水面に映る月   作:金づち水兵

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今回はむさ苦しい軍人たちの語らいですが、どうかご容赦ください。


39話 秘密の宴

横須賀は瑞穂において有数の都市である。もともと平地であった沿岸部は低層ビルや商店に埋め尽くされ、その合間に張り巡らされた道路を無数の自動車が走り抜けていく。段々畑や里山が広がっていた平野に隣接する山々も例外ではない。都市の発展に伴う人口増加で動植物たちの楽園は人間の生活空間へと変貌し、山を縫うように住宅街が構築されている。人や機械の喧騒に支配されている中心部に比べると、電柱に止まった小鳥の鳴き声や木々が風に揺られる音、そしてその中を時々自動車がゆっくりと走っていく音によって包まれている住宅街は、時間の流れが緩やかに感じる。

 

だが、今は夜。昼間は心地よかった静寂が、現在は身を置くものに恐怖すら覚える不気味さを醸し出している。住宅の中に人の存在がわかる町中ですらそうなのだ。視界の中に数えきれないほどの田畑と両手で数えるほどしか人家がないここの不気味さはピカ一だ。山を一つ越えた先に人の気配でむせかえる横須賀中心部があるということが、周囲をみる限りでは信じられない。

 

そんな土地に、辺りの人家とは趣が少し異なる家屋が一つ。月は雲に隠れ、近くに街灯もなく暗闇に包まれているが、玄関とおぼしき引き戸の前に吊るされた提灯が淡燈の光を放ち、わずかな照明と相まって玄関を照らしている。提灯には達筆な字で「横洲(よこす)」と書かれていた。

 

走ってくる1台の車。黒塗りのため闇と同化してしまっていてなかなか輪郭がつかめない。砂利が敷かれた小さな・・・・・2台も止まれば駐車が困難となる駐車場に停められた車から2人の男が降りてくる。乱暴にドアを閉め、小走りな様子から察するに少し慌てているようだ。

 

「すみませ~ん!!」

 

ガラガラとリズミカルな音を発しながら縦桟(たてざん)の引き戸を開けると、取次(とりつぎ)式台(しきだい)を配した典型的な瑞風(みふう)の玄関が眼前に広がる。仄かに漂うい草と木の香り。これを感じて落ち着いている自分を思うとつくづく瑞穂人であることを感じてしまう。

 

「はいはい、ただいま!!」

 

少し遠くから聞こえる女性の声。廊下のきしむ音が急速に近付いて来る。立派な柱と土壁で死角になっている廊下からうぐいす色の着物を着た女性が姿を現した。年は男たちより、一回りほど上だろう。

 

 

「いらっしゃいませ。毎度ありがとうございます」

 

 

だが、背筋はしっかりと伸び、お辞儀などの所作には年を感じさせない雅さが宿っている。

 

「いえいえ、とんでもない。こんな素晴らしいところへ足を運べるなど、願ったり叶ったりですよ」

「そうです。毎度毎度お世話になっていますから、恐縮です。こういう落ち着いた情緒ある場所でないと、進まない話もありますから。ところで・・」

 

青いフレームのメガネをかけた男が自分達から見て、右側にある下駄箱に目を向ける。中には自分たちが履いているものより明らかに高級かつ新品同然に磨き上げられた靴が一足ある。

 

「はい。先程まで別のお客さまがおられましたが、もうお帰りに。今日はお客さまが最後となります」

「そうですか」

 

それを聞き安堵する男たち。

 

「では、どうぞ。ご案内致します」

 

ここ「横洲」の女将の後をついていく。一階にも部屋が複数存在するが、それには目もくれず急な階段で二階へと上がっていく。二階は一階と比べて小さく、少し広めの部屋が二つしかない。その内の一つに明かりが点いていた。

 

「お連れ様がお待ちです」

「うむ」

 

中から聞こえるあからさまに不機嫌な声。なにも知らない人間ならば拒絶と受け取って慌てるところだろうが、女将も男たちも長い付き合いのため、これが普通だと知っている。なので浮かべる表情は苦笑い。いつも通りに開かれる障子。

 

畳が敷かれた七畳ほどの瑞室。中央には座卓が置かれている。そこに腰を降ろし、水片手に新聞を読む中将の階級章を付けた男。視線は相変わらず新聞に向けられているが、意識はしっかり廊下で少し汗を浮かべている来客に向けられていた。

 

「中将、申し訳ありません! 遅くなりました! 失礼します・・・」

「失礼します!!」

 

あの件以来初めて会うというのに、いつも通りの対応。無愛想に映るが、これが彼なりの気遣いだと言うことは、とっくの昔に気付いている。

 

いつも通りで行く。

 

不器用な意思表示に2人はつい笑ってしまう。もちろん、顔に出せば罵声が飛んでくるので、心の中でだ。

 

「女将。さっきもいった通り酒はもう一人が来てからだ。余計な気遣いはいらん」

「承りました。どうぞ、ごゆっくり」

 

ひざまづいた女将は頭を下げると、上品な手つきで障子を閉める。階段を下りる音。二階には彼らしかいなくなった。

 

「・・・・・遅い。一体俺をどれだけ待たせたと思っている」

 

しばらく沈黙が続いた後、新聞を置いた中将が対面に座った二人を睨み付ける。ど本気ではないようだが、それなりにご立腹のようだ。しかし、四六時中ご立腹といっても過言ではない彼の性格を前提にすると、眼前の状態は少し不機嫌というレベルにまで下降する。とはいっても礼儀は礼儀。送れたこちらが弁解の余地なく悪いためただただ低頭するのみだ。

 

「も、申し訳ありません・・・・」

「まったく。・・・・・はぁ。・・・・・・・・・・・弁解したいことがあれば聞くが?」

 

不承不承といった雰囲気をまき散らしているが、その口から放たれた言葉に目を輝かせる二人。中将は二人を見ることなくコップの水を仰いでいる。

 

「実は、正躬司令のご意向で、今後の 第5艦隊の方針を話し合う士官会議が急遽行われまして」

「私たちも抵抗したのですが、立場上声を大にすることはできず・・・・・」

「あの老木め。俺と違い人付き合いにめっぽう弱いのだから、無駄な足掻きなどしなくてよいものを。とっとと田舎へ隠居してほしいものだ。これを見越して万一のときはさりげなく会話の方向をずらせ、と大戸に言ったんだがな。あいつはなにをしてたんだ?っと、噂をすればなんとやらだ」

 

階段を上がる音。そこには雅さなど皆無である。

 

「申し訳ありません!! 遅くなりました!!!」

 

障子を開けた直後、猛スピードで頭を下げる大戸。あまりのスムーズさに思わず圧倒されてしまう。相当慌てているようで、軍帽を取らずに頭を下げたため、軍帽は畳の上にまっ逆さまだ。その様子があまりにおかしく、先ほどきた二人は笑い声をあげないよう必死に口を押さえている。

 

「ええい!! 騒々しい!! ようやく来たと思ったらこれか・・・・・、無礼にもほどがある。こちらは散々待たされたんだ。・・・・・・・・・貴重な時間がもったいない。さっさと座れ!!」

「あ、ありがとうございます!! 失礼致します!!」

 

障子を開けたまま腰を降ろす大戸。自身の失態に気付き、血相を変えて障子を閉めるため立ち上がろうとするが、ちょうどお酒を乗せたお盆を手にした女将が現れた。結果オーライである。それぞれの手元にならべられていく焼酎瓶とお猪口。

 

「頃合いになったら呼ぶ。それまで下がっていてくれ」

「かしこまりました」

 

再び上品な手つきで障子を閉め、一階へ下りていく女将。それを確認すると中将が真っ先に焼酎を大戸の気遣いを拒絶して自分で注ぎ、お猪口を掲げる。それに続く三人。全員が掲げたことを確認すると、今回が番であるメガネの男が音頭をとる。

 

「では・・・・ゴホン! 皆さん、準備はよろしいですか!!」

 

全員の手元を確認するが、瑞穂酒で満たされたお猪口が例外なく握られている。

 

「えっと・・・よろしいみたいですね。それでは光昭10年度第1回横須賀鎮守府演習の無事終了を祝すと同時に、我ら、()()()()と瑞穂の輝かしい未来を願って・・・・」

「ちょっと待て!!」

 

「乾杯っ!!」と音頭の最終局面を言おうとした瞬間、相変わらずの仏頂面でお猪口を掲げていた中将が吠える。それを見聞きして「またか」と苦笑しながら肩をすくめる3人。次に吐かれるであろう台詞は考えるまでもない。このやりとりは耳にタコができるほど繰り返してきたのだから。

 

「何が御手洗派だぁ!! 俺はそんなもの認めた覚えは・・」

 

だから、3人は示し合わせたかのように中将の言葉を遮って、宴の開幕を宣言した。

 

「御手洗派と瑞穂の輝かしい未来を願ってっ」

『乾杯!!!』

「って、お前ら!!」

「ささ、中将もグビッといってください!」

「お前・・・・」

 

音頭をとった男をそれこそ睨みつけ、お猪口を小刻みに痙攣させる。だが、彼もこれがもはや定番と化し、開幕の合言葉になっていることは重々承知している。そのため「はぁ~」と呆れたようなため息をつくと「・・・・乾杯」と3人に聞こえるか聞こえないか程の声量で呟き、お猪口を一気に仰ぐ。

 

それを見て、この場で最上位の立場にある人間の許しが出たことを確認すると、3人も高く掲げたお猪口を仰ぐ。中将は恨めしそうな表情を強調しているが、向けられる側は全く悪びれた様子はなく、「旨い!」や「やっぱりこれですよ!!」など口々に笑顔を見せている。

 

もう時すでに遅し。久しぶりの宴は始まっているのだ。それが分からない、そしてそれを壊すほど無知ではない。観念したのか御手洗は不機嫌オーラ全開で瑞穂酒を仰ぐ。そして、空になったお猪口を部下の前に・・・・・・・。

 

注げ、と言うことだ。

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

当初は、近況報告など個人の話に終始していた宴も、料理によって腹が満たされ、瑞穂酒によって酔いがほどよく回ってきた頃合いになると、次第にもっと大きな話に移行していく。決して他の料亭では話せない、影のある話を。

 

「みずづき・・・・・。厄介な存在が現れたものですね」

 

誰がいつどのタイミングで堰を切るのか。暗黙の内で腹の探り合いが勃発するなか大戸が開始を告げる笛の役割を買って出た。視線で謝意を贈ると、これまた視線で「気にするな」の返答。ある意味体力を使う神経戦が集結したことに安堵のため息が出るものの、こちらの正面、大戸の隣に座っているお方にとっては災厄であったらしい。みずづきのみの字を聞いた瞬間、御手洗はお猪口を仰ぎかけた姿勢のまま硬直していた。

 

「全くその通りですよ、大戸さん。彼女が出てきたばっかりに、勉強ばかりで社会経験がろくにないヒヨコどものの暴走を招き、それを収めようとされた中将がとばっちりを・・・」

「おい」

 

突如、発せられる低い声。見れば、固まっていた御手洗はいつの間にか再起動し、結解をじっと見据えていた。

 

「何度も言わせるな。あれは俺の独断専行だ。俺の意思決定には、あんなくずどもの姿など微塵も反映されていない。何度言ったら分かるんだ? ・・・・・・ まっったくどいつもこいつも! 結解、今度言ったら無事では済まんぞ?」

「その様子だと、総長にも指摘されたんですね?」

 

側方から花表の奇襲攻撃。衝撃のあまり御手洗の眼力は鈍り、結解への渾身の攻撃は不発に終わってしまった。嬉々とする結解。御手洗は大戸に酒を注がせて平静を装っているが、全くそのもって装えていない。

 

「大戸」

「は、はい・・・・」

 

お猪口を置いた御手洗が振り向く。顔は血管が浮き出た上で、無表情だ。

 

「勝手に、彼女の話題を出すな!! 段取りが分からんやつだな!! 考えていた段取りが総崩れを引き起こしてしまったではないか!! ほんと~~~~にどいつもこいつも!!! しまいにはこいつらのお遊びの種になってしまったではないか!!」

 

あまりの声の大きさに、大戸は反射的に目を瞑る。

 

「いえいえ、中将。大戸さんには感謝です。段取りなどとおっしゃっていますが、要するに横須賀鎮守府乱入事件の話にできるだけ触れずにことをお進めになるということでしょう?」

 

メガネを不敵に反射させた結解の言葉。御手洗は視線を不自然な方向に反らす。誰がどうみてもそれは図星だ。

(今しかない・・・・・・・)

御手洗の気勢が緩んだ一瞬を好機と捉え、一気に畳みかける。御手洗は基本的に自分のことを周囲に語らない。そして、そういう空気でなければこちらが御手洗自身のことを尋ねても答えてくれないのだ。良く言えば括目、悪く言えば不愛想。

 

今、ここに漂っている空気は紛れもないそういうものだった。

 

「真剣な話、私はずっと気になっておりました。なぜ中将があんな暴挙に出たのか。あのようなことをすればどうなるかは、中将がもっともよくわかっていらした。なのに、何故です?」

 

結解は身を乗り出す。そこに先ほどまでの軽い色はない。さすがに御手洗もそれを感じ取ったのだろう。纏う雰囲気に憂いの色が帯びはじめた。

 

「何故でありますか?」

「花表、頼む」

「は、はい」

 

注がせた瑞穂酒を一気に飲みほす御手洗。顔は酔いが回っているのか、少しだけ赤い。

 

「結解。お前には、娘がいたな?」

「はい」

 

唐突な言葉。結解由造大佐には妻と、中学校に通う長女、幼稚園に通う次女の2人の娘がいる。それは御手洗も含め、この場にいる全員が知っている。「今更何を」と常人なら思ってしまうかもしれないが、結解は不思議に思うことも、ましたや無下に扱うこともない。彼は真剣な状況では、人当たりの良い政治家や官僚のようにさりげなく煙に巻くような粘り気のある行為は決してしない。言いたくないことははっきりと拒絶するのだ。

 

「なら、分かるだろ? 夢を壊すことの非道さ、そして裏切らないと思っていた対象に裏切られるという残酷さ。その罪の重さを。やつらは確かに自分の観たいものだけ見て現実から逃げているくずだ。現実逃避の結果でしか見えない幻想を夢とはき違えている。だがな、行動と思考はくずでも、志は擁護派のあいつらと・・・・・・・なんら変わらない本物だ。そして、あいつらはまだ若い。・・・・・・それだけだ」

「中将・・・・・」

「みずづき、か。お前たちはどう思う?」

 

この話は終わりと言わんばかりに、話の主導権を結解から奪い取る。だが、それに誰も反攻作戦を実施しようとはしない。みな薄々分かっていたのだ。

 

今回の宴。彼女が大活躍した直後も直後と言うだけあって、みずづきがメインテーマとなることは。そして、彼女の存在について、御手洗が意見を求めてくることも・・・・・・・。

 

「脅威だと、断言致します」

 

はっきりと迷いのない口調で大戸が言い放った。だが、その直後に顔が苦渋の色を帯びる。その気持ちはこちらも同じであったため、花表がとりなした。

 

「私も大戸さんの意見に異論はありません。みずづきが我々に与える脅威は主に2つに分類できます。1つは・・・おそらく百石提督も考えておられると思いますが、単純な軍事的脅威・・・・」

 

戦艦1、空母2 重巡1、軽巡1、駆逐7の計12隻・・・・2個艦隊に相当する戦力対みずづきただ1隻。空想戦記でも見かけない鬼畜とも言うべき戦力差。初めて演習の詳細を聞いた時、思わず横須賀鎮守府中枢の人間性に懐疑的な見方をしてしまったほどだ。

 

だが、それほどの戦力差をもってしても、瑞穂側の艦娘たちは・・・・・・・・負けたのだ。赤城航空隊41機、翔鶴航空隊60機、計101機もの猛攻はみずづきにかすり傷1つ負わせることもできず、唯一あと一歩まで迫った榛名もこちらが把握してなかった回転翼機からの奇襲を受け敗北。それでも、それでもみずづきはその船体に全く損傷を受けていないのだ。

 

国を守る軍人としてそんな力を目の当たりにした時、何を思うか。それを浮かべなければ軍人として失格だろう。

 

結解は想像した。これが演習ではなく正真正銘の戦なら、彼女の矛先が自分たちに向けられたら、と・・・・・・・・・・・・・。

 

「そして、もう1つ。みずづきが他の艦娘たちと同じように温和でお人好し、少し天然気がある一般的かつ信頼できる人柄である以上、こちらの方を我々は真剣に考えなければならないと思います・・・・」

「みずづきが戦場以外にばらまく間接的、そして無意識的な影響、だな?」

「ああ」

 

あまりの重大さに言いよどんでしまった花表の言葉を代弁する。

 

「2人の言う通りだ。全て彼女たちのせいにする気はないが、深海棲艦の出現と()()()()()()()をもった艦娘の登場によって、世界は()()してしまった。しかも、たちが悪いことに市井の市民のみならず大半の政治家や官僚、軍人までもがそれに気づいていない。それが、どれだけ危ういことか・・・・・。正躬司令は彼女を手放しで、希望と、そうおっしゃっていました。しかし、私はとてもそうは思えません。艦娘たちが不本意とはいえもたらした、世界の変質を鑑みるにみずづきが世界を、日本世界に近付けていく絶望の媒体になるような気がしてならないのです」

 

視線を空になった器に落とす大戸。彼の手は、報告書を読んだときの衝撃と、そこから派生した恐怖を思い出し小刻みに震えている。

 

「希望、か。部下と仲間の死を見て、現実を分かった気になっているあいつらしい・・・・・・」

 

いつもの気迫は何処へ行ったのか。誰に向けられているのか分からなかったが、その言葉にははたから聞いても感じ取れるほどの哀愁が含まれている。

 

「しかし・・・・・」

 

大戸を控えめに覗う花表。彼が何を言おうとしているか、思っているのか。分からない大戸ではなかった。儚げな笑顔で「そうだな」の相槌を打って、ここでどれだけ自分たちが喚こうが取ることになる“決定された現実”を語った。

 

「いくら彼女が脅威だとはいえ、彼女の力が今の瑞穂にとって絶対に手放すことのできない切り札であることは否定のしようがない。みずづきだけでなく、長門や吹雪たちも、な。俺たちが戦っているのは深海棲艦なんていう化け物なんだ。排斥派の阿呆はいまだに分からんようだが、我々の独力では・・・・局所戦でいくらかの勝利は拾えてもやつらを地球上から駆逐する勝利は勝ち取れない。絶対に、な」

「ええ、だから・・・やりきれませんね。長期的にはこの世界に悪影響しかもたらさないと分かっている存在を、短期的目標のため、身近に置いておかなければならないとは・・・・・・・」

「もう・・・・・・()()()には戻れないんでしょうかね?」

 

お猪口に出現した小さな水面を眺めながら、しみじみとそう言った花表。

 

「・・・・・・何、甘ったれたことを言っている? 戻れるわけがないだろう?」

 

若干苛立ちながらお猪口を仰ぐ御手洗。それに発言の張本人たる花表も含めて、誰も口を開かなかった。

 

「過去は過去だ。振り返ったところで、徒労だ。時間の無駄遣いだ。俺たちが見るべきは現実だ。そして、その現実は汚く、これでもかというほど穢れている。いや・・・・・お前たちが思う通り彼女たちのお陰で汚くなってしまった。そのことにいい加減気付いてほしいものだ。擁護派のバカどもにも・・・・・・・・。だから、着々とやつらの思い通りにことが運んでるんだ」

「っ!?」

 

驚愕する三人。顔を青くしながらも結解がおそるおそる声をあげる。そんな話は初耳だ。

 

「ついに、大使館の連中が動き出したんですか?」

 

日本世界同様、瑞穂世界にも100を越える主権国家が存在しており、当然国交を結んでいる全ての国の大使館が東京に設置されている。大戦発生以後、本国との連絡が回復していない大使館も存在しているが、彼らは絶望や不安に負けず、日夜連絡が回復した際に瑞穂政府と滞りなく関係の再構築が図れるよう、職務に励んでいる。瑞穂にとって好都合、不都合関係なく。

 

みずづきの情報はまだ公にはされていない。これはみずづきの重要性云々よりも、まだ政府が事態を上手く飲み込めてない点が大きかった。そして、それは諸外国にとっても同じことであった。みずづきの話は法的に機密に指定されている訳でもなかったが、軍内ではこのことについて緘口令が敷かれ、事実上の機密事項として扱われていた。しかし、みずづきが出現した当初は、誰もこれほどの力を有しているとは想像だにせず、まして彼女自身が盛大にばらまいた救助要請もあって、「みずづき」という存在自体を抹消することまでは出来なかった。近頃は百石や軍令部の動きもあって、みずづきの存在は横須賀を除き、瑞穂国内では表舞台から消えつつあるが、そんな話を諜報活動の拠点でもある各国の大使館が掴めないわけがないし、特ダネと判断しないわけがない。当然、本国と連絡がつく大使館は報告を行う。しかし、報告を受けたところで各国の上層部が示した反応は「なんじゃこりゃ?」だった。お膝元である瑞穂政府すらそうなのだ。海の向こうで必然的に情報の確度が落ちてしまう諸外国は、ただただ困惑するばかりだった。瑞穂も当然、この動きは把握しており、諸外国の困惑ぶりには安堵していた。しかし、時がたつに連れて確度の高いに情報を掴み始めた各国は、具体的なアクションを起こし始めたのだ。それは現在のところ平和裏に進んでいるが、今は戦時である。御手洗たちと同じくみずづきのインパクトに気付いた人間が出てくる可能性を排除していい情勢ではない。

 

「いや、外人どもは自称エリートの交渉びいきとお食事に終始している。少々ド派手なことをしようしても、簡単には動けん。動けばこちらとの関係悪化は避けられんし、公安と陸軍が目を輝かせて獲物を待っている状況だからな。問題は国内だ」

「 開発本部の件ですか?」

 

大戸の問いかけに、御手洗は沈黙する。結解はなんのことか分からず首をかしげていたが、対照的に花表は大戸の言葉と記憶が合致したようで何度も頷いている。

 

「みずづきが持っている兵器の解析情報を寄越せ、と軍令部を突き上げてたんですよね」

「ああ、その件なら私も小耳に挟みましたよ。主語がなかったのでてっきり財閥系の企業かと思ってましたが。そうか、兵本が・・・」

 

花表の言葉を受け、結解はポンと手を叩く。記憶をたどってみれば、確かにそのような話を聞いた覚えがあった。

 

「しかし、その件は百石司令の働きかけで収束したのでは?」

「やつらはとびきりの変態だ。それ以外の何者でもない。やつらが学生にとやかく言われたところで大人しく引き下がるわけがない。やつらはみずづきの出現を掴んだだけで軍令部のみならず、大本営にまで接触を持っていた。あわよくば大本営から、という俺たちの頭ごなしにことを運ぼうという魂胆が丸わかりだ。そして、やつらの情熱という名の圧力をさらに激しくするのが、今回の結果。これを知れば以前とは比較にならない規模で突き上げて来る」

 

御手洗は気だるそうにため息を吐く。

 

「安谷にそれとなく釘を刺そうにも、やつは擁護派・排斥派に深く関与しないとっちづかずで八方美人。また組織の性質上、総理官邸や国防省、大本営と近い分、下手に根回しが出来ん」

 

生粋の技術屋で、一部では「変態の総大将」ともささやかれる安谷隆一(やすたに たかかず)少将が本部長を務める兵器研究開発本部、通称兵本(へいほん)はその名の通り、瑞穂軍が使用するあらゆる装備の研究・開発・更新を一手に担う組織である。2033年現在では瑞穂軍における唯一の開発組織として1800人もの人員を擁している。かなりの大所帯だが、遥か以前よりそうであったわけではなく、その頃は全く異なる様相を呈していた組織であった。深海棲艦の出現以前、兵器研究開発本部自体は存在していたものの、開発方針の策定や各企業・大学との意見調整を行うなど施策の大枠を決める事務仕事が大半を占め、研究開発は全くといっていいほど担っていなかった。変わりに海軍軍令部や陸軍参謀本部のガチガチ軍人たちの戦略や方針・意見を聞いて研究開発を進めていたのは、それぞれの軍直轄の組織。海軍では、艦に関わる装備を担当する艦政本部、航空機に関する装備を担当する航空本部。陸軍では、戦車など陸上装備を担当する陸政本部と航空機(海軍が制空権確保を担当するため、陸軍は輸送機など航空輸送力を担当)に関わる装備を担当する航空本部。合計、4つもの研究開発組織が存在していた。またこれに加えて、国防省・大本営もそれぞれが開発を担当する部署を抱えていた。そのため、統一的な開発は困難を極め、同じ航空機の研究も陸軍なら陸軍、海軍なら海軍が別々に行うという非常に非効率的な実態があった。自分たちのペースで、他組織の横やりを気にせず開発に集中できるという利点はあったかもしれないが、開発の長期化・予算の肥大化・不完全な意思相通による開発方針の組織間対立は大きな問題だった。しかし、自らを滅ぼしかねない敵、深海棲艦が出現してもなおそれでは国防に多大な悪影響が出ることは必至。よって、政府や軍も重い腰をあげ、兵器の研究開発体制の大改革を断行したのだ。

 

その結果、研究開発は全て国防省の直轄組織である兵器研究開発本部に集約。当本部の権限も大幅に強化され、今では名実ともに軍の研究開発拠点として機能している。一方で陸・海軍の組織がどうなったかといえば、それぞれの航空本部は廃止され、艦政本部・陸政本部は縮小。前者は海政研究所、後者は陸政研究所と名前を変え、軍令部・参謀本部の意見を兵器開発本部に伝えるなどといった窓口機関的な組織になり果てている。所有していた立派な研究所や試験場も全て接収。元は陸海軍所有で現在は“兵本所有”となっている施設を間借りさせてもらって職員たちは職務に励んでいる。陸海軍技術将兵の肩身の狭さが尋常ではないことは容易に想像できるだろう。

 

彼らの反対で、研究開発の実権を握るに至った兵器研究開発本部はさぞかし自由奔放と思いきや、実はそうでもない。兵器研究開発本部は独立組織などではなく、国防省の直轄組織である。研究開発の主役で、綿密な意見交換を軸とした軍との密着した関係があるとはいえ、予算などの強大な権限を有し、瑞穂のありとあらゆる国防政策を決めているのは軍ではなく、国防省である。強大な官僚組織が上にいる以上、必然的に政治家や経済界との距離も近くなるのだ。これでは表はともかくとして裏のやりとりは不用意に行えるものではない。いくら御手洗が「国会議員を上回る」とさえ言われる家の権威を盾に傍若無人な振る舞いをしようとも、世の中には「上」がいる。御手洗以上の力を有する人物や勢力はうじゃうじゃいるのだ。その連中を「本気」で怒らせればどうなるか。結解ですら分かる事実を御手洗が知らないはずはないのだ。

 

「こちらから仕掛けずとも待っているだけで良いのでは? なんでも、近頃、擁護派にしびれを切らした一部の研究員が匿名で排斥派と接触を持っていると小耳にはさみましたが・・・・」

「やつらは俺たちが情報をぶんどってくることを前提にしている。ガキと一緒だ。下手なことを言えば、“話が違う”と暴走するかもしれんし、そのような不確定要因をむざむざ増やしたくない。やつらの上に立ち、かつ信頼している安谷あたりから抑え込んでくれるのが一番確実なんだが・・・・・・」

「その安谷少将は技術屋としては一流でも、リーダーとしては落第点っと・・・・」

「開発やら研究やらが絡まないことにはほぼ無関心・・・・・・」

 

耳にする噂、そして何より自分の目で確かめた兵器研究開発本部、本部長安谷隆一の人となりを思い浮かべ、なんとも複雑な表情になる結解と花表。それに触発されたのか大戸のみならず、御手洗までもが苦い表情となる。適材適所とは言ったものだが、微妙にずれている気がするのだ。しかし、この人選は軍令部も了承している。そして、軍令部も認めたということは御手洗の目も通っているということ。その時、彼は異論を唱えていないらしいが、だからこそ、そのような表情なのかもしれない。

 

「しかし、今からいずれ具現するであろう彼らの主張がすでに頭に浮かんできますよ。この奇跡を活用しないでどうする!! だの、あなたがたは瑞穂の防人たる軍人でしょ?ならば、彼女の技術が瑞穂の現在と未来にどれほどの恩恵をもたらすか分かっているはずだ!!」

「はははっ!! 大戸さん上手いですね!」

 

口調や表情のみならず身ぶり手振りまで再現した本格的なモノマネ。声をあげた結解以外の大戸や花表もお猪口を片手に「似てる」を連呼している。

 

「彼らの愚痴を散々聞いてきた立場だからな。しかし、もし彼らにみずづきの兵器情報が流れた場合・・・」

 

褒められたことによる照れ笑いから一転、大戸は御手洗と同様に深刻な表情を浮かべる。それには結解や花表も続かざるを得ない。

 

「深海棲艦という強大な敵がいる以上、我々や政府は勝利を掴むためにあらゆる情報や知識、技術を総動員して新兵器の開発を続ける。ましてや艦娘すらも相手にしない日本の先進科学技術が目の前にあれば、それを利用するのは当然の流れだ。だが、各国は艦娘を保有し深海棲艦と戦いを順調に進めている瑞穂の更なる強大化を絶対に看過しない。確実に、瑞穂に対抗して和寧や栄中、ルーシをはじめとした諸外国との兵器の開発競争が起こるだろうな。それが無意識に進んでいる軍拡の更なる促進を引き起こす。小学生にも分かる未来だ。ヘンタイどもは兵器を作ることしか興味がなく、そのあとのことは知らん顔。つくづく出来た頭を持ってるなと感心してしまう」

 

嘲笑。御手洗は他の3人と対照的にここに来て初めて笑みを見せたが、それは純粋な笑顔ではなかった。

 

「四・四艦隊計画は既に最終段階に入っていると伺っています。後は乗員と艦載機要員の養成のみ、とも。諸外国は一体?」

「艦娘を保有しているコロニカとルーシ、ブリテンは瑞穂と同じく空母機動部隊の建設が完了し、実戦配備はもうまもなく。あと、コロニカと因縁があるポピをはじめ栄中、バラードが空母や護衛艦艇の建造を進めている。国防省の知人に聞いたんだが深海棲艦にやられているポピとバラードは脇において、栄中は来年あたりで実戦配備に到達すると見込んでいるらしい」

「通りで佐世保が不可解な行動をしているわけですね。なんであそこまで“東シナ海の警戒監視”にこだわるのか、理解できませんでしたが・・・・・・そういうことですか」

 

有史以来、初めて自らを滅ぼしかねない敵と遭遇し、大戦を経験した世界は自存自衛のため空前の軍備拡張ブームに突入していた。瑞穂がその最たる例で大戦の煽りを受けた国内経済の下降によって国家財政が圧迫される中、莫大な予算を費やし、軽空母を旗艦とし、戦艦1、重巡洋艦1、軽巡洋艦2、駆逐艦2で構成される空母機動部隊を4個艦隊、整備したのだ。

 

整備計画「四・四艦隊計画」

 

計画名といい、艦隊の編成といい、新規建造された艦の概要といい、艦娘が所属し彼女たちから膨大な情報を手にした日本世界の大日本帝国海軍をモデルとしているのは明白であった。それは、これまで巡洋艦と位置付けられていた艦を重巡洋艦と軽巡洋艦に細分化したことからも分かる。この新艦隊は大戦で失われた艦隊の再建と銘打たれている。しかし、散った艦隊が本土防衛のみに主眼を置き、瑞穂近海海域での作戦行動前提の巡洋艦を旗艦とした軽武装艦隊であったのに対し、新艦隊は瑞穂近海海域のみならず敵掃討のため本土から離れた地域、いってしまえば瑞穂領域外での作戦行動を前提とした重武装艦隊だ。

 

再建といいながら、深海棲艦に対抗するためこれまで他国間との緊張を招くとして禁止されていた、「守る」だけの軍隊から「攻守両用」の軍隊へ大転換が図られたのが実態だ。そして、これは瑞穂だけではない。世界の大国が例外なく進んでいる道なのだ。コロニカ大陸にあるコロニカは軽空母ではなく、相当無理をして正規空母を旗艦とした空母機動部隊、3個艦隊の構築が完了していたりする。

 

そして、この流れを後戻り不可能なものにしたのが、瑞穂にとどまらず世界中に現れた艦娘たちの「並行世界証言録」だった。

 

考えてみてほしい。別の歴史をたどった世界。知的好奇心を最大限にして垣間見たその世界が、自分たちにとって決して受け入れられなかったものだとしたら。

 

その世界で自分たちに相当する国家が、他国家の侵略や理不尽な植民地支配を受け、社会・文化がいびつな形になっていたら?

そもそも、内的要因でなく外的要因によって、国家が、民族そのものが滅んでいたら?

 

並行世界においてそれをなした国に相当する国家が、ここに存在したら・・・・・・・・・・・?

 

 

「既にそこまで・・・・」

 

少し回復した顔色を、再び暗くする花表。そこに結解が追い打ちをかける。上京した際、軍令部に務める海軍兵学校の同期数人と飲みに行った折に聞いた話。その中の1人は情報局所属で機密指定されていない、横須賀にいては聞けない話を多く聞かせてくれた。その中には「世界の変質」をいやがおうにも連想してしまうものも含まれていた。

 

「それだけではありません。なんでも、空母建造のようにど派手な動きをしていなくとも、急速に軍拡を進めている国もあるらしいんです。しかも、明らかに深海棲艦以外の敵を念頭において・・・・・」

「インカやアステカ、か・・・・」

 

遠い目をして呟く大戸。それに結解はゆっくりと頷く。どうやら、大戸もその話は耳に入れていたようだ。

 

「彼の国は日本世界において、イスパニアに相当する国家に国・民族双方を滅ぼされていますから・・」

「彼らも動かざるを得ない、か・・・・・・」

 

口々に世界の不穏な動きを語る大戸たち。だが、彼ら以上に世界の深部を知っている御手洗は表情を全く変えない。そればかりや、若干ずれた話の方向をさりげなく修正する。

 

「確かに、大国においてものは出来上りつつある。しかし、それを動かした経験もノウハウも持たず操れる人間がいない以上、いくら日本を真似て立派なものを作ってもただの鉄屑だ」

 

四・四艦隊計画で建造された新艦隊の人員育成が何故進まないのか。その理由は御手洗の言った通りである。近代以降、日本世界と異なり国家・民族の存亡をかけるような大戦争が幸運にも起きていない瑞穂世界では、以前「他国が攻めてくる」という危機意識自体が国家レベル、国民レベル問わず非常に希薄であり、またそもそも深海棲艦が出現するまで「言葉ではなく、力による解決は、非文明的で下策の極み」という風潮が根強かった。そのような情勢下で、他国と国民からの非難、国家財政の圧迫を強いる強大な軍隊の整備は、各国とも選択肢になく万一の事態が発生した場合に、自国を防衛できる最低限度の軍事力しか整備していなかった。そして、周辺国が全てそうであったため、対抗心を燃やすことも、危機意識が煽られることもなかったのだ。そのため、自身と同等の火力・防御力を有する敵の撃滅を想定した戦艦や、高い機動力と外地展開能力を有する空母が、この世界では必要とされず、深海棲艦や艦娘が現れるまでウェルドックと同じく着想すらされてなかったのだ。誰も運用経験がないのに、人員の育成などトントン拍子で進むわけがない。

 

 

「だが、お前たちは航空隊と12隻の猛攻を防いだ強大な力に圧倒され、別の脅威を見落としている」

 

 

不機嫌さを感じさせるいつも通りの口調のなかに、諭すような色を込めた言葉。それに反発したり、心象を害したりすることもなく3人は無言で耳を傾ける。

 

「彼女は、日本を平和と、そう言ったんだな?」

 

御手洗の問いかけ。出席した横須賀鎮守府幹部から歓迎会でのやり取りを聞き、御手洗に報告した3人は、迷うことなく頷く。

 

「だったら何故、憲法解釈の変更などという反則技を使ってまで、再軍備に走る必要がある」

 

百石をはじめとした横須賀鎮守府幹部、そして伝聞情報のみの大戸たちすら抱いた当然の疑問。それを御手洗が抱かないわけがなかった。

 

「みずづきは横須賀で俺にむかってこう言った、自分の手は血で汚れていると。彼女は軍人だ。そして、俺たちと同じ人間だ。不利な状況を見てはったりをかました可能性も大いにあるが、俺はあの言葉が完全な嘘だとは、思えない。加えてあの力だ」

 

言葉を続ける御手洗のみならず、3人もそれぞれが見た衝撃的な映像や文書を思いだす。あまりの衝撃と驚愕で今でもあれが夢かなにかと錯覚していまいそうになる。

 

「あちらの世界に、戦争は文明の母である、という言葉がありましたね。戦争、本能的危機感を刺激する闘争によって技術は進歩し、文明は昇華する。みずづきの戦闘能力はまさにそれを体現しています」

「ソビエト連邦崩壊による冷戦の終結。第二次世界大戦の教訓から軍隊をなくした日本の再軍備。日本世界は我々と異なり、世界情勢も技術も激動という表現がぴったりの目まぐるしさで変化しています」

「つまり1970年以降も日本世界は・・・」

 

それらから導き出される仮説。深海棲艦も艦娘もおらず、この世界がもう一つの世界を知ることがなければ、エリートたちがどれだけ頭を捻っても考え付きすらしなかった、残酷な現実。だが、彼らは知っている。瑞穂世界とは全く別の道を歩み血にまみれた世界を。そして彼らは理解している。人間という生物が持つもう一つの側面を。

 

それをわざわざ言葉にする必要はなかった。口に出したくない仮説を飲み込んだ花表は、他の3人の顔を順番に伺う。全員、一致した仮説を頭に浮かべているのは一目瞭然だった。

 

「・・・中将がおっしゃった別の脅威とはこれだったのですね。艦娘たちは、少し癖のある子もいますが、総じてみな他人思いで優しく、責任感がある。そしてあの戦争に囚われ、日本の未来を非常に気にしている。執着と言い換えても良いかもしれません。そんな場所に2033年までの歴史を知り、なおかつそれを自らの足で歩んできた人間がやって来た。彼女の口から語られる世界が艦娘たちの許容範囲内なら我々が気を揉むこともないのですが、逆の場合は・・・・・・」

 

艦娘は深海棲艦と戦っていくなかで、いくら得体の知れない存在と叫ぼうがもはや必要不可欠な戦力であることは明々白々なのだ。もし彼女たちがいなくなったり戦闘不能に陥れば、瑞穂は終わりだ。いくら強力な艦隊を整えようとそれはあくまで艦娘の補完。主戦力は彼女たちなのだ。

 

「彼女たちも私たちより荒波にもまれたせいでしょうけど、現実を視る目は長けています。薄々勘付いている子もいると思いますが、動けないんでしょうね、怖くて。彼女たちの望む未来は、平和で豊かな日本。1970年まではそれが叶い、みずづきは2033年も平和だと言った。もしそれを疑うような行動を取ってしまえば、叶ったと思っていた自分の夢や願いを自分で壊すことになってしまう。聞きたくない認めたくない現実をわざわざ引き出してしまうかもしれない。・・・・・本当に、彼女たちはつくづく艦娘ですよ。化け物やら人外やらと罵声を浴びせるやつらの気がしれません」

 

結解の言葉が終わった瞬間、お猪口が座卓の上に置かれる軽い音がいつも以上の存在感を持って、室内に響きわたる。なんの力も入れずお猪口ー置けばこのような存在感は放たれない。意図的なのは一目瞭然だ。鳴らした者以外の3人が鳴らした者に視線を向ける。そこにはお猪口を固く握りしめ眉間に渓谷並のシワを作り出している御手洗がいた。

 

「も、申し訳ありません中将!! 結解が余計なことを」

「いえ、中将であろうともここははっきりと言わせて頂きます!」

「ちょ、結解!?」

 

事態を悲観的に捉えた過ぎた花表は、血相を変えながら場を取り繕おうと試みる。だが本当はその必要などないのだ。その証拠にこの中で最も御手洗との付き合いが長い大戸は慌てた様子もなく、笑顔すら浮かべて御手洗に酒を注いでいる。怒りの象徴である眉間の皺ができてはいるものの、不機嫌が平常の御手洗においてはごく普通のことである。

 

「筆端副司令や緒方参謀長から話は伺いましたが、あれはさすがに酷すぎではありませんか! お前らは化け物だ、お前らを作った存在は人間ではなく、存在するだけで侮辱だ、なんて言ったらそりゃいくらなんでもキレるでしょ!! あげくの果てにみずづきにも激昂されるとは、あまりにも悲惨すぎます」

「黙って聞いていれば、好き放題言いやがって・・・」

 

御手洗はお猪口を持つ手を震わせながら、大戸に注がれた透明の酒を一気飲み干す。そして、機関銃を乱射しはじめた。だが酒に酔っているのか照準が緩すぎる。

 

「俺だって、本当に艦娘が化け物で人外とは、ちっとも思っていない。そんなの見れば分かる。何年生きてきたと思っているんだ!! この目はしっかりと“現実”を捉えている! 体に恐怖しか宿していない愚か者どもとは違う。あれは、その・・・・頭に血がのぼってしまって・・・・。お、俺だって最初から、そんな気では」

 

一気に視線が泳ぎ出す。いつものハリネズミのような刺々しい雰囲気は皆無で、百石辺りが見れば今までの仕返しとばかりに高飛車な態度に出そうなほどだ。

 

「まあまあ、結解、その辺りにしておけ。中将もはたから見ればどこ吹く風だが、十分に反省しておられる。さすがに、撃たれてしまったからな」

「おいっ!!」

 

御手洗の睨みなど、それこそどこ吹く風で大戸は苦笑する。

 

「俺だって、あんなことになると分かっていたら最初から・・・・ゴホンっ!! だがな逆に聞くが、俺があいつらを罵倒する言葉以外を吐いて結果が変わったと思うか? みずづきに撃たれて横須賀の頭の中で花を栽培している連中に屈辱的な仕打ちを受けることもなかっただろうが、俺は御手洗家三男、御手洗実だ。俺のもとにみずづき出現の報が入った段階で・・・・・・・・大筋はもう決まったといっても過言ではない。例え、まともな言葉を吐いたとしても、だ」

 

撃ち方終了。御手洗はお猪口の隣にあった焼酎瓶を強引につかみ、直接飲みはじめる。大戸や花表が止めに入るが全く効果は見られない。それを片目にまだ何かを言いたそうに口を動かしていた結解だったが、あきらめて自身のお猪口に残りわずかとなった瑞穂酒を注ぐ。言いたいことは山ほどある。おそらく、御手洗に拾われた当初なら、このまま言葉を続けていただろう。しかし、彼の立場や性格を知ってしまった今となってはとてもこれ以上続ける気にはなれなかった。一般家庭で育ち、戦隊司令にまでのぼりつめたものの、彼とはそもそも歩んできた世界とこれから歩んでいく世界が違うのだ。そして、そこから見てきた景色も。

 

「・・・・・なんにせよ、さらに詳しくみずづきについて調査、情報収集を行う必要がある。くれぐれも学生や老木に勘付かれよう事を進めてくれ」

 

労いの1つもない冷たい言葉。だが、3人はそれに顔をしかめるどころか不敵な笑みを浮かべる。もし百石や筆端に同じ言葉を言ったとしても、受けとる印象は全く逆だろう。「進めてくれ」と「進めろ」の違い。一文字しか違わないが、そこに大きな意味があることは御手洗と親しい者しか知らない。

 

「簡単におっしゃいますが、これ結構大変なんですよ」

「そうですそうです。横須賀は擁護派の居城で、私たちも百石司令たちと同じ擁護派を装っているんです。今の所は排斥派だとバレてはいませんが」

「結解、今の言だといかにも俺たちが東京のバカどもと同じに聞こえる。排斥派は排斥派だが、違うだろ?」

 

ニヤリと悪そうに微笑む花表。それを受け取った結解も同調し、堂々と棟を張って応える。

 

「そうとも俺たちは御手洗派、だ!!」

「お前ら・・・・・もう知らん!! おい、大戸!! 酒がない。女将を呼んでこい!! 酒だ酒!!」

 

結解と花表から視線を反らし、御手洗は焼酎瓶をこれでもかと高く掲げる。よほど飲んだのか顔も手もマントヒヒ状態だ。だが、それでも御手洗実を見失ってはいない。大戸はそれにやれやれとほほをかきつつ立ち上がる。一瞬垣間見た御手洗の表情。わずかに微笑んでいるように見えたのは気のせいではないだろう。

 

 

ーーーーーーーーー

 

 

空になった食器、焼酎瓶。それが我が物顔で居座る座卓を離れ一同は、部屋に1つしかない窓の近くに集まっていた。もちろん焼酎瓶とお猪口も共に。先ほどまでの騒々しさはなりをひそめ、開けた窓から少し湿っているものの酒で火照った体には心地よい風が入ってくる。時折、早とちりした鈴虫の爽やかな鳴き声も聞こえてくる。

 

「なあ、お前ら」

 

宴も佳境に入るなか、御手洗がいつもからは想像もできない神妙な声色を放つ。大戸たちは耳を傾けるだけで特段の反応は示さない。静寂が人の意思とは無関係に鳴き続けている鈴虫の音色をさらに際立たせる。

 

「みんな、死んだな・・・・」

 

その言葉が深く胸に突き刺さる。かつて御手洗派は的場派など海軍内の著名派閥とは天地の差があれど、大戸、結解、花表を含め26人の構成員がいた。その頃は宴会を開こうにもここのような部屋では収まりきらず、女将に無理を言って1階全てを貸切りにしてどんちゃん騒ぎをしたこともあったほどだ。ほんの数年前にも関わらず、その光景がついこの間のように思い出される。しかし、大戦を経た現在は11人しかいない。そして、そうなったのは同僚や志を同じくする仲間だけではない。

 

御手洗の大切な、おそらく・・・・・・いや、確実に自分の命を差し出してでも守りたかった唯一無二の存在たちまでもが・・・・・・・・・・・。

 

戦争が始まってからだ。

 

 

 

 

 

 

 

もともとそこまでは笑わなかった御手洗が、もっと笑わなくなったのは。

 

 

 

 

 

 

 

「もうこれ以上、目の前から人が消えるのは・・・・・・・・・・ごめんだ」

 

それを最後に、紡がれはじめた規則正しい吐息。御手洗は器用にも、あぐらをかき焼酎瓶を持ったまま寝ていた。

 

「ずいぶんとお疲れだったんでしょうね。お体の線も細くなったように感じますし」

「こうして寝られてる分には、口の悪さなんて微塵も分からないんですがね」

 

花表とは対照的に就寝をいいことに御手洗をからかう結解。御手洗の顔を見て3人は吹き出すように笑う。

 

「お前の言う通りだな。だが・・・・あまりぐっすり眠られても困るな」

「ん? どうしてですか?」

 

首をかしげる結解。花表も似たような表情で大戸を直視する。

 

「中将は横須賀に宿泊されるが朝一で東京へ戻られるんだよ。なんでも、例の会談があるらしい」

 

それを聞いて、大戸と同じく2人は表情を曇らせる。

 

「また・・・・・ですか」

「おそらくみずづきの件でしょうね。まったくあのごm・・・・」

「止めとけ結解。瑞穂最大の財閥たる五美(いつみ)家を侮辱すれば、一族郎党山奥に獣の餌として投棄される」

 

冗談のようで冗談に聞こえない冗談。背筋が寒くなる。いくらなんでもそこまではされないが、本気になればやれるだけの力を有しているのは事実だ。

 

様々な業界に根を張り数多の企業を傘下に置く一大企業グループ、財閥。瑞穂には現在、五美、越後、松前、豊田、三沢の五財閥が存在し、国内総生産の約5割を彼らが握っている。そのため各方面への影響力は凄まじく、彼らなしには瑞穂の国家運営は成り立たない。そして、御手洗家は彼らより遥かに歴史を持ち、瑞穂の政財界に深く関わってきた名家。当然両者の間には太いつながりがあった。

 

「せめて私たちだけでも、中将の味方でいなければ」

 

御手洗を寝顔を見ながら紡がれた花表の言葉。それに大戸と結解も力強く頷く。

 

深みを時と共に増していく闇。数えるほどしかない人家の明かりも徐々に数を減らしていく。猫の皮を脱ぐことができる気楽で至福の一時も、もうまもなく終焉だ。




本話では、これまで語れなかった瑞穂世界の設定や特定人物たちのお話を少しばかり書かせて頂きました。

なお「設定集」、瑞穂世界側の記述に少しばかり加筆を行いましたので、よろしければそちらも合わせてご覧ください。本文中で説明したかったのですが、全て書くと何の物語か分からなくなってしまうので・・・・・・・。(一応、艦これの二次創作です!)

今後も物語の進捗状況に合わせて、「設定集」、特に瑞穂世界側の記述は随時加筆していくつもりです!

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