水面に映る月   作:金づち水兵

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見る方によって印象は異なると思いますが、一応、ここにも閲覧注意を記しておきます。


29話 夢 -西日本大震災-

「ねぇ、お母さん? いまどこ? まだ着かないの?」

 

妙に霞んだ視界。釈然としない意識。他人事のように聞こえる様々な音。重力から解放されたような浮遊感。それはこれまで生きてきた中で数え切れないほど感じてきた感覚。

 

「ん? 起きたの? ふふふっ。もうすぐ着くからね、あと少しの辛抱」

「おぉ、澄、起きたのか? まだ、眠たそうだぞ。着いたら起こすから、まだ寝ててもいいんだぞ」

 

締め切られ、エアコンによって外気温より遥かに快適な温度に保たれた車内。窓からは自分の家がある土地より建物が多いものの、大きな街とは到底言えない二階建ての建築物が大半の、街。そして、その間から時々、真っ青な空から降り注ぐ日光を受け、きらきらと輝いている海が見える。

 

目を閉じると再び暗闇が訪れる。それでも意識が無に没することはなく、耳から得られる情報は絶え間なく蓄積されていく。

 

「でも、良かったな。命も無事で、大した後遺症もなくて。脳梗塞で倒れたと聞いた時は肝を冷やしたよ」

「ほんとに・・・・・。お父さんったら、あれほどお母さんに、年なんだから酒とたばこを控えろって言われてたのに、飲んで吸ってばっかりいるからこんなことに。あとでとっちめてやらないと!!」

「あんまりきつく当たるなよ。今回は俺も一緒だし、澄もいるんだ。お義父さんとお前が喧嘩しだしたら肩身の狭さが半端じゃない。しかも、場所しだいで重圧は増しましだ」

 

大人の、少し年を取った男女の会話が聞こえてくる。内容は理解できないところもあるが、その声を聞いているだけで、心が安心感に包まれる。急速潜航しだすあやふやな意識。

 

 

 

 

その姿、その声。見えたもの聞こえるもの、全てに見覚えがある。そして、目の前が闇に包まれる前、窓に反射して見えた己の姿。それは、現在の自分とは大きく身長、髪型、顔つきが時間的・物理的に異なっていた。

 

 

 

 

ああ・・・・・・・、夢、か。

 

 

 

 

自分が見ている光景を、そう結論付けた。自分の意識とは無関係に蓄積される情報。まるで映画を見ているような気分だ。

 

 

また、この夢・・・・・・・・。

 

 

幾度となく見続けてきた、夢。何度も、何度も。しかし、それでも見続けてきた夢。見える光景の結末は嫌ほど知っている。なのに、止められない。夢から、醒められない。

 

抵抗は、無意味。夢によって覚醒しかけた意識は、再び黒に浸食されていく。そして、他人事のように、それを眺める。

 

この夢を見るのもいつ以来だろうか。随分と久しぶりのような気がする。あれから時がたつごとに頻度を減らしていった夢。しかし、それでも、あれからどれだけ時が経とうと脳から決して消えない記憶。

 

 

 

 

 

 

 

無情に蓄積された(過去)見続ける(振り返る)旅が、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

記録され続ける音。意識はまだ閉じていない。

 

わずかな前への力を最後に、車が止まる。いつもと変わらない、車内、街、人、空、海。ずっと変わらない、なくならないと思っていた当たり前の日常。

 

それが、弱くもろく儚く、そしてかけがえのないものだと幼心に気付いた、いや気付かされる瞬間がやってくる。

 

 

 

人類が、日本が滅ぶであろうそのときまで語り継がれる壮絶な歴史。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」

 

突然車内に鳴り響く、本能的な恐怖心を駆り立てる特徴的な警報音。それを聞いた瞬間、車内の運転席・助手席に座っている中年の男女は血相を変える。後部座席に眠りかけていた澄と呼ばれ少女はその音におびえ、涙を含ませた瞳で2人を見る。

 

「お、おかあさん・・・これ・・」

「あなた、地震地震地震!!! 」

 

しかし、少女のか細い声は、女性の緊迫した声にかき消される。何故だろう。止まっているはずなのに、車内が揺れ始める。

 

「落ち着け! 鳴ったからって強いのが来るとは限らん! お前、少しビビりすぎだ。澄、大丈夫だからな」

 

男性は後部座席を振り返ると、澄を安心さるため笑顔を見せる。だが、その笑顔をあざ笑うかのように、地震は収まらない。それどころか、段々と激しさを増してく。

 

「な、長い・・・・・。この揺れはあの時み・・・」

 

男性が何かを言いかけた瞬間、下からハンマーか何かで突き上げられるたかのような激震が襲い掛かる。人、車、建物、山、全てが揺れる。小さい体では到底抗えない強大な力。それに澄は座席の上で、遊ばれるかのように翻弄される。世界が壊れてしまうような、そんな錯覚させ感じられる。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁっぁ!!!!」

「澄っ!! 何かにつかまるんだ!!」

「大きい、大きすぎる!! 震度6はあるんじゃないのっ!!」

「かもなっ! もしかしたらそれ以上かも・・・。」

 

揺れ始めてから随分と経った気がするが、まだ揺れは収まらない。強弱を繰り返しながら、永遠に続くのではないかと思えるほど、収まらない。

 

「なんで、なんで、まだ収まらないの!? もう5分は経ってるのに!!」

「これは・・・・・・・ついに、来たな」

 

 

 

 

ついに、来た。

 

 

 

 

その言葉は揺れによる建物などの摩擦音、人の怒号、防災無線から流れる緊急放送が押し寄せる中、車内に抵抗なく溶けていった。

 

 

 

―――――

 

 

 

船の汽笛をさらに大きく高音にしたような音が響き渡る。恐ろしく、機械的に聞こえる男性の声。

 

「大津波警報が発表されました。海岸付近の方は、高台へ避難して下さい」

 

そのあとに、別の緊急放送が続く。

 

「・・・・市役所よりお知らせします。ただいま、和歌山県沿岸に大津波警報が発令されています。沿岸部にお住いの方はただちに、ただちに高台に避難して下さい。繰り返し・・」

 

「気象庁は先ほど太平洋沿岸の広い範囲、伊豆、小笠原諸島沿岸に大津波警報を発令しました。またその他の太平洋沿岸、瀬戸内海、伊勢・三河湾、東京湾内湾に津波警報・津波注意報が発令されています。沿岸にお住いの方は、直ちに、直ちに、避難して下さい! あのときを思い出して下さい!! 思い込みにとらわれず、自分の命を最優先に行動して下さい!! 逃げて下さい!!」

 

外の防災無線、そしてカーラジオから聞こえる、今まで聞いたこともないほど緊迫した声。サイレンを流しながら対向車線を猛進していくパトカー・消防車。そして、両親が放つ怒号。澄はその中、ただかけられていた毛布を強く強く握りしめていた。

 

「ちっ!! あそこの車、何やってんだ!! 入れねぇじゃねぇか!! くっそ!! 早く、早くしないと!!」

「あそこの路地を右に、そのあと左手に薬局があるからそこを左に!!」

「了解っと・・・!? あ、あぶねぇなこのくそ軽トラ!! ちゃんと前見てんのか!!」

 

久しぶりに聞く、父の怒号。前回放たれたときは母がとてつもなく怖い表情でいさめていたが、今回はそれがない。自分に向けられたものでないと分かっていても、澄は固く目をつむり怯える。それに耐えられなくなると、澄は視線を窓の外に向ける。

 

車は坂を上がっていた。当初は建物の屋根と同じ高さだったが、徐々に上がっていく。いつしか、街が見下ろせる高さになる。そこを前も後ろも車がびっしりと連なり、歩道には血相を変えた人々が着の身着のままで走っている。

 

 

 

 

 

そして、澄は見た。海。さきほどまで宝石のような輝きを放っていた海。その遥か向こう。

 

本来は平らな水平線が、少し、ほんの少し盛り上がっているのを・・・・・・。

 

 

 

――――――

 

 

 

「つ、津波が来たぞぉぉぉぉぉぉ――――!!!!」

 

山の上にある学校。小学校か中学校か、はたまは高校なのか見分けがつかない。そこの校庭に自分たちと同じように、続々と車が入って駐車していく。無事、着けたことにほっとしているのか安堵している両親の顔を見て、少女が笑顔を浮かべようとしたそのとき、絶望をにじませた声が、校庭、いや学校全体に響き渡る。

 

「つなみ??」

 

澄は、津波と聞いて正直分からなかった。ラジオなどではしきりに耳にしたが、それに関する説明は皆無。「なみ」と聞いて、家族で海水浴へ行った時のことを思い出していた澄。しかし、大人たちはそれを聞いた瞬間、顔面蒼白となり声のした方向へ一斉に走り出す。両親も例外ではなかったが、一瞬立ち止まり悲し気な表情で澄の顔を覗う。今思えば、おそらくこれから起こる、見るであろう光景を知っていた両親は、それを子供に見せて良い物かどうか迷ったのだろう。だが、今自分たちがここに置かれている以上、子供であろうとも受け止めなければならない現実。

 

「澄、おいで」

 

つらそうに顔を歪める母。澄は何もかも分からなかった。どうして大人たちの顔が白くなっているのか、母が父がつらそうにしているのか。しかし、分からないが感じてはいた。今自分は、とんでもない状況にいるのだと。

 

 

 

「早く逃げろ逃げろ逃げろ!!!」

「あがれあがれあがれあがれあがれあがえっ!!!!!!!!」

「すぐそこまで、来てるぞ!! なにしてんだ!! 後ろ、後ろ!!」

「歩くな! 走れ!! 飲まれちまうぞ!!」

 

響わたる怒号。悲鳴。人それぞれが出せんばかりの声量で、己の激情を発露する。母の冷たい手に引かれ、やってきた街を一望できる高台。数え切れない人々が恐怖の光景を、目に焼き付けている。そこからは自分たちが上ってきた坂道の入り口も見える。同時に自分がきれいと感じていた海も。

 

しかし、目の前の海は澄がきれいと感じた美しさを完全に変貌させ、どす黒い水の塊となって街を、人を、なにもかもを飲み込もうとしていた。迫りくる水の壁。澄はそれを見て、これのどこが波だ、と思った。海がそのまま這い上がっていく光景。それに抗えず、つぶされ砕かれ流されていく数多の家屋。おもちゃのようにもてあそばれている車。そして・・・。

 

「っ!? ひ、ひとが・・・・。お、お母さん、ひとがひとが・・・!?」

 

澄は見た。見てしまった。迫りくる明確な死。はじめは数cmにもみたない水の流れ。それに足を浸しつつも、大勢の人々が死から逃れようと必死の形相で走る、走る。お年寄りが、サラリーマンが、主婦が、警察官が、消防員が・・・・・。そして、走る。自分と同じ年頃の子供たちが。子供の手を必死に引っ張る母親が。

 

瞬きをした瞬間、その人たちの姿はなかった。いや、正確に言えばあった。ほんの一瞬で自分の背丈の何倍にも成長した濁流。その中に、苦悶の表情を示して流されていく姿が。人が、まるで道端の石ころのように猛スピードで流され、濁流の中に消えていく。澄の訴えを父は、母は悔しそうに唇をかみしめ、目に涙を浮かべて聞いていた。だが、言葉は帰ってこない。

 

「離せっ! 離せよっ!! あそこにはばあちゃんがいるんだ! 俺が俺がいかねぇと、ばあちゃんがっ! お願いだから離してくれ!!」

「ダメだっ。行ったら君まで死んでしまうぞ。冷静になれ!!」

「おれは冷静だ!! 家族を助けたいと思って何が悪い!! いいから、離せよっ!!」

 

突然近くで上がった怒号とも、悲鳴ともとれる大きな声。そこへ目を向けると自分より遥かに大きい1人の男の子が、警察官に腕をつかまれ、動きを封じられていた。

 

「もう、手遅れだ! まだ、飲まれていないがそれは時間の問題だ! 君にも分かるだろう!!」

「んなこと分かってる!! だけど、もしかしたら助けられるかもしれないだろ!! ばあちゃんは足が悪いんだよ!! 他人の分際で俺の気持ちが分かんのか!! だから、いい加減・・・あ、ぁぁぁ」

 

濁流は内陸へ、内陸へ進んでいく。家を畑を田を車を、人を飲み込んでどこまでも。男の子はある地区、高台の真下が津波に飲まれた瞬間、さっきの威勢を凍らせ、目に大粒の涙を浮かべる。

 

 

 

 

 

悲鳴が、聞こえてくる。

 

 

 

 

 

「たすけてくれれぇぇぇぇ――――――!!!!」

「うばっ!! 死にたくな・・・・・」

「うわわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!!」

 

凍り付く空気。真夏の日差しの照り付けているにも関わらず、誰もが悪寒を感じ、身を震わす。

 

ときおり、人間が発っしているのであろう、言葉にならないうめき声も聞こえる。だがそれも幻聴かと思えるほど、一瞬で濁流が鳴らす轟音の中に消えていく。

 

「お、俺んちが・・・・・・ば、ばあちゃん・・・? ばあちゃん・・・・。うそだろ、うそだろ? なぁ、だれか嘘だって言ってくれよ!!!!!」

 

男の子は周りを見渡す。大人たちは、必死に目を逸らす。少年の目は、彼を止めていた警察官に向く。彼は、申し訳なさそうにかぶっている帽子のつばを持ち、深くかぶり直す。それを見た少年は、その場で泣き崩れる。

 

爪が食い込んで血が出るのではないかと思えるほど、拳を強く握りしめる警察官。

 

息も絶えたえに表情を失い、全身ずぶぬれになった人々が斜面や坂道を、ゾンビのような足取りで上がってくる。間一髪で死から逃れられた人々。だが、歓喜の全く色はない。その数は自身が見た、ほんの一部の区域にいた人々より遥かに少なかった。その後ろ、かつて数万人が暮らしていた街は、文字通り海になっていた。家や車が不自然に浮かんでいる茶色い海。

 

澄は、ただただそれらを悲しみに押しつぶされそうな心で見ていた。

 

 

 

―――――

 

 

 

「東日本大震災と同規模の地震です。気象庁によると昨日午前11時46分に発生した大地震の震源は、三重県志摩半島沖、震源の深さは10km、地震の規模を示すマグニチュードは、2011年3月11日に発災した東日本大震災に次ぐマグニチュード8.9と推定されます。この地震により西日本太平洋沿岸を中心に、50を超える市区町村で震度7を観測しています。その他の地域でも北海道から沖縄に至るまで、震度6強から1の揺れを観測しています。本震の後もたびたび余震とみられる大きな地震が発生しており、午前5時3分に観測された地震では、三重県・和歌山県で震度6弱を観測しています。また、太平洋沿岸を中心に日本の広い範囲に、大津波警報・津波警報・津波注意報が発令されています。太平洋沿岸では最大波15mを越える津波が各所で押し寄せています。被害の全容は未だ分かっていませんが、各地で甚大な被害が発生している模様です。警察庁の午前4時のまとめによりますと、現在確認されている死者・行方不明者は3487名です。負傷者についは現在集計中とのことです。しかし、被害の全容がつかめていない現状を考えれば、被害者数は今後も増えると思われます。・・・・・・・大阪市中心部・名古屋市中心部は津波により冠水しており、多数の死者・行方不明者が出ている模様です。また、静岡県沼津市では・・・・・・・、ぬ、沼津市では多数の水死体が発見されたとの情報もあります・・・」

 

緊迫したアナウンサーの声。時折、スタジオのものだろうか、息を飲む音も聞こえてくる。その音で澄は目を覚ます。いつもの何倍も重たく感じる体を起こし、昨日酷使した目をこする。頭は睡眠不足と極度の疲れからか、霞がかかったようにぼーっとしている。

 

車内の時計を見れば、まだ前回見た時から1時間半しか経過していない。

 

度重なる余震、そのたびに響く母が持つスマートフォンの警報音。母は鳴りやまない警報音を気にし、マナーモードにしているがこうして起きた直後にも一回振動している。

 

「お母さん・・・・」

「ん? 澄、起きたの? ・・・・大丈夫? 気持ち悪いとか、ない?」

 

自分の起床を確認すると、スマホを深刻な表情で見つめていた母は無理に笑顔を作る。だが、澄の顔を見た途端、心配そうに眉をひそめる。澄の顔からは疲れが容易に感じ取れた。

 

「うん。大丈夫・・・」

「そう。なにかあったらすぐに言うのよ。いいわね?」

「うん・・・・。・・・・お父さんは?」

 

澄は運転席に父が座っていないことに気付く。意識を閉じるまでは、そこにいたのだ。急速に広がる不安感。それを察したのか、母は陰のある笑顔で澄を安心させようとする。

 

「大丈夫よ。お父さんはその・・・・・少し用事があって学校の方に行ってるだけだから」

 

子供でも分かる嘘。いつもの澄ならツッコんでいただろうが、母の顔には有無を言わさぬ迫力があった。それにおとなしく引き下がると、澄は座席に背中を預け、窓から外を見る。

 

運動場に止まる数え切れないほどの車。その中でしばしの休息をとっている人もいれば、何人かで集まり話しこんでいる人たちもいる。その会話が少し開け放たれている窓から聞こえてくる。

 

「小人地区のほうは壊滅らしい。全身傷だらけで山を越えてきた消防団のおっさん曰く、家がろくに残ってないとも」

「材木のほうは?」

「そっちも似たようなもんだ。ただ、派出所の屋上に生存者が数十人いて、今有志の住民と警察、消防が救助を試みてる」

「じ、自衛隊は来ないんですか? ニュースじゃ既に災害派遣で部隊が出てるそうですけど」

「親戚のおじさんが言ってたんですが、ここと和歌山やら奈良とを結ぶ県道や国道は軒並み土砂崩れ、橋の崩落でやられてるそうです。こりゃ、想定どおり、ここは孤立しちまったわけですよ」

「それに、例え道路があったとしても自衛隊が来てくれるか分からん。今回の地震はあきらかに想定を超えてる。おそらく、ここみたいなことが日本中で・・・・」

 

不安感を必死に取り払おうとする声。だが、それでも語られる情報はそれを増長させるものばかりだ。

 

「あっ、お父さん!」

 

嬉しそうに弾む声。澄は会話を聞いていた一団の後ろに父の姿を見つける。一刻も早く父に会いたい、父の声を聞きたい一心で、ドアを開け外に飛び出る。だから、だろう。澄には父の姿しか見えていないかった。父が何をしているのか。父を含めた数人の男たちがなにを運んでいるのかを・・・・・・・・。

 

「あっ、待ちなさい、澄っ!! いっちゃダメぇ!!!!」

 

必死に叫ぶ母。しかし、それは澄には聞こえていなかった。澄は疲れを感じさせない足取りで走り、急速に父との距離を縮める。その顔には笑顔が浮かんでいた。だが・・。

 

「お父さん!! ・・・・・・えっ・・・」

 

なにかを運んでいる父。父と一緒に運ぶ男たち。そして、それを見る人々。それらの表情を見て瞬間、澄は足を止める。くやしさ、悲しさを湛えた、ただただつらそうな表情。意味が分からず、父たちが運んでいるなにかを見る。トタンとおぼしきものに毛布が掛けられている。

 

「澄っ!!!」

 

血相をかえた母が車を飛び出すが、追いつくのが遅かった。澄は見てしまった。毛布の間から出ている、白く青い、生気の感じない人の手を。

 

「お、お母さん・・・・・」

 

父が運んでいる正体を認め、澄は母に抱き着く。怖かった。ぬくもりを感じたかった。自分が、母が父が、親戚に預けられている弟が、自分の大切な人がどこかへ行ってしまうような気がして。とても、怖かった。母はそんな澄を優しく抱きしめる。

 

 

 

どこにもいかない。ずっと、そばにいる。というように。

 

 

 

だが世界は、そんな親子のぬくもりを価値のないものとでもいうように、破壊する。

 

 

 

振動するスマートフォン。母は澄の頭をなでると抱擁をやめ、スマホを手にとる。

 

「え・・・・・・・?」

 

表情を曇らせる母。周囲の人々も、多くがスマホを眺め同じような表情だ。なにがあったのかと気になるが、それはくしくも、再び振動したスマホからの情報で明らかになった。

 

「え・・・・・・、うそ、でしょ・・・・。そんな・・・」

 

曇らせる、ではなく凍らせた母は、澄の手をとりテレビが設置されている学校の体育館へ走る。それは母だけではない。情報を受け取った人、全員が同じ行動を取る。

 

「おいおい、マジかよっ!!」

「富士山が・・・・・、そんな!」

 

テレビの前。そこには人だかりができていた。澄はそれを見ようと近くにあった椅子の上に昇る。

 

 

そこには、なにがなんだか分からない澄でも絶句する光景が映し出されていた。

 

 

「カメラ1っ!! カメラっ!! そっちまわして!! 早くしろ!!」

 

スタッフのものと思われる怒号が何度も聞こえる。画面は、アナウンサーではなくとある山をフルハイビジョンの高画質で映している。澄ですら何度も見たことのある山。日本の象徴でもある、神山・富士山。その美さえ感じる斜面から、溶岩とどす黒い噴煙が吹き出していた。

 

「ふ、噴火速報、噴火速報です! さきほど、午前6時58分ごろ富士山で噴火が発生しました。富士山の斜面、宝永火口でしょうか、から激しく噴煙と・・・・あと溶岩が噴出している様子が確認できます。あと・・・・・・これ、な、なん、んしょうか。灰色の噴煙が高速で火口から流れ・・・・・っ!?!? これは、火砕流か!? 定かではありませんが、映像を見る限り火砕流としか見られないものが高速で市街地に向け流れ下っています! 大変、危険な状況です!! この番組をご覧の方は・・・」

 

テレビ画面に速報が流れる。それと同時にアナウンサーの声が止まり、周囲の人々のスマホが一斉に鳴りだす。それを確認する人々。場の空気が絶望に分かっていく。

 

「たった今、気象庁は富士山で爆発的噴火が確認されたとして、富士山に噴火警報を発令しました! 噴火警戒レベルをレベル1の活火山に留意すること、からレベル5の避難に引きあげ、火砕流が到達する可能性のある地域に住む住民に対し、厳重な警戒を呼び掛けています。気象庁が噴火警報レベル5を発令するのは、平成27年5月29日鹿児島県口永良部島の新岳が爆発的噴火を起こして以降、初めてです。政府は富士山の爆発的噴火を受け、午前7時40分より防災担当大臣をトップとする災害対策本部の開催を決め、また午前7時9分に総理大臣官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置し、被害状況の確認など情報収集を急いでいます。総務省消防庁は午前7時9分、対策本部を設置し被害状況の確認を進めています。また、警察庁は富士山の爆発的噴火を受け、午前7時9分警備局長をトップとする災害警備本部を設置し、現在ヘリコプターを派遣し上空から被害の確認を進めているという事です。繰り返しお伝えします。さきほど午前7時9分、気象庁は・・」

 

次々と巻き起こる非現実的な光景。その中か誰かが、吐露した。大人たちが抱く言い知れぬ不安を。

 

「と、東京がやばいんじゃないのか・・・・・」

 

それを境に、誰もが不安を口に出し始める。

 

「偏西風で、出た火山灰は確実に東へ飛ぶ。火山灰が数cmでも積もれば都市機能は崩壊してしまう・・・・・・・」

「東京だけじゃない。横浜も千葉も埼玉も、関東圏が・・・・」

「東京がやられれば、日本は・・・・・・」

「西日本がこれだけやられて、この上関東までやられたれ取り返しがつかんことになる!」

 

そんななか、また誰かが言った。東京だなんだといいつつ、心の奥底に本当に抱えているもの。現実のものとなる未来への不安を。あのとき、1000年に一度といわれた大地震を目の当たりにしたときに抱いたものを遥かに凌駕する危機感を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本は・・・・・・・・・どうなるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗く深刻な響きを伴った言葉。アナウンサーの叫び声と不安を土台にした喧騒のなか、澄はその言葉をしっかりと聞いていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

目を覚ます。見えるのはコンクリートのような無機質な天井。そして、白熱灯の照明。

 

「また、この夢・・・・・・。なんで、こんな時に・・・・」

 

むかむかする胸を押さえ、ゆっくりと気だるそうに上半身を起こす。妙な違和感に自身が来ている寝間着を見ると、睡眠中にかいたと思われる汗でびっしょりだ。額から水滴が落ち、寝間着に新たなしみを創り出す。どうやら、相当汗をかいているらしい。額の汗をぬぐい立ち上がると、押し入れの中からタオルと新しい寝間着を取り出す。タオルで汗を少し雑にふき、乾燥して着心地最高の寝間着に着替える。だが、湿り切った不快感から解放されたもののいつものような感動は感じられない。

 

布団へあおむけに倒れ込む。ほんのりと温かく湿った布団。火照った体には不快だが、寝てしまえば問題はない。まだ、外は星の世界。明日も、正確には今日も、だがやらなければならないことはたくさんあるのだ。しかし、目をつぶっても、いくら時間が経とうと意識ははっきりしたまま。それどころか、奥底に沈めていた記憶が瞼に投影される。

 

 

 

 

 

押し流される家、車、人。体育館に並べられた無数の遺体。なにもなくなった街。溶岩に飲み込まれる街。配給を待つ憔悴しきった被災者の顔。次から次へとやってくる前代未聞を伝え続けるテレビニュース。

 

 

 

 

 

「・・総理大臣は先ほどの記者会見において、災害基本法に基づく緊急事態宣言を布告する意向を表明しました。今日午後の臨時閣議において諮る考えも同時に示し、今日中に閣議決定がなされるものと思われます。災害対策基本法に基づく緊急事態宣言は、国の経済及び社会の秩序の維持に重大な影響を及ぼし異常かつ激甚な災害が発生し場合、災害応急対策を推進し国の経済の秩序を維持するため、内閣が制定する政令によって緊急措置の実施を可能とするものです。緊急措置とは、不足している生活必需物資の引き渡しや譲渡の制限または禁止、金銭債務の支払い猶予などとされています。しかし、これは国会閉会中また衆議院が解散している場合に限られ、現在のように通常国会が開会中の場合は法律に明記されている政令に基づく緊急措置の実施はできません。それを行うには、別途法律の制定が必要と見られており、今回の布告は国民に、日本が未曾有の緊急事態に陥っていることを今一度周知させる目的がありそうです。災害基本法に基づく緊急事態宣言は、昭和36年、1961年に災害対策基本法が制定されて以降初めてのことで、各所には大きな波紋が広がっています」

 

「政府は先ほど緊急記者会見を行い、各地で救援物資不足などを起因とする略奪行為が横行し、一種の暴動状態が頻発している事態を受け、史上初めて警察法に基づく緊急事態の布告を行う、と発表しました。これにより、全国の警察を総括する警察庁長官が総理大臣の指揮監督下に入り、総理大臣が警察を一時的に統制することが可能となります。布告日時は明日8月2日午前10時30分です。対象地域は、災害緊急事態宣布告地域と同様、東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県・群馬県、中部9県、近畿2府4県、中国6県、四国4県、福岡県・大分県・熊本県・宮崎県・鹿児島県・沖縄県です」

 

「西日本大震災を発端とした世界同時株安・金融動乱が止まりません!!! 今日の日経平均株価の終値は21営業日連続で下落し、2012年12月21日以来4年半ぶりに1万円を割り込み9734円45銭で大方の取引を終えました。また、ニューヨーク株式相場、上海、シンガポール、ソウル、ロンドン、フランクフルト市場などでも軒並み株価が5%以上値を下げ、2008年に深刻化したリーマンショックを彷彿とさせる展開となっています!! そして、外国為替市場ですが、歴史的な円安は止まらず午後5時時点での円相場は1ドル=142円63銭~67銭で取引が行われています。東日本大震災時と異なり、日本が被ったあまりにも大きな被害に、投資家心理が冷え込み、海外の投資ファンドを中心に国内から競うように資金を引きあげる動きが止まる気配は一向に見えません・・・・・!!」

 

「っ!?」

 

思わず飛び起きる。呼吸は部屋の雰囲気に似合わず乱れている。

 

 

 

 

西日本大震災。

観測史上最大の規模、マグニチュード9.3

死者・行方不明者41万7921人。

震災関連死を含めた死者・行方不明者53万1907人

日本史上、最悪の地震災害。

 

平成の大噴火。

300年の眠りを最悪の形で解放した富士山。

死者・行方不明者2万428人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落日への始まり・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それらの言葉が頭に思い浮かぶ。深呼吸を繰り返し、乱高下した心拍数を調整する。落ちつた頃を見計らって、窓から外を見る。

 

闇夜を照らす月。いつまでもその姿を見ていられるかに思えたが、空にはいくつか雲が浮かんでいる。ゆっくりと近づく雲。この世界に来てから昼夜問わず澄みきった空しか見ていない目にはえらく新鮮に映る。さすがに高気圧の勢いも今日までのようだ。自然は、天候は常に良い方向にも悪い方向にも変化する。永久は、ない。人の心と同じように。今は春から梅雨へ移行する季節の変わり目。

 

いつかは雲に覆われ、夜が本物の暗さで包まれる時が来そうだ。




この国に住んでいる以上、自然災害の脅威と隣り合わせで生きていくことは宿命ですが、やはりいくら「自然」とは言ってもそう簡単に割り切れるものではありませんね。

発生日時がなんか今年になっていますが、それはお気になさらず。あまり深い意味はありません。こんなこと起きて得する人はいない・・・・少なくとも筆者を含めた大半の人々がそうですから、正直これの執筆中は気が滅入りました。

気分を害された読者の方もおられることと思います。大変申し訳ございません。ですが、これは筆者の完全な「妄想」ではなく、起こり得る「可能性」とほんの少しでも受け取っていただいたなら幸いです。


最後にこの場をお借りして、6年前の震災、そして数々の自然災害により犠牲となられた方々、ご遺族に哀悼の意を表すとともに、被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。

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