銀の星   作:ししゃも丸

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第41話 銀の星

 2019年 4月某日 

 

 都内にある4階建ての建物があった。かつてそこはすべてが空き部屋になっていて、少し前まではテナント募集の張り紙が貼り付けられていたのが、今はそれがなくなくなっている。建物の前には4tトラックが一台。車体にあるロゴを見るとどうやらレンタカーのようだ。駐車場は比較的広いといっても、さすがに4tトラックは入りきらず道路の端に寄せて停めらている。

 トラックの荷台から140サイズほどの段ボールを手に持った一人の女性――飯島命が出てきた。下はジーパンに上はごく普通の文字がプリントされたTシャツを着て、頭にはタオルを巻いている。Tシャツの文字は『元Sランク』と書かれていた。

 彼女は格納ゲートの上に立ち、ボタンを押して下に降りながらまだ荷台の奥にある山積みになっている段ボールの山を見て弱音を吐いた。

 

「うへぇ。まだあるよ……」

 

 もう荷物を取りにきては運ぶ作業の繰り返してはや数時間。まるで拷問だ。

 それでも命は段ボールを持って新しいへ職場と向かう。見た目は大きいが意外と軽いのは、彼の配慮だろうか。建物の一階は一面の白。物はほとんど置いていない。なんでもここには宣材のためのポスターや何かを展示するスペースにするらしい。受付を置く気はないらしく、それらは全部機械だそうで。なのであちこちに監視カメラが設置されている。さらに付け足せば顔認証システムやら金属探知機も入れるとかないとか。銀行かな?

 部屋の奥にはエレベーターがあるのでそこに入って上へ向かう。もちろん階段もあるけど、自分にはそんなガッツはない。2とあるボタンを押して上へ。すぐに着いて外に出る。

 エレベーターを出ると、そこが新しい職場になる。まだ段ボールがあちこちに置いてあり、完成には程遠い。部屋の中央では一人の男が作業をしている。命は嫌味を込めて彼を呼んだ。

 

「相棒ー、もう疲れたー!」

「だったら休んでいいぞ。冷蔵庫はまだ冷えてないし、中には何もないがな」

「くそっ、なんて時代だ!」

 

 来客用になる予定のソファーに倒れる。ふかふかである。もうここで寝たいぐらいに。

 このソファーは最初に運んだものだ。すでに大きい荷物は彼が一人で運んだので、あとは小さな荷物を彼女が運んでいる最中。

 ぐるりと体を捻って彼の仕事ぶりを眺める。なにやら電気工事をしているようだ。よくあるオフィスデスクの間に座って配線を弄っているらしい。

 器用でなんでもできる男だとは思っていたが、その考えは意外と甘かった。

 

「相棒って大型免許持ってたんだ」

「それだけは仕事の合間にな」

 

 どこか引っかかる言い方をする彼。

 

「それだけって、時間があればもっと資格を取ってたってこと?」

「時間もそうだが一般的には取れないやつとか」

「あのさ。嫌な予感してるけど、あえて聞くわ。それって何?」

「ん? 戦車とか色々」

「……それって、普通自衛隊とかじゃないと取れないやつじゃ」

「そうだな。隠す気はないから言うが、大型重機とかジェット機も操縦できるぞ」

「どこで使い方を習った?」

「説明書を読んだのよ」

「うそつけ!」

 

 頭に巻いていたタオルを彼に向けて命は投げた。意外とちゃんと飛んだのか、彼の頭にポンと当たった。

 

「騒々しいやつだな。前にアメリカに行ったときに出来たダチとかそいつの知り合いに教えてもらったんだよ」

「すっごい、嘘くさい」

「最高だった……戦車でヘリを落とした時は。あれを絶頂って言うんだろうな。やっぱランボー最高」

「相棒ってまともな友人いないでしょ」

「否定はしないが……。まあ、自慢できる奴なら一人いる」

「ほほう。ちなみに誰」

「ハリウッド女優のアンバー」

「アンバー……アンバー⁉」

 

 ハリウッド女優のアンバーと言えば自分でも知っている超有名人。有名な映画にも出ているし、ヒロインからアクションも自分でこなせるすごい人だ。年はたしか相棒より少し上なのに、すっごい美人。絶対なにかやってるだろうと彼女は睨んでいた。

 

「アンバーに限らず、仕事で仲良くなったやつは大勢いる。ちなみに映画にも出演したぞ、スタントマンだけど」

「へ、へぇー」

 

 おかしい。神はなぜこんな男にそんな縁を与えたのか。ていうかなんでこんな仕事をしていたのか分からない。世の中不公平だ、うん。

 

「よし。ネット回線と電話回線はこれでいいな」

 

 言うと彼は離していたデスクをくっ付け、電話をそれぞれにおいて線をつなぐ。LANケーブルはまだ頭を出しているだけでそのまま。あとで持ってくるらしく、現状は彼のオフィスに一台あるのみ。

 オフィスにはデスクが3つと部屋の端に来客用の部屋と社長室がある。その二つはドラマでよくみるガラス張りになっていて、中からも外からも見え見え。一応防音らしい。

 その内の一つが私の仕事場となっているわけなのだが……。

 

「ねえ。マジで事務員私だけ?」

「最初はな。未沙くんは落ち着いたら来てくれることになってる」

「未沙ちゃん。いま何か月だっけ?」

「速水さんから聞いたときは、たしか4か月ぐらいだったか」

「ヤることヤってたんだ、未沙ちゃん。でも、相手の人パイロットじゃなかった?」

「らしいな。まあ単身赴任って形になるのかこの場合? 向こうは飛べるうちは飛んでいたいんだと。ネットがあればカメラ越しに話せるし、そこまで不便じゃないんだろ。うちはほとんど身内だし、休みたいときに休めばいい。赤ん坊を連れてきても構わないって言ってある」

「じゃあお言葉に甘えて」

「お前は馬車車のように働くんだよ」

「酷い! 差別だ差別、不公平だ!」

「無職のお前を、俺が拾ってやんなきゃどうなってた?」

「うっ……」

 

 それを言われると命には何も言い返せなかった。あの日、ミンメイの役目が終わった後、命は実家に帰った。友人である七羽に事情を話したり、一年ぶりに家族との時間を過ごしていた。だが、無職だ。印税で入った金で暮らせるものの、家族には最後まで今までの経緯を説明する気はなく、実家ではただのニートという扱いになってしまった。言い分があるとすれば、就活をまったくしなかったわけではないのだ。相手が自分を扱いきれないだけで、中々就職は決まらないでいただけ。そんな時に彼から連絡が入ったのだ。

 

「わ、わかったよぉ。もうこの話おしまい! でさ、速水さんはどうしてるの?」

「ひ孫のために色々と張り切っているぞ。生まれたら面倒は見てくれるって話だ」

「じゃあこの上で?」

 

 命は指で天井をさした。

 この建物は4階建て。一階は展示フロア(仮)で二階は事務所、三階がトレーニングルームになり、4階は仮眠室という名の居住区。

 

「どうせ滅多に使わないだろうから、全然問題ないんだけどな」

「ほんとぉ? 昼間から上で二人と――ぶぅ!」

 

 言わせまいと彼は彼女のタオルを顔に思いっきり投げつけた。

 

「痛い」

「当然だ。痛くしたんだからな」

「相棒は冷たいんだーっと」

 

 タオルを再び巻きながらソファーに座りなおす。その間も彼は手を休めることなく作業を続けている。命も再び作業に戻り、とりあえず近くにあった段ボールを開けた。中にはトロフィーが二つ、色は金と銀。ほんの数秒見つめたあと、彼女はそっと閉じた。

 別に深い意味はない。ただこれは最後に回そうと思っただけだ。切り替えて別の段ボールを開ける、中には専門書やファイルがずっしりと入っていた。まだ棚の置く場所が決まっていないのでこれも後回しだ。

 なぜか集中できないせいか全然作業が進まない。

 

「実はさ、私の勘って当たるんだ」

「知ってる」

「結論から言うと今回は外れたんだ」

「まさか」

 

 すると彼は驚いた顔をしながら言った。

 

「本当だよ。現にいまこうしているし」

「今? どんな内容だったんだ?」

「うん? 相棒はあのあと姿を消して、普通の女性と結婚する。あるいはそのままどっかで死ぬか」

「それっていつからだ?」

「うーん、覚えてないなあ。でも、出会って少し経ったあたりかな? まあいいじゃん。外れたんだし」

「お前の勘は絶対に外れないと思っていたがな」

 

 再び作業に戻る。今度はテレビらしい。

 

「やっぱり貴音ちゃんと美希ちゃんが影響してるのかな」

「なんでそこで二人が出てくるんだ」

「だって、それ以外に考えられないじゃん」

「……否定はしない」

「ほんと、素直になってお姉さん嬉しい」

「このメンツじゃお前が一番下だろう」

「……胸は美希ちゃんよりあるもん!」

「張り合うところがそれか」

 

 呆れながら黙々と手を動かしている彼。どうやら位置取りが決まったらしく、テレビ台の上に55Ⅴ型の液晶テレビを置いて配線をつけている。ロゴを見るとソニーだった。

 

「相棒は金あるんだからさぁ、8Kにしようよ8K!」

「いらないだろう8Kなんて。4Kで十分」

「でも、家にあるテレビ70インチもあるじゃん。映画みたいなスピーカー配置してるしさ」

「プライベートには金を使うさ」

「その心は?」

「……色々と浮いたからな」

 

 真相を知っているので今更驚きはしないが、ああいうのを親バカというんだろうか。貴音ちゃんのことをただならぬ女性だと思ってはいたけど、まさか本当にお姫様だとは思わなかった。

 

「今の家にこの事務所もだっけ?」

「断ったんだけどなぁ……。貴音が貰っておけって言うし、その分他のことに使いましょうって」

「もう尻に敷かれてるじゃん」

「そうだろうか」

「そうだよ」

 

 否定をしないのか、彼は口を閉じてしまった。命は腕時計を見た。そろそろ時間だ。

 

「相棒。そろそろじゃない?」

「ん? ああ、もうそんな時間か」

 

 リモコンを手に取って電源を付ける。設定をしていないので初期設定をテキパキと済ませて、とある番組にチャンネルを変えた。

 画面の映像は生中継らしく、画面の右上のテロップには『四条貴音緊急記者会見!?』とあった。

 

 

 

 

 

 

「えーただいま会場から中継してお送りしています。もう間もなく、四条さんが……あ、今来ました。高木会長とプロデューサーも一緒のようです!」

 

 一人のアナウンサーが実況する。他のテレビ局の人間も同じようなことを言っているようだ。

 テーブルの前に三人が並ぶと揃って一礼。高木と貴音が座り、プロデューサーである赤羽根が説明を行った。

 

「えー。本日は忙しい中お集まりいただいてありがとうございます。これより四条貴音から今回の会見について説明があります。なお質問は終わったあと、お一人一回とさせていだきます」

 

 赤羽根が貴音に視線を送ると彼女はうなずいてマイクを手に取り立ち上がった。

 

「皆様方、本日はわたくしのためにお集まりいただいて、誠にありがとうございます。今回の会見についてですが、この場を以てわたくしの今後の活動についてお伝えするためです」

 

 カメラのフラッシュが何度もたかれる。まるで今の彼らの心境を表しているようだ。

 

「わたくし四条貴音は、来月開催されるライブを最後に765プロダクションから移籍し、アイドル活動を休止いたします」

 

 吃驚仰天という惨状だった。先ほどよりもカメラのフラッシュがたかれ、ざわざわと誰もが平静でいられずにいた。

 

「今日まで活動を縮小していたのはこのためでもあります。また移籍後のお仕事につきましては、一部を除いてこれまで通りで続けさせていただくことになっております。この場を借りまして、改めて関係者の皆様方にお礼を申し上げます。また、多くのファンの方達には突然のことではありますが、どうか最後まで応援していただければと思っております。以上です」

 

 貴音が座ると隣にいた赤羽根が近寄って耳打ちで何かを告げている。言われて気づいたのか、はっとした表情をしながら再度彼女は立ち上がった。

 

「わたくしとしたことが申し訳ございません。もう一つ、ご報告することがございました」

 

 記者団が息を呑む。貴音は深呼吸をして、左手の甲を彼らに見せながら告げた。

 

「わたくし、とある殿方と入籍いたしました」

 

 フラッシュがものすごい勢いでたかれるのだが、なぜか記者団の約半数は意外と驚いた様子はなかった。むしろ『知ってた』と言わんばかりの雰囲気を漂わせている。

 そこで赤羽根が立ち上がって質問を受け付け始めた。

 

「○○の谷口と申します。えーと、まずはご結婚おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「質問ですが。移籍にあたって、他のメンバーにはすでにこのことを伝えたのですか? またどう思われていましたか?」

「移籍に関しては少し前に報告いたしました。最初は驚いておりましたが、みな移籍について受け入れてくれました」

「はい。次の方」

「○○の山根です。アイドル活動の休止ですが。やはり入籍されたことが原因でしょうか?」

「そう思っていただいて構いません。既婚者がアイドル、というのはやはりおかしいと思いますので。移籍後の活動につきましては、追ってまた報告させていただきます」

 

 そのあと数回ほど似たような質問が繰り返され、一人の若い男が今まで誰ひとり聞いていなかったことを訊いた。

 

「○○の佐藤です。そのとある殿方というのは一般男性でしょうか、あるいは芸能関係者ですか?」

 

 その一言で会場、主に記者団側が凍り付いた『え、それ聞く?』みたいな顔をしている者もいれば、呆れ果てている者もいた。どうやら彼はこの業界に入ってまだ日が浅いらしい。

 

「そうですね。知っている方の方が大勢いると思われますので、わたくしの方からは特に語るところがないと申しますか、説明をするのが難しい方なのでこのようにしかお伝えできません」

「では結婚披露宴については?」

「おそらく中継などはしないと思います。色々と面倒だと言っておりましたので」

 

 当たり前のように続けて質問する彼に貴音は普通に対応した。彼女の言う面倒の意味を理解している者がはたしてどれくらいいるのかは不明である。

 それから少しして質疑応答の時間が終わり、会見が終わろうとした時である。なにやら会場の奥の方が騒がしく、だんだんと音が近づいている。

「だめよ、美希ちゃん!」と女性の声と共に、腕に我那覇響を引き連れて星井美希が突然会場に現れると、近くにあったマイクを奪い取り記者団に向けて宣言した。

 

「ちょっと待つなのー! ミキこと星井美希と我那覇響も移籍ます! なの!」

「えー⁉ ちょ、ちょっと自分そんなこと聞いてないぞ!?」

「美希! お前何を言ってるんだーーー⁉」

「貴音一人にいい思い――コホン。貴音一人を行かせるわけにはいかないの!」

「だからってなんで自分まで⁉」

「響はミキ達と三位一体? 運命共同体だから当然なの!」

「横暴だーーー!」

「ちょっと、会長も何か――っていない⁉」

「会長ならさり気なく出ていきました……」

「小鳥さんも止めてよ!」

「無理です」

「即答⁉」

 

 貴音を他所に盛り上がっている美希達に記者団やカメラは向けられていた。残された彼女ははポツンと座って苦笑しながらそれを眺めている。余裕があるのか、はたまたこの状況を想定していたのかは定かではないが、用意されていたお水を飲む姿はどこか楽しんでいるように見える。

 そんな貴音に一人の記者、顔なじみでもある善澤がたずねた。

 

「どうやら大変なことになっていますね。改めて訊きますが、四条さんは今後どうされますか」

「ふふっ。そうですね。もし、皆様が認めてくだるのであれば、もう少しだけアイドルを続けようかと思います」

「それは朗報だ」

 

 二人のやり取りをとあるテレビ局のカメラが撮っていたのは、カメラマンの気まぐれか、それともただの偶然か。

 答えは誰にもわからない。

 

 

 

 

 

 まさに炎上と言っても過言ではない記者会見の中継を見ていた二人。彼はギロリと命を睨めつけた。

 

「お前知ってたな?」

「何のことかわかんなーい」

「はぁ。美希のやつが大人しくしてるわけがないと思ったが、まさかこのタイミングでやってくれるとは。頭が痛い」

「いいじゃん。これで夫婦(・・)揃って職場でも一緒にいられるんだからさ。おまけに響ちゃんもついてくるし」

「響はお前のこと、どこまで知ってるんだ?」

「え、全部。響ちゃんの驚いた顔は可愛かったよー」

「はぁ」

 

 再びため息。たった数十分の映像を見ただけで疲れがどっしりとやってきた。当初の予定とは大分かけ離れたものになってしまったのだから当然だ。もっとゆとりがあって、余裕のあるスケジュールだったはずだというのに。

 

「響にはあとで謝ろう、うん、ちゃんと謝罪する」

「別に響ちゃんも満更じゃないと思うけどなぁ」

「そういう問題じゃないんだよ。あー、移籍金どうするか……さらに二人分追加だ」

「ちなみにどれくらいなの?」

「聞きたいか?」

「いや、いいです」

 

 真顔で聞いてくる彼の顔がすべてを物語っていることを命は悟り、それ以上追及はしなかった。そんな彼女を案じたのか彼は続けて言った。

 

「いやまあ、金は別に問題じゃないんだ。すぐに工面できるし」

「すごいヤバいことなのに、ケロッと言ってのける相棒って好き」

「うるさい。とにかく765プロにまた出向いて話を詰めないと。絶対にあいつらに弄られると思うと嫌になる。でも行かないとなぁ」

「頑張って。私達の未来のために!」

「なんでお前も入るんだ」

「だって私達、家族(ファミリー)じゃん」

「お、おう、そうだな……」

「否定しない相棒のそういう所も好き」

「うるさい」

 

 そういう割には嫌な顔はしていない様子で、彼はデスクの方に歩くと電話線を抜いて社長室にあるパソコンの電源をOFFにした。

 

「別に平気じゃない? まだここの連絡先教えてないんでしょ?」

 

 命は何かを察したのか、抜いた電話線をふるふると遊びながらデスクに腰かけた。

 

「それでも不安なんだよ。無駄に行動力のあるやつらばかりだから」

「相棒ってモテモテだからねー。もしかしてさ、もうここの場所がバレてて押しかけてきたり……」

「言うな。想像しただけで夜も眠れん」

「自業自得でしょ。特に346プロのアイドル達には何もしてないんでしょ?」

 

 喧嘩別れというわけではないが、346プロには遺恨のある形で去りそのまま今に至っていることを命は知っていた。ミンメイを演じている際、自分のもとにやってきたアイドルの多くが346プロのアイドル達だからだ。

 

「実はな。向こうの上司と教え子、あと卯月と改めて話をしたんだよ。今回の報告も兼ねて」

「卯月って島村卯月?」

「そう」

「なんで彼女だけなの?」

「いや、まともに話せるのが卯月だけだったからだ。絶対に一部のアイドルが暴走するって見越してその三人には話してあるんだよ。ただ卯月のやつ、なーんか人が変わったよう感じでよ。たぶん今頃この状況を楽しんでるな絶対」

「第三者からすればそうかもねぇ」

「それにしても、事務所の準備どころじゃないな。あーでも、まずは荷物だけは入れちまうか。いや、その前に順一朗さんに連絡した方がいいか?」

 

 ぐるぐると同じところ行ったり来たり。普段の彼からすればまったく落ち着きがない様子。そんな彼を見て命はあることをふと思い出した。

 

「そう言えば気になってたんだけど」

「なにをだ?」

「事務所の名前。もう決まってるの?」

 

 足を止めた彼は、どこか誇らしげに告げた。

 

銀の星(シルバースター)だ」

 

 

 

 それから少しの月日が流れ――

 

 

 

「ふぅ。これでよしと」

 

 サイズにしてLLサイズのキャリーケースに荷物を入れ終えて床に立たせる。初めて仕事以外で海外にいくことになるので、どのくらいの荷物を入れればいいのか分からなかったが、そこは経験のある彼が教えてくれたので意外と手間はかからなかった。

 服も数日分のみ。この機会にと現地にしかない服を買って、それで過ごそうかと思っている。あとは化粧道具や小物類だ。

 四条貴音は今いる寝室を見渡した。広さにして畳何畳分だろうか。ぱっと見で12畳分あるいはもっとか。部屋の奥にはキングサイズのベッドが堂々とその存在感を主張している。あとは洋服ダンスに化粧台などなど。自室ももちろんあるけれど、ほとんどの時間をこの空間で過ごしている気がする。

 この生活も早半年以上が経った。

 あの日。アイドルアルティメイト決勝戦の二日後。なんで二日後なのか、それは翌日が美希の番だったからで、時間的には自分のが少ないような気がしたがそこは納得した。

 その二日後、かつてのように三人で朝食を取っている時に彼が言ったのだ。

 

「結婚しよう」

 

 たった一言。今までずっと聞きたかった言葉を言ってくれた。わたくしも美希も嬉しかった。食事中だというのに、今すぐにでも彼に飛びつきたい衝動を必死に抑えた。

 けれどすぐに冷静になった。そして美希が言ったのだ『どっちと?』そう尋ねると彼は『二人と』真剣な眼差しで告げた。

 そのあと食器を洗わないまま三人でベッドの上で過ごした。控えめに言ってはしたなかったと反省している。

 その際彼は説明してくれた。表向きは貴音と籍を入れて結婚するのだと。さすがに日本は重婚できないので仕方がなかった。美希は別に不満を言わずそれを受け入れた。結婚式も貴音と式をあげるが、美希ともちゃんと式をあげるのだと。

 

「誰かに見せられるものではありませんね。ふふっ」

 

 ベッドの上に飾られている写真立ての一つを手に取って貴音は微笑んだ。そこにはタキシードを着た彼。その左右にウエディングドレスを身に纏った貴音と美希が写っている。

 そこは一部の人達には有名な式場。森の中にある小さな教会で地図にも載ってないという。利用者は自分達のような人間や同性愛者、つまり訳ありの人間が結婚式をあげる場所。利用者の情報は絶対に漏れることはなく、この場所もみだりに言いふらさないことが互いの条件らしい。どうして彼がそこを知っていたのかは深く追求はしなかった。

 とにかく。わたくしと美希は念願だった三人での結婚式をあげることができた。一応互いの両親は事情を知っている(以前から根回ししていた)ので、この件に関しては問題はなかった。自分の両親はもう一度やるのでこの場におらず、代わりに美希の親族が参加した。あと彼の両親は両方参加していました。挨拶に行ったときはいきなり謝ってきたので驚きました。無理はありませんけれど。

 

「今になっても、あなた様には驚かされてばかりですね」

 

 次の写真は正式に披露した結婚式の集合写真。人数が多すぎるあまりかなり大きい一枚となってしまった。二人の身内を除けば765プロからは56人、961プロからは4人、346プロは……たくさんいらっしゃっており、他にも芸能関係者から仲の良い方達が。ただそれだけでは収まらず、彼の友人が日本問わず海外から訪れたのですから、それはもうびっくり。知らぬ人はいないであろう有名な俳優から女優に監督、他にも勲章を付けた軍人さんまで。彼の交友関係を初めて知った瞬間でした。

 特に彼が再会を喜んでいたスティーブという男性と女優であるアンバーとの関係に、わたくしを始め美希も嫉妬しました。アンバーからは「坊やをよろしくね」とお言葉をいただいたのが嬉しかったです。

 驚きの毎日でしたが、同時に毎日が幸せだと感じられている。これほどの贅沢はないでしょう。

 貴音は思い出に浸りながらキャリケースを手に持つと、扉をノックして彼がやってきた。

 

「貴音、準備できたか?」

「はい、あなた様。ちょうど今から出ようと思っていたところです」

「そうか。ほら、俺が持とう」

「ありがとうございます」

 

 普段のスーツ姿ではなく、最近見慣れた彼の私服姿。サングラスは以前と変わりなくかけている。本人は外す気でいたが、自分と美希で止めさせた。家の中はいいけど、外では付けていてほしいとお願いしたのだ。だって、他の人に彼の素顔を見られたくない、そんなちょっとした我儘だ。

 

「どうした?」

 

 ふふっと声を漏らしたのが聞こえたらしく彼はたずねてきた。

 

「いえ。なんでもありませんよ」

 

 

 

 

 

 この家、というよりも敷地は広い。何坪だろうかと計算しようとしたがすぐに止めた。最終的に知ることになる金額を見たくないからだ。

 貴音と結婚すると決め彼女の両親に報告した際、美希との関係についても伝えた。殴られることを覚悟でいたのだが、どうやらすでに知っているようで。お義母さんに至っては貴音と同じような笑みを浮かべながら笑っていた。あと挨拶に行ったら貴音には妹がいて、さらにあの高峯のあと従姉妹だというのだからたまげた。

 先と同様美希の両親も同じ展開になり、残る問題は自分の家族だった。三人で実家に行き、その他諸々の報告をした。この時も父に殴られる覚悟で身構えていたのだがその実、土下座して二人に謝っていた。この日は実家で一泊することになり、父と二人きりになった時に愚痴をたくさん聞かされた。曰く、帰ってくると言って一度も帰ってこなかった云々。

 結論から言えば、彼は何も問題なく二人と結婚し今に至る。ただ、貴音のお義父さんからまさか家丸ごとと、教えていないのに購入予定だった事務所をプレゼントされたのは、彼の人生で一番驚かされたことであり、初めて両手を挙げて降参したことであった

 この邸宅は分類すれば高級住宅になるのだろう。当たり前のように邸宅の周りを壁で囲っているし、敷地内は綺麗に舗装されて芝生は天然。樹齢は分からないけど立派な桜の木が植えてある。構造は二階建ての洋風だが中には和室が丸々あったり、どこからかき集めてきたのか小さな図書館と言っても過言ではない書斎があったりと挙げればキリがない。あとは響が飼っている動物たちの専用の家……小さな動物園? がある程度。

 そんな立派な我が家の玄関に彼を真ん中に左が貴音、右に美希が立っていた。

 

「それでは婆や。行ってきますね」

「行ってきますなの!」

「はい。三人とも楽しんできてくださいな」

 

 婆やと呼ばれているのは貴音の実家の使用人つまりはメイドさん。名は恋々(ここ)。結構なお年であるのにも関わらず未だに現役だ。

 彼女を始めとして他にも数名のメイドがおり、ぶっちゃければそれぐらいいないとこの家の掃除は行き届かないということなのか。

 あと男性で貴音が爺やと呼ぶ執事がもう一人と、見知った顔のメイドが一人いるが

 どういう訳かいまは不在だ。なんとなく察しがついて、彼は恐る恐るたずねた。

 

「あの恋々さん、深い意味はないけど一応聞きますね。時田さんとあいつ(・・・)は?」

「二人でしたら朝早くに仕事で出ていかれました。旦那様が考えているようなことではありません。ええ、ありませんとも」

「あ、はい。わかりました」

 

 真面目な対応なのだがどうしてか、高らかに声を上げながら言っているようでならない。彼はこの件は諦めて彼女の隣に立つ響と命に視線を向けた。

 

「で。なんで二人はそんなお洒落な格好してるんだ?」

「私はこれから七羽さんとデートだから」

「あ、そう。響は?」

「え、それだけ!?」

「じ、自分も、出かけるんだぞ!」

「ちなみに誰と」

「じ、事務所のみんなに、決まってるじゃん!」

「みんな……みんな、ねぇ……」

 

 ジッと響に疑いの眼差しを向ける。吹けてもいない口笛を吹いては目が泳いでいる。彼女の肩にいるハム蔵に至ってはご主人の様子にやれやれといった感じである。

 そこで響を助けるように貴音が割って入った。

 

「まあ良いではありませんか。二人は出かける(・・・・)だけなのですから」

「そうそう。響弄りもほどほどにね」

「酷くないか⁉」

「あー。わかったよ。それじゃあ、三人とも。行ってくる」

「はい。お気をつけて」

「気を付けてねー」

「またあとで――むぐっ!」

「どうした?」

 

 何かを言いかけた響が気になって振り向くと、彼女の口を押える命と恋々がいた。

 

「いえいえ。なんでもありませんよ」

「そうそう。ほら、行った行った!」

「……おう」

 

 三人に見送られながら彼らはガレージに向かう。その道中、三人には聞こえない距離までくると彼は二人に言った。

 

「お前ら、絶対何か仕組んだだろ」

「あら。なんのことですか?」

「ミキもさっぱりなの」

 

 とぼける貴音と美希。その態度に少しムっとしたのか、彼は気になっていることを言ってやった。

 

「なら当ててやろうか。時田さんとあいつはもう日本を発って現地に向かって、空港で俺達を出迎える手筈。そして後ろの三人も後か、もしくはどっかの誰かさんの自家用ジェットで現地で合流する。違うか?」

「さぁ?」

「ねぇ?」

「お前らな……。いいか、俺は怒ってない」

「本当でございますか?」

「ああ」

「本当にほんとぉ?」

「怒ってない」

 

 彼の顔を伺う貴音と美希は顔を見合わせると、観念したのか貴音がはじめに白状した。

 

「あなた様の申していることは間違いではありませんよ。ただ」

「ただ、なんだ」

「言い訳じゃないけど、旅行の話漏らしたのミキ達じゃないからね」

「それこそ俺が疑いたいよ」

「漏洩した経緯はどうであれ。わたくし達がハワイに行くと知った上で、水瀬家の別荘があるからそれを提供すると伊織が申してきた時点でもう決まったようなものですよ」

「まあ、三人の時間もちゃんと作るし、みんなで遊べる機会なんてないんだからさ。ハニーもそんな暗い顔をしないで楽しむの」

「一応これ、新婚旅行だぞ」

「知ってますとも」

「うんうん」

 

 そう。これは新婚旅行なのだ。普通の旅行とは違うのである。結婚式から事務所の設立、三人の移籍のいざこざからやっと解放されて、しばらく余裕があるので時間もたっぷりと作って計画を立て、いざ三人で旅行を楽しもうとしていたのに最後でこれである。やっぱり神なんていないし、いや、俺が嫌いだからこういうことをするのだ。うん、間違いない。

 

「まあ俺も人のこと言えないけどさあ。向こうでスティーブと会う約束してたし」

 

 ハリウッド研修の際ハワイにも何度か仕事で訪れたことがあった。その時に彼の知り合いが運営してるガンクラブがあって、今回もそこに行く予定を立てていたのだ。二人に言わなかったのは、別に当日でも問題ないと判断しからである。

 

「あら。となるとアンバーさんも?」

「来るんじゃないか? 言わなくてもスティーブが言うだろうし」

「ほんと二人と仲いいよね」

「数少ない友人だしな」

 

 話している内にガレージ前に着く。その幅はだいたい車4台分だろうか。リモコンを使ってシャッターを開ければ奥行きがあり、ディーラーの整備場の並みの広さがあるではないか。設備もしっかりと本職に負けじと言わんばかりに整っている。彼自身もタイヤの交換などはできるが本格的な整備はできないので、時田や他の使用人が整備をしている姿のが多い。

 ガレージには車が数台にバイクも数台ある。一部営業者のワゴンを除けば、そのほとんどが彼の私物になる。

 

「今日はどれに乗ってくの?」

 

 美希がたずねた。

 

「うーん。じゃあカマロで」

「もう、ハニーったらミキがいいなんて遠回しに言っちゃって」

「はいはい。その通りだよ」

「ぶぅー。最近ハニーの対応がつまらいの」

「あなたが子供なだけなのですよ」

「じゃあミキは子供でいいから、助手席はミキね」

「それとこれとは話が別です」

 

 ため息をつきながら彼は、二人のキャリーケースをトランクを開けて中に入れる。このカマロもそうだが国産車より外車のが多い。その理由は彼の友人のお下がりで、よくある新車を買うために今の車を売るような感じの流れで安く買い取ったわけである。バイクに関してはほぼ国産のみで、彼はHONDA派であった。外車はハーレーダビッドソンが好み。

 トランクを閉めてまだ口論している二人を眺めながら、彼は思う。これが今の生活、昔ならまったく想像もできなかっただろう。これが幸せだというなら、たしかにその通りだ。愛する二人、大切な人達との生活。

 新しい夢が始まった。自分もあの人達のように独立し、事務所を経営するようになったのだ。不安がないと言えば嘘だ。たしかに始まったばかりでこの先どうなるのかはまだわからないけど、きっと大丈夫だろう。なぜだかそう思える自信があった。貴音に美希、さらに響もいる。困ったら最終兵器の命を使おう。まあ使う気はないが。

 あの頃、芸能界に足を踏み入れただけの少年が、まさかこんな所にたどり着くとは。人生とは本当に分からない。いや、貴音と美希に出会ったおかげなのかもしれない。二人が傍にいなかったら、きっとここにはいないだろう。

 だから、

 

「ありがとな、二人とも」

 

 ぼそっと呟く。

 気づけば口論は終わっておりこちらに振り向くと、二人のムーンストーンのペンダントが揺れて光るのが目に入った。自然と視線が下に行き二人の左手の薬指にある指輪が。貴音がプラチナ、美希がゴールド。それに対して彼は同じ型のリングを重ね付けしていた。傍から見れば違和感しかないだろう。しかし彼らはこれでいいのだ。誰にもそれを否定することも、文句をつけられはしない。

 貴音と美希がいつものように自分を呼ぶ。暖くて優しい声が、自分という存在がちゃんとここにいるんだと認識できる。

 

「あなた様」

「ハニー」

「ん?」

「これからも」

「ずっと一緒ですよ」

 

 彼は気づけば自然と笑うようになった笑顔を顔に浮かべ、自信たっぷりにうなずきながら言った。

 

「ああ。二人がいれば、俺はどこまでもいける」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1部完

 

 Go to the next stage?

 

 

 

 

 

 

 




ある時間にあとがきを投稿します

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