銀の星   作:ししゃも丸

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第36話 アイドルアルティメイト開幕

 

 アイドル新聞  2018年 10月

 

 アイドルアルティメイト開幕。

 十数年ぶりに復活したアイドルの祭典が再び幕を上げたのである。

 4月から参加受付を開始し、応募締め切りは同月一杯。同時に応募が来たアイドルから書類審査を開始。この時点でほぼ落選することはまずない。普通にアイドルらしく活動していれば尚更。公式な公表はされていないが申請したアイドルの1、2割ほど落選したという噂が流れる程度で、その理由はアイドルらしかぬ出来事(男性とのスキャンダル等)、または突然出場取り消しの申請がなされたり。特に後者の理由が多かったと言われている。

 書類審査を通った次は本選の出場者を決める予選であるが、開催日は一月飛んで6月からの開催となった。

 そもそも今回開催されるアイドルアルティメイトはかなり急に決まったものだ。別にいつものようなアイドルフェスティバルなどのライブ等であれば数か月前に通知し、元々決められていた参加者への出演を依頼してスケジュールを調整したりする。だが今回の参加規模は過去最高である。アイドルランクの高さは関係なく、現在一事務所が所属するアイドルの数は最低でも10人以上で、最高で100人を超える事務所もある。出場するアイドルの年齢層で言えば、アイドル協会が予想していた通り10代から20代が多く、活動しているのは少数ではあるが30代のアイドルの参加はほぼなかった。

 日高舞を知っているか知らないかでこれだけの差が出ていることがわかる。逆に彼女を知らない若者たちは、まさに若さゆえに知らないということは時に強みでもあった。

 出場人数の多さもあって予選を行う場所の確保は容易ではなく、一度にすべての予選を消化することは不可能。さらに審査員やアイドルのスケジュールも大きな問題でとなり、結果的に数か月に渡って予選を行うことになった。

 予選の結果は逐一報告され、同時にネット中継も行われた。予選とはいえどかなりの視聴者が視ており、本選を前にしてファン達の熱気は高まっていた。

 また予想通り同じ所属同士のライブバトルも起きてしまった。特に参加人数が多い事務所の一つである346プロダクション。参加人数は30人超。

 予選の抽選はアイドル協会によるものなので不正はない。当人達にとっても、ファンにとっても苦しいライブとなった。

 下剋上を狙えるこのアイドルアルティメイトであったが、いくらアイドル協会がランクに問わず参加を許可しても、Aランクアイドルに新人のEランク及び候補生であるFランクアイドルが勝てる道理はない。

 だが、すべては審査員が下す結果がすべて。新人のEランクアイドルがBランクアイドルに勝手しまうというまさに下剋上が起きてしまうのも、このアイドルアルティメイトの凄いところであり恐ろしいことでもあり、同時に将来性のあるアイドルがいることの証明でもあった。

 そして、問題の本選に出場できる枠であるがこれがまた多い32枠で、そのため4ブロックのトーナメント戦ということになった。

 肝心の本選出場者であるアイドルはどれも名のあるアイドルばかり。約4人新人アイドルが勝ち進むという大金星をあげた。

 ただ、その内の1人に新人詐欺と言われるまでになったアイドル『リン・ミンメイ』の名前があった。

 本選出場者のだいたいがソロでの参加になったが、約4分の1にユニットでの参加を果たしたアイドル達がいる。

 その内の3枠が346プロダクションの『ジュエーリズ』である。『キュート』、『クール』、『パッション』の3チームで出場。人数はだいたい5から6人のユニット。ユニットでの本選出場も驚くべきだが、なにより注目すべきはユニットで勝ち上がったという点にある。

 ユニット人数が多ければ多い程採点は厳しいものとなる。現に他の強豪事務所でもユニットでの参加はあったが些細なミスで予選落ちが見受けられた。

 また、同じく3枠で出場を勝ち取ったのが765プロダクションの『スターズ』である。ユニット名も346プロダクションと似ており『プリンセス』、『フェアリー』、『エンジェル』の名で参加。こちらは5人のユニットで構成されている。予選前では各ユニット13人での参加が噂されていたが、さすがにそれはなかったようである。

 残りの2枠の内の一つは、アイドル自身が事務所を運営し活動していることで有名な『魔王エンジェル』である。3人ともソロ曲などを多数持っているが、やはりここはユニットでの参加となった。

 本選の割り当ては本人によるくじ引きでの選出で、場所はアイドル協会で行われたのだが、運悪く346プロダクションと765プロダクションのユニットの内2つは同じブロックの割り当てとなってしまった。この抽選もアイドルとしての天運だと言う者もいたが、こればかりは本当に運である。

 肝心のソロでの参加出場者はどこも名のあるアイドルだ。

 346プロダクションからは3名。『島村卯月』、『高垣楓』、『ヘレン』である。346プロダクションのソロであの参加は全体の中では多い方で、同時に厳しいものとなった。その中で予選を勝ち抜いたのがこの3名である。

 今回アイドルアルティメイトの本選出場の内6枠も勝ち取とることになり、これだけでも事務所にとっては大きな宣伝となった。

 意外なのが大手アイドル事務所である765プロダクション。ソロでの参加はわずか一人。

『四条貴音』ただ一人のみ。

『765プロオールスターズ』から数名は出場するだろうという我々の予想は大きく外れることになった。特にこれといった発言はされていないが、四条貴音だけというのは何か大きな意味があるのだろうか? 

 四条貴音に関して大きな話題を呼んだのが、765プロダクションのエース『星井美希』のアイドル活動の休止であろう(現在でもレギュラー番組などには出演しているが)。突然の発表でファンらはかなり騒ぎ、Twitterのトレンド1位にもなったぐらいだ。本人のブログ及び公式HPで動画が投稿され、アイドル活動休止の理由が語られた。内容は以前の記事で載せたが、その大きな理由は四条貴音を支えたいという意思が大きいようだ。

 現在も彼女は四条貴音のプロデューサーとして現在活動している。意外なことに上手くやっているようで業界でも話題になっている。

 アイドルアルティメイト本選の開催日は10月から順次行われ、各ブロックごとに3回戦まで行われる。ブロックごとの勝者が最終日に行われる準決勝に出場することになり、共に決勝戦は12月に行われる予定となっている。

 そして、それを勝ち抜いた2人を待つのが伝説のアイドル『日高舞』である。

 表舞台に正式に戻り活動を再開した彼女の人気は、時が経ったとは思えないほど影響がある。

 そんな彼女が本選初日に披露するオープニングセレモニーは目が離せないであろう。

 10月に入り本選開幕は目前。出場するアイドル達は日々レッスンに励み、本選を今か今かと待ち構えているころだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2018年 10月

 

 アイドルにとってもっとも多くの時間を消費しているとも言えるこのダンスレッスンの教室は、かれこれ数年の付き合いとなる。

 新築の765プロダクションには最新のトレーニング設備などが完備されてルームもあるが、一人のために独占することはできない。特にライブ前や一人で集中してレッスンしたい時には、以前から使っていたこの場所はとても便利である。

 鏡に映る自分の動きを意識しながら四条貴音は今日もレッスンを積んでいた。

 あれから数か月も経ち、いまは10月の頭。もうまもなくアイドルアルティメイト本選が開幕しようとしている。

 書類選考からの予選のライブバトルはかなり待たされた。

 参加人数の細かい数字は知らないが、自分が参加した予選会場にはざっと30人はいたのを覚えている。全員がソロというわけではなかったが、その内の1、2枠はユニットでの参加だと思う。直接面識はない方だったので雑誌やテレビで顔を知っているぐらいなので仕方がない。

 手を抜くのは相手に失礼だ。貴音は予選から全身全霊を以てライブに挑んだ。

 結果は圧勝。予選の相手はEランクアイドルからAランクアイドル達もいたが、いまの彼女を止められる者は誰一人いなかった。

 765プロでは他に3ユニットで『スターズ』が予選を通過した。後輩のアイドル達は自分がアイドルアルティメイトに参加する真意は知らない。だが、ほかのオールスターズの仲間達が参加しないのと、美希がアイドル活動を休止していることを考えれば誰かしら何らかの理由があるのだと察するだろうが、そこまでしかわからないだろう。

 アイドルとして活動を再開し、みんなに参加する意を伝えたとき言われた。

(貴音さん、私達全員貴音さんを応戦するからね!)

 春香がいつものように笑顔で言った。彼女に続くようにみんなが言う。

(……どうしてですか? わたくしに遠慮することなんて)

(ばか。遠慮じゃないわよ。あのどうしようもない男にガツンと言ってやるんでしょ?)

(ほんと、兄ちゃんには困ったものですな~)

(うんうん。困ったちゃんだね~)

(ボク達もトップアイドルの称号はたしかに気を惹かれるけど)

(それでも、貴音さんが出場する理由をわたし達は知ってますから)

(美希がアイドル活動を休止する。それだけでも、あの子の覚悟が伝わってきたもの)

 事の経緯を知っている律子が、やれやれと肩を落とす。

(苦難の道のりだけど、貴音さんならきっと辿りつけるわ)

(だから貴音ちゃん、がんばって。みんなが付いてるわ)

(ありがとうございます、みんな)

 流れそうになった涙を堪え、精一杯の想いを伝えた。

 かけがえのない仲間を持てて、幸せだと改めて痛感した。そして、仲間以上に親友である響には少し迷惑をかけた。

 活動を休止していた時、響がとても心配してくれたと美希が教えてくれた。響との付き合いは765プロに入ったとき、自然と絡むようになった。いまは美希が一番だったが、それ以前は響といる時のが多かった。あの人と一緒に住むことになったあとも、美希と3人で出かける際に響も誘って4人で出かける理解があったり、やはり彼女も大切な存在だ。

 活動を再開した時に、みんなに言わなかったことを訊いた。

(響達は〈アイドルアルティメイト〉に参加しなくてよいのですか?)

(どうしたんだ、貴音? そんな急に)

(いえ、だってみながわたくしのことを応援してくれるのはとても感謝しております。ですが、この先〈アイドルアルティメイト〉が開催される保証だってありませんのに)

(んー。みんながどうかはわからないけど、自分はそのトップアイドルにそこまで固執してないからだと思う。いや、たしかに惹かれるぞ? 自分だって一番になりたいのは嘘じゃないし。でも、今回ばかりはみんな貴音のことを応援したいからだと思う。それ以上の理由がないもん。それに)

(それに? なんですか?)

(もしこの先も開催されるなら、その時に参加してみるだけさー。出場するだけならタダだし)

 響らしい。そう素直に思った。

 だからわたくしは、それ以上みんなに追求することはしなかった。

 

「っ……ふぅーふぅ、ふぅー」

 

 音楽がとまるのを待ってから大きく深呼吸。

 ふと時計を見ると3時過ぎ。かれこれ2時間はレッスンを通しでやっていたようだ。

 今日の仕事はすでに午前中で消化している。午後は気兼ねなくレッスンに打ちこめることができるので、ペース的にはここで長めの休憩入れる頃合いだろうか。

 それを知らせるかのように美希が部屋にやってきた。彼女が手に持ったペットボトルを投げてきたのを、うまくキャッチした。

 今日はうまく取れた。なにせ、昨日は落してしまったからリベンジ成功だ。

 

「はあー。生きかえります」

「今日は予定がないんだから、もうちょっと抑え目でいいと思うけど」

「それもそうですが、今日は体を動かしたい気分なのです」

「そう。まあ本選近いもんね。できることはしておかなきゃ」

 

 壁に寄りかかりながら美希も手に持ったコーヒーを飲んで言う。色的に多分…微糖。

 以前はコーヒーを飲んでも砂糖が入っているやつしか飲んでいなかった。それが気付けば微糖を飲み始めた。いや、最初はブラックを飲んですぐに諦めたのだった。

 美希も色々と変わった。

 それはいまのコーヒーもそうだし、服装や身だしなみも以前より一層気遣うようになった。

 服装はまずビジネススーツになった。美希は言わなかったが、着ているスーツはあの人が彼女の高校卒業の祝いの一つとしてプレゼントしたものだ。その時美希は、両親からも一着買って貰ったと言っていたのを覚えている。彼は『スーツは2着あっても困らない』と言ってプレゼントをした。

 一応両親が買ったスーツはスカートで、あの人はパンツを買ったので差別化はできているといえばできている。

 貴音はブランド物には詳しくないが、プレゼントしたスーツはそれなりにいい品物だったと見てわかる。なんと言ったか。ある……なんちゃらだったような気がする。

 あとは髪を後ろで一つにまとめ、伊達メガネをかけたぐらいだろうか。

 まじまじと美希を見ていると、彼女が首を傾げながら言ってきた。

 

「なに? ジロジロ見て」

「いえ。美希もそれなりに様になったなと思いまして」

「そうかなー。一応前よりは、ていうかあれなの。社会人としての振る舞いが板についてきたかなって。それでも、アイドルとしての星井美希の扱いをされちゃうこともしばしばあるけどね」

「以前でしたら『あー、あはようございますなのー』と気の抜けるような挨拶でしたからね」

「みんなの前ではそんな感じだよ? 我ながらアイドルとプロデューサーの切り替えが上手になったの」

「ですが、美希はよくやってくれています。見ているだけではなんとも言えませんが、大変なのでしょ?」

「最初はね。でも、美希はやればなんでもできる子だからへっちゃらなの。このまま貴音のプロデューサーでもいいかなーって、思っちゃうぐらい」

「美希」

「ごめん。じょーだんなの」

 

 別にそれが悪いというわけではない。でも自分の、美希のプロデューサーは彼だけなのだ。

 まあしかし、約半年も自分のプロデューサーとしての責務を果たしてくれているのだから、多くは言えないし感謝だってしている。

 少し雑談をしながら美希の隣に座り、ふと思い出した。今日はあの日だ。

 

「そういえば、本選の抽選が発表されたのでは?」

「ああそうだったの。えーと、はいこれ」

 

 渡されたのはアイドル協会から送られてきたトーナメント表だった。総勢32名。4ブロックに分かれての勝ち抜き戦。

 気になっている彼女の名前を探す……あった。

『Cブロック リン・ミンメイ』

 順番が逆だが自分の名前を探そうとすると美希が先に教えてくれた。

 

「貴音はAブロック。本選の第一戦目。オープニングセレモニーのあとすぐに歌うことになるわけだけど、こっちとしてもいいアピールになるんじゃない?」

 

 綺麗な歯が見えるぐらい美希は微笑みながら言う。

 アピール。たしかにその通りだ。けれど、彼女の言い方は優しい。もっとシンプルに言うのならばこれは、宣戦布告だろう。

 日高舞。

 〈リン・ミンメイ〉

 そして、あの方に。

 きっと歌を歌いながらこう訴えるだろう。

「さあ、来てやりましたよ。あなた様がなんと言うおうともわたくしはここまで来ました。目障りですか? 邪魔ですか? 結構。嫌と言うほど迷惑をかけてやりますとも。あなた様が『やめてくれ』と土下座しようともやめませんから、そこのところ、夜 露 死 苦」

 と、咄嗟に考えてみたが、半分冗談だ。そんな汚い言葉を使うほど下品な女でありませんし。

 そんなことを考えていると美希が同じ紙を見ながら言う。

 

「抽選はほぼ運だから、どうなるか心配だったけどこれなら全部予定通り。彼女はCブロックで、当たるのは決勝戦。そして、日高舞とミンメイと貴音の三人のライブが待っている。後輩であるみんなには悪いけど、運がよかったの。Aブロックで最後に当たるのは多分……魔王エンジェル――東豪寺麗華」

「凄い女性です。いえ、今では中々見ることができない強い女性、といったところでしょうか。アイドルをしながら事務所を経営する。簡単にできることではありません」

 

 貴音は東豪寺麗華とは一度直接会ったことがある。961プロを後にしたあの日、最後に寄ったのは東豪寺プロ。彼女達もあの人を知る人間。純粋に興味があったのだ。

 まあ自分は麗華と口論を繰り広げていたので、直接話を聞いていたのは美希であるのだが。

 ソロではなくユニットでの参戦。手ごわい相手であるが、負ける気はしなかった。自惚れや相手を見下しているわけではない。

 

「どう? 勝てそう?」

「愚問ですよ、その問いは」

「そうだったの。ごめん」

 

 そう、途中で負けるようならば意味がないのだ。

 

「ミンメイはCブロックだから絶対に負けるなんてことはないと思うけど、Bブロックで気になる子はいるの? 準決勝で当たるのは間違いないんだし」

 

 再度トーナメント表に目を向ける。Bブロックで目に付くアイドルは『島村卯月』、『スターズ』と全員知っているアイドルではる。

 しかし、そんなことよりも貴音はおかしくてつい笑ってしまった。

 

「なにがおかしいの?」

「いえ。ただ、参加しているアイドルの半分があの方が手掛けたアイドルだと思うと、おかしくて」

「それはたしかに笑っちゃうの」

「ですが、これはある事を意味しているということにもなります」

「どういうこと?」

「あの方の真意はどうであれ、彼が育てたアイドルの多くが本選に出場している。つまり、資格はあったのでしょうね。あの方の悲願を成就するための」

「……かもしれないね。でも、選んだのはどこからか連れてきた謎のアイドル。そこは、流石って言うべきなのかな」

「あの方らしいと言えばらしいです。……わたくしは、会ってみたいです」

「ミンメイに?」

「はい」

 

 正確にはリン・ミンメイではなく、ミンメイを演じている彼女本人。

 なぜ会いたいのかと問われれば、それは純粋な興味によるものだ。どこで彼と出会ったのか。どうしてアイドルになろうと思ったのか。共にいた時、彼はどんな風だったのか。そんな些細なことを聞いてみたいと思っていた。

 実際に彼女が出演している番組やライブを見てわかったことは、彼女はどこか変わっているという印象があった。

 なにが、どこが変わっていると指摘するのは難しいのだが、これは直感だ。

 ただ、唯一断言できることがある。彼の目的を知った上で協力していると過程すれば、確かに彼女は変わっている。変人と言ってもいいかもしれない。

 最初は素人にしては大それた役者だと思った。新人アイドル問わず、誰もが最初は素人で初心者。アイドルであればライブのダンスや歌でそれぐらいの判別はできる。

 貴音自身も少し前にデビューした歌番組を見た、本当にただの興味本位でみたのだ。だが、見なければと、あとで後悔した。

 まあうまく騙し騙しでやれたものだと思う。ダンスは間違っているし、歌詞も指摘されたように間違えている。Aランクアイドルの自分ですら、最初はこうなのだ。こういうものなのだ。

 だが、ミンメイは違う。

 ダンスも歌も一線を越えている。世間が言うように新人詐欺というのは的を得ていると思う。あれは、人が辿りつけるような領域とはとても思えなかった。

 その美しい歌声に誰もが魅了され、虜になってしまう。さながらセイレーンのようだ。

 また別の意味で、彼女同じ領域にいる人間がいるとすればやはり日高舞になる。当時の彼女の映像を見たが、一線を画すものだった。今が同じ状態なのかはわからないが、当時は紛れもなくミンメイと同じような存在だったに違いない。だがそれも、本選のセレモニーでわかるはずだ。

 なんにしても、最終目標はその二人が待つ決勝にいくのが普通(・・)の人間である自分になるわけだ。

 ミンメイや日高舞について考察していると、貴音は美希がどんなイメージを抱いているか気になり聞いてみた。

 

「美希はミンメイについてどう思っていますか?」

「どうって言われてもなあ。ミキは親近感を抱いているだけなの」

 

 意外な言葉が出た。貴音は驚きたい衝動を抑え、彼女の話を黙って聞いた。

 

「なんて言えばいいのかな。ミンメイってミキと似ているんだよね」

「どこが似ているのですか?」

「どこがって言われると答えずらいんだけど、たぶん全部。ミキはやろうと思えばなんでもできると思ってる。それは今も昔も変わってないの。自分で言うのはどうかと思うけど、天賦の才ってやつ。だからかな。ミンメイとミキは同じなんじゃないかなって」

 

 意外なほど、その理由には自ずと納得していた。なにせ以前から知っていたことだ。

 それもあの日から。

 美希と自分が呼び出されたあの日、もし彼女にアイドルをやる気があれば、ここに自分はいない。直接彼から聞いた真実だ。星井美希は天賦の才を持った人間ということは、貴音自身重々承知していたことだった。

 

「だから、ミンメイや日高舞と勝負してもミキは負けないよ。まあ勝てるとも思ってないけど」

 

 嘘だ。

 ――と口には出さず心の中で叫んだ。美希がこう言うのならば本当は勝てる。いつも隣で見てきた自分だからわかると貴音は確信していた。

 

「それだけの大口を叩けるのであれば、そうなのでしょうね。わたくしは美希達と違って普通ですから」

 

 言うと、美希は『は?』と口を開けながら意外なことを口にした。

 

「貴音って、自分の事を普通の一般人だと思ってたの?」

「ええ。当たり前ではありませんか」

 

 そう言うと今度は呆れたのか大きなため息をついた。失礼な。一体なにがいけないというのだろうか。

 

「普通の定義が乱れるの。貴音が普通ならミキなんなのっていうことになるの」

「なにって、天才では?」

「否定はしないの。けど、貴音は普通じゃないし、貴音を凡人なんて誰も信じない」

 

 不機嫌なしわをつくりながら貴音が怒り混じり言った。

 

「聞き捨てなりませんね。わたくしのなにが普通ではないと言うのですか?」

「全部」

 

 即答だった。あまりにも即答だったもので少し硬直してしまった貴音を無視しながら美希は続けた。

 

「しいてあげるなら……カリスマかな」

「かりすま?」

「たぶんだけど、この点においてはミキにミンメイや日高舞が唯一貴音に負けている点だとミキは思ってるの」

「それは一体全体どうして?」

「んーーー。言葉がうまくでないの」

 

 綺麗に整っている自慢の髪を右手でくしゃくしゃと弄っていると、突然手が止まりポンと手を叩いた。

 

「うん、生まれが違う。そう、これこれ!」

「はあ……」

「なに、その『何を言っているのかしらこの子。頭大丈夫かしらー』なんて顔して!」

「だってその通りなのですから、しょうがないではありませんか」

「とぼけちゃって、まあいいの。貴音がどう思おうと、貴音は普通じゃない。むしろ誰よりも逸脱した存在」

「……飛躍しすぎでは?」

「どうして? 貴音とは長い付き合いだけど、ミキは貴音の実家は知らないし、ご両親の写真だって見せてもらったことはないの。それに、貴音はどこか違うって最初に会った時から感じていたの。本当に同じ人間なのかなって。だからファンのみんなが『銀色の王女』なんて呼ぶようにもなって。だから、ミキずっと思ってたことがあるの」

「それは?」

「貴音ってもしかして本当に王族なんじゃないかなって」

 

 その言葉に誠実な思いなど皆無。ただ、自分の反応が見たくて面白おかしく言っているだけの台詞だ。

 そもそも四条家は王族ではなく五摂家の一つ。我が故郷を護り、導く家柄の一つ。たしかに代々四条家からも統治者は出ていたが、四条家を含めても王族などと大それた存在ではない。

 まあ王族に言い換えれば、四条家は王位継承権を持つ一族で、自分はその王妃になる資格がある存在になる。その『銀色の王女』という称号は自分には余るものだと感じていたが、意外と王女というフレーズは気に入っていた。

 ここまでのことは美希にはもちろん、彼も知らないこと。今は話す気はない。あるとすれば、それに相応しい時期が来てからになる。

 ならばここは、話を合わせて濁すまで。

 貴音は左手で髪をふわっとかき上げ、それらしいポーズをして高らかに言った。

 

「ほう。であれば、そなたはわたくしに不敬を働いたことになります。よって、死刑」

「ちょ、ちょっとそれは過激すぎなのー!」

「王女ならば普通では?」

「そうなの?」

「さあ?」

 

 閑話休題。

 コホンと咳払いをしながら美希は話を戻した。

 

「実際ね? 貴音は普通の家庭の生まれじゃないって思っているのは本当。自覚はないかもしれないけど、貴音がその気になればそのカリスマで多くの人を統べる能力があるのは本当」

「買いかぶり過ぎですよ、美希」

「どうかな。でも、これ以上追及したところで、貴音はどうせ素直に頷かないのはわかってるからもういいの」

 

 美希はため息をつくと、飲み終えて空っぽになったペットボトルを手に取り聞いてきた。

 

「あとどれくらいやってくの?」

 

 聞かれて時計を見る。だいたい20分ほど休んでいたようだ。長めに休んだおかげでもうちょっとやれそうだ。

 

「そうですね。あと1、2時間はやろうかと」

「そう。なら美希は一旦事務所に戻るね。早めに戻ってくるつもりだけど、もし気が変わったら連絡ちょうだい」

「わかりました」

「じゃあまたなの」

 

 空き缶を持ったまま手を振って美希は部屋を出で行く。貴音は美希が部屋から出て行くのを確認して鏡の前に立つ。

 鏡に映る自分を見て、

 

「かりすま、か。一人の男に手を焼いている女に、かりますなんてあるのでしょうか」

 

 憂いに満ちた表情を浮かべて貴音は自分に問いかけるように言うと、パチンと顔を叩きレッスンを再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 346プロダクションにある346カフェの一角に卯月は一人座ってコーヒーを飲んでいた。ここは三桁を超えるアイドルが使うにはあまりにもテーブルと椅子が足りないが、彼女が座っているところと左右合わせて三つのテーブルはアイドル専用の場所になっていた。

 時間帯的には他のアイドルが居てもおかしくはないが、今は卯月一人だけだった。

 A4サイズの紙を手に持ち、コーヒーを一口飲んで卯月は言った。

 

「私は……Bブロックか」

 

 これは先程武内Pから渡された〈アイドルアルティメイト〉のトーナメント表だ。渡されてすぐに目を通そうかと思ったけど、時間はあるしゆっくり見るかと思ってここで初めて抽選の結果を知った。

 それにしても、あの抽選会場は我ながら平静をよく保っていたと卯月は自分を褒めた。

 ユニットとして出場する各ジュエリーズのリーダーである三人と楓さんにヘレンさんと一緒にアイドル協会に赴いたわけだが、案内された部屋はかなりピリピリしていた。

 部屋には抽選を中継するためのカメラマンを含めたスタッフと本選に出場するアイドルが全員揃っており、部屋の角にはそれぞれの担当プロデューサーが待機していた。

 部屋に入ると大半のアイドルが落ち着かないのか部屋をキョロキョロと見回していたのが目についた。まあ自分もやっぱり気になって一度部屋の隅から隅を見てみたが、お目当ての人間は居なかった。

 自分達に共通しているのはプロデューサーだということはすぐにわかった。

 なんらかの形でわかっていたが、本選に出るアイドルがこんなにもいるとは思ってもみなかった(短期間であるが彼がプロデューサーとして担当したことに)。

 皆はプロデューサーがいることを期待していたようだったが、私は彼がいるとは初めから思ってはいなかったのだ。予選の結果はもちろん彼の耳にも届いているだろうし、現地に来れば自分にアイドル達が問い詰めに群がってくるに決まっている。

 しかし、実際は予想以上にプロデューサーではなく、〈リン・ミンメイ〉が目立っていた。私には少し浮いているように見えたが。

 彼女は協会が用意していたパイプ椅子に座っていただけでその存在感を周りに見せつけていた。足を組んで何もせずに座っており、時折あくびが出そうでそれを堪えている姿は、世間が騒ぎ立ているようなスーパーアイドルではなく、どこにでもいる普通の女性のように錯覚する。

 ミンメイに話しかけようとする人間はいなかったわけではないが、誰も声をかけることはしなかった。それは彼女に限った話ではなく、会場にいるアイドルは誰もが一度は共に仕事をしたことがあるのにも関わらず、無暗に話しかけるようなアイドルはいなかった。

 身内で一緒に来た私たちも、部屋の中ではほとんど無言だった。

 中継のカメラが回っていたことも理由ではあるが、やはり誰もが優勝を目指しているアイドル。たとえ身内であろうと、自分以外は敵でありライバルなのだろう。

 意外かもしれないが、自分も皆のことはライバルだと思っている。予選では何回か仲間と当たったし、あまり気分がいいとは言えないが割り切った。

 自分には伝えなければいけないことがある。

 きっと直接会ってはくれない。

 だから、あそこに行くしかないのだ。

 想いを伝えるためには。聞いてもらうためには。

 トーナメント表から目を離すと、正面から見慣れた顔が声をかけてやってきた。

 

「卯月、いま一人なの?」

「うん、ちょっと休憩してました。凛ちゃんこそどうしたの? 凛ちゃん達はユニットで集まってたよね」

「ああ、うん。話は終わって、今日は解散になった。今日はもう何もないから、ちょっとカフェで休んでから帰ろうかなって」

 

 彼女は歯切れが悪そうに言う。何かあったのだろうかと思い卯月は訊いた。

 

「なにかあったんですか?」

「いや、そこまで悪いことじゃないんだ。ただ空気がピリピリするっていうか、そんな感じ。卯月ももう見たでしょ? 本選の抽選」

 

 卯月は頷いて答えた。

 渋谷凛。彼女もジュエリーズの一人として本選に出場することになっている。もっと大雑把に言えば、プロデューサーに好意を抱いているアイドル達が〈アイドルアルティメイト〉に出場した。

 ユニットでの予選は厳しいといわれていたが、彼女を含めて3ユニットが無事本選への出場権を手にしたというわけだが、卯月は口には出さなかったが驚いていた。

 女の執念というやつだろうか。

 ただ、意外だったのが凛ちゃんはてっきりトラプリで出ると思っていた。奈緒ちゃんに加蓮ちゃんもプロデューサーのことが好きだったから。

 

「自分で言うのもなんですけど、私はBブロックでみんなと当たるとしたら準決勝か決勝戦になりますから、内心ほっとしてます」

「そうだね。私達だってそう思う」

「凛ちゃんの『クール』はえーと、Aブロックですか」

「四条貴音に魔王エンジェル、他にも名だたるアイドルばかり。私たちはまだマシだよ。残りの二つはCブロックで、ヘレンさんは初戦からミンメイとだし」

「激戦区ですもんね、Cブロック。でも、ヘレンさんはなんだか嬉しそうでしたけど……」

「ああ、ヘレンさんね。あの人は……あ、どうも」

 

 ウェイトレスが持ってきたコーヒーを受け取ると凛は再び話し始めたが、その顔はなんとも言えない複雑そうな表情をしていた。

 

「なんだっけ。たしか『そう、彼女とあたるのね。ふふ、そうでなくちゃ』みたいなこと言ってた」

「すごいですよね。私だったらもう頭を抱えてどうしようってわめいています」

「私もだよ。まあそこはやっぱりヘレンさんだからね」

「うん。ヘレンさんだから」

 

 コーヒーを一口飲む。

 話題を変えよう。

 いまのままでは互いにとってもいいものではない。卯月はここにはいない親友のことを話した。

 

「そういえば未央ちゃんと最近会いました?」

「ん? 私はこのあいだ会った。雑誌の収録かなにかで事務所に来てたからその時に」

「未央ちゃんもすごいですよねー。あーでも、この場合はやっと苦労が報われたっていうんでしょうか」

「そうだね。未央、嬉しくて泣いてた」

 

 未央は今回アイドルアルティメイトに出場していなかった。本人としても出たいという気持ちはあったが、いまはそれよりも大事なことがあった。

 近々彼女が主演を務める舞台が公演されるからだ。

 数年前。舞台の仕事を経験してからどういうわけか、未央は舞台に興味を持ち始めた。アイドルの仕事もこなしつつ舞台に立つための技術を日々学び、オーディションもドラマや舞台といった方面の仕事を選ぶ回数が増えた。

 それからは脇役から準レギュラーの役を務め、今回ようやく主演の役を勝ち取った。

 そのため未央はアイドルアルティメイトに参加することはできなかったが、彼女としてはそちらよりも舞台の方に意識を集中しているためかあまり他のみんなよりは反応が薄かったのを卯月は覚えていた。

 

「見に行きたいですけど、いまは余裕がなくて無理そうです」

「私も。さすがにいまは、ね。話は変わるけど、卯月はどう?」

「どうって、なにがですか?」

「調子とか仕事?」

「んー。ふつうですね、ふつう」

 

 調子と言われても普段とあまり変わり映えしない。

 意外なのが、驚くほどいまの自分は平然としているのだ。予選がはじまる前はそれなりに意気込んではいたが、いざ予選がはじまると普段通りの自分がいた。それには自分の予選相手に仲間達とは当たらなかったのも影響しているのかもしれない。

 

「そういう凛ちゃんはどうなんですか。私と違ってユニットですし、こう言うと失礼だけどみんな普段通りでいられてない気がします」

「それは私もだよ。ユニットのみんなといるにも関わらず、事務所じゃプロデューサーのこと禁句だし。いまはなんとか本選に意識が向いているから前よりはマシだけどさ。プロデューサーのことをこうして口に出すのも久しぶりな感じだよ」

「口に出さなくてもみんな意識してますよ。……ほんと、忘れたくても忘れられないほど大きな存在だったんですね」

「まあ別れ方があれだったし」

 

 あの日、卯月はプロデューサーと最後に会ったことを他のアイドル達には話してはいなかった。最初は、隠すつもりはなかった。けれど、彼と話した中身が問題でそう簡単に話す気になれずにいた。

 はたして自分に言えるだろうか。

『私達アイドルには特に会いたくなかった。理由ですか? 面倒だったからって言ってました』。なんて言えるほど私は強くないし、それを伝えた時のみんなの視線に耐えられることなんてできない。

 逆に考えればプロデューサーのとった行動は間違いではない。アイドル達にとっては納得のできないことだろうが当人が被る状況を顧みれば合理的な選択。

 しかしそれが正しいとも思えずにいた。

 もし、ちゃんと理由を話していればこうして面倒な状況にはなっていなかったかもしれないし、アイドルアルティメイトに参加することもなかったかもしれない。

 いまとなっては、あれこれ考えてもどうしようもできないことではある。

 

「でもさ、卯月はどうして出場したの? それも一番に参加したし」

 

 凛は前々から気になっていたことを訊いた。卯月は武内Pからも訊かれた時のような同じことを伝えた。

 

「プロデューサーに、会って伝えたいことがあるんです。ただそれだけ」

「ふーん」

 

 目を細めながら凛はじっと卯月を見ると、今度は頬を赤く染めながら言ってきた。

 

「も、もしかして、プロデューサーに、こ、告白する、とか?」

「――は?」

 

 あまりにも突拍子な発言だったので思わず変な声を出してしまった。

 

「いや、だってさ! そういうことじゃないの!? わざわざ〈アイドルアルティメイト〉に参加してまで伝えたいことって……」

 

 ごくたまに凛ちゃんのことがわからなくなりますが、今回は特にひどいですね。

 彼女は動物に例えると犬だ。飼っているハナコのように忠犬といってもいいが、渋谷凛の場合はご主人にメロメロで、下手をすると噛みついてくる怖い犬だ。

 以前はよくまゆちゃんと火花を散らしてましたっけ。

 まゆのことを犬とは思ってないが、互いに似た者同士でじゃれているように見えてしまうことが多々あった。

 卯月は思った。この際だから聞いてしまおうと思い率直に尋ねた。

 

「凛ちゃんって、プロデューサーのこと好きなんですよね?」

「は、はあ? そ、そんなことないし! あんなターミネーターのこと好きになるわけないじゃん!」

 

 白々しいし、なんてめんどくさいのだろう。親友である相手に卯月は内心大きなため息をついた。

 

「凛ちゃんに限らず、346プロで〈アイドルアルティメイト〉に参加しているアイドルはみんな、プロデューサーに好意を抱いている子ばかりですよ? それに私を含めた他のみんなはとっくに知ってますし、言い訳したって無駄ですよ」

「……なんか、今日の卯月失辣」

「そうですか? 当たり前のことを言ってるだけなんですけど。まあいいです。凛ちゃんは、プロデューサーのことが好きだから参加したんですよね」

 

 頭を下げ、俯きながら凛は肯定するとそのまま言った。

 

「そもそも、なんでそんなこと聞くのさ」

「ただの好奇心と忠告です」

「忠告?」

 

 言う機会はいましかないだろう。

 卯月は小さく深呼吸をして凛に告げた。

 

「凛ちゃん、残酷な言い方をしますけど、プロデューサーのことは諦めた方がいいですよ」

「どうして!」

 

 テーブルを叩きつけて立ち上がる凛を見ても同時彼女はつづけた。

 

「プロデューサーはきっと、私達に対して特別な感情は持っていない。まして、女として意識すらしていません。私達に見せた笑顔もそれが仕事だから。もっと言えばあの人は、私達に期待すらしていなかったんですよ」

「……どうして、そう言い切れるの」

「それは――」

 

 卯月は口ごもった。

 言うべきか悩んだ。これは直感だ。私にはプロデューサーの考えはわからない。けれど、どうしてここを去ったかは想像がつく。きっと他のみんなも気づいているだろう。

 

「プロデューサーが求めているものは、ここにはなかったから」

「卯月はさ、どうしてそんなに平然で淡々と言えるの?」

「本当は――」

「?」

「本当は言うつもりなかったんですけどね。実は私、ここをプロデューサーが去った日に会ってるんです。その際プロデューサーから直接言われたからでしょうか。その時に後悔して、泣いて、自分がすべきことに気づいて、だからなんでしょうね。ああ、この人は私達のことなんてもうどうでもいいんだって」

 

 だが、彼は最後に私に言ったのだ。『結局、お前の答えを聞くことはなかったな』それが未練なのかはわらかない。けど、345プロにはもう用がないのであればこんなことを言わないはず。いくらと自分と遭遇してしまったとはいえ、そんなこと言うだろうか? 彼がどんな意図をもってそれを口に出したかはわからない。しかし卯月にとってはそれがどんな意味であろうと、自分がすべきことを自覚する起源になったのは間違いなかった。

 

「だから私は、あの人のことを敬愛はしていも、親愛ではないんです」

 

 立っていた凛は静かに、体から力が抜けるような感じで椅子に座る。すると彼女は眉をひそめながら、恐る恐る言った。

 

「本当に、卯月なの? 正直に言って、私が知ってる卯月とは思えないよ」

「軽蔑しました?」

「まさか。そんなことしないよ。まるで人ががらりと変わったみたいで、ちょっと驚いただけ」

「あんまり自覚はないです」

「だろうね。でも変わったと思うよ、卯月は」

「だとしたら、私も大人に近づいているってことですね」

 

 胸を張って言う卯月に凛は鼻で笑った。

 

「ないない」

「えーなんでですかー?」

「そういうところがまだ子供っぽいから」

 

 卯月は不貞腐れながら飲みかけていたコーヒーを全部飲み干した。

 我ながらこういうところが子供っぽいと言われてしまうのが原因だとわかってはいる。それでも、凛ちゃんよりは大人らしい振る舞いができていると卯月は思っていた。いや、そうではなくては困る。これはあくまで彼女より年上としての意地だ。

 

「あーあ。ほんと、休むだけだったのに疲れちゃった。うん、帰る」

「あ、凛ちゃん!」

 

 立ち去ろうとする凛に卯月はもう一度忠告した。

 

「私が言ったことに納得しろなんて言いません! けど、心に留めておいてください」

「……うん」

 

 振り向かずに彼女は頷いた。

 実際に本選で彼に会えるかなんてわからない。こうまでしても言わなくては実際に会った時、残酷なことになる。

 凛が346カフェを立ち去るまで卯月は彼女の背中を眺め続けたあと、視線を下げるとあるものに気づいた。

 

「……あ」

 

 凛ちゃん代金払ってない……!

 よく見ると自分のと一緒の会計になっていた。いつのまに。おそらくカフェに来た時、私より先に自分の存在に気づいてウェイトレスに注文したのだろう。

 大人らしいずる賢いところは彼女のが一枚上のようだ。

 

「ま、ここは年上らしくおごってあげますか」

 

 笑みを浮かべながら卯月は伝票を持ってレジへと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 日高舞は自宅に帰るとソファーに向かって一直線に歩き、倒れた。

 疲れた声をあげながら夕飯はどうしようか、冷蔵庫に何か残ってたっけと主婦としての思考に切り替わる。

 先ほどまではアイドルとしての日高舞として振る舞っていたが、いまは自宅だ。唯一の安息の地でアイドルらしくいる必要ない。

 そんな彼女の傍に一人の男が静かに歩み寄った。

 

「お疲れ、舞ちゃん」

「ん、ありがと」

 

 彼は舞の夫だ。身長は180cm前半で、その割にはあまり体格はよくなくて、やはりというか眼鏡もかけている。いわゆる優男に近い男だ。

 世間からすれば、こんな男があの日高舞の夫だとはにわかに信じがたいだろう。それでも舞は誇っている。この人が私の愛する夫なのだと。

 けど、いくら昔から言っているとはいえ、『舞ちゃん』はちょっとやめてほしかったりする。

 この人を知る人はもうそんなにはいないだろう。事務所の社長と当時から在籍している事務員ぐらいのはずだ。

 なにせ、自分の引退騒動で事務所を辞めるか移籍する人間は多く、残った人間は少ない。

 まあ全部自分が悪いのだが、いまでも事務所がよく存続できたことは驚きであった。

 

「夕飯は無理しなくていいよ。ぼくはカップラーメンで済ませるから。舞ちゃんはどうする?」

「わたし食べるー。でも、カップ麺あったけ?」

「なかったっけ」

 

 言いながら台所の戸棚を探し始めた。

 主婦として夕飯を作ってあげたいが、如何せん今日は疲れた。

 

「私も年かな……」

「そうだね」

 

 そこは違うだろとツッコミを入れる力もなかった。

 彼は戸棚から赤いきつねと緑のたぬきを見つけたらしく、ヤカンに水を入れてコンロの火をつけた。包装破いてかやくと調味料を取り出して、かきあげとあつあげを入れてこちらに戻ってきた。

 寝そべっていた舞の頭を持ち上げて自分の膝の上に置く。日高舞と彼は家の中では年など気にせずいちゃいちゃしている夫婦だった。

 舞の顔を覗き込むように彼は彼女に尋ねた。

 

「満足できそう? 今回のアイドルアルティメイトは」

 

 口角をあげている彼の顔はどことなく嬉しそうに見える。それも当然だろうと舞は思った。彼は私のことを誰よりも知っている。前回のアイドルアルティメイトは私にとって不満でしかなった。いや、満足のいくものではなかった。それを知っているからこそ、いまの私を見てそう思えるのだろう。

 私が楽しんでいることを。

 

「そうね。じゃなきゃ、アイドルとして復帰なんかしないわよ。所詮、私は過去の人間よ。今さらでしゃばるなんてどうかしてるもの」

「でも、そうはいかなかったんだろう?」

 

 舞は体を起こして言った。

 

「そうよ、だってしょうがないじゃない! あんな子が出てきちゃ、私のアイドルとしての血が騒がないわけなんてないわ! ああいう子を待っていたのよ、私は」

「〈リン・ミンメイ〉彼女はすごいね」

「あなたから見て、あの子はどう思う?」

「どうって。初めて舞ちゃんと出会った時と一緒さ。全身に電気が走るような感覚。この子は大物になる! そう確信させる子だよ。でも、同時にこんな子がいままで眠っていたなんてとも思ったよ。彼女を見つけた人間はすごい男さ」

 

 それを聞いて舞の目が細くなり、先程とは違って真剣な声で言った。

 

「もしかして、わかったの? 彼女のプロデューサーの詳細」

「ああ忘れてたよ。調べてくれって頼まれていたミンメイのプロデューサーのこと」

 

 彼はテーブルに置いてある仕事用のバッグからA4サイズの紙を数枚渡してきた。それに目を通しながら説明し始めた。

 

「昔の伝手を使ってなんとか調べ上げたよ」

「大丈夫だったの?」

「まあそこは、ね。探すまでが大変だったけど、正体がわかればあとは簡単だった。有名だよ、彼」

 

 一番最初はまるで履歴書のような感じだった。左上に顔写真があって、名前、生年月日、年齢、出身地、学歴。そして、男の所属していた履歴だった。

『1998年 中村事務所 入社』

 覚えがないが、どこか引っかかる事務所の名前だった。知っているような感じがするが、どこでそれを知ったのかを思い出せない。如何せん、19年以上も前のことだ。記憶がおぼろげのはしょうがない。

 

「有名って、どんな風に?」

「仕事を任せれば絶対に成功させる彼の手腕は、どのテレビ局もここぞって彼を欲しがったらしいよ。けど、本当にすごいのは彼のプロデューサーとしての力さ。どんな子も短期間でアイドルデビューさせる。それなら他にもできそうだけど、それを裏付けるのが彼が担当したアイドルはみんな現在でも活動している有名どころばかり。アイドルだけじゃなくて、歌手や俳優から様々な人材を見出している。ぼくも風の噂で知っていたけど、まさかこんな子だったとは」

「ふーん。ちなみに、どんな子がいるの?」

「舞ちゃんが知ってそうなのはね……シェリル・ノームとかな。あ、熱気バサラなんかとも組んだことがあるみたい」

 

 シェリル・ノームも熱気バサラも知っている。両方変わっていることで有名だ。

 シェリルは歌手なのかアイドルなのかわからない。やっていることは歌手のくせに、どういうわけかアイドルとして活動しているからだ。

 熱気バサラは、とにかく変人というのが世間一般の認識だろう。最初は『FIRE BOMBER』というユニットで活動していたが、突如行方をくらました。次に彼の生存を確認したのは国内ではなく海外で、見つけたと思えばまたどこかに行ってしまうまさに風来坊だ。インターネットを通じて楽曲を提供しているのでとりあえずは生きているらしい。

 舞も二人の歌は好きだ。ハートにびしばし響くし、熱くていい声をするから。

 彼女は次にアイドルのことを訊いた。

 

「アイドルは多いよ。特に多い。大手事務所が関わってないなんてぐらいにね」

「じゃあ、本選に出場するアイドルの中にいるってこと?」

「ああ。君が知ってそうななのは346プロの高垣楓、東豪寺プロの魔王エンジェル。961プロの詩歌。そして、765プロの四条貴音」

 

 舞は興味の示すアイドルしか名前を覚えておらず、彼が挙げた名前は彼女が興味を示していたアイドルということになる。

 つまりそれは、彼女にとって期待の存在であったともいえた。自分が動くほどのアイドル。それを日高舞は待っていた。

 だがそれも、〈リン・ミンメイ〉というアイドルが成し遂げたのだが。

 

「ほんと、この男の経歴がすごいこと。黒井プロ、いまの961プロにいてそのあと退社。その後はテレビ局やら事務所を転々。どこも数か月程度でまたとんずら。でも、765プロと346プロは長いのね。特に346は」

「そこのアイドル部門が正式に活動する前からを含めるともっと長いらしいね。なんでそこまでいたかは、ぼくにはわらかないけど」

「それにしても――」

 

 なんというか、日本人離れした顔つきだこと。写真だっておかしい。サングラスをしているせいで素顔なんてわかりはしなかった。ヤクザ、もしくはマフィアの親分か幹部。

 ただ――。

 舞はじっと写真を眺め、次第にある答えを出した。

 

「こいつかもね。私にけしかけてきたの」

「例の、電話の主のことかい?」

「ええ」

 

 こいつの経歴をみて舞は確信していた。

 辻褄があうのだ。

 電話がかかってきたのは1月。〈リン・ミンメイ〉が現れたのはその前の年の12月で、346プロダクションを退社したのは同月。子供でも少し考えればわかりそうなことだ。

 だが逆に、驚くべきほど物事がスムーズに運びすぎている。恐ろしいぐらいだ。

 

「ほんと、この男かなりやり手よ。いま起きている出来事が全部映画みたいにうまく進んでる。経歴にある通り、こいつは優秀よ。それも、超とっびきりの」

「前に舞ちゃんが言っていたように、彼がやっていることすべてが――」

「そう。こいつの狙いは私」

「でも、どうして?」

「理由なんてどうでもいいわ。それに私、こいつに感謝してるもの。私がやっと本気を出せる相手を連れてきてくれて」

「舞ちゃん……!」

 

 その時、ピィイイとやかんがお湯を沸騰したことを知らせてきた。彼は急いでガスを止めて、お湯をカップ麺に注ぎお盆に乗せて持ってきて聞いてきた。

 

「どっちがいい?」

 

 どちらかが好きというわけではないのでどちらでもいいのだが、今日の気分は緑のたぬきが食べたいと思ってそっちを選んだ。

 3分経ち、猫舌である彼は少し冷えるのを待ちながら意外な言葉を口にした。

 

「舞ちゃんは、このアイドルアルティメイトが終わったらアイドルは辞めるんだろ?」

「気づいてたんだ」

「これでも舞ちゃんのプロデューサーで旦那だよ。わかるよ、それぐらい」

「敵わないなあ、ほんと」

「アイドルをやめて、歌手として活動するの?」

「そこはまだ未定。タレントでもいいかなって考えたりしてるけど、やっぱ歌は好きだし歌手なのかなあ」

「ぼくも色んなことをしている舞ちゃんは見たいけど、やっぱり歌を歌っているときの君が一番好きだよ、ぼくは」

 

 思わず照れて顔を横に向ける舞は小さく「ばか」とささやき、彼は苦笑して箸を手に取り遅い夕食を食べ始める。

 いくら夫婦とはいえ、こうまで恥ずかしい台詞をよくまあ言えるものだ。舞は器用に正面を向かず麺をすする。

 顔が熱くて麺の熱さなど気にならなかった。

 彼は男の経歴に目を落としながら羨ましそうに言った。

 

「にしても、彼はやっぱりすごいよ。正直に言うと、羨ましくも思う。こんなことを一人でしでかすなんてさ、普通じゃ考えられないしできないよ」

「そうね、それは私も同感。でも」

 

 舞は緑のたぬきをおいて、まっすぐに彼を見つめながら優しい声で言った。

 

「私にとって一番のプロデューサーはあなたよ。もっと自分に自信を持ちなさいって。この日高舞を見つけて、頂点にしたのはあなたなのよ。誰でもないあなた。そうでしょ?」

「……うん、そうだね」

「まあでも、そのアイドルを引退させたのもあなただけどね」

「そ、それは舞ちゃんが……無理やりしてきたからだろ! ぼくは悪くない」

「ちょ、ちょっとそれ言っちゃう!? まああれは、若気の至りというか、その場の流れというか……もう、なにを言わせんのよ!」

 

 だって、そういう空気だったじゃないと舞はぼやいた。

 仕事が夜遅くに終わって、私の家が近いから一晩泊っていけば、と。ああやっぱり自分が誘ったのだった。舞は思い出すんじゃなかったと後悔した。

 今ならば、当時の自分を肉食系女子というのだろうか。

 実際にその通りではある。

 だが、現実の私は被害者のような扱いだ。

『担当アイドルに手を出したプロデューサー』というのが世間一般の認識だったのだ。

 私は彼がいつのまに好きになっていた。好きで好きでたまらなくて、そういう年ごろということもあり、つい、やってしまったのだ。

 悪いのは私だ。

 彼は悪くない。

 でも、彼は私を受け入れた。全部だ、そう全部。

 すべての罪は自分にある。だから、自分が悪いんだと。

 男らしい。潔いとも思えるだろうが、現実は非情で、非難や罵声など日常茶飯事だった。

 それでも、いまもこうして夫婦でいられるのは互いを信じて、愛しつづけていられたからだと思う。

 だめだ。こんな話のせいで、久しぶりにそういう気分になってきた。

 

「あの、さ。今日は愛は帰ってこないし、さ。その――」

「……え? ああ、うん。そうだね、そうだ。うん、いいよ」

「じゃあ、お風呂……はいろっか」

 

 食べかけの夕食をそのままにして二人はお風呂場へと向かおうと立ち上がると、舞は彼の左手を見ながら言った。

 

「手、繋いでいい?」

「うん、いいよ」

 

 彼の手を掴むと、ぎゅっと握り返してくることが舞にとってはうれしかった。

 

 

 

 

 

 

 飯島命は事務所に3つしかないデスクチェアの一つを占領し、向かいにいる事務員の早瀬未沙の隣で器用に胡坐で座りながら、彼女の仕事用のデスクトップパソコンのモニターを眺めていた。

 画面はどこかのオンラインショップの商品画面。画像にははレディースの服がずらりと表示されており、未沙はその一つをクリックして表示した。

 

「これなんていいんじゃない? みこちゃんに合いそうだし」

「かわいいけど、でもこれいまの髪型に合うだけで、前のだとちょっと物足りないかなあ」

「ああそうだっけ。それエクステだったもんね」

「うん。前はセミロングだったんだけどね。ミンメイを演じるにあたって髪型も変えたの」

 

 人工毛の毛先をいじりながら命は言った。

 

「でもさ、いまのも似合ってるよ。うん、かわいい」

「ロングだったのって子供の時以来だったから新鮮だったし、結構いけるなって思い始めてるんだけど、手入れがたいへんでさー」

「髪の毛って長いほど手入れたいへんだもんね」

 

 エクステンションは気軽に髪の毛のボリュームを増やすことは知っていたが、その手入れが大変だったのは知らなかった。

 命自身、興味がなかったので知識が疎かったのもあるが付けたらそれでよくて、手入れなんて必要ないと思っていた。しかし、いざ自分が体験してみるとこれがとてもめんどくさいことに声をあげ、提案してきたプロデューサに小さな反抗をしたが、結局負けたのだった。

 彼女がしたエクステは人毛の方ではなくて人工毛を使ったエクステだ。取り付け方はいくつか種類があって、そのうちの一つである超音波エクステを使用した。

 彼曰く、『地毛になじみやすく、見た目が自然だからだ』と言うのでうんうんと頷くと、『あと取り外しが楽だからだ』と本音を言われたのを未だに覚えている。

 地毛の色は茶色のなので、ミンメイに合いそうなパープルグレーの色に変わった。

 さよなら、いままでの私。

 こんにちは、新しい私。

 その後にエクステをつけていまに至るが、定期的に取り外さないといえけないらしく、その際は全部相棒がやった。最初だって髪の洗い方も彼に教わった。

 本当に男? なんてストレートに言ってみたものだ。

 二人が画面を見ながら話しこんでいると事務所の扉が開いた。入ってきたのはこの事務所の社長である速水だった。彼は帽子と杖を自分のデスクにおきながら訊いてきた。

 

「おや、二人ともなにをしているんだい?」

「ヒマなんで休憩中でーす」

 

 命から見て速水という男は、まさに紳士という言葉が似あう男だ。身長は彼ほどではないが180cm以上はあるし、ブラウンスーツを着こなし、出かける際にはおしゃれな帽子と杖をもっていくその姿はまさに紳士だ。肌は年相応なのだろうが、どうみてもまだ若い部類に入るのは不思議でならない。本人曰く、まだ70にはなってないと言っているそうだが信じられない。

 信じられるのは、プロデューサーと今回の一連の騒動の共犯者の一人であるということ。そして、隣に座る早瀬未沙の祖父だということだ。

 

「おじいちゃん、どこか行ってたの?」

「ちょっと外の空気を吸ってたんだよ」

「おみやげは!?」

「はは。残念ながらないよ、ごめんね」

「みこちゃん、味を占めすぎ」

「ぶぅー。だって私、親の実家にあんまりいったことないからさ、おじいちゃんとおばあちゃんっていけばお小遣いくれるイメージなんだよね」

「そういうものかな?」

「家によるんじゃないかね」

「相棒は口で言いつつ、なんだかんだ色々くれるけど」

 

 言うと二人は揃って苦笑した。

 

「まあ彼はああ言っていても、君のことを甘やかしているところがあるからね」

「見た目は怖いけど」

「それな」

 

 速水はプロデューサーのことを知っているため彼への対応は人並みな感じなのはわかるが、孫の未沙の対応は言葉とは裏腹でそこまで怖がってはいなかった。彼はまるで抜き身のナイフないような感じだが、美沙はいたって普通に接していたし、彼も対応は優しい部類のように命は感じていた。納得いかないのが自分より扱いがいいということであった。

 三人で談笑していると、速水が思い出したかのように言った。

 

「ああそうだ、命君。協会から本選のトーナメント表が送られてきたんだよ」

「私、Cブロックでしょ?」

「知っていたのかい?」

「相棒が教えてくれたの」

「ああ、なるほどね」

 

 彼は驚きつつもトーナメント表を命に渡した。

 命は渡されたトーナメント表を流し見してすぐにそれをおいてモニターに目を向けた。

 

「もういいの?」

「まあ誰が相手でもやること変わらないし」

「たしかにその通りではあるがね。ところで、彼はどこにいるんだい?」

「相棒は外回りにいってるよ。たしか……最後の打ち合わせとか言ってた」

 

 ふむ、と言いながら速水は顎を撫でる。もし彼にアゴ髭があれば様になっているだろう。

 

「なるほどなるほど。命君、このあいだ最後の曲の収録してきたんだったね」

「そうだよ」

 

 そのことは関係者のみしか知られていない、と聞いている。それ以前に今まで出しているCDは全部そうだ。すべて相棒が手配したスタッフのみで収録している超厳重体制。

 今回のラストソングは本選の決勝で披露することになっている。CDの発売は前日で、二度と新曲が発表されることはなく、一時出荷のみで増産はしないと彼は言っていた。

 プレミアム価格をつけようとしているのだろうかと考えたが、それは違うとすぐに気づいた。それも当然なのだ。

 〈リン・ミンメイ〉はもうすぐいなくなる(・・・・・)

 

「最初の新人アイドルの番組は既存の曲歌ったんだよね?」

「うん。日高舞の曲」

「でも、デビューCD以降はみんなみこちゃんが作ったんでしょ?」

「まあね。えっへん!」

 

 正確には作詞、作曲に歌の振り付けもだ。このことは相棒を含めた四人とほんの一部の人間しか知らないことだ。頭がいかれてると思われるかもしれないが、本当なのだ。

 きっかけは私が鼻歌で歌を歌っていた時、彼が「それはなんの歌だ?」と聞いてきたのだ。普段の彼からしたら出てこない言葉だが、この鼻歌が彼が知らない歌だから興味を惹いたのだろう。

(オリジナルだよ)

(オリジナル? お前の?)

(そう。いま適当に作ったの)

(……そうか。なら、歌を作ってこい)

(ぱーどぅん?)

(作詞をしろと言った。ノートに書くだけ書いてこい)

 このことはアイドルデビューした数日後の話だ。それから自宅に帰るとたまたま未使用のノートがあったので、それに作詞をしはじめた。

 言葉に出しながらノートに文字を起こす。その最中に、相棒はなんて男なんだ、まったく人使いが荒いやつ……etc。彼に罵詈雑言の嵐を浴びせてそのうち言葉が出てこなくなると、気づけば一曲できていた。

 我ながら恐ろしいぜ……。

 だがなぜか……それだけは物足りないと感じてしまったのだ。

(そうだ、作曲もしてみよう)

 そんな軽いノリで私は機械に詳しい友達の伝手で買ったノートパソコンを起動した。HDDではなくSSDなので起動が早いったらありはしない。

 困ったときのグーグル先生を開いて、『作曲 フリーソフト』と検索。するとすぐに出てきた。一番上に来ていた紹介サイトからソフトをダウンロード。この編集ソフトの紹介記事の使い方を見ながら作曲していく。

 これを数日かけて相棒に渡すと、いつもの微動だにせず訊いてきた。

(なんだ、このUSBメモリは)

(歌だけど?)

(……作曲もしたのか? 自分で)

(うん。すごいっしょ)

 そのあとの行動は早かった。私が作った曲を相棒は知り合いに渡し、そこから編曲しすぐに初収録となった。

 あとはその繰り返しだ。月に2、3曲は作れてしまったので、リン・ミンメイの歌は毎月のように新曲が発売されることになったのだ。

 

「でも、最後の曲は私が書いたわけじゃないんだ」

「そうなのかい?」

「うん。相棒の知り合いの作詞と作曲家の人が頼み込んできたの。やっぱり本職の人は違った。すごいいい歌だよ、アレ」

「君がそこまで言うんだから、それはとても素晴らしい歌なのだろう」

「ふっふっふ。私はもうすでに予約済み! プロデューサーにだけど」

 

 未沙は中々賢い。ラストソングということを公には公表しないだろうが、いつものように売り切れ御免といった感じで幕を閉じるだろう。いまはネットでダウンロード販売もされているので気兼ねなく誰でも購入できるが、それは常に当たり前にあればの話だ。しかし、二度と再販もされないとなればデータより実物のが付加価値がつくだろう。

 いまでは予約開始数分後に売り切れで、店頭販売などありはしない状況だ。未沙が彼に頼み込むというのが一番賢い選択だ。

 まあ私が教えたというのも大きいので感謝してほしい。

 

「本選がもう間近となると、少しずつだが整理はしておいた方がいいなあ」

「まあ元々ものは少ないほうでしょ、この事務所」

 

 美沙が言う。

 

「ここの契約については彼が最初に話してあるのでよしとして、いかに素早く消えるかが大事だからねえ。大きい荷物は……いまはいいか。小さいものからまとめて外に出すとしよう」

「でもさ、周りはパパラッチばっかだよ? 不審がられるんじゃない?」

 

 ミンメイの正体を探ろうと多くの記者やパパラッチが事務所の周囲を包囲している。事務所に入るのはいいが出るのは一苦労で、命はプロデューサーに送迎されているので問題ないのだが二人は少し苦労していた。現に何度か接触があったが、彼が適切に処理をした。

 

「なに、そこはうまくやるさ。細かい相談は彼と――」

 

 奥の事務所の扉が開いた。プロデューサーが何食わぬ顔で帰ってきたようだ。

 

「ああ君か。おかえり。どうだったかね、最後の秘密会議は」

 

 速水の言う秘密会議の詳細について、命も未沙も詳しくは知らなかった。それでも好奇心は止まらず彼を問い詰めて教えてくれたのは、秘密会議のメンバーはプロデューサーの協力者であり、テレビ局の幹部に雑誌の編集長、大きなところではアイドル協会の役員などを含めた人間で構成されているということぐらいだった。

 この一連の騒動は仕組まれたことだ。それは命も初めから承知の上でやっていること。

 彼女としては自分の力、というよりも〈リン・ミンメイ〉の力もあるのだろうがここまで事がうまく運ぶのは違和感を覚えた。

 あまりにも出来過ぎだ。

 まるで人ではなく、大きな力が手を加えているのではないかと思ったぐらいに。

 速水からそれを聞いてやっと納得したのだが、同時に一体どうやって彼は協力者を引き入れたのだろうか、そんな疑問もわいたが答えは二つ。彼に賛同したか、それとも彼が無理やり協力させたのかのどれかだろう。

 後者はあまり考えたくはないが、命としては相棒らしいといえばらしいと達観していた。

 

「おそらく問題はないでしょう。あるとすれば、そこのマヌケが優勝できなかった時ですよ」

「大丈夫だって、安心しなさいな。見事優勝してみせますから」

 

 えっへんと胸を張る命。

 

「そう祈ってるよ……命、今日の仕事はもうない。帰るぞ」

 

 命は両手をあげて喜んだ。

 10月にもなると番組収録やレコーディングなどはほぼ終了しているといってもよかった。それは先の秘密会議のこともあり、現在のミンメイの仕事は生放送の出演か雑誌の取材、写真撮影のような軽い仕事に留まっていた。

 命としてはもうすぐ終わるという実感と、少し名残惜しいとい複雑な心境にあったが、仕事が早く終わるのはいいことだと、すぐに思考を切り替えていた。

 

「りょーかい。それじゃあ二人とも、お先に失礼します!」

「はい、お疲れさま」

「また明日ね、みこちゃん」

 

 ビシッと二人に敬礼した命は、当然のごとく置き去りにして先に歩くプロデューサーの元へ走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所から命が住む隠れ家に帰るには相当の手間がかかっている。

 本来なら事故や工事などといった規制がない限りは、30分足らずで帰路につくことができるのだがそうは簡単にはいかない。なぜならプロデューサーの息がかかっていない出版社や記者が事務所から尾行をしてくるからだ。

 有名人にはよくあることだが彼にとっては、そんなことなど想定の内だったらしくすでに対処していた。

 まず帰宅ルートが複数あって毎日違う道を走る。命はこれぐらいは普通だなと呆けていた。しかし実際には、かなり手の込んだものだった。

 例えるなら中継地点と呼ぶべきだろうか。そこに一旦車を止めると、そこには別の車が用意されているのだ。これ一台ならそこまで騒ぐことではないのだが、なんとこれが数台は用意されている。中継地点は複数あり、その数だけ車もあるわけなのだ。かなり手の込んだ送迎であり、超VIP待遇なのはもちろんではあるのだが、勘のいい記者たちに気づかれると中継地点も変わり、さらには車も変わる。

 さすがの命もこれにはたまげた。だから率直に尋ねた。

(映画並みに手の込んだことしてるけどさ、どこからこんなお金出てるの?)

(初期投資は俺持ち。今はお前の稼いだ金で、経費で落としてる)

 まあ納得の回答ではあった。しかし、初期投資だってバカにはならない額がかかっていることぐらい命自身もわかっていた。

(……相棒ってさ、どこかの御曹司なわけ?)

(俺は、どこにでもいる普通の一般人だ)

 こんな一般人がいるかと口に出したかったがやめた。

 彼は普通ではない。狂人といってもいい。自分の夢のためにあらゆることをしている。

 素直に尊敬するし、憧れる。

 そこまで夢のためにがんばる人なんて見たことがなかったからだ。周囲の人間は彼を蔑むかもしれない。でも私は、彼を讃えるだろう。

 命は会話のない退屈な時間をそんなことを思い出しながら過ごす。

 ふと今日速水からもらったトーナメント表のことを思い出した。彼からは自分のブロックしか訊いておらず、他の出場アイドルがどんな人間なのかは知らない。

 けれど、教えてくれるかな。

 素っ気ないのではなく、相手にしてくれないのが相棒の悪いところだ。彼からすれば自分が優勝することが当然だと自負しているので、その所為なのかもしれないとは前々から思っていた。

 しかし、物は試しだ。だめならそれでいいのだ。

 

「ねえ相棒。私の一回戦の相手の……ヘレンって人、どんなアイドルなの? この人、346プロのアイドルでしょ。相棒詳しいんじゃないの?」

 

 少しの沈黙のあと、彼の口が開いた。

 

「――ヘレンは、変わり者だ。それも上位の。まずヘレンというのは本名じゃない。だからと言って偽名というわけでもない。彼女の過去の経歴はまったく不明。日本人じゃないのはたしかで、知り合いに調べてもらってわかったのは、ヘレンという名の女性は以前にもいたこと。同名の人間がいてもおかしくないが、これは変わり者に該当するという意味でだ。気づけば彼女は日本にいて、なぜだからしらんが芸能界にいた。それを俺がスカウトした。……なんだ?」

 

 口を開けて驚いていた命に、彼は首を少し動かして不満げに言った。

 

「だ、だって、相棒がそんな長い言葉をしゃべったことに私は驚いているわけなのだよ!」

「尋ねてきてその言い草は気に入らんな」

 

 ここはいつもの彼だった。

 いや、あれが本来の相棒だ。命にはそれがわかる。

 出会ったころはもっと酷かったものだ。はいかいいえの二択のような返事しかしてくれないし、必要なこと以外喋ってはくれない。

 理由はわかっていた。

 彼は、私のことを道具のように使っているからだ。別にそれに不満があるわけではない。そういうことは事前に織り込み済みで、私はこの話を受けたのだ。

 だからなんだということになるが、命にとっては本来のプロデューサーというのは新鮮なのだ。なので、この流れは止めてはいけないのだと気づく。

 

「ごめんって。で、この人の実力は?」

「わからん」

「わからんって、仮にもスカウトした人間の言うこと!?」

「ヘレンは、さっきも言ったが変わり者だ。実力があるように見えるが、実はふざけているだけのかもと見える時が多々あった。本人がよく『世界レベル』なんて口にするが、それが本当なら実力を隠していることになるな。まあ本選に出る時点でそれなりの力は前々から持っていた、ということになる」

「不思議な人だね」

「ただの変人だ。自分が勝てないと思っているなら――」

「負けないよ、私は」

 

 ミンメイでいるときの真摯な声で彼女は言った。

 

「相棒が言うように、〈リン・ミンメイ〉は負けることはない。私もその気はない。そうでしょ?」

「ああ、その通りだ」

「ふふ。でさ、Dブロックの相手って誰になると予想してるわけ?」

「シェリル・ノームが一番可能性が高い」

「ふーん」

 

 彼女が『銀河の妖精』と呼ばれているアイドルなのは命も知っている。ただ、シェリル・ノームを初めて見たときは彼女がアイドルだということに驚いた。別にアイドルなのが不服とかそういうわけではない。見た目もきれいだしスタイルもいい。しかし彼女はアイドルというカテゴリーとしては、いささか不釣り合いなような気がしてならなかった。まあ今でもその違和感はぬぐい切れてはいないのだが。

 速水経由でシェリル・ノームも彼が担当をしていたことは聞いていたので、この状況で「どんな感じだったわけ?」と気軽に聞ける雰囲気ではないし、うまく会話ができているのでそれを壊すわけにはいかないので、追及するのはまた今度にする。

 

「じゃあさ、決勝戦に上がってくるのは誰だと予想しているの?」

 

 命はある意味一番大きな地雷だとわかって訊いた。

 

「……誰が上がってきてもおかしくはない。だから、なんとも言えん」

 

 プロデューサーはどこかはぐらかすように答えた。

 薄暗い車内では、時折照らす街灯の光だけ彼の顔を映すがそれだけでは彼の表情を察することはできない。ましてサングラスかけているから余計だ。

 だが、命にはそれがわかる。

 彼にはわかっているのだ。自分ともう一人、決勝の舞台にあがってくるアイドルが誰かを。ではなぜ答えようとはしない? 

 わかっているのであれば簡単に言えるはずだ。

 なにを躊躇っている。

 一言そのアイドルの名をあげればいいだろうに。だから、自分のような小娘にすら簡単にみすかれてしまうのだ。

 

「そっか。まあ問題ないよね」

「そうだ」

 

 そう相槌を打つことでこの話題は終わった。

 もっと普通の話題をあげればよかったと後悔したが、なぜか長続きはしないという根拠も同時に浮かびあがった。

 それから車はいつものように中継地点で停まり、車を乗り換えてそこから数十分ほど走る。

 プロデューサーが用意した隠れ家――木造建築の古いアパートに車はたどり着いた。

 先に車を降りたのはプロデューサーで、彼はざっと周囲を見渡してからまだすぐに車内に戻ると告げた。

 

「いいぞ」

「ありがと」

「明日は……少し遅くなる」

「どのくらい?」

「一時間ほどだ。仕事も限られているからな。少しだけだがゆっくりするといい」

「うん。それじゃあ、また明日」

「ああ」

 

 車を降りてアパートに向かって歩く。後ろで車が走り出す音が聞こえる。命は振り向かずにそのまま自分の部屋に向かった。

 アパートは二階建てで、命の部屋はあがって一番手前の部屋だった。部屋はワンルームではあるがお風呂もちゃんと付いていて特に不満はなかった。今どきの女子からすれば文句の一つは出るかもしれないが、彼女は特に気にしてい。

 こうなる前の生活はこのワンルームの部屋より多少マシな部屋だったので、そこまで大差がなかったということもある。大学を辞める前はバイトと実家からの仕送りで過ごしていた。なので、そこまでいまの生活に不自由はしていない。

 命は荷物をその場において座り込み、部屋の一部を陣取っている小さなテーブルの上に置いてある小さなスタンド型の鏡を覗き込んだ

(あと少しか)

 この生活もあと二か月。

 学生の頃は一年なんて長いと思っていた。けど周りの大人が言うように、社会に出れば一年なんてあっという間。まあまだ社会に出たばかりなのだが。

 毛先をいじりながら鏡の自分をじっと命は観察するように見た。

 はたしてこの私は「飯島命」なのか、それとも「リン・ミンメイ」なのか、時々それがわからなくなる。

 ミンメイを演じていると言われれば、たしかにそうではあるのだ。

 ただ演じるといっても、元になったものは存在しない。脚本家や監督ががこれこれこういう役なので、そういう感じで演じてくださいと役者に言うのとはまた違う。

 命も最初にプロデューサーに尋ねた。

(で、ミンメイってどんな感じなわけ?)

(お前の好きなようにしろ)

(……は?)

 たった一言で突き飛ばされた。

 〈リン・ミンメイ〉という存在を作ったのは相棒だ。そもそも〈リン・ミンメイ〉とはなんなのだという話になるわけだが、これは何一つ教えてくれなかった。世間が彼女にどんなイメージを付けたり想像しようが、オリジナルの〈リン・ミンメイ〉を知っているのは彼だけなのだ。

 実に気になる。

 それでも私は自分の思うままに演じた。いや、そうしたいからそうしたし、こうしようと。

 普段事務所でだらけたりしているのも、外でミンメイとして振る舞っているのもすべて自然体で、特に何かを意識しているわけではない。それに相棒は文句や指摘をすることはなかったので、彼としても満足いくモノだったということなのだろうか。

 答えはわからないし、さすがの自分もそこまでは見通せない。命は気分を変えるために浴室に向かった。とりあえずお湯を出して、その間はテレビで時間をつぶすことにする。

 やはりというべきか、本選のトーナメント表が発表されたのでどこもその話題で持ち切りだった。番組の内容も時代が時代のため、アイドルがメインの番組も多い。チャンネルをまわすと、偶然自分が出たので電源を落とした。

 なにいつものことだ。テレビに映る自分など見る気もないし、興味もない。人によっては自分はどうだったろうかとか、ちゃんと喋れていたとか色々後学のために見るものもいるのだろうが、私はそういうことなど一切関係ない。

 私にとってはもう過去のことだ。いちいち気に留める気にもならない。大事なのは現在(いま)であり未来(あした)だ。

 そんなことを考えながら一度浴槽を確認。小さい浴槽だからすぐに溜まる。ちょうどいい感じなのでお湯を止める。

 ワンルームのため脱衣室なんて大層なものはない。なので洗濯機の前で服を脱いで放り投げる。

 軽くお湯を体にかける。まずは一番手間のかかる髪の毛を洗わなくては。

 エクステをしてから髪の手入れはかなり面倒になったのは困ったものであるが、それも彼が一から全部を指導したくれたわけだが。

 本当に普通の男かと思う。

 だって、女以上にやけに詳しいのだからそう思って当然ではないだろうか。

 先程もアイドルに対して変わり者だとか変人と言ってはいたけど、むしろ相棒の方が変わり者だと思う。うん、そうに違いない。

(まあ……私も同類か)

 もしくは一番の変わり者だろう。もちろん自分が。

 自分がしたいわけではなく、彼が果たしたい夢のために私は道化を演じているわけだ。人のために何かをしてあげられる人は、たしかに美点ではるが私の場合はどうだろうか。一人の男の夢を叶えるために、大勢の人を巻き込みあるいは不幸にしている。

 まったく、迷惑な話だ。

 けど、そうしないないいけないんだ。

 じゃないと彼はずっとあのままで朽ちてしまう。

 それだけはダメだ。それではあまりにも――

 いや、よそう。

 命は顔を振った。濡れた髪がペチペチと当たる。

 小さなため息をついてさっさと体を洗って湯船につかる。命はしばらく何も考えず、無言で体を温めている。

 どうしてか、いつも相棒のことを考えてしまう。彼のことが好きなのかと思った。が、別に嫌いではないし好きな男性だと思ってる。ただこれが、恋なのかは自分でもわからない。たぶん、違うと命は曖昧な判断を下していた。きっと自分が彼をこうまで気にしているのは、心配だからだろう。だからいつも彼のことを考えてしまうのだ。

 命は大きな懸念が一つあった。

 それはすべてが終わったあとのことだ。

 自分はいい。全部を忘れて、就活をすればいいのだから。たぶんすごい苦労するとは思うが。

 けど、相棒は違うのだ。

 おそらく彼は、すべてが終わったあと消えるだろう。命を絶つ、というわけではない。誰も自分を知らない場所へいくのではないか。命はそう予想していた。そして一人で死ぬか、あるいは普通の女性と結婚をする。そんな気がしていた。

 しかしこれはただの想像にすぎない。けれど、不思議とそうなってもおかしくないと感じてしまう。

 ではそうなった時、自分はどうするのだろうか。

(その時は一緒に……)

 別の可能性。

 あり得るかもしれない未来。

 命は運命など信じない人間だった。運命も偶然もすべて起こるべき必然だと信じている人間で、言い換えればすべて起きる事象はすでに決められたものだということでもある。だから、いまこうしているのも必然。なんら不思議ではないのだ。

 だが、いくら必然だと信じている自分でも明日のことは、今日起きることだってわかりはしない。

 自分のことは、いまはどうでもいい。肝心なのは相棒だ。

 はたして、これから彼の決められた選択肢は一体どれを選んでいるのか。

 希望、それとも絶望?

 もし、私に必然すら変えられる権限があるならば、相棒の決められているその必然を変えてみせる。まさに神の所業。だが、神になるつもりはない。人間で十分だ。

 やはり、こんなことを考える時点で十分おかしい。

 私はやっぱり、変わっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして。

 長きにわたる時間を経て、準決勝に出場するアイドルが決定した。

 Aブロック 四条貴音。

 Bブロック 島村卯月。

 Cブロック リン・ミンメイ。

 Dブロック シェリル・ノーム。

 

 彼の夢の成就まで、あと少し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけの落書き

【中村プロダクション】

 元ネタ ナムコの由来である中村製作所から。

【ヘレン】

 ネタ(ガチ)枠。初戦でリン・ミンメイと当たり1回戦落ちなのだが、どういう訳か物凄いライブを披露し点差は驚きの僅差である。

 やはり世界レベルは違った。

 

 

 

 

 

 


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