「ついに、この日が来たか~~。・・・・・・・・・・憂鬱だ」
残暑に終わりを告げ、徐々に秋の雰囲気を帯び始めた日光に照らされながら、大きなため息をつくみずづき。彼女とセットで多くの人が行き交っている横須賀駅を見ていると、瑞穂でも日本でも珍しい段差が皆無なフラットホームを有する駅が色あせたように感じる。
瑞穂海軍という巨大組織を一手に動かしている司令塔、海軍軍令部。そこに勤めている最上位の海軍軍人たちにみずづきをお披露目する日。光昭10年度横須賀鎮守府第1回が実施された際に、軍令部総長的場康弘大将から横須賀鎮守府司令長官百石健作提督へ告げられた運命の打診。それが房総半島沖海戦などの紆余曲折を経て結実する日がついにやって来た。
同行者はみずづきや百石、秘書艦の長門だけではない。より具体的な実感を持って軍令部の軍人たちにみずづきを認識してもらうため、実戦で共に戦い、その能力を間近で目撃した第三水雷戦隊もだ。
今は多忙を極める百石と彼についている長門を横須賀駅前で待っているところなのだが、今回も主役を務めるみずづきは緊張が臨界に達し病人さながらの空気を醸し出していた。
そんなみずづきの様子を哀れに思ったのか。陽炎が励ますように肩を叩いた。
「なに気負ってるのよ。そこまでげっそりしなくても・・・・・・。司令も言ってたじゃない、顔見せ程度で終わって、あとは観光だって。ねぇ? 元気だしさないよ。これから東京に行くのよ? あんたも瑞穂の東京、見たがってたじゃない」
「それはそうだけど・・・・・」
真っ白な軍服に身を包み、厳めしい表情でこちらを凝視する超エリートの軍人たち。象の群れの中に迷い込んだ小鹿のような自分。
想像しただけで・・・・・・・・・。
「やばい・・・お、お腹が・・・・。陽炎、横須賀駅って、どこにトイレあったっけ??」
真っ青な顔で血眼になりトイレを探す。その様子に陽炎が大きなため息を吐いた。
「こりゃ、重傷ね。トイレなら、確か構内にあったと思うんだけど・・・。川内さぁーん! トイレって、改札内でしたよね?」
「ん? トイレ?」
白雪たち吹雪型姉妹、黒潮と話していた川内が「そうだけど・・」と眉をひそめつつ、こちらに駆け寄ってくる。だが、みずづきの哀れな姿を見た瞬間、吹き出した。
「もう~、みずづき~。昨日の夜からずっとそんな感じじゃん。安心して。もう、たぶん出すものないから、トイレがなくても大丈夫でしょ」
「川内さん、それ下ネタ一歩手前・・・」
神経系の腹痛に耐え、彼女の体面のために指摘する。が「だって事実じゃん!」と一蹴される。
「ちょっとは陽炎や黒潮、白雪たちを見習ったら? 私も含めてだけど、あの子たちも軍令部にいるお偉いさん方の前で話さないといけないんだよ」
川内の言葉に呼応し、「えっへん!」と胸を張る陽炎。そして、どこから聞いていたか知らないが、姉と同じように胸を張る黒潮。感情を刺激しまくるどや顔はさすが姉妹。いつかと同じくそっくりだ。
「みずづき! もう横須賀駅やで。そろそろ司令はんもくる頃合いやし。なんとかせんと・・・・・・。無理に軍令部のこと考えんと、その後のこと考えたらええんやて! その証拠に・・・・じゃじゃあ~~ん!」
手にしている旅行カバンのとあるポケットからA4版の本を取り出し、これでもかと見せつけてくる。それは東京の観光本だった。表紙はあの“東京タワー”である。
「まだ行先は決めてへんけど、今日泊まるホテルでじっくり考えような!! あ~あ、明日が楽しみや!! 最近、訓練やらなんやらでろくに休みなんてなかったし。久しぶりの休暇や!!」
「・・・・さすが、黒潮。その元気とポジティブさを私にちょうだ~~い・・」
「うわぁ! こわっ!! まるきしゾンビやん!! こっちにこんといてみずづき!!」
「なんとかせんとってさっき言ってたやん・・・・。お願い、少しだけやから生気を~」
「いっつも拒否するくせに、こんな時だけ関西弁とは卑怯やわ!! 関西人を貶してるようなもんやで!!」
「なにやってんのよ、あんたたち・・・」
ゾンビのように手を前に出し、血の気の失せた顔で小走りに黒潮を追う。対して、妙に迫力があるのか、黒潮はかなり本気で駅前のそれほど広くない広場を逃げ回る。嘆息する陽炎やぎこちなく苦笑する川内を尻目に、「おっ!! 鬼ごっこ? 粋じゃねぇか」と2人に加わる深雪。
「ちょっと、深雪ちゃんもみずづきちゃんも黒潮ちゃんもなにしているの!!」
非常識な行動には当然、鉄槌が下った。
「だって、みずづきが!!」
「だって、黒潮が~~」
「だって、黒潮とみずづきが!!」
同じようなセリフにもかかわらず、三者三様の物言い。駅前広場という共有空間が3人に限定された運動場となっていくことに危機感を覚えた白雪が慌てながら、3人を止めようとする。
しかし、その一騒動は駅前通りに黒塗りの高級車が横付けされた瞬間、終わりを告げた。運転席から運転手が出てくるより先に、自ら扉を開け出てくる百石と長門。手持ち無沙汰な様子で苦笑する運転手の若い兵士に笑顔を向け、黒塗りの高級車が発進するのを見送ると少し小走りでこちらに近づいてきた。
「すまんな、みんな。だいぶ待させてしまって・・。会議が思いのほか長引いてって。みずづき!! どうしたんだ、その顔!」
申し訳さなそうな笑顔から一転、こちらの顔を覗った瞬間、仰天する百石。長門もたいそう驚いたようで「大丈夫か!! 具合でも悪いのか!!」と両肩を掴まれ、長門型戦艦に恥じない馬力で体を揺さぶられる。現状でこれはきつい。なんだか、お花畑が見えてきた。
「いやぁぁぁぁぁ、ちょっとぉぉぉぉ、緊張してしまいましてぇぇぇぇ」
「長門さん、それ以上やるとみずづき、昇天しちゃうよ」
「あっ」
陽炎のおかげで、目の前のお花畑は消滅。申し訳なさそうに謝る長門の顔が見えてきた。
「す、すみません。これからのことを思うと緊張してしまって。みんなが励ましてくれたんですけど、ちょっと・・・・」
「あ~、なるほど。その気持ち、私もよく分かる。今も胃の調子が・・・・・。だが、ああだこうだ言っていても仕方がない。そういうときは行動あるのみ!! これは経験則だが、ある程度楽になるぞ!」
言い終わると百石は風となって駅の窓口へ向かう。聞こえてくる、次の列車を知らせるアナウンス。どうやら、この列車に乗るらしい。
「す、すみません! 東京駅までの二等乗車券を9名分、いただきたいんですが!!」
時刻表やキャンペーンの告知などが雑多に掲示されている窓口に、皺ひとつない真っ白な第一種軍装を纏った軍人が立っている。なんとも既視感を覚える光景だ。
「はいはい、ただ今・・・・・って!?!?」
少し鬱陶しそうに事務所の奥から出てきた中年の駅員。だが、百石の姿を見た瞬間、硬直。血相を変えた。
「これは!? 百石司令長官!!」
「はい、そうです。お手数をかけますが・・・・・東京行きまでの二等乗車券を・・」
「申し訳ございません!! ただ今、駅長を連れてまいります! 少々お待ち下さい!」
「ああ!! ちょっと・・・・もしもし!!」
百石に焦りに焦った呼びとめも虚しく、疾走していく駅員。
「駅長!! 駅長はどこに!! ・・どうしたって、横須賀鎮守府の百石司令長官がお見えになったんだ、俺が対応するわけにはいかないだろう!!」
「駅長ならさきほど、トイレに・・・・」
「はぁ!? 今すぐ連れてきて!! 百石長官がお待ちしてるんだ!! 一秒でも早く!!」
「わ、分かりました!!」
「まもなく、三番線に東京行き快速電車が参ります。点字ブロックの内側でお待ちください」
乗客となるかもしれない者たちに一切関知せず、いつも通りに響く接近アナウンス。
「私たち・・・・・乗れるんでしょうか?」
「さ、さぁ・・・・」
みずづきもそして話しかけた川内もただただ笑うしかなかった。
――――――
「はぁ~~~~。乗れた~~~~~~」
外見は日本の電車と同じく鋼鉄製の東京行き直通快速電車。しかし、内装は木材がふんだんに使われ、車窓やシートの淵・手すりなどは木。扉や天井などの金属部分も調和を崩さないために黄土色や茶色で塗装されている。何気なく乗っていると都会を走っている通勤電車ではなく、田舎を走っている観光列車に乗っているようだ。その内の1両。固定式の対面クロスシートがいくつも並んでいる二等車で、感傷に浸ることもなく百石は背もたれにもたれかかり盛大に安堵のため息を吐いた。
「見てみて!!! あれあれ!!」
「うわぁ~!! ぎょうさん、船が止まっとるわぁ~」
「う、見えない」
「ちょっと、初雪動かないで!! きつい・・・」
「もう、みんな、もう少し静かに。ほかのお客さんに迷惑だよ」
・・・などと駆逐艦たちが大興奮している車窓の景色には目もくれず、ただただ「良かった」と
「でも良かったじゃないですか、きちんと切符も買えましたし」
「そうそうみずづきの言う通り! それに“タダ”で切符買えたじゃん!!」
「ま、まぁ・・・そうなんだが・・・」
ホームに響き渡る軽快なメロディー。扉の位置に集まりだす乗客たち。百石が本気の焦りを見せる中、初老の駅長も顔中を汗まみれにして駅の窓口にやって来た。「あ、乗れる」と安堵に包まれる一同だったが、もう1つ予想だにしない幸運が待っていた。
「お代は結構です」
百石が自身の財布からお金を取り出そうとした時、駅長が笑顔で制止したのだ。理由を問うと。
「先の房総半島沖海戦が“海戦”で済んだ最大の功労者はあなたを含めた横須賀鎮守府海軍将兵さんとあそこにおられる・・・・艦娘のみなさんだと伺っております。それに南鳥島での大戦果は既に伺っております。そのような方々からお代を徴収するなど、瑞穂人としての恥でございます」
そう、駅長は言ったのだ。それでも心配する百石に「これは本社からの通達でもありますので、お気になさらず」と駅長は切符を渡した。
駅長に横須賀鎮守府の司令長官。かなり目立つコンビであり“お代はいらい”のくだりも周囲に露呈していたが、駅員も市民も誰1人咎めるような表情をしている人間はいなかった。
結果、百石の財布が軽くなることなく、総勢9人が二等車に乗れたのだ。
「ありがたいものですね。市民や社会の信頼というのはどのような状況でも身に染みます」
しみじみと手に持っている自分の切符を眺める長門。新聞の紙面上や東京を練り歩くデモ隊だけを見ていれば誤解しそうになるが、房総半島沖海戦後も市井のレベルでは依然海軍への信頼は厚かった。先日、決行された南鳥島攻略作戦も無事終了。軽微とはいえ第2統合艦隊「初穂」航空隊、強襲上陸を行った木下支隊から約128名の戦死者が出たものの、南鳥島には瑞穂の国旗が翻ることとなった。
その一報が伝わった時の瑞穂はお祭り騒ぎで、「天誅!」、「雪辱を晴らした!!」と全土が歓喜に包まれた。駅でみずづきたちが暴れていても行き交う市民たちが温かい目を向けてくれたことはその影響と無関係ではあるまい。
「ああ。だが、その信頼も私がいたからじゃない。あの駅長は最大の功労者に私たちも入れていたが、真の功労者はお前たち艦娘だ。この浮いた分はどこかで還元しなくてな」
「とんでもない。お気持ちはそのお言葉だけで十分です。そのようなことをしていただかなくとも」
「そうそう。私たちは提督にそう言ってもらえるだけでいいの。感謝は物で表すのも大事だけど、やっぱり気持ちだよね」
「お前たち・・・・・」
「それにさ、正直提督そこまで余裕ないでしょ」
ニヤ付きながら百石のポケットを指さす川内。百石は気まずそうに視線を車窓の外へ向けた。
「あ・・・、やっぱりそうなんですね」
「ん? やっぱりとは?」
よほど気になったのだろう。百石はこちらを覗ってくる。
「いえ、その・・・軍人って世間一般から見ると高給取りみたいなイメージがあるんですけど、実際は結構厳しいんですよね。自腹を切らなきゃいけない部分もありますし、そもそも忠誠心が当たり前のところですから、報酬が少なくても文句が言えないし・・・。日本は自衛隊時代も国防軍になったあともそんな感じで、瑞穂はどうなのかなと疑問に思ってたんですが・・」
「そうだ。私たちも君たちと変わらない。軍令部に勤めていたころはまだましだったが、司令長官ともなると付き合いや結婚式とかの祝賀行事に結構かかるんだ」
「電車の切符すら自腹だもんね。あ~、寒い寒い」
横須賀鎮守府司令長官とは対照的に川内は余裕の表情を見せる。艦娘はかなりの報酬が保障されており、地位のある軍人のように付き合いや体面保持のための出費が比較的少ないため、計画的に金銭を管理していれば、結構溜まる。
みずづきも日本との違いに、ニヤけ顔を抑えられないことがしばしばあった。
「昔・・・大戦が始まるまでは交通費や基地内での食費は支給されていたんだ。だが、少しでも限られた予算を装備品の開発や調達に回すため、今は補償対象が狭められている。軍人として文句は言えんが、その・・・寒いな。鎮守府司令長官ともなれば一等車に乗るという慣習もあるが・・・」
百石ほどの軍人が二等車に乗っている理由。今乗っている電車の編成に二等車以上がないこともあるが、それよりとても“買えない”という切実な事情があった。
「まぁ、私は乗らないが。富豪や旧家・名家出身者ならいざしらず、私みたいな一般家庭出身者はあんなところに乗ったって、肩身が狭くて逆に疲れが溜まるだけだ」
「そうですね・・・」
なんだろう。百石の声が遠くに聞こえてきた。不思議と瞼が下がってくる。
「みずづき?」
「・・・・・・・・・」
「みずづき?」
「・・・は、はい!!」
意識も強引に叩き起こし、名前を呼んでくれた長門を見る。彼女はくすくすと静かに笑っていた。百石や川内も優しそうに笑っている。
「眠たくなったか?」
「あ・・・その、はい。電車に乗ったら一気に睡魔が来まして・・・・」
「気が抜けたんだろうな。もう、ここまで来たらなるようになるしかない。昨日もよく眠れなかったんだろう?」
こちらから何も伝えていないにもかかわらず事実を言い当てる百石。顔に現れた不眠の痕跡はいくら、化粧品を使おうとごまかせなかったらしい。
「はい・・・・」
「なら、寝ても構わんぞ。快速とはいえ、まだ東京駅まで1時間ちかくかかるからな。眠れるときに眠るのは軍人の鉄則だろ?」
「いえ、そんな! 百石司令の前ですし、瑞穂の電車に乗るという貴重な経験です。ここで寝るわけにはいきません!!」
「そうかい」
堂々と三人の前で宣言する。しかし、全員したり顔。この時点で3人には既に未来が見えていたのだろう。
睡魔が再び意識を刈り取ろうと、鎌を持ち上げたのはすぐ後のことだった。
~~~~~~~~~~~~
「・・・・・・! ・・・・・・・!」
何も感じない。何も分からない。何も理解できない無の中で、声が聞こえてくる。
「・・・・! おい、・・・!!」
あの時までいつも傍らにいた人の声が聞こえてくる。漆黒の闇に一筋の光が差し込んだ。
「おい!! 起きろ」
そして、一気呵成にまどろみの中にいた意識が引きずり出された。
これは、夢。しかし、後悔と葛藤と贖罪に苛まれた過去への旅路ではない。
これは、単純な追憶。あの頃を思い出しただけだ。
「ふぇ?」
「ふぇ? じゃない! まったくどれだけ寝入ってるんだよ・・・・。もうすぐ岡山駅に着くぞ」
呆れたように苦笑しながら、こちらを覗きこんでくる知山。意識が混濁して、ついさきほどまで自分が何をしていたのか分からない。気遣うことなく鼓膜を叩くモーターの駆動音と体を右へ左へと揺らす振動。それに眉をひそめる。しかし、「もうすぐ岡山駅に着く」という知山の言葉を思い出し、慌てて車窓に目を向ける。外には・・・・・・・・・・、
一面の廃墟が広がっていた。
焼け焦げたビル。大穴の空いた道路。墜ちた高架橋。倒れたままの信号機。草原と化している住宅街。無数の墓標に埋め尽くされている公園。
これより約2ヶ月後に見た、破壊の嵐に沈んだ那覇。そして、日本中の都市と同じ光景に岡山県随一の都市であり県庁所在地である岡山市も覆い尽くされていた。
かつて繁栄を極めた街の、祖国の末路。その間を縫うように、かつて自動車が絶え間なく疾走していた道路の上をバラック小屋が埋め尽くしている。
空襲も受けず、山林や田畑の面積に比べれば人口が少なかった須崎。そこにいては分からない残酷な現実が見渡す限りの世界にあった。
自分ではどうにもできない光景から目を逸らし、今までの行動を反芻する。自身と上官である第53防衛隊司令官の知山が須崎から特急に乗り、長時間揺られながら岡山まで来た理由。
それは海上幕僚監部から“至急、東京に来い”と言われたからだ。百石曰く、近々実施される大規模作戦の説明が行われるのではないかとのことだ。みずづきの部下である、おきなみ・はやなみ・かげろう、そして須崎基地では“反攻作戦ではないか”ともっぱらの噂である。
「岡山駅を出たら、新幹線に乗り換えだ。時間は・・まぁ、あるから少しのんびりできるな」
須崎からの行程が書かれた手帳を片手に、みずづきと同じように車窓から岡山中心部を眺めつつ知山は言う。口調は笑っていたが、顔は無表情だった。
「新幹線に乗ったら、そのまま東京ですよね?」
「ああ、指定を取った新幹線は東京まで直通だからな。だから、お前にとって最大の難関は岡山駅だ」
ニタ~と頭に来る笑み。あからさまにバカにされれば、反応しないわけにはいかない。
「はい? そんな人を小学生みたいに。私、何度もここに来てるんですよ」
「3回ほど駅員のお世話になったやつはどこのどいつかね?」
「う・・・・・・」
思わず、言葉に詰まる。知山の言葉は紛れもない事実であるため反論のしようがなかった。第53防衛隊に配属されてから、約4年。知山に同行する形で東京へ行くことは数回あった。岡山県と香川県を結ぶ瀬戸大橋を通り、本州と四国を結ぶ宇野みなと線が接続している岡山駅には、須崎から特急一本で行け、そのまま山陽新幹線に乗車可能ということもあり、そのたびに訪れていた。
接続路線が多く、便利な駅ということはそれだけ広く迷子になりやすいということ。いくら、役所から“通行許可証”と、切符とは別の“乗車券”を発行してもらわなければ電車にすら乗れないご時世とはいえ、駅は常に人が多い。それも方向を見失わせる特殊効果に一役買っていた。
「すみません。迷子になったのはこの私です」
潮らしく頭を上げる姿に、電車の中ということもあって知山は控えめに笑い声をあげる。
「そうそう。それでよろしい。いいか? 絶対に俺の傍から離れるなよ。俺の背中にかじりついていれば迷うことなんてないからな」
「分かってますよ。爆弾が降ってこようと背中にかじりついていきますよ」
ここにはやなみなどがいれば“ヒュー、ヒュー。お熱いね、お二人さん。もう付き合っちゃえば?”などと悪趣味もいいところの戯言が雨あられと飛んでくるだが、あいにくここに第53防衛隊の問題児はいない。だから、いちいち返答に気を遣わなくても知山と会話できる。心なしか、体が軽い。
「まもなく、終点、岡山、岡山です。お出口は右側、6番のりばに着きます。到着の際、電車が揺れます。また、ホームと列車の間が少々開いておりますのでお降りの際はお足もとにご注意下さい。お乗換えのご案内です。山陽新幹線・・・・・」
2人の会話を遮るように車内に流れる、男性のアナウンス。走行音で少し聞きづらかったが、何を言っているのかははっきりと理解できた。こちらと同じように車内を満たしていた乗客たちがにわかに下車準備を開始した。
そして。駅機能にとって必要不可欠な箇所以外は焼け焦げたまま放置されている岡山駅に到着。その昔、一日中明かりが消えることはなかった駅周辺は・・死んでいた。
「う、う~~~~~ん!! 久しぶりの外! 久しぶりの空気! やっぱり、いつもとはまた違って長時間の移動は疲れます」
「確かにな。って、おいおい。まだここは中間地点だぞ。これから新幹線で速達の旅だ」
「そんなこと、言われなくても分かってますよ」
「ならいいんだが。・・・・・・・・ん?」
突如、乗って来た電車に、正確にはその向こう側に知山は意識を向ける。彼だけではなく、特急から下車した乗客、これから到着する電車を待っている乗客たちもなんだなんだと知山と同じ方向に視線を向ける。首をかしげたのも束の間、すぐにその理由を察知した。
聞こえてくる勇ましい声。聞こえてくる熱を帯びた声。知山は「ついて来い」とだけいうと野次馬根性を発揮した一部の人間の流れに乗り、対面のホームが見える位置に移動する。目の前から塗装のはがれた電車が消え去り、ところどころ亀裂の入ったホームが見える。
そこには目が眩むほどの日章旗や旭日旗を持った大勢の人々が集まり、陸防軍の真新しい深緑色の制服を着た50人余りの少年、少女たちを取り囲んでいた。耳を澄まさずとも彼らが何を言っているのか聞こえてくる。
「・・高等学校卒業、総勢53人。犠牲となった家族・友人・知人の仇を取り、かつての日本を取り戻し、みなさんに“夜明け”をもたらすため、生戦遂行・宿敵撃滅を心に刻み込み、防人としての役割を全うしていく所存であります!!」
「よう言うた!!!」
「それでこそ、大和男児や!!」
一際、高身長で筋肉質の肉体を持ち、肌が浅黒く焼けている少年が礼儀正しいお辞儀をすると拍手喝采が巻き起こる。この光景を見て、首をかしげる人間はこの国に存在しない。もはや、日本中で当たり前となった光景。これは・・・・・・・・・。
「出征式、ですか」
「そうらしいな」
こちらと同じで知山は淡々と返してくる。だが、視線は頑丈に固定されていた。
「全員、体つきがいいですね。それになんだか、頭よさそう・・・」
「間違いなく特待生だな。一般枠で行く兵士なら、ここまでの催しはされない」
2033年、日本は生戦初期の混乱で消耗した自衛隊(現・国防軍)の人員を可及的すみやかに充足させるため、2030年の日本国防軍発足に伴いアジア・太平洋戦争で日本が敗戦した昭和20年(1945年)以来85年ぶりに徴兵制度を再導入。主に高校を卒業し、身体検査や筆記試験、心理テストで優秀な成績をおさめる満18歳以上の男女を“特待生”として徴兵していた。しかし、徴兵制とはいいつつも“特待生”として徴兵される満18歳以上の男女は国防軍の予算、また経済維持における労働力の問題もあり、ごく一握りに限られていた。そのため、必然的に徴兵レベルは上昇。近年は“特待生”として出征していく兵士は“愛国的エリート”として尊敬を集めると共に、日本人の模範と見做す傾向が強まっていた。
ちなみに一般枠での徴兵は身体検査や筆記試験での成績が芳しくなかった一方、心理テストで“軍人適正”が見出され、なおかつ志願した者にあてられる採用枠である。
「まもなく、特別列車が3番のりばより発車いたします。まもなく、特別列車が3番のりばより発車いたします。ご乗車されるお客様、列車とホームの隙間にご注意の上、ご乗車をよろしくお願い致します」
電車の扉が開くと同時に、車内へ大きな荷物を持った少年・少女たちが乗り込んでいく。その瞳にはさきほどまでなかった不安や寂しさが宿っている。彼ら・彼女らを取り巻いていた群衆が一気に叫び出した。
「日本のために頑張って来いよぉぉ!!!」
「体にはくれぐれも気を付けて!!」
「日本にとって唯一無二の軍人になれ!! お前らならできる!!」
「この度のご出征、誠におめでとうございます。みなさんの武運長久を心より祈念いたします。稚拙ではございますが、本日のご案内を担当いたします車掌の松本より祝辞を述べさせていただきました。まもなく、特別列車、発車いたします。扉が閉まります、ご注意下さい」
ゆっくりと締まる扉によって、外界と隔絶される車内。電車は滑るように走り出し、ホームに立ちつくす群衆から徐々に、そして確実に引き離していく。
誰から、というきっかけはなかった。ただ自然に群衆は手に持った日章旗や旭日旗を彼ら・彼女らに見えるように際限なく振り、万歳を叫んだ。
「バンザーイぃぃぃ!!」
「陸防軍、バンザーイぃぃぃ!!!」
「出征、バンザーイぃぃぃ!!!」
「日本、バンザーイぃぃぃ!!! 日本民族、バンザーイぃぃぃ!!!」
「小室 隆俊! バンザーイぃぃぃ!!!」
熱狂に包まれる対岸のホーム。みずづきたちがいるホームでも万歳三唱を叫ぶ者は数名おり、また例外なく全員が拍手を送っていた。
だが、内心で目の前の光景をどう思っているかは分からない。その証拠に、近くにいた男性が連れの仲間にポツリと呟いた。
「一体、何人が生きて帰ってくるんだろうな」
呟かれた方の男は、血相を変えて周囲を覗い、「警察や軍人がいたら、どうする!!」と耳打ちする。
(目の前にいる私たち、バリバリの海防軍人なんだけど・・・・。知山司令は三佐だし)
しかし、分からなくても仕方ない。なぜなら、みずづきと知山は身元が割れないよう一般市民と同様に薄汚れた格好をしていたのだから。
「大丈夫さ。これぐらいでしょっぴかれたりしねえよ。お前は少し過剰反応しすぎ。だいたい、事実じゃん。ここらの人間もほとんどがそう思ってるぜ」
「まぁ、それはそうだが。しかし・・・」
「近々、なにかしらの大規模作戦が発動されるって、結構噂になってるじゃねぇか。あの子たちが投入されることはないだろうが、これから先も戦争が続くなら・・・いずれかはあの化け物どもと戦うことになる。かなり、死ぬだろうさ」
「だが、仕方ないだろう。それも必要な犠牲だ。軍が頑張ってくれなきゃ・・・・あいつらが本土に上陸すれば、沖縄や先島の地獄が俺たちに降りかかることになる。日本人は絶滅さ。俺は食い殺されるなんてまっぴらごめんだし、娘も・・・・」
「ああ、分かってるって。俺にも妻の忘れ形見がいる。しかし・・・」
最初に呟いた男性は、遠い目をして最後もまたポツリと呟いた。
「いつまで続くんだろうな、この戦争は・・・・・・」
「まもなく、列車が通過します。ご注意下さい」
少し離れたホームを、軽装甲機動車やFH70 155mm榴弾砲を満載した貨物列車が、無機質な接近アナウンスを経て、強風と轟音をまき散らしつつ駆け抜けていく。
際限なく押し寄せる時代の荒波に達観することが、日本の日常だった。そして、それはどこであろうと・・・・東京であろうと変わることはなかった。
~~~~~~~~~~~~
「・・・・・! ・・・・・・!」
目の前の景色が歪み、急速に色を失っていく。その過程はあまりに不快で、理解しがたい。
「みず・・・・・? みずづ・・?」
徐々に世界が明るみに包まれていく。耳にはもう聞き慣れた声がリズミカルに届いてきた。
「みずづき? ねぇってば、みずづき?」
「ふぇ?」
「お? やっと、起きたみたい」
「川内さん・・・・?」
釈然としない意識の中で、みずづきを起こしたと目される少女の名前を呼ぶ。しばらくボーと彼女の顔を眺めていたが「まだ、寝ぼけてるな」やら「そりゃ、こんな短時間で起こされれば脳も機能不全に陥るか」といった声が、みずづきを現実に引っ張り出した。
急速に回復する意識。判断力・記憶力は元通りとなり、自分の置かれている状況を把握する。周囲を見渡すと相変わらず通路を挟んだ隣に固まっている駆逐艦たちは、車窓から見える景色を肴に騒いでいた。
「すみません。私、寝ちゃってましたね」
あれほど宣言したのにもかかわらず、睡魔に完敗。痛恨の極みだ。しかし、外を見た瞬間、そのようなくだらない感傷など吹っ飛んだ。
「いやいや、こちらこそごめんね。ぐっすり、眠ってたからどうしようかと思ったけど、おそらく言わなかったほうが怒るかなと・・・って、こりゃ言わなくても分かるかな」
川内の苦笑。百石も長門も笑っている。
横須賀では当たり前にあった山は消え失せ、どこまでも続く空と地上の境界線。当初は田畑がかなり散見されたが、電車が走っていくほど建物の密度が高まっていく。日本では地方や歴史ある住宅街でしか見られなくなった典型的な日本家屋たち。こちらでは瑞穂家屋と言われているが、木と瓦を使った家たちの連なりは古き良き日本の雰囲気を感じさせる。高層ビルや景観に著しく不釣り合いな大型商業施設が皆無な町は新鮮だ。
「横浜を超えたら、すぐに東京だよ。あんたが見たがってた、どこの世界でも変わらない首都が」
瑞穂では政治・経済・文化の中心として栄え、日本では徹底的な空爆で死に絶えた東京。
世界の壁を超えた因果で繋がった世界有数の大都市に、もうまもなく足を踏み出す。
「38話 余韻」で張った伏線をようやく回収するときがやってきました。「なんのこっちゃ」と思われている読者の方もおられることと思いますが、一応この話を考えて言及していました。これから複数話にわたって、東京編をお送りします。
秋イベも終わり、2017年も残すところあとわずかです。「もう12月か~」と哀愁を漂わせ、寒波の前に身を縮めてた作者ですが、クリスマス限定グラとボイスが全てを吹き飛ばしてくれました(・・単純ですね)
まさか・・・。まさか、あの子に来るとは・・・。