水面に映る月   作:金づち水兵

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今回はこの間も少し出ましたが、久しぶりに「日本」のお話です。


73話 追憶 -東京-

新幹線の小さく、狭い車窓から容赦なく押し寄せる現実。かつて自身の祖国が先進国であり世界第3位の経済大国であり、先人たちと現代を生きる人々の努力が結実した大国であると視覚から教えてくれた街並みは、もはや過去の残滓(ざんし)しか残していなかった。

 

(ここは・・・・・・・・・・)

 

「廃墟ばっかり・・・・・。前来てから1年以上経ってるのに、ちっとも復興は進んでない」

 

正面から自分と瓜二つの声が聞こえる。瑞穂には存在しない東海道新幹線を走るN700系Sの車内。三列席の窓側に座っている少女は哀愁を漂わせた真顔で車窓から景色を眺めていた。

 

その少女は紛れもない自分自身であった。

 

「まもなく、終点、東京です。中央線、山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線、京葉線、東北・上越・北陸新幹線はお乗換えです。なお、総武線は先日の空爆により千葉-銚子駅間で運転を休止しております。運転再開の目途は立っておりませんので、お乗換えの際はご注意下さい。お降りの際は足元にご注意下さい。今日も新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございました」

 

爽やかな女性のアナウンス。それを受け、少しざわついていた車内が一気に動き出した。みずづきの隣に座っていた男性が微笑みながら声をかけてくる。

 

「外の景色を眺めるのは一向に構わないが、もうすぐ東京だ。支度、支度」

 

つい4ヶ月ほど前まで当たり前だった笑顔がすぐそこにあった。

(知山・・・・司令・・・・・)

あの日を境に、二度と感じることが叶わなくなってしまったささやかな幸せ。うっかり返事をしてしまいそうになるが、かつてのように現実とそうでないものを混同したりはしない。返事をするのは、こちらの自分ではないのだから。

 

「分かってますよ。分かってますからそう急かさないでください。こっちの方がよっぽどなにか忘れ物をしそうです」

 

目の前の少女が知山に向かって、頬を膨らませながら返事をする。

 

これでここがどこかはっきりした。

(ここは・・・・・・夢)

 

「ご乗車、ありがとうございました。まもなく、終点、東京です。19番線に到着、お出口は左側です。お降りの際、車内にお忘れ物がございませんようお手回り品を今一度お確かめ下さい。列車とホームの間が広く空いているところがございます。お降りの際はお足もとにご注意の上、お降りください。今日も東海道新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございました。まもなく、終点、東京です。19番線到着、お出口は左側です」

 

これは、夢。しかし、後悔と葛藤と贖罪に苛まれた過去への旅路ではない。

これは、単純な追憶。あの頃を思い出しただけ。

 

此度の追憶における舞台は東京だ。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

数十回に及ぶ深海棲艦の苛烈な空爆に晒された日本国の首都、東京。被害が著しかった23区の大部分はあまりに過密で複雑な都市構造を有するが故に復興は放棄され、警戒区域に指定。民間人の立ち入りは公共交通機関の拠点は例外として、原則禁止されていた。

 

しかしいくら街を焼かれようと、いくら人々が殺されようと、首都の所以である日本国政府が依然として所在し、関東一円に広がる鉄道網の起点であるためか、この超巨大なターミナル駅は生戦勃発前となんら変わらず大勢の人で大混雑していた。

 

「うわぁ~~~。相変わらず、すごい人ごみ・・・・」

 

県庁所在地詐欺の田舎出身で、部隊配属後も須崎などという辺境の片田舎に住んでいる者としては嫌悪感すら抱く。呆然としていれば確実に肩がぶつかるほどの混雑ぶりは顔を限界までしかめてしまうほどの威力を持っていた。

 

「頼むから迷子になってくれるなよ。時間に余裕を持たせて着いたと言っても、これからホテルに行って着替えたりしなきゃならないんだからな」

 

 

彼はキャリーバッグを指さす。いつもなら「だから、分かってますよ」と語彙(ごい)を強めて反論するところ。しかし、この人ごみでは冗談で流せないほど迷子になる可能性が高かった。

 

「とりあえず、外に出るぞ。南口は・・・・こいつが迷ったとき面倒だから、中央口だな」

「なんか、すごく失礼な発言をしませんでしたか?」

「・・・・・・・さて、行くか」

 

こちらを一瞥して、何事もなかったように歩き出す知山。何か仕返しをしたい気持ちも山々だったが、ここは東京駅。周囲は人だらけ。しかも、一般人と見せかけて多数の私服警官が混じっているし、駅のあちこちには89式小銃を構えた警察官や陸防軍隊員が歩哨として立っている。何か不審な行動を見せれば、殺気を放つ厳つい包囲網を築かれることは確実だ。

 

感情を落ち着かせると、こちらがそうなるまで待っていてくれた知山に駆け寄る。広大な駅舎から出るのに、そう時間はかからなかった。頭上を抑え込んできた天井が消え去り、曇り空の下に全身を晒す。同じように駅舎から出てきた人々とバスを降車後、駅舎へ入っていく人々が周囲を行き交うが駅舎内より圧倒的に少ない。解放感を全身で表現しようと知山が立ち止まった瞬間に、キャリーバッグを握っていた右手を伸ばそうとする。

 

「ふぅ~~~、やっと人ごみから解放・・・・」

『深海棲艦など、我々日本民族の前には強敵にあらず!!!』

「はぁ?」

 

だが、それは狂気を含んだやかましい声で中断を余儀なくされた。あまりに不快で思わず、挑発的な声を出してしまう。しかし、拡声器を片手に吠えている初老の男には絶対に聞こえていない。積み上げられた木箱の上から行き交う人々を見下ろしている男の瞳に、他人は映っていない。全意識が自身の言葉に集中しているようだった。

 

『大日本“皇国”は神国である!!! 神聖なる我が国土のあらゆる場所から日本民族を庇護して下さった八百万の神々の下、そして万世一系の天皇陛下統治の下、我々日本民族は悠久の時をもって唯一無二の歴史・文化・伝統・習慣を育み、世界最古の国家を築き上げ、幾度となく押し寄せてきた国難を粉砕せしめて来た!! よって、此度の国難も真の国難にあらず!! 神国大日本皇国は絶対不可侵の聖域であり、邪悪な化け物どもに蹂躙させるなど世の理が許しはしない!!』

 

長々と耳障りな演説が垂れ流される。遠巻きに演説者を眺める群衆が歩道を圧迫し、思うように進めない。知山は演説から足早に遠ざかろうとはせず、キャリーバック持ちでも通行可能な隙間ができるまで、演説者を真顔で見つけていた。

 

聴衆のあまりの多さに言い知れぬ危機感を覚えるものの、大衆がここで立っている理由は何も高説を聞くことがメインではなかった。耳を澄ませると弱々しいながらも、一生懸命で心を動かされる声が聞こえてくる。

 

「ご協力、よろしくお願いいたしまーす!! 来週、当校の先輩方が出征されます! 千人針へのご協力お願いしまーす!!」

 

見れば、つぎはぎだらけの制服を来た女子高校生たちが街頭の一角で白い布地を道行く通行人に差し出していた。かつての戦前・戦時中は主に女性が行っていた風俗も男女平等が叫ばれる21世紀においては男性も大きな原動力。女性に紛れて、つたない手つきながらも男性たちは必死に糸を通していく。

 

自分の手を見つめる。軍人である以上裁縫の腕はそれなりに自信があった。

 

「あの・・・・」

「・・・まったく、仕方ないな。それは俺が持っておいてやるから、行ってこい」

「ありがとうございます!」

 

その苦笑に背中を押され、女子高生へ駆け寄る。ちょうど、人がはけていたタイミングだった。声をかけると女子高生は疲労を押し殺した笑顔で布を差し出してくる。それを受け取り、あともう少しで結び目が完成しようかという時、ふと女子高生を見るとポケットから別の布地が覗いていた。

 

「あの・・・それは?」

「あ・・・えっと・・・」

 

結び目が完成し、差し出したついでに問うと女子高生は視線を泳がせながら、布地を掴んだ。乱暴など程遠い、優しい掴み方だった。

 

「もしかして、ご家族の誰かが・・・・」

 

口ごもっていた女子高生だったが、苦笑を浮かべたあと教えてくれた。

 

「兄が来月、海防軍に・・・・。まぁ、陸軍さんに比べたら安全ですけどね」

「それ、貸して」

「え・・・・?」

「それも縫ってあげる。これも何かの縁だし、お兄さん、無事に帰って来られるといいね」

 

呆然と佇む女子高生から白い布を拝借すると結び目を作る。既に1つだけ結び目が縫い付けられていた。女子高生の声が震えた。

 

「・・・・・・・・ありがとう・・ござます・・」

「よしっと。大変だと思うけど、お互いに頑張ろうね」

 

女子高生の顔を直視することなく、その場を離れる。数秒後、先ほどよりも大きく決意の籠った声が他の呼びかけに混じり再び木霊しはじめた。それに微笑むと待ってくれていた知山の元に駆け寄る。

 

「それじゃあ、行くぞ」

 

見れば、いつの間にか歩道にいた聴衆は完全武装の警察官に入れ替わり、通行可能なスペースができていた。

 

刻一刻と近づいてくる、東京へ来た目的。それに倦怠感と憂鬱を覚える身としては、どうしても足取りが重くなってしまう。

 

JR中央線・東京メトロ有楽町線が乗り入れる市ヶ谷駅近くの海防軍専用ホテルに荷物を放り込み、自身が海防軍人であり艦娘であることを示す制服を着る。これから向かう場所は事情がない限り制服でなければ立ち入りを許されない。

 

 

東京都新宿区市ヶ谷。防衛省市ヶ谷地区。またの名を市ヶ谷駐屯地。日本国防衛の中枢が目的地だ。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

寸分の狂いもなく、選定された木々に芝生。ゴミ一つ、ましてや空爆による着弾跡もない道路に広場。時折雲の間から顔をのぞかせる太陽の光を煌々と反射する窓ガラス。几帳面なほど清掃されているようで、大理石のように輝いている各庁舎の壁面。

 

あの頃と変わらないであろう、官庁としては自然な光景。しかし、人の背丈の2倍近くある頑丈な壁と有刺鉄線、各種センサー、監視カメラで隔てられた境界の外側を、庁舎A棟と同等の広さを有するに至ったメモリアルゾーンを見れば、その美しさを素直に享受できない。

 

ここは、もう外と完全に隔絶していた。

 

正門、靖国通りに面し、最も一般国民の目に触れる機会が多い出入り口に立っている陸防軍の警衛隊員に身分証を提示する。かつて市ヶ谷地区の警備は他の基地や駐屯地と異なり、民間警備会社が担っていた。しかし、第二次日中戦争における日中全面戦争局面、10月戦争がまさに始まった翌日の10月4日に発生した「市ヶ谷事件」を契機に警備体制の見直しが行われ、それ以降は陸上自衛隊、2030年以降は陸上国防軍の市ヶ谷駐屯部隊が警衛隊を編成し警備にあたっていた。

 

「お手数をかけましますが、ご協力ください」

 

儀仗広場を抜け、塀の外から最も目に入る位置にある防衛省庁舎A棟の正面玄関に差し掛かったところで、鉄帽に防弾チョッキ、まだら模様の戦闘服を着て、89式小銃をもった陸防軍隊員に進路を遮られる。現在では身分証や手荷物の確認は正門にとどまらず、セキュリティーに万全を期すため各庁舎の出入り口でも行われている。正門は陸上国防軍市ヶ谷駐屯部隊が単独で担っているのに対し、各庁舎の警衛は陸・海・空の持ちまわりとなっている。海防軍ならばいわゆる身内であるため、少々面倒なことになる。金属探知機を通り、手荷物をX線検査機へ。

 

「身分証を」

 

それらをクリアした後、身分証の提示を要求される。守衛は陸防軍隊員。安堵のため息が漏れる。

 

「!?」

 

知山から身分証を受け取り、詳細を把握した瞬間、受け取った中年の隊員が凄まじい速さで敬礼を行う。

 

「遠路はるばる、お勤めお疲れ様です!!!!」

 

その反応で知山とこちらの身分が露見したようで、保安検査を見守っていた他の隊員も一斉に知山へ敬礼を行う。こういう祭り上げられる雰囲気が苦手な身にとってはそそくさと通り抜けたい衝動を抱くが、そうするとこちらが艦娘と分かっていようが確実に銃を向けられる。後々の反応に辟易としながら、身分証を渡す。

 

「・・・・お、お願いします・・・・」

「・・・・ありがとう、ございます・・・・」

 

それを恭しく受け取る、父親と同世代の隊員。その光景はまるで新入社員同士の名刺交換のようだ。

 

「・・・・・確認しました。どうぞ、お入りください。次!」

 

そのまま、前方を塞いでいた隊員が両脇へ退く。

 

「あれ?」

 

思わず、素の戸惑いを呟いてしまう。守衛たちは自身が艦娘であることに気付いたにもかかわらず、知山に対して行ったような緊迫感に溢れる敬礼を示さなかった。

 

「気を遣ってくれたんだよ、あの人たちは」

 

不思議がっていると、知山が苦笑気味に声をかけてくる。正門を通過してから初めて声をかけられたため、反応が一拍遅れてしまう。

 

「気遣ってくれた?」

「俺が敬礼している時、うわぁ~~って顔をしてただろ? あんな顔してたら、誰でもお前の気持ちが分かるさ」

 

知山が肩をすくめる。

 

「げっ。・・・・そんな顔してました?」

「してた、してた。今日は優しい守衛たちで良かったな。出てくる時もあの人たちだったら、きちんと謝意を示しておくんだぞ」

「そうですね・・・・。分かりました」

 

なにもかもが変わってしまった世界。そこでも脈々と存在し続けるさりげない優しさ。あの頃を必死に装いつつ、装い切れていないこの場所でもそれがあることは例えこちらの評価が知られていないとしても1人の軍人として、1人の日本国民として嬉しかった。

 

だが、現実は精神状態に関係なく、唐突にやってくる。

 

「ここで談笑とは、随分と出世されたものですね。知山三等海佐」

 

鼻で笑ったかのような微笑を含む、こちらを見下す口調。まるで待ち構えていたかのように壁面に背中を預けていた男性は一直線にこちらへ向かってくる。自身と同年代の少女を従えて。

 

二等海佐の階級章を付けたつり目の男性に見覚えはなかったが、彼の半歩後ろを歩いている少女は違う。みずづきは彼女を知っていた。

 

「・・・・・・はるづき」

 

自身の同期で、同じあきづき型特殊護衛艦。日本人にしては少し茶色がかった髪色で、セミロングの髪を後頭部でまとめ、ポニーテールにしている。艦娘学校で前期課程を履修していた頃は同じあきづき型として親交もそれなりにあったが敵前逃亡の一件以来、彼女もこちらを非国民と見做しているのか、任務など出会っても徹底的に近づいてこようとはしなかった。

 

視線を合わせると逸らすような真似はしないが、道端の石を見るような感情の籠っていない瞳で射貫いてくる。内心でこちらをどのように捉えているのか、それだけでも十分察せられた。

 

「これはこれは・・・ご無沙汰しております。佐藤トオル二等海佐。こちらにいらしているということは貴官も今次の会議に・・・・」

「それより、知山三佐。君は相変わらず、須崎なんて言う何の戦略的価値もない辺境の浸食が続いているようだな」

「は?」

「ここは我が偉大なる祖国、日本を防衛する中枢であり牙城の防衛省。しかも、統幕・海幕・陸幕・空幕など我が日本国防軍の中心であるA棟。今は国家・民族をかけた戦時であるというのに談笑など、もってのほか。これから重要な会議に出席するにもかかわらず、その羞恥。恥ずかしいとは思わないのかね? 嘆かわしい」

 

だったら、お前もそのゲスい笑顔をやめろ。

 

上官を徹底的になじる佐藤にそう言いたくなるが、耐える。ここで言ったところで火に油を注ぐだけ。しかし、他人を中傷する人間に限って、自身への中傷には敏感なわけで。

 

激情を宿した鋭い視線が瞬発的に向けられる。盛大に大きなため息をつくと、再び知山へ向き直った。

 

「以前から他の司令官たちからも苦言を呈されていることと思うが、君は自身の立場を理解しているのか怪しい素振りがある。防大を出ていない一般大学出身者(U)は軍人としての心構えが乏しい傾向にあるが、君は特にだ。未だに自衛隊員のつもりか? 我々は日本国の運命を直に背負う艦娘部隊の指揮官。部下の命が最優先などと甘ったれた理想主義を後生大事に抱えていては作戦目標が達成できないばかりか、全軍に甚大な損害が波及する。所詮艦娘などただの駒だ」

「・・・・・・・・・・」

 

知山は特段の変化なく、佐藤の言葉を受け取る。傍から見れば特段の感傷を抱いていないように思われるが、みずづきは知っていた。

 

直立不動で腕も太ももまでしっかりと伸ばした知山。彼は軍人でさえよく注意してみなければ分からないほど、わずかに左手で太ももを撫でる。イラついていたり、怒っていたり、腸が煮えくり返っていたり。とにかくその仕草は眼前の光景や出来事に対して感情が熱せられている時によくなされる知山の癖だった。

 

だから、彼が飄々としているのは外見だけだ。

 

「替えなどいくらでも効く。護衛艦でバカ正直に戦っていた頃より遥かに、人道的じゃないか。1隻沈めば数百人は下らないが、艦娘なら1人だ」

 

戦争慣れしてしまったためか、もともとの性格に難があるのか。飛散し続ける妄言。知山は内心とは裏腹に佐藤の言葉を真剣に聞くフリを続けていた。反論しなければ彼は満足いくまで汚い口を開くと会議室へ向かうだろう。しかし、一度反論すれば、頭に血が上って口調が激しくなることは必至。そして、不満のはけ口をみずづきに求めることは容易に考えられることだった。

 

知山は決して、自分のことだけを考えて侮辱に耐え、妄言を耳に通しているわけではなかった。その姿があまりにも痛々しかったため、そして1人の艦娘として絶対に彼の妄言は容認できなかったため、火に油を注ぐことになると分かりながら口を開いた。

 

「貴官は・・・・・それでも部下の命を預かる指揮官ですか?」

「あん?」

 

石どころか汚物でも見るような目を向けてくる。先ほどまで知的ぶっていた雰囲気はどこへやら。ヤクザまがいの本性が見え隠れしている。

 

「貴官は隣にいるはるづきもただの駒と、ただの物と・・・そうおっしゃるんですね」

「貴様、非国民の分際で誰に口を聞いている。立場も地位もわきまえない根っからの非国民とは聞いていたが、ここまでとは。知山三佐。あんたはこれの上官でしょう。黙ってないで何か言ったらどう・・・・」

「話を逸らさないでください。知山司令は関係ありません。私は貴官に伺いを立てているのです」

「ちっ・・・・・・。ああ、そうだ。こいつもただの駒だ」

 

そう言って佐藤は苛立たし気にはるづきへ視線を向ける。はるづきは自身が駒だと面と向かって言われたにもかかわらず、特段の反応も示さず、無表情のままだった。

 

「だが、臭い貴様と異なり、こいつも含めた我が部隊の艦娘は全員、駒であることを誇りに思っている。これこそが真の人徳だ。その腐りきった脳みそでは考えられないだろうがな」

 

男はこれ見よがしに腕時計を眺めると、つま先をエレベーターへ向ける。

 

「知山三佐。私だからこれほどで済んだことをしかと心に刻み込み、それに適切な教育を施すように。教育方法について知りたいことがあれば相談に応じることもやぶさかではない。それでは・・・・・」

「佐藤三佐」

 

声を上げた知山は一直線に佐藤を見据える。あまりの気迫に佐藤は完全に動揺していた。

 

「ご教示、ありがとうございます。その返礼として恐れながら、貴官にお伝えしたいことがあります。既にお分りのことと存じますが・・・」

「・・・・・・・?」

「・・・血塗られた手では輝かしい未来は創造できない。それをしかと、改めて、心に刻み込んで下さい」

 

 

 

その声は知山とは思えないほど、冷徹で闇に満ちたものだった。

 

 

 

「・・・・ああ、忠告ありがとう。それでは失礼する」

 

般若のような顔から一変。額に汗を浮かべながら佐藤ははるづきを連れだってエレベーターへ歩いて行った。

 

「はぁ~~~~。気分わるっ。知山司令、会議まであと20分ほどですけど・・・」

「すまん、少し休憩させてくれ。今の状態では会議の内容が頭に入らない」

 

知山は柱に背中を預けると、小声でそう言った。一見すると平穏だが、彼が今何を思っているのかはっきりと分かった。気付いていないのだろうが、声も体も怒りのあまり小刻みに震えている。

 

それを見ると思わず頬がほころんでしまう。

(知山司令が司令で・・・・・・ほんまに良かった)

偽ることのできない気持ちが、心の中でささやかに呟いた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

高気圧が近づいてきたためか、昼間とは比較にならないほど広々とした漆黒の空。歓喜に沸いているのか本領を発揮している月の淡い光により、闇夜に沈みきっている街並みが露わになる。せいぜい1階では視界に収められる範囲など限られる。しかし、幸い目の前を片側二車線の大通りと神田川が流れているため、空爆時に破片が飛び散らないようガムテープで補強されている窓ガラス越しでも比較的広い範囲を見ることができた。

 

駅周辺以外に人工の明かりは、ない。対岸に見えるビルは窓ガラスやサッシが吹き飛び、全身を傷だらけにしているものばかり。中には隣人にもたれかかり、いつ倒壊してもおかしくないものも散見される。目の前の大通りは真新しいアスファルトに覆われ、爆撃によって生じたがれきも撤去されている。が、街灯などはなく、時折走っている自動車もパトロールをしているパトカーや軽装甲機動車ばかり。

 

時刻は9時手前。ホテルの食堂にて知山と夕食を取っているにもかかわらず、箸は止まり、意識は外界へ向けられていた。

 

いつも東京へ来ると暇があれば、街並みを眺めていた。最初の頃はなぜ気が付くと街並みを・・・・・・膨大な犠牲者が眠る廃墟を眺めているのか分からなかったが、最近ようやくその行為が暗示するものを理解し始めた。

 

「私・・・・まだ、信じられないんだろうな。あの東京がこうなっちゃったって・・・・」

「・・・・・・俺だって、信じたくないさ。こんな光景・・・」

 

対面で雑穀米を頬張りながら、知山が答えた。つい先ほどまで食堂からも見える玄関ロビーに掲示されている「市ヶ谷駅周辺失踪者」の張り紙を真剣に見つめていたが、いつの間にかこちらに意識が戻ってきていたようだ。無意識のうちに発露された言葉。反射的に口をふさぎ、知山を見る。彼は失態を茶化すわけでもなく少し心配そうにこちらを覗いながら食事を進めていた。

 

心に宿る一抹の不安。いくら隠そうとしても上官に分かってしまうようだ。

 

「あの・・・知山司令」

「俺だって、不安だよ」

 

知山は行おうとした質問を先読みし、回答を口にした。上官としては絶対に部下に口外してはならない本音。だが彼は嘘をつかず、こちらに対して本音で向き合ってくれていた。

 

「今回の作戦は明らかに日本の国力を超えてる。東防機加盟国の協力を得られるとはいえ、見通しは厳しいと言わざるをえない」

「やっぱり、そうですか・・・・・」

 

昼間に行われた会議の目的。それは先島諸島奪還作戦「東雲作戦」の概要を各艦娘部隊に説明することだった。

 

「先島諸島の奪還。これは日本の悲願ですけど・・・・」

「先島諸島は深海棲艦にとって第一列島線に空けた重要な穴。各島の要塞化は衛星によって確認されているし、深海棲艦は徹底抗戦するだろう。しかも、俺たちは今回戦後初めての強襲上陸・占領作戦を行う。相手が深海棲艦ということもあって、かなりの犠牲者が出るだろう」

 

犠牲を払うのは陸防軍だけではない。敵は上陸した陸防軍本体を排除対象とすると同時に彼らの補給線を遮断するため、通商破壊も行うだろう。そうなった場合、戦場から遠く離れた海域で敵潜水艦や空母艦載機の攻撃を受けるのは、陸防軍でも空防軍でも、ましてや上陸支援を行っている海防軍の第一線部隊でもない。

 

船団護衛を第二線部隊の一翼である、自分達だ。

 

「大丈夫、心配するな」

 

不安が首をもたげかけた時、知山の力強い言葉が耳に届いた。

 

「今回の作戦には日本国防軍全部隊が何らかの形で関わる。上も通商破壊は予想済みだ。そう簡単に寝首をかかれることはない」

 

彼は目の前に唯一残っていた水を飲み干すと、真剣な視線で射貫いてきた。いつもなら気恥ずかしくて逸らしてしまう直視が、今日ばかりはしっかりと見据えることができた。

 

「俺も上や哨戒部隊と連携してできる限り多くの情報を集めて、お前たちが少しでも気楽に任務に従事できるよう努力する。船団護衛で高リスクを負わせたりはしない。絶対だ」

 

絶対。他の司令官が使用すれば安っぽく聞こえる単語も知山が使用すれば、絶大な安心感を心にもたらしてくれる。一抹の不安が急速に四散していく中、胸が熱くなり、何かが目元に溢れてきた。彼にからかわれることを恐れ、急いで拭う。だが、彼はいつものようにからかうことはなく、静かに見守っていた。

 

「知山・・・・・司令」

「そろそろ、部屋に戻るか。明日も早いしな」

 

知山は必死に目元を拭うこちらに優し気なほほ笑みを向けると立ち上がる。彼は「落ち着くまでここにいろ」と視線で伝えてきたが、それを容赦なく拒否し立ち上がる。気を遣われたままでは癪だった。

 

「相変わらずだな、お前は。少しは紳士的な対応に応えてくれたら良いものを」

「お構いなく。本当の紳士は乙女の涙を見つめたり、自ら紳士的な対応を取ったと言ったりしませんから」

「手厳しい」

 

悲しそうに肩をすくめる知山。演技であることはお見通し。食器が乗ったお盆を持って、一足先に返却口へと足を進める。

 

「やれやれ」

 

ため息交じりにそう言うと彼はみずづきの後を追っていく。

 

(知山司令)

 

あの日を境に、未来永劫失われてしまった日常。それをどれだけ微細でも、どれだけ少量でも感じ取りたいと思い、もう1人の自分を追いかける彼の背中に手を伸ばす。しかし、あと数cmというところで腕は凍り付いた。

 

過去を教訓とし、残酷な未来を否定せず受け入れてくれた、自分を認めてくれた人たちの顔が浮かぶ。

 

(・・・・・・・・・・・・・)

 

過去は過去。どう足掻いたところで、どれほど近づいたところで、どれだけ願ったところでもう取り戻すことはできない。

 

これは記憶。過ぎ去ってしまった過去を未来でも心へ留めるための単なる情報。生者として、人間として未来へ向かって歩み、よりよい世界を紡がなければならない宿命を負っている以上、「前」を見なければならない。

 

急速に世界が霞み、存在が希薄になっていく。遠ざかっていく知山の背中。世界が完全に光で覆われる直前、知山がこちらに向かって微笑んでくれた気がする。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

木目調の天井に、主たちと同じく眠りに就いている木と和紙で構成された照明。カーテンの隙間から強引に差し込んできた一筋の朝日が流れ星のように天井を横切っている。耳を澄ますと規則正しく愛嬌のある寝息と共に、スズメたちの美しい歌声が聞こえてくる。

 

もしかしてではなく、完全に日が昇っている。一応、午前7時に目覚ましがかかっているので、そう早い時間ではないようだ。えらく体が火照っていることも、そのせいだろうか。

 

「う・・う~~~~ん、ん・・・・・・」

 

二度寝しようとも考えたが、あいにく先ほどまで見ていた夢の残像を感じる両目はぱっちりと冴えていた。

 

「・・・・外の・・・様子でも見ようかな」

 

幾度となく人生をピンチに追い込んできた誘惑を断ち切り、立ち上がるため体を起こそうとする。

 

「あれ・・・・・・・・?」

 

体が動かない。

 

「おかしいなぁ・・・・・よいしょっと・・・」

 

もう一度試行。

 

「あれ~~?」

 

動かない。再び挑戦しようとしたところでようやく胸辺りに妙な重量があることに気付いた。目は冴えていても体の各機能はまだ寝起きらしい。頭だけを上げて、布団の上を見る。

 

「マジですか・・・・」

 

自身の胸、正確には右の脇腹あたりに陽炎の頭が堂々と乗っかっていた。ついでに言うと伸ばされた腕が右太ももを押さえつけている。

 

人を枕代わりにして爆睡する陽炎。陽炎に枕代わりにされても平然と爆睡していた自分自身。どちらにも妙な感心を抱いてしまった。

 

「とりあえず、どかさないと。・・・・・・意識すると結構苦しい・・・・」

 

いくら少女の頭とはいえ、呼吸を阻害するほどの重さ。本当によく眠れていたものだ。

 

「そおっと、そおっと・・・・・・・よし!」

 

ゆっくりと陽炎を正常な位置に戻すと、数時間ぶりに立ちあがる。よほど深い眠りに入っているのか、危惧したように彼女が目を覚ますことはなかった。未だに夢の世界へ旅立っている彼女たちを起こさないよう、抜き足差し足で広縁へ向かう。そして、カーテンをわずかに開け、外の世界を一望。容赦ない朝日の攻撃で視界が真っ白に染まる

 

「っ・・・・・・・」

 

強烈な朝日に順応し、真っ白だった視界が徐々に鮮やかな色彩を帯びてくる。

 

眼前の東京は“かつての東京”と同じように、より輝かしい未来へ向けひた走っていた。主たちの出社、お客の来店を待ちわびる建物たち。道路を疾走する自動車。時間に追われる人々。

 

「いつかは東京も昔みたいに、この東京みたいに・・・・・・」

 

人智では越えられない壁の向こう側に存在する故郷。どん底にある故郷が復興していく様子を、栄光を取り戻した姿を見られるかはここへ来た原理も理由も分からない以上、限りなく低い。しかし、「願い」に世界の壁は関係ない。

 

1人の日本人として、この願いが届きますように。

 

「みずづき・・・・?」

 

いつの間にか起きていた陽炎が眠気眼をこすりながら、振り向いた顔を覗き込んでくる。大爆発を起こした頭髪の乱れっぷりはもはや芸術の域だ。吹き出しそうになるのをなんとか抑え込み、陽炎に満面の笑みを向けた。

 

同時に夢からの帰還を促す、目覚まし時計のけたたましい音が鳴り響いた。

 

「おはよう、陽炎。さぁ、今日はとことんはしゃぐよ!」

 




ちょっと息抜き回になりそうな次話ですが、次話から少しずつ、ほんの少しずつですが物語が加速します。といっても、これまでと同じスピードかもしれませんね。

横道に逸れ気味かなとも思いましたが、おそらく今後の展開を経なければ、瑞穂は1つにまとまれないと思いましたので、あしからず。

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