銀の星   作:ししゃも丸

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第35話 動き始めたふたり

 

 

 音無小鳥はとある建物の前に立ってそれを眺めていた。

 19年前、かつて居た場所に私は定期的にここを訪れている。

 建物は一度改装されたのか今風のデザインで綺麗だ。何回かどこかのテナントが入っては立ち退くことを繰り返し、いまもまたテナント募集になっていた。

 4階建ての建物で、以前はその3階に事務所を構えていた。いまはその全部が空いている。不思議なこともあるものだ。位置的に駅も近いし、道も左程混まなくて悪くない立地だと思うのだが。まるで、誰かを待っているように思えて仕方がない。

 ここははじまりの場所であり、終わりの場所。少なくとも、私にとっては終わりの場所。

 アイドルの音無小鳥としての墓場とも言える。

 ううん、違う。私が終わらせたのだ。

 ここに来るようになったのはアイドルを辞めてから少し経ってからだと思う。みんな散り散りになって、私は学業に専念していた。学校が終わる度にここを通り、休みの日も一度は訪れていた。

 たぶん、後悔なのだと思う。

 大学に進学してからどうすればいいかと悩んでいた時だ。順一朗さんと順二朗さんがアイドル事務所を再びやると。それまでは芸能界で色々やっていたのは聞いていた。そこで私を事務員として雇いたい、一緒に仕事をしないかと誘ってくれた。

 素直に嬉しかった私は、そのために資格を取ったり専門の知識を勉強するようになった。

 大学を卒業してしばらくは平凡な日々が続いた。

 でも、だんだんとアイドルが増えた。最初は律子さんがデビューして、春香ちゃんたちやみんながやってきた。アイドルは揃ったけど中々活躍できない日々が続いた。

 なにせ順一朗さんは全国を転々とし、その一環でアイドルをスカウトしてきたが事務所に腰を下ろすことはなく、順二朗さんが社長として〈765プロダクション〉を経営していたからだ。

 いくら経験があるといっても、765プロに足りなかったのは〈プロデューサー〉であった。

 アイドルを支え、共に歩む存在。

 そんな時、あの人がやってきた。

(見習いくんって呼んでたのが懐かしいなあ)

 小鳥にとって彼は年も近いお兄ちゃんみたいな存在だった。一緒に居た時も勉強をよく教えてもらったし、彼女の我儘でお出かけにも付き合ってもらったりもした。

 楽しかった。あれが私の青春だと言えるかもしれない。

 事務所を去ってからも小鳥は定期的に彼と会っていた。なぜだろうといまでも思う。でも、会うことで互いに起きたことの報告会議みたいだったと思う。

 20歳の誕生日も祝ってくれたのはとても印象に残っている。たぶん、デートだった。うん、そう思いたい。ショッピングして、食事して、初めてお酒を飲んだ。しかし、酔いつぶれたあとの記憶がない。あとで聞いたら家まで送ってくれたと言っていた。本当に残念でならない。

 彼が765プロにいたあの一年は毎日が楽しかった。あの頃に戻れたような気がしていたから。

 でも、765プロを去ってからの日々は少し寂しくものたりないものになった。

 それを埋めるかのように会長と社長が〈39プロジェクト〉を実施した。

 39名の新人アイドル。最初は前途多難であったが、いまはそうでもない。私の事務員としての負担もいまでは後輩の美咲ちゃんが入社してくれたからだ。

 私よりかなり若いので元気が溢れている。ただ、若いっていいよねって……うん。

 それでも事務員が2人だけなのはどうかと思うがこれが意外とやっていけるのは不思議である。それ以前でも分担していたとはいえ私一人で主に事務を処理していたのだから、やっぱりそこは褒めてもらいたい。

 昨日は遅くまで仕事をしたので、今日は少し遅めの出勤だ。社長とは知らぬ仲ではないし、いつもとは違う時間に出勤するのはまた新鮮だ。

 いまごろ美咲ちゃんが一人で頑張っているころだろうか。そして、今日も貴音ちゃんは来ないのだろうかと暗い気持ちになる。

 四条貴音は765プロにおいての看板アイドルである。同時に一番の稼ぎ頭とも言っていいかもしれない。

 そんな彼女が一週間も活動を休止している。

 小鳥はそれがあの人に関係していることだとわかっていた。

 あの子の異変に少し前から765プロの誰もが気付き始めた。いま思えば、そんな彼女を知っていたかのように美希ちゃんが付き添っていたのはこういうことを想定していたのかもしれない。

 プロデューサーさんが原因なのは分かるが、どうしてそこまで大事になったのかと最初は考えた。結論から言えば、四条貴音は彼のことが好きだから。といういかにもシンプルな答えに辿り着いた。

 結果として見ればそれが原因なのは間違いなく、その過程はわからない。小鳥はいつからか自然と気付いていた。貴音が彼を好いていることに。

 あの人が来てから一番傍にいたのは彼女だ。当然だって思う。いまでも私は彼に淡い恋心を抱いているからだ。だから、わかる。

 プロデューサーが346プロを辞めたという話を聞いたのは、彼が去った少しあとだった。同時に彼があの〈リン・ミンメイ〉のプロデューサーをしていると赤羽根Pが言ったのがすべての始まり。

 彼を知らない39プロジェクトのアイドルは、私達がなぜこんなにも困惑しているのかと首を傾げたことだろう。一部のアイドルはプロデューサーさんのことを知っていたが、それを口に出すことはなかった。

 さらに驚かされたのは〈アイドルアルティメイト〉の開催だった。

 これには自分も順一朗さんに順二朗さんも驚かされた。けれど、だからなのだろうか。あの人がいまやっていることに薄々納得をしてしまうのは。

 変わったと思っていた。あの日から私達はそれぞれの道を歩み始め、それまでは一緒の道を歩んでいた。

 でも、あの人だけは違っていたのかもしれない。19年前からきっと、だから……。

 もう、いかなきゃ。

 小鳥は急いでその場から立ち去った。さすがにこれ以上ここで時間を潰すことは美咲ちゃんに申し訳がないし、時間も時間だ。

 走るとまではいかないが、小鳥は急ぎ足で事務所に向かって急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しい事務所は以前と違う。他の大手芸能事務所並みの建物になった。

 中にはトレーニングルームにレコーディングルームもある。かなり羽振りがいいがそれなりに売り上げも出ていたし、39プロジェクトのこともあってか順一朗さんと順二朗さんは思い切った行動に出たものだ。

 ただ、事務員二人だけにしては広すぎる空間はかなり持て余すのが現状の悩みであろうか。

 意外と今日はアイドルと誰にもすれ違わず小鳥は自分のデスクについた。目の前にいる美咲が挨拶をしながら話をかけてきた。

 

「あ、小鳥さん。社長が呼んでいましたよ」

「え、社長が? なにか言ってた?」

「いえ、そこまでは……。ただ、出社したら社長室に来るようにって」

 

 以前の事務所では常にいるのは社長だったので、なにかあればすぐに用件を伝えられたけどいまは違うのがちょっと不便ではあった。

 小鳥は美咲にお礼を言ってすぐに社長室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 社長室に入ると、順二朗さんはいつものように椅子に座って待ち構えていた。

 

「待っていたよ、小鳥くん。来て早々悪いね」

「いえ。ところで、話ってなんですか?」

「実は、美希くんから朝連絡があってね。貴音くんを今日連れてくるそうだ」

「貴音ちゃんが!? よかったですね。でも、それでどうして私が?」

「そのことなんだがね。二人が、話を聞きたいそうだ。昔の私達のね」

 

 昔とはどれくらいの前のことを言っているのだろうか。いや、二人が聞きたいのは私達の昔話ではなく、きっとプロデューサーさんのことだろう。貴音ちゃんが復帰するのはとても嬉しい知らせだ。

 けれど、なんでいまこのタイミングなのだろうか。

 

「理由は聞かなかったよ。察しはついているからね。順一朗にはもう連絡したから出先から戻ってくることになっている。私達二人だけでもいいかと考えたが、やはり小鳥くんにも聞いてもらいたいし、話してあげてほしいと思う。キミの口からも」

 

 別に構わない、とすぐに頭の中では決まった。

 でも、一体なにを話せばいいのだろうか。私が話せることなんてたかが知れているし、聞きたいことはたぶん順一朗さんがすべて話すだろう。

 ……ああ、そうか。

 別にすぐにわかることだった。2人は知らないんだ、昔のプロデューサーさんを。

 

「わかりました。私もご一緒します」

「ありがとう。二人が来るのは遅い時間なんだ。まだ表立って来るのは無理らしい。連日で悪いが、今日も残ってほしいんだが」

「構いませんよ。ただ、美咲ちゃんにはちょっと負担かけちゃいますね」

「青羽くんには私の方からも言っておくよ」

 

 そのあと社長室をあとにしていつもの業務に戻った。

 聞かれたら何を話そうか。そんなことばかり考えて仕事に集中することはできなかった。

 

 

 

 

 

 社長室の扉が開くと、そこには久しぶりに姿を見せた貴音くんと美希くんだった。

 彼女は以前と比べると少しやつれているように見えた。顔色は悪いし、服の上からもやせ細っているように錯覚する。美希くんに手を引かれてやっと歩いているところから、活動を休止していた一週間まともに食事をしていなかったのだろうということは順一朗を始め順二郎に小鳥もすぐに気付いた。

 私を含めた誰かが尋ねる前に美希くんが先に事情を説明してくれた。案の定食事はまともに取っていなかったらしく、昨日の夜からちゃんと食事を取り、安眠することができたという。

 彼女達の関係を順二郎から聞いているからこそ君は罪な男だと、順一朗は彼のことを思わざるを得なかった。

 気分は、調子はどうだいと尋ねることはしなかった。したところでそれは無意味だし、なによりもそんなことをするために二人は来たわけではない。

 順一朗は隣に座る順二郎に視線を送ると、彼も分かっているのか頷いた。

 では、話を始めなければなるまい。

 目の前に座る貴音と美希に順一朗は訊いた。

 

「さてと。まずはどこから話すべきか、というよりも何を聞きたいかね?」

 

 美希が貴音の方に顔を向けると彼女は頷き、貴音が言ってきた。

 

「まずあの方との出会いから、お願いします」

「出会いか。そう言えば私も知らないんだよ。こいつがふらっと彼を連れてきたからね!」

「あー。そういえばそうでしたね。出先から帰って来たらプロデューサーさんを連れて『今日から一緒に働くプロデューサー見習いだ!』。って、感じでしたよね」

「あれ、そうだったかね?」

「意外、ではないですが、会長がすかうとされたのですか?」

「その通りさ」

 

 

 意外なの、と美希くんも驚きの声をあげている。そんなにおかしなことだろうかと順一朗は首を傾げた。

 小鳥が入れてくれたコーヒーを一口飲み、順一朗は続けた。

 

「あの頃は私も若かったよ」

 

 

 

 

 

 1998年 6月某日 東京都

 

 携帯電話が普及し始めてからというもの、家族や友人、特に自分がしている仕事においてはかなり重宝する便利アイテム。いや、必需品とも言っていいだろう。だが、もう若いと呼べる年齢ではないせいか、最初はとにかく扱いに慣れるのが大変だった。

 しかし、仕事柄電話で済ませるよりも、そこはやはり直接赴いて仕事を取ってきたり打ち合わせをするのが癖でもあった。

 街を歩けば、やはりここはどこよりも流行に乗っているのが自然と目に付く。女の子は現在大ヒットしているトートバッグをよく肩にかけているし、ネイルアートブームもあってか似たような色をしている子達が多い。男の子も迷彩柄の帽子などを被っているのが目立つ。

 いつものスーツ姿である自分が意外と浮いていないのは、どこもかしこもスーツ姿のサラリーマンで溢れているからだ。変な服を着ているよりかは余程マシである。

 目を向けるとそこはCDショップがあった。売れているのは『GLAY』、『SMAP』、『SPEED』が目玉商品と言ったころだ。他にも『浜崎あゆみ』や『モーニング娘。』も売れている。

 昨今多くの歌手、アイドル達が大ブレイクしているが、やはり私達のアイドル『音無小鳥』も負けてはない、と順一朗は自負していた。

 いまも次のテレビ番組に出演するための打ち合わせをしてきた帰りだ。今頃小鳥くんは黒井とレッスン帰りだろうか。手ぶらで帰るのもあれだ。何かを買って行こうと再び歩きはじめる順一朗。

 男女問わずいまはアイドルブームだ。いかに生き残り、存続し続けていかなければならないのかを日夜黒井と言い争っている。言葉の殴り合いが飛び交っているが、私達に共通しているのは、小鳥くんは間違いなくトップアイドルになる器を秘めているというのが共通の認識だ。

 あの子は大器晩成と言えばいいだろうか。いまはもっとレッスンと経験を積めば大成するだろう。

 それにしても顔は母親とそっくりだし、声も似ている。なんだか、あの青春の日々を思い出す。

 人混みの中を歩いているとある人物に目が行った。自分の身長はそれなりに高い方ではあるが、少し先を歩いているあの男性はやけに背が高い。180cmは軽く超えているだろう。だからこそ目立つし、服装からも見ても他県の人間だとすぐにわかった。ファッションなど自分には関係ないと言っているかのように堂々としている。背が高い所為か、近くにいる人間は視線を彼に送っているのが頭の動きでわかる。

 その時――ティンときた。

 なぜだかわからないが、彼になにかを感じた。運命と言ってもいいかもしれない。

 小鳥くんからも感じた同じような感覚。まあ、あの子は彼女の母親の薦めでもあったが、会った時にはティンと感じとっていた。

 ここで逃しては絶対に後悔する。順一朗は前を歩く人をかき分けながら彼に近づき、声をかけた。

 

「キミキミ、そうキミのことだ。突然だが、プロデューサーになってみないか?」

 

 私を見る彼の顔はいかにも、「何を言ってんだ、このおっさん」そのものであった。

 

 

 

 

 

 

 

「前置きが長いというか、ほとんど会長の回想しか話してないの」

「失礼ながら、わたくし達には少々縁のない時代。そもそも美希はまだ生まれておりませんね」

「いやね、君達にも当時のことを知ってほしいと思ってね?」

「順二郎。流石に二人には話だけでは想像できないと思うぞ」

「私達には通じますけどね。自分で言ってて悲しい……」

 

 話の出だしはあまりいい評価を得られなかった。中々厳しいものだ。

 順一朗はこのようなことを想定してあるものを持ってきていた。バッグの中から少し古びたアルバムを取出し、テーブルの上に置いた。

 それは吉澤が撮った写真がほとんどだが、自分が撮ったものをまとめたアルバムだ。ページを少し捲り、一枚の写真を指で指した。

 

「そうそう。これが、当時事務所で撮った全員が写っている写真だ」

 

 それには順二郎と小鳥は懐かしいと声を漏らした。かくいう順二郎も久々に見るので二人同様昔の記憶が鮮明に思い浮かぶ。

 2人は覗き込むように写真に釘づけのようだ。

 

「いまのあの人と一緒で可愛いの」

「やはり若いですね。といっても、あまり変わりませんね」

 

 可愛いと言う二人に順一朗は順二郎に耳打ちをした。

(可愛いだろうか?)

(少なくとも、可愛げはあっただろう)

 10代と思えない体格と顔つきに当時の私達は驚いたものだ。もちろん順二郎が言うように可愛げはたしかにあった。

 

「で、話を戻して。それからどうしたんですか?」

「それからかい? 近くの喫茶店によって話をしたんだ。今思えば、よくあのまま立ち去らなかったって思うよ! はっはっは」

「彼、昔から少し変わっているところがあったからねえ。興味はあったんだろうね」

 

 興味、か。たしかにそれも一理あるかもしれない。

 初対面にも関わらず、彼はとりあえず話だけでも言った私の言葉を受け入れてくれた。近くの喫茶店に入り、自分の名刺を渡しながら彼に説明を始めた。

 思い出す限り、普段の仕事先で売り込みをするぐらいの意気込みで説明を始めたと思う。まず、彼はプロデューサーというものをテレビ局の方だと勘違いしてたのでそこから始まった。自分が言うプロデューサーとはアイドルを指す。すると彼は、「アイドル? マネージャーじゃなくて?」と首を傾げた。

 なるほどと順一朗は理解した。たしかに、アイドルにはマネージャーというイメージがついても仕方がない。しかし、私達の業界で主にプロデューサーと呼び時はアイドルの方を指すと説明した。

 逆に順一朗は彼に尋ねた。アイドルに興味はあるかと。すると彼は、「いや、全然」と素気ない返事をした。

 これは説得に苦労とすると思った。だが、意外にも彼は変に抵抗するという感じはしていなかったように思えた。話していくうちにどんな仕事をするのかとか、休みは、給料ってどんなものと彼から質問してこちらが答えるようになった。

 順二郎が言うように興味が湧いたのだろう。少なくとも、当時のあの子からはそういう風に感じ取れた。実際、彼がどんなことを考えていたかは当人のみが知る所ではある。

 ある程度説明し、質問に返答したところで私は彼に尋ねた。「キミはいまなんの仕事をしているんだい? 平日の今日が休みということは職種が限られるが……」

 はあ。またか、と彼はため息をつきながら言ってきた。「また?」と私は返し、彼は言った。

 ――おれ、まだ高2の学生なんだけど。

 

「興味以上に、彼が当時まだ16歳ということに私はえらく驚いたよ」

「ああ、そうだった。それを聞いた時は本当に驚いた」

「みんなで驚いてましたよねー。私もたった少ししか違わないなんて嘘みたいって口に出しちゃいましたもん」

 

 へぇと声を漏らす貴音と美希の反応の違いに戸惑いながらも、順一朗は話を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「高2!? じゃ、じゃあ、キミはまだ16なのかい!?」

「今年で17。そりゃあ、こんななりで、老け顔だからよく大人っぽい……大人に間違われる。近所の人には父さんとじいちゃんに間違わられるし。あのさ、そんなに大人に見えます?」

 

 うんうんと順一朗は頷いた。

 老け顔、と言われて少し納得はしたが、それにしてはそれなりの人生経験を積んでいるかのような顔立ちに見える。

 この反応からすると、自分の顔でそれなりに苦労しているのだろうと順一朗は察した。

 

「こんな形をしているから、父さんからよく煙草買って来いって頼まれるし、周りも子供扱いはしてこなかったり。便利の用で不便なんだよ」

「そ、そうなのかい。ちなみに、身長はどのくらいかね?」

「最近だと190あるかなかったかな?」

「キミと肩を並べる同年代の子はいないんじゃないのかい?」

「いない。だから、教室の席は一番後ろ。バスケじゃ、手加減しろって言われる。そんなに得意じゃないのに」

「だろうね、キミのその身長を見れば嫌でも納得するよ。学生ということは、なにか部活をやっているのかい? やけにガタイがいいし、筋肉もついているように見えるが」

 

 そうかなと腕を曲げるとボディビルダーのような立派な上腕二頭筋が現れる。自分とは比べ物にならない筋肉。はっきり言って、いくら鍛えていたとしてもこんな子供はちょっといるのだろうかと疑いたくなる。

 

「部活は入ったり辞めたりしてる」

「なんでだい?」

「いや、基礎だけ学べればあとは独学でやればいいかなって。別にそこまで熱心じゃないし」

「どうして。キミのことだ、格闘技系の部活から引っ張りだこだろうに」

「たしかにその通りなんだけど、おれからすれば部活はさっき言った程度のことでしかなくて。なんていうのかなあ、自分の武器というか経験にしたいというか」

「んー、理解できないなあ。そもそも、そうしているのはなにか理由があるのかい?」

「あるよ」

 

 即答だった。彼は続けて言った。

 

「シュワちゃんとスターロンに憧れてるんだ、おれ」

 

 アーノルド・シュワルツネッガーとシルヴェスター・スターロン。どちらも『ターミネーター』と『ロッキー』などで有名な人物だ。もちろん、映画は見たことあるから知っているし、面白い。

 ただ、今時の子が彼らに憧れてここまで鍛えるだろうか。そんな素朴な疑問を抱いてしまった。

 彼は楽しそうに語り始めた。特にコマンド―とランボーが好きなんだよねとか。だから、毎日筋トレは欠かさずやり始めたんだとも。時には止めそうになったが、そんな時ビデオを借りてきて見始めると自然と筋トレをし始めている。そんな頭がおかしくなるような話をしてくれた。

 その所為か、友人からのあだ名は『大将』、または『ムエタイX』。後者はよくわからなかった。

 彼と過ごす時間はとても有意義な時間だった。年が離れているはずなのに、どうしてか楽しいと思えた。しかし、時間は限られている。順一朗はもう一度訊いた。

 

「もう仕事に戻らなくてはいけないんだ」

「あ、そうなんだ」

「だから、答えを聞きたいんだ。プロデューサーになってみないかい?」

 

 彼は唸り、少し悩みながら尋ねてきた。

 

「休日だけでもいいなら」

「ああ、ああ! いいとも! これは私の名刺だ。今度もう一度ゆっくりと話をしよう!」

 

 別れる前に常に持ち歩いている連絡先が書いてある名刺を渡してその日は別れた。

 その一週間後に彼を事務所に連れて行き、みんなに紹介したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日に連れてきたわけじゃないんですね。アルバムを見ながら小鳥が言ってきた。

 

「いやぁ、そうしたかったんだがね? 時間が時間だったし、まだ仕事が残っていたからね」

「ああ、だからあの時、お前は物凄く楽しみにしてたんだな。聞いてもその日になればわかると言って教えてはくれなかった」

「みんなの驚く顔がみたくてね」

 

 アルバムにある、彼がスーツ姿をした写真を見ながら貴音が順一朗に訊いた。

 

「この頃のあの人の仕事ぶりはどうだったのですか? スーツ姿はいまと変わず、仕事ができる人間に見えますが」

「一言で言えば、優秀だったよ。順二郎はどうだ?」

「お前と同意見だよ。営業はお前と黒井の二人がメインで、私は事務の方をメインにしていたが、言われたことをしっかりとこなしていたし、分からないことはちゃんと聞いてきた。今思い返してみても、彼は常に落ち着いていたね」

「彼曰く、周りが大人ばかりの環境で育った所為だと言っていたがね。ああ、思い出した。どうしても私達三人が忙しくて、大事な仕事先の打ち合わせに彼を向かわしたことがあった!」

「ああ、あったあった!

 

 2人の言葉に小鳥たちは驚きの声をあげた。

 

「ちょ、ちょっと、そんなことしたんですか!?」

「スパルタとかそんなレベルじゃないの……」

「ちなみに、働きだしてどれくらいの時なのですか?」

「たしか……数か月経ったあたりだったか?」

 

 順二朗の言葉に順一朗は頷いた。

 一緒に働くにあたり、あの子にはスーツをプレゼントした。ただでさえ大人にしか見えない彼が着ればどうなるか。都内に大勢いるサラリーマンと変わらないのだから、まず見た目だけではバレないだろうという確信があった。

「いや、絶対に無理でしょ!」と声をあげたのは最初だけ。次にはどうすればいいのかと私や黒井に聞いてきた。時間がなかった私達は時間の限り重要な要点を教えて彼に任せた。

 たしかに酷いなと思う。だが、彼は嫌とは言わなかったのだ。

 そして事務所に戻った私達を、ソファーで寝転んで迎えに来たときは『やはり駄目だったか』と思ったが。「これ、今度の仕事の概要と当日のスケジュールをまとめたやつです。あと、なんか適当に話し合わせてたら、別の仕事紹介されたんで、とりあえず話だけは持ち帰ってきました。あー、今度は一緒にいかせてください。一人はいやーきついっす」

 驚いて開いた口が塞がらなかった。あの黒井ですらしばし硬直していた。最後に何を言うのかと思えば、「あ、今度名刺作ってください。なんか、求められたんで」

 もう笑うしかなかった。

 

「その一件以来、私と黒井の助手として一緒にする機会が増えた。ただ、どちらかと言えば黒井が面倒を見ていたよ」

「あの黒井社長が、ですか?」

「驚きなの」

 

 黒井のことをあまり知らない2人には受け入れがたいことだろう。あいつにはあまり良い印象がないからか。彼を知る小鳥くんが言った。

 

「意外でしょ? 黒井さん、プロデューサーさんのこと物凄く気に入ってたから。キツイ言葉を浴びせているようで、ちゃんと必要なことを伝えてる。不器用なの、黒井さんは」

「今でいうツンデレという奴だな」

「うむ。そうに違いない」

 

 アルバムにある写真に黒井が写っているのは少ない。あいつは写真があまり好きではなかった。ただ、写っているその多くはあの子と一緒なのが多い。吉澤くんも中々意地が悪いと思ってしまう。

 さて、次は何を話せばいいか。

 順一朗も話したいことは思い出せばたくさんある。ただ、きりがないしいつまで経っても終わらない。ならば、話すとしたらあれになる。

 小鳥の方に視線を向け、少し重いと思いながらも彼は話した。

 

「そんな順風満帆な日々が続いていたが、それは突然終わりを告げたんだ。それは――」

 

 告げて言おうと口に出す前に、貴音くんが言ってきた。

 

「日高舞、ですね」

「わかるかね?」

「はい」

「今の状況から、なんとなくミキでもわかるの」

 

 当時の説明を始めようとすると、隣の順二朗が代わりに始めた。

 

「順一朗が言うほど突然、というわけではなかったんだよ。少なくとも日高舞が現れて一年はいままで通りだった。私達が、に限るが」

「日高舞が伝説のアイドルといわれる由縁はね、彼女自身が一つの時代を築いて、自ら終わらせたことなんだよ」

「終わらせた? それって、アイドルブームってことなの?」

「そう、そうだね。なあ、順一朗」

「うむ。彼女は突然現れた。見る人、聞く人全員を魅了した。出したCDはすべてミリオンヒット。そしてなにより凄いのは、アイドルアルティメイトで2連覇を果たしたこと。日高舞が活動していた約2、3年は紛れもなく彼女の時代だった。日高舞一色とも言ってもいいだろう。そして、それを終わらせたのも彼女自身」

「引退、したということですか?」

 

 貴音が尋ねる。

 

「そうとも。2連覇を果たしたその表彰されている時に電撃引退さ」

「どうして?」

「噂では、担当のプロデューサーとの間に子供が出来たから、らしい」

 

 噂と言われていたが、私達の間では真実だった。それを決定付けたのが、彼女の娘の日高愛だ。逆算すれば辻褄があう。

 当時は荒れた。かなり荒れた。暴動の一歩手前まで行ったはずだ。所属していた事務所は炎上した。当時はいまほどネット環境が進んではいなかったため、手紙や電話、直接事務所にかけこむといった具合だった。

 いま思い出してもニュースはしらばく日高舞引退の話題で持ちきりで、その飛び火でアイドル業界も低迷し始めた。

 けれどこの一件で、アイドルとプロデューサーの恋愛が暗黙の了解となったのは皮肉だと順一朗は思っていた。

 

「それと同時に私達のアイドル活動は終わった。私と順一朗は二人で地道に活動。小鳥くんは学業に専念。彼は黒井と共にいき、それぞれの道を歩くことになったわけだ」

「それは、どうしてですか?」

 

 それは、と順一朗が言おうとした時、小鳥が閉じていた口を開き重苦しそうに言った。

 

「私が、原因なの」

「小鳥くん……」

「いいんです、順一朗さん。やっぱり、そこは私が話さないといけないことだと思うんです。貴音ちゃん、そうなったのはね、私が諦めたからなの」

「それってトップアイドル?」

 

 美希の問いに小鳥は頷いた。

 

「あの人が現れた一年は私も諦めずに頑張ったの。補足しておくと、あの人が現れて私達の仕事が減ったわけじゃなかった。ちょっとは減ったけど。それでも、みんな私のために全力を尽くして支えてくれた。もちろんプロデューサーさんも……」

「小鳥は、当時のアイドルアルティメイトに参加したのですか?」

 

 何気ない、ごく当たり前の言葉が体を震わせる。

 

「参加は……したわ」

 

 そう、参加はした。

 その年のアイドルアルティメイトはちゃんと参加したのだ。たしかに日高舞はすごい。でも、わたしだって負けない。自分を含めたアイドル達は似たような思いだったと思う。それだけ熱気があった。それだけに予選の時点で難易度は高く、激戦だった。それでも私は予選を勝ち抜き本選出場が決まった。

 が、ここで私はやらかしてしまう。

 

「本選前日に体調を崩して、出場を辞退したの」

 

 最悪のタイミングで辞退した私は多くの人に迷惑をかけた。事務所のみんなを始め、なにより私のファン達の期待を裏切ってしまった。

 そのことが原因で批判や中傷がなかったわけではなかった。比較するのもどうかと思うが、他の炎上したアイドルと比べれば自分の場合は些かマシな方だった。

 それでも、私自身がその一件で精神的に参っていたのは本当で、その後の仕事はかなり選ぶものとなった。

 そして、それから半年後。ここで限界が訪れた。とある歌番組に私は出演した。他にも出演したアイドルがいたが、そこには日高舞の姿があった。

 幸いだったのが、私が歌う順番は彼女より先だったことだ。モチベーションはなんとか保つことができ、ライブもなんとか歌いきることができた。達成感があった。百点満点じゃないけど、いまの自分が出せる最高の出来だと思っていた。

 けど、日高舞のライブを間近で見た私は――すべてを諦めてしまった。

 次元が違う。私には、到底たどり着けない場所。

 

「そして、翌年の〈アイドルアルティメイト〉に出場することなく、私はアイドルを引退したの。自分が思っているより、私の心は弱かった」

 

 小鳥の言葉にどう返せばいいかわからない貴音と美希。二人には経験がない。大きな過ち、立ちはだかる壁といったものが、なかった。

 彼女を知る順一朗と順二郎はそれを否定する「それは違う」と。

 

「誰よりも先に諦めてしまったのは、私達だ。諦めてはいけなかったんだ。どんなに時間をかけても……」

「わかっていたんだろうな、黒井は。だから、最後まで辞めることに反対していた」

「黒井社長はやはり凄い御方なのですね」

「凄いよ。今でも尊敬してるわ。でも、ちょっと性格に難あり、だけどね」

「それは否定しないな」

「ああ、まったくその通りだ」

「ところで、あの人はどうしてたの?」

 

 美希の質問に小鳥は戸惑う。なにせ、難しい質問だからだ。

 

「うまく、言えないの。プロデューサーさんは、何も言わなかった。悔しそうな、辛い顔はしてた。けど、それを言葉に出さなかったの。二人は、どう思いました?」

「私もそう思っていたよ。けど、違うといまでは考えているよ。順一朗もだろ?」

「ああ。今だから分かる。誰よりも彼は、悔しかったんだと思うよ」

 

 だから、と順一朗は何か続けて言おうとしたが、それを口に出すことはなかった。それには小鳥も見てすぐにわかった。

 私達三人にはわかってしまう。あの人だから、そうなってしまったんだと。見習いだった彼には私達と同じように日高舞の圧倒的な力を目の当たりしてもなお、見習いだから故に諦めた私達と違い諦めることなく密かな熱い想いを胸に秘めてきた。

 見習いである自分に言えることはない。ああ、たしかに誰よりも悔しいに違いない。誰よりも頑張ろうと言いたかったに違いない。

 そうしてしまったのは私だ。そうなってしまったのは私だ。

 自分が原因だということは小鳥にもわかっている。そんなことはしなくてもいいんです、そう一言言えばいい。

 でも、彼は違うと言った。あの日、あの電話で。

 どうしよう、二人に言うべきだろうか。小鳥は悩んだ。けど、伝えてどうなるの? 彼女達にはきっとわからない。馬鹿にしてるわけじゃない。だって、私だって理解はできた。けど、どうしてそこまでするのか。これが、わからない。

 小鳥が一人思いにふけている最中、順一朗が言った。

 

「事務所を去ってからのあの子のことはあまり知らないんだ。電話やメールばかりで、直接会ったのは数えるぐらいだ。その頃のことをよく知るのは誰でもない黒井だろう。だが、あの子が変わったと間違いなく言えるとすれば、あの時だ」

「そう、だな。確かに、その通りかもしれないな」

「それは、いつのことです?」

 

 貴音が重い声で聞いた。

 

「以前、千早君の時に話したことがあっただろう? 当時、彼が担当していたアイドルが枕営業をさせられそうになったと」

「その時だ。あの子が、いまのようになったのは」

 

 言うと順一朗の顔がまるで憔悴したように小鳥には見えた。順二朗そうだ。もしかしたら、自分もそうかもしれない。

 けど、プロデューサーのその頃のことは、小鳥自身あまりよく知らない。彼と2人で呑んだ祭に、酔った勢いで彼の口から漏れて初めて知ったのだ。順一朗が言うように千早の件で彼女自身それが本当のことだと信じたのだ。

 

「三人はやっぱり、詳しくはわからないの?」

「先程も言ったが、別れた後のことを知っているのは黒井だ。例の件に関しても、黒井なら深いところまで知っているに違いない。会ってみるかね?」

「え、黒井社長に会えるの? そもそもミキ達と会ってくれるとは思えないの」

「大丈夫よ。きっと、黒井さんは会ってくれるわ」

「どうしてそう言い切れるのですか、小鳥?」

「あの人も会いたいと思ってるから」

 

 多分ね。と小鳥は最後に付け足した。

 確信はない。けれど、これは女の勘とでも言うのだろうか。プロデューサーさんのことを誰よりも気にかけていたのは順一朗さん達ではなく、黒井さんだと私は思っている。その彼が1番気にかけていたアイドル達と一度は面と向かって会ってみたいと思っているはずだ。それも、いまこのタイミングだからこそ余計に。

 おそらく、彼も薄々今回の一連の騒動に感ずいているに違いない。昔ならともかく、いまなら普通に連絡を取れば会ってくれると小鳥は考えていた。

 

「私としても、黒井と話してほしいと思っているんだ。彼の知らない一面をたくさん聞けるだろうし。私も聞いてみたくもあるが、それはまた別の機会にするよ」

 

 そう言って順一朗さんはスマートフォンを取り出して黒井さんに電話をかけた。時間的には少し迷惑な時間帯だ。それでも、黒井さんは数回のコールで出た。見た感じ少し言い争うような場面があったが、いつもの風景だ。

 

「それじゃ、よろしく頼むよ」

 

 数分後。明日黒井は会ってくれることになった。

 話は終わり、一先ず今日はこれで解散となった。貴音と美希を見送り、小鳥は片付けをして帰りの身支度をしていた。

 夕飯どうしよう。そんなことを考えていると順二朗が声をかけた。

 

「小鳥君、もしやと思うんだが。彼から連絡があったんじゃないかい?」

 

 怒っているわけではない。ただ、普通に尋ねてきた。

 はい、と小鳥は素直に答えた。

 あれは、去年の12月の中旬を過ぎたあたりだろうか。丁度〈リン・ミンメイ〉が現れ、まだ765プロでも彼女のプロデューサーが彼だとは知らない頃だ。

 その電話はまるで監視しているのかのようで、雨が降る中大急ぎで自宅に帰宅し玄関に入った直後に鳴った。スマホの画面に相手の名前はない。未登録の番号で、最初が3桁だからたぶん携帯なのはわかった。

 誰だろうか。

 とりあえず電話に出る。もしもし、尋ねると返ってきたのは知っている声だった。

『……小鳥ちゃん』

「プロデューサーさん? どうしたんですか、こんな時間に……」

 

 外でかけたのだろうか。ばしゃばしゃと雨が降る音が聞こえる。

 しかし、そんなことなど関係なしに内心喜んでいた。なにせ、久しぶりに彼から連絡があり、声が聞けたのが嬉しかったからだ。

 もしかして晩ご飯のお誘いですか? なんて冗談交じりに言おうとしたが、言う前に彼の言葉で言うことはなかった。

 

『もう少しなんだ、小鳥ちゃん。もう少しで、夢が叶うんだ』

「……夢? プロデューサーさん、一体なにを言って」

『あの時、みんなが果たせなかった夢を、俺が叶える。無理だって、無謀だってわかってた。諦めようと何度も思った。けど、実現するんだ』

 

 その言葉で私が彼が何を言っているのかわかった。

 果たせなかった夢。それは、みんなでアイドル音無小鳥をトップアイドルにする。そんな夢。

 けれど、彼の言葉には無理がある。夢を叶えると言ってもそれは私じゃない。アイドル音無小鳥はもう、いない。ならば、誰? きっと、彼は自分がそのアイドルをプロデュースすることで果たそうとしている? 少し考えればわかることだったが、それよりも私は戸惑っていた。

 本当は忘れていたかった。自分の所為で事務所は解散し、みんなが散り散りなったことを。みんなとの関係を引き裂いてしまったことを、忘れたかった。

 でも、違ったのだ。誰よりも傷ついていたのは、思い悩んでいたのは、

 

「プロデューサーさん、そんなこと、しなくていいんです。私が自分で諦めたんです、だから……」

『違うんだ、違うんだよ、小鳥ちゃん』

「え?」

『君の言う通りかもしれない、きっかけはそれだったかもしれない、これは八つ当たりかもしれない。でも、本当の意味で、俺の夢は変わっていないんだ』

「なにを、するつもりなんですか」

『見ていればわかるよ。俺は全部を巻き込んだ。褒められることじゃない、むしろ軽蔑される行為だ。それでも、やり遂げるよ……』

 

 電話は切れてしまった。

 私はその場に座り込み、涙を流した。ただ、一言。

 ごめんなさい。

 聞いて欲しい人に私は届かぬ想いを吐いた。

 小鳥はすべてを話さず簡潔に伝えた。

 

「やはりか。彼も君には何かを言ってきたんじゃないかと思っていたんだ」

「順一朗さんも同じことを思っていたんですか?」

「まあ、薄々と。彼は、小鳥君にはとても優しかったからね」

「言いたくなければ無理にとは言わないよ。彼のことを考えるとね、心配なんだ。彼に聞いてもきっとはぐらかされてしまう。そう思えて直接の連絡は控えていた」

「あの子は、私達にとって息子のような存在だ。だからこそ、心配で仕方ないし不安なんだ。今もそうだが、すべて終わったあとのことが」

 

 順一朗さんの言葉には概ね同意していた。あの人のことが心配なのは一緒だった。でも、終わったあととはどういうことだろうか。小鳥は訊いた。

 

「彼のやっていることが成功するにしろ失敗するにしろ、それが終わったらきっと、あの子はどこかへ消える。そう思えて仕方がないんだよ、私は」

「それって、どういうことですか!」

「これは推測だが、あの子はきっと今までの人生をいまやっていることに注ぎ込んでいる。それこそ、自分がどうなろうが誰かが不幸になろうが関係なしに。だからこそ、すべてが終わったあと彼に残るのはなんだと思う?」

「……わかりません」

「言い方を変えよう。夢を叶えたとする。何が残る?」

「結果とか、ですか? あとは……証とか」

「答えは正解であり間違いだよ」

 

 しれっと言う順一朗に小鳥は不満げに言った。

 

「それ、卑怯ですよ」

「小鳥君の答えは間違いじゃない。ただ、彼の場合は違う。何も残らない」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「それはね、彼の場合そこで終わりだからだよ。月並みだがプロ選手になりたい、ではなった。しかし、そこで終わりじゃない。さらなる鍛錬を積み、勝利をあげなくはならない。だが、彼にはない」

「故に、何も残らなくなった彼はきっと消える。この世界(アイドル業界)から」

 

 二人にはプロデューサーの夢のことを話してはいない。けれど、二人はそれを知っているかのように小鳥は思え、尋ねた。

 

「お二人は、プロデューサーさんのしようとしてることがわかるんですか?」

 

 互いに顔を見て、揃って言った。

 

『もちろん。あの子は、私の息子同然だからね』

 

 

 

 

 

 

 順一朗達の申し出は、いつもの自分なら断っていたに違いない。

 ただ一言。

 断る。

 これだけで済む。しかし、今回はそうしなかったのには理由があった。黒井自身今回は特別だと自分に言い聞かせるぐらいには。

 アイドルアルティメイト。日高舞。どちらも二度と聞くことのない言葉だと思っていた。過去の遺産とも言うべきそれが帰ってきた。腹が立つほどに。

 だが、アレがなければいまの自分はないのも事実。人生とはわからないものだ。時には人の運命すら変える。いや、狂わせる。

 アレにとって、それは確かに己の人生を変える分岐点だったのかもしれない。そういう意味では、この二人はあいつにとって定められていた運命を変えた存在なのかもしれない。黒井は目の前に座る四条貴音と星井美希を見てそんなことを思った。

 ただ、彼にとって意外だったのは四条貴音だけではなく、星井美希もアレにとって重要な存在だとは思ってもいなかったことだろうか。

 

「無駄話をする気はない。何が聞きたい?」

「あの人の、黒井社長と居た頃の話をお聞きしたいのです」

「小鳥達と別れてからの話……です」

「無理に敬語で喋るな。そういうのはアレで慣れているからな」

 

 敬語だったりため口だったり、なんとも奇妙な男だった。出会ったころはちゃんと敬語を使っていたが、いつからだったか。時折ため口で話すことがあったが、別にそれに怒りを覚えたことはなかった。

 

「さて。順一朗達と別れてからだったな」

 

 

 

 

 

 

 

 2000年。その年の半分が過ぎた頃。

 黒井は順一朗達と別れてからすぐに行動を起こした。小さな事務所を構え、あらゆるコネを使って仕事を取った。

 元々独立する気はあった。順一朗達と意見の違いで口論することが多くあり、自分のしたいようにできないことに不満を持っていたからだ。別にあの二人が嫌いではなく、有能だと認めている上での考えだった。ただ、音無に目をかけていたこともあってそれは当分先だと思っていたが、まさかこんな形で実現するとは。

 この時一人の事務員も雇った。名を赤坂と言った。大卒して就活に失敗したらしいが、能力はたしかなものだったので採用した。

 日高舞の引退後のアイドル業界は氷河期に突入したと言ってもよかった。あれが築き上げたものは計り知れないが、残した遺恨の方が大きい。なので、アイドルには手を出さず他の分野に手を伸ばした。

 まず黒井は歌手や俳優、女優といった人材の発掘に手を付けた。以前から目をつけていた人間の引き抜きも視野に入れて。ただ、そちらに最初は専念するため見習いである彼は別の仕事を与えられていた。

 見習いであるが、アレは優秀だ。別れる前からすくすくと成長し、半人前とまではいかないがそれぐらいにはなった。足りないのは経験。テレビ局やコネを使いそっちに派遣させた。

 たとえ独立しても自分の名の影響力は衰えず、見習いであるアレもそれなりに異端の目で見られているのは耳に入っていた。ただ、別の意味でアレは自身の手で名を上げた。

 日々成長しているのか、気付けば面々と向かって番組のプロデューサーやスタッフに意見を言っている。時には抗議し、自ら主導して番組を作り始めた。

 面白い番組を作るのは発想も必要だが、やはり才能なのだろうか。アレには指導者としての素質もあった。

 事務所に所属するアーティストが増えると、アレにも共に仕事をさせた。いや、本格的にプロデューサーらしい仕事をさせたと言うべきか。

 不思議と、こいつが隣に立っていることに安心感を抱き始めた。何かを言わなくてもそれをするし、先に口を出す。嫌な表現であるが熟年の夫婦のようなものに近かった。

 それでも、口論がまったくなかったわけではなかった。意見の違いはちゃんと出た。自分が正しい時もあれば、アレが正しいときもある。順一朗達と別れればそんなことはないと思っていたが、今度はあれが恋しいと思わなくもなかった。

 共に仕事をすることになって、アレの主な担当は補佐のようなものだ。

 黒井の性格はかなり万人受けする方ではない。むしろ、距離を置かれるようなタイプであった。それが影響して所属している人間から不満の声はなくはなかった。それでも、それは性格のみで、仕事に対して不満の声があがることは一度もなかった。

 そんな自分のマイナス面を見習いであるアレが補佐していた。顔だけなら恐がられることは間違いないアレがだ。なんとも不釣り合いであった。だが、評判は悪くなかった。

 一番の年下であるアレは、やはり可愛がられていた。よくアレは私と似ていると言われるが、自分と違って好かれやすい。そこが決定的に違っていると勝手に思っていた。

 そんな時、アレに妙な違和感を感じた。それが何かわからず、プライベートに関しては滅多なことがない限り踏み込む気はないので聞きはしなかったが、あるテレビ局の知り合いから聞いて、驚いた。

 その内容の真意を確かめるべく、私は直球で訊いた。

 

「おい、お前○○局のスタッフと付き合っていると聞いたが、本当か?」

「ええ。付き合ってますよ」

 

 あまりにも淡々と言うので、私の興味は一瞬で失せた。

 

 

 

 

 

 

 プロデューサーに彼女がいた。それを聞いて貴音と美希はさっそくくいついた。

 

「え!? 彼女なんていたの!?」

「むしろなんでいないと思う? アレは一応モテた方だぞ」

「ただ、その……あの方は普通の女性と付き合うような方には見えなかったもので」

「うんうん」

 

 二人の言葉に黒井は褒めた。

 

「ほう。アレのことをちゃんと見る目は持っていたようだな」

「それは、どういうことなのでしょうか?」

「貴様が言った通りだよ。アレは、普通の女と付き合えるような男ではない。その逆もな」

「それってつまり……長く続かなかったってことなの?」

「ああ。たしか……半年はもたなかったはずだった。うちの赤坂、お前達を案内した事務員が聞いたから間違いない。アレは相当の堅物だったからな。人並みの趣味もなく、暇があれば読書かトレーニング、たまに映画鑑賞をしていたぐらいだった」

「意外といまと変わりませんね」

「でも、よくアニメとかゲームも一緒にするよね」

 

 二人の言葉が引っかかる黒井は尋ねた。

 

「一つ聞くが、以前まではアレと普段から共にいたのか? いや、同じ事務所なら当然と言えばそうだが……」

「……どうします?」と貴音が美希に尋ねると美希が言った「いいんじゃない?」

「では、一緒に暮らしてました」

「……ん? いまなんて言った?」

「暮らしてたの。あ、同棲してたわけじゃないよ? 部屋は隣同士だけど」

 

 暮らしてた? 部屋は隣同士? 

 アレは堅物だ。付き合っていた女と別れてから一度も女と交際したとは聞いたことがない。付き合いでクラブなどには何度も行った事はあるだろう。風俗に通っていたとも聞いたことはないし、自ら通うような男でもない。

 黒井は笑った。普段滅多に笑わないが、自分の知らない彼の姿が面白くて声が出る。身内でもなんでもない目の前で座る二人を気にせずに。

 

「笑うほどおかしいのですか?」

「可笑しい? ああ可笑しいとも。あの男を知っている人間なら笑うだろうよ。いいか、あの男は多くの女と共に仕事をしてきた。アイドルや女優、スタッフと数えきれないほどに。それでも、あいつは選ばなかった。共に過ごす時間は誰もが短い。お前らは誰よりも共に過ごした。それだけお前らの事が大事なのだろう。……そうか、だからか」

 

 謎がようやく解けた。

 なぜ、アレが〈リン・ミンメイ〉などという偶像を造りだしたのか。なぜ、最も大事にしているアイドルである四条貴音を使わないのか。

 黒井は、当初からこの一連の騒動が彼によるものだということに気づいていた。もっと前から何かをしようとしていることにも。

 だから、あちこちを転々とアイドルのプロデューサーをした。自分の夢を成就させるアイドルを見つけるために。

 そして、見つけた。四条貴音を。だが違った。いや、違わないのかもしれない。

 誰もが言った。アレは私の後継者だと。認める気もないが、否定する気もない。たしかに似ているだろう。優秀であるところも、冷酷なところも。

 しかし、違ったのだ。アレは、私とは違う。決定的に違うものを持っている。

 だから、最後まで冷酷でいられず〈リン・ミンメイ〉を使った。

 アレは、甘すぎた。自分にとって最も大切なモノに対して。

 

「何かお気づきになられたのですか?」

 

 最後の言葉に貴音が訊いた。

 教えるべきか。いや、伝えることではない。この二人も気付いているはずだ。自分達がどれほどアレに想われているか。

 黒井はいつもの物言いで言い、話を戻した。

 

「いや、なんでもない。さて、どこまで話したか。ああ、アレの女のとこまで話したな。色々と語ってやりたいが、これと言って話題がないな。アレが23か4のときか。その一年、ハリウッド研修の名目でアメリカに渡っていたからな」

「それ聞いたことあるの! でも、詳しい話は聞いたことはないの」

「黒井社長はなにか?」

「知らん」

 

 黒井は首を横に振りながら言った。

 

「月に一度の連絡と報告をしろと言っただけで詳しくは知らん。現にその年は一度もこっちには帰ってこなかった。周りが色々と聞いていたようだったが……」

「……なにかあったの?」」

「いや。アレは決まって、退屈しない一年だった、それだけしか言わなかったそうだ。向こうの知人にも聞いたが、優秀だったと。特に大きなミスや問題も起こしてはいなかったのでな、そこまで追及はしなかった」

 

 二人を見るとあまり満足する内容ではなかったようだ。当然だと黒井は思った。自身ですら、つまらないと当時口に出したほどだ。報告書は至って普通。向こうでアレの面倒を見てもらった知人にも聞いたが、内容は先と変わらず印象的だったのは人気者だった。ただそれだけだった。

 さて、残るのはあの件だけだな。

 話すことがもう限られている。ハリウッドから帰ってきたあと少し経ち、アレはここを去った。そして、少し前のように各地を転々としアイドルをプロデュースしたり、時にはテレビ局で仕事をしたりとしていた。

 その頃の話はあまり話題がない。あるとすれば、あの事件。

 アレが、いまのようになった日。

 そのことを見越したかのように貴音と美希は顔を見合わせ頷き言った。

 

「では、例の件についてお教えくださいませんか?」

「……それが、今回の本題だったな」

「うん」

 

 いままでのはおまけみたいなものだろう。順一朗から言われたのは、あの件について教えてやってくれ、そう頼まれたからだ。

 だから、ここからが本題だ。ただし、聞くにはこの二人は綺麗すぎる。聞かせるのは忍びないと躊躇うぐらいに。

 黒井は再度確認した。

 

「本当に聞きたいか?」

「はい」

「そのために来たの」

「……わかった。話す前に言っておく。私はすべてを知っているわけではない。それでも、私が知っていることは話そう」

 

 

 

 

 

 貴方の秘蔵っ子が面倒な事になっている。そう連絡をよこしたのはよく使っている情報屋からだった。

 いや、正確には悪徳記者のような男だ。元はまともな記者であったが、いつからか転落し汚い仕事をするようになった典型的な男だった。ただ、性格からして真面目な男ではないので当然のような気がしなくもなかった。

 まず、その情報の信頼性を疑ったが向こうもこれで飯を食っている商売人だ。ガセというのはまず考えられなかった。

「面倒なこととはなんだ」黒井は電話越しに尋ねた。「貴方も知ってるでしょうが、彼いま○○事務所でプロデューサーやってるでしょ? その新人アイドルが、○○局のお偉いさんの目に留まったらしいんですよ。まあ、今時そんな事は日常茶飯事なようなものですがね」

 そのお偉いさんというのは知っている。自身の地位を利用してアレコレ好き放題しているとは耳にしたことがある。なんでも、彼主催のパーティーをよく開いているそうだ。

 実際、黒井はその男からのお誘いが来たことがあった。贔屓目に見ても961プロダクションは今後さらに飛躍する芸能事務所。その社長である黒井は優秀な男だ。それを引き込もうとする人間は多い。

 だが、黒井はそれを一蹴した。彼からすればまったく興味のないことだからだ。

 

「で、それを私に伝えてどうする?」

『別に。金が欲しいわけじゃないんですよ。ただ、これはいつも利用してもらっているサービスみたいなもんです』

 

 追加で場所と開催されるおおよその時間を伝え電話は切れた。

 黒井は携帯を取出し、ある人間に連絡を取った。

 それは彼の護衛件掃除屋であった。信頼できるルートからそれを紹介してもらい、961プロがそれなりの規模になってから雇った者達だった。

 以前は見習いであるアレがいればそんなことを考えなかったが、だいぶ前から妙な寒気や視線を感じることがあった。危機感というやつだろうか。自分が敵を作ることは自覚している。そのための護衛だった。

 そして、発信から数コールで相手は出た。

 

『なんでしょうか』

「仕事だ」

『わかりました。声の感じから察するに、掃除道具は必要になりますか?』

「……一応用意しておけ」

『いつもとは違うように感じますが、なにか?』

「今回は後片付けになるかもしれん。ただ、それだけだ」

『了解いたしました。いつお迎えにいけばよろしいでしょうか』

 

 言われて時計を見た。お昼過ぎだ。おそらく、例のパーティーは夜。場所と時間は先程の情報通りなら問題はないだろう。

 情報をそのまま伝えると彼はわかりましたと言うだけ言って電話は切れた。

 息を吐きながら椅子に背中を預ける。

 存外、まだ甘いな。私も。

 アレならば問題はない。そう言い切れるのだが、どうしてか心配でしょうがない。

 黒井は内線で赤坂を呼んだ。

 

『どうかしたんですか、社長』

「少し仮眠を取る。後の対応は任せる」

『わかりました。では、数時間後に起こしに行きますから』

 

 赤坂とは長い付き合いになる。こうして仮眠を取ると言えばだいたい決まった時間に起こしに来る。何だかんだで頼りになる女だ。

 黒井はゆっくりと瞼を閉じた。

 夜まで長い。最悪の事態を想定しながら彼は眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 ボディーガードの一人である男の運転で六本木のある場所に来ていた。車の外には二人が周囲を警戒しながら立っている。

 ここに着いたのは先程。予定の時間より少し早くに着いたが、まだ状況は分かっていない。

 すると、スモークガラスの窓をコンコンと叩く音が聞こえ、10㎝ほど窓を開けると彼らのリーダーである斉藤が残念な報告をしてきた。

 

「どうやら少し遅かったようです」

「続けろ」

「幸い、死人は出ておりませんが間一髪でした。一体どこから手に入れたのか、銃を持っていました」

「なに? すると、撃ったのか?」

「のようです。ご丁寧にサイレンサーをつけて。いまは部下に見張らせておりますが、いかがしますか?」

 

 アレがどこから銃などを入手したかはどうでもよかった。いまはとにかく詳しい状況が知りたい。

 

「私もいく。案内しろ」

「わかりました」

 

 建物に入り、エレベーターに乗る。歓楽街だけあって華があり綺麗な場所だ。ただ、時間の割には静かすぎると感じる。

 目的の階につくと護衛の一人が立って斉藤が尋ねた。

 

「状況は?」

「いえ、変わっていません。女の子と一緒です」

「女? まさか……来たのか」

 

 思わず口に出した。

 黒井にとってそれは驚きだった。なにせ、自分のアイドルが枕営業などという下衆な誘いを受け、それに怒ったからと思っていたからだ。

 よく考えればそれだけだったらここまではしないと気付く。アイドルがここに来たから、いや、来てしまったからこうなってしまった。

 中に入れば大勢の人間がいた形跡がある。素直に同情する。ただ、アレを怒らせるとこうなるのか。普段からは想像できんな。

 感情は人並みだと勝手に認識しているし、ただ年相応の対応をするかと言われると違うのだ、アレは。初めて会ってから今日まで、世間的にはまだ社会に出ばかりの子供に近いというのが世の認識だろうがアレは最初から大人だった。いや言いかえれば大人の振りをしている子供になるのだろうが、私には大人のような子供と認識していた。初対面の人間なら20代には思われないだろうし、そう自分が感じるのは本当の年齢を知っているからだろう。

 周りには対応も素振りも大人そのもの。近い人間には年相応の大人のような子供。性格は優しい方だろう。顔は怖いが残忍な人間ではない。

 だからこそ、ここまでするとは思わなかった。まして本物の銃を持ち、本当に発砲するとは。

 順一朗達が知れば悲しむだろうな。まあ、言わんが。

 少し歩き、社長室にあるソファーよりも高そうなそれに座る二人がいた。女はまだ泣いている。

 二人の服装は偉く対称的だった。アレは目立たないようにか全身を黒で統一し、顔を隠す気でもあったのか上着にはフードがついていた。担当のアイドルらしき女は、まさに男を誘惑しそうな服だった。肌の多くが露出し、見えるか見えないような際どいラインの服。年はまだ未成年だったはずだ。分かっていてそういう服を着させたのだろう。ああいう輩はどうせ更衣室に隠しカメラでも置いてあるに違いない。

 それを含めて周りの掃除を斉藤に命じ、久しぶりに私は対面で話した。いや、その前にアレが口を出した。

 

「なんで、邪魔をした」

 

 ギロリと私を睨む。これも初めてのことだった。

 

「答える気はない」

「ッ!」

「……それはどうするつもりだ。もうアイドルは無理だろう」

「アンタには関係ない」

 

 怒る気はないが、会話にならかった。おそらくどんなことを言っても突っぱねてくるのは目に見えた。

 視線をずらし、近くで倒れている小太りの男をみた。例のテレビ局の男だ。左足の太ももから血の跡が。いまは部下たちが一応手当をしていた。

 

「これの片付けは私がやっておこう。お前には無理だ」

「……俺が感謝するとでも?」

「礼が欲しい男に見えるか? 今のお前にはできないことをやってやるだけだ。それと、それは何だ?」

 

 アレの隣には何かの帳簿のようなものがあった。ここには似つかわしくないモノで気になった。素直に言うとは思わなかったが、意外なことに答えた。

 

「アンタが来る前に問い詰めて手に入れた……リスト」

「顧客のか」

「ええ。参加している人間から薬の売買、それと……この子のような人間の名前が入ったものまで。警察が欲しがるようなやつですよ」

「それをどうするつもりだ?」

「どうするかって? アンタがやってきたように、利用するだけだ! これに載ってる人間、ここにいたあいつらの顔はしっかりと覚えている。どんな手を使っても死ぬまで利用してやる」

「……まさか、正義のヒーローにでもなったつもりか?」

「ヒーロー? 俺が? 馬鹿馬鹿しい」

 

 もういいでしょ、そう言ってアレは女とここを離れた。擦れ違いに聞こえた、「ごめんなさい」と女が何度も言っていたのは妙に頭に残った

 そのあとは、本当にいつも通りの手順で処理をした。テレビ局の男は一応生きている。ただ、社会的には死んだ。警察にも一応伝手はあり、それを使って秘密裏に身柄は引き渡した。少し面倒だったのがアレが撃ったことだが、そこはまあなんとかした。

 世間的には薬物、違法売買の線で手を打った。男が所属したテレビ局も当分はデカい顔はできないだろう。

 後日。アレが私のとこに頭を下げに来てこう言った。

「この子のことを、お願いします」

 所属していた事務所には置いておけない、そう判断したのだろう。黒井は一言返事でそれを了承した。以後、彼女はアイドルとしてではなく歌手としての道を歩み始めた。

 そして、これを最後にアレと直接会うことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 包み隠さず、とまではいかないが知っている限りのことを貴音と美希に教えた黒井は、コーヒーを一口飲んで落ち着き、試すような言い方をした。

 

「で、どうだ? アレの汚い一面を知って」

「……汚い、そうですね。周りから見れば許される行為じゃないのでしょう。ですが、あの方はいまと何一つ変わっておりません」

「変わっていない? アレが?」

「うん。いつでもあの人は私達アイドルのことを大事にしてる。響や千早さんのときもそう。きっと誰よりも心配して、怒ってたと思う」

「黒井社長が仰るようにあの方の手段を誰もが汚いと、卑劣と罵声を浴びせようとも、わたくし達はあの方の隣に立ちます。それは、あの方がわたくし達アイドルのために行っているからです。わたくし達は彼を知っています。誰よりも理解し、常にあの方の味方でいる、そう決意しています」

「だから、わかるの。あの人は……きっと、辛いんだって」

「辛い? アレは、どんな手を使ってもやり遂げようとしている男だぞ。そんな男がなぜ辛いと言える?」

「わたくし達は、あの方の知らない時を知ることができました。だからこそ、わかったのです。あの方は……きっと、黒井社長や小鳥達と出会った時から変わっていないのですよ」

「あの時から変わっていない、か。想像できんな」

「そう思うのは仕方がないの。ミキ達だって憶測にしか過ぎない。けど、そう思っちゃうんだ」

「辛いというのは適確な表現ではないのかもしれません。ですが、生きてきた時間の半分を捧げる。たしかにそれは、あの方が願ったことのなのでしょう。しかし、気付けばいつしかそれが生きていく上で切り捨てることのできないものになっている。これはもう、呪いではないでしょうか?」

「呪いか。言い得て妙なだな。いや、その通りかもしれないな。アレにとってこの世界に入った時点で逃れられない運命だったのかもしれん」

 

 飲んでいたコーヒーが終わった。そろそろ潮時だな。意外と、有意義な時間だったと黒井は満足していた。

 それと、この二人に会わすべき人間を待たせていることを思いだした。

 

「さて。私が話すべきことはもうない。それと、ここに来たついでというわけではないが、お前達に会わせておきたい人間がいる」

「わたくし達に、ですか?」

「それは誰なの?」

 

 ソファーから立ち上がり、受話器を手に取りながら黒井は答えた。

 

「アレが、最初に担当したアイドルだよ」

 

 

 

 

 

 黒井社長からの連絡は、わたしにとってはあまり興味の引く内容ではなかった。それもそうだろう。相手は赤の他人で、名前は知っているが直接会ったことも、仕事で共演したこともないからだ。

 しかし社長はそれを見越して、『アレが特に気にかけているアイドルだぞ?』と挑発するように言ってきた。

 ただ、それはたしかにわたしにとって無視できない内容だった。

 あの人が気にかけているアイドル。それはあの人を惹きつける何かを持っていることのだから。だから、会ってみることにした。一体どんな子なのか。ある意味楽しみで仕方がなかった。

 待ち合わせの日。事務所の一室でわたしは待っていた。

 先に社長と会うらしいので待っている間は適当に時間を潰していた。そこに赤坂さんがやってきて、二人の女の子を連れてきた。

 やられた、とすぐに思った。たしかに社長は一人とは言っていなかったからだ。

 やってきた女の子二人は知らない顔ではなかった。765プロダクションのアイドル。四条貴音と星井美希。二人とも人気のアイドルのはずだ。

 わたしから見ても、やっぱり可愛くてあの人が惹き付けられるのも分かる気がした。

 赤坂さんが部屋を出て、わたしはとりあえず自己紹介をした。

 

「はじめまして、になるのよね」

「そうなります」

「えーと、はじめましてなの」

「わたしのことは気軽にお姉さんでいいわよ」

 

 戸惑う二人に構わず、彼女は笑みを浮かべてこの状況を楽しんでいた。

 

「ゆっくり話をしたいところなんだけど、あまり時間がないの。だから、聞いてもいいかしら?」

 

 二人はそれに肯定して頷いた。

 

「ありがとう。じゃあ、単刀直入に聞くけど、貴方達はプロデューサーさんの素顔ってみたことある?」

 

 

 

 

 

 

 その質問に、貴音はすぐに、「はい」と答えた。すると今度は、「頻度は?」と尋ねてきた。

 これには一瞬迷い、美希に視線を向けた。半同棲していたことを教えてもよいか、それの確認をするためだった。

 美希はそこまで悩まなかったのかすぐに肯定して返事をしたので、隠さず伝えた。

 

「共に暮らす様になってからは、家の中ではサングラスを外しておりました」

「……暮らしていたって」

「ああ、えーと、部屋が隣同士だったの。それで、ミキ達が入り浸ってたっていう話、かな?」

 

 彼女はとても羨ましそうな目でこちらを見た。その瞳には怒りや憎しみの感情は感じられなかった。それを見て貴音は気付いた。ああ、この人もあの方のことを思っていたのですね。そうでなければ、そんな目をする筈はない。

 続けて彼女は言った。

 

「はははっ。そう、あの人がそれを許すってことは、それだけあなた達のことが好きなのね」

「そう、かもしれないです。ですが、どうしてこのような質問を?」

「たしかに、素顔のあの人を知っている人は少ないと思うけど……」

「そうよね。でも、その前にもう一つ聞くわね。社長から話を聞いて、それでもプロデューサーさんのことを今と昔で変わってないって思ってる?」

『はい』

 

 二人は同時に答えた。

 

「でもね。わたしは変わったって思ってる。あなた達が知るようにプロデューサーさんの本質は変わってないんだと思う。けど、わたしだけが変わったって言い切れることがあるの」

「それは一体?」

「わたしのことも聞いたと思うけど、あれからなの。プロデューサーさんがサングラスをし始めたの。それとタバコもね」

「タバコはもっと前から吸っていると思っていたの」

「そう思うのは仕方ないもん。見た目がね? わたしだって最初はそんな印象抱いてたもの」

「して、サングラスに何か意味があるのですか?」

 

 聞くと、彼女から笑みが消え真剣な眼差しで言った。

 

「あれはね、仮面なの。わたしが勝手に思ってることだけど。あの一件以来、プロデューサーさんはサングラスをかけて、タバコも吸い始めた。まるで、何かを演じるかのように。そう思うのには理由があるの。あれ以来わたしは961に移籍して、彼とも会う頻度はかなり減った。それでも、心配だったのかたまには仕事先に会いに来たりしてくれたの。でも、プロデューサーさんはわたしの前ですら、サングラスをつけたままだった」

 

 タバコは吸わなかったけどねと彼女は苦笑した。

 なるほどと貴音は思った。彼女の言う通りならば、たしかに自分達の考えは少し違っているのかもしれない。サングラスが仮面というのはやけに納得できる。

 それでも、わたくし達の前ではサングラスをつけていようと変わらなかった、そんな気がするのだ。

 

「だから、わたしはあなた達が羨ましいの。本当の自分をさらけ出せることができるあなた達が。わたしにはできなかったから。ううん、わたしがそうさせてしまった。これはきっと……罰ね」

「……貴方のことは今日知りました。あの方は昔の話はあまり話してはくれませんでしたから。けれど、それでも分かったことがあります」

「それはなに?」

「貴方が何を思おうと、あの方にとって貴方は最初に担当したアイドル。かけがえのない存在だと、わたくしは思います」

 

 目を見開き、俯いてそっと目元の涙を拭いとるのが見えた。そうかなと尋ねてきたので、そうですよと答えた。救われたと言えばいいのだろうか。貴音にはわからなかった。

 そして、彼女は再び今度は貴音を見て言った。

 

「ほんと、貴方が羨ましいわ」

 

 わたくしだって羨ましい。貴音は静かな嫉妬を彼女に抱いた。

 自分は何番目かのアイドル。けど、貴方は一番最初に担当したアイドル。そんな些細な称号がすごく羨ましいと思えてしまう。

 自分も女だ。嫉妬だってする。

 大人の女性だと見てわかる。自分にはない魅力がある。

 当時もきっと今以上にアイドルとして輝くはずだったに違いない。けど、それは潰されてしまった。あの方があんなことをしでかすぐらいに、貴方のことが大事なのだと。

 けど、わたくしだって負けていない。

 あの方を思う気持ちは絶対に。

 少しして、落ち着いた彼女が2人に意外な質問をした。

 

「ねえ。あなた達はプロデューサーさんこと、愛してる?」

「愛してます」

「愛してるの」

 

 わたくしと美希は当然のように答えた。

 彼女は微笑みながら、よかったと言った。その言葉の意味は、正直わからなかった。

 それから、数十分ほど短い時間だが彼女と話をして、2人は961プロを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 自宅へ向かうタクシーの車内。美希は貴音に言った。

 

「綺麗な人だったね」

「ええ。とても」

「アイドルだった頃は、ミキ達みたいに可愛かったんだろうなあ」

「ふふっ。そうですね」

 

 今日だけで多くのことを知った。知らないことを沢山聞けた。それだけでも、意味があった。

 そして、ミキ達がどうすべきかも。きっと貴音もそれに気付いてるだろう。

 

「貴音。もう貴音がどうすべきか、わかったよね?」

「はい。すべてを終わらせるため、わたくしの想いを伝えるためにも」

「じゃあ、出るんだね。〈アイドルアルティメイト〉に」

 

 今までに見せたことのない顔をして頷いた。

 これはいわゆる、覚悟を決めたというやつだろうか。

 まあ、いい。貴音が決めたなら、ミキも自分のすべきことを果たさなければならない。

 けど、その前に確かめなければいけないことがある。

 美希は運転手にタクシーを止めさせるように言うと、タクシーは安全運転を維持しながら車は停まり、外に出た。

 

「美希? どうかしたのですか?」

「ごめん、貴音。ちょっと寄る所があるから先に帰ってて。あ、ご飯は先に作っていいから」

「わかりました。では、また後ほど」

「うん」

 

 タクシーが走り出すのを見送り、美希も歩き出した。

 さて、まずは出てくれないと始まらないんだけど。

 バッグからスマホを取りだし、指紋認証でロックを解除。電話の履歴からかつて頻繁にかけた番号を押す。

 ほどなく、聞きなれた電子音声が告げた。

『おかけになった電話番号は、現在―』

 すぐ切ってもう一度かけなおす。

『おかけ――』

 もう一度。

 また駄目か。もう一度かけなおそうとした時、

 

『なんだ』

 

 怒っているのか、不機嫌そうな声だった。

 それなのに美希の口の端が吊り上がりにやりと笑みを浮かべて言った。

 

「ちょっと、今から会ってほしいの」

 

 

 

 

 

 

 都内にある公園に一人の男――プロデューサーが歩いていた。

 片手をポケットに入れ、周囲を寄せ付けまいという雰囲気を纏いながら歩く。傍から見れば裏稼業の人間が歩いてるようなものだったが、幸い今は誰もいなかった。

 彼にとって、ここは馴染みのある場所だった。美希と初めてデートした場所であり、それからも外に出る時は決まってここを訪れていた。時には貴音と三人でのんびりと散歩をしている時もあった。

 そして、もう二度と訪れる気はない場所でもあった。

『どうせ時間なんて作れるでしょ? いまからいつもの公園で待ってるの、じゃあね』

 文句の一言も言わせずあいつは電話を切った。

 それで余計にイライラしているのもあったが、極めつけはアイツだ。

(昔の女からの電話ですかな~?)

 当てずっぽうだ。だが、アレの場合は直感に近くよく当たる。

 さらに、タイミングよくその時間は空いていたのもあって、もう一度美希に忠告するためにここにやってきた。

 二度と電話をしてくるな。そう一言言って去ればいい。

 だがそこで、ふと足が止まる。

 

「ああ、そうだったな」

 

 既視感を、感じていた。ここに訪れてから。それがなんなのかようやくわかった。

 かつて、美希にしたことと同じことをされたのだ。

(だが、それがどうした)

 そんなことに気づいたからといって、俺が今更諦めるのか? 答えはノーだ。止まるな、前を見ろ、進み続けろと頭の中で誰かが警告する。だから、やめない。まだ、始まったばかりだ。

 少しして彼は公園の池を渡る橋の中央で手すりに肘をつき、その場で待った。

 カモ、いないな。

 反対側にいるのだろうか。振り返って済むことだが、そんな気はなかった。ただ待っているのも退屈で、タバコでも吸おうと思って胸のポケットに手を伸ばす。が、ない。事務所で吸ったのが最後だったようだ。

 自分に呆れながら舌打ちをして、また池を眺める。

 すると、近くで人の気配がする。その方向に首を動かし、視線を向けた。

 美希だ。

 まだ寒さが残るのにも関わらず、下はスカートにタイツ。女というのはどこでもおしゃれを気にするらしい。少し前で何度も思い、口に出したことをまた、俺は繰り返した。

 まあいい。さっさと一言言って帰れば、

 

「こっちを見ないで。そのまま池の方を向いてて」

 

 言う前に相手が先制してきた。渋々首を前に向け、また目には池が映る。

 足音からして美希は自分の反対側に立っている。池を向いているのか、それともこっちを向いているのかはわからないが。

 小さな呼吸をする音が聞こえ、そのまま美希が言った。

 

「たぶん、話す気はないと思ってる。けど、一つだけ答えて欲しいことがあるの」

 

 一つだけならいい。そう思って言ってやった。

 

「……なんだ」

「ここで、ミキに言った事……覚えてるよね?」

「っ」

 

 忘れるわけがなかった。忘れることなんてできるわけなかった。

 ――今から嘘はつかない。

 その言葉は、ずっと呪いのように続いていた。

 765プロにいる間はちゃんとお前をキラキラさせる。そう約束し、そのための誓いだった。けど、それはだんだんと続いていた。美希だけじゃない。貴音にも嘘をつかない。

 どうしてそうなったのだろうか。

 気付いているはずだ。けど、言わなかっただけだ。

 なぜ? どうしよもなく恐かったからだ。自分が、俺が必死に叶えようとしている夢を諦めてしまうのではないか。今まで散々忘れていた、頭からどこか遠くに行っていた欲求を2人に求めてしまうのではないか。今日まで積み上げていたものを捨ててしまう。それが恐かった。

 ああ、最悪だ。

 たった一言で理性が崩壊してしまいそうになる。まさか、それを見越してそんなことを言ってきたのか?

 それでも、なんとか平静を保ち答えた。

 

「ああ、覚えている」

「それを聞いて安心したの。用はこれで終わり。じゃあね」

 

 しれっとした言い方で美希は来た道を戻り始めた。

 プロデューサーはまさか本当に一言言って立ち去るとは思っておらず面を食らっていた。

 もっとこう、色々聞いてくると思っていた。なんで、あんなことをしたのとか、本当のことを話してとか。どんなことをしてでも問い詰めてくるのではと。

 しかし、実際はその逆だった。本当に聞きたいことだけ聞いて終わってしまった。

 なら、それでいいではないか。彼も開き直った。余計なことを聞いてくるより全然マシだ。もうここに用はない。

 プロデューサーもその場から立ち去ろうとした時、後ろで美希が「あ、そうだ」と何かを思い出したかのような素振りをしながら言った。

 

「言い忘れたけど。貴音を選ばなかったこと、後悔しないでね」

 

 思わず足を止め美希の方へ振り向いた。彼女はこちらのことなど興味ないのかそのまま歩き去っていく。

 手に無駄な力が入る。爪が食い込んで血が流れるが痛みなど感じなかった。

 後悔なんて、するわけがない。

 そんな資格など持ち合わせていない。

 俺は、自分から手放したのだ。

 

「タバコ、買っていくか」

 

 とにかくいまは何も考えたくない。何かに逃げるようにプロデューサーはタバコが吸いたくて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 貴音と別れた美希はその足で765プロへと向かった。

 道中、小鳥に連絡し会長に社長、赤羽根Pと律子さんも呼んでほしいと連絡した。伝えたいことがあるからと。

 小鳥は何も言わずそれを受け入れてくれたので助かった。

 事務所に着くと、765プロの仲間達とすれ違う。軽くあいさつして会長の部屋に向かう。

 扉を開けるとすでに呼んでいた全員が集まっていた。

 

「ミキの我儘を聞いてもらってごめんなの」

「それは構わないよ。会長といっても暇だからね」

 

 順一朗の一言にぎろりと睨みつけるように視線を向ける者がいた。あえて言うまい。美希がその光景に苦笑していると赤羽根が聞いてきた。

 

「ところで美希。話ってなんなんだ? それに律子もだなんて」

「まあ、なんとなく察しはついてるんだけど」

「それにはちゃんと理由があるの。ミキね――」

 

 すぅーと大きく深呼吸。

 よし。

 

「アイドル活動を少し休みたいの。できれば今年一杯」

 

 すぐに反応をしたのは予想通り赤羽根Pと律子さんだ。あと三人はミキが言おうとしていたことがわかっていたのか、そこまで大きな反応はしなかった。せいぜい、『やっぱりか』みたいな感じで。

 赤羽根と律子を落ち着かせながら順一朗が尋ねた。

 

「それは、貴音君のためだね?」

「うん。いまのミキの立場で一年活動を休止するなんて無理だってわかってる。最低限、レギュラー番組と絶対に必要な仕事はするの。それでも貴音の傍で……プロデューサーとして立っていたいの」

「美希の言いたいことはわかる。けど、美希が本当にやらなきゃいけないことなのか? 律子はほぼアイドルに専念してるけど、それでも俺だってプロデューサーだ。信頼してほしい」

「赤羽根Pの言う通り。なにも美希がそこまでする必要なんてないじゃない。それに、プロデューサーという仕事は思っているより大変なの」

 

 二人の言うことは間違っていない。

 それでも、美希にはそれをやってのける自信があった。

 

「プロデューサーがどんな仕事をするか、それは一番……じゃないけど、あの人の傍で見てきたからわかる。口だけならなんとでも言えるよ? でも、こればかりはミキを信じて欲しいの」

「美希……あなたはどうしてそこまで」

「果たさなきゃいけないことがあるの。貴音がそれを成すためにミキが手伝う。他の人じゃだめなの」

 

 今までに見たことのない美希を見て驚きを隠せない赤羽根と律子。本当にこれがあの星井美希なのかと錯覚している。そうまでして彼女がここまでするのか、それが分かる小鳥が言った。

 

「あの二人に勝つためなの? 美希ちゃん」

「半分そうで、半分違う。目的の一つではあるの」

「昔と違い今回の〈アイドルアルティメイト〉は荒れるよ。多くのAランクアイドル達が立ちはだかる。貴音君も負けてはいないだろう。しかし、必ずしも勝てるとは言えないのではないかな?」

 

 順二郎が真剣な顔つきで美希に問う。

 

「三人ならわかるでしょ。その程度で負けるようなら、あの二人には勝てないって」

「ああそうとも。だから聞こう。勝算があるのかね?」

「……仮に。もし、仮にミキがあの二人と勝負するとして、勝てはしないけど負けるとは思ってないの」

 

 嘘じゃない。

 実際に日高舞の当時の映像、〈リン・ミンメイ〉のライブ中継を見てシミュレーションした結果、そうなった。不確定要素である現在の日高舞の実力がどれほどのものかがわからないが、それでも似たような結果になるのではと思っている。

 ただそれも、本気でライブバトルに挑む場合の話だ。持てる力の限り、自分の限界を超えるためにその日までトレーニングをすることだろう。

 まあ、あの人が傍にいるならもっとよゆーだと、美希はどこからか湧く勝利を確信していた。

 

「そこまでの自信があるとは! さすが我が765プロのエースだね! しかし、実際のところ貴音君に勝算はあるのかね?」

 

 誰もが美希を見た。

 彼女は胸を張って答えた。

 

「勝算なんて関係ないの。ミキ達は必ず最後の舞台(ステージ)に立つ。それ以外に興味はないし、意味がないの」

「意味がない、か。わかった、俺からは何も言わないよ。律子はどうだ?」

「私も同意見です。ここまで言われたら、何も言えませんよ。でも、美希。さっきも言ったけどプロデューサー業は大変よ?」

「大丈夫なの。律子さんにだってできたんだから、ミキだってできるの」

 

 律子は怒るどころか肩をすくめて呆れながら美希の言葉に同意した。

 

「決まりだね。では、いまある仕事を片付けてから貴音君のプロデューサーとして活動するということで。細かい調整は頼んだよ、赤羽根P」

「わかりました」

「では、解散としよう。まだ仕事が残っている者もいるだろうしね」

 

 順二郎の言葉でまず赤羽根と律子が退出した。それに続くように美希も部屋を出て行くところを、小鳥が呼び止めた。

 

「ねえ、美希ちゃん。どうして、あなた達は二人はやろうとするの? 今回のことはプロデューサーさんが原因だってわかってる。うまく言えないけど、そんなあの人と争うためにするの?」

「争うとか、見返すとかじゃないの。あの人に伝えたいことがあて、教えてあげることがあるの」

「それって、なに?」

「それは秘密なの。けど、小鳥にはわかるんじゃないかな」

 

 美希が言うと小鳥は少し思い悩んだ。胸に手を当てながら、彼女はいままで口に出せなかったことを恐る恐る尋ねた。

 

「美希ちゃんは、プロデューサーのこと好き、なのね」

「うん、愛してる」

 

 アイドルとしてではなく、一人の女の顔をしながら美希は力強く、優しい声で伝えた。

 目の前の光景を見た蚊帳の外であった順一朗と順二郎は互いに顔を見合わせながら言う。

 

「私達、影が薄いのかな」

「薄くはないだろうな。たぶん」

 

 

 

 

 

 美希と別れたあと、自宅に帰宅して一時間ほど時間を潰した。

 そろそろ時間も時間なので夕飯を作り始める。まず冷蔵庫の中身を見た。とりあえず、野菜が一杯残っていたので野菜炒めを作ることに。

 まあ肉はないですが今回はいいことにしましょう。

 まず、キャベツとざく切りにしたにんじんを短冊に切る。フライパンに油を敷いて先ににんじんを炒める。そのあとにキャベツを投入。あとは適当に味付けをして完成だが、これでは味気ない。

 火を弱火にしてもう一度冷蔵庫を確認。なんと、もやしがあるではないですか。これはやよいもにっこりです。

 では、もやしがあったのでそれを入れて……。

(ああ、やってしまいました)

 二人分にしては量が多いことに完成してから気付いてしまった。日々の習慣でいつも三人分を目安につくっていたからだ。

 肩を落としながら大きめのお皿に盛りつけておく。

 美希はもう帰ってくる頃だと思うので食べないで待つことにする。とりあえず暇なのでサッシを開けて外に出る。

(なんだか、昔に戻ったようです)

 ここに住む前、以前暮らしていた場所では常に一人だった。起きるのも一人で、ご飯を作って食べるのも一人。仕事から帰ってきても迎えてくれる人などいなかった。

 それが、今まではあの人が、美希がいるようになった。それが当たり前の生活になっていた。なんだかで、振りきれていないことに貴音は気付いた。

 現に料理中も自然と彼好みの味付けをしている。頭の中でどう考えようが、今までの暮らしが身体にこれでもかと染みついているのだ。

 忘れられるわけがないのです。当然だ。彼を心から愛している。

 けど、しばらくはかつてのように話すことも、触れ合うこともできない。それはわかっている。

(戦うべきは、己の心)

 美希にも言われた。自分は弱い女ではないはずだ。ただ、待っているだけの小娘ではないはずだ。

 この先、彼がいる場所にはきっとあの二人がいることだろう。

 日高舞と〈リン・ミンメイ〉

 なにかと、因縁のある相手ということになるのだろうか。しかし、自分がやるべきことは戦う事ではない。

 彼にこの想いを伝えるため。

 彼と一緒に向き合うため。

 そのためには多くのアイドル達と競わなければいけないのは避けられないことだ。知っている者達と競い合うことだろう。けれど、負けられない。負けるわけにはいかないから。

 すると後ろで玄関が開く音が聞こえ、『ただいまなのー』と美希の声が届いた。

 ようやく夕飯の時間ですか。いい感じにお腹が空いてきたところです。

 それにこれからのことを話しあわなくてはならない。長い夕食になりそうだ。

 貴音は部屋に戻ってサッシを閉めようとしてふと、空を見上げた。ここはよく月が見えるが、

 

「貴音ー? どうかしたのー?」

「いえ。なんでもありませんよ」

 

 言いながら貴音はサッシを閉めた。

 残念ながら今日は雲がかかって月は見えなかった。まるで、誰かを例えるかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 更衣室にはたった二つしかないロッカーがあり、その内一つが私のものだ。

 この更衣室は事務所で女二人が使うには十分すぎる広さではあるが、建物が古いのか少し薄汚れている。普通の女子ながら『汚いんですけどー』と言うだろうが、私はそんなことに一々気にしたりはしなかった。

 着ていた仕事着を脱いでハンガーに通す。この部屋にポツンと置いてある安物のパイプハンガーに吊るしておく。

 安物はすぐに下のパイプが外れるのがイヤ。外れると元に戻すのがめんどくさいし、とにかくストレスが溜まる。

 こういう所にもっとお金を使えばいいのにと思わなくもないが、きっとすぐに『必要ない』の一言で片づけられる。

 

「こちとら、話題沸騰のアイドルだぞ! ぷんすか! ……いや、ぷんすかってなんか変だわ」

 

 一人で寒いツッコミをしながらロッカーにある自分の私服に着替える。

 これでアイドル〈リン・ミンメイ〉から、ただの女の子『飯島命』に戻る。

 命は更衣室を出た。

 速水社長と早瀬さんはもう帰ってるから部屋には彼しかいないはずだ。部屋を見渡すと、ソファーから足がはみ出ているのが見えた。

 そろり、そろりとつま先で音を立てずに忍び寄る。そこに仰向けで寝ているプロデューサーがいた。

(仮眠、かな)

 彼がここやホテルで寝泊まりをしているのは知っている。ただ、家があるかは知らない。いや、あるのだろうがなぜか帰っていない。

 女でもいるのだろうかと命は疑ったが、それにしては何か変だなと感じ取っていた。

 それは前々から感じてはいたことだったが今日になって気付いたことがある。

 今日の三時頃だっただろうか。彼のスマホに連絡が着て、『なんだ』と言ってすぐに電話が切れた。命はいつものように、

(なになに? 女から電話ー?)

(……少し出てくる)

(え、ちょっと! このあとの送迎は!?)

(社長に頼む。何かあれば連絡をよこせ)

 仕事は別に問題はない。あるとすれば移動手段だけだ。いつもこれでもかというぐらいに〈リン・ミンメイ〉の情報を与えまいと厳重にしていたからだ。

 そのくせ帰ってみれば、一人ソファーで寝ているのはちょっとどうなのかなと思う訳です。

 

「私の存在に気づかないってことは……なんかあったのかね、これは」

 

 常に誰かの気配に敏感な彼なら事務所の入り口に入る辺りで起きているはず。それがここまで深く眠っているとなると、何かあったのではと勘繰りたくもなる。

 実際、気になるだけでそこまで詮索をする気もないのも事実ではある

 私達の関係はかっこよく言うならビジネス。もっとシンプルに言うなら利害の一致。ただまあ、どちらかと言うとかなり私情が絡んでいるのもたしかだ。

 命には何もなかった。やりたいことや目標、夢なんて大それたものなんて持っていなかった。やろうと思えばなんでもできたというのもあるが、ただ興味がなかったのかもしれない。

 彼との出会いは偶然だ。しかし、彼からしてみれば運命なのかもしれない。私としてはこの出会いはきっと必然なのだ。

 そうでなければあまりにも、この人がかわいそうだ。

 私と出会わなければこうはならなかっただろう。その代り彼が満たされることはけしてない。残酷な話だ。

 私達は共犯者だ。だから私は彼を相棒と呼ぶ。彼はあんまり好きじゃないらしいが構わず呼んでいる。

 命はその共犯者の顔をじっと見つめた。

(にしても、素顔ぐらい見せてくれたいいのに)

 こういうところが可愛くない。

 右腕で顔を覆っているので鼻から下は見れるが、肝心の目が見えないので全体像が見えて来ない。

 ポケットに入っているiPhoneを取りだす。時間はもう夜の9時を過ぎている。女一人がこの街を出歩くのは正直怖い。

(あ、そうだ)

 ならいっそ、彼の寝起きを撮ってやろう。

 そう思い命は一先ず事務所に留まることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけの落書き

【音無小鳥】

 頑張ればヒロインになれた存在

【高木順一朗】

 現状765プロの会長という立場になっている

 たぶん、いま先代社長のこと知っている新人Pは少ないと思われる

【高木順二朗】

 以前と変わりなく765プロの社長

【39プロジェクト】

 ようはミリオンライブ(紬と歌織含む)。大雑把にいうとASが先輩でミリオンが後輩という立ち位置(無駄に時系列を入れているため)

【黒井社長】

 ツンデレ

【彼が最初に担当したアイドル】

 現在961プロで歌手として活動中

【飯島命】

 リン・ミンメイの中の人


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