水面に映る月   作:金づち水兵

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57話 房総半島沖海戦 その6 ~反攻~

あの歓迎会以来の講堂。かつてあれほど眩しく輝き、数え切れないほどの笑顔が交錯していたこの場所も、今は重く痛々しい空気に覆い尽くされていた。照明がつけられているはずなのに、暗く感じるのは気のせいではない。

 

そこへ久しぶりに集まった艦娘たち。誰1人として清潔感を保っている者はおらず、みな肌や制服が何かしらで汚れている。中には、絆創膏を張り、包帯を腕に巻いている者もいる。みな視線を落としているわけではないが表情が暗く、特に第5遊撃部隊の悲壮感は顕著だった。そして、全艦娘集合と言いつつ、人数は全艦娘ではない。

 

いない艦娘が、いるのだ。

 

その理由をみずづきも知っていた。これも艦娘たちが俯いている原因だろう。横須賀鎮守府司令長官の百石は彼女たちの姿を人の背丈分ほど高い演台から見下ろす。暑くもないのに、異様なほど汗をかいていることをみずづきは見逃さなかった。

 

「これより、背水作戦における君たち艦娘の作戦行動について説明を行う」

 

響く長門の声。みずづきから見て右斜め前方、講堂の四隅に立ち、彼女はまっすぐ百石を見つめている。こちら側のように意気消沈することもなく、背筋を伸ばして堂々と。百石は小さく頷くと、目の前に置かれている台に近付き、口を開く。

 

「・・・・・・君たちの気持ちは十分に把握している。このような状況下で、満足な休息も与えてやれず、本当にすまない。しかし・・・・もう、なりふり構ってはいられないんだ。私のことはどう思おうと好きにしてくれ。だが、私には、私たち瑞穂海軍にはどうしても成さなければならない使命がある!! それを成し遂げるためどうか力を貸してくれ」

 

長門以外の全員が息を飲む。漠然と聞いていては誰だか判別できない、しおれた声。それが今、百石の口から発せられていた。声の出し過ぎが原因であることは枯れ方からすぐに分かる。よほど、作戦室で声を張り上げていたのだろう。百石が軍人として、自分たちの指揮官として必死に立ち回っていたことに誰も疑いの目など向けていなかった。彼自身は自覚が薄いようだが、彼の性格はこの場において最も付き合いの浅いこの身でさえも十分に承知している。

 

そんな彼から向けられた言葉。そこにどれだけの想いが込められているのか。分からなわけがない。

 

自分たちの肩にどれほどの責任と期待、懇願、使命がのしかかっているのかも。分からないわけがない。

 

瞳に宿る熱い意志。それを周囲からみずづきはひしひしと感じた。それは百石も同様のようで、「ありがとう」と小さく呟くと一転、険しい表情で裏に置かれている黒板に向く。そこには誰が書いたのか分からないが、地図と見間違えるほど正確かつ上手い関東の地形が書かれていた。そこの一点、第5艦隊が敵空母護衛艦隊と激突した房総半島野島岬沖に赤い磁石が1つ置かれている。

 

「既に承知のことと思うが、現在房総半島近海には空母4隻、軽巡4隻、駆逐2隻の空母機動部隊と重巡2隻、軽巡2隻、駆逐2隻からなる軽水上打撃艦隊、この2個艦隊で編成される敵連合艦隊が展開。現在は九十九里浜沖から房総半島野島岬沖に移動し、敵の本土侵攻部隊を最も叩く可能性が高い我々を東京湾に封じ込めようとしている。疑似的な海上封鎖だ。今後の動きは予測困難だが、連合艦隊は着上陸作戦の支援に不可欠な存在だ。よって、おそらくこちらへのけん制効果と本土沿岸からの攻撃リスクを勘定し、侵攻部隊が九十九里浜沖に近づくまでは、ちょうどいい位置である現海域に待機するはずだ。そして、今は夜。そこで、だ」

 

不敵な笑みを浮かべる百石。その笑みを最後の言葉で突如、ゆっくりになった口調が強調している。

 

「こちらが制空権が取れないことに胡坐をかいているところを、我々は・・・・叩く!」

 

言葉通り、黒板を百石が叩く。ドンッという鈍い音と共にチョークの粉が少し舞い上がる。

 

「って、ことは、夜戦? ・・・・ねぇ? そうだよね? そうだよね? 提督!? やったぁ!!

や・せ・ん、だぁぁぁぁぁ!!!!」

 

もうひと押しと言わんばかりに百石が人差し指で磁石を小突く。それと同時に発せられる、場違い極まりない歓喜。少し体を傾けて前方を注視してみると第3水雷戦隊の先頭に立っている川内が、天を射貫かんばかりのガッツポーズを決めていた。そのあまりの喜びように怒鳴ろうとした長門も思わず呆れ、天を仰いでしまう。その光景が、あまりに面白く、たった半日で失われてしまった日常が戻ってきたようで、つい微笑をこぼしてしまった。心の弛緩は何も1人だけではない。他にも吹き出すように表情を緩めている艦娘が多くいた。

 

だがその瞬間、昼間見た光景が脳裏をよぎり、心は凝固した。岸壁に寝かされた数え切れないほどの遺体。屍となった彼らを見て、悲壮に暮れる人々。

(私、何笑ってんだろう・・・・・。大勢の人たちが、死なずに済んだ人たちが、この世界でもまた死んでいったのに・・・・)

周囲から聞こえてくる自身と同じような「ふふふっ」という微笑。それは当然耳に入っていたが、地獄を見た後ではとてもつられて笑う気にはなれなかった。

 

「ふっ・・・・ははははっ! さすが川内だな」

「ついに、ようやく、この時が来たよ! やったぁぁぁあ!!」

 

艦娘と異なり、今までの湿っぽさを振り払うかのように大きく笑う百石。相変わらずのガラガラ声だが、つらそうな気配は微塵もない。

 

「お前にようやく、活躍の場を与えてやることができて何よりだよ」

「まったくよ、もう。演習以外の実戦で夜戦したのなんてもういつか忘れちゃったぐらい昔なんだから」

「だが、お前はあくまでも脇役だ。主役は・・・・・・」

 

百石の視線がこちらに向く。前に立っている深雪でなく、隣近所の艦娘でもなく、みずづきへと。

 

「みずづき、お前だ」

「へ・・・・・?」

 

一斉に向けられる視線。全く予想だにしてなかった展開に恥ずかしながら、間抜けな声が出てしまう。

 

「ちょ、ど、どういうことですか? 私が主役って・・・・・」

「君なら十分分かると思うがな、自分自身が選ばれた理由が」

「・・・・・・・・・」

 

戸惑う少女の表情から、険しい軍人の表情に変わる。

 

「君は昼であろうが夜であろうが、人間である以上多少の制約がつくとはいえ、備え持っている戦闘能力を如何なく発揮することができる。それだけじゃない。艦隊の目として、半ば出たとこ勝負の戦場の様相を水平線以遠から探知することができる。そんな非常識技を持つ君が脇役なわけないだろう?」

 

不敵な笑み。だが不快感や嫌悪感は全く湧かなかった。これは、そう。端的に信頼されている証なのだ。百石から視線を外し、周りの艦娘たちを見る。

 

みな、程度の差はあれど百石と同じ表情で、異存はないようだ。あの川内も若干、悔しそうにしていたが、最後は割り切ったようで純粋な笑顔を浮かべていた。一度顔を伏せ、目をつぶる。そして、百石に視線を向ける。こちらもお返しと言わんばかりの不敵な笑みをたたえて。

 

 

 

 

 

信頼からくる痛みを必死に隠して・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

「分かりました。主役の任、謹んで承らせて頂きます」

「こちらこそ、よろしく頼む。では、これより、敵連合艦隊撃滅作戦、“極夜作戦”の説明を開始する。まずは、参加メンバーだが・・・・・・、既存の艦隊を作戦の間だけ一時的に解消し、特別艦隊を編成する。敵連合艦隊を直接撃破するため、2個夜襲艦隊を編成。第1夜襲艦隊は長門を旗艦とし摩耶・川内・みずづき・陽炎・黒潮。第2夜襲艦隊は金剛を旗艦とし大井・吹雪・雷・電・曙。そして、後方支援艦隊を赤城・加賀・瑞鶴・北上・白雪・初雪、その護衛艦隊を夕張・球磨・深雪・暁・響の5隻で編成し、戦闘海域の後方で万一の時に備え待機してもらう」

「っ!?」

 

編成が告げられた瞬間、講堂内が一気にざわつく。

 

秘書艦である長門の登用。

 

なぜ、周囲がそのような反応を示すのか分からなかったが、長門が海上を疾走している姿はよくよく考えれば見たことがない。横須賀において、ビックセブンの一角であり強大な戦闘能力を有する彼女の実戦投入はそれだけ重い意味があるのだろう。

 

だが、ざわめきの理由はそれだけではなかった。瑞鶴が血相を変えて、百石に喰いついた。彼女の正面に立っている加賀が「瑞鶴、やめなさい」と言い放つも、瑞鶴は従わなかった。

 

「ちょっと提督! なんで私たちが後方に回されているの!? 私たちは空母よ、空母! 最前線出せとは言わないけど、前線に出てしかるべき存在でしょ!?」

 

その言葉にため息をつく百石。それは当然瑞鶴からも見えるため、彼女は更に語気を強めようとするが、手をあげて彼が静止する。

 

「瑞鶴・・・・・・。君の言い分はよく分かる。君たち正規空母は重要で欠くことのできない戦力だ」

「だったら!」

「君の心境は察するが、それで冷静さを失ってもらっては困る。今は何時だ」

 

窓から見える真っ暗な外を指さす。時刻は21時半を回ったところ。完全な夜だ。

 

「くっ・・・・・」

 

悔しそうに唇をかむ瑞鶴。その様子を見ると彼女も失念していたではなく、しっかりと分かっていたのだろう。

 

空母は、夜戦では役に立たない、と。

 

瑞鶴たち空母艦娘の艤装である航空機の妖精たちも基本的に、日本世界で人を乗せた本物の航空機を運用していた時と同様に、目視で飛行・哨戒・偵察・戦闘を行っている。レーダーなどの第二次世界大戦中に開発された初歩的な電子捜索機器を装備している機体もあるが、酒の肴にもってこいな性能。夜になれば目視が不可能となるため必然的に夜間の航空機運用はできないのだ。

 

「勘違いしないでくれ瑞鶴。なにも君たちに戦力外通告をしているわけではない。その証拠に後から、君たち3人には私と一緒に工廠へ来てもらう」

「え?」

「だが今、その話は置いておく。今作戦は日付が変わった午前1時より開始する。万が一、戦闘が長引き日の出を迎えた場合、いくらみずづきがいるとはいえ、相手は空母4隻。艦隊に危険が及ぶことは十分に考えられる。その際の制空権確保が、君たちに課された任務だ」

 

諭すような口調に瑞鶴は再び反論しようとするが、ついに瑞鶴の右手首を握るという実力行使に出た加賀がやめさせる。

 

「ちょっと、何すんのよ!」

 

目を大きく見開いた瑞鶴は加賀の手を振り払おうとするが、彼女の顔を見た瞬間、突然気勢を鎮める。そして、振り上げられた手がゆっくりと落ちていった。加賀の表情はここからでは見えない。

 

「・・・・さきほども言ったとおり、今作戦は1時に発動される。それと同時に全艦隊は抜錨。館山沖まで航行したのち、後方支援艦隊と護衛艦隊を残し、夜襲艦隊は前進。みずづきによる策敵で敵の正確な位置を掴んだのち、彼女の対艦ミサイルで第1次攻撃を敢行し、残った敵を夜襲艦隊の砲雷撃戦で、殲滅する。なお、後方支援艦隊の護衛には、夕張旗下の護衛艦隊に加え、海防隊群も出撃する」

「え・・・・・?」

 

互いに顔を見合わせる艦娘たち。海防隊群とは横須賀鎮守府隷下の海防艦からなる部隊であり、第1海防隊の伊豆(いず)式根(しきね)青賀(あおが)(にい)と第2海防隊の神津(こうづ)三宅(みたけ)八丈(はちじょう)御蔵(みくら)の計8隻で構成されている。それらは全て伊豆型海防艦と呼ばれる駆逐艦より一回り小さい艦船だ。基準排水量は940トン。速力は34ノットまで発揮可能で、主武装は前部甲板と後部甲板に設置されている12.7cm連装砲と2基の12.7mm対空連装機銃、爆雷投射機である。

 

深海棲艦との戦闘によって主力部隊が壊滅し、瑞穂海軍にとってシーレーン防衛と並ぶ最重要任務であった瑞穂本土近海の警戒・警備が困難になったことを受け、低費用・低資源そして短工期による大量生産性が追求された結果生まれたのが、大日本帝国がアジア・太平洋戦争末期に不足する海上戦力の補填にと計画・建造した海防艦とほとんど同様の代物であった。遠洋航海能力は放棄され、近海警備にのみ特化した船体・装備。武装はお世辞にも強力とは言えなかったが、深海棲艦に対抗するため質よりも数の確保が優先された。現在、横須賀や由良基地をはじめ、戦略上重要な海軍拠点にはほぼ複数隻が配備されている。

 

 

 

“そんな船を同行させて、意味があるのか”

 

 

 

このような直球ではなかったが、艦娘たちの目はそれに近い疑問を宿していた。完全な兵器ならば合理性を追求する冷徹な思考を行う場面。しかし、今は違う。金属なような冷たさではなく、血の通った温かい心から露わになった感情だった。なにせ、海防艦より遥かに高性能かつ高火力を持つ第5艦隊でさえ壊滅し、多くの将兵たちが犠牲となったのだ。いかに横須賀鎮守府に所属する艦娘の総力をあげた作戦とはいえ出撃する以上、彼らには身の危険が付きまとう。いくらこちらが身構え、注意を向けたとしても。

 

その複雑な感情を宿した視線が、艦娘たち特に第5遊撃部隊から百石に向けられる。加賀の視線はもはや刃物のようだ。

 

「・・・・・・・・確かに、君たちの思っているとおりだ。彼らを出したところで作戦に与える好影響は微々たるものだ。しかし、いくら貧弱とはいえ彼らとて立派な戦力。俺たちが警戒するべき敵は連合艦隊だけではない。まだ確認はされていないが潜水艦が東京湾に潜んでいる可能性は十分に考えられる」

 

百石が「潜水艦」の単語を発した瞬間、何人かの駆逐艦たちが震えあがる。その恐怖に「夜」という人間ではどうしようもない自然の摂理が拍車をかけていた。

 

「まぁ、みずづきが抜錨した時点でもし潜んでいたら血祭だろうが、万が一を考えておかなければならん。俺たちには、戦力を出し惜しみしている余裕はないんだ。先方にも既に説明はしてある。このような重大な作戦に参加できて、身に余る名誉と彼らは言っていたよ」

 

静かに視線を降ろす加賀をはじめとした艦娘たち。百石の説明はごもっともで、反論の余地はない。事が起こった時、彼らを無事に横須賀へ、家族のもとへ帰せるかはほかでもない自分たちの肩にかかっているのだ。

 

「・・・・・・・作戦の概要説明は以上だ。何か、質問は?」

 

静寂。誰も声を上げない。百石はそれを確認すると演台の際まで足を進める。そこに立つと丁寧に1人ひとりの顔を見ていく。

 

「みんな・・・・・・」

 

下を向く。だが、それは一瞬だった。再び露わになる顔。そこにはさきほどほんの一瞬見せた暗い表情はなく、信念に則った固い決意がにじみ出ていた。それを見ると反射的に背筋が伸びる。

 

「比喩でもなんでもなく、この戦いの結果次第で瑞穂の運命が決まる。もし・・・もし負ければ、膨大な犠牲者が出ることも、故郷を破壊し尽くされ悲しみの底なし沼に突き落とされる人々が出ることも避けられない。この国は、死と悲しみと憎しみに支配されることになる。・・・・・・・・・・それは、何としても避けなければならない」

「・・・・・・・」

「だから、だからこそ、私はこの言葉をもって場の締めとする。君たちは瑞穂の対をなす日本から来た存在だ。もう、これ以上は必要ないだろう・・・・・・皇国の興廃、此の一戦に在り・・・・」

「っ!?」

 

目を見開く一同。大日本帝国海軍として数々の激戦に参加してきた艦娘たちだけではない。平成生まれの現役軍人、みずづきも同様であった。一気に上がる心拍数と緊張感。この言葉の重みは身に染みて分かっていた。

 

「・・・・・各員、一層奮励努力せよ! ・・・・・以上、解散! 別名あるまで待機せよ!」

 

にじみ出た固い決意に相応しい、力強い敬礼。それに負けじとみずづきを含めた艦娘も見事に揃った敬礼を見せる。

 

1868年の明治維新から36年後。富国強兵を進め、未開と蔑視されていた非白色人種国家でありながら急速に発展した日本は、当時世界を席巻していた欧米列強の一角であるロシア帝国と日露戦争に突入した。正真正銘の国運を賭けた戦い。負ければ、待つのはロシアをはじめとする欧米列強の無慈悲な侵略。日本本土攻撃を目論み、遠路はるばる日本海にまで進出してきた世界最強の名を冠するバルチック艦隊との戦闘を前にし、大日本帝国海軍連合艦隊旗艦「三笠」は将兵の士気を鼓舞し今次海戦がいかに重要なものか伝えるため信号旗の一種であるZ旗を掲揚し、各艦にとある1文を送った。

 

たった、22文字。しかし、置かれた現状と自分たちの行い次第で待ち受ける将来を、的確に表し、また心に響き渡る不思議な力を持っていた。

 

日本の大勝利に終わった日本海海戦以来、この言葉の使用と海戦におけるZ旗の掲揚は、特にアジア・太平洋戦争下の大規模な海戦で顕著となった。日本が敗戦して以降長らく使用も掲揚もなくある意味ご法度となっていたが、日本は再びそれを必要とする時代を迎えた。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

「あれ? ここは・・・・・・・」

 

一欠けらの雲もなく、星が嬉々と瞬く満点の星空。自然の芸術作品を頭上に掲げ、屋内そして屋外のわずかな照明に照らされた地上3階立ての鉄筋コンクリートの建物が佇んでいる。その前に大きなスクリーンが設置され、自分も含めた大勢の人間が見える位置に集まっていた。彼ら・彼女らは日本海上国防軍須崎基地の隊員たち。集まっていると言っても部隊ごとに整列し、それを基準にして近くの者と話している。決してもっと近くで話したいからと隊列を乱す者はいない。自分たちがなんのために集まっているのか。目の前のスクリーンが貴重な電力を消費し、どのような映像を映し出すために設置されているのか。分かっている者なら、そのような非常識な真似はしない。

 

「どうしたんですか、隊長? もうすぐ始まりますよ」

 

若干、緊張した面持ちのかげろうが、腕時計を見つつ後ろから声をかけてくる。一瞬状況に戸惑うものの「なんでもない」と誤魔化し、意識をスクリーンに集中させる。先ほどからみずづきたちの前で威光を放っていた須崎基地幹部が声を張り上げたのは、それとほぼ同時だった。映像が真っ白から、どこかの広場に変わる。ライトに照らされ、指揮台のようなものとその上に置かれたマイクスタンドが映し出される。

 

「これより、破魔真剛(はま しんごう)統合幕僚長の訓示が行われる。総員、気を付けぇぇぇぇぇ!!」

 

軍靴や革靴の音が見事に重なる。直後、画面の右側から姿を現す、顔のあちこちに刃物で切られたのかと思えるほどの深い皺を作り、真っ黒に焼け、猛獣のような鋭い目つきの男。一見すると反社会的勢力の一員と思ってしまう強面の彼が、文民を除いた日本国防軍の頂点に立つ統合幕僚長破魔真剛海将。マイクスタンド前に立つと、破魔はこことつながっているカメラではなく、その下に視線を向ける。

 

変わるカット。破魔の横に設置されているカメラの映像に切り替わったようだ。そこから見えたのは広場を埋め尽くさんばかりに整列している陸上・海上・航空国防軍の隊員たち。須崎とは比較にならない人数だがそれも納得である。

 

破魔と彼らが立っている場所。隊員たちの背後に映る終わりが見えない廃墟からそこが東京の市ヶ谷、防衛省本省であることが察せられる。

 

「諸君、ついにこの時が来た」

 

視線をゆっくりとカメラに、目の前の隊員たちに向けながら、破魔は静かな口調で語り始めた。

 

「深海棲艦と呼称する未知の生命体群が、突如、人類の前に姿を現して6年。世界は、日本は我々のささやかな願いに構うことなく変わってしまった。非情な現実を前に・・・・我々はたった6年で多くの尊い存在を失った。それは私ごときが言及せずとも、諸君らは十分に分かっているだろう。・・・・・・・2350万人だ」

「・・・・・・くっ」

「たった6年の間に、この国でこれだけの数の人々が、化け物どもに捕食され、化け物どもの爆弾に焼かれ、飢え、凍え、病に苦しみ、犠牲となった。日本にはもう9500万人しかいない。人口が1億を超えていた時代は・・・・・・・・過去となってしまったのだ」

 

眼前ではない、どこか遠くを見る破魔。それにつられ、みずづきもついあの頃を思い出してしまいそうになる。何気なく家族と、友達と、笑い合えていた日々を・・・・・。

 

「諸君らの目には何が見えているか?」

 

唐突な質問。だが、それを訝しがる人間は須崎にはいなかった。おそらくはこの訓示を見ている日本全国、各基地の幾十万の隊員たちも同じはずだ。

 

「私の目には・・・・・・・・廃墟が見える。かつて繁栄と栄光の象徴だった街の廃墟が・・」

 

再び変わるカット。画面の下半分で闇夜に沈んだ、地平線まで延々と続く廃墟が映る。数年前は四六時中放たれていたまばゆい光は皆無で、時々軍や警察車両のヘッドライトが弱々しく見えるだけ。防衛省庁舎の屋上に設置されているカメラだろうか。ゆっくりと景色が動く。しかし、どれだけ動いても廃墟という光景は変わらない。画面いっぱいに破壊され尽くし、かつて極めた繁栄の残滓となった廃墟を映し出すのみ。

 

「約90回に及ぶ無差別爆撃によって約70万人の、何の罪もない人々が犠牲になった廃墟が・・・・・・。我々は、守れなかった。自衛隊の存在意義であった職務を、誓約を果たすことが出来なかった」

 

悔しそうに、申し訳なさそうに表情を歪める破魔。隊員たち、特に生戦勃発時、自衛隊に属していた者たちは視線を下げる。放たれる雰囲気には後悔の念がにじんでいる。みずづきが真っ先に視線を向けた知山も同様だった。あの時とは、おそらく入隊時の誓約だろう。

 

命に代えても国を守る、と。

 

自衛隊、そして国防軍に入隊する者は必ずその誓約を行うのだ。みずづきも当然宣誓していた。

 

「もう、二度目は許されない。もうこれ以上・・・・・この国に地獄を具現させるわけにはいかないっ」

 

歯を食いしばると破魔は素手で深海棲艦を殺さんとするかのような視線でカメラを射貫いた。その視線の底で込められた想いは、みずづきでは推し量ることができないほどの濁流だった。

 

「我々は日本国防軍である! 今を生きる国民を、先人たちが苦難の果てに作り上げてきた文化を、伝統を、歴史を守らなければならない! 我々が引けばどうなるか。私の目の前に、そして諸君らの記憶の中に広がっている地獄と後悔が、待ち受ける未来である! 一歩引けば、引いた分だけ今この時を必死に生きている人々が危機にさらされる。もう我々には引くべき場所は存在しない。引くこと、それは、日本の滅亡を意味している。2600年の悠久の歴史を歩んできた日本を、我々の世代で終わらせるわけにはいかない! 日本を、我々の故郷を、2600年の間に積み上げられた歴史を、文化を、子供たちに、孫たちに残さなければならない! 前だ!」

 

言葉と連動させ、右手で遠方に浮かぶ廃墟群を指し示す。

 

「我々には前しかないのだ!! 敵を滅ぼしてこそ、我々に未来があるのだ。此度の作戦は日本の運命を決める天王山である。厳しい戦いが予想されるが、私は諸君らを、そして日本人の力を信じている。我々の先人たちはごく短期間の間に、欧米列強と肩を並べる大帝国を築き上げ、焼け野原を大都市へと再生・進化させた。我々には、出来る。先人たちは奇跡と称される日本人の底力を2度も歴史に刻み込んできたのだ。先人たちにできて、我々にできない道理はない!! 我々は日本人・・誇り高き日本民族である! 今度は我々が、3度目の奇跡を起こす番である。深海棲艦を滅ぼし、かつての栄光の日々を、安らかな日常をとり戻すのだ!  その為に、我々はここに立っている! 諸君の武運長久を祈り、この言葉を私からの訓示の締めとする。皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ! 現時点を持って東雲作戦を発動する! ・・・以上!」

「敬礼!」

 

固く熱い決意が困られた敬礼が、見事に重なる。その光景と雰囲気はまさに壮観だった。

 

 

 

 

―――――――

 

 

 

 

世界が違えど変わらない。誰にも守りたいものがあるのだ。守らなければならないものがあるのだ。

 

「ふっ・・・・・」

 

参ったと言わんばかりの微笑み。それを浮かべたまま、百石は根拠のある安心感を抱えたまま、この場を締めくくった。

 

「奴らに、2度と日の昇らない永遠の夜をくれてやるぞ」

「はい!!」

 

またも見事に重なる声。そこに百石が登壇するまでの、絶望に染まった雰囲気はない。あるのは誇りと自信、そして“瑞穂を守る”と“2度と日本が味わった地獄を再現させない”という強い意志。例え、暗い感情があったとしても、その信念があれば乗り越えられる。

 

 

瑞穂と日本の反攻がついに始まった。

 

 

だが、日本人お得意の場合わせで、仮初めの態度を取っている者が1人。周囲の感情をあざ笑ってるわけでは決してない。むしろ、同じ気持ちはきちんと心に、体に宿っている。

 

だからこそ、思うのだ。

 

そんな純粋で、きれいな信念を抱いていいのかと。

抱いたところで、自分に果たせるのかと。

 

日本で、瑞穂で大切なものを、守るべき存在を常に取りこぼしてきた自分に今度こそ果たせるのかと。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

横須賀鎮守府 工廠

 

 

時刻は日付が変わろうとする頃合い。時々雲に隠れては顔をのぞかせる月に見守られているここは、通常ならば既に眠りに就いている時間帯である。出入り口付近の非常灯のみがぼんやりと周囲を照らし、そこから外れた辺境の空間は闇の中。幽霊の類が出てきそうな雰囲気が醸し出され、何故か人間よりそういったものに近く感じられる妖精ですら、青筋を浮かべてあまり近寄りたがらない場所。

 

しかし、現在は当然違っていた。昼かと錯覚を覚えるほど煌々と光を放つ照明。時間帯など全く気にすることなく動き回る、クレーンにリフト、トラック。その周囲を油や汗にまみれ、顔を黒く汚した作業員が大声をあげながら、走り回っている。その声は機械にも負けないほどだ。彼らより遥かに小さい妖精たちも同様で、汗を流しながらテコテコと表現されそうな足取りで走っている。

 

作戦発動より早く、ここは戦場となっていた。

 

「おい! 弾薬は!? ねぇじゃねぇか!!! なんでお前んところはすぐ来てこっちは来ねぇんだ!!」

「知るか! 自分で確認しろ!!」

「おい都木!! 上の方に確認してくれ!! これじゃ、間に合わん!!」

「了解!!」

「都木さん、都木さん」

「ん? なんだい??」

「お忙しいところ、申し訳ないです。先ほど提出した補修の書類なんですど・・」

「ん? それは黒髪ちゃんに渡しておいたけど」

「え!? 長にですか!?」

「ごめん! その話はあとで聞くから!! あっ!? 待って下さい! そこのトラック!!!!」

「補給・整備の進捗状況は?」

「現在、第1・2夜襲艦隊、後方支援艦隊が完了。夕張たちの艤装を順次進めています」

「頼んだぞ。遅れたら取り返しがつかんし、工廠の面目丸つぶれだ。工廠長にもどやされる」

「そういえば・・・・・・・工廠長はどちらに?」

「ああ、司令や赤城たちと一緒に開発棟だ」

「開発棟? ということは・・・・・・」

「ああ。あれをついに実戦投入するらしい」

 

 

喧騒に包まれている整備棟の裏手。横須賀湾と隣接している開発棟は比較的平穏を保っており、心なしか時間の流れがゆっくりと感じ、昨日までの平穏がわずかながらも残っているように思われる。

 

だが、それはあくまで幻想。ここも現状(戦時)に覆われていく。

 

「これは・・・・・・・」

 

平穏の残滓を四散させている張本人の1人が声をあげる。他の2人も声はあげなかったが、同じ感情を抱いていることは分かった。

 

「そう、これが君たち待望の新型機だ」

 

隣に黒髪の妖精を肩に乗せた漆原工廠長と百石が目の前の机に視線を向ける。そこには深緑に身を包んだ2機の小さな航空機が鎮座していた。人が容易に持てるほどの大きさ。ただ置かれていれば、子供たちや一部の物好きが欲しがる模型と見分けがつかない。だが、これは人の身でつくれる模型とは異次元の代物。醸し出す雰囲気はやはり全く比較にならなかった。

 

「紫電改二と流星・・・・・・」

 

静かに、そう呟く。全く呼び慣れない名前。

 

「ついに完成したのですね」

 

右側にいる赤城が、険しさをたたえながらも、もの珍しそうな様子で機体を凝視している。左側にいる瑞鶴も赤城以上に目を輝かせているが、何故か赤城のように腰をかがめたり、移動したりして機体を見ようとはしない。

 

「はい。どちらも零戦や天山、彗星と異なり証言や参考資料が乏しかったこともあってかなり苦労しましたが、妖精たちと終戦間際まで生き残っていた艦娘たちの協力でなんとか実戦配備にこぎつけることが出来ました」

 

漆原は心底嬉しそうな様子だ。黒髪の妖精も「えっへん」と遠慮することなく、いつも以上に胸を張っている。

 

零戦よりずんむりむっくりで、F4F-4 ワイルドキャットやF6F ヘルキャットなどアメリカ海軍艦上戦闘機に似ている印象を受ける紫電改二。天山と異なり、少し折れ曲がった逆ガル翼と呼ばれる特徴的な翼を持つ流星。

 

自分たちが日本で、そして瑞穂で運用している機種とはかなり異なった機体。つくづく技術の進歩には驚かされる。これらの機体が日本の空を飛び始めたのは、あの海戦で沈んでからわずか2年ほど経った後なのだ。

 

「性能はどれくらいなの? 見た感じ零戦や天山より断然すごいのは分かるけど、私も小耳にはさんだ程度で、実際に見たことも乗せたこともないの」

「どちらも零戦や天山などといった従来機を大きく凌駕している。紫電改二の格闘性能は零戦より遥かに強化され、零戦に不足してい防弾性能も付与。高速での一撃離脱戦法を行えるほどエンジン出力も向上したため今まで苦戦を強いられてきた白玉型ともほぼ互角にやり合えることが、試験で実証済みだ」

「ほ、ほんとですか!?」

 

瑞鶴よりも早く赤城が、机を大きく叩き目を輝かせる。あまりの喜びように、あの瑞鶴が苦笑している。発生した音で「きゃっ」と可愛らしく黒髪妖精が驚いたりもしているが、誰も赤城に怪訝な表情は示さない。今回も含めて、これまで白玉型には散々痛めつけられてきたのだ。その先頭に立ってきたのが自分たち空母。特に古参の正規空母勢である。日本の技術力の結晶である零戦に文句をつける気はさらさらなかったが、敵が強いのだ。アメリカと同じように。

 

「ああ、そうだ。流星についても、天山より雷撃力が向上。武装に至っては零戦52型と同等の火力を有する。さらにこれまで艦攻になかった防弾性能が加わったため、生存性も向上している。攻撃の成功率は跳ね上がるだろうがこいつは艦爆と艦攻一機で兼ねる統合攻撃機構想の申し子でもある。だから、雷撃のみならず爆撃もやろうと思えば出来る。任務の幅も大きく広がるな」

 

赤城の反応に笑みを浮かべながら流星の利点を大まかに説明する漆原。それを見ると大変言いづらいが、これは絶対に聞いておかなければならないだろう。

 

 

自分たちは、絶対に勝たなければ、守り切らなければならないのだ。

 

 

 

 

第5艦隊を壊滅させた敵空母護衛艦隊の最後の生き残りであった戦艦ル級flagshipが、命からがら退艦した因幡乗組員に何をしたのか。

 

その光景を激しい嗚咽交じりに報告してきた第二次攻撃隊隊長機の声はいまだに耳から離れなかった。

 

 

“俺たちがあと2分・・・・あと2分早くついていれば・・・こんなことには・・・。すみません・・・・すみませんっ!!”

 

 

 

「くっ・・・・・」

 

自然と拳に力が入る。失われなくてもいい命が、また失われたのだ。そんなことがこれから先も繰り返される事態は絶対に許されない。

 

それが周囲に漏れていたのだろうか。瑞鶴が心配そうに漆原や百石と言葉を交わしながら、こちらへ視線を向けてくる。だが、無用とばかりに無視するだけで反応はしなかった。

 

「工廠長、伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「ん? 加賀、どうした?」

「これらの機体の素晴らしさはよく分かりました。私も感激の至りです。しかし、新型機には弱点がつきもの。紫電改二や流星にも・・・・・・・存在するのですよね?」

 

その瞬間、百石たちの表情が暗くなる。そして、「ご名答」と言わんばかりの苦笑。

 

「ああ、いくらか改善したんだが、やはり妖精たちの記憶が全ての根源だからな。こちらが手を加えるには限界がある」

「って、ことはやっぱり・・・」

「ああ。紫電改二はもともと局地戦闘機として開発されて機体をベースにしているため零戦より航続距離が短い。流星はエンジンが癇癪もちってところだな」

 

「日本のものと一緒じゃない」と瑞鶴。

 

「だが、それを勘定しても性能を考えれば十分に補えると我々は判断している。紫電改二は航続距離の短さを十分補えるほどの性能を有している。流星も同様だ。君たちの方が分かっていると思うが、これが横須賀だけでなく他の鎮守府にも配備されれば、戦局を再びこちらへ引き寄せることができる」

「今、最も問題となるのは機体の性能でも、欠陥でもない。ろくな訓練もなしに実戦投入しなければならないということだ」

 

百石の表情が険しくなる。

 

「この機体の妖精たちは出来ると胸を張っているが、正直判断に困る。彼らは試験飛行でしか飛んでないんだ。空母の発着艦の訓練も一応済んではいるが、その時付き合ってくれた翔鶴は現在治療中」

 

横須賀沖の戦闘で損傷した翔鶴・榛名・潮は、現在横須賀鎮守府内にある海軍横須賀病院の艦娘病棟で治療を受けている。102隊が決死の覚悟で離脱を援護してくれたため、幸い敵の攻撃を受けることもなく、横須賀病院へ搬送することができた。だが、潮を代表格に損傷は容易に回復するものではなく、今作戦から3人は外されていた。

 

その言葉を最後に黙り込む百石。その沈黙はこう告げていた。

 

 

できるか、と。

 

 

ぶっつけ本番で彼らを運用できるかと、そう百石は言っているのだ。

 

「できます! いえやってみせます!」

 

一番初めに声を上げたのは、赤城だった。そこに先ほどまで子供のように目を輝かせていた少女は存在せず、正規空母としての彼女がいた。疑いを感じさせない、自信に満ち溢れた言葉。こちらが声を上げずともそれだけで十分だった。一航戦旗艦赤城の言葉は加賀の、瑞鶴の言葉でもある。

 

「分かった」

「では早速艤装の換装作業に着手します! すぐに片付けますのでご心配なく!!」

 

そういうと、漆原は整備棟へ向かうため、慌てて話し合っていた部屋から退出する。彼の肩に乗っかった黒髪妖精も一緒だ。

 

「ねぇねぇ、提督?」

「ん? どうした、瑞鶴?」

 

意地悪げな笑みを浮かべて、百石を見る瑞鶴。百石は若干、動揺している。なぜ彼女がそのような表情をしているのか分からないことに加え、講堂での件を気にしているのだろう。

 

「私たちが戦闘することはほぼないって踏んでるでしょ?」

 

視線を逸らす。艦娘の指揮官であるため口では言えないのだろうが、視線ではきちんと教えてくれた。

 

「みずづきさんがいるものね」

 

柔和な顔に戻る赤城。それを見て、百石は気まずそうに苦笑する。

 

「彼女は、我々の切り札だ。だが、戦場ではなにが起こるか分からん。特に今回は用心しないといけない。それに、みずづきも私と同じれっきとした人間だ。いざという時は夜襲艦隊を頼むな」

『はい!!』

「但し、無茶はするなよ。特に、瑞鶴!」

「えっ!? なんで私だけ!! ちょっと、提督!!」

 

「前科を考えろ、前科を」と瑞鶴の弾幕を手で払う百石。めげず言葉を投げ続ける彼女であったが、意識の多くは相変わらず加賀へと向けられていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

何気なく夜空に浮かぶ少し欠けた月と人工的な照明によって、暗闇の中でもしっかり視認できる艦娘専用桟橋。敵の第2次攻撃によって損傷したものの、鎮守府工兵たちの活躍で昨日中にその機能を取り戻すことに成功していた。それを使い、艤装の重みを背中と肩に、感触を体中に覚えながらゆっくりと海上に足をつける。

 

乱れる水面。同時に浮かんでいた月と照明も形容できない形へと歪む。それはみずづきの後も次々と降りてくる艦娘たちによって続いていく。その姿を街灯から発せられる斜光を背に横須賀鎮守府の将兵たちが固唾を飲んで見守る。百石をはじめする幹部たちも軒並みたたずんでいる。人数は多すぎて数えられない。

 

そして、みずづきたちの姿を祈るような目で見ているのは彼らだけではなかった。艦娘専用桟橋を含めた横須賀鎮守府中央区画が存在する楠ヶ浦町のちょうど対岸に位置する箱崎町。大昔、海軍によって行われた開削で島のようになってしまった半島には、軽油をはじめとする燃料や弾薬の貯蔵施設が設置され、横須賀湾にはそれらの搬出用に補給船が横付けできる岸壁がつくられていた。深海棲艦空母機動部隊の攻撃による被害も軽微で済み、現時刻になっても2隻の補給船が停泊し、クレーン・車両を用いた燃料・弾薬の搬出が急ピッチで進められている。横須賀湾の入り口付近には数隻の補給船が待機しており、現在停泊している船への搬入が終わり次第、別の補給船が入港してくる。昨夜行われた佐影総理による特別非常事態宣言の発令及び背水作戦の発動・移行後、この光景がやむことは一瞬たりともなかった。ここで積載された燃料・弾薬は木更津港へ運ばれ、敵の房総半島九十九里浜上陸に備え緊急展開しつつある陸海軍部隊に供給される。

 

だが、その光景は今、瑞穂が明確な国難に直面して以降、初めて止まっていた。作業から身を退き、艦娘たちが見える岸壁に集まる水兵たち。汚れたシャツや汗だくになった顔に似合わず、宿している表情は百石たちと同じであった。

 

長門の指示に従い陣形を整えつつ、そこから今度は左側に視線を向ける。この世界に来た直後に、吹雪たちと足を運んだ海浜公園。街灯に照らされたそこは大きなバックや風呂敷を背負い、鞄を手に提げ、不安に押しつぶされそうな表情の人々で埋め尽くされていた。果てしなく続き、所々で曲がりくねっている列。国鉄横須賀線の上り電車で鎌倉方面へ避難する横須賀市民たちだ。その間に周囲へ目を光らせる警察官や非常招集された海軍予備役の兵士が立ち、誘導を行っている。横須賀駅に電車が来るたび、列は進んでいくもののあまりにもゆっくりだ。国鉄横須賀線は横須賀まで複線とはいえ、小田原方面へ向かう避難住民と横須賀や三浦へ展開する軍部隊の輸送でパンク寸前となり、輸送が思うようにはかどっていなかった。

 

その後ろ。

 

海浜公園と道路を隔てる形で横須賀鎮守府内まで続く海軍専用貨物線は弾薬をはじめ将兵たちを乗せてひっきりなしに、鎮守府方面へ、田浦方面へ走っていく。それを背に、将兵たちと同様にこちらへ視線を送ってくる市民たち。日本人のように「万歳ぃぃぃ!!!!」や「日の本の栄光を!」などの勇ましい声は一切あげない。口のかわりというように、ただ静かにこちらを見てくる。小さな子供が、中学生が、若者が、両親と同じくらい年をとった中高年の夫婦が、静かに・・・・・・・・。

 

「出港準備、完了しました!」

 

長門の声。現状でも、昨日までと変わらない。それを聞くと百石は頷き、険しい表情で短く重い一言を発した。

 

「出港せよ」

 

「総員、抜錨」の掛け声と共に第1・2夜襲艦隊、後方支援艦隊、護衛艦隊、総勢23人の機関が始動。煙突を持つ艦娘からは勢いよく黒煙が吐き出される。みずづきも彼女たちと同じく化石燃料を燃やしてエネルギーを得る内燃機関を使っているため煙は出るが薄い灰色で、昼間でもほとんど分からないため現状では見えない。

 

岸壁にいる百石たちに敬礼し、進み始める。

 

「帽振れ!!!!」

 

百石の掛け声を合図に被っている帽子をとり、将兵たちが一斉に頭上でゆっくりと回し始める。人数の多さがそれによって生み出される壮観さを際立たせる。しかし、それを行ったのは彼らだけではなかった。対岸にいる水兵たち、そして海浜公園にいる市民たちも百石たちと同じ動作を行う。市民たちに至っては、帽子を持っている者は将兵たちと同じように帽子を頭上で回すが、帽子を持っていない人々は防災頭巾やハンカチ・タオルを高く掲げ、回している。

 

一生懸命に。

 

そこへ汽笛の音が鳴り響く。プゥゥーーーーー、プゥゥーーーーーと。燃料・弾薬を積載中の貨物船からだ。よく見れば、艦橋にいる船員たちも帽子を振っている。

 

「絶対に勝って見せるデース・・・・・」

 

無線を通じて耳に響く金剛の声。そこには長門と対照的にいつもの陽気さはない。マグマのような闘志と、巨石のように何をしても揺るがない覚悟だけだった。こちらに彼女たちの気持ちを推し量ることはできない。自身も本土決戦の間際まで追い込まれた状況に身を置いていたが、それでもだ。特に長門たちは本土決戦が現実味を帯びた大戦末期まで生き残っていたのだ。

 

負ければもうあとはない。後ろには、本土が広がっているのだから。




房総半島沖海戦編もそろそろ佳境に入って参りました。果たして、みずづきたちは瑞穂を守り切ることができるのか・・・・。

っと、既にお気付きの方もおられることと思いますが、ここで艦娘たちの「入渠」について説明させていただきたいと思います。

艦娘たちが戦闘やじゃれあい(?)で入渠する場合、テレビアニメ版や漫画、多くの二次創作作品では「入浴」に近い形を取られています。本作でもそれに準じようと思ったのですが、傷だらけの状態で入浴(人間だと確実にドクターストップです)や時には20時間以上にも上る入渠時間中に何をしているのか(・・・ご飯は?)、といった点に疑問を抱いたため、本作では「入渠=入院」としています。こちらの方が作者的にはしっくりきました(苦笑)。ですので艦娘たちは湯船に放り込まれるのではなく、私たちと同じように医師・看護師監視の元、ベッドに寝かせられます。(・・・・・こっちの方が残酷のような気がしてきた)



この点をご了承下さいますようお願いいたします。

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