・私の世界じゃ、ほかにも私みたいな艦娘はいた。私はただの軍人だったの。例え、深海棲艦に重要なことが判明していたとしても、私みたいな平軍人、しかも前科持ちにそんな情報が開示されるわけないじゃん」

「では、質問を変えます。あなたは艦娘で艤装を背負って、戦闘行動を行っている。そうですね」

「ええ、そう・・・・です」

「ならば、艤装についてそれなりの知識はお持ちのはず。私のような阿呆に1つご教示いただきたいのですが、なぜあなた方の艤装は神業を体現できるのですか?」

 

神業。それはおそらく軍艦の転生体である艦娘たちと同じように、超小型の艤装を用い、あらゆる物理法則を捻じ曲げて、通常の軍艦と同じ戦闘能力を発揮できる点だろう。みずづきもそこは特殊護衛艦の存在を聞いた時から疑問に思っていた。

 

そのようなSFまがいのことが、現時点の人類の技術力で可能なのか、と。

 

「申し訳ないけど、そんなのこっちが聞きたい」

「ええ、そうでしょね。なんでも軍事機密だったとか?」

 

この話は聴取の際にも聞かれたため、そう答えていた。事実この点は軍事機密とされ、いくら存在自体が高度な秘匿性を帯びている艦娘でも開示されていなかった。

 

「それであなた方は納得できたのかもしれませんが、あいにく私たちはそこまで権力に従順ではなくてですね。どうしても、疑問に感じてしまうのですよ」

 

まだ聞くのかと顔をしかめる。しかし、次の言葉でこの無意味な応対に辟易(へきえき)していた心が吹き飛ばされた。

 

「あなた方の神業と艦娘の御業、そして深海棲艦の魔術。・・・・・・・・・・・・・・・どれも似ていると思いませんか?」

 

その問いの後、自分が何を口走ったのか正直覚えていない。ただその疑問を発した真意が非常に腹立たしく、罵詈雑言を吐いた感覚は残っていた。あまりの興奮にこれ以上何を聞いても無駄だと思ったのか、3人のうち拳銃をちらつかせていた男が独房内に入るとナイフを右手に持ち、一振り。殺されると思ったのも一瞬、手首の違和感が消えた。男が手首のひもを切ったのだ。「手が自由になったんだから、あとはがんばれ」と言わんばかりに男は足首や胴体の拘束をそのままに残りの男たちと同様、視界から消滅。静寂が舞い戻ったためか、独房の寒々しい気配が肩に寄りかかって来た。

 

苦労して残りの拘束を解き、ベッドに倒れ込んでから体内時計で数時間。背後の壁に設置された小さな窓から差し込む光を見るに、今の時間は朝方と言ったところだろう。半地下の独房で時より聞こえる汽笛から海岸近くということは分かったが、横須賀なのかはたまた別の場所なのかは皆目見当がつかなかった。

 

場所探しよりも、思考はあることに占領されていた。

 

“あなた方の神業と艦娘の御業、そして深海棲艦の魔術。どれも似ていると思いませんか?”

 

その言葉が頭の中で絶え間なく回転していた。

 

日本にいた頃は考えたこともなかった問い。その問いが暗示する荒唐無稽な結論。

 

「そんなの、あり得るわけないじゃん・・・」

 

脳天からつま先までそう信じていた。しかし、1度抱いてしまった疑問は記憶の彼方からあの男らしき人物が示唆した結論を補強しかねない断片を収集してくる。

 

 

 

深海棲艦は何なのか?

 

 

 

この巨大な問いは深海棲艦の猛威と共に、第三次世界大戦で疲弊しきっていた世界を席巻した。各国政府や軍の記者会見では必ずと言っていいほど深海棲艦の正体に関する問答があり、テレビや新聞、ネットなどのマスメディアでは深海棲艦の攻勢と連動して、軍事評論家や生物学者、政治ジャーナリスト、果てには宗教家や怪しいオカルト研究家までもが出演し日夜大激論が交わされた。

 

 

自分の周囲でも、SFやアニメの世界が現実に降りかかって来たこともあり、深海棲艦の攻撃がまだ他人事であった時期は大きな話題となった。高校でも学生たちは授業そっちのけで禁止されているにもかかわらずスマホに夢中。本来は注意しなければならない立場の教師もほとんどが見てみぬふりをし、中には「何か新しい動きはあったか」と机の下でスマホを覗き見ていた友人に聞いた教師もいる始末。

 

ネット上にあふれる映像や写真、そして各国の政府や軍が開示した情報から専門家たちは口々に持論を展開した。しかし、事態が事態なだけにどれもSFかぶれが著しいものばかり。

 

とある一神教の聖職者はこれを「原罪」の具現であると声高に叫んだ。あの世での救済を確実にするためさらなる強固な信仰心を信者に求めて。

とあるオカルト研究者はこれまでの戦争で沈んだ軍艦及び乗組員の怨念が実体化し、いまだに醜い戦争を続ける人類に復讐しようとしていると説いた。

とあるミステリー作家は2012年~2022年まで続いた桂明文(かつら あきふみ)内閣崩壊寸前に相次いだ政治家・官僚・自衛官・警察官などの汚職摘発、失踪、偶然とは思えない連続事故死・病死・自殺と深海棲艦の出現に何らかの関連があるのではないかと疑いの目を向けていた。

 

 

それらはマスメディアの売り上げアップには多大な貢献を成したが、とても真に深海棲艦の正体に迫れるようなものはなかった。中には、日本とアメリカが共同開発した生体兵器などという世迷言を弄する学者もいた。

 

 

だが深海棲艦が世界各地に本格的な侵攻を開始。日本が総力戦に陥って以降、深海棲艦の正体は市井では井戸端会議の定番ネタになっているものの、政府や軍から語られることは一切なくなった。そして、2033年現在、政府の統制下に置かれているテレビ局や各種新聞も戦果報道に終始するばかりで、深海棲艦に関すること自体一切報道していなかった。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

深海棲艦の正体を探る余裕すらないほど日本が追い詰められていることも事実であったため、また自分自身が深海棲艦の正体を気にする余裕自体がなかったため、今までその不可思議な事態経過に疑問を抱いたことはなかった。しかしいくら機密事項とはいえ、あれだけ騒いでいたメディアも含めて“一切”語らなくなるものだろうか。深海棲艦の正体に一歩近づいたと抽象的なことを公表するだけでも、国民の士気は劇的に向上するだろうに。

 

まるでハレモノを忘れさせるかのようだった・・・・・。

 

「あり得ない・・・・」

 

自分の思考が荒唐無稽な結論に浸食されている。それに気付くと、必死にして否定する。

 

「あり得ない、あり得ない、あり得ない・・・・・・!!!」

 

みずづきはうつ伏せになって、かび臭いベッドに顔を埋める。息を吸うたびに吐き気すらもよおす刺激臭が鼻を駆け抜けるが、カビの力を借りてでも、体調を崩すリスクを犯しても頭の中に宿る思考を忘却したかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「あ・・・・あの・・・・・一体、どういうおつもりで?」

「英国生まれの私がありったけのLoveを注いで淹れた、愛情たっぷりの紅茶デース!!」

「・・・・・はぁ・・・」

「起床ラッパが鳴る前からのお勤めで喉もカラッカラだと思いましたノデ、どうぞどうぞ飲んで下サーーイ!! 味は保証シマス! そして、私のLoveも保障シマース!!」

「だったら、ぜひ!」

「おい!」

「いったぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

座卓の上で、紅茶が注がれているきらびやかなティーカップに勢いよく手を付けようとした西岡修司(にしおか しゅうじ)少尉が隣で正座していた坂北の拳骨をもろに食らう。「ゴツ」という鈍い音のあと側頭部を抑えつつ、畳の上でアルマジロのように丸まる戦闘服姿の西岡。

 

思わず他の艦娘と同じように「痛そう」と顔をしかめてしまう。坂北はかなり本気で西岡を殴っていた。

 

「んで、用件は何だ?」

 

疲労が色濃く刻み込まれている顔ながら、苛立たしげに聞いてくる。余程ここへお連れしたことが気に食わないらしい。

 

「まぁまぁ、そう怒らないで下サーイ! 紅茶でも飲んで、心も体もリフレッシュデース!!」

「俺の心と体をズタボロにしたのは金剛、お前だろう!!! いきなり玄関から飛び出てきたと思ったら、抱きついてきやがって! 振り払おうとした時のお前の顔と言葉、俺は一生忘れないからな!!!」

「なんのことデスカ? 私はただ可愛らしい艦娘たちと一緒にお茶でもどうデスカ? ・・・・・・・と言っただけネーー」

 

言葉通り、可愛らしいウインクを坂北にお見舞いする金剛。坂北は全力で空中を飛翔していたウインクを振り払った。そして、恨めし気な声で言った。

 

「ここで私が大声を上げたら、中尉はどうなりますかね? あそこに憲兵さんがいますよ? お前はそう言ったよな? 一瞬で男を社会的な死に追い込みかねない言葉を・・・・」

「うわぁ~~~。金剛さん、そんなこと言ったんですか?」

 

みずづきを捜索するか捜索しないかは一旦保留し、捜索状況などみずづきに関する情報を集めるため、まず警備隊とコンタクトを取ることにした。しかし、今までの応対から警備隊がいつもの優しく気さくな警備隊ではないことは把握していた。そこで強引にでも艦娘寮を包囲している小隊の小隊長坂北中尉をここ居間に連行し、艦娘総出で事情聴取を行うことにしたのだ。坂北は警備隊の中でもよく知っている青年士官で暁たち駆逐艦にも懐かれている。暁たちが怖くて近づけない今の彼は本当の彼ではない。艦娘たちにそれこそ包囲されれば、部下の前では話せないことも話してくれるのではないか。そのような期待があった。

 

「私が行きマース!!!」

 

と、熱烈に立候補した金剛に坂北の強制連行、もといご同行を依頼する役割を任せたのだが、面白半分に男性のトラウマとなりかねない言葉を囁いたようだ。

 

「だって中尉があまりにも強引に、そして頑なに私を引きはがそうとするからつい・・。Love故のムチデース!」

「俺はあそこでは小隊長なんだよ!!! 金剛に抱きつかれて鼻の下伸ばしてたら、示しがつかないだろう! ああ・・・、どうしてくれるんだ・・・。俺、原隊に復帰したらあいつらに殺されるかも・・・・・・・」

「あはははは・・・・」

 

坂北の言葉から推察するに艦娘寮を包囲している警備隊員の中に、金剛の熱烈なファンがいるようだ。顔面蒼白で頭を抱える坂北に西岡が「大丈夫ですよ。あいつら、そこまで純情じゃありませんから」と励ましている。本来は坂北だけを招くはずだったのだが、金剛に連行されていく坂北の身を案じたのか、交代要員を引き連れてきた西岡までもが付いてきてしまった。

 

「中尉、一応金剛の言に偽りはない。冷めないうちに飲んでくれ」

「あ・・・・。そ、それでは・・・・」

 

こめかみを抑えている長門に促され、坂北があれほど警戒していた紅茶に手を付ける。西岡は坂北より遥かにお人好しであるため、結果オーライだ。

 

「それでなんで俺たちを強制連行したんだ? ・・・・・・まぁ、だいたい見当は付いてるがな」

「ほう」

 

摩耶が喉を鳴らした。

 

「・・・・・・あれの理由ですかね」

 

西岡がカーテンで覆われている窓を指さす。それだけではカーテンを示しているように見受けられるが、彼は窓の外にいる警備隊員を差しているのだろう。

 

「それだけじゃない。おそらくは・・・・・・みずづきの件についても、だろ?」

 

坂北はしぶしぶ紅茶を飲みながら、座卓の上に置かれていた皺だらけの便箋を掲げる。見ても驚かないあたり、彼も報告を受けたのかこれの存在は知っているようだ。

 

「すげぇ!! 良く分かったなぁ!」

「馬鹿野郎。これぐらい誰でもすぐ分かる」

 

深雪の歓声に、坂北はここ時へ来て初めて苦笑を浮かべた。しかし、すぐに険しい表情となる。軍人の顔だ。

 

「包囲の理由はお前たちに散々言った通りだ。嘘もへったくれもない。いくらここへ強制連行しようが・・・・・」

 

ジーーーーーーーーー。暁姉妹4人が捨てられた子犬のように、上目遣いで坂北を見つめる。並みの人間なら一瞬で虜にされてしまう愛嬌の攻撃。彼は一瞬銅像のように固まるが、すんでのところで意識を取り戻した。

 

「こうするためにわざわざ暁たちを真正面の最前列に配置してたわけか・・・・・。だが、俺を舐めるな! いくら、そんなつぶらな瞳で見つめられようが軍人の本位は曲げられない。みずづきに関してもそうさ。まだ見つかった云々の話は聞いていない! ・・・・・・あ」

 

坂北が固まる。

 

「いや、これは言ってもいいんじゃないですか? みずづきの捜索状況を秘匿しろという命令は受けていませんし・・・・」

「そうなのか。隊長から言ってもいいとは言われていないが? みずづきの捜索状況が逐次報告されないのもてっきり、艦娘たちへの漏洩を嫌っているからと思っていたんだが・・・。だって、この子たちだぞ」

 

坂北は西岡からこちらへ顔を向ける。

 

「なにをしでかすか分からないじゃないか」

「いや~~~~~」

「金剛、褒めてないからな!」

「いえ・・・・・、私たちにはかなりの詳細が報告されてましたよ。ここへ向かう直前にも報告を受けましたし。艦娘への漏洩はあまり気にしてないんじゃないかと」

「ん? どういうことだ? 各員で受けている命令が違うのか?」

「あの・・・・・・・お取込み中悪いけれど、少しいいかしら」

 

首を捻っている男2人組に相変わらず、カーテンの隙間から外を伺っている加賀が声をかけた。

 

「私もあなたたちの気持ちが分かるから無理に聞こうとは思わないけれど・・・・・、なぜ隊員のみなさんはこちらに背を向けているのかしら?」

 

「外を見てた方が気分がいいからじゃない?」と瑞鶴が答えたその問いに、2人は明らかに表情を変えた。そして、加賀から視線を逸らす。

 

「え? どういうこと・・・ですか」

 

2人の様子に榛名のほか数人が戸惑う。もちろん、加賀に拳骨を食らった瑞鶴もだ。

 

「こちらを軟禁する意図があるなら、包囲している側は脱走の兆候などをいち早くつかむため、建物側へ視線を向けるわ。建物の外に艦娘がいるなら外への警戒も必要だけれど、あいにく横須賀の全艦娘はここにいる。だから本来なら外を警戒する必要はない。でも、警備隊は外を向いている。つまり、警備隊にとっての警戒対象は私たちじゃない」

 

加賀が不意に皺だらけの便箋に目を向けた。不審者の存在が一気に存在感を発揮する。実際、その不審者によって艦娘が1人、行方知れずになっている。

 

「え・・・、ということは、中尉たちは私たちを」

 

摩耶がおそるおそる坂北たちを見る。

 

「チッ」

 

摩耶と目が合った彼は隠すこともなく、舌打ちをした。そして大きなため息を吐いた。

 

「迂闊だった・・・・・。普通に考えればそういう結論になるよな・・普通に」

「は? だったら、なんでさっさとそれを言ってくれないのよ! 私たちがどれだけ・・・どれだけ動揺したと思ってるの! 最初からこれは私たちのためだって言ってくれたら、ここまで・・・」

「勘違いするな、曙。俺の言ったことに嘘偽りはない。隊長は確かに艦娘を外出禁止にするための包囲を命じられた。・・・・・・・・・・俺たちはその命令を着実に遂行しただけだ」

 

立ち上がって坂北に詰め寄る曙に、容赦なく言い放つ。だが、彼も完全に鬼にはなれなかったようだ。

 

「ただ・・・・・・」

「ただ?」

「命令の文面にどのような意味が込められているのか分からないほど、俺は馬鹿じゃない。俺も昨日はみずづきの捜索に参加していた」

 

そういうと坂北は紅茶を一気に飲み干した。金剛が感激しているものの、わざと反応をこらえている。そのような先輩の様子に微笑みつつ西岡も紅茶を飲む。

 

久しぶりの沈黙だったが、決して居心地の悪いものではなかった。言葉では表現できない妙な温かさがある。2人は耳を少し赤く染め、こちら側と目を合わせないようにしていた。

 

やはり、2人は2人だった。今なら、こちらの覚悟に応えてくれるかもしれない。

 

「坂北中尉、西岡少尉」

 

いつも話しかけるときと全く異質の真剣な表情で2人の目を射貫く。彼らはしっかりとこちらの目を見てくれた。

 

「私たちはみずづきの安否が心配で心配でたまりません。捜索状況を聞いたからといって、お2人にご迷惑をおかけするわけではありません。ですから、みずづきの捜索状況について教えていただけませんか?」

「うそ、だろ?」

 

坂北は意地悪げに微笑んだ。

 

「お前ら、状況によっては探しに行く気だろ? 少なくとも陽炎たちは」

「えっと、その・・・そんなことは・・・・」

「薄々感じてましたからね、こうなることは・・・・・」

 

そういうと西岡はポケットから4つ折りにされた横須賀鎮守府の地図を取り出し、座卓の上に広げた。ちょうど、座卓に広がる大きさだ、このようなものをこのタイミングに限って偶然持っていたとは考えにくい。

 

どうやら、こちらが彼らの人格を把握しているように、彼らもこちらの人格を詳しく把握しているようだった。

 

苦笑を浮かべながら、西岡の広げた地図を除き込む。周囲も顔を見合わせながら、座卓の周りに集まった。それを確認すると西岡が説明を開始した。

 

「鎮守府内の捜索はほぼ終えました。まだ、食糧・弾薬などの備蓄施設の一部や山林に手が回っていませんが当箇所はとても人を監禁できるような場所ではないため、みずづきが監禁もしくは拘束されている可能性は限りなく低いです。ですが、そうなった場合・・・」

 

西岡が口ごもる。その様子に吹雪が疑問を呈した。

 

「どうしたんですか?」

「いえ、この進捗状況でまだみずづきが見つかっていないとなると鎮守府外へ連れ去られた可能性があるのですが、上はみずづきが鎮守府内で監禁されていると見ています。鎮守府内外を行き来する自動車や貨物は我々が徹底的に臨検を行っています。その中から女性とはいえ、1人の人間をこちらに悟られず鎮守府外へ連れ出すのは不可能ではないかと・・・」

「お前らも知っての通り、今は何かと胡散臭い。鎮守府内に爆弾やらが持ち込まれてはいかんと臨検は以前に比べ格段に厳しくなっている。また、塀から脱出したと見るのも非現実的だ。最近、理由は不明だが鎮守府境界付近の警備も数か月前とは比べ物にならないレベルに引き上げられている。ここ2、3日は特に厳しくてな。塀の前後にはどこであろうと常に警備兵が立っていた。・・・・・・・内通者でもいない限り、無理だ」

「っ・・・・・・・」

 

長門や赤城たちが、坂北たちを気にするように顔を合わせる。彼女たちが何を懸念しているのか。彼の言葉を考慮すると、駆逐艦の身でも容易に分かった。もちろん、2人が分からないわけはない。

 

「安心してくれ。憲兵隊の力も借りて、警備隊員の内偵は既に済んでいる。誰もある日突然消えたり、何の前触れもなく辺境に異動したりしたやつはいない。もちろん、俺たちもな。というか、上や憲兵隊はあらかじめみずづきが攫われる前から俺たちの内偵を秘密裏に進めていたようだ」

「す、すみません! 皆さんを疑うような真似を・・・・」

 

赤城が眉を下げる。

 

「いえいえ、いいですよ。状況から考えて横須賀鎮守府内にみずづきさんを拉致した犯人がいることは私たちも確実視してますから。ただ、警備隊以外の人間、ということは保証できます」

「なら、今考えるべきはみずづきが横須賀鎮守府のどこに監禁されているのか・・・」

「その通りだ」

 

西岡の言葉を受けた要点の集約に、坂北が大きく頷く。「陽炎にしては頭が冴えてるじゃないか」とえらく失礼な感情も垣間見えるが、この状況に免じて放置しておこう。

 

「でも、良かったじゃない。みずづきの居場所がある程度限定できて。もしこれが鎮守府の外もありなら、陽炎たちの野望は確実に実行不可能だったよ」

 

この状況でもいつも通りの軽い口調で北上が話す。彼女の隣で手を握りながら「そうです! そうです!」と言っている大井ほどではないが、その意見には完全同意だ。鎮守府の外は完全に警察のテリトリーだ。

 

「でも、鎮守府内はあらかた捜索し終えたんだよね? それでもみずづきは見つかっていないと?」

 

夕張の問いに2人は苦し気に頷く。

 

「一部とはいっても、まだまだ探してないところは相当な広さだクマ。警備隊はいない可能性大って言ってるけど、やっぱりそこが一番濃厚ではないクマ?」

「なぁなぁ? 今捜索してる山林ってどこだよ」

「ん?」

 

球磨が警備隊とは異なる見解を示した後、唐突に深雪が尋ねてきた。坂北は「ここだ」と言って、その捜索域を指し示す。「ここかよ・・・」と少し驚いた後、深雪は断言した。

 

「たぶん、そこにみずづきはいねぇよ」

 

数人の駆逐艦を除いた全員が説明を求めるように深雪に視線を集中させる。彼女はそこを捜索するという徒労を犯している警備隊に対して、苛立ちを露わにしながら語った。

 

「あそこは急な斜面に木が生い茂っていてで洞窟もない。俺は吹雪たちと何度か遊びで入ったことがあるから分かるけど、あそこは人を隠すには一番苦労する場所さ」

 

深雪の言葉に吹雪姉妹や曙・潮と同様、自分も大きく頷く。警備隊が今捜索している場所は横須賀鎮守府中央区画の裏手にある「中山」。中腹に横須賀湾を一望できる吹き抜けがあり、日本を感じさせる一本の桜が生えている山。そして・・・・・・・・。

 

「みずづきがよく通っていた場所だ」

 

そう。みずづきはあそこからの眺めが好きでよく足を運んでいた。最近はあまりの多忙さに足が遠のいている印象だが、黒潮と3人で足を運んだ時は「この桜が満開になるところを見たい!」と盛り上がったものだ。

 

「突発的な行動なら知らねぇけど、そんなところにみずづきを隠したりするのか?」

「・・・・・・・・・・・」

 

坂北と西岡は黙り込む。もしみずづきが拉致されたのではなく、単なる行方不明と認知された場合、当然みずづきがよく足を運んでいた箇所が重点的に捜索される。目の前に堂々と拉致を暗示する便箋があるため、不審者ははなからみずづき失踪の真実を隠す気がないと判断しがちになる。しかし、これはゴミ箱を漁ってこちらが発見した。不審者がみずづきの失踪を行方不明か拉致か、どちらを演出しようとしていたのかは実のところ本人しか分からない。仮に行方不明とするつもりならば、捜索対象の可能性がある当該地域にはみずづきを隠さないだろ。

 

「俺たちに言ってくれれば、もっと早く分かったのによ・・・・」

 

深雪はそっぽを向く。これが坂北たちに怒っている理由のようだ。

 

「中山は小屋とかもありませんし、不審者がどのような意図を持っていてもあそこに隠すのは深雪ちゃんやみなさんが考えられているとおり、無理があります。残りは貯蔵施設ということになりますが・・・・・」

「あ、あの・・・すみません」

 

吹雪の言葉を遮って、坂北たちがここへやって来て初めて潮が声を上げた。それだけでは気付いてもらえないと思ったのか、真面目な小学生のように挙手をして。

 

「潮ちゃん?」

「みずづきさんは工廠付近で目撃情報が途絶えたと聞いています。それはつまり・・・」

「ああ。あのあたりが犯行現場だと思っている」

 

坂北が頷きつつ、地図の工廠付近を指さす。そこは中央区画から離れているものの鎮守府工作機関の半数が集中している箇所。決して人目が少ない訳ではない。

 

「最後の目撃証言は消灯の25分前ですよね? 昨日は消灯時間が急に早くなって、最近はなにかと皆さん忙しいですから、かなり人目はあったはずです。みずづきさんほどの人を抱えるなり、連行するなりするとかなり目立つと思うんですが・・・」

「潮さんは工廠の近くにみずづきが捕らえられているのではないか。そう言いたいのですよね?」

 

西岡の確認に潮は大きく頷いた。しかし、坂北は潮の懸念を笑い飛ばす。曙が「ちょっと、中尉!」と睨みつけても彼の笑いは収まらなかった。

 

「潮の懸念はもっともだが、俺たちはそこまで馬鹿じゃない。まず第一に工廠周辺を徹底的に捜索した。そして、みずづきはいなかった」

 

だが、潮は坂北の失礼な笑いに一切ひるまず、逆に眼光を鋭くして彼の目を射貫いた。坂北と西岡から笑みが消える。

 

「本当ですか? 本当にすべてを、くまなく探したんですか? どこかに見落としがあるんじゃないですか? 例えば・・・・・」

 

潮は地図上のある一点を差し示す。それは終戦まで生き残った幸運艦「潮」の勘だったのかもしれない。

 

「こことか」

 

そこは艤装工場や開発工場などがひしめく工廠区域の裏手。中山の麓にある警備隊の営倉棟だった。

 

坂北と西岡の顔が徐々に青くなっていく。

 

「え?」

 

彼らの顔を見て、思わずそう呟いてしまった。明らかに様子がおかしい。西岡に至っては手が震えていた。

 

「鎮守府には営倉が3つあると聞いています。1つは憲兵隊の営倉、1つは特戦隊の営倉、そして1つは警備隊の営倉。工廠から最も近い営倉は警備隊の営倉です」

 

ここで言葉を区切ると、潮は2人にもう一度問いかけた。その姿はいつも怯えていて、頻繁に涙目を作る潮とはかけ離れていた。

 

「・・・・・・すべてを、くまなく探したんですか? どこかに見落としがあるんじゃないですか?」

 

潮の冷たい問い。そして2人の明らかな動揺。静寂に包まれた室内の視線は顔面蒼白の坂北と西岡に注がれる。時計の秒針が半周するころ、坂北が重そうな口を意地で開け、かすれ切った声で潮の詰問に答えた。

 

それは予想通りでもあり、事態の急展開を知らせるものだった。

 

「そこは・・・・捜索していない。警備隊司令部から直々にそこは捜索しなくてもいいと・・・・」

 

坂北は瞳孔を開ききり、「うそだろ・・・・」と言いながら両手で顔を覆う。

 

そのあまりの落胆と動揺ぶり、そして一気に増した不穏な空気に艦娘たちも言葉がなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~

 

 

 

あれからどれくらいの時間が経過しただろうか。

 

「いたっ・・・・・・・・」

 

カビの胞子を吸い過ぎて脳が麻痺したからだろうか、いい加減うつ伏せに飽きて、体を起こした途端に血管が脳細胞を圧迫するような鈍い頭痛が走る。体中に筋トレ用のダンベルを吊るされたような倦怠感の上の頭痛は、全ての気力を奪い去るには十二分の効力を有していた。

 

錆びた鉄で構成された鉄格子を見る。そこに人影はない。そして、いくつもの営倉があるこの階に人の気配は全くなかった。

 

自分を拘束した張本人、または実行犯の仲間と思われる3人組の姿を思い出した瞬間、ほんの一瞬前まで巻き起こっていた頭痛を遥かに超える激痛が頭を、加えて強烈な吐き気が胃と食道を襲う。

 

「う・・・・くはっ!」

 

日本は、世界は何かを隠しているんじゃない?

 

どこからともなく、優しさと嘲笑の混じった魅惑的な声が聞こえてくる。

 

「やめて!」

 

声と同時に襲ってくる脳と心がとろけるような感覚。自身のすべてが侵食されていく不快感に死に物狂いで抵抗するも、その声はまた聞こえてきた。

 

深海棲艦の正体・・・・根源に迫る何かを。

 

「っ!」

 

声は絶対に言ってはならないことを、言葉にしてはならないことを言った。みずづきは殺意を込めて目の前の壁を睨みつけ、声帯の未来など無視して叫んだ。

 

「そんなことない! あれは天災! 人智を超えた災厄! 人間はまだまだひ弱な生き物なのよ!!!!! 勝手なことを吹き込まないでぇぇぇぇ!!!!」

「っ!」

 

その時、何者かの気配が風に乗り、出入り口から最も離れているここまで到達した。自分をここまで苦しめる遠因を作った3人とは明らかに異なる気配だったが、ここにいるということは所詮あの3人のお仲間だろう。

 

「何? まだ、なんか用?」

「・・・・・・・・・」

 

暗に「出ていけ」という意思を込めて、乱暴に言葉を投げる。しかし、反応は皆無。馬鹿にされているようで無性に腹が立った。

 

「ちっ! ぞろぞろ来たくせに反応しないの? 結構なご身分だことで」

 

しかも、一歩一歩探るように歩いてくる気配は時間を追うごとに増えていく。数えたところ7人はいる。皮肉を口にしたものの、そこで明確な異変に気付いた。

 

「・・・・・・・・・・・!」

「!!」

 

即座に飛びのいたベッドを力ずくで横倒しにする。狭い空間故に反響もあり、凄まじい大音響が木霊するが、構わず鉄格子から見えないようベッドの影に隠れる。そこに飛び込んだと同時に集団が鉄格子の前を埋め尽くす。

 

「動くな!!!」

 

緩みの欠片もない怒号。何かが布とこすれる音から相手が銃を構えていることは分かった。

 

死。

 

その文字と発音が、この状況にもかかわらず、冷静沈着に思い出された。だが。

(私はまだ・・・・・・・)

ここで「あ~、もう駄目だ」と死を許容するほど、自分の命を粗末に扱うような人間ではない。この命は見ず知らずの多くの犠牲、身近で大切な仲間の犠牲と奇跡のおかげでいまだに生を紡ぎ続けている。そして、この命は自分ではなくこちらを最後まで心配してくれたあの人のささやかな願いを宿している。

(ここで死ぬわけには・・・・いかない!)

そう決意を新たにした時だった。

 

「みずづき!」

 

いつもよく聞いていた、そして昨夜交わした最後の会話で聞いた声だった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

一瞬、自分の耳が信じられず、思考から何から全ての動作が一時停止に追い込まれる。聞こえるはずのない声。カビがついに鼓膜からツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨、そして蝸牛(かぎゅう)を犯してしまったのだろうか。しかし、確かに彼女の声が聞こえたのだ。

 

「ふぇぇ?」

 

呂律が上手く回らず、あまりにもひどい幼稚語を放って、横倒しになったベッドから顔を出す。そこには事前の把握通り、7人の姿があった。

 

「ふぇ?」

 

それでも信じられなかった。なぜ、彼女たちが目の前にいるのだろうか。驚きのあまり、具体的な言葉が出てこない。

 

「みずづき!!!!」

「みずづきさん!!!」

 

幻でも、夢でもない。彼女たちは確かに実在していて、歓喜に沸いていた。

 

「ちょっと! みんな!!?? 一体どうしてここに・・・」

「どうしてもなにもないわよ! あんたを助けに来たんじゃない!」

「え!?」

 

てっきり助けが来るとしても、あの3人に対抗できるような闇の組織が乱入してくると思っていたので、この展開は想像の斜め上どころか想像の範疇を弾道ミサイル並みに飛び出していた。

 

「助けに来た!? え・・・ちょっと・・・何が何やら・・・・」

 

聞きたいことが多すぎる。何故、監禁場所が分かったのか。何故、助けに来たのか。何故、救助メンバーが摩耶・曙・陽炎・黒潮・吹雪、警備隊の坂北と西岡なのか。そもそもここは何処か、などなど。

 

しかし、鉄格子の向こう側にいるメンバーはみずづきを見つけるな否や、こちらの反応などお構いなしに歓喜やら焦燥やらで大騒ぎだ。助けられるはずなのに存在が忘れられている気がする。

 

「おい! 中尉! 早くしろよ!」

「分かってる、分かっているからそう急かすな、摩耶! えっと・・・・」

 

坂北が10個ほどの鍵が束ねてあるケースから一つずつ鍵を取り出し、鉄格子の鍵穴に差していく。だが、あまり順調ではないようだ。「早く早く」と周囲が坂北を急かす。詳細は分からないが、どうやら彼女たちは相当危ない橋を渡っているようだ。

 

「ちくしょう! これも違う!」

「みずづき! もうすぐの辛抱やから! すぐに出してあげるからな!」

「ちょっと! なにぐずぐずしてるのよ! 男のくせに頼りないわね!」

「曙ちゃん! 坂北中尉も頑張ってるから・・・」

「なに呑気なこと言ってるのよ! 吹雪! これで警備隊司令部がみずづきを拉致に関わっていることが分かったのよ!」

 

曙がさらりと衝撃的な言葉を口にした。

 

「警備隊が・・・・・・え!? ねぇ! ちょっと、それはどういう・・!」

 

ベッドを飛び越え、鉄格子越しに曙へ迫る。だが彼女はよほど焦っているようで、こちらの存在に気付かず、吹雪ばかりを見つめている。その表情は鬼気迫るものだった。

 

「しかも、ここは警備してる人間がいない! やつらが帰ってくる前に抜け出して、クソ提督にこのことを伝えないと!」

 

 

ガチャッ!

無理やりはめられていた金属が、自由の身になったことを宣言した。

 

「よし! 空いたぞ!」

 

坂北の歓喜。聞くだけでも不快になる鈍い摩擦音を奏でながら、こちらの背丈より少し低い戸が開いた。

 

「みずづきさ~~~ん!!!」

「うわぁぁぁ!!! 吹雪!」

 

ようやく出られる。訳の分からない状況でも、眼前の光景を冷静に分析した心の隅が安堵に浸る。心の大部分と頭もそれを追いかけようとしたが、吹雪の突撃であえなく遮られた。

 

吹雪が少し小柄な体を目一杯密着させ、腕を背中に回す。

 

「良かった! 良かったです! 無事で、本当に!」

「あ!!! ちょっと、吹雪何してんのよ! 離れなさい! 離されない! 離れろって言ってるでしょ!」

 

血相を変えた陽炎が引きはがそうとするが、鼻をすすっている吹雪は微動だにしない。この小さな身体のどこにそのような力があるのだろうか。

 

「お前ら! 誤解を招きかねない奪い合いは後回しだ!! 早くずらかるぞ!!!」

 

苦笑を浮かべている摩耶の隣で24式小銃を持っている坂北が叫ぶ。曙も顔を赤らめながら「ば、馬鹿じゃないの!? 早くしなさいよ! 捕まりたいわけ!」とヒステリックに脱出を急かす。

 

「えっと・・・・・・」

「みなさんこちらへ! ・・・・クリア!! 敵影なし!」

 

姿の見えない西岡の声も聞こえる。

 

「ほら! 感動の再会は後回しや! ほらほら!」

 

みずづきの胴体にまきつけられている吹雪の腕を黒潮が優しく離す。彼女の顔を見ると「へへ~~」と嬉しそうに微笑んでくれた。

 

吹雪も黒潮も、そして吹雪の隣で膨れている陽炎も艦娘たちはこの身を心配してくれていたのだ。それを実感すると胸が熱くなる。

 

「みんな・・・・ありがとう!」

「ええって。さ! 逃避行の開始や!」

「行くぞ!」

 

坂北の合図で全員が一斉に走り出す。みずづきも黒潮や吹雪の背中を追って、走る。陽炎は後方で殿を務めてくれていた。一瞬で営倉区画を出ると両脇に事務室をいただく何の変哲もない廊下に出た。天井には主が消えて久しい蜘蛛の巣が張られ、本来白かったであろう床は黄ばんでいる。空気中に漂うホコリの濃度から考えて、営倉だけではなくここも使用されなくなって相当な期間が経過しているようだった。今は太陽が高い時間なのか、ブラインドやカーテンが開けられたままの窓や扉の隙間から差し込んだ光で、それなりに明るかった。

 

その中を駆け抜け、一際光が差している場所に突っ込み、右へ。下駄箱に傘立て。そして、眼前には日光がさんさんと降り注ぎ、草木が風でなびいている外界。ここがこの建物の玄関だ、と認識したときには既に久しぶりの外に出ていた。

 

カビや錆、湿気の悪臭がない爽やかな空気。朝か夜が認識できる申し分程度ではなく、頭上全体から心地よい温かみを届けてくれる太陽。

 

一瞬、あまりの解放感に現在の状況を忘れそうになるが、前方を必死に走る6つの背中を見て、先ほどまで自身が置かれていた状況を思い出す。監禁されていた場所を把握しようと走りながら振り返る。陽炎の後方。そこには中山を背に艦娘寮と同程度の大きさでレンガ造りの、一階部分を蔓に覆われた建物がひっそりとたたずんでいた。

(まるで、幽霊屋敷じゃん)

だが、そこはれっきとした横須賀鎮守府の建築物。日光と風雨により剥げた看板にはうっすらと縦書きで「警備隊監獄署」と書かれていた。

 

「警備隊・・・・・・」

 

曙の言葉を反芻する。彼女は警備隊司令部とあの3人組がグルだと言っていた。自分が警備隊の施設に捕らえられていたことを鑑みると曙の言葉には十分信憑性がある。

 

しかし、全くこのような凶行に及ぶ理由が分からなかった。警備隊は組織の性質上血の気の多い人間で構成されているが上層部に反抗的な気配はなく、隊長の川合や目の前を走っている坂北・西岡をはじめとして、艦娘にも親切に接してくれる。百石との関係も良好なはずだった。

 

「おやおや、朝から全力疾走とはお元気ですね。どこに行かれるんですか?」

 

だから、突然かけられたその声に対する反応が遅れてしまった。

 

一同の目の前へ、まるで瞬間移動したかのように現れた白衣を身にまとう女性。彼女は笑っていた。

 

昨日までと変わらない、いつも通りの服装で、いつも通りの髪型で、いつも通りの表情で。

 

「っ!?」

 

しかし、彼女から吐かれた言葉は全てを、命すら舐めとるような末恐ろしい粘着力を有していた。その声をみずづきは知っていた。

 

いや、ついさっきまで聞いていた。

 

同じく直感で悟ったのだろう。減速するため体の重心を後ろへ駆けつつ、坂北と西岡が素早く24式小銃を構える。

 

「なんであの人がこんなところに・・・・・? ちょっと! 危ないわよ! つ・・・」

「下がって!」

 

いまだに何も気づいていない曙をはじめとする艦娘たちに叫び、彼女たちを後方へ下がらせようとする。

 

「ちょっと! なに! なんなよの!」

「みずづき! どないしたんや! 中尉も少尉も!」

 

前へ駆けだそうとする陽炎と右手で制し、左手で黒潮の首根っこを掴む。「うぐ!」と苦しそうだったが、それに構っている暇はなかった。

 

「「ひ!」」

「摩耶! 曙! 下がれ! 西岡!」

「はい!」

 

「ここにいろ!」と陽炎たちを容赦なく睨みつけ、西岡たちのすぐ後ろで固まっている摩耶と曙に全力で近づく。その時だった。

 

「な!!」

「う・・・・・・!!!!」

 

白衣を着た女性は瞬きほどの一瞬で、それなりに距離を保っていた坂北に近づくと彼の脇腹に回転蹴りを直撃させ、彼を2mほど吹き飛ばす。無様に空中を舞う24式小銃と華麗にひらめく彼女の白衣は対照的だった。

 

「先輩ぃぃ!!!!」

 

絶叫する西岡。

 

「な・・・な・・・・・」

「摩耶さん! 曙!」

 

2人の両手を掴むと思い切り引っ張り、「こかしたらごめん」と心の中で謝罪しつつ自分より後方に吹き飛ばす。幸い、背中に感じた雰囲気では2人とも地面を憐れに転がったりはしなかったようだ。

 

それを確認すると摩耶、曙、そして陽炎と黒潮を庇うため、彼女たちの正面に立つ。狙いが自分だと確信があっても、仲間を護るために身を張る。このようなリスクを犯してまで助けに来てくれた仲間に対する義理は通さなければならないし、それがなくとも仲間を庇う行為は人間として当然だ。

 

「くっそ!!!!」

 

西岡が坂北を蹴り飛ばしたあと、余裕しゃくしゃくで立っている女性に24式小銃の銃口を躊躇なく向ける。指をかけ、引き金を引こうとして。

 

「ふ・・・。見直しましたよ」

 

女性は笑った。そして・・・・・・・。

 

「う・・・・・・うそ・・・だろ・・・・」

 

いつの間にか、西岡の首元に鋭利なナイフを突きつけていた。彼も何がどうなって後ろを取られたのか分からないようだ。両眼を大きく見開き、自分の首元を見ようと視線をできる限り下げている。

 

「少尉!!!」

「く・・・・・・」

 

曙が叫ぶ。女性はそれを聞くとわざわざ体をずらして、首元にナイフをあてがわれた西岡を見せつけてきた。

 

 

抵抗すれば、頸動脈を掻っ切る。彼女の顔はそう言っていた。いまだに浮かべられているにこやかな笑みが彼女の残忍性を確定的なものにした。

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

ゆっくりと胸の前に突き出された両手を下に降ろす。彼女は満足そうにうんうんと頭を縦に振った。

 

「さすが、みずづきさん! 話が分かります! さっきは半分錯乱状態のようでしたので、少し心配でした!」

 

表情とは不釣り合いのナイフを他人に突きつけ、親し気に話してくる女性。昨日までと変わらない態度が、無性に心を虚しさと寂しさで覆った。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・椿さん」

 

否定して欲しくて、あの無邪気で何事にも興味を持ち、一生懸命職務に励む彼女が自分の思っていた通りの人だと証明して欲しくて、彼女の名前を呼んだ。

 

しかし彼女は何も答えず、ただただ笑うだけだった。




横須賀騒動編は前後編の2話構成です。その分、1話あたりの文字数が多くなってしまったんですけど・・・。後編も本話並みの文量です。

校閲を作者なりに行ったところ、誤字脱字が噴き出していましたので、たぶんあると思います。もし気付かれた方がおられましたら、ご一報いただけると嬉しいです。ちなみに1行目の「グズ」は誤字ではありません。・・・・使いますよね(震)。

執筆している作品に「月」がついているのだから、見なければと夜空を見上げたのですが・・・・・・。見えたのは赤銅色の月ではなく一面を覆うネズミ色の雲だけでした。




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