346プロ所有女子寮 前川みくの部屋
346プロが新設されるアイドル部門のためにかなりの規模の女子寮を建てた。大人数が住むことを想定しているためか、かなりの部屋数がありつつも、食堂や大浴場、娯楽室といったものまである。一部を除いて大勢の未成年者や県外のアイドル達が暮らしている。
部屋の広さはだいたい1K。一人暮らしをするだけなら十分すぎるほどの施設が寮に整っているし、それに自分だけの空間というのはとても快適だ。それとプライベートが守られている。
前川みくもこの女子寮で暮らしているアイドルの一人。彼女の部屋も女の子らしく、部屋全体も綺麗に整頓されている。ネコキャラアイドルを目指す彼女にとっての必需品であるネコ耳もちゃんと置いてある。
しかし、そんな彼女の部屋に似つかわしくないものがある。一体どれを使うのかわからないヘッドフォンの数々に、一度もまともに弾いているところを見たことがないギターとそのケース。それは同じCPの仲間である多田李衣菜の私物。なぜ、彼女の私物があるのかというと、
「ロックだぜ……ロックロック……」
「ロックのゲシュタルト崩壊にゃ」
「そっちだって、にゃーにゃーばっかじゃん」
二人はノートに自分達が歌うための歌詞を作詞していた。しかし、何度も同じような単語ばかりならべ、今のように互いに言い合っては振りだしに戻っていた。
こうなったのも二人がユニットを組むことになったのが始まりなのだが、互いに息が合わず反発する二人を見て武内が同居することを提案。そこまではよかったが、二人がサマーフェスに参加することになり問題が発生した。
「ほんとさ、あと二日でできると思う?」
「思うじゃなくて、やらなきゃ駄目にゃ!」
「だよね……」
参加するサマーフェスは二日後。しかも急遽決まったために肝心の歌ができていなかった。CPのメンバーの中で二人だけがまだアイドルとして活動しているとは言えなかった。他の仲間達と比べて焦りが出ていたのもあった。だからこそ、このチャンスを逃したくはなく自分達が作詞すると言いだしたのが始まり。
「はあ。ちょっと休憩するにゃ。麦茶でいい?」
「うん、お願い」
ぐったりと疲れ切った顔しながら李衣菜は後ろに倒れた。みくは冷蔵庫から冷やした麦茶取出して用意したコップに注ぐ。床に寝転がりながらそれを見る李衣菜はじっと見つめていた。
同じプロジェクトのメンバーとは言えど、私生活までは入り込まない。李衣菜はみくのその一面を見ていて思ったことがある。
「みくってさ、結構女子力あるよね。うん、ロックだね」
「なにそれ。李衣菜ちゃんはむしろずぼら? だにゃ。みくはまあ、一人暮らししているからその分しっかりしなきゃって。そう思ってやってるだけ」
「ふーん。そんなもんなんだ……」
お盆に載せて持ってきたみくは李衣菜に麦茶が入ったコップを渡して、自分の分を一口飲んだ。
みくは、自分をじっと見つめる李衣菜が気になって尋ねた。
「どうしたにゃ?」
「いやさ、ちょっと前から気になって聞こうと思ってあることがあるんだけど……。聞いていい?」
「別にいいけど……」
疲れ切った顔から一変。李衣菜は目を煌めかせながら聞いた。
「CPのメンバーでスカウトされたのが、みくが最初って本当?」
「そうだにゃ。でも、よく知ってるね。みくも自分じゃ言いふらしたことないのに」
「まあ、そこはね。問題はそこじゃなくて、みくがスカウトじゃなくて移籍って本当?」
言うとみくは目を開いた。ビンゴのようだ。
「なんで知ってるにゃ?!」
「いや、風の噂ならぬ、アイドルの噂?」
「……ま、いいにゃ。それは本当。みくは346プロの前に違う事務所にいたにゃ。で?」
「その時の話が聞きたいなあって……駄目?」
「はぁ」
小さなため息をみくはついた。開き直ったのか彼女は話してくれた。
「いいよ。話してあげる。知っているのはたぶん……Pちゃん達ぐらいで、他のアイドル達は知らないし」
そこは大きすぎず、小さすぎずといった中規模の事務所だった。所属しているアイドルは男女問わずぼちぼちで、それなりに売れている子もいた事務所。
そんな場所に大阪から単身アイドルになるためにやってきた前川みくは所属していた。最初は書類選考。それに受かり面接のち合格通知が来た。みくは思う。今思えば、きっとアイドルとして採用したのではなく、たぶん、容姿とかスタイルで決めたんだと思う。もっと言えば、使い捨てだったかもしれない。
合格に先立ってみくは元々東京の高校を受験し、安いアパートで一人暮らしするというプランがほぼ確定した。中学の担任の先生とも相談し、少し早めに東京へ来て事務所へ通いレッスンを続けていた。
けれど、日の目を浴びることはなかった。みくを担当していたプロデューサーが言った「ネコなんて古い。今はキリンがブームだ」と訳の分からないことを言われた。
その言葉はみくにとって辛いものでしかなかった。では、なぜみくを合格にしたのか。なんでここいるのか。懐疑的な思いを抱き始めてしまった。
そんなある日、いつものように事務所が指定しているレッスン教室へと向かった。その日練習に励んでいたのは彼女一人。講師の先生が休憩と言って一端部屋を出て行く。みくは鏡を見ながらため息をついた。
(どうすればいいのかにゃ……)
事務所を辞めよう。でも、その後は?
ここには、自分しか信じられる人間はいない。頼れる、相談できる親友も大人もいない。両親に相談したくてもできなかった。無理を言ってアイドルになり、単身上京してきたのにも関わらず、事務所の所為でアイドルになれないから帰りたいと言える訳もない。
まさに八方塞がりとはこのとか。
ぱちん。
みくは自分の頬を叩いた。悩んでいても何も変わらない。なら忘れよう。休憩中だが、知ったことではない。いまは、何も考えたくない。
無心で踊るみくなど気にせず、彼女のレッスンを担当している女性と見知らぬ大男が教室へ入ってきた。男はみくを見ると「彼女が?」と確認するように尋ねた。
「ええ、そうです。前川みくさんです。みくさん、この方は――」
彼女が男を紹介しようとしたが、男がそれを手で止めた。
「初めまして、前川みくさん。私は346プロダクションでプロデューサーをしている者です」
346プロダクションの名前は耳にしていた。アイドル部門を設立して僅か一年でこの世界に躍り出たプロダクション。一年、ほんの一年で多くのアイドルが名をあげ、活躍している。みく自身も346プロのオーディションを受ける予定だったが、生憎時期が悪く346プロを受けることはできなかった。
「は、はあ。えーと、前川みくにゃ……です」
みくはプロデューサーと名乗る男を観察するような目で見た。まず背が高い。そもそも日本人なのか一瞬疑った。特にサングラスが怖い。威圧感が半端ない。
「少し二人きりで話したいのですが」
「構いませんよ。では、何かありましたら呼んでください」
いや行かないでほしいんですけど、とは言えず、この広いようで狭い空間に二人きりになってしまった。
みくは何を言っていいのかわからずただ無言でプロデューサーを見上げた。こっちには用はなく、むしろ相手が自分に用があって来たのだから早く要件を言ってほしい。それにみくは女、彼は男。男と女。つまり、何も起きないはずもない。エマージェンシー、エマージェンシー、誰かみくを助けて!
「ああ、そんなに畏まらなくていいよ。それに、自分の話しやすい言葉で構わない」
「あ、どうも。それじゃ……そうですにゃ」
「いまは、ダンスの練習中だったのかい?」
みくは肯定するように頷いた。
「もしよかったら、踊って見せてくれないか? 通しでね」
「わ、わかりましたにゃ」
とりあえずみくは言われた通り踊ることにした。いま教わっているダンスでいいかと思い、落ち着いて息を吸って吐いてから踊りだす。できるだけ視界に映るプロデューサーを意識しないよう踊った。それでも、目に映る彼の姿は真剣だとみくには思えた。
「……ふぅ。あの、どうでしたか?」
「ふむ。アイドル、候補生だったね、キミは。いつから事務所に所属を?」
「数か月前からです」
「そうか。これでも見る目はある方でね。筋は悪くない。ただ、少し動きが硬く見えたな。もうちょっと体を柔らかくした方がいい。柔軟なら一人でもできるし、自宅でも問題ないから」
「あ、はい!」
たしかにその通りかもしれない。練習する前には体操というより軽めに身体はほぐしているが、自分で思うよりも身体は硬いらしい。それでも一応足の指にはぎりぎりつくぐらいなのでそこまで硬いわけではないと思っていた。まあ、胸が邪魔をしてちょっと窮屈なだけかもしれないが。
みくは当初に抱いていた恐怖心などは一切忘れ、この際だから自分が気になっているところを教授してもらうことにした。
「他にはなにかありますか?!」
「そうだね。ここの時なんかは――」
それから約一時間。みくはプロデューサーから指導を受けた。彼女にとって、それは今までの中で有意義な時間だった。充実している、満たされている、今日まで抱えてきた不満が嘘のように吹き飛んだ。質問すれば的確な答えを教えてくれる。いつもレッスンをつけてくれる先生には申し訳ないが、普段からアイドルと接している現場の人間と比べてしまうとそうなる。
しかし、二人の時間もその先生によってストップがかかった。向こうからしたらほんの十分程度かと思いきや一時間である。心配にもなる。
「ただお話をするだけと言っていたじゃないですか! 困りますよ、本当に」
「申し訳ない。つい、ね。時間も時間なのでもう帰りますが、あと五分程時間をください」
「もう。五分ですからね」
釘を刺して先生は部屋を出て行った。みくもそれを聞いて当初の目的から、ただのレッスンするだけの時間になっていたことを思い出す。
「さてと。改めて前川みくさん。今回私が貴方に会いに来たのはあるお話をしに来たからです」
「今更な感じだけど、話ってなんだにゃ?」
「我がアイドル部門で新しく始めるプロジェクトに貴方をスカウトしに来ました」
「……えぇええ?!」
え、なんで? 訳がわからなかった。346プロのことはもちろん知っているし、それがなんでみくをスカウト? それに一応とはいえ事務所には所属している。なのになぜ? 考えようにも考えられない。
「貴方の事は知っています。事務所に所属してから今日に至るまで、まともな指導もしてもらえなかったことはね」
「どうしてそれを?!」
「これでも交友関係は広くやっているんでね。その知人の一人からキミの事を紹介された。で、実際に会いに来たわけだ」
「そ、その、スカウトのお話はすっごく嬉しいにゃ。でも、どうしてみくを? みくはその、ネコキャラアイドルになりたくて東京に来て、事務所には受かったけどプロデューサーは今更ネコアイドルなんて流行らないって一蹴されたにゃ。それからみくの扱いは少し酷くなったけど、頼れる人なんていないから、どうしたらいいかわからなくて……わからなくて」
吐き出すように声に出していくと、だんだんと声が震え、涙が零れそうになるのを感じた。すると、彼はハンカチを取りだして「アイドルがそんな簡単に涙を見せるもんじゃないよ」そう言って手渡してくれた。
「うちにもね、キミみたいな子? がいるよ。ウサミン星からやってきたアイドル、ウサミンこと安部菜々。知ってる?」
「し、知ってるもなにも、ナナちゃんはみくがもっとも尊敬しているアイドルにゃ!」
「それはいいことを聞いた。彼女もね、最初はキミみたいに悩んだよ。ウサミン☆ってなんだとか、ちょっときついとか色々と」
きついとはなんのことかと一瞬頭を過ったみくであったが、何故か触れてはいけないことなんだと思い静かに聞き耳を立てた。
「私はこう言ったよ。『そのためにアイドルを目指したのにもう諦めるのか? だったら何にお前はなるんだ。それに、オレがスカウトしたのはウサミン星からやってきたアイドル安部菜々だ。諦めず進むならオレはそれを手助けしよう。もし諦めるのなら、オレを満足させる答えを聞かせてくれ』とね」
「それ、ちょっと意地悪にゃ」
「かもね。けど、生半可な気持ちじゃこのアイドル業界は生き抜けない。夢や目標を持ち、諦めず前に進む勇気を持つ者がそれを叶えると私は思っている。改めて聞こう。前川みくさん、貴方はどんなアイドルを目指すのですか?」
言われて気付くなんて私はなんて半人前なんだろう。ここに来る前からそんなこと決まっているじゃないか。答えは最初からわかっている。
「みくはみんなから好かれるキュートなネコちゃんアイドルにゃ!」
「いい答えだ。私も嬉しいよ」
「ありがとうにゃ。あ、一ついい?」
「ん? なんだい?」
「その喋り方、変にゃ。普通でいいよ」
たまに出る素の言葉と今の喋り方に違和感があったので正直に言った。
「あ、そう? さて、キミの事務所と交渉に入るとしよう。正式に決まれば移籍という形になる」
「え、てっきりもう話がついてるかと思ったにゃ」
「なに、そんなに難航はしないだろう。そういえば、今はどこかで一人暮らしなのか?」
「そうだにゃ」
「ならうちの女子寮に引っ越すといい。その方が生活も少しは楽になる」
「え、ほんまに?!」
「県外の子や一部の子はみんな女子寮に住んでいる。年が近い子もいれば離れている子もいるけど、先輩アイドルとして色んな話ができるだろうしいいと思うよ」
その時、教室の扉をノックして先生が顔だけ出してきた。目が怒っていることから約束の時間をとうに過ぎていたようだ。
「あはは。それじゃ、最後に。改めてよろしく、みく」
「――! うん、こっちもよろしくにゃ! Pちゃん!」
差し出された手を私は掴んだ。
「とまあ、こんな感じにゃ。そのあと色々あって、実はPちゃんが担当じゃなくてちょっと騒いだりとかあったけど、結果はごらんの通りにゃ」
それでもPちゃんは時間のある時はみくの個人練習に付き合ってくれたり、相談の相手もしてくれてとても感謝しているのだが、これは言わなくてもいいかとみくは思って黙ることにした。
さあ話したぞ、これで満足かと言いたげにみくは李衣菜をネコのような目で睨んだ。彼女は麦茶を一口飲んでから唐突に言った。
「みくってチーフのこと好きなの?」
恋愛というものがあまりわかっていない李衣菜であったが、こればかりは自信ありと思った。話を聞けば誰だってそう思う。目の前で聞いていたが、話している時の彼女はそれはもう普段見ない顔だった。もちろん、いい意味でだ。そう思っていた李衣菜の予想とは裏腹にみくは見下すような目で一蹴した。
「はっ」
「うわー。ちょっと今のはマジでムカってきた!」
「李衣菜ちゃんのお頭がお花畑だと思っただけにゃ。みくはこの先の李衣菜が心配でならないにゃ。きっとちょっとギターをカッコよく引ける男にホイホイ連れて行かれちゃうにゃ」
「そ、そんな安い女じゃないって!」
「本当?」
「本当!」
『……』
互いにしばらく見詰め合う。みくはじっと李衣菜を睨むが、彼女の額には汗が流れたようにみくには見えた。このまま何を言おうと終わらないだろう。でも、自分の言った事はありえないくはないとみくは思った。
「じゃあ、そういうことにしておいてあげるにゃ」
「……ほっ」
それを聞いて李衣菜は安堵した。
「この際だから言うけど、みくはPちゃんに恋愛感情は抱いてないよ。俗に言う、LikeだけどLoveじゃないってやつ。確かにどん底……とまではいかないけど、迷っていたみくの前に突然現れて、色々助けてくれたりしたらどんな人でも嫌いにはなれないと思う。むしろ感謝しきれないよ。だから、みくにとってのPちゃんは恩人。今はね」
この時のみくはとても真剣な眼差しで話していたのを李衣菜は感じ取った。語尾に『にゃ』はつけず、彼女の雰囲気も茶化しているとかそういう風ではないとわかった。だからこそ、李衣菜は最後の言葉が気になり尋ねた。
「今は?」
「李衣菜ちゃんはさ、メンバーの中でどれくらいPちゃんに片思いを抱いている子がいるか気付いている?」
「え、いるの?!」
彼女の答えにみくは大きなため息をついた。ここまで鈍いかと頭を抱えた。
「それ、冗談だよね?」
「うそうそ。私だってそれぐらいは気付いてるっていうか……まあ、数人?」
「じゃあ言ってみて」
「えー、うん」
李衣菜は少し躊躇ったがここだけの話だと思い答えた。
「絶対だと思うのは蘭子ちゃんときらりちゃんかなあ。ありえないのはみりあちゃんに莉香ちゃん、それに杏ちゃんでしょ? あと……全員? だと思う」
「李衣菜ちゃんにしてはまあまあかな」
「……ちょっと待って。もしかしてもっといるの?!」
「うん。あ、確証はないけどね」
「だ、誰?!」
「教えてもいいけど、意識してメンバーの仲を壊さないなら」
「平気平気。こう見えて私演技は上手いから!」
「……まあ、いっか」
信用ならないなと思いつつもみくは教えることにした。
絶対にありえないのはみりあ、莉香、智恵理、かな子、未央。ありえるのは蘭子、きらり、凛、アーニャ。グレーゾーンが杏、美波、卯月だと。
「グレーゾーンの名前に驚いている私がいるんだけど。特に杏ちゃんに凛ちゃんとアーニャちゃん」
「美波ちゃんは驚かないんだ」
「いや、なんていうか、美波さんって年上の人好きそうな感じがするから」
「ああ、うん。わかる。杏ちゃんは感情と言うか表情のコントロールが上手だから確信はないけどね。でも、凛ちゃんとアーニャちゃんは絶対だと思う」
「その心は?」
「Pちゃんと話している時、なんだか犬みたいに尻尾を振っているように見えたから」
「……そう言われると、なんか納得」
意見が合致すると二人して頷いた。
「で、最初に質問に戻るけど。今は違うってこと?」
「自分で言うのもなんなんだけど、みくがアイドルをやっているのはネコキャラアイドルとして輝きたいって思いともう一つ。恩返しなの」
「恩返し?」
「うん。今までPちゃんには感謝しきれないほどみくを助けてくれた。だから、デビューしてトップアイドルになれば、それがみくができるPちゃんへの恩返しになるかなって。そしたら、今度はみくがPちゃんを助けるの。これが、みくがアイドルをやる理由で目標」
「……みくって凄い考えてたんだ。ちょっと驚き」
「失礼な。はあ、もうこのお話はお終い! 作業に戻る!」
「はーい」
ようやく作詞に戻る二人。ノートにとりあえず思い浮かぶ文字を書きながら李衣菜は手を止め、少し悩んだあと口に出した。
「語尾ににゃをつけないと凄く賢く見えるから普段からそうすれば?」
「それって普段のみくがアホってことかにゃ?!」
「あはは。いつものみくだー」
「李衣菜ちゃーんッ!」
やっぱりこっちのが似合ってる。李衣菜はそう思った。
夜中。みくは自分のベッドにいた。中々寝付けず、寝返りをつく動作をかれこれ5分ほど続けていた。床で寝ている李衣菜はすでに小さな寝息をたててぐっすり眠っている。
(……今は、か)
彼女の顔を見て、数時間前の会話の事を思い出した。彼女にはああ言ったが、実際には……違うのかもしれない。1から10で表すならば、6か7ぐらいだと思う。うん。自分で言っておきながら、これで『今は』とはよく言えたものかと思った。
(片思いで留めておくべきかもしれないって思うのは、どうしてかにゃ)
みくはあることに薄々気づいていた。どうしてそれに気付いたのかはわからないが、なんとなく、そう、女の勘ってやつかもしれない。
きっとPちゃんがみくたちに向けている視線……言葉、いや、全部。それはきっとアイドルとしての自分に、そして彼はプロデューサーとして対応している。みんなだけじゃない。他のアイドル、この女子寮に住んでいるみんな、ようは346プロにいるアイドル達で彼に『恋』という感情を抱いているのは少なくはない。でも思う。一体どれだけの人間がみくと同じ事に気づいているのだろうか。いや、もしかしたら気付いているフリをしているのかもしれない。みくもそうだったらどんなに楽だろうか。
しかしだ。これにいま気付けたのは僥倖と言えるのかもしれない。なぜならば、いざという時に覚悟ができると思うから。
(逆に、どんな女の子だったらPちゃんは意識してくれるのだろうか)
346プロには年齢、スタイル、個性と様々な子達で一杯であり、言い換えれば、選り取り見取り。それなのに、Pちゃんの態度はいつものソレ。では、どういう子だったら振り向いてくれるのだろうか。
でも、確かに言えることが二つある。Pちゃんが振り向く女性は生半可な子じゃないことともう一つ。彼の隣に立つアイドルはきっとアイドルだということ。何故か、確信している。
(でも……いまは……デビュー……)
気付けばみくの意識は途絶えた。
サマーフェス ライブ終了後
「やったね、みく!」
「うん、李衣菜ちゃん!」
舞台裏で二人は抱き合って涙を流していた。彼女達の初ライブ、それは出だしからいいスタートとは言えなかった。現れたアイドルは無名の二人。とりあえず何かを話しても反応は薄い。ステージに立つから余計に観客たちの視線が、表情がよく見えてしまう。不安、怖いといった感情が襲い掛かる。
だが、二人は歌い始めた。するとどうだ。先程の雰囲気などどこにもない。気付けば観客は盛り上がり、二人も舞い上がっていく。どんな状況でも、歌と踊りで虜にする。二人はアイドルとして大きな事を起こした。
そして、サマーフェスは無事に終わった。
「前川さん、多田さん。お疲れ様です。とても、よいステージでした」
「プロデューサー……」
「武内P」
「私もお二人にとても重い役目を与えてしまい申し訳ありません。ですが、この経験はお二人とって、とても大切なモノになると思っています。本当に頑張りましたね」
『はい!』
すると李衣菜はあることに気付いたのか、その人物を見つけてみくの肩をとんとんと叩きその方向に指を指した。それを見たみくは駆け出した。
「Pちゃん!」
いまにも彼の胸に抱き着く勢いだ。いや、まさに抱き着くように飛んだ。が、プロデューサーの胸のほんの手前で彼自身に止められた。
「よっと。お疲れ様、みく。いいステージだったぞ」
「見てくれたの?!」
「ああ、もちろんだとも。目に入るといけないと思って端っこでな。……本当におめでとう、みく。アイドルとして、本当の意味で一歩を踏み出したな」
「……うん、うん」
プロデューサーの言葉にみくは嬉しくて涙を流した。それに気付くとみくは自分の手で涙を拭った。
「あ、アイドルが簡単に涙を見せちゃだめなんだよね?」
最初に出会った時に彼に言われたことをみくはちゃんと覚えていた。プロデューサーもサングラスの奥で瞼を大きく開いた。彼なりの反応だ。
「たしかに、アイドルは簡単に涙を見せてはいけないと言ったが、流しちゃいけないとは言ってないぞ? それに、これは嬉し涙だ。構わんさ」
「うん、うん……!」
再び涙を流すみく。でも、今度は彼の胸で。プロデューサーは両手をあげどうすればいいかわからず、その場にいる武内と李衣菜に目で助けを求めた。しかしいるべきはずの二人はおらず、気付けばこの場にいるのは自分とみくだけだと知る。
「……うむ」
頬を掻きながら、彼は右手でぽんぽんと優しくみくの頭を撫でたのであった。
同日 プロデューサーが住むマンション。
少し遅めの夕食がプロデューサーの家のリビングでとられていた。そこには家の主である彼と、元担当アイドル四条貴音と星井美希も一緒に同席していた。彼らが座る座席の位置は1対2。もちろん、彼が1で貴音と美希が2で互いに向き合って座るようにしている。たまに貴音と美希が彼の隣を争っているのはよくあることだ。
この日ばかりは貴音も美希も彼の異変に気づいた。長らく同じ屋根の下で暮らす二人だからこそ、彼の少しの変化に気づくとも言えた。
プロデューサーの変化とは別に悪い意味ではなく、むしろその逆だった。やけに気分がいいように見える。二人は互いに顔を見合わせては首を傾げた。とりあえず、黙っていても埒が明かないと思い貴音が尋ねた。
「あなた様、今日はやけに機嫌がよろしいですね」
「そう見えるか?」
「うん。すっごく笑顔なの」
「笑ってるか、オレ?」
「ええ。わかりますとも」
「ハニーの笑顔。ミキでなきゃ見逃しちゃうね」
二人に言われてか、彼は箸を置くと顔を弄りだした。そんなプロデューサーなの奇行など気にも留めず、
「で、どうして機嫌がよろしいので? 何かよいことでもあったのですか?」
「宝くじでも当たったの?」
「違う。うちの新しいユニットがデビューしてな。その一人が前から目をかけてた子だったんだよ。オレもプロデューサー冥利に尽きるっていうか、まあ、見てて気持ちいいんだよ、その子。自分から動くし、レッスンをつけてくれとかどうしたらいいとか色々。だから、やっとアイドルとして一歩踏み出せてオレも嬉しいんだよ」
「ほー」
「ふーん」
意外なことに、彼にここまで言わせるアイドルというのに嫉妬するかと思われた貴音と美希であったが、反応は淡泊だった。むしろ、嫉妬とよりも好奇心の方が勝っていた。どんなアイドルなのか気になるほどに。
「そういえば、身近にそんなアイドルが一人おりましたね。その御方とは正反対でしたけど」
「あれれー? 誰の事なの? ミキ、わかんなーい。ハニーは知ってる?」
「……そうだな。誰だろうな」
肩をすくめながら彼は答えた。
おまけ
346プロのオフィスビル。そこのプロデューサーのオフィスにやけに胸を張り自信満々で部屋を訪ねた杏に、少し困ったような顔をしながら保護者のように付き添うきらりがやってきた。
なんでもみくと李衣菜のユニット*(アスタリスク)のデビュー曲が二人によって作詞したことを聞いて杏があることを思い出した。
「杏が作詞作曲して歌ってCD出せば印税ががっぽり入るじゃん!」
思い立ったが吉日と言うべきか。杏はノートに作詞し、暇つぶしで購入したVOCALOIDを使って曲を作ってきたのだ。
「うっふっふ。これは、杏好みの曲だ。いっちょ聞いてみっか。あ、声はさすがにボーカロイドだけど、うまく調教してるから平気だよ」
「……」
手渡されたメモリースティックを持ちながらプロデューサーはきらりへと顔を向けた。
「えーと、その、一応歌になってるよ?」
「一応ってなんだ! 立派な歌だぞ! もう印税を作詞、作曲家に奪われる杏じゃない! まあ、とりあえずはほら!」
「あ、ああ」
メモリースティックをUSBポートに挿し、フォルダを開く。ファイル名には『あんずのうた』とあった。引き出しからイヤホンを取出し装着。音楽スタート。
数分後。
イヤホンを外し、彼は声を震わせながら感想を述べた。
「す、凄い。きっと大物になれるよ」
「マジかよ。やっぱりそうか! 杏もずっと前からそう思ってたんだ!」
「だ、だが、まだソロデビューをさせる予定はない。なので、その時に歌うといい。その時はオレが担当する」
「プロデューサーばんざーい!」
「本当にこれでいいのか、きらりは心配です」
彼は言えなかった。あまりにも杏が思ったことそのままで、これを歌として認めていいのかと。
しかし、翌年の杏のソロデビューに『あんずのうた』が世に出た。それがまさかの空前絶後の大ヒット曲になるとはこの時、誰も予想できる者などいなかったのである。
私の中でキュートのアイドルトップ3に入るぐらいみくが好きです。特訓後の髪型がほんとすこ。
そのためか、かなり贔屓してしまい、デレマス編においてはみくがヒロイン候補の予定でした。どっかで書いたか書かなかったかは覚えてませんが、正史ルートで貴音と美希以外の子がヒロインになることはなく、みんな候補です。ifルートならばヒロインです。まあ、現在の更新速度ではそこまでいけないんですけどね。
一期も残り二話。しかも結構大変な話。来月中に一期が終わればいいな……。