二〇一二年 五月某日
その日、赤羽根はやよい、伊織、亜美、真美の四人を迎えに行って事務所に帰ってきた。
彼らを事務員である小鳥が出迎えた。
「ただいま戻りました」
「赤羽根さん、お疲れです。どうでしたか?」
「特に問題なし。全員、オーディションに受かりました」
内容は違うが四人とも無事に合格したことを聞いて小鳥は嬉しそうに言う。
「まあ、それはよかったですね!」
「当然でしょ」
伊織が割って入ってきた。
「プロデューサーにも色々と教わっているし、これぐらいできて当然よ。アンタも少しは頑張んないさいよ」
「うぅ、その通りだ。けど、先輩ってすごいよな。どこへ行っても聞かれたよ、『今日はプロデューサーいないのか』って」
どこへでもとは盛り過ぎなかと思ったが実際はそんなに変わらなかったことを思い出した。
「実際、プロデューサーさんはこの業界長いですから知らない人の方が少ないですよ?」
「小鳥さん、実際にプロデューサーさんってどのぐらい有名なんですか?」
やよいが聞いた。それには他の子も赤羽根もうんうんと気になっている様子だ。
「どのぐらいっていうのも答え難いわね。どこへ行っても通用するぐらいには知られてるし、困ったときはプロデューサーに頼めって言われてるぐらいには有名、かな?」
「おおー流石はプロデューサーですな」
「兄ちゃんのハードルがバンバンあがるね!」
「やめろよ、気にしてるんだから」
「でも、アンタはこれからなんだから当然でしょ。だから、少しでも追いつけるように頑張りなさいよね」
褒められて悪い気はしないなと思いつつも、
「ま、アイドルにこんなことを言われている内はまだまだね」
あげて落とされて肩を落とした。
すると事務所の入り口の前で律子が扉を開けてと叫んできた。扉を開けるとずらりと並んでいる衣装がかかっているパイプハンガーを押してきた。
「じゃーん、どう? 皆お揃いのステージ衣装よ!」
「お、完成したのか」
「ええ。プロデューサーさんと貴音が頑張ってくれているのでお金もこういう所に使えますしね!」
彼女の目が一瞬〈¥〉〈¥〉こんな形をしていたように見えた。
「で、律子さん。改めてこれ用に宣材を撮るんですよね?」
「はい。プロデューサーさんとも話はしてあります」
「場所も俺がもう予約してあるから、レッスンに行ってる春香たちを拾って合流するか」
「お、兄ちゃん。手が早いね」
「まあ、先輩に言われてだけどな」
そんなものですよと律子にフォローされる。彼女も同じ体験をしたことがあったからだ。
「じゃあ、私の方からプロデューサーさんに連絡しておきますから」
「それじゃあ音無さん、お願いします」
「私は春香達を拾ってきますから、赤羽根Pはやよい達と一緒に先に現場へお願いします」
「わかった」
互いにやるべきことを確認し行動に移った。
都内 某収録スタジオ
『お疲れ様でした』
スタジオに出演者の声が響き渡る。今回貴音は準レギュラーとして出演している番組の収録に来ていて、それがいま終わった。
正式にレギュラーとしてオファーは来ているが何分、アイドルのためレギュラーとして参加する番組は限られていた。
共演した出演者、スタッフに挨拶をすまして自分の担当をしているプロデューサーの下へ歩いて行くと電話をしていた。こちらに気付くと手をあげているので貴音のことはわかっているようだ。
「わかった。態々ありがとう、小鳥ちゃん」
『いえ、それじゃお願いします』
「了解」
会話が終わるのを待っていた貴音はどんな話をしていたのか聞いた。
「ああ、少し前に発注してた全員分の衣装が予定通りさっき届いたそうだ。で、これからそれ用の宣材を撮ることになってるから現地で集合ってわけだ」
「わかりました。すぐに用意してきます」
「頼む」
楽屋に戻り身支度を済ませ、部屋の入口で待っているプロデューサーと共にテレビ局の駐車場へ向かう。
その道中も挨拶をかかさず貴音は行っていた。最初と比べれば向こうから挨拶をされるぐらいには成長していた。
駐車場にある営業車に乗り込みテレビ局を出た。向かうのはいつもお世話になっているスタジオだ。
軽く変装をして助手席に座る貴音が嬉しそうに言った。
「皆と一緒にライブする日も近いですね」
「お前としてはやっとだからな。といってもそれは赤羽根次第、だがな」
「あなた様がやってもいいんですよ?」
「それじゃあ、あいつのためにならん」
貴音の上目使いを使ったお願いは何度もされている内に慣れた。
貴音はふうと溜息をついて、
「そうやって鞭を与えるのもいいですが飴もあげないと駄目ですよ?」
「飴ならもらえるさ。アイドルが活躍できればプロデューサーにとってはそれが飴だ」
「それでしたら、あなた様はたくさん飴を貰っている訳になりますね」
「そうか? むしろ別の意味で飴をあげているのは俺じゃないか?」
「あら、そういう事をおっしゃるのであれば……」
「あれば?」
運転中のためちらりと横目に貴音をみる。
「煙草を取り上げますか……」
なんと恐ろしいことを言うのだ。これでは逆らえない。
「わかった、わかった。降参だ。あと一本も今日は残してるのに、そんなことされた溜まったもんじゃない」
「いつのまに」
「収録が始まる前にスタッフさんらと一緒に」
「では確認を」
そう言って貴音はプロデューサーが着ているスーツの胸ポケットから箱を取って中身を確認する。証言が間違っていないとわかるとまた元に戻した。
一日に吸っていいのが三本と言われてからというもの、定期的に箱の中身を確認されている習慣が身についてしまった。
最初はまあ不満もあったが、酒類は特に制限を受けてないので助かった。
第三者からみたら可笑しいと言われるのだろうなとプロデューサーは思った。
「スタジオにつくまでまだ少しかかる。仮眠でもしとけ」
「そうですね。今日は少し、疲れました。では着いてたら起こしてください」
「ああ」
今日のスケージュールは午前中が『お姫ちんのらぁめん道』の収録。午後にはとあるテレビ番組の収録。少しハードだった。とりあえずこのあとの宣材が終われば今日はもう終わりだ。
プロデューサーは法定速度を守り、ゆっくりとスタジオへ向かった。
都内 撮影スタジオ
プロデューサーと貴音が宣材を撮るためのスタジオにつくと既に撮影が始められていた。
貴音はそのまま衣装に着替えるために分かれ、プロデューサーは赤羽根と合流した。
「どうだ、様子は」
「あ、先輩。はい、今の所順調です」
「まあ、最初に比べればマシだな」
撮影ブースの方に目をやると響と彼女のペットであるハムスターのハム蔵の撮影が行われていた。何枚か撮ると彼女はハム蔵となにやら話しているのがみえる。
あのハム蔵は意外とやるとプロデューサーは評価をしていた。
現に彼? アドバイスでやってみるとカメラマンはいい写真が撮れたのか驚いていた。
「そんなに酷かったんですか?」
「酷いというか、社長が本気でふざけてるとしか思えないのを撮ろうとしたからな」
思い出しても酷いという感想しか出てこない。宣材だというのに変なのを撮ろうとするし、亜美と真美に至っては着ぐるみまで着だした。社長が本当にいいと思っていたのが頭を抱えた。
「本当にマシなったよ」
「あ、ははは……。ん、千早どうしたんだ?」
「実は――」
すると撮影中だった千早がやってきた。なにやら困った顔をしていた。
カメラマンに笑ってと指示を出されたのだがそれができなくて悩んでいると千早は言う。
「私、笑顔って苦手で」
「……」
プロデューサーは特に何も言わず、赤羽根をみた。彼も最初の宣材の時似たようなことがあったのを思い出した。その時は、ちょっとしたアドバイスで事なきを得た。
赤羽根がどういった解答をするか。それが、彼が何も言わない理由だ。
「そうだな……。じゃあ、無理して笑わなくていいんじゃないか?」
「え? でも、カメラマンさんは」
「確かに笑っている方が見る側も好印象に受け取るかもしれない。でも、無理に笑っている所を見てもそうは思わないだろう? だから……そうだな。こうキリッとした表情をしたり、目を閉じて髪をなでるような、なんていうかクールな感じでやってみたらどうだ」
「……クールですか。わかりました、やってみます」
再び撮影を再開する。赤羽根の言っていた事を自分なりでやってみせる千早。
カメラマンにもそれは受入られた。
それをみて安堵する赤羽根にプロデューサーが声をかけた。
「いい感じだったぞ」
「そう、ですか? 自分なりに思ったことを言ってみた感じなんですけど」
「それは悪いことじゃないさ。ただ、時にそれが常に良いことに転がるとは限らないことを覚えておけばいい」
「悪いことですか?」
無言で頷き、彼女達の撮影を見ながら続けて話した。
「あの子達を傷つけてしまうこともあるってことだ。さっきみたいに良いこともあれば悪いことにもなる。プロデューサーは、いやどこに行ってもそうだが信用を失ったら終わりだ。わかるだろ?」
「はい」
赤羽根も一人の大人として、社会人としてその言葉は重々承知しているつもりだった。しかし、改めて言われると再度その言葉の重さと意味を理解した。
この業界に入ってまだ日は浅いが、相手先から信用を失えばそれが今後の活動に影響がでる。なによりも、アイドルである彼女達にもそれは同じことだ。
そして、自分はまだ彼女達から信頼はされていないだろう。当然だと思った。
けど、まずは信用されなければと奮い立つ。隣にいる彼のようにと赤羽根は新たに目標を見出す。
「俺、彼女達から信頼を得られますかね」
「できるさ」
まさかそんな言葉が出るとは思っていなかったので赤羽根は思わず彼の方に振り向いた。
「だって、お前。口が達者そうだからな。すぐに信用は得られるさ」
「先輩……そこはコミュニケーションって言ってくださいよー」
「ま、頼れるお兄さんを目指して頑張るんだな」
「お兄さんじゃなくてプロデューサーがいいです」
「それはお前次第だよ。女ってのは扱いが大変だからな。それにデリケートだ。なにせ、何気ない一言で色々と――」
すると丁度その瞬間に後ろから衣装に着替えた貴音が声をかけてやってきた。
「色々と、なんですか?」
「うお! ……貴音か、ビックリしたよ」
「あら、それは失礼しました。で、プロデューサー? 色々と、なんです?」
「……色々と日々勉強をさせてもらっるって話だ」
「そうですか。では、次は私の番ですので」
「おう、いってこい」
まるで蚊帳の外だと赤羽根は思いつつ、貴音が去ったのを確認して声をかけた。
「先輩……」
「言うな、俺も頭を抱えてるんだ」
そんな憧れの先輩をみながら赤羽根は言った。
「俺、少し自分がやっていけるか不安になりました」
「大丈夫だ。アレが例外なだけだ。お前には頑張って貰わないと困る。ああ、困るとも」
「先輩って尻に敷かれるタイプですか?」
「俺はお前がそうなりそうにみえる」
いやそれはない。赤羽根は口に出さなかった。経験がないとは言わないが、自分はそっちのタイプではないと思う。自分より年上の先輩はどちらかと言うと逆かなと思っていたが先程のやり取りをみたらそう思わざるを得ない気がした。
赤羽根はふと、
(なんだろう、この会話も貴音には聞こえてる気がする)
寒気がした。
そんな彼の隣でプロデューサーが逃げるように言った。
「煙草吸ってくるからあとは頼んだ。すぐに戻ってくる」
「あ、わかりました」
プロデューサーは何か再び言われる前に今日の最後の一本を吸いにこの場から逃げ出した。
スタジオから出て喫煙所に向かう彼を見て、
「終わるころに戻ってくるんだろうなあ」
撮影終了後、彼の言葉は的中した。
結果、滞りなく終わったがプロデューサーと貴音の小さな戦いは再び開戦の火ぶたを切った。
二〇一三年 七月某日 765プロ 正面前 午後十三時過ぎ
765プロの前を走る道路の脇に一台の大型のワゴン車が止まっていた。すでに中には765プロ所属のアイドル達が乗り込んでいた。運転手に赤羽根、補佐が律子といった形だ。この中で一番の年長者である赤羽根は当然の役目であった。
外には彼女達を見送るために社長、小鳥、プロデューサー。そして、唯一の居残り組アイドルの貴音がいた。
今から彼女達はとある村の夏祭りのイベントに参加する。勿論、仕事だ。それも赤羽根がとってきた仕事でもある。
ライブと知ってはしゃぐ彼女達を見て、内容を知る大人組は少し罪悪感があったが。それでも、彼女達にとっては仕事でもあり、久しぶりのライブでもあった。
開催は土曜日である明日。プロデューサーと貴音の活躍のおかげで予算もあり、前日入りすることができた。今日は金曜日で学生組は早退ということになっている。一部は喜んでいたが。
その貴音は明日も仕事が当然のように入っているため、参加することできなかった。
プロデューサーもなんとかしてやりたかったが、人気番組の地方ロケに参加しなくていけなかった。
貴音は窓から乗り出している響と亜美、真美と話していた。
「貴音、お土産ちゃんと持ってくるからな!」
「響、そんなに気をつかわなくても大丈夫ですよ」
「お姫ちんも残念だったね」
「でも、しょうがないよ」
「私の分も楽しんできてくれればそれが一番のお土産です」
「雪歩、大丈夫か?」
「は、はい……たぶん」
そんな彼女達の横でプロデューサーは雪歩と話していた。
雪歩は男性が苦手である。そのためプロデューサーが少しずつではあるがそれを治そうと努力していた。最近では赤羽根も加わっていた。しかし、まだ完全には治っていない。
プロデューサーは少しひきつった笑顔をしてふうと息を吐いた。
彼は雪歩の隣にいる春香と真に後を頼んだ。
「春香、真。雪歩のフォローをしてやってくれ」
「はい」
「なんとか頑張ってみます」
「頼んだ」
そう言ってプロデューサーは運転手席に座って待っている赤羽根に耳元で声をかけた。
「赤羽根、雪歩のこと頼んだぞ」
「はい。俺もできるだけ目を離さないようにします」
「頑張れよ、プロデューサー」
ポンと彼の肩を叩いてプロデューサーは車から離れた。
「じゃあ、皆気を付けて頑張ってくるんだぞ!」
「頑張ってねー」
社長と小鳥の応援とプロデューサーと貴音に手を振られながらバスは目的へと向かった。
バスが見えなくなり、残された四人は事務所の中へ戻った。
小鳥が淹れたお茶を飲みつつ四人でお茶会をしていた。といっても、内容はやはり彼女達が不安で仕方がなくその話題であった。
「いやぁ、大丈夫かね。あの子達は」
「心配のし過ぎですよ、社長。たまには信じて待つのも大事な仕事ですよ?」
「そうかね?」
「そうですよ。ね、プロデューサーさん?」
まるで娘が遠くの大学に行ってしまって心配な父親とそれを宥める母親のようにみえた。
それをみて苦笑しながらプロデューサーは答えた。
「大丈夫ですよ。仕事内容については問題ありません。ただ、地元の人達をどうやって虜にするかが大変なだけです」
実際、地方の祭りなどでアイドルが来てくれてライブをするというのはここ最近珍しくはない。ただ、どれだけの人が興味を持って見てきてくれるかが難題である。
それに今回は本当に村の祭りなので規模は小さい。それでも、赤羽根が初めて取ってきた仕事でもあるし彼女達にとってもいい経験である。
「小さな会場で少しずつファンを増やすのが普通なんですから。成功したら彼女達に村全員がファンになってくれると思えばいいんですよ」
「そう言われると、私は普通ではない言い方に聞こえるのですが?」
横に座る貴音が割って入った。
「そりゃあ、お前は俺が直接プロデュースしてるんだから、普通じゃないのは当たり前だ」
「ええ、わかっております。なんといってもあなた様、ですからね」
「なんだ、わかってるじゃないか」
「もう慣れました」
「本当、仲がいいですよね」
「仲良きことは美しき哉、だなあ」
小鳥と社長は仲睦まじい二人をみて何度も言っているような気がする感想を述べた。
それに反応してプロデューサーが首を傾げながら言った。
「そうですか?」
「そうですよ」
答えたのは貴音であった。貴音の方を向くとお茶を飲み、ほっと満足したげな顔をしていた。
「まあ、あとは赤羽根と律子に任せましょう。特に赤羽根にはいい経験になるでしょうし」
「そうだね。彼女達もミニライブや他の仕事などで大分慣れてきているしね」
「それにネットでも宣伝はしてありますから、もしかしたらファンの方が来てくれたりして」
貴音の飛躍的な活躍によりかなり前から765プロの公式HPが作成されている。貴音個人のブログもある(プロデューサーが管理している)。アイドル紹介として全員のプロフィールもあるし、貴音目的で見に来たファンが一人でも他の子に注目してくれたなら御の字だ。
明日のイベントのことも活動報告という形で記載してある。
「今は考えてもしょうがないですよ。明日の吉報を待ちましょう」
プロデューサーは既に成功すると確信しているかのように言った。その顔は至って真剣だった。
同日 プロデューサーの部屋
「お、そうか。明日の報告を待ってるよ。ああ、お休み」
赤羽根との電話を切り、手に持っていたビールを飲むプロデューサー。彼の隣にジュースが入ったコップを持って貴音がやってきた。
「赤羽根殿ですか?」
「ああ。寝る前に電話してきた。ステージ等の準備も完了。あとは明日のライブだけだ」
「それは良い報告です。ところで、雪歩はどうですか?」
「ああ、雪歩な」
彼の口調は歯切れが悪かった。
「やっぱり、駄目だった。けど、そこまで酷いもんじゃないとは言っていた」
「特訓の成果がでましたね」
「どちからと言えば、お前のおかげだと思うがな」
プロデューサーは貴音にそう言いながらその時のことを思い出した。
それはまだ一月の頃だ。二月にCDデビューをするにあたってまた、仕事もするようになった頃。プロデューサーは雪歩がなんとか男慣れできるように特訓を始めていた。
最初はかなり苦戦していた。ただでさえプロデューサーの身長は180cmを超えており、真っ黒な色をしたレンズではないとはいえ、サングラスをかけているその姿は誰がどうみても怖い。
その対策として、ド○キーで買ってきた大仏のマスクをして対応にでた。直接彼の顔をみなくて済んだのか雪歩も机一つ分の距離で話すことができた。
というよりも怖いというより、大仏のマスクの下がスーツなのが可笑しかったのか、雪歩は笑っていた。
そして、今日も彼女の特訓が開始された。
「で、改めて確認だ。雪歩が苦手な男性を言うぞ。まず、子供は平気だな」
「はい」
「同年代の子は?」
「苦手です」
「じゃあ、俺みたいな年代は?」
「もっと駄目です」
「あと社長は?」
「……たぶん平気です」
ふむと頷いた。苦手な部分がハッキリしていていいのだが、いかんせんその部分がとても大事かつ厄介なところだった。
他の例で言うなら自分の父親やその親戚などはなんとか大丈夫らしいのだが。とてもこの芸能業界で生き抜いていくには辛すぎる。
「雪歩何度も言うようだが、仕事は勿論のことその関係上多くのスタッフやお偉いさんと接する機会が多い」
「はい……それはわかってるんですけど。けど、怖いんです!」
(今回ばかりは親父さんを怨みたくなってきたぞ……)
雪歩が何故、男性が苦手なのか。それは彼女の父親に問題があった。理由は至って簡単。娘が可愛すぎて、溺愛すぎて他の男を寄せ付けなかった。とのことだ。
幸い、全部の男が苦手じゃないのが唯一の救い。
(ていうか順一朗さん、よく親父さん説得できたな)
改めて会長の凄さを身をもって知った。
彼が頭を抱えている中、貴音がやってきたいつもより真剣な眼差しで雪歩に言った。
「萩原雪歩」
「し、四条さん?」
「貴音?」
プロデューサーは驚いていた。普段は雪歩と呼んでいるのにフルネームで呼んでいたからだ。貴音は何か大事な場面では人の名前をフルネームで呼ぶことを、この時初めてプロデューサーも知った。
「人には苦手なモノは確かにあります。確かに人によっては克服できる人とできない人もいます」
「……」
「プロデューサーも言っているように、この業界は男性の方と接する機会のが多い。あなたの気持ちもわかります。ですが――」
「萩原雪歩、逃げてはいけません」
「逃げる……?」
「はい。苦手だと言うのは仕方がありません。そう言うのも構いません。ですが、初めから逃げてはいけません。例え数十センチの距離でも少しずつ縮める勇気を持ちなさい。少しでも歩み寄るための一歩を踏み出しなさい」
「四条さん……」
雪歩は貴音の言葉に何か感じるものがあったのか自分の手を見ていた。
貴音はそれをみて雪歩の手とプロデューサーの手を取った。
「ですからまずは握手といきましょう」
「え、ええ!!」
「そうだな」
プロデューサーは貴音の意見に賛成だった。雪歩も声のわりには嫌がってはいなかった。
プロデューサーはそのまま手を差し出し、彼女を待つ。
「……ん!」
決心したのかゆっくりと彼の大きな手に触れる。一瞬離そうとするような仕草をみせたが、彼の手を慎重に握った。
それをみてプロデューサーと貴音が褒めた。
「頑張ったな、雪歩」
「まずは一歩です、雪歩」
「……はい!」
特訓を始めて一週間。あまり時間を割けなかったとはいえ長かった。
「では、次は素顔のプロデューサーと握手しましょう」
そう言って被っている大仏のマスクをとる貴音。雪歩の視線に素顔が露わになったプロデューサーが写る。
声をあげると思ったが意外にもそれはなかった。
「雪歩、平気なのか?」
「え! あ……その、プロデューサーの顔を初めてみたから」
「そうでしたか? でも、なぜ平気なのですか?」
とった本人が言う台詞でないとプロデューサーは思った。
「プロデューサーの目、可愛いなって……」
「は?」
「ほう」
彼女の口から思いもよらぬ台詞が出たのはあまりにも衝撃だった。
その後、赤羽根もこの特訓に参加。プロデューサーと違って赤羽根は時間があまり少なかったが隣に立つことぐらいには進歩した。
「で、あのマスク。お前が持ってたのか」
語っている最中突然自分の部屋に戻ったらと思ったら、貴音がその時の大仏のマスクを被ってやってきてその感想を求めてきた。
「ふむ、どうですか?」
「どうですかって、似合ってない」
「そうですか」
そう言っても脱ぐ気配はなかった。
もしかしてと思って彼は聞いた。
「なんだ、気に入ったのか?」
「被り物とは中々面白いです」
「そうか……」
掴みどころ無いと言うか、突然何かに興味を持ってしまう彼女をみてふっと笑った。
立ち上がって彼女が飲んでいたコップを持って告げた。
「さて、もう戻れ。明日は朝一番の新幹線で移動だ」
「観光なども少しはできるのですか?」
明日のスケジュールを思い出す。収録開始はお昼過ぎからだった。現地で集合の手筈になっているので時間までに間に合えば確かに観光もできるなと思い、
「そうだな……たぶんできるな」
「では、しっかりと英気を養うとしましょう」
欲望に正直なやつと言って笑った。
「朝からちゃんと変装しておけよ。目に付くからな」
「わかっております。ではおやすみなさい、あなた様」
「お休み、貴音」
毎日の習慣となったこのやり取りをして一日が終わるのであった。
翌日 ミニライブから帰宅後
赤羽根は全員が帰るのを確認して一息ついていた。
最初は皆から不安もあったがミニライブは大成功。最後は村の人達からも大絶賛だった。何よりにも驚いたのが少数であるが彼女達のファンと思われる人達が訪れたことだ。
これには彼女達も喜んでいた。先輩が言っていたがもしかしたらが現実になった。
それと、誤算であったのが雪歩は犬も苦手だったということか。
あと、お土産を買い忘れたことを思い出した
「寝てたからなあ、起こしてくれたって……あ」
自分の机にお土産袋が置いてあった。中にはびわ漬けが入っていてすると手紙が入っているのに気付く。
相手は雪歩からだ。
それに感謝の気持ちとこれからも頑張ると言った内容が書かれていた。それを呼んで微笑む赤羽根。
すると、いきなり目の前に現れたプロデューサーに声をかけられた。
「ん~? アイドルからラブレターか?」
「せ、先輩! い、いつからそこに?!」
「お前がラブレターを呼んでニヤついている頃から」
「最初からじゃないですか! まあ、ニヤついてたのは認めますけど……」
「で、誰からなんだ。ん?」
プロデューサーは自分の椅子に座り、面白そうに赤羽根を見た。
「雪歩からです」
「ほう、なんだかんだ上手くいったみたいだな」
「はい。それと先輩、雪歩のやつ犬が苦手だって聞いてないですよ」
「あれ、言ってなかったか俺?」
「言ってないです。まあ、なんとかなりましたけど」
「ならいいじゃないか。いい感じに互いに成長し合ってて俺は嬉しいよ」
「はい。それとですね――」
それから赤羽根は今日あったことを彼に話した。プロデューサーも彼の話を嬉しそうに聞いていた。ふと、あることを思い出して、
「あと美希の奴はすごいですね。最初全然盛り上がらなくて、そしたら美希が盛り上げてくれて」
「ああ、あいつは特別(スペシャル)だからな」
「特別?」
「その内、お前にもわかるさ」
プロデューサーは語らなかった。しばらくして、その意味を赤羽根は身を持って知ることになる。
「さて、お前もこれで帰るだろ? どっか寄ってくか。後輩の初仕事を祝って奢ってやろう」
「本当ですか!?」
「ああ。それと……」
一度振り向いてプロデューサーは自分の頬を指しながら、
「それ、ちゃんと落していけよ」
「え?」
鏡を見て自分の頬に落書きをされているのに気付いた。
犯人はわかっている。
「亜美と真美だな……」
「早くしろよー」
そう言ってプロデューサーは事務所から出て行った。
彼はコンクリートの天井をみながら、
(さて、どうなることやら)
神のみぞ知ると言ったところかと思いながら赤羽根を待つ。
彼が来たのはそれから数分後に赤羽根はやってきた。
落書きされた頬が赤く染まっているのをみてプロデューサーは一人笑っていた。
あとがきという名の設定補足~
といっても今回はオリジナル要素ないんですけど。
今回はアニマス二話と三話を一緒に載せました。二話の部分がかなり短かったので一緒にしたんですけどね。
今回のようにアニマスであったことは一部を除きほとんどが回想かプロデューサーに話す形になると思います。よって一部の話は一つ一つが短いので一緒にすると思います。
あと注意事項にも書きましたが、省く話もあると思いますのでご了承ください。
あとこれ設定補足? ネタバレ? になるかはわからないんですが個人的には問題ないので書きます。
プロデューサーがいることによってアニマス本編との差
二話 宣材がちゃんとしている。
三話 イベントに前日入りしていて、雪歩が男性に少し慣れている。
大雑把に書けばこんな感じです。
あと全然描写していませんがアニマスであったホワイトボードに書かれたスケジュール表。
本作品では、上半分が貴音だとするとずらりと予定が書かれていて、下半分が他のアイドル。今回の話の時点では本家より少し多いぐらいとおもっていただければいいと思います。
あくまでもプロデューサーは貴音メインのプロデュースなのでこうなります。
例で言うなら竜宮小町が仕事を始めた頃と春香達のスケジュールみたいな感じ。