水面に映る月   作:金づち水兵

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本作も気付けば、49話。

本話から少しずつ物語が加速していきます。


49話 船団護衛 その3 ~夜空の下~

「お? みずづきやん、おはようさん。・・・・? 今、昼やから、こんにちは、やね。こんにちは、みずづき・・・って」

 

いつもの人懐っこい笑顔から一気に急降下。こちらを覗った瞬間に唖然とする黒潮。まさにほかほかの白ご飯をすくおうとしていた箸は、時間が止まったかのようにぴたりと止まっている。それは彼女だけではない。川内たちも同様で、あの反応及び表情に乏しい初雪ですら口を開けたままだ。

 

「ど、どうしたの? みずづきちゃん」

 

背後に負のオーラを漂わせ、げんなりと落ち込んでいるみずづき。はたから見てただ事でないのは、一目瞭然だ。そんな姿は、さすがに目立つ。ここは由良基地の食堂。そして、今はお昼時である。横須賀鎮守府よりもかなりこじんまりとしたところだが、それがかえってみずづきの存在感を高めていた。いくら遠くてもみずづきのオーラを誰もがひしひしと感じてしまうため、遠近を問わずみずづきの様子に将兵たちが気付いてしまう。結果、みずづきは会話の肴にされてしまっていた。

 

それに本人が気付いていないわけがない。視線も会話もばっちり、この耳に聞こえてくる。だが、何かしらの反応を示す余裕は皆無だった。無意識に出るのは、重たく長い、何か大切なものまで排出していそうなため息ばかり。状況が分からない川内たちはただ首をかしげるしかない。

 

みずづきが落ち込んでいる理由。それは、半狂乱で廊下に出た直後に起こった出来事が原因だった。夢と現実が交差し、世界で1人になってしまったかのような錯覚に陥った。それを否定する為、人を探そうしたまでは良かったが、いざ人に会ったら会ったで大変なことになった。人を見つけたため、安堵に胸を撫で下ろしたのに対し、見つけられた側の若い士官はみずづきの行動を不審に思うよりも先に、真っ赤な顔になり視線を明後日の方向にマッハで逸らしたのだ。

 

その反応。凄まじい嫌な予感を抱えつつ、視線を自身の体へ下げた瞬間、意識が飛びそうになった。夢ならば、どんな服装か気にする必要はない。見ているのは自分だけなのだから。だが、現実は当然違う。ここでも寝間着は横須賀と同じような作務衣で、みずづきもそれを着ていた。作務衣は和服の構造を受け継いでいるため、あまりにも動き回ると止め紐が緩み、はだけてしまうのだ。

 

簡潔に言えば胸元が丸見えの状態になっていたのである。そんな状態で前方から若い女の子が疾走して来たら、誰でも驚愕するだろう。「寝ぼけてました」の一点張りでその場は丸く収まり当事者間だけの秘密ということになったものの、もし相手が憲兵隊なら拘束されることはないだろうが、事情聴取は確定である。それで「怖い夢を見たから、飛び出してきました」などと言えるほど、こちらの神経は図太くない。相手様にもいい迷惑だ。

 

これでみずづきはこれでもかいうくらいはっきりと「ここは現実で、あれは夢。自分は1人じゃない」と認識できたのだから、何とも言えない。

 

(まさか、はだけてたなんて・・・・。まぁ、自業自得だけどね)

 

「はぁ~」

 

もう一度、大きなため息。「これは重傷だ」とからかう選択肢を捨てた黒潮は優しいまなざしで、隣の椅子を叩く。心の中で黒潮の気遣いに感謝しつつ、示された椅子に座る。足の力が抜け、もう一度ため息を吐こうとするが、黒潮たちの前に置かれている料理がそれを抑止する。

 

落ち込んだ様子から一転、一気に目を輝かせるみずづき。あまりの変わりように、全員が再び唖然だ。

 

「ほんと、みずづきって食いしん坊だよね~。そのまなざしをおばちゃんたちに見せたら、さぞかし喜ぶと思うよ」

「し、失礼な! 別に私は、これがきっかけで機嫌が直ったわけじゃ」

 

どの口が言うかね。

 

全員一致の視線。言葉で伝えられなくても視線だけで十分だ。みずづき自身も最近料理に弱くなっているのを自覚しているため、火に油を注ぐような反論はしない。こうなった背景には事情があるのだが、それは言えないことだ。5人の視線から逃げているとあることに気が付いた。

 

「あれ? 陽炎は?」

「ちょっと、みずづき~~、そりゃねえぜ。話題をそらそうなんて」

「いやいや。それはそれ、これはこれ。一応、みんなの言いたいことは分かってるつもりだから。それより、陽炎はどこ行ってるの? トイレ? っていうか、なんで、みんな先に起きてごはん食べてる訳?」

「ちゃんと起こしたよ。目覚ましもそれはそれは、軽快に鳴ってたし」

 

そういいながら、川内は壁にかけられている時計を示す。あの騒動を勘定に入れても、みんなで話し合った時間より、明らかに遅い時間に起きていることが分かる。

 

「だから、陽炎と一緒に置いてきたっちゅうわけや。あの子も、全然起きれへんかったから」

「え・・・・」

 

黒潮の言葉に思考が緊急停止する。みずづきは確かに確認した。部屋に誰もいなかったことを。だから、廊下を疾走して名前も知らない士官に恥ずかしい姿を見られた訳だが、一度立ち止まって固まった頭でなんとか考えてみる。思い出される記憶。寝起きで混乱していたこともあって、ついさっきのことにも関わらず霞がかかっているが、思い出せば思い出すほど、顔が青くなってくる。

 

陽炎の布団。陽炎が丸まれば収まるほどのふくらみがあったような気がしてきたのだ。

 

(やばい、見られたかも・・・・・・)

 

もし見られていたら、マズイことだ。あの時、自分自身の姿など気にする余裕は皆無だったが、今から考えれば、相当ひどい姿であったことは容易に想像できる。

 

「・・・・みずづき、どないしたん? 急に顔を怖して」

「え? いやいや、なんでもない」

 

危機感が顔に出ていたようで、必死に取り繕う。黒潮はそれを聞くと納得したようで、特に気にすることもなくみそ汁をすする。みずづきが密かに動揺する中、ツインテールで特徴的な髪の色をした少女が歩いてきた。

 

「お、噂をすれば、陽炎!! こっち、こっち!」

 

わずかに肩を揺らし、おそるおそる陽炎に視線を合わせる。「あ、いたいた」とあくびをしながら近づいてくる陽炎。涙は浮かんでおらず空あくびのようで、至っていつも通りだ。

 

「みんな、ひどい。先に行くなんて。ちゃんと起こしてっていったじゃない!」

「いやいや、起こしたって。でも、あんたらっとも起きんのやもん」

「みんな、疲れてるからそっとしておいてあげようってことになったの。陽炎ちゃん、見るからに気持ちよさそうだったし・・・」

「そうそう。みずづきと、同様に」

 

急に自身の名前を呼ばれ、思考の海から意識が回復する。見れば、初雪の言葉に呼応して深雪が笑っていた。

 

「てかさ。陽炎の反応、みずづきと全く一緒だったよな。面白すぎる」

「え? ほんとに、みずづきも放置されてたの? ということは私の方が先に起きた訳ね。私が起きた時、あんた寝てたし」

 

みずづきと深雪たちを交互に見つめ、うんうんと頷く。その様子も、至っていつも通りだ。

 

(・・・・・・・やっぱりいなかったパターンかな)

 

そう思えるほどに、陽炎には変化がなかった。首をひねっていると陽炎がまじましと見つめてくる。そこで、自身が不自然なまでに陽炎を凝視していたことに気付いた。

 

「どうしたの? 私の顔になにか・・・・・」

「いやいや、考え事してて、つい。ごめんね」

「ふ~ん、寝癖とかそんなんじゃないんだ。一安心」

 

陽炎の言葉どおり、一安心だ。

 

「さ、2人とも、ご飯取って来たら? 私たち先に食べおわっちゃうよ?」

 

思いもしなかった言葉に、驚きながら一同の食器たちを見回す。川内の言い通り、全員の食器はほぼ空となり、深雪などは満足げにお腹をさすっている。食事は終盤に差し掛かっていた。

 

「分かりました、それじゃあ、陽炎いこ」

「了解」

 

おいてけぼりになる焦燥感とお腹のデモによる空腹感から少し慌て気味に席を立ち、陽炎の前を歩く。だが、それら2つの感情が浮かんでも、先ほど抱いた危機感が覆われることはなかった。しかし、陽炎の反応を鑑みるに少し心の余裕が生まれたことも事実だった。自分と陽炎の位置関係を利用し、小さく安堵のため息。

 

 

 

 

 

 

 

だが、みずづきは気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

もし、この時振り返っていたならば安堵のため息など絶対につけなかっただろう。背中に向けられていた、鋭い視線。そこには普段の彼女から想像もできない、マグマのように煮えたぎる激情が込められていた。

 

 

それに内包されているの、怒りか、悲しみか。正体は本人にしか分からない。

 

 

しかし、その時、視線には気付かなくとも視線の根源となる真実を知ることになったのは、それからすぐのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜。明日早朝の出発を考慮して、全員比較的早い時間に布団に入った。・・・・・・・・のだが、寝息を立てている川内たちと異なり、みずづきはどれだけ眠ろうとしても、眠れなかった。昼まで寝ていたことも要因の1つだろう。だが、それが主因ではないこともしっかりと自覚していた。

 

瞼を閉じると、浮かんでくる光景。行き先が沖縄の、しかも那覇と聞いてから時々浮かんでいたのだが、あの夢を見たせいか、この世の絶望を体現したかのような際限のない廃墟とその中に沈む骸骨たちがやけに鮮明さを伴って脳裏によぎるのだ。そして、同時にあの無人の基地とほんの少し巡り合わせが違っていれば今も隣にいたはずの、大切な仲間の、・・・・あの人の姿が。

 

 

こんなじゃ、眠れない。

 

 

そう結論の下すのに長い時間はかからなかった。そしてみずづきは、今まで幾度となく繰り返してきた行動に出た。相違点といえば、ここが横須賀ではないことと、同じ部屋に仲間がいること。2つだけだが、難易度は段違い。ベットから抜け出し、高まる心拍数を無理やり押さえつけながら抜き足、差し足。その途中、黒潮が寝言を言いながら寝返りを打った時は心臓が飛び出そうになったが、それはあくまで無意識下の生理的行動。彼女の意識は全く介在していなかった。それにほっと胸を撫で下ろし、ゆっくりと木のきしむ音を押さえながら扉を開けた。

 

「すぅ~~~~、はぁぁ~~~~」

 

外に出てまず一番は、大きな深呼吸。梅雨も最盛期を迎えそろそろ夏の到来を覗う季節なのだが、時間帯の影響だろうか。新鮮で清涼な空気が肺と体に潤いを与えてくれる。空は昼間同様、あいにくの空模様で街灯がなければ真っ暗闇。だが耳を澄ませば聞こえてくる波の音が垣間見える恐怖を打ち消してくれた。

 

みずづきが寝ていた外来用宿舎は港のすぐ近くにあったため、海へは短時間で行けた。海防挺の一団を視界の端に入れながら見る海は墨汁かと思うほど真っ黒。そこを同じ由良湾の港でも、別の場所にある漁港から出港し、そして漁港へ帰港する漁船がわずかばかりの明かりを灯しながら行き交っていく。

 

闇に浮かぶ数々の光点。規模もレベルも雲の上で輝いてる本物とは全く違うが、その光景は星空に似ていると言えなくもなかった。

 

自身が独り占めする、世界のささやかな一場面。しかし、その儚い感傷はただの思い上がりであった。

 

 

 

 

 

 

 

「みずづき?」

 

 

 

 

 

 

 

なんの前触れもなく言葉通り突然、背中にかけられる声。それは随分と聞きなれたものだった。

 

「っ!?」

「一人で泥棒みたいに出ていったと思ったら・・・・・・。あんた、こんなところで何してんのよ?」

 

驚いて振り返ると、何かに安堵しているような、そして何かに戸惑っているかのような複雑な表情の・・・・・・・・・・・陽炎が立っていた。髪はいつものツインテールではなく、ストレートに流している。それはそれで似合っており、また一見しただけだと全くの別人に見えるものの、声と2人の間で役割を果たしている街灯によって陽炎だと気付くことができた。

 

「か、陽炎・・・・。はぁぁ~~。もうっ!! 脅かさないでよぉ! わりと本気でびっくりしたんだから」

「それは、こっちの台詞。夜中に人目を忍んで出ていくなんて、何事よ。トイレかとも思ったけど、なんだか雰囲気があの時と若干似てたし・・・」

「ん? あの時?」

 

心当たりがないため聞き返すが、「こっちの話」と完全に煙にまかれる。

 

「それで、どうしてこんな時間に外へ? 明日も早いのよ。見るからに気分転換~~とか単純な理由じゃなさそうなんだけど」

 

闇夜に木霊する静かで冷たい声。違和感を覚えたのも束の間。もともと髪を下ろしていたせいかいつもと違う雰囲気だったが、その言葉を境に彼女の纏う空気は一変した。

 

目の前にいるのは、陽炎だ。陽炎型駆逐艦のネームシップであり、横須賀鎮守府第3水雷戦隊所属。明るく、活発な性格のおかげか姉妹である黒潮をはじめとして、交友関係は駆逐艦を中心に広い。よくからかわれたりして怒ることがあるものの、それは相手や周囲を信頼した上での怒りであり、殴り合いの喧嘩に発展するような本気の類ではない。17隻もの大所帯である陽炎型の長女であるためか面倒見はよく、悪くいえばお節介かき。みずづきから見た陽炎の印象はこうだった。しかし、今はどうだろうか。その姿はこれまで見たどの彼女とも違っていた。

 

言葉でやりとりせずとも、それはナイフのような鋭利さを伴ってこちらまで伝わってくる。そうなった理由が頭をよぎった。

(まだ・・・・まだ、そう決まったわけじゃない)

冷静で、多角的・客観的に状況を推理したもう1人の自分が必死に訴えかけてくる。

 

「いやいや、単純な理由。さすがにあれだけ寝ると寝付けなくてね。こういうときは無理に寝ようとする方が悪いっていうし。陽炎も私より寝てたんだから、同じような口でしょ?」

 

笑顔を浮かべつつ、宿舎から歩いてきた道を戻り始める。みずづきの問いかけに、陽炎は答えない。顔を下に向けたため、彼女の表情は分からない。

 

「さ、私が言う事じゃないけど、もう遅いし、戻ろ。明日にもろ響くしね。私が原因で目が覚めちゃったのなら、ごめん」

 

陽炎の肩を優しく叩き、先導の意味も込めて、先に足を進めようとする。

 

「ごめんって・・・・・・」

 

だが、その足は次にかけられた言葉で完全に固定された。陽炎は、纏った雰囲気に似合わない、やけに明るい声で言った。

 

「ねぇ、みずづき? ここで1つ質問。私とあんたってなに?」

「何って・・・」

「私たちって、どんな関係?」

「どんな? そりゃ、友達であり、仲間・・・・でしょ?」

 

今さら確認するまでもない。みずづきにとって、陽炎はかけがえのない友だちだ。あの歓迎会の際、陽炎から言ってくれたではないか。そんなことを今確認してくる彼女の真意も、心の内も全く分からなかった。ただ、さきほど直感で察したやばい状況に陥りつつあることは感じられた。

 

「だったら、なんで・・・・」

 

一転して、悔しそうな声色。拳が強く握られる。異常を明確に感じ取り、とっさに「ちょっと、陽炎?」と言いかけるが猛スピードでこちらへ振り向いた彼女の顔を見た瞬間、水蒸気のように消えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だったら・・・!! なんで・・・・・・嘘、つくの?」

 

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

悲しさと怒りが同居した表情。雷に打たれてしまったかのような、言葉にできない衝撃が全身を駆け巡る。頭の中で、警報音が鳴り響く。

 

「嘘? ちょっと待って、一体なんの・・・」

「もう、1人はいやだ」

「っ!?」

 

みずづきがあの時、足を半分ほど夢の中に突っ込んだ状態で口にした叫び。それと全く同じ言葉を、陽炎が言う。喉が驚きのあまり固まり、言葉が出ない。

 

聞かれていた。混濁する意識の中、それだけが頭に漂う。

 

「あんた、最近様子が時々おかしくなるときがあったわよね? 必死に誤魔化してたみたいだけど、気付いてないとでも思ってたの?」

 

呆れたような響き。疑問形になっているが、これは問いではなく確認だ。寒くもないのに、体が思わず震えてしまう。

 

 

夢を・・・・・歩んできた。

 

回想したくない人生の過去を振り返った後や現実と過去が重なった時、みずづきは指摘されたりしないよう極力、平静を装ってきた。きちんと隠せているのか不安になることもあったが周囲から特段の反応はなかったため、上手くやれていると思っていたのだ。

 

今、この時までは。しかし、それはただの幻想だと叩きつけられた。

 

「昨日も今日の昼間も、そう。そして、今も・・・。なのに、ただ寝付けなかったなんて、馬鹿にするのもいい加減にしてほしいわ。あんたを私は友達だと思ってる。そして、あんたもそう言ってくれた。なのに・・・・・なんで誤魔化そうと、嘘をつこうとするの!」

 

波の音しか聞こえない世界に、怒りを含んだ叫び声。それが心に容赦なく突き刺さる。

 

それでも、言えるわけがない。言えるわけがないのだ。それに触れれば、必然的にみずづきがそうなった原因を語らなければならなくなる。あの・・・・・・・・・・・「真実」を。

 

「・・・・・私たち、友達でしょ? 仲間でしょ? あんたにとって、あなたの世界の日本人にとって、友達ってのはその程度のものなの!?」

「っ・・・・・・」

「気に障った? それもあんたの・・」

「んなわけないじゃない」

 

陽炎の言葉を無理やり遮る。陽炎に乗せられたことは分かっていたが、無視することはできなかった。無視するということは、認めるということなのだ。2033年に生きる日本人が人間味のない薄情者と。

 

「んなわけないじゃない! 私たちにとっても友達は大切な存在。陽炎が思っているものとなんにも変わらない!」

「だったら!」

「友達だから!」

 

みずづきの叫び。ここまで声を荒げたのは、御手洗を相手にして以来だ。それに「へ?」と目を丸くする陽炎。驚きの対象が声量でないことは、全く状況を知らない赤の他人が見ても分かる。

 

 

今、みずづきは認めてしまったも同然なのだ。・・・・・・・・嘘をついた、と。

 

 

「しまった」と数秒前の自分の発言を心底後悔するが時すでに遅し。いくら数秒前だろうが、過去は変えられない。

 

みずづきは陽炎に背を向ける。例え陽炎との関係が破綻してしまうのだとしても、沈黙を・・・・逃げを選んだ。

そうしなければ苦しむのは、陽炎だから。

 

「なに?」

 

しかし、みずづきの陽炎に対する曲がりに曲がった親切心は、陽炎自身によって断ち切られた。掴まれる腕。その力は想像以上に強い。人間の少女と変わらない体のどこから、そんな力が出てくるのだろうか。その力が陽炎の気持ちを代弁しているかのようだ。

 

「・・・・・痛い。離して」

 

胸がちくちと針で刺されたように痛む。わずかに躊躇する気持ちが芽生えるものの、理性で摘み取った。こんなことで引くわけにはいかない。そして口から出たのは、突き放すような口調。後ろから息を飲む音が聞こえるが振り向かない。

 

「聞こえないの? 離して」

「離さない」

「離してよ!」

「離さない!!!」

 

腕を振り払おうとするが、払えない。しばらく攻防が続くが、突然陽炎の動きが弱まる。ようやく観念したかという希望もあったが、それ以上に「どうしたのか」という戸惑いが心に大きく浮かんだ。心配になりおそるおそる陽炎を覗う。あまりに多くの感情が垣間見え、一言で表現する事ができなかった。

 

「・・・・・分かった。じゃあ、もう1つ私の質問にはっきりと答えられたら、ここのことなかったことにする。もう突っ込んだりしないし、触れたりしないわ」

 

腕がようやく離される。握られていた部位に血が通う感覚。それに幾分かの不快感を覚えていると、不純物のないまっすぐな視線で陽炎は問うた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたの住んでいた日本は、本当に平和?」

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・そんな問い、これこそ愚問である。「平和」。歓迎会で大勢の艦娘を前に口走った「残酷な嘘」を、ここでも言えばいいだけ。平和と、二文字を言えばいいだけだ。それが、日本の未来を心の底から案じていた艦娘たちのためなのだ。例え悪でも、悪の内の善。これを貫くと心に決めた。

 

だから、言う。今まで散々言ってきた言葉をここでも。

 

口を開ける。たった二文字、二文字だ。だた平和と口にするだけ。

 

 

 

 

なのに、何故だろう。何故、言葉は出ないのだろう。口は開けても、出るのは吐息のみ。肝心の言葉は一切出ない。

 

 

 

 

自分で自分が分からなくなる。あれほど、誓って、意地を張って、罪悪感に苛まれて、大切なあの人にも嫌われかねない選択をしたのに、なぜ今更。

 

自分以外に答えを求めたかったのだろうか。霞んでいた視界が明瞭になっていく。映る陽炎の顔。

 

「あ・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

何故、隠したのか? 何故、嘘をついたのか? 

そう問われれば、みずづきはこう答えるだろう。

 

 

彼女たちが悲しむから、と。責任を感じるから、と。

 

 

彼女たちは、この世界に来る前は「軍艦」というただの物だった。だが、人間と共に様々なものを見て、様々な使命を持っていた。そこに人間との相違はない。大海原を駆け抜け、太陽に照らされ、雨や雪に打たれる。そして、祖国を護る矛と盾の役割を背負い、日夜激務に励む乗組員たちの家となり、停泊地で己を見上げる市井の国民に希望を与える。

 

それだけで一生をまっとうできたらどれほど良かっただろうか。しかし、彼女たちは見てしまったのだ。自分たちを生み出してくれた、崇高な役割を与えてくれた大切な人々と国が、誇りと希望を胸によりよい明日を掴むため邁進していた日々から、何もかもを失い掴むべき明日さえ見失ってしまった絶望の日々まで。

 

そして、彼女たち自身もまた・・・・・・・・・・。

 

祖国も、乗組員たちも、姉妹たちも、何もかもを守れなかった後悔と罪悪感、最期まで見続けた光景のしがらみはちっぽけな人間の身からは想像すらできない。そんな彼女たちに、希望を与えていたのが、繁栄した未来の日本なのだ。焼け野原で敵国に占領された祖国が、わずかな期間で独立を成し遂げ、焼け野原を街に戻し、驚異的な発展を遂げる。

 

彼女たちの立場をみずづきに適応してみよう。今から数十年後の日本が、あの日々と同等かそれ以上に発展していると知らされれば、どう思うだろうか。

 

死んだ街は生を取り戻し、飢えに苦しむことも、寒さに凍えることも、深海棲艦の空爆に怯えることもない。死が日常から非日常へと移行し、笑顔が溢れる生活が非日常から日常へと移行する。自分たちが血反吐を吐いて戦った結果、それなら嬉しいに決まっている。

 

だが。

 

もし、海防軍が壊滅し本土決戦に陥って、多くの人々が家を、生まれ故郷を追われ、死体の山が無数に出来上がっているとしたら。沖縄や先島諸島で巻き起こった“地獄”が無数に出現しているとしたら。

 

 

 

 

 

 

 

 

それどころか、日本が滅んでいたら。

 

 

 

 

 

 

そんな未来が、待ち受けていると知らされれば・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

だから、決めたのだ。嘘をつこうと、真実を隠そうと。こちらの方が、幸せ・・・・・なのだから。

 

 

なのになぜなのか。なぜ、彼女は知ろうとするのだろうか。雰囲気と先ほどの問いから察するに、陽炎は“本質”を捉えている。何故、陽炎はあんな落ち着き払って、大人びた顔をしているのだろうか。

 

“もう苦しまなくていい。どんと当たって”

 

そう、陽炎の顔は語っていた。その包容力は人間のさせるわざとは思えない。もはや兵器の部類だ。

 

それを見てしまったら、この決意が・・・・・例え自分が居場所を失っても隠そうと思っていた決意がひどく歪で、空虚に思えてくる。そして、言っても良いのだと、自身の性格らしく罪悪感に苛まれる隠し事などせずに済むのだと、心が喜んでしまう。

 

ささやかな抵抗として、陽炎から視線を逸らす。自分が間違っていると理解しつつも、それを認められない反抗期の子供のように。なさけないことこの上ない。見た目的には陽炎より、こちらの方が年上なのだ。

 

「ねぇ、みずづき? こんなこといったら、あんたの努力を否定することになっちゃうかもしれないけど・・・・・・。あんたが隠していること、なんとなく分かってた。ぼんやり、だけどね」

 

爆弾発言。大きく目を見開き、自分を皮肉っていた心が瞬間冷凍される。凍らずに済んだ頭を必死に回転させて、陽炎の言葉を咀嚼し終えてようやく・・・・。

 

「なんで・・・・・」

 

という言葉が出た。

 

「なんで、ね。今がまさに答えよ。あんた、嘘が下手過ぎ」

「ぎく・・・」

「まぁ、私もそれを大声で指摘はできないか。その下手過ぎる嘘に最初は引っかかってたんだから。でも、それが本当じゃないかも知れないって思うきっかけをくれたのは実のところ、みずづき、あんただった。みずづきって、一回真夜中に、外で泣いてたことがあったでしょ?」

「っ!?」

「私、見ちゃったのよね。あんたの、涙。・・・・・・・・・・・・それがきっかけだった」

 

 

口調とは裏腹に儚げな笑みを浮かべる陽炎。雰囲気も相まって、妙に大人びて見えた。

 

 

「あんたの涙ね、似てたのよ。戦争の結果を知って、私が、ほかの子が流した、後悔やら無念やらモヤモヤした感情をないまぜにした涙と・・・・・・。私は戦争が終わる前、昭和18年に沈んだ。原因は触雷。ガダルカナルで負けて、戦局は芳しくなかったけど、まさか日本が無条件降伏しただなんてこの世界に来てから知った。そりゃ、悲しかったわよ。まだ、私の場合多くの乗組員たちを巻き添えにしなくて済んだけど、彼ら自身や彼らの家族、輸送作戦で乗せた将兵さん、あの人たちの家族が亡くなったり不幸になったりしたことを思うと・・・・・・・・・・・・、やりきれなかった。それに、私も日本が好きで、自分の国に誇りを持ってた。その故郷が・・・・・・・。その時を、その時の自分の気持ちを思い出したら、あんたの言動がおかしいって気付いたの」

 

向けられる視線。果たしてそこに自分は映っているのだろうか。

 

だが、声だけでもいやというほど思い知らされた。いかに自分が、彼女たちの表層的な部分だけを見て、いかにもすべてを知っているかのような思い上がりを抱いていたのか。彼女たちには、誰のものでもない自分だけの、記憶の、日々の積み重ねがある。人間である自分と同じく、そしては異次元の“人生”が。

 

一拍の間。両者の間に初めて完全な沈黙が訪れる。何も言葉が思い浮かばない。だが、両手を祈るように握りしめた陽炎は、他意を感じさせない必死さを込めて、その言葉を解き放った。

 

「ねぇ、みずづき? 話してくれない?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

沈黙を貫く。陽炎はゆっくりと深呼吸を行い、続ける。

 

「間違ってたら、悪いけど・・・・いいや、これは間違ってない。みずづき? あんたが嘘をつこうとしたのは、そこまで苦しんで、自分を犠牲にする覚悟をもってまで心に誓った決心は、私のことを気遣ってくてたからでしょ?」

「・・・・・・・・・っ」

 

あまりに、優しい声。反則だ。

 

「今まで散々気をかけてくれて来たんでしょ? もう、十分よ。私は、あんたをそこまで追い詰めて、無知なままを望むほど腐ってない。私たちは友達。あんたが1人で背負いきれないほど重いものは、私も背負う。2人でやれば大抵のことはうまくいくじゃない! 覚悟はできてるわ」

 

さきほどの影はどこへやら。胸にポンッと右手を当てた陽炎の顔は、晴れ晴れとした笑顔だった。思わず、それに見入ってしまう。

 

「もう少し客観的に言うと、私は艦娘。大日本帝国海軍陽炎型駆逐艦一番艦、陽炎よ。私にはどんな未来でも・・・・・・・・・・故郷の未来を知る権利がある! それに私にとって未来でも、あんたにとっては過去であり、現在。・・・・もう確定してしまった時間。いくら、ここで私たちがわめこうがもう変えられない。・・・・・もう、変えられないのよ。だから、私は逃げない!! 真正面から“歴史”を受け止める!!」

 

そこに込められた決意と覚悟。嘘、偽りは皆無だった。彼女自身の視線と声色、そして醸し出される雰囲気が証明していた。

 

そこまでされれば誰が彼女を突き放せるだろうか。陽炎は逃げることより、例え傷ついても立ち向かう選択をした。その潔く、力強い姿勢は感服の一言である。見とれてしまう姿勢を見せられれば、自己判断に基づいた身勝手な決意など太刀打ちできる訳がない。

(私は、今まで何やってたんだろ・・・・・・。ここまでの気持ちを持っている子に嘘ついて・・・)

そう思うと、微笑がこぼれる。これでは隠していた方が、かえって陽炎を苦しめる結果になっていたではないか。

 

 

「そう・・・・・・・・・。分かった」

 

 

みずづきも陽炎と同じく、覚悟を決めた。

 

 

「っ!? じゃあ」

「うん。私の知ってること、全部話すよ。本当のことを告白すると私もつらかったから。信頼してくれるみんなに嘘をつくのは・・・・」

「みずづき・・・。ありがとうね」

「いいって。お礼なんて、私に向けられるべき言葉じゃない。それにもうここまで言われたら逃げられるわけないしね。ほんまに、陽炎は意固地というか頑固というか」

「それは、みずづきも同じよ」

「あはは・・・・・そうかも、ね」

 

自嘲気味に笑うと、真剣なまなざしを陽炎へ。

 

「本当に、いいの?」

「お構いなく。さっきも言ったけど、覚悟はできてる」

 

同く真剣な視線が返ってくる。

 

「それじゃあ、あそこのベンチに座りながら、ね。かなり長い話になるから」

「了解」

 

近くにひっそりと置かれている、古びたベンチ。ただ海軍基地内であるため管理が行き届いているのか、剥げた塗装が服や肌につくようなことはなかった。今では少し肌寒く感じる、ひんやりとした感覚が布越しに伝わってくる。少し動いただけで肩が触れそうなほど近くに座った陽炎は、何も言わない。

 

一度、瞑目する。一拍の静寂をおいて、みずづきの口が開いた。

 

「私のいた日本は・・・・・・・」

 

暗闇の中、街灯にのみ照らされた2人。誰にも知られないこの場所でみずづきの抱えていた世界を揺るがしかねない真実が初めて吐露される。由良基地の港から見える海上。そこを行き交う漁船はもういなくなっていた。


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