横須賀鎮守府 1号舎 提督室
想像を絶する現実の怪異ぶりに意識が持っていかれたみずづき。気絶すればもちろんたってはいられない。真後ろへ倒れそうになったところをいつの間にか正気を取り戻し、みずづきの真横に立っていた川合に受け止められ、事なきを得ていた。一同は医務室に連れていくか、軍医を呼ぶかで一時論争となったが、みずづきの意識がすぐに戻ったため、現在百石が先ほどまでいた執務机から見て右側にある応接用ソファーに座っている。
「大丈夫か?」
尋常じゃない量の汗をかき、緊張している様子は見るからに異様だ。川合が百石に許可をもらい室内にあったハンカチを差し出すものの、みずづきは固辞する。
「す、すみません。でも、お気持ちだけで結構です」
言葉の端が若干震えている。
「本当に大丈夫か? なにもそこまで緊張なくても」
「いや、だって、す、するでしょう・・・・」
みずづきは向かいに座っている百石の隣にいる長門や左側のあいたスペースにどこから持ってきたのか分からない椅子に座り、こちらの様子をうかがう吹雪たちを見る。
「あの栄えある帝国海軍の艦、ですよ。この方々は日本の英雄にして、私たちのように日本の国防に携わる者にとっては大先輩です。しかも、転生体ってことは付喪神が実体化? ということなのか分かりませんが、もう神様の領域ですし・・・・緊張しないほうがおかしいですよ」
百石たちは何の関係もない並行世界から存在であり艦の転生体とは思えないほど人間らしく、また日常的に彼女たちの接しているためなんとも思わないのかもしれない。だが、彼女たちがいた世界の人間であるみずづきにとっては大いに関係がある存在なので、つい意識してしまう。
「まぁ、君の気持も分かるがな。私も歴代の瑞穂海軍の軍艦がある日突然、女の子になって現れたら腰を抜かすだろうしな。さすがに失神はしないだろうが・・」
百石の言葉に、先ほどの醜態を恥じているみずづきはほほを赤らめる。自身でもまさか失神するとは全く思っていなかったため、余計に恥ずかしい。それを見て百石と川合が笑う。これは完全に狙っていたに違いない。室内の雰囲気は百石のからかいもあって、一番和んでいる。
「だが、彼女たちはそんな扱い望まないぞ。神様かもしれないが、俺たちにとっては大切な仲間だ」
「そ、そうなんですか」
みずづきは本人たちの意見を求め、一番近くにいた長門に視線を投げる。これまで基本的に仏頂面、もっと柔らかく表現すると普通の表情をしていた長門だったが、初めてみずづきに笑顔を見せる。派手さはなく、大和撫子に相応しいおしとやかさが漂っている。
「ああ、そうだ。私たちは自分の存在を特別視し、周りと絶対的な区別をしているわけではない、それを望んだりもしていない。そのような扱いをされても、逆に疎外感が生まれて悲しくなるだけだ。だから、そんなかしこまらず、普通の人間と思って接してくれ」
その言葉の包容力は半端でない。一点の曇りもない純粋な言葉だからこそなせる業か、不思議と緊張で出ていた汗が引いていく。
「これは私だけでなく、全ての艦娘にいえることだ。そうだろう?」
長門はどうような返答か分かったうえで、挑発的な笑みをたたえ吹雪たちを話に巻き込む。
巻き込まれた吹雪たちの返答は長門の確信通り決まっている。
「はい! 私たちはこの世界の人たちと一緒に歩いて行く仲間ですから!」
「そうデース!! だいたい気づいたらこの姿だったノデ、正直に言えばカミサマとか言われても実感が湧きまセーン!」
「そうそう。動けば疲れるし、何もしなくてもおなかはすくし、喜怒哀楽もあるし~」
「おっしゃる通りです北上さん!! いっときますけど、北上さんのご厚意に甘えて失礼な態度を取ったら・・・・・・分かっているでしょうね」
一見すると場の雰囲気を壊しているように見えるが、これこそ平常運転の大井なので影響はみずづきを除けば皆無だ。何回か同じようなことを言われているのでやや耐性がついてきたが、当然周りと比べまだまだ慣れていない。そして、怖い。
「こらこら大井、右も左も分からず心細さを感じている者にいうセリフじゃないだろう?」
「提督のおっしゃるとおりだぞ大井」
「警備隊の俺が口を挟むべきではないのかもしれんが、提督と長門に同意だな」
「大井っち、水月に自己紹介したときも高圧的だったよね。怖いよ」
「うぐっ!!」
横須賀鎮守府のトップに位置する3人に加え、唯一絶対の存在である北上からの疑問が大井の心に追い打ちをかける。比喩ではなく、実際にあまりの衝撃で体がふらつく。みずづきは自身もさきほどやらかしたので、倒れるのではないかひやひやするが周りはこれも慣れているようで特段心配するそぶりは見せない。体制を立て直し、その場に力づよく踏みとどまった大井は、涙目で北上にしがみつく。
「ごめんなさい北上さん! 北上さんを思う心が大きすぎるとはいえ、少しほんの少しだけ配慮が足りませんでした! これからも北上さんを第一としつつ、残った心の余白を活用していくので・・・・・許してくれますか?」
「いいよ~」
「やったぁぁ!!! さすが北上さん!!」
(軽っ!! 早っ!! そして、私蚊帳の外なんですけど!!)
あまりに予想外かつ大井の北上愛が溢れる展開におもわずツッコミを入れていしまう。2人がいる小さな空間には局所的なピンクゾーンが発生中だ。これだけしても濃い反応がないので幻覚かと疑うが、吹雪がほほをかきつつに苦笑しているので現実だ。
「はぁ~。いつもどおりだな。ところで瑞鶴、お前はなにさっきからぶつぶつ言っているんだ?」
「ええ!! 声に出て・・・ゴホン! な、何のことですか提督?」
もはや自白したようなものなのにしらを切り通そうとする瑞鶴。みずづきをはじめ誰も気づいていなかったが百石の耳をなめてはいけない。
「なんか、神様を連呼していたように聞こえたんだが気のせいか?」
「ぎく・・・・」
「ん? 弁解がないということは事実なのだな?」
ゆっくりと相手の退路を断っていくように粘着性のある言葉。絶対にばれたくない瑞鶴は百石の追求に焦り、うまい言い訳を必死に考える。
「何を黙っているの? さっさと答えたら? 時間がもったいないわ」
今、最も声をかけてはいけない人物が登場してしまった。言い訳を考えていた思考は上ってきた血に飲み込まれ、怒りに支配された口は言わなくてもいい真実まで加賀に向かって放たれる。
「はい? そんなの答えられるわけないでしょ!! 神様っていわれるの想像してたらなんだかおもしろくなってきて、気付いたら最終的に聞こえていた声が水月から加賀さんになってたなんて!!」
「・・・・・・・・・・」
「は!! ・・・・・・・というのは冗談で」
「いや、ほんとだろ」
「~~~~~~~」
川合の的確なツッコミで勝負はついた。顔を真っ赤にした瑞鶴が言葉にならない言葉でなにかを言っているが分からない以上、無視だ。加賀は大きくため息をつくととどめの一言。
「たるんでるわね。猛特訓を覚悟なさい」
「・・・・・・・・」
今度は顔面蒼白になる瑞鶴。これだけ短時間に顔色を変えられるのは健康な証拠だ。
「ふ、ふふ・・」
一連のやり取りを見ていたみずづきはついに我慢できなくなり、心の底から出た笑顔を見せる。それに注目する一同。視線を感じ、笑顔のまま首をかしげる。
「ん? どうしたんですか?」
「やっと、笑ったデス」
「え?」
「ようやく水月のナチュラルスマイルが見れマシタ! 結構かわいいネ!!」
金剛の指摘に赤面しつつも、自身がこの世界にきて純粋な笑みを浮かべたことに気づく。もしかしたら、吹雪たちはそれをずっと気にしていたのかもしれない。なにせ、今日はいろいろありすぎて、笑う余裕はなかった。執務室のソファーに腰かけてようやく少し気が休まる時間が到来したのだ。もし、そうだとしたらみんな優しすぎるだろう。
「俺も金剛と同意見だな」
朗らかな笑顔。百石の言葉にはみずづきを赤面させる十分な威力があった。
「・・・って、川合大佐」
「なにか?」
「さりげなく、部下を呼び寄せて憲兵隊を出動させようとするな!」
警備隊員と鎮守府上層部にしか分からないジェスチャーに従い、動こうとしていた西岡が1人。
「いえ、さきほどのご発言は新人憲兵に、軍規と業務を教え込むいい訓練になるかと思いまして」
「勝手に俺を軍規違反者に仕立て上げるな! さきほどの言動に他意はない」
「そうですか~」
にやにや顔の川合。確信犯なのは間違いない。かといって、処罰したりしないが。このような緩さも横須賀鎮守府の特徴であり、それを全面的に認める百石に信頼が集まる由縁でもある。
「ったく・・・・。だが、これで本題に入れそうだ。みずづきが意識を飛ばして、一時中断していたが」
「う゛・・・・その件は大変お見苦しいところを・・・・」
「いやいや。ちょうど場もほどよく温まったし、結果オーライだ」
場の雰囲気は非常に重要である。ガチガチに固まった絶対零度では建設的な議論は不可能であるし、権力を待つ有力者の思いのままに話の方向が誘導される恐れもある。特にこの会談は、今後の瑞穂、いや世界の運命を動かしかねない。そうは見えないかもしれないが百石もかなりの気合を入れて臨んでいる。また、この会談の内容は上に報告しなければならない。仲間たちのおかげで話が脱線しまくっているが・・・。
「では、まず確認しておきたい。君は私たちと同じ人間でいいんだな?」
「はい、そうです。・・・艦の転生体でも神様でもありません」
みずづきは自分の話している言葉のカオスさについ苦笑してしまう。生きてて「君は人間か?」などという質問をくらう日が来るとは想像すらしたことがない。
「分かった。では、何故君は艦娘といわれても特段の反応を示さなかったんだ? それにその艤装は・・・・」
「実は艦娘という言葉は日本でも一般的に使われている言葉なんです。私たちの制式名称は“特殊護衛艦”なのですが、それだと長くて言いづらいし軍人をモノ扱いすることに異論も出て・・・・。そしたら、どこからともなく出てきた“艦娘”という言葉が、現実をしっかり表して、なおかつ言いやすいと評判になって、定着したんです」
「驚いた。同じような存在に同じ言葉。文化の近似性・・・・こりゃ、また騒がしくなるな」
研究者の探求精神は凄まじい。今の会話を聞いただけで、論文がいくつも執筆され学界では怒号飛び交う白熱した議論が交わされる。
「あと、この艤装は日本の技術の粋を結集して開発された特殊護衛艦システム、別名艦娘システムと呼ばれる個人兵装です」
「待て、個人兵装ということは・・・・」
百石の額に汗がじんわりとにじむ。みずづきはその顔で心中を察し苦笑する。なにも彼だけではない。かつて、みずづきも当時の自衛隊に入る前、艦娘の存在を知ったときは我が耳を疑ったものだ。
「はい。小銃とは一緒にしてはいけませんが、例えるなら小銃と同じようなものです」
「ハハハハハ・・・」
日本との絶対的な差に驚愕を通り越して乾いた笑い声が出てしまう。百石は笑顔だが、他の面々は顔が引きつっている。艦娘たちは特に、だ。誰が信じられるだろうか。オカルトの塊のとさえいわれる艦娘の艤装。それ以上のものを、科学技術によって人間自らが開発し実戦配備しているなどということを。
「いや・・まさかここまでとは・・・。そっちの技術革新スピードはこっちとは比較にならないらしい。私たちも艦娘が持つ艤装の優位性と発展可能性に着目して、同じようなものが作れないか挑戦したんだ。瑞穂中の研究者や技術者を結集させ解析を試みたんだが、結果は散々。ほとんど解明すらできなかった。対して、君たちは彼女たちと同等、いやそれ以上のものを自分たちの手で開発している。・・・私たちからすれば笑うしかない」
百石は自身が艦娘の司令官であること、そして以前から他の人間と同じく並行世界への好奇心を持っていたことから、「並行世界証言録」や身近にいる艦娘を通じて日本世界の歴史や文化・技術水準をよく把握していた。今でも、初めて日本世界と触れたときの衝撃は忘れられない。横須賀に来る前から、軍内の噂で“艦娘たちの世界は次元が違う”と聞いていたがここまでとは思っていなかった。近代まではそこまで相違はないものの、そこが大きな分岐点だった。それ以降に歩まれた激動の歴史は、瑞穂側と比較にならない。帝国主義、侵略、植民地、世界大戦、大恐慌、冷戦、独立。そして、日進月歩する科学技術。2033年現在の瑞穂世界の技術水準は、地球世界では1940年~1960年代に相当する。同じ年月を歩んでいるのに70~90年の差があるのだ。
その世界の、高度な科学技術を備えている存在が今、目の前にいる。その力は吹雪たちの報告で確認済みだ。これをみすみす逃す手はない。攻勢に出ているとはいえ、魅力的な戦力をほったらかしするほど瑞穂に余裕はない。あったら、財政や資源供給が火の車になっていない。
百石は心に秘めていたある考えを表に出す。みずづきの人柄はこの会談でよく分かった。多少目が離せない雰囲気が漂うものの、吹雪の言う通り十分信用にたる人物だ。
「だが、いやだからこそ、そんな君に一つ頼みたいことがある」
もし、これが成就すれば、世界が変わるかもしれない。
「私たちと一緒に戦ってくれないか?」
外界の様々な音が聞こえるはずなのに、百石の言葉がやけに耳に残る。強い意志がこもった真剣な声。先ほどまで、冗談を言い笑っていた人物とは思えない。
「えっ? それはどういう・・・・」
いきなりこのような声をかけられれば、動揺するのは当然。発言の意味や背景が分からないみずづきは川合や長門の顔を見るが一様に百石と同じような表情だ。他の面々も百石から聞かされていなかったが、おおむね何かしらの引き留めを図ることを薄々感じていたのだ。
「現在、この世界は有史以来最大の危機に直面している。君もついさっき危機の元凶と交戦したはずだ・・・」
その言葉で数時間前に行った戦闘の様子を思い出す。ただ、敵の姿は記憶にない。何故なら、こちらの完全な土俵、FCS-3A多機能レーダーとESSM・SSMⅡB block2をフル活用した視認圏外戦闘を行ったため、敵の姿は空母艦載機しか見ていないからだ。しかし、さきほどの戦闘で見なくてもその姿は目に焼き付いている。それは、表情を見るに全員同じだろう。
第二次日中戦争、それに続く丙午戦争と第三次世界大戦の遠因になったシーレーン破壊を行い、世界中で地獄の生み出す人類共通の敵。
「深海棲艦・・・・・」
「そう、深海棲艦。君はよく知らないだろうが、比較的平穏だった世界を奈落の底へ引きずり込み、人類の殲滅を意図している化け物どもだ」
言葉にこもる怒気。百石の瞳には熱い決意と共に暗い後悔の色が浮かんでいる。それだけで、この世界も地球と同じような悲劇に見舞われたことが容易に想像できる。散々、同じような目をする人々を見てきたのだ。みずづきにとっても他人事ではない。ただ、1つ気になる点がある。
(ん? ちょっと待って。
そうなのだ。百石はみずづきを何も知らないうぶな赤ん坊のように扱ってくるのだ。百石や長門たち艦娘がもし地球に、日本に深海棲艦がいて蹂躙されていることを知っていれば、必然的に対応は変わってくるだろう。特に長門たちはてきめんだ。日本の状況を知ろうと真っ先に詰め寄ってくるに違いない。彼女たちがいる以上、日本世界の情報はかなりわたっているはず。では、何故。
(情報源は艦娘たち。しかも、全員が太平洋戦争で戦っていた艦。戦後まで生き延びて解体されず残った艦がいつの時代までいたのかは知らないけど・・・少なくとも21世紀以降は、いない)
私生活と軍隊生活で得た知識を総動員し、1つの結論を導き出す。
(この世界の人間と艦娘たちは、
これは、厄介なことになった。世の中には「知らぬが仏」が言い得て妙な事柄が無限にある。これは、まさしくそれだ。さきほどの戦闘で戦った深海棲艦は少し弱く感じたが、日本世界の個体とほぼ同一だった。戦術行動も違和感がなかったことを考えれば、こちらの深海棲艦がとる戦略行動も大差はないだろう。ということは、この世界の人間でも深海棲艦がいると聞けば日本世界の窮状が理解できてしまう。横須賀や浦賀水道の様子を見るに、日本ほど徹底的な本土爆撃が行われた形跡はなく、戦況もだいぶ瑞穂側に有利なようだ。しかし、かえってそれが知っている者に割り切れない大きな疑問を与えてしまう。
何故ここまで違うのか、と。
その疑問は深く、そして答えが導きだせないからこそたちが悪い。それに彼女たちに日本の窮状を知らせたくない。繁栄を信じている日本が真逆の姿になっていることを知れば、どのような表情をするのか、想像に難くない。未来の日本人であるみずづきも過去の先人たちにそのようなことを話したくないし、そのような表情にしたくない。
だから、厄介なのだ。
早くも自身の言動に重い制約がかかってしまった。まだまだ分からないことだらけだが、注意するのに越したことはない。
「今から8年前の2025年、世界各地、特に太平洋で民間船舶が突如消息を絶つ謎の海難事故が多発しはじめたんだ。当初は世界中の海で暗躍していた海賊の仕業ではないかとの憶測も出たが、件数といい規模といいとても非合法組織の力では不可能なほどだった。それは収まるどころか日を追うごとに激増。経済活動にまで影響がおよんだため事態を重く見た各国政府は水上警察や軍を出動させ原因の解明に乗り出した。・・・・そして、やつらが現れた」
百石はおもむろに立ち上がると、最も近い窓へ足を進め、外を眺める。
「やつらとの戦闘は、とても戦闘と呼べるものではなかった。将校から一兵卒まで平和ボケしていたことも大きかったかもしれないが、やつらはとにかく小さい。人間大が基本で艦載機に至っては模型大だ。それでいて人間側の軍艦や戦闘機と同等の火力・装甲だ。的が小さ過ぎてそもそも命中させられない人間側は、的が自分より遥かに大きく撃てばすぐに当てられる敵になすすべなく惨敗。奮戦むなしく各国海軍はわずか1年で、数十年かけて築き上げた戦力を失い壊滅。シーレーンは完全に破壊された」
シーレーンの破壊。その言葉にみずづきは息を飲む。それがどうような悲劇を生むのか、身をもって知っている。彼女の変化を見抜いた百石は、心中を察する。
「・・そうさ。この瑞穂も君たちの日本と同じく、無資源で技術力と経済力しか取り柄がない国だ。国民の命を支える死活的に重要な生命線が断たれたときの混乱は半端じゃなかった。その後なけなしの水上戦力と、航空・地上戦力によって持ちこたえていた第二列島線も陸軍守備隊の全滅で次々と陥落。それによって、なんとか死守していた西太平洋の制海・制空権も喪失。瑞穂史上初の本土決戦が現実を帯び国内に恐怖が蔓延する中、瑞穂に世界に一筋の光が差し込んだ」
百石は視線を窓から外し、こちらに戻ってくる。途中で足を止めると長門の肩を手を乗せ、吹雪たちを見る。事案発生かと思いきや、さすがにそういう空気ではないので川合は微動だにしない。
「彼女たちだ。私たちでは手も足も出なかった深海棲艦を彼女たち艦娘は次々と撃退。瑞穂周辺の制海・制空権確保と本土決戦の回避を成し遂げ、国内に漂っていた重い閉塞感を吹き飛ばすことに成功した。そればかりか部分的にだが途絶したシーレーンも回復し、大量の餓死者や凍死者を出す事態だけはなんとか阻止できた」
「本土や大陸への直接攻撃はあったんですか? 例えば空爆とか」
「他国では本土に侵攻され激戦を繰り広げているところもある。瑞穂や東アジアの国々はまだ恵まれたほうさ。だた、瑞穂本土にも空母艦載機による小規模な空爆はあった。幸いにも直後に反攻が開始されたため、被害は軽微で済んだが。向こう側の太平洋戦争時のような大規模空爆は全く行われていないから安心してくれ」
「そうですか」
みずづきは胸を撫で下ろし安堵する。だが、同時に深海棲艦の戦略行動に疑問を感じる。日本はマリアナ諸島から発進する爆撃機型深海棲艦によって徹底的な爆撃を受けているのにこちらは空母型艦載機による蚊のような爆撃のみ。
(同じような世界なのに、
素直に喜びたいが複雑だ。日本だけで深海棲艦との戦争による犠牲者は空爆や戦闘による死者以外の餓死者や凍死者、薬品不足・避難先での病死者を含めると約
「しかし、いまだに敵との戦闘は続いている。先日も多温諸島・・・そっちのマリアナ諸島に相当する島々の奪還作戦が行われた。まだ先は長い。だから、少しでも早くかつての平穏を取り戻すために、是非とも一緒に戦ってほしいんだ」
百石の熱意と信念はまっすぐな瞳から十分に伝わってくる。だがそれでもみずづきは言いよどむ。
「いや、しかし・・」
「君は1人で敵の機動部隊を壊滅させた。そんな神業を成し遂げられるのは、それだけ探そうとこの世界には君しかいない」
「・・・・・・・」
「無論、ただ戦ってくれとは言わない。衣食住は当然用意するし、補給に関しても一筋縄ではいかないだろうが総力をあげて善処する。安全の保障も大前提であるし、私の一存では決められないが相応の報酬も上とかけあおう」
思わず飛びつきたくなるような好条件が次から次へと出てくる。みずづきにとってここは全くの別世界。これをければ路頭に迷うか、瑞穂か他国の政府機関に捕らえられ研究対象とされるか、どちらにせよ過酷な運命がまっているのは間違いない。だが、みずづきは日本国海上国防軍の一軍人なのだ。軍隊はボランティアでも正義の味方でもない。みずづきの役目は“日本”を守ること。“日本国民”を守ること。そのために志願し厳しい訓練を受け、日本の技術を結集させ国民の血税によって作られた艤装をまとっているのだ。それにこの艤装は多くの人々を守れると同時に多くの人々を殺すこともできる。そのような力を持つものとして、生半可な行動は控えなければならない。
「無理にとは言わない。あくまで最終決定権は君にある。例え“否”の判断を下したとしても衣食住の確保やこの国で生きていくための手配は必ず行う。これもなにかの縁だ、そこは気にしなくていい」
みずづきは顔をうつむけたまま無言を貫く。己の信念と格闘しているのは見れば分かる。その様子から百石は、即答は無理と判断する。
「まぁ、突然こんなこと言われても即決は無理だろう。だが、あまり時間をかけられなくてな。すまないが明日からの3日間でなんとか考えてくれないか? もちろんその間の衣食住も用意する」
影っていた表情が明るくなり、顔をあげる。これは非常にありがたい。
祖国がない世界で自分の目的を導き出すには十分な時間だ。しかも、衣食住つき。
「ありがとうございます。期日までには必ず結論を出しますので、3日間お手数をおかけしますがよろしくお願いします」
みずづきは立ち上がると百石に深々と頭を下げる。それに対して百石は謙遜する朗らかな笑みだ。長く紆余曲折もあったが、こうしてみずづきと百石たちの会談は終了した。日はとうに落ち、闇夜の中に人口の明かりと自然の光が交差する。
ここまで来るのに、これだけの文量がかかってしまいました。
本当はもっと簡素にしたいのですが、次から次へと妄想が湧いてきて文字数が一向に減りません。自身の編集能力に疑問符を浮かべる今日この頃です。展開が遅い点に関してはただ拙作を読んで頂いている方々の寛大なお心に一助を願うしかありません。
本話では、今後の物語に大きくかかわる部分がいくつかありました。
深海棲艦の行動は、日本世界と瑞穂世界ではおおまかには同じですが細部ではだいぶ異なっています。ついでにいうとこれまでの話で触れてきましたが、科学技術の水準も違います。
この違い、ひどい方を知っている人間にとってはなんとも言い難いものです。なにせ莫大な数の犠牲者が出ていますから。犠牲者数は、「ちょっと多すぎじゃない?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、一説によると日本のシーレーンが完全に途絶した場合、年間3000万人の餓死者が出るそうです。まあ今から40年近く前の想定らしいので信ぴょう性は分かりませんが。これを見るとなんだが怖くなりますね。ただ、この数字には若干からくりがあります。
そして、百石の提案。
これを受けてのみずづきの迷い。
今後の3日間が、瑞穂世界とそして日本の運命を左右する・・・・
かもしれません。