Q 突然ロシア語で言われたら?
A すまねぇ、ロシア語はさっぱりなんだ
〈Happy Princess Live〉から少し経ち、プロデューサーのオフィスに武内は訪れていた。目の前に座っている彼は、武内から提出された書類を黙々と見ていた。
書類の内容は二組のユニットのCDデビューに関する内容は記載されている。四月から五月となり、CPは次の段階へと進む頃合いとなった。
その第一歩がCDデビュー。実質、今の候補生という立場からこれを機にアイドルデビューということになる。
これは彼女達にとって朗報であるのは間違いない。しかし、全員ではない。今回デビューできない他のメンバーは次の機会。
(こちらの都合、私の実力不足。と言うのは簡単ですが……彼女達には酷な報告でした)
武内自身もその事は十分に理解していた。全員を一度にデビューさせるのは簡単ではないし、できるとはっきりと断言できる力もない。
少しずつ、けれど確実に。
彼女達に不安や嫌悪を抱かれるかもしれない。それでも、誰よりも彼女達の成功を願っている。
脳裏にあのことが過る。そうだとも、だからこそ過ちは繰り返さない。
武内はぎゅっと拳を握りしめた。今度こそは……そう訴えているかのように。
プロデューサーが書類を置いて顔を上げて声かけてきた。
「どうした、何かあったのか?」
「……いえ、なんでもありません」
「ならいいが……」
彼はそう言うと一枚の書類を手に取った。
「ユニット名『new generations』。卯月、渋谷、未央の三人か。この間のことを考えれば妥当な選出だな」
「自分としても、先の事を踏まえて別々にするよりもこの三人で組んだ方がいいと判断しました。私見ですが、互いを補うことができるメンバーだと、私は思っています」
「フム。クール、キュート、パッションといい感じだしな」
それは彼が付けているもので、アイドル達を区別するための専門用語だということは理解していた。
順番で言えば、渋谷さん、島村さん、本田さんといったところでしょうか。
たしかにそう言われれば、なるほどと頷きたくもなる。
「この間のライブで他のメンバーよりは経験も積んだわけだし、一番にデビューさせるのは正解だな。ただ……」
「何か問題が?」
「いや、これは自分で見つけて考えろ。それにただの憶測だ。プロデューサーとしてアイドルのことはしっかり見ておけ。それだけは言っておく」
「わかりました」
武内は追求をせず、ただ肯定した。これは自分の仕事であり、与えられた課題だ。ならば、彼の言う通り彼女達のプロデューサーとして役目を果たさなくてはならない。
「次は……美波とアーニャか。ユニット名は『LOVELAIKA』……ラブライカねえ。ニュージェネはなんとなく察しはつくが、このライブライカという名前はどういう意味なんだ?」
「まず、『LOVE』は新田さんをイメージしています。私は彼女に、女神のような印象を抱いたからです。『LAIKA』はアナスタシアさん、彼女はロシア系ハーフということなので、ロシアをイメージしました。『LAILA』というのは初めて宇宙に行ったライカ犬から取っています」
「……顔に似合わずロマンチストな考え方をする」
「先輩程ではありません」
言い返されると、プロデューサーはそんなことはないぞと不服そうな顔をした。
「で、本人達に報告はしたんだろ?」
「はい」
「どうだった? 反応は」
「今回デビューする五人は喜びと驚きが半々といったところでしょうか。残りの方々は……やはり」
「そこは納得してもらうしかない、そう言えば簡単だが……まだ子供だ。納得できない子の方が多い。それでも、残りのメンバーの計画は練っているんだろ?」
「はい。メンバーの選定も考えていますし、NGとラブライカがデビューして本格的に活動を開始したあと、随時新ユニットをデビューさせていく予定です」
「了解した。報告は定期的にちひろちゃん経由でもいいし、直接でも構わない。可能な限りオレも彼女達の初デビューは随伴するつもりだ」
「ありがとうございます」
「NGとラブライカに関してはこちらでも宣伝するための準備はしておく。ま、いつものように藍子の〈ゆるふわタイム〉に出演になるけどな。あと、どちらかが手一杯なときはオレが付き添う。その方がお前もいいだろ」
「ですが、先輩の方は大丈夫なんですか?」
「昔と違って今は下がそれなりに育ってきているから、オレも最近は楽になって助かっている。けど、まだまだ花丸はあげられないが」
武内は好奇心が過ぎたのか、つい聞いてしまった。
「ちなみに自分はどうなのでしょうか」
「お前もまだまだこれからだよ」
笑いながら彼は言った。少し残念だと武内は意外ながらもそう思った。
どうしよう。でも、ここまで来ちゃったしな……。
346プロダクションオフィスビル31階にあるプロデューサーのオフィスの前で、CPの前川みくは唸りながら立っていた。
シンデレラルームと名がついている彼女達の部屋はこの1階下で、みくを始めとしたCPの面々がここにくることは滅多にない。
けれども、きらりと杏の二人はプロデューサーのオフィスに頻繁に訪れている。彼から頼まれたことを報告するためだ。そのことをみく達は認知していない。
しかし、その逆のパターンもあった。みくはきらりと杏以上に彼のオフィスに訪れているのだ。
みくは一番最初にCPのメンバーにスカウトされたアイドルで、彼からも悩み事があったら相談しろと言われていたこともあり、346に移籍してからよく入り浸っていたが、メンバーが徐々に増えていくうちに訪れる頻度は減っていた。
しかしその甲斐もあってか、現在活動している先輩アイドル達とはそれなりの面識があった。年代が近い子が多く、県外出身の子も多い未成年のアイドル達は女子寮で生活をしているので、他のメンバーよりも面識はあるし関係も良好だった。
蘭子ちゃんは……ちょっとよくわからないにゃ。
同じプロジェクトのメンバーでも、まだ互いを理解するには時間を要していた。
今回抱えている悩みも、一緒に寮で暮らしているまゆや美穂、紗枝といった歳の近い子がいたし、何故か成人しているのに女子寮のお姉さん役をしているイヴに相談することもできた。
けれども、そうしなかったのはきっと理解をしてくれないと思ったから。いや、理解というよりも同意、共感をしてくれると思えなかったというのが大きいと、みくは申し訳ない気持ちで一杯だった。
(結局、Pちゃんに頼ってばっかだにゃ)
できるだけプロデューサーに迷惑をかけたくないという気持ちが大きいが、この悩みは彼にしか言えない。
さらに言えば、内容的に武内Pにも言える筈がない。言ってしまったら彼に余計な心労をかけてしまうだろうとみくは思っていた。
悩んだ末に。よし、と覚悟を決めたみくは扉をノックした。するとすぐに返事が返ってきた。
『どうぞ』
「失礼します、にゃ」
恐る恐ると扉を開けるみく。別にいつもの調子で開ければいいのに、なぜか今回はこうなってしまった。彼女の異変に気づいたプロデューサーも心配して声をかけた。
「どうしたんだ、みく? 何か怯えている様だぞ」
「えーと、その……」
レッスンを頼むにゃとか、ちょっとわからないことがあるんだけど、いつものように言えばいいのに言いだせなかった。
プロデューサーから見ても、みくの異変にはすぐに気が付いた。両手の人差し指をぐるぐると回しながら目が泳いでいる。察しがついた彼は優しく声かけてきた。
「まあ、まずは座れ。そんなにビビってたら落ち着いて話もできない」
「あ、うん」
みくがソファーに座ると、彼は立ち上がり置いてある自前のバリスタにマグカップを置いてコーヒーを淹れると、
「コーヒーでも飲んでリラックスしな」
「ありがとうにゃ。いただきます……にがぁ!!」
笑いながら彼はミルクと砂糖を差し出してきた。
「いつもだったら入れるのに、それを忘れるってことは余程のことかな? 聞いてやるから、言ってみろ」
コーヒーにミルクと砂糖をいつもの量を入れてかき混ぜる。一口飲む。いつもの程よい甘さとちょぴりの苦みにゃ。
落ち着いたみくはゆっくりと悩みを打ち明けた。
「Pちゃんは……もう知ってると思うんだけど」
「NGとラブライカのCDデビューか?」
「うん、そう」重たそうな声で肯定した。そして今に泣きそうになりながら「ちょっと、嫉妬しちゃったにゃ」
「……」
「おめでとうって言うべきなのに、みくは羨ましい、ずるい、なんでって。そんなことばかり思っちゃったにゃ。だって、ここならみくもアイドルになれるって思っていたから……!」
346プロに来る前、移籍する前に所属していた事務所でも今に似た……いや、現状より酷い待遇だった。上から目線な言い方をするが、前の事務所は本当に扱いが酷かったと、みくはあの時の事を思い返し始めた。
その事務所にはオーディションを受けて合格した。それは言葉にならないぐらい嬉しかった。単身で東京に来て、アイドルになるというその第一歩を叶えることができたからだ。けれど、そこから上に駆け上がることはなかった。
『ネコキャラアイドル』として活動をしたいということを担当のプロデューサーに伝えた。
その時の返答はあまりいいものではなかった。「今時○○キャラって受けない」とか「それにネコキャラなんて在り来りだ」否定するばかりだった。
それが原因で放置なのか保留としてされたのかはわからないが、レッスンだけの日々が続きプロデューサーが見てくれることはなかった。ただ、週に一度ぐらいは指示されたレッスン教室に出させてもらった。それ以外は独学でレッスンをしていてた。
アイドル以前にデビューすらできないと諦めかけていた時、彼が――Pちゃんがみくを見つけてくれた。スカウトしてくれた。
ここなら、この人ならみくもアイドルになれる。そう信じてレッスンを頑張ってきた。
でも、そんな自分より早くにデビューができる仲間が出てしまった。
なんで? どうして? そんな言葉ばかりが思い浮かんでしまう。
メンバーの中で一番にスカウトされたのは理由にならないけど、それでも誰よりも練習を積んできた、誰よりもアイドルになりたいという想いは負けていない。それなのに、一人を除いて養成所にすら通っていなかった子達が選ばれた。みくはそれが特に辛くて悔しかった。
言葉にはしていないが、卯月ちゃんには素直におめでとうと言えばよかったと思っていた。彼女とは立っている場所が違うだけで、私達は似ているなと思っていたから。みくは事務所にいたけどアイドルになれなくて、彼女は養成所に通っていてアイドルになろうとしていた。似ているようで違うけど、それでもみくは卯月ちゃんにシンパシーを感じていた。
だから、他の皆にはおめでとう。こんな簡単言葉を贈ることさえできなかった。
正直言えば……怖かった。スタート地点は同じだったのに、少しずつみんなとの距離を離されて置いていかれてしまう。それが一番怖かった。
「みく、その悩みはおかしくはないし、そう悩んでしまうのも当然だと思う。特にここでは余計に感じてしまうんだろうな。けど、何を言っても言い訳にしか聞こえないか」
言うと彼は頭を下げた。
「……お前の気持ちは痛いほどにわかる。それにスカウトしたオレにも責任はある。すまない」
「ぴ、Pちゃんが謝ることじゃないにゃ! これはみくの勝手な、我儘みたいなもので……」
「それでもだ。……それと、そのことに関して武内は何か言ってたか?」
「武内Pは頭を下げて『申し訳ありせん。ですが、必ずみなさんの期待に応えられるよう全力を尽くします。時間をかけてしまうかもしれませんが、その時まで待っていてください』って。あんなに真剣な顔をされたら、何も言えないにゃ」
それを聞いてプロデューサーは安堵したのか、表情が少し緩んだようにみくは見えた。
「オレからもお願いだ。武内を信じてやってくれ。きっと、期待に応えくれる」
「……うん」
彼は一口コーヒを飲むと、意地悪そうに言ってきた。
「にしても、これは武内には相談できないわけだ。だから、オレのとこに吐き出しに来たんだろ」
「もう! Pちゃんの意地悪! 酷いにゃ、みくがこうして悩んでいるというのに。最後の最後でそういうのいけないにゃ」
「ごめん、すまない、許せ。オレとしても、そういう悩みや本音を聞けて嬉しいと思ってる。雰囲気や細かいところで察せても、本当のところは聞かないとわからないからな」
「みく以外の子も相談しにきたりするの?」
「企業秘密」
「えーずるいにゃ!」
「プライバシーってもんがある。ま、色んな方面で相談はされるよ。仕事のことから……」
急にと黙ると、なんだか黄昏ているようにみくは思えた。目は窓の外を向いていて、溜息をつくその姿は同情すら覚えてしまう。
というよりも、すごく疲れているように見えるにゃ。
しかし、彼とアイドル達からの関係を考えるとそうなるのも頷けた。「……あの二人に比べたら……」と何か言っていた。気になったみくはつい出来心で尋ねた。
「Pちゃん、二人って?」
「――! こっちの話だ。さて、時間も時間だな。お前はもう帰るんだろ?」
「うん」
「それじゃあ寮まで送って行こう。最近物騒だからな」
「え、いいの?」
「これもプロデューサーの仕事だからな」
「そこは、お前が心配だからなって言ってほしいにゃ」
彼は鼻であしらうといった風に「だったら、そう言わせるぐらいにいい女になるんだな」と言ってソファーから立ち上がり、デスクへと戻った。
「もう少しで片付くから、その間に帰る準備でもしておけ」
「わかったにゃ! ――あ」
「どうした?」
みくは扉をあけて外に出て突然振り返った。
「Pちゃん、ありがとうね!」
彼は手を上げてそれに答えた。
その後、仕事が終わったプロデューサーにみくは女子寮まで送って行ってもらうのだが、道中警察に職質されるとはみくも予想外であった。
NG、ラブライカのCDデビューが決まり、デビューライブのためにレッスンに勤しむ五人であるが、ただレッスンをするだけが彼女達の仕事ではなかった。
今までも他の先輩アイドル達の補佐としての仕事はあれど、自分達が主役の仕事はなかったので、デビューするにあたってこれがちゃんとしたアイドルとしての仕事でもあった。
ジャケット撮影、CD収録とあるが、今回メインの仕事は宣伝である。
NGの三人には武内が当然付き添うのだが、ラブライカの二人にはプロデューサーが付き添っていた。今でもデビューをするアイドルには必ずと言っていいほど彼は付き添っていた。例えるなら、子供が心配で見守る父親のようなものであろうか。一部のアイドル達は彼がいることでモチベーションが上がったりしているので、それを望んでいる子も少なくはない。
主に宣伝をするために使われているのが、藍子がパーソナリティーを務めている〈ゆるふわタイム〉。これが出来てから宣伝をするために出演するのが当然のようになっていた。
先日NGの三人が収録し、今日はラブライカの美波とアナスタシアが収録をしていた。
『――では、今日はここでお別れです。また、次回でお会いしましょう。さようなら-』
『……はい、オッケーです。お疲れ様で-す』
収録が終わり、三人がスタジオから出てくる。藍子はいつもの様子のようだが、美波とアナスタシアは初めてのラジオ収録で張りつめていた緊張の糸がようやくとれたようで胸をなでおろしていたのがわかる。
美波とアナスタシアがプロデューサーに声をかける前に藍子が先に動いた。
「プロデューサー!」
「今回もお疲れ、藍子。お前から見て二人はどうだ?」
「ふふ、またそれですか?」
新しいアイドルと一緒に仕事をする度に同じこと聞いてくる彼に藍子は笑みを浮かべた。
「美波さんもアーニャちゃんも初めてでしたけど、問題なくできてたと思います。と言っても……私こればっかりですね」
「つまり問題はないってことだろ? お前の言うことは信じてるから自信を持て」
「もう、そうやって煽てるんですから。けど、まだプロジェクトのみんなに会ったわけじゃありませんけど、きっといいアイドルになります」
「先輩として面倒をみてやってくれ。あと3、4回は一緒になると思うから頼むぞ」
「はい」
「このあとはたしか……雑誌の取材があったな。送って行こうか?」
「いえ、大丈夫です。取材の時間まではまだ時間があるんで、最近気になっているお店にちょっと寄ってみようかなって。見た感じだと、落ち着いた雰囲気でいい感じなんですよ!」
「へえ-、そうなのか」
「はい! プロデューサーも時間があるときに一緒に行きましょうね」
「考えとくよ。それじゃあ気を付けてな」
そんな二人の様子を少し離れた場所から見ていた美波は、隣にいたアナスタシアに顔を向けた。互いに顔を見合わせて首を傾げた。どうやら、同じことを考えていたらしい。
美波とプロデューサーとの付き合いは2ヶ月とちょっとになる。彼の知らない一面を目撃して彼女は戸惑っていた。
ふと美波は自分が知っている男性と比べるならば、彼はどちらかといえば厳格な男性なのだと比較した。しかし彼のすべてが厳しさでできているわけはないのは短期間ではあるがそれぐらいの事は気付いていた。
彼を例えるなら卵だ。厳しい、怖いといった悪い印象を与えてしまう殻だが、その中身は優しさや私達を気遣ってくれる暖かいもので溢れている。自分でもこんな恥ずかしいことをよく思い浮かべられると思ったが、口に出していないのだから問題ない。
私にだって浪漫っていうか、ちょっと乙女っぽいことを考える。
しかし、実際にそうなのだから困ってしまう。彼がレッスンに参加した時は、中学高校の部活動で教える教師の比ではない。鋭く、そして的確に指摘してくる。
プロデューサーって先生に向いているんじゃないかしら。
教壇に立ち、生徒達に授業をしている彼を想像する。似合うには似合うが……貫禄がありすぎて教師というより、漫画とかに出てくる先生の方がピッタリだと思う。
美波が自分の世界に夢中になっている最中。気付けばプロデューサーは目の前に居て、反応がない美波に大きめに声をかけてようやく我に返った。
「美波……大丈夫ですか?」
「何か問題でもあったか? ラジオ収録とはいえ、初めてのことだし色々と思い悩むのはわかるが……」
「い、いえ! 違うんです! ただ、ぼーっとしてただけで!」
「そ、そうか。ならいいんだが」
「本当に大丈夫ですから! そんなに顔を近づけられると……」
彼女を心配したプロデューサーは顔を覗きこんでいた。二人の距離はまさに目と鼻の先と言えた。美波は顔を真っ赤にし、彼はそうかと言いながら離れた。
美波とアナスタシアは彼を先頭に来た道を戻り、346プロの営業車のある駐車場まで向かった。
車に乗り込む前、なぜか当たり前のように助手席に座るアナスタシアに美波はまたかと思いながら彼女を止めさせ、一緒に後部座席の方に座った。いや、座らせた。
現場に来る前はプロデューサーが止めさせ、今回は美波が止めたので彼は何も言ってはこなかった。
プロデューサーが運転する車の中で、美波はあることに気付いた。
(私、免許を取ってから運転ってしてないかも)
大学に通うのに車は必要はなく、どこか出かけようと思ったら電車を使う。進学するにあたって車を持つかどうか悩んだが、地元である広島までは長距離だ。そこまで運転する気にはさすがになれなかった。住んでみてわかったことだが、本当にここは電車が便利だということに感激すらした。
すると、プロデューサーが前を向きながら尋ねてきた。
「どうだった。初めてのラジオの収録は」
「ただ喋っているだけなのに、とても緊張しました。でも、藍子ちゃんがフォローしてくれたので助かりました。アーニャちゃんは?」
「нервничать……私も、とてもドキドキしました。でも、美波や藍子がいたのでちゃんとできました……!」
「オレも見ていたが、よくできてたよ。何れは、お前達は自分の番組やコーナーを持つことだってありうるんだ。いい勉強になっただろ」
「ええっ、気が早いですよ!」
「そう、なんですか?」
「そうだとも。デビューをして、名が売れれば売れるほど活躍の場は広がっていくんだ。今はユニットで仕事をするかもしれないが、個別に仕事の依頼だって来るかもしれない」
あ、と美波は声に出した。美波はそれをすぐに理解した。
まだラブライカとしてユニットを組んで活動してから日は浅い。けれど、アーニャちゃんとレッスンをして、今日みたいに仕事をするのはとてもやりがいがあった。楽しいとさえ美波は思えていた。
隣にいる彼女を美波は見た。アナスタシアはあまり理解していないのか、彼に尋ねた。
「プロデューサー、それは……ラブライカが解散するってことなんですか?」
「えっ!?」
話がいきなり飛んだことに驚いてつい美波は声に出してしまった。聞かれたプロデューサーが笑いながら答えた。
「ははは、違う違う。解散はしないよ。ただ単に、将来的にはユニットではなくソロとして活動する機会が多くなるってことだ。特にうちは大所帯だから、色んなアイドル達でユニットを作ったりするんだ。それでも基本はソロとして活動するアイドルが多いんだがな」
「ン-、あまり実感? が湧いてこないです。今は美波と一緒にお仕事できるの、すごく楽しいです」
「私も同じ気持ちだよ、アーニャちゃん」
「ま、プロジェクトの活動期間の内はユニットで仕事の予定だしな。でも、仕事によってはソロだってありうる。いつでも互いに一緒にいられるとは限らないんだ。そういうことも頭の隅に覚えておいてくれればいいさ」
言いたいことを言ったのか、プロデューサーは運転に集中していた。
改めて意識してみると、ソロで活動するというのは……楽しみであると同時に不満だと感じだ。ソロは一人だ。自分の力でやるしかない。けど、ユニットなら仲間同士で支え合い、助け合える。
(ソロかぁ……。まだ、そんな先のことわからないよね)
とどのつまり、プロデューサーが言ったように未来の話だ。いますぐにというわけではないし、自分がもしソロとして活動するようになったらと想像するだけに留めておこう。
美波はなぜか隣に座るアナスタシアをみた。
仮にソロとして活動するようになったら、アーニャちゃんはどう思うのだろうか。ユニットとして一緒に活動するようになった彼女に、美波はほんの少し依存していた。だからこそ、互いにソロとして活動してしまった時のことが怖いと無意識の内に抱いていた。
これからどうなるのだろうか。どうしたらいいのか。
答えは自分で見つけるしかない。
事務所に戻った美波とアナスタシアは帰り支度を整えて帰路についていた。美波は一人暮らしなのだが、今日はアナスタシアを女子寮まで送っていくことにした。
女の一人歩きは危険な昨今ではある。たしかにアナスタシアもアイドルなのだが可愛いということは間違いない。けれど、新田美波という女性は可愛いというよりも美人という言葉が似合うだろう。なにせ、大学のミスコンでも余裕の1位を取ったのだから、結果的に一人で帰る美波も危険なのは変わりないのであった。
ユニットを組んでまだ日は浅いが、美波は彼女と上手くコミュニケーションが取れていると実感できていた。会話の中にロシア語が時たま紛れ込むので、よく首を傾げてしまうのが少し悩みでもあった。最近は空いた時間を使って互いの言葉を勉強しているので、少しは平気になっていた。
いつもと変わらない日常会話をしていた二人であったが、美波はふと気になったことがあった。
アーニャちゃんってたしか、私と同じスカウトだったよね?
メンバーの内誰がスカウトされ、誰がオーディションを受けたのかは聞いたが、実際にスカウト組はどんな風にスカウトされたのかと美波は急に気になったらしい。
なので、美波はアナスタシアに尋ねた。
「ねえ、アーニャちゃってプロデューサーにスカウトされたんでよね ?」
「Дa! そうですよ」
「ちょっと気になったんだけどね? アーニャちゃんって、どういう風にプロデューサーにスカウトされたのかなって」
「どういう風に、ですか? ン-、そんなに面白くないですよ?」
「え、別に面白い話を求めてるわけじゃないよ?!」
「そうなんですか? てっきり、面白い話をしてほしいのかと思いました」
本当に、極稀に彼女が一体何を考えているのか分からない時があると美波はしみじみと痛感した。
「美波は、私が北海道出身なのは知っていますよね?」
「うん」
「出会ったのは……3月ぐらいですか。その時期の北海道はまだ雪も降ったりしたり、寒い時期です」
「まあ、プロデューサーが北海道でアーニャちゃんをスカウトしたっていうのは、想像はつく、かな?」
「あれは、雲がなくて星がよく見える夜のことです。外は寒いのに、私は星を見ていました。Красивый あ、綺麗ってつい口にだしたんです。そしたら――」
「そしたら?」
「『――すまねぇ、ロシア語はさっぱりなんだ』って、突然声をかけてきたんです」
がくっと美波は足の力が抜けて倒れそうになった。なんとも浪漫の欠片の無い状況であろうか。いや、そもそも不審者なのではと疑いたくなる。
「美波、どうしました?」
「な、なんでもないよ! それで、アーニャちゃんはどうしたの?! 叫んだの? 逃げたの?」
「いえ、私は綺麗だなって、教えてあげたんです」
美波はまた体勢を崩した。
「美波、本当に大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だから! ……アーニャちゃんって天然だったかしら」
隣にいる彼女に聞こえないようにぼそっと美波は呟いた。
「そ、それで? そのあとどうなったの?」
「えーとですね。たしか、スカウトの話を受けて……。時間も時間でしたので翌日詳しい話をするってことになったんです。結果はご覧の通りなのですが、少し問題が起きまして」
「問題……!」
「ママは了承してくれたのですが、パパが反対しまして。それで……」
「それで?!」
「その、直接見たわけではなく、それ以前にママが見てはダメと言って見れなくて。ただ、家を出た二人が少しして戻って来たら、何故か二人ともボロボロでした」
「……」
これはアレだな。よくあるアレだ。「娘さんを(我が社のアイドルにスカウトさせて)ください」と、このような感じになったに違いないと美波は予想だがそう確信した。
そもそも二人がボロボロとはいったい……?
美波が勝手に色々と妄想していると、今度はアナスタシアが聞いてきた。
「私はこんな感じですが、美波はどういう風にプロデューサーと出会ったのですか?」
「ええぇ?! わ、私はアーニャちゃんより面白くもなんともないよ?」
「それは、ズルいです美波。私は話しました!」
「わ、わかったよぉ……。えーとね? 大学の講義が終わって街を歩いているときに声をかけられたの」
「ふむ。それで?」
「それでって……。このあと普通に近くのファミレスで話して、両親にも伝えてそのままアイドルになったっていう流れなんだけど……」
アナスタシアはため息をつくと、飽きれた声で言った。
「それ、だけなんですか? 外で筋肉式挨拶をしたりしないんですか……?」
「おかしいよ、それはおかしいってアーニャちゃん! というより、アーニャちゃんの方が異常だよ?!」
「え、アレが普通じゃないんですか?」
「アーニャちゃんの普通が私には分からないよぉ……」
まず、彼女には日本語よりも一般常識を教えてあげようと美波は心の中で決意した。
そして、プロデューサーには注意をしておこう。ちゃんとキツめに。
NG及びラブライカのCDデビューが数日後に迫る中、武内はトレーニングルームへと向かって歩いていた。
今日までライブの準備はすべてやったと武内は思っている。あとはライブ当日を待つだけであった。そのためのスケジュールを伝えるために彼は彼女達の元へ向かっていた。
遠目ではあるがトレーニングルーム近くにある休憩所に彼女達がいるのが目に入った。自動販売機で買ったとみられるエナジードリンクを手にNGの三人はいた。
声をかけようと思ったが武内だったが、少し気になる会話が耳に入った。
「いやぁ―この調子ならライブも余裕ですな!」
「ううぅ、私はまだちょっと不安です」
「私も気になるところあるし。未央は逆に調子乗り過ぎ」
「え――! そんなことないって!」
どうやら彼女達は、今の自分達の出来について話し合っているらしい。
トレーナーからの報告では100点満点とはいかないが、三人とも問題ない仕上がりだと聞いている。
自分の目から見てもレッスンを見ても、三人の状態は充分に問題ないと判断できるほどである。先のライブでも思ったことだが、渋谷さんと本田さんはダンス経験はないと言っていたが、未経験者とは思えないほど筋があり上達も早かった。
そして今回も前回の経験があってか、三人とも順調に仕上がってきている。ラブライカの二人は緊張や不安の所為で動きがぎこちないように見えたが、今はそれを感じさせることはない。
「でも、毎日自分が少しずつですけど、上達しているかなっていう実感はあります!」
「うんうん。いやあ、自分の才能が恐ろしい……。しぶりんはどう?」
「え、私? う―ん、まだ実感がないかな。でも、今の気分は悪くないかな」
「でしょでしょ。これならライブも全然問題ないって!」
「まあ、未央ちゃんの言うようにやる気に満ち溢れているのはいいと思いますけど……」
……」
「そういえばさ、まだどこでやるかって聞いてないよね」
「それもそうですね。どこでやるんでしょうか?」
「きっとこの間のステージみたいな感じじゃないの?」
「さすがにそれはないですよ、未央ちゃん。CDデビューといっても、私達まだ正式にはデビューしてませんし」
「それもそうか……。でもさ! あのライブをやり抜いた私達に、デビューライブなんて余裕だよ、よーゆー!」
「未央、本当に調子乗り過ぎだよ」
「えへへ、ごめんごめん」
これはいけない。
私の記憶の中でなにかがフラッシュバックした。前にも、そうあの時と似ているのだ。彼女達のようにデビューを前にしてあのような会話をしていたのを覚えている。
あの時の私は、何もしなかった。それ以前に気に留めなかったのだ。
大丈夫、練習通りやれるだろう。そう思っていたのだ。
しかし、自分が思い描いていた結果にはならなかった。私は愚かだった。彼女達はまだ子供だ。成人すらしていないし、なによりも私自身人の感情を読み取ることは得意ではない。かけるべき言葉も間違い、傷つけてしまった。
愚かだ、私は。
だが、過ちは繰り返さないためにある。こうして彼女達の会話を聞けたのは僥倖と言える。なら、やるべきことを果たすのだ。私は、彼女達のプロデューサーなのだ。
「皆さん、ここにいらっしゃいましたか」
「あ、武内P」
「なにかあったの?」
「あったというより、デビューライブ当日の打ち合わせをこのあとします。なので、着替えてから私のオフィスに来てください」
「分かりました!」
「新田さんとアナスタシアさんには私から伝えておきますので大丈夫です。急な案件ではないので、休憩してからで問題ないのでお願いします」
『はい』
「では、また後ほど」
武内はその場から離れ、自分のオフィスに向かうためエレベーターへと乗り込んだ。ポケットから支給品のスマートフォンを取出し、電話帳を開く。
さ行の……しのあたりまで飛ばしてゆっくりとスクロールする。彼の指はある人物の名前で止まる。
城ケ崎美嘉。
(彼女が一番の適任でしょうか)
ふと彼は苦笑した。何かあると彼女によく頼ってしまう自分がいるなと。
あの一件以来、城ケ崎さんを始め、アイドル達が気を使って私を気にかけてくれた。やれ、女の子の扱いはとか、デリカシーがないとか色々とご教示してくださった。本当に感謝している。
エレベーターを降りて早速通話ボタンを押した。今日の彼女のスケジュールは把握していたので、問題はなかったはずだ。
何回かコールしたと彼女の声が聞こえた。
『あ、プロデューサーじゃん。どうしたの?』
「お忙しいところ申し訳ありません、城ケ崎さん。実はお願いがあるのです」
要件を伝えると電話の向こうにいる彼女は嬉しそうに返事をくれた。
餅は餅屋。アイドルにはアイドルが適任だ。
『――じゃあ、明日時間があるからその時に話しみるよ』
「お願いいたします」
『いいって。アタシも……プロデューサーに頼ってもらえて嬉しいしさ。……それじゃあ、また明日ね!』
「はい、お疲れ様です」
相手の電話が切れるのを確認し、ふうと息を吐く。
城ケ崎さんには感謝しきれない。だが、アイドルばかりに頼ってはいられない。
私も、プロデューサーとして出来ることをしよう。