11月某日
いまの彼女は中々見ることのできない顔をしている。
もちろん、それを顔に出すほど弱い女性ではないが、多くの人間を見てきた自分にはそれが手に取るように分かる。
この部屋の主である346プロダクション常務取締役でもあり、アイドル部門統括重役でもある美城常務のオフィスのソファーに座りながらプロデューサーは内々に彼女を観察していた。
彼女がこうも不満、不服そうに見えるのは理由があるし当然だと理解はできるが共感はしたくはない。
「しかし、常務はこう……振られてばかりですな」
「……なんのことだ」
「楓君に夏樹や他のアイドル達に、ですかね」
彼女が自身の計画を推し進めるために多くの有望なアイドル達を選抜した。自らアイドル達に直接交渉をしていたのだから、それだけ選んだアイドル達を高く買っているということもあるし、自身の計画に絶対の自信を持っているというのが伝わってくる。
しかし、その多くは断られてしまっている。
「私をからかっているのか、キミは?」
「まさか。オレ自身常務の計画は悪くないし、意味のあるものだと分かっていますよ。ただ、彼女達にとってそれは、あまり好ましいモノではなかったというわけで」
「私のやり方が強引だとは思っていない。なぜ、彼女達が断ったのか理解はできるが共感などはできない。しかし、結局の所。彼女達の考えは一個人の、もっと言えばプライド、拘りだ」
高垣楓は思い出を選んだ。歌番組で特集を組むと提案したが、彼女は自身がアイドルデビューした小さなライブハウスでライブをした。楓君らしいと言えばらしいとプロデューサーは当時を思い出した。自分がアイドルとして最初に立ったステージ、この時にファンになってくれた人達を大切にするという想いが伝わってくる。彼女はいまの自分がいるのはファンの人達がいてくれたからこそだ。だから、これからもファンのみんなと一緒に歩んでいく。つまりは、そういうことなのだろう。
木村夏樹は自身の想いに従った。いや、ロックだろうか。美城常務からは破格の提案をされた。曲や衣装、演奏までもプロを用意すると。だが、彼女はそれに違和感を覚えたのだろう。直接関わってはいないが、夏樹は答えを出した。「アンタのやり方はロックだとは思えない」そう言ったそうだ。中々言える言葉ではない。
「名誉や栄光なんてものより、もっと身近なものが大切というわけですか」
「私は理解に苦しむ。感覚がずれていると言われれば、そうなのかもしれん」
「オレ達の時代は、むしろその逆だった。アイドル問わず、売れるためにはどんな仕事でもやった。仕事を選べる権利なんて、ほんの一握りの人間……」
「これだから大人はと、今の若い世代に言われるのだろうな。では、同じ時代を生きた者から見て、彼女達の行動をキミはどう思う?」
胸の内で目の前の上司にプロデューサーは舌打ちをする。なんて嫌な質問をしてくるのだ、この女は。それでも自分が質問に答えるのだとわかっているのだ。
ふぅと息を吐いてから、彼は答えた。
「あの子達の考えは理解できなくはない。不満や悩みも共感できなくはない。が、オレはそんなことはしないし、そんな選択はしないでしょう。結局、生きてきた時代が違うに、なってしまうのでしょうね」
「つまらない回答だな」
「そうですね。……ところで、夏樹たちを始めとした子達は武内の下へいったが、いいのか?」
美城は興味がないのか、淡々と言った。
「勝手にすればいい。私からのオファーを断ったからといって、首をきるようなことはしない。むしろ、彼の手腕が試される。現に、彼の考えた企画が最近提出された。内容は以前と変わらず、子供染みた……おとぎ話のようなものだ」
「では、企画は白紙にでもするのか?」
「私情で判断するほど、私は馬鹿ではない。これが我が社にとって有益になるのであれば、そう判断する」
「なるほど」
「ところでだ。話は変わるが……」
言いながら美城の雰囲気が変わったことにプロデューサーは気付き、悟った。
ああ、今度は自分か、と。
「プロジェクトクローネの現状報告を聞かせてもらおう」
プロデューサーは持ってきた資料を手に取り、報告を始めた。
「まず、予定しているスケジュールは問題なく消化中。現在は渋谷、神谷、北条のユニット『トライアドプリムス』のデビュー曲が完成。三人はボーカル、ダンスレッスンを重点的にレッスン中。また、発注していた全員分の衣装も届いたので、トラプリはPVの作成も近々行う予定」
「ふむ。トライアドプリムスについては問題ないようだ。で、他の者達は」
「ソロである二人、特にアーニャ……アナスタシアは問題ない。速水に関してもアナスタシアがよく面倒を見てくれています。大槻唯、塩見、宮本のユニットは今のところ大きな問題はなし。あるとすれば、本番での経験かと。まあ全員に言えることですが。それと、鷺沢、橘の二人ですが……」
プロデューサーが言葉を詰まらせると、美城は手元の資料から彼に視線を移した。次の言葉が出てこないことに彼女はどうしたと尋ねた。
「いえ。ただ、当初課題であった両名のスタミナ問題は徐々に解決はしている。それでも不満は多少残るが。問題は……精神面」
「ふむ。それは鷺沢文香のことを言っていると思っていいのか?」
「ええそうです。常務も彼女のことを見れば分かる通り、彼女は他の子と比べてあまりにも、メンタル面で不安が残る」
最初から駄目、というわけでなかった。そう下したのは彼女が元々人と話すのが苦手、人前に出るのも抵抗があるというのが一番の要因であるとプロデューサーは補足した。
この事についてもスカウトの時点で納得した上でプロデューサーは文香をスカウトした。彼女の短所は解決できると思っていたし、なによりも他のアイドル達と接していけば少しずつ人との付き合い方に慣れていくと断言できた。現にまだプロジェクトクローネのメンバーのみだが、彼女達との交流で少しずつ短所が克服できていると見てとれる。
しかし、まだそれでは足りないとプロデューサーは言った。
「キミの言いたいことは理解した。だが計画に変更はない。プロジェクトクローネは次のライブでデビューさせる」
「前にも言ったが、はっきり言ってリスクが高すぎる」
「何故だ? キミがさっき報告しただろう、問題ないと」
「問題ないとも。普通のデビューならば」
現状の計画には、プロジェクトクローネがデビューする舞台は他のアイドル達とはまったく違う。本来であれば、新人アイドルがデビューする際によく使用している会場や地下ステージなどが候補になっているが、彼女達はアリーナレベルの会場でデビューすることになっている。
誰がどう見ても成功するとは思えないと当初プロデューサーは計画の変更を進言したが、
「答えは変わらん。美城、プロジェクトクローネのブランドイメージを確立するにこれ以上とない舞台だ。キミの言う不安要素は確かに無視できないものだ。しかしだ。その不安要素をゼロにするために、クローネをキミに預けたのだ。これは私なりにキミへの信頼の証だ。私が直接クローネを担当するという案も確かにあったが、キミに一任するのが適任だと判断したためだ」
「……そこまでオレを買ってくれていたとは、正直驚きだ。特に信頼なんて言葉が出るとは思わなかった」
「心外だな。キミのことは誰よりもその能力を買っていると思っていたが?」
「それこそ驚きだ。まあいい、話を戻そう。この件は互いに意見を譲らないのは 目に見えている。これで終わりにしよう」
「いいだろう。だが、このまま問題を抱えておく訳にはいかないな」
「身体を鍛えればいつかは成果が表れ実感することができるだろう。しかし、心を鍛えることは容易ではないよ」
「クローネはキミに一任してある。キミが必要だと思う事をすればいい。……ああ、すまない。悪いがこのあと会議だ。話の続きはまた次回に」
「わかった。オレもやることができたしな」
美城は持っていた書類を一旦しまうとそれを引き出しにしまった。
彼女の言う会議はおそらく常務会か経営会議のことを言っているのだろう。
多忙だな。俺と違って。
プロデューサーは彼女の役職を思えば、自分と違ってアイドルのことばかり考えているわけにはいかない立場だということを改めて認識した。
これ以上ここに用はないし邪魔になるだけだ。プロデューサーも持ってきた資料をまとめて立ち上がった。
二人は部屋を一緒に出るだけでその場で別れ、プロデューサーは自分のするべき仕事をするためにオフィスへと戻った。
数日後。都内某ライブ会場。
プロデューサーは美城プロダクションの営業車であるトヨタのアルファードを走らせ、目的地であるライブ会場へとやってきていた。
ここは近日中に開催される346プロダクションのライブを開催する場所であった。目的はクローネ達の会場見学のようなものだ。
彼女達は車を降りると、プロデューサーを先頭に関係者入口から中へ入っていく。扉の前にいる警備員に彼が一言言うだけ中へ入ることが許可されそのまま会場の中に。
初めてライブ会場の裏側に入ることに声をあげるアイドル達にプロデューサーは尋ねた。
「ライブにいったことのあるやつはいるか?」
「私はないわ」
と奏のあとに続くように他の子達もライブにはいったことがないらしい。しかし、意外なことにフレデリカが自慢げに言った。
「はいはーい。フレデリカあるよー!」
「へえ。ちなみにどんなライブにいったんだ?」
「いま入ったー!」
「……」
プロデューサーはため息をついた。すると、今度は無言でフレデリカに近づき、渾身の力を込めてデコピンをした。
「いった――――!!!」
「今度ふざけたことを言うと口を縫い合わすぞ」
「うぅぅ。暴力はんた……はい、お口ちゃっくしまーす」
フレデリカは反論するとすぐに口を閉ざした。ギロリと睨まれたからだ。
「よろしい。ほらいくぞ。長居はできないからな」
歩いて数分。プロデューサー達は会場内のステージの上にやってきた。彼らのいる場所だけ照明が照らされているが、それだけでもこの広い会場のなんとも言えない威圧感を感じる。
「広い……」
誰かが漏らした。
「ああ広い。いまは空いている席が全部観客で埋まり、光はステージ上の照明と観客のサイリウム」
「ほんと、広いんだね。ね、奈緒」
「うん、そうだな。そういえば、プロデューサー。凛とアーニャは連れてこなくてよかったのか?」
「二人はもう体験しているし、なによりいまはシンデレラプロジェクトの方の仕事でいないし、それに――」
プロデューサーは彼女達を見た。少し優しい声で言った。
「お前達には必要なことだ。すでに伝えたが、お前達の初ステージはここだ。デビューライブにしては豪華すぎる。あまりにもだ。だからせめて、下見だけでもと思ってな。オレはアイドルじゃないから、本番の緊張感はわからない。本当はもっと、他のアイドル達がデビューするような小さなステージでさせたかったんだがな」
「んー、まあいけるんじゃない?」
頬をかきながら余裕そうな声で周子が答えた。
「お前ならそう言うと思ったよ。周子以外にも同じことを思ってるやつはいるだろう」
「いや、あたしはどちらかというと、結構これだけでもきついんだけど」
「奈緒はなんだかんだ本番に強いタイプだと思うけどね」
「そ、そうか? そういう加蓮はどうなんだよ」
「まあ……いけそう?」
「駄目じゃん」
「平気だって、いけるいける」
それぞれが言い合う中、みんなから少し離れていたところにいた文香は一人会場を見つめては下を向くのを繰り返していた。メンバーの中で一番年下であるありすが傍にいてそれに気付いた。
ありす自身は他のメンバーと同じような感想を抱けないでいた。ただ広く、こう凄いという感想しかでないでいた。だからこそ、緊張とか不安という感想が出なかった。ただ、隣にいる文香を見て、初めてそれを感じ取った。
ありすは心配で文香に声をかけた。
「文香さん、大丈夫ですか?」
「ありすちゃん……。へ、平気だから、心配しないで」
「でも……」
文香が強がっているのはありすにもわかった。
年上だから、一番年下である自分に心配をかけたくないのだろう。逆になんでこんなにも震えているのか、ありすにはそれが少しわからなかった。
そこにプロデューサーがわかっていたかのように文香に言った。
「怖いか、文香」
「ぷ、プロデューサー。私には、無理です……。こんな場所で、私、歌えません」
泣きそうとまではいかないが、弱弱しい声で訴えている。ここに彼女達を連れてきた本当の理由は文香のためでもあった。
やはり、こうなるか。
プロデューサは膝をついた。
「何度もいうが、本当はもっと段階を踏んでからこういった大きなステージに立つもんだ。特に文香、お前はプレッシャーに弱いと思っていたからな」
「わかっているなら、私にはできないです」
「それでもだ。お前は、最初はあんなにレッスンでひぃひぃ言っていたのが、いまではそれなりにマシになったじゃないか」
「あれでもマシ、なんですね」
ありすがツッコんだ。
「それに、お前は言ったよな、新しい一歩を踏み出したい。それがいまなんじゃないか? 大小は関係ない。一歩は一歩。それにお前には一人じゃないだろ? 小さいが、頼れる仲間がいる」
「小さいは余計ですっ! 文香さん、わたしはまだその……文香さんがどんな悩みで苦しんでるのかはよくわかりません。でも、わたしがいます。わたしではあまり頼りないかもしれませんが、精一杯がんばります。だから文香さん、一緒にがんばりましょう」
か弱いが心強い言葉だ。
文香はありすの差し伸べた手を優しく、そして強く握った。ありすもまた握り返し、優しく微笑むと彼女もやっと笑みを浮かべた。
それを見たプロデューサーもまた口の端を上げた。
これで大丈夫、とまではいかないだろう。それでも来た価値はあった。
クローネの面々を見渡した。真面目だったのは最初だけでいまではお喋りときている。はっきり言えば、このメンバーでクソ真面目な女はいないのだから当然だ。彼は呆れるよりも大した子達だと逆に思い知らされた。
うむ、自分が探し見つけたアイドルだ、当然だ。
ふんと胸を張りたくなる気持ちを抑え、プロデューサーはステージに響き渡るように言った。
「さ、帰るぞ! 戻ったらレッスンだからな!」
『はい!』
「え、このままプロデューサーのおごりで買い食い――」
口は災いの元。
再びフレデリカの額に強烈な痛みが襲いかかるのであった。
346プロダクション プロデューサーのオフィス
先日行われた秋のアイドルフェスは無事に成功で終わった。つまり、プロジェクトクローネのデビューは見事成功したのである。
まあ、多少冷や冷やさせられる場面はあったが。
それでも、成功は成功なのだとプロデューサーは言い張る。トップバッターであるトライアドプリムスは一気に会場の観客の心を掴み魅了した。
ただ、次の文香とありすのユニットでほんの小さな問題が起きた。別にこれといって大きな理由ではなく、緊張して身体の震えが止まらなかったのだ。代わりにシンデレラプロジェクトが交代して一曲挟んでもらった。そしてそれが終わる頃には文香の緊張は解け、ステージへと向かって行ったのだ。
これで自信がついただろう。
プロデューサーには妙な確信があった。経験からそう言えるし、的外れな言い方をすれば勘だった。これで文香は大丈夫。そう、思えるのだ。
しかしそれは、文香だけではなく全員に言えることでもあった。だが、文香やありすといった大人しい子を除けば、残りのメンバーは大概肝が据わっていると言うべきか、あまり心配ではなかった。あるとすれば――。
普段の素行があまりよくないことか。いや、待て。大半のアイドルは全員当てはまるな。うん、別におかしいわけじゃないな。
結果から言えば、彼から見てもプロジェクトクローネは概ね問題ないスタートを切ったということになる。多少のトラブルはあったが、それを美城常務がどう受け止めているかはともかく、クローネの活躍に関して問題はなく満足しているだろう。実際に評価を言われたわけではないが、プロデューサーはそう思っていた。
備え付けの電話が鳴る。音からして内線だ。
『プロデューサーですか?』
知っている声。
声の主は美城常務の秘書のようなことをしている女だったはずだ。
『美城常務からいますぐ部屋に来るようにと通達がありました』
「わかった。すぐにいく」
応えると内線はすぐに切れた。
なぜお呼びがかかったのか。プロデューサーは理由を探した。真っ先に思い浮かんだのはクローネに関してだと思ったが、それは違うと判断した。先日のフェスの報告を先日したばかりだし、彼女の性格を考えればそうそう何度も自分を呼ぶとは思えない。必要なことはきっかりと告げる女だからだ。
ならばなんだというのか。
とりあえずここにいてもしょうがない。プロデューサーは部屋を出た。
エレベーターに乗り常務のオフィスがある階までいく。エレベーターの中でプロデューサーはあることに気づいた。
もしかして、あの事と関係が?
ここ最近凛の様子がおかしかったのを思い出した。たぶん、先日のライブが終わってからだったと思う。彼女に理由を尋ねると卯月が話に出てきたのだ。ただ、深く追求はしなかった。あまりにも深刻そうに思い悩んでいたからだ。
たぶんこのことだろう。ため息をつきながらプロデューサーは美城常務のいるフロアにおりて彼女のオフィスへと足を運ぶ。
美城常務のオフィス前。ノックして入る。
「失礼します。お呼びで?」
「ああそうだ」
彼女は窓の方、外の景色を見ているかのように背中を前にして立っていた。手を後ろで組み、どこかで見たことのある光景が思い浮かんだ。
プロデューサーはそのまま美城のデスクの前まで歩くと、彼女が顔だけ動かしてこちらを見た。
「島村卯月のことは聞いているな?」
予想通りだ。しかも、聞いているかときた。つまり、そういう話なのだろう。
「誰とは言わないが、それとなく知ってはいる。ただ、もうチーフプロデューサーでないので話がこないんですよ。嫌われ者でして」
「ふむ。まあいい。大まかなことは知っているな」
こちらのことをお構いなく話は進められていく。
美城はまるで裁判長のように冷淡に告げた。
「島村卯月を切るべきか、キミの意見を聞きたい」
次回でデレマス編は最終回。
年内に更新できるかは未定です、はい……。