水面に映る月   作:金づち水兵

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せ、せめて文字の世界でも涼しく・・・・。


98話 年末

夏と比較し低緯度から、地上を照らす太陽。真夏に発揮した暑苦しさはどこへやら。弱々しい日光は堂々と前を素通りする雲はおろか、万物から熱を奪う寒風にすら及び腰。ますます調子に乗った寒風が道行く人々を震え上がらせ、丸坊主になった木々を揺らし、ガラス窓を介しせっかく石油ストーブの活躍でほどよい気温に至った室温を押し下げる。

 

加えてだ。ヒュ~~という効果を伴ってガタガタと窓ガラスが振動する様子は心までも凍えさせる。いかにも真冬らしい光景だ。

 

「うわぁ~~~。寒そう・・・・・」

 

肩にかかっている羽織物を思わず抱きしめる。先ほどまで適温と思っていた室温が心なしか低くなったように感じる。

 

「だったら、閉めればいいだろう? 窓が一番室内の温度を奪う箇所なんだからよ」

 

寒そうと身震いしながらもカーテンを閉めない姿勢に非難が飛ぶ。それはごもっともだ。しかし、カーテンで覆うわけにはいけなかった。それでは見えなくなるのだ。

 

「それはそうだけど・・・・・・この世界で年末なんて、初めてだし・・・・」

 

いつもより人通りが多い歩道。いつもより交通量が車道。いつもよりどこか浮かれた雰囲気。両手に買い物袋や段ボール箱、木箱に風呂敷包みを持って、慌ただしく歩道を行き交う人々。声が聞こえるはずないのに、幻聴が聞こえるほど表情豊かに客引きに生を出す商店の店主たち。

 

横須賀鎮守府の敷地内に所在する横須賀海軍病院艦娘病棟。ここから見える横須賀はすっかり、慌ただしくあれど、新たなる年の訪れに興奮を隠しきれない年末に染まっていた。頼み込んで病室に持ち込んだラジオからは日本で幾度となく聞いた童謡が聞こえてくる。

 

『もういくつねるとお正月・・・・・』

「この歌、瑞穂にもあったんですね。メロディーといい、歌詞といい日本と全く同じですよ」

「あら。まだこの歌、日本にも残ってるのね」

「驚いたでしょ? 私も初めて聞いた時はびっくりしたわよ」

「そりゃ・・もう。思わず、ここがあの世かと思って背筋が寒くなりました」

「・・・・・・縁起でもないこと言わないの。もう少しでそれが現実になるところだったのはほかでもないあなたなのよ。分かっていて? みずづきさん?」

 

真横からじっと凝視してくる加賀。普段なら震え上がる場面だが、赤城の向いたリンゴを必死に頬張っている姿に威厳を見出すことは不可能だった。「は・・はい」と頭を下げるがどうしても、生返事になってしまう。それがまた視線を鋭くさせる悪循環。ただ、邪険にはできなかった。

 

「本当に一時はどうなることかと思ったぜ。顔色は真っ白だし、血は止まんねえし・・・・・。まったく、今こうしてるのも奇跡だぜ。奇跡!」

「そうよそうよ! あんた一体どれだけこっちを心配させたと思ってるのよ!」

 

「う・・・さみぃ・・・」と石油ストーブに手をかざしている摩耶と同じく頬を赤くした曙が指を差してくる。あまりの気迫にのけ反ってしまった。

 

「はい。全て事実でございます。皆様には大変なご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありませんでした」

 

この世界における一般的な病院と大差ないらしいとある個室にみすづきの弱々しい声が木霊する。あの戦いから6日。みずづきは大隅における道満忠重医務部長以下医療関係者の尽力によって一命をとりとめ、現在横須賀海軍病院で療養していた。いくら深海棲艦ゆずりの治癒能力を持つとはいえ、大破に加え下腹部への刺突はみずづきを一時危篤状態にまで追い込んだ。普通の人間なら大隅に辿りつく前に確実に死亡するほどの傷だったと道満は述べている。驚異的な治癒能力はみずづきの存命に貢献した訳だが、みずづきの意識が回復したのはMI攻撃部隊が横須賀に帰港し、横須賀海軍病院に運び込まれた一昨日のこと。それまで外見上、傷が完治しようと意識不明の状態が続き、百石以下横須賀鎮守府上層部と艦娘たちに不安を抱かせ続けていた。その不安はみずづきの負傷具合を目の当たりにした長門たちほど大きいものだった。

 

この際、百石はみずづきの身体について何も知らされていない艦娘たちに情報を開示。少しでも安堵させようとしたものの、艦娘たちの「このまま・・・・」という不安は消えなかった。

 

そのため、みずづきが目を覚ましたとの一報は光もひっくり返るほどの速さで伝播。横須賀鎮守府を覆っていた重苦しい空気は一気に吹き飛んだ。この時、みずづきとの面会を求める艦娘たちや腹の虫の暴れ具合を訴えるみずづき、そのどさくさに紛れて食事制限の解除を目論んだ赤城と医務部長道満忠重中佐との間で一悶着が発生したのだが、これはまた別の話。

 

「まぁまぁ、曙ちゃんも摩耶さんも。良かったじゃないですか。みずづきさんもだいぶお元気になられましたし」

「まぁ・・・・潮の言う通りなんだけどね・・・」

 

みずづきは目を覚ました後、出血による脳の障害など後遺症が残ることもなく、医療関係者全員が脱帽するほどの早さで順調に回復。既に自力での歩行も成し遂げ、現在のようにリンゴを頬張ることも可能だった。

 

「しっかしあんた、あれほどの傷を負ってから一週間も経ってないっていうのに元気なものね。一体いくつ食ってんのよ」

「6切れ目ですけど、何か?」

「いや、それ1玉分よね? 丸々1玉」

「そうだけど・・・ん?」

「ん?・・じゃない!! あんたなに言ってんの?、みたいな顔はやめて‼」

「すご~い。曙、バッチリだよ」

「この・・。馬鹿にして・・。なんでこの類いが増殖してるのよ・・」

 

曙は額に手をあてながらみすづきと共にもう一人の艦娘を見る。視線を受けた艦娘は何の悪気もなく、首をかしげる。

 

無自覚は怖い。

 

「だ、大丈夫ですよ。道満部長から許可はもらってます!」

「あれを許可っていうの・・・・」

 

椅子に座る、ではなく背もたれを正面に向けまたがるように腰を降ろしている瑞鶴は大きなため息をつく。そんな彼女に榛名が苦笑しながら同調した。

 

「あれは許可っていうより諦めじゃ・・・・」

「そんなに食いたかったら好きにしろ。腹が痛いって呼び出ししても応じないからなって、部長・・・眉間押さえてたからな」

 

終いには理解を示してくれそうな摩耶まで同調する始末。これは由々しき事態だ。

 

「だってお腹がすくんですもん、仕方ないじゃないですか・・・。ここのご飯は思った以上に美味しかったですけど、いかんせん量が・・・・・・」

「その気持ち、すごく分かります!!!」

 

戦艦級すらドン引きするほどの気合いで拳を握りしめる赤い正規空母。既に自分が剥いておきながらリンゴ2玉ほどを平らげたツッコミ殺しの彼女だが、今日ばかりは強力な味方だった。

 

「さすが赤城さん! 話が早いです。それに皆さんはいいじゃないですか」

「ん、何の話かしら?」

 

あからさまに動揺しながら視線を逸らす翔鶴、そして、それに対して「翔鶴姉!」と小突く瑞鶴。被弾した加賀や蒼龍と同様に翔鶴も昨日病人服を脱いだばかりだったが、もう本調子のようだ。ちなみに、MI攻撃部隊と行動を共にしていた第二機動艦隊、そして大隅に回収された伊168、伊19は現在も横須賀に滞在していた。

 

「とぼけないで下さいよ! 今日は大みそか! そんでMI作戦の成功を祝して、盛大な飲み会が挙行されるそうじゃないですか!?」

「飲み会ではなくて祝賀会」

 

真顔で、加賀の訂正が飛ぶ。存在自体はもう誰も隠す気がないようだ。胸に溜まった鬱憤を視線にこめる。

 

「いいですよねぇ~~~~~。・・・・・・・・・・私だってパーッ!とやりたいですよ」

 

これはおふざけでもなんでもなく、本音だった。

 

「あの戦いではいろいろなことがありました・・・・・。本当にいろいろなことが・・」

『・・・・・・・・・』

 

あまりに様々な出来事が押し寄せてきたため、本当にあの短い期間で巻き起こった出来事なのか、分からなくなる時がある。ただ、あれが現実であったことは紛れもない事実だ。だから、ほんの一瞬でも全てを忘れて騒ぎたかった。

 

みずづきも1人の人間だ。あの戦いで心身ともに深く傷づき、人生に決して消えない節目を刻み込んだ。だからこそ、騒いでみたかった。

 

「もう面白がるのはやめてあげたら?」

 

原因不明の赤みを頬に宿しながら、曙がぴしゃりと言い放つ。病室の緊張が一気に弛緩した。

 

「え? 面白がる?」

「それもそうだな。十分、みずづきらしい反応は堪能できたし」

「曙にしては珍しいじゃん。どうしたの? みずづきがいなくちゃ寂しいとか?」

「ばっ!?!?」

 

瑞鶴のニヤ付きを受けて、曙の顔がまさしく熟れたリンゴのように真っ赤に染まる。

 

「ばっっっっっっっかじゃないの!? 誰が寂しいよ! だ・れ・がっ!!! 私がそんなお子さまみたいな感情、持つわけないじゃない!」

「言葉と表情が一致してないけど、それは? ふふふ・・・・」

 

ついに始まった瑞鶴と曙の応酬に、病室内は一気に騒がしくなる。止めようとする潮や翔鶴に加えて、摩耶がちょっかいを出すために加わったため事態は複雑化。疑問を完全無視された挙句の大乱闘に、目を点にするしかなかったが赤城と加賀がきちんと答えてくれた

 

「ごめんなさいね、みずづきさん。実はあなたに祝賀会参加の許可が下りたの」

 

予想だにしなかった吉報に瞬きを繰り返す。

 

「提督と部長の連名付き。よかったわね、みずづき」

 

意識を引き込む不思議な力を宿す優し気な笑みを浮かべる加賀。

 

笑顔をたたえる2人と彼女たちが語った事実に、喜びを通り越して涙が出てきてしまった。

 

「もう、どれだけ出たかったのよ。ほら、これ使いなさい」

「う・・・・。あ・・・ありがどうございまず・・・」

 

加賀がハンカチを差し出してくれる。キレイに四方の角を合わせ、折りたたまれたハンカチ。加賀の几帳面な性格がにじみ出ていた。きれいなハンカチを汚すことに罪悪感を覚えつつ、目元を拭く。霞んでいた視界が明瞭になった。

 

「祝賀会は正式には午後5時から。4時半に私たちが迎えに来るから、そのつもりでいて」

「はい、分かりました。でも正式っていうのは・・・・」

「えっとね・・それは」

 

赤城が言いづらそうに頬を掻く。代わりにため息を交えながら、加賀が答えた。

 

「もう・・・なし崩し的に始めている人たちがいるからよ」

 

それですべてを察した。どこの世界にも、どこの組織にもいる、開始が待てずにフライングする野郎たち。年末年始、しかもMI作戦は成功を収め、YB作戦もあちらで忘年会やら新年会が行えるほど作戦が順調な状況なら、テンションが昼前から上がり切っていても不思議ではない。赤城たちが来る前に聞こえた奇声はどうもこの時間帯からデキてしまい、警備隊や憲兵隊などお構いなしの戦意旺盛な野郎たちだったようだ。

 

苦笑が止まらない。

 

「どこの世界も変わりませんね」

「まったく、その通り。人間はどこでもいつでも変わらないわ」

「まぁ、何もかもうまくいきましたし、今日と明日ぐらいは楽しみましょう。私も臨戦態勢です!」

 

一瞬垣間見せた凛々しさが鼻息で飛んでいく。赤城は加賀が悲しそうな目をしていることに気付いているのだろうか。真実を語ると百石や筆端、経理部が恐れているのは赤城よりも加賀なのだが。

 

「あははははは。もうみんな世間に充てられてますね・・・」

「本当に・・・・」

 

「一体どんな料理が出てくるのかしら~~~~」と今から頬を落としかけている赤城から目を逸らし、加賀と共に視線を窓の外に向ける。

 

まるで赤鬼のように顔を上気させながら、看護婦長が殴り込んできたのはその直後だった。

 

 

 

 

「ここがどういう場所か分かっていますか? え? 分かっているのですか!?」

『は・・・はい!!』

「ここは病室ですよ、病室! ここにも廊下にも、いたるところに静粛に、大声を出すなと書いてあるでしょうが!!! まったく毎回毎回なんど注意すれば・・・・・」

 

看護婦長の前に直立させられた赤城、翔鶴、榛名、摩耶、曙、潮、瑞鶴。曙、摩耶、瑞鶴は当然の報いとして、止めようとしていた翔鶴と潮、事態を傍観していた榛名は完全な巻き添えだ。彼女たちの全身から助太刀要請が放たれるが、加賀と二人で完全無視。心の中で手を合わせていた。

 

「もうすぐ新年ね」

 

看護婦長の図太い怒号が轟く中、加賀が神妙な面持ちで呟く。あと半日近くたてば、年は移ろい2034年、光昭11年という新しい年が始まる。気が付けば、この世界に来て半年以上の時間が経過していた。この半年間。本当にいろいろなことがあった。しかし、それを全て乗り越え、想いを受け取り、みずづきは今ここにいる。この歩みは着実に自身の糧となっていた。

 

過去を反芻するとともに、来るべき未来に想いを馳せる。これから進むべき未来に何が待っているのか分からない。この世界に辿りついたからこそ、知ることになった真実以上のものを叩きつけられるかもしれない。その真実の翻弄されたあの子以上の存在が目の前に立ちはだかるかもしれない。それでも歩みは止められない。止めてはいけないのだ。

 

「はい。来年が待ち遠しいです!」

 

2033年(光昭10年)12月31日。この世界で、そして艦娘たちと迎える初めての年越しまであと少し。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

天を突かんばかりにそびえ立つ高層ビル群。街中を網の目のようにくまなく走る高速道路。片側3車線、4車線の道路を埋め尽くす、車、車、車。それ自体が車道ほどの幅を持つ歩道を、諸外国とは異なる出で立ちで歩く人、人、人。本来、植物たちよって清涼に保たれているはずの空気は常時放出される膨大な排気ガスの前に汚染され、視界は灰色に霞んでいる。空も雲が低く垂れこめているように灰色一色。晴れにもかかわらず、他国では当たり前の青い空はこの国、この都市において信じられないことに希有だと言う。

 

見渡す限り人工物に埋め尽くされ、世界全体を圧迫感が支配する都市。祖国である瑞穂、その首都である東京と比較しても歴然とした差を持つこの街が、この世界の頂点に君臨する栄中帝国、その帝都北京である。

 

瑞穂における東京と同じように、栄中帝国の国家元首である清朝皇帝の居城である紫禁城を起点とし、道路・鉄道を環状に整備した街には東京都を超える約1100万人が居住。この人口は大戦勃発以前、先進国と言われる国家さえも凌ぐ国内総生産(GDP)を生み出し、世界に類を見ない近代的な都市景観を構築する原資となっていた。その勢いは深海棲艦の出現によって他の先進国が没落していく中、衰えることを知らない。

 

その理由は栄中帝国が世界最大の経済大国、軍事大国でありながら、深海棲艦の直接侵攻を受けていない一点に集約される。栄中帝国と太平洋の間に存在する瑞穂国。文字通り防波堤となった隣国のおかげでこの国はいまだに依然と変わることのない繁栄を享受していた。

 

しかし、だからといって悠長に構えているほど、この国は馬鹿ではない。3000年とも5000年とも言われる雄大な歴史に裏打ちされた中・長期的な視点に基づき、国家元首である皇帝が強大な権限を有しながらも優秀な官僚・貴族たちが政治の主導権を握っているからこそ、この国は超大国に辿りつき、その地位を維持できているのだ。

 

瑞穂ではおせち料理や年越しそば、家や会社の大掃除に忙しい大晦日。旧正月と呼ばれる旧暦の正月を尊ぶこの国でも、一応新暦の年末年始は特別な日なのだが、彼らには関係ないようだった。

 

妙泉(よしずみ)大使? これは一体どういうことですか」

 

紫禁城の近傍に所在する栄中帝国外務省。その一室には現在4人の男性たちが顔を突き合わせ、会談を行っていた。通訳も書記もましてやメディアもいない、Face to Face。相互理解と強固な信頼関係の上にある場だけに、こちらの弱点を相手に知られかねない行動も許容されていた。

 

スーツではない栄中の民族衣装に身を包んだ相手を前に、血相を変えて耳打ちしてくる中年の男性。紺色の軍服を見にまとった彼は瑞穂海軍栄中帝国駐在武官の與語信也(よご のぶや)大佐。海軍兵学校を上位で卒業し、将来を渇望されたエリート軍人。いつも鉄仮面で滅多に狼狽しない彼が今回は額に汗を浮かべていた。

 

「・・・・・・・・」

 

與語の詰問に無言を貫く、瑞穂国栄中帝国大使の妙泉幸三(よじずみ こうぞう)。疑問を抑えきれなかったのか與語はさらに畳みかけてくる。

 

「これはわが国の最高機密のはずです。私はこの件、東京から何も聞かされていません。まさか、外務省はこれほどの案件を独断で・・・・」

「そうではありません」

 

與語の考えをきっぱり否定する。そして、眼前に座る2人に聞こえるようはっきりと言った。

 

「これは内閣の判断に基づいた行動です。国防省ひいては軍令部からも了承は取り付けています」

「・・・・・・ではこういうことですか。東京は私の頭ごなしに事を進めていたと・・・」

「おっしゃる通りです」

 

苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる與語。駐在武官をコケにするような対応に憤慨している様子だが、これには訳があった。

 

だがそれは妙泉ではなく、対面に座っている枯れ木のように細身の男性から流暢な瑞穂語で説明された。通訳なしで異国人同士が向かい合っているこの場が保たれている所以は、男性たちの語学能力と気遣いだ。

 

「お気持ちはお察しします、與語大佐。しかし、これは漏洩が絶対に許されない事項。知る者は1人でも少ない方が良い。我が国でもこれを知っている者は私と林を除いて、ごく少数なのです。いくら世界最大の人口がいようとも」

「江外相」

 

そう、田舎の貧民のような容姿の彼こそがこの栄中帝国の外交政策を一手に引き受ける外務大臣、江徳。その隣に座っている男性は江の首席秘書、林少奇。これは栄中帝国と瑞穂国という世界に名だたる先進国同士のトップ級会談だった。

 

「我が国は貴国の姿勢を大変好意的に受け止めています。皇帝陛下も世界と共にあろうとする瑞穂に最大級の賛辞を、と申されております」

「これは・・・これは。恐悦至極に存じます。もしご機会がありましたら、陛下に感激の至りとお伝えください」

 

深々と妙泉は頭を下げる。皇帝にまで上奏され、しかも皇帝の言葉をわざわざ一国の大使に伝えるということはそれだけこの会談を栄中が重視している現れ。

 

この姿勢を前にしては與語もこれ以上、不満を表せない。

 

「これほどのもの、知っただけでも動揺は必然であると言うのに、他国へ提供する意思決定は大変な心労が伴ったことと思います。それをこの短期間で決定し、実行する栄中帝国外務大臣として、一人の栄中人として貴国には尊敬の念を抱いてなりません・・・・・」

 

江はそこまで瑞穂を持ち上げておいて、林と視線を交差させる。ほんの一瞬で、打算・策略をやり取りするアイコンタクト。一拍の沈黙が流れた後、江は意を決したように抑揚の抑えた声で告げた。

 

「我が国は貴国と、そして統一派の意見に賛同し、共に人類の共存共栄、世界平和への歩みに参加することを明言いたします」

「「!?」」

 

妙泉と與語の息が止まる。お互い外交官・軍人と完全に異なる畑を歩いてきた両者だが、ともに国家権力の内部を渡り歩き、数々の修羅場を経験・突破してきた逸材。その2人を否応なく驚愕させるほどの重みが江の言葉に含まれていた。

 

「・・・・ま、誠ですか?」

 

この会談に先立ち、外務省官僚と瑞穂大使館員との間で行われた実務者協議。そこで“この件”が議題に上ったとの報告は受けていない。あまりの突飛さに真偽を疑うが、妙泉の懸念を見抜いたように江は頷いた。

 

「これは皇帝陛下の裁可を受けた我が国の確固たる方針です。加えて、我が国と特別な友好関係にある国々の意向も極めて前向きなものです」

「なっ!?」

 

目をむく與語。テーブルに身を乗り出し、江に食いつく。

 

「近隣諸国にもこれを知らせたのですか!?」

 

対する江は驚くことも、不快そうに顔をしかめることもなく平然と応対した。

 

「私より妙泉大使に聞かれた方がよろしいかと。この件について、我が国は“知らない国家”と接触は持っておりません」

「既に内定によって信頼に足る国家と判断された各国の駐在大使が私のように説明を行っているのです、與語大佐。もう一度言いますが、これは“内閣”の判断です」

 

内閣というお題目の前に鼻息を荒くしつつも、與語は「はぁ~~。まったく・・・・」と深いため息をつく。江たちが皇帝の言に逆らえないことと同様に、国民が選挙で選んだ政治家で構成される内閣の決定には外交官はもちろんのこと、軍人も逆らえない。

 

妙泉は視線で與語の非礼を詫びた後、外交官らしい鋭い目つきに代わる。

 

「では国際会議の件についても?」

「ええ。和寧の他に、暹羅(シャム)緬甸(めんでん)越南(えつなん)も既に。貴国が既に根回しをして下さったおかげで案外事は滞りなく進みました」

「そんなご謙遜を。貴国の外交力の賜物でありますよ、これは」

「いやいや、これはあなた方のその姿勢があったからこそ、なのですよ?」

 

意味深な笑みを浮かべる江。

 

「越南はともかく、いくら深海棲艦との本土決戦で疲弊している暹羅や緬甸も他国の動向を極めて緻密かつ詳細に調べています。もし・・・・・・・・・。もし、貴国が特殊艦娘の扱いを少しでも違えていれば、結果は180度変わっていたでしょうな」

 

その発言を境に、比較的和やかだった雰囲気が一変。テーブルの上では笑顔で握手し、死角であるテーブルの下では容赦なくけり合うとさえ言われる外交交渉らしい緊張感が漂い始める。

 

この急変が予想外だったのか。江は苦笑を受け、場を取りなす。

 

「失礼しました。今の発言は決して、貴国に対する警戒感を現したものではありません。ただのたとえ話です。・・・・・・・ただの」

 

しかし、瑞穂人の2人は一向に緊張を解かない。

 

「確かに江外相のおっしゃる通りかもしれません。しかし、我が国も貴国と同様にそれなりの行動をとらせていただいております。その結果から思考するに、貴殿のご発言は相応の意味を含有すると受け取らざるを得ません」

「右派の件ですか・・・」

「・・・・・・・・・」

 

2人に確認するまでもなく、独白する江。その様子を妙泉は無言で注視していた。

 

「彼らはいつもあのような感じです。いちいち気にされていてはお体がもちませんよ? 保守の強硬派がどうであれ、我が栄中帝国政府の見解は一貫しています」

 

そういうと江はおもむろに立ち上がり、妙泉たちから見て右側にある窓に向かう。そこからは高層ビルに遮られつつも紫禁城を基点にして繁栄を極める北京が見える。彼は霞む街を見ながら続けた。

 

「貴国が特殊艦娘から得られた莫大な情報を元に軍拡に走っていれば、我が国もそして諸外国も相応の対応を取ったでしょう。しかし、瑞穂国は特殊艦娘の存在感を薄めようとしたとはいえ、得られた情報を使ってほくそ笑むことはなかった。だからこそ、我々はかの世界のような相互不信を抱くことなく、新たなる世界の構築に動き出すことができたのです。妙泉大使?」

 

景色から視線を外し、江は妙泉を直視する。細見からくる弱々しさを打ち払い、老練な仙人を思わせる風格を宿した江は問いかけてきた。

 

「あなたは祖国を愛していますか?」

 

常人なら沈黙する場面。しかし、間をおかず妙泉ははっきりと答えた。

 

「はい。愛しています」

「そうですか。私も祖国を愛しています」

 

江は再び視線を窓の外に向ける。そこに哀愁が漂っていることを2人は見逃さなかった。

 

「この街が深海棲艦はおろか、同じ人間の手で焦土と化すことだけは・・・・・・・・・・避けなければなりませんな」

「全く持って、そのとおりであります」

 

與語が力強く頷く。江は「ふっ」と爽やかに微笑した。

 

「妙泉大使。與語大佐」

「「はい」」

 

江が歩み寄ってくる。それに合わせ起立する両者。そして、林。いつの間にか室内の雰囲気は、緊張感は緊張感でも、決意を含む緊張感に代わっていた。

 

「これからよろしくお願い致します」

 

妙泉の前に進み出た江はそう言って、右手を差し出す。妙泉はしばらく呆然とした後、破顔した。

 

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 

そして、江の右手を握る。がっちりと握られる2つの手。その力強さはこれから先の世界を導く、灯の予感で満ちていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健気に輝く月光をも拒絶するほど、鬱蒼と生い茂った熱帯雨林。木々の葉によって天空と分断された世界に光は届かず、地上は一面の闇で蝕まれていた。その中で不気味に響く獣や昆虫の鳴き声。そして時たま轟く叫喚。濃すぎる生き物の気配は時として、生き物を殺す。

 

おぞましい殺気が闇を隠れ蓑に充満。どこまで行っても殺気。木の上にいても、殺気。洞窟の中に隠れても殺気。近傍に海という別世界があれど、終わりはない。

 

だが、殺気は唐突に終わりを迎える。突如、姿を現した人工物らしき家屋。木々の下にこっそりとたたずむそれは1つではない。壁や梁は熱帯雨林に生い茂る多種多様な木々を巧みに組み合わせ、屋根は歯や皮を積み重ねた防水性を有する一枚の板で建築されている。三方を急峻な崖で囲まれた入り江の傍に複数存在するものの、殺気を照らし出す弱光を漏らす家屋は1つだけ。

 

窓とおぼしき箇所は屋根と同じ板で頑丈に塞がれていたが、光に加え音の漏出を完全に防ぎ切れていなかった。

 

殺気が交代するとにわかに音の存在感が増す。

 

「それは・・・・・本当なの?」

 

凛々しさを感じさせる大人びた女性の声。それに答えた声も大人は大人だったが、少し幼さを残し、動揺を露わにしている。

 

「うん。しっかりとこの耳で捉えました。私も信じられないけど、事実です」

「・・・・・・ふぅぅ。普段なら再調査を命じるところだけど、ここまで私たちと一部が知らないことを言い当てているとなると無視はできないわね。例の一件もあったところだし。傷の回復具合はどう? さすがにこの世界の武装とは比べ物にならなかったでしょ?」

「その通りで。幾分楽になって来たけど、まだ無理そう・・・です」

「そう・・・・」

「すみません」

「謝ることはないのよ? もうこれまでのようにはいかないのだから。パラオが奪還された以上、ここにもいずれ・・・・・」

「じゃあ?」

「ええ。既にみんなには伝えたけれど、あなたも計画に則って準備を進めて。あまり日はないと思うから」

 

途絶える声。しかし、光と周囲を警戒する何者かの気配は例え殺意が逃げ出そうとも、緩められることない。もう“昔”と表現されるほどの前から綿々と続く光景。破壊を知らない植物たちは苔を代表格に本能のまま、人工物すら自然物に変えようとしていた

 




よくよく考えれば、第3章が始まってから8か月も経つんですよね・・・。第2章も長かったですが、第3章がおそらく記録を更新していると思います。



読者のみなさん、だらだらと続く本作をご覧いただきありがとうございました。

次回、「無の世界で」第4話。これで本作「水面に映る月」は3度目の区切りを迎えます。

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