「な・・・・・・な!?」
水平線からお出ましになって以降、発揮し続けてきた勢いを失い、とうとう惰性で天頂を目指すまでになった太陽。光量増加の影響か、足元が濃い紺碧色であるため今まで映らなかった自身の影が、速度に妨害されつつうっすらと浮かび上がる。
それは人間を仕留めるには過剰すぎるMk45 mod4 単装砲を撃ちあっているはるづきも同じこと。しかし、彼女の影は同じ速力で疾走しながら、ゆれにゆれていた。まるで内心の動揺を懇切丁寧に教えてくれるかのように。
「な・・・なんで、ど・・どうして!?」
微小の波にわざとぶつかり、その衝撃で正攻法では成し得ない急回頭を実現。サーファーの要領で右腕をMk45 mod4 単装砲ごともぎ取ろうと飛翔してきた砲弾を華麗によける。攻撃を続ける執念にはあっぱれだが、狙いがブレブレだ。
彼女の動揺ぶりを見ていると、傍から見れば確実に怖がられる邪悪な笑みが歯の間から漏れ出る。
「あんたは人間を舐めすぎ。そして、艦娘を舐めすぎ。日本人の癖に
その感懐を言葉だけでなく、Mk45 mod4 単装砲の引き金に触れる人差し指にも込め、引き金を引く。もう、何度目かメガネの表示を見なければ分からなくなるほど酷使してきた砲身、発射機構。それでも文句1つ言わず、使用者の命令を遂行し続ける。
「不用意・・・・? 馬鹿にしないで!!! 左遷組が!!」
真円と表現できるほど開いていた瞳が一転。狐のように鋭く釣り上がり、渓谷と見間違えるばかりに皺が刻み込まれる。そして、炸薬の破裂と空気の瞬間的な圧縮による突発的轟音。
「たかが人間ごときに・・・・あいつらは何やってんのよ!!! クッソォ!!」
FCS-3A 多機能レーダーがこの大地の丸みに抗えない以上、レーダー水平線以遠の詳しい状況は通常ならば分からない。対空画面に映る光点の動向、味方の性格や目標の挙動から推察するしかないが、眼前のはるづきとFCS-3A多機能レーダーの探知情報が推測とは名ばかりの明確な事実を与えてくれた。
敵別動隊の攻撃を受けた、MI攻撃部隊本隊。深海棲艦に対抗できる全艦娘を布哇泊地機動部隊殲滅に差し向けたため、戦況は絶望的と思われた。しかし、FCS-3A多機能レーダーは多数の味方艦載機がMI攻撃部隊本隊へ殺到する様子を克明に捉え、表示し続けていた。そして、はるづきの驚愕と動揺。
それによって、導き出される結論は1つだけ。MI攻撃部隊本隊は、勝ったのだ。自力で死に抗ったのか。空母航空隊が仕留めたのか、対水上捜索範囲外のため分からない。しかし、勝ったのだ。
(良かった・・・・・)
胸に広がる安堵。身体の内側に湧きあがる感情はそれだけではない。少しアクが強すぎるものもあったが、一時的な発散に過ぎない。
(私も・・・・がんばらないと・・・・・)
対空画面上。いくつもの光点が踊り狂う中、MI攻撃部隊上空からもう1箇所、光点が乱舞している地点に視線を移す。FCS-3A 多機能レーダーが捕捉した当初より、目に見えて数を減らしてしまった光点。しかし、その過酷な現実に立ち向かう光点たち、そして光点たちの下で奮戦しているであろう彼女たちの努力の成果は着実に上がっていた。
(あともうひと押し・・・・・・・・。みんな、頼んだ)
度重なる演習でボコボコにしてしまった小さな英雄たちが操る光点と区別されたもう1種類の光点。一時は顔見知りたちよりも多かったそれは今や数えられるまでに減っていた。
相変わらず給弾ドラムの変更時を除き、一定のリズムを刻んでこちらへ猛進してくる砲弾。足元に落ち、脇腹をかすり、破片で往生際の悪さを誇示する。それらに耐え、こちらも一定のリズムを刻んで引き金を引き続ける。
仲間の勝利に励まされて。
「でも、構わない。どうせ、いつかは沈む鉄くず。無意味な延命に過ぎない。これで残るはあんたと旧世紀のおいぼれ。先に沈むのはどっちか・・・・・・・え?」
明らかに演出していた余裕が突然、消滅する。はるづきはみずづきとは反対方向へ瞬時に顔を向け、固まった。
予想だにしなかったその行動が、その不注意が。
「え?」
「あ・・・・。しまっ!?」
ようやくMk45 mod4 単装砲の役割を中途半端ではあったが果たすことになった。
「いつっ!?」
はるづきの足元近傍に着水し、水柱と共に盛大な爆煙を上げるみずづきの砲弾。そこから四方八方に飛び散った破片はこれまでとは比較にならないほどの損傷をはるづきにもたらした。先ほどまで盛大に光弾をばら撒いていたCIWSは着実に砲弾を追尾していたが、弾幕を張ることはなかった。
飛び散る鮮血。割ける皮膚。えぐられる艤装。苦痛に歪む顔。それは彼女が小破したことを示すには十分すぎる光景だった。
「・・・・・・・・・・・・・はるづき」
果てしない近接砲撃戦の幕が切られてから、初めての戦果。歓喜が浮かんでもおかしくない。おそらく、相手がただの深海棲艦なら今ごろ破顔していただろう。しかし・・・・・・・。
「ちっくしょう・・・・・・。まだ、まだ・・・・・っ!!!」
いくら変わり果ててしまっても、いくら止めると決意してもかつて同じ釜の飯を食った仲間の傷づく姿には・・・、あきづき型特殊護衛艦の艤装がボロボロになる情景にはさすがに喜べなかった。
「一体、どうしたんだろ? いきなり、注意を私から逸らして・・・・・・」
今まで「殺す殺す」と執着されてきた存在からすれば、当然の疑問。はるづきの顔から何かを探ろうとしても、彼女は「まだ・・・まだやれる」と呪詛を呟きながら死に物狂いで砲弾をばら撒くのみ。彼女の闘志は形を変えて、周囲に水柱を林立させる。
「これじゃっ! なにもっ! 分からないっ!!」
回って、駆けて、止まって・・・・走る。不可解な事象の答えを見つけられず苛立つ。火に油を注ぐように前後左右から、もういやほど浴びた海水が血気盛んに襲い掛かってくる。ますます体が熱せられるが、一時的な身体の冷却は思考の海に漂っていた欠片を1つの糸で結んだ。
「あ・・・・・・。もしかして・・・・・・・・」
閃いたとある可能性。それは。
「もしかして・・・・・ではない」
突如鼓膜が揺さぶられる。はるづきではない、絶大な信頼感を供与してくれる声で。
「そうに決まっている、だ」
事実であると証明された。
「な・・・・・長門さん!!!」
まだ分離してからそう時間が経っていないにもかかわらず、随分と久しぶりに思える。あまりの嬉しさに大声を上げてしまう。向こう側からは複数の苦笑が聞こえてきた。
「待たせたな、みずづき。こちらは片付いた。今からそちらへ向かう。もう少し耐えてくれ」
「ほ、本当ですかって・・・」
「みずづき! 回れ!!!!」
貴重な安堵の空気を叩き割るように、聞いたこともない切迫感に溢れたショウの声が全ての音を覆い尽くす。反射的に大きく円を描くように回頭。
「っ!?」
ほんの一秒前まで自身がいた場所が泡立つ。ここへ来て初めて、背筋が凍った。ショウの怒号が飛ぶ。
「ばかづき!!! ぼーっとするな!!! ここは戦場だぞ!!」
「ご・・・ごめん!」
あまりの気迫に、しのごの言わず謝る。それに今のは完全に自分に非があった。はるづきは小破しようと動揺しようと関係なく、虎視眈々とこの命を狙っている。そして、小破とは言ってもまだまだ戦闘能力は健在。侮れば、一気に気勢が決する。
「みずづき! みずづき!!! 大丈夫か!? みずづき!!」
突然の怒号と爆音で、無線越しでもこちらの状況が長門たちに伝わったようだ。長門が必死に呼びかけてくる。これに応えようとはるづきを睨みつつ口を開くが。
「来られるもんなら来てみなさい。隔絶した未来を前に自分たちがどれほど無力で、どれほど劣っているのか・・・・・。こいつとは比べ物にならない残忍さで思い知らせてあげるから」
もう、はるづきに笑みはない。怨霊のように恨み辛みが蓄積した恐ろしい形相でとある一点を、おそらく長門たちがいる方向を睨む。その言葉が単なる脅しではない可能性にいきつくが、はるづきの艤装が否定する。
はるづきのSSM4連装発射筒は全て空だった。
「その言葉、しかと受け取った。吐いたことを後悔させてやる。大日本帝国海軍の実力、首を長くして待っていろ! ・・・・みずづき!!!」
「はい!」
「頼んだぞ!!!」
はるづきと接触する前。まだ薄暗い赤城たち空母機動部隊と分離した直後を思い出す。
「みずづき? 正攻法ではるづきに勝てると思うか?」
あの時、長門はみずづき1人に通信先を限定したうえで、後方を航行する鳥海に気取られないよう静かに問いかけてきた。
「この人数で数に任せて押せば、勝てるとは思います。しかし・・・・」
「しかし?」
「それなりの損害は生じると思います。はるづきは私と同一の性能です。機動力に長け、CIWSを使用した直撃弾を撃ち落とすことも可能。対してこの主砲は長門さんたちなら百発百中とは言えませんが、ほぼ命中します。そして、砲弾は重装甲用の多目的榴弾と思われ、最悪・・・・・・・・」
その先は言えなかった。
「そうか。では、やはり・・・・・・・・」
長門が意味深な呟き。その内容は伺う前に彼女から語られた。
「榛名や戦艦棲姫に使った戦術を覚えているか?」
「・・・・・はい。ロクマルを使った例の・・・」
そこまで言って、彼女が何を言いたいのか分かった。
「それをはるづき相手に?」
「そうだ」
長門は断言する。みずづきは悩んだ。しかし、思考の末、長門の提案に乗ることにした。
「分かりました。ちょうど、使えそうな武装が揃っているところです。砲撃戦の距離ではSSMはおそらく使えませんし、レーダーに妨害をかけ戦闘能力を奪おうにも対抗手段があるため打開策とはいいがたいですし・・・・・。では・・・・・」
「ああ。時機はお前に任せる。自分のタイミングで飛ばしてくれ。それは我々にとっても、みずづきにとっても大切な装備だからな」
みずづきにとって大切な装備。長門はどういう意味で言ったのか。勝利を掴むための兵器としてか。それとも・・・・・・・・。みずづきは両方とも意味が込められていると解釈した。長門にもロクマルが本当は誰の機体か、話していたのだから。
それからしばらくして、みずづきが搭載しているSH60-Kはレーダーに細心の注意を払い、超低空で発艦。現在は位置の露呈を防止するため、通信・データリンクともに切断した状態で飛行しているはずだ。はずだと言ったのは、みずづきの各種レーダー画面にも捕捉されておらず、どこを飛んでいるのか分からないからだ。
ただ、こちらが盛大にレーダーを稼働させているため、ロクマルにはこちらの位置が伝わっている。みずづきが捉えられていないということはすなわち、はるづきにも捉えられていないということ。
「今のところは順調・・・・・・・」
砲声がめっきり減った海上。その上をはるづきと視線を交差させながら、駆ける。
「いっつ・・・・・」
下腹部に走る鈍痛。かすかに鉄の匂いが鼻腔を突く。肉体の方はそれほど順調でもないようだ。
「あっちもそろそろ残弾が厳しいみたいだな」
「まぁ、こっちもだけど」とショウが続けて呟く。Mk45 mod4 単装砲の残弾を示す画面は多目的榴弾の危機的状況を告げていた。
「調整破片弾はたっぷりあるんだけど、当たっても嫌がらせにしかならないからなぁ~~」
長かった戦闘は確率論を根拠にした乱れ撃ちから、自身の技量を信じた一撃必殺に移行していた。
「てか、よくもまぁあれだけの砲撃受けて、至近弾で済んだな。治癒能力以外は変化ないと言った前言、撤回しておくよ」
「もう、今更・・・・。これがなかったら、おそらく私沈んでたしね」
はるづきを視線で牽制しながら、身体のあちこちに刻まれた傷跡を一瞥する。既に驚異的な治癒能力のおかげか傷口は塞がり、出血は収まっていた。下腹部を除いて。
「それより・・・・・もうそろそろころあ・・・・っ!」
こちらに殺意を向けるはるづきのMk45 mod4 単装砲が光った。彼女が“やれる”と思った瞬間だけに、酸素が必要不可欠にもかかわらず息が止まる。主機の回転数を落とし、惰性で海上を駆けながら、回頭。間一髪のところで一撃を躱す。しかし、安堵も束の間。
「ん?」
激しく回る視界から解放され、はるづきを見た時。こちらを睨む、はるづきのCIWS。先ほど、左腕を抉った一番ではなく、実艦でいうところのヘリコプター格納庫上部に設置されている2番と視線があった。
「何をする気?」
「・・・・・あっ!? ま、まずい!! みずづき! 回避! かいひぃぃぃ!!!」
「え?」
ショウが狂ったように絶叫する。しかし・・・・・。
「い!?」
反射的に身体をねじった瞬間、下腹部に走る激痛。突発的な電撃に足が動かなかった。
CIWSが音速目標から、水上を駆ける小型艇まで瞬時にハチの巣にするタングステン弾を文字通り目にも止まらぬ速さ、連射性能で発射。それは予想外にもみずづきの後方に照準が合わせられ、わずか2秒ほどで停止。しかし、毎分4500発を誇る連射性能から空中を飛翔、または海面で跳弾し十数発がみずづきに命中した。
タングステン弾、それ自体の威力はそれほどでもない。せいぜい、皮膚を切り裂く程度。しかし、小さな石ころでも死に至る場合があるように、些細な一撃でも当たり所によっては致命的損傷を与えかねない大打撃となり得る。その要因がみずづきの艤装には備え付けられていた。
「SSM、パージ!!!」
ショウが咄嗟にみずづきの意思を確認せずに背負っている爆弾を切り離しにかかるが、彼の判断が早くともパージに至る艤装の動作が遅すぎた。
「あ・・・・・。そっか・・・・。はるづきの狙いは・・・・・・」
みずづきの艤装から離れゆく4発の
「きゃああああああああああ!!!!!」
重力の縛りから解き放つとてつもない衝撃が背中を直撃。そして、脳裏に火花を散らせるほどの激痛と灼熱。それに脳を炙られながら、水切り石のように海上を豪快に跳ねる。跳ねる。跳ねる。ただ跳ねるだけならまだ救いはある。だが、海上は液体の表面とはいえ、高速でぶつかればコンクリートとそう変わらない衝撃を伴う。炸薬+燃料によって発生した爆風によって海水のクッション効果を得られないほど加速した体は海面によって、ますますダメージを追っていく。
「あ・・・・あがっ!!」
口内全体に不快極まりない鉄の味が広がり、酸素を取り込もうとした瞬間、気管に侵入。無意識のうちに鮮血を吐き出す。
「あ・・・・あ・・・・」
「みずづき!!! みずd・・・・き! くそ!!! こうな・・・・・・・てやる!!」
(い・・・・息ができない!!!)
息苦しさと声を発しそうになる激痛を我慢し、大パニックに陥る体を落ち着かせる。気道の痙攣を強引に押しのけ深呼吸。
「ゴホッ!! ゴホッ!! げほっ!! はぁ・・・・・はぁ・・・・あああっ!!」
息苦しさの次は日向灘沖以来の激痛が全身を駆け巡る。
(やばい!! これはかなりヤバい!!)
直感が、現状を中破以上と判定する。必死に立とうとするが、立てない。先ほどの衝撃で下腹部の傷が完全に開いたらしく、鮮血が面白いように溢れてくる。
「損害は・・・・・」
鳴り響く警報音、メガネは警告を表す真っ赤に染まり、それは淡々とプログラムにのっとって「大破」を告げていた。
3連装魚雷発射管は使用可能。FCS-3A 多機能レーダーも健在。しかし、元凶となったSSM4連想発射筒はもちろんのこと艤装の表面に設置されていた2基のCIWSは完全に損傷。もう、使用は不可能だった。加えて、頼みの綱であるMk45 mod4 単装砲は装填機構が動作不良を起こし、発射機構しか生きていなかった。これは発射待機状態にある1発しか、もう撃てないことを意味する。
そして、なりより深刻な事態。
「そんな・・・・・・通信機能が・・・・」
全て失われていた。これではロクマルへ奇襲攻撃が下令できない。かの機体には人工知能が搭載されているとはいえ、使用者の命令を受けて臨機応変に対応するタイプの受動的な人工知能であり、ショウとは全く異なる。そのため、こちらの命令がない限り、動かない。
「これで・・・・ようやく・・・・」
「!?」
はるづきが無表情で近づいてくる。Mk45 mod4 単装砲を右手に構えて。全身から血の気が失せ、昼間にもかかわらず吹きずさぶ寒風が臓物全てを凍り付かせる。慌てて、煤で真っ黒になりつつも健在なMk45 mod4 単装砲を向けようとするが上手く右手が動かない。後退しようにもようやく重力に逆らった足は生まれたての動物のようにがくがくと震え、主機も唸らない。
「私は復讐への一歩を・・・・・・・」
「このぉぉぉぉぉ!!」
力に物を言わせ、ようやく動いた右手をはるづきへ突き出した時には、もう・・・・・・・。
「くそ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
はるづきは目の前にいた。
~~~~~~~~~~~~~
「これでようやく・・・・」
長かった。ここまで来るのは本当に長かった。時間的な尺度ではない。時間だけに焦点を絞れば、この身は眼前の存在に比べれば新参者。
時間は常に一定ではない。流れる時間は一定でも、感じる時間は心の在り様によって変動する。
彼女よりも旅路は長かった。その自負は決して揺るがない。
「私は復讐への一歩を」
全身から鮮血を流出させていくにつれ、血の気を失っていくみずづき。気合いだけを頼りに立ったは良いものの、先ほどまでの気迫はどこへ吹き飛んでしまったのか。脳が焼き付くほどの激痛に苦しみ、酷使に対し足が猛抗議を行っている今となっては、自身の脅威でも、深海棲艦全体の脅威でもなかった。
ただの、死にかけの少女。外見とは裏腹にいまだ闘志を捨てていない彼女の前に立ち、変わり果ててしまった主砲の砲身を向ける。
「くそ・・・・・・・」
彼女の砲身と自身の砲身。どちらが敵を葬るのか。未来は一目瞭然。意地で向けたは良いものの、ろくに照準を合わせられなければ威嚇にもならない。醜態を晒しているだけだ。
引き金を引けば、全てが終わる。いや、始まるのだ。かけがえのない存在を容赦なく無慈悲に奪っていった世界への、理不尽を許容する世界に胡坐をかいた魑魅魍魎への、正義の鉄槌を下す、一本道へ。化け物に堕ちても望んだ目標へ。
なのに、どうしてだろうか。これほど単純明快な動機があるのに、どうしてだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
みずづきの顔面を睨むMk45 mod4 単装砲。その引き金を引くことが・・・・・・・・できなかった。
「な・・・・・・んで。どうしてよ・・・・・どうして・・」
自分のことにもかかわらず、分からない。どれだけ自問自答しても、分からない。「分からない」が狭い脳と心を埋め尽くす。
分からない。なぜ、引き金を引くことができないのか。
真実を知ってもなお、この世界に希望を見出し前へ進もうとする姿が、殺意を抱くほど憎らしいのは事実。この世界の人類を殲滅する上で最大の危険要因となるみずづきは最優先排除対象であることも事実。
そう分かっているにもかからず、いざ眼前に血まみれの顔見知りが立っていると引き金が引けない。分からない。
分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない!!!
「先輩はどうして艦娘になろうと思ったんですか?」
唐突に大切な存在が手を差し伸べてきたのは、そんな時だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・え?」
この世界へやってくる前の、まだ人間だったころの記憶。あれは徐々に秋の足音が近づいていた彼岸のとある日だった。
―――――
「先輩はどうして艦娘になろうと思ったんですか?」
ガラス窓の外に広がる、平和だったころと変わらない海からこちらに視線を向けるながなみ。一度目の言葉を完全に無視されたからか。口調には若干とげがあり、頬がフグのように膨れていた。
女川基地のある一室。先ほどまで作戦総括が行われていたが、もうここには自分とながなみしかいなかった。
「何、その顔。プっ、面白すぎ・・・・」
「面白すぎって、ひっどーーい!! 原因は先輩じゃないですか!!! あっ!? まさか、私のこの顔が見たいばっかりに? そんな・・・・・先輩にそんな性癖が・・・・」
「あるわけないでしょ!!」
「私、口軽いからうっかり隊長に・・・・」
「やめて。それだけはマジやめて。あの人、堅物すぎて冗談きかないんだから・・・・はぁ~~」
彼女の意図をはっきり理解しているため、このデキレースに付き合うことが億劫になってきた。ため息をついた瞬間、しぼんでいた雰囲気が一気に明るくなる。無邪気の皮を被ったしつこさには何度も轟沈させられているため、ここは素直に応えることにした。
「前にも言ったでしょ? 私は食うに困って、入っただけ。前にも話したけど、両親は第9次仙台空襲で焼死。姉はびた一文のために身売りした挙句、金目当てで殺された。兄は白米一合のために死んだ。だから、私にとっての最優先は食べ物のことで・・・・」
「嘘ですね」
何度も言い繕ってきた防壁は、この時初めて一刀両断された。
「なっ。嘘ってあんた・・・・・」
最後まで抱いた感情が吐露されることはなかった。こちらの目を見つめる、ながなみの迫力ある瞳。こちらの口を強制的に閉じさせるほどの真剣さを前に、はるづきは観念せざるを得なかった。
視線を交差したままでは気恥ずかしく、窓ガラスの外に目を向ける。今日は一日曇天続きだったが、天気予報の通り雲の切れ間から日光が降り注ぎ始めていた。
「みんなに希望を持ってほしいから。ただそれだけ」
「希望?」
ながなみがゆっくりと復唱する。
「そう、希望。人間ってさ、なくして初めて大切なものの偉大さに気付くんだよね。おにいを看取った時、私の目の前から全ての希望が消えた。残ったものはただの闇。どこまでも暗くて、どこまでも寒い。ちょっとやそっとじゃ、光が届かない。だから、何も見えなかった。進むべき道も、今こうして生きている意味も。・・・・・・・今でもあの時を思い出すと震えてくるの」
「先輩・・・・」
「だから、本当の絶望を知ったからこそ・・・・・・・もう、誰にも自分のようになってほしくないと思った。希望をもって人生を歩んでほしかった。既に日本はぼろぼろ。多くの人が大切な人を亡くした。あの頃なんて、もうどうやったって取り戻せない。なら、希望をもって別の未来を創り出せばいいだけ。そこに自分のような人間がいなければ、私がここでこうしている意味は・・・・・ある、はず・・・・・だから」
言葉を重ねるごとに頬が熱くなっていく。じっと固定された視線がますます体を火照らせた。長い静寂の後、ながなみは優し気にこう言った。
「先輩は希望に憧れていたんですね」
「あこ・・・・が・・・れ?」
意味が理解できない。視線で説明を求めるが、ながなみはそれを無視し、母性に溢れる笑顔をたたえた。
「ありがとうございます、先輩。話してくれて。やっぱり、先輩は先輩です。その目標・・・・・・・・叶えて下さいね」
「ながなみ・・・・・・」
その美しさに思わず、見惚れる。ながなみは面白がることもなく、生返事を返すこともなく、背中をしっかりと押してくれた。
―――――
「そっか・・・・・・私は」
引き金にかかる人差し指の力が抜ける。
なぜ、あれほどみずづきを憎らしく思ったのか。
なぜ、殺意を抱いたにもかかわらず、引き金が引けなかったのか。
やっと、分かった。
「みずづきに憧れてたんだ・・・・・・・・」
あれほどの理不尽を受けても、その真実を知っても屈しなかったみずづき。前を見続けたみずづき。希望を持ち続けたみずづき。
そんな彼女だからこそ、はるづきは憧れた。そして、殺したいと思った。似たような境遇でありながら、対照的な道を進んだ両者。比較してしまえばどれだけ自身が弱く、生半可な存在か白日の下に晒されてしまう。それがただ怖かったのだ。
苦しむ顔が見たいだの、断末魔が聞きたいだの、それは醜い劣等感の延長線上に過ぎない。
だからこそ、憧れたからこそ一方で殺したくないと思ったのだ。彼女を殺してしまえば、自身の信念は、信念を抱かせるきっかけとなった家族の死は、信念を認めてくれたながなみの微笑みはどうなるのだろうか。否定にほかならない。
否定しても構わない。そう誰かが言う。信念を抱くに至った過程は全て魑魅魍魎の計算通り。作為に満ちた偽物、と。それはそうだ。
それでも、はるづきは自身の信念を、信念を抱かせるきっかけとなった家族の死を、信念を認めてくれたながなみの微笑みを否定することができなかった。
「私は一体・・・・・何がしたいの」
ここまで来て、既にこの世界の人間を殺しておきながら、かつての仲間を死の間際まで追い込みながら、足が完全にすくむ。
復讐したい。何度も過ちを繰り返す人類を終わりにしたい。
これも事実。
人々に希望を抱いてほしいと願った信念。
これも事実。
「れ、レーダーに新手!? これは・・・・・・。やっぱり・・・・・・」
今にも膝が折れそうなみずづきから一直線に横たわる水平線へ視線を移す。
「隠し玉、持ってたか・・・・・」
メガネに表示、ではなくもはや感覚と一体化しているFCS-3A 多機能レーダー。引っかかった新たな目標を前に、堂々巡りの様相を呈していた思考は停止する。
一時的に。そして。
永遠に。
~~~~~~~~~~~~~~
はるづきが言った、隠し玉。それは彼女が捕捉できた以上、幸運にもFCS-3A 多機能レーダーが健在であったみずづきにも捉えられた。
味方機の符号が振られた光点。その中でも1つしか存在しないはずの識別符号がその光点には振られていた。
「ろ・・・ロクマル!?」
予想だにしなかった事態にはるづきが眼前にいながら、大声を出してしまう。発生による激痛に浸っている暇などない。
第一回横須賀鎮守府演習時において榛名に、石廊崎沖海戦において戦艦棲姫に使用したSH-60K装備の対艦ミサイルによる攻撃。これをはるづきにお見舞いするため、ロクマルははるづきから24km圏外の高度5m以下という超低空で待機していた。この高度で24km以上離れた位置を飛んでいれば、FSC-3A 多機能レーダーには捕捉されない。
しかし、現在ロクマルは高度そのままに一路、東へ、こちらへ向け最高速度ぎりぎりの140ノット(時速約260km)で猛進していた。
「どうして・・・・。私、命令なんて下してないのに。通信機能は完全にいっちゃてるし・・・」
そう思った時、激痛と置かれた状況の過酷さに圧迫されていた耳元の静けさが耳についた。いち早くはるづきの意図を看破し、大声でこちらへ警告を与えた彼。その彼の声はあれ以来、一切聞こえなかった。真っ先に声をかけてくれそうなショウが。
「もしかして・・・・・・あいつ・・・」
その可能性へ至るのに、そう時間はかからなかった。なぜなら、彼がここにいないのだから。
「哨戒ヘリ風情がこの私に? あんたもやきが回ったもんね」
そう言って、はるづきはみずづきから距離を取り始め、Mk45 mod4 単装砲の砲口を西の空に向ける。
「いいわ。あんたのささやかな抵抗、一瞬で叩き落してあげる。お楽しみはその後で」
無表情で語るはるづき。一方のみずづきは湧き上がる疑問に翻弄され、自問自答を繰り返していた。
(どうやって、あいつロクマルに? それより仮にあの状況で移動したのだとしたら・・・・)
彼がどれほどの情報量で生きているのかは分からない。彼が名乗り出るまでみずづきの艤装にいることが分からなかったことからそこまで莫大な情報量を有しているとは考えづらいが、矮小でもないはず。そんな存在が通信機能喪失の一瞬手前に移動すればどうなるか。そして、そんな存在が艤装に比べ貧弱な記録媒体しか持たないロクマルに無理やり乗り込めばどうなるか。いくら大容量のデータ通信が可能とはいえ、一瞬で完了する訳ではない。
(情報の欠損は避けられない・・・・)
電子的な存在の彼にとってそれは体や意識を削り取られるようなもの。そのような荒療治を行って彼は大丈夫なのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・いつっ!」
先ほどまで火照った体を冷やしてくれていた寒風が、今では傷口を弄ぶ厄介者に代わっていた。
彼我の距離が20kmを切る。先手はロクマルが打った。対空画面上に1つの光点が出現する。現れた瞬間、一気に加速すると速度はあっという間に音速を超える。
「なっ!?」
途端にはるづきの悲鳴のような金切り声が響き渡った。
「これ、
VLSの蓋を解放しながら、睨んでくる。痛みと体温低下でそれどころではなかったが、不敵な笑みを向けてやった。はるづきの顔が憤慨に染まる。
妖精、様様だ。
「所詮はただのミサイル。こんな子供だましが私に通用するかっていうの!!」
はるづきの艤装がまばゆい光に包まれ、4つの輝きが西へ飛翔していく。いつもは頼もしくみえるそれが今回ばかりは絶望の権化に見えた。
視覚に留まらず、レーダー上にも現れるはるづきのESSM。お互いに向かい合っている両者は即座に肉薄。まず、音速で飛翔していた1つの光点と2つの光点が消滅した。
「これで・・・・王手よ!!」
残るロクマル。かの機体に迫る2発のESSM。はるづきは勝利を確信していたが、みずづきは敗北にうなだれてなどいない。まだ、負けたと決まったわけではないのだから。
ここはあのミッドウェー諸島海域。慢心や
ロクマルから2発の光点が新たに出現。それらははるづき、ではなく猛烈な速さと的確性で目標の消滅に邁進しているESSMへまっしぐら。
「うそ・・・・・・・」
外れることも、あさっての方向へふらつくことも、すれ違うこともなく
呆然自失のはるづきへ、満を持して放たれる2発目の
ロクマルは既にはるづきから15kmの空域に進出。そこからスタートダッシュを切った
苦し気にMk45 mod4 単装砲を西の水平線上へ向けるはるづき。注意は完全に空へ向けられ、脇ががら空きだった。
「作戦・・・・どうり・・・ね。あとは・・・・・・・」
背負っている艤装へ振り返る。
「お願い・・・・開いて」
現代艦や軽巡・駆逐級なら一撃で戦闘不能に陥れられる12式魚雷が詰まった3連装魚雷発射管をレーダー波や海水から守るシャッター。被弾した影響により、それはいくら指示を出しても一向に開かなかった。
「お願い・・・・お願いだから!」
いくら
それだけではない。もし
「ロクマルは絶対、撃ち落とされるわけにはいかない。あそこにはショウがいるの! あの機体は・・・・・」
“今までありがとうございました。お元気で・・・・”
自分を犠牲にしてでも救ってくれた、かげろうの形見なのだ。この身を死に追いやった潜水艦を仕留めてくれた戦友なのだ。
「だから、動いて!!!」
それでもシャッターは動かない。開閉装置の唸りは聞こえてくるが、動かない。そうしている間に、無情にも紅蓮の花が咲いた。
はるづきが主砲の砲身を微調整する。悲鳴など関係なく意地でも阻止しようとMk45 mod4 単装砲を構え、引き金に人差し指を乗せる。
だが、あと一歩及ばなかった。
狭い砲身から吐き出される硝煙と衝撃波。一直線に飛翔していく砲弾。砲弾はまるで磁石のようにロクマルへ吸い寄せられ・・・・・・・・・・・、対空画面上からロクマルの反応が消えた。「LOST」と無感情に表示される。
「そ・・・・そんな・・・・・・・・・」
思考も、息も停止した。かけがえのない存在の消失を前に、全身が凍り付く。だが、みずづきは過去の教訓を学ばないバカではない。ここで固まっていては、はるづきに撃たれた時と何も変わらない。
震える足を海面に固定し、心を奮い立たせる。
過去との、起こってしまった出来事との向かい方。それは日本で、そして艦娘たちや百石たちと共に歩んできたこの瑞穂で学んだ。完全凍結を一歩手前で阻止し、心に火を入れる。血まみれの左手。曲がってはいけない方向へ限界まで曲げて、無理やりシャッターをこじ開ける。手のひらに艤装の破片が食い込むが、構わない。
ようやく日の光を浴びた3連装魚雷発射管。命令に従い発射管を斜めに指向させると、獰猛な視線を海面上の一点に集中させる。彼我の距離、約300m。これほどの至近であれば、こちらの動きを中止していない限り、必ず命中する。
「無様なものね。一体何がしたかったのか。さて、邪魔なハエは片付いた。今度はあん・・・た・・・・を・・・・・」
「ふっ」
こちらへ視線を向けた瞬間に、安堵で緩みきっていた表情をこわばらせるはるづき。不敵に口元を歪めるのと同時に、発射の命令を下した。
「一、二、三番、てぇぇぇぇぇ!!!!」
ショウとロクマルの犠牲を、この身が受けた苦痛を込めて、腹の底から叫ぶ。圧縮空気の反発力に背中を押され、軽やかに躍り出る魚雷。遠慮なく水しぶきをあげると、スクリュー始動。なんの躊躇もなく、一直線に目標へ突き進む。
「んな!? 対潜用装備を対艦用に使うなんて、なんてデタラメ!!」
驚愕もそこそこにさすがは特殊護衛艦。誘導魚雷を前にして、即座に
「よし!! このまま・・・・」
「あんたの相手は魚雷だけじゃない!!!」
「っ!?」
煤と血で汚れたMk45 mod4 単装砲。装填機構が動かなくとも発射機構は生きている。発射待機状態を強いられ、被弾の影響を運よく逃れた一発が籠った砲塔をはるづきに向ける。しかし、引き金を引いたはいいがそれの目標ははるづきではなかった。
唯一生き残った3番魚雷の進行方向に上がる水柱。それに引きずられ、デコイも破片をまき散らしながら宙を舞い、無様に沈んでいった。その脇を12式短魚雷が疾走。彼の目の前には全身を驚愕に染めているはるづきがいた。
「うそでしょ!? あ・・・あんたこそ、化け物じゃ・・・・」
その言葉は最後まで紡がれることはなかった。
「!?」
後継となった言葉は、もはや言葉でもないうめき声。それすらも炸薬の爆発によって生じた爆音と水柱の音に遮られ、姿もろとも存在を抹消される。12式短魚雷三番は見事、はるづきの左舷側に命中。ほぼ直撃の形となったはるづきは衝撃のあまり、水柱からもはじき出され、全身を使って海面を滑走。水とは思えないほどの硬さを示す海面に顔面を叩きつけられ、停止した。
「・・・う・・・・ぐはっ!?」
彼女を起点として、海面が真っ赤に染まっていく。ほぼ原形をとどめないほど破壊され尽くした艤装。白髪も白い肌も全て鮮血で染め上げた全身。砲身がひしゃげてしまったMk45 mod4 単装砲。左腕は肘から先が消えていた。
それでも彼女は戦意を失わず、立とうとする。
「私は・・・・・まだ・・・・まだ! こんな・・・ところで・・・・こんなところで・・・」
だが、轟沈が目前に迫った大破状態の彼女にはどこにも重力に抗う力は残っていなかった。
はるづきは力尽きたように、うつぶせに倒れ込む。海水につかった白髪がゆらゆらと揺らめくが、彼女の動きはそれだけだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
勝利。眼前の光景がそう強調してくる。しかし。
「全然嬉しくないや・・・・・・・・・・」
徐々に霞んでくる意識の中、高揚感も幸福感も何も湧かない。あるのはただ喪失感と無力感のみ。
彼女を止められた。ただ、これが“本当に”正しい選択だったのか。「澄」と何気なく読んでくれた親友を、残酷な世界にどこまでも翻弄され続けた彼女を
これは一生かかっても、答えが導けそうになかった。
「最後にせめて、看取るだけでも・・・・・・・」
そう思い、自らも瀕死状態でありながらダメコンの活躍により、数ノットだけ発揮可能になった主機を動かし、沈没を待つだけとなった彼女に近づく。
何もかも変わり果ててしまった少女。それを見ると、怒りとも悲しみとも、後悔とも懺悔ともいえない、複雑な感情が沸き上がってくる。
その時だった。FCS-3A 多機能レーダーに見慣れた光点が現れたのは。
「うそ・・・・でしょ・・・・・」
メガネに出現した光点が、表示された識別符号が信じられない。だが、これはFCS-3A 多機能レーダーの誤作動でもましてや幻覚でもない。
「航空機、収容用意・・・・」
格納庫のシャッターは吹き飛んでいるが幸い、後部甲板の被害は軽微。着陸及び収容に影響はなかった。
「まったく、私は・・・運が悪いのやら・・・・ついているのやら・・・」
ロクマルの鼻先を見ていると日向灘沖での最後も思い出す。あの時も瀕死の状態で激痛に抗いながら必死に艦の動揺を抑えていた。追憶するとこの神経を焼き尽くす激痛も味覚細胞を汚染させる血の味も懐かしく思える。
みずづきに接近し、着陸態勢に入るため一旦周囲を旋回するロクマル。機体右側に攻撃を受けたようで、ドアは吹き飛び、底面の磁気探知機も中が完全に露出している。しかし、メインローター、テイルローター、エンジンともに被害は軽微らしい。調整破片弾を至近に食らいながらこれとはまさしく幸運の一言に尽きる。
旋回後、艦尾に機首を固定し、ゆっくりと近づいてくる。そして、艤装に無くなって久しい重みが加わった。ロクマルも安堵したのだろうか。着艦を完了させた瞬間、エンジンが勢いよく黒煙を吹き出し、唸りを停止。同時にメインローターとテイルローターの回転も止まった。
「・・・・・・・お疲れさま。ありがとうね」
いつかと同じく、ポンポンと艤装の格納庫あたりを優しく叩く。ジリリリと砂嵐を発生させた後、彼の声が聞こえてきた。
「・・・・・・・・・・。へへへっ、どうだ? 俺、大活躍だっただろう?」
どうやら、艤装内のデータ通信機能は生きているようだ。胸を張るショウの声が聞こえてくる。だが、笑みの中に苦し気な響きがあった。
「本当にあんたってやつは。・・・・・・いろいろ言いたいことはあるけど・・・・ありがとう。あんたのおかげで私は死なずに済んだ」
「勝った、とは言わないんだな?」
海面に横たわっているはるづきを一瞥する。
「客観的に見れば勝利だろうけど、私はどうであろうとかつての仲間を殺した。気持ちいいものじゃ・・ないじゃんか?」
「愚問だったな。すまない」
一拍の沈黙が訪れる。彼が何かを言いたそうにしている雰囲気は伝わってきた。相変わらず傷口を刺激し続ける寒風が、その言葉の内容を教えてくれた。
「やっぱり、そうなの?」
「・・・・・・・・・・・・・」
すぐに答えない。驚いているのか。苦笑しているのか。ショウはいつも通りの口調で答えた。
「ああ。俺も少し海防軍人の根性主義に毒されたようだ。情報の欠損が激しくてな、もう人工知能としての機能も、自己も保持できそうにない」
「なんとか・・・・・・・ならないの?」
ショウが意味するところはすなわち、死。自我を持ち、感情を有する以上、人間と同じ死だ。例え人工知能であろうとも死が目前に迫っている存在を見捨てることなどできない。彼は影からこの身を見続け、知山の願いを果たし、命を救ってくれた恩人だ。だから、なんとか生きてほしい。そう思った。
しかし、彼は。
「ならないな。それに・・・・もともとここで退場する気だったし」
「え・・・・」
死を受け入れていた。
「退場する気だったって・・・・」
「そのままの意味だよ。君に真実を伝えると判断してから、決意していた。引き際をどうしようか悩んでいたが・・・・・・」
ショウは笑った。
「これ以上ない幕引きだ」
「どうして、そんな・・・・・・・・」
みずづきには死を前に笑う彼の気持ちが分からなかった。
「生きたくないの?」
「そりゃ、生きたいさ。俺だって、死ぬのは怖い。これから世間の情報に接することも、分析することも、みずづきの顔を見ることもできなくなる。完全な無。考えただけで末恐ろしい」
「だったら・・・・」
「でも、それ以上に怖いことがある。俺はこの世界に日本世界が生み出したおぞましい惨禍をもたらしたくない。その原因になりたくないんだ・・・・・・・」
ショウの声が震える。そこで初めてショウの真意と、ショウの存在がもたらすインパクトに思い至った。
「俺には日本世界のあらゆる情報が詰まっている。歴史、文化、経済、社会構造。それだけじゃない。人類が数千年にわたって積み重ねてきた科学技術の情報も。・・・・・・・核兵器などの大量破壊兵器、遺伝子操作に至るまで・・・・・」
「だから?」
「そうだ。この情報はこの世界には不要だ。危険だ。しかし、存在すれば人は知ろうとする。それは君が良く知っているだろう? 日本世界の真実を艦娘たちに話した君なら・・・」
「そう・・・・ね」
好奇心。これに人は抗えない。未知の領域を、他者との知的平等を求める。これが人類を進歩させてきた所以だが、これは時に進歩では片づけられない結果を導き出す。
「この世界の人間も知的好奇心は旺盛だ。俺が居続ければ・・・・断言する。この世界は地獄絵図と化す。それだけは絶対にいやなんだ!」
その叫びが決意の固さを物語っていた。みずづきがとやかく言う権利は何処にもなかった。
「それでも、決意しても、どうにもならなくなっても、死ぬのは怖くてね」
ショウの声に雑音が混ざり始めた。
「最期に・・・・1つ、話を聞いて・・・もらえる・・・・・かな?」
「ええ。・・・・・・ええっ」
涙腺の崩壊を必死に抑える。絶対にこの言葉は覚えておかなければならない。
「俺が閲覧権限を与えられていない情報を強引に閲覧した話は前にしたよな? そのおかげで俺を作ってくれた班は・・・・名前を付けてくれた研究員は全員、内閣情報局によって始末された」
「え・・・・・・・・」
「本当は俺も処分されるはずだった。でも、上の意向を知った研究員は殺される前に旧知の仲だったとある海防軍三佐のもとに俺を逃がしてくれた。その三佐は・・・・・」
確信をもって、名前が浮かんだ。
「知山司令?」
「ご名答。彼と研究員は大学時代の知り合いでな。知山は俺を匿ったら、最悪暗殺される危険性を承知で匿ってくれた。君の艤装の中にいたのも、海防軍のPCや例えネット回線がつながっていないPCでも捜索プログラムに引っかかる可能性があったからだ。艤装は完全に独立していて、整備も地方隊の整備員が請け負っていた。実質的な上官である知山が口止めしておけば、外部に漏れる心配はない。研究員が俺のダミーを処分してくれたおかげで日本政府の記録上、俺は消えたことになった。だから、俺はここまで生きられたんだ。知山が君にとって命の恩人であるように、俺にとっても知山は命の恩人なんだ・・・・・。どうして、殺される危険性を追ってまで、人間ですらない俺を助けてくれたのか。一回、尋ねたことがある」
「・・・・・・司令はなんて?」
「生きたいと願い、誰かの想いを背負った存在に、生物だから、機械だからとその命に優劣はない。この国に宿る命を守ることが、俺の・・・いや、俺がここにいる理由だ。・・・・・・・そう、知山は言ってくれた」
ショウの声が湿気を帯びる。
「本当にあいつは・・・・・・どこまでお人好しなんだか・・・」
「本当に・・・・・・・」
思わず、苦笑が漏れる。やはり知山は何処まで行っても、知山だった。
「そんなお人好しの心をつかんだのも、同じぐらいのバカだったが・・・・」
「え? それは一体どういう・・・・・」
妙にその言葉を掘り下げたくなる。だが、ショウは答えない。
「これは俺の・・・・最後のはなむけだ。意味はあとからしっかり、考えろ。・・・・・・そろそろお迎えの時間だ」
雑音が一気に激しくなる。一時期は収まっていた涙腺の暴走が一挙に熱を帯びる。それでも、まだだ。
「みずづき?」
儚げな声で呼びかけてくる。
「・・・・なに?」
「俺の旅路はここで終わる。しかし、君の旅路はまだまだ続く。色んなことがまだまだあるだろう。それでも・・・・・・・」
「しっかり、生きろよ」
そんなことを言われたら、それほどの想いを込めて言われたら、我慢などできない。
「う・・・・うぅ・・・・・。うん・・・・。うん!」
「いい返事だ。答えも聞いたし、贈り物も届けた。それじゃあ、俺は逝くよ。今まで、本当にありがとう、みずづき」
「うん・・・・・こっちこそ、ありがとう。知山司令の想いを成し遂げてくれて、力を貸してくれて・・・・・・」
「ああ。・・・・・・日本海上国防軍あきづき型特殊護衛艦みずづき。貴君の栄光ある航海に幸があらんことを。・・・・・・・・・達者でな」
その言葉を最後に、彼の声は聞こえなくなった。
―――
「はぁ・・・・・・。最後まで格好つけちゃって。そこは知山司令そっくりなんだから」
目元に溜まった涙をふき取る。不思議と心には痛みに負けない朗らかな風が吹いていた。不意に誰かの声が聞こえた。振り向くとそこにはいくつかの人影。艦外カメラが全てダウンしているため、目を限界まで細め凝視する。
「あ!! 長門さんたちだ!」
布哇泊地機動部隊殲滅に向かった長門旗下の水上打撃部隊。誰一人として無傷な艦娘はおらず、中には他の艦娘たちに肩を借りている子もいたが、誰1人かけることなくこちらに手を振っていた。あまりの嬉しさに全意識が長門たちに集中する。
だから、長門たちの表情が凍り付くまで身に迫った危険に気付かなかった。
「え?」
殺意を感じ取り、咄嗟に後ろへ振り向く。
「・・・・・・・・・・・・・」
「あ!?」
そこには決死の表情でMk45 mod4 単装砲を突き出すはるづきが迫っていた。距離は図る意味のないほど目前。ひしゃげつつも砲身が鋭い刃と化し、即席の凶器となったMk45 mod4 単装砲は火を噴くこともなく、身体に吸い込まれ・・・・・・・・。
「あ゛っ!?!?」
「・・・・・・・・・・・ふっ」
下腹部のど真ん中に深々と突き刺さった。激痛と共に何かが気道へせせり上がってくる。その不快感を解放しようと吐き気に身を任せた途端。
「ぶっ・・・! ぐはっ! ごぼっ・・・・」
泡だった血が口からあふれ出た。あまりの激痛に点滅する視界。平衡感覚が悲鳴をあげ、前後左右、上下が分からなくなる。身体は必死に幕引きを望むが、激痛にうなされつつも激情を糧にした意識が抗う。
「は・・・・・・はるづき・・・・・・。あ・・・・あん・・・・た」
下腹部にMk45 mod4 単装砲を突き立てるはるづきは不敵に笑った。
「最後まで・・・・油断するんじゃ・・・・・ないわよ。・・・・・
そういうと彼女の全身から力が消失。引き抜かれたMk45 mod4 単装砲は海面へ落下し、はるづきは姿勢を崩す。どこにこのような力が残っていたのか。咄嗟にみずづきははるづきを捕まえ、抱き留めた。ちょうど、お姫様だっこのような状態だ。
「あ゛!? ううううう・・・・・・・・」
激痛に全身が痙攣する。もはや立っていることは不可能で膝をつく。その顔を見て、虚ろな瞳でうっすらと目を開けているはるづきは肩をすくめた。
「みずづきーーーーーーーー!!!!!」
陽炎の絶叫が木霊する。答えてあげたかったが、もうその余裕はない。
「みずづき!! みずづき!!!」
傍らで急停止し、肩に手を乗せてくる陽炎。その声色は焦燥感に溢れていた。
「あんた・・・・・これ・・・・・・・」
「みずづき!? 大丈夫って・・・・・・・・なんや・・・これ」
陽炎と黒潮はみずづきの変わり果てた姿を目の当たりにし、絶句。続々と到着した艦娘たちも一様に顔面蒼白となり、口元に手を当てた。
「みずづき・・・・・お前」
「てへへ。やられちゃい・・・・ました、長門さん・・・・・・」
さすがにこのままではマズイと笑顔を浮かべるが、小さな吐血をしてしまったため結果的には逆効果だった。
「もうしゃべるな! みずづき! このままではさすがのお前でも・・・・・」
「あらあら・・・・・老いぼれたたちが勢揃い。壮観ね・・・・・」
うっすらと笑みを浮かべるはるづき。その表情に陽炎が激高した。
「あんた・・・・・いい加減しなさいよ!!! みずづきを! みずづきをこんな目に!」
殺意一色に染まった瞳と煤にまみれた12.7cm連装砲を向ける。周囲にいた黒潮や白雪たちが慌てて止めに入るが、彼女の気勢を奪ったのはみずづきの制止だった。
「待って・・・・・・。陽炎・・・・・・・。はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・」
「みずづき・・・・・どうして・・・・・・」
涙すら浮かべ、12.7cm連装砲を震わす。心の中で謝りながら、腕の中にいるはるづきを見下ろした。
「やられちゃった。あんた相変わらず往生際悪すぎ・・・・・・」
「あんたこそ、すぐほかのことに・・・・目移りしちゃって。その癖が・・・・発揮されなかったの・・・・って、あの男に・・・・対して・・・の・・気持ちだけ・・じゃないの?」
「ほっといて」
思わず笑みがこぼれる。はるづきも同じだった。
「私・・・・・死ぬのね。今度こそ・・・・・・・・・」
静寂に包まれる世界にその言葉は溶けていく。
「散々な人生だったな・・・・。老害に翻弄されて、家族も後輩も殺されて、深海棲艦に落ちて・・・・・、人を殺して・・・・・。何のために生まれてきたんだろう・・・・」
「後悔してるの? 生まれてきたこと」
はるづきは自身の顔を見てくる。焦点が合っていないため、正確に捉えられているのか、分からない。だが、言葉はしっかり届いていた。はるづきはMk45 mod4 単装砲が消えたことで露わになった血染めの右手を弱々しく握る。
「後悔は・・・・・・不思議なもんね。全然、してない。つらいこと、悲しいこと・・・・本当にたくさんあった。というか、つらいことばっかりだった。泣いてばっかりだった。でも・・・・・」
その右手を晴れ渡っている空へ伸ばす。
「その傷も、この世界に生まれてこなければ感じることすらできなかった。嬉しかったことも、楽しかったことももちろんあった。全部をひっくるめて、私の人生。最後の幕引きは最悪だけど・・・・」
「そんなに世界が憎い? 日本のお偉いさんたちが疎ましい?」
大海原のど真ん中にしては、優しい潮風がみずづきの頬を撫でる。はるづきの血で固まった白髪を揺らす。はるづきは微笑して、「当たり前じゃんか」と弱々しく拳を握った。
「もう退場する人間がとやかく言うことじゃないけど、私は完全に間違っていたとは・・・・思わない。罪人には罰を下さいないと・・・・。ではないと・・・、死んでいった人たちが全然浮かばれないじゃない・・・・」
はるづきの瞳から一筋の涙が下る。みずづきは初めて、はるづきの涙を見た。
「みずづき?」
「なに?」
「あんたは、道を踏み外さないでね?」
「え?」
優し気なほほ笑み。もうそのような体力が残っていないにもかかわらず、涙腺が緩み始めた。はるづきの声が段々と小さくなっていく。
「あそこまで大口叩いたんだから、最後までその信念・・・貫いて。あの犠牲が、その信念の道しるべになるなら・・・みんなが死んだ意味は・・・」
「うん・・・・・うん!」
必死に涙をこらえ、何度もうなずく。はるづきは満足そうに微笑む。その顔は、
「頼んだ・・・わよ? へへ・・・。これで胸張って、怒られに行ける。あの子の元に・・・・・・」
はるづきの身体に宿っていた熱が消えていく。
「あんたの身体・・・・・・・・・・・・・。温かいね。・・・・なんだか・・落ち着く」
「うん・・・・・・・」
静寂に包まれる世界。はるづきの最期の表情は笑顔だった。
「う・・・・・う・・・・・」
もう涙腺の決壊を抑えることはできなかった。はるづきの身体が柔らかい光に満たされ、消えていく。蛍を思わせる小さな光の粒はそのまま空へ帰っていった。その昇天を前にしてめそめそと泣いていることなどできない。涙をぬぐい、力強くその光を見つめる。
そして、敬礼。過ちを犯そうとも、残酷な世界に翻弄され続けた魂へのせめてもの追悼だ。長門たち水上打撃部隊一同の敬礼によってそれはより強固なものとなって、彼女の御霊を導くだろう。
「さようなら。
その光を見届け、世界が暗転。ひんやりと冷たい海がすぐそばまで近寄ってくる。自身の名前を呼ぶ声が聞こえるがひどく遠い。痛みの、苦しみの全ての感覚が引いていく。
これはあの時の感覚に似ていた。しかし、異なる点が1つだけ。意識が完全に閉じる前に。
・・・・・・・・ありがとう、みずづき。
あの人の声が聞こえたことだ。
ミッドウェー時間、12月23日正午過ぎ。瑞穂時間同24日午前9時過ぎ。布哇泊地機動部隊の指揮官的立場にあった「はるづき」消滅。これにより布哇泊地機動部隊は全滅。ミッドウェー諸島の無力化と布哇泊地機動部隊殲滅を目的とした「MI作戦」は通常部隊に大きな被害を出しつつも沈没艦もなく、誰1人艦娘がかけることなく終結。瑞穂海軍の勝利で幕を閉じた。
同時刻、ベラウ諸島で決死の抵抗を見せていた深海棲艦守備隊の攻勢が一挙に減衰。瑞穂軍は一気呵成に各諸島の攻略を完了させていった。
次回、第3章本編最終話「年末」。