水面に映る月   作:金づち水兵

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校閲しても誤字が消えない今日のこの頃・・・・・・。


26話 動き出す夜

消灯時間を過ぎ、漆黒の夜に相応しい静けさに包まれる鎮守府。昼間は絶えず聞こえる人の声や足音が一切なく、代わりに風と波が今だと言わんばかりに存在感を発揮している。その世界を控えめに照らす月。時々、流れてくる雲により陰るためか、昨日までの神々しさを発揮できずにいるようだ。しかし、雲から顔をのぞかせ、暗闇をほんのり黄金色に染め上げる一瞬はなんとも幻想的だ。それだけ見ると妙な高揚感と相まって、夢の中にいるような錯覚に陥る。だが、あちこちに残っているどんちゃん騒ぎの余韻といまだに胸を温める記憶が、ここは現実であると認識させてくれる。無機質なベンチの感触。時折岸壁に打ち付ける波から発生するひんやりとした空気が体にぶつかる。しかし、ほどよく火照った体にちょうど良い。

 

今、みずづきは海に面する道路のベンチに腰掛け、海を眺めていた。夜勤や残業でいまだに人の気配がする建物はいくつも散見されるが、何の用もないみずづきは本来、消灯時間を過ぎれば例え眠れなくとも布団のなかでもぞもぞしていなければならない。それを鎮守府の将兵・艦娘たちが忠実に守っているが故の静けさだ。みずづきはそれを破ってここにいた。興奮して眠れず気分転換に外の空気を吸おうとしたのも理由だが、それはついでにほかならない。もう1つ、理由がある。広いとはいえ、圧迫感がぬぐえない室内では考えにくいもの。みずづきは1つ重要なことを決定するため、ここに来た。

 

それは状況が分からず、また彼女たちの祖国日本に対する想いを垣間見てその場しのぎ的に(仮)をつけたみずづきの決意。

 

 

 

 

 

 

“2017年以降の歴史は話さない”

 

 

 

 

 

今となっては大勢の前に立たされ緊張の真っ只中にいたとはいえ、これを即断できたことに心底安堵していた。今回ばかりは自分自身を褒めてやりたい。

 

もし、もし・・・何の葛藤もなく、世界の真実を語っていたら、あの場はどうなっていただろうか?

 

「日本は平和です」と答え、ついつい目を奪われてしまうような純粋で美しい笑顔を浮かべていた彼女たちは、一体どのような表情となっていただろうか?

 

「・・・・・・・・・」

 

無意識のうちに震えだした体が、想像しかけた・・・・・いや、思い出させようとしていた思考を無理やり停止に追い込む。

 

今さら、想像するまでもない。

 

悲しみ、後悔、絶望、喪失感など散々見てきて、抱いてきたのだから。

 

他人にそんな感情を抱かせたいと思うほど、みずづきは人間の心を失ってはいなかった。

 

「・・・・・・・ないじゃん」

 

 

1970年以降の歴史をこの世界の人間、そして艦娘たちは知らない。そう、知らないのだ。しかし、みずづきは、みずづきだけは知っている。

 

 

元いた世界とは全く異なるこの世界で唯一、あの地獄と血塗れた過去を。

 

 

国中がアジア・太平洋戦争敗戦時、いやそれよりも破壊し尽くされ、たった6年間で2350万もの尊い命が失われ、御霊を十分に弔ってあげることもできず、来る日も来る日も今日の食べ物に事欠き、風邪・インフルエンザなどの感染症、そして深海棲艦の爆撃に怯える。

 

いつ家族が、友人が、恋人が、消えるかもしれない恐怖を抱く毎日。かつて自分たちの国が世界第三位の経済大国として繁栄を極めていたことなど信じられないほど、困窮した生活。年を経るごとにこれが当たり前と増えていく、死者の数字。日本を覆っている暗く重い閉塞感と絶望感。いくら雲1つないすがすがしい青空が広がろうとて、地上から、人々の心からそれが消えることはなかった。

 

その中で、わずかな希望を糧に、絶望から必死に目を逸らし、血眼になって人々は生きていた。

 

 

今の子供たちは知らないのだ。

 

配給券をもらわずに、列に並ばずに、スーパーや商店、コンビニにいけばいつでも好きな食べ物が手に入れられたことを。

 

航空攻撃警報など意識せずに生活できていたことを。

 

停電や断水など当たり前ではなかったことを。

 

東京や大阪などの大都市に数え切れないほどの人々が暮らしていたことを。

 

・・・・・・・・・・・・人の死が、希有な事象であったことを。

 

 

 

深海棲艦によって引き起こされた地獄。これは現在進行形の地獄だが、深海棲艦が現れる前は平和だったかといえば、否。そこには同じ人間によって作り出された虚しい地獄があった。

 

それの遠因となる大きなターニングポイントが2017年。日本に未曾有の混乱と混沌をまき散らしたあの日、なのだ。

 

 

消したくても決して消せない、残酷な現実がしっかりと焼き付いている記憶を溢れんばかりに抱えている自分。そのような状態で日本が平和だと聞いて彼女たちの安堵した表情と流れる涙を見てしまえば、口など簡単に開かなくなる。

 

「話せるわけ、ないじゃん・・・・・」

 

だから、みずづきはを決めた。後悔と無念、悲劇を乗り越えた彼女たちに。自分を友達と仲間と言ってくれた、そして今でも日本を思ってくれている彼女たちにこれ以上の悲しみを与えないために・・・・・・・・・。

 

 

「私は、嘘をつく」

 

 

人でなしと、間違っていると言われても仕方ない。しかし、人の悲しむ姿を、自分に好意を向けてくれる人の悲しむ姿を、みずづきはもう絶対に見たくないのだ。

 

 

 

“笑顔でいてほしい”

 

 

 

その心は本物で純粋だ。しかし、それでもどうしようもなく不安になる。

 

 

“もし、嘘がばれてしまったら、その時どうするの?”

 

 

この反問がどうしても消えない。

 

「ねぇ、司令官? ・・・・・・あなたなら、どうするんですか?」

 

無意識のうちに出たみずづきの心の声。それは周りの景色と相まって、とても切なげに聞こえる。

 

「私と同じ選択をして認めてくれますか? それとも違う選択をして、私を・・」

 

 

“軽蔑しますか?”

 

 

言いかけてみずづきは止める。知山に言われるのを想像しただけで足元が崩れそうになる。小刻みに震える足。絶対に言ってほしくない、思ってほしくない言葉だったからこそ、みずづきは口を閉じた。だが、ここに知山はいない。みずづきは、その反問と知山への問いを抱えたまま、月を眺める。

 

 

 

 

 

 

「っ!? だ、誰!?」

 

 

 

 

 

 

突然、左方向から聞こえる足音。ベンチから飛ぶように立ち上がり、その方向へ振り向く。闇に目が慣れ1人の人影が確認できるものの、ちょうど街灯の効力範囲外で誰かまでは判別できない。警戒心を高めるが、この間のやらかしがまだ鮮明に残っているため、構えは取らない。ここは、横須賀鎮守府の中。ある意味、みずづきにとってはこの瑞穂で最も安全といっていい場所だ。

 

月を覆っていた雲が晴れ、何度目か分からないが再び闇が照らされる。と同時に、その人影も。みずづきは息を飲む。しかし、相手が放った言葉は緊張感のかけらもないものだった。

 

「なに、あんたも夜戦? 未来から来た艦娘のみずづきさん」

 

そこには、橙色のセーラー服を着て肩近くまで伸びた髪をツーサイドアップにし、夜でも分かる白い歯を見せて笑う少女の姿があった。

 

「・・・・・・・・へ?」

 

素っ頓狂な声を上げると、みずづきは幻覚ではないかと自分の目をこする。しかし、姿が見える。次は夢かと思いほほをつねるが、痛みはある。

 

「しっつれいだね、私は幽霊とかそういう類いじゃないよ。れっきとした艦娘」

 

こういう反応になれているのか、少女は「あはぁ~」と悩ましさが感じられるため息をつく。どうやら、実体がある存在らしい。一安心だ。

 

「す、すいません。こんな夜中に人と会うとは全く思ってなくて」

 

頭を書き弁解しながら「あなたは誰ですか?」という問いを発しかけて、止める。みずづきは今日とある1人の艦娘を除いて、現在横須賀鎮守府に在籍する艦娘とは全員会ったのだ。会っていない艦娘は、白雪・初雪・深雪・陽炎・黒潮の駆逐艦5人が所属する第3水雷戦隊の旗艦。名前は・・・・・。

 

「もしかして、川内さんですか?」

 

思いもよらぬ言葉に川内は目を見開くが、それも一瞬のこと。すぐさま活発気な笑顔を浮かべ感心したふうにみずづきを見る。

 

「ご名答! 私が第3水雷戦隊の旗艦、川内型軽巡洋艦1番艦の川内さ。その分だと駆逐艦たちとはしっかり話せたようだね」

「はい。みんないい子たちばかりで・・」

「でしょう? ちょっとうるさすぎるところもあるけど、あの元気さは夜戦で疲れた心に効くんだよね~」

 

どんな艦娘か少し不安があったことも事実だが、こうして少し話しただけでも彼女がほかの艦娘たちと同じく仲間想いの優しい艦娘であることが明確に伝わってくる。その笑顔はどこか大人びていて年長ぽっさを感じさせる。艦隊のなかでかお姉ちゃんの立ち位置ではないだろうか。

 

「仲良くなってくれたみたいでありがとう。そんで、ごめんね。途中で抜け出しちゃって」

「と、とんでもないですっ!!」

「どうしても夜になると血が騒いで、夜戦したくなるんだよね~」

 

申し訳なく思っていることをアピールするためか、声のトーンを落とす。しかし、表情は生き生きとしていて反省の色はまるでない。そこからは本心が丸見えなのだが本人は全く気付いていない。「顔に出てますよ~」と言ってあげたいが、その可愛らしさについ苦笑してしまう。

 

「でも、消灯時間すぎてるのになんでここにいるの?」

 

そっくりそのまま言葉を返したいが、その悪気がない顔を見ると言っても無駄と感じ、自分がここいる理由をオブラートに包んで言う。

 

「少し考え事がありまして・・。狭い室内だと考えずらかったので、開放感あふれる環境ならと出てきたんです」

「なるほどね。夜の鎮守府もなかなかいいんだよね。誰も邪魔するやつはいないし、晴れてればきれいな星空を満喫できるし」

 

川内はみずづきの答えに深く踏み込まず、視線を海に向ける。月の姿がゆらゆらと静かに波打つ海面に映り、月の光がそこに反射し四方八方に淡い黄金色に輝いている。と、ここで川内が「あっ」と思い出したかのような声をあげる。みずづきに振り返ると、さきほどまでの作為的なものではなく本物の苦笑を浮かべる。

 

「あのさ、みずづき。長門さんなんか言ってなかった?」

「“許さん”っておっしゃってましたよ」

「・・・うわぁ~、最悪だよ。明日会うのが怖いな。そうと知ればこうしちゃおられない。明日や明後日の分も今のうちにしておこうかな!」

 

みずづきの言葉に一瞬絶望をのぞかせた川内であったがすぐに立ち直ると、どういうわけかさらにテンションをあげ、走ってみずづきから遠ざかっていく。突然のことに対応できず固まったまま彼女を見送ることしかできない。

 

「みずづき~」

 

少し行ったところで立ち止まった川内は結った髪と制服のスカートをたなびかせて振り返る。街灯のわずかな光と月光がその姿に反射し、現実離れした美しさを創り出す。彼女は自身がそうなっていることには気付かず、まるで妹を諭すような優しい笑顔で、みずづきを見つめる。

 

「悩み事があるんなら、誰かに話したほうが楽になるよ。・・・・じゃあね!」

 

驚きのあまり硬直する体。そういって手をあげると川内はみずづきの視界から走り去る。予期していなかった言葉に体だけでなく心もとまる。だが、その衝撃は海由来の冷たい風より断然、不思議と温かかった。

 

 

 

~~~~~~

 

 

 

横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

 

ペンの走る音とこの部屋の主の息遣いのみが聞こえる室内。時折紙をめくる音も聞こえるが、それは持続的ではないためすぐに静寂の中へ溶けていく。時刻はもうすぐ日付が変わろうとする時間帯。筆端がソファーに座って笑っていればあの日と瓜二つの状態だ。しかし、あの日とは違う状況がもう一つ生まれていた。執務机の上。そこに1つ、鉄製の機能性だけを追求したようなデザイン性のかけらもない水筒が置かれ、中を半分ほど満たしていた。この部屋に持ち込まれたときは満杯だったのだが、持ち込んだ張本人によってかなりのハイペースで量を減らしていた。

 

「・・・・・う゛っ。・・・・ちょっと、はめをはずし、すぎたな。気持ち悪い・・・・・・」

 

青い顔で、額に浮かんだ汗を拭う主。まだ酔いが完全に残っているようで時々視界が霞んだりするが、それでもペンは動き続ける。つい先ほど終了したみずづきの歓迎会。結果は大成功で、みずづきを含めた全員が歓迎会を楽しんでくれたようだ。企画した側としては大いに喜ばしい限りである。だが、その中に進行役である自身までもが入ってしまったことがこうして吐き気を意地で押さえながらの徹夜残業につながっていた。百石はなにも最後まで酒飲みオヤジと化していたわけではない。酔ってはいたが、一部の部下や艦娘たちのように人格が崩壊したり記憶が飛ぶところまでは飲んでおらず、明瞭に意識は保っていた。しかし、雰囲気に飲まれハイテンションになったのが最後、いざ平常心に帰ってみればあらかじめ抜けようと思っていた時間を大幅に超過していた。また、抜けようとしても完全にできあがっていた筆端やらの目からそう簡単に逃れられず、さらに時間がかかってしまうっというありきたりな結果となったのだ。

 

加えて、講堂を後にする直前に見た信頼する秘書艦長門の姿が、アルコールと共に百石の心身に大きな打撃を与えていた。第6水雷戦隊や第3水雷戦隊所属の艦娘たちと微笑む長門。純粋な笑みで思わず見とれてしまうほど美しかったが百石を目に入れた瞬間、それは絶対零度となり百石の心は一気に季節を飛び越え冬を迎えてしまった。彼女は・・・・・・・・完全に怒っていた。

 

「はぁ~」

 

明日からのことを思うとため息が出てしまう。増え続ける仕事に、どう長門をなだめるかというこれまた死活的な命題。これ以上暴走していた体に負担をかけないようネガティブ思考を断ち切ろうと水筒に手を伸ばす。だが、数秒先に得られるであろう清涼な感覚は数秒経っても喉に訪れることはなかった。鳴り響く黒電話の着信音。

 

 

 

 

ジリリリリリリリィリリリリリリリリリィリリリリリリィ!!!!!

 

 

 

 

それを聞いた瞬間、百石はきりきりと痛み出した胃のおかげで漫才師顔負けの素晴らしい、嫌そうな顔を作りだす。アルコールによるものでないことは明らかだ。強烈な既視感。百石は時計を確認する。日付を少し過ぎたところ。くしくもあの日と全く同じというわけではないが、同じような時間帯だ。こんな非常識な時間にかけてくる相手など、百石の知っている人物には1人しかいない。大きなため息をはき、やりきれない表情を浮かべると百石はけだるげな手つきで受話器をあげる。来るであろう聞きたくもない罵声を覚悟して。

 

 

 

 

 

 

「もしもし・・・・・・」

 

 

 

 

 

しかし、恐れたそれは一切なかった。聞こえてくる冷静さの中に確固たる熱い信念を感じさせる頼もしい声。

 

「もしもし私だ。こんな夜更けにすまないな。今、時間は大丈夫か?」

 

相手への気遣いを忘れない礼儀正しさ。本来はこれが常識人として当たり前のマナーなのだが、御手洗との通話を経たあとでは感動に近い感傷を抱いてしまう。しかし、天地がひっくり返ってもあり得えないが、もし電話の先にいる人物が御手洗ほどではないにしろ百石を見下すような言い方をしても、百石はやむなしと受け入れるだろう。電話先にいる人物の正体を知った瞬間、目の前に誰もいないはずなのに背筋を伸ばす。酔いはすっかりさめてしまった。

 

「ま、的場総長!! 百石です。 はい、今ちょうど書類を書いていたところでしたので、時間の方はお気遣いなく」

「おう。こんな時間まで残業とは感心感心っと言いたいところだが、今日そっちで例の艦娘の歓迎会をやったことは耳にしている。大方、それのせいで、こんな時間までいまいましい書類とにらめっこする羽目になったんだろ? 君は変わらないな、あははっ」

 

電話の相手、瑞穂海軍の最高司令部たる軍令部。そのトップであり、百石・筆端も参加している艦娘擁護派の中心的存在「爽風会」会長の的場康弘大将は、百石よりもはるかに多忙な毎日を送っているにも関わらず、疲れを一切感じない爽やかな笑い声をこぼず。全てを見透かされた百石はこの人には敵わない、という風に首に手を当てる。

 

「全くそのとおりであります。やはり的場総長には敵いませんな」

「何年生きてきたと思っている。君も私ぐらいの年になれば、これぐらいの観察眼は身につくさ」

 

柔らかい声。これだけを聞いていればとても海軍のトップ、新兵ならば卒倒確実の人物との会話とは到底思えない。まるで恩師と弟子のような会話だ。その表現も間違っていないのだが、的場の身じろぎを電話越しに感じた瞬間、場の雰囲気が一変する。百石も頭を軍人モードに切り変える。

 

「今日連絡したのは2つ、伝えたいことがあったからだ。まず1つ目だが・・先日の件についてだ」

 

若干苦しそうな声。百石はその口調で先日の件が何を示すのか察する。

 

「本当は面と向かって言いたいのだが、電話越しの無礼を許してくれ。御手洗の件は私にも監督不行き届きの責任がある。軍令部総長として、また爽風会会長として、お詫びも申し上げる。誠にすまなかった」

「ちょっ!?」

 

電話越しでも分かる的場の強い想い。だが、まさか軍令部トップの的場が敵対陣営のリーダー格である御手洗の失態について自身に向けて謝罪するとは全く思わず、新兵のように動揺する。

 

「いや、いえいえいえいえ!! 的場総長が謝られることではありませんよ! あれは完全に御手洗中将の独断専行。的場総長には何の責任も・・・」

「あいつが君に、そしてみずづき、艦娘たちに対して言ったことは、君の報告書と御手洗を聴取した憲兵隊からの情報で把握している。あいつはあれだけのことを言った、言ってしまったのだ。もうあいつ個人の問題ではない、海軍全体の問題だ。瑞穂海軍のトップに立つものとしての謝罪は当然だよ。そして個人としても大変申し訳なく思っている。私がきちんとあいつの指導をしていれば、こんなことには・・・・」

「総長・・・・」

「艦娘たち、そしてみずづきには大変つらい思いをさせてしまった。この償いはいつか必ず行う。私の言葉を聞きたくもないかもしれないが、一応私がこういっていたと伝えてくれないか?」

 

そこには有無を言わさぬ、海軍トップとしての覚悟があった。それを感じてじまっては異議を唱える百石もなにも言えない。

 

「分かりました。的場総長のお言葉、しかりと艦娘たちに伝えます。私の部下を気遣っていただき誠にありが・・」

「それは私がいうセリフだよ。ありがとう百石。しかと頼む」

「はっ!!」

 

百石は力強くうなずく。誰にでも分け隔てなく発する感謝の気持ち。百石の言葉を遮ってでも発するのだから、それは偽物ではなく正真正銘の本心だ。

 

「うむ。御手洗の処分ついては数日中に結論が出ることになっている。結果が出次第、横須賀にはすぐに通達する。将兵たちや艦娘たちも気になっていることだろうしな」

「ですが、中将は問題をおこすたびに排斥派や自身の人脈を総動員して、処分を回避してきました。今回もまともな処分が下せないのでは?」

 

百石は心の中に湧きあがった確固たる疑問を口にする。百石が入隊したときから悪評名高い御手洗。そこには起こした行動のみならず、それによる処分を徹底的に手段を選ばず回避してきた事実も含まれている。

 

「今回は特別だよ。例の報告書は既に擁護派・排斥派双方を構成する士官たちに出回り始めている。私たちの爽風会を含めて、擁護派の怒りは尋常じゃないほど高まっている。排斥派の方もさすがにこれはやり過ぎという声が穏健派を中心に上がり始めていてな。排斥派も外だけならまだしも内側からも疑問視する声が出ている以上、安易に動けば派閥存亡の危機だ。裏に支持母体を抱えていることもあるしな。例え処罰されるのが御手洗であったとしても、後援者は排斥派の安定を望む。それに今回はこれまでと異なり御手洗自身があまり動いていないんだ」

「えっ!? そ、それはどういう」

「詳しくは分からないが、何かがあったんだろうあいつの中で。まぁ、こちらとしては好都合だ。少し懲らしめてやらないとな。・・・・・・・・あいつのためにも」

「ん? 総長、失礼ですが今なんと?」

 

最後に小さく、本当に小さく呟くように的場は言う。さすがにそれほど小さい声は電話では伝わらず、霞がかった言葉に聞こえてしまう。それを聞き逃した百石は、その声が深い感傷を抱いているようなものに感じ確認を取るが、聞こえるのは爽やかな声のみ。

 

「いや、なんでもない、年寄りの独り言だ。気にしないでくれ。時間帯が時間帯であるから、2つ目に入るが・・・・・、横須賀鎮守府は今から1週間後に相模湾で大規模な演習を予定しているだろう?」

 

一瞬空いた間。心なしか的場の声のトーンが下がったようにも聞こえる。それに疑問を感じつつも百石は事実を伝える。

 

「はい。そうでありますが・・」

 

数か月前に行われた多温諸島奪還作戦。それは東京の官僚どもによる誤算で資源供給が大混乱に陥っていることを除けば、大成功に終わった。時々侵入されることはあるものの伊豆諸島から多温諸島にいたる第2次列島線を軸とした防衛網整備が着実に進展し、いまや西太平洋の制海・制空権は完全に瑞穂のものとなりつつあった。これを受け国防省は政府が目指す長期的な国家戦略に基づき、次なる作戦の準備に着手。その結果、軍、特に海軍の艦娘部隊は大規模な組織改編を行っている。それは横須賀鎮守府も例外ではなく、現在所属する艦隊の全てが奪還作戦後に編成された、いわば未熟艦隊である。しかし、彼女たちはもともとそれなりに実戦経験があるため、新たな環境・仲間への適応は早く、第5遊撃部隊をはじめ既に現在の艦隊で戦闘を行い、結果を出している部隊もある。そこで百石は彼女たちのさらなる練度向上を目指し、艦娘たちの演習を行うことにした。だから、普段ならめったにない、横須賀鎮守府に所属する全艦娘たちが一堂に会する機会を実現できているのだ。。

 

後は、演習日までそれぞれの部隊が各々の方法で演習に備えるのみだったのだが、そこに台風の目が出現した。

 

みずづきである。正直、百石も次から次へと起こる問題の処理に忙殺され、挙句の果てに御手洗がご訪問されたため、この演習のことを一時期すっかり忘れていた。しかし、それは一時的にすぎずみずづきを巡る問題がひと段落し、演習は予定通り実施されることになっていた。

 

百石は的場の変化の理由を考えているうちに、ある1人の艦娘が頭に思い浮かぶ。「もしや」と思い立った瞬間、その答え合わせが的場の口から行われる。

 

「君もいろいろ考えているとは思うのだが・・・・みずづきを演習に参加されてくれないだろうか?」

 

百石は驚くことなく、冷静にその言葉を受け取る。一回深く深呼吸すると、ゆっくりと息を吐き出す。

 

「・・・・・・理由をお聞かせいただいても?」

「何故、か・・・。君が彼女のことでいろいろ段取りを組んでいることは承知している。これは横須賀鎮守府主催の演習だ。我々軍令部が主導していない以上、口を出す権限がないことも理解している。だが・・・・・・・私も伊豆諸島沖での戦闘報告書を読んだ」

 

戦闘報告書。この言葉を聞いた瞬間、みずづきの戦果に頭痛を覚えていた自分を思い出す。そして、それは海軍軍人どころか陸軍軍人であろうと官僚であろうと、国防の知識を有する者ならだれでも共通の反応だ。的場や軍令部の幹部がこれを見て、あまりの衝撃に乾いた笑みを浮かべている姿を想像するとつい笑みがこぼれてしまう。的場もさぞ笑ったことだろう。

 

「君や第5遊撃部隊の艦娘たちを疑っているわけではないのだが、どうにも信じられなくてな。私ですら、こうなのだ。軍令部内では君に対する懐疑的な見方、そしてみずづきに対する形のない警戒感が広がっている。私もいろいろ手を打っているのだが、君たちから見れば私も疑念を抱いている連中と同じ穴のむじなだ。もし、もし彼女が本当に一個機動部隊を無傷で殲滅する力があるのなら、それは・・・君もわかるだろ?」

 

百石は言葉にしないものの、ゆっくりと頷く。それを感じ取ったのか的場も力を抜くようにゆっくりと息を吐く。

 

「彼女は、我々の、瑞穂の切り札になる。艦娘であり1人の人間である以上、無敵ではないだろうが、戦局に与える影響は極めて大きい。そんな彼女との関係悪化は、軍の問題に関わらず、瑞穂の国益に直結する。だから、御手洗のような事件が起きる前に、彼女の力を知らしめておきたいのだよ。理由を聞くなどと言ってるが、もともと君もみずづきを演習に参加させる気だったのだろう? 情報の漏洩を防ぐために走り回ったようだからな」

 

不敵に笑う的場。

 

「いやはや、全くその通りであります、的場総長。みずづきの戦闘力に関しては当事者、第5遊撃部隊以外には艦娘、大半の将兵には伝えていません。特に艦娘たちはみずづきの出現に動揺しておりましたので、ここで我々でも信じられないような情報を与えるのは得策でないと判断しました」

「歓迎会を経て機は熟した、か」

「はい。演習ではみずづきの力を思う存分発揮してもらいます。軍令部の方々と同様に艦娘たちにも知らしめなければいけませんからね。中途半端ではなく、全力で。艦娘たちは顔面蒼白でしょうが」

 

艦娘たちの表情を想像し、つい苦笑をこぼす

 

「確かにな。それでみずづきは演習に参加してくれるのか? それが今回の一番の懸念材料だが」

「彼女なら確実に参加してくれるでしょう。我々と同じ軍人で理由を話せば納得してくれると思います。もし断られても、説得して見せます!!」

 

電話越しでも分かる百石の気迫。的場は羨望の想いを抱えつつ、声を上げて笑う。そこにさきほどの暗さは微塵も残っていない。

 

「はははははっ。若いってのはいいな。私も君のような時代があったのだが、時間の流れというものは悲しい。だが、同時に感謝の念も抱く。ここまで生きてきたからこそ、我々の常識を打ち破る、本来見ることが叶わなかったものをこの目で見られるのだから」

 

儚げな雰囲気が電話越しに漂ってくる。的場ほど人間が言うと、百石たちが言うのとは比べ物にならない深みと風情がでるから不思議だ。しかし、失礼なのだろうがそれに百石は違和感を覚える。なにかとんでもないことを言ったような気がするのだ。

 

「あ、あの・・的場総長? 今のお言葉は、いかにもご自身の目で演習を見られるかのようなものだったのですか・・」

 

的場の優しい声が悪魔の囁きのように聞こえ、機会的な苦笑を張り付る百石。酔いが完全に醒め気分の悪さがなくなったと言うのに、冷や汗が出てくる。加えて、なぜか胃がきりきりと痛んでくる。本当になぜだろう。

 

「何を言っているんだ百石。とやかく言っている連中を説得し、こちらへ引き込むにはトップたる私が動かずしてどうする」

 

さも当たり前のように的場は意地の悪い笑い声をあげる。ショックで百石は机に頭を打ちつけそうになる。だが、彼の胃痛はこれだけにとどまらない。

 

「あと、視察するのは私一人だけじゃないぞ」

「ま、まぁ、そうですよね。あはははっ」

 

乾いた笑み。的場は軍令部総長、そして爽風会の会長でありその多忙ぶりは凄まじい。そのため仕事の負担を少しでも緩和させるため、秘書が何人かついているのだ。また、爽風会は艦娘擁護派の筆頭派閥であり、艦娘排斥派との仲は百石と御手洗を見てのとおり険悪だ。一部には人の命を顧みず、自己の主張を叶えようとする強硬派もいる。そのような状態では海軍のボディーガードがつくのも必然だ。だから、百石は自分の都合のいいように彼らが来るのであろうと勝手に予測する。しかし、それは儚い幻想であった。

 

「先ほどの会議でこれを話したら、みな童心に帰ったかのように目を輝かせて俺も私もの大騒乱になってな。そっちの受け入れ態勢の問題もあるから2桁はいかないよう努力するがこの様子だと8人近くは私に同行することになるんじゃだろうか」

「な、なんですと!?」

 

驚愕の声を上げ、百石は思わず受話器を持ったまま椅子から立ち上げる。直後、体の急機動に耐えられなかったのか、胃が痛みという名の自己主張を始める。だが、それを感じる余裕は今の百石にはなかった。

 

 

会議。

 

 

的場の発した一単語が頭の中をぐるぐると回転する。それはおそらく軍令部、そして海軍のあらゆる方針を最終的に決定している統括会議のことだろう。それは海軍の方針を決めるだけあり海軍内で最上位の会議。出席委員もそうそうたるメンツで、的場は例外としても鎮守府最高司令官の百石ですら緊張で声が裏返ってしまう強者たちばかりだ。その人たちが喜々として横須賀鎮守府に、ここに来ると言っているのだ。百石は自分がへこへこと彼らに頭を下げ、冷させをかいている姿を思い浮かべると倒れそうになる。

 

「やっぱり、若いってのはいいな。声のハリから違う。メンバーは御手洗の処分結果と同じく、後日通達するがそちらのこともあるから、出来るだけ早くに行うつもりだ。そう固くならずにどっしりと構えていればいいさ、みないいやつばかりだからな。がははははっ!!!!」

 

百石の絶望を糧に深夜とは思えない豪快さで的場は笑う。子供のような歓喜に頭を抱え、まんまとしてやられた百石は、来るべき日を想像し大きなため息をつく。机上に目を向けると書いている途中の書類が、机を転げまわったペンによって修復不能のダメージを追っていた。おそらく百石が驚きのあまり椅子から立ち上がったときの衝撃で動いたのだろう。非情な現実に百石はもう1度大きなため息をつくのであった。




久しぶりの新キャラ登場です。“新キャラ”という表現が的確かどうか分からないですが・・・。

ここで1つお詫びです。
先週投稿した話の中で、摩耶の1人称が間違っていました。「俺」となっていましたが、正しくは「あたし」です。(既に訂正済みです)

前回投稿分の誤字をご指摘くださった皆様、大変ありがとうございます。

筆者本人の中で深雪あたりとごちゃまぜになってました。お恥ずかしい限りです。



・・・・・・・なんで毎回気付かないのだろうか(涙)

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