水面に映る月   作:金づち水兵

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本話は前話までと視点・文体を変えています。そのため、読みづらいところが多々あると思います。わざと読みづらくしている点もありますのでご了承下さい。


64話 無の世界で 参

「・・・・・・・・・・・」

 

見渡す限り、どこまでも続く廃墟。風の吹き抜ける音が支配する何もかもが過去となってしまった空間。そこを、男は歩く。

 

目的もなくただ、下を向いて。

 

靴とアスファルトのこすれる鈍い音が風に溶けて、何事もなかったかのように消えていく。

 

涙はとうに枯れ、もはや嗚咽すらこぼれない。発するのはただ足を引きずる音のみ。この世界にいたイレギュラーは、ゆっくりと周囲に飲み込まれていく。

 

 

 

ただただ聞こえていた単調な音が前触れもなく、突然オーケストラのような多重かつ多種多様に変化する。

 

「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」

「お会計はこちらです」

「すみませ~ん!!! 店員さ・・・・あっ!! こっちです! こっち!!」

「かしこまりました! 少々お待ちください」

 

それを不審に思い、男は顔を上げる。

 

「ここは・・・・・」

 

 

 

 

 

「なんだ? そのツラは? 久しぶりに人の顔で爆笑しそうだ」

 

5畳ほどの小さな部屋。対面に、座卓を挟んで1人の男性が座っている。男と年はそう変わらない。

 

右側にある窓。そこが唯一、外界とつながっていた。

 

見える景色。

 

空は全て黒一色に塗りつぶされ、それへ抗うかのように地表のあらゆるものが光を放っている。ビルに住宅、自動車、電車、人間の手元に至るまで。一体、どれほどのエネルギーがこの瞬間に消費されているのだろうか。

 

 

それを考える必要がないほど、様々なものが溢れかえっていた時代。

 

 

男たちの祖国がまだ、繁栄していたころの光景がそこにはあった。

今では、例え神に泣きつこうとも取り戻せない栄光。

 

 

 

 

 

それには一切目を向けず、対面の男性はねばりつくような笑みを浮かべながらこちらを、正確には真正面を見る。

 

男性の視線の先。

 

そこには正座をし、怒気を含んだ表情で手元の書類を睨んでいる人物がいた。ちょうどこちらの足元。

 

「一体、どういうことですか? なぜこんな代物を私に」

 

書類を目の前に置くと、視線をそのまま男性に向ける。それでも彼の雰囲気は変わらない。いや、むしろ笑みを深くしたか。

 

「なぜも何もない。お前がそんな顔をするからだ。ほら、単純明快だろ?」

「ふざけないで下さいよ。そんなこと言えない雰囲気を作ったのはあなたでしょ。それじゃあ、私があなたの望みに適わない顔をすれば、ここから立ち去れるんですか? ・・・・・・・・・・無理でしょ?」

 

刹那、男性の表情が一変する。見る者の心臓を凍らせてしまいそうな、冷え切った感情のない顔。死体より冷え切っていると言っても過言ではない。しかし、見間違えかと思ってしまうほどにすぐ元の顔に戻る。

 

「ご名答。君がもしここから私の許可なく立ち去れば、ビルの前の交差点で、持病がある69歳男性の運転する中型トラックにひかれ、ミンチに調理されることが()()()()()()

 

末恐ろしいことを口走りながら、先ほど店員が持ってきた水をなんのためらいもなく、飲む男性。

 

「やけに具体的ですね」

「すでに何回か現実になっているからな。聞かなかったか? 技研のとある二佐が3日前、交通事故で死亡した話を」

「・・・・・・・・。その話は既に。なんでも衝撃が大きすぎて遺体は原型をとどめていなかったとか。そういうことですか?」

 

鋭さを増す男の眼光。

 

「ふふ・・・・・」

 

意味深な笑みを浮かべる男性。幾分、顔の影が面積・濃度共に増大する。それだけで心の中に浮かんだ疑念は、揺るぎない確信へと変わる。

 

確かめようと口を開きかけるがその前にやるべきことがあった。再び意識を四方八方に向ける男。それを見た男性は馬鹿にするのでもなくただ笑う。

 

「安心しろ。盗聴器や盗撮カメラがないのは確認済み。だが、それはあくまでもあちらさんのは、だ。俺たちはノーカウントでお願いしてもらおう。ここはうちお抱えの店でな。経営している企業グループの経営陣とその親族は俺たちを支持するOBと深い繋がりがある。いかな同盟国でもここに食い込むのは、死体の山を覚悟しなければ」

 

その言葉を受けて小さく出る吐息。男の意識が真正面に集束する。

 

「理由を、覗っても・・・・?」

「これまでの話から、推測はついているだろう? やつは()()を知ったにも関わらず、俺たちの前から勝手に消えた。気を遣って、優しく、分かりやすく説明したにも関わらず、だ。ただ、それだけだ。()()を知った者は、俺たちと共にあらなければ生きていけない。この星の上に・・・・・・・・居る限りは」

 

「だからお前も気を付けろよ」。言葉を区切った男性の顔にはそう書いてある。

 

「なんでそんなことをしてまで、わざわざ・・・」

「さっきの質問とかぶる部分もあるな、それは。なに、簡単な話さ。人が欲しいんだよ。仲間としての人間が。いろいろあって、人は減っていく。常に人材の供給がなければ、組織は成り立たない。だが、ご覧のとおり、うちは特殊でね。そうやすやすと動くわけにもいかない。こちらから接触するのはそれなりに見込んだ人物のみ。・・・・・・嬉しいか?」

 

全ての水を飲みほし、空になったコップを別のコップの隣に置く。それには水とかなり趣の異なる液体で満たされている。

 

「脅迫まがいのことを笑いながら言われて、嬉しいわけないでしょ。しかも、私なんかがあなた方のメガネに適うほどの人間とはとても・・・・・・。ほかにもいい人材は腐るほどいるでしょうに」

「なに、強制はしない。留まるのも、出ていくのも君の勝手だ。但し、部屋の敷居をまたいだ場合、行先は自宅ではなく、あの世だが、な。それに・・・・・・・・」

 

一際深くなる邪悪な笑み。心の中を見透かされているようで、無性に気が逆立つ。

 

「君は断らないだろ?」

 

見透かされているようではなく、完全に心を見透かされる。胸の内を怒りが支配するものの事実のため、実力行使はできない。唯一可能な選択肢は睨みつけることのみ。抵抗はそれで精一杯だった。

 

にも関わらず変化しない部屋の雰囲気。主導権を誰が握っているのか、空間が教えてくれる。

 

「いいな、その目。心にあやふやではなく、確固たる信念を持っていることがすぐに分かる。今まであってきた連中とは大違いだ。人を見る目がないと散々陰口をたたかれてきたが、これで少しは汚名返上できそうだ」

 

男は反射的に声を上げそうになるが、寸でのところで飲み込む。そして、大きなため息。向かってきた言葉に反応しても、聞きたい返答が返ってこないことに脱力しているようだ。

 

「確固たる信念、ですか・・・・。この私にそんなものがあると?」

「あるさ。気付いていないとは言わせないぞ。君は持っている。防人として当然の、私たちと同じ信念と覚悟を」

「信念と覚悟・・・・・」

「ああ、そうだ。そこらへんをうろついている腑抜けどもとは違う、矜持を」

 

男性は座卓中央に置かれていた給水ポットを手に取ると、空になったコップに水を注いでいく。透明だったコップが温度差によって結露を吹き、うっすらと白く塗装される。水流に揉まれ、カランカランとガラスの中で踊る氷たち。見るからに冷え切った水を、少し乱暴に喉へ流し込んでいく。

 

一気飲み。

 

再び空になったコップは少し大きな音を立てて、座卓の上に舞い戻る。

 

「国を守り、富ませるためには、理想など薬物でしかない。それを勘違いしている人間が多すぎる」

 

こちらを挑発するような口調から一転して、何者かへの嫌悪感を露わにする表情。それを男はただ無言で見つめている。目を背けることも、睨みを利かせることもなく。

 

「だが、お前は違う」

 

その言葉はかなり分厚いはずの扉を通しても聞こえてくる喧騒を一瞬で無に帰す。先ほどまでの軽薄な雰囲気からは想像できない男性の真剣な表情が、言葉に重みを加えていた。

 

「世の中は残酷だ。いくら文明が発達しようと、いくら時代が進もうと、この摂理は変わらない。俺たちが今、何をすべきか。専守防衛? 平和主義を守る? 違う!!! それが何なのか、お前は分かっているはずだ。俺たちと同じように」

「それが私の問いとあなたが抱いていた確信の答え、ですか?」

「ああ、そうだ。お前は国のために何をなすべきか、分かっている。そして、それが決して正義ではないことを認識している。同時に自分は邪道を進んでいるという罪悪感も。この意識を両立させなければ、結局先人たちが歩んだ過去の二の舞だ。現実逃避で得た現実など、所詮まがいものだ。現実を、受け止める。どんなに残酷なことでも。お前がすでにそれを会得しているのは目を見れば分かる。直感的なものだから、正直不安もあったが・・・・・今確信したよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それを見て衝撃を受けることはあっても、お前、嫌悪感は一切抱かなかっただろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表情は変えずとも、あからさまに身体がビクつく男。それに気付きつつも、男性はただ満足げな視線を窓の外に送るだけで、特段の反応は示さない。目の前に置かれている、先ほどまで読んでいた紙の束。

 

厚みがあるため、天井の照明に照らされるとわずかに影が出来る。同種のものは部屋の至る所に出現していた。光と物があれば確実に生ずる自然現象のため、気を留める必要は皆無。

 

白い紙に黒い影。

 

にも関わらず、なぜだろう。今までずっと気のせいかと思ってきたが、眼下の光景が現実であったことをはっきり認識させた。時間など関係ないというように。

 

冊子に張り付く影。それは周囲の影に比べ、とびぬけて黒かった。影が映し出されているはずの座卓が見えなくなるほどに。

 

それに視線を固定させた男も口を開かない。久方ぶりに訪れた沈黙。壁一枚を挟んだ向こう側にある喧騒が懐かしく感じられる。それを不意に終わらせたのは、やはり男性だった。彼が無だった表情をいわく付きの笑顔に変えると、まっすぐ男に視線を合わせる。手は表面に真っ白な泡を浮かべ、黄金色の液体で満たされているグラスを握る。それと同じものは男の目の前にもあった。

 

「了承ってことでいいか?」

 

俯き、男は瞑目する。

 

 

――――

 

 

 

スピードダウンする時間。少し足を動かしただけで、触れられる距離にいる彼。すぐそばにいる。だから言ってやりたい。だから教えてやりたい。だから伝えてやりたい。

 

そんな誘い、断っちまえ! と・・・・・・。例え、自分の命がここで潰えると分かっていても、あの出会いがなかったことになるとしても・・・・・・・。

 

 

あのような地獄は生み出すものよりも、失うもののほうが圧倒的に多かったのだから。犠牲に果てには、何もない。

 

本当に、なにも・・・・・・・。

 

だが、出かけた心の叫びが世界に解き放たれることはない。叫んだところで結果は何も変わらない。

 

ここは過ぎ去った夢。既になしてしまった結果は絶対に変えられないのだから。

 

 

 

――――

 

 

 

「はい。私で良ければ」

 

力強い視線を正面に向ける男。その気概と迫力は並大抵のものではない。それを見た男性は嬉しそうに「そうか」と呟く。そして・・・・・・。

 

「ほら」

 

ビールの入ったグラスを掲げる。見習って男も。

 

()()()()()()()()に、乾杯!!」

「乾杯!」

 

グラス同士がぶつかりあい、発生した透き通るような清い音。まるで水中のように音の波紋が同心円上に広がっていく。

 

 

 

 

 

その余韻に浸ろうと目をつむりかけたその時、世界が暗転。目の前の光景が水に付けた絵の具のようにぐちゃぐちゃになったかと思えば、目にも止まらぬ速さで再構成が始める。あまりの奇怪さに気分が悪くなるが、世界が明瞭になるにつれて収まっていく。

 

そして、世界は完全に世界の姿を取り戻していた。

 

「ここは・・・・・」

 

 

しかし、立っていた場所はさきほどまでいた緊張感と日常が交差する在りし日ではなかった。

 

 

弱々しく光る青色のLED照明。それによって、自動車が2台すれ違えるかどうかの細い道路がかろうじて、闇夜でも浮かび上がる。だが、それは見たくない現実までも、世界に留めてしまう。

 

ひび割れたアスファルトに、道路を塞ぐように倒れている電柱。両脇に立つ建物のガラスはほとんどが割れている。建物の中には原型をとどめないほど損傷していたり、焼け焦げていたりするものもある。所々には痛々しくひしゃげた自動車が放置され、周囲に部品をまき散らしている。

 

かつて歩いていた廃墟。そこに限りなく酷似していたが、全くの別物。認識した瞬間、変化するはずがないのに動悸が激しくなる。体が痙攣を引き起こす。

 

それはわずかに聞こえた声で、決定的なものとなった。

 

「え・・・・・、~~~~~~~~~~!!」

「っ!?」

 

建物と建物の間。照明の残滓により、かろうじて視界が確保できる空間からそのかすかな声は聞こえていた。周囲に確認できる人影は彼らのみ。いや、ビルの中にもいる。だが、彼らはカウントしない方がよさそうだ。

 

聴覚が紛れもない少女の声を捉えた瞬間、緊張が走る。必死に中年男性が少女の口元に布を押し付け、これ以上の気配を拡散を防ごうと奔走する。しかし、もみ合いから生じる断続的な物音を消すことは叶わない。

 

「対象を捕獲。これより、確認作業を開始する」

「了解」

 

タブレット端末を片手に持った男がハンドサインでそう宣言すると、少女の下半身を地面に抑え込んでいる青年に体温計のような機器を渡す。手慣れた様子で起動させ、先端にかぶせられていたカバーを外すと、少女の腕に思い切り突き刺す。

 

「!?!?」

 

反射的に、意識的に暴れる体。屈強な中年男性に押さえつけられた口から声にならないうめきが漏れる。しかし、誰も気にしない。

 

かつて美しかったであろう汚れた肌をつたい、地面に一滴、また一滴と温かい液体が滴り落ちてゆく。

 

“反応、白”

 

青年が一目で分かる歓喜を宿した視線で測定結果を伝えてくる。それを受け、言葉ではなく再びハンドサインで命令を下す。

 

「了解。選別個体、59713056と確認。輸送作業、開始用意」

 

タブレット端末の淡い光で不気味に顔を浮かび上がらせる男。それを見た少女の目にはただ恐怖のみが浮かんでいる。だが大人しくなるようなことは決してなく、逆に恐怖故か抵抗が激しさを増す。そして、それは男たちの予想を超える事態を招来した。

 

「っ!? いっ!!!!!」

「「っ!?」」

 

突然、言葉にならない悲鳴をあげる中年男性。彼をよんだ男、もう1人は何が起こったのか分からず、ただ焦るがその理由は彼が全力で抱えている少女によって明かされた。見たところ、16、17ぐらいだろう。

 

「ぷはっ!! はぁ、はぁ、はぁ。んぐっ・・。ちょっと・・・あんたたちなんなのよ!! いきなりこんな! 私が何したって言うのよ!! いきなり変な機械刺して!! いいから、離して!! あんたたちに弄ばれるなんてまっぴらごめん!! 誰か!! 助けて!!! 誰かってばぁ!!!」

「ちょっ! お前!!」

 

思い切り噛まれ、裂け目から血が流れ続ける手をさすりながら、班長が殺意すら籠っていそうな目つきで少女を睨みつける。だが、全く効果なし。「班長!」と視線で叫び、彼の手を見て動揺する青年も彼女の下半身を押さえつけながら黙らせようとするが、幾分抵抗が激しすぎて手に負えない。

 

「おい、これは・・・ちょっと・・・!! ぐふっ!!」

「坂城!!」

 

顔面を蹴られ、悶絶する青年。中年男性はもはや隠密行動のためのハンドサインなど無意味と判断したのか、青年の名前を叫び、声でタブレット端末を持っている男に指示を求める。

 

「くっそ! どうするんだよ!! 一尉! あんたの言う事はもっともだが、意識を損なわないまま納品なんてできないぞ!!」

 

少し離れたところで、タブレット端末を必死にスクロールしていた男性。薄汚れた作業着を着ている他の2人とは異なり、少しよれているもののスーツを着ているため、タブレット端末を持っていなければ闇夜と同化してしまいそうだ。

 

 

 

全身の震えがぴたりと止まる。凍り付く体。震える余裕すら、生気を失った世界に吸い取られていく。

 

“一尉”

 

この言葉が、何度も何度も脳内に反響する。それはかつて、自分がいた階級だ。

 

 

 

「やむをえないな・・・・。木下班長。許可する」

「了解!」

 

懐から姿を現す、不気味に光を反射させる鉄の塊。それを見た瞬間、少女の動きが停止する。

 

「ちょ、ちょっと、何をする気・・・・」

 

それが彼女の後頭部に向かって、勢いよく振り下ろされる。固いもの同士がぶつかる鈍い音。

 

「あがっ!!」

 

獣のようなうめきを出し、徐々に少女は大人しくなっていく。

 

「待って・・・・待ってよ・・・・・。私の帰りを・・・弟が・・・」

 

糸が切れた人形のように、首を垂れ、必死に振りまわされていた腕が地面に崩れ落ちる。同時に胸元からすり抜ける何か。

 

「ふう~。これで一件落着ですね。班長、大丈夫ですか?」

「まぁ、なんとかな。肉が噛み千切られたかと思ったが、前歯が食い込んだだけでそれほどひどくない。それにこんな傷程度で悶えていたら、逝ったあいつらに顔向けできねえや」

「木下班長。申し訳ない。既に救護班には連絡しておいた。彼女を運び次第、車内で応急手当てを」

「別に謝らなくていい。一尉の立場は重々承知してるからな。俺も、貴重な試料を傷つけて白衣どもにネチネチとAIみたいな嫌味を言われるのは、この傷より嫌ですし。お互い、貧乏くじを引いたってもんですな」

「そう、だな」

「よしっ! いちにのさんで上げるぞ! 用意はいいか?」

「はい!!」

 

「いち、にの、さん」と気を失った少女を持ち上げ、木下と坂城は躊躇することなく特定の方向へ進んでいく。

 

「こちら、湯宮。田間、送れ」

 

右耳を押さえ、意識を別の場所に飛ばす男。一拍空あいたのち、インカム越しに木下でも坂城でもない男性の声が聞こえてくる。

 

「こちら田間。送れ」

「回収に成功。これより撤収する。収容準備を行え。送れ」

「了解。送れ」

「以上、終わり」

 

通信が終わるとタブレット端末を腰に備え付けてある収納ケースに入れ、木下たちの後を追おうとするが不意に立ち止まる。地面に落ちていた一枚の写真。

 

そこには少しぎこちない笑顔で仲睦まじく肩を寄せ合う4人が映っていた。中年の男女に、中学生ぐらいの男の子。そして、さきほどの少女。

 

写真の右下に記された日付は、地獄が現界する直前。再び写真に映されている在りし日の光景を目に入れる。その時、事前に報告された彼女の身辺情報が脳裏をかすめた。

 

第6次東京空爆にて、住宅全壊。以降、近傍公園にてバラック小屋暮らし。

両親は金目当ての暴漢により殺害。

現在は2歳下の弟と2人で、物乞い・日雇い清掃業務にて生活。

 

拾い上げた写真をそっと、地面に戻す。そして、男は歩き出す。悔しそうに唇を噛み、必死に深く考えまいと背を向けて。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

誰もいなくなる。地面の上で妙に存在感を放つ写真。それを手に取ろうとするが、取れない。何度試しても同じ。

 

写真が手をすり抜けるのだ。

 

自分がひどく無意味な行為をしていると悟った時、周囲に光景が再び果てしなく続く廃墟に戻っていることを知る。周囲を見回した後、下を向くとあの写真は姿形もなく消えていた。

 

なのに、脳裏にあの写真が焼き付いて離れない。あの声が耳から離れない。

 

“待って・・・・待ってよ・・・・・。私の帰りを・・・弟が・・・”

 

 

 

国家・国民を守ることと、国家・国民を構成する個人を守ること。これが両立し得ないことは初めから分かっていたし、両立し得ない理不尽な世の中を割り切っていた。

 

1人のために、複数の人間が危機にさらされることはご法度。1人の犠牲で複数の人間が助かるのなら、国家を守る者として、国民を守る者として、取るべき選択肢は決まっていた。

 

 

 

だから、その選択を遂行する立場になった。

 

 

日本を守り、繁栄させ、この国に住まう人々を1人でも多く幸福にするため。

 

 

だが、現実はあまりにも残酷だった。最前線は人の心を持って、立っていられるような場所ではなかった。人を物として扱うのは「人間」には無理なのだ。

 

 

あの写真を引きずったまま、男は再び歩き出す。それに連動して、脳裏に浮かぶ数々の光景。もう、多すぎて数えられない。

 

「俺は、一体何人の守るべき存在を殺して、死に追いやったんだろうな・・・」

 

漏れる嘲笑。この世界を認識して初めて笑った気もするが、果たしてこれは「笑う」に該当するのだろうか。心の中には「笑い」と似ても似つかない感情が胎動している。

 

「願った未来を追い求めた結果がこれか・・・・・・・。人を殺し、故郷を荒廃させ、挙句の果てに、彼女たち・・・・・も」

 

 

ひたすら動く足。真っ赤に腫れ上がった目からはもう涙が出ない。完全に枯れてしまった。目的地のない移動。

 

 

果たして、終着はあるのだろうか。




今話をもちまして、『水面に映る月 第2章 過ぎし日との葛藤』は完結です。今章は作者の暴走もあり、第1章の倍近い話数、3倍近くの投稿期間となってしまいました。気が付けば、物語全体の文字数が90万字を超えており、自身のことながら唖然としてしまいました。(当初予定では100万字あたりで「水面に映る月」を完結させるつもりだったんですが・・・・・・・)

長大な文字数かつ拙文、知識の浅さでお見苦しい点も多々あったと思いますが、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!

本作を読んで下さった皆様、ご感想やご指摘を寄せて下さった皆様、お気に入り登録をして下さった皆様。みなさんのお力添えがあったからこそ、ここまで至ることができました。

そして、『水面に映る月』の終着点はここではありません。現在、第3章「真実」を鋭意執筆中です。本作は全4章を予定しており、詳しくは明かせませんが第4章用の伏線も稚拙ながら張らせていただいています。お察しの方もおられることと思いますがもちろん、第3章の伏線も・・・・・です。


第3章はそこそこ書き進めており、年内中の連載再開を思い描いていますがまだ流動的な部分があり、まだ詳細な日時は申し上げられません。ただ、年内には意地でも再開したいという熱意はあるので、そのつもりで製作を進めています。

しばらくお待たせする結果となりますが、第3章の投稿開始まで今しばらくお待ちいただけると幸いです。


それでは、またお会いしましょう!


追記(2017/10/16)
第3章執筆のため第2章を見直していたところ、重大な誤字が見つかったため、修正をご報告します。修正後の設定が、筆者が考えていた真の設定です! 誠に申し訳ありません。

「修正前」→修正後、です。

・47話 船団護衛 その2 ~由良基地~
「海防挺」→海防“艦”。(海保の巡視“艇”になぜか引っ張られていました。瑞穂海軍由良基地に停泊していた艦船は海防“艦”です!)

「第6護衛隊群」→第“5”護衛隊群。(新編護衛隊群として考えていたのですが、海自には第4護衛隊群までしかないにも関わらず、なぜか第5をすっ飛ばしていました・・)

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