水面に映る月   作:金づち水兵

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とうとうこの時が来てしまいました。

1章の投稿も最後なので、今回は2話連続投稿です。

次話も外伝的ではありますが、一応本編の一部という扱いです。


21話 潜考した上の決意

横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

5月も今日を入れてあと2日。ここ1週間ほど続く5月晴れは今日も人々にすがすがしい青空を届けている。そこから遮られることなく降り注ぐ日光は、当然ながらここにも恩恵を与えていた。窓から差し込む光によっていつ以上に明るい室内。執務机に座る百石とかたわらに立つ長門。その2人に揺るぎない瞳をたたえたみずづきが相対していた。あれから丸1日。そして、みずづきがこの世界に来て3日。今日は、自身の選択を百石たちに伝える期日だ。みずづきが訪れたのは、紛れもなくそのためだ。

 

漂う緊張感。続く静寂。しかし、それはみずづきによって破られる。みずづきは、散々考えて結論を出したのだ。今更、言いよどむ代物ではない。

 

「私、戦います」

「!?」

 

息を飲む音。それが同時に2人から発せられた。

 

「ほ、ほんとか!? ほんとに、本当なんだな!?」

「水月・・・。お前というやつは」

 

百石は机から身を乗り出し、長門は苦笑とも歓喜ともとれる笑みを浮かべる。2人は心の中で大きくガッツポーズを決めていた。こちら側から提案した手前で恥ずかしいが、受けてくれる確率は五分五分と踏んでいたのだ。決して、低い確率ではないものの当の本人から聞くとやはり確認したくなるのだ。

 

「はい。3日間じっくり考えた上での結論です。翻意は絶対にありません。断言します。ですが、そちらの提案を受け入れる代わりに、1つ条件があります」

「・・・なんだ?」

 

「条件」という言葉を聞き、表情をいつ通りに引き締めた長門が問い返す。見れば、百石もさきほどの浮かれた顔が嘘のように、真剣そのものだ。

 

「これはあくまで協力・・・同盟関係のようなもの、ということです。私は海上国防軍の軍人です。戦うにしても、海防軍人として戦います。多少指揮命令下に入ることはやむを得ないでしょうが、瑞穂海軍に完全編入されることは認められません」

 

みずづきは、断言する。これは決して譲れない唯一にして絶対の条件だ。いろいろあったが、みずづきがこの世界に来て、まだ3日しか経っていないのだ。その短期間で見てきたものは、この世界の表層部分に過ぎない。その表層部分ですら、御手洗のような存在が垣間見えたのだ。そんな状態でよく分からない組織に身をゆだねるのは、誰でも難色を示す。それに、何度もいうが、みずづきは日本海上国防軍の軍人、その中でも誉高い艦娘なのだ。例え日本が、故郷がなくとも、心に宿る覚悟と信念は少しも色あせたりしない。当たり前のことのようだが、みずづきは海防軍人であるからこそ、みずづきなのだ。

 

認めてもらえるのか、不安がなかったと言えば嘘になる。直立不動を維持しつつも、おそるおそる百石と長門の表情を伺う。だが、そこに難しい顔はどこにもなく、2人とも胸を撫で下ろしていた。

 

「なんだ、そのことか。怖い顔で条件などというから、私たちが飲みにくいものかと身構えてしまったよ。はははっ」

 

険しくした自分の表情を想像して、笑う百石。みずづきは、渾身の一撃を軽くあしらわれたことに困惑を隠せない。

 

「なに、単純なことさ。実はお前がそういうことを言ってくるじゃないかと、常々提督と話していてな。対応を考えていたんだ」

「あ~、なるほど・・・」

 

長門の言葉に、困惑が払拭される。

 

「予想通りのことを君が言ってきたものでつい、ね。すまない。君の条件はもちろん了承だ。こちらとしては、ともに戦ってくれるだけでうれしい限りなんだ。・・・・あ、補給の件に関しては、兵站課と工廠に連絡を入れてある。後日また詰めよう」

「いろいろと私のために・・・・・ありがとうございます」

 

みずづきのために見えないところで立ちまわっていた百石に頭を下げようとするが、「いやいや」と苦笑しながら手を横に振る百石に制止される。

 

「お礼をいうのはこちらだよ、水月。君は私たちの身勝手ともいえる要請に応えてくれた。本当にありがとう」

 

みずづきに頭をさげる百石。思わず制止しようとするが、腰をおった身体からあふれる揺るぎない心に、手を引く。ここで声を上げれば、かえって失礼だ。

 

「そして、これからよろしく」

 

頭をあげた百石から出される手。手袋は外されている。

 

「はい。こちらこそ、ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします」

 

その手をしっかりと握る。ごつごつとした軍人らしい手。もういない誰かさんとは大違いだが、そこにある優しさと暖かさはよく似ていた。

 

「私からも礼をいう。ありがとう、みずづき。仲間が増えるというのは嬉しいと同時に心強い。これから先、様々なことがあるだろう。苦難に襲われることもあるかもしれない。しかし、共に戦い、共に守る者同士、乗り越えていこう。よろしく頼む」

 

差し出される手。百石とは違う、繊細で握るのを躊躇してしまうほど美しい。その手をみずづきは中途半端な握り方にならないよう、しっかりと握る。依然は世界にその名を轟かしたビックセブンの一角であった戦艦長門とは全く想像できない柔らかく、華奢な感覚が伝わってくる。

 

「私も、みなさんの仲間になれて大変光栄です。若輩者ですが、これからよろしくお願いします」

 

2人とも素晴らしい笑顔だ。固い握手を交わし手を離した瞬間、それを待っていたかのように百石が時計を一瞥した後、立ち上がる。

 

「それじゃ、時間だし行こうか?」

「はい? 行くって、どこにですか?」

 

唐突な言葉。話が全く読めないみずづきは、百石の顔を凝視する。

 

「食堂に、だよ」

 

子供のような笑みで胸を張る百石。いい顔をしている。だが、みずづきは対照的に驚きのあまり固まっている。食堂はこの鎮守府にいる全ての将兵・艦娘が利用する。そこに行くというのだ。これまで外出禁止令など、後半はなし崩れになっていたとはいえ人目を憚っていたにもかかわらず、いきなりの飛躍だ。

 

「作戦大成功、といいたいところだが効果がありすぎたようだな。大丈夫、安心してくれ。もう君はうちの仲間になったんだ。もう、隠れてこそこする必要はどこにもない。これからは胸を張って、堂々と歩けるんだ」

「で、でも、いきなり・・・・。心の準備が・・・」

 

大勢の前に立ち、視線を集める自分。それを想像しただけで足がすくんでしまう。

 

「なにも君に何か話せ、ということではないから大丈夫。話すのは私だ。私たちの要請と対する君の答え、そして今後の方針。これだけ重要なことは一般将兵にも私から直に話したい。食堂は君が青くなるとおり、大勢の人間が集まるから都合がいいんだ。少しばかり、付き合ってくれ」

 

百石は自分のためだ、といっているが、これはみずづきにも大きな意味がある行為だ。要するに簡素なお披露目を行う、ということだろう。みずづきが横須賀鎮守府と、ひいては瑞穂と共に歩む姿勢を艦娘から一般将兵にまで認識させるのに、これ以上の舞台はない。その場にいた人間が多ければ多いほど、正確で大容量の情報が瞬時にあちこちへ伝播させることができるのだ。それを分かっているみずづきは、本当は行きたくないものの勇気を出して頷く。

 

「わ、分かりました。横須賀鎮守府のみなさんに私の姿を、とくとご覧に入れましょう!」

 

ぎこちなく笑いながら、胸を張ろうとする。その無理していることが丸分かりな様子に、2人は笑ってしまう。

 

「よしよし、そのいきだ。では、提督、そろそろ」

「ぷぷっ・・・。そ、そうだな。艦娘とお偉いさん方を除いて、みなはいつも通り飯を食ってる。少しでも時間がずれると一気に人が減るからな。では、水月、行くぞ」

 

みずづきの横を通り過ぎ、先に歩き出す2人。緊張で状況把握が鈍っていたみずづきは、2人に慌ててついていく。

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

食堂

 

 

日が落ちかけ、夕方から閉店までで最も賑わう時間帯。空いている席はないに等しく、ついさっき来た者たちはその様子にげんなりした表情を浮かべ、席探しに奔走している。喧騒はあらゆる音と一体化し、もはや大音量のラジオも聞こえない。そのような状況下で、席探しに四苦八苦している将兵たちに心の中で謝りつつ、吹雪たち艦娘と川合たち横須賀鎮守府幹部はご飯を食べ終わっても、席を動こうとせずじっと何かを持っていた。はたから見れば異様だが、動かない側からしても、こうしている意味が分からなかった。一同は、みな百石から「以下の時間に必ず食堂にいるように」っと、命令を受けたたけで、その理由は一切聞かされていない。加えて、「あまり食べすぎるな、後悔しても知らないぞ」という意味深な忠告付きだ。それため、命令を聞いた全員、今日の夕飯は控えめにしていた。一部の艦娘たちが涙目あるいはキレ気味になったことは言うまでもない。一部の者は大体の察しをつけ、それの答え合わせに関心を寄せている。それはなにも百石から命令を受けた者ばかりではない。ここは横須賀鎮守府。確かにバカもいるが、だてに由緒正しい鎮守府ではない。学歴を問わず、察しのいい者、状況変化に敏感な者が多々所属している。周囲を見渡せば、本来はマナー違反なのだが食器が空になっているにも関わらず、席探し組の強烈な視線に耐え席を死守している者が少なからず見受けられる。彼らも今日、この時間に何かあると踏んで居座っているのだ。何も知らない連中にとってみれば、邪魔なことこの上ないが・・・・。

 

そんなある意味カオスな食堂の前にみずづき、百石、長門の3人が立つ。その近辺にいた者たちは驚きのあまり目を丸くし固まるが、あいにく食堂までは伝播しない。出入り口から見る食堂。みずづきは初めて鎮守府で一番賑やかな様子を目の当たりにした。軍の中にも関わらず、悲壮感の切片もない活気。それは日だまりのような温かさを感じさせる。その暖かさが、昨日感じたものと重なる。

(やっぱり、そう。私は・・・・・・)

 

百石を先頭に3人は食堂内へ足を踏み入れる。その瞬間、見事なまでに喧騒がやむ。大勢の人間がいるにも関わらず聞こえるのは、ようやく本領発揮と息巻いてるラジオの音のみ。それもラジオの近くにいた幹部が慌ててスイッチを切ったため、すぐに聞こえなくなる。食事中の者は口を大きく開けたまま固まり、席探しに徘徊していた新兵は銅像と化し、艦娘たちは目を点にし、食事を作り配るはずの糧食班すら手を止める。その視線の先にいつも捉える百石や長門の姿はない。全員、ある1人の少女に釘づけとなっていた。一見すれば、黒髪黒目の、どこにでもいる普通の瑞穂の女の子。街中を歩けば必ず彼女のような子は見つけることができるだろう。しかし、みずづきを見たことがある者はともかく、初見の者も一発で彼女が、例の艦娘であることを看破する。何故か? それは簡単な話。

 

雰囲気が、違う。

 

れっきとした軍人の風格が、もう既に身についているのだ。彼らも軍人。同種の人間を見抜くなど造作でもない。

 

では、そんな子がどうしてここに?

 

正体を看破した後、将兵たちの思考をそちらへ移行する。それはみずづきを見たことがある艦娘たちや鎮守府幹部も同様だ。しかし、一般将兵も含めて彼ら・彼女らの中に周囲に合わせ驚いている()()をしている者がいることに、誰も気付かない。演技のうまさには感嘆するほかない。

 

配膳口の反対側、そこ中央に3人は移動する。正面に目を向けたみずづきは息を飲む。ここからは食堂全体が見渡せるため、隅から隅までの将兵たち、そして配膳口に立っている糧食班員の顔も確認できるのだ。そんなみずづきの様子に苦笑しつつ、百石は1つ深呼吸をする。そして、全員が待っている最高司令官の言葉を放つ。

 

「諸君、今日も1日ご苦労だった。今は、重大な連絡事項がありここに立たせてもらっている。みなも顔を見るに一刻も早く聞きたいのだろうが、その前に1つ。・・・固まってないで、もう少し楽にしてくれ。これでは、私もなんだかかしこまって話しづらい」

 

厳格さはなく百石はどこか困ったように笑う。それに将兵たちは控えめに隣近所の者と顔を見合わせる。

「いいのか?」

そんな戸惑いがありありと感じられる表情だ。その中、1人のいかつい中年男性が大きく息を吐き、体をほぐす。それを見た周囲の部下と思われる集団も肩の力を抜き、コップの水を口に含む。それを見届け、いかつい中年男性は百石にからかうような笑みを向ける。そこに御手洗相手に激怒していた般若の面影はない。それを皮切りに見た感じでは分からないが、食堂内の雰囲気がいくらか弛緩する。安堵する百石。みずづきも若干緊張が収まる。

 

「そうそう、それでいい。場も整ったところで本題だ。みなに伝えたいのは、彼女、水月のことだ」

 

そういって百石が顔を向けた瞬間、ザッという効果音が聞こえそうなほど一斉に誰もがみずづきに視線を向ける。

(・・・・・・oh・・・・・・)

こういう時、よく目の前にいる人間をかぼちゃなどの物に思えとよく言われるが、はっきり言おう。そんなの思えるわけがない。

 

「水月のことは、私が語らなくても大体の情報はみな耳にしていると思う。だから、今ここでいちいちみずづきの説明はしない。そのためにいつもより特定の情報に関しては統制を緩めたんだ。ただ、あまりに荒唐無稽すぎて信じらずにいる者もいるだろう。だから、あえて言う。みずづきは、長門たち艦娘がいた並行世界からやって来た()()であり、彼女の世界において、艦娘とは人間が自らの手で開発した艤装をまとう()()を指す」

 

ざわつく食堂。百石の言葉に表情を曇らせている者が多く見受けられる。それも仕方ない。百石や筆端ですら、これを完全に飲み込めたかと問われれば否と答えるだろう。

 

「っと、一旦これを脇において、みなもこの瑞穂がこの世界がおかれている現状を考えてほしい。今、私たちは長期的な反攻作戦の真っ只中である。これは何ともしても成功させなくてはならない。その為に1人でも多くの人材が必要なのは、みなも重々承知していると思う」

 

ここで一旦、話を切る。察しがいい者は自分の導き出した結論に驚き、百石の顔を凝視する。

 

「そこでさきほどの話だ。水月は自分の意思とは関係なくこの世界にきた。彼女自身、飛ばされた原因も、そして日本へ帰る方法も分からない。そのため現在、ここで身柄を保護しているのだが、彼女の力はとても看過できるほど小さくない。そこで、水月は帰る方法が見つかるまでの暫定措置であるが、私たちと共に戦ってくれることが決まった」

 

静寂。

 

「これは、水月の同意を得ている。確かに、水月はこの世界の人間ではない。だが、だからなんだ? 例え、生まれた世界が異なろうと、彼女は私たちと変わらない人間である。それは・・・・・その、あの人との一悶着を聞いている者なら分かるだろう」

 

緊張で固まっていたみずづきだったが、その言葉には反応せずにいられない。まさか、ここであの話が出てくるとは予想外だ。百石を見ると、若干笑っている。

 

「これから水月は我が横須賀鎮守府の大切な仲間となる。言っておくが、くれぐれも良識を疑われるような行為はしないように。そういう相手とのいざこざはもうこりごりだ」

 

嘲笑気味の言葉が終わった後、みずづきは深く腰を折り一礼する。百石の話が終わり、支配する静寂。みずづきの心に、受け入れてもらえなのではないか、という不安感が広がる。いくら吹雪たちや百石たちがいたところで、ここの大多数を占めているのは名前も顔も知らいない一般将兵。そんな人々とのつながりは皆無に等しく、反応が全く予測できない。

 

 

しかし、それは所々から聞こえてくる拍手によって打ち消される。ハッと顔をあげるみずづき。はじめは数えるほどだった拍手が瞬く間に、食堂全体に広がる。出入り口付近に騒ぎを聞きつけてやってきた将兵からも、それは巻き起こる。

 

拍手喝采。みな、いい笑顔で手を叩いている。必死に涙をこらえたみずづきは、もう一度深々とお辞儀する。一際大きくなる拍手。顔をあげると、長門が肩にそっと手をのせる。母親のような優しい笑顔。それを向けられたみずづきも満面の笑みだ。こんな時に不謹慎と分かりつつも、長門に手をのせられているみずづきに羨望のまなざしを向ける野郎どもも当然ながら存在した。

 

「よしっ。さすがは私の部下だ。堅苦しい話はこれで終わりっ。1900から講堂で水月の歓迎会を行う!! プランAだっ!!」

大声で叫ぶ百石。みずづきも含め大半のものは訳が分からず唖然としているが、川合などの幹部、吹雪や赤城など各部隊で旗艦を務める艦娘たちが立ち上がり、自分の部下に百石の計画とこれからの予定を伝える。みな、例外なく驚くが、顔を見るに乗り気だ。みずづきは周囲をあたふたと見まわし、百石と長門に説明を求める。

 

「ちょ、これはどういう・・」

「どうって、君の歓迎会だが」

 

さらりと聞こえる衝撃発言。

 

「カンゲイカイ?」

「君の判断に関わらず歓迎会は今日、やるつもりだったんだ。実は、君が現れた当日から少しずつ準備を進めていてな。せっかく、うちの横須賀に来てもらったのに、歓迎もしないなんて瑞穂軍人の教養が疑われてしまう。そして、こういうのはサプライズが一番。これは君の世界でも通用するようだな」

 

みずづきの呆けた顔を見て百石は笑う。作戦は大成功のようだ。後は、歓迎会の成功を祈るのみ。

プランA。それはみずづきが百石の提案を受け入れた場合を想定した行動計画の名称だ。Aとついているのだから、もちろんプランBも存在する。これはみずづきが百石の提案を受けなかった場合の行動計画だ。さすがに、正反対の選択をしたのに歓迎会の演目が同じでは不都合のオンパレードとなってしまう。だが、準備の方はどちらの場合でも共通なので、順調に進んでいる。今頃、百石の特命を受けた筆端が造船部や鎮守府に停泊している通常艦艇の将兵を引き連れ、講堂で準備を行っているはずだ。料理は既に今日勤務から外れている糧食班員と鎮守府内にある居酒屋「橙野」の従業員たちが用意してくれている。

 

百石の子供のような笑顔を見て徐々に状況へ思考が追いついてきたみずづきは、横須賀鎮守府にいる人々の温かさと優しさの連続に嬉しすぎて涙腺が崩壊しそうになる。だが、なんとか見栄を張り涙腺を支える。

 

「ほんっとに、みなさん優しすぎます。次から次へと・・・。とても、嬉しいです」

 

その泣きそうな笑顔に、百石はこの3日間の苦労が報われた気がして体が軽くなったように感じる。

 

「おおっ―――――!!!」

その時、あちこちから歓声が上がる。一部の将兵は肩を組んでテンションが急上昇しているようだ。「みんなに伝えてきます!!」と喜々として食堂の外へ爆走していく兵士の姿も見える。

 

あまりの盛り上がりぶりに何事かと身構えた矢先、百石が説明を始める。

 

「この場で大見得きって言ったんだが、新しい艦娘が着任する際に行われる歓迎会には着任済みの艦娘と鎮守府の幹部のみが参加するしきたりなんだ。一般将兵は参加しない。今回もそれに準じているから、みんなはお預け。だが、それだとなんだか悪いだろ? だから、勤務がある者以外、はめをはずさない程度に楽しむことを許可したんだ。みんな、それを聞いて喜んでいるのだろう」

 

ここは、海軍の一大拠点であり艦娘部隊も存在しているため、常に一定の緊張感が存在している。みなそれぞれ娯楽などを持っているが、鎮守府内で騒げるのは、花火大会や年末年始などごく限られた日しかない。そして、軍隊であるが故にその日が急な任務や訓練で、つぶれることもしばしば。振替は当然存在しない。そんな希有極まりない無礼講が、突然降ってきたのだ。テンションが上がるのも無理はない。

 

「百石司令、長門さん」

 

名前を呼んで、2人の顔を見る。破顔する将兵たち。自身もきっと同じ表情を浮かべているだろう。この笑顔には大勢の人々の苦労があったことは言うまでもない。目の前の2人は特に尽力してくれた。

 

言わなければならない言葉がある。

 

「こんな素晴らしい催しを行っていただき、本当にありがとうございますっ!!」

 

みずづきが破顔しながら頭を下げる微笑ましい光景を前に、2人は照れくささを醸し出しつつも最高の笑顔を返す。

 

もうすぐ、夜が来る。太陽の加護が一切ない、暗黒の世界。しかし、その世界を活躍の場にしている存在がいることも事実。その者たちの存在が薄くなるほど、今日は騒がしい。日が落ちても闇を感じさせないほど続くであろう、人間の活気。時が流れれば、今日は記憶となり記録となる。だが、それは未来の話。今日は今日だ。この世界の人間にとっては日常の輝かしい1ページ。ある者にとっては新たな道の始まりだ。

 

 

―――――

 

 

「君はどうして軍に入ろうと思ったんだ?」

 

最も単純で、最も根源的な問い。入隊の意思を固めてから、そして入隊してから様々なことがあった。輝かしい記憶よりも、ひどく汚れた記憶の方が圧倒的に多い。いろいろなことが、本当にいろいろなことがあった。しかし、それでも彼女の信念は一度も色あせることはなかった。

 

知山の問い。それに正々堂々と胸を張って、みずづきは答えた。

 

「私が・・・私が自衛隊に入った理由は、みんなが普通に笑って普通に生きてほしいと思ったからです。家族や友人の死に悲しむことも、故郷が焼け野原になって嘆くことも、飢えや寒さに耐えることも、死の恐怖におびえることもない。そんな、ごく当たり前の平和で穏やかな生活を送れる一助になりたかったんです。別に昔のような贅沢三昧を望む気は毛頭ありません。ただ、私はこれ以上、家族にも友人にも誰にも苦しんでほしくない、悲しんでほしくない。誰にもあの頃・・・・平和だったあの頃みたいに笑顔でいてほしい。そのためには現状を引き起こしたやつらから、みんなを守らなくちゃいけない。だから、自衛隊に志願して、今も軍人としてここにいるんです」

 

これは決して揺るがない。例え、これから先、何かに塗りつぶされてしまったとしても消滅しないし、させない。上書きされても、それをはがせば下地は必ず残っている。

「ふっ・・・・」と一笑が聞こえる。しかし、それはみずづきを馬鹿にしたものではない。むしろ、逆だ。

 

「たいしたもんだよ。やっぱり、みずづきはすごいな」

 

朗らかに笑いながら自身に感心している知山を見て、みずづきは熟れたトマトのように顔を赤く染める。その可愛らしい反応がさらなる爆笑を彼にもたらす。

 

 

腹を抱え、いつも通り一点の曇りなく破顔する知山。

 

 

その顔には周囲にある木々の葉によって、恐怖を感じてしまいそうな黒く深い影がいくつもできていた。

 




ようやくここまでたどり着くことができました。

次話は普段とは異なる視点の「無の世界で 弐」です。

そして、突然ですがパソコンやスマホのデータ、バックアップとっておきましょうね。

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