水面に映る月   作:金づち水兵

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今回は第5艦隊視点での話となります。

艦娘の露出がかなり少ないですが、あくまでも艦これの二次創作です!


55話 房総半島沖海戦 その4 ~激突の果てに~

「なに! それは本当か!?」

「はい! 第3水雷戦隊は先ほど通報された敵重空母機動部隊と交戦状態に入ったのとことです!!」

「なんてことだ。敵はもう目の前だというのに・・・・・・・・・」

 

顔中を油汗でぎらつかせた第5艦隊参謀長掃部尚正(かもん なおまさ)少将が大きく肩を落とす。彼だけではない。第5艦隊司令官正躬信雲(まさみ しんうん)少将や因幡艦長大戸雅史(おおど まさふみ)大佐がいる因幡艦橋だけでなく、第5艦隊全艦艇が掃部と同様だった。房総半島東方沖で分離した敵連合艦隊。第5艦隊は本土から遠ざかる進路を取った空母機動部隊よりも房総半島沿岸を西進する空母護衛艦隊を脅威と判断。撃滅を目指し、距離を詰めていた。想定していた敵の戦力が突如分散、低減したことと同時に救援部隊である第3水雷戦隊と第5遊撃部隊の存在。それらが艦隊に希望の光をもたらしていた。

 

これだけの戦力なら、勝てる! 

 

艦隊の将兵たちだけではない。正躬や掃部、大戸たち第5艦隊上層部も明確にそう思っていたのだ。

 

しかし今、勝利の確信は残滓すら残っていなかった。全ての発端は突然舞い込んできた第3水雷戦隊の「敵別動隊発見」の報だった。それによれば、現在第3水雷戦隊と交戦中の重空母機動部隊のほかに重巡を基幹とした水上打撃群が神津島の東方沖を北へ、第5艦隊へ向け航行中だという。

 

 

 

 

 

不自然な敵連合艦隊の解消。いくら戦艦が存在するとはいえ、敵より遥かに強力な火力を有する横須賀要塞近傍へ突入するかのような進路。

 

 

 

 

全ては第5艦隊を誘い出し、挟撃するためだったとしたら面白いほどに説明がつく。

 

「我々は、はめられたな」

 

正躬は掃部たちに振り返らず、前方の海に視線を向けて淡々と呟いた。しかし、言葉とは裏腹に己の不甲斐なさに起因した激情が全身を駆け巡っていた。拳ははめている純白の手袋が破れそうなほど、強く握りしめられていた。数日前まで居座っていた台風8号の影響が残る、少し波の荒い海面。その先、水平線以遠に敵艦隊がいる。

 

「これで第3水雷戦隊の救援は絶望的となった。第5遊撃部隊の状況は?」

「はっ! 現在、浦賀水道を全速力で南下中。敵艦隊と接触するのは早くてもあと一時間はかかる模様です!!」

 

通信参謀の松本孝大佐は直立不動で正躬の問いに答える。

 

「そうか・・・・・・・・」

 

これで、敵艦隊に第5艦隊のみで対峙しなければならないことが確定した。索敵機の報告によると敵もすでにこちらを完全に捕捉したようで、急速に接近してきている。そして、後方にも敵。もう、逃げることは叶わない。本来なら、南から第5艦隊、北から第5遊撃部隊、西から第3水雷戦隊が迫り、房総半島先端部の近海で三方向同時攻撃を行う作戦だったのだ。

 

しかし、それはもう過去の話。

 

「正躬司令。やはり我が艦隊だけでぶつかるのは得策ではありません。彼女たちには申し訳ないですが・・・・・みずづきに対艦ミサイルによる援護を要請してはどうでしょうか?」

「援護?」

 

訝し気に呟く大戸。掃部は一瞥することもなく、正躬の背中にのみ視線を向けている。

 

「彼女たちは今、空母ヲ級改flagshipと戦艦棲姫を基軸とする艦隊と交戦中なのですよ? こちらに意識を向ける余裕があるとは到底思えませんが?」

「彼女が持つ兵装の性質上、必ず視認圏外から戦端が開かれます。もし、対艦ミサイルで決着がつかなければ、我々と同じく砲で対峙することになるでしょう。彼女によれば対艦ミサイルの射程は約150km。・・・・・・おそらくは、それ以上あるかと」

「つまり、みずづきの対艦ミサイルで援護してもらおうということかね?」

「その通りであります」

 

掃部は堂々と背筋を伸ばした。

 

「待って下さい! それは少し早計ではありませんか、掃部参謀長?」

 

大戸が慌てた様子で噛みついた。

 

「一体第3水雷戦隊がどのような様相で戦っているのか、こちらに把握する手段はありません。おっしゃられた状況の可能性もありますが、そうではない、全くの逆の可能性もあるのですよ?」

「そんなことは分かっている。では聞くが、現状を打破する方法がこれ以外にあるのか?」

 

大戸は悔しそうに黙り込む。方法など、ない。誰もが分かっている単純明快な事実だった。

 

「我々単独でぶつかれば、全滅は不可避だ。瑞穂海軍唯一の通常戦力主力部隊である第5艦隊をここで失うわけにはいかない。あの戦闘を生き残り経験豊富な将兵たちを、ここで失うわけにはいかない。貴様にも分かるだろう?」

「分かっています。しかし、おっしゃられたことはあまりにも賭けに興じ過ぎています。 彼女は対艦ミサイルを8発しか、装備していないんですよ? 装甲が戦艦と比べても桁違いの空母ヲ級flagship改と戦艦棲姫を1発沈めることなど、どう考えても困難です。既に戦闘開始から時間が経過しています。全発撃ち尽くしていると見るのが妥当では?」

「そこまでだ。二人とも」

 

拳を震わせた掃部が口を開く前に、正躬が落ち着き払った口調で制止する。そして、第5艦隊司令官としての決断を下した。

 

「第3水雷戦隊・・・・・みずづきには目の前の敵との戦闘に集中してもらう。だが・・・・」

 

そこで止まる言葉。「どうしてだめなのか」。掃部は必死に視線で問いかけていた。さすがに無視するのは酷と思ったのか、若干の苦笑交じりに理由を語った。

 

「大戸の言ったことがすべてだよ。付け加えるなら、彼女に我々の援護は不可能という事だ。例え、戦闘をしていなくてもな」

「何故ですか!? 彼女の対艦ミサイルは射程が・・・」

「確かに、そうだ。射程だけなら敵艦隊も十分攻撃圏内だ。しかし、この海域には我々もいる。レーダーの探知圏内でない場合、大まかな位置情報で飛翔し、近傍に来るとレーダー走査等によち目標を定め突進する。これが彼女の持っている対艦ミサイルの仕組みだ。“大まか位置情報”、これが肝になる。もし、飛んできて敵と判断されたのが我々ならば・・・・・」

 

全員、息を飲む。瑞穂が伝えられる位置情報では被ってしまうほど、第5艦隊は現在敵に接近しているのだ。もうすぐ、視認できるところまで。

 

「日本世界の船にはそれぞれ所属や国籍を識別できる装置がついていたという。それがあれば誤射も防げるのだろうが、あいにく我々にそんな大層なものはない。・・・・・・これで満足か?」

「・・・・・・・・・・・」

 

小さく、本当に小さく「はい」とつぶやいた掃部。がっくりと肩を落とし、意気消沈もいいところだ。しかし、誰も責めたりあげ足をとるような真似はしない。彼の気持ちは誰もが知っていた。

 

「第5遊撃部隊の状況は?」

「現在、航空隊の発艦作業中。完了後、現空域への到着まであと40分ほどかかると、先ほど旗艦吹雪から報告がありました」

「40分、か・・・・・・」

「艦長!」

 

艦橋横に設置された見張り台から緊迫した声が響く。

 

「なんだ!」

「敵艦隊、視認」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

大戸と掃部のやりとりがあろうと騒がしかった艦橋が一気に静まり返る。伝声管を通じた他部署からの報告だげがむなしく響いた。

 

「そうか」

 

正躬の一言。長い間が空いたあと、それは下された。

 

「総員、戦闘よーい! 艦隊、進路回頭、取り舵いっぱーい!! 丁字戦法をとる!」

「了解! 進路回頭、取り舵いっぱい!! 総員、戦闘よーい!!!」

「とーりかーじ、いっぱーい」

「戦闘よーい!、戦闘よーい! 繰り返す、戦闘よーい!」

 

艦橋で復唱される命令。それは伝声管を通じ因幡の隅々まで、そして発光信号を通じて全艦に伝えられる。一挙に怒号交じりの喧騒に包まれる艦隊。各銃座に張り付いていた、ヘルメットや防火服で身を包んだ将兵たちは試射や弾薬補充の最終確認を行う。今まで寝ていた銃身が、次々と目の前の海を睨みつけ始める。そして、銃座に座る射手や、銃弾・砲弾を運んでくる補給要員も。

 

丁字戦法とは、敵艦隊と並行に位置するのではなく、敵艦隊を丁の時の縦線、自艦隊を横線に見立て、進行方向を遮る形で砲撃戦を行う戦法を言う。この場合、敵はこちらへ先頭艦の前部主砲、もしくは後続艦の前部主砲しか火力投射が出来ないのに対し、こちらは全砲門を使用できるため持ちうる全ての火力を、敵の先頭艦に、そして、後続艦に投射する事ができる。戦力が勝っている相手でも十分、勝利を拾える戦法だ。

 

20世紀初頭、世界最強と恐れられたロシア帝国バルチック艦隊を日本海海戦で大日本帝国海軍連合艦隊が撃滅した際も、この交戦形態が使用された。日本世界では海戦の主軸がミサイルによる視認圏外戦闘へ移行したため廃れてしまった戦法だが、いまだ砲雷撃戦が主流の瑞穂世界では現役である。

 

正躬たちは、特定の敵艦に艦隊火力を集中できるこの戦法に全てをかけたのだ。上手くいけば、第5遊撃部隊に属する加賀・瑞鶴の航空隊が到着するまで時間を稼ぐことが出来る。

 

しかし、如何せん回頭が遅すぎた。敵に丸見えの状態で回頭を行えばどうなるか。いかにflagshipの深海棲艦とはいえ、当たる確率が低いと分かっていてもただじっと見ていることはあり得ない。

 

「て、敵!! 発砲!! 攻撃を開始しました!!!!」

 

第5艦隊が攻撃体制を整える前に、敵艦隊からの砲撃によって戦端は開かれることとなった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

至近に立ち上る巨大な水柱。巻き上げられた海水が雨のように降り注ぎ、雨が降っていないにも関わらず、設置されているワイパーに仕事を与えてくる。急速に視界を回復する艦橋の窓。しかし、それはワイパーのおかげだけではない。前方に設置されている2基の20.3cm連装砲から発せられる世界全体を揺さぶるような衝撃波。これも窓に張り付いた海水を薙ぎ払うのに微力ながら役立っていた。飛翔していく砲弾。艦隊先頭を進んでいるツ級に吸い込まれていくが・・・・・・。

 

周囲に虚しい水柱を立たせるだけに終わる。

 

「はぁぁ~~。くっそ!!」

 

吐き捨てる第5戦隊司令官結解由造(けっけ ゆうぞう)大佐。断続的に自艦の、他艦の砲撃音が響くが、そのため息は隣にいる巡洋艦若狭艦長橋立翔太(はしだて しょうた)中佐も聞き取っていた。

 

「当たりませんな・・・・・」

「砲撃を続けろ! 絶対に当てろと、無茶は言わない! 敵の注意を少しでも逸らすんだ!! 橋立艦長、艦隊の回頭状況は!」

「ほぼ完了しました。本艦は先頭をゆく伊予に続きます!」

「分かった! 次の砲撃は威嚇ではなく当てる気でいってくれ!」

「分かりました! 砲雷長! 次の砲撃は・・・・」

 

瞬く閃光。それを見た若狭艦橋要員の誰もが一瞬、言葉を失う。これまでの砲撃とは明らかに格が違った。

 

第5艦隊を殲滅せんとこちらを睨む戦艦ル級flagship2隻による同時砲撃。その迫力は、もはや恐怖としか表現できない。そして・・・・。

 

ついに敵の砲弾が砲弾たる使命を果たす時が来た。

 

艦橋にいても聞こえる爆発音。感じる衝撃。海水で濡れ鼠となり血相を変えた艦橋見張り員が駆け込んできた。その勢いで体に染み込んでいる海水が艦橋内にまき散らされるが、誰からもそんな些細なことを気にする余裕は完全に消滅していた。

 

「河波、被弾! 艦首が消滅した模様!」

「速力、低下している模様! ああ!?!? 艦隊より落伍していきます!」

「クッソ!!」

 

奥歯を噛みながら、左舷側の見張り台に走り、身を乗り出すようにして被弾した河波の様子を自身の目で確かめる。河波は伊予の後方を航行中だった。船体の各所、特に前部から勢いよくどす黒い煙が噴き出し、偶発的な煙幕のようになっている。そのあまりに悲惨な姿に目が縫い付けられる。絶えず自艦から、そして他艦から反射的に耳を塞ぎたくなるほどの凄まじい砲撃音が轟いているのだが、まるで現実感がなく別世界の現象のような感傷を抱く。

 

「ちくしょう・・・・・・ちくしょう・・・・・・」

 

強く拳を握りしめる。それは結解だけではない。同じ空間を共有している見張り員たちも同様であった。あそこには、黒煙を巻き上げ炎の火種となっているあそこには323名の仲間がいるのだ。どうか助かってくれ、という心情は結局叶えらなかった。

 

段々と落伍しながら敵艦隊に近づいてく河波。現在、第5艦隊は敵艦隊を左斜め前方に捉えている位置関係のため、左舷方向へ惰性で航行している河波は敵艦隊に近づく結果となった。その姿が小さくなっていく。深海棲艦から容赦ない砲撃を受けながらも、無事な砲や機銃が必死に各個で応戦していた。

 

それを無視する形で進んでいく自分達、本隊。軍人として考えるならば敵の攻勢が河波に集中している今こそが、好機。だが、いくら機械的に合理性を追求した思考を巡らせようと、後ろ髪を引かれる感覚は決して消えない。そして・・・・。

 

「っ!?」

 

黒煙を押しのけ、一際巨大な爆発に包まれる河波。それでもなお打ち込まれる砲弾。あまりの砲撃の多さに姿をまともに捉えることもできない。砲撃がやみ、黒煙と共に、河波がいた海上に霞をかけていた水柱が収まる。そこにあったのは大戦勃発以後、自分たち共に瑞穂を守り323名の将兵を乗せていた船の残骸と上空へ漂っていく黒煙だけだった。激情をこらえながら、帽子をかぶり直し、艦橋内に足を運ぶ。

 

「河波、爆沈しました」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

戦場のさなか、静かな口調で語られたにも関わらず、はっきりと聞こえる報告。瞑目した後、前方のみに視線を向ける。後ろへ振り返りたくなる衝動を懸命に抑えながら。

 

敵の砲撃はますます激しくなる。こちら側も砲撃を強めるが、的が人間大のためかすりすらしない。なんという無様な姿か。

 

「やはり、的が小さすぎるな・・・・」

「この時に備え、艦の将兵が一丸となって訓練に励んできましたが・・・・忸怩たる思いです」

「まったくだよ・・・・。ここまでしても俺たちはやつらに、っつ・・・・・!」

 

しかし、敵艦隊がまばゆい閃光で覆われた瞬間、艦橋に漂っていた重い空気が一掃された。複数の敵艦が黒煙を上げる。

 

「これは・・・・・」

 

前方を航行する伊予から発射された砲弾が敵艦隊上空へ達すると、まるで花火のような小規模な爆発を起こし、小さな黒い点を敵の上空にまき散らしていく。続いて先ほどと同じように無数の爆発が巻き起こる。通常の砲弾に比べれば迫力は弱々しいの一言だが、これを受けた駆逐ロ級後期型flagship2隻と軽巡ツ級flagship1隻からの砲撃がやむ。その快挙は若狭艦橋からでもはっきりと視認する事ができた。醜い体からもくもくと黒い煙が立ち上っている。

 

「おおお! あれが・・・・あれが零式弾か!」

 

思わず、胸の前で拳を握りしめる。

 

「ええ、そのようです! 効果があるのかどうか心配していましたが、これは!」

「ああ、兵研の連中が胸を張っていただけはあるな。この戦いに間に合って良かった」

 

敵艦3隻が沈黙したあとも戦艦ル級からの砲撃をもろともせず、伊予は断続的に零式弾を発射していく。そのたびに、全ての敵艦に無数の爆発が起こる。それは確実に被弾した深海棲艦の戦闘力を奪っていた。灰色や漆黒の肌に空く穴。へし折れた砲身。噴き出す青い体液。

 

的が小さく従来の徹甲弾では対処不可能な深海棲艦用に開発された新型砲弾「零式弾」。これは一部の艦娘たちが装備している対空榴弾、三式弾を参考に対水上榴弾として開発された代物だ。もっと簡単に言えば砲弾のクラスター爆弾版である。目標の上空に到達すると子爆弾を周囲にまき散らし、爆発の嵐を巻き起こす。直接狙わなければならない徹甲弾と比べると命中率は次元が違う。確実に数発は当たるのだ。ただ1つ1つの子爆弾は威力が小さいため、駆逐級でも撃沈するには複数回にわたって大量の子爆弾を当てなければならず、戦艦や重巡洋艦には目くらまし程度の効果しかないと考えられていた。しかし、今まで深海棲艦に狩られる一方だった通常艦隊が駆逐級であろうと倒せる手段を得たことは歴史的な快挙だった。

 

「因幡の確認が取れました! 零式弾の砲撃が正式に下令されました!!!」

 

通信室の下士官が駆け込んでくる。彼の報告に橋立は大きく頷いた。

 

「分かった。司令、我が艦も零式弾の撃ち方はじめます!」

「分かった! やつらに思う存分、爆弾の雨を降らせてやれ! フライングした伊予に後れを取るなよ!!」

「若狭を舐めないでください! 砲術長へ転送。零式弾での攻撃を開始せよ!!」

「はっ!!」

 

控えていた伝令係の砲術科員が慌てて、伝声管に声を張り上げる。

 

直後、砲身がわずかに動き、今までと変わらない閃光と爆発音、衝撃波を伴って砲弾が撃ち出された。数秒後、敵艦隊の直上で華が開くと、爆発の連鎖が禍々しい化け物たちを襲った。

 

「よし!!!!」

 

若狭、伊予、そして正躬たちが乗艦している因幡の巡洋艦3隻から、断続的に瑞穂の科学技術と犠牲の結晶が撃ちこまれる。そして、ついにそれは散々苦しめられた深海棲艦の耐久力を打ち破った。艦橋の窓越しでもはっきりと確認できる閃光と爆発音。その直後、先ほどとは正反対の、歓喜混じりの報告が木霊した。

 

「駆逐ロ級flagship2隻! 撃沈! 軽巡ツ級flagship大破! 落伍していきます!!」

「よし! やった、やったぞ!!!」

「司令!! やりました!! 良かった、よかった・・・」

 

歓喜に沸く艦橋。誰もが笑顔を浮かべる。絶望一色だった雰囲気は、駆逐級爆発と共に四散した。

 

駆逐級を撃沈。言葉にすれば一文だが、これには一文では言い表せないほどの重みと意味が宿っている。夥しい味方の犠牲の果てに、息絶え絶えとなってようやく駆逐級や軽巡級を1隻倒せるかどうか。深海棲艦との戦いは、文字通り死を前提とした、過酷の一言では片づけられないほど残酷なものだったのだ。

 

それが今、現在から過去へと変わったのだ。第5艦隊は河波を失ったが、まだ1隻。あと7隻に残っている。

 

「司令! まもなく彼我の位置、丁字に達します!!」

 

力強い口調の橋立。そこにもう浮かれた感情はない。結解は視線で答えると、軍帽を深くかぶり直す。

 

「ここが正念場だ・・・・・・・。総員、全力砲撃!! 百発百中の心構えでいけぇぇぇ!!」

 

嵐の前の静けさと言わんばかりに、静寂と取り戻す艦橋。静寂は艦橋だけではない。若狭全体がまるで眠りについたように、数多の音が消失する。艦首が大洋に満ち満ちている海水を無理やりかき分ける音。それすらも艦橋には聞こえてくた。

 

撃沈した駆逐ロ級後期型flagshipと大破したツ級flagshipから生み出された黒煙に覆われる敵艦隊。そこへ向け、前部甲板の20.3cm連装砲2基、後部甲板の20.3cm連装砲1基に合計6門の砲身が微調整を繰り返しながら、正確な狙いをつけていく。そして、時が止まったかのように静止する。前方を航行している伊予の後部砲塔も同じく。

 

古参兵に檄を飛ばされ、重労働と装填室の暑さで汗びっしょりとなった兵士が数人がかりで砲身内へ零式弾や徹甲弾を装填していく。発射の号令を待ち、じっと薬室内で待機する人間大の砲弾たち。

 

第5艦隊の残存している全将兵、そして瑞穂の願いと希望を充填し、人類の敵である森羅万象を凌駕した化け物に、鉄槌を下す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

充満する黒煙を衝撃波で薙ぎ払い、飛翔してくる死の鉄矢。各国海軍を絶望の淵に叩き込んできた悪夢を、くしくも再び若狭と若狭乗組員、そして第5艦隊は目撃することとなった。

 

反射的に目をつぶってしまうほどの閃光。続いて轟く大音響。直後、小石があたるようなカンカンと軽い高音が、窓や見張り台から聞こえてくる。

 

顔面を蒼白にし、おそるおそる結解たちは前方を見る。そこにはほんの一瞬前まで、「鉄の城」と称えられるほどの威容を誇っていた伊予が、そこらじゅうから黒煙を吹き出し朽ち果てた廃墟になっていた。

 

「な・・・・・・なんと、いう・・・・・・・・」

 

もはや軍人らしい言葉もでない。眼前の光景はあまりに無慈悲で、心を揺さぶるものだった。

 

「伊予の仇をうってやる・・・・・・」

 

明後日の方向へ進んでいく、死に体の伊予。もはや、舵も利かないらしい。主機がやられたのか、機関室が壊滅したのか・・・・・・はたまた艦橋に砲弾が着弾したのか。そこまで考えて、思考を中断した。明確な事実は1つ。それは第5艦隊の先導艦がこの若狭になってしまったことだ。

 

「砲撃・・・・・」

 

無理やりしみ出したような言葉。しかし、次に放たれた言葉は、しみ出すなどかわいらしいと思えるほど、感情が込められたものだった。

 

「砲撃開始ぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!」

「了解! 全艦、砲撃開始!」

 

橋立の号令から数秒の時差を経て、発射される砲弾。若狭だけではない。後続の艦からもほぼ同じタイミングで、正躬司令の作戦にのっとった渾身の砲撃が始まった。そして、それは敵も同じ。再び放たれる死の矢。当たれば一撃で海の底だ。砲撃の衝撃波と海風によって、場違いな黒煙が四散していく。久方ぶりに露わになる敵艦隊。そこには大破した軽巡ツ級の姿はもうどこにもなかった。しかし、それに笑顔を見える余裕は完全に失われていた。砲弾が空中を飛翔し、敵味方双方とも装填作業に入るわずかな時間。ここも、戦場に塗りつぶされていく。

 

「伊予、大破! 通信途絶! 傾斜角拡大中!!!」

 

もう悲鳴と化した報告。

 

「ああああ゛ぁ・・・・・、目が、目が!!」

「高坂!! 血が、血が・・・。えっと、えっと、こういう場合は・・た、対処法は・・!」

「腕に破片が・・・・・・、いてぇ・・・・」

「待て待て待て!! 抜くな! 抜いたら、一気に出血するぞ!」

「こちら艦橋見張り台! 飛翔した破片により、2名負傷! これより医務室へ搬送する!」

 

制服や肌を真っ赤に染める乗組員。患部から重力に従い、血がしたたり落ち床を濡らしていく。それが盛大に震える。右舷に林立する水柱。至近弾ではないにも関わらず、衝撃は尋常ではない。同時にこちらからの砲撃も着弾していく。徹甲弾はくしくも海上に。零式弾は残りの戦艦ル級flagship2隻と残っていた軽巡ツ級flagship1隻に降り注ぐが、運悪く効果は皆無に等しい。見張り員の注意が散漫になるなか、青かった顔をさらに青くした橋立が叫ぶ。

 

「おい、お前ら! 進路変更の必要性があるんじゃないのか!!!」

 

反射的に前方に注目する艦橋要員。1kmほど離れていた伊予とは、確かに近づいていた。徐々に大きくなる船影。自分たちの失態を明確に認識した見張り台要員たち。その中で最先任の下士官が詫びるよりも先に、周囲に立ち上る水柱の衝撃にさらされながら報告を行う。彼は呆けている新兵たちと異なり、結解たちと共に死線を潜り抜けてきたベテランだ。

 

「進路変更の要をみとむ! このままでは衝突の恐れあり!」

「進路回頭! おもかーじ!」

「おーもかーじ!」

 

ゆっくりと舵を切っていく。予期せぬ機動に各砲門の照準がぶれたため、一時的に若狭の砲声がやむ。それを見計らったかのように連続する砲撃。今まで抑制的な口調で逐次報告を行っていた弾着観測員が、聞きたくなかった報告をあげた。

 

「着弾可能性大!! 進路回頭の要、大!」

 

それを受け、即座に橋立が命令を下す。

 

「舵、戻せ!」

「もどーせー」

 

操舵手の復唱。それがいつもより幾分か短いのは気のせいではないだろう。再び移動する体の重心。バランスを保とうと体に力を込めるが、いつも以上に力が入ってしまう。

 

「あと、少しで丁字・・・・。頼む、もってくれ!」

「着弾、今!」

 

今までとは段違いの衝撃。

 

「うおっ!!」

「くっ・・・・・・・そ!!」

 

呻き声が連続する、なにかにつかまっていなければ、確実に転倒するほど船体が揺れる。

 

「く・・・・・・、夾叉されました!!! 敵、散布圏に本艦を捕捉!!!」

 

着弾観測員の悲鳴。艦橋の空気が凍り付く。

 

「橋立! 即座に回避行動だ! 散布範囲も広い・・・・・、次撃たれたら確実に当たるぞ!」

「分かってます! 進路かい・・・」

「敵、発砲!」

「っ!?」

 

彼方でわずかに瞬く閃光。河波や伊予が発した光に比べればどうということはない。しかし、光度は違えど、それが纏う絶望感と危機感は桁違い。

 

「だ、ダメです!!! 直撃コース! 回避困難!!」

「総員、衝撃に備え!!」

 

周囲にものを力の限り掴み、身をかがめる。そして、矢は的を射た。

 

「う・・・・、あぁぁ!!」

 

大戦初期以来、実に7年ぶりに感じる衝撃。その威力は凄まじく、真横にある自身の椅子を掴んでいた手はやすやすとはずれ、結解は後方に吹き飛ばされる。後頭部が鉄板の床に打ち付けられ、鈍痛が走る。だが、それに唸っている場合ではかった。

 

「被害報告!」

 

後頭部を抑えながら、立ち上がる。幸い、艦橋付近には着弾しなかったようで、目で捉えられる範囲に被害はない。自分のように軽傷を負っている者が多々いるが、命にかかわるようなけがをしている者はいない。

 

「結解司令! お怪我は!」

 

腕をさすりつつ、橋立がこちらの様子を覗ってくる。

 

「ああ、俺は大丈夫だ。気にしなくていい」

「それなら、よかった・・・・って、司令! 血が! 誰か、司令の治療を!」

「いい。これぐらいかすり傷だ。それより、被害報告!」

「艦左舷中央および、後部に被弾した模様。しかし、連絡網が混乱しており、詳細は不明!」

「情報収集を急がせろ! 直ちにだ!」

「は!」

「敵、直撃コース再び・・・・・・ああああ!!!!」

 

飛び交う怒号を押しのけ、着弾観測員の絶叫が響き渡る。理性のかたが外れた獣のような声。あまりの奇怪さに驚き、向かい合っていた将校からそちらに視線を移す。しかし、それが完全に実行されることはなかった。永遠に・・・・・・。

 

「橋立!!」

「司令・・・・・・」

 

左舷側の窓。海水で湿り切ったガラスの向こうに見える点。全員がその正体を認めると固まる。その中で、結解だけが足を右舷へ進める。呆然と目を見開く橋立。その姿がいつかの記憶と重なる。妻と2人の子供に囲まれ、ほほを緩める彼。そこに幾度となく戦場をかけてきた軍人の面影は皆無で、1人の夫、1人の父親だった。

(こいつを死なせて・・・・なるものかぁぁぁぁ!!!!!)

自分は何故、軍人になったのか。そんな問いがこのような状況にも関わらず浮かんでくる。瑞穂は徴兵制が敷かれているが、結解は志願して軍に入った。何のために自ら望んで、そして厳しい訓練に耐え、今ここにいるのか。様々な想いが溢れ、一言では語れない。しかし、1つ言えることがある。それは・・・・

 

「俺は・・・目の前で部下の死を見るために、ここまで踏ん張って来たわけじゃねぇぇ!!!!」

 

恐ろしくゆっくりと流れる時間。必死に、ミシミシと悲鳴をあげる筋肉などお構いないなしに腕を伸ばす、そうしているにも関わらず、なかなか届かない。この方法に見切りをつけ、自身を盾とするため彼に覆いかぶさろうと必死に身体をひねり足を動かすものの、やはり動きが遅い。

 

そして・・・・・・・・・・・。

 

「っ!!!」

 

目の前の橋立、そして結解の全身ごと前方から衝撃と光と熱が押し寄せてくる。それらで塗りつぶされる世界。激痛や灼熱を感じるかと思っていたが、待っていたのは完全な「無」だった。

 

しかし、その中で唯一感じられたものがあった。

 

(おとさ~ん!!)

(お父さん)

(あんた)

 

聞くだけで気分が穏やかになる声。見るだけで幸福を感じる笑顔が真っ白な世界で点滅する。

 

もう2度と会えない家族と会えて、結解は幸せそうに微笑んだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

第5艦隊旗艦 「因幡」 艦橋

 

 

 

砲撃のたびにミシミシと音を立てて震える窓ガラス。瞬く閃光で感じる刹那の熱。先ほどまで外的要因によるものだった振動と熱気は現在、艦橋内から発せられている。ガラスを震わせんかぎりの怒号、叫び声。行き交う数多の将兵たちから生じる熱。

 

だが平時なら不快に思う環境変化に誰1人として全く気を向けない。耳は、目は、頭はそんな些細なことに労力を割く暇などなかった。

 

「白波、氷雨、被弾! 状況不明なれど、甚大な被害が生じている模様!!」

「秋雨! 轟沈! ・・・・・・・・・うぅ、轟沈しましたぁぁぁぁぁ!!!!」

「伊予、傾斜角拡大中でしたが、さきほど転覆しました! 多数の乗組員が退艦作業中に巻き込まれたようです!」

「霧月艦中央および後部に被弾! 速力低下! 艦隊より落伍していきます! 座乗の花表(とりい)司令官が指示を求めています!」

 

次々と寄せられる希望のかけらもなくなってしまった報告。それを伝える将兵たちとは対照的に、聞く側の第5艦隊上層部はただただ沈黙していた。悔しさに唇を噛み、自身の不甲斐なさに拳を握りしめて。

 

「若狭より緊急電! 艦橋および艦前部に直撃弾!」

 

だが、いつまでも黙っていられるわけがなかった。報告を遮り、1人の男が声を荒げる。その表情には懇願の色が浮かんでいた。

 

「結解は・・・・結解や橋立たちは!!!!」

 

艦橋要員全員を代表した大戸の叫び。真剣な表情で一直線に視線を向けるが、報告した将兵はつらそうに大戸の視線から目を逸らす。それで、分かってしまった。

 

「結解司令をはじめとした、被弾時艦橋におられた方々は全員戦死されました・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・そうか」

 

絞り出すように呟く正躬。銅像と化した掃部たちは言葉すら出ない。

 

「艦長・・・・・」

 

唐突な声。それに振り向くと因幡副長の日月照彦(たちもり てるひこ)大佐が心配そうにこちらを覗っていいた。何故かと疑問が浮かぶが、そこで気付いた。爪が手の平に食い込みそうなほど自分が手を強く握っていることに。

 

「ああ・・・・・・大丈夫だ。すまんな・・・」

「いえ・・・」

 

日月は俯く。部下に気を遣わせるとは上官失格。自身の不甲斐なさは重々承知していたが、それでも反応せずにはいられなかった。

 

大戦勃発以降、苦楽と秘密を共通してきた戦友はもういなくなってしまったのだから。

 

「掃部」

「は!」

 

正躬が少し沈んだ声で、掃部を呼んだ。

 

「加賀たちの航空隊は、まだなのか・・・・・?」

「あと10分、あと10分です・・・・・」

 

「あと10分」を噛みしめる言葉。それを正躬は無言で聞く。

 

10分。平時ならあっという間の時間も、現状の第5艦隊にとってあまりにも長すぎるものだった。戦闘開始からもうまもなく30分。

 

「分かった」とつぶやいた正躬は、残滓が漂う前方の海から、大戸たちへ身体を向ける。武人然とした表情。ただならぬ雰囲気を感じ取り、大戸や日月をはじめ、幹部たちが一斉に正躬へ視線を向ける。彼から、自分たちの生存を左右する決断が告げられた。

 

「松本。第3水雷戦隊に打電。我が艦隊の戦況は絶望的なり。よって救援は不必要と認む。生存者の救助に全力を注がれたし。そして、霧月に。艦隊への復帰の必要性は皆無。航行可能ならば戦線を離脱し、横須賀へ帰投せよ、と。本艦はこのまま応戦しつつ直進、敵の注意を引き付ける」

 

第5艦隊司令官の決断に、掃部が抗議の声をあげる。

 

「ま、待ってください! 正躬司令! あと、10分、あと10分なんですよ! その間持ちこたえれば第5遊撃部隊の航空隊が到着し、敵艦を打ち払ってくれます! そうなれば、こちらの勝利は確実です! 我々はまだ勝てます!! ここで負けを認めるのは早計ではありませんか!!」

「・・・・・・・・負けだよ」

 

言葉を震わせる正躬。それを聞いてしまえば、後悔に苛まれている表情を見てしまえば、掃部でなくとも人間ならば言葉を続けることはできない。

 

「既に、まともに戦闘可能な艦は奇跡的にまだ被弾していない因幡のみ。3隻は沈み、2隻は大破炎上。霧月も艦隊から落伍した。もう・・・・丁字による効果的な攻撃は出来ない。お前の言う通り、10分は10分だ。だが・・・・・」

 

艦橋に容赦なく届けられる着弾の衝撃。至近弾のなかでもかなり近いようで、鍛え抜かれた軍人でも恐怖を感じるほどの大きさだ。それが、これまでよりも鮮明に感じられる。

 

「10分も持たない・・・・・」

 

誰も、正躬に反論する事ができなかった。既に因幡は戦艦ル級flagship2隻に夾叉されており、度重なる至近弾でゆっくりとではあるが着実に装甲などが湾曲。浸水や機器損傷の被害が拡大していた。

 

「そして、撤退もできない。我が艦は完全に捕捉されている。ならば、少しでも霧月が離脱する時間を稼がなければならないだろう? 彼らには、海上に漂流している将兵たちの救助を担ってもらわなければ・・・・・」

「正躬司令・・・」

 

第5艦隊旗艦「因幡」艦長として正躬の意見に賛同しようとした、その時。

 

「敵主砲斉射!!! 飛翔弾・・・・・・、直撃コース!!!!!」

 

着弾観測員の悲鳴が木霊した。

 

「取り舵いっぱい!! 何としても躱せ!!」

「と・・・・」

 

鬼の形相で大戸は叫ぶ。全力で舵を回し始める操舵主。しかし、復唱が行われる前に世界の全てが感じたことのない衝撃に覆われた。決して抗えない何か。それに遊ばれるように体が自分の意思とは関係なく、吹き飛ぶ。

 

「うわわぁあああああああああああああああああ!!!!」

 

頭、背中、腹、足、腕。全身に鈍痛が走る。意識が飛びかけるが、痛みと耳鳴りでなんとか保たれた。

 

「い・・・・・・」

 

もはや自分がどこにいるのかも分からない。痛みに歪む顔。口内に血の味が蔓延する。動くなという本能的な訴えを退け、体を起こそうとする。こんなところでへばっているわけにはいけない。まだ生きているのだから、やらなければならないことがあるのだ。だが、どうしても体を起こせない。不審に思い、目を開ける。

 

煙に覆われた天井。うっすらと配管が縦横無尽に走っている武骨な天井が見える。本来は黒のはずなのに、なぜが橙色に見える。しかも、橙色はゆらゆらと蠢いていた。

 

「ふっ・・・・・くそ、なんで・・・・・って・・・・・」

 

重さの原因を把握しようとした大戸の動きが凍る。天井から下った視線。自身の体の上に、血まみれとなった1人の人間が横たわっていた。

 

 

 

 

「掃部、参謀長・・・・・」

 

 

 

 

体をゆする。反応は、ない。まだ温かかったが、過去の残滓であることは容易に察せられた。

 

「参謀長・・・・・・」

 

ゆっくりと彼の体をどかす。ドサっと、物のような音を立てて残骸が散乱している床に転がる体。そこで初めて気づいた。彼の背中。肉は吹き飛び、数多の破片が血肉の間から覗く背骨にまで突き刺さり、いまだに患部から鮮血を流し続けている。

 

即死だったに違いない。だが、それはある意味救いだったはずだ。周囲に比べれば。自身のものか、はたまた掃部のものか分からない血に純白の制服を染め、ゆらゆらと立ち上がる。

 

無残にひしゃげてしまった艦橋の天井と窓。左舷側はそれらが完全に吹き飛び、吹きさらしとなっている。どうやら艦橋上層にある測距儀、その左舷側に砲弾が命中したようだ。だからだろう。被弾時、左舷側にいた将兵が丸ごと消滅しているのは。天井が橙色の染まっていた理由。ガラスが割れた窓から前方を見れば、一目瞭然だった。20.3cm主砲から煌々と立ち上る炎。艦橋の天井だけでなく、海水と人間の血で覆われた甲板をもきらきらと照らしている。その光景から、もはやこの因幡が海上を漂う鉄くずとなったことが分かる。

 

「なんたる・・・・・・」

 

地獄絵図。それがここを表す最も適切な表現だろう。散乱した死体。五体満足なのはいい方で、バラバラもしくは原型をとどめず、ゲル状になってしまったものも散見される。その中を、自身と同じように運よく生き延びた者たちが、各部署への報告に、うめき声をあげ助けを求めている者の救助にと駆け回っている。ある将兵は艦橋の隅で嘔吐している。充満する血と表現したくもない代物の臭いだけでも、気がおかしくなりそうだ。

 

「日月・・・・・」

 

頭部が壁に突き刺さり果てている遺体。見えるのは下半身と背中のみだったが、ズボンのポケットから覗くハンカチが、日月だということを示していた。

 

奥さんから初めてプレゼントされたと言っていた、ハンカチ。彼はそれをいつも肌身離さず持ち歩いていた。

 

「司令!! 正躬司令!!! しっかりして下さい! 早く、医務室へ!!!」

 

焦燥感に覆い尽くされた声。聞こえる方向へ振り向くと崩れ落ちた天井の陰に隠れて、血だまりに身をうずめた正躬と偶然艦橋へ報告に来ていた砲術科の新兵がいた。

 

「正躬司令!!」

 

思わず大声で叫ぶ。うっすらと焦点なく開いていた目が、こちらへ向く。浮かべられる微笑。

 

「おお・・・・・・大戸、か。無事で、よかった・・・・」

「正躬司令! ・・・・っ!?」

 

視線が釘付けとなる。意識が上半身に向いていたため気付かなかったが、正躬の下半身は大人数人がかりでもどうすることもできないほどの金属板に挟まれている。しかも、挟まれているにしては、正躬の下半身は厚みが失われていた。

 

「クソ! おい、誰でもいい! 現状報告を!」

 

その言葉を聞き、動転して我を忘れていた司令部の新米将校や航海科の将兵たちが負傷しまだ息のある仲間の治療を一部の者に預けて集まりだす。手の空いている者が全員目の前に集合する。しかし、それでも片手で数えられるほどしかいなかった。彼らは正躬の姿を見ると例外なく、血や煤で汚れた顔をつらそうに歪める。

 

「艦の状況は?」

 

彼らに問いかける。周囲に視線を投げかける者がいるものの、額から血を流している通信参謀松本孝大佐が先陣をきった。

 

「現在、火災・浸水・有毒ガス発生で指揮命令系統が完全に艦内各所で分断。伝声管や無線も同様で詳細が把握できません」

 

それに続いて他の将兵たちも自分の持っている情報の共有を図る。

 

「浸水は被弾した左舷に集中しているようです。隔壁を下ろして浸水域拡大の阻止を図っているとのことですが、被弾による変形で隔壁が用をなさなくなった箇所も散見され、上手くいっていないようです。ダメコンは破壊された主砲の誘爆を防ぐための消化作業に人員を割かれ、ますます浸水の防止が・・・・」

「前部主砲2門、そのほか左舷側高角砲・機銃の約8割が使用不能に。特に主砲要員の被害が甚大で、砲術科要員に多数の死傷者が生じている模様です」

「かろうじて先ほど機関科の人間と接触できました。彼によると機関室及び機関は無事だそうです」

「本当か!」

 

安堵に緩む表情。機関が無事なら真の鉄くずにならずに済む。損傷なしの状態に比べれば運動性能はやはり劣るが、隙を見て戦線の離脱も可能となる。

 

「ですが・・・・・」

 

大戸の表情もあってか、視線を下に落とす将校。胸に嫌な予感が急上昇し、先をせかす。

 

「機関室の周辺区画では浸水がひどくこのままでは、機関室は完全に孤立します。機関室を捨てて機関科の乗員たちを避難させるか、それとも足を確保するために・・・・その、機関科員たちに人身御供となってもらうか・・・・」

「・・・・・・・・。機関科の伝令が来ていたのは、その判断を仰ぐ為か・・」

「おそらくは・・・・。どうされますか?」

「後部砲塔は生きているんだな?」

「はい。後部砲塔及び被弾を免れた右舷側砲門は健在です」

「このまま傾斜角が拡大しますと、戦闘を継続するにしても照準に修正不能の誤差が生じ、砲そのものが使用できなくなります!! ご決断は早ければ早い方が・・・・」

 

床を転がっていく丸みを帯びた残骸。固体よりも傾斜に敏感な床に広がっている液体は粘り気を押しのけて、ゆっくりと左舷側に流れている。時たま感じる突き上げるような衝撃。発生源は自分たちの下だ。砲撃の類いではない。

 

「もう、戦闘継続は・・・・・・・無理だ」

「正躬司令・・・・」

 

判断に窮していた大戸、そして視線を下に向けていた将兵たちが、正躬に目を向ける。

 

「傾斜も増して、いつ主砲の弾薬庫が・・・・・爆発するか分から・・・ん。はぁ、はぁ・・。敵も・・今は砲撃を止めているようだが・・・・またいつ再開するか・・・・。後部砲塔や高角砲では奴らに・・・・勝てん! う、ぐ、あ・・・・」

「司令!」

「総員、退艦だ」

 

思考が止まる。

 

「早くしないと、再び奴らは・・・・攻撃を開始する・・・1人でも多くの人間を殺すために・・・・・がはっ、グホっ!!」

「正躬司令!」

「だが、だが・・・・・・・」

 

もう力など残っていないはずなのに、苦痛で表情を変える余裕もないはずなのに、正躬は言葉に力を宿す。表情に決意を込める。

 

「やらせるわけにはいかない・・・いかないんだ。軍隊に必要なのは、兵器ではない。人・・・人なんだ・・・・。ここで、1人でも多くの部下を本土に返し、経験と技術を後世に伝えさせるのが、司令官としての、最後の使命だ・・・・。彼らと彼らの家族の幸福を出来る限り維持することも、私の、最後の・・・・・・ぐっ!!」

「司令!」

「いいから・・・・。大戸、退艦命令を出せ! これは第5艦隊司令としての“命令”だ。・・・・・退艦の指揮はお前に一任する」

 

拳が、体が震える。退艦命令を出すということは、正躬を、艦橋内でまだ息がある将兵たちを・・・・・・・。しかし、正躬の覚悟を踏みにじるわけにはいかない。そして、彼が語った使命と信念。それは821名が乗艦している因幡を預かる自身も同じだ。

 

「分かりました」

 

大戸は一度目を閉じると、覚悟を決め命令を発出した。

 

「総員退艦よーい! 各所で伝達網が寸断されている。伝声管や口頭で命令を出来る限り伝えてくれ。頼んだぞ」

『了解!』

 

ちりじりになってく将校たち。血に濡れ、各所に肉片が散乱する中、退艦作業が始まった。わずかに聞こえる「総員退艦よーい」の音。どうやら、艦内にはまだ伝声管や放送設備が生き残っているようだ。それを見届けると、先ほどまでの平静ぶりが嘘のように慌てて正躬に駆け寄る。足元に広がる血だまりを靴が踏み、ピチャピチャと水たまりを踏んだ時と同じ音を響かせる。それが今回ばかりはとてつもなく不快に感じられた。大戸より先に駆け寄っていた新兵が自分の制服を破いて見える限りの傷口を止血しているが、出血の大半は金属板で押しつぶされた下半身のため効果は薄い。

 

「そこの君!」

「はい!」

「なにか棒のようなものを取ってきてくれ! てこの原理で、動かしてみる!」

「わ。分かりました!」

「いい・・・」

 

駆けだしそうになった新兵の足が止まる。何を言っているんだと反論しようと口を開くが、正躬に先制された。

 

「は、はは・・・・。この通りさ・・・・。もう、ダメ、みたいだな」

 

満足げに微笑む正躬。その弱々しさに目頭が熱くなってくるが、なんとかこらえる。

 

「しかし・・・」

「ありがとう・・・・・」

 

その言葉に誰が反論できるだろうか。正躬は覚悟を決めていた。そして、現実を受け入れていた。大戸が、新兵が必死に否定しようと、覆そうとしていた現実を。

 

新兵の目を見る。今にも決壊しそうなほど潤んでいたが、一瞬力強い目つきになるとそのまま駆け出して行った。自分の本来の持ち場へと。

 

こちらも、腹を決めねばなるまい。

 

「大戸・・・」

「はい」

「部下たちを・・・・・この国を頼む、な・・・・」

「はい・・・」

「大戸・・」

「はい・・」

「艦娘たちのことをもう少し、信用してやってくれ。あのオヤジのいうことが全て間違っていると、言うつもりはない。あいつも・・・・あいつも、この戦争で・・し、深海棲艦に大切な存在を・・・・・。だが・・・・・彼女たちは・・・」

「っ!? し、司令! ま、まさか・・・・」

 

息が止まる。相変わらずのほほ笑み。だが、そこには今までなかった達観したような色が浮かんでいた。平時なら気のせいと思っただろう。しかし、現状が否定のしようがない説得力を与えていた。

 

「こりゃ、まいったな・・・。司令、気付いておられたんですか?」

「まぁ・・・・・な」

「では、何故野放しに? あなたは生粋の擁護派。敵対陣営の人間など、邪魔でしょうに」

「なんでだろうな・・・・・・・。自分でも、よく・・・・分からないんだが・・・・なんかお前たちは・・・・・あいつらと違う・・ように・・・感じたんだ・・・。お前たちは・・・・艦娘たちと話している・・・・時も・・・・全く嫌悪感を抱いて・・・・いな・・・かった。むしろ・・・・・。だから、かね・・・・」

 

ふっと自嘲気味な微笑。その時、1人の航海科士官が近づいてきた。正躬に目を合わせない。

 

「艦長、退艦準備が完了いたしました」

「分かった・・・」

 

機密文書の処分や退艦の指揮など艦橋で作業にあたっていた将校たちが集まる。

 

「さぁ、いけ・・・・」

 

優し気な口調。その笑顔が痛い。あちこちから鼻をすする音が聞こえてくる。

 

「正躬司令、何か、形見を・・・・・」

「そうだな・・・・・では、これを・・・・」

 

血に濡れた腕で差し出された、軍帽。それを、受け取る。

 

「今まで、こんなひ弱な指揮官についてきてくれてありがとうな・・・・」

 

鼻だけでは収まらず、ついにすすり泣く声が響く。次々と伝播し、顔をぐしゃぐしゃにする将校たち。

 

「こちらこそ・・・・・今まで、ありがとうございました!!」

 

敬礼。大戸に続き、泣いている将兵も全員が満点の敬礼を決める。

 

 

 

 

「・・・・・・・・・行け」

 

 

 

 

正躬の言葉を最後に、生き残った乗組員は艦橋を後にする。艦橋とそのあとに続く廊下の境目。

 

「ここを越えれば、もう・・・・・」

 

後ろへ振り返る。つい1時間ほど前とは様変わりしてしまった艦橋。戻ろうとする足を理性で食い止め、仕切りをまたぐ。

 

俺は、この艦の艦長。

 

そう、言い聞かせて・・・・・・・。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「因幡、退艦命令を発令。乗員の退艦が始まりました」

 

大海原をかける1隻の船。視認性を下げるための黒色の塗装に、各所に設置された主砲に機銃、魚雷発射管。その船が軍艦であることは一目瞭然だ。しかし、軍艦と言っても大戸たちや結解たちが乗っていた巡洋艦とは比較にならない。船体の長さや武装は隔絶している。

 

駆逐艦霧月。

 

これが艦の名前だ。なんの因果か、霧月を含む海月型駆逐艦も1942(昭和17)年6月11日に竣工した大日本帝国海軍秋月型駆逐艦と同様に、防空駆逐艦をコンセプトに建造されていた。その為、他の駆逐艦との一番の差異は艦を覆うように多数の砲や機銃が備えられている点だ。

 

ハリネズミのような外観。まっすぐそれぞれの前方を睨んでいる砲身・銃身たちが霧月のトレードマークだが、現在は少し様子が異なっていた。焼け焦げた後部主砲。砲塔に大きな穴が空き、周辺には金属片が散乱。砲身は曲がり、明後日の方向に向いている。損傷はそこだけではない。艦全体、特に艦後方左舷側に集中していた。

 

「分かった・・・・・」

 

苦しそうな呟き。霧月艦長雄蔵守(おんどり くらもり)少佐から聞いた第10戦隊司令官花表秀長(とりい ひでなが)大佐は、苦悶で浮かんだ顔のしわをますます深くする。静まり返った艦橋。今や事務的なやりとりと、機関科員たちの奮闘によって持ち直した機関によってかき分けられる波の音が、この場を支配していた。砲声や怒号が飛び交っていたことが信じられなくなる。

 

第5艦隊と戦艦ル級flagship2隻を基幹とした敵空母護衛艦隊との決戦は、隠しようがないほどの惨敗で幕を下ろした。伊予・白波は海中に没し、氷雨と若狭はまだ浮いているものの松明と化おり沈没も時間の問題。そして、ついには旗艦である因幡までも・・・・・。第5艦隊でまともな戦力は早期に被弾し、艦隊から落伍してしまった霧月のみとなった。なんとも皮肉な話である。早く被弾した方が生き残るなど。

 

「っ!!」

 

目の前にある壁を、自身と世界に対する怒りで蹴りそうになる。だが、なんとか抑える。つい数分前、第5遊撃部隊の航空隊が上空を通過していった。船なら数十分とかかる距離でも航空機なら数分。もう、既に敵艦隊への攻撃は始まっているだろう。

 

「もう、少し、早ければ・・・・・」

 

彼女たちになんの落ち度もないことは重々承知している。しかし、それで割り切るには失ったものがあまりにも大きすぎた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「す、すごい・・・・・・」

 

敵残存艦艇、戦艦ル級flagship2隻と軽巡ツ級flagship1隻に殺到する加賀・瑞鶴の両航空隊。60機近くに上る航空機から繰り出される、急降下爆撃、水平雷撃の波状攻撃は圧巻だ。いかに重装甲・高火力の戦艦ル級、航空機落としの軽巡ツ級とはいえ、その猛攻を防ぐことはできない。それほど敵と離れていないため、攻撃の際に発生する衝撃波がここまでやってくる。

 

ゆらゆらと漂う木製のカッター。大戸はそこに乗っている将兵たちと共にその光景を目の当たりにしていた。

 

「やっぱり、艦娘には敵わないな・・・・」

 

とある将校の呟き。首から布で吊るされた右腕をさすりながら、嘲笑を浮かべている。おそらく、カッターに乗り込んだり、しがみついていたりしている将兵に限らず、因幡の破片を浮き代わりに、波に揺られている者たちも同様だろう。

 

その光景の前を、因幡に搭載されていた内火艇が漂流者を1人でも多く収容するために横切っていく。因幡には救命艇としても使用できる内火艇4艇、カッター2艘、通船2艘が艦載されていた。だが、左舷に搭載されていた内火艇の内、1隻が被弾時に損傷。そのため、現在海上には5隻の救命艇が存在していた。収容人数は規定にのっとれば410人。沈まない程度にぎりぎりまで乗せれば、各自追加で4人ほどは乗せられる。だが、そのようなことをせずとも漂流中の全将兵を海水からすくい上げることは可能だった。

 

410人の収容人数でも十分な空きが出る人数しか、もう海上にはいないのだから。残りの人数は大爆発を起こしながら沈んでいった因幡と共に・・・・・・・。

 

正躬も、掃部も、日月も・・・・・・・。

 

であるからこそ、これ以上、ここで失うわけにはいかない。せっかく死から逃れられたのだ。

 

「よし! ほらっ! 掴まれ!」

「あきらめるな! 引き揚げるぞぉぉ!」

『せーの!!!』

 

瞬く閃光と立ち上る黒煙を背に、また1人の乗組員が引き揚げられる。自力で上ってくる猛者もいるが、海水をたらふく吸い込んだ制服の重さは尋常ではない。それに救命胴衣も加わるため、体力が消耗している大半の将兵には仲間の力が必要なのだ。大戸もただ見ているわけではない。今年入隊したばかりの、ついこの間まで高校生だった新兵たちと肩を並べて、部下を1人、また1人と引っ張り上げていく。

 

「ゲホッ! ゲホッ!! う・・はぁ~~。助かったぜ、ありが・・・・・・っ!? 大戸艦長!?!?」

 

 

引き揚げられた人間がお礼を述べようと顔上げた瞬間、こちら見て固まるのが徐々に固定化しつつあった。新兵たちも最初は気付いていなかったのだが、横を向いたら雲の上の存在である艦長がいた。開いた口が塞がらないのは仕方ない。しかし、彼らも今やらなければならないことをしっかりと把握していたため、驚愕もそこそこに救助作業を進める。

 

だから、だろう。

 

隣にいた内火艇が騒がしくなるまで、異変に気付かなかったのは。

 

何事かと視線をあげ、将兵たちが指差している方向を見る。さきほどまで航空隊が乱舞していた方向。上空に攻撃隊は見当たらず、爆音も聞こえない。

(やったのか?)

そう思うが、どうにも様子が変だった。目を細めて凝視すると、海上に何かいるのが見えた。

 

「戦艦ル級ですね、あれは」

 

近くにいた航海科の新兵が呟く。自分の目では存在しか確認できないため、感心してしまう。

 

「良く見えるな」

「か、艦長! いえ。目だけはいいのが私の長所でして。あれほどの攻撃を受けても、まだ沈まないとは・・・・ん?」

「どうした?」

 

大戸から何気なしにル級へ視線を向けた新兵が訝し気な表情を浮かべる。

 

「やっぱり・・・」

 

大戸の問いかけに答えず、凝視していた新兵。時間が経つにつれて、周囲も騒がしさを増していく。そして、そうなる理由を大戸自身も理解した。さきほどまでぼんやりとしか見えなかったル級の姿が、ル級と認識できるほど明瞭になっていた。

 

「間違いありません。やつは、こちらに近づいています!」

 

カッターに乗っている全員がそれを認識した瞬間、しがみついている将兵を根こそぎ引き上げ、縁の近くに座っている者たちが慌てて櫂で漕ぎ出す。深海棲艦がわざわざ遠くの漂流者へ近づいてくるなど前代未聞の出来事だった。撃沈した船の乗組員を皆殺しにすることは珍しいことではなかったが、それはあくまで目の前や進路上に漂っている場合のみ。1km近くはねられている状況で、しかもわざわざ進路を変えて襲ってくることはなかった。

 

この場に漂っている全員がそれを知識として持っていたため、日本世界で漂流する乗組員が必ず抱く「皆殺しにされる」という恐怖がなかったのだ。

 

しかし、ル級はやってくる。こちらに向かって。その光景は、抱かずに済むはずだった死の恐怖を植え付けるには十分すぎる代物だった。

 

しかし、当然ながら人力で数ノットしかでないカヌーに比べ、巡洋艦並みの速度を発揮可能なル級に敵うわけがない。徐々に詰まられていく距離。時間が経つごとに焦燥感が募っていく。

 

「なんで、あいつこっちに向かってくるんだよ!」

「知るか! 口を開く前に漕げ! 完全にやる気だぞ!」

「クソ! クソ!! やっと、終わったと思ったのに!!」

 

血相を変え、口々に抑えきれない激情を吐露する将兵たち。その間を縫い、ランドセルの比ではなく小型電気冷蔵庫の大きさに匹敵する無線機を持っている将兵に確認を行う。

 

「おい! 加賀たちの航空隊は? 何かあったのか!!」

「はっ!! どうやら第一次攻撃隊では仕留めきれなかったようで、現在第二次攻撃隊が急行中とのことです!」

「奴はその隙間を分かって・・・・」

 

加賀・瑞鶴航空隊の攻撃は決して無駄に終わっていたわけではない。事実、3隻いた敵はいまや1隻しか残っていなかった。2隻は沈めたのだ。怒りを向けるべきは完全に敵の運と分厚い装甲だろう。両手に持っていた人間型部分と同程度の大きさの艤装は激しく破損し、髪の毛らしきものは焼け焦げ、白い肌の部分は青で染まっている。だが、それでも船足と本能的恐怖を惹起する刺々しいオーラは健在だ。

 

近づいてくるル級。突然、まだ動く艤装の砲身をとある方向に向け始める。

 

「なにをする気だ・・・・・・・」

 

その先にはこちらよりも大分先に逃れていた、乗組員を満載した内火艇が疾走していた。刹那、奴の真意をはっきりと理解した。

 

「やめろ・・・」

 

その方向へ向け、ぴたりと停止する砲身。

 

「やめろぉぉぉぉ!!!」

 

大戸の絶叫と共に大音響を轟かせる戦艦の主砲。かなり近くのため、もろに衝撃波があたる。当たった箇所がひりひりと痛むがそんなことに意識を向けている場合ではなかった。

 

定員110名の内火艇が木っ端微塵に吹き飛ぶ光景。それを目の当たりにする。本当に木っ端微塵だった。そして、悪夢はそれだけで終わらなかった。

 

次々と撃ちだされていく砲弾。至近弾としてではなく直撃弾として、撃つたびに乗艦の沈没という悲劇を乗り越えた将兵たちの命を、文字通り消滅させていく。そればかりか、副砲や機銃を使って海面に漂流している者たちまでも。銃声や砲声に紛れて、壮絶な悲鳴が聞こえてくる。阿鼻叫喚の地獄が、眼前に降臨していた。

 

とてつもなく長い刹那。

 

一旦虐殺音が止むと、もう内火艇の類は大戸たちが乗っているカッターしか残っていなかった。

 

「ひっ!?」

 

新兵がか細い悲鳴をあげる。戦艦ル級flagshipはこちらに砲身をぴたりと合わせ、笑っていた。青い体液とやけどのような外傷に覆われた顔を、最大限歪めて。

 

「殺される・・・殺される・・・・殺される・・・・・っ」

 

下士官の1人が頭を抱えて、独り言を連射していた。今にも発狂しそうな勢いだ。

 

しかし、彼の言葉は正しかった。戦艦ル級は確実に自分たちを殺そうとしている。

 

「おい・・・」

「な、なんでしょか?」

 

絶望を体現した静寂の中、ル級を刺激しないよう隣に座っている通信機を背負った将兵に声をかける。彼も顔面蒼白で声は震えていた。

 

「第5遊撃部隊の第二次攻撃隊が来援するまで、どれくらいかかる?」

「5分ほど前の通信では7分と言ってました。つまり・・・・」

「あと2分か」

 

耳をすませば、レシプロ機特有のエンジン音がかすかに聞こえてくる。後2分持ちこたえれば、ここにいる全員は第二次攻撃隊が明後日のところに爆弾や魚雷を落とさない限り、本土の土を踏むことが出来る。

 

「だが、無理だろうな・・・・・・・・」

 

砲身は既にこちらへ向いている。ル級が引き金を引いただけで、肉片だ。2分など命を刈り取るには十分すぎる時間だった。

 

「総員に告ぐ。このカッターに銃は何丁ある?」

 

突然発せられた艦長の声に、大半の者は視線を泳がせる。勘が鋭い者は顔中の筋肉を引きつらせたが、中には不敵に笑う者もいた。

 

「保管庫からフカに襲われてはたまらんと、6丁ほど取ってきましぜ」

 

笑いながら、砲術科の兵曹長は自分の足元を指さす。

 

「使用できるか?」

「潮を被ってますが、24式小銃の耐久性は艦長もご存じでしょう? ・・・・・・・・瑞穂の意地を、あのクソ生意気な面にぶち込むんですな?」

 

こちらの真意を、兵曹長が言葉にした。驚愕が走る。「やめてくれ!!」と懇願する視線もあったが、多くの者は観念したように俯く。

 

「そうだ。どのみち、死ぬんだ。なら・・・・・せめて、一死報いなければ、死んでも死に切れん。お前らも、ここただただ泣き叫びながら死ぬのは嫌だろう? こんな無様な姿で人生を終えるなど・・・・まっぴらだ。・・・・・・俺に一丁をよこしてくれ」

「どうぞ」

 

兵曹長がル級にばれないよう、将兵たちの体に隠しながら、24式小銃を渡してくる。この距離なら、24式小銃の有効射程内だ。ル級はこちらの無様な表情を拝みたかったのか、かなり接近してきていた。

 

「この中で腕に自信があるやつは、俺の発砲と同時に銃をとり、やつの目を撃ちまくれ。艦娘たちの攻撃を楽にするんだ。・・・・・・効くかどうかは分からんがな」

「私、この艦隊でも腕はかなりのものでしてな。一丁お借りしますよ」

 

兵曹長が軽い口調で24式小銃を受け取り、あらかじめ装填されていた弾を薬室に押し込む。

 

「後、四丁だ。誰でもいい。撃ってくれ・・・・・・」

 

小銃を持つなど、いつ以来か。兵曹長と同じように薬室へ銃弾を押し込むと、カッターに乗っている将兵全員の顔を見渡す。達観している者、微笑んでいる者、泣きじゃくっている者、目の焦点が合っていない者。誰1人として同じ顔の者はいなかった。

 

「今まで、ありがとう。・・・・・・もしあの世で会えたなら、酒でも酌み交わそう。中西!!!」

「はい!!」

 

同時に24式小銃を構える。ル級は明らかに驚愕していた。

 

「ぶちかませぇぇぇぇ!!!」

 

あまりに小さな銃口から、あまりに非力な銃弾が音速を超えて飛んでいく。連続する炸裂音。それは回数を重ねるごとに増えていく。六丁の24式小銃が一斉にル級の目を狙う。

 

当然効いてはいなかったが、ル級はまるで人間のように目をつぶると顔を左右に振る。

 

『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!』

 

射手の雄たけびが重なる。

 

それを憐れと思ったのか、苛立たしく思ったのか。ル級はこちらを一瞥すると、主砲から砲弾を吐き出した。

 

「!?」

 

反射的にそっと腰に手を回す。腰とベルトの間に挟んだ正躬の形見。救助活動に専念するため、皺をつけてしまったが正躬ならきっと許してくれるだろう。

 

“正躬司令、申しわけありません。司令の形見、ご家族にお届けすることができませんでした”

 

 

“御手洗中将、申し訳、ありません。あなたの味方でいようとって誓ったのに・・・・。”

 

体中が命ごと燃やし尽くすような灼熱を感じる。

 

“瑞穂に・・・・・・勝利を!!!!”

 

 

 

 

大戸たちが瑞穂魂を発揮した2分後。因幡生存者を虐殺した戦艦ル級flagshipは加賀・瑞鶴航空隊の攻撃により、この世から消滅した。しかし、ル級を起点とした同心円状の海域は血で染まり、所々に浮かんでいたのは人体の一部だけだった。

 

後に野島崎沖海戦と呼ばれたこの戦いにおいて、第5艦隊は第10戦隊所属霧月を除く全艦艇を喪失。

爆沈により全乗組員が戦死した河波をはじめ、3237名中2544名が戦死。

 

第5艦隊の生存者は693名。戦艦ル級の残忍極まりない虐殺を受けた因幡乗組員の生存者は、821名中わずか12名だけだった。




みずづきたちが舞台袖の影に隠れてしまってすみません。しかし、艦娘たちが瑞穂と共に歩んでいる以上、通常部隊の動向も描写しなければ艦娘たちのみですべてが回っているかのようになってしまいますので・・・・・。

深海棲艦愛好家(?)の方にはお見苦しい点もあったかと思いますが、深海棲艦はあくまでも“人類の敵”ですからね(苦笑)。

追伸
設定集を少し加筆しました。

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