水面に映る月   作:金づち水兵

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やっと、地獄ような忙しさに揉まれていたリアルから解放されました。スマホを積極的に活用しわずかな空き時間に出撃を繰り返して、はや一週間。

作者は現在、「なんで日本がわざわざヨーロッパにいかなきゃならないんだよ」というどうにもならない文句を垂れつつE-4の戦力ゲージ一本目を鋭意削りながら、前段作戦の山場と言われている戦力ゲージ2本目を前に戦々恐々としています。イベントに参加されている方々はどうでしょうか?

梅雨明け後の方が梅雨らしいという変わった天気が続いていますが、これはあくまで例外です。




62話 梅雨明け

カーテンの隙間からわずかに入ってくる光。それはあまりに弱々しく、聞こえてくる雨音と共に外を見ずとも世界を覆っている天候がどのようなものか教えてくれる。まだ日が昇る前は土砂降りの雨だったのだが、今は小康状態のようだ。もしかしたら天気が回復へ向かっているのかもしれない。

 

少し気になるものの、とても外を見る気分にはなれなかった。とても布団から抜け出す気にはなれなかった。ここに閉じこもってから何時間経ったのか。今は何時なのか。正確には分からない。あの後、何度か陽炎が様子を見に来てくれていたが、まともな応対はしていない。

 

「ん?」

 

扉の向こうに現れる気配。今までの幾度となく繰り返されてきた過去からまた陽炎かと思い、布団の中で身じろぎをしかける。だが、どうも様子がおかしい。体勢をうつ伏せに変更し、ちょうど芋虫のように布団へ身体を埋めたまま顔だけを扉の方向に向ける。

 

一切の身動きを止め、研ぎ澄まされる感覚。どうも、明らかに気配の数が多い。陽炎のみならず、複数人で来ているようだった。

 

「はぁ~」

 

大きなため息を1つ。1人と複数人とでは対応するだけで労力は桁違いだ。断ること、拒絶することが前提なら、なおさらである。

 

正直、面倒くさいし鬱陶しい。

 

その内心を反映したかのように顔を歪めたのと同時に、ノックがコンコンと2回。これが面接なら「いい滑り出し」と褒めたくなるがほどの完璧なノックだ。雨音で多少なりとも減衰するかに思われたが、ノックの音は室内を支配していた雨音を押しのける。人工的な事象に自然的事象があっさりと引いたことにイラつきつつ、耳へ入れないよう掛け布団を握り、潜り込もうとする。しかし、そのひ弱な抵抗は予想外の人物の声が聞こえた瞬間、停止に追い込まれた。

 

「朝早くに悪いわね、みずづき。・・・・加賀よ、おはよう」

 

雨音を無理やり押しどけるのではなく、雨音さえも存在感を強調するBGMに変えてしまう包容力と、聞く者が思わず耳を傾けてしまう清涼感を伴った声色。

 

それはみずづきの抵抗を、ひ弱と断罪するには十分すぎる威力を持っていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

第6宿直室前廊下

 

「・・・・・・・・・・」

 

場を支配する居心地の悪い沈黙。沈黙と一言でいえども、雰囲気によってこうも価値が変わるものなのだろうか。心地よく聞こえるはずの雨音が今この時ばかりは痛々しい雑音に豹変している。それは扉の前で棒立ちになっている彼女だけが感じていることではなかった。周囲にいる赤城・瑞鶴・陽炎から向けられる視線。赤城や陽炎は純粋に「どうした?」と視線で問うてくるが、瑞鶴はやはりというかなんというか「何してんのよ!」と明らかに叱責を含んでいる。今にも肘で小突いてきそうだ。いざ小突かれたり、怒鳴られたりすれば反応したくなるが、その権利はないだろう。

 

みずづきを更生させる作戦の第1弾。彼女を部屋から出すための交渉役という最重要任務を引き受けたはいいが、最初の台詞を言った途端、考えていたその後の言葉が飛んでしまったのだ。必死に思い出そうとするが、そうすればそうするほど記憶が曖昧になっていく。と、その時。

 

「?」

「・・・・・・・・・・・」

 

左腕に感じる衝撃と若干の痛み。大方の予想をつけつつ左へ視線を向けると、眉間にしわを寄せている瑞鶴がいた。案の所、沈黙にしびれを切らした瑞鶴が攻撃を加えてきたようだ。

(私、先輩格なのだけれど・・・・・・・・・)

少しイラつく。だがなんとか理性で抑えつける。ここでいつものように反応してしまっては作戦も、段取りを組んだ昨夜の努力も水の泡だ。

 

しかし、なまじ普段が無表情なだけあって彼女の葛藤は目の前の艦娘には微塵も伝わらない。それどころかこちらの努力をあざ笑うかのように追撃をかけてくる。

 

「いつまでだんまり決め込んでるのよ! さっさと話して! なんでもいいから!」

 

口元に手を当て意識的に声量を抑える瑞鶴。だが、それでもこちらを基準とすればかなり大きい。意識しているとはいえ、小声にしているつもりがあるのだろうか。作戦に対する協力姿勢を疑いたくなる。

 

「声が大きいわ。もう少し抑えて」

「なっ!? じ、十分声抑えてるわよ! 今はそれじゃないでしょ! これだから・・」

「それで抑えてるつもりなの? 呆れたわ・・・・・。もう少し周りを見なさいとあれほど・・」

「ちょ、ちょっと、加賀さん!?」

「2人とも、今はそういう仲良しコンビぶりを示すときじゃないでしょ!! 今は・・・」

 

血相を変えてと言うか、やれやれと呆れた様子で仲裁に入ってくる赤城と陽炎。だが、陽炎の言葉が最後まで語られることはなかった。一変して、怒気がたぎる廊下。さきほど聞き捨てならない言葉を聞いたような気がするのだが。

 

「へ・・・・。な、なんですか・・・はは・・。2人とも顔が怖いですよ、顔が・・・・」

 

ぎこちない苦笑をしながら、直立不動で額に汗を浮かべる陽炎。その隣で、赤城が額に手を当てて天井を仰いでいる。「はぁ~」という重いため息も聞こえてくるが、あえて聞かなかったことにする。一応、そのため息の矛先が瑞鶴ただ一人に向けられている可能性もあるわけで。心の中で赤城に詫びを入れつつ、額の血管を浮かび上がらせている瑞鶴と共に陽炎を睨みつける。こういうときばかり息が合うのはなぜだろうか。

 

「・・・・・・・・・・・」

「!?」

 

唐突に扉の向こうから聞こえる物音。全員の意識がそれぞれから一斉に扉へ、正確には扉の向こう側へ飛ばされる。

 

茶番は本当に終わりだ。

 

物音は一瞬のことだったが、みずづきが扉のすぐ近くにいることがはっきりと示された。感覚を研ぎ澄ませると、確かに気配を感じる。

 

「み、みずづき? えっと・・・えっと・・・お、おはよう~。げ、元気にしてる? って、痛っ!?」

 

こちらに見切りをつけたようで、さきほどの二の舞を防ぐべく瑞鶴が真っ先に話し出す。だが、あまりにみずづきの気持ちを考えないひどすぎる発言だったので拳骨をお見舞いする。そこまで強くしたつもりではなかったのだが、瑞鶴は「いっっつ・・・・」と呻きながら頭を抱えている。

 

「な、なにすんのよ!!!!」

「あなた、もう少し他人の気持ちになりなさい。これは当然の結果」

「それは・・・・・その、だけど! 殴るってあんまりじゃない!! たらふく食ったご飯でみなぎった力をこんなところで使ってんじゃないわよ!!!」

「・・・・・・・頭にきました」

「ああ゛~~もうぅ゛~~~~」

 

陽炎が言葉にならない声を出し、頭をかき乱している。見るからに相当イラついている。いじられるなどして喚き散らしている姿は何度も見かけたが、やけくそ気味に怒っている姿を見るのはこれが初めてではないだろうか。彼女の気持ちは、みずづきに対する想いは十分に分かっているつもりだ。しかし、それを理解すればするほどなぜ自分がこの場に立っているのか、という疑問がふつふつと湧いてくる。作戦を聞かされた時から常に疑問を抱いていたが、真剣に分からなくなってきた。赤城や陽炎とならまだしも、瑞鶴がいるとどうしても調子が狂うのだ。こんなこと、この鎮守府で一番の新参者であるみずづきですら知っている摂理だ。

 

この人選は赤城と榛名が主に指揮を取ったのだが、真意がまるで不明。

 

だが・・・・・・・。

 

「あの・・・・・・・」

「み、みずづき!?」

 

岩戸隠れ伝説において天の岩戸に引きこもってしまった天照大神。彼女を現世に再降臨させるため、他の神々がとった行動は説得ではなく、わざと天照大神に聞こえるよう大騒ぎをすることだった。それが気になり様子をみようと天の岩戸を少し開けた、わずかな瞬間に天照大神が引きこもって困り果てていた神々は狙いを定めていたのだ。

 

神話と比較するのはおこがましいかもしれないが、今の状況はそれにそっくりであった。

 

さりげなく行われる赤城のガッツポーズ。表情を見ずとも強く握りしめられた拳から「よしっ!!」と歓喜が伝わってくる。作戦は手筈通りに始動した。

 

相手の気を引くためのどんちゃん騒ぎ。当然のことながら、これには高レベルの自然さが求められる。下手に芝居ががったものを演出すると誰も興味をそそられないし、最悪の場合、こちらの真意をみずづきに悟られる可能性もあった。かといって、自分たちの会話が作戦の成否を左右するという場においてはいくら仲良しで会話が途切れることがない間柄でも、通常は緊張から会話は途切れてしまうし、普段の面白さなど見る影もない。

 

どんな状況下でも発動し、第三者の意識を容赦なく自分たちに引き寄せる独創性を持った艦娘。そのような空気を読めない関係を構築している艦娘はもはや熟考するまでもなかった。幸い、みずづきも以前、かなり面白がっていたので、彼女たちの起用は本人たちの合意を取り付ける間もなく決定事項となったのだ。

 

赤城や榛名の読み。いくら加賀や瑞鶴の間でも無意識的・偶発的に発生する衝突を利用することにはリスクも存在していたが、それは本当に杞憂であった。赤城の様子を背中で感じ、自分たちがどういう立ち位置であったのかを明確に認識すると複雑な気持ちになってくるが、彼女たちの思惑通りことが運んだのだから、結果オーライである。どうやら、気まずそうにほほをかいているあたり瑞鶴も同じような結論に達したようだった。

 

「なんの、ようですか・・・・・・。今日は、その・・・・随分と賑やかそうですけど」

 

扉の向こうから聞こえてくる声。それは確かにみずづきの声だった。掠れていて、かなりやつれている印象を受けるが、それでも幻聴の類ではない。4人の顔にわずかな歓喜が浮かぶ。

 

ここからが本番だ。

 

「おはよう、みずづきさん。調子はいかがかしら?」

「・・・・・・・まあまあです」

 

ぶっきらぼうな口調。人あたりの良い印象のみずづきからは容易に想像できない、他人を煙たがっているかのような反応に赤城の表情が曇る。しかし、そこで動揺する彼女ではなかった。

 

「そう・・・・・。陽炎さんから聞いたわ。ここ2日、何も食べていないんですって? お腹すいてない? もし言ってくれたら、私たちが食堂に行って、取ってくるけど・・・」

「・・・・・はぁ・・・・馬鹿の1つおぼえみたいに、何度も何度も・・・」

「えっ?」

「何でもないです」

 

明らかに怒気を含んだ口調。赤城は聞こえなかったようだが、確かにこの耳は捉えていた。瑞鶴には散々地獄耳と言われてきたが、もしかするとそうなのかもしれない。体の中で、熱せられる血液。みずづきの状態は重々把握していたが、それでも許容範囲というものがある。

 

さきほど、彼女はなんと言っただろうか。

 

「お腹すいてないから、結構です。昨日から、私何度も言ってるんですけど、誰とも話したくもないし会いたくもないんです。陽炎から聞いてないんですか?」

「それは・・・・聞いているわ。でも・・・」

「だったら・・・・私を気遣ってくれる気持ちがあるのならそっちを尊重して下さいよ」

 

明確に向けられる怒り。みずづきがあのオヤジを除いて誰かに怒るのは初めてではないだろうか。赤城もどうしたらよいか分からず、バトンのパス相手を視線で必死に探す。こちらへ視線を向けることなく・・・・・。基本的に人付き合いが得意ではないので分かってはいたが、せめてパス相手の候補には入れてほしかった。

 

瑞鶴や陽炎にバトンを渡そうとするが、候補者間で押し付け合いともとれる視線の応酬が始まる。瑞鶴は陽炎に押し付けようとするが、陽炎も「この状態でやれば、悪化する!!」と一向に受け取らない。その様子が伝わってしまったのか、みずづきの口調がさらに激しくなっていく。

 

「だいたい、私だって女子なんですよ。なのに、食べ物で釣ろうとか、ひどすぎませんか? 子供じゃあるまいし」

「それは・・・その・・・・」

「私は赤城さんみたいに、大食いじゃないし、食べ物で釣り上げられるような単純思考でもないんです・・・・」

 

プチッ。

 

みずづきの言葉が、ピタリと止まる。再び訪れる静寂。重たいと思いきや、重たくない。むしろ、寒い。なぜか肌がひりひりする。まだ雨は降り続いているのに、それとは別の音が聞こえる。地鳴りのような音が・・・・・・。

 

「か、加賀さん・・・・・・・・・・?」

 

固まっている瑞鶴・陽炎を尻目に、赤城が顔を引きつらせながら話しかけてくる。だが、そんなことお構いなし。心の中は完全に激情で支配されていた。

 

「わ、私は別に、気にしてないから、ね?」

 

嘘だ。それは顔を見れば一目瞭然。彼女は昔からそのことを気にしていた。最近は割り切りつつあるものの、人間はおろか他の艦娘をも凌駕する食欲に対していまだに「はしたない」という感情を引きずっている。そこをみずづきは突いたのだ。例え、赤城が気にしてなくとも、相棒を馬鹿にされて、大人しく引っ込んでいる相棒がどこにいるだろうか。そんなもの相棒でも何でもない。

 

みずづきを説得しに来たのだと言い聞かせ、我慢していがもう限界。少し話してみて分かったが、彼女の意思はかなり固い。だらだら話していても無駄だろう。

 

 

こういった頑固者には、少々の強硬手段がちょうどいい。

 

 

 

みずづきを引きずり出した後、橙野へ連れていきみんなで説得攻勢。これが作戦の第2弾だったが、昨夜の議論や各人の段取りなど、彼女の頭から完全に消え去っていた。

 

「みずづき」

「・・・・な、なんですか」

 

扉の向こうでもただならぬ雰囲気を感じ取っているようだ。怒気はまだ残っているが、動揺も大きい。

 

「いい加減、出て来たらどうなの?」

「ちょっと、加賀さん!」

 

「単刀直入」の四字熟語がぴったりなほど単刀直入な言葉。血相を変えた陽炎が介入しようとするが、視線で黙らせる。当初は陽炎と同じような様子を示していた赤城や瑞鶴も、今は事の成り行きに任せる態度に変わっていた。

 

「・・・・・・・・・・」

「さっきから聞いていれば、ああいえばこういって。陽炎から聞いたわよ? 昨日もそんな感じだったらしいわね。子供扱いじゃなくて、完全に子供じゃない」

「・・・・・・・・っ!」

「だから、部屋に閉じこもるなんて身勝手な真似ができるのよ。・・・・私たちは、あなたから真実を聞いても腐らずにここに来てる。仲間であるあなたを日常に戻そうと・・。軽い気持ちで来ていると思う? これが大人の対応よ。それに比べてあなたはどうなの?」

「・・・・・・・子供、子供って」

「事実じゃない」

「・・・・・・・人の気持ちも知らないで・・・・・」

「私は加賀よ。あなたの気持ちなんて分からない」

「くっ・・・・・・・」

 

扉の向こう側から怒気がひしひしと伝わってくる。一旦は収束しかけたように見えたが、また盛り返したようだ。だが、次にみずづきから吐かれた言葉は到底怒りだけでは説明できない複雑なものだった。

 

「・・・・・・・・・・・・顔向け、できると、思いますか?」

 

全員が息を飲む。

 

「私は、皆さんに嘘をついた。私は、なにも守れなかった。私は、この世界に来ても・・・・・・。そんな人間が大手を振って、意気揚々と歩けるわけ・・・・・・・・・みなさんと楽しくしゃべれるわけないじゃないですか・・・。私はそこまで・・・・・・・・・・無神経になんかなれない・・・・・っ!」

 

声を上げない静かな叫び。4人とも苦し気に扉を見つめる。自分が犯したと思い込んでいる罪に震えているみずづきの姿が無意識のうちに浮かび上がる。その声を聞いて、宿った感情を受け止めて、彼女はある確信に至った。

(やっぱり・・・・・・やっぱりみずづきは・・・・・・・・)

 

だからこそ、頭に来たのだ。

 

「加賀さん!!」

 

瑞鶴たちの静止を無視して、ドアノブに手をかける。ガチャリと自分たちがこんな状態に陥っているにも関わらずいつも通りの音を立て、ドアノブが中途半端に回転する。

 

 

 

鍵は、かかっていなかった。

 

 

 

「ほら、やっぱりあなたは・・・・・・」

 

開かれるドア。そこには光を受け眩しそうにしながらも、目を大きく見開いているみずづきが立っていた。髪はぼさぼさで、人並みの艶やかさを維持していた肌は女子としては致命的なまでにダメージを受けていた。ろくに眠れていないのだろう。目の下にうっすらと隈が出来ている。

 

だが、そこにいたのは紛れもないみずづきであった。

 

「み、みずづき・・・」

 

安堵とも動揺とも取れる陽炎の声。だが、その次に響いた音はなんとも対照的だった。

 

振り下ろされた右手。こちらにも相当ダメージが来たようで、掌がひりひりと痛む。目の前で、呆然と左ほほをさするみずづき。さすっている部分はほんのり赤くなっている。なにが起こったのか、いまいちに理解していないようだ。目の焦点が合っていない。

 

それを見ると罪悪感が湧いてくるが、抑えこむ。そして、彼女の手を無理やり掴むと、同じように呆然としている3人を押しのけて、部屋の外へ連れ出す。もちろん靴を履かせることは忘れない。

 

昨晩遅くまで激論を交わし、出来上がった段取りはどうなったのかと詰問されそうだが、結果オーライ。引きこもった鬼神を外界に連れ出すという任務は完了だ。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

何が起こったのか。みずづきは自身の身にふりかかった事情を、幾分かの時間が与えられようとも理解することができなかった。久しぶりに感じる光も、久しぶりに吸い込む新鮮な空気も、自分たちに吸い寄せられてくる将校たちの視線も、その疑問の前には些細な事象だった。

 

いつもは必ず浮かんでくる様々な感情が出てくる様子はなく、ふて寝を決め込んでいる。

 

痛む左のほほ。さすってもさすっても痛みと熱は一向に収まらない。

 

自らの足が、自らの意思に関係なく階段を下っていく。「何してるの!? 戻らなきゃ」と心の中の誰かが叫んでいるが、その声は分厚い壁を隔てているようにひどく遠い。

 

「え? 加賀さんにあか・・・・・・って、みずづき!?」

 

川内の、これまで聞いたことのないような素っ頓狂な声が聞こえてくる。それをきっかけにざわつく1階、玄関ロビー。その他にも大勢に艦娘たちがいるようだ。

 

「作戦、上手くいったみたいですね・・・っと」

「どいて」

 

摩耶を押しのけ、加賀はまっすぐ進んでいく。彼女に手を握られ、強引に腕を引っ張られて。「ちょっと、どこへ!?」と焦った声が聞こえてくるが、当の本人は意に介さず、そのまっすぐと足を進めていく。玄関を越え、雨が容赦なく降り注ぐ外界へと。

 

そして・・・・・・・・・・・・。

 

「・・・つめた・・・・」

 

全身に駆け巡る鋭利な感覚。大気中に形ある水分を含みに含み白む景色。髪に、服に、靴に、頭上から落ちてくる水がゆっくりと染み込んでくる。「ザーッ」という少し激しくなった雨音。勢いを増した雨が全身の浸水速度を格段に早めていく。その状況は手を放し、対面した加賀も同じだった。色が濃くなっていく弓道着のような制服。ほほから滴るように、袖や袴の端から水滴が地面に落ちていく。おそらく自分もそうなっているだろう。

 

にも関わらず、全く変わらない加賀の表情。雨の存在自体を感じていないかのようだ。先程までは引っ張られる形だったため、その大きくも小さい背中しか見えなかったが、現在は彼女と相対する形になっていた。

 

無意識の内に左手が加賀に握られていた右手をさする。だが、それは一瞬。すぐに両手は本来あるべき定位置に帰還する。それもそうだろう。

 

右手には痛みのなどの不快感はなく、解釈に困る温かみのみしか残っていなかったのだから。

 

 

「私たちを馬鹿にするのも、いい加減にして」

「・・・・・・・・・・へ?」

 

いつもの無表情から繰り出された唐突な言葉。声色しか彼女の心情を察する要素がなかったため、その意味が全く分からなかった。

 

「あなたは私たち艦娘を舐めているわ」

「舐めてる? 私が、あなたたちを・・・・・?」

 

あまりに予想外すぎる言葉に思わず問い返す。真顔で、こちらの感情や葛藤を逆なでするような発言。焦点が、明確に加賀と合った。その目は確実に自身の発言の意味を理解していた。瞳と拳に力が宿る。自身でも恐怖してしまうほどの力が。

 

「そんな、こと・・・・・・」

「私の言葉の意味、分からないの? あきれたわ。()()()()()()()()を隠してた程度で、負い目を感じないで言ってるの」

「は?」

 

何を言っているのか分からなかった。本当に分からなかった。加賀の突き放すような、侮蔑するのような口調などどこへやら。その言葉の「意味」に対するあまりの動揺に体が固まる。目を点にした反射的な反応は、さぞかし無様なことだろう。

 

だが、いつまでも現実を忌避する訳にもいかず、無情にも時間の経過とともに脳は活動を再開。ゆっくりと加賀の言葉を咀嚼していく。

 

「あ、あれぐらい・・・・・・?」

 

そして、みずづきはその意味をはっきりと理解した。理解してしまった。自らの瞳に映る加賀。艶やかな髪、透き通る肌を雨に濡らし、著名な画家が心血を注いで描きあげたような姿はもうどこにも存在していなかった。まるで自分達が殺意を向け、侮蔑し「敵」というひどくあやふやな何かに豹変してしまったかのような錯覚を受ける。

 

加賀は今、確かに言った。幻聴でもなんでもない。あの地獄を、あの理不尽な現実を、あの膨大な犠牲を、あれぐらいと・・・・・・・・・。

 

加賀の言葉が頭に反響すればするほど体が熱くなってくる。雨粒の冷たさなど、存在そのものが感じなくなるほどに。

 

 

冷静で冷えきった彼女を相手に、狼狽えドロドロに熱せられた激情を発露することがどれほど、醜く稚拙なことか分かっている。

 

しかし、しかしだ。

 

そうでも、黙っていられるわけがない。

それを聞いて、そう理解していても黙っていられるわけがなかった。

 

 

 

一人の日本人として、あの中を必死に生きてきたのだ。あの中で多大な犠牲を払ってきたのだ。世界中の神を磔にしても収まらないほどの理不尽を強いられてきたのだ。黙っていることなど、できない。

 

「ふ、ふざけないでよぉぉぉぉ!!!!!!!」

「・・・・・・・・・」

 

声帯が壊れるかもしれないほどの大声。だが、本能的な抑止は全くと言っていいほど機能しない。一瞬、雨音が聞こえなくなった。

 

「あれぐらい!? あの地獄が、あの苦しみが、あれぐらいって言うの!!!??? 何人死んだと思ってるのよ!? 何人が私の目の前で死んだと思ってるの!? 何人が!! 何人が!! ・・・・・・・・・・・・何人がっ」

 

見ず知らずの他人の無残な姿が、親しかった人間の最期が、大切なあの人の声が甦るたび目から涙があふれ出る。だが、すぐに雨粒と混じってしまうため、どれほどの量なのか、どれが涙なのか分からない。

 

「どれだけ、苦しかったか・・・・・どれだけ惨めだったか・・・・・。どれだけ、生きることがつらかったか・・・・。あの頃の豊かで平和だった日本は、もう消えてしまった。今から過去のものになって、現実から夢になった。なのに・・・・・・・・」

 

 

“日本は・・・・・・平和です”

 

自身の吐いた残酷かつ非道極まりない嘘。

 

“そう。・・・・・・・・良かった”

 

嘘とも知らず、疑いすらもせず浮かべられた純粋な笑顔と安堵。一体何度、頭の中を駆け抜けたことか。

 

 

「あの時、見せた笑顔は偽物だったんですか? 未来の日本なんてどうでもよかったんですか? 何人死のうが、どれだけあの美しかった国土が荒廃しようが、私たちがどれほど苦しもうが・・・」

「どうでもよかったと、思う?」

 

遮られる言葉。声色が変わり、違和感を抱いたのも一瞬。そこで初めて気付いた。

 

 

 

 

加賀が静かに涙を流していることに。静かに、そしていつもの凛々しい姿を維持したまま。

 

 

 

 

その姿はこんな状況でも思わず見とれてしまうほどの、美しさとは違う不思議な力を持っていた。

 

「どうでもいいわけないじゃない・・・・・」

 

拳を強く握りしめながら、俯く加賀。雨によって水分を含みに含んだ前髪が額にくっついているものの、表情は分からない。但し、そこから発せられる気迫は尋常ではなかった。

 

それだけで、彼女の気持ちは伝わってきた。

 

“どうでもいいわけない”

 

その言葉は心の底から出てきた本音だ。

 

「だったら、なんで、さっき・・・」

「どうして、隠したの?」

「っ!?」

 

再びこちらへ向けられる顔。そこには、初めて見る加賀の悲しそうな表情があった。普段が無表情である分、その「表情」はみずづきを半歩後退させるほどの威力を備えていた。それを見てしまえば、無表情を覆すほどの激情を把握してしまえば自分の問いなど、放棄せざるを得ない。加賀の方が、明らかに重要だ。

 

「そ、それは・・・・・」

「私は、言ってほしかったわ。みんなと同じで・・・・・・・。嘘なんかつかずに、傷づけてもらってもいいから、言ってほしかった。真実を伝えてほしかった」

「・・・・・・・・・・」

 

加賀の吐露。そして、彼女だけでなく彼女たちの本音。それが胸に深く突き刺さる。考えて迷った挙句の選択だからこそ、痛みが走る。

 

「・・・・私だって、嘘をつきたくてついたわけじゃないですよ。あなた方が旧海軍艦艇の転生体と聞いた時、伝えようか迷った。本当に何度も、何度も・・・・。でも、言えるわけないじゃない・・・。あんな顔を・・・・・」

 

日本の未来が知りたくて、話しかけてくる艦娘たち。好奇心にあふれ、全員真剣に日本の未来を知りたがっていた。あの輝く瞳は、いくら新たな記憶を積み重ねようと忘れられない。

 

「あんな顔を見てしまったら言えるわけ、ないじゃないですか・・・・・。悲しむのが、壊れるのが分かり切っているのに」

「それでも私は言ってほしかった。一緒にその肩に背負っているものを分かち合いたかった」

「え・・・」

 

自分の耳を疑う。今、加賀はなんと言ったのだろうか。強烈な既視感に襲われる。

 

「あなたのような、優しい子1人にそんなもの背負わせたくなかった・・・・」

 

優しい子。その言葉で既視感の正体に見当がついた。いつか、自分の後ろで事の成り行きを心配そうに見守っている少女が言ってくれた言葉と重なる。

 

誰もかれもが、自分を「優しい子」と言ってくれる。それは素直にうれしい。だが、同時に否定する感情が浮かぶこともまた事実だった。

 

なぜなら、みずづきは・・・・・・・・・・。

 

「ふふ・・・・。優しい子、か・・・・・・・ありがとうございます、加賀さん。でも、それは誤りですよ」

「え?」

 

前にもこんなことがあった。ついこの間の出来事にも関わらず、随分と懐かしく感じる。あの時は素直に受け入れられた。しかし、今となっては・・・・。あの戦いを経て、自身の無力を突き付けられた今となっては・・・・・。

 

「陽炎も言ってくれたんですけどね。私、全然優しくなんてない・・・・。自分の事しか考えてなくて、行動の結果を都合のいいように捻じ曲げる。最悪の人間ですよ」

「そんなことない!!」

 

背後から響く声。相変わらず降り続いている雨でもかき消すことはできなかった。そちらへ振り向く。

 

「陽炎・・・・」

 

そこには雨に濡れることお構いなしに、1号舎の玄関から出てきた陽炎が必死な形相で立っていた。徐々に保水していく陽炎。

 

「みずづき! 前にも言ったじゃない! あんたは、あんたは立派な人間だって! きちんと他人のことを考えて、どうやったら悲しまないように出来るかっていつも動いてたじゃない!」

「やめて・・・・」

「あんたは当たり前って言ったけど、その当たり前を遂行できる人間なんてそう多くない! あんたはそれを実行していた。常に考えてた! だから、あんたは・・・」

「やめて!!!!」

「み、みずづき・・・・・」

 

陽炎の言葉がやむ。いや、無理やり中断させた。そんな身に余ることをこれ以上聞きたくない。

 

「私は・・・・・私は・・・・・どうしようもなく身勝手で、馬鹿で、醜い人間なのよ」

「まだ言うの!? だから・・・」

「私は何もできなかった!! なにも守れなかった!! 何度、その機会が訪れようとも、何も・・・何も・・。・・・・・親友だった、いつも一緒にいたきいちゃんを目の前で失って、当たり前だと思っていた日常も幸せも全部、ぶち壊されて・・・・。もう壊されたくない、失いたくない、まだ残っているあの頃の残滓を守りたいって、くじけそうに・・・・・引きこもりたくなる心を奮い立たせて、ここまで来た。でも、私は・・・・」

 

重くなる心と共に閉ざされる口。感情を吐露しようとする自分がいる一方で、それを必死に拒んでいる別の自分がいた。

 

頭の中を駆け巡る走馬灯。明るく幸福に包まれているものも当然のことながら存在するが、ある頃から雰囲気は一変していた。

 

「何度も、何度も・・・・つらいことを経験しても、犠牲を無駄にちゃいけない、死んだ人ためにもと思って、踏みとどまった。あけぼのさんに逃げろって言われたときも、敵前逃亡の件でハレモノ扱いされたときも。なのに、私は・・・・・・・、あの時だって・・・・あの時だって・・・・・そう。みんな、みんな、私のことを慕ってくれていたのに・・・、私のことを信頼してくれていたのに・・・・。おきなみも、はやなみも、かげろうを・・・・・。知山司令を!! 私はっ!!!!!」

 

顔に付着した涙や雨水が周囲に四散するが、気にしない。

 

「一度は割り切ったわよ。この世界に来て、違う世界に身を置いたんだからって。ここまで、死んだはずの自分がそれこそ奇跡でまた生かされたんだから、うじうじしてちゃだめ。今度こそ、守りたいものを守り抜く。それでこそ、私の目の前でこの世を去った・・・・私が守れなかった人に少しでも顔を向けられる、そう思って・・・・・・・・・。でも、結局・・・・・・」

 

 

“なんで、なんで、お前たちがいたのに・・・・・。なんでなんだよ!!”

 

頭に響く声。

 

“お前ら、艦娘なんだろ? 瑞穂の、人類の希望なんだろ? なのに、なんでこんなことになってんだよ!!”

“なにが鬼神だよ・・・。なにが、最強だよ・・・・。誰も、守れてねぇじゃねぇか!!”

 

脳裏に甦る、死体の数々。そのどれもが、まるで自分自身を叱責するような怨嗟の声をあげているような気がした。

 

それに続いてよぎる4324という数字。守ると意気込み、いざその時が来て生じた結果がこれだった。

 

「みずづき・・・・・あんたは背負い過ぎ、なのよ・・・・」

 

喉から無理やり絞り出したような声が耳に届く。記憶の彼方へ飛ばしていた意識を引き戻し、陽炎へ視線を向けるとバッチリ目が合った。

 

悲しそうで強い意志がこもった瞳。なぜ陽炎がそこまでの意思を込めているのか、みずづきには分からない。しかし、視線の理由は分からなくとも、そこに宿っている感情は手にとるように分かった。

 

「そんなことない。私は、さっきもあんたにそこまで心配されるような存在じゃない」

「まだ、言うの? いい加減、怒るわよ?」

 

温かみを失う・・・いや、逆に扱い方を間違えると暴走するような熱が言葉に帯びる。

 

他人を思うあまりの怒り。

 

いつもなら嬉しく思う激情も、今この時ばかりは願い下げだ。だから、みずづきは口を開く。自分が陽炎の言うような人間ではないことを証明するために。

 

「ねぇ、陽炎? 私、前にも話したわよね? ここに来て抱いた想いを・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

陽炎は、答えない。

 

「あれは、必死に隠してたけど、完全に嫉妬だった」

 

最初のころはこの感情がなんなのか全くわからなかった。苛立ち、ざわつく心。だが、それは皮肉にも艦娘たちとそしてこの世界と交流を深めていく中で、形が露わとなっていった。

 

「この世界を知れば知るほど、この世界を理解すればするほど、羨望よりも憎しみが強くなっていった。ここは、地球とあまりにも違い過ぎる。ねぇ? 誰か、答えてよ? なんでここまで違うの?」

 

陽炎に、加賀に、玄関で事の成り行きを見守っている赤城たちに視線を向けるが誰も答えない。

 

「同じ人間が住んでる世界なのに、同じように深海棲艦の侵攻を受けてるのに、なんで・・。こんなのってない。こんなの・・・・・・」

 

だが、心の重荷になっていた感情はこれだけではなかった。そう思うと同時に「優しい」自分が声を上げていたのだ。

 

「そう、思う自分が、また嫌だった。純粋に良かったねって、私たちと同じ道を歩まなくて、なによりって、そう言いたかったのに言えなかった」

 

拭っても、拭っても涙があふれてくる。震える足。立っているので精一杯だ。あまりの不甲斐なさに膝を屈しそうになる。

 

「やっぱり、舐めてるわね、あなた」

 

そこに、加賀の言葉が響き渡る。自分の内側から外側へ意識を向ける。良く聞こえると思ったら、少し雨の勢いが収まっていた。

 

「私たちだけじゃない。あなた自身を・・・・・」

「な、なにを言って・・・・」

「私の、いや・・・私たちの見立て通り、あなたはすごいわ、みずづき。・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう、自分を責めないで」

「え・・・・?」

 

思わず聞き返す、いやそのような単純行動すら行えなかった。

 

「いや、だって・・・私は・・・・・・・」

「私たちは、もう怒ってない。あなたがどうして嘘をついたのか分かったら。それに・・・・」

 

指で上品に涙を拭きとると、加賀の顔にはもう悲しみはなかった。あるのは揺るぎない覚悟と信念だけだ。そこからとある言葉が放たれた。

 

 

「梅雨明け」を決定づけた言葉が。

 

 

「私たちは栄えある大日本帝国海軍の艦娘。私たちは、祖国を・・・・・・・・・・・・日本を信じている」

「っ!?」

 

信じている。たったの一単語。今まで、今日に限っても交わされた会話から微々たるたったの4文字。だが、何故だろう。心を覆い尽くしていた黒いモヤが急速に四散していく。

 

「みずづきさん。1つお伺いしたいのですが?」

「!?」

 

反射的に飛び上がる体。一瞬で爆発寸前に至った心臓を必死に落ち着かせていると、右側からひょっこりと榛名が姿を現す。全く接近に気付かなかった。満面の笑みだが、顔といい、髪といい、制服といい、びしょ濡れだ。

 

「ちょっと、榛名さん!! いつの間に!? じゃなくて、え・・え!? なんで濡れてるんですか!? それに入院中じゃ・・・・。って、これじゃ体に障りますよ! なにか拭く物・・」

 

動揺に全身を揺さぶられつつ体中をまさぐるが、そんな物持っているわけがない。持っていたとしてもびしょ濡れだ。ここだけの話、体にまとっている全ての布が濡れていた。

 

「ふふふっ。やっぱり、みずづきさんですね・・・・」

「え?」

 

意味が分からず聞き返すが「何でもありません」と煙にまかれる。

 

「それより・・・・さきほどの質問いいですか?」

「え? ええ・・・・・」

 

そう答えると、榛名は笑顔を絶やさないまましっかりとこちらを直視する。戦艦がなせる業か柔和な表情の割に妙な迫力があり、体が固まる。変な間をあけることも遠回しにすることもなく、彼女は質問を直球で投げてきた。

 

 

 

 

「あなた方は、前を見ていましたか?」

 

 

 

 

投げかれられた問いに時が止まる。これは単に自分や自分の周辺へ向けたものではない。そして、これは瑞穂世界で生きているみずづきではなく、日本世界で生きていたみずづきへの問いだ。そして、これは日本世界で、あの地獄と絶望の中で生きていた日本人への問いだ。

 

 

 

荒廃してしまった日本。かつて繁栄は失われ、泥水をすする生活。いつ自分が、家族が、友人が死ぬのか分からない社会。でも、それでも・・・・・・・・・・。

 

 

“いつもいつもご贔屓に。そちらも大変でいらっしゃいながら、ありがとうございます”

“いえいえ、海防軍人さん、しかもあの艦娘部隊の指揮官さんの謝意なんてわしごときにはもったいない限りですよ”

“本当にありがとうこざいます。今日もこんないいアジをお裾分け下さって・・・・”

“これはみずづきさんまで・・・・・。困ったな・・・、あはははっ。あなた方には一生をかけてご奉仕する恩があります。あなた方がいなければ、この須崎もおそらく沖縄と同じことになっていたでしょう。私の目の前から永遠に消えた家族も・・・・・娘だけではなかったはずです。今、こうして私がこのふるさとであなた方に獲れた魚を渡せているのも、あなた方が守ってくださったおかげなんですよ”

“そんな・・・・・私たちは守れたと感謝されるにはあまりに多くものを守れませんでした。そのお言葉は・・・”

“なら、わしの言葉を事実誤認とおっしゃるなら、1つだけ約束していただきたいことがあります。・・・・あまり、深く捉えてもらう必要性はないんですがね”

“・・・・・・なんですか?”

“あの頃を・・・・・娘にもう一度見せてやっていただきたいっ”

“・・・・・・・・・・・・”

“娘はあの頃の日常を少しかじって・・・・逝ってしまいました。わしにはあの子の親として、あの子が本当は浸れた世界を見せる責任があります。だが、わしはしょせん漁師。・・・あなた方に託すしかないんですよ。・・・・・・どうか、日本をよろしくお願いします。わしも些細なことですが、これで生戦勝利の一助となりますから・・・どうか・・・・・・どうかっ”

 

日光を反射する涙をひび割れたアスファルトに落としながら、新鮮なアジを掲げるやつれた漁師。だが、彼の目は決して絶望に染まってなどいなかった。

 

 

“うわぁ~~~、きれい・・・・・。花火なんて見たのいつ以来だろう・・・・”

“私も本当に久しぶりです。第二次日中戦争開戦前ですから・・・・小6以来ですね・・・・・。なんか、久々すぎて・・・うるっときちゃいます”

“同感・・・・・。あっ、またあがった”

“たーまーや~~~~~~!”

“かぎや・・・・・”

“夜空に咲く、大輪の華・・・か、・・・・・・・・・。なに、おきなみ?”

“いや、隊長も随分と風流なことをいうなぁ~~~と思いまして。ふふふっ。・・・・司令と一緒に来られなかった悲壮感が粋な空気を出してますよ?”

“っ!? な、なに言ってんのよ! 知山司令には大事な仕事があったから仕方ないじゃん。わ、私は別に一緒に来られなかったから悲しんでるとかそういうことは・・・”

“隊長、顔、真っ赤・・”

“なんで、夜に顔色が分かるのよ!?”

“あの・・・・・、花火の光が反射してますよ・・・隊長・・。あははは・・・”

“・・・・マジで? って、あんたたち、あんまり騒いじゃダメ。周りの空気を見なさいよ”

 

“ほらほら~~、これが花火だぞ。どうだ? きれいだろう?”

“ふわぁぁぁ~~~、すごい! すごい! お空がいろんな色で明るくなってる! 大きい・・・”

“絵本や写真とは全然違うんだぞ? こらこら、そう走るな。人様の迷惑になるだろう? じっとして見ような?”

“うん! 分かった。・・・・・お父さん?”

“ん?”

“どうして、泣いてるの? どこか、痛いの?”

“・・・・・・・・・・・・・え? ほんとだ・・・、俺・・・・どうして・・・・・。う・・・はっ・・・うう・・・”

“お父さん・・・・・”

“ああ、ごめんな。つい、昔を思い出しちまって・・・・。う・・・・。お前のお母さんがいた昔を・・・・。でも、大丈夫”

“ほんと?”

“ほんとだとも。お父さん、滅多に泣かないだろう? お母さんとも約束したんだ。さぁ、また見られるかどうか分からない花火だ。一緒に見よう”

 

夜空が纏う闇を払う花火。単なる思い出や記録と化して久しい夏の風物詩は人々の足が著しく不自由となっているこのご時世でもどうやって来たのか首をかしげるほどの人を集め、それだけの人々の心を幾度となく照らした。感動している者の隣で泣いている者もいた。合掌している者もいた。しかし、これだけは共通していたと言えるだろう。みな、いつものように俯くことなく、空を見上げていたのだ。

 

 

 

日常は確かに存在していた。どれだけ残酷な、理不尽な現実があろうと、そこでは誰もが喜びや悲しみなど様々な感情を発露をし、そして前を向いていた。私たちは、日本人は、明日を信じていた。未来を見ていた。権力の脚色がもろに反映されている社会情報からそうしている者もいただろうが、みずづきをはじめとする日本人はかけがえのない家族、友人、知人、職場、学校、故郷の中から、それを見出していた。そこに明けない夜などはなかった。

 

これは熟考を要するものではない。なぜなら、あの日、御手洗と対峙した際にこれはもう分かっていたのだから。

 

 

 

 

 

よって、答えは・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

「はい」

 

憂いや偽りを感じさせない、はっきりとした明るい声。笑う気はなかったのだが、自然と笑みが浮かんでしまう。これだけでいい。これだけで、想いは伝わるはずだ。榛名がそっと目元を指で拭う。雨粒などでは決してない。

 

「そう・・・・・。なら、私たちは背負える」

「どんな未来でも、どんな現実でも・・・・」

「未来に未来があるのなら、あなたたちが明日を信じているのなら、私たちは・・・」

 

涙を浮かべつつも、安堵したような喜んでいるような表情をした艦娘たちが玄関を出て、こちらに歩み寄ってくる。

 

「ほら、だから言ったじゃない」

 

加賀の声。顔は相変わらず無表情にも関わらず、声色は明るい。

 

「私たちを舐めてるって」

「ほんとですね・・・・・。私、舐めてたのかも・・・・・」

 

今なら、加賀が言った言葉の意味がよく分かる。こんな現実を受け入れても彼女たちは・・・・前を向いている。想像すらできないほどの残酷な祖国の未来。希望はおろか、自分たちが今までなしてきた行動全ての意味を見失っても不思議ではない現実。

 

だが、それを知っても彼女たちは後ろを向かず、前を見た。“みずづきたちの日本”の未来を信じてくれた。

 

彼女たちの日本に、祖国に対する想いはみずづきと比較するのもおこがましく感じるほどに強靭で、頑丈で、そして・・・・・・・・純粋だった。

(本当に、神様じゃん・・・・・・・)

もし、これを日本人に、儚く散っていった彼女たちの乗組員に告げたなら・・・・・・・果たして、どういう反応を示すのだろうか。

 

不意にそんなことを思ってしまった。

 

「これぐらい受け止めきれなかったら、国家を背寄って戦った、大日本帝国海軍艦艇失格よ」

「さすがですね。みなさん、すごすぎます。それに比べて・・・まったく、私は・・・・・・・・痛っ!?」

 

額に強烈な凸ピン。いきなり急接近してきた加賀による容赦ない攻撃。凸ピンがこの世界か、過去の日本にあったことも驚きだが、それよりも加賀の行動に驚愕だ。理由を問いたかったが、無理だった。加賀の顔。収束したと思っていたのに、明らかに怒っていた。

 

「あ、あの・・・・・・」

「前を向きなさいみずづき。つらいだろうけど、それが失われた者に対する弔いでもあるのよ」

「っ!?」

 

遠くを見る目。どこを見ているのか、みずづきには分からない。だが、それが彼女の「過去」に起因した言動であることは容易に分かった。これは大日本帝国海軍の栄光を支え、勝ち続けたが故に、終わりのはじまりを招いてしまった正規空母加賀の言葉だ。

 

「みんなあなたが自己嫌悪に陥るほど、いい人たちだったんでしょ? 後付けかもしれないけど、そんな人たちがあなたに苦しみ続けてほしいと思う? その姿を見たいと思う? 思うような人間なら、私は軽蔑するけど」

「違います! みんな・・・・みんな・・・・」

「でしょ? なら、割り切っていいのよ。割り切ることと忘れることは違う。それに・・・」

「み、みずづきさーーーん!!!」

「え? ちょっ!? 吹雪!?」

 

突進してきた勢いのままに、背中へ抱きついてくる吹雪。なんとか踏ん張ったが、少しでも反応が遅れていたら、濡れたコンクリート舗装の道へダイブだ。

 

「え? え!? てか、吹雪! 私、びしょ濡れ!! 濡れちゃうよ!!」

 

泣いているのか一向に顔を上げようとしない。吹雪に申し訳ないやら、抱きついてきた理由が分からないやら、照れくさいやらで頭は大パニックだ。

 

「良かった、良かったみずづきさんの顔がまた見られて」

「ふ、吹雪?」

「もう見られないんじゃなかって・・・・もう会えないじゃないかって・・・怖くて・・」

 

震える体。彼女たちのためと思って、取った行動は結局・・・・・自身も含めて全ての存在を不幸にしただけだった。素直に話していれば、もっと違う結果になっただろう。

 

自身に欠けていたもの。それは艦娘たちをそれこそ信じることだった。吹雪や陽炎たちは言ってくれたではないか。自分のことを友達と。

 

加賀たちは言ってくれたではないか。自分は仲間だと。

 

気遣うあまり、壁を作ることは友達の、仲間のすることではない。

(今さら気付く、なんて・・・・・・。この世界に来て、視野狭窄なってたのかな。ははは・・・)

 

無性に自分を殴りたくなってくる。だが、本当に殴りたいのかと問われれば、答えは否。

(自分を、もう少し肯定的に見てみよ・・)

これは彼女たちへのささやかな感謝でもある。

 

彼女たちは、みずづきのことを本当に、友達として、仲間として、かけがえのない存在としてくれていた。そんな彼女たちの気持ちを無下にすれば、今度こそ神罰が下るだろう。

 

「それに、みんなで抱えれば・・・・・・・。あなた覚えてるかしら? 中将と戯れた日の夜。私たちと浴場であった時のことを」

「た、戯れてって・・・・・」

 

戯れたにすれば、どの当事者にも凄まじいインパクトをもたらした気がしないでもないが、ここは無視が無難だろう。加賀の表情を見るに、こちらが複雑な心境になることを見越して言っていることは一目瞭然だ。

 

「もう・・・・・。はぁ~。ええ、覚えていますよ・・・・って、っ!?」

 

あの日。加賀をはじめ、金剛・瑞鶴の3人と浴場で遭遇した。御手洗に発砲し艦娘たちの目を気にしていたのだが、彼女たちはそんな自分を励ましてくれた。そればかりか、こういってくれたのだ。

 

“私だけじゃなくて、金剛も瑞鶴も吹雪も北上も大井も、他の艦娘たちもみんなあなたの仲間よ。なにかあれば1人で抱え込まないで”

 

あの時は嬉しかった。自分がこの世界でも暖かみを受け取れることに気付いた。不覚だったが泣いたのもいい思い出である。だが・・・・・・・。

 

「あんた、完全に忘れてたでしょ?」

「あははは・・・・、面目ないです」

 

眉をひそめる瑞鶴には素直に謝るしかない。完全に忘れていた。

 

「そういう瑞鶴も、加賀に言われるまでは忘れてましたよネ?」

「はぁぁぁ!! ちょっと、金剛!! なに根も葉もないこと言ってんのよ!!」

 

瑞鶴に言ってあげたい。その反応自体が、真実を露わにしていることを。

 

「はぁ・・・まったく。あの騒がしいのは置いておいて、そういうことよみずづき。あなたが抱えているものは私たちと同じく、こんな小さな身体でとても背負いきれるものじゃないわ」

 

「誰が騒がしいの、よ!!」と怒りを爆発させる瑞鶴。雰囲気の総崩れを予感した赤城が、退院した翔鶴を投入する。大好きな姉を目の前にした瑞鶴は案の定、すぐに大人しくなった。いまだ病み上がりという翔鶴の状態がそれに拍車をかけているのであろう。病人にストレスはそれこそ毒である。しかし、思うところはある。「単純」とお約束の呟きをしたことは秘密である。

 

「でも、みんなで背負えば・・・・」

「一人でも、みんなとなら、ね」

 

左肩を優しく叩いてくる陽炎。そこには今までの振る舞いから出てきてもおかしくない拒絶は全くなかった。陽炎だけではない。みんな、そうだった。

 

「みんなとなら・・・・か。そういえば、あの人もそんなこと言ってたっけ・・・」

 

いつだっただろうか。艦娘たちと似たようなことを言われたのは・・・・・。

 

“君は嘘がへたくそなんだから、無理に隠そうとするな。経験則で悪いが、抱え込んだってどうにもならない。なんのための俺だ。まぁ・・・・その、信用できないのも分かるが、黙っていられるより、相談してくれた方が、う、嬉しいしな・・・・。って、笑うなよ!!”

 

“お前らは4人いるんだぞ。なら、負担は4等分だ。俺が加われば5等分。仲間なんだから、余計な気遣いは無用だ。なに? もう、大丈夫? そ、そうか・・・・。なら、良かった。但し、俺は上官だから、な! ・・・・・聞いてるのか!! おきなみ!!”

 

埋もれていた記憶。無意識に思い出さないようにしていたのかもしれない。楽しかったあの日々を。だが、今は違う。

 

「私って、ほんと馬鹿だな・・・・」

「み、みずづき?」

 

一旦は止まっていた涙が再び、溢れてくる。しかし、悲しくない。心は晴れ渡り、体も以前の倦怠感はなく軽い。なんとも不思議な感覚だ。

 

「みんな・・・・・・・・・ありがとう」

 

心からの感謝。自分のことをここまで思ってくれる存在と再び出会えたことは、嬉しく仕方がない。嘘をついてくれたのに、許してくれた。残酷な未来に絶望することなく、背負ってくれた。そればかりか、心に日の出をもたらしてくれた。長かった夜。

 

みずづきの夜は、明けた。

 

そして、やはり言わなければならないだろう。これは最低限の礼儀だ。

 

「そして・・・・・・すみませんでした!!!!」

 

再び額に走る激痛。またもや犯人は加賀だ。しかし、彼女が浮かべている表情は違っていた。1点の曇りもない、すがすがしいほどの笑み。それを見ると安心感からかつい笑ってしまう。それが、周囲の艦娘たちへと伝播していく。広がる笑顔の輪。その力は大きく当事者たちだけでなく、見る者すべての心を穏やかにしてくれる。

 

「一件落着ですかね・・・」

「そう、だな・・・・・」

 

ぎりぎり外から見えない玄関の陰に身を潜め、艦娘たちの様子を覗う百石と筆端。前日の深刻な表情から一転。今は艦娘たちと同じようにいい笑顔だ。司令長官の後ろで堂々と職務放棄している数多の将校たちも同様だ。怒りは禁じ得ないが、今日ばかりは警備隊や憲兵隊に「お掃除」を依頼するのはやめておこう。それに、彼らの中に警備隊や憲兵隊のお偉方が混じっているのも事実であるし。

 

「晴れてきたな・・・」

 

筆端の言う通り、ここ2日間ほど空を覆っていた分厚い灰色の雲が四散し始め、雲の隙間から日光が降り注いでくる。雨はもう完全にあがっていた。

 

「さてと。夏がやってくるな」

「ええ。・・・そうですね!」

 

長かった梅雨も終わりを告げ、支配者は雲から太陽へと移り変わる。これから新たな季節の始まりだ。

 




雨と言えば連想される彼女の言葉通り、止まない雨はありません。梅雨は、明けました。

なんか完結を迎えそうな流れですが、残りの話数が少なくなってきたとはいえまだ第2章は続きます。そして、本作「水面に映る月」もまだまだ続きます。



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